キャッチあんど…… - タテ書き小説ネット

キャッチあんど……
真冬日
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︻小説タイトル︼
キャッチあんど⋮⋮
︻Nコード︼
N1662CB
︻作者名︼
真冬日
︻あらすじ︼
イケメン集団の生徒会を夢中にさせているのは美少女な転校生。
まるで乙女ゲームのような展開。勿論そこには悪役も必要で。生徒
会長のファンクラブ隊長、それが私の役目です。訳あって今日も悪
役頑張ろうと思います。
*自サイトの小説を改変させて載せています。
1
1:設定
少し独特な校風の私立の学園。
そこにはカリスマ生徒会なるものが存在する。
偏見かもしれないが生徒会なんて通常、教師が推薦や内申点をチラ
つかせて真面目な子に押し付けるものだと思っていた。
だがしかし私の通う学園の生徒会は全員が全員美形男子で構成され
ているのだ。
以前クラスの女子が嬉々として語っているのを耳にしたことがある。
こういう美形生徒会が存在するのは乙女ゲームという世界にありが
ちで、うちの学園はそれにピッタリなんだとか。
オプションで生徒会が実はモンスターやエイリアンだったり、執事
や貴族だったり、魔法使いや超能力者だったりすると尚良しらしい。
なんのこっちゃ。
あとは転校生や新入生の主人公が、生徒会の連中を次々に落として
いけば完璧らしい。
それを聴いた時、思わず立てていた聞き耳を倍くらい大きくしてし
まった。
2
美形生徒会を次々に落としていくとはなんと面白い。
連中が一人の女の尻を夢中で追いかけるなんて、さぞや愉快な光景
であろう。
そんな妄想をしながらこっそりニヤニヤしていたのはつい先日のこ
とであった。
それがまさか現実のものとなろうとは思いもしなかったが。
﹁嘉川さん、転校生の事知ってる?﹂
学園で唯一気軽に話しかけてくれる吉田絵梨菜が、食堂で一人寂し
く昼食を取る私を発見し気遣うように訊ねてきた。
すすり中のうどんを慌てて咀嚼する。クッ、讃岐うどんの歯応えハ
ンパない。
﹁ムグ⋮⋮勿論知っているわ。会長様を含めた生徒会の皆様が転校
生に夢中だってことでしょ⋮⋮⋮﹂
なるべく悲しげに見えるように俯きがちに喋る。
この隙にネギが歯に挟まっていないか舌でチェックしなくては。
そんな私の肩に吉田さんが優しく手を置いた。
﹁あまり落ち込まないでね﹂
3
﹁うん、ありがとう﹂
大して親しくもない学園の嫌われ者である私に何かと声をかけてく
れる吉田さん。
彼女はハッとするほどの美人というわけではないが、清楚な感じが
好感を持てる綺麗な子だ。
一年の時にクラスが一緒だった縁で、今でもこうして優しくしてく
れるのは嬉しい。
今まで彼女の為にもなるべく親しくならないように注意していたが、
今回の転校生の件でもうそんな事気にしなくてもいいのかもしれな
い。
そう考えると、思わず緩みそうになる頬の内肉を噛んで堪えた。
︱︱︱︱キャアアア
突如学食に響く女子の黄色い歓声。
吉田さんと顔を合わせ同時に声の方を向くと、そこには例の美形生
徒会が勢揃いしていた。
﹁相変わらず騒がしい﹂
﹁まぁ覚悟してたからねぇ﹂
﹁騒がしくて申し訳ありませんイチカ﹂
﹁イチカ、大丈夫?﹂
﹁うん、私なら大丈夫だよ﹂
4
キラキラしい集団の紅一点。
イチカと呼ばれる少女。
柔らかく波打つ栗毛と瞬く大きな瞳、透き通るような綺麗な肌。
完璧な美を持つ彼女がイケメン達にちやほやされる様に違和感など
ない。
思わず感嘆の溜め息を吐きたくなるほど壮観な光景であるのに、周
皆様そのような女に優しくなさらないでぇぇ!!﹂
囲に響くのは悲鳴だ。
﹁いやぁぁ!
﹁皆様その女に騙されているのですわ!﹂
﹁ああ、そんな女に惑わされるなんてお可哀想な皆様﹂
女子の悲壮な声は元々険しかった生徒会の面々の表情をより強くさ
せる。
一方一般の男子生徒はイチカに見惚れて女子の悲鳴などどうでもい
いらしい。
私と同じ讃岐うどんを食していた前列の男子など、見惚れ過ぎて鼻
にうどんを入れようとしている。
﹁ぶふっ!﹂
思わず吹き出してしまい慌てるが、隣の吉田さんもキラキラ集団に
目が釘付けで私など見ていなかったのでセーフである。
5
と、思ったのも束の間。
強い殺気が私へと突き刺さる。
私の笑いに目敏く気付いたキラキラ集団の中央。
艶やかな黒髪と涼しげな目元。
まだ十代だというのに貫禄のようなものまで醸し出している。
奴の前ではどんな人間も膝をついてしまう、そんなカリスマ的才能
を持っている男。
︱︱︱︱生徒会長の吾妻悠生
分かりました!
私だけを見てぇぇぇ!!﹂
そいつの三白眼が私をキツく捉えていた。
ああっもう!
分かったよ!
会長様ぁぁ!!
諦めた私は肺いっぱいに空気を吸う。
そして⋮⋮⋮
﹁いやぁぁぁぁ!!
食堂に居る誰より大きく叫ぶのだ。
悲壮感を漂わせ、嫉妬の炎を燻らせているように激しく。
耳を突くような大声に周囲の人間がチラリとこちらを見る。
横に居る吉田さんなど目を丸くさせていた。驚かせて申し訳ない。
6
﹃うわぁ相変わらずの会長狂い﹄
﹃あそこまで熱狂的だと怖いよな﹄
﹃俺のイチカちゃんの命が危ない﹄
クッ男子共の囁きが痛い。
しかしこれも私の仕事、我慢だ我慢。
鼻でうどん食べてた男子生徒もドン引きしている。
いや待て、お前にだけは引かれたくはないぞ。
肝心の吾妻は険しい表情の口元を一瞬だけ上げ、狂暴に笑ってみせ
た。
クソッあのナルシスト男め。
﹁くだらねぇ。行くぞ﹂
生徒会と少女を促し食堂の奥へと進む。
そこにあるのは生徒会専用の個室だ。
このお祭り騒ぎの中で食事をするのは難しいだろうということで、
今期生徒会発足と同時に作られた特別処置。
寄付金の額と学園での権力が比例するのは周知の事実。
そんな中でトップクラスの権力を有す生徒会に、生徒はおろか教師
さえ口を出すのは難しい。
そして特に歴代の生徒会の中で最も名のある家柄であろう吾妻家。
7
過去類を見ないほどの莫大な寄付金を学園へ落としていることは明
らかであり、食堂の多少の優遇などで文句が上がることはない。
だがそれは生徒会の使用に限りである。
イチカと呼ばれる少女はつい二週間前に転校して来た只の一般生徒
だ。
そんな少女が家柄も容姿も学力もトップクラスの生徒会と親密にな
り、あまつさえ一般生徒立ち入り禁止の食堂の個室や生徒会室に入
室するのはこの学園では許されることではない。
そして憧れである生徒会の連中にベタベタに甘やかされる少女の存
在に学園の主に女生徒は爆発寸前であった。
特に生徒会をどこぞのアイドルのように崇め奉るファンクラブは今
や魑魅魍魎。
私もう我慢ならないわ!﹂
普段可愛らしい少女達は般若となり、今にも暴動が起きそうだ。
﹁嘉川さん!
﹁いつまで黙っているつもり!?﹂
今もファンクラブの幹部である少女二人が目尻を吊り上げつつも涙
を浮かべ、私の元へとやってきて必死に訴える。
そんな様子にうっと声を詰まらせそうになるものの、動揺を見せて
はならない。
8
﹁そうですね、彼女にはそろそろ思い知って頂くべきですね⋮⋮⋮﹂
︱︱︱︱何故なら私は生徒会長ファンクラブ隊長、嘉川はる。
生徒会長である吾妻悠生の世界一のファン。
という設定だからだ。
9
2:計画
計画は完璧であった。
生徒会全員転校生に夢中。
それは腹黒王子と秘かに私が呼んでいる、副会長も例外ではない。
そんな彼は昼休みの半ばに必ず校舎裏の花壇スペースを散歩する。
これは協力者から得た有力な情報だ。
だから昼休み半ば、ファンクラブ隊長として彼女を花壇近くの茂み
へと呼び出すのだ。
実に簡単なお仕事である。
そして現在、計画通りノコノコと呑気に現れた転校生と二人きりで
対峙している。
﹁もう皆様に付き纏うのは止めて。皆様とても迷惑してるのよ﹂
違うよね、付き纏っているのは生徒会の方だって知ってるよ。
﹁皆様の品位を落としかねないわ﹂
一人の女子生徒の尻を動物みたいに情けなく追い回す彼らに品位な
10
んて元々ない。
﹁貴女みたいな不細工な淫乱が皆様に近寄らないでよ﹂
スミマセンスミマセンスミマセン。
こんな美少女に向かってなんてことを。
不細工は私です本当スミマセン。
心の中ではヘコヘコ土下座しながらも、まだ私はこの醜悪な悪口を
止める訳にはいかない。
王子な副会長がまだ来ないから。
早く来てよ馬鹿。
王子の大切な姫が敵の親玉もといファンクラブ隊長に捕まってるぞ
!!
﹁ねぇ、分かってくれるよね?﹂
一言も発さず俯く転校生の唇をそっと指先で触れる。
うわぁ柔かっ!
リップすら付けてないのになんでこんなにプルプルなんだ?
吸い付きたくなる唇⋮⋮
って、違う。
興奮している場合じゃなかった。
﹁貴女が分かってくれないって言うなら私にも考えがあるわ﹂
11
唇に添わせていた指をツツツと移動させ、彼女の顎を上げさせる。
俯いて隠れていた彼女の瞳はウルウルと潤み頬は真っ赤に染まり微
かに震えていた。
恐怖からの表情だと分かっていても扇情的で思わず息を呑む。
これは男なら誰でも落ちるわ。
狼狽に気付かれぬよう唇が触れ合うほど近づき、あくどい顔で笑っ
てみせる。
﹁私ね、少し怖い人達とも知り合いなの。貴女みたいな下品な人は
彼等ととっても仲良くなれると思うんだけど。ねぇ彼等に可愛がっ
て貰いたいの?﹂
より一層瞳は潤むが、ここまで脅しても涙は零れそうにない。
泣き出してくれれば楽なんだけど。
だが確実に追い込んでいるらしく、彼女の吐く吐息は熱く私の顔を
何度も撫でる。
﹁あなたは⋮⋮﹂
転校生の震える唇がゆっくりと動き出した時であった。
﹁イチカっっ!!﹂
慌てた様子で駆けて来る副会長にこっそり安堵の息を漏らす。
遅いよまったく!
危うく危険な道にクラッと走ってしまうところだったよ。
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﹁会長のファンクラブ隊長の嘉川はるですね。イチカに一体何をし
ていたのですか?﹂
私から転校生を引き剥がし腕にしっかりと抱き締めると、こちらを
鋭い眼差しで睨む。
﹁ふ、副会長様。私は別に何も⋮⋮﹂
口ごもる私を馬鹿にしたように鼻で笑う副会長。
﹁現行犯で言い逃れなど出来るはずないでしょう﹂
﹁あの、私なら別に大丈夫、だよ?﹂
﹁まったくイチカは優し過ぎます。こんな輩を庇うことはありませ
ん﹂
転校生にデレッと鼻の下を暫く伸ばしていたかと思うと、私の方へ
と向き直り凍てつく視線を下さる。
﹁一緒に生徒会室へと来て貰いましょうか﹂
ハイ。
というわけで、やって参りました生徒会室。
しかも生徒会メンバー勢揃いで私のことを睨み付けている。
針の筵でかなり辛いがこれからの成り行きを思うと心は軽い。
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﹁ファンクラブは生徒会の認可の元に成り立っているのは知ってい
ますね。そしてそのトップを決める決定権は生徒会にある﹂
んなこと知ってますよ。
だからこんな胸糞悪いことしたんじゃないですか。
副会長の回りくどい言い方にイライラしつつも俯いたまま時が来る
のを待つ。
﹁だからさぁ、俺達にはあんたをファンクラブから降ろす権利があ
ヤッタねウッホォ!
りまーす。つーか降ろしまーす﹂
マジですか?
チャラ男な会計がチャラチャラしながら言い放った言葉に思わず興
奮してドラミングしそうになる。
いかん、冷静になれ私よ。
悲しそうな顔をしろ⋮⋮⋮ふへっ、ダメだ。笑いが止まらん。
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3:暴力ナルシスト
ニンマリしそうになるのを必死で抑えている私の表情はえらいこと
何かな?
噛み付くぞコラ。
になっているらしく、無口ワンコな書記が不気味そうに見てくる。
ん?
あら、ちょっとビクッとなった。情けないぞワンコ。
﹁元々俺達はぁ、お前のことなんか認めてないから。生徒会に近付
く奴への制裁の噂は絶ないし、時に犯罪紛いなものまであると聞く
し?﹂
チャラ男会計の楽しそうな言葉に副会長も大きく頷く。
﹁なかなか証拠が揃わず降ろすことが出来ませんでしたが、どうや
ら年貢の納め時のようですね﹂
うわぁ副会長のドヤ顔ウザイ。
私は
皆様
が下品な女に騙されているからお
ここで素直に頷いても良かったが、少し抵抗した方が自然だろう。
﹁待って下さい!
助けしようとしたのです﹂
﹁下品⋮お前⋮⋮⋮﹂
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ああん?
なんか言ったワンちゃん?
サッと一瞬だけ睨んでやると、ワンコ書記は大きな身体を丸め怯え
始めた。
はっ、いけない。
私は意地悪でか弱いファンクラブ隊長だった。キャラ大事に!
﹁私は悪くないわ!﹂
﹁黙りなさい不愉快です。ここまで反省の色が見られないとは呆れ
たものですね﹂
﹁悪いのはあの女です!﹂
﹁それ以上言うと俺らの大切なイチカを傷付けたこと、後悔させて
やるよぉ﹂
私は彼女に何もされていないよ。少
段々と生徒会がヒートアップして来た時であった。
﹁ちょっと待ってよみんな!
しお喋りしてただけだもん﹂
実はずっとこの場に居た転校生が両手を胸の前で組み、ウルウルの
おめめで訴えた。
もう優しすぎぃ﹂
彼女の優しさに生徒会の厳しかった表情もだらしなく崩れる。
﹁イチカ、こんな奴庇っちゃダメでしょー。
﹁嗚呼、イチカはなんて心が広いのだろう。やはりキミは私の理想
ですね﹂
﹁イチカ⋮⋮⋮優しい⋮⋮﹂
生徒会メンバーは私の事など忘れ、各々転校生をうっとりと眺める。
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イチカに免じて
とか言われそうだ。
いや、転校生よ。庇ってくれるのは嬉しいが迷惑です。
このままじゃ
それだけは避けなきゃいけない。
だから許して欲しい。
この淫乱
どうせ皆様に
これでより一層生徒会の連中はあなたに夢中になるから。
私達の利害は完全に一致してる筈だよ。
﹁そういう偽善ぶったところが気に入らないのよ!
お近づきになりたくて猫被っているだけなんでしょ!?
!﹂
差しをしていた分、その明
私の叫びに反応した生徒会の連中の殺気を一斉に浴びる。
今まで転校生を慈しむような優しい眼
らかな温度差に分かってはいても冷や汗が伝う。
皆様
の為にしたことなのです!﹂
でも、あと一押し。
﹁全ては
︱︱︱︱ドォォンッッ
激しい破壊音が部屋に鳴り響いた。
突然の爆音に皆驚き、その音源に目をやる。
そこには今まで無言を貫いていた生徒会長吾妻が、怒りに満ちた顔
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ですぐ近くの壁を殴っていた。しかも少しへこんでる。
﹁⋮⋮⋮黙れ﹂
地を這うような低い声に全員の背筋は凍る。
そして次の言葉をその場にいる誰もが固唾をのんで待つ。
彼の視線はゆっくりと副会長に向く。
﹁コイツは俺のファンクラブだろ﹂
﹁は、はいそうです。彼女はあなたのところの隊長で、過去類を見
ないほど陰湿で最悪と言われているそうです﹂
それは俺の権利だろう﹂
副会長の緊張を含みながらも侮蔑が込められた台詞に言い返すこと
など出来ない。
それは正しく私の評判だから。
﹁何故お前らがこいつの処遇を決める?
﹁だったら、会長⋮どうするつもり?﹂
ビクビクしつつもワンコ書記が戸惑いがちに尋ねる。
何を馬鹿な!イチカに手を出そうとした奴を庇うのです
﹁⋮⋮辞任なんかさせねぇ﹂
﹁なっ!
か!?﹂
﹁そうだよぉ辞任でいいじゃん﹂
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﹁許すの、ダメ﹂
吾妻は凶悪面を歪めてニヤリと笑ってみせた。
﹁そうだな。こいつはお仕置きだ﹂
﹁ヒッ⋮⋮⋮﹂
自分だって他の生徒会同様、転校生に夢中だったじゃん。
ゾワリと全身が一瞬で鳥肌だらけになる。
なんで?
私のことはもう忘れてくれたんじゃないの?
隊長がファンクラブを辞めるなんて彼のプライドが許さないだろう
から、わざわざこちらからクビになる方向に持って行ってあげたの
に。
なんで辞めさせてくれないんだ。
戸惑い怯える私の元へ尊大な足取りでやって来た吾妻は、首根っこ
を猫の子のごとく掴み生徒会室を後にする。
他の連中は唖然としたまま私達を見送っていた。
た、助けやがれ!
いや助けてお願いしますっ!
私の願いも虚しく迎えの車に押し込められると、吾妻も出口を塞ぐ
ように乗り込む。
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﹁俺が何故怒っているのか分かってねぇだろ、はる﹂
﹁えっと、私が転校生に制裁をしようとしたからでは⋮⋮﹂
可愛い嫉妬だろ?
いいよなぁ
段々と近づく吾妻の顔色を伺いながらビクビクと答える。
﹁いいや違う。それはあれだろ?
それ﹂
いつものような冷たい口調ではなく、吐き気を催す甘ったるいそれ
で迫ってきた。
吾妻の長い指先が私の首筋をなぞる。
﹁興味の欠片もない奴に言い寄るのは結構な苦痛なんだが、苦労し
た甲斐があったってもんだ。いつも俺だけに嫉妬させて、不公平だ
しな﹂
嫉妬っていうか、勝手に小道の石にでもなんにでも対抗心燃やして
るだけでしょ。
他人にもそれを強制しないでよ!
と、叫んでやりたいのは山々だが、奴の指が私の喉元を掴み緩く力
を入れるものだから何も言えない。
取り合えず苦しい、そして恐いわっ!
﹁俺が怒っているのはな、はる﹂
皆様
の為に、なんて言うからだろ?﹂
吾妻は幼子に言い聞かせるようにゆっくり喋る。
﹁お前が制裁を
首に回していた手の力が緩まると、その端正な顔が近付いてきた。
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﹁はるは何事も
俺だけ
の為に行動しなければいけない。そんな
当然の事も分かんないのかよ﹂
やはり自分中心じゃないから気に食わないんだ。
この人、本当にナルシストだな。
﹁い゛っ!?﹂
私が内心呆れ果てているのがバレたのか、首筋をおもっくそ噛まれ
る。
﹁お前は俺のものだ﹂
確実に残っているであろう首筋の歯形をペロリと舐める吾妻。
ヒイッ、キモい!
止めやがれこの暴力ナルシスト!
21
3:暴力ナルシスト︵後書き︶
転校生の名前がうっかり仮のもののままだったので変更しました
22
4:バジンガー
今から五年前の小学五年生の時。
両親を交通事故で亡くした私は遠縁の親戚にあたる吾妻家に引き取
られた。
当初、私はショックで塞ぎ込んでいたのだが、それを支えてくれた
のが一人息子の悠生だった。
反応を示さない私に何度も喋りかけ、夜中に魘されていれば手握り
励まし、根気強く説得して外へと連れ出してくれた。
その内徐々に立ち直っていった私は、一つ年上の彼を本当の兄のよ
うに慕うようになった。
少し俺様だけど優しくて頭が良くて格好良いいお兄ちゃんが私は大
好きだったのに。
彼が変わってしまったのはいつからだったっけ。
そうだ、私が中学に入学した辺りだ。
気付くとあまり口を利いてくれなくなり、今まで一緒だった食事も
一人で食べるようになっていた。
急に突き放されて酷く戸惑う。
吾妻夫妻は仕事で忙しいのであまり家に居らず、彼に避けられると
私はまた独りだ。
想像するだけでゾクリと背筋が冷える。
だから無理に付き纏い嫌な顔をされても懲りずにしつこく喋りかけ
ることが多くなったある日、彼は冷たく言い放った。
23
﹁はる、勘違いするな。お前は俺の妹でもなんでもないし、この家
の人間ですらない居候の邪魔者だ。あまり調子に乗るなよ﹂
この台詞は私に衝撃を与えた。
確かにその通りなのだ。
﹃可哀想な子﹄を大義名分としてお兄ちゃんに随分と甘えていた私
はさぞ煩わしかっただろう。
それに気付かず迷惑をかけていたらしい。
この日から私のお兄ちゃんは消えた。いや、始めからそんなの幻だ
ったんだ。
お兄ちゃんだと思っていた人はお世話になっている家の息子さん。
これ以上嫌われてなるものか。
その事を肝に銘じて自身の立場を弁えた行動を心掛けるようにした。
一線引いた私に彼はより一層冷たくなっていく。
たまに憎々しげに睨まれることさえあり、どうしていいのか分から
なくなる。
極力接触しないよう自室に籠るのが精一杯だ。
それでも、私は彼に感謝している。
両親に置いていかれた私を庇護し何不自由ない女の子として過ごさ
せてくれているのは吾妻家だし。
あの時のボロボロの私を救ってくれたのは間違いなく彼の優しさだ
った。
鬱陶しい私でも立ち直るまで我慢して待っていてくれた。
大好きなお兄ちゃんではなくなったけれど、彼が私の恩人だという
ことに変わりはない。
24
幸い両親を亡くした時みたいに孤独が私を支配することはなかった。
確かに家では独りだったけど、今の私には悲しみを癒してくれる彼
氏が居るのだ。
そんな彼とは中学一年生の時から付き合っていて、現在は彼の転校
により遠距離恋愛。
中二ではもう転校して行ったから、実質側に居たのは一年だけ。
ご両親の都合で各地を転々としているのでそれ以来会えていないけ
れど、連絡は毎日欠かしていない。
彼に話を聞いてもらうと不思議と胸が軽くなる。
育ててる花の蕾が開いたり、たまたま見上げた空に虹が出てたりす
ると写メを送ったり。
彼もお昼に食べた物とか綺麗だったり面白い写真をよく送り返して
くれる。
そんな些細なやり取りが私の心を優しく包み込むのだ。
そんな訳で彼のおかげで私は何とか中学時代を、氷河期よりも寒い
吾妻家で乗り切ることが出来た。
しかし問題は高校である。
吾妻夫妻が息子の通う私立へ進学してはどうかと薦めてきたのだ。
実は中学の時もそこの付属を薦められたのだが、学費も入学金も半
端なく高くてすぐに両親の遺産なんて食い潰してしまうほどだ。
そこは吾妻夫妻が出すと仰って下さったが、それほど甘えてしまう
のは気が咎めて結局中学は私立へ行かなかった。
だから高校もどこか適当な公立を選ぶ予定だったのだ。
ましてや邪魔者だとしっかりと釘を刺されてしまった今、一人暮ら
25
しも検討中だったのに。
どうして私は今、その私立で嘗て兄と慕った人のファンクラブ隊長
なんぞやっているんだろう。
嗚呼、本当に馬鹿みたいだ。
悠生さん⋮⋮どうしたの?﹂
きっかけは珍しく彼が私の部屋を訪ねて来た時だ。
﹁あれ?
てっきりお手伝いさんかと思いノックされた扉を開けに行くとそこ
には吾妻が立っており、難しい顔で私を見下ろしていた。
﹁入るぞ﹂
許可も聞かずに勝手にズカズカと私の部屋へ入ってきた。
﹁親父から聞いた。お前高校も公立を考えているそうだな﹂
﹁うん⋮⋮﹂
恐々頷くと元から仏頂面だったのが、眉間に皺が寄り更に不機嫌そ
うになる。
﹁中学も私立を受けなかったのに、いい加減我が儘を止めろ﹂
﹁え?﹂
﹁面倒を見ている子供を公立へ行かせるというのが、どれだけ体裁
が悪いことなのか分からないのか?﹂
﹁あ⋮⋮﹂
26
確かに吾妻ほどの財力がある家で息子だけ私立へ行かせているとな
れば、要らぬ陰口も叩かれそうだ。
お金のことしか考えていなかった私はなんて愚かだろうか。浅慮に
も程がある。
﹁ごめんなさい、私ったらそこらへんの事ちっとも気付かなくて⋮
⋮﹂
﹁分かったのならグダグダ言わずに俺の通う学園に来い。金なら親
父が払う﹂
公立は諦めるにしても吾妻家から通わせて貰うに相応しい学校はそ
こだけではないような気がするのだが、なんだか反論出来そうにな
い雰囲気だ。
﹁俺は来年から生徒会長として何かと忙しくなる。ファンクラブも
ファンクラブ?﹂
出来るしな﹂
﹁え?
﹁ああ。元々結成したいと要望は以前からあったのだが、生徒会に
入ることになり無視が出来なくなった。不本意だがな﹂
ブフッ!
ファンクラブだってぇっ!
口端がピクピクする!
ぎゃははははは、モテモテでファンクラブゥゥゥ!!
﹁そ、そうなんだ﹂
駄目だ声が震える!
堪えろ私の腹筋、今ここで笑っては絶対怒り出すぞ。
内心お腹が捩れるほど大爆笑していたのだが、悟られないように必
死で平常心を保つ努力をする。
27
﹁だからその面倒なファンクラブをはるが纏めろ﹂
﹁は?﹂
笑いの波がピタリと静まる。
私が、何を纏めろって?
