小竹駅 千石 じん ぐう こう ごう 小竹町役場 飯塚 神功皇后伝説めぐりマップ 勢田 脇田 猪野ダム 幹線 力丸ダム 鹿毛馬神籠石 笠城ダム 新 山陽 天照皇大神宮 目尾 三ツ頭山 ▲ 449 幸袋 旧伊藤伝右衛門邸 建花寺 八木山渓流公園 蓮台寺 横田 花瀬 大日寺 片島 明治橋 200 上三緒第2団地入口 堀池 473 綱分栄町 201 筑豊烏尾トン ネル 船尾駅 赤松橋 415 筑前庄内駅 下鴨生駅 遠 賀 川 山野 JR 穂波西 道の駅 いとだ ⑩日若神社 上三緒駅 か線 椿 ⑦椿八幡宮 糸田町役場 上三緒 鶴三緒橋西 ゆた 八木山花木園 龍王山 ▲ 城戸南蔵院前駅 402 福北 篠栗 543 飯塚駅 穂波東 筑前山手駅 多田 鳥羽池 ス イパ バ 川 ⑪綱分八幡宮 田 庄内 飯塚 綱分 柏の森 明星寺 烏尾峠 仁保 笠松 徳前大橋北 高田 篠栗駅 糸田駅 201 立岩 嘉穂劇場 枝国北 100 鳴淵ダム 門松駅 県営筑豊緑地公園 筑豊ハイツ 飯塚市歴史資料館 ⑧曩祖八幡宮 大日寺 201 415 421 新飯塚駅 西町 ピクニカ共和国 201 松山駅 ス イパ 号バ 200 立岩 飯塚市役所 勝盛歩道橋 蓮台寺 八木山展望公園大日寺 農楽園八木山 豊前大熊駅 浦田駅 水江交差点 八木山峠 久山町役場 久原ダム 国道 許斐神社許斐神社 鉾立山 ▲ 92 200 鯰田駅 ⑨撃皷神社 相田 35 川 遠賀 鯰田渡 450 菅嶽 ▲ 金田駅 石丸団地 30 白旗山 ▲ 猫峠 人見駅 旧松喜醤油屋 小竹上町 笠置山 ▲ 赤池駅 62 200 犬鳴川 犬鳴ダム 下鴨生 211 435 ②綾杉 若杉山 ▲ ②太祖宮奥の院 筑穂 ③ショウケ越 201 鴨生 天道駅 太郎丸一区 高田口 久保白ダム 久保白ダム 瀬戸 ▲ 大将陣山 稲築郵便局前 60 九郎原駅 ④腰掛石 須恵スマートIC 山バ 八木 ス イパ 筑前大分駅 444 王塚装飾古墳館 60 新原駅 桂川駅 新茶屋 ⑥うぐいす塚 ⑤大分八幡宮 砥石山 ▲ 出雲 山田バイパス 飯塚市役所 筑穂支所 90 牛隈 飯田 上穂波駅 宇美 道の駅うすい 川 川 山口 嘉麻市役所 山田庁舎 西郷橋 嘉麻市役所 碓井庁舎 200 九州自動車道 三郡山 ▲ サンビレッジ茜 弥山岳 ▲ 66 大隈 ⑬射手引神社 嘉麻市役所 嘉穂庁舎 65 大野城跡 大城山 ▲ 宝満山 ▲ 35 筑前内野駅 米ノ山峠 御笠 大イチョウ 内野駅前 宗賢寺 内野宿展示館 ⑯竈門岩 上才田 四王寺山脈 ⑯竈門神社 御笠 太宰府市役所 川 太宰府 大宰府政庁跡 3 402 長尾 西光寺 35 宇美駅 水城跡 ⑫稲築八幡宮 上才田 413 322 90 切畑ダム 太宰府IC 土居 桂川町役場 68 ①宇美八幡宮 金国山 ▲ 漆生 寿命 須恵町役場 414 太宰府天満宮 211 322 大根地山 ▲⑮大根地神社 宝満川 ⑭烏帽子岩 道 水 冷 ① うみはちまんぐう 宇美八幡宮 神功皇后が三韓出兵からの帰途に応神天皇を ご出産された聖地。境内には「産湯の水」や 神功皇后を祀った聖母宮などがある。 ⑤ だいぶはちまんぐう 大分八幡宮 筥崎宮の元宮といわれている大分八幡宮の境 内には、神功皇后ゆかりの大楠と応神天皇の 産湯の井戸がある。 ⑨ げきこじんじゃ 撃皷神社 上宮の鼓打権現と下宮の笛吹権現は神功皇后 が三韓出兵の際の神楽奉納で、囃子の太鼓・ 笛を指導した神といわれている。また、都に 帰る途中に立ち寄り、白旗八流を納め奉斎さ れ、下宮の横にある池の水を汲み授乳の祈 願をされて以来「乳の池」と呼ばれている。 ⑬ いでびきじんじゃ 射手引神社 神功皇后が羽白熊鷲征伐で困難な戦いの中、 貴船宮の森に隠れ神々の御加護を祈ると、手 力雄命が射手を率いて現れ貴船の神々と共に 神功皇后の戦いを手助けした。その後、射手 力大明神を祀る神社と称し、射手引神社と呼 ばれるようになった。 ② 路 たいそぐう あやすぎ 太祖宮 綾杉 神功皇后が三韓出兵の際に、若杉山頂の太祖 宮で祈願をし、御神木を手折り鎧の袖にさし て御守にした。凱旋後、この枝を香椎宮に植 えたのが香椎の綾杉であり、明神加護のお礼 に枝分けして植えたのが若杉山の綾杉である。 ⑥ づか うぐいす塚 神功皇后がここで軍勢を解散し、それぞれの 故郷に帰らせた。以来この地を「大分(おおわ け) 」と呼んだのが「大分(だいぶ)」の地名の 起こりであるという。 ⑩ ひわかじんじゃ 日若神社 神功皇后が都に帰る途中ここを通り、霊泉の 立派なことに感激され、皇子とともに息災延 命を祈願し禊をした霊場とされている。神功 皇后がこの地は「ただならぬところ」と言っ たことから多田という地名になったという。 ⑭ えぼしいわ 烏帽子岩 大根地神社参道沿いの朱塗りの鳥居の左側に 「烏帽子岩」が鎮座しており、 「神功皇后羽白 熊鷲征伐指揮の地」と記してある。 夜須高原 ③ ごえ ④ ショウケ越 ショウケとは竹で編んだザルの一種、笊笥 そうけ ) が訛ったもので、神功皇后が宇美八幡 宮で応神天皇を出産後、ショウケの籠に入れ て峠を越え、大分 ( だいぶ ) に至ったことから 「ショウケ越」と云うようになった。 ( ⑦ つばきはちまんぐう 椿八幡宮 神功皇后が都に帰る途中立ち寄られ、堅い木 で作った剣の鍔を奉納し、日本の平和と繁栄 を祈願したとされている。 ⑪ つなわきはちまんぐう 綱分八幡宮 神功皇后が安産のおまじないとして産綱を分 けてお祀りしたことから、その土地を「綱分」 と呼び綱分八幡宮と名付けられた。 ⑮ おおねちじんじゃ 大根地神社 神功皇后が羽白熊鷲を征伐する際に登山し、 天神 7 代、地神 5 代を祭って勝利を祈願した のが始まりとされている。 こしかけいし 腰掛石 神功皇后が「ショウケ越」で峠を越えるとき に、この石に腰を掛けて休憩したと伝えられ ており、通称「腰掛石」と呼ばれている。 横の石碑には「神功皇后御遺跡之碑」とある。 ⑧ のうそはちまんぐう 曩祖八幡宮 神功皇后が三韓出兵からの帰途、長年付き従 った九州の臣たちと別れを惜しみ「またいつ か逢いましょう」と口々に言い、この「いひ つか」が「飯塚」の地名の由来の一つである と伝えられている。 ⑫ いなつきはちまんぐう 稲築八幡宮 神功皇后が都に帰る途中に立ち寄ったとき、 急なことで座布団が間に合わず稲束を敷いて お迎えした。その稲を一束埋めて祀ったのが 稲築八幡宮の起こりで、稲築の地名の由来に なっている。 ⑯ かまどじんじゃ かまどいわ 竈門神社 竈門岩 神功皇后が三韓出兵の際に宝満山に登り 再会を誓ったという「サイカチの木」が境 内にある。また、上宮に続く宝満山の八合 目付近には竈門岩があり、応神天皇の産湯 を沸かしたという伝説が伝えられている。 参考文献: 『アクロス福岡文化誌 6 福岡県の神社』海鳥社、河村哲夫『西日本古代紀行~神功皇后風土記~』西日本新聞社、綾杉るな『神功皇后伝承を歩く上・下』不知火書房 作成協力:麻生西日本新聞 TNC 文化サークル 作成:飯塚観光協会 2016 年 11 月発行
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