『Lib.:京都産業大学図書館報』(43巻,増刊号)

ISSN 0287-976X
Lib.
第 12 回
京都産業大学図書館書評大賞
入賞作品掲載号
入賞者発表
選考経過と全体講評
入賞作品および講評
<大 賞>
<優秀賞>
<佳 作>
アンケート
統計
概要
2
3
4-5
6-11
12-21
22
23
24
第 12 回京都産業大学図書館書評大賞には 84 篇の応募があり,図書館書評大賞選考委員会で選考した
結果,次のとおり入賞者を決定しましたので発表します。
各賞ごと氏名の 50 音順
大
氏
あきた
ま
賞
所
年
名
り
秋田 真里
属
次
書評タイトル
『書 評 対 象 図 書』
(著 者 名 等)
外国語学部 英米語学科
4年次生
季節に込められた感情
文化学部 国際文化学科
2年次生
シュールな探偵小説
法学部 法政策学科
3年次生
人間失格
文化学部 国際文化学科
2年次生
小松左京の全てがここに
『春の雪』(三島由紀夫著)
優 秀 賞
き
だ
かりん
木田 香凜
すずき
けんたろう
鈴木 健太郎
まさき
たかゆき
正木 貴之
佳
おか
『人間失格』
(太宰治著)
『さよならジュピター』(小松左京著)
作
外国語学部 ヨーロッパ言語学科
2年次生
ふう ま
岡 楓真
げじょう
『名探偵の掟』(東野圭吾著)
しんたろう
下條 真太郎
経営学部 経営学科
3年次生
ロシア闇の戦争
『ロシア闇の戦争 : プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作
を暴く』
(アレクサンドル・リトヴィネンコ, ユーリー・フェ
リシチンスキー著 ; 中澤孝之監訳)
『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』を読んで
『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』
(中村尚樹著)
しんや
れ
お
経営学部 ソーシャル・マネジメント学科 ゆたかな社会
2年次生
『ゆたかな社会』(ガルブレイス著 ; 鈴木哲太郎訳)
つつい
ま
い
文化学部 国際文化学科
3年次生
萬斎でござる
外国語学部 ヨーロッパ言語学科
2年次生
幸福な食卓からみる、家族の形
新屋 怜央
筒井 茉衣
にしかわ
西川
ななみ
七海
『萬斎でござる』(野村萬斎著)
『幸福な食卓』(瀬尾まいこ著)
2
選考経過と全体講評
図書館書評大賞選考委員会
図書館長
香代子
今年のノーベル文学賞は,いよいよ村上春樹が受賞するのではと胸を弾ませていたハルキストも多かったのでは
ないだろうか。実は,本学図書館も,受賞が決まったら間髪を入れず特別展示をしようと企画していた。しかし,
世界を驚かせた受賞者は,アメリカのシンガーソングライター,ボブ・ディランだった。スウェーデン・アカデ
ミーによれば「口語で表現する偉大なる詩人」の初期の代表曲の一つ「風に吹かれて」の3番を紹介しよう。
幾年月 山は存在しつづけるのか
何度ひとは顔をそむけ
海に洗いながされてしまうまえに?
見ないふりをしつづけられるのか?
幾年月 ある種のひとびとは存在しつづけるのか
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
自由をゆるされるまでに?
こたえは風に舞っている
(ボブ・ディラン著;片桐ユズル,中山容訳『ボブ・ディラン全詩302篇』晶文社,1993年に収録(931||DYL2階))
1963年のセカンドアルバム曲なので,すでに半世紀が経過しているが,少しも古びることなく現代を生きる私た
ちの共感を呼ぶ。質の高い文学は時代を超えて,多様な解釈を許すが,ボブ・ディランの詩もまた,聞く人それぞ
れの心に,異なった問いを投げかけ続けている。
書評大賞受賞の外国語学部4年秋田さんは,三島由紀夫著『春の雪』に描き出された,季節と感情の共鳴に着目
し,日本文学の本質に触れる叙情性を,詩的な文章で解き明かしている。優秀賞は文化学部2年木田さんの東野圭
吾著『名探偵の掟』,法学部3年鈴木さんの太宰治著『人間失格』,文化学部2年正木さんの小松左京著『さよな
らジュピター』を対象とした書評が選ばれたが,それぞれ「メタフィクション小説」「共感」「想像力」を切り口
に,作品を自分の世界観に重ね合わせ,鮮やかな批評を展開した。また,佳作受賞の方々は,国際関係,家族,人
権,職業など,現代社会の提起する問題に対して,安易な判断を下さず,丁寧に思考する力を見せていただいた。
時は流れ社会は変わっても,私たちはどうしようもない状況に苦しみ,答えを探す。そうした誠実な問いと,答え
への歩みを入賞作品に見ることができ,学生の皆さんの底力を感じることができた。
今年度書評大賞募集にあわせて,7月27日(水)に直木賞作家で日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏をお迎えし,
「読むこと 書くこと 生きること」をテーマとして講演会を開催した。浅田氏は「一流の芸術というのは大衆的
であり,芸術というのは最大の娯楽である」「スマホを触る時間を減らしてできるだけ1日4時間の読書タイムを
持ちましょう! 何もなかった時代の人と同じような時間の使い方ができるかどうかでその人の人生が変わると思
う」と熱く,またユーモアを交えて語られ,ご講演後の質疑応答は次々と会場から手が上がり,盛会のうちに終了
した。
本番の書評大賞は7月1日から9月5日まで募集され,応募数は84篇(84名)だったが,応募要件外のものを除い
て,78篇が第1次選考の対象となった。第1次選考は書評大賞選考委員会の委員(教員と事務職員)が2名1組計5
組であたり,それぞれ3段階で評価した。その結果,25篇が第2次選考に残った。第2次選考は11名の書評大賞選
考委員が日本語の体裁,内容の要約,批評する力を基準に審査し,大賞1名,優秀賞3名,佳作5名を選んだ。真
摯な思考と確実な筆力によって展開された批評が2度の選考を通過し,委員全員一致で入賞作9篇が選出された。
今年の入賞は,経営学部,法学部,外国語学部,文化学部の4学部の学生からの応募作となった。これらの学部,
学年の皆さん方の達成を喜ぶと同時に,理系学部からも多数の応募者を来年の書評大賞には期待したい。
最後になったが,お忙しい中選考に携わってくださった書評大賞選考委員の先生方,図書館職員の方々,そして,
ご協賛いただいた京都産業大学同窓会,丸善雄松堂株式会社,株式会社紀伊國屋書店の皆様にあらためて厚くお礼
を申し上げたい。
3
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
大
外国語学部
4年次生
あ き
賞
た
ま
り
秋田 真里
書 名 :
『春の雪』
著 者 : 三島由紀夫
出版社・出版年 : 新潮社 , 2002
「 季節に込められた感情 」
大 人 に なる に つれ , 季節の 移 り 変 わり に 関し て 鈍感に な っ て しま っ た。 子 どもの 頃 は 学
校 行 事 や ,年 の 節目 で 季節の 移 り 変 わり を 感じ , 楽しん で い た はず な のに 。 今では カ レ ン
ダーを捲る時に「ああ,もう夏も終わりか」などと四季の終わりに気付く程度だ。
本 書 に つい て ,私 は まずこ の 作 品 を原 作 にし た 舞台で 知 っ た 。舞 台 を観 た 時 ,ス ト ー リ
ーの流れや台詞の美しさに感動したが,何より私の興味を引いたのは,桜や紅葉や雪など,
季 節 の 移 り変 わ りが 丁 寧に表 さ れ て いた こ とで あ る。演 出 家 が 四季 を 大切 に して演 出 し た
のが分かったと同時に,作者である三島由紀夫はどのように季節を綴ったのかが気になり ,
本書を手にとった。
『春の雪』は三島由紀夫 が最後に書いた長編小説『豊饒の海』の第一巻である。『豊饒の
海 』 は 全 四巻 か ら成 り ,古典 作 品 『 浜松 中 納言 物 語』を 典 拠 と した 夢 と転 生 の物語 と な っ
ている。各巻の主人公は若くして死に ,次の巻に輪廻転生していくという流れで,
『春の雪』
は そ の 始 まり の 物語 と いえる 。 こ の 『春 の 雪』 は 大正時 代 , 華 族社 会 に身 を 置く松 枝 清 顕
と , 幼 い 頃に 彼 が預 け られた 伯 爵 家 の令 嬢 であ る ,綾倉 聡 子 の 悲恋 を 描い て いる。 聡 子 は
清 顕 よ り 2歳 年 上で , 姉弟の よ う に 育ち , お互 い 相手の こ と を 意識 し ては い るが , 18歳 と
な っ た 清 顕は , 聡子 の 言葉の 端 々 に 自分 を 子供 扱 いして い る と 感じ , 突き 放 す。と こ ろ が
聡 子 が こ うし た 清顕 の 態度に 対 し て 失望 し ,宮 家 との縁 談 を 受 け入 れ ると , 清顕の 聡 子 に
対 す る 想 いが 俄 かに 高 まって く る 。 清顕 は 既に 皇 族の婚 約 者 と なっ た 聡子 と 逢瀬を 重 ね ,
二人の恋は許されない禁断の恋となってしまう。
清 顕 の 聡子 に 対す る 心情は , 読 ん でい て 非常 に もどか し い 。 清顕 の 自尊 心 が恋情 を 邪 魔
し , 清 顕 自身 の 感情 表 現が時 に 不 十 分 , 時 に過 激 故に二 人 の 関 係は 揺 れる 。 しかし , 相 手
を 意 識 し てい る から こ そ ,相 手 が 自 分に 発 した 言 葉につ い て , あれ こ れと 考 えてし ま う の
は 理 解 で きる 。 清顕 の 場合 , 聡 子 は 姉の よ うな 存 在でも あ っ た から , 姉的 対 象から , 一 人
の女性として意識することへの戸惑いや反発が,清顕の気持ちから感じられる。
こ の よ うな 清 顕を 始 めとす る 登 場 人物 の もど か しい心 情 を よ り一 層 深め て いるの が , 四
季 の 描 写 であ る 。物 語 は秋か ら 始 ま り , 翌 年の 冬 の終わ り に 幕 を閉 じ る。 そ の季節 の 情 景
と と も に ,二 人 の関 係 は変化 し て い く。 最 初の 秋 には紅 葉 色 づ く庭 で ,聡 子 の言葉 に 清 顕
は 不 安 と 戸惑 い を感 じ ,冬に は 雪 の 降る 朝 に二 人 は口づ け を 交 わし , 春に は 桜の樹 の 下 で
清 顕 は 聡 子に 拒 絶さ れ ,夏に は 夜 の 海で 二 人は 愛 し合い , 二 度 目の 秋 には 葉 が落ち る よ う
4
に 二 人 の 恋に 絶 望の 陰 りが見 え , 二 度目 の 冬に は 清顕は 聡 子 に 会う べ く , 熱 に浮か さ れ な
が ら 何 度 も聡 子 の元 を 訪れる 。 こ の 情景 描 写と 登 場人物 た ち の 心情 が うま く 混ざり 合 い ,
