新しい科学

人
間
科 学
(xxm)
筒 井 健 雄
信州大学教育学部紀要第 5
4号
1985年 8月
4
1
人間科学
(
X
X
I
I
I
)
一一登校拒否児の心理治療について一一
筒井健雄
登校拒否児の治療に関して一つの覚書をしておきたい。その要点は(1)今日,登校拒否とい
う状態に陥る子供はかなりいて早期の相談治療を受ける必要があるということである。
(
2
)こ
の早期の相談治療において最初にして最後までの治療者は親であり,また学校の担任の先生
3
)こうした現場の早期治療者に協力するため,子供の発達段階に応じた正しい相談
である。 (
治療のできる専門家とそのための施設が欲しいということである。
NHKのラジオ相談などの場合でもうまくゆく場合とそうでない場合とがある。ラジオな
どの顔が見えないという点や広く治療の機会を提供できるという点の長所もあるが,その点
は同時に直接的な人間関係の欠知とか個別性に充分応じ切れないという短所にもなるのであ
る
。
そうして結果的に登校拒否症状をますます悪化させるということになる場合もあるのであ
る
。
この事例 (AK事例とし,本人は K とする〉は 1
9
8
4年 7月父親の転勤に伴い大都会から田
舎へと転校してきた小学校 2年生(女子〉の例である。正式の登校は 2学期からであった。
1
2月 7日にラジオ相談で間接的に,ある専門家の先生に指導を受ける。そのときから本格
的に学校へ行かなくなる。母親がその先生の書いた「登校拒否」という本を読み、無理に学
校へ連れて行かないこと
H
とし、う示唆を受けて実行しはじめたためで、ある。それまでは車で
学校の近くまで、連れて行っていた。
この事の功罪を考えてみると,功としてはそれまでの本人の意志を伴わないニセの登校を
止めたことである。だが,罪としては本人が心から学校へ行こうとするように仕向けなかっ
たことである。仕向けないことが効果的である年令段階もあるのであるが
2年生ぐらいの
時には自覚を待っていたのでは登校しないことを習慣ずけることにもなるし,しつけのない
我がままな性格を助長することにもなるのである。人格の発達段階についての配慮、が欲しか
ったという感じがするのである。
その後母親は相談に乗ってくれる機関を求めて大妻女子大,京大,東大と尋ね歩き東大か
ら私の所へ紹介されたのである。
私の治療方針としては Kが 2年生であるから,子供にたいしては行動療法的な接近をして,
母親に対しては来談者中心療法的なものにユング的な方法を交えた面接をすることにした。
行動療法的といっても私自身は行動主義者ではない。私は科学的存在論に立つ人格形成主義
者というような立場であろうか。私の理論としては心理治療者は「問題を持った人とかかわ
ることにより,その人の人格が広がることを助ける人」なのである。同時に心理治療者自身
4
2
信州大学教育学部紀要 N
uS4
の人格も来談者と真剣にかかわることを通して広がるのである。むしろ,まず,第一に治療
者自身が広がることによって,来談者も広がるのである。
Kの母親はなんとかして Kを立ち直らせようと努力した。この母親の熱意がなんと言って
も一番重要であったと思う。しかし,そのエネルギーに正しい方向性を与えるためには,カ
ウンセラーが居なくてはならないのである。
カウンセラーあるいは心理治療者は科学的な人格形成理論に従って治療に従事するが,そ
れは実際的な効果をもたらせば良いのであって,その理論を来談者に語る必要はないのであ
る
。
科学的な人格形成理論というのは,科学的存在観に立つ人間科学であるが,治療の実際に
まず自分に頼る」ということである。これは自立
応じるために,もっと具体的に言うと, I
の精神であって,自分以外のものに頼らないということである。これは他者を信用しないと
L、う意味ではない。他者を信頼しても,頼らないということである。
さらに自分が自分を信頼し,自分に頼るように他者を信頼し,他者の世界を尊重するとい
うことである。そうして他者を自分の中に繰り込んで,より広い自分を形成することである。
こうした観点から見るならば,
Kが何故登校拒否を起こし、さらにどのようにして直って
いったか,が明らかとなるのである。つまり, Kの人格がどのように狭まり,次にどのよう
に広がっていったか,その狭まりと広がりの過程を解明してみれば良いのである。
Kの人格が狭まって行った過程
二学期から Kは正式に新しい学校へ登校しはじめた。 Kの狭まりの最初のきっかけは,母
親の報告によると「水泳の記録会のための練習」だったらしし、。前の学校では Kは水泳はも
ちろん運動すべてが得意な方だったようである。ところがこちらの学校では友達が皆水泳が
