摂食嚥下障害の 倫理

摂食嚥下障害の
倫理
著 者
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箕 岡
真 子
藤 島
一 郎
稲 葉
一 人
㻌
㻌
株式会社㻌 ワールドプランニング㻌
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はじめに
食べる喜び,元気は口から・・・.私たちは「口から食べる」ことに
日々喜びを感じています.しかし,残念ながら,脳卒中による麻痺や,
パーキンソン病などの神経変性疾患,がんの終末期,あるいは認知症
の終末期などでは,うまく食べることができなくなってしまいます.
そして,これらの「うまく食べることができなくなってしまう病気」
は,しばしば,同時に,
「自分のことを,自分で決めることができな
くなってしまう」という自律・自己決定の障害を伴っており,倫理的
に問題となってきます.
まず,このように食べたり飲んだりできなくなったときに,それは
「治癒可能な病態なのか」
,あるいは「治癒不可能な病態なのか」に
ついて医学的に適切な診断がなされる必要があります.もし,摂食嚥
下障害が一時的なものであり治療可能な病態である場合には,嚥下リ
ハビリテーションなど,適切な医療を頑張って受けてもらうことが望
まれます.そして,医療ケア専門家は,医療・生活両面から,本人が
「口から食べること」を応援し支えることになります.
本書では,摂食嚥下障害に関する医学的基礎知識を藤島一郎先生
(日本嚥下医学会理事長,日本摂食嚥下リハビリテーション学会副理
事長)が担当しています(ケース 1・2・3・5・9 は,藤島先生からの提供
事例です).また,法的視点が必要なケースでは,稲葉一人先生にアド
バイスをいただいています.
ケース 1 は,摂食嚥下障害の徴候に,まず「気づく」ことの重要性
について,ケース 2,3 は,嚥下障害が回復可能なケースです.実際,
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本人に意思能力があり,回復可能な病態の場合には,患者と医療者と
の間に適切なコミュニケーションがなされていれば,倫理的に問題と
なるケースは多くはありません.
では,もしも嚥下リハビリを行ったとしても,口から食べることが
回復不可能であるとわかったときには,私たちはどのようなことを考
えればよいのでしょうか.たとえば,誤嚥による肺炎を繰り返してい
る脳血管障害のケースで,経管栄養が有効と思われるにもかかわらず,
意思能力のある本人が「胃ろうはいやだ.死んでもいいから口から食
べたい」といっている場合はどうでしょうか(ケース 5).
「本人の願
望を尊重することはよいことである」という倫理的価値と,食べれば
肺炎で苦しむことになる確率はきわめて高いことから,「本人の病状
を改善することを優先すべきである」という倫理的価値が対立し,倫
理的ジレンマが生ずることになります.また,がんの終末期で余命が
限られているケースで,経管栄養の医学的有効性には限界があると思
われる場合に,意思能力のある本人が「なにがなにでも水分や栄養を
入れてくれ」といったときはどのようにすべきでしょうか(ケース
6-2).
さらに,本人が意思表明できない場合には,関係者は,本人の真意
がわからないままに憶測しなければならなくなり,更なる倫理的ジレ
ンマが生ずることになります.
医療者が経管栄養は有効であると考えるケースで,本人が事前指示
で「積極的治療は望まない」と明示していた場合には,どのようにす
ればよいのでしょうか(ケース 6-1)
.あるいは,本人の事前の意思が
まったく不明の場合にはどのように対処すべきでしょうか
(ケース 8)
.
最近,増加の一途をたどっている認知症,なかでも最も頻度が高い
アルツハイマー病も,終末期になると嚥下困難が出現しますが,本人
は意思表明することができません.終末期認知症の人にとって経管栄
養は有用なのでしょうか.もし,有用であるというエビデンスがない
にもかかわらず,本人が事前指示で「水分栄養補給を望む」としてい
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はじめに 5
た場合,われわれはどのように対応すべきでしょうか.あるいは,本
人の事前の意思がまったく不明の場合にはどのようにすべきでしょ
うか(ケース 8).
さらに,家族内で,今後の治療方針について不一致がある場合はど
うでしょうか(ケース 8)
.また,家族と医療ケア専門家の間で不一
致があった場合はどうすべきでしょうか.特に医学的に経管栄養が無
効と思われる場合に,家族が要求してきた場合.反対に,医学的に経
管栄養が有効と思われる場合に,家族が拒否した場合には,倫理的ジ
レンマに直面することになります.これらのジレンマからは,
「家族
の意見は,本当に本人の最善の利益を反映しているのか」「家族が代
わりに,すべて決めてしまってよいのか」といった問いが生まれるこ
とになります.これらの意見の不一致に直面した際の苦悩を軽減する
ためにも,本人の考えや願望を前もって知っておくことが重要となり
ます.今後,「自分のことを,自分で決めることができるうちに,自
分自身の終末期医療について,一度考えてみる」という事前指示の普
及が望まれます.
また,摂食嚥下障害の評価は,終末期の診断と大いに関係していま
す.終末期に近づくと,人間は食べなくなるということを,人々は経
験から知っています.したがって,
「終末期である」という診断には,
“なぜ,食べられなくなったのか?”という摂食不良の原因について,
これが治る病態なのか治らない病態なのか,適切にアセスメントがな
される必要があります.
もし,総合的に判断して,
「終末期である」と適切に診断がなされ
たのであれば,人工的水分栄養補給である胃ろうは,延命治療になる
ことが多いといえます.延命治療については,本人の意向や価値観に
よって,
「やるとか,やらないとか」今後の方針を選択する余地が出
てきます.それに対して,
「まだ終末期ではない」と診断された場合
には,人工的水分栄養補給である胃ろうは,救命治療になると考えら
れることが多いことから,通常は実施されることになります.
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さらに最近,胃ろうの問題だけでなく,誤嚥防止の目的で,喉頭摘
出や声門閉鎖術などの積極的治療法が比較的低侵襲で実施可能とな
ってきています.これらの医学進歩に伴う治療法は,どのような条件
のもとにその適応が決められるべきでしょうか.
本書では,さまざまな実際のケースを取り上げていますが,臨床現
場は千差万別で,そのまま当てはまる訳ではありません.皆さまが摂
食嚥下障害の患者さんの対応にあたって倫理的ジレンマに悩んだと
き,皆さまのそれぞれの現場の状況に応じて対処できるように,倫理
的思考のツールとして役立てていただきたいと思います.
「たとえひと口でも最後まで口から食べてほしい」という家族や医
療ケア関係者の切なる気持ち,あるいは「食べることを通じて心が通
い合う」といった口から食べることの大切さを心に留めながら,これ
らの問いについて皆さまといっしょに考えていきたいと思います.
平成 26 年 1 月
箕岡 真子
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