﹁えっと、嫌です﹂
ファンクラブなんて冗談じゃない。
そんな恥ずかしい謎の組織なんて無理だ。
ぶんぶん頭を横に振る私に彼は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
﹁お前、誰のお陰で今まで生活出来ていたと思っているんだ。当時
はるを引き取るよう両親に口添えしたのは俺だ。
いいか、これはお願いではなく命令だ﹂
ええっと、脅されているのだろうか。
確かに吾妻家に引き取って貰えたのはありがたいよ。
でもそれを決めたのも実際にお世話になっているのも吾妻夫妻だし。
はぁ、昔はそんな情けないことを言う人じゃなかったのに、どうし
てこんなに変わったんだろう。
多分反抗期だからじゃないかな、と予想はしている。
ご両親はあまり家に居ないから身近に居る私に思春期特有の苛立ち
をぶつけているのだろう。
だからあの時も私に付き纏われて、抑えきれずに﹃居候の邪魔者﹄
なんて言ったんだと思う。
当時は悲しかったが、まぁ言葉を選んでいない本音が漏れただけの
28
事実だから仕方ない。
でもせめて笑顔で挨拶出来るぐらいの関係には戻りたいなぁ。
早く大人になっておくれ。
﹁今後お前は熱狂的なファンクラブ隊長になり、どれだけ自分が俺
に夢中か周囲にアピールしろ﹂
﹁え?﹂
﹁⋮⋮そして俺だけを見て俺だけを愛せ﹂
随分と情熱的な命令に、正気なのかと耳を疑う。
しかし目の前の彼の瞳にいつもの冷たさはなく、熱が浮かんでいる
のが分かる。
﹁ほ、本気で言ってるの?﹂
思わず尋ねる声が震える。
﹁ああ本気だ﹂
肯定の返事を聞き、私は内心で崩れ落ちる。
あああ、本当にどうしてしまったんだ。
を演出したいなんて。
私を脅してまでファンクラブを盛り上げさせたいなんて。
モテモテな俺
そんなことしなくても十分格好いいよ!
恐るべき思春期、恥ずかしいっ!
大丈夫!
でも分かったよ学校に伝説残したいんでしょ。
うん分かる、分かるよ。
誰でも一度はそんな妄想するってクラスの男子言ってた。
モテモテ伝説実行したいんだね。
29
反抗期長いなぁとは思っていたが、まさかそこまで厨二病を拗らせ
てるとは思いもしなかった。
30
5:ファンクラブ
結局私は吾妻の通う学園に入学し、吾妻のファンクラブ隊長を務め
る羽目になった。
彼には大きな恩があるのは確かだしなぁと気軽に考えたのが運の尽
き。気苦労の多い学園生活の幕開けだ。
ファンクラブは部活と同じのような扱いとなっておりイケメンの数
だけ存在する。
画面の中のアイドルに飽き暇を持て余した女子達による、学園を巻
き込んだちょっとした遊びだ。
過去に男子達が可愛い女子生徒のファンクラブを作る動きもあった
そうだが、自分達を棚にあげた女子達の白い目に堪えきれずに解散
してしまったらしく、現在ファンクラブという存在は完全に女の園
と化している。
群れる女は怖い。
それを新参者が取り仕切るのは容易なことではなく、油断するとこ
ちらが喰われてしまう。
一応吾妻の遠縁だという情報は伝わっているらしく、外部からの新
入生である私がファンクラブの隊長になることに表立って反対する
人は居ない。
しかし先輩方の顔には常に不満が浮かんでいた。
だから常に気を張り詰め高飛車に見せている。
31
弱気で行って私の話を聞く人なんていないから。
しかし吾妻の人気は笑えないほどあった。
そりゃこれだけ女の子にキャーキャー言われてたら、妹ヅラした鼻
垂れな私の面倒なんてチャンチャラ可笑しくてみてられないだろう。
納得。
当然ファンクラブの規模も学園一。
過激さも学園一。
もう纏めるのは至難の技だった。
ファンクラブのルールを破り吾妻に独断で接触しようとする者を抑
え、写真を撮ろうとする者を注意し、告白しようとする者を脅しつ
ける。
それがファンクラブ隊長のテンプレ的役割だったから。
任されたからにはやり通さねば気が済まない質である私は、舐めら
れない為にも徹底的にやった。
と、同時に吾妻の要望により熱狂的ファンの女を演じる。
彼が現れれば誰よりも大きな声で騒いで興奮してみせた。
そんな自分の馬鹿馬鹿しい姿にうんざりする。
その対象がお世話になっている家の息子さんなのもしょっぱい過ぎ
るし。
とか言いつつ迫真の演技を続けたのは自分の悪役キャラに酔ってい
たからだと思う。
気付くと完璧に演じ過ぎて私は嫌われ者となっていた。
男子は私を恐れ目も合わせてはくれず、ファンクラブ女子は私の悪
口を考えるのに日々忙しそうだ。
32
そんな入学半年目のある時気付いた。
私ってこの学園に友達居ない⋮⋮⋮。
いや、私の周りには割りといつも人はいるのだが、それはあくまで
ファンクラブのメンバーだ。
活動の指示に報告、短い休み時間も潰れてしまうことが常で今まで
ボッチの実感がなかった。
しかしファンクラブ以外の子はクラス委員の吉田さんを除き近寄っ
てくれない。
吉田さんだってクラスの業務連絡がほとんどだ。
ファンクラブの子からは頼りにされている反面、全然慕われてない。
本当は知ってるんだ⋮⋮⋮みんなでよくカラオケ行ってるの⋮⋮⋮
私呼ばれたことないけどね⋮⋮⋮はぁぁぁぁぁ地味に落ち込むわぁ
ぁぁ。
そのカラオケは先輩主催らしく、同級生のメンバーの子に基本全員
参加なのに何故毎回参加しないのか不思議そうに尋ねられ、その時
わ、私はそんなにお子様じゃなくてよ
そんな稚拙なこと興味なくってよヨホホホ⋮⋮え?
ようやく知った。
カラオケ?
テーマパークも行ったの?
ヨホホホホホと笑って流したが、質問した子が胡乱な目で見てきた
から動揺が漏れていたかもしれない。
その晩ちょっとお風呂で泣いて、そして一気に冷めた。
なんで私こんなことに青春費やしてるんだ。
33
入学半年で友達が居ないってどういうことだ。
友達と帰り道に寄り道もしない高校生活なんて嫌だ。
友達と色んなところを楽しく出掛けてみたいよ⋮⋮。
中学の時の友達は皆高校で楽しくやっている今、私が休日に出掛け
るのなんて精々吾妻に連れ回されるくらいのものとなっていた。
高校生にもなってお家の人とお出掛けって少し恥ずかしいのですが。
何分こちとら思春期なもので。
家族とは認められていないので厳密に言うとお家の人ではないのだ
けれど、昔から一緒に育っており感覚としては似たようなものだ。
学園ではファンクラブ隊長という立場上馴れ馴れしくはしないが、
入学以来吾妻には家ではあまり避けられなくなった。
なんだ私を置いて思春期終了か?
だったら、もうファンクラブ辞めてもいいかな?
そもそもあれだけ驚異的な人気なんだから、私必要なかったよね。
もうあんたは伝説築いてるよオメデトウ。
隊長の座も真剣に吾妻を想う先輩に譲るのが筋だろう。
再び一緒に取れるようになった夕飯の席でそれとなく辞任の旨を伝
ファンクラブを辞めてお友達を作って、ついでに
えたのだが、吾妻の視線は予想以上に冷たかった。
﹁それで⋮⋮?
他の男も作るのか?﹂
キツく睨み付けられた私は身を竦める。
﹃居候の邪魔者﹄と言い捨てたあの時を彷彿とさせる温度に胸の奥
が詰まった。
34
﹁はるはいつだってそうだ。少し目を離すとすぐに⋮⋮⋮お前は嫌
われるぐらいで丁度いいんだよ﹂
﹁なっ⋮⋮⋮﹂
私は絶句した。
嫌われるぐらいで丁度いい?
それって私が嫌われるのを望んでいるってこと?
どんだけ私のこと毛嫌いしてんだこの人。
﹁俺から離れることは許さない。絶対に離してやらねぇ。このまま
ずっと嫌われてろ﹂
どうやら彼はまだまだ反抗期らしい。
私を虐めるのがさぞ楽しいんだとみた。子供だな。
結局私はファンクラブ隊長を続けることになった。
無理に突っぱねることも出来たが、自分を激しく慕っていた筈の隊
長が辞めるって結構吾妻のプライドが傷ついてしまうだろうし。
よく考えればモテモテ伝説台無しだよね。
悲しみの底から掬い上げてくれた当時のことを思えば、どうしても
彼に逆らえない。
心の奥底で昔の彼が戻ってくることを望んでしまうのだ。
だから私は素直に嫌われ者の隊長を演じてきた。
たまにやる気のない態度でいると遠くから睨み付けられたりもする。
そして二年生に進級した春、生徒会全員が転校生に夢中になってい
35
るという噂が学園を駆け巡り、正直嬉しかった。
めでたい恋の到来だもん。応援せずにはいられない。
まぁあのナルシストな俺様が恋でメロメロになるのを想像して面白
がってもいたが。
どこのファンクラブも彼女を激しく嫌っていたので小さな嫌がらせ
も多発し、生徒会の連中はそれを疎ましく思い始めていた。
吾妻も例外ではないようで、ファンクラブはもう不要だとばかりの
態度で転校生にこれ見よがしに迫っていた。
表で悲痛の声を上げ裏で大爆笑したのは言うまでもない。
これだけ転校生に夢中ならばモテモテ伝説にも固執しないだろうし、
吾妻の方から私を切ってくれればプライドも傷付かずに済む。
今度こそファンクラブ脱退出来ると張りきった結果は惨敗。
何故だか首筋に深い噛み跡が付いただけだった。
もういい加減解放してよ。
36
6:会計︵前書き︶
R15タグを追加しました
37
6:会計
噛み付かれた翌日、吾妻に会うのが嫌で朝早く家を出た。
また出会い頭に噛み付かれたら堪らない。
あの理解不能な行動に私は大分引いていた。
どうしよう、吾妻夫妻に相談したほうがいいのだろうか。
息子さん、噛み癖があるようなのでトレーナーを付けて矯正してく
れと言おうか。
それとも私がビターアップルを香水代わりに付けようか。
そんなことをつらつらと考えながらまだ誰も居ない廊下を歩いてい
ると、前から吉田さんが現れた。
﹁あらおはよう吉田さん﹂
﹁あ、嘉川さん⋮⋮⋮﹂
うむ、この苗字呼びが二人の距離を表しているようだ。
今はファンクラブ隊長なんて嫌われ役をやっているから無理だが、
いつかは絵梨菜ちゃんとか呼んでみたいものだ。
﹁朝早いわね。どこか行くの?﹂
何やらソワソワしている吉田さんは私の問いに答えにくそうに視線
を泳がせている。
大変じゃない、急いで行きましょう﹂
﹁その、ちょっと、体調悪いみたいで。保健室に行ってみようかと﹂
﹁体調悪いの!?
38
﹁え!?
ちょ、嘉川さん﹂
こうしちゃおられんと腕を支えるようにして共に保健室へ向かう。
吉田さんは戸惑っているようだが、大丈夫。
まだ朝早いから生徒もあまり居ないだろうし、私と仲良くしてるな
んて思われないよ。
しかしこんな朝早くに養護教諭は来ているだろうか。
せめて保健室の鍵は開いてて貰いたいんだけど。
心配しつつ保健室のドアに手をかけたが、それは簡単に開いた。
が、足を踏み入れて違和感に気づく。
肝心の養護教諭の姿が見えないのだ。
しかし人の気配はしっかりとしている。
というかカーテンが中途半端にしか閉められていない一番奥のベッ
ドから声が聴こえる。
﹁んっ⋮⋮あっ⋮⋮⋮﹂
学校で決して聴こえてきてはいけない甘い声に、吉田さんと二人で
目を見合わせる。
うん、分かってるよ吉田さん。
このまま聴かなかったことにして逃げよう。
そして私が一走り職員室行ってチクって来るから、吉田さんは待機
してて。
すぐにベッドを空けさせるから。
まったく朝っぱらから誰だよ。
そこは病人が使う場所であって、決して男女が乳繰り合う場所では
39
ない。ホテル行きやがれ。
﹁ちょっと待って、ゴム忘れて来ちゃった﹂
﹁んっ⋮⋮私持ってるわよ﹂
﹁いやぁ俺、自分で用意したのしか使いたくないんだ。前穴開けら
れてたことあったからさぁトラウマで。ごめんね﹂
悪
﹁えぇ∼私はそんなことしないわよぉ。子供出来たら困るの自分だ
し﹂
うわぁぁぁ、会話が生々しいわっ!
ここに不純異性交遊してる人達が居ますよぉぉっ!
遠距離歴三年の純粋無垢な女子高生にはキツいよ。
先生ー!
いんだーー!
私が気合いを入れて反転しようとした時、ここで予想外の事が起こ
る。
﹁え、吉田さん?﹂
てっきり私の考えが伝わっているだろうと思っていた吉田さんは、
ピンクの気配のする方へと足を向けたのだ。
焦る私を置いて迷いなく半開きのカーテンを開く。
﹁きゃっ!﹂
そこに居た人物に驚愕。
﹁⋮⋮⋮先生?﹂
40
男子生徒全員の憧れの胸を惜し気なく晒し慌てている養護教諭に唖
然と声をかけた。
まさかの先生⋮⋮はっ、相手は生徒か?
咄嗟にお相手の方に目を向け、再び唖然とする。
﹁会計様⋮⋮⋮﹂
ベッドに居たのは生徒会一、頭も下半身も緩そうな会計であった。
染めているのであろう明るい茶髪を無造作に流し、耳には何個もピ
アスが光り首にはピアスと同じブランドのシルバーネックレスがチ
ャラリと揺れる。
絵に描いたようなセクシー養護教諭のお相手にこれほどピタリと嵌
まる相手も居ないだろうと納得。
いや、ここはイモいニキビ面の童貞男子の方が定番かな?
なんてことはどうでもいい。
会計、メチャクチャ私のこと睨んでる。
﹁なんでお前がここに⋮⋮⋮﹂
駄目だ。多分昨日の転校生のことも含めて完全に怒ってる。
基本生徒会の連中は私のこと嫌っているしね。
先生の方はブラウスのボタンを止めるのに忙しいらしい。
﹁ごめんなさい。声がしたので﹂
いつもヘラヘラと掴み所なく笑っているはずの会計の怒り顔に、吉
41
体調悪いのにこの状態の会計の相手をさせるわ
田さんがおずおずと小さい声で喋りかける。
はっ吉田さんっ!
けにはいかない。
﹁彼女、体調が悪いんです。申し訳ありませんが、そういう事は他
所でやって欲しいものです﹂
毅然とした態度で言い放つと、会計の表情は更に険しくなる。
うっ、恐い⋮⋮けど間違ったことは言ってない。負けるな私。
一瞬弱気になった私に気付いたのか、吉田さんが一歩前に出る。
﹁あの、こういうこと、良くないと思います⋮⋮﹂
﹁そうです。保健室は公共の場です。非常識です﹂
大きく頷き援護射撃すると、吉田さんにチラリと横目で見られた。
それって、良くないです﹂
﹁そうじゃなくて、会計さん⋮⋮他の女の子達ともこういうことし
てますよね?
あ、そっち?
そりゃあ転校生を好きだと公言してるのに先生と朝っぱらからしけ
こんでいるのは頂けないけど、問題は会計より先生だと思うよ。
だって生徒と職場でセックスって普通にクビだよ。淫行条例的なこ
とは考えてた?何やってんのイイ大人が。
私には分かります。あんまり役
吉田さんは会計しか見ていないが、先生の顔色はかなり悪い。不味
い自覚はあるらしい。
﹁でも何か訳があるんですよね?
に立たないと思いますが、良かったら悩みとか聞かせて下さい﹂
42
穏やかな笑みを湛える吉田さん。
やっぱり彼女は優しいなぁ。
私なんて会計の下半身事情なんて心底どうでもいいもん。
せいぜい性病には気を付けろよってアドバイスしか出来ないよ。
﹁ナニソレ⋮⋮笑える﹂
ヘラリと緩い、しかし凍えるような冷たさを持つ笑顔の会計。
﹁よくもそんなことが言えるよね﹂
コンニャロ吉田さんの親切をっ!
と思ったが、何故だか会計の視線は私でロックオンされていた。
うわっ!?
ちょ、えええ﹂
﹁だったら相手してよ﹂
﹁え?
突然手を取られ会計に引っ張られる。
離しやがって下さいぃ!
離して下さい!﹂
足を踏ん張るが思いの外力が強く意味はない。
﹁会計様!?
本当に離れない。くっそぉ!
手取り足取りさ﹂
グイグイ引っ張られ、ポカンとしている吉田さんと先生を残してと
うとう保健室を出てしまった。
﹁悩み相談してくれるんだろ?
抵抗する私を鼻で笑う会計。
いや違うっす!
43
それ言ったの私じゃないよぉぉぉ!!
44
7:お悩み
連れて来られたのは空き教室。
壁際まで追い詰められ逃げられそうにない。
﹁あのさぁ、俺あんたのこと前から嫌いだったんだよねぇ﹂
﹁はぁ﹂
嫌い宣言されても曖昧に頷くことしか出来ない。
﹁イチカへの暴言、会長は許したみたいだけど俺はまだ許せてない
から﹂
﹁はぁ﹂
あなたに許して貰う必要はないと思う。
許す権利があるのは彼女だけ、私が土下座すべきなのも彼女だけ。
とは口には出さない、この人面倒そうだし。
無理です﹂
﹁だからさぁ会長にしたみたいに、俺にもご奉仕して許しを求めて
みてよ﹂
﹁はぁ⋮⋮⋮って、いやいや!
拒否するの?﹂
適当に打ってしまった相槌を慌てて否定する。
﹁⋮⋮なに?
普段は甘く垂れ下がっている目尻が吊り上がる。
それと同時に会計の手が私の首、いや首元の髪を持ち上げる。
45
﹁会長とはするくせに?
そんな噛み跡付けてさぁ﹂
結構薄まっていたから髪で隠しておけば大丈夫かと
うっすらと残る噛み跡が露になり会計の目がすぅっと細められる。
ぎゃぁぁぁ!
思ってたのに、目敏すぎるでしょ。
﹁会長、お仕置きって言ってたもんね。よっぽど激しかったんだぁ。
それでよく俺に貞操観念とか諭せるよねぇ。案外自分だって会長じ
ゃなくても良かったりして?﹂
﹁違っ、誤解ですっ!﹂
色々異議アリ!!
まず吾妻とそういう関係を誤解するのは本気で勘弁して欲しい。
想像するだけで居た堪れないというか物凄く微妙な気分になるから。
そして貞操観念説いたのは私じゃありません。
あなたの貞操とか興味ないです。
病気や使いすぎで腐り落ちようが私には関係ないし。
つーか私が今すぐもぎ取って廃棄処分してやろうかコンニャロがぁ
ぁぁ!!
はっ、イケナイイケナイ。私はファンクラブ隊長を務めるイケメン
に夢見る乙女だった。
﹁んだよ誤解って!﹂
思考漏れてた?
もぎ取るは言い過ぎたよ。そんなに怒んな
私が自分を落ち着かせている隙に何やら会計が激昂していた。
え?
いでよ。
﹁会長一筋とか言いたいのかよ。お前なんかオモチャにされてるだ
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けだろ?
てぇ﹂
なのに浮かれてファンクラブ隊長とかしちゃって馬鹿み
なんだこの人、何言っているんだ?
だから違うってば!
やだ、ちょ、ひぃっ!﹂
抗議の声を上げようとした時、目の前に影が掛かる。
﹁っ!?
急に抱き付いてきた会計。
しかも人の首に顔を埋めて噛み跡があるだろう場所を中心に、ねっ
とりと舌を這わせている。
うわぁぁぁキモいぃぃ!!
全身に鳥肌が立った。
会計の唾液で濡れる首筋に﹁はぁ⋮⋮﹂という艶やかな声と共に吐
き出された吐息が掛かった瞬間、一気に焦りがきた。
このままじゃ、犯される。
﹁嫌だっ離せっ!﹂
﹁っ⋮⋮⋮﹂
このレイプ魔がっ離しやがれっ!
ただしイケメンに限んないからっ!
私は力の有らん限り暴れる。
すると意外にもすんなりと拘束は解け会計と離れることに成功。
クソッ!
なんでだよっ!﹂
それと同時にドンッと大きな音が響いた。
﹁クソッ!
47
会計は一人で悔しがり壁を激しく叩いていた。
意味分かんねぇ﹂
そして、唖然としたまま動けないでいた私に向かいキツい視線をや
る。
﹁なんなんだよお前っ!
いえ、それは凄まじくこちらの台詞なんですが。
今がチャンスだ。
反論しようか迷っている間に、会計は座り込んで俯いてしまった。
よっしゃ!
良く分からないが今の内にずらかろうと足音を極力立てずに扉を目
指す。
抜き足差し足忍び足っと。
﹁俺さぁ﹂
︱︱︱ビクッ
逃げようとしているのを気付かれたのかと肩を跳ねさせたが、会計
は未だ俯いたまま長い前髪をクシャリと掻き乱していた。
よし、大丈夫。早く脱出しよう。
﹁さっき先生とヤろうとして、勃たなかったんだよ⋮⋮⋮﹂
﹁え!?﹂
しまった。あまりに予想外な言葉に反応しちゃった。
いや、でも聞き間違いだよね?
私相手ならともかく、あのセクシーの塊みたいな先生相手で勃たな
いとかないよね?
48
﹁もう一年もあの調子で誰ともヤれてなかったんだ。でも諦め悪く
たまに試してみたりしてさ、笑えるだろ?﹂
いやいやいやいや笑えないから!
先程までの激昂はどこへやら。
すっかり萎れて自嘲している。
じゃあ私が入学した時からの会計の武勇伝は全部デマだったの?
会計のファンクラブ隊長にベッドの中でのことをメチャクチャ自慢
されてたんだけども。
いや、それよりこの歳でED⋮⋮⋮可哀想に。
使いすぎどころか使えないなんて。
廃棄処分なんて言ってごめんようぅぅぅっ。
あんなにヘラヘラした頭の悪そうな笑顔の裏にこんな闇を隠してい
たとは。
私は大いに同情した。辛さは分からないが、さぞ苦しんだことだろ
う。
今私に出来ることは一つだ。
﹁病院、行きましたか?﹂
今まで逃げようとしていたことなど忘れ、会計の元まで戻り肩をポ
ンと叩く。
だって勃たないってことは、私の時も試してみただけでしょ?
それはそれで若干腹も立つが、本気で襲いかかられるより許せる。
それよりも嫌いな私に恐らくトップシークレットあろう秘密を打ち
明けてくれたことが、少し嬉しかったりする。
うん、誰にも言わないよ。あたしゃ口は固い女さ。
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﹁まだなら行きましょう﹂
大丈夫。恥ずかしいことじゃないよ。
吉田さんの優しい微笑みを意識しながらグッと親指を立てる。
﹁いや、でも⋮⋮朝とかは普通に⋮⋮それに⋮⋮⋮﹂
困惑気味に私を見上げ呟いた後、ボンッと音が出るかと思うほど一
気に顔が赤くなった。
人の首筋舐めといて朝立ちくらいで恥ずかしがるなんて今更だろ。
﹁うーん、私も全然詳しくはないけど、心因的なことが原因じゃな
いんですか?﹂
﹁し、心因的?﹂
﹁心と下半身は深い繋がりがあるって何かで読んだことがある気が
します﹂
あ、でも読んだの女性誌の猥談特集の記事だったかも。当てになん
ないかな?
﹁心⋮⋮⋮こころ⋮⋮⋮﹂
何かを探るように反芻しながら胸あたりを押さえる会計。
ジィッと真っ直ぐこちらを見つめてくるかと思えば、すぐに目を伏
せ悩ましげに息を吐いた。
うん、悩んでるなぁ。
ところでそろそろ去っても宜しいかしら。
私に出来ることはもうないし。
50
普通に親しくない男女でする話でもないし。
﹁会計様、悩んでないで病院!ですよ。では失礼します﹂
﹁あ⋮⋮﹂
まだ何か言いたそうにしていたが、そのまま放置していた私は知ら
ない。会計の呟きを。
﹁でもこの症状、初めてあんたに会った時からだし、あんたにはち
ゃんと反応するんだけど⋮⋮⋮﹂
51
8:アピール
吉田さんを放置してしまっているので、再び保健室へと足を向ける。
もう結構生徒達が登校し始めている。
保健室で寝てなくて大丈夫なの?﹂
急ごうと足を速めたのだが、途中でばったり吉田さん本人と出会し
た。
﹁吉田さん?
﹁ああ、うん﹂
なんだか投げやりな言い方だ。
まだ体調悪いのかな。本当に大丈夫だろうか。
べ、別に、どうもなってないよ。何も聞いてないよ。
﹁それよりさっき会計さんと、どうなったの?﹂
﹁えっ!?
何も知らないよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮﹂
こればかりは吉田さんでも言えねぇな。
まさか会計がインp⋮⋮いや、もう言うまい。多くの人が苦しんで
いるデリケートな話だから弄ってはいけない。
私のポーカーフェイスが利いているらしい。
吉田さんがそれ以上つっこんで来ることはなかったが表情は険しい。
保健室へ送り返さなくていいだろうか。
それともあの状況の養護教諭と二人きりは気まずいので無理してい
るのかもしれない。
52
﹁吉田さん、私も付いて行くから保健室に⋮⋮﹂
﹁しつこいわね大丈夫だって言ってるでしょ!﹂
珍しく苛立ったように叫んだ後、ハッと気付き周囲を見回す吉田さ
ん。
幸いこちらに注目している生徒はいない。
ああ、そっか。人目もあるし私に近寄って欲しくないよね。ごめん。
しかし配慮が足りなかったとはいえ、やはり落ち込むなぁ。今夜も
風呂で一人泣きかも。メンタルもっと鍛えなきゃな。
﹁はるちゃん!﹂
なんとも気まずくなってしまった雰囲気を突如打ち破る声が響いた。
﹁やっと見つけた。捜してたんだ﹂
バックに花を散らしながら小走りで可憐にやって来たのは転校生だ。
気になっちゃって﹂
少し息を切らしながらもにこりと愛らしい笑顔を私へと向ける。
今私に喋りかけてる?