頭 の 中 で は四 季 の風 景 があり あ り と 描き 出 され る と同時 に , そ れぞ れ が抱 く 感情が 胸 に 迫
ってくる。
私 が 特 に美 し いと 感 じたの は 冬 の 描写 で ある 。 冬は作 中 で 二 度訪 れ るが , 一度目 は 聡 子
くるま
が清顕を雪見に誘い,二人で 俥 に乗る。そこで二人は口づけを交わすが ,雪の冷たさ,冬
の 寒 さ の 描写 が ,口 づ けによ る 清 顕 の心 の 高揚 や ,二人 が 触 れ 合う 体 温の 温 かさを 引 き 立
て て い る 。二 度 目は も う冬も 終 わ ろ うと し てい る 頃 ,今 度 は 清 顕一 人 が聡 子 に会う た め に
俥 に 乗 っ てい る 。病 気 を患い な が ら 聡子 の 元 へ 向 かう清 顕 は , 幌の 隙 間か ら 入り込 ん で き
た 雪 を 見 て, 二 人で 俥 に乗り 雪 見 を した こ とを 思 い出す 。 雪 見 の時 の 冬の 寒 さは , 二 人 が
触 れ 合 う 温か さ の対 比 となっ た が , この 時 冬は 孤 独な清 顕 に 体 感的 な 寒さ と ,精神 的 な 冷
たさを向けている。ただこの「冷たさ」が,「聡子は僕 に会ってくれるかもしれない」とい
う 清 顕 の 希望 を 際立 た せてい る 。 こ れら 二 つの エ ピソー ド は , 冬の 寒 さと 清 顕の心 情 が 特
に 感 じ ら れ, ま た二 度 目の冬 の 描 写 は , 一 度目 の 冬の雪 見 の 描 写に よ り一 層 切なく 感 じ ら
れた。三島由紀夫は四季に感情を乗せて綴ったのだと,読み終えた私は思った。
四 季 に よっ て ,ま た 年によ っ て , 気持 ち は変 化 する 。 私 の 場 合, 例 えば 春 は新た な 始 ま
り に 対 す る期 待 や, 暖 かい気 候 に 心 は高 揚 する し ,秋は 葉 が 落 ちる ご とに 気 温も下 が り ,
ど こ と な く侘 し さを 感 じる。 季 節 の 移り 変 わり に 鈍感に な っ て しま っ たと 思 ってい た が ,
気 候 や 情 景の 変 化と , 自身の 気 持 ち が結 び つい て いたこ と に 気 付い て いな か っただ け で ,
どうやら感情は四季を感じ,日々変化していたようだ。満開の桜を眺めるうららかな春に ,
燦 々 と 太 陽の 照 る爽 や かな夏 に , 木 も地 面 も紅 葉 で色づ く の ど かな 秋 に , し んしん と 雪 が
降 る 静 か な冬 に ,こ の 作品を 読 ん で みて 欲 しい 。 読んだ 季 節 に よっ て それ ぞ れ違っ た 印 象
を抱くことだろう。
選考委員による講評
選考委員代表
法務研究科教員 渡邉 泰彦
三島由紀夫 の作品に 取り組 むというの は,なか なかで きることで はない。 どうし ても,あ
の荘厳で濃密な(あるいはバタ臭い)世界に圧倒されてしまう。この書評は,自らが舞台で見
た印象をもと に,季節 感を 中心に据えて 作品に切 り込 み,紹介して いる。ま た, 季節をテー
マにまとまり があるだ けで はなく,文章 も非常に 読み 易く,テンポ よく一気 に読 ませる。他
方で,舞台と いう仲介 を挟 まれているこ とで,評 者と 三島作品の間 に一定の 距離 感が与えら
れている。そ れにより ,ど こか屈折した 人間像を もつ 登場人物が織 り成す本 書の 濃密な世界
に囚われずに すんでい る。 その意味でこ の書評は 変化 球であるが, 文章の良 さが 直球のよう
な印象を与える。
舞台の演出 家の視点 から 出発したとし ても,舞 台を 見た感動から 原作を手 に取 り,その世
界をもう一度 自分で確 かめ ようとする思 いがこの 書評 からは伝わっ て来る。 最後 に大きくま
とめてしまお うとする のは ,若さゆえで あろう。 この 書評に誘われ て,私も 本書 を初めて読
んでみた。や はり,三 島は 三島であった 。それと とも に,三島作品 の濃密さ では なく美意識
を足取り軽く表現するこの書評を改めて評価した。
入賞者から一言
こ の 度 はご 選 出い た だき ,誠に あ り がと う ござ い ます 。
大 学 生 活 最 後 の 記 念 とし て 応募 し た 本 評 が , ま さ か大 賞 をい た だ け る と は , 嬉し
さ と 同 時に 非 常に 驚 いて います 。
今 回 ひ と つ の キ ー ワ ード と した 「 季 節 の 移 り 変 わ り」 は ,自 然 豊 か な 京 都 産 業大
学 に 4 年 間 通 っ て い たか ら こそ , よ り 感 じ る こ と がで き たの だ と 思 い ま す 。 図 書館
前 の 桜 ,紅 葉 は非 常 に美 しいで す 。
5
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
文化学部
き
優秀賞
2年次生
だ
か
り
ん
木田 香凜
書 名 :
『名探偵の掟』
著 者 : 東野圭吾
出版社・出版年 : 講談社 , 1999
「 シュールな探偵小説 」
本書のタイトル『名探偵の掟』を目にした読者は ,「主人公である名探偵が ,己の中の何
者 に も 侵 すこ と ので き ない “ 信 念 ” に従 っ てか っ こよく 事 件 を 解決 し てい く 物語」 と 推 測
す る の で はな い だろ う か。残 念 な が らそ の 憶測 が まった く の ハ ズレ で ある こ とは物 語 の プ
ロローグを読んだ時点で分かってしまう。この作品では,探偵小説で欠かせない刑事が「推
理 小 説 の 創作 の 掟」 を 意識し て 「 ぼ んく ら 刑事 」 の役柄 を 演 じ ,一 見 ,風 采 の上が ら な い
探 偵 が 「 推理 小 説の 創 作の掟 」 ど お りに 事 件を 解 決する よ う に 事を 運 んで い く。推 理 小 説
で は , 読 者は 様 々な 語 り手の 語 り に 基づ い て推 理 を行っ て い く 。そ の 意味 で 語り手 は も っ
と も 重 要 な役 割 を果 た すはず な の だ がこ の 作品 で は ,ぼ ん く ら ぶり を 発揮 す る刑事 が 語 り
手 と な り ,物 語 世界 で あるこ と を 意 識し な がら 物 語を展 開 す る メタ フ ィク シ ョン構 造 に な
っているのだ。
こ の 物 語の 主 な登 場 人物は 二 人 い る。 ま ず一 人 目が , と ん ち んか ん な推 理 を振り 回 し ,
的 外 れ な 捜査 を 繰り 返 す刑事 の 大 河 原番 三 であ る 。そし て も う 一人 が ,探 偵 小説に お い て
絶 対 に 外 すこ と がで き ない , 頭 脳 明 晰, 博 学多 才 ,行動 力 抜 群 の名 探 偵 ・ 天 下一大 五 郎 で
あ る 。 以 上, 主 な登 場 人 物は こ の 二 人だ け であ る 。優秀 な 助 手 やな ん でも 発 明して く れ る
天 才 博 士 や子 供 の探 偵 団 ,ま し て や 猫な ど は一 切 出てこ な い 。 本書 で は , 12の難事 件 が 短
編として構成されているのだが,そのほとんどがぼんくら刑事の大河原によって語られる。
唯一しっかりしていそうな名探偵の天下一ではなく!
世 の 中 には 推 理小 説 がたく さ ん あ ふれ て いる が ,脇役 で あ り 「推 理 小説 の 創作の 掟 」 に
従 っ て 事 件を 迷 宮入 り に持ち 込 む た めだ け にい る ような , 大 河 原の ご とき , ぼんく ら 刑 事
が語り手となっている推理小説は見かけない。語り手として全く信用できないではないか 。
し か も 作 品で は ,密 室 殺人, ダ イ イ ング メ ッセ ー ジ ,童 謡 殺 人 など , いわ ゆ る推理 小 説 で
は お き ま りの ト リッ ク がこれ で も か とい う ほど 使 われて い る 。 しか し ,信 用 できな い 語 り
手 , お き まり の トリ ッ クであ っ て も 問題 な いの で ある。 実 は , この 作 品の 極 意は , メ タ フ
ィ ク シ ョ ン小 説 とい う 斬新か つ 独 創 的な ス タイ ル で ,本 格 推 理 小説 と は何 で あるか を , 登
6
場 人 物 を 通し て 読者 に 問うと こ ろ に ある 。 作家 は ,登場 人 物 に 物語 世 界で あ ること を 意 識
さ せ る 一 方で , 登場 人 物とし て の 役 割を し っか り 理解さ せ て い る。 こ の形 式 を通し て 作 家
は,物語進行に差し支えの無いようにしながら本音を読者に伝えることが出来るのだ。
こ の 小 説の も う一 つ のミソ は , 物 語世 界 から 抜 け出し た 時 の 探偵 と 刑事 の 会話に あ る 。
突 如 そ の 物語 で の自 分 の役を 捨 て た 二人 が ,物 語 の舞台 設 定 や ,読 者 をミ ス リード さ せ る
た め の キ ャラ の 魅力 , 物語構 成 , さ らに は 作家 に ついて の 批 判 まで 話 し始 め るので あ る 。
ま た そ の 軽快 な やり 取 りが , 独 特 の 雰囲 気 を作 り 出す。 な ぞ 多 いダ イ イン グ メッセ ー ジ や
難 解 な 密 室殺 人 ,ゾ ッ とする よ う な バラ バ ラ死 体 事件な ど 本 格 推理 オ タク に とって は 大 興
奮 物 の ト リッ ク 要素 が 詰め込 ま れ て いる の だが , 二人の コ ミ カ ルな や り取 り のせい で ま ず
緊 張 感 が なく , 読者 は 推理に ま っ た く集 中 でき な いので あ る 。 それ で は , 推 理小説 本 来 の
面 白 さ が ない か とい え ば ,そ う で は なく , 物語 の 落ちと ト リ ッ クの 正 体は 誰 にでも 予 想 が
つ く よ う な簡 単 なも の ではな い 。 た とえ 二 人の コ ミカル な や り 取り で 推理 が 邪魔さ れ た と
し て も , 読者 が 重要 な 伏線や 事 件 解 決の カ ギ を 見 出せる し か け にな っ てお り ,さす が 人 気
ミステリー作家の作品だと思わせる。
ミ ス テ リー 小 説の 楽 しみを そ い で はい け ない の で ,あ え て 本 編の 内 容に は 詳しく 触 れ な
い で お く 。名 探 偵に よ る画期 的 な ト リッ ク の種 明 かしと 論 理 的 な説 明 とい う 息詰ま る 展 開
を 求 め て いる 読 者に は 物足り な く 思 われ る かも し れない 。 し か し一 度 読め ば ,一見 , お 決
