啓典の母: ファーティハ章

東京ジャーミイ金曜日のホトバ
2016 年 11 月 25 日
「啓典の母、ファーティハ章」
兄弟、姉妹の皆様!
私たちの偉大なる書物である聖クルアーンには、
「啓典の母」という名で呼ばれるスーラ(章)があり
ます。聖クルアーンは、この章(ファーティハ章。1
章1節から7節)をもって始まります。そして私たち
の預言者(彼の上に平安と祝福あれ)は、全ての礼拝
はこの章をもって始めるようにとおっしゃっておら
誰がそれをもたらしますか
れます。
ない。何であれ、わがしもべの望みは聞き入れられ
る」と仰せになるのであります。
兄弟、姉妹の皆様!
礼拝の、すべてのラカートにおいてファーティハを
暗誦するよう求められているのは、単にそれを唱え
ればよい、ということではありません。そうではな
く、私たちが(ファーティハを)深く理解し、その意
味をもって自らの人生に指針を与えるためでありま
す。ファーティハのあらゆるアーヤ(節)、あらゆる
兄弟、姉妹の皆様!
言葉が、私たちに信仰者の意識、信仰者の態度、信
私たちがよく知る通り、その章とはファーティハで
仰者の人生を与えてくれます。優れた理想を示し、
あります。神の使徒はファーティハについて、それ
私たちの目と、心の前に、地平線を開いてくれます。
は「語 らい」であり、私たちと、主との対話であ
ファーティハは新たな復活、新たな再生へと、日々、
るとおっしゃっておられます。私たちがファーティ
私たちを導いてくれるのです。それは私たちが主に
ハの最初の部分をもって主 を賛美すれば、その応
差し出す、短い嘆願書であります。バスマラ(ビス
答として、数えきれないほどの祝福が授けられます。
ミッラー)をもって私たちは、その請願書の届け先
「アル=ハムドリッラーヒ ラッ ビ=ル=アーラミー
を申し出ます。賛美をもって私たちは、嘆願書の届
ン」、すなわち「すべての称賛は、全世界の主たる
け先の所有者を讃えます。「慈愛あつい御方」「慈
神にこそあれ」と口にすれば、全世界の主は「ハミ
悲ふかき御方」という美名に私たちの希望を託し、
ダニー アブディー」、すなわち「わがしもべはわ
また「審判の日の所有者たる御方」と申し述べるこ
れを称賛した」とおおせられます。「アッ =ラフマ
とにより私たちの畏怖を表し、私たちは主の御前に
ーニル=ラヒーム」、すなわち「最も慈愛あふれ、
立つのであります。私たちはこの嘆願書を、自らの
最も慈悲ぶかき御方」と口にすれば、全能の神は
非力、自らの弱さのすべてをさらけ出して、主に差
「アスナー アライヤ アブディー」、すなわち「わ
OF ISLAM ISし出すのです。主が私たちの唯一の避難所であり、
EASY
がしもべはわれを讃えた。われに委ね、われを満足
唯一の援助であり、また尽きることのない希望であ
させ た」と仰せになります。
ることを、私たちは知っています。私たちは唯一の
「マーリキ=ヤウムッ=ディーン」、「審判の日の所
力であり権能である主にのみ仕え、助けを乞い願い
有者たる御方」と口にすれば、主は「マッジャダニ
ます。私たちを真実の道に、クルアーンと預言者た
ー アブディー」、「わがしもべはわれを賛美し
ち、シャヒードたち、正しい者たちの純正な道に導
た」と仰せになります。そのようにして、私たちが
きもうのはただ主のみであります。そして私たちの
ファーティハ の最初の部分をもって主を讃えたこ
全能の主のお怒りと懲罰から私たちを守り、道の終
とに対し、主はそのお喜びを表されるのであります。
わりにある永遠の祝福に導きたもうのも、私たちの
続くファーティハの部分において、私たちは主に対
全能の主のみであります。
し、私たちのあり方と、私たちの望みを申し述べま
す。 「イィヤーカ=ナァブドゥ=ワ=イィヤーカ=ナ
兄弟、姉妹の皆様!
以下の祈りをもって、本日のホトバを終わります。
スタイーン」、「私たちはあなたをのみ崇拝し、ま
たあなた にのみお縋りいたします」と口にすれば、
「主よ、私たちと私たちの子孫が、ファーティハの
真実から逸れて育つことがありませんように。私た
主は「ハザー バイニー ワ バイナ アブディー ワ リ
アブディー マー サーラ」、「これはわれとわがし
ちがファーティハの豊かな恵みを、捨て去ることが
ありませんように!主よ、私たちを、ファーティハ
もべとの決めごとである。われはわがしもべの望み
に応えよう」と仰 せになります。「イヒディナッ=
を絶えず口にしその意味を理解しそれにより自らの
人生を形づくる者の一人としてお認めください!」
スィラータル=ムスタキーム、スィラータ=ッラズィ
ーナ・アン=アムタ=アライヒム=ガイリル=マグド
ゥービ=アライヒム=ワラッダーリーン」、「私たち
を、正しい道にお 導きください。あなたのお怒り
を受けた者、道を見失った者ではなく、あなたの恩
寵を授かる者の道に」と口 にすれば、主は「ハザ
ー リアブディー ワ リアブディ マー サーラ」、
「わがしもべの、この望みが捨て置か れることは
全体規則)
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