上手である。 Kは引け目を感じていたのであろう。そこへもってきて,ある時, Kは息つぎ
がうまくできなくてプールの真ん中で、立ってしまったらしし、。そうしたところ,若い元気の
し、し、男の先生に「そんなところで立つ奴は沈めちゃうぞ」と怒鳴られてしまって,ひどくシ
ョックを受けたようである。この新しい学校では当たり前のやり取りらしいが, Kにとって
はショックだったらしい。
母親はそのことについての連絡メモを書いて、先生に渡すようにと Kに持たせた。しかし,
Kは「どうしても渡さなきゃいけなし、」と聞くので, I
渡さなくても何とかやれそうなら渡
さなくていいのよ」と言った。 Kは結局先生に渡さなかった。
その後も,クラスの子とかにいじめられたりすることがあって,その度に連絡メモを持た
せた。しかし,ある時母親は Kのランドセルの中にメモがそのまま一杯あるのを見付けた。
Kは先生に何も伝えていなかったのである。
1
0月の始めに母親は担任の先生(男性〉に話した。先生はそれまでは何も知らなかったよ
うであるが,その後「あの子は遠くから来たんだから……」と言ってくれて面倒を見てくれ
た
。
0分の道程を
ところが,ここで,さらに Kの人格を狭めさせる事が起こる。 Kは学校まで 3
筒井:人間科学
(XXII
I
)
43
二人の友達と一緒に行くのだが,一人の友達がもう一人の友達に Kのことを「ねえ,ねえ,
あの子パカだよ」と言ったことに Kはショックを受けたとし、う。ここにおいて Kの外的対象
関係(学校関係,具体的には先生や友人との関係〉における人格は完全に狭まるのである。
それからは母親も Kを一人で学校に通わせるのであるが,そのころから Kはお腹が痛いとか
訴えて登校をしぶりだすのである。
このような経緯を経て Kの内的対象関係における人格は完全に学校関係を恐れ拒絶したも
のとなっている。ただ形だけは親が学校の近くまで、車で、送っていくために通学しているとい
う状態が 3週間ばかり続いたのである。こうしたニセの登校はラシオ相談を通して解消した
のである。
しかし,既に述べた通りこのラジオ相談は Kの広がりを作って行く上では不充分なもので
あった。
それでは Kの広がりを作るためには,どのようにすればよいのであろうか。そのためには
Kの外的対象関係における人格が何故学校関係において狭まってしまったのか,それを明ら
かにしつつ治療関係を発展させて行かなければならないのである。
普通,子供は学校で先生に怒鳴られたり,友達にし、じわるされても平気で学校に通い続け
るものである。現に Kの 2歳年上の兄は新しい学校に適応して通い続けていたので、ある。こ
の兄は母親と同じような性格でひょうきんに人を笑わせる術を心得ていたらしい。ところが
Kは父親似でしっかりした処と神経質な処とを持っていた。その上母親の話しから次第に明
らかになってくるのであるが,母親の妹の子 (Eちゃん〉とのことが Kの母親に対する不満
としてくすぶっていたのである。母親にとって兄弟の中でも特別大事な妹の二番目の子が生
8
3
) の1
2月の始
まれるというので母親は Eちゃんを引き取って世話をしてあげた。昨年(19
めのことであった。
Eちゃんは Kより 4歳年下である。母親は Eちゃんが寂しがらないようにとかわいがった。
Eちゃんは Kの玩具を触る。 Kはそれがし、やで,母親に iEちゃんが私のおもちゃに触った
ら,しかつてね」と言って学校へ行く。母親は「ええ,ええ」と言って請け合うが,実際は
Eちゃんがうちへ帰りたいと泣いたりしないようにするために,しからない。 Kは iEちゃ
ん触ったらしかつてくれ」と言う。そこで母親は「あした,しかるからね」と言う。一寸延
ばしに延ばすわけである。そして翌日 Kからまた Eをしかったかと要求されると「あら,そ
んなことあったかしら」と言うのである。 Eちゃんとのマンガの取り合いでも我慢させられ
た Kは iEちゃんのことばっかり,かわいがって,私はかわし、くないんだ」と母親のことを恨
2月始めに生まれて間もなく(2
みに思うのである。しかも運の悪いことに妹の赤ちゃんは 1
か月半位で〉重い肺炎にかかるのである。このようなことが,こちらへ来る 7月までに三回
あって, Kは大変であった。 Kの前の学校の先生への日記には毎日 Eのことが書かれていた。
先生からのは赤い字で iKさんがそんなに困っているなら,お母さんに相談してみたら
…」とあった。母親は後になって, Kの日記をこっそり見て,そのことを知ったのであっ
た
。
K の E~こ対するカイン・コンプレックス的な葛藤の烈しさは東大の相談室を訪ねる前日,
44
信州大学教育学部紀要 N
o
.