ま り の パ ター ン に満 ち 溢れて い る か に思 え るこ の 作品の シ ュ ー ルさ に 惹き つ けられ る だ ろ
う 。 難 解 で恐 ろ しい 事 件の裏 で 行 わ れる 痛 快な 二 人のや り 取 り に込 め られ た 作家の 本 格 推
理小説への熱い問いかけが,ひしひしと伝わってくるはずである。
選考委員による講評
選考委員代表
総合生命科学部教員 竹内 実
本書の『名 探偵の掟 』は, 推理作家で ある東野 圭吾の 著書で ,彼 の本格推 理小説 の代表作
とも言える作品である。推理小説では,作者と読者の間で約束事が存在する。この作品では,
ぼんくらな刑 事で的外 れな 捜査をする大 河原番三 ,そ して頭脳明晰 で行動力 のあ る名探偵 ・
天下一大五郎 の二人が 主な 登場人物であ る。また ,こ の作品のなか の密室殺 人 , ダイイング
メッセージ, 童謡殺人 など でそれぞれの 役割は , 暗黙 のうちに定め られてい る。 本書は ,推
理小説の約束 事を逆手 に取 った作品で , 作者の推 理に 対する熱意と 理解が読 者に 伝わる作品
である。
この書評で は,小説 の内容 が読者にあ る程度推 測でき るように登 場人物で ある刑 事と探偵
像について, その概要 が良 くまとめられ ている。 また ,刑事と探偵 の推理の やり とりなどが
この書評を読 むことで ,そ の情景が思い 伺える点 も評 価に値すると 判断した 。今 後は ,文章
表現などに工夫を加えさらに良い書評を期待したい。
入賞者から一言
優 秀 賞 を 頂 く こ と が で き た こと を 大 変 光 栄 に 思 い ま す 。 書評 を 書 く と い う こ と で ,
い つ も よ り じ っ く り と 本 を読み 解 き ま し た 。 好 き に 感 想を書 く の で は な く , 批 判 ,評
価 を 交 え て 文 章 に す る と いうこ と は と て も 難 し く 骨 が 折れま し た 。 次 回 も 挑 戦 出 来た
ら 良 い なと 思 いま す 。こ の度は 本 当 にあ り がと う ござ いまし た 。
7
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
法学部
す
優秀賞
3年次生
ず
き
け
ん
た
ろ
う
鈴木 健太郎
書 名 :
『人間失格』
著 者 : 太宰治
出版社・出版年 : 新潮社 , 2006
「 人間失格 」
「 恥 の 多い 生 涯を 送 って 来 ま し た 」こ の 有名 な 言葉で 物 語 が 始ま る 『人 間 失格』 は 作 者
で あ る 太 宰治 の 人生 を 投影し た 本 で ある 。 太宰 は 青森育 ち で 裕 福な 家 庭に 生 まれた 。 頭 も
容 姿 も 優 れて い る彼 の 独特な 人 生 観 が主 人 公で あ る葉蔵 を 通 し て , 大 きな 衝 撃と魅 力 を 読
者 に 与 え てく れ る作 品 になっ て い る 。こ の 本を 読 んだ後 , し ば らく 私 はシ ョ ックで 動 け な
かった。
『人間失格』が与える軽度の鬱とやる気のなさが私を襲った。それは主人公の葉蔵
がどうしても自分と重なってしまい,共感してしまうからである。
葉 蔵 に は人 の 営み が 理解で き な か った 。 人が 何 に対し て 喜 び ,悲 し むの か ,また 例 え ば
腹 が 減 る とは 一 体ど の ような 感 覚 な のか 。 なぜ 一 種の宗 教 の よ うに 毎 日家 族 と顔を 向 き 合
っ て ご 飯 を食 べ なけ れ ばいけ な い の か。 世 の中 の 人が普 通 に し てい る こと が 理解で き な い
葉 蔵 に は ,人 と いう も のが自 分 と は 別の 生 き物 に 思えて 怖 か っ た。 し か し 他 人と上 手 く 協
調 し て い きた い 気持 ち は切れ な い も ので も あっ た 。そこ で 自 分 を取 り 繕う 道 化の道 を 選 ん
だのである。
『 人 間 失格 』 は大 き く分 けて 「 幼 少期 」,「 青 年 時代 」,「 廃 人 にな る まで 」 の生 活の 三 つ
に 分 け ら れて い る。 基 本的に 三 篇 と も主 人 公視 点 で物語 が 描 か れて い る。 幼 少期は , 葉 蔵
が 道 化 を 覚え る まで の 過程や 成 功 を 描い て いる も のであ り , 太 宰の 人 生に 対 する考 え 方 が
詰 ま っ て いる 部 分で も ある。 青 年 時 代は ク ラス メ ートの 竹 一 に 自分 の 道化 を 見破ら れ た 事
か ら 始 ま る。 葉 蔵は 道 化を見 破 ら れ たこ と に対 す る恐怖 心 を 常 に感 じ なが ら 生きて い た 。
そ の 恐 れ を一 時 でも 忘 れるた め に , 葉蔵 の 友達 で ある堀 木 と 遊 びに 明 け暮 れ る生活 を 描 い
て い る 。 そし て 廃人 に なるま で の 期 間は 人 間を 理 解でき ず , そ れ故 人 間を 信 頼でき な か っ
た 葉 蔵 が ,ヨ シ 子と い う女性 に 会 う こと で 束の 間 だけ人 間 に 希 望を 持 てた 時 期とそ の 希 望
が崩れ落ちて葉蔵が廃人になるまでの物語である。
読 み 進 めて い く内 に ,主人 公 の 葉 蔵が 自 分と 重 なる人 と , 葉 蔵に 全 く共 感 できな い 人 に
分 か れ る 作品 で はな い かと思 う 。 こ の共 感 でき る かどう か で 『 人間 失 格』 に 対する 評 価 も
全 く 変 わ って く る。 し かし共 感 で き ない 人 が悪 い という 意 味 で はな く ,き っ と太宰 が 感 じ
8
た よ う な 悩み に 苦し む 人生と は 無 縁 なの で あろ う 。太宰 の 悩 み は周 り から 見 れば必 ず し も
理 解 で き るも の では な いと思 わ れ る 。寧 ろ 彼の 悩 みは甘 え の よ うな も のに 思 われ , 好 か な
い人も多々いる筈だ。
し か し 一方 で 葉蔵 に 共感す る 人 が 多い の も事 実 であろ う 。 そ れは 葉 蔵が 誰 よりも 人 間 ら
し い か ら であ る 。彼 の 感じて い る 苦 悩は 普 遍的 な ことで あ る 。 彼が 誰 より も 純粋で あ る か
ら こ そ , 人間 が 普段 し ている 当 た り 前の 事 にさ え 傷つい て し ま う。 そ んな 自 分を許 せ ず ,
人 間 失 格 の烙 印 を自 分 に押し 付 け て 生き て いる 。 一見息 苦 し く 見え る この 小 説であ る が ,
こ の 悩 み で感 じ た葉 蔵 の感情 に , 人 々は 自 分と 重 ねるこ と が で きる 。 それ は 深く私 た ち に
人 生 の 意 味を 問 う内 容 になっ て い る 。だ か らこ そ 日本文 学 の 代 表と し て , 沢 山の人 に 読 ま
れ 続 け て いる 所 以で は ないか と 思 う 。私 も 葉蔵 の 共感者 で あ る 。葉 蔵 は物 心 ついた 時 か ら
道 化 と し て自 分 を守 り 通して き た 。 そこ が とて も 心に残 る 。 私 は小 さ い時 か ら友人 の 中 心
で い る こ とが 何 より も 幸福で あ っ た 。得 意 であ っ たスポ ー ツ や 音楽 の 場面 で 周りか ら 期 待
されることや,祝福される存在である自分が好きであった。自分という存在を証明したい。
友 人 の 中 心で い たい 。 このよ う な 心 理か ら 時に は 自分の 意 見 を 心に 収 め , 周 りの期 待 に 応
え て き た 部分 が あっ た 。そし て 認 め られ る こと に より自 分 を 肯 定で き てい た 。しか し 同 時
に , そ の 思い を 見破 ら れる恐 怖 を 抱 いて 生 きて い る自分 も い た 。葉 蔵 と私 の 思考は 全 く 同
じ で は な いが , 道化 を 演じる こ と に より 自 分を 守 ろうと 考 え て いる 点 で私 は 葉蔵と 同 じ で
ある。人間であれば誰でも自分に嘘をつき道化になる場面は存在する。
こ の 本 はそ の 当た り 前の行 為 を 私 たち に 理解 さ せてく れ る 。 同時 に 太宰 の 考え方 を 通 し
て , 如 何 に人 間 がそ の 道化を 正 当 化 して 生 きて い るのか 教 え て くれ る 。こ こ まで人 生 の 全
て を 赤 裸 々に 語 って い る本は 私 の 知 る限 り 太宰 治 の 『人 間 失 格 』し か 知ら な い。人 生 に つ
い て 深 く 考え さ せら れ るこの 本 は , 時間 の ある 大 学生に と っ て おす す めの 作 品であ る 。 是
非一度この本を読んでみて欲しい。
選考委員による講評
選考委員代表
理学部教員 高谷 康太郎
批評は難し い。書評 は批評 の一種だか ら ,これ も難し い。さらに 書評への 講評と はこれい
かに。こちと ら文学者 でも 読書家でもな く ,一介 の研 究または教育 労務者に 過ぎ ない。こん
な仕事は手に余る。ということで,他人のふんどしで相撲を取る事にする。
小林秀雄の 有名なエ ッセイ 『読書につ いて 』の 中で, 読書を通じ て作家を 「小暗 い 處で,
顔は定かにわからぬが,手はしつかりと握つた」という具合に理解出来れば ,
「ほんの片言隻
句にも,その 作家の人 間全 部が感じられ るとい ふ 様に なる」旨の記 述がある 。宇 宙の真理だ
か人生の深層 だか ,と にか く物事を徹底 的に考え 抜い た作家の全人 格を感じ られ るようにな
れば素晴らし い。太宰 治は 確かにくせの ある作家 だが ,ゾウに向か ってお前 さん の鼻はどう
も長過ぎるよ うだ(こ の表 現も小林秀雄 だ)みた いな 事を言わず , 一人でも 多く の人が太宰
作品(でなく とも良い のだ が)を読み込 み作家の 手を 握る事が出来 るように なる 事を祈って
止まない。
入賞者から一言
大 学 生 活も 折 り返 し 地点 を過ぎ た 3 年。
漠 然 と 何 か 形 に 残 るも の を 大学 に 残 し た い な と 思い , 書 評に 挑 戦 し ま し た 。 拙い 文
章 で す が,自 分の 好 きな 一 冊でこ の よ うな 賞 を頂 け たこ とを大 変 嬉 しく 思 って い ます 。
あ り が とう ご ざい ま す!
1 つ だ け欲 を 言え ば ,も っと早 く 書 評大 賞 書け ば 良か った。 書 評 楽し か った !
