「生的排除」/「生的包摂」 ―「命の選択」という意味世界の構築―

「生的排除」
/
「生的包摂」
「生的排除」
/「生的包摂」
―「命の選択」という意味世界の構築―
石 田 裕美子
(社会学専攻博士課程1年)
1.はじめに
本稿は拙筆である、
「排除と包摂の社会学的考察―『出生前診断』と『選択的中絶』に現れ
(1)
『排除』と『包摂』」の再構成を目的としている。意図する
る『障害』観―」にて提示した「
のは、
「出生前診断」という生殖医療技術並びに「選択的中絶」に関する意味世界を問う妥当
性を明らかにすることである。そして、分析枠組みとして「生的排除」、「生的包摂」という
概念を提示することが本稿の結論である。
(2)
(3)
日本では、1970年に保険診療の対象となった超音波検査をはじめとして、受精卵検査、羊
表1 日本における出生前診断と関連する動向
1948年
1950年代
1952年
1953年
1956年
1966年
1967年
1968年
1970年
1972年
1973年
1974年
1975年
1980年代前半
1981年
1989年
1990年
1993年
1994年
1996年
2003年
2011年
2013年
優生保護法の制定
画像診断による胎児診断の報告がはじまる
羊水検査の研究報告開始
DNA 二重らせん構造モデルの提唱
ヒト染色体46本の発見
兵庫県衛生部「不幸な子どもの生まれない運動」の開始
イギリス:中絶法制定(胎児条項あり)
羊水検査による先天性酵素欠損症の診断開始
超音波検査の保険診療開始
兵庫県衛生部「不幸な子どもの生まれない対策室」の設置
優生保護法改正案
イギリス:AFP(α-フェトプロテイン)の発見
イギリス:母体の血清と AFP の関連を立証、以後、スクリーニング検査が始まる
兵庫県衛生部「不幸な子どもの生まれない対策室」の廃止
フランス:中絶法制定(胎児条項あり)
第2期優生保護法改正反対運動
渡部昇一「神聖な義務」、『週刊文春』掲載
イギリス:嚢胞性線維症の受精卵検査が成功する
ヒトゲノム計画の開始
受精卵着床前診断の臨床応用が申請され、受理される
母体血清マーカー検査のサービス開始
優生保護法から母体保護法へ改正
ヒトゲノム配列の解析終了
アメリカ:シーケノム社によって NIPT が開発される
日本における NIPT のサービス開始
鈴森(1995),坂井(1999),佐藤(1999)
, 鈴井(2004)
, 舩渡(2014)より筆者作成
― 107 ―
(4)
(5)
(6)
水検査、母体血清マーカー検査、新型出生前診断(無侵襲的出生前遺伝学的検査 :NIPT)な
(7)
どの「出生前診断」によって胎児の障害や病が診断されている(表1)。しかし、特に神経管
欠損症やダウン症のスクリーニングにおいては、日本は諸外国と比較して「後進国」である
という指摘がなされている(斉藤,2013)
。例えば、pro-life 派と pro-choice 派で一般的な中絶
の合法化を巡って論争が起こっているアメリカでは、障害のスクリーニングは中心的争点と
はなりにくかった(荻野,2012)
。1967年ならびに1975年の中絶法を制定したイギリスやフラ
ンスでは、公費負担でスクリーニング検査が受けられる体制となっている。また、1997年に
WHO で正式に承認された、
『Proposed International Guidelines on Ethical Issues in Medical
Genetics and Genetic Services(
『遺伝医学と遺伝サービスにおける倫理的課題の国際ガイド
ラインの提案』以下、
『WHO ガイドライン』
)
』では、Introduction で全ての妊娠中、約5%
の確率で重篤な遺伝性疾患児の可能性があることを指摘し、遺伝医学の重要性を指摘してい
る。
一方で、日本の出生前のスクリーニングは異なる展開をしていた。1972年に国会に提出さ
(8)
「胎児条
れた優生保護法改正案では、中絶の根拠となった経済的理由の項目の削除とともに、
(9)
「産む産まないは女性の自由」であるとする女性の自
項」が追加された。この法案に対して、
己決定権と、障害者の権利で衝突を起こしつつも、「ウーマン ・ リブ」ならびに「障害者運
動」がともに「改悪阻止」の反対運動を展開した。その後の80年代の第2期優生保護法改正
反対運動では思想的な文脈は女性の自己決定よりも障害者の権利を重視する姿勢となる(荻
野,2008:284)
。同時期、行政によるマス ・ スクリーニングの施策も展開された。例えば、兵庫
県衛生部による「不幸な子どもの生まれない運動」では、1972年より公費負担で羊水検査を
実施した。しかし、このマス ・ スクリーニング施策も反対運動のために1974年に廃止された。
イギリス、フランスがスクリーニング検査を広めようとしていた同時期に、日本では、スク
リーニング検査とは「命の選択」であるという批判が起こったのである(米本,1985:207)。
2.