﹁昨日あれから帰っちゃったでしょ?
え?
さっきはるちゃんって呼んだ?
半信半疑の私を、目の前の美少女はしっかりと見据えていた。
﹁あの、イチカちゃん?﹂
どう対応したものかと戸惑う私に代わり、吉田さんが控え目に転校
53
生へと声をかける。
﹁私って地味だから覚えてないかもしれないけど、あなたのクラス
の委員長をしているの﹂
ああ。転校生と一緒のクラスだったんだ。
吉田さんとは去年同じクラスだったけど、その時も委員長してたな。
きっと真面目なんだろう。
転校生は私から吉田さんへと視線を移し不思議そうに小首を傾げる。
吉田絵梨菜さんでしょ?﹂
そうだよ。今まで機会がなくて話しかけられなかった
﹁知ってるよ?
﹁うんっ!
けど、分からないことがあったら何でも訊いてね﹂
﹁ありがとう吉田さん﹂
吉田さんはやはり優しい。
イケメンを侍らす転校生は女子達の間で私といい勝負の鼻つまみ者
なのに。
﹁良かったら絵梨奈って呼んでよイチカちゃん﹂
え、いいなぁ。
私は彼女からそんなこと言われたことないよ。ずっと吉田さん呼び
さ。
吉田さんに笑みを向けられている転校生に羨望の眼差しを送ってし
まう。
しかし意外にも転校生は首を横に振った。
﹁ごめんなさい。女の子は好きな子しか、下の名前で呼ばないって
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決めてるんだ﹂
﹁え⋮⋮⋮﹂
吉田さんの笑顔とこの場の空気がピキリと固まる。
えっと、それってどうなんだろう。
名前なんて減るもんじゃなし、呼べばいいと思うんだけど。私なら
喜んで連呼しちゃうのに。
何か深いポリシーでもあるのかな。
でもそれじゃあ恐ろしい女子社会は生き抜けないよ。
だから鼻つまみ者なのさ。ああ同志よ。
﹁それじゃあ、はるちゃんとちょっと話があるから。また教室でね。
ちょっと!?﹂
行こ、はるちゃん﹂
﹁え!?
突然腕を掴まれ転校生に引っ張られてしまう。
ふんわりした容姿とは裏腹に意外と力強く、またしても吉田さんを
どいつもこいつも強引過ぎるよ!
残して空き教室へと連行されてしまった。
まったく!
とは思うのだが、転校生には色々と迷惑をかけているので強くは言
えない立場だ。
﹁えぇっと、何かしら?﹂
昨日の報復だろうか。
あれだけ酷いことを言ったので甘んじて受けるつもりではいるが、
分かっていても少し怖い。
﹁さっきも言った通り、昨日のことなんだけど﹂
55
ああ、やっぱり。
スラリとしたモデル体型で、身長が高いとは言えない自分を見下ろ
すその顔からは、いつものホワホワした癒しの雰囲気は感じられな
い。
どこか責めるような冷たい表情に覚悟を決めた。
だが彼女の口から飛び出したのは私への罵倒ではなく意表を突かれ
るものであった。
あの後会長さんと何かあっ
まさか乱暴とかされてないよね?﹂
﹁昨日、会長さんと車で帰ったよね?
た?
﹁え、ええ﹂
迫力に圧されて思わず頷いてしまうが、転校生の目が据わっており
恐ろしい。
﹁会長さんに脅されてるとかじゃないよね﹂
﹁え、ええ﹂
﹁嘘じゃないよね、それ﹂
﹁ええ﹂
心の内を覗こうとしているような懐疑の目で見つめられ、必死に頷
くとようやく転校生から笑顔が戻った。
﹁そっか、良かった安心した﹂
安心したのはこっちだよ。
気が抜けて安堵に肩を下ろすと、転校生の顔が近付き至近距離から
囁かれる。
56
﹁でも、嘘だったら、許さないから﹂
ヒィッ目が笑ってない。
ただの美少女かと思っていたけど、なんか恐いよこの人!
失礼なこと言わない
もう尻尾巻いて逃げ出したいが、このままでは私のキャラが崩壊し
てしまう。
私は学園一厳しいファンクラブ隊長なんだ。
美少女にビビってどうする。
自分を奮い立たせた。
﹁会長様がそのようなことするわけないわ!
で!﹂
﹁⋮⋮⋮はるちゃんは会長さんのファンクラブ隊長なんだよね?
ここは一肌脱ぎますか。
なんでファンクラブなんかに入ったの?﹂
よし!
この子吾妻のことばかり訊くな。
もしや脈ありなんじゃ?
そうだとすれば凄いよ吾妻!
﹁だって会長様はとっても素敵ですもの。成績優秀で運動神経抜群
な文武両道に加え、完璧な容姿。何よりあの吾妻家のご子息でいら
っしゃるなんて、女子ならみんな憧れるわ﹂
さりげなく吾妻アピール作戦に食いついてきた。
﹁⋮⋮⋮彼のこと、好きなの?﹂
おお!
転校生の目はやたらと真剣だ。
﹁勿論私も憧れているわ。だって会長様は男らしくて自分を持って
いらっしゃって﹂
57
まぁつまり俺様自己中ってやつだけど、ものは言いようだし。
よしよし、もっと褒めるぞ。
﹁えーと、暴れん坊な将軍様より流し目が痺れて、ファッションセ
ンスがよくて、えーとえーっと、背が高くて足が長くて気前が良い
ですもの!﹂
ふぅ、疲れた。
吾妻は完璧人間だと思ってたけど、いざこうして長所を並べようと
恋愛感情はないの?﹂
すると結構難しいものだ。
﹁憧れているだけ?
うるうるした瞳で見つめられて少し息がつまる。
難しいところなんだよなぁ、そのへん。
恋愛感情はあることにしておいた方がいいだろうけど、それは私の
精神衛生に悪い。
﹁そのようなおこがましいこと、考えた事ないわ﹂
﹁そっか﹂
よし、吾妻への盲目さが上手く表現出来た。
転校生も私の回答に満足したらしく、愛らしい笑顔が戻ってきた。
﹁はるちゃんが会長さんを好きじゃなくて良かった﹂
私のことをライバルだと思ったのだろうか?
あなたに敵う女子なんてほぼ居ないよ大丈夫。
58
﹁ずっとはるちゃんと仲良くしてみたかったんだ。友達になってく
れるかな?﹂
昨日あれだけ酷いことを言ったのに?
なんて良い子だろ
照れくさそうに頬を染める転校生は、もう兵器かと思うほど可愛い。
友達?
うか。
こんな可愛くて性格の良い子と友達⋮⋮カラオケとテーマパークで
はしゃいでみたい。放課後に寄り道してみたい。しかし︱︱︱︱
﹁無理よ。あなたは私達の敵なのよ、仲良くなんて出来ない﹂
あああ、そんな悲しい顔しないでおくれっ!
あなたと友達になったら、イケメン共とファンクラブメンバー全員
から袋叩きになる。
弱い私をどうか許して下さい。
﹁⋮⋮⋮でも、昨日は少し言い過ぎたと反省してるわ。ごめんなさ
い﹂
上から目線ですみません。
ツンデレってことでどうか一つ許してやって下さい。
こんな私の自己満足な謝罪に、転校生は儚く微笑んで言った。
﹁そんなこと、いいの。はるちゃんになら何をされても、嬉しいん
だから﹂
⋮⋮⋮ドM?
59
60
9:副隊長
結局曖昧に笑って誤魔化し転校生の元を逃げ出した。
このままあの場へ残っていたら、色々と未知なる世界へと誘われそ
うだ。
再び置いてきてしまった吉田さんは大丈夫だろうか、でもあまり関
わってもまた迷惑に思われてしまうかも。
躊躇している間に朝の予鈴が鳴ってしまい、そのまま自分の教室へ
戻ることになった。
放課後、ファンクラブの報告会の日なので部室へと向かった。
年間に半端ない施設費を要求するこの学園の施設は確かに立派で、
部室一つとっても綺麗で広いミーティングルームのようだ。
はぁ、報告会嫌だな。先輩達恐いんだもん。
こちらも負けず劣らず虚勢を張っているが、元々あまり押しの強い
方ではないのでたまに圧倒されてしまう。
ホームルームが長引いたせいで、少し時間に遅れてしまった。
実際の重さよりも重く感じる扉を押すと、やはり既に全員揃ってい
た。
報告会に下っ端は参加出来ないので必然的に先輩達ばかりになって
しまい、居心地が悪いことこの上ない。
﹁遅れてごめんなさい、さぁ始めましょうか﹂
61
入った途端に浴びる全員からの視線に身震いしつつ、高飛車な口調
で入室する。
そして上座に当たる自分の席へ向かい、足を止めた。
部外者がどうして居るのかしら?﹂
そこにはもう、人が座っていたからだ。
﹁あら?
足を組んで本来の私の席である場所に座っていたのは、会長ファン
クラブの副隊長を務める三年生の先輩だ。
彼女はプライドが高く傲慢でもろに私とキャラが被ってしまってい
るが、ご実家は名家らしく華やかな容姿も相俟って今までそのキャ
ラが許されてきた。
だから自分より上の立場にいる私の存在は我慢ならないのだろう。
私はこの学校の嫌われ者だけど、副隊長より私に憎悪を向ける人間
は居ないと言い切れる。
ああ、元・隊長だったわね﹂
彼女は意地の悪い笑みを浮かべて言う。
﹁それで隊長、何かご用?
﹁⋮⋮元?﹂
﹁そうよ。あなたの居場所はここにはもうないわ。今はあなたに代
わってこの私が隊長ですの﹂
馬鹿にしたような、勝ち誇ったような表情の副隊長。
それとも困惑?
うーん。
美しい顔立ちなのに、なんだか不細工に見えるからその顔止めた方
がいいのに。
しかし反応に困る。
この場合怒ればいいの?
62
ここは、冷静だけど怒り心頭って感じでいこう。
﹁そんな事、この私が認めるわけないでしょ?﹂
そりゃあ代わって貰えるなら嬉しいけどね。
でも私のお世話になっている家の息子さんが煩いからさ。
世の中って中々上手く行かないものだ。
まぁ知ってたけど
﹁そう言っても、もう私が隊長ということで話は付いたわ。ねぇ皆
さん?﹂
副隊長が周囲を見渡すと、全員が同時に頷く。
いや、全員って⋮⋮私どんだけ嫌われてんの?
さ⋮⋮。
﹁理由は何?﹂
私が尋ねると副隊長の歪んだ笑みはより強くなる。
それ不細工だから止めときなってば。
﹁あなたが転校生への制裁失敗で、生徒会の皆様に連行されたと噂
が広まっているのよ﹂
ああ、だからなんか今日いつもより他人の視線が多かったのか。
ネギでも歯に挟まっているのかと思って何度か確認しちゃったよ。
﹁当然ファンクラブは辞めさせられたんでしょ?﹂
わくわくしていたところ申し訳ない。
非常に残念な事に違います。
63
会長様がお許しになるわけがないわ!﹂
﹁確かに生徒会室へは呼ばれたけど、注意されただけです。なんの
そんなの嘘よ!
処分もなかったわ﹂
﹁っ!?
副隊長を始めとし、他の隊員達からもザワザワと動揺の声が広がる。
ああ、もしかしてこの人達始めからソレが目的で私を転校生の元へ
けしかけたのかな。
私が制裁に成功するも良し、失敗に終わっても隊長から引きずり落
とせる。
つまりこの人達にとってはどちらに転んでもいい事だらけ。
可愛い顔してやるな。
怒りよりもただ感心した。そしてやっぱり今日はお風呂で泣こう、
うん。
﹁今更そんな見え透いた嘘はみっともなくてよ﹂
狼狽えていた副隊長だったが、すぐに気丈さを取り戻して笑ってみ
せる。
﹁これから会長様に隊長就任の挨拶へ行くわ。どうせならあなたも
一緒に来て現実を受け止めなさい﹂
椅子から立ち上がり悠然と歩き始めた副隊長。
有無を言わさぬ様子にこちらも仕方なく後ろに続く。
吾妻に余計なことを言われては堪らないしね。
まだビターアップル手に入れてないんだ。
64
﹁失礼します﹂
副隊長と肩を並べ二日連続の生徒会室へと入室する。
運が悪い事に生徒会メンバー全員は揃っていた。
キラキラしい集団に私は目が潰れそうだが、副隊長の目は輝く。
そんな私達を見るなり顔をしかめる生徒会メンバー。
それが見えていないのか、隣の副隊長は生徒会連中の視線が自分に
向けられるのが嬉しいらしく、やや顔が赤い。
ここまであからさまに嫌がられているのに気にしないでいられるな
はるちゃん!﹂
んて、実に羨ましい根性をしてらっしゃる。
﹁あれ?
麗しい声の発信元を確認した私と副隊長は顔を曇らせる。
何故か生徒会室に転校生が遊びに来ていた。
興奮状態だった副隊長は見事なクールダウンっぷりだ。
私は副隊長とは違う意味でクールダウン。
朝の転校生とのやり取りを思い出して緊張が走る。
彼女とは仲良く出来ないし、プライベートで罵ってあげることも出
来ない。
一緒にお茶飲も﹂
彼女は私を見るなり嬉しそうに顔を綻ばせる。
﹁はるちゃんも遊びに来たの?
ヒィィはるちゃんと呼ばないで。
なつかないでおくれ。
副隊長の怪訝そうな目が痛い。
65
﹁イチカ、そんな奴らの近くに居ては危ないです。こちらにおいで﹂
副隊長の目が私から反れて王子様な副会長に釘付けだ。
私達を睨みつけながら守るように転校生を自分の方へ引き寄せる副
会長。
助かった。
﹁ここはあなた達が来る所ではありません。一体なんの用ですか?﹂
﹁実は会長様にご報告があって伺いました﹂
副会長の嫌悪の表情が見えないのか、頬を染め嬉しそうに喋る副隊
長。
会長のファンクラブなのに良いんだろうか。
﹁なんだ?﹂
尋ねながらも私を睨む吾妻。
多分私ごときに朝から避けられたのが面白くないんだろう。
ヤバいな。昨日も辞める辞めないで揉めたのに、この状態で三回目
の辞める発言なんかしたらどうなるんだ私。
最悪首の肉喰い千切られるかもしれない、死んじゃうよ。
﹁この度、嘉川さんに代わってこの私が隊長に就任しました。どう
ぞ、よろしくお願い致します会長様﹂
私の心境を全く考慮してくれない副隊長は科を作り可愛らしく宣言
した。
66
﹁はぁぁ!?
何それ聞いてないんだけど!?﹂
何故だか会計が副隊長の言葉に反応し、自分のデスクから立ち上が
って大声で驚く。
なんで全く関係のないあなたが喰いつくの?
謎過ぎるが今は会計に構っていられない。
これでもかって程鋭くなった吾妻の眼力に戦々恐々で口を開く。
﹁違うのです会長様。私は辞めるつもりはないのですが、皆さんが
私はファンクラブを辞めさせられたと誤解なさって⋮⋮﹂
我が身可愛さに必死の弁解。
吾妻は何も言わなかったけれど、切れ長の目を細め探るように私を
見る。
一気に不安と緊張が体に駆け巡った。
首の肉持っていかないでっ!
67
10:下、ガラ空き
﹁まぁ確かにこんな者より隣の生徒の方が、ファンクラブの隊長に
は相応しいとは思いますね﹂
私達を見比べて納得したように頷く王子な副会長。
目が合うと汚いものを眺めるように鼻に皺を寄せられる。
いつかそのお綺麗な顔に一発入れてみたいな。
﹁はいっ!﹂
先程から立ち続けている会計が、大きく手を挙げた。
﹁そんなに生徒会のファンクラブでいたいのなら俺のとこに入れば
いいんじゃない?﹂
彼の言葉はさっぱり理解出来ない。
何故そうなる。
そして会計のファンクラブなんて絶対嫌だ。あそこの隊長は話長い
んだよ。
何をそこまで必死なのか、体を前のめりにして目を輝かせている会
計。
とりあえず座ればいいのに。
﹁ふぁぁ⋮⋮﹂
68
普段からあまり喋らないワンコな書記は退屈そうに欠伸している。
のんきそうで羨ましい、是非とも立場を代わって頂きたいものだ。
﹁はるちゃん⋮⋮﹂
心配そうな転校生の声。
本当に良い子だ。
しかし今はそれらに構っている暇はない。
だってずっと首の肉を狙う獰猛な視線に晒されているのだから。
﹁本当に違うのです、どうか私を信じて下さい﹂
吾妻に必死に訴えれば、視線は漸く私から離れ隣の副隊長に移動し
た。
喜びと期待の色を強くする副隊長。
﹁隊長交代の話は認められない﹂
吾妻はそれだけ言うと、手元にあった書類にまた目を向けた。
良かった。どうやら今回は吾妻の怒りには触れなかったみたいだ。
安心したのも束の間、屈辱的とばかりに副隊長が吠える。
﹁一体なぜですの!?﹂
はるちゃんにはファンクラブなんて似合わ
怒れる彼女の言葉に反応したのは又しても吾妻ではなかった。
﹁そうだよ、なんで?
69
ないと思うんだけど﹂
﹁会長、無理しなくてもいいよ。この人は俺が引き受けるってば﹂
転入生はまだしも会計、あなたは何なのでしょうか。
話がややこしくなるから少し黙っていて欲しい。
﹁こんな何の取り柄も子より、私の方がずっと綺麗で魅力的で身分
も相応しいですわ!﹂
あらやだ自分で言ったよこの人。
しかし本人の目の前でビシッと指まで差して言わなくても良かろう
に。
﹁﹁そうそう!!﹂﹂
おい、声を揃えて頷くな転校生と会計。泣くぞこの野郎。
副隊長の援護をするを二人を見て、副会長と書記は頭にクエスチョ
ンマークを飛ばしている。
﹁それに私には他のメンバー全員からの後押しもありますわ﹂
鏡見て鏡!
転校生達のせいで勢い付いた副隊長は、自信満々に鼻の穴を膨らま
せて更に吾妻に詰め寄っている。
ちょ、小鼻がピクピクしてるよ副隊長!
しかしこれはチャンスではなかろうか。
こんなに気合い十分な先輩が隊長をやった方がファンクラブも盛り
上がるってものだ。
吾妻もこれを機に隊長の座を再考してはくれないだろうか。
70
吾妻はよりモテモテ、副隊長も嬉しい、私も解放される。
これってウィンウィンどころか三方良しのいい事尽くしだ。
頭の中でその計算が弾き出された瞬間、私は猛烈に副隊長を応援し
た。勿論心の中で。
﹁それに、私ならこんな貧相な身体より会長様をご満足させる自信
もあるわ﹂
頑張れ副隊長!
妖艶な笑みを吾妻に向ける副隊長。
イケイケー!
でも私と吾妻との関係を邪推しないでおくれ、気色悪いわ。
そうだー!
一生仲良くやってろバカヤロ
﹁私はこんな子なんかより、ずっと会長様に相応しいです﹂
イエー!
会長様に相応しいのはあなただー!
ー!
心の中で全身全霊で副隊長にエール?を送っている時だった。
﹁⋮⋮相応しい、か﹂
愉快そうに喉を鳴らす吾妻。
あ、ヤバい。
あんな風に笑う時は大抵機嫌が最悪だ。
転校生よりもこんな子よりも私が貴方の隣に居るべ
それを知らない副隊長は同意を得たと思ったのかより一層熱が入る。
﹁そうです!
きです!﹂
71
﹁実に不愉快だ﹂
﹁え?﹂
キラキラした目で喋っていた副隊長だったが、吾妻の冷たい一言で
固まる。
﹁この俺がお前に相応しいなど、侮辱もいいところだ﹂
何その俺様発言プププ⋮とか言える雰囲気じゃない。
ブリザードで生徒会室の温度が5℃は下がってしまっている。
﹁っ、でもこれは隊員達の希望です!﹂
﹁黙れ﹂
副隊長はそれでも必死に食い下がるが、吾妻の絶対零度の声に口を
噤んでしまった。
﹁ソレの行動にお前らが決定権を持っているとでも?﹂
﹃ソレ﹄と顎で指されたのは私で。
胃にチクチクとした痛みが広がる。
﹁ソレの全ては俺に権限がある﹂
地を這うような声と底知れぬ怒りを灯した目は、副隊長のみならず
その場の全員を震え上がらせる。
なんでこの人はこうも私を所有物扱いするのだろう。
それは凄く不快なことなのに、否定することが戸惑われるのは何故
か。
72
この人に完全に見捨てられれば、私の記憶の中の
って居なくなってしまう気がするからだ。
私はもう大切なものを失いたくない。
嗚呼、胃が痛い。
吾妻が席をゆっくりと立つ。
お兄ちゃん
誰もが息を詰める中、聴こえるのは彼が歩く足音だけ。
その音は私の前⋮⋮いや、隣の副隊長の前でピタリと止んだ。
﹁ヒッ⋮⋮﹂
だ
小さくなっている副隊長の肩に吾妻が手を置くと、思わずといった
様子で悲鳴が漏れる。
吾妻の凍てつく睨みにカタカタ震える様はあまりに哀れだったが、
助ける事なんて到底出来そうにない。
吾妻は縄張りを侵す敵を威嚇するかのごとく唸るように言った。
﹁俺のモノに勝手するな﹂
﹁っ⋮⋮⋮﹂
﹁俺は︱︱︱︱﹂
蒼白な副隊長の耳元で何かを囁くと、そのまま彼女の肩を軽く突き
放す。
大した衝撃ではなかった筈だが、副隊長は恐怖のあまりか放心状態
で大きくよろめいた。
吾妻はその様子にフンと鼻を鳴らすと、背を向けて自分のデスクへ
と戻り始めた。
73
﹁出ていけ。二度とその不愉快な面を俺に見せるな﹂
その言葉に彼女はフラフラと魂が抜けたような覚束ない足取りで生
徒会室を静かに後にした。
副隊長を放っておくことが出来ず、私も彼女を追いかける為に慌て
て生徒会室を出る。
転入生や会計の何か言いたげな視線や、副会長や書記の訳が分から
ないといった困惑の目を気にする余裕はなかった。
只々吾妻の視線が纏わりつくのを背中で感じて冷や汗をかくばかり
だ。
それを振り払うように廊下を走る。
顔色、悪いですよ?﹂
ノロノロと歩く副隊長にはすぐに追いついた。
﹁大丈夫ですか?
副隊長は紙のように顔が真っ白で、目の焦点は合っていない。
先程までの強気な態度が嘘のような燃え尽きた姿に心配は募る。
﹁さっき会長様の言った言葉なら気にしなくて大丈夫ですよ。きっ
と会長様も本気ではないし、すぐにお忘れになるでしょう﹂
私はてっきり二度と顔を見せるな、と言われたのがショックだった
のだと思った。
だが違った。
副隊長は感情を写さない仄暗い瞳を私に向けながら言った。
﹁⋮⋮なんであんたなの?﹂
﹁え?﹂
74
﹁なんで私じゃなくてあんたが愛されるのよ?﹂
だ、大丈夫ですか!?﹂
少し吊り上がった自慢の大きな瞳からパラパラと涙が降って来た。
﹁え?
急に泣かれてもどうしていいのか分からない。
あんたが本当は会長
狼狽えてオロオロしながら彼女に差し出す為のハンカチをポケット
から探る。
﹁⋮⋮絶対私の方が会長様を愛してるのに!
様のことを何とも想っていないこと知ってるんだから!﹂
﹁っ!?﹂
思わず息を呑む。
まさかバレていたとは思わなかった。
副隊長は本気で吾妻が好きなのだろう。自分とは同じでない私の感
情なんてバレバレな程に。
だから、あんなに私を嫌っていたのか。
好きでもないのに自分を差し置いてファンクラブの隊長になるのは
なんで会長様は⋮⋮あんたなんか、大っ嫌い
許し難かったのかもしれない。ごめんなさい先輩。
﹁なのに、なんで?
!!﹂
副隊長が手を振り上げるのが分かり反射的に両手で庇う。
罪悪感はあるが、大人しく暴力を食らう義理はない。
副隊長が悔しげに唇を噛み締めたのを見て、なんとか上手く防げた
と安堵した瞬間だった。
75
︱︱︱ズドン
﹁っっっ!!﹂
グヌオオォォォ!!
声にならぬ痛みにその場に踞り悶絶する。なんと副隊長は私の太股
にローキックをかましてきたのだ。
角度スピード重さ共に完璧。
お手本のようなローキックだった。
オィィィィ!
上をガードしてあるからって女子がローキックはないでしょ!
悶え苦しむ私を余所に、副隊長は泣きながら走り去って行った。
おいコラ待てぇぇぇ!!
内股でナヨナヨ走る奴が男らしいローキックかますなぁぁ!!
私の叫びは音には成らず、副隊長の姿は視界から消えてしまった。
76
11:ちゃんと三次元
しばらく太股の痛みに悶えて動けないでいると、向こうから足音が
聴こえてきた。
不味い、こんな所で情けなく踞っている姿なんてファンクラブ隊長
のイメージとかけ離れている。
しかしそうは言ってもまだ立ち直りそうにない太股を抱えての素早
い逃亡は難しく、足音は段々と大きくなる。
もういいや、顔隠してよう。
踞ったまま視線を地面へと向け、相手が去るのを待った。
﹁おい、大丈夫か!?﹂
しかし相手は私の側まで来ると焦ったように声をかけてきた。
うむ、抜かった。そりゃ具合が悪そうに見えるよね。
﹁大丈夫です。ご心配なく﹂
助けになるぞ﹂
だからスルーして立ち去ってください。
﹁どうしたんだ?