9
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
文化学部
ま
優秀賞
2年次生
さ
き
た
か
ゆ
き
正木 貴之
書 名 :
『さよならジュピター』
著 者 : 小松左京
出版社・出版年 : 角川春樹事務所 , 1999
「 小松左京の全てがここに 」
SFを 愛 する も のに と っ て , 1970年 代 は至 福 の時 で あっ た に 違 いな い 。大 阪 で 開催 さ れ た
日 本 万 国 博覧 会 の影 響 も受け て 科 学 全般 に 対す る 世間の 関 心 が 高ま り , SF作 家たち の 権 威
もあがりつつあったこの時代に,小松左京は満を持してSFの超大作『さよならジュピター』
を発表した。
『さよならジュピター』は宇宙開発が進んだ22世紀が舞台となっており,
「火星水資源開
発 」 の 際 に火 星 の表 面 にナス カ の 地 上絵 に 酷似 し た模様 が 発 見 され る とこ ろ から物 語 は 始
ま る 。 地 球に 溢 れた 人 類はす で に 他 の惑 星 に進 出 を始め て お り ,そ の エネ ル ギーを 確 保 す
る 方 策 と して 太 陽の よ うな恒 星 に な り損 ね た星 で ある木 星 を 開 発す る 「木 星 太陽化 計 画 」
を進めていた。しかし ,ブラックホールが太陽にまで到達することが発覚。
「木星太陽化計
画 」 は 「 木星 爆 破計 画 」に変 更 さ れ ,爆 破 の衝 撃 でブラ ッ ク ホ ール の 軌道 を 変える と い う
人類史上最大のミッションとなった。このミッションの遂行がメインストーリーとなるが ,
物語ではそれと並行して,「爆破計画」の主任である主人公・本田英二と ,計画を妨害しよ
うとする過激派環境保護団体に所属する恋人のマリアの悲恋物語が展開される。さらに「ナ
ス カ の 地 上絵 に 酷似 し た模様 」 の 謎 解き の 要素 も 加えら れ て い る。 本 作品 は SF(サ イ エ ン
ス ・ フ ィ クシ ョ ン) と いうだ け で な く , SF(サ イ エンス ・ フ ァ ンタ ジ ー) と しての 側 面 で
も 十 分 に 練ら れ てお り ,これ ら の 複 雑な 構 造が 破 綻する こ と な く見 事 に統 合 された 作 品 だ
と い え る。『 さよ な ら ジュピ タ ー 』は 一 言で 表 現 するな ら 「 小松 左 京 SFの 集 大成」 で あ る 。
この一作で彼を知ることができるといっても過言ではない。
こ の 作 品の 特 徴は ま ず「丁 寧 な 情 景描 写 」に あ る。 SF小 説 で は, そ こで 提 示され る 現 実
離 れ し た 場面 設 定を 頭 に思い 描 く 「 想像 力 」が 予 想以 上 に 必 要 とな る 。情 景 を思い 浮 か べ
る の が や やき つ く感 じ る作品 も 多 々 ある が ,本 作 品では 描 写 が 詳細 に なさ れ るため , そ こ
が ど の よ うな 空 間な の か ,何 人 い る のか , どん な 機械が あ る の かな ど ,場 面 を容易 に イ メ
ー ジ し な がら 読 み進 め ていく こ と が でき る 。ま た 情景だ け に 限 らず , 登場 人 物が持 つ 世 界
観 な ど に つい て も丁 寧 に提示 さ れ る 。例 え ば , 宇 宙基地 に や っ てき た 人々 に ,本田 が 「 木
星 太 陽 化 計画 」 につ い て説明 す る 場 面で は ,読 者 もまた , 彼 の 口を 通 して 地 球の現 状 や こ
の 計 画 の 重要 性 を理 解 するこ と に な る。 小 松左 京 の文章 力 も 相 まっ て ,ま る で読者 も そ の
10
見 学 に 参 加し て いる よ うな気 に な り ,質 問 する 登 場人物 と 自 分 がオ ー バー ラ ップす る よ う
な錯覚に陥る。
ま た 「 群像 劇 」と し ての完 成 度 が 高い の も本 作 品の特 徴 で あ る。 小 松作 品 ではス ケ ー ル
の 大 き い 話が 多 いた め ,登場 す る 人 物の 数 もそ の 他の小 説 に 比 べて 多 くな る 。それ に も 関
わらず,それぞれにスポットが当たるようになっており,「登場するだけ」,「名前だけ」と
い っ た 通 りす が りの よ うな人 物 は ほ とん ど 見受 け られな い 。 特 に木 星 爆破 が メイン に な っ
て く る 下 巻か ら は, 一 人一人 が 自 分 のす べ きこ と を ,自 分 が い る場 所 でベ ス トを尽 く そ う
と し て い る緊 迫 した 様 子が伝 わ り , どの キ ャラ ク ターに も 感 情 移入 し やす い 。果た し て 計
画 は 成 功 する の か, 本 田とマ リ ア は どう な って し まうの か と い う今 後 の展 開 を ,興 奮 状 態
を 保 っ た まま 迎 える こ とがで き る の だ。 ま た主 人 公たち を 巡 る 人々 が 丁寧 に 作り込 ま れ て
い る こ と によ り ,マ リ アたち が 「 木 星太 陽 化計 画 」に反 対 し , 抵抗 し てい た ことの 理 由 に
も納得できるようになっている。
小松左京は『さよならジュピター』が映画化されることを前提にして創作した。
「宇宙戦
艦 ヤ マ ト」,「ス タ ー ウォ ーズ 」 と いっ た 映画 が 次 々と発 表 さ れた 時 代に , 彼 は海外 SFに 負
け な い 作 品を 作 りた い と考え , 様 々 なSF作 家, 科 学者た ち と 共 に 8 年 間構 想 して原 作 を 完
成 さ せ た のだ 。 しか し ,その 原 作 の 多層 的 な構 造 のゆえ に , 映 画化 で カッ ト された 場 面 が
多く,作品の魅力は十分に表現されなかった。
「2001年宇宙の旅 」などと比較されたせいも
あ り , 映 画と と もに 原 作も忘 れ 去 ら れた 作 品と な ってい る 感 が ある 。 現在 は 「 SFは 映 画 で
楽しむもの」「SF作品は海外にかなわない」とする傾向が強いように思える。しかし『日本
沈 没 』 を はじ め 数々 の 名作を 書 き 続 けた 小 松左 京 が会心 の 作 と して 世 に送 り 出した 『 さ よ
ならジュピター』を今だからこそ手に取り ,
「活字で楽しむ SFワールド」をぜひ楽しんでほ
し い 。 読 み終 わ った 後 ,映画 で は 味 わえ な い興 奮 や感動 を 必 ず 体験 す るこ と ができ る だ ろ
う。
選考委員による講評
選考委員代表
外国語学部教員 青木 正博
『さよなら ジュピタ ー』は ,小松左京 が 1979年に 映画 のシナリオ として最 初に書 き,それ
をもとに1980年5月か ら 1982年1月ま で雑誌に 連載し た長編 SF小 説である 。1984年に映画と
して公開された。小松左京はこの作品を通じて,
「人類社会と宇宙」という問題について考え
て見たかったと語っている。
評者はこの本をよく読みこんで,的確に特徴をとらえて批評している。そのさい,
「この作
品の特徴はま ず“丁寧 な情 景描写”にあ る」,「 また“ 群像劇” とし ての完成 度が 高いのも本
作品の特徴で ある」と いう ように段落の 最初に段 落の 内容を簡潔に 表したこ とば を入れてい
るので,批評 の内容が 分か りやすくなっ ている。 文章 もよく練られ ていて, 話の 筋が通って
おり,書かれ ているこ とに 説得力がある 。ま た評 者の 小松左京に関 する知識 が豊 富なことも
この書評を興 味深いも のに している。評 者の『さ よな らジュピター 』への愛 がひ しひしと伝
わってくる書評である。
入賞者から一言
SFと い う ジ ャ ン ル の 本 の 書 評が 選 ば れ た こ と で , こ の 作 品が ま た 多 く の 人 に 知 って
も ら え る た め , 嬉 し い 限 りです 。 今 後 も 様 々 な ジ ャ ン ルの本 で 挑 戦 し て い き た い と思
います。
最 後 に ,ア ド バイ ス をし ていた だ い た中 西 先生 に は感 謝して い ま す。
11
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
外国語学部
お
佳
作
2年次生
か
岡
書 名 :
ふ
う
ま
楓真
『ロシア闇の戦争 : プーチンと
秘密警察の恐るべきテロ工作
を暴く』
著 者 : アレクサンドル・リトヴィネンコ,
ユーリー・フェリシチンスキー著
; 中澤孝之監訳
出版社・出版年 : 光文社 , 2007
「 ロシア闇の戦争 」
1991年 ソ ビ エト 連 邦 が崩 壊し , ロ シ ア連 邦 が 誕生 し た。 そ の と き , 国 内 では 何 が起 き て
い た の か 。政 府 や関 連 機関が ど の よ うに 暗 躍し て いたの か 。 そ して , 元ロ シ ア連邦 保 安 庁
(FSB)情報部員のアレクサンドル・リトヴィネンコはなぜ政権の内幕を告発し ,殺害された
の か 。 本 書は ロ シア と いう大 国 の 闇 を克 明 に描 き 出した ル ポ ル ター ジ ュで あ る。あ ま り に
真 を 突 い てい る ため に 禁書に な っ た ほど だ 。ロ シ アの実 態 , 国 際社 会 の深 層 を知る 上 で 欠
かすことのできない貴重な一冊と言える。
著者のユーリー・フェリシ チンスキーは本書の冒頭 ,2003年ロシアで出版するに当たり,
ロ シ ア 政 府か ら 禁書 処 分を受 け た と 述べ て いる 。 ロシア の 国 家 機密 を 漏ら す 内容と い う の
が 理 由 だ 。フ ェ リシ チ ンスキ ー と リ トヴ ィ ネン コ がどん な 危 険 を冒 し て情 報 を 収集 し , 本
書をまとめるに至ったかがうかがえる。
なぜ禁書になったのか。ロシア政府は一体,何を隠したかったのか。
ソ連が崩壊して以来,ロシア国民は何より民主主義を望んだ。しかしFSBは民主主義など
眼 中 に な く, か つて の 強い共 産 主 義 国家 の 再生 と 継続を 望 ん だ 。民 意 を変 え るには , 敵 を
作る。それがFSBのやり方だった。
1999年9月,ロシア全土が震撼するモスクワのアパート爆破事件が起きた。当時 FSB中佐
だ っ た ウ ラジ ー ミル ・ プーチ ン は 一 連の 事 件を チ ェチェ ン 人 の テロ に よる も のだと 発 表 し
た 。 だ が ,本 書 は全 く 違った 見 解 を 提示 し てい る 。爆破 事 件 は ほか で もな い ,政権 を バ ッ
クにしたFSBの自作自演だというのである。ロシア国民を巻き込み ,チェチェン共和国のせ
いにし,プーチンを大統領にするための謀略である,と。事実,エリツィン政権 は事件後 ,
FSB主導のもと,第2次チェチェン戦争を勃発させた。シナリオ通り ,ロシア国民は一気に
プ ー チ ン を支 持 し, 大 統領へ と 押 し 上げ た 。現 在 でもロ シ ア 政 府は 「 チェ チ ェン人 が テ ロ
を起こしたことが原因で戦争は起きた」と主張する。
本 書 は さ まざ ま な根 拠 を 基に , 真 っ 向か ら その 主 張 を否 定 し て いる 。 日本 に 住 んで い て
ロシアの歴史を知らない人間には,「諜報活動」や「暗殺」といった言葉は遠い世界のこと
の よ う に 感じ る だろ う 。しか し , 本 書を 読 んで , 私はロ シ ア と いう 国 がい か に愚か な 行 為
を し て き たの か ,気 づ かされ た 。 各 地の 連 続爆 破 事件で 何 百 人 もの 人 が死 亡 し ,そ の 後 リ
12
ャザンでも「爆発物らしきものの入った砂糖袋」が発見された。リャザンの人々は避難し ,