5
4
妹の処にとまった時,夜中の一時近く Kが Eの人形を夢中で壊そうとしていたという事から
も分かるのである。 Kは前に Eのために自分の大事にしていた人形を壊されたと L、ぅ恨みが
あったのである。その人形は同じものを新しく買ってもらったのだが, Kは Eを許すことが
できなかったのである。 Kは叔母の家に泊まることを来る前はひどく楽しみにしていたので
あるが,実際に来てみたらすごく荒れてしまったのである。このように,
との葛藤状態があって,
Eとのことで母親
Kの家庭内での外的対象関係における人格が狭まっていたために,
Kの家庭レベルで、の内的対象関係の人格には狭まりがあった。このため Kは学校での外的対
象関係における葛藤を母親に話すことができず,感情的なエネルギーの解消がうまくできな
かった。こうして学校での外的対象関係の狭まりは,そのまま Kの内的対象関係における人
格へと内面化されはじめたので、ある。 Kは学校へ行きたし、のだが,夜になると,お腹が痛い,
頭が痛し、,と言う。母親がさすってやると「そこじゃなし、」と訴える。 Kは身体の痛いのを
治してくれるお医者さんなら何処へで、も行くが,学校へ行くようにするところへは絶対に行
かないと言う。
1
2月 7日以降学校へ行かなくなったが,いつまでたっても自分から行く気にはならない。
学校関係での狭まりは家庭関係での狭まりをももたらす。以前の兄妹喧嘩は始まったかと思
うとそのうち笑い始めるという自然なものであった。ところがこのごろの喧嘩は Kの方が難
癖をつけて兄に絡む。いつまでも止められない。マンガの本を投げ付けたりして荒れる。 K
自身もそうした自分に疲れ果て「自分は悪い子だ。治そうと思っても治らな L、。ママもかわ
いそう。私はもう死にたい。」と何度も口にするようになった。
Kの人格の広がりを作る
人格の広がりを作ってゆく場合にまず心しなければならぬことは主体性の尊重である。 K
の主体性を尊重するということである。
Kは母親から口うるさく「あれをしなさし、,これをしなさし、」と言い付けられていたため
に,背伸びして大人ぶっている処があった。いつだったか Kが「次なに」と言ったので,母
は「あら,この子ロボットになってしまったのかしら」と思ったことが有ったと L、う。家庭
においても学校においても背伸びするのでなく,有りのままの等身大の Kであるようにする
こと,これが広がるための第一歩である。 Kが主体的に学校へ近づく気持を作ってゆくため
に,母親には一般向けの行動療法の本を読んでもらう(野田俊作著,登校拒否・非行は治せ
る,日本経済通信社〉。そして K と共に登校訓練のプログラムを作ってもらう。まず始めは
Kに家から学校までの道順の絵を書いてもら L、,どの辺りで嫌な感じがしてくるか教えても
らった。 Kには正確に書かなくてはとし、う脅迫的な気持が強いらししなかなか書けないの
であった。やっと画いてきたのは非常にこまかく画いた絵であった。
ラジオ相談の後,母親は担任の先生にその結果を話し,本人が行く気になるのを待つとい
うことで,担任は家庭訪問をしなくなったので、あるが,私の指導としては家庭のまとまりを
育てて行くと共に学級のまとまりを育てて行くことを目指すということで,担任はできるだ
け家庭訪問をするようにして欲しいと担任の先生に直接電話で話した。ただし,本人が会お
筒井.人間科学
(XXIII
)
4
5
うとしない場合は無理をしないようにと付け加えた。その結果 1
2月3
0日に担任が訪問した。
以前と同様 Kは渋面で 2階へ逃げ込んだ。「どうして先生呼んだのか」と恐い顔して怒った。
0日に担任が来た時には「先生とっても心配して
先生は長居をせずにすぐ帰った。翌年 1月 1
下さってるのね」とニコニコしていた。先生から九九の表を受け取った。先生との関係が出
8日担任が Kの読みたがっていたマンガを買ってきてく
来始め,人格が広がり始めた。 1月1
れた。 K押し入れの中にかくれてだめだった。一進一退。
1月2
5日は兄のグラスの参観日とのことで、母子は大学へ来なかった。電話をしたら「今ま
で学校と言うと顔をしかめていたが,このごろは、宿題やろうかかと母親が何気なく言うと
、うん。と言ってやるようになった。」と言う。「兄のクラスに行くついでに, Kのクラスに
行って L、し、かと Kに聞いたら,
ヘ、いかと言った」と言う。 Kの学校に対する広がりがます
ますできつつある。
私の方から母親に対して,
うことを尊重すること,
r
(l)母の方から、させるかというより, K自身が、する。とい
(
2
)こちらの感じること,言いたいことは何でも言って良い。ただし,
Kがどう思うかという点を重視して, Kの言い分を聞いてやること」と話した。
2月1