ああ、この人親切だわ。ありがとうございます。
でも私のことなんて気にしなくていいです、頼むどっか行って。
﹁体調が悪いのではないのか?﹂
77
いや、太股が痛いんだよ。でも段々薄れてきて今なら歩けそうだ。
別にファンクラブ隊長が廊下で踞って何が悪い。もう見つかっても
いいや。
面倒だし急いでこの場を去ろう。
そう決意して地面に向けていた顔をガバリと上げ、立ち上がる。
﹁⋮⋮嘉川か?﹂
このまま逃げてしまおうと方向転換した矢先、心配してくれた人に
名を呼ばれ思わずそちらを見てしまう。
﹁あ、風紀委員長様⋮⋮⋮﹂
きりりと整った眉にスッキリ通った鼻筋と引き締まった口元という
また悪巧みじゃないだろうな?﹂
男らしい美貌と、ガッシリとした鍛え抜かれた肉体美を兼ね揃えた
一人の男。
三年の風紀委員長が居た。
﹁こんな所で何をしている?
精悍な顔を歪めて私を睨み付けている。
ちなみに風紀委員とファンクラブとの仲は最悪で、特に私は彼に嫌
われている。
まぁ理由は色々あるが、一つは私が風紀に迷惑をかける諸悪の根源
だからだろう。
この学園は生徒の自主性を重んじる目的で各行事や生徒間のことは
ほぼ生徒会で進めており、彼らには多くの権限が与えられている。
78
その際、生徒会が暴走してしまわぬよう見張っているのが風紀委員
の仕事でもあり、この学園で唯一生徒会と渡り合える。
また学園の治安維持にも日々精を出しており、毎回騒ぎを起こすフ
ァンクラブは彼らの頭痛の種だったりする。
その親玉である私は問題児ブラックリストNo.1だろう。
会えばいつも冷たい眼差しと嫌味を一つ二つくれたりする。
﹁いえ、躓いて足を痛めていただけです﹂
しかし私はこの風紀委員長を嫌いではない。
寧ろ格好いいので好きだ。勿論、遠距離中の彼氏とは別の憧れの意
味でだが。
彼は厳しさの中に誠実さを持っている一本筋の通った人で、一般生
徒だろうがファンクラブだろうが生徒会だろうが、誰にでも公平だ。
いつも特別視されている生徒会に対して毅然とした態度で接する様
子はなんだか小気味良く好感が持てる。
そんな人が私だけ嫌うということは、余程ファンクラブが迷惑をか
仕方ない、見せてみろ﹂
けているのだろうと逆にいつも申し訳なくなってしまう。
﹁足を痛めただと?
嫌そうに盛大に顔をしかめた後、廊下に肩膝を付き私の足首へと手
を伸ばした。
嫌いな相手にも親切な対応がやはり男前だ。
﹁いえ、足首ではなく痛めたのは太股です﹂
確かに足を痛めたとなれば普通足首を連想してしまうだろう。
79
風紀委員長の手が足首に触れる前に否定して自分で痛めた太股を見
る。
﹁ああ、やっぱり赤くなってる。これアザになるかなぁ﹂
スカートを少し捲ったところにあった箇所を覗き独り言を呟く私。
そこでふと、目に入る。
未だ跪いたまま私の方を見上げて、信じられないといった様子で固
まっている風紀委員長の存在に。
しまった。
男子が跪いた体勢で下に居るのにスカート捲るとかはしたないよね。
﹁お、お見苦しいものをお見せしました。痛めた所は平気そうです。
じゃあ、ありがとうございました﹂
迂闊さへの羞恥で赤く染まった頬を隠す為、早口に捲し立てその場
から逃げる。
まだ少し痛む足をそれでもせかせか動かしている最中にチラリと後
ろを振り返れば、まだ風紀委員長はそのままの体勢で固まっていた。
パンツは見えてなかったと思うんだけど、そんなにショッキングな
映像だっただろうか。
迎えの車に乗ってどうにか学園を後に出来た。
それにしても今日は色々あって疲れた。
しかし今から日舞の稽古が待っている。
ちなみに明日はフランス語教室の日だ。本当に疲れる。
でもこれは吾妻夫人からの勧めで、きっと将来役に立つからと説得
80
され断わることが出来なかった。
その他は茶道も習わせて貰っており、最近では中国語とドイツ語も
勉強中でなかなか忙しい。
漸く自室で一息吐いた時には既に日付が回っていたが私の心は弾ん
でいる。
この生活で唯一の癒しタイムだ。
﹃やあ、はるちゃん﹄
ヘッドセットを付けパソコンの前に座ると大好きな彼が画面の中で
微笑んでいる。
言っておくが二次元の彼氏ではなく、遠距離中のちゃんとした三次
元の恋人である。
﹁昨日は連絡せずにごめんね。疲れてたみたいでそのまま寝ちゃっ
てて﹂
昨日は吾妻に噛まれた後、あまりの衝撃に色々動揺してさっさと眠
りに就いてしまい、恋人を放置してしまっていた。
もう三年も直接会っていない彼。
黒ぶちの大きな眼鏡を掛け、前髪は鬱陶しいほど伸び目にかかり顔
半分はよく見えない。そのせいでどこか根暗そうだ。
相変わらずのダサさだが、そこがまた良い。
ヒョロリと細く頼りない体型で昔から冴えない彼だったけど、私に
はどんなイケメンよりも輝いて見える。
だって彼の温かさを知っているから。
彼が居なければ未だに私は深い底に沈んだままだったろう。
81
﹃心配したけど顔見てやっと安心出来たよ。最近忙しそうだし無理
しないでね﹄
とか思ってすみません。浮気だめ、
ううぅっ優しい言葉が染みる。
風紀委員長キャッ格好いい!
反省します。
でも私は転校生と違いマゾじゃないので風紀委員長を好きになるこ
とはないから許しておくれ。
﹁うん、ありがとう。でもカズ君こそ最近忙しそうだよね。体調気
を付けてね﹂
﹁うん気を付ける﹂
口が弧を描き笑っていることを示す。
新種の生物のようで可愛い。
悶えそうになるのを抑え、色々たわいない話題で盛り上がる。
その中で先輩にヤキを入れられローキックを喰らった話も面白おか
しくしてみたが、カズ君はそれに笑うことなく逆に怒ってくれた。
私が吾妻のファンクラブに入っているのは秘密なので状況を詳しく
は話せなかったのだが、何はともあれ私が傷付いた事が許せないと
言う。
やはりカズ君が一番素敵だ。
私が吾妻に邪険にされて落ち込んでいる時、支えてくれたカズ君は
吾妻の存在を良く思っていない。
だからファンクラブに入ったなんて口が裂けても言えず、それが物
凄く後ろめたかったりする。
言えないような秘密を恋人に作ってしまうのは苦しい。
82
でもカズ君には知られたくない、あんな情けない姿。ごめんカズ君。
お兄ちゃん
お兄ちゃ
に執着する。
こんな思いまでして吾妻の言うことなんか聞かなくていいのではな
いかといつも葛藤する。
だけどカズ君が居て尚、私は
はまだきっとどこかに残っている筈だから。
お母さんとお父さんはある日突然消えたけれど、優しい
ん
翌日、学校へ行くと副隊長がファンクラブを辞めていた。
他のメンバーからの制止も聞かなかったそうだ。
せめて理由をと訊ねたメンバーに対して副隊長は﹃嘉川さんに、負
けたのよ。そう、完敗よ﹄と薄く笑って木枯らし吹くなか颯爽と去
ったものだからさぁ大変。
その話は瞬く間に学園内に広がり、私は︽隊長の座を奪われそうに
なったが逆に返り討ちにした︾生徒会長ファンクラブ隊長として、
またしても悪名を轟かせた。
ちなみにローキックの場所はうっすら青アザが出来ていた。
⋮⋮もうなんか本当に疲れる。
83
12:スズキ屋の息子さん
私が副隊長を追い出した話は退屈な学園生活には、なかなかにセン
セーショナルな出来事だったらしく好奇と畏怖の視線が絶えない。
トイレですっきりさせた後もキリッとした顔をしていなければなら
ないなんて、表情筋は持つだろうか。
昼には完全に疲れ果てた私は、どこか一人で昼食が取れる場所を探
す。
しかしいい場所が見つからない。
人が来ない所って、大抵ジメジメして暗い。
もしそんな所に私が居るのを目撃されれば、怪しげな黒魔術でもや
っていたと噂されかねないだろう。
色々思案したところ、一昨日転校生を呼び出した校舎裏の花壇を思
い出す。
あの花壇は生徒が自由に何か植えていいスペースなのだが、土いじ
りが趣味の生徒は誰も居ないらしくお情け程度にポツポツ地味な花
が咲いているだけだ。
代わりに学園の門を潜ると、庭園といって差し支えなく整えられた
四季折々の美しい花々が出迎えてくれるので見向きもされていない
ようだ。
あそこならば誰も居ないだろう。
喜び勇んで向かったそこは案の定誰も居らず、地味な花達もお日様
を浴びて気持ちよさげに日向ぼっこしている。
うん、なんだか味があって良い場所だ。
84
パンを取りだし花壇に腰掛けて食べた。
まぁ本当は生徒会は食堂で食べるのでそれに合わせてファンクラブ
も普通食堂へ行くのだが、たまにはサボったっていいじゃないか。
漸くお腹も落ち着きぽかぽか陽気が気持ち良くて微睡んでいた時、
ポケットの携帯が震え始めた。
画面に表示される名を見た瞬間、眠気が一気に吹っ飛んだ。
﹃もしもしはるちゃん?﹄
﹁うん、どうしたのカズくん﹂
﹃いや、特に用事はないんだけどさ。今何してるのかなぁって気に
なって﹄
昼間に彼から電話が来るのは珍しく嬉しさに顔が綻ぶ。
﹁今はねぇ外でご飯食べてる﹂
﹃そうなんだ。でもいつもは食堂で食べてるって言ってなかったっ
け?﹄
﹁今日は天気いいからね。ピクニックみたいで気晴らしにいいよ﹂
﹃へー⋮⋮誰かと一緒に食べてるの?﹄
ギクッ。一人寂しくボッチ飯だけど、嫌われ者だから昼を食べる相
手が居ないなんて言いたくないなぁ。
﹁いや、一人で食べてるよ。ほら、たまには静かに心を落ち着けた
いっていうか﹂
﹃一人なんだ、良かった。誰か男と一緒だったらどうしようかと思
って心配しちゃった﹄
あー、そっちか。良かった良かった。
それなら大丈夫、男子どころか女子すら寄ってきてくれないんだか
85
ら。
自分で言って悲しくなるが事実だ受け止めよう。
﹃はるちゃんは可愛いからね。いつも僕は気が気じゃないよ﹄
グホッ⋮⋮鼻血でそうだ。
なんで彼はこんなに甘い言葉をさらりと吐けるのだ。
普通の男子高校生の口から出るには照れるだろう言葉をサラリと言
ってのけるので、こちらの方が照れてしまう。
でも物凄く嬉しい。
うわっヤバい凄い嬉しい。僕もはるちゃん以外なんて
﹁だ、大丈夫だよ。私がカズ君以外を好きになるわけないし﹂
﹃本当!?
考えられない。はるちゃんだけを永遠に愛すよ。はるちゃんは?﹄
﹁私もカズ君をあ、愛してるよ﹂
第三者が聞けばトイレのスリッパで後頭部をフルスイングされても
文句を言えないようなクソ甘い会話。
うわー愛してるとか言っちゃったよ!
嬉し恥ずかしやっぱり嬉しい。
しばらくこの甘い雰囲気のまま会話は続き、もうどうやって表情筋
を引き締めていたのか思い出せそうにない。
﹃じゃあまた夜に﹄
﹁うん、待ってるね﹂
名残惜しくも電話を切る。
あー幸せだったなぁ。
だが幸せとはいつまでも続かないもの。
86
まだだらけている表情のまま教室に戻るべく方向転換をして、表情
筋はビキリと固まった。
﹁え⋮⋮⋮?﹂
そこには大きく目を見開き信じられないものを見た直後のような、
驚愕の面持ちでこちらを凝視する。
﹁ふ、副会長様?﹂
えぇぇぇ!?
なぜあなたがこんな所にぃぃぃ!?
いや、待って。
そもそも一昨日この花壇に転校生を呼び出したのは、ここが王子様
な副会長の散歩コースだからではなかったっけ?
うわぁぁ私の馬鹿っ!
いや待って、まだ電話の内容を聴かれていたとは限らないし。
﹁えっと⋮⋮いつから、そこに?﹂
言って下さい!
微かな望みを込め、固まったまま動かない副会長に尋ねた。
今来たところ、と言って!
私の質問でハッと意識を取り戻した副会長。
﹁電話を始めた時からです﹂
クソっ、全部聞かれてたか。
ああ⋮⋮外でカズ君と電話するなんて不用心過ぎた。
副会長はまだ若干呆けていたが、次第に眉間にシワが寄って来る。
87
﹁たまたまアナタを見かけて、また何か企んでいるのではと思いコ
ッソリ見張っていたのですが⋮⋮驚きですね﹂
よりにもよって副会長に聴かれるなんて最悪だ。恥ずかしくて穴に
入りたい。
﹁その﹃カズ君﹄というのは恋人ですか?﹂
そうだよ恋人だよ。しかも優しくてゲロ甘なんだぞ。イケメンじゃ
ないけど可愛いんだ。どうだ羨ましいだろ。
と自慢したかったが口にはしない。トイレスリッパ装備されちゃう
よ。
取りあえず様子見だ。
﹁まさか会長の他にも相手が居るとは﹂
私が返事をせずとも副会長は自分で言って自分で納得したようで、
ちょっと待って!
会長の他にもって、吾妻とはそんなんじ
顎に手を当ててフムフムと知ったような口振りだ。
え?
ゃないよ。
この人も変な誤解してたのか。
﹁会長に一途だというところだけが貴女の唯一マシな部分だと思っ
ていましたが、それすらも違ったとは。貴女はどれだけ腐った人間
なのですか?﹂
副会長は呆けから完全に脱出したらしく、いつもの蔑んだ目と辛辣
な言葉を容赦なく浴びせてくる。
この人のこういう嫌味にはもう慣れたけれど、今回は心外だ。
88
カズ君への一途さなら誰にも負けないと自負しているのに、それを
いくら勘違いでも咎められたくはない。
でもまぁ副会長は私にとってどうでもいい人間だ。
だから彼に自分がどう思われようがどうでもいいし、カズ君への想
いを分かって貰おうとも思わない。
一体なんの事を仰っているのですかぁ?﹂
よって私は決めた。
﹁えぇ?
完全にとぼけちゃおっと。
どうでもいい人の相手なんてする必要なし。もう誤解しとけばいい。
と言い出しそうなブリブリした口調。
﹁私はただ、友人とふざけて会話していただけですよぉ?﹂
キャプー?
多分鏡の前で同じ事を言えば、鏡を粉々にしてしまう自信がある程
今の自分はキモいだろう。
副会長様と二人きりなんて、と
キャプー?﹂
そんな私に副会長の顔も不快さを露わにしている。
﹁まさかごまかす気ですか?﹂
﹁ごまかすって何をですかぁ?
あ、言っちゃった。まぁいいや。
﹁じゃあ私は教室に戻りますね?
っても光栄でしたぁ。キャハ!
めしちゃうと他の子達に怒られちゃうので、これで失礼
本当はもっともっとお喋りていたいのですが、素敵な副会長様を私
が独り占
しまーす﹂
89
逃げるが勝ちってやつ。
一方的にまくし立ててその場を去った。
90
13:鼻血ブー
その場を去った。
去ったのだが、まだ副会長は納得していなかったようだ。
﹁ちょっと待ちなさい﹂
待ちません。
遠くから響く副会長の声に聴こえない振りを貫き、黙々と足を動か
す。
大体放っておけばいいじゃん、不快な奴の事なんてさ。
関わったって余計に不快になるだけでしょ。
物好きもいたもんだ、なんて呑気なことを考えている時だった。
ガッ、と肩を掴まれる。
﹁あれ?﹂
どうされたんですか?﹂
振り向けば肩で息をする副会長。
﹁副会長様?
追いかけて来ていたのか。てっきり諦めたと思った。
﹁ハァ、ハァ、待ちなさいと言っているでしょう!!﹂
だから待ちませんって言ったでしょう、心の中で。
91
﹁まだ話は終わっていません!﹂
怒りからか走った為か、顔を赤くさせながら私に怒鳴りつける副会
長。
一体なんのお話ですかぁ?
キャプー?﹂
明らかに純日本人ではないだろう白い肌は赤く染まりやすいらしい。
﹁お話?
る。
一度とぼけると決めたならば最後まで徹底しなきゃいけない。
あえて相手を苛立たせる口調で首を捻
副会長は見事に苛々した様子で脚で地面をトントンと鳴らす。
私が副会長なら確実に殴っているだろうに、意外と我慢強い。
﹁まだとぼける気なのですね。本当のクズだ﹂
とぼけるとかの前に、あなたにはなんの関係もないでしょうが。
私の方も少し苛立つ。
何故ならここは人通りも普通にある外。
運良く誰もいないけれど、もし誰かに見られればヤバい。
副会長のファンクラブはキャンキャン五月蝿いからなぁ。
その五月蝿さったら、辞めた副隊長並み。
もう副隊長だか副会長だか知らないけどさ、めんどくさい。
副ってのは面倒くさい奴がなるって決まってるのかな?
﹁こうなれば、こちらにも考えがあります﹂
だーかーらー、私が二股していようがいまいがあなたには全っ然関
92
係ないでしょ!?
そもそも二股なんかしないし、しかも相手が吾妻なんて絶対ないし。
早くどっか行ってよ!
と、私のイライラも募ったところに更なる打撃。
﹁会長にこの事を報告します﹂
吾妻にカズ君のことを報告?
嫌な予感しかしない。あーもー面倒くさいなぁ。
カズ君のことは吾妻には話していない。
普通に恋愛話が出来る間柄ではないし、絶対嫌味を言われるに決ま
っている。
私のことはまぁ、お世話になっている家の息子さんなんだから何を
言われても笑って受け止められるが、カズ君の悪口なんか言われた
日には言い返してしまいそうだから。
だから困るんだよなぁカズ君のこと喋られるとさ。
﹁会長に報告して貴女をクビにしてもらいます﹂
だからその話題は吾妻にはタブーなんだってば。
そんなに私の首を噛み千切られるのを見たいのか。
﹁えっと、それは、止めてくれると嬉しいです﹂
悪そうな表情の副会長に遠慮がちに頼むが、お綺麗な彼の顔は更に
意地悪そうに歪む。
﹁いいえ。もう決めました。こんな悪事、見逃せませんね﹂
93
あああ、本当にうざいこの人。
全然関係ないくせにさ。私あなたに何かしましたっけ?
副会長はハーフらしく色素の薄い瞳と髪。
それと整った顔面が夢物語の王子様を彷彿とさせるのだが、性格は
神経質で辛辣。
そのギャップがいいらしいんだけど私にはさっぱり理解出来ない。
いくら顔が綺麗でも性格最悪なら魅力なんてない。
今だって王子様とは言い難い表情だし。
なんかこの人イラッと来るんだよね。
あー苛々する⋮⋮⋮落ち着け私。
私はアナタのファン
というニュアンスの含んだ私の質問
﹁なぜそこまで私を辞めさせたいのですか?
クラブではありませんが?﹂
暗にお前には関係ないだろ?
を、副会長は馬鹿にしたように鼻で笑った。
﹁イチカが妙に貴女の事を気に入っているからですよ。まったく何
がいいのか理解しかねますが、このまま生徒会の周りをウロウロさ
れたのでは邪魔で仕方ないんです﹂
イチカって転入生、だよね。
転入生と私の接点を消したいが為に吾妻にチクるっていうの?
イチカ?
何?
﹁もう自分から転校生に近付く気はありません。会長様には知られ
たくないんです。お願いします﹂
最後の希望のつもりで副会長に頭を下げる。
しかし彼は蔑んだ目で見下ろしてくるばかり。
94
﹁それならば最初から浮気なんかしなければ良かったでしょう。そ
んな人間にイチカの側に居て欲しくないですね﹂
﹁⋮⋮⋮あーもういいや﹂
﹁ん?﹂
ポソリと呟きを漏らすと副会長が首を捻る。
別にどうしても吾妻に秘密にしてほしい訳でもないし、彼氏持ちで
隊長失格の烙印押されてクビになれば儲けもんだし。
代わりに私の首は持ってかれるかもしれないけどね!
苛々がピークだった。
いいんですね、このまま会長に報
今副会長の側に居るのが馬鹿馬鹿しくて仕方ない。
もうこの人は無視しておこう。
そうと決めて再び歩き始めた。
﹁まだ話は終わってませんよ!
告しても﹂
﹁はいはい。もうそれでいいです﹂
やけくそになった私は未だ喚く副会長を軽くあしらい目も合わせず
歩き続ける。
﹁待ちなさい!﹂
もう良いって言ってるでしょ、まだ用事!?
だから待ちませんっ!
しつこいわっ!
腕を掴まれ、私は堪えきれずにそれを乱暴に払った。
﹁浮気なんかじゃないってば、この馬鹿王子がっ!﹂
95
ガッ︱︱︱︱︱
﹁ギャフンッッ!!?﹂
やってしまった。
振り払った拍子に運悪く副会長の顔に肘鉄を食らわしてしまい、鼻
血が吹き出た彼は更に運悪くよろめいて滑って転んで気に頭を打ち
付け⋮⋮⋮完全に伸びてしまった。
これって、私のせい⋮⋮だよね?
王子様が、鼻血ブーで、倒れている。
え?
ど、ど、ど、ど、どーしよー!!
96
14:クレーマー
︵鼻︶血の海でピクリとも動かない副会長。そして呆然と佇む会長
ファンクラブ隊長の私。
一体何曜日のサスペンスだ。
このあまりにもよろしくない状況を誰かに見られては一貫の終わり
だ。
落ち着くんだ。
どーしよどーしよどーしよ!
いや待て待つんだ私!
頭を抱えて震えるだけでは事態は好転しない。ここは冷静に対処し
なくては。
奮起した私は勇ましく副会長の元へ進み、鼻血を所持していたティ
ッシュを全て使い取りあえず拭う。
ふむ、麗しの王子様が戻ってきた。
それではスコップを探そうか。
丁度この櫻の木の下なんて深い穴が掘れそうだし。
よし、来年は今年より更に綺麗な桜が咲くだろう。副会長よ永遠な
れ。南無。
﹁う⋮⋮⋮﹂
﹁ハッ!﹂
副会長の遺体の処分について恐ろしいことを考え始めたが、ここで
副会長がピクリと身じろぎ小さく呻き声を上げたことにより正気を
97
取り戻す。
そうだ、まずしなければならないのは介抱だった。
見たところ副会長はまだ目を覚ましたわけではなさそうで、苦しそ
うに眉間に皺を寄せたまま眠っている。
後頭部にはでっかいタンコブが出来てしまっており、肘鉄食らわせ
た鼻も若干赤くなっている。
このタンコブと鼻は冷やした方がいいだろう。
幸い保健室はここからかなり近く、急いで氷を取りに駆け込む。
残念ながら保健室に先生は居なかった。また誰かとしけこんでにい
るのかと思ってしまうのは私の性格が悪いのか彼女の自業自得か。
とにかく不在ならば仕方ない。
氷をビニールに詰めてもと来た道をダッシュ。
まだ伸びていた副会長を肩で息をしながら眺め、ふと不安が私の心
を掠める。
目覚めた時の報復が怖すぎる。
この人なら天下を得たとばかりに暴行問題として取り立てて私を吊
し上げるくらいはしそうだ。
良くて停学、悪くて退学⋮⋮⋮このまま放置しちゃダメ?
何はともあれ果たしてどこまでしらを切り通せるかが問題だ。ああ
面倒なことになった。
この時悪魔が優しく囁いた。
この人いっそ目覚めなければイイノニ⋮⋮⋮ハッいやいやダメだっ
て私っ!
眠っている副会長のたんこぶに氷を乗せつつ、脳裏にチラつく﹃完
全犯罪﹄の文字を必死に打ち消しながら私は悩んだ。
98
﹁うーん⋮⋮⋮ん、あれ?﹂
そんなこんなとしている内に目覚めてしまった副会長。
私は一体⋮⋮あっ、貴女!﹂
ああ、もう一度頭殴ったら記憶飛ばないかなぁ。
﹁ここは?
その表情は
副会長は戸惑ってキョロキョロと視線を周囲に巡らせていたが、立
ち竦んでいた私を見つけるとガバッと起き上がった。
明らかに警戒態勢だ。
私の方も仕方なく腹を括る事にした。
こんな事になったのならもう仕方ない。
﹁私をこんな所に連れて来て、一体なんの目的ですか!?﹂
威嚇しているのだが恐怖が瞳に表れており、まるで警戒心の強い子
猫のようだ。
そんな彼を宥めるように優しく微笑む。
﹁目的なんて、そんなものありませんよ﹂
﹁ひぃ!﹂
更に怯えて涙目になってしまった、なんでだ。
そんなに恐がる事ないのに失礼極まりない。
そりゃ、ちょっと危ない事が一瞬脳裏に浮かんだのは認めるけどさ。
大丈夫、私は悪魔に打ち勝ったのだから。さぁこの天使の笑顔で安
心なさいウフフフフ。
一歩近づくと一歩分後ずさる副会長。
99
そんな彼の正面までズカズカ向かうと、その場に正座した。
暴行を働いてしまい申し訳あり
行動の意味が分からない副会長はポカンと私の顔を見つめる。
た﹂
﹁その⋮⋮故意でないとはいえ、
ませんでし
﹁⋮⋮へ?﹂
素直に謝るしかもう打つ手はない。
ぺこりと頭を下げた私の後頭部に向けて気の抜けた声が飛び出す。
恐る恐る顔を上げて副会長を窺うと綺麗な色の瞳を丸くさせ驚いて
いた。
副会長が正気を取り戻すのを待つべく、しばし見つめ合う形となっ
た私達。
数秒すると彼はハッと意識を取り戻し、何かを振り払うように大き
く頭を左右しいつものように目を吊り上げた。
﹁そ、そうですね。この私にあのような暴力、許されない事です﹂
顎を上げてフンッと鼻息を吐き出す副会長。
﹁最初から分かっていましたとも、貴女がとんでもない狂暴女だと
いうことは。そもそも私を気絶させて一体なにをしようとしていた
のやら。狂暴性に加え、破廉恥で狡猾な人間であることは言うまで
もなく︱︱︱﹂
一度喋り始めた副会長の口は止まることを知らない。
こんにゃろ、気絶している間にエム字開脚させて写メっときゃよか
った。
﹁頭を打たれたので一応病院で見て貰った方がよろしいかと思いま
100
す﹂
長い戯れ事を完全スルーしつつ会話を進める。
私は会長のように甘く
加害者な私の気まずげな態度に気を良くしたらしく、副会長の顎は
更に上を向く。
﹁まぁ、ただで済むと思わない事ですね。
ないですから。必ず隊長辞任に追い込んでやりますよ﹂
﹁はぁそうですか。それよりもう少し頭に氷乗っけてた方がいいで
すよ﹂
起き上がった拍子に落ちてしまった氷の入ったビニール袋を拾い副
会長に差し出す。
せっかく取りに走ったのだからもう少し使ってよ。
私は本気ですよ﹂
相手にしない私が気に入らないらしく、その氷を見ながら副会長の
眉間に皺が寄る。
﹁冗談だと思っているのですか?