眠れぬ夜も過ごした。しかし,当時FSB長官だったニコライ・パトルシェフは「演習だった」
と弁明した。実際は砂糖ではなく ,本物の爆薬だったという有力証言がのちに紹介された。
も し か す ると , リャ ザ ンでも モ ス ク ワの ア パー ト 爆破事 件 の よ うな こ とが 起 きてい た か も
しれないのだ。
本 書 が 初 めて 出 版 され た のは 実 は , 2002年 の ア メリ カで あ る 。 英語 版 だ った 。 その と き
は , あ ま りの リ アル さ ゆ えに 信 ぴ ょ う性 を 疑う 人 も 多か っ た 。 しか し , 2006年 にイ ギ リ ス
で リ ト ヴ ィネ ン コが 殺 害され た こ と をき っ かけ に ,世界 か ら 大 きな 注 目が 集 まるこ と に な
っ た 。 ロ シア が リト ヴ ィネン コ を 殺 害し な けれ ば ならな い 理 由 とは ― ― 。 そ れはか つ て ,
リトヴィネンコがモスクワで行った記者会見で,FSBから命じられた違法な暗殺任務を暴露
したことだという。
ロ シ ア に は機 密 を国 外 に 漏ら し て 投 獄さ れ ,拷 問 を 受け た と い うケ ー スは 他 に もあ る 。
では,なぜリトヴィネンコは国家の管理となっている放射性物質「ポロニウム 210」を紅茶
に 盛 ら れ ,暗 殺 され な ければ な ら な かっ た のか 。 その理 由 こ そ が本 書 の核 心 であり , 詳 細
に叙述されている。私たちは基本的に,当該国が発する公の情報しか知ることができない。
た と え 国 家の 機 関が 動 いてロ シ ア と いう 国 を思 い 通りに し よ う と , 陰 でク ー デター を 起 こ
したとしても,内情はうかがいしれないものだ。
著 者 の フ ェリ シ チン ス キ ーと リ ト ヴ ィネ ン コと の 間 には 深 い 絆 があ る 。序 文 で は , フ ェ
リ シ チ ン スキ ー がい か にリト ヴ ィ ネ ンコ を 守り , 亡命さ せ る か の苦 労 が描 か れ ,彼 ら の 人
間 性 に 感 銘を 受 ける 。 そして 終 章 で 記さ れ た , 病 床での リ ト ヴ ィネ ン コの 声 明文。 死 を 覚
悟 し な が ら, 首 謀者 で あるプ ー チ ン に対 し て発 し た最後 の メ ッ セー ジ であ る 。フェ リ シ チ
ン ス キ ー やリ ト ヴィ ネ ンコが 命 を 懸 けて , 世界 に 警鐘を 鳴 ら そ うと し たの は 「無関 心 こ そ
が一番危険なのだ」という一点だった,と私は思う。
選考委員による講評
選考委員代表
総合生命科学部教員 竹内 実
本書の『ロシア闇の戦争』は,「Blowing up Russia : the secret plot to bring back KGB
terror」の全訳 本である 。 原本はロシ ア語で書 かれ, 内容が国家 機密の宣 布に触 れた出版物
であったため ,政権に とっ て触れたくな い内容が 含ま れていること もありラ トビ アで印刷さ
れた。印刷された本を積んだトラックがモスクワに向かう途中,ロシア連邦保安庁( FSB)と
国務省によ って押収 され発 禁となった 経緯があ る書物 である。最 初の英語 版は 2002年にニュ
ーヨークで出 版された が, プーチン政権 への配慮 とあ まりにも生々 しい内容 など の点から,
信憑性に疑問 を抱かれ ,一 般には広まら ず狭い範 囲で の話題に留ま っていた 。し かし,著者
のアレクサン ドル・ リ トヴ ィネンコが亡 命先のロ ンド ンで毒殺され たため, その 後に注目が
集まった書物 である。 この 書評では,ロ シアで起 こっ たアパート爆 破事件に つい て,反国家
に触れた出版 物である ため ,日本では考 えにくい ロシ ア政府の対応 が読み取 れる 点を評価し
た。
入賞者から一言
こ の た びは 私 の書 評 を, 佳作と し て 選ん で いた だ いて ありが と う ござ い ます 。
まるで映画を観ているかのように,テンポよく進む本書を多くの人に読んでいただ
き た か った で す。
そ し て ,こ の よう な 書評 という 形 で 完成 さ せる こ とが 出来て よ か った で す。
ま た 機 会が あ れば 挑 戦し たいで す 。
13
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
経営学部
げ
佳
作
3年次生
じ ょ う
し
ん
た
ろ
う
下條 真太郎
書 名 :
『最重度の障害児たちが
語りはじめるとき』
著 者 : 中村尚樹
出版社・出版年 : 草思社 , 2013
「 『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』を読んで 」
本 書 は 障害 を 抱え た 人々の 取 材 に 基づ き ,彼 ら のおか れ る 現 状も 踏 まえ つ つ ,障 害 者 の
教育や人と人のコミュニケーションに新しい可能性を示唆するノンフィクションである。
本 書 を 読 み, 私 たち は 「 言葉 」 に よ って 生 きて い る のだ と 気 が つか さ れた 。 人 は文 字 ,
文 章 , 声 など , あら ゆ る方法 で 誰 か に意 思 や感 情 を伝え , 日 常 生活 を 送っ て いる。 意 思 疎
通 が で きる と いう こ と でお互 い が 生き て いる の だ と認識 し て いる 面 も否 定 で きない だ ろ う 。
で は , 言 葉を 持 たな い 人は。 こ の 疑 問を 抱 いて し まった ら , ぜ ひ, こ の本 を 読んで ほ し い
と思う。もしかすると ,人 は「言葉」を失うなどとい うことはありえないのかもしれない。
言 葉 を 失 う, も しく は 持って い な い と思 わ れる 人 も意思 は か な らず 持 って い る。嫌 な こ と
は 嫌 だ と 感じ る し, 幸 せは幸 せ と 感 じて い る。 そ して , こ う し た意 思 は言 葉 によっ て 表 現
さ れ る の であ る 。伝 え あう術 を 工 夫 し , 発 展さ せ ればよ り 多 く の人 々 が幸 せ になれ る の で
はないか。本書は,そうした可能性を示してくれる一冊である。
本 書 に 登 場す る 研究 者 は 長ら く 大 学 で「 特 別支 援 教 育」 に つ い て研 究 し , 教 鞭 をと っ て
き た 。 特 別支 援 教育 と は ,障 害 を 抱 える 児 童生 徒 への教 育 の こ とで あ る。 重 度の障 害 を 抱
え る 児 童 生徒 が ,学 び ,成長 す る こ とが で きる よ う適切 な 支 援 を行 い なが ら ,教育 を 提 供
することが特別支援教育である。この教育の対象となる障害を抱えた子どもたちの中には ,
重 度 重 複 障害 と 呼ば れ ,複数 の 重 い 障害 を 抱え た 子ども た ち が いる 。 一例 を あげれ ば 生 ま
れ つ き 歩 行が 困 難で , 声帯が 発 達 し てお ら ず , 会 話をす る こ と がで き ない な どがあ げ ら れ
る。このように障害児は自らの意思を伝えることが困難な場合が多いのだ。
本 書 で 最 初に 登 場す る 女 の子 も , 生 後数 か 月で 脳 と 体に 機 能 不 全を 抱 えて い る こと が 明
ら か に な る。 手 術な ど を通じ , 声 を 失い , だん だ んと体 は 大 き くな っ てい く ものの , 会 話
は ま ま な らず , 何を 考 えてい る の か ,何 を 求め て いるの か は 親 です ら わか ら なかっ た 。 そ
れでも親や医師は懸命に彼女を支え続けた。しかし,「言葉を発しない」という事実は ,親
で す ら 「 この 子 には 何 もわか ら な い 」す な わち 「 意思は な い の では 」 との 思 いを抱 か せ て
しまう。時折その子どものいる病室で,子どもの将来への不安を口にしてしまう。
そ う し た 中, 研 究者 は , 障害 を 持 っ た人 が 円滑 に 意 思疎 通 を 図 るた め に , ワ ー プロ と デ
14
ィ ス プ レ イを 組 み合 わ せたあ る 装 置 を開 発 する 。 障害を 持 っ た 人間 は ,重 度 重複で あ れ ,
ま っ た く すべ て の体 が 使えな い わ け では な い。 当 事者に 残 さ れ たわ ず かな 能 力 ,た と え ば
かすかな声,動かせる視線やまぶた,首や手,指など自分で動かせる部分はすべて使って,
どうにか意思疎通を図る。これはACC(拡大・代替コミュニケーション)と呼ばれるシステ
ム で あ る 。海 外 では 研 究が進 め ら れ てい る もの の ,日本 で は 遅 れて い る。 研 究者は こ の 装
置の使い方を重度重複障害のさきほどの女の子に指導した。はじめは介添人が手をもって ,
ボ タ ン な どの 操 作を 行 い ,文 字 を 入 力す る 。こ の 動作を 繰 り 返 し , 女 の子 の 自発的 な 操 作
を促す。そして,奇跡は起きた。本書におけるこの場面はあまりにもドラマチックである。
意 思 が な いと 思 われ て いた女 の 子 が 人生 で 初め て 紡いだ 言 葉 は 何か 。 この 言 葉は , 女 の 子
の 心 の 中 で常 に 言葉 が 紡 がれ て い た こと を 明ら か にした 。 自 分 のた め に世 話 をし , 時 に は
不安を口にする家族の姿をみて,彼女は常に考えていたのである。
本 書 を 読 んだ と き , あ ま りに も は っ とさ せ られ る こ とが 多 か っ た。 教 職課 程 を 通じ て ,
私が実際に触れ合った重度重複障害を抱えた男の子も,言葉を発することができなかった。
何 か 働 き かけ て も反 応 はない 。 私 は この と き「 あ あ ,わ か ら な いの か も」 と 思いな が ら お
世話をしてしまった。しかし,どうやらこの認識は間違いだったのだと今では考えている。
会 話 が で きな い ,言 葉 を交わ す こ と がで き ない と いうだ け で , 何ら か の意 思 は必 ず 持 っ て
い る 。 こ うし た 事実 も ,言葉 を 発 し ない と いう だ けで忘 れ て し まい が ちな 自 分に気 づ い て
しまった。皆さんは,本書を読み終えてどう思われるだろうか。
最 後 に , 本書 は 読む 人 に さま ざ ま な 「気 づ き」 を 与 えて く れ る と思 う 。言 葉 の 存在 の 大
き さ や , 意思 の 存在 , さらに は 自 分 自身 の 他人 へ の見方 に 至 る まで , 私は 多 くのこ と に 気
づき,反省もした。本書を読み,自分なりの「気づき」を得てみてはいかがだろうか。
選考委員による講評
選考委員代表
経済学部教員 菅原 宏太
内閣府の国民生活に関する 世論調査によると,自身の 生活水準が世間一般から見 て「中の
中」であると答えた人の割合は調査が開始された半世紀前から 55%前後で横ばいである。同じ
調査における他の選択肢の 推移と比べると,いかに多 くの人たちが安定的に中流 意識を抱い
ているかがうかがえる。
このような世の中において ,対象図書が取り上げてい る障害者は完全なマイノリ ティーで
ある。私たちはマイノリテ ィーと出会った時,少なか らぬ戸惑いを感じる。なぜ なら中流意
識に支配された教育しか受 けてこなかったからである 。本作の評者は自身の教職 課程で の体
験と対象図書の内容がリン クしたことでその戸惑いが 晴れた感動を,該当箇所の 丁寧な描写
で表現している。この経験を活かし障害者以外のマイノリティーとの出会いにも期待したい。
また,
