(3)近世以降の遺構と遺物 こ や 丘陵突端の北東斜面で馬の墓を 3 基発見しました (写真4) 。いずれも掘方の形は隅丸長方形で、規 模は縦1.8m、横 1.2m、深さ0.5mほどです。ST 19 気仙沼市 ST19 ST21 ・20は1体、ST 21は2体の馬が埋葬されていました。 小屋館城跡 写真4 馬の墓(南から) 【中世】 ①城跡北西側縁辺を区画する二重の大きな堀跡2条(SD1・5)と、その間にある比較的小さな溝 跡(SD3)を発見しました。また、SD1堀跡の西側からは遺構・遺物は発見されませんでした。 調査要項 大館跡 むすび丸 ホヤぼーや (宮城県) (気仙沼市) ぐんまちゃん (群馬県) :小屋館城跡(宮城県遺跡登録番号:59049) 所在地 :気仙沼市松崎中瀬 調査原因:三陸沿岸道路建設事業 ②堀跡はともに空堀で、断面が逆台形からV字形へと改修されていおり、城が比較的長期間維持され 調査担当:宮城県教育庁文化財保護課 ていたことが分かりました。 (群馬県・兵庫県から職員派遣) 武器である飛礫(つぶて)と考えられます。 ④二重の堀跡という防御施設や飛礫という武器の発見は、主に史料や伝承によって伝えられてきた 調査協力:国土交通省東北地方整備局仙台河川国道事務所 気仙沼市教育委員会 調査面積:約2,700㎡(調査対象面積:約6,700㎡) 八幡館跡 調査期間:平成28年7月4日∼11月末日(今年度の予定) 【近世以降】 1.はじめに 工事に先立ち、7月から発掘調査を行っています。 主な出来事 また、三陸沿岸道路は「復興道路」として早期完成が期待されているため、当教育委員会では、発 気仙沼市内の遺跡 旧石器時代 縄 文 時 代 草創期 16,000年 前 土器・弓矢の使用が始まる 早期 12,000年 前 貝塚がつくられる 前期 7,000年 前 気候が温暖化し、海水面が上昇する 6,000年 前 中 掫 テ フ ラ (To-Cu)が 降 下 中期 5,500年 前 三内丸山遺跡で大集落が営まれる 台の下貝塚・菖蒲沢遺跡 後期 4,500年 前 気候が寒冷化し、海水面が下降する 石川原遺跡・嚮館跡 台の 下 貝 塚 古 代 3,300年 前 東日本で亀ケ岡文化が栄える 石川原遺跡・前浜貝塚 2,500年 前 稲作が伝わる 九条遺跡 古墳時代 1,700年 前 古墳が盛んに造られる 三 島 古 墳 群・緑館遺跡 1,400年 前 大 化 の 改 新 ( 645年 ) 1,300年 前 多 賀 城 が つ く ら れ る ( 724年 ) 平安時代 1,200年 前 鎌倉時代 800年 前 陸 奥 国 大 地 震 ( 869年 ) 中 世 室町時代 600年 前 500年 前 まつざきなかせ 塚沢横穴古墳群 台の下遺跡 足 利 尊 氏 が 室 町 幕 府 を 開 く ( 1336年 ) 織 田 信 長 が 入 京 す る ( 1568年 ) されている遺跡です。市中央東部の気仙沼湾奥に面し、北西から南東へ湾内に延びる小丘陵の突端部 ありがとうございました 江戸時代 400年 前 徳 川 家 康 が 江 戸 幕 府 を 開 く ( 1603年 ) この小丘陵の尾根は、小さな沢で南東部と北西部とに大きく二つに分かれています。各場所には、 ひら ば 標高15∼20mの平坦面がみられ、小屋館城の「平場」と考えられています。この平場からは、東側 くまがいなおみつ なおさだ また史料には、赤岩城三代の熊谷直光の子直定(14世紀前半頃の武将)が「松崎館主元祖」(「 赤岩城跡・猿喰東館跡・ 長崎城跡・道貫館跡・ 峰平城跡・塚城跡・堀合 館跡・南最知城跡 嚮館跡・赤岩館経塚 の尾根上に立地しています。 正面にある大島や、眼下に広がる気仙沼湾が一望できます。 小屋館城跡 おおくぬぎけけいず くまがいさきょうのしん 大椚家系図」)であったこと、城主が「熊谷左京進」で、規模は「東西十七間 南北七十八間」であ 豊 臣 秀 吉 が 全 国 を 統 一 す る ( 1590年 ) 近 世 じょうかんあと 小屋館城跡は気仙沼市街地南側の松崎中瀬に所在する中世(鎌倉∼室町時代)の城館跡として登録 源 頼 朝 が 鎌 倉 幕 府 を 開 く ( 1192年 ) 応 仁 の 乱 ( 1467年 ) 戦国時代 2.