﹁はいはいそうでしょうとも。ほら、どうぞ﹂
受け取らない氷を強制的に頭の上にポンと乗っけてあげる。
そのコブ本当にでかい、さぞや痛かろう。ほれ、冷やしなさい。
親切にグイグイとコブに氷を押し付けてあげると、副会長から呻き
声のようなものが漏れた。
それに少し胸をスッとさせながら話を進める。
﹁私自身はファンクラブを辞めてもいいと思っています。しかし諸
ふん、どうせ会長と離れるのが惜しいだけでしょう。
事情というものがありまして﹂
﹁諸事情?
この二股淫乱女が﹂
101
ぶちん、と本日二度目の堪忍袋の緒が切れる音がした。
﹁今すぐ黙らないと副会長様の麗しい肛門に私の卑しい右腕を突っ
込んでその綺麗に並んだ奥歯をガタガタ鳴らして美しいハーモニー
を奏でてもいいんですよ﹂
﹁ひぃぃぃぃ﹂
ネイルに行ったばかりの鋭く整備された右手をシャキッと突き出せ
ば、副会長から恐怖の悲鳴が漏れる。
こんな清純派美少女を捕まえて二股淫乱女とは、許すまじバカ王子。
大体私なんでこんなに必死にキャラ死守してるんだっけ?
いや、この人のケツの穴に手ぶちこもうとしてる時点であまり守れ
てないけどさ。
考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなってきた。もうどうにでもなれ。
﹁そもそもですね、会長様が許しませんよ。だって私を強引に隊長
どういうことですか?﹂
に据えてるのは会長様なんだから﹂
﹁は?
しっかり手で尻を押さえながら首を傾げる副会長。
﹁こっちだって辞めれるもんなら、こんな馬鹿みたいなこと速攻で
辞めてるって﹂
﹁え?﹂
いつもならば心の中でぼそりと呟く愚痴が口の外へ零れ出る。
その愚痴に耳を疑う、とでもいうように聞き返す副会長。
﹁私が会長様の遠い親戚だということは知っていますか?﹂
102
﹁え、ええまぁ﹂
﹁実は私と会長様⋮⋮というか悠生さんは同じ家で暮らしています﹂
﹁!?﹂
﹁身寄りのなかった私を引き取って下さった家のご子息である悠生
さんに密かに頼まれ、現在ファンクラブの隊長をしているんです﹂
副会長は私から寄越される情報を脳内で慌ただしく解析しているら
しく、深く考え込んでいる。
﹁それに彼には個人的にも大きな恩があるんです。だから辞めるな
んて言えません。本当は一般男子高校生のファンクラブなんて恥ず
かしくてやってられないのですがね﹂
﹁ちょっと待ってください下さい。仮に百歩譲ってその話が本当だ
とすると、会長はなんの目的で貴女にそんなことを?﹂
﹁それは⋮⋮ほらまぁ、色々と、ねぇ?﹂
まさか彼は未だに脳内中学二年ですなんて、生徒会の仲間に言える
わけがない。私が喰い殺されてまうわ。
ヤケクソ気味だった私だが、理性がそこはストップをかけた。まだ
死にたくはないもん。
言葉を濁す私に副会長は深い溜め息を吐いた。
﹁そんなデタラメ信じるわけないでしょう﹂
﹁でも小さい頃から一緒だった悠生さんをそんな対象として本当に
見たことはないです。かつては兄のように慕っていたんですから﹂
何も考えず吾妻を兄と呼ぶ幼い日の自分、そして両親の死まで遡っ
て記憶が甦り苦い気持ちが広がる。
呆れ気味に何か反論しようとしていた副会長だが、私の表情を見て
口を嗣ぐんだ。
103
﹁私が好きなのはカズ君だけです。彼以外なんて考えられません。
この気持ちだけは疑われたくないんです﹂
真っ直ぐに副会長を見据えて訴える。
いつだってこの苦い気持ちから救ってくれるのはカズ君だ。
私の真剣な視線に怯んだ様子の副会長は戸惑ったように口を開く。
﹁⋮⋮本当、なんですか?﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮本当に会長のことはなんとも?﹂
と首を傾げたくなるほど必死の形相で私に確認を
﹁はい、なんとも﹂
何をそんなに?
取る副会長。
﹁⋮⋮貴女のあれは演技だったんですか?﹂
﹁紅天女はアタイのモンさ﹂
﹁⋮⋮?﹂
立てた親指を自分の方へ向け胸を張るが、副会長は漫画を読まない
らしい。反応がイマイチでつまらない。
﹁⋮⋮保身に走った詭弁ではなく?﹂
﹁白馬は馬ですとも﹂
﹁⋮⋮会長はただの親戚で恋人は先程の電話の相手だと?﹂
﹁そうです。ラブラブで羨ましいだろう、トイレスリッパ装備した
くなっただろう﹂
﹁⋮⋮では、私はこれからどうすればいいのですか?﹂
﹁ん?﹂
104
しつこい副会長の確認に適当な返答をしていたが、訳の分からない
質問が飛んできた。
﹁私のイチカへの気持ちはどうなるのです?﹂
﹁いや、知らんがな﹂
105
15:錯乱状態
﹁私はイチカを愛しています。出逢った瞬間からあの子は私の心を
捕らえて離さない﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
﹁不思議とイチカの側に居なくてはいけない、という気持ちにさせ
られるのです﹂
﹁さいですか⋮⋮﹂
﹁イチカは美しいし可愛いし、性格も気さくで話しやすい。とても
親しみの持てる素敵な女性で̶̶̶﹂
﹁へー、ほー、ひー、ふーん﹂
転校生への止む気配のない惚気に、もうなんか相槌を打つのも面倒
になってきた。
﹁そう、私はイチカを愛しているんだ⋮⋮しかし﹂
ここで一瞬言葉を止め、小さなため息を吐き出した副会長。
﹁たまに分からなくなる。自分の本当の気持ちが﹂
悲しげに目を伏せると見せかけて、まつ毛が長いことを主張してい
る副会長に私は首を傾げる。
﹁どういうことですか?﹂
﹁今の自分に違和感を感じるんです。イチカと目が合うと口が勝手
に動いて甘い美辞麗句を柄にもなく囁いているし、脳が麻痺したよ
うに痺れる﹂
106
﹁はぁ、つまり副会長様は転校生への恋の病でおかしくなる自分が
怖い、と。ご馳走様ですもうお腹一杯です勘弁して下さい﹂
いい加減にしないと私がトイレスリッパ装備するぞ。
そうじゃなくて、もっとこう⋮⋮自分の意識とは
呆れて半目になる私に副会長は必死で頭を横に振る。
﹁違うんです!
関係なく身体が動いてしまうというか﹂
﹁なんですかそれ。転校生が惚れ薬でもあなたに飲ませたとか?﹂
思わず笑うと副会長は慌てて否定した。
﹁この現象をイチカが故意に起こしているとは思っていません。し
かし自分ではどうすることも出来ない不思議な力が働いているとし
か思えないんです。まるで決められたシナリオ通りに動かされてい
るような⋮⋮そう、物語の登場人物のように﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁何を訳の分からないことを言っているんだと笑われますね⋮⋮﹂
﹁そんなことありません﹂
悔し気に歯を食いしばり俯く副会長に、私はきっぱりと首を横に振
り言い放つ。
﹁私はその話信じますっ!﹂
副会長の白魚のように美しい手を取る。
私の勢いに圧倒されたのか副会長は目を見開いて固まった。
﹁私は副会長様を笑ったりしませんよ!﹂
107
笑ったりしませんとも。
先程の頭の打ち所が悪かっただけだよね。
⋮⋮⋮どうしよう私のせいだ。副会長の頭がイカレ始めた。
﹁副会長様がそう感じるのは決して変なことではないんですよ。ち
ょっと難しく考えてるだけですよぉ﹂
言い聞かせるように優しく囁く。
大丈夫、あんたの頭は大丈夫。大丈夫ったら大丈夫。
﹁そ、そうでしょうか?﹂
うんうん、そうそう。
微笑を浮かべてコクコク頷くと、副会長は恥ずかしそうに頬を染め
て視線を反らす。
その瞬間、彼の頬は更に赤く上気した。
﹁あの⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
なんだろうと思ったら、彼の視線の先は繋がった私達の手。
﹁おっと、すみません﹂
﹁いえ⋮⋮﹂
なんだか乙女に悪戯したオッサンな気分。
セクハラで訴えられたらどうしよ。
そう思ってヘラヘラと諂っていたら、グッと表情を引き締めた副会
長が口を開いた。
108
﹁貴女と会長は私の理想の恋人像なんです﹂
﹁え゛、やだなに言っちゃってんのこの人?
ゃない⋮⋮﹂
やっぱり頭大丈夫じ
あまりにあり得ない台詞に思わず心の声が漏れるが、幸い副会長は
どこか遠い目をしており私の言葉は耳に入っていない。
ああ、こりゃ本格的な後遺症が出て来てしまった。
ああああ、本当申し訳ないことした。
﹁世の理であるがごとく、抗い難い強制的な力でイチカに惹かれる。
それは私だけではなく生徒会のメンバーは多かれ少なかれ全員それ
ああ、今日は日舞のお稽古の日だわ。
を感じていた筈です。私はそれがなんだか異常で恐ろしかった﹂
﹁何科かな?
やっぱり付いて行かなきゃかな?﹂
脳外科かな?
この人ひとりで大丈夫かな?
それぞれに頭を抱えて別々のことを喋る。
﹁しかし私は貴女と会長の間に真実の愛というものを見つけました﹂
﹁こりゃ早退して連れて行かなきゃダメだ。ほら、行きますよ﹂
病院へ華麗にエスコートしようとするが、興奮気味な副会長はテコ
でも動かず夢中で喋り続ける。
﹁会長と私は知っての通りこの学園の持ち上がり組、いわば幼児期
を共にした幼馴染のような存在です。しかし私はこれまで彼の人間
らしい感情を表したところを見たことがなかった﹂
いや、それはホラ、吾妻は厨二だからさ。
クールな俺様カッコいいとか思う年頃なんだよ、実際は高二なのに
ね。
109
って、そんなことより病院行くよっ!
﹁その完璧さゆえに彼に近づける人間は皆無。それは常に共にいる
生徒会メンバーですら同じです。秀逸された美貌、優秀な頭脳、絶
大なる権力。他の追随を許さない完璧さを兼ね揃えた彼は、その分
感情が乏しいように感じられ、とても近寄りがたい存在でした﹂
駄目だ語り出したよこの人は。
仕方ない、先に脳外科のある病院をググろう。
﹁しかし会長は今年に入って変わった。雰囲気が柔らかくなり、ど
こか楽しそうです﹂
﹁はぁ、そうですか?﹂
いつも無表情か睨んでる姿しか思い浮かばないけど。
携帯を片手に適当な相槌を打つ。
うーん、病院ちょっと遠いな。
今から車を頼むよりタクシー使った方が早いかな。
﹁はい。最近まで会長の変化はイチカが影響しているのだと思って
いました。彼が自分からあそこまで近寄る女子は彼女だけでしたか
ら﹂
へぇ、彼女とか学園内に居なかったのかな。
そういえば一緒に住んでて女の影って感じたことない。
まさか、童貞ってことは⋮⋮ないよね。うん、ないよね?
おっと、タクシー会社も調べねば。
﹁しかし、やはりそれにも違和感はありました。イチカに甘い言葉
を贈るわりになんだか目が冷静なんです。仮に強制力故の行動だっ
110
たからだとしても、あの目は⋮⋮⋮﹂
複雑そうな表情でそこで言葉を切った副会長。
﹁いえ、なんでもありません﹂と首を小さく横に振った。
﹁とにかく、会長が変わったのはイチカのせいではない。では何が
彼を変えたのか。貴女がイチカに制裁をしようとしたあの日、貴女
を連れ去る会長の背に私は真実を知りました﹂
副会長は真っ直ぐな視線を私へと向ける。
﹁会長の行動の元は全て貴女だったのです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁貴女の辞任を求める私に背筋が凍る程の怒気を会長は放っていま
した。しかし何に怒っているのか私には理解出来ずに困惑していた
時、会長は貴女に微笑みました。それは愛おしむような甘いものだ
った﹂
﹁あ、もしもし。タクシーを一台﹂
﹁彼はあの強制力を感じるイチカへの想いを断ち切るほど貴女を愛
している。そして貴女もまた熱烈に彼を想っている。私はあなた達
大至急でお願いします!頭を打って錯乱状態の急病人
が羨ましいんです﹂
﹁大至急!
が居るんです!﹂
﹁あの、私真面目な話をしているのですが、さっきから聞いてます
?﹂
携帯でタクシー会社と喋り終えた私に副会長は怪訝そうに尋ねる。
はいはい聞いてますよー。もうすぐタクシー来ますからねー。
労わるような笑顔で頷くと、副会長は大きくため息を吐いた。
111
﹁はっきり言って私は貴女が嫌いでした﹂
﹁お、おうよ﹂
うん、それ会計にも言われた。
面と向かって違う人間に同じこと言われると傷つくんですけど。
﹁貴女は他のファンクラブのように媚び諂うふりをして、実は私を
適当に流していたでしょう。相手にもならない小者だと言われてい
るようで腹立たしく、ついつい貴女には特に物言いがキツくなって
しまったものです﹂
やべ、バレてたんだ。
だって会う度に嫌味しか言わないし、その罵りのバリエーションの
豊かさには関心してたけど、長いから飽きちゃうんだもん。
何を言われても﹃クールでお厳しい副会長様ステキー﹄としか返事
をしなかったのが不味かったんだろうか。ちょっと棒読み過ぎたの
かも。
﹁いつだって貴女は会長しか見ていないのだと思っていました。で
すが、違ったのですね⋮⋮﹂
いや、そんな物凄く僻みっぽい目で見られてもどうすりゃいいって
言うんだ。
﹁私が目指す真実の愛は虚像に過ぎなかった。例え今は強制力が働
いていようと、いずれお二人のようになりたい思っていたイチカへ
の愛はどうすればいいのですか?﹂
だから知らんがな!
ツッコミを入れたいのだが、あまりの落ち込みように何も言えない。
112
タクシーまだかなぁ。この空間に居ずらい。
﹁⋮⋮まぁ、あれですね。なんにしても副会長様は考え過ぎです﹂
﹁考え過ぎ?﹂ ﹁はい。真実の愛とか、私達はまだ高校生ですよ。そんなもの語っ
たってどうしても薄っぺらくなってしまいます﹂
というか重過ぎだよ。
恋愛脳怖い。これが噂のオトメンか。
﹁勉強に友情に遊びに将来の夢、高校生の私達には今しか出来ない
ことが沢山あります﹂
ちなみに今の私には友情が大きく不足しています。
求む、来たれ友人!!
﹁なにが言いたいのですか?﹂
﹁つまり、恋愛も高校生活を彩るスパイスくらいの感覚でいいんじ
ゃないですか?﹂
﹁え?﹂
﹁転校生が可愛い、だから好き。それでいいじゃん﹂
﹁そんな適当なっ!﹂
あー、面倒だなぁもう。
﹁恋愛なんてそんなもんです。あとは相手を知るにつれて、愛は育
まれるんです。間違ってもこうありたい、こうあるべきだと、作り
出すものではありません﹂
﹁相手を知るにつれて⋮⋮﹂
113
まさに私とカズくんじゃないか。
なんか私今良いこと言った!
愛は育まれるもの!
﹁なんだか分かるような分からないような⋮⋮貴女のせいで余計に
混乱しました﹂
ムッ、私の素晴らしいお言葉は副会長には難し過ぎたらしい。
頭を打って錯乱状態なんだから大目にみてやろう。
その後、ようやく来たタクシーに渋る副会長を詰め込み病院へと向
かう。
本当に大丈夫なの?
検査の結果脳に異常は見当たらないらしい。
え?
何度も確認を取る私にお医者さんは﹁心配性の彼女だね。よっぽど
彼氏のことが大切なんだね﹂とイタズラっぽく笑っていたが、スミ
マセンこちとらただの加害者です。
それに診察室まで無理矢理同行した私の気分はどちらかと言えば副
会長のママだ。
副会長はお医者さんの言葉を否定しようと慌てていたが、焦り過ぎ
て顔を真っ赤にして言葉を吃らせていた。
そんなに嫌がることないじゃん、失礼な息子だこと。
しかし本当の本当にうちの子は大丈夫なんざましょ。この子頭を打
った直後にトチ狂ったこと言ってたざますのよ。
とまぁ、食い下がりたかったのだが流れ作業でそのまま帰宅と相成
った。
怪我人の副会長をタクシーで送り届けることにしたのだが、意外に
も彼の家は純和風の家屋だった。
114
とはいえ彼も歴としたお坊ちゃん。
広さはかなりのもので、家の中で遭難出来そうだ。
﹁では副会長様、お大事になさって下さいね﹂
﹁あ、はい⋮⋮﹂
豪邸の門の前でぎこちない会話を終わらせてタクシーに戻ろうとし
瑶くん?﹂
た時である。
﹁あら?
そこには私達を見て首を傾げる、金髪美女がいた。
115
16:息子の彼女
謎の金髪美女は私に気付くと、美しいブルーの瞳をパチリと瞬かせ
た。
粗?
連発?
新?
あら
洗?
﹁あら⋮⋮あらあらあらあら﹂
荒?
なんで
物凄く楽しそうな顔でこちらへ迫ってくるのは何故ですか?
﹁こんなに可愛らしい彼女を連れて来るなんて。でかしたわ瑶くん
!﹂
グッと親指を立てて満面の笑みで言い放つ金髪美女。
止めてください!
彼女はそんなのではないから!﹂
絶対純日本人ではないだろう彼女の発音の良さに聞き惚れる。
﹁母さん!
本物の保護者登場!?
﹁あらあら恥ずかしがってこの子ったら﹂
母さん!?
って、この女の人いくつ?
しかし確かに言われてみればどことなく副会長と似てる気もする。
そうか、彼の王子様成分はこの金髪美女から来ていたのか。
﹁はじめまして、嘉川はると申します。副か⋮⋮瑶先輩の学園の後
輩です﹂
116
よう
副会長の名前、瑶で良かったんだよね?
んでたし。
は口癖らしい。
今この金髪美女もそう呼
﹁あらあら、どうもご丁寧に。瑶の母です。いつもこの子がお世話
あらあら
になってます﹂
どうやら
どことなく違和感を感じながらも、可愛らしいと言われて嬉しかっ
た私はヘラヘラしながら﹁こちらこそ﹂と返す。
別にお世話してないし、されてないけどね。
副会長は私達のやり取りに少しところなさげにしていた。
﹁ところで瑶くん、あのタクシーは何?﹂
しまった、タクシーのメーター回りっぱなしだ。
﹂
貧乏性の私はお金を払おうと慌てて財布を取り出す。帰りは電車で
帰ろう。
﹁あらあら、いいわよ春ちゃん。おばさんが払うから﹂
﹁いえ、そういう訳には﹂
﹁いいからいいから。子供が遠慮しちゃダメよ﹂
﹁でも悪いです﹂
ハイッ運転手さん!
﹁ウチの瑶も乗っていたのでしょ?﹂
おばさんに払わせて!
﹁はい、でも⋮⋮﹂
﹁いいの!
うおぉ。
タクシーの前で財布片手に押し問答していたが、ずいずい来る副会
長母に押し負けてしまった。
なんだろう、こういうのってお金を払って貰った筈なのに薄っすら
117
とした敗北感を感じる。
運転手さんも私達のやり取りに少し引いていた。お恥ずかしい。
﹁ところで瑶は、まさか可愛い彼女に家まで送らせたなんてことな
いわよね﹂
お金を払い終えてクルリとこちらへ向き直した副会長母の笑顔には
迫力があった。
﹁断る瑶先輩を私が無理にお送りしたんです。今日は私が彼を傷物
にしてしまったので﹂
﹁⋮⋮キズモノ?﹂
一応親御さんにも病院に行ったことを報告しておいた方がいいだろ
うと詳しく説明しようとすると、副会長が割って入った。
﹁初めての体験で驚いたけど⋮⋮﹂
鼻血を出して恥ずかしかったのだろう。
副会長は恥じらうように頬を染める。
﹁痛みも薄くなったようですし。血も止まってますし、もう大丈夫
ですよね﹂
診察室まで付き添って保護者を気取っていた私に確認を取る副会長。
うーん、私としては彼の脳が大丈夫とは思えないんだけど。
瑶くんったら!
あなた男として情けなく
セカンドオピニオンを勧めようか迷いながらも取り敢えず曖昧に頷
く。
﹁あらあらあらあら!
118
はないの!?
こういうのは女の子の負担が大きいのだからあなた
が送るのが筋でしょ!﹂
﹁﹁は?﹂﹂
突然怒り始めた副会長母は、面食らう私達の背を強引に押して豪邸
へと案内した。
通されたのはだだっ広い和室。
い草の良い薫りの中、ふかふかの上等な座布団の上で何故か副会長
と並んで正座。
﹁さて、反対するわけではないけど、あなた達はまだ親の庇護下に
あることは理解してるわよね﹂
副会長母が私達を見据えて真面目な声で話し始める。
﹁頭が固いと言われればそうなのだけど、自分達で責任の取れない
内はそういうことは慎むべきだと思うわ﹂
﹁﹁はぁ⋮⋮﹂﹂
何を説教されているのか皆目見当つかないながらも、その迫力に圧
されて二人でなんとなく頷く。
﹁特に傷付くのは女の子の方なのよ。だからこそ男性側がきちんと
考えなければいけないの﹂
厳しい表情で息子に語った副会長母は、視線を私に向ける。
これでも春ちゃんのことは大歓迎してるのよ﹂
何を怒られるのかと戦々恐々していたが彼女は優しげに表情を崩し
た。
﹁誤解しないでね?
119
﹁は、はぁ﹂
﹁まさか、こんなに瑶くんの理想を具現化したようなお嬢さんを連
れて来るなんて思わなかったわぁ﹂
副会長母は頬に手を当ててほぅっとため息をつく。
絵になるその様子と怒られなかった安堵にこちらもため息をつきた
くなった。
﹁ちょ、母さん、余計なこと言わなくてもいいから!﹂
こうして見ると副会長も普通の高校生に見えるなぁとホッコリしな
がら、焦っている彼を眺める。
副会長母も私と同じ生温かい目をしていた。
﹁隠しても無駄よ。春ちゃんのような艶やかな黒髪と大きな目に白
い肌の小柄な儚い大和撫子が瑶くんの理想だって、お母さんちゃん
と知ってるんだから﹂
まぁ私の髪は黒いですね。
黒が強過ぎてもう少し茶色くならないものかと小学生の頃は悩んだ
けど、カズくんが私の髪の毛を好きだって言ってくれるので今では
割と気に入ってたりする。
あと確かに私の背は他の女子より若干低いんだけど、それ結構気に
してます。
確かに容
だからイマイチ迫力が足りなくてファンクラブの先輩達を上手く操
縦出来ないのかもしれない。
ち、違いますからね!
ズドンと180cmくらいあれば良かったのか。
﹁お願いだから黙って下さい!
姿は大和撫子ですが、貴女は中身がアレですし!﹂
120
アレってなんだアレって。
ああん?
何言ってるのよ春ちゃんに失礼でしょ!
お前もアレにしてやろうか?
﹁ちょっと瑶くん!
私は中身と外身の一致を希望する。
れに中身まで清らかな女なんてつまんないわ﹂
そうかなぁ?
そ
ファンクラブのお姉様方は可愛い容姿とは正反対の肉食系だし、転
校生も妖しかったし。胃に穴が開きそう。
﹂
﹁とにかくお母さんもずっとこんな日本人形のような娘が欲しかっ
たのよ!
日本人形⋮⋮微妙。
だってさ、フランス人形なら嬉しいけどさ、日本人形って下膨れの
おかめさん顔に細い目とおちょぼ口を想像しちゃう。
いや、良く知らないんだけどさ。
お
﹁どんなに理想的な外見をしていようが彼女は他の男のファンクラ
ブ隊長なんです!﹂
﹁あらあら、そんなことで嫉妬するなんて小さいわよ瑶くん!
母さんを見なさい。お母さんだって彼の方のファンクラブに加入し
てるけどお父さん一筋よ!﹂
へぇ、アイドルとかのファンクラブかな。
でも現実は厳し
自分自身にファンクラブあってもおかしくないほど綺麗なのに不思
議な感じがする。
﹁少女漫画に憧れ胸弾ませて来日したジャパン!
121
ド、ドントスピークイングリッシュ
よっ!
くて、漫画のように素敵な殿方など皆無だったわ。オドオドしくさ
ってからに。何が
こっちは日本語で話しかけてるわよ!﹂
バンッとテーブルを叩く副会長母。
よく分からないが大変だったらしい。
目が据わってますよ。
﹁でも神は私を見捨てなかったわ。あの日知人に誘われ何気なく行
った舞台には、まさに私の理想があったの﹂
なんかこの人はやっぱり副会長のお母さんだなぁ。語り口調が大袈
裟だ。
華やかな
﹁女にして男よりも男らしく。女の園であって少女が夢見る王子様
が実在し、動いて喋って歌ってるなんて素晴らしいわ!
舞台にもう目は釘付けよ﹂
あーなるほどー。
アイドルではなくそっちでしたか。
確かにあのキラキラ世界は見た人にしか分からない魅力が満点だ。
﹁春ちゃんは観たことあるかしら﹂
どちらかの生徒さんの会には入
お茶会は行ったことある?﹂
どの組の公演かしら?