「はじめに」と「おわ りに」にも目を通し,これ らのケースを取り上げた著者の意図と
その批評までできていれば,なお良かった。
入賞者から一言
入 賞 と はた ま げた な ぁ… …やっ た ぜ 。入 賞 を受 け て, うれし く 思 いま す 。
こ れ か ら も中 央 図書 館 で 色々な 本 と 出 会い な がら , 自 らの感 性 と 言 葉を 磨 いて い き
た い で す。 図 書館 大 好き です。
15
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
経営学部
し
佳
作
2年次生
ん
や
れ
お
新屋 怜央
書 名 :
『ゆたかな社会』
著 者 : ガルブレイス著 ; 鈴木哲太郎訳
出版社・出版年 : 岩波書店 , 2006
「 ゆたかな社会 」
あ な たは 「 ゆた か さ とは何 か 。」と 問 われ た と き ,答 え る こと が でき る だ ろうか 。 ま た ,
ゆ た か な 社会 で あれ ば 人々は 幸 せ と いえ る のだ ろ うか。 そ の 答 えを 経 済学 の 視点か ら 模 索
し た 人 物 がジ ョ ン・ ケ ネス・ ガ ル ブ レイ ス であ る 。彼は ハ ー バ ード 大 学で 経 済学者 と し て
教 鞭 を と り, 50作以 上 の書籍 を 世 に 送り 出 して い る。そ の 中 で 最も 有 名な 作 品が本 作 『 ゆ
た か な 社 会 』( 原 著 The affluent society) で あ る 。本 書 は 初 版 1958年 か ら 1998年 に 渡 り
四度も改訂を重ね,世界中で読み継がれてきた経済学における古典的名著である。
この作品の優れている点は,近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミスの伝統 的な思想 ,
い わ ば 経 済学 全 体の 基 礎 に一 石 を 投 じた 事 であ る 。 1776年 に ス ミス が 著し た 『 国富 論 』 で
は 生 産 の 増大 に 関す る 三つの 磐 石 な 理論 を 打ち 立 てた。 そ れ ら を要 約 する と ,分業 を 行 う
こ と で 生 産を 大 幅に 増 加させ る 事 , 国の 豊 かさ は 労働生 産 に よ って 得 られ る 消費財 の 蓄 積
で あ る 事 ,自 由 競争 に より生 産 と 消 費が 過 不足 の 無い状 態 へ と 導か れ る事 ( 見えざ る 手 )
で あ る 。 つま り ,ス ミ スは自 由 放 任 主義 と いわ れ る状況 下 で 生 産の 増 大を 基 軸とす る こ と
で,ゆたかな社会が実現すると考えた。この理論は150年もの間,人々がゆたかな社会を構
築 す る 為 の規 範 とし て 存 在し 続 け た 。だ が , 1929年 に起 こ っ た 世界 恐 慌に よ っ て初 め て 生
産 を 増 大 させ る こと が できな い 状 況 を迎 え ,生 産 中心の 社 会 を 転換 せ ざる を 得なか っ た 。
そ の 時 代 に光 明 を見 出 したの が ケ イ ンズ の 消費 中 心の社 会 で あ り , ガ ルブ レ イスは そ れ に
加え独自の視点を織り交ぜて生産中心の社会を批判している。本書の中で彼は ,
「 われわれ
は , ゆ た かさ と とも に ,その 便 益 お よび 文 化か ら 排除さ れ た 人 びと を 安易 に 無視し て 平 気
でいる,という危険がある。」,
「われわれの裕福さが大きいことのために,ますます危険度
の 高 ま る 兵器 生 産の 原 資 ,す な わ ち ,い っ そう 増 大する 大 量 破 壊能 力 のた め の原資 が 生 ま
れ る , とい う こと で あ る。」 と い った 現 代の 社 会 に対す る 忠 告や ,「広 告 や セール ズ マ ン に
よ り , い わば 合 成さ れ 仕込ま れ て 初 めて 欲 望が は っきり す る 」 とい っ た消 費 社会の 落 と し
穴について批判している。このような彼の批判はあまりに鋭く ,古典派経済学の通念を次々
と破壊していったことから,異端派経済学者とも呼ばれる程である。
だ が , この 作 品の 鋭 さゆえ に 不 十 分な 点 も挙 げ られる 。 一 つ 目は , この 本 が改訂 さ れ て
い る 時 期 はア メ リカ と 当時の ソ 連 が 冷戦 関 係で あ ったに も か か わら ず ,社 会 主義社 会 の ゆ
た か さ に つい て は十 分 に論じ ら れ て いな い 事で あ る。二 つ 目 は ,ガ ル ブレ イ スがア メ リ カ
政府に仕えていたという背景もあり,アメリカ型資本主義社会の批判一辺倒であったこと。
言 い 換 え れば , イギ リ スをは じ め と した ヨ ーロ ッ パ圏の 資 本 主 義に 対 して の 記述が 無 く ,
16
彼 の 「 ゆ たか な 社会 」 論を立 証 す る 為の 普 遍性 に 欠ける 事 。 最 後に , 彼は 労 働から 満 足 を
得 て い る人 々 を「 新 し い階級 」 と 呼び ,「そ の 資 格は圧 倒 的 に教 育 であ る 。」と結 論 付 け て
いる。しかし,戦後から急速に発展した開発経済学の観点では ,「新しい階級」となる為に
は 教 育 だ けで な く, 市 場の整 備 の 度 合い や 福祉 , 自然環 境 な ど 様々 な 要因 が 複雑に 作 用 し
合 っ て い ると い う結 果 が裏付 け ら れ てい る 。つ ま り ,作 中 に 述 べら れ たガ ル ブレイ ス の 理
論 は も は や怒 涛 の勢 い で変化 し て い く社 会 に追 い ついて い な い ので は ない か という 事 で あ
る。
私が本書を通じて考えさせられた事は,
「ゆたかさとは何か。」という問いの答えである。
本 文 中 で も述 べ られ て いるよ う に , 先進 国 では , 人々が 自 分 達 の社 会 の発 展 の為に 物 を 生
産 し 続 け ,広 告 やメ デ ィアを 通 じ て 消費 と いう 欲 求を有 効 的 に 操る と いっ た ことが 常 態 化
し て い る 。そ う した 状 況では , 経 済 発展 が 一人 歩 きし , 物 質 面 でゆ た かに な ったと し て も
精 神 面 で ゆた か とは 言 えず , む し ろ 乏し く なる 一 方だろ う 。 そ れら を 感じ る 理 由は 人 そ れ
ぞ れ だ が ,私 の 場合 は ,友人 が 発 展 途上 国 とさ れ るウガ ン ダ で 撮っ た 子供 達 の写真 が , そ
の 状 況 を 証明 し てく れ た。そ の 写 真 の中 で 現地 の 子供達 は 満 面 の笑 み で泥 ま みれに な っ て
遊 ん で い た。 そ の写 真 から伝 わ っ て くる 溢 れん ば かりの 幸 せ は ,先 進 国と さ れてい る 日 本
の 子 供 達 の笑 顔 と比 べ ても遜 色 な い 。そ れ どこ ろ か 日本 で は , 町中 の 至る 所 で液晶 画 面 に
磔 に さ れ てい る よう な 子供達 も 散 見 され , 私は そ の時, 彼 ら が 生け る 屍の よ うに思 え た 。
そのような体験もあり,自分自身のゆたかさの定義が未だはっきりしない。
「ゆたかさとは何か。」についての議論はおそらく収束することはないだろう。その理由
は , こ の 問題 の 答え は 一人ひ と り 違 い , 正 解な ど ないか ら で あ る。 大 半の 大 人はこ の よ う
な 哲 学 的 な問 題 に立 ち 向かう こ と は 時間 の 無駄 だ という 。 だ が ,そ の よう に 思う人 に こ そ
本書を読んで欲しい。なぜならば,この問いに対する答えを考えるプロセスそれ自体が「ゆ
たかさ」を象徴するものかもしれないのだから。
選考委員による講評
選考委員代表
経済学部教員 菅原 宏太
手元のデジ タル大辞 泉(小 学館)によ ると,書 評とは 「書物につ いて ,そ の内容 を紹介・
..
批評 した文章 」とある 。更 に,批評とは 「物事の 是非 ・善悪・正邪 などを指 摘し て ,自分の
評価を述べる こと」と ある 。つまり,対 象図書の 良い 点ばかりを挙 げただけ では ,それは書
評ではなく, テレビシ ョッ ピングのキャ ッチトー クや 本屋のポップ コピーに すぎ ない。私が
審査した作品のほとんどはこの類であった。
本作の評者は,J.K.ガルブレイスの(一見読みやすそうには思えるが)難解な著述に挑み,
単なる紹介や称賛にとどまることなく,不十分な点についての指摘も試みている。もちろん,
専門家から見 れば,そ れら の指摘の多く は 表層的 であ り外在的であ り,的を 射て いるとは言
いがたい。し かしなが ら, 評者が「書評 」の様式 を取 ろうとしたこ とは何よ り評 価されるべ
きである。ガ ルブレイ スの 他の著書や彼 が批判し た経 済学者 に触れ ,ガルブ レイ スの思想・
理論をより深く理解することで,的確な批評が可能となろう。
入賞者から一言
こ の 度 は,私 の書 評 を書 評 大賞佳 作 に 選出 し てい た だ き ,誠にあ り が とう ご ざい ま す。
自 身 の 所 属 す るゼ ミ ナ ー ルの夏 期 課 題 と し て応 募 し た図 書館 書 評 大 賞 で すが , こ のよ う
な 機 会 が な け れば , 自 分 自身の 「 ゆ た か さ 」を 再 考 する 事も な く 漫 然 と した 学 生 生活 を
過 ご す 事 と な った か も し れませ ん 。 も し , この 書 評 に目 を通 し て い た だ き一 人 で もご 自
身 の 「 ゆ た か さ」 に つ い て考え て い た だ け たの で あ れば ,書 評 の 筆 者 と して こ の 上な い
喜 び で す。
17
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
文化学部
つ
佳
作
3年次生
つ
い
ま
い
筒井 茉衣
書 名 :
『萬斎でござる』
著 者 : 野村萬斎
出版社・出版年 : 朝日新聞社 , 1999
「 萬斎でござる 」
生 ま れ た時 か ら職 業 が決ま っ て い ると し たら , どのよ う に 感 じる だ ろう か 。私は , 自 由
が 1 つ 奪 われ , どこ と なく窮 屈 な 感 じが す るの だ が ,人 に よ っ て様 々 な考 え 方がで き る だ
ろ う 。 日 本の 伝 統芸 能 の世界 に は , その よ うな 自 由は , ほ と ん ど存 在 しな い と言わ れ て い
る 。 自 ら を「 狂 言サ イ ボーグ 」 と 称 する , 狂言 師 ・野村 萬 斎 は ,少 年 時代 , 自らの や り た
い こ と と ,宿 命 とも い える狂 言 と の 間で 揺 れて い た。本 書 は 彼 が萬 斎 とい う 名を襲 名 す る
前 か ら 現 在ま で が, さ まざま な 視 点 から 書 かれ , 人生と , そ の 中で の 自分 の 在り方 に つ い
て考えさせられる1冊である。
人 生 と は一 人 ひと り に与え ら れ た 貴重 な 時間 で ある。 少 年 時 代の 野 村萬 斎 は自ら の 置 か
れ て い る 環境 を 頭の 隅 では理 解 し な がら も ,林 間 学校や 運 動 会 など の 学校 行 事を , 狂 言 の
た め , 満 足に 参 加で き ないこ と を 不 本意 に 感じ て いたと 言 う 。 中・ 高 生に な ると , ま す ま
す 狂 言 と の距 離 は遠 の き ,稽 古 に も 積極 的 では な くなっ た 。 そ んな 時 ,と あ る映画 へ の 出
演 話 が 舞 い込 む 。あ の 黒澤明 監 督 の 『乱 』 だ。 狂 言とは 違 う 型 のな い 世界 で ,自ら の 体 を
