参考資料 鍋島献上の儀の経過 献上年月 献 上 先 平成元年 10 月 佐賀県知事、伊万里市長 平成 2 年 11 月 福岡県知事、武雄市長 平成 3 年 10 月 熊本県知事、唐津市長 平成 4 年 10 月 長崎県知事、在アメリカ領事館、佐賀市長 平成 5 年 10 月 大分県知事、鹿島市長 平成 6 年 10 月 佐賀県知事、多久市長 平成 7 年 10 月 宮崎県知事、鳥栖市長、伊万里市長 平成 8 年 10 月 鹿児島県知事 平成 9 年 9 月、11 月 沖縄県知事、伊万里商工会議所会頭 平成 10 年 10 月 通商産業大臣 平成 11 年 10 月 在福岡大韓民国領事館、佐嘉神社 平成 12 年 10 月 大韓民国文化観光部 平成 13 年 10 月 中国領事館 平成 14 年 5 月 中国大連 平成 15 年 10 月 伊万里市長 平成 16 年 10 月 佐賀県知事(佐賀城本丸) 平成 17 年 10 月 北九州市長(小倉城) 平成 18 年 10 月 熊本県知事(熊本城) 平成 19 年 10 月 姫路市長(姫路城) 平成 20 年 10 月 島原市長(島原城) 平成 21 年 10 月 彦根市長(彦根城) 平成 22 年 10 月 杵築市長(杵築城) 平成 23 年 10 月 松本市長(松本城) 平成 24 年 10 月 平戸市長(平戸城) 平成 25 年 10 月 犬山市長(犬山城) 平成 26 年 10 月 鍋島家(松原神社) 平成 27 年 10 月 安倍内閣総理大臣(総理官邸) 平成 28 年 10 月、11 月 駐日オランダ王国特命全権大使、佐賀県知事(佐賀城本丸) -1- H23 松本市への献上(松本城) H24 平⼾市への献上(平⼾城) H25 ⽝⼭市への献上(⽝⼭城) H26 鍋島家への献上(松原神社) H27 安倍内閣総理⼤⾂への献上(総理官邸) H28 オランダ⼤使への献上(オランダ⼤使館) -2- 献上品完成までの流れ(内閣総理大臣への献上品) 献上品の製作にあたっては、古式にのっとり、火の神である愛宕神社で火起こしにより採火し、 種火を登り窯に移して焚き窯上げた後、鍋島文様の色絵をつけ、上絵焼成して再現しております。 ・6月下旬 ろくろ制作 ・ろくろの伝統工芸士が形成を行い ます。 ・7月~8月中旬 下絵付け、露焚き ・絵付けの伝統工芸士が下絵付けを 行います。 ・8月下旬 登り窯焚き(火入れ式・神事) ・窯入れには古式にのっとり神事を 行い、火起こしによって採火し種火 を登り窯へ入れます。 ・登り窯では交代で2日間(約 36 時間)かけて焼成いたします。 ・大川内山の窯元が交代で窯番をし ます。 ・9月上旬 窯出し ・9月上旬~ 上絵付け・焼成 ・窯上げ後、赤絵を描いて焼成し、 もう一度窯に入れます。 ・9月下旬 -3- 献上品完成 大川内山の歴史 現在の鍋島焼と言われるもののほとんどは、伊万里市大川内山 で焼かれたものです。 日本ではじめて磁器が誕生したのは、江戸時代初頭、現在の佐 賀県有田町でした。 この日本で唯一の磁器生産地をもった鍋島藩は、有田の優秀な 陶工たちを集めて藩直営の窯を築き、城内の調度品、また献上、 贈答用の磁器を焼かせました。 1675 年、藩窯は、山深い伊万里市大川内山に移り、以降 1871 年(明治 4 年)の廃藩まで、この地で 活動を続けました。 鍋島藩窯は、本格的な組食器を生産し完全な組織化により生産を管理し製品の質の向上に気を配り ました。その技法の秘密は、厳守され不良品も外部に持ち出されることなく処分されました。 献上、贈答などの特別な目的のために作られたそれらは、市場に出回ることなく明治になるまで一 般の人々の目に触れることはありませんでした。このことが今の『秘窯の里 大川内山』と言われ る由縁です。 今では、30軒の窯元が美術品から一般食器を製作しています。 毎年、4 月 1 日から 5 日に開催される『春の窯元市』、11 月 1 日から 5 日に開催される『鍋島藩窯 秋祭り』と窯元市が開かれ多くの焼き物ファンで賑わっています。 鍋島(鍋島焼) 17 世紀から 19 世紀にかけて、鍋島藩の藩直営の窯で製造された高級磁器が「鍋 島(鍋島焼)」です。その中で、大川内山にあった藩直営の窯では藩主の所要 品や将軍家、諸大名への贈答品などの高級品が製造され、これらが近代以降「鍋 島焼」または「鍋島」と呼ばれています。 -4-
© Copyright 2024 ExpyDoc