「命の選択」という意味世界の構築
本章では、日本における「命を選択する」ことの整理からはじめたい。「命の選択」は、道
徳的倫理的論争の対象ともなりえる。例えば、Tooley(1972)から端を発する「パーソン論」
のように、一個体の生命が維持 ・ 保障される権利(a right to life= 生命権)の条件の定義を
巡る論争が代表的である。しかし、本稿ではこうした条件の定義付けや反駁を行わない。ま
た、
「命の選択」を行うことの法的な妥当性も問わない。本章では、「命の選択」を社会学で
問い直す意義を明確にすることを目的とする。
― 108 ―
「生的排除」
/
「生的包摂」
2-1.女性の自己決定権 対 障害者の権利
先に確認したように、欧米ではスクリーニング検査は寛容であると言えよう。
『WHO ガイ
ドライン』では、WHO 加盟国が策定する公衆衛生政策に対して、遺伝子検査サービスへの
アクセス ・ 治療 ・ 予防を奨励している(WHO,1997:3)
。その際、重要視しているのが、①自
律尊重原則(Respect for the autonomy of persons)、②仁恵原則(Beneficence)、③無危害
(10)
原則(Non-maleficence)、④正義原則(Justice)という医療倫理の原則である。中でも、①
の自律尊重の原則は自己決定とも理解され(伊勢田,2006:27)
、ガイドラインでは、自己決定
による選択を遺伝サービスの特に重要な課題とみなしている(WHO,1997:2-3)
。具体的には、
「出生前診断」と「選択的中絶」に関しても、強制的な雰囲気の中で行わるべきではなく、遺
伝カウンセリングを受け、自由意志によって選択すべきであると勧告している(WHO,1997:7075)
。
このように、欧米では、
「出生前診断」を行い、「選択的中絶」を選択したとしても、自己
決定によってなされたのならば非難はできないという論調がある(松原,2005:141)。例えば、
出生に関する遺伝検査において、衝突しがちであると言われている、①自律尊重原則と③無
危害原則を、Cowan(1993=1997)は「世話の問題 care」として回避できるとしている。こ
の衝突は以下のような例である。出生前診断を利用して、かつ、選択的中絶が想定される場
合、①の自律尊重原則を重視するのならば、全ての胎児に関する情報は患者に提供され、選
択は肯定される。一方で、③無危害原則からは、過度な医療行為(= 選択的中絶)は医療者
-患者ともに制限されうる。このような衝突に対して、Cowan は「世話の問題 care」から、
胎児を将来に渡って責任をもって世話をする限り主体は母親であり、女性が決定権を持つこ
とで衝突が回避できるとしている。
日本においても、前章で確認したように、70年代の「ウーマン ・ リブ」運動が、また、80
年代にはフェミニズム運動で中絶に関する女性の権利が主張された。森岡(2001)は中絶に
関する自己決定の主張を、①国家による生殖への不介入、②女性の権利としての妊娠の継続
/中絶、③生殖可能な社会の構築の3点にまとめている。特徴的なのが、③生殖可能な社会
の構築、という点である。山根(2004)は、妊娠/出産は女性だけに経験されることから、
女性が「育てられるか/中絶するか」という問題になっていることを指摘している。つまり、
女性の自己決定権の問題ではあるが、同時に、
「育てられない社会の土壌」を指摘、変革して
いこうとする主張であった。
一方で、日本では同時期に優生保護法改正反対運動を通して、障害者運動が活発となって
いた。日本の優生保護法の改正には、主に二つの契機があると指摘されている(成冨,2000)
(荻野,2008)
(山本,2010)
。
― 109 ―
表2 日本における人工妊娠中絶数
実 数
1949年
対出生比
実施率
合計特殊
(15歳~49歳 (出生100に対
出生率
の女性人口) する中絶数)
101,601
4.9
3.8
4.3
1950年
320,150
15.1
13.7
3.7
1951年
458,757
21.3
21.5
3.3
1952年
798,193
36.3
39.8
3.0
1953年
1,068,066
47.7
57.2
2.7
1954年
1,143,059
50.2
64.6
2.5
1955年
1,170,143
50.2
67.6
2.4
1956年
1,159,288
48.7
69.6
2.2
1957年
1,122,316
46.2
71.6
2.0
1958年
1,128,231