使 い , 1 つの も のを 生 み出す 難 し さ や楽 し さを 感 じた萬 斎 は , 同時 に ,型 の 生み出 す 芸 術
の 魅 力 を 再認 識 する 。 これが 狂 言 師 ,野 村 萬斎 の 誕生で あ る 。 萬斎 が 狂言 師 になる と い う
こ と は , 偶然 で あり , 必然だ っ た の かも し れな い 。ある 程 度 レ -ル が 引か れ ていた と は 言
え , 彼 は 狂言 と とも に 生きる こ と を 選ん だ 。最 終 的に自 分 の 進 む道 を 決定 す るのは 間 違 い
な く 自 分 自身 で ある 。 人生と い う 個 人の 特 別な 時 間を , 何 に 費 やし , そこ か ら何を 生 み 出
す の か 。 その 答 えは 自 分自身 で 見 つ ける 他 にな い 。萬斎 は そ の 後 , 狂 言の 道 を一心 不 乱 に
突 き 進 み ,シ ェ ーク ス ピアの 作 品 を 題材 に した 狂 言を書 き 上 げ たり , クラ シ ック音 楽 の ボ
レ ロ と 『 三番 叟 』を 融 合させ た 『 M AN S AI ボ レロ』 を 生 み 出し た 。そ れ らの作 品 は 日
本 国 内 だ けで な く世 界 各国か ら も 高 い評 価 を得 て ,野村 萬 斎 の 名前 と 共に 日 本を代 表 す る
伝統芸能「狂言」の魅力も広めている。
犬 , 猫 ,殿 様 から ゴ ジラま で , 野 村萬 斎 が演 じ るもの は ジ ャ ンル こ そ違 う が ,す べ て に
共 通 し て 狂言 の 技術 が 活きて い る 。 手の 上 げ方 , 座り方 , 洗 練 され た 型に よ って生 み 出 さ
れ る 風 格 は唯 一 無二 の もので あ る 。 人は み な, 自 分にし か で き ない も のを 持 ってい る の で
は な い だ ろう か 。近 年 自分に 絶 対 の 自信 が ある 人 という の は そ う見 か けな い 。だが , 人 は
必 ず 何 か にお い て唯 一 無二の 存 在 に なれ る ので は ないか 。 そ の 形が 見 えて き たとき こ そ ,
人が自らの存在に自信を持ちはじめる時に違いない。
「狂言」という1つの大きなレールか
18
ら , さ ま ざま な ジャ ン ルのも の を 生 み出 し た彼 の ように , 私 で あれ ば 「学 生 」とい う 大 き
な レ ー ル から 私 でし か 生み出 せ な い もの が 存在 す るので は な い か , と 考え る 。彼は , 本 書
の中で,自身の人生について,ある時は狂言師・野村 萬斎として ,そしてまたある時には,
狂 言 師 以 外の 視 点か ら 述べて い る 。 自分 に つい て ,多彩 な 視 点 から 分 析す る ことの 大 切 さ
や面白さをこの本は教えてくれる。
変わりゆく時代の中で,伝統芸能の世界はどんどん遠くなってきているように感じるが ,
彼 の 舞 台 には 若 い世 代 の観客 も 多 く みら れ る。 日 々試行 錯 誤 し なが ら 「狂 言 」とい う 大 き
な ベ ー ス は変 え ず時 代 のニー ズ に 合 わせ た 新し い 狂言を 彼 は 生 みだ し てい る 。この 本 の 中
で は , 野 村萬 斎 の人 生 観の他 に , 狂 言の 魅 力に つ いても 多 く 言 及さ れ てい る 。1度 は 狂 言
か ら 離 れ ,狂 言 と共 に 生きる 決 意 を した 萬 斎の 語 る狂言 の 魅 力 とは 。 歴史 の 長いも の に は
そ れ な り の魅 力 があ る ,とで も 言 う よう に ,狂 言 への興 味 が 掻 き立 て られ る 作品で あ る 。
知 識 の 有 無は 関 係な く ,この 本 で 語 られ る 「狂 言 」から 必 ず 受 け取 る こと の できる 魅 力 が
確 か に 存 在す る ので あ る。タ イ ト ル の『 萬 斎で ご ざる』 と い う のは , 狂言 の 曲のほ と ん ど
に出てくる,最初のセリフ「このあたりの者でござる 」から生み出されたのであろう。「い
ま,このときにここにいる人です」という漠然とした存在の太郎冠者。本書の中では ,「時
間 を 超 え, 場 所も 超 越 して」,「 現代 と 舞台 と の 間の 扉を 開 け る , 奥 の深 い せ りふ」 と し て
1 番 最 後 に語 ら れて い る。だ か ら こ そ , そ こか ら 生み出 さ れ る 笑い は 今の 時 代でも 必 ず 共
感 で き るも の だと い え る。『 萬 斎 でご ざ る』 は 「 野村萬 斎 」 とい う 漠然 と し た存在 の 中 で ,
唯 一 無 二 の芸 術 を生 み 出し , さ ら に 進化 し 続け る 彼の人 生 観 や 過程 が 読者 に 勇気を 与 え る
作品である。
こ の 作 品は , 自分 に 自信が な い 人 はも ち ろん , 単純に 日 本 の 伝統 に 興味 が ある人 , 演 劇
が 好 き な 人, 野 村萬 斎 を知っ て い る 人も , 知ら な い人に も , 必 ずひ と りひ と り違っ た メ ッ
セージが伝わる作品である。「自分」とは何か。その答えを知りたい人に ,特に読んでほし
い。
選考委員による講評
選考委員代表
外国語学部教員 青木 正博
『萬斎でご ざる 』の 著者野 村萬斎は , 狂言の伝 統をし っかりと守 りながら ,映画 やテレビ
で出演して狂 言の普及 に努 めている。こ の本は萬 斎が 生い立ちから 現在まで の自 分の成長過
程を語ること により , 自分 の活動を通じ て自分に 興味 を持った人た ちに狂言 に近 づいてもら
うために書いた本である。
本書を「人 生と ,そ の中 での自分の在 り方につ いて 考えさせられ る1冊」 とし て読んでい
る点がこの書 評の特徴 であ り ,優れた点 である。 評者 は萬斎が小学 校時代か ら葛 藤しながら
結局狂言師の 道を選ぶ こと になった過程 を述べ , それ を人生におけ る自分の 道の 選択の問 題
に結びつけて 考えてい る。 また ,萬斎が 狂言の世 界で 唯一無二の存 在である よう に ,自分に
も「“学生” という大 きな レールから私 でしか生 み出 せないものが 存在する ので はないか」,
と考えている 。本書に 書か れていない萬 斎に関す る知 識も使って書 評してい るこ ともよい点
である。
入賞者から一言
入賞のメールが届いて,とても驚きましたが嬉しかったです。狂言だけでなく ,現
代 劇 や TVコ マ ー シ ャ ル , ド ラ マ な ど 多 彩 な 方 面 で 活 躍 さ れ て い る 狂 言 師 野 村 萬 斎 さ ん
の生きざまを皆さんに知ってもらいたくてこの本を選びました。私の書評をよんで,
伝 統 芸 能や 野 村萬 斎 さん に興味 を も つか た が増 え たら いいな と 思 いま す 。
19
第 12 回 京都産業大学図書 館書評大賞
外国語学部
に
佳
作
し
2年次生
か
わ
な
な
み
西川 七海
書 名 :
『幸福な食卓』
著 者 : 瀬尾まいこ
出版社・出版年 : 講談社 , 2004
「 幸福な食卓からみる、家族の形 」
ク ス リ と 笑え て 涙が 伝 う 。父 と は , 母と は ,兄 弟 と は… … 。 身 近す ぎ て見 失 い かけ て い
る大切なものを思い出させてくれる,少し変わった家族の物語。
「父さんは今日で父さんを
辞めようと思う」。瀬尾まいこの代表作『幸福な食卓』は主人公である中原佐和子の父親の
意 味 深 な セリ フ から 始 まる。 家 族 が 歪み つ つあ る 中 ,切 れ そ う で切 れ ない そ の絆の 重 み が
じ わ り じ わり 胸 に迫 っ て くる 小 説 で ある 。 2004年 に 刊行 さ れ , 翌年 吉 川英 治 文 学新 人 賞 を
受賞した。
父 親 の 役 割を 放 棄し 仕 事 を辞 め た 父 と , ア パー ト で 一人 暮 ら し をし つ つ家 事 を しに 家 を
訪 れ る 母 。天 才 気質 の 兄は苦 悩 を 知 らぬ が 故 , 大 学へは 行 か ず に農 業 の道 を 選ぶ。 そ れ ぞ
れ が 何 か を抱 え てい る 。母が 家 を 出 たの は ,父 の 自殺未 遂 が 原 因だ っ た。 し っかり 者 の 佐
和 子 は 梅 雨が 来 るた び にその 日 の こ とを 思 い出 す 。そん な 佐 和 子を 突 然 , 悲 劇が襲 う 。 心
の拠り所だった大切な恋人が亡くなってしまったのだ。喪失と再生 ,苦悩と希望――。様々
な出来事や感情の中で,彼らは家族とは何かを見出していく。
家 族 の 形 とは 何 か。 私 の 家族 は 世 間 の一 般 的な 家 族 とは 少 し 違 う。 私 は父 と 父 方の 祖 母
と 暮 ら し てい る 。母 は 私の妹 と 母 方 の祖 父 母と 暮 らして い る 。 戸籍 上 ,私 は 母や妹 と 別 の
家 族 と い うこ と にな る 。離婚 が さ ほ ど珍 し くは な い今の 世 の 中 にお い て , そ の状況 に 慣 れ
て し ま え ば悲 観 する こ ともな い 。 だ が , や はり 周 囲とは 少 し 違 う家 族 の形 に 戸惑う こ と は
し ば し ば あっ た 。初 対 面の人 は 大 抵 ,私 が 母親 と 一緒に 暮 ら し てい る とい う 前提で 話 を し
て く る 。 複雑 な 心情 で 少し暗 い 気 持 ちに な った 。 そんな 時 , 手 に取 っ たの が この小 説 だ っ
た。「家族は作るのは大変だけど ,その分,めったになくならないからさ。あんたが努力し
な く た っ て, そ う簡 単 に切れ た り し ない じ ゃん 。 だから , 安 心 して 甘 えた ら いいと 思 う 。
だけど,大事だってことは知っておかないとやばいって思う」。恋人を失った佐和子はすべ
て に 対 し て投 げ やり に なった 。 家 族 にも 冷 たい 態 度を取 り 続 け た。 そ んな 主 人公に , 苦 手
だった兄の恋人が投げかけたのがこのセリフである。家族の繋がりは ,簡単には切れない。
そう自分に言われているようだった。
形 な ん て 関係 な い。 住 む 場所 も 関 係 ない 。 家族 は 戸 籍で は な い 。家 族 は家 族 で ある 。 傷
つ け た り 傷つ け られ た りしな が ら も ,糸 は 切れ ず に繋が っ て い る。 私 たち は 気づか な い と
20
こ ろ で , いつ だ って そ の糸に 支 え ら れて い るの だ 。そん な 有 難 味に 気 づき , 日々を 送 っ て
い る 人 が 一体 ど れく ら いいる の だ ろ うか 。 この 作 品は忘 れ か け てい た 大切 な ことを 思 い 起
こさせてくれる。「父さんさ,やっぱりちゃんと生きなくちゃって思った。そして ,父さん
にとって,ちゃんと生きるってことは父さんとして生きること だって思った」。どんな形で
あ ろ う と 家族 と いう 繋 がりの 中 で , 人は そ れぞ れ 自分の 役 割 な しに は 生き ら れない の だ ろ
う。
主 人 公 は 愛さ れ てい る , 家族 や 周 り の人 か ら。 そ う 強く 感 じ た 。い じ めに 遭 っ た時 , 助
けてくれたのは恋人だった。その恋人を亡くした時,彼女を救ったのは家族や恋人の家族,
兄 の 恋 人 だっ た 。人 は 一人で は 生 き てい け ない 。 そのよ う な こ とも ま た , こ の作品 は 教 え
て く れ た 。一 人 で前 を 向けな い 時 , 誰か が 寄り 添 い ,言 葉 を か けて く れる か ら ,再 び 前 を
向いて歩いていけるのだ。
「すごいだろ?