小屋館城跡の歴史的環境 (第1・2図) ご来跡 平 城 京 遷 都 ( 710年 ) 平 安 京 遷 都 ( 794年 ) 応援による調査体制の強化などによって、調査の早期終了に努めているところです。 波怒棄館遺跡 晩期 奈良時代 掘調査基準の弾力的な運用(調査は遺構が工事によって壊される範囲に限定するなど)、他県職員の 藤ケ浜貝塚 弥生時代 飛鳥時代 第1図 小屋館城跡と周辺の遺跡 現在、気仙沼市内では三陸沿岸道路の整備が進められていますが、 その一部が小屋館城跡にあたるため、 ②磁器片を発見しました。 年代 沢 高谷遺跡 (縄文・散布地) 「小屋館城」の実態を解明する上で貴重な成果となりました。 ①丘陵突端の北東斜面で馬の墓を 3 基発見しました。 気 仙 沼 湾 調査地 高谷貝塚 (縄文・貝塚) 調査主体:宮城県教育委員会 ③陶器片のほか、こぶし大の石が420点以上集中して出土しました。この石は敵の攻撃を防ぐための 煙雲館庭園 はばタン (兵庫県) 遺跡名 SD1堀跡は、城内外を区画する施設であったことが分かりました。 時代 宮城県教育委員会 ST20 なお、遺物は磁器片が出土しています。 4. まとめ だ て じょう あと 平成28年度発掘調査 現地説明会資料 平成28年10月30日 (日)11:00∼12:.30 【年表】 小屋館城跡と気仙沼市の遺跡 せんだいりょうこじょうかきあげ ったこと(『仙台領古城書上』)が記されているほか、平成7年の気仙沼市教育委員会による南東部 の調査では堀跡が発見されており、城の構造や歴史的背景を考える手がかりとなっています。 3.調査成果 調査地は城跡北西の縁辺部にあたり、中世と近世以降の遺構・遺物を発見しました。以下、調査成果に ついて記述します。 (1)中世の遺構(第2~4図、写真1~3) 堀跡2条と溝1条を発見しました。堀跡は空堀で、城跡北西側の縁辺を区画するように巡ります。 断面が逆台形から V 字形へと改修されており、比較的長期間、城が維持されていたことがわかりま 0 100m S=1/2,000 した。 【SD 1堀跡】 城跡北西縁辺部の斜面中位にあります。その斜面の傾斜に直交した横方向(南北)に巡っています。 規模は幅3m、深さ 1.3 m、長さ 48 m分確認しました。 【SD 5堀跡】 城跡北西縁辺部で SD 1の東側にあり、横方向(南西から北東)に巡っています。規模は幅 5 m、 深さ 1.5 m、長さ 54 m分確認しました。また、北東部の底付近で、20 個ほどの石が集中して出土し ました。 【SD 3溝跡】 SD 1と SD 5の間にある比較的小規模な溝で、北東部で SD 5に合流します。規模は幅 1.7 m,深さ 1m、長さ 36 m分確認しました。SD 1・5と同様に、断面が逆台形から V 字へと改修されていまし ?? た。また、SD 5との合流付近の上層から、400 個以上の石が集中して出土しました。 ?? 平成7年調査で 発見された堀跡 SD3 溝跡 ? 集石 ? ? 整地? 調査区 集石 平場 堀跡 SD5堀跡 SD3溝跡 B3 0 SD5堀跡 SD1 堀跡 ? SD1堀跡 土塁跡 50m 写真1 SD 1堀跡の検出状況(北東から) (2)中世の遺物 陶器片と多くの石が出土しました。特に S=1/1,500 写真2 SD 5堀跡と SD 3溝跡(南東から) SD 1 と SD 3から、こぶし大の石が計 420 点以上出 第3図 遺構配置図 第2図 小屋館城跡全体図(発掘調査・※縄張り調査による) ※縄張り調査 地表面を観察し、城館の平場(曲輪)や堀・土塁などの遺構 を、簡易的な測量で図化し記録する調査法。小屋館城跡では、 第2図のような平場・堀跡・土塁跡などが観察できます。 土しました。 多くの石は調査地ではみられないので、海岸 や河原などからわざわざ城まで運んできたよう です。敵の攻撃を防ぐために投げる飛礫(つぶ て)と考えられます。 写真3 SD 3溝跡内の集石のようす(南東から) 第4図 小屋館城跡鳥瞰図(推定復元)
© Copyright 2024 ExpyDoc