義務教育学校 の あ り 方示 せ

七十 年の基 礎 を、 身 自ら
城、 大 阪 城の石 垣は高 さ に、 平 和 な 徳 川 幕 府二百
守、二番は井伊掃部頭(か
時は、一番の先手藤堂和泉
ある。(これが国替えもな
政家としての手腕は見事で
正室お江の方、娘和子姫、
側 室 お 奈 津の方、 秀 忠の
く 藤 堂四藩が明 治 まで続
メートル)
、それでいて、
もんのかみ)に命じ……』
初 恋の人、伊 賀のくの一な
河を利 用し直 接 海から城 の実 践 と共に成 し 遂 げた
く礎になったといわれている) どなど、 特に和 子 姫が後
また、石 垣に犬 走 り を 付
法度(きんちゅうならびに て大切な経政家であったか ている。 関ヶ原の敗戦の将・ ることであろう。
はっと )』『 禁 中 並 公 家 諸
『 藤堂 高虎 』
駒田 博之
が分かる。
を 尽 くした話、 目の悪 く
問い、 陣 羽 織 をかけて礼
中で、いよいよ今までにな
現在、最後のライバルで
あった「 真田 丸 」 も 放 映
ため、 廊 下 を 駕 篭のま ま
出番だと思われる。
公 として「 藤 堂 高 虎 」の
なった高虎を江戸城に招く い希有な大河ドラマの主人
登城できるよう真っ直ぐな
子ども唐人やってみませんか!
平成28年度「子ども唐人」募集
月9日、2回 目は同
日( 土 )
。 見学も
大 歓 迎。 そのほか、
いろんなイベントにも
参 加。 活 動は来 年の
3月まで。
対 象は唐 人 踊りが
好き、踊ってみたいと
いう 小 学1 年 〜6年
の児 童。 練 習 場 所ま
で保 護 者の責 任で通
うことができ、「お面・
衣 装・道 具 を 大 切に
する」 などのみんなの
約 束 が 守 れること。
会費千円(スポーツ安
全保険加入を含む)
。
メールアドレスをメール
参加希望者は児童名、
今 年 度の子 ども 唐 人に
参加する小学生を募って 保護者名、住所、電話、
余名と共に、 回目となる 物として、今から約38 いる。
津まつりの前身である
1月 日、
3県4市2町、
松の廊下にした話、倍増に
八幡 神 社の祭 礼の出 し
の機 関、 団 体の代 表
もなる会 津の国 替 えを 犬
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が 隙 間のないほど
刻 まれ、 右 手にい
たっては二本の指が
と、 譜 代の井 伊より 外 様
巻のシーンとなること間違
けて返し続ける話は、「出 いがない。さらに、お城ブー
が厚く、受けた恩を一生か
経政家としての顔である。
失われ、どの指に まで舟で人や物資を運べる
も 爪 が一本 も なかったとい ようにするなど、それは津
三代 将 軍 家 光からも 「 爺
二百ヶ条の家訓を残し、 水 尾天皇に嫁 ぐ 花 嫁 道 中
親 孝 行で家 来 思い、 信 義 は、大河ドラマになれば圧
人と長 男 高 次を江 戸に住
『参勤交代』などは、幕 の高 虎 を一番に押している
府が決める前から松 寿 夫 ことや、二代 将 軍 秀 忠、
う。 あ ま りの傷の多 さに 城における鰡 堀( 岩田川
から津城まで)や今なお海
世の白 餅 」 と題し講 談や ムの昨今、築城シーンは多
けたのも高虎である。
くの視 聴 者 を 釘 付 けにす
姉川の戦いから始まり、
本 能 寺の変における中 国
このように短い期間に多
くの築城が出来たのには、
など、
いかに徳川幕府にとっ 浪曲となって今に伝えられ
三重 紀 北の赤 木 城を皮
からの「大返し」や、関ヶ
切りに、江戸城、大阪城、
高虎が若い時から一緒に取
くげしょはっと)』などの作
石田三成に、己の戦い方を
宇 和 島 城、今 治 城、伊 賀
り 組んできた近 江 穴 太 衆
三つの顔を持つ武士(もののふ)
軍として活躍、さらには、
上 野 城や津 城、京 都の亀
家(大工)
、粉河瓦師など、 成にかかわっている。 それ
歳 を 過 ぎた晩 年に、
後 水 尾天皇と二代 将 軍 秀
忠の五 女 和 子( ま さこ)
姫の婚礼、すなわち平和の 猿の仲の加藤嘉明に譲った
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涯で最 も 悔 恨 を 残 す 事に 山城、丹波篠山城にいたっ (石垣)