2日に母子来る。母親は「このごろ兄が、僕も学校休みたし、よかと言ったのに対して
Kは平気だった。前はピリピリして,キッとなった」という。 2月 4日に猫が来た。タマと
なずけた。 Kは自分の気持ちを全部タマにぶっつけてしゃべっている。兄との喧嘩はほとん
どない。猫への語りかけを通して自分の気持ちを意識化するために,気持ちがすっきりする
のであろう。 3日前母とパトミントンをしていた時,友達が「早く学校へきてねー」と言っ
ていた。 Kは物すごく丁寧におじぎした。今までの Kはさっと逃げていた。それを見て友達
も来なかった。一層学校関係への人格の広がりが見られる。
母親は Kの登校訓練について「少しずつしか進まないなあ。もう一寸行って見ない。 j と
いう気持がある。それについて,もう一寸ピッタリする言葉を探してもらうと「無念」とい
う言葉であった。だが,その無念とし、う言葉と実感とを響き合わせているうちに,ほんとう
の無念ではないような感じがしてくる。ポッと明るい感じである。
子供の気持ちとす れて先へ先へと行かせたがる母親を感じた私は彼女の夢を語ってもらう
e
ことにより,彼女の先へ先へと行かせようとする気持ちの根底を彼女と共に明らかにしてみ
ようと試みた。
彼女はとても怖い夢を見る。頭が六つもある蛇の夢である。あまりにも怖いので彼女は思
わず泣き出してしまう。目はまわりが赤く,中が真っ黒で、ある。身体は針金のようで恐ろし
い(泣く〉。その目がし、つも私を見ているようである。私は何か悪いことをしたのではない
かと思ってしまう。夢はたいていだれかに話すが,この夢は他の人の気持ちを悪くしてはい
けないと思ってだれにも話してない。
その夢の意味を彼女に感じてもらう。しばらく沈黙した後,彼女は「自分は登校拒否をた
かが登校拒否とし、う態度で過ごして見せてきた。しかし,これは自分にとって本当に大変な
ことだと心のどこかで思っているのかも知れない。」と言った。その怖い夢について思い出
すことは,つい最近東京で新興宗教に熱心な方から御札をもらい,それを庭に埋めれば Kの
4
6
信州大学教育学部紀要 N
u5
4
登校拒否は治ると言われたことである。しかし自分は 2
0年以上前にキリスト教の信何を持っ
た。だから新興宗教に入るわけにはゆかないのである。一方その人は親切な人なので,その
親切さに自分は弱いので,未だにその御札のことを何とも出来ずにいる。
T)の意見も言い,彼女ともよく話しあった末,その御札はこっち
その夢の話しの後,私 (
で勝手に処理するのでなく,丁寧に訳を書いた手紙と共に元の方に送り返すことに決めた。
2月2
2日母子来る。 Kも一緒に 3人で話す。母親は以前より余裕を持って Kの登校訓練を
見守れるようになった。 Kは登校訓練の時,母親が友達とお話していてうっかり予定より先
へ行くと、変な感じするかと言う。自分の主体性を無視されたと感じる時, Kは、変な感じ
がするかと言うのである。そして翌日少ししか進まないのである。母親がうっかりした振り
をして Kを操作しようとするのに反発するのである。こうした Kに対して母親は、無念'と
感じていたのであるが,今は自分の無念さに充分気がついたので, Kをゆったりと見守って
いられるのである。
3月 1日母一人来る。 Kは兄と共に風邪で家にいる。彼女の昔の教え子(小 4, 5, 6と
教えた〉が大学生になり,異性とのことで問題を起こしたこと電話してくる。それが彼女に
はとても汚らわしく感じられる。話しを聞いているうちに彼女が彼(教え子〉の事として聞
いていられない処があったと分かつてきた。「そうか, Kenちゃんのことなんだわ」と彼女
は言った。「こんな当たり前のことがどうして今まで分からなかったんだろう。問題は Ken
ちゃん自身の事なんだと思えたら,昔の Kenちゃんの姿が今戻って来ました。」と言った。
自分が侮辱されたような嫌な感じが消えたのである。 K~こ対しても K のことを K のこととし
て見ていられない彼女がし、たのである。そのことはまた,優秀な兄たちがし、て,自分が分か
らないときは自分で考えなくとも兄に相談すれば何でもすぐに片ずいたので自分でやるとい
うことを本当にはしてこなかったということに気がついたのである。自分のことを本当に自
分で処置しない自分は他者のことを本当に他者のことと出来ない自分でもあったので、ある。
そのことに彼女は今気がついたのである。
3月 7日から Kは学校へ行き初め, 2
0日まで 1日も休まず登校。 4月 3日からまた元気に
登校している。以上のこと母親からの電話で、知った。
4月1
2日母一人来る。 Kは元気で通学とのこと。大変喜んで話してくれた。私も心から彼
女と喜びを共にした。
(
1
9
8
5年 4月3
0日 受 理 )