気付かないところで中原っていろいろ守られてるってこと」。佐和子が
ま だ 恋 人 と出 会 う前 に ,気に な っ て いた 男 の子 の 言葉だ 。 著 者 が言 い たか っ たこと が き っ
と こ こ に ある 。 その 証 拠とし て , こ のセ リ フが 出 てきた の は 作 品の 前 半な の に ,後 半 で も
こ の セ リ フを 思 い起 こ してし ま う 描 写が あ るか ら だ。こ れ は 佐 和子 だ けに 向 けられ た 言 葉
で は な く ,私 た ち読 者 にも向 け ら れ たも の だろ う 。人と は そ う いう も のな の だと , 瀬 尾 ま
いこさんがこの男の子を通して私たちに呼びかけている。
後 ろ 向 き にな っ た時 , 孤 独を 感 じ た 時 , 辛 いこ と が あっ た 時 。 この 作 品を 読 め ば , 支 え
て く れ て いる 人 の存 在 に気づ く こ と がで き る。 自 分は一 人 で は ない と 分か る 。そし て , そ
の 中 心 が 家族 で ある こ とも。 物 心 が つい た その 時 から , 無 償 の 愛で 支 え , 助 けてく れ る の
は 家 族 な のだ 。 当た り 前だか ら こ そ 見え に くい 。 心が冷 た く な った り ,暗 く なった り し た
ら,ぜひ読んでいただきたい。じんわりとした温かさを感じることができるはずだ。
選考委員による講評
選考委員代表
法務研究科教員 渡邉 泰彦
書評では,主人公を包み込みこんでいる世界を,自分の育ってきた状況とつながる点から,
より具体的に伝えようとする思いが出ている。原作に描かれた主人公佐和子をめぐる家族は ,
主人公の父の 自殺未遂 後か ら始まり ,恋 人の事故 死を 最後に迎える という重 たい テーマすら
とけ込んでし まう非現 実性 をもった ,何 かしらつ かみ 所のない家族 である。 その ような浮遊
感のある物語 を ,評者 は, 自らの経験と のつなが りを 見つけ出し , 家族への 思い を通して ,
読者に伝えよ うとして いる 。評者の考え る家族の あり 方を示しなが らも ,自 分の 経験に作品
を強引に合わ せていな いこ とは評価でき る。その 意味 では ,作品の 選択がう まく はまり ,そ
の世界観を読 者とし て 紹介 することがで きている 書評 ともいえる。 さらに , 作品 が持つ現実
からの独特の 距離感を 表現 できれば ,こ の小説の 特徴 をよりよく伝 えること がで きる書評と
なっただろう。
入賞者から一言
賞 を い ただ き ,本当 に 嬉し く思 い ま す 。そ れ と同 時 に ,書 評大 賞 の こと を 勧め て 下
さった先生にも感謝いたします。また私がこのような文章を書けるようになったの
は ,授 業 で切 磋 琢磨 し 文章 を書 い て いた ,好 敵手 の よう な存 在 の メデ ィ ア・コ ミ ュニ
ケ ー シ ョン 専 攻の メ ンバ ーのお か げ でも あ ると 感 じて います 。こ れ から も その 中で 邁
進 し て いき た いで す 。
21
第 12 回 京都産業大学図書館書評大賞
アンケートと統計
アンケートの回答を一部紹介します。ご協力ありがとうございました!
Q1) なぜ「書評大賞」に応募されたのですか。動機をお聞かせください。





ゼミ等の課題・教員からの推薦。
昨年も応募し,楽しくて,また達成感も感じられたので,今年も応募しました。
自分の求める物事に対する新しい角度からの見方を,この書評大賞を通して試してみようと
思ったため。
自分が読んだ本の面白さをより多くの人に知ってもらい,共感してほしいから。
今まで学んできた文章を書く力をこの書評大賞で試してみたいと思ったから。
Q2)書評の対象図書をどのようにして選びましたか。(最もあてはまるもの 1 つ)






興味のある分野だから
先生からの推薦・指示
好きな作家だから
図書館で見つけたから
話題の本だから
その他
21 人
20 人
16 人
14 人
2人
4人
Q3)次回も応募してみたいと思いますか。
「はい。」(50 人)(理由)




今回の書評大賞の応募のために読んだ本から多くのことを学び,本の良さをもっと多くの人に知っ
てもらいたいと考えたため。
また一年経った自分の力試しとして応募したいです。
本をただ読む事と批判することの難易度の違いを知ることができた。よい振り返りの材料となった。
昨年度も応募し,成果が出たため。
「いいえ。」(25 人)(理由)



1,600 字は長いから。
恐らく卒業しているので。
書評に応募する原稿を作る時間で,読んだことがない本1冊は読めるので,書評に応募する原稿を
作る時間より,読んだことがない本1冊を読む時間の価値のほうが,自分にとっては高いと判断し
たから。
Q4)執筆してみての感想や, 提出方法など, お気づきの点を自由にご記入ください。





普通の読書感想文とは違って,自分が良かったと思う点だけでなく良くないと感じた点についても
述べる事は今まであまり機会がなかったので,新鮮で楽しかった。
読んだ本から多くのことを学べたとともにもっと多くの人に本を読むことの大切さ,面白さを伝え
るべきだと感じました。
1,600~2,000 字と比較的少ない文章で一冊の本の書評を書くことは難しかった。もう少し,分量を
増やしていただければ本の内容を深く紹介できると感じた。
少しパソコンは不慣れだったこともあり,ワード指定様式での提出に手間取った。
提出方法の箇所で「版冊次等」が良く分かりませんでした。
Q5)毎年「書評大賞講演会」を開催しています。今後の講演会に期待する内容・講師などのご希望がありま
したらお書きください。



浅田次郎先生の講演会に参加させてもらったが,とても良かった。
どのように自分の考えを文章にして構築していくか,そのような事を詳しく教えて下さるような講
師を希望します。
講演日数を複数にしてほしい。
- 希望する講演会講師 (敬称略・五十音順) 桜庭一樹・東浩紀
22
統計はこちらです。
学部別応募者数
100
80
60
40
20
0
6156
154
第 9回
37
32 30
7 12
10
8
経済
経営
29 19
15
14
11
156
1100
法
外国語
文化
理
第10回
0010
11
30 2
コン
理工
総合
生命
第11回
第12回
学年別応募者数
100
76
80
1年次生
60
43
38 34
40
20
49
6
1
34 37
12
4
11
2年次生
27
3年次生
7
2
1
4年次生
0
第9回
100
80
60
40
20
0
第10回
第11回
第12回
対象図書の分野別冊数
68
60
48
35
35
1302
823
総記
哲学
1 7344
歴史
18 8
11
社会
科学
第10回
6 2 6 3 11 1 8 5 8 0 2 34 1 3 0 1 0
20
自然
科学
技術
産業
芸術
言語
第 9回
第11回
文学
第12回
今回の応募者数は84名で前回と同数となりました。学部別応募者数は経営学部・文化学部・法学部
の順となり,経営学部が大幅に増加した一方で総合生命科学部が減少し,第10回以前の傾向に近くな
りました。全体的に文系学部学生からの応募が多く,理系学部学生からの応募が少ない傾向は続いて
いますが,読解力や表現力は文系・理系問わず必要ですので,積極的にチャレンジしてください。
学年別応募者数は,例年通り2・3年次生が多い傾向で,こちらも第10回以前の傾向と似ています
が,1年次生からは7名の応募がありました。2回・3回と続けて応募することによって文章力を向
上させている学生も数多くいます。
対象図書の分野別冊数では,文学と社会科学に関する資料の選択が多い一方,技術・産業・言語に
関する資料の選択が0となりました。教員からの推薦がきっかけで応募された方が多い今回の書評大
賞を反映しているように思われますが,対象となる本は「図書館の蔵書」全体です。これまで手に取
ることが少なかった本でチャレンジするなど,多様な分野からの応募作品をお待ちしています。
23
第 12 回 京都産業大学図書館書評大賞 概要
目的
(1) 学生同士が本を推薦することでお互いに刺激を受け,読書活動が推進され,結果として図書館利用を促進する。
(2) 興味ある著作を読みこなし,内容を簡潔にまとめながら論理的な批評を加えてゆく書評作業は,図書館を利用す
る学生の読解力や論理的思考能力,文章表現能力を向上させ,レポート・論文作成能力,情報活用能力を育成す
る有効な手段となる。
応募要領(抜粋)
1. 応募資格 京都産業大学の学部学生
2. 応募要件
(1)
(2)
(3)
(4)
本学図書館所蔵図書を対象図書とする。
文字数:
応募作品は本人のオリジナルであり,かつ未発表であること(盗用厳禁)。
その他:1人複数篇の応募可。ただし入賞は1人1篇。応募作品の著作権は京都産業大学に帰属する。
応募実数
84 名 84 篇
実施日程
応募期間:平成28年7月1日(金)~ 9月5日(月)
入選発表:平成28年12月1日(木)
表 彰 式:平成28年12月21日(水)
選考委員より ひとこと
最近は自分の専門の本や自分の趣味の本以外はほとんど読
みませんが,講評を書くに当たって知らない分野の本を読
み,とても新鮮に感じました。皆さんも書評で取り上げら
れた本を読み自分の世界を広げてください。(青木)
豊かな語彙・表現力に読書量や読みの深さを感じました。
図書館には様々なジャンルの本がたくさんあります。きっ
かけは何でもよいので,ぜひ本を手に取り,心の栄養を蓄
えてください。(今井)
限られた字数の中で,対象図書の内容を要約し自身の批評
を加えるという能力は,直近では就職活動の場面で,また
就職して以降においても,必ず皆さんの役に立つことでし
ょう。今回の入賞を励みにして更にその能力に磨きをかけ
てください。(菅原)
文章を書くのがうまい友人がいる。どうしてこんなにわか
りやすく書けるのかと聞くと,小学生のときから本は好き
で読んでいたと言う。読書量と文章力は比例するのだろう
か。入賞者のみなさんにも聞いてみたい。(近江)
質の高い書評が多かった印象です。欲を言えば,もっと批
判精神溢れる書評を読みたかったです。大人が若者にこぞ
って「空気を読む」事を強制する時代に,それが難しい事
は充分承知ですが,その強制の異様さに気付いた若者には
注意して欲しい事柄です。(高谷)
情報社会が進み書物が徐々に読まれなくなってきている昨
今,書評を読むことで,その本の概要が読み取れ,内容が
イメージできる,また読者にその本を手に取って読んでみ
たいという気持ちを抱かせるような書評を今後も期待して
います。(竹内)
ジャンル,出版年など本の種類は様々ですが,よい書評に
共通するのは,その本が好きで紹介したいという気持ちで
した。新聞や雑誌に掲載された良い書評を読んで,多くの
本を探し出し,紹介してください。(渡邉)
感想文やレポートの域を越えないと思われる作品が目立
ちました。書評とは,その文章を読んだ「不特定多数の人」
に本の魅力を訴えるものです。「みんなに自分の書評を読
んでもらう」ことを想像しながら作成してください。
(島田)
なぜ読書するかによって,読むジャンルはずいぶん違いま
す。自分探しの旅,冒険小説,推理小説,私小説,ビジネ
ス書,もちろん専門書も……。いずれを選ぶにしても,新
しい発見があり,それとは反対に懐かしさを感じることが
あります。読書をして,ぜひ次回ご応募ください。(真部)
今回の応募作品からは熱意の違いを感じました。書評の対
象とした資料への熱意,紹介し批評しようとする熱意が,
結果的に読んで面白い作品に至ったのではないかと思い
ます。今後も熱意ある書評作品をお待ちしています。
(山本)
。