45.6
68.2
2.1
1959年
1,098,853
43.6
67.6
2.0
1960年
1,063,256
42
66.2
2.0
1961年
1,035,329
40.6
65.1
2.0
1962年
985,351
37.8
60.9
2.0
1963年
955,092
35.7
57.6
2.0
1964年
878,748
32.1
51.2
2.0
1965年
843,248
30.2
46.2
2.1
1966年
808,378
28.5
59.4
1.6
1967年
747,490
26
38.6
2.2
1968年
757,389
26
40.5
2.1
1969年
744,451
25.3
39.4
2.1
1970年
732,033
24.8
37.8
2.1
1971年
739,674
24.9
37
2.2
1972年
732,653
24.5
35.9
2.1
1973年
700,532
23.2
33.5
2.1
1974年
679,837
22.4
33.5
2.0
1975年
671,597
22.1
35.3
1.9
1976年
664,106
21.8
36.2
1.9
1977年
641,242
21.1
36.5
1.8
1978年
618,044
20.3
36.2
1.8
1979年
613,676
20.1
37.4
1.8
1980年
598,084
19.5
37.9
1.7
国立社会保障 ・ 人口問題研究所(2012)
『人口統計資料集』より筆者作成
一つ目が、1950年代後半より焦点化された中絶の問題である。表2で示したように、1953
年に妊娠中絶は国に届け出がされただけでも100万件を超え、54年の実施率は50%以上を記録
― 110 ―
「生的排除」
/
「生的包摂」
した。このような事態に、産児調節を目的とした家族計画論者や生長の家やカトリック教会
などの宗教勢力が、増大する妊娠中絶のために、無垢な犠牲者としての胎児を可視化し、「胎
児の生命尊重」を唱えたのである(荻野,2004:266)
。特に、1930年に創設された新興宗教団体
の生長の家は、1964年に政治結社「生長の家政治連合」を組織し、72年の優生保護法改正運
動の中心であった。生長の家は胎児の視点で描かれた日記を運動で使用し、
「殺されざる対象
としての胎児」を人びとの心に訴えた(土屋,2005:101-102)。このような状況の中、中絶の経
済的理由を削除する機運が働いたのである。
二つ目は、
「先天異常」の予防という機運である。1960年代より、障害は療育と保護から予
防へと福祉施策の大綱が移った。例えば、進行性筋ジストロフィー症、脳性麻痺、ダウン症
候群、小児自閉症の原因究明のために研究費の国家補助が開始された(厚生省,1970)。また、
(11)
(12)
62年には「人づくり」政策を発表し、内閣は所得倍増とともに福祉国家の建設を表明した。
そして、同年7月に「人口資質向上に関する決議」を採択し、この決議では、体力、知力お
よび精神力において優秀な人間を育成していく必要性を挙げた(厚生省,1963)。また、地方
においても、1965年に制定された母子保健法により、母子保健事業主が各市町村単位となっ
た。1960年代後半から各自治体にて予防政策が進められたのである。その代表が兵庫県の「不
幸な子どもの生まれない施策」である。兵庫県は、①優生不妊手術の推進、②妊婦や婚姻前
の無料の血液検査、③妊婦への薬害に関する啓蒙活動などを実施し、1972年には公費負担に
よる羊水検査の推進が追加した。同じような予防施策を行う自治体は52道府県市に上り、
「不
幸な子どもの生まれない」という表現は10の自治体で使われた(須川,1970)
(松原 .2008:208209)
。
このように先天異常の発生予防に重点が置かれる中で、
「青い芝の会」を中心とする障害者
運動は、1972年の優生保護法改正に対して、
「障害者抹殺思想の法制化」として批判、反対運
動を行ったのである(横塚,1975=2007)
(横田,1979)。また、同時に、中絶の権利を求める女
性の権利に対しても「内なる優生思想」であると批判し、論争を行った。堀田(2003)は、
このような状況を、
「出生をめぐるダブル ・ スタンダード」と呼んでいる。
「出生をめぐるダブル ・ スタンダード」とは、
「女性と障害者の権利の衝突」のことである。
上記までで確認してきたように、女性の中絶を容認する立場では、胎児に障害があったらよ
り中絶するリスクが高い。例えば、水谷ら(2000)は、