﹁はい何度か行ったことはあります﹂
﹁あら!
ってるの?
しまった。変なスイッチ入ったようでキラキラした青い瞳を携えグ
イグイ迫ってくる。
吾妻夫人に誘われて何回かしか観たことないし、勿論入会するほど
122
の推しメンなんて居ない。
﹁い、いえ。そこまで詳しくはないです﹂
﹁あら勿体無いわ。今度一緒に行きましょう!
の生徒はね̶̶̶﹂
おおう⋮⋮口が、止まらない⋮⋮。
ペラペラと喋り続ける彼女に圧倒される。
私の入っている会
﹁あと十年若くに日本に来ていたら、絶対受験してたのになぁ。そ
うだわ、春ちゃんなら今からでも間に合うわ!﹂
でも諦めちゃダメよ!﹂
﹁ええっと、洋舞と声楽は習ってないので無理です﹂
﹁あらあら、勿論道のりは険しいわ!
おおおう⋮⋮ノリに乗ってらっしゃる。
荒波をバックに背負い迫られても困ります。受験しないよ?
﹁それでね̶̶̶あ、お茶がないわ。瑶くん貰ってきて﹂
﹁分かりました﹂
息子に指示を出すと目を輝かせてお喋りを再開。
副会長は慣れた様子で部屋からいそいそと退出。彼も意外と苦労し
ていたんだな。
﹁̶̶̶でね、もうビックリしちゃって﹂
﹁へぇそうなんですか﹂
﹁そうなのよぉ。お隣の奥さんったら可笑しくって̶̶̶̶﹂
もうかれこれ何十分経っただろうか。
受験の話から最近ハマっている恋愛ドラマに移行して、昨今の政治
123
経済に寄り道したと思ったらご近所の噂話になっていた。
辺りはすっかり暗くなっている。
ちなみに副会長はお手伝いさんらしき年配の女性と一緒に日本茶と
煎餅を持って来てくれて再び私の隣に収まった。
しかし実の息子だというのに母親のマシンガントークに全然ついて
いけていない。
うん、初見の時から違和感を感じていたが、これはあれだ。
この人、目の覚めるような金髪美女なのに⋮⋮日本のオバさんくさ
いんだ。
煎餅バリボリ貪りながらお茶を啜り世間話を繰り広げる様はどう見
たって年季が入っている。
﹁あらやだ、もうこんな時間。春ちゃん聞き上手だから夢中になっ
ちゃったわぁ﹂
ようやく終わったかヤレヤレ。
しかし話が長かった。
﹁じゃあ瑶くん、春ちゃんをお部屋に案内なさい﹂
立ち上がりかけた中腰のまま、副会長と二人で首を傾げる。
そんな私達を見て女神様のように美しく微笑む副会長母。
あ
﹁私だって野暮ではないのよ。これ以上は恋人同士の邪魔はしない
わ。ただし部屋の扉は開けておくこと﹂
﹁だから母さんっ違っ⋮⋮﹂
言ってない?
ええっと、副会長とは付き合ってないって言わなかったっけ?
れ?
124
﹁春ちゃんが良い子で安心したわ。夕飯はお赤飯を用意するから、
春ちゃんも食べて行ってね﹂
日本人では絶対に様にならないだろう素敵なウインクをすると、唖
然とする私達を置いて行く金髪美女。
副会長が少し頬を赤くして気まずそうにこちらを見る。
﹁母がどうもすみません﹂
﹁いえいえ、そんな⋮⋮﹂
﹁話を聞かない人ですが、悪気はないんです。後から時間をかけて
説明しておきますので﹂
是非ともそうしてくれたまえ。
125
17:ござる
とりあえず夕飯は食べてくれと言われ、副会長母の指示通り夕飯が
出来るまでの時間を副会長の部屋へ通されることとなった。
﹁じゃあちょっと失礼して⋮⋮﹂
副会長の部屋も和室だ。
ふむふむ、副会長はお布団派か。
これはっ﹂
窓の外には綺麗に手入れされた枯山水が見える。
﹁おお!
どこの高級旅館かとツッコミを入れたくなる部屋だが、そんな空間
の中で壁一面に並ぶ大きな本棚が違和感を醸し出している。
司馬遼太郎や池波正太郎や藤沢周平などの作品が並ぶ横に、様々な
時代劇のDVDがズラリと鎮座している。
﹁副会長様も時代劇お好きなんですか!?﹂
﹁⋮⋮はい、好きです﹂ 食い気味で質問するが、副会長は気まずそうに小さく頷くだけだ。
その様子を不思議に思っていると、副会長はこちらを窺うようにチ
ラリと視線を向ける。
何がですか?﹂
﹁⋮⋮やはり、変、ですよね﹂
﹁え?
126
副会長が変なのなんて今更過ぎて、どれのことを言っているのか分
からない。
﹁私みたいな者が時代劇を愛しているなんて﹂
なるほど、愛してるときたか。
和
は似合わない
私も時代劇にはちょっとばかし煩いが、相手はよりディープらしい。
﹁私のように⋮⋮御伽噺の王子のような外見に
ですよね﹂
ん?
﹁笑ってやって下さい。所詮私なんて、誰にも理解されない孤独な
人間なんです﹂
﹁ぶっ﹂
﹁ぶ?﹂
﹁ぶはっはっはっはっ!!!﹂
ダメだ。腹筋崩壊するっ!
やだ何この人、面白すぎる。
﹁王子⋮⋮こ、孤独っ!ウケるっ!!﹂
ここぞとばかりに思いっきり笑ってやった。腹を抱えて指差して笑
ってやった。
だって本人も了承済みだし。
いつもすましている生徒会を大声で笑ってみたかったからスッキリ
だ。
127
﹁あー、笑った。一年分くらい笑った﹂
使いすぎで疲労した腹筋。
ヒーヒーと引きつり気味な笑いへと移行した私を、副会長は目を丸
くして見守っていた。
﹁すみません、流石に笑いすぎまし⋮⋮ぶふっ﹂
ダメだ。副会長の顔見るとまた笑いがこみ上げてしまう。
﹁ゲホッゴボッブホッ﹂
ヤバイもう限界。笑い過ぎてむせ始めた。
﹁ちょ、大丈夫ですか?﹂
こんなに盛大に馬鹿にして笑っていた私の背を親切にさすってくれ
る副会長。
やだ、この人ちょっと良い人だ。
悪いことしたかもと反省。
﹁あ、ありがとうございます。もう大丈夫です﹂
どこからか取り出されたペットボトルを受け取りミネラルウォータ
ーを口に含む。
そんな様子を見守ってくれていた副会長は寂しそうに微笑む。
﹁そんなに可笑しかったですか?﹂
﹁いや、時代劇は可笑しくないんですよ。可笑しいのは副会長様の
128
自画自賛です﹂
﹁自画自賛⋮⋮だってそれは周りが言っていたことです﹂
少し拗ねたように口を尖らす副会長。
そんな仕草したって可愛くない。
﹁王子様はフランス映画しか観ない、王子様は紅茶しか飲まない、
王子様は納豆なんて食べない、王子様は運動会でビリにならない。
ファンクラブはいつでも私を勝手に決めつける﹂
ビリだったんですか、運動神経悪そうだもんね。
﹁私だって男です、女子に慕われて嬉しくない訳ありません。しか
し彼女達の要求を受け入れれば受け入れるほど、本当の自分が消え
ていく気がするんです。だから私もどんどん彼女達が苦手になって
きました﹂
ああ、だからあんなにファンクラブに攻撃的だったのかこの人。
でも他所のファンクラブにまで当たらないで欲しかった。とばっち
りじゃん!
非難がましい目を向けると副会長は拳に力を入れて主張する。
﹁いいじゃないですか王子が時代劇観たって!渋い日本茶と納豆が
リレーで転んだって!﹂
そんな恥ずかしい過去が!?
好物だって!
えっ!
そりゃ是非とも見たかった。写真残ってないのかな。
﹁あのですね副会長様。そもそもですよ、王子様になりきるっての
が無理があるんです。高校生にもなって王子様ごっこに付き合わな
129
くてよろしい﹂
﹁ごっこ⋮⋮﹂
﹁それって多くの女子からキャーキャー言われる為にキャラ作りし
てるってことですよ﹂
﹁そんなっ!﹂
心外だとばかりに反論しようとした副会長だが、続く言葉が出てこ
ない。
しまいには赤面して頭を抱えてしまった。
大丈夫大丈夫。吾妻より全然進行してないからその病。
﹁本当の副会長を受け入れてくれる女の子だってきっと沢山います。
それで失望してしまう子なんて放っておきなさいな。所詮それだけ
の感情です﹂
イケメン限定で寛容な女子は多いしね。
多少ダサかろうとお顔のフィルターがカバーしてくれるさ。
﹁それに副会長様は大勢にモテたいわけじゃない。たった一人の真
実の愛を見つけたいんですよね﹂
ハッと顔を上げた副会長に微笑む。
﹁その相手が転校生になるかどうかはあなたの努力次第ですが、素
を曝け出しても受け入れられるように己を磨くしかないです。偽る
んじゃなくてね﹂
まぁ大きな猫を被っている私には言われたくないだろうが。偽って
ばかりだから友達も出来ないんだろうし。
私の言葉に副会長は少し泣きそうな顔で問う。
130
﹁では、私は時代劇が大好きでもいいんですか?﹂
﹁はい﹂
﹁日本茶と納豆が好物でも?﹂
﹁はい﹂
を付けても?﹂
﹁何もないところで転んでも?﹂
ござる
﹁⋮⋮はい﹂
﹁語尾に
﹁は⋮⋮いえ、それはアウトです﹂
ござる付けたいの?
なにゆえにござるか?
﹁まぁ、ファンの力があってこそ、沢山の人を惹きつける今の副会
長様があるのは確かです。それは忘れちゃダメみたいです﹂
というのなら
とりあえず変人認定受けずに済んでいるのはファンクラブのおかげ
だろう。
真っさらに自分を曝け出して変人で居たいんだっ!
別だが、取り繕うのもまた生きて行く上で必要なことだと思う。
じゃないと受け入れてくれる人の幅がメチャクチャ狭くなる。
ござるがストライクゾーンに入る女子は滅多に居ないだろう。
やり過ぎたら私やこの人みたいに疲れちゃうけどね。
なんだか副会長に他人とは思えない親しみを感じてしまう。
﹁そうですね⋮⋮﹂
神妙に頷く副会長。
何事もほどほどが一番。
131
﹁適度に力を抜いて、適度に締めていきましょうよ。私だって時代
劇好きですが、隠してませんよ﹂
﹁えっアナタも!?﹂
それを語る相手が居ないけど⋮⋮と続く言葉は暗くなるのであえて
口にしない。
*******
時代劇の話に乗ってくれる人は少ない。
カズ君に喋っても微妙な空気になるし、吾妻に至っては私の熱のい
れようにイラッと来たらしくDVDを捨てられそうになった。
実に性格の悪い野郎だ。
﹁やはり立ち回りの素晴らしさで言えば私は金の字の父上が妥当だ
と思いますが﹂
﹁ほぉ渋いところを突きますな﹂
﹁アナタはどうですか﹂
﹁私は殺陣で圧倒されるのは大五郎くんのところのお父さんですね。
テレビ版初期の彼の方です﹂
﹁確かにあの迫力は伊達ではありませんよね。しかしまさか同年代
のアナタとここまで語れるなんてっ﹂
﹁見くびって貰っちゃあ困ります。私の初恋の人は貧乏旗本の三男
坊の新さんですよ﹂
どうしよう。物凄く楽しい。
132
まさかこの残念副会長と有意義な時間を過ごせるなんて誰が思った
だろうか。いや思うまい。
いつの間にやら時代劇語り合いへと発展していた私達。
ここまで熱く語るつもりはなかったのに、数少ない同志に予想以上
に浮かれているらしいのはお互い様だ。
語る内容は尽きることなく、終いには某殺し屋のドラマを鑑賞しよ
うとまでしていた。
﹁その前にちょっとお手洗いへ⋮⋮﹂
﹁ああ厠ならば巽の方向へ真っ直ぐでござる﹂
﹁だからござるはアウトですって﹂
ダメだこいつ、かぶれてやがるぜ。
残念ながら某殺し屋のドラマは観る暇なく夕飯となった。
鯛やら赤飯やら、何かの御祝いのようなメニューが並ぶ料理を美味
しく頂き車で送って下さることに。
﹁今日はありがとうございました﹂
気付けば吾妻家の前で笑顔で後部座席の副会長に笑顔で手を振って
いた。
﹁私も楽しかったです。またお話ししましょうお春さん﹂
﹁はい﹂
やっぱりかぶれてやがるぜ。
互いにヘラヘラ笑いながら別れた。
うん時代劇好きに悪い人は居ない。
少し浮かれた気分のまま玄関を潜るとそこには仁王立ちした吾妻が。
133
﹁電話にも出ず学校も稽古もさぼって何をしていた﹂
こちらを射抜くような鋭い目で問う。
やばい、明らかに怒ってる。教育ママか!
﹁ごめんなさい。連絡するの忘れてました﹂
﹁どこの男と何をしていた﹂
え、副会長と何を⋮⋮してたんだっけ?
なんで副会長の部屋で時代劇雑談して夕飯ご馳走になったんだっけ?
﹁えっと、お喋りして⋮⋮ご飯をご馳走に⋮⋮﹂
まとまらない言葉をつかえながらも口にすると、吾妻の視線は更に
鋭くなる。ひぃ!
﹁お、お、おやすみなさいぃぃ﹂
このままでは殺られると確信した私は稀に見るスピードで部屋まで
猛ダッシュした。
﹁どこのどいつだ﹂
後ろからそんな声が聴こえたような気もするが、答える余裕はなか
った。
部屋について鍵をかけ一安心。
と、ここで吾妻の電話に出ないという発言を思い出す。
サイレントになっていた携帯をポケットから取り出し残っているだ
134
なにこれ?﹂
ろう着信履歴を消そうと画面を覗き、固まる。
﹁え?
着信50件
怖っ!
中身を確認すると吾妻と、そしてカズ君から交互にかかっていた。
何か起こったのかと慌ててカズ君に連絡をすると、電話に出ない私
を心配してくれていただけらしい。
今日起こったことを説明すると珍しく怒られてしまった。
確かに冷静になれば副会長の部屋に入るのは不味かったと分かる。
私だってカズ君が知らない女の子と部屋で二人きりになるなんて嫌
だ。
反省した私は正座で三時間、カズ君の言葉を聞き続けた。
﹃もうその男とは二人で会わないで﹄
﹁はい、ごめんなさい﹂
﹃今度したら浮気とみなすから﹄
﹁はい、申し訳ありません﹂
﹃春ちゃんが浮気したら、何するか自分でもちょっと自信ない﹄
﹁はい、かたじけない﹂
﹃春ちゃんは僕のだ。絶対絶対誰にも渡したりしない。逃がしたり
しない﹄
ちょっと重いとか思ってないよ。
﹁⋮⋮⋮﹂
え?
135
136
姫様っ!﹂
18:いのちだいじに
﹁姫!
あー、卵焼き美味い。
出し巻なのがまた良いよね。
流石は元有名料亭の料理人さんが作っただけある。
このきんぴらに入ってる赤いの何かなウマウマ。
﹁どうかっどうかお慈悲をぉぉぉ﹂
西京焼きも美味しい。
冷めても美味しいとか凄い。味噌が違うのかな。
﹁姫様ぁぁぁぁ﹂
なんだか今日はやけに騒がしい。
食事中に騒ぐなんて高校生にもなって恥ずかしい方が居るものだわ、
やーねーオホホホホ。
﹁何かしらアレ学食であんなに騒いで﹂
﹁まぁ下品ね﹂
ホントですわ、お里が知れますわねオホホホホ。
﹁ひーめ゛ざまぁぁお願いしまずぅぅ﹂
アラ何かアタクシの脚に引っ付いているわ。
137
見下ろすとスキンヘッドで眉毛のないゴツい男が鼻水垂らしながら
私の脚を掴み必死に叫んでいた。
シッシッ、シッシッ!
鬱陶しい。吾妻家特製の懐石弁当が不味くなるですわよ。
﹁また会長様のファンクラブ隊長よ﹂
﹁うわっ男を足蹴にしてるぞ﹂
私全然関係ないから!
﹁やっぱ怖ぇあの女﹂
ちょ、待って!
シッシッ!
本当に離しやがれこのゴーレム!
シッシッ!
﹁姫ぇぇぇぇ﹂
﹁あんなに懇願してるのに⋮⋮﹂
﹁流石は会長至上主義の鬼女だな﹂
分かったから離してちょうだい!﹂
﹁あの人可哀想ぉ﹂
﹁姫ぇぇぇぇ﹂
﹁分かったわよ!
周囲の冷たい反応に堪らず重い腰を上げる。
慌ててお弁当を仕舞いゴーレムを引っ張って好機の目が集まってい
る食堂を後に。
また吉瀬様かしら?﹂
そのまま無言で廊下を進みひと気のない場所まで来ると大人しく付
私の昼食を邪魔する理由は?
いてきたゴーレムを振り返る。
﹁で?
138
もう俺達じゃ吉瀬さんを抑えきれません。どうか姫様
キッと睨みつけて質問したが、ゴーレムは目を希望に輝かせて頷く。
﹁はいっ!
お願いします!﹂
﹁⋮⋮その姫様って止めてくれないかしら?﹂
大きく溜息を吐くが、目の前のゴーレムは不思議そうに首を捻るだ
け。
﹁吉瀬さんの姫様ッスからお姫様ですよ﹂
どうやらこのゴーレム知力が低いらしい。
馬車に乗りっぱなしで放置されてたのかな。
このままじゃ殺しかねません。お急ぎを姫様﹂
﹁それで吉瀬様はどちらに?﹂
﹁教室ッス!
﹁あーはいはい﹂
﹃吉瀬﹄の名前が出されたのならば仕方がない。奴には借りもある
し行く他ない。
仕方なしに向かった先は、それはもう酷い状況だった。
机も椅子もバラバラ。ガラスは割れ壁に穴が開いてる。
毎度お馴染みの光景だ。
まぁお金持ちなお坊ちゃまお嬢様が通う我が校はこんなのすぐに修
繕されてピカピカに戻るのだけど。
普通のクラスならば考えられないが、この教室だけはそんなことを
繰り返している。
基本的に裕福な家庭で育ったお子さん達の中には、際限なく甘やか
139
されて育った為にどうしようもなく歪んでしまうケースが一定数あ
る。
甘やかされた訳ではなくとも仄暗い出自で周囲からも辛く当たられ
捻くれちゃったりとかね。
誰もかれもが真っ直ぐ育つとは限らないのが教育というものである。
そんな子も学校側は見捨てたりしない。
見捨てるには彼らの親の裕福さは魅力的過ぎるのだ。
しかし学校の品位を落としかねない素行の悪い生徒は危険だろう。
だから臭いものには蓋。
素行の悪い生徒は一つの教室に集め、学校内のことなら大概は目を
瞑る。
その代わり学外では暴れてくれるなという暗黙の了解が我が校には
あるのだ。
もしくは自分の家の力で揉み消してくれってこと。
光あるところにはいつだって闇が付き纏うものだ。
しかしこうも毎回だと学校側も大変だ。
まぁ臭いものには蓋スタンスをとっているのだから自業自得ともい
えるが。
体を押さえるの数人を軽々と払いのけ、一人の生徒を顔の原型が分
からない程ボコボコに殴り続けている男。
止めに入りやられたのだろう、辺りは死屍累々だ。
勘弁してよ、と内心深いため息を吐き出してから口を開く。
﹁もう止めて下さい吉瀬様﹂
小さい一言であったが男の耳にはしっかりと届いたらしくピタリと
140
拳が止まる。
喧騒はなりを潜めその場の意識のある者全員がこちらに視線を向け
た。
男は胸ぐらを掴んでいたぼろ雑巾よりボロボロな奴をポイッと投げ
捨てると、今までの凶暴な顔はなんだったのかと目を擦りたくなる
変わり身の速さで綺麗に微笑んだ。
そして普段の厳つい姿からは考えられない程、嬉しそうにバックに
こんな危ない所に来ては駄目だろ?
俺のお姫
花を撒き散らしながらフワフワとした足取りでこちらへと進む。
﹁どうしたんだ?
様﹂
恭しく私の手を取りごく自然にチュッとそこへ口付け。
その一連の流れをうんざりしながら見つめる。
毎度毎度勘弁して。
厳ついが物凄く顔の整っている吉瀬ならばそんな動作も様になる。
しかし相手がファンクラブ隊長という所謂悪役な私では違和感が付
き纏う。
現に今も﹃見ちゃいけないものを見ちゃいました﹄的な気まずい空
気が漂っている。
﹁吉瀬様が暴れているから止めてくれっと言われたんです﹂
姫をこんな野蛮で危ない所まで連れてきたクズ
取られていた手をそっと抜き、さり気なく後ろで拭く。
﹁⋮⋮どいつだ?
は﹂
141
険しい顔で周囲を睨みつける吉瀬にゴーレムは青ざめた。
安心しろ言う気はない、あんたは馬車にお帰り。
﹁そんな事より、なぜこのように暴れられていたのですか?
いてしまいました﹂
﹁恐がらせて悪かった。か弱い姫には刺激が強過ぎたな﹂
そう言って再び手の甲へと落とされるキスに鳥肌が立つ。
私驚
この悪ふざけが過ぎるお姫様ゴッコも、この男の場合本気で言って
いるからタチが悪い。
今も心配そうな申し訳なさそうな目でこちらを見つめている。
﹁頭の悪いゴミムシを排除していたんだ。まだ理解していない奴が
残っていて、つい頭に血が上った﹂
忌々しそうに床に伏す生徒を睨みつけて呟く吉瀬。
大方私の悪口でも言ったのだろう。
少し前までこのクラスでも私の評判はすこぶる悪かった。
会長狂いのヒステリック女の話題はこの教室でも面白おかしく語ら
れていたようだ。
しかし私が吉瀬から姫様認定を受けて事態は変わった。
少しでも私の悪い噂を口にする人間にはよくこのような制裁が行わ
れるようになったのだ。
直接ではないしにろこの惨状の原因が自分にあるのだと思えば良い
気はしない。
怪我を負った生徒は大丈夫だろうかと恐々横目で窺えば、吉瀬から
チッと低い舌打ちが響く。
142
﹁おい、このゴミをいつまで置いておくつもりだ。お姫様の目が汚
れるだろ、早く捨てて来い﹂
﹁はい!!﹂
数人がかりで外へ運び出されたボロボロの生徒。
どうかそのまま保健室に運ばれますように。そして養護教諭はちゃ
んと仕事してますように。
143
19:目くそって割と鼻くそを笑えると思う
190を超える長身で均整の取れたがっしりとした肉体に甘いマス
ク。
まるで御伽話の騎士を彷彿とさせる容姿はさぞ女子が色めき立ちそ
うだが、残念ながら彼に近寄れる女の子はあまりいない。
真っ赤に髪を染め上げ赤のカラコンを装着、沢山のピアスを付け、
噂では腕と背中にタトゥーも入っているらしい不良な出で立ち。
ちょっとしたことでもキレる最近の若者然としており、気分のまま
に人を殴り気分のままに踏み付け気分のままに病院送りにしてしま
う。
何がきっかけで爆発するか分からない危険物扱いな学校一の迷惑男
だ。
それでも本人に何のお咎めもないところが本当に怖い。
そんな吉瀬は手のつけられない不良が寄せ集められたクラスの中で
三年間トップを守り続けている。いや、守っていない。ごく自然と
そうなっていた。
しかも﹃吉瀬﹄といえば裏の世界ではかなり有名であり、吉瀬家の
跡取りである彼はそういう類の教育を受けまくり、また学生にして
家のお手伝いまでしている良い子らしい。
常に暴力の匂いを纏っている男が吉瀬である。
そんな男がバックに付いていると学校中に認識されていたからこそ、
私はファンクラブ隊長としての地位を確立出来ているのだ。
144
しかし実は私に対する吉瀬の態度の理由は分かっていない。
正直私はあのようにお姫様扱いされるほど絶世の美女というわけで
もないし、本人曰く一目見た時に雷が打たれたかのような衝撃を受
けたとか訳の分からないことを言っていたが、いまいちピンとこな
い。
吉瀬との出会いは突然だった。
ある日の午前中、吾妻に手作りの菓子を無断で渡そうとした者がい
た、という至極どうでもいい情報がファンクラブ内に駆け巡った。
しかしどうでもいいのは私だけだったようで、その日の昼休み早速
緊急会議が開かれた。
制裁をするか否かで白熱した会議の結果、吾妻が菓子を渡そうとし
た女子生徒を相手にせず冷たい目で一瞥して素通りした為、酌量の
余地あり。警告のみ行う事となった。
この流れまでは私も一番熱い振りをしながらも他人事として内心鼻
くそをほじりながら成り行きを見ていたが、いつの間にやらそうも
いかなくなっていた。
なんとその警告役を務める事となったからだ。
残念ながら今ほど悪名を轟かせていなかったコネ就任の下っ端感漂
う私は断れなかった。
ほじった鼻くそファンクラブ全員に飛ばしてやりたい気分だチクシ
ョー。
そんなストレスばかりが溜まる会議が終わったのは昼休み終了目前。
しかも次の時間は体育。
厳しいゴリラ顔の体育教師は遅刻者が居れば連帯責任としてクラス
全員にマラソンを課す。
145
私が遅刻してマラソンとなったところで直接文句など言う人間は居
ないが、確実に嫌われ度が増す。
もうこれ以上居心地の悪い思いは御免だ。
グラウンドへの近道にあまり人気のない林の中を早足で突っ切って
いた。
しかし昼食を食いっぱぐれたのみならず、あんな面倒な事を押し付
けられるなんて最悪だ。
急がなければならないのだが思わずそんな考えが頭を掠め足を止め
る。
汚い?
下品?
カマトトぶるなよ。鼻くそ
飛ばすどころか全員の頬に鼻くそ擦り付けてやりたいぜ。そんなに
出ないけどさ。え?
