人 - 豊岡市

TOYOOKA MAME JITEN
人
[主な偉人]
とよおかデータ
氏 名
豊岡市出身の偉人
さい とう たか お
あか ぎ まさ お
■斎藤隆夫(1870~1949、出石町中村)
■赤木正雄(1887~1972、引野)
斎藤隆夫は、
42歳で衆議院議員に初当選し、
37年間
にわたって政治家として活躍しました。
「日本の国は立憲
君主国であり、
我々国民はこの道を進むべきである。
しか
し、
政治家の中には軍と陰で手を結んで政治上の野心を
とげようとする者があることは見逃すことができない…」
と、
軍部台頭の時代に国会で粛軍演説を行いました。軍国
主義に屈しなかった「憲政の神様」
として、
今も尊敬され
ています。
赤木正雄は、
日本において砂防の重要さをいち早く説
いた人物で「砂防の神様」
とも呼ばれました。
「国を治め
んとすれば水を、
水を治めんとすればその上を治めよ」
と
治水、
砂防一筋を貫き、
日本の砂防技術の基礎を築きまし
た。内務省土木局内に砂防課を創設し治水機構の根本
的な改正を果たすとともに、
全国治水砂防協会の拠点施
設・砂防会館を建設するなど治山治水に尽くしました。
生 没
沢 庵 和 尚(たくあんおしょう)
大 石 り く(おおいしりく)
上 田 広 甫(うえだこうほ)
斎 藤 畸 庵(さいとうきあん)
橋 本 龍 一(はしもとりゅういち)
小 坂 象 堂(こさかしょうどう)
加 藤 弘 之(かとうひろゆき)
吉村寅太郎(よしむらとらたろう)
沖 野 忠 雄(おきのただお)
浜 尾 新(はまおあらた)
桜 井 勉(さくらいつとむ)
中 江 種 造(なかえたねぞう)
久保田 譲(くぼたゆずる)
河本重次郎(こうもとじゅうじろう)
巌 本 善 治(いわもとぜんじ)
太田垣士郎(おおたがきしろう)
谷 垣 長 蔵(たにがきちょうぞう)
和 田 完 二(わだかんじ)
西 岡 時 雄(にしおかときお)
三 木 瀧 蔵(みきりゅうぞう)
京 極 杞 陽(きょうごくきよう)
森 田 子 龍(もりたしりゅう)
伊 藤 清 永(いとうきよなが)
仲 田 光 成(なかたこうせい)
1573
1669
1791
1805
1846
1870
1836
1848
1855
1849
1843
1846
1847
1859
1863
1894
1880
1896
1893
1899
1908
1912
1911
1899
出身地域
~ 1645
~ 1736
~ 1861
~ 1883
~ 1894
~ 1899
~ 1916
~ 1917
~ 1924
~ 1925
~ 1931
~ 1931
~ 1936
~ 1938
~ 1943
~ 1964
~ 1967
~ 1968
~ 1981
~ 1981
~ 1981
~ 1998
~ 2001
~ 2003
出
豊
日
城
但
出
出
豊
豊
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出
豊
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出
城
日
竹
日
豊
豊
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出
竹
石
岡
高
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東
石
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岡
岡
岡
石
岡
岡
岡
石
崎
高
野
高
岡
岡
岡
石
野
略 歴
禅僧、幕府に仏道の自由を主張
大石内蔵助の妻
華道未生流2代目家元
南画家
但馬での機械製糸業の礎を築く
洋画家
東京大学初代総理
第二高等学校長(東北大学)
治水港湾工事の父
文部大臣、枢密院議長、東京大学総長
天気予報の創始者、
「校補但馬考」著者
鉱山王、豊岡上水道の父
広島師範学校長、文部大臣
日本眼科学界の進展に貢献
女子教育に尽力、女学雑誌を発刊
関西電力初代社長、関西経済連合会会長
有明海干拓者
丸善石油社長
日本医学放射線学会会長
神戸貿易協会会長、神戸生糸取引所理事長
俳人、
「ホトトギス」同人、
「木兎」主宰
書家
洋画家、文化勲章受章
書家、毎日書道展名誉会員
偉人の精神を伝承
■植村直己冒険賞 ~冒険文化を世界に発信~
日本を代表する世界の冒険家である植村直己の不撓不
屈の精神を継承するために、平成8年に創設しました。自
然を相手に人間の可能性に挑んだ創造的で勇気ある行動
をし、人々に夢と希望そして勇気を与えた人または団体
に贈っています。豊岡市は、この冒険賞を通して植村直己
の人柄を世界に発信しています。
授賞式で対談を行う第20回(2015)受賞者の本多有香さん
(右)
〈写真提供:文藝春秋〉
うえ むら なお み
とう い よし お
■植村直己(1941~1984、日高町上郷)
■東井義雄(1912~1991、但東町佐々木)
植村直己は、
犬ゾリによる北極点単独到達、
北極圏
12,000㎞犬ゾリ単独走破、
世界最高峰のエベレストを
はじめとする5大陸最高峰の登頂など世界の冒険史
上に残る数々の偉業を成し遂げました。
自分の目標に
向かってひたむきに取り組んだ姿勢は、
世界の人々に
ふ とう ふ くつ
夢と希望を与え、
その不撓不屈の精神は、今でもこの
まちで生き続けています。
東井義雄は、
ひたすら
「いのちの教育」の探求に尽く
し、
「日本のペスタロッチ」
と呼ばれた教育者です。小学
校を中心に40年間にわたって教師を務め、常に子どもの
そばにある教育を目指し、命の不思議、命の素晴らしさ、
そして
「教育の原点」
を説いてきました。今でも彼の残し
た言葉や教えを心の支えにする人が全国にたくさんいま
す。
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■仲田光成記念豊岡全国かな書展
おの え さいしゅう
かな書道の先駆者である尾上柴舟の高弟として学び、平
安の古筆を受け継ぎ、「仲田流」のかな書を確立した仲田光
成は、
日本のかな書道界において、
日本文化の継承に大きな
功績を残しました。この偉業を記念するとともに、
かな書の普
及と地域文化高揚のために、平成13年から全国かな書展を
開催し、
書道文化を全国に発信しています。
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