「障害者(の親)が生きにくい社会」
を理由に、障害児を中絶することを「必要悪」と捉えている(水谷,今野,星野 ;2000:35)。
一方で、障害者運動では、障害が「不幸なこと」であり、抹殺されても良い存在であるとみ
なすことは差別であると批判してきた。例えば、立岩は、出生前診断や選択的中絶は障害を
社会から除去する技術であり、それが行われる時、障害者はいないほうがよいという契機が
― 111 ―
必ずあり、このこと自体問題があると指摘している(立岩,1997=2013:632)。
障害者は生活が困難であり、非生産者とみなされて家や施設へと排斥され、中絶も必要悪
として肯定されるかのような風潮に対して、障害者運動や障害学は「社会モデル」を提示し
てきた。
「社会モデル」とは、
「障害」の持つ不利は社会が構築したものであるとする考え方である
(立岩,2002)
(星加,2007)
(堀,2014)
。障害学のアプローチは、生物学的な障害(impairment)
と社会的な障害(disability)を区別する。例えば、従来の個人モデルでは、生物学的な障害
を克服し、就労や就学、社会参加など健常者と同じように社会に適応できることが障害者の
目標とされてきた。適応できなければ、貧困や学業の不自由などの不利益を被るが、それは
個人の責任として認識されていたのである。一方、社会モデルは、どのような生物学的な障
害をもっていても、社会から不利益、つまり、社会的な障害を被らない社会設計を目指す思
想である。社会的な障害とは、点字や手話のサービスの欠如(社会面)や、段差や点字ブロッ
クの不整備(環境面)
、障害者を「かわいそう」と捉える意識(態度面)などの障壁が「障
害」である(堀田,2003:6)
。そのため、
「障害はないほうがよい」とは、常に「健常者」文化
への社会化と、逸脱せざるを得ない「障害者」の排除を意味しているのである。つまり、
「障
害は居ないほうがよい」という言説は、健常者が「他者の生の評価」を行う障害者への差別
であると批判している(立岩,1997=2013:652-653)(玉井,1999:116)(堀田,2003:7-8)。
2-2.優生学と新しい優生
日本の障害者運動史研究は、戦後から1970年代とそれ以後の2つのパラダイムから構成さ
(13)
れていると指摘するのは堀(2004)である。前者は社会保障運動を通した患者運動史の研究
として、後者は1970年代以降の、障害者の自立生活運動を起点とした障害者解放運動史の系
譜である。障害者解放運動史研究は、立岩真也らによる『生の技法』が発表された1990年を
契機として顕著に見られ、今日の主流となっている(堀,2004:21-22)。例えば、岡原(1990=1999)
(14)
は、1970年代の高度経済成長の停滞期から議論された日本型福祉社会論を、社会福祉の責任
主体の再家族化であると指摘している。日本型福祉社会論では、福祉の在り方を、施設の拡
充や公的扶助などの公的支援ではなく家族や地域の情緒関係の「心の問題」として方向転換
させた。福祉の課題は家族の愛情の欠如として把握され直し、障害者は「働けない者」とみ
なされ、家族から自立を妨げられていたのである。こうした家族の囲い込みから脱却するた
めに、障害者たちは自立運動のひとつとして、
「障害者は弱者である」という差別意識を「内
なる優生思想」と呼び、親と戦う必要があると主張したのである(横塚,1975=2007:25)
(堀,2004:54-59)
。
― 112 ―
「生的排除」
/
「生的包摂」
このように、特に1970年代からの障害者運動とは、「反優生思想」という視座で捉えられ
る。立岩(1997=2013)は、このような「反優生思想」として二つの論点があると指摘して
いる(立岩,1997=2013:678-680)
。
一つ目は、国家が生産力のある者を保護し、生産力のない障害者を不良とみなして“合法”
に抹殺することを問題視する視点である。
優生学(eugenics)とは、19世紀後半に生まれた、人びとにとって「望ましくない」性質
を取り除き、「望ましい」性質だけを強め、改良することを目指す学問並びに思想を指す
(15)
(Kevles,1993:7)
。逆淘汰の論理をもって、国家を主導とした積極的な介入がその特徴である。
イギリスの科学者、Francis Galton(1822-1911)によって名付けられたこの学問は、公衆衛
生学の発展とともに課題となっていた逆淘汰と結びつき、イギリスを超えてヨーロッパ、ア
(16)
メリカだけでなく日本にも影響を与えた。著名な事例はナチス政権時によるアーリア人種の