、大和法隆寺中井
なる大阪夏の陣・八尾にお ては津 城 を 修 築 しながら
府 城に居 を 移した時、城
高虎の築いた城は、主に 来ていたことである。
さらには、 南 禅 寺の桜 の真 正 面( 現・静 岡 県 図
白壁で平城でありながら、
は隠 居 と称して家 康が駿
藤堂組的な建築集団が出
そうい
ける激 震など、満 身 創 痍 の築城であった。
になりながら、一介の槍 持
ちから三十二万三千石の大
15
( 近 年の研 究 で 津 城の内
余にものぼるお 城や歴 史
常に家康と幕府の基礎につ 江戸と京都を何度も往復
を欠かない。
河ドラマにとN Kへ請 願 に生 まれた唐 人 踊 り。
H
10
には、頭から足の先まで、
く 守 りの固い( 伊 賀 上 野
報告されている)攻めにく
三つ目は、徳川家康と共
顔である。
義務教育学校のあり方示せ
教育問題で論議深める
津市議会
案してきた。
第
回久居公民館まつり
校 区で一貫 教 育が進めら
「花」をテーマに1年間の成果
大野議員 美里だけでは れてる。 学 力 向 上、 生 徒
なく、津市全体に図るべき。 指導の有益性をしっかり検
教育学校への選択なのか伺
児放棄)
、心理的虐待。
性的虐待、ネグレクト(育
里は施設一貫型を校区に提
関する相談。
のなかで161件が虐 待に
方を示すべきだ。
公民館で開かれた。 公民
約千点が展示された。
相 談 所 と協 議、 家 庭 訪 問
できるかぎりの状況を把握 が開かれている。 今 回か
岩脇議員 これまでの行
なるような形で位置付け。
た。 まつりは一年間の学習
教育長 県内で初めてに 館で学ぶ講座生が「花」 の成 果を発 表 する場で、
なるので、県教育委員会と をテーマに制 作 した 作 品 約 団体が参加した。
も連携し進める。
同公民館では自主講座
西山議員 津市としての
具体的な対応、未然に防ぐ
ラブ )
を行い子どもの安全確認と
その結果、児童虐待が疑わ
保護者の事情聴衆を行う。
れる場合は児童相談所によ
状態、トップアスリートたち
になっている。
会場入り口では、
「花」
をテーマにした〝パン〟や、
した愛らしいステンドグラス
など力作が勢ぞろいした。
来場者は「趣味を発表
館 内 全 体 が 華 や かで す
ね」 と語った。
階 南 病 術 を 待つ事になる。 胸 を 記されている。ふとこの作
三 重 大 揺らぎ、それは美しい眺め に高 名な作 者が、現 代 的
学 病 院 の である。 静かな病 室で手 な本 格 的な文 学であると
海 辺に連 なる木々が風に わず 吸い込 まれた。 表 紙
る。 人の姿は見 えない。 通した。 会話が楽しく思
のぼり をデザイン
短 歌や俳 句、こい
に取ってみていた。
に入った 作 品 を 手
び、訪れた人は気
セーターなどが並
のカーディガンや
楽しい手編み教
室では、春 夏 もの
えた。
人 形たちが出 迎
着た華やかなロマンドール
講座 パステルカラーのドレスを
西山議員 0歳から3歳
まで一番 多い。 自 分の意 思
ための対策は。
保健センターから状況収集、 なども含めると月
を表明できない子どもたち
稚園に4人を配置する。
児童虐
する。 その上で、中勢児童
りやすい、楽しい、好 きに
待 と子
西 山 み え 議 員( 県 都ク
なるというのが大事だ。 基
教育長
年度が230
人で、横ばいである。 不登
が虐待を受けている。 津市
健康福祉部長 虐待通
における児童虐待の状況は。 告 を 受 け た 場 合は子 ども
に作成するのか。
本は教師と子どもたちの信
育て支 援について。 虐 待
加 藤 議 員 不 登 校の未
然防止策とは具体的に。
教育長
月に出 す 予
定で、順次見直していく。
校の兆候があれば直ちに対
支援課が担当窓口。そちら
る一時保護、養護施設への入
に向けた企業誘致を行って る県大会以上の規模の大会
の演 技 をメインアリーナで
中学校とか幼稚園・保育園、 所措置につなげていく。
から市の関係部署など、小
が 開 催 される予 定。 産 業
しっかりご覧いただ き、 市
でオープニングイヤーと名付
財 政 改 革と変わって新しい 激変の時代が続くので、今
らに魅力溢れるまちにする
よぎる楽しさ
頼 関 係。 幼 少 中の連 携 も
◎誘致活動の継続を
