わが著書を語る 『邪馬台国は熊本にあった! 〜「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国』 伊 藤 雅 文 (会員 No.10126) そもそも、300年にわたる「邪馬台国論争」の主な原 因となっているのは、 『魏志倭人伝』の帯方郡から邪馬台国 への行程記述中の日程表記です。不彌国から投馬国への「水 行二十日」と、投馬国から邪馬台国への「水行十日 陸行 一月」という二つの行程記述です。 私が提唱する『魏志倭人伝』後世改ざん説は、陳寿が2 80年代に撰述した『魏志倭人伝』の原本には、その日数 の部分に具体的な里数が記されていたと考えるものです。 本書では、その根拠を「魏志倭人伝」の記述内に求め、 改ざんされた理由・時期・経緯を考察していきます。そし て、改ざんされた日数を具体的な里数へと推理・復元して、 邪馬台国への行程をたどります。 また同時に、「魏志倭人伝」の文献解釈においてもいくつかの新たな解釈を試みま した。伊都国の「王」と女王国の「王(女王)」の関係性、伊都国糸島市説と「東南 陸行」との整合性、「周旋可五千余里」の本当の意味などです。 特に、 「周旋」の読みを検証した結果、 「邪馬台国畿内説」が成立し得ないことを立 証しました。「畿内説」には大きな命題を提示したと確信しています。 さらに、本書の内容以上に、私のような新米の在野研究家が扶桑社新書より自説を 発表できたことは、今後、みなさまの説の発表に大きな可能性をお示しできたのでは ないかと感じています。 (扶桑社新書 820円(税別)) 産経新聞に下記の紹介記事があります。 http://www.sankei.com/life/news/161002/lif1610020028-n1.html 在野精神が大胆な考察生む 『邪馬台国は熊本にあった!「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国』 伊藤雅文著 説得力があってとことん知的好奇心を満足させてくれる。 「邪馬台国は熊本にあった」とい う少数派の説を詳細に文献を読み解くことによって立証しているからである。 しかも古代史の謎に挑むロマンにあふれ、ミステリー小説のように読者をわくわくさせて くれる。 邪馬台国はどこにあったのか。九州なのか、畿内なのか。江戸時代中期の学者、新井白石 の『古史通域問(わくもん) 』から始まった邪馬台国論争。300年が過ぎても結論が導き出 せないこの論争に終止符が打たれるかもしれない。 著者は結論が出ない理由について『魏志倭人伝』 (3世紀の中国の歴史書『三国志』の一部 分で、卑弥呼や邪馬台国が出てくる)に「とんでもない落とし穴が潜んでいる」と指摘し、 こう述べる。 「朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国までの行程の記述のうち最後の2行程だけが、 『水行二十 日、水行十日、陸行一月』と曖昧な日数表記になっている。水行一日は舟の速さで100里 にも1000里にも想定でき、陸行も歩き方次第でどのようにもなる。つまり日本のどこに でも邪馬台国が設定可能になる」 それでも著者は「邪馬台国の位置は『魏志倭人伝』という文献の記述に頼るべきだ」とい うスタンスを貫く。この文献に記述がなければ、現代の私たちは邪馬台国や卑弥呼の存在自 体を知ることができなかったからだ。 『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書・820円+税) さらに「『魏志倭人伝』は後世、改竄(かいざん)された」と、これまでの研究にはまった くない新しい視点に立ち、 「原本には具体的な里数(距離)が記されていた」と考える。その 根拠も『魏志倭人伝』の記述の中に求めている。 そのうえで原本に書かれていたであろう里数を緻密に復元しながら行程を正確にたどり、 最後には畿内説を否定し、 「邪馬台国が熊本平野にあった」ことを突き止める。 かつて空前のブームとなった『まぼろしの邪馬台国』の宮崎康平氏がそうであったように、 著者も在野の歴史研究者である。在野の、自由な発想と弛(たゆ)まない探求心が本書の幹 を支えている。 (扶桑社新書・820円+税) 評・木村良一(産経編集センター編集委員)
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