は自然現象さ。
﹁はあぁぁぁ⋮⋮﹂
深い深いため息を胸の奥底から吐き出した。その時だった。
ザシュリ︱︱︱︱
急に目の前に何かが降って来た。
よく見るとその物体は人で、どうやら木の上から私の足元へと着地
したらしく片足を地面へと付け屈んでいる。
ウチの男子の制服を着ているということは不審者ではないようだ。
﹁あの⋮⋮﹂
足でも挫いたのだろうか。
そのままの態勢で動かないその人を心配して何か声をかけようとし
た時だ。
146
突然目の前の男が顔を上げる。
﹁え?﹂
そこにあったのは鋭い赤目。
顔のパーツ一つ一つが丁寧で完璧。
息を呑む程の美形が私を見上げていた。
﹁き、吉瀬⋮⋮様﹂
頬をひくつかせながら有名なその男の名を呟く。
ヤバい
唐突に現れた男を目にした瞬間、全身から汗が吹き出る。
ヤバいヤバいヤバいヤバい
そればかりがグルグルと頭の中を回るがこの状況を切り抜ける良い
アイディアは一向に思い浮かばない。
このままでは殺されてしまう。
私がここまで焦るのには理由がある。
吉瀬がこの学校で有名な不良であることは当然知っているが、それ
だけではない。
とにかく気性の荒いこの男は気分次第で誰でも殴る。
だから半径一メートル以内に入るべからずは常識なのに、今の私と
きたら三十センチも離れていないバッチリ射程距離に入っている。
そしてこの男には大のファンクラブ嫌いという有名な話が存在する。
147
以前に吉瀬のファンクラブを作ろうと毎日煩く付き纏い終いには彼
女を気取りだした女子生徒を殴ったとか殴らないとか。
女性に手を上げるなどクズのすることだが、それでも﹁てめぇいっ
ぺん殴られて来いや﹂と思わないこともない女子も居るのは事実だ。
ちなみに私はこの学校で﹁てめぇいっぺん殴られて来いや﹂系女子、
不動の一位である。嬉しくないどうしよう。
更に悪いことに吉瀬は吾妻を敵視しているらしい。
これって詰んでないか?
死亡フラグが立ちまくりだよね。
青ざめる私の方へゆっくりと吉瀬の手が伸びる。
私は覚悟を決めて固く目を閉じた。
どうか顔だけは止めて下さい。前歯が折れて歯抜けとか嫌だ。
お腹だったら絶対吐く。そしたらこいつに思いっきりゲロぶっかけ
てやる。
そんな勇ましいんだか情けないんだか分からない決意をしていると、
手に何かが触れる感触がし、情けない程ビクついてしまう。
﹁そんなに怯えなくても大丈夫だ﹂
﹁⋮⋮?﹂
予想に反した柔らかい声色が耳に入り恐る恐る目を開くと、うっす
らと笑みを浮かべた吉瀬がいた。
恐っ!!
遠目からでも分かるほど常に周囲を威嚇し睨み付けている吉瀬が、
あの吉瀬が笑いかけている。
148
一体私はどんだけこの男を怒らせてしまったのかと白目を剥き泡を
吹い倒れそうになった。
﹁驚かせて悪かった﹂
﹁へ?﹂
若干立ったまま気絶しかけていた私の黒目がクルンと戻る。
戻ったそれで確認するとまだ優しく微笑んでいる吉瀬。
⋮⋮襲って来ない?
いや待て。まだ手を掴まれている。
油断させたところでこの右手をポッキリやられるのかもしれない。
岐瀬は警戒心丸出しで身体を強ばらせている私をくすりと笑った。
﹁知っているかもしれねぇが、俺は三年の吉瀬という。良かったら
と思ったが到底尋ねる度胸もない。
姫の名前も聞いていいか?﹂
姫ってなんだ?
﹁か、嘉川、です⋮⋮。一年の嘉川春です﹂
カラカラの口でどうにかこうにか告げる。
﹁はる⋮⋮春、か。良い名だ﹂
どうやら私の事は知らないらしい。
私の名前を繰り返し満足そうに頷く吉瀬。
しめた!
良かった、吾妻のファンクラブ隊長をやってるなんて事がバレたら
地獄行きだ。
149
﹁春姫。どうかこの俺を姫のナイトに任命してくれ﹂
痛い人だ。
あ、ダメだ。
この人
屈んだまま片膝を立て、取られていた右手の甲にチュッと柔らかい
唇を押し付けられた時に瞬時に悟った。
それはもうドン引きもドン引き。
どこかの国の騎士のような優雅な仕草。
あまりのドン引きっぷりに固まり動けない。
﹁木の上から見えた春の憂いてる姿に居ても立ってもいられねぇで、
つい姿を現しちまった﹂
﹁は?﹂
﹁なぁ、お姫様は何をそんなに哀しんでいるんだ?﹂
﹁はい⋮⋮?﹂
鼻くその数が足りなくて
いや何を哀しんでいるって⋮⋮お昼ご飯を食いっぱぐれた事と警告
私が憂いているように見えたの?
が面倒だって事で⋮⋮。
え?
残念がってはいたけど。
どんだけフィルター掛かっているんだ。
﹁俺は姫の可愛い笑顔が見たい。その為ならば何でもしよう﹂
気持ち悪っ!!
初対面の相手になんて事言うんだ。
ナンパにしたってもう少しマシな言い回しがあろうに。
未だ右手を取られたまま真剣な目で見上げて来るものだから更にド
ン引いた。
150
﹁えっと⋮⋮ひぃぃ!﹂
どうやら今すぐに危害を加えられるという様子もないので、刺激を
与えないように注意しつつやんわり断ろうとしたのだが、右手をサ
鳥肌がっ!
ラリと撫でられそれどころではなくなってしまう。
セクハラッ!
﹁お姫様に忠誠を誓う﹂
ニヤリと上がる口端はやはり騎士とは程遠く、とても凶暴だった。
これどんな罠だ。
151
20:電波受信中
ようやく手を離した吉瀬が立ち上がると、見上げる態勢になってし
まい途端に怯む。
屈んでいた為に今までよく見えなかった吉瀬の全体が分かるように
なった。
遠目から見ても周囲から頭一つ抜きん出ていた吉瀬は間近で見れば
凄い迫力だ。
こんなのに殴られたら本当にひとたまりもないだろう。
とにかくデカい身長と凄みのある雰囲気が只の不良と切り捨てさせ
てくれない。
﹁大丈夫か、春姫?﹂
岐瀬に気圧されていると顔を覗き込まれた。子供相手にするように
屈まれるとどことなく悔しい。
それにしても何なんだ、さっきから。
﹁⋮⋮姫って呼ぶの止めて下さい﹂
吉瀬は死ぬほど恐いのだが、姫姫連呼されるとなんだか馬鹿にされ
ているようで無性に腹立たしい。
プッ!
みたい周囲の反応を狙っ
女はみんなお姫様扱いで喜ぶとでも思っているのか。
それともあれか、あの顔で姫?
ているのか。
﹁姫に姫と呼んで何が悪い?﹂
152
私の拒絶に対して吉瀬は不思議そうに首を傾げる。
反論したいのだが、本当に分かっていない様子に上手く言葉が出て
来ない。
﹁直感したんだ、俺のお姫様がやっと現れたと﹂
﹁え゛⋮⋮﹂
思わず下品な声が飛び出てしまった。
やっぱりダメだこの男。面白ジョークを飛ばしているのかと思った
が違った。マジだ。
血走った目に本気さが窺えて背筋に寒気が走った。
﹁どうかこの手で姫を守らせてくれ﹂
﹁ッ!﹂
完全に怯んだ私が動けずにいると、またしても手を取られてしまっ
た。
しかも今度は両手だ。
近い近い近い。
顔が近い。息がかかりそうな距離に震えが走る。
﹁そして⋮⋮そして姫の全てを貰いたい。心も、身体も全て﹂
ヒィィィ!
息がかかりそうっていうか、荒い鼻息かかってる。なんか口からも
ハァハァ言ってるのは何でですか?
﹁私、彼氏居ますから彼氏居ますから彼氏居ますから!﹂
ノーサンキュゥゥゥ!!
153
気付けば立場もキャラも忘れて全力でごめんなさいをしていた。
今すぐ殴って全力疾走したいのだが、両手を私より遥かに大きな手
何鼻で笑ってんのさ!
で包まれているので逃げる事すら叶わない。
﹁彼氏⋮⋮﹂
﹁彼氏です!﹂
ってあんたっ!
﹁そうか⋮⋮で?﹂
で?
﹁高校生の恋愛が続く可能性がどれだけあると思っている。俺はそ
んなレベルで姫を想っている訳じゃない﹂
じゃあどんなレベルだ。
カズくんとの関係を笑われたのもムカついたが、それ以上に理由も
分からず無条件に好意を押し付けてくるこの状況が恐ろしい。
﹁お姫様ってのは何時の時代でも我儘で傲慢なものだ。多少の浮気
くらい見逃せねぇようじゃ姫のナイトは務まらねぇよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
ダメだ。ちょっと何言ってるのか私には理解出来ない。
しかし唯一分かったことがある。
この男がナニかの電波をキャッチしているということだ。
﹁必ず俺が姫を護る。だが約束して欲しい。どこの男の側で咲き誇
っていようが、最期は必ず俺の元で散ると。俺と共に終焉を迎える
と﹂
﹁えっと、その⋮⋮﹂
﹁最期はそうだな、誰にも発見されない場所で永遠に二人きり、一
154
つの物質になってしまうくらい溶け合いたい﹂
怖いんですけど!
ちょっとエロい感じに言ってるけど、それってまさか腐乱死体的な
めちゃくちゃ顔面にかかってんですけど。
意味じゃないですよね!?
﹁姫、姫⋮⋮⋮﹂
もう本当に鼻息荒い。
あんたは扇風機か!
いよいよ絶えずキャッチされる電波の恐怖に叫んだ。
﹁私は吾妻会長のファンクラブ隊長です!!﹂
﹁っ!!﹂
吉瀬の鼻息がピタリと止み、掴まれていた手が解放される。
もういい。こんな恐ろしい思いをするならば嫌われて殴られた方が
マシだ。
どうだ。あんたの嫌いなファンクラブ、しかも吾妻の隊長だぞ、ま
いったか。
覚悟を決めた私は静かに目を閉じ、万が一に襲って来る痛みに備え
た。
ふっと吉瀬の動く気配がし、更に目を固く瞑るが一向に衝撃は来な
い。
﹁姫⋮⋮﹂
その代わりにフワリと何かに優しく包み込まれた。
﹁どの男を弄ぼうが構わないが、あいつは止めておけ﹂
155
﹁はい?﹂
﹁あの悪魔だけはダメだ。あいつは俺から姫を奪い去る男だ﹂
また何かの電波を受信したらしく、私を抱き締めながら悔しげにそ
んな事をほざいた。
ここは一つキチンと言葉にして拒絶する必要がありそうだ。
﹁いや、ですから、止めておくとかそういう問題ではなく、私はフ
ァンクラブの隊長なので吉瀬様をナイトにする事は出来ません。ご
めんなさい﹂
嫌がる姫に⋮⋮なんて卑
ふぃー、言ってやったぜ本日二度目のお断り。
﹁あの悪魔に無理に脅されているのか?
劣な男だ!﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
自分の妄想でキレる吉瀬。
電波の受信が止まらない。
コワイヨタスケテ
授業だからと、なんとかその場を抜け出す事には成功したが、クラ
ス全員マラソンになってしまった。
悪かったです!
そんな目で見ないで!
私を責めるクラスメイトの視線が痛かったのなんのって⋮⋮。ごめ
んなさい!
それから数日、電波な不良・吉瀬とは出会していない。
156
*****
﹁分かっているのかしら?
会長様にあんなモノ寄越して何を考え
ているのかと聞いているのだけど﹂
只今、吾妻にお菓子を渡そうとした女子生徒に忠告中です。
吉瀬と出会った林から近いが、誰も居ないこの場所は制裁や密会や
らに最適で隠れ有名スポットでもある。
吉瀬が又しても現れないか少しだけ不安であったが、私はそれより
も焦っていた。
別に優花はぁ悠生様に差し入れしただけだしぃ。それで
何故ならばこの女子生徒の態度がおかしいからだ。
﹁えー?
怒られる理由が分からなぁい。なんでそんなことあなたに言われな
くちゃいけないのぉ?﹂
ふわゆるにセットされた髪を弄りながら甘ったるい口調で語る女子
生徒。
ファンクラブに呼び出された生徒は普通ならば、顔を青ざめ萎縮し
ている。
しかし目の前の女子はそれとは180°違う、不満を隠しもしない
あからさまな態度だ。
私の言葉が全く効いていない。
態度はアレだが実はこの人の言ってることって正論だと思う分、言
葉に詰まってしまう。
えーと⋮⋮これってどうすればいいんだ。
こうなれば最後の手段だ。伝家の宝刀を抜こう。
私が隊長に就ているのは、吾妻家と縁深いと認識されているからだ。
元々吾妻が無理にさせているのだからこんな時こそバンバン活用さ
せてもらう。
157
﹁これ以上図々しく会長様に近づくということは吾妻家を敵に回す
と思って下さい。私と吾妻家の深い繋がりはご存知よね?﹂
仕上げに、いかにも悪役ですという感じでせせら笑えば目の前の女
子生徒も大丈夫だろうと思っていたのだが。
﹁ぷっ、何それ脅しぃ?﹂
あんたの正体だって知って
なんで?
馬鹿にしたようにニタニタと笑うだけで全く怯まず、予想外の事態
に逆にこちらが怯んだ。え?
﹁孤児が何言っちゃってるのぉ?﹂
﹁っ!?﹂
居たっけ、こんな子?
﹁優花は悠生様の又従兄弟なんだよ?
るよぉ﹂
又従兄!?
日本屈指の名家と言われる吾妻家には親類縁者が多数で、又従兄ま
で把握するのはなかなかに骨が折れる。
そして私の亡き両親は吾妻の傍系もかなり末端。めんどくさい親戚
を持った、ほぼ一般家庭と言えるだろう。
別に正体ってほど隠していた訳ではないが、まぁ公になってはこの
学校では生活しにくいのも確かだ。
﹁吾妻家に寄生するしか脳のない寄生虫が、優花に意見するなんて
図々しいっていうかぁ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
口を開かない私を見て優越感を滲ませた意地の悪い笑みを浮かべる
158
女子生徒。
お優し
普通そこは
﹁本来ファンクラブの隊長だって優花がやるべきなのよ?
い吾妻の皆様のご好意に甘えて恥ずかしくないのぉ?
優花に譲るってぇ﹂
俯いた私に完全に勝ったと思ったのだろう、女子生徒の口は止まら
ない。
隊長なら代わってあげてもいいですわよ。寧ろお願いしたいです。
その代わり吾妻との交渉は一人でしてください。
ここまで直接罵られたのは初めてで結構なダメージを食らったのは
確かだが、私は今それ以上に困っている。
どうすればファンクラブ隊長としての立場が保たれる?
まさかこのままオメオメと帰るワケにもいかないし︵というか怖く
て帰れない︶、ここはキャラ的に一発頬でもひっぱたいて﹁お黙り
なさい!﹂とか言えばいいのかな?
﹁でもあんたも親が死んでくれてラッキーよねぇ。悠生様と同じ家
で暮らせるんだからぁ﹂
﹁っ!!﹂
一瞬、息が止まった。
それまで余裕で構えていたのが嘘みたいに頭に血が上る。
死んでくれてラッキー?
⋮⋮何言ってるの?
お父さんから撫でて貰
ある日突然お父さんとお母さんが目の前から
なんであんたなんかにそんな事言われなくちゃならないの?
あんたに分かるの?
消えちゃう絶望が。
もうお母さんのご飯食べられないんだよ?
159
えないんだよ?
お帰りもただいまも言えないんだよ?
﹁あーあ羨ましぃ。親が居ないってだけで吾妻家に上がり込めるん
だもん。私の親も死なないかなぁ﹂
こんな戯言に耳なんて貸さなくていい。
冷静になれと理性が止めるが、女子生徒の言葉は的確に私の触れら
れたくない柔らかい場所を泥付きの靴で踏みにじる。
﹁っ̶̶̶̶黙れっ!!﹂
手が出たのは無意識だった。
気付いた時には女子生徒は唖然とした顔で尻もちを付き、私は怒り
に呼吸を荒げていた。
どうやら突き飛ばしてしまったようだ。
私の突然の反撃に一瞬彼女は驚きほうけていたが、すぐに目に怒気
が滲む。
ああ、やってしまった。
突き飛ばすとか幼稚園児か私よ。
顔を怒りでピクピクさせながら彼女が口を開きかけ︱︱︱
ガサリ
すぐ横の茂みが揺れた。
そこから割って現れたのは赤髪。
﹁き、吉瀬様!?﹂
160
161
21:電波の恐怖
まさかの吉瀬の登場に私も彼女も目を見開く。
固まった空気の中、ゆっくりと吉瀬は口を開く。
﹁何してんだ?﹂
低い声と鋭い視線が浴びせられ、二人同時に震えた。
が、私よりも一足早く脳を動かし始めた彼女は、吉瀬に向かって叫
んだ。
﹁き、吉瀬様、助けて下さい!﹂
﹁⋮⋮なんだ?﹂
鋭い視線のまま短く問う。
それに気圧されることなく、胸の前で両手を組み吉瀬を上目で見上
げる彼女。
﹁私、このファンクラブの人に制裁されているんです!﹂
彼女は先程までの怒りの表情を消し去り、うるうるおめめで涙ぐみ、
私を指差す。
これは、マズいかもしれない。
吉瀬はファンクラブ嫌いであり、更に所謂呼び出しというものを嫌
悪しているらしい。見つけると問答無用で排除されるという噂だ。
系女子としては軽蔑しちゃう。
この男、女子に対して暴力的な噂がどんだけあるんだ。最低じゃん!
てめぇいっぺん殴られて来いや
162
﹁私はただ好きな人に喜んで欲しくてお菓子をプレゼントしようと
しただけなのに﹂
すみません、吾妻は甘い物を食べない人生半分損している男ですよ。
健気気取るなら好きな男の好物くらいリサーチしときなよ。
それでもどうしてもお菓子を贈りたいのならチョコレートがいいよ。
あれなら眉顰めながらでも、極たまに食べるからさ。
そんなに嫌なら食べなきゃいいと思うのにおかしな男だ。
﹁それなのに突然この人が乱暴に私のことを突き飛ばして鬼みたい
な顔で怒鳴りつけて。私もう怖くって⋮⋮﹂
あー、そんなこと言っちゃう?
もういいもんね。折角吾妻のチョコレート情報教えてあげようとし
たけど、教えてやんないから。
いいですよいいですよ。
所詮あたしゃ悪役ですよ。お望み通り演ってやりますよ。
﹁ふんっ、あなたが悪いのよ。会長様に無断で近付こうとするから﹂
高飛車に言い放つと、うるんでいた彼女の瞳が一瞬輝く。
これで制裁現場であると両者が認めたのだ。
女子生徒にも都合がいいだろうが、私としても思惑があってのこと
だ。
大嫌いな制裁現場に出くわしたとなれば、吉瀬の私への妄想も流石
に崩れ去っただろう。
電波恐怖ともおさらばだ。
まぁそうなると死亡フラグ再びであるが。
163
言い放った私の言葉を耳にした吉瀬の視線は更に鋭利さを増した。
﹁⋮⋮よくも姫を傷つけたな。覚悟は出来てんのか?﹂
﹁え!姫なんてそんな⋮⋮﹂
吉瀬お得意の痛い姫発言に満更でもない様子の女子生徒。
なんだ誰にでも姫姫呼んでたのか。
女の子はみんなお姫様扱い、がデフォなんて外見からは想像出来な
い。
イタリア人か紛らわしい。本気かと思って本当に怖かったんだから。
しかし良かった、電波を向けられたのが私だけじゃなくてと胸を撫
で下ろす。
﹁でもぉ吉瀬様の姫になれるなら嬉しいですぅ﹂
頬をポッと赤く染め恥ずかしそうに甘ったるく告げる女子生徒。
ハハ、岐瀬の電波キャッチしたスゴイスゴイ。
というか吾妻はいいんですか?
半笑いの生暖かい目で電波なやり取りを見物していると、彼女の言
葉に吉瀬がカッと目を見開いた。
なんだ、感動でもした?
ナイトと姫のミュージカルでも始まんの?
﹁あ゛?﹂
しかし私の予想に反して吉瀬は地を這うような低く恐ろしい声を発
した。
女子生徒と私は突然のことに再び固まる。
164
﹁き、吉瀬、様?﹂
﹁俺のお姫様は生涯ただ一人、春だけだ。キモい勘違いしてんじゃ
ねぇよ﹂
嫌そうな顔で吐き捨てる吉瀬。
̶̶̶̶げぇ!
先程の姫発言も私に対してのものだったらしい。
制裁なんて最低な現場に出会しておいて、まだ姫だなんだと言われ
るとは思いもしなかった。どんだけ強力な電波なんだ。
驚き動けない私達二人を後目に吉瀬は私の方へ進み又しても手の甲
へ口付ける。
目玉が飛び出るのではないかと思うほど瞠目し驚愕で口がポカンと
間抜けそうに開いている女子生徒が横目に写る。
﹁さぁ姫、命じろ。姫を傷つけたこの女の処分を﹂
﹁あの、私は別に彼女に傷つけられていませんが﹂
命じろとか言われましても。
私がファンクラブのコイツに殴られたんですよ!
口付けられた手の甲をハンカチを取り出し何度も拭いながら首を振
る。
﹁っ、そうよ!
?﹂
我に返った彼女が吉瀬に必死に訴える。
ちょ、殴ってはないよ!
165
そりゃあ突き飛ばしたのは悪かったけど。
でも彼女からするならばあまりに理不尽な展開に必死だろう。
だって突き飛ばされたのに処分とか言われて意味わかんないよね。
大丈夫私も意味わかんないから。
仕方がないので私も彼女の言葉に合わせて頷く。
吉瀬はそんな私達を馬鹿にしたように嘲笑った。
﹁だからだろ?﹂
﹁え?﹂
﹁お前を殴れば、お姫様の綺麗な手が傷付くだろうが﹂
﹁は?﹂
﹁姫はか弱いんだ。いくら相手が女だろうが暴力など振るおうもの
なら逆に姫がどこかしら痛めるだろう?﹂
﹁﹁⋮⋮⋮﹂﹂
二人で絶句した。
こいつ、何言っちゃってんの?
これ
先程彼女とは相容れないものがあると感じたが、私達は今この瞬間、
確かに心の呟きがリンクした。
﹁姫を傷付ける奴など万死に値する。死ねよ﹂
﹁ひっ⋮⋮!﹂
真顔で淡々と告げられた言葉。
あなたも分かったでしょ!?
吉瀬の異常性に気付いた彼女は真っ青にさせ竦み上がる。
﹁も、もういいです吉瀬様!
に凝りたら会長様に近づいたりなさらないで!﹂
166
このままでは何を仕出かすか分からない異様な雰囲気を纏う岐瀬の
胸を押し、彼女の方へ叫ぶ。
すると彼女は恐怖で固まった顔のまま首振り人形の如く一定のリズ
ムでコクコク頷いた。
﹁じゃあもう行って!﹂
言うと同時に女子生徒は驚きの速さで去って行った。
姿が見えなくなり漸く吉瀬の胸を押さえていた手の力を抜こうとし、
強く抱き込まれてしまった。
だから彼氏居ます彼氏居ます彼氏居ます!
﹁き、吉瀬様?﹂
ひぃ!
何度もその言葉を呟き腕から逃れようともがくが、逆に拘束する力
が強まってしまう。
﹁吾妻の⋮⋮アイツの為に⋮⋮こんな事するな﹂
低い吉瀬の声が耳を通る。
それがあまりに哀しく苦しそうで思わず眉を顰める。
なんで?
なんで会って二回目の人間にこんな反応するんだ。
本当にワケがわからない。
悪いけれど、あなたの姫は私じゃないよ。
﹁無理です。私は会長様のファンクラブ隊長ですよ?会長様に近付
く不届き者が居ればいつだって制裁します﹂
167
だってしなきゃ吾妻から、そして何よりファンクラブの先輩達から
怒られるよ。
下っ端は辛いんですよ。
﹁⋮⋮⋮﹂
私の言葉に黙り込む吉瀬。
ただ、抱き締める腕の力が更に強まり苦しい。
もうそろそろリバースしそうなんですが。
﹁それなら俺も連れてけ﹂
﹁は?﹂
突然の台詞をよく理解しないうちに抱擁を解いた吉瀬は、そのまま
私の両肩をガシリと掴み目線を合わせるように屈んだ。
﹁俺はお前のナイトだ。制裁なんて危ない場に一人で行かせる事は
出来ねぇ﹂
いや、制裁するの私なんですが?
いいだろ姫⋮⋮﹂
危険なのは相手では?
﹁な?
﹁こ、困ります﹂
﹁何が困る?俺は強い。役に立つぞ﹂
﹁そんなことをして頂いても私には吉瀬様にお返し出来るものがあ
りません﹂
﹁何言ってんだよお姫様。俺は姫のナイトなんだから姫に仕えて当
たり前だろ﹂
168
﹁私には付き合っている人が﹂
﹁構わない﹂
﹁⋮⋮私は制裁なんてものをする人間ですよ?吉瀬様が思っている
お姫様なんかじゃありません﹂
﹁姫は姫だ。姫のする事は全て可愛いから問題ねぇ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮﹂
ギブ
何この揺るぎない私に対する盲目的なナニか。恐過ぎる。
最恐不良なクセにビビらせるポイントが全然違うところにあるとか、
止めて貰いたい。
169
22:誠意ってなにかね?