(17)
絶対的な優位主義とユダヤ人の大虐殺であろう。優生政策とは、国家(社会)にとっての、
「望ましい性質/望ましくない性質」をもった国民の質を管理することである。
Galton は、「優生学の本質は、病気であるよりも健康で、薄弱であるよりも健やかで、生
きにくいよりは生きやすいことである。これは生物すべてが賛同するだろう」
(Galton:1905)
と述べている。つまり、優生学における「望ましい性質/望ましくない性質」とは、
「健康/
不健康」のことである。具体的には、精神障害者、身体障害者、知能障害者、アルコール中
毒者、性病患者、犯罪者、貧困層などの人々が、主に不健康であるとみなされた。19世紀末、
イギリスだけでなくアメリカ、ヨーロッパでは初等教育の義務化や貧困層の改良、病院の設
(18)
置と補助などの公衆衛生が、社会政策の主軸となっていた。
「望ましくない性質」は「人種的
衰退という大きな災厄」
(Kevles,1993:167)として逆淘汰への恐怖として理解されていた。こ
の当時の優生学では、遺伝とは、メンデル実験のように両親の形質を引き継ぐものだと考え
られていた。そのため、
「悪い形質」が社会に蔓延らないように取り除き、「良い形質」を持
つ血統を保護して人種改良することが目指されていたのである。優生学では、「良い形質」
「悪い形質」を表すものとして、IQ 検査や骨相学などの人を計測する科学として発展した
(Gould.1996=2008)
。そして、精神障害者や知能障害者、犯罪者へは断種手術や不妊手術、隔
離などの正当化を生じさせたのである。しかし、このような国家による優生学的な政策は、
第二次世界大戦後、ナチズムと結び付けられ、科学的に根拠の無いマイノリティに対する暴
力として批判されていくのである(立岩,1997=2013:401-402)(松原 .2002:220)。だが、「望ま
しい性質/望ましくない性質」で選択する行為が完全に否定されたわけではない。
二つめの論点が、障害者運動が「内なる優生思想」と呼んだ、新しい優生学である。新し
い優生学とは、個人を啓蒙し、個人が自分自身の手によって生殖を制限し、遺伝技術によっ
― 113 ―
て「望ましい」性質の子どもを望むことを指す、1960年代から指摘されてきた概念である
(Kevles.1993:431-456)
。新しい優生学は、それまでの優生学と比較して二つの特徴がある。
一つめは、従来の優生学では曖昧であった遺伝の仕組みが、1956年の染色体の発見とヒト
(19)
「望ましい性質/
ゲノム計画によって明らかになってきた点である。新しい優生学の下では、
望ましくない性質」を発現させる遺伝子や物質が科学的に発見されてきた。
二つめに、新しい優生学の政策では、
「出生前診断」の受診は国家によって義務化されてい
ない点である。同時に、新しい優生学では国家が強制的に「選択的中絶」を義務付けてはい
ない。例えば、WHO ガイドラインのように、親の自由意志によって受診と「選択的中絶」
は行われるべきであると主張されている。
「望ましい性質/望ましくない性質」は、従来の優
生学では主に国家の負担として把握されてきたが、デザイナーズ ・ ベイビーのように親の選
(20)
好による「命の選択」が可能となってきたのである。
優生学と新しい優生学の両者に共通しているのが、
「胎児の質を選択する」ことが批判され
ている点である。例えば、立岩(1997=2013)は、胎児が法的に権利を持つ存在とみなされ
ない、としつつも「被行為者(胎児)
」たる当事者が不在である点から、少なくとも「行為者
(女性 ・ 親)
」が当事者でないことを指摘している。そして、「行為者(女性 ・ 親)」の出産に
関する自由と胎児の質に関して選択する自由は、別個のものであると主張している(立
(21)
岩,1997=2013:650)
。
ここまでは、1970年代を中心とする「出生前診断」と「選択的中絶」をめぐる日本の運動
を確認してきた。72年の優生保護法改正反対運動では、最初は国家による生殖への管理とし
て「ウーマン ・ リブ」運動や障害者運動から批判された。だが、障害者運動を中心として、
胎児の質という「命の選択」に対して国家だけでなく家族、個々人へとその批判は展開され
ていったのである。このような生殖の管理から胎児を中心とした論争の転換はまさに、社会
的弱者の「女性の権利」の保護から、
「胎児の生」の発見と価値付けへと、「生殖」に対する
社会運動の意味付けが変容していった過程であるといえる。
3.