展示イベントも商工観光部
津市の魅力や施設の概要な
村田彰久議員(市民クラ きた。 関東を中心にスポー
ブ) 産業・スポーツセン ツ競技団体等を訪問して、
ターに
施設での大会開催の誘致を
ついて。 どを説明するとともに、本 を進めている。
年か
ために、合併の効果を生か
けないと思いで、取り組んで
ので、よく 育てなければい
けている。難産の事業だった
村田 議 員 スポーツセン
ターへの市長の思いは。
市 長 週 末は何 か 大 き
な大会をやっているというよ
進めてきた。これまで成果
希 望 も 加 えると、 週 末 を
うな、非常によく使われる いきたい。
プンに向けた誘致活動は。 に、競技団体等からの利用
ら工事が始 まった。 オー
中心に年間で 大会を超え
◎施策の推進の基本理念
回は計画基幹 年度までの
計画になった。
5年 間 とし た。 急 速に変
年が大き
しながらもっとできること
な転換点である。 市政にお
化していく社会経済情勢と
掲げた。 本市が展開してい するために毎年毎年、きち
か、市 民のニーズ等に対し
ける位置付けは。
して新 たな 津 市 行 政 経 営
計 画 に るべきことを確 実にやりと
策定し
計画を策定。これからの新
50
総 務 部 長 合 併 年の たな行政経営の姿を示して く取り組みに、影響を与え んとして仕事総量を3月議
節目、これからの津市をさ 進めていきたいと言う計画。 る施策の推進の基本理念と 会で示していくという構成
た経緯、背景は。
ついて。 げるための経営のあり方と
32
て、柔軟にしなやかに対応
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総務部長 行政経営計
画は主な あまりの計画を
を実現していこうと、今や
岩脇圭一議員(一津会)
(仮称)津市行政経営
スポーツ文化振興部長
年 度から施 設 供 用 開 始
る1年間にしたいということ
民の方に楽しんでいただけ
27
と連携しながら誘致の活動
11
50
(玲)
ひっき りなしに走ってい る。 急ぎ ページほど目を しい……。
まに道 路があり、車が を 受 賞された、火 花であ 花びらが風に舞った。 美
寄せている。ビルのまに 出 し 開いてみた。 芥 川 賞 と心がさわいだ。 美しい
聞こえないが波が打 ち ため、持 参した本を取り で花 見に行こう。 ちょっ
の向こうは海、 音こそ た。 気 持 を 落 ちつかせる したなら偕 楽 公 園に一人
のかとまず驚いた。ビル さがさらにまし、心がゆれ 退院できるだろう。そう
んなにビルが並んでいる が作れるだろうか。 寂し はじまる。桜が満開の頃、
渡 された。 津の街にこ 私にあの様なやさしい笑顔 春らしい。5日後に手術が
れられ、 津の町々が 見 こやかにほほ笑んでいた。 転車の人が通る。 すっかり
枚の大きいガラス戸が入 事 を 思い出した。 母はに いる。 細 く 見 える道 を 自
病 室である。 窓 辺に2 母を病室に見舞ったときの にビルのそれぞれが輝いて
入 院 し た 寂しさである。ふと遠い日、 窓の外を見てみる。春の日
棟 が 私 の よぎるのは、やり切れない 者の心の中を思ってみる。
10
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10
いつ 頃
10
「 子 ども 唐 人になっ 小学校体育館で練習す 58、メール kosuge_
また、家康が遺言に、『国 ご両人を別れさせ、公武一 女 性 群 も、母お虎、久 芳 堂 高 虎 』 を 誘 致 す る 会 は、
てやってみませんか」 と る。 1回 目の練 習は4
歌において一大事の起こった 体 を 成 し 遂 げるという 経 夫 人、 松 寿 夫 人、 家 康の 代表)
[email protected]
◎ 義 務 教 育 学 校 の 有 効 性 いたい。 義務教育の大きな
体系を明確にすべきではな
大 野 寛 議 員( 津 和 会 ) いか。 教育の公平が保てる
示せ
り、しっかり準備していく。
大野議員 有益性を
◎児童虐待に早期発見早
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家庭学習は 年度末に出し
たい。
30