完全に電波に対してお手上げ状態な私が呆けている間に話は着々と
進み、誰かを呼び出す時は吉瀬に連絡を入れるよう約束させられ何
時の間にか連絡先も交換させられていた。
連絡しなければいいじゃんと落ち着いていた私だが、今回のような
呼び出し場所に全く呼んでないにも関わらず何故か奴は三分の二の
確率で現れる。本当恐いんですけど。
まぁ吉瀬が居れば相手は無条件に怖がるから楽と言えば楽だけど。
しかし吉瀬が勝手に現場へ現れる度に学校中の噂になり、いつしか
私は吉瀬を金と権力で従わせている最凶隊長として尚のこと恐れら
れるのであった。
しかも暴れる吉瀬を宥めるのは私の役目とされており、今回のよう
に緊急に連れて来られることが多い。
手のつけられない危険な猛獣が私一人で従順な犬のように変化して
しまうという評判が学校を巡ってしまい、教師までもが私を呼びに
来る始末。
しかし何が一番嫌かって、吉瀬を崇拝する不良達も私を姫と呼ぶ事
だ。
あれだけは勘弁して欲しい。
廊下を通る度に柄の悪そうな生徒が私に﹁あざっす姫様!﹂とか挨
拶される自分の不憫さったらない。
とまぁ私と吉瀬の出会いの話はこんなものだ。
何故ここまで吉瀬が私に尻尾を振るのか原因は未だ解明されていな
い。
170
だからこそ、私は吉瀬が怖い。
ある日あっさりと私に反旗を翻し、今借りている威が何時こちらへ
襲いかかってくるかとビクビクしている。
そして吉瀬は私に心地よい甘言しか吐かない。
そこに本心があるのかすら分からず、私はそれを右から左へと聞き
流す。
私達の関係は、そんな歪で奇妙なものだった。
******
﹁それでは私は食堂に戻ります。昼食の途中ですので﹂
今回もどうにか騒ぎを収め、サッサと退散しようとした。
これでやっとお弁当の続きが食べられると思いきや⋮⋮
﹁飯の途中に悪かった。良かったらお供したいんだが宜しいですか
お姫様?﹂
宜しくないです。
優雅な仕草で片手を突き出す吉瀬を、アホかと素通りしたいのは山
々だがここは不良の吹き溜まり。
敬愛するボスがこんなどこにでも居そうな女に無碍にされるなんて
許さないとばかりに周囲から﹁行け﹂との念をヒシヒシと感じる。
ちくしょう。
泣く泣くその馬鹿らしい手を取ると、顔を綻ばせた吉瀬は私の腰に
手を回す。
171
﹁お二人ともお似合いっす﹂
﹁まさに王子と姫っすね﹂
俺は姫のナイトだ。王子なんかと一緒にすんじゃねぇよブ
久々に暴れまくった吉瀬を一生懸命ヨイショする不良達。
﹁あ?
チ殺すぞ﹂
﹂
どっちだっていいよ、どっちも電波だ。
﹁そ、そっすよね!
﹁ナイトそのものっす﹂
全員が揃えて首を縦に振る。
その様を満足気に見やると、私へと控え目に微笑み一歩踏み出す。
緊張に張り詰められた空気が少しだけ緩むのが分かり、仕方なく吉
瀬に合わせ私も進む。
罰ゲームとも思えるエスコートを受けて本日二回目の食堂へ到着。
吉瀬を見て騒ぐ命知らずはいないが、周囲は珍しい男の登場にそわ
そわ落ち着かない様子。
迷惑電波不良とはいえ顔は物凄くいい。
騒がないだけで隠れファンはかなり居る。
彼女達は頬を染めてぼんやりと吉瀬を見つめ、隣の私に憎々しげな
視線をプレゼントしてくれる。
そんなことは最早日常茶飯事となってしまった哀れな私は、女子の
怨念を気にする事なく先程まで座っていた席へと進む。
そこで再び弁当を広げ、ガックリと肩を落とした。
隙間の空いた食べかけの弁当はゴーレムに急かされたせいで見事に
172
シャッフルされていたのだ。
﹁⋮⋮なかなか個性的な昼飯だな﹂
吉瀬の痛まし気な声にイラッとする。
誰の所為だと思っているんだまったく!
料理は目で食べるとも言いましてね、いくら美味しい食べ物もこう
グチャグチャでは台無し⋮⋮お、この海老しんじょ、おひたしの汁
が染みてウマウマ。
当然のように隣に座った吉瀬は何が嬉しいのか馬鹿みたいにニコニ
コ笑っている。
とても不良達のボスには見えない。
あの⋮⋮あんまり見ないで下さい食べにくいです。
シャッフル弁当をウマウマしつつ、吉瀬に無言でこっちを見るなと
訴えている時であった。
突然ザワッと周囲の空気が震えた。
生徒会の連中は大分前に食事を終えて帰って行ったし、ここまで生
徒達が注目する人物は一体誰だろう。
ざわめきの中心を確認する。
そこに居たのは風紀委員長だった。
彼を目にするのはつい先日廊下で心配かけて以来だ。
しかし流石は学校の良心。
男女共に大人気でいらっしゃる。
しかし彼が食堂を利用する事は滅多になかった気がするが、珍しい
事もあるものだなと箸を進めながら傍観する。
173
﹁どうぞお姫様﹂
どこからかお茶を差し出してくる吉瀬の甲斐甲斐しさに薄気味悪さ
を感じて鳥肌が立つ。
頬を引きつらせながらお茶のお礼を言っているうちに、ざわめきが
移動するように此方へ向かって大きくなった気がして注意を吉瀬か
ら周りへと移す。
するときりりと整った眉にスッキリと通った鼻筋、引き締まった口
元、吉瀬に負けず劣らずな体格と美貌を兼ね揃えた一人の男︱︱風
なぜ目の前に?
紀委員長が立っていた。
あれ?
﹁話がある。風紀室まで着いて来い﹂
風紀委員長の低く固い声が食堂に響く。
一瞬ギクリと肩が跳ねるが鋭い視線は隣の吉瀬の方へと向かってい
る。
吉瀬もギロリと風紀委員長を一睨み。
この学校の二大怪物である二人の睨み合いにゴ○ラvsモ○ラの闘
いが始まる前のような緊迫感が食堂中に広まる。
﹁まだ姫が食事中だろが。待ってろ﹂
シンとした中に吉瀬の不機嫌そうな声が響いた。
話をこっちに振るんじゃないよ!
そうそう、子供がまだ食ってる途中でしょうが。五郎に怒られるよ。
って、おい!
二人だけが注目されていたのに、吉瀬のせいで視線が一気に集まっ
174
た。
思わず一人ノリツッコミをしてしまうくらい動揺する。
また会長のファンクラブ隊長が吉瀬を使って幅を利かせている、と
いう冷たい空気に晒され、身を小さくさせる。
吉瀬に向けていた風紀委員長の鋭い視線がツッとこちらへ移動。
小心者な私はより身を小さくさせ、誰の視界からも消えるほどのサ
イズにはなれないものかと無駄な願望を抱いていた。
﹁悪いな食事中だったか﹂
﹁い、いえ﹂
今までの比でない緊張により口内が乾き上手く口が動かない。
台詞では謝っているが、冷え冷えするその目は全く悪いとは言って
いないのだ。
寧ろどこか責められている気にさえなる。
すみませんこんな所でシャッフル弁当食べてすみません。
﹁だが嘉川にも聞きたい事がある。今すぐ一緒に来て貰おう﹂
﹁⋮⋮分かりました﹂
すみません二酸化炭素吐き出してすみません。
すみません生きててすみません。
謝るからそんなに睨まないで!
風紀委員長の恐ろしい眼力を諸に受けた私は震える手でまだ途中の
弁当に再び封をする。
動揺で途中箸を地面に落としてしまい、もはや親の仇でも見るかの
ような眼力にグレードアップしていた。
すみません愚図ですみません。
175
だからどうかお命だけは!
思わず命乞いしたくなるほどに恐ろしい。
そして隣の吉瀬はギリギリと捻り出すような唸り声を上げるものだ
から生きた心地がしない。お前は犬か!
威嚇する吉瀬とそれを平然と受け流す風紀委員長に挟まれ食堂を移
動。
遠くの方で﹁会長様のファンクラブのクセにお二人にまで⋮⋮﹂と
いう妬みだか嫉みだかの不満げな声が聴こえたが、本当にあなたは
この状況が羨ましいのかと問いたい。
ゴ○ラvsモ○ラにサンドイッチだよ!?
潰されるっつーの!
しかも両サイドから視線で穴が開きそうな程ガン見されてる。
あの、風紀委員長⋮⋮そんなに見なくても逃亡とかしませんよ?
176
23かっちゃんよりたっちゃんより孝太郎
針の筵な食堂を後にした私と吉瀬は、現在風紀室に居る。
実用的でシンプルな室内。
吉瀬と二人並び合い、風紀委員長と対面する形でソファへ腰掛ける。
続きを食べてくれ?
﹁食事を中断させて悪かったな。茶を淹れよう。続きを食べくれ﹂
はて?
一体どんな厳しい詰問が飛び出すのかと身構えていたのだが思わぬ
肩透かしを食らう。
﹁残りは家に帰って食べるので、お気になさらずご用件をどうぞ﹂
﹁いや、そういう訳にもいくまい﹂
拒否を許さぬ強引さで切り捨てた風紀委員長は、スッと箸を差し出
した。
高級そうな漆塗りの箸を前に瞬きを繰り返す。
﹁えっと⋮⋮なんでしょうか?﹂
﹁先程箸を落としていただろう。代わりにこれを使え﹂
おお、そんなことまで覚えているなんて。
出来る人はやはり違うなとか考えている内に、グイグイ迫る箸を思
わず受け取っていた。
177
﹁ありがとうございます⋮⋮﹂
仕方なく再び弁当の蓋を開け残り少ないおかずを平らげてしまう。
その間に風紀委員長が緑茶をすすっと差し出してくれる。
いやぁどうもすみませんな。そうそう、これこれ。この渋さが堪ら
ないんだよ緑茶は。はぁぁ。
濃いめの緑茶を啜り終わり顔を上げると、吉瀬と風紀委員長が二人
ビックリしたっ!
揃ってこちらをじぃぃぃぃっと見ていた。
うわっ!
﹁⋮⋮お、お待たせして申し訳ないです﹂
だから家帰って食べるって言ったのに。
そんなに無言の圧力で急かすことないじゃないか。理不尽に思いな
がら素早く弁当を仕舞う。
﹁あ、これ洗ってお返しします﹂
﹁いやそのままで構わない﹂
でも私との関わりを極力持ちた
さっと取り上げられてしまった箸。
え、いいのかな。駄目じゃない?
くないのかもしれない。
深く考えても分かんないから好意ってことで、感謝しておこう。
﹁それでご用件というのは?﹂
﹁ああ、先日の転校生の制裁についてだ﹂
やはり来たか。
予想していた通りの言葉だ。
しかし同時に違和感も感じる。
178
﹁あの子が被害を訴えたのですか?﹂
転入生が自ら風紀に訴える可能性は少ない気がする。
なにせあの子はホラ⋮⋮何されてもゴニョゴニョとか言ってたくら
いだし。
被害者からの訴えがないとなると、現行犯でも無い限り風紀が動く
事はない筈だ。
﹁いや、彼女は何も言っていない。だが制裁の目撃情報が出ている﹂
﹁目撃情報⋮⋮﹂
﹁ああ。その情報は生徒会長ファンクラブ⋮⋮つまりお前のところ
の元副隊長からだ﹂
﹁っ!?﹂
あのローキックっ!
見事過ぎるローキックだけでは気が収まらず、最後っ屁をかましに
きたわけか。
﹁転校生に暴行を働いたそうだが、どうなんだ?﹂
淡々とした風紀委員長の質問に怒りはフシュリと萎んだ。
そうだよ、自分の事を棚に上げて何怒っているんだか。
暴行はしていないが好き放題暴言を吐いたのは事実。はじめから処
罰は覚悟の上だった。というか生徒会からの処罰は歓迎だったのに、
実際に受けたのは首噛みつきの刑だけとはこれいかに。
しかし風紀からの罰︱︱︱停学という判断が下されるのは避けたい。
ファンクラブから抜けられるのならば背に腹は変えられないので甘
んじて受けるが、そうでないのなら吾妻夫妻に申し訳が立たない。
折角高い授業料を払って下さっているのに、世話をしている子供が
179
舐めてんのか、あ
素行不良だなんてさぞやガッカリすることだろう。
﹁か弱いお姫様がそんな事するワケねぇだろ?
あ゛?﹂
さて、どのように言い逃れるようかと考えているうちに、隣で吉瀬
がヤのつく職業の方々のごとく怒鳴りつけた。
そういえばこの人その道のサラブレッドだった。
﹁普段からお前が嘉川と組んで一般生徒を度々脅迫しているという
知らねぇなぁ﹂
噂も聞くのだが﹂
﹁はぁ?
啖呵に一切動じずない風紀委員長と額を合わせんばかりの距離で睨
み付ける吉瀬。
暫く緊迫した空気が続くがこれでは埒が明かない。
﹁転校生からの訴えは出ていないのですよね?﹂
﹁ああ﹂
チッと舌打ちしそうな程不満そうな相槌を打つ風紀委員長に怯みそ
うになるが、動揺を悟られぬよう無表情を続ける。
吉瀬様に至っては何の証拠も証言もない筈です﹂
﹁でしたらたった一人の証言だけで私を風紀で処分するのは難しい
のでは?
吉瀬に脅されたなんて風紀に訴える自殺願望者はそうそういないだ
ろう。
﹁チッ﹂
180
委員長、本当に舌打ちしちゃったよ。
﹁テメェ俺の姫に向かってなんて態度してんだコラ﹂
あんたのじゃないですけどね。
またまた睨み合う二人にため息を吐く。
ようま
﹁とにかく私達はこれで失礼して宜しいですか?﹂
﹁いや、それともう一つ。この件に関しては陽真に聞きたい﹂
﹁んだよ⋮⋮﹂
陽真とは誰だ。なんて委員長の言葉を訝しく思っていると、隣の吉
もしかして陽真って吉瀬のこと?
瀬が物凄く不機嫌そうな低音の声で返事をした。
え?
﹁先程お前のクラスの生徒が保護された﹂
﹁それがどうしたんだ﹂
名前呼びという二人の思いがけない距離感に目を丸くする私を気に
することなくやり取りは続く。
﹁発見されたのはゴミ置場だ。どうやら暴行された形跡があり、意
ちょっと待ってそれって、さっき吉瀬からシメられてた人じ
識はあるが怯えて何も語ろうとはしない。心当たりはないか?﹂
ん?
ゃない!?
捨てて来いとは言ってたけどリアル
どんだけ鬼畜だ!もう本当にあのクラスは
ちょっとなにやってんの!?
に捨てる奴があるか!
ぶっ飛んでる。
181
﹁なんだソレ?知らね﹂
﹁⋮⋮そうか。陽真のクラスの生徒なのだが﹂
この人一切悪びれる様子もなく言い切りおった。よもやさっきの事
をもう忘れたわけじゃないよね。
この様子では委員長は全く納得していないようだ。
﹁用件は終わったようですので私達はもう去りますね﹂
あまり長居するのはマズいと判断し吉瀬を引っ張り立ち上がる。
﹁待て﹂
しまった逃げ遅れたか。
外への扉へと手をかけた時、制止をかけられ恐る恐る振り返る。
そこには強い眼差しをした風紀委員長が居た。
その眼差しが憎悪なのか嫌悪なのか読み取れないが、それは吉瀬で
はなくしっかりと私へと向かっている。
﹁いつか捕まえてみせる﹂
低い声で呟かれ、改めて委員長に嫌われている事を実感し切なくな
ってしまう。
吾妻の名に手が出せないのか、絶対に風紀からマークされている筈
のファンクラブ隊長である私が捕まった事は一度もない。
その事を風紀委員長が忌々しく思っているのは明らかだ。
男前で頼りになり正義を貫く風紀委員長。
私や吉瀬は蛇蝎の如く嫌われているが、それ以外はファンクラブで
あっても不良であっても生徒会であっても全てを平等に扱う。強気
182
を挫き弱気を助けるとても素敵な人だ。
多分吾妻なんか関係なくファンクラブに入れって言われたら、絶対
にこの人のに入ったであろうぐらいに慕っていたりする。
いや、風紀委員にファンクラブは作れない決まりだから、きっと風
紀入りを望んだだろう。
そんな密かに尊敬している人に負の感情を向けられるのは正直ツラ
い。
せめて某三世の泥棒と某とっつぁんのような熱い関係になりたいも
のだけど⋮⋮無理か。
私がファンクラブ隊長なんてやっているのが悪いのか。
諦めの胸中で苦笑し風紀委員長へ頭を下げ、風紀室を後にした。
﹁あー緊張したぁ﹂
廊下に出ると張っていた気が一気に緩む。
かづき
﹁楓月の野郎⋮⋮こんなくだらねぇことに姫の手を煩わせやがって﹂
苛立たしげに吐き捨てられる吉瀬の言葉にまたしても違和感を感じ
る。
楓月ってもしや⋮⋮
何故だ?﹂
先程彼
﹁あの、吉瀬様と風紀委員長様は仲がよろしいのですか?﹂
﹁ん?
不思議そうに目を瞬かせる吉瀬。
いや、なんでってアンタ⋮⋮。
﹁だってその、楓月って風紀委員長様のお名前ですよね?
183
も吉瀬様をお名前で呼んでいらっしゃいましたし⋮⋮﹂
﹁確かに楓月はあいつの名前だが、仲が良いとは言えないな﹂
だったら何故に名前呼び?
片や不良の元締め、片や生真面目な風紀委員長。二人の関係性が全
く読めない。
それとも楓月の方が気になるの
首を捻る私にふっと優しく笑いかける吉瀬。
﹁姫は俺のことが気になるのか?
か?﹂
﹁ええっと、どちらもですかね﹂
﹁相変わらず欲張りだな。俺だけを見て俺だけを気にしてくれたら
どれだけ嬉しいだろうか﹂
私の髪を一房取りそっとそれに口付ける吉瀬。
なんだこの茶番。背中が痒くなる。
そういうのいいから話を進めて下さい。
﹁俺と楓月は双子だ﹂
﹁ええ!?﹂
若干感じていた苛立ちが一気に吹っ飛んだ。
吉瀬と風紀委員長が双子って何、どゆこと!?
髪型を揃えると結構似ているぞ。まぁ二卵性だからソ
﹁全然似てませんがっ!﹂
﹁そうか?
ックリとは言えないが﹂
﹁確か苗字違いますよねっ?﹂
﹁両親が離婚しているからな。俺は父に引き取られ、楓月は母の方
に引き取られた﹂
184
﹁っ⋮⋮それは、なんというか、無神経ですみません﹂
﹁昔のことだ気にするな。あいつと一緒に住んでいたのはガキの時
だけだから、一般的な兄弟よりも関係は薄いだろう。何より性格が
違い過ぎてソリが合わねぇ﹂
もしかしてこれって学園では常識だったりする?
なんでもないことのように爆弾発言をペロリとかましてくれる。
⋮⋮⋮⋮ん?
私がボッチだから知らなかっただけ? ナニソレ寂しい⋮⋮⋮。
185
24電波送信中︵前書き︶
本日二話更新です。前話よりお読みください。
変態注意!
186
24電波送信中
*別サイド視点
俺は昔から落ちぼれていた。
優秀な片割れが両親を喜ばせる一方、自分は何をやっても彼らを落
胆させることしか出来ない。
同じ腹から同時に産まれ出たというのに、どうしてこのようにうの
かと悩んだ幼いあの頃。
だが片割れは俺になど興味がなさそうだ。
どんなに敵対心を滲ませようが、どんなに勝負を仕掛けようが、返
っくるのは無関心でどこか呆れを含んだ視線のみ。
そうか、片割れは片割れであって全く別の個体なのだ。
いつの間にか自分も片割れとの違いで悩むのを止めた。相手が意識
していないのに自分ばかり気を張っても虚しいだけだ。
双子というのは痛みさえ共有するほど絆が深いと言われているが、
俺たちにそのようなものは感じられない。
両親の離婚により離れることが決まった時でもなんの感慨もなかっ
た。
離れて暮らして数年、進学した先で再会した時も﹁ああ、居るな﹂
という感想しか浮かんで来なかった。
当然クラスも別々となれば会話もない。
双子でありながら俺達は顔見知り程度の関係だ。
離れて見る片割れは相変わらず優秀で、だからと言って昔のような
187
悔しさもない。
只々俺達にあるのは無関心のみ。
そんな俺達は四月から最高学年に上がった。
相変わらず時たま見かけるだけの片割れだが、近頃様子がおかしい。
見た目には全く変わらないが、何かが違う。
周りはその変化にまったく気付いていないようだが、片割れは間違
いなく変わった。
そのことに真っ先に気付いた自分は、やはり奴を未だ意識していた
のかもしれない。
それとも皆無と思っていた双子としての繋がりが僅かでも存在して
いたのだろうか。
しかし奴の変化の正体はなんだ?
違和感の先に辿り着いたのは、目だった。
誰を目の前にしてもそこに何も存在しないかのように何も写さなか
った瞳が、この頃よく動いているのだ。
まるで誰かを探しているように。
その正体が気になり更に注意深く片割れを観察していた。
そこで行き着いた存在に、俺は強い衝撃を受ける。
片割れの視線の先にあったのは小柄で黒髪が綺麗な女子生徒。
ピンと張った背筋や優雅な所作はその女子の育ちの良さが伺える。
美しい顔立ちをしているが、華はあっても派手さはまったくない。
どちらかと言えば大和撫子を連想する大人しそうな子だ。
人それぞれ好みはあろうが、十人が十人ともに可愛らしい容姿だと
頷くであろう少女。
188
一目視界に入れた瞬間からもう目が離せない。
あの子は⋮⋮⋮⋮あの方は、俺の前世の恋人だ。
何故忘れていられたんだ!!
思い出した。脳内に一斉に情報が流れ込んでくる。
嗚呼、何故忘れていたんだ!
己の不甲斐なさに愕然とする。
死しても尚、あの方を愛し抜くと決めていたではないか。
俺の姫であり女神であらせられる彼女の降臨に、身体は恐れ多くも
恋と言う名の雷の直撃を受け痺れ焦げ付き動けなかった。
唐突過ぎるかもしれないが、俺は前世で騎士だった。
守るべき存在の姫と恋に落ちてしまい、身分差に悩み苦しんだ護衛
騎士。
前世ではついぞ婚姻を果たす事はなかったが、来世では必ず夫婦と
なろうと契りあったのに。
それをすっかり忘れていたとは何たる不覚。
申し訳ありません姫様。貴女のナイトは今世でもきちんと貴女の側
に居ります。
もうあのような哀しい別れなど二度としたくはない。
今世では必ずや貴女を守り抜きましょう。
﹁失礼しました﹂
パタンと控え目に閉まった扉に大股で近づき鍵を回す。
ノブを揺すりしっかりと施錠されていることを確認し、大きく息を
189
吸った。
スーーーハーーー⋮⋮⋮⋮
嗚呼、なんと芳しい⋮⋮
胸いっぱいに広がるあの方の甘い香りに脳内が痺れ麻痺する。
口、鼻、全身の毛穴からあの方の空気を取り入れることのなんたる
至福。
暫し扉に身体を預け陶然と立ち竦んでいたが、ハッと我に返る。
何をやっているのだ俺は。
己の愚行に気付き、慌てて向かったのはソファ。
目の前にあるそれに腰掛けることをせず床に座り込むと、彼女が先
程まで尻を置いていた位置にそっと頬を寄せる。
嗚呼⋮⋮まだ、温かい⋮⋮⋮⋮。
彼女の臀部がここに⋮⋮今俺は彼女の可愛らしい尻に頬を寄せてい
るのか⋮⋮。
頬に感じる仄かな熱が俺を幸せへと導く。
スリスリと満遍なく熱を堪能していたが、そのうちそれだけでは足
りなくなる。
思わず舌を出して熱を掬い取るように舐めた。
それは革の香りだけの無味であったが、俺にとっては痺れるほどに
甘かった。
嗚呼、嗚呼、彼女の形の良い丸い尻を俺は今っ⋮⋮
いつまでそうしていただろうか。
すでに彼女の熱ではなく俺の頬の熱しか残っていないことに気付き
顔を離すが、目は血走って爛々としているだろう。
その目でギロリと捉えたのはテーブルの上に置かれた湯呑み。
190
震える手でそれを掴む。
中には少しだけ残った緑茶が。
ゴクリ、と響くほどの大きさで喉が鳴る。
急いで自分の机の引き出しを漁りこんな時の為に用意していたアン
ティークの小瓶を取り出す。
パリの蚤の市で一目惚れした純度の高い透明感の美しいデザインの
それは、彼女の口付けを受けた清水には相応しい入れ物だ。
零さぬよう慎重に注ぎ入れると小瓶は大切に鞄にしまった。
帰ってガラスケースに飾ろう。
素晴らしいコレクションがまたひとつ増えた。
さて、残されたのは彼女の使用済みの湯呑みだ。
⋮⋮嗚呼、舐めてしまいたい。
彼女の唇が触れていた縁は勿論のこと、彼女の指の指紋までペロペ
ロしたい。
衝動的に行動してしまいそうになるが、彼女が口付けた形のまま保
存しておきたいとコレクター魂がそれを抑える。
駄目だ、これは、そのままがいい。
彼女の唇が触れた、そのままの状態でコレクションするのだ。
理性が勝っているうちに手早く鞄からファスナーの付いたビニール
袋を取り出し湯呑みをそこに入れると空気を極力抜いて口を閉める。
なに、ガッカリすることはない。
俺には彼女が先程使用したこの箸があるのだ。
これは手に入れば思う存分舐めまわそうと最初から決めていた。
俺が先に使った⋮⋮俺の唾液が付着している箸を、彼女があの可愛
らしい口に迎え入れてくれた時の興奮といったらっ!
191
荒くなる呼吸を抑えるのにどれだけ苦労したことか。
惜しむらくはこの箸が割り箸でないことだ。
このように漆が塗ってあっては、彼女の唾液が染み込む余地がない
ではないか。
割り箸であれば一日中おしゃぶりのようにふやけるまでチューチュ
ー吸っていただろう。
まぁ、勿論この箸でも今日帰ってから寝る時まで吸い続けるのだが。
愛する人の物を収集し全身で堪能するのは、前世でも今世でも俺の
生きがいだ。
姫にはいつも、おかしな癖ね⋮と苦笑されていた。
周囲の者達は姫への愛の行為を見て俺を変態だと嫌悪し蔑み嘲笑っ
た。
自分の愛の表現が些か普通と異なっていることには気付いているが、
愛する人の痕跡を愛でて何が悪いというのか。
現に姫自身は仕方ないなと呆れたようではあるが笑って受け入れて
下さったのだ。
誰に認められずとも、あの方にさえ認めて貰えればそれで良い。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1662cb/
キャッチあんど……
2016年11月9日21時01分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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