火」が点された。とありました。 県東海村の日本原子力研究所で日本初の「原子の は、昭和三十二年(一九五七)八月二十七日茨城 大間町長 金 澤 満 春 年 頭 の 挨 拶 新年明けましておめでとうございます。 町民皆様には、ご家族おそろいで、希望に満ち た新春をお迎えのことと心からお慶び申し上げま 様の幸せを願い町政の推進に努めることができま 生き生き・悠々」を町づくりの基本に据え町民皆 私自身お陰様をもちまして、町長就任以来三期 十 二 年 間 温 か い ご 支 援 を い た だ き、 「 の び の び・ 五十一年(一九七六)大間原子力発電所計画の第 が 踏 み 出 さ れ ま し た。 そ れ か ら 十 九 年 後 の 昭 和 か ら 十 二 年 後、 つ い に 原 子 力 平 和 利 用 の 第 一 歩 和利用の推進を目的として研究が進められ、終戦 す。 した。心から感謝申し上げます。 施方の請願が大間商工会から提出され、調査の結 戦後の日本には科学技術が戦争に利用されては ならないという意識が強くありましたが原子力平 今年の干支(干支は六十年を一周期としてる) 丁酉(ひのととり)に因み六十年前の出来事を調 果適地とされた事から、昭和五十九年(一九八四) 一歩となる原子力発電所新設にかかる環境調査実 べてみました。我が町とかかわりのある出来事で 2 誘致を決断した大間町民として、原子力発電によ らないと考えています。そして、原子力発電所の の思いを受け継ぎ次世代に伝えていかなければな いたことは紛れもない事実であります。私は先人 あります。その人達が現在の技術や産業の礎を築 であり、原子力の平和利用を推進してきた人々で 「原子の火」が点ってから、六十年その火を点 したのは、唯一の被爆国である我が国の研究者達 国策を受け入れる決断をしました。 論を重ね、日本のエネルギー政策に理解を示し、 格化しました。先人たちは、町の将来を考え、議 大間町議会が原子力発電所誘致を決議し計画が本 ます。 この年が町民皆様にとりまして実り多い年であ ることをご祈念申し上げ新年のあいさつといたし に職員と一丸となり精進してまいります。 を期待し、町民皆様が幸せを実感できる町づくり が進めて来た事業の成果が得られる年となること 果が得られるとされています。このことから、町 「 酉 」 の 由 来 は「 果 実 が 極 限 ま で 熟 し た 状 態 」 ということから、物事が成熟した状態を意味し成 施策を進めてまいります。 ます。この戦略を着実に進め基本目標達成に向け た施策の基本的方向、具体的な施策を設定してい 国・県の総合戦略を勘案し、町の総合計画に即し 町 長 金 澤 満 春 副町長 菊 池 武 利 教育長 佐 藤 桂 一 職 員 一 同 謹んで 新 春のお慶びを申し上げます りエネルギーの安定供給・地球温暖化の防止・世 界平和に貢献できることを誇りとし、原子力発電 所の必要性を訴えてまいります。 町では、昨年三月「大間町まち・ひと・しごと 創生」人口ビジョン・総合戦略を策定いたしまし た。人口ビジョンは、人口減少に対する中長期展 望で、人口などの動向分析や、町民意識を踏まえ て、二〇四〇年を視野に入れ策定し、総合戦略は、 「まち・ひと・しごと創生」に向けた目標や施策 の基本的方向、具体的な施策をまとめたもので、 3
© Copyright 2024 ExpyDoc