恒例の「第 回久居公 ら共通のテーマを決めて実 できる場があるとやりが
教 育 のか。
教育長 全ての学校で施 証していく。
大野議員 検証してから 民 館 まつり 」 が5日と6 施 することになり、事 前 いがあっていいですね。 今
方 針の
教育長
年に小中一貫 設一体 型の学 校にはできな
の基本方針を出しており、 い。 法施行が 年4月であ では遅い。 しっかりとあ り 日、津市久居元町の久居 のアンケートテーマを決め 回はテーマが花だからか、
義務教
施 設 併 設 型、 分 離 型があ
るが、一貫して各校区で小中
示せ。
教 育 長 人 数 だ けでな
く、障害の程度に応じて配
期対応
校 区のう ち
人のうち幼
教育学校は施設一体型から、 一貫に取 り 組んでいる。 美
加 藤 議 員 特 別 支 援 教 育学校政策について。 小中
育支援員の配置基準の見直 一貫教育を進める美里義務
教育長 マニュアルはマニュ について、配置基準は何か。
加藤議員 法や策で本当
の教育はできない。
津市議会は 日(月)
、5議員が個人質問を行い、新年度予算案、教育
方針、福祉など市政の質問を展開した。
◎教師と子どもの信頼関係
加藤美江子(公明党議員
団 ) 教 育 行 政について。
を指導、支援していくか具
置をかえた。
教育長
体的に示していきたい。
ル」 は
マニュア
加 藤 議 員 子 ども た ち
は、その先生の授業がわか
「 津 市 版 授 業 改 善マニュ アルで、教員がどう子ども
H
処することにしている。
アル」「津市版家庭学習
26
10
大切。
10
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36
26
刀 傷、槍 傷、鉄 砲 傷など
1630年、江戸藩邸で 堀は最長の幅が100メー 的建造物の設計施工をし いて語り合い協力していた し、すでに二子までもうけ
この唐 人 踊 り を 継 承 す ( 土 曜日 ) 午 前 中(
町唐人踊保存会=ファク
色気に乏しく、少ないと しました。
、 養 正 ス059(273)50
臨 終を迎 えた高 虎の遺 体 トルもあり日本一であったと た日本一の築城家としての ことからも伺える。
ていた後水尾天皇の想い人・ 言われる高 虎を取り巻 く (N K大河ドラマ『藤 る分部町唐人踊保存会 時 〜 時 分 )
武将としての顔である。
月の津まつりへの参 かファクスで連絡。 申し
大名に出世した一級の戦国 門や堀に工 夫 を 凝らした 門、日光 東 照 宮など二十 書館)に屋敷を与えられ、 ために、目を悪くしながら 話など、エピソードにも事 『 藤 堂 高 虎 』 を、ぜひ 大 0年 以 上 前に、 分 部 町
加を目標に、月1〜2回 込 み・問 合 せ 先 は 分 部
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60
原の戦い、朝鮮の役には水
多くの家臣を失い、彼の生
二つ目は日 本一の築 城 家
としての顔である。
一つは戦 国 武 将 としての が慟 哭したと史 料は伝 え の魚が泳 ぐ 今 治 城のお 堀 まわせ、その後、徳川幕府 い、じい」 と慕われ江戸城
ている。
顔である。
などにその証が残っている。 の『武家諸法度(ぶけしょ に何度も招かれていること
どうこく
は三つの顔を持つ侍である。 湯 灌 をしながら重 臣たち
1556年、滋賀県甲良
町で生を受けた藤 堂 高 虎
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とは何か。
健康福祉部長
年度
健康福祉部長 4つに分 2月末まで カ月で全体と
類されている。身体的虐待、 しての相 談は391件、そ
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10
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ナカノ歯科医院
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[ 2 ]
(第 3 種郵便物認可)
第 1478 号
三 重 タ イ ム ズ
平成 28 年(2016)3 月 25 日(金曜日)