「生的排除」/「生的包摂」
日本における「出生前診断」や「選択的中絶」が「命の選択」であるという批判は、まず、
「胎児の生」の発見を端緒に、
「胎児の生の評価」を問題化してきたといえよう。このように
問題化することは、胎児の生存権の獲得ではなく、成員がどのような生であっても、社会に
存在もし、許容することを目指そうとする態度である。このような理想を、ここでは暫定的
に「生的包摂」と名付けたい。また、
「命の選択」を批判する時には、社会に存在できる「生」
そのものが脅かされていると指摘しているのである。このことを「生的包摂」と対比させて
― 114 ―
「生的排除」
/
「生的包摂」
表3 人工妊娠中絶/選択的人工妊娠中絶 割合
「生的排除」と名付ける
選択的人工妊娠
中絶(件)
こととする。
「生的排除」
/「生的
包摂」と、わざわざ新
しい言葉を作るのは、
「生殖」に対する意味付
人工妊娠中絶
(件)
割合
1990~1999年
5,381
3,747,483
0.14%
2000~2009年
11,706
2,920,021
0.40%
読売新聞(2011.7.22)
、人口統計資料集(2012〉-出生 ・ 家族計画-
より作成
けの変化とともに福祉国家もまた、変容してきたためである。2章2節で確認したように、
1970年代頃より日本の福祉政策は、福祉の課題を公共サービスの拡充ではなく、
「心の問題」
へと転換していった。戦前戦中の家族イデオロギーの復活と危惧されていたこのような転換
によって、個人の生きがいや社会への帰属意識が福祉国家の課題となったのである。そして
同時に、個人の自己肯定的な感情と他者から承認される場を持ち、個々人が社会に包摂され
ることが社会福祉の目標となっていった(宮本,2013:256)。このように「心の問題」に焦点を
当てている社会では、個々人の「生」の帰属が問われていると、筆者は主張したい。「出生前
診断」や「選択的中絶」を批判する上で見出された「命の選択」という問題は、
「包摂」され
得る社会の成員に対して生物学的な質に条件をつけて、逸脱していれば社会から「排除」す
ることを意味しているのである。
福祉国家と社会の成員の質が密接に関係していることを確認してきた。最後に、
「他者の生
の評価」をめぐる障害学のアプローチへ批判的検討を加えて、結論としたい。
障害学のアプローチでは、
「出生前診断」や「選択的中絶」で起こりうる権利と権利の衝突
を個別の権利間の闘争とはみなさずに、衝突を生じさせる社会そのものを問題視してきた。
例えば、立岩は、
「他者の生を決定することの意味を私達の問題として考えてきた」
(立
4
4
岩,1997=2013:700)と、
「他者の生の評価」を社会で共有するべき課題として設定している。
そして、
「他者の生を選ばない権利」から、胎児の障害を理由にした「出生前診断」や「選択
的中絶」は否定できるという(立岩,1997=2013:686-689)。
しかし、出生前診断という技術を使うことと、
「命の選択」は必ずしも結びつかない。確率
的には全ての親や胎児が「命を選択する」行為者/被行為者でありえるが、現実の行為者/
4
4
被行為者は少数である。
「命の選択」で問題と提示される時の被行為者は大久保(2004)が指
摘したように、「奇形」や「疾患」と見なされる胎児であり、比較すれば少数であろう(表
4
4
4
3)
。全ての人間が行為者/被行為者となり得る可能性として少数の事例を拡張し、「社会的
(22)
に問うべき」であるとする態度は、確率を万人に降り注ぐ「客観的な災厄」として再構成さ
せている。しかし、
「命の選択」の行為者/被行為者は少数であり、現実は「命の選択」が問
題にならないことすらあり得る。
― 115 ―
障害学のアプローチは確認したように、客観的な事実ではなく、客体化された規範であり、
外在化した権利から構築された。この規範を内在化しない限り、
「命を選択する」ということ
(23)
「命を選択する」ことは「未来の不確実な災厄」で
は何ら意味を持たないのである。つまり、
あり、
「人々の主観的な意味世界」によって警鐘が鳴らされているにすぎない。例えば、「出
生前診断」は画像診断から羊水検査、母体血清マーカー検査、NIPT と、より精確に、簡便
にと発展を続けているが、このことは、こうした技術を拒否せずに受容している人々が社会
に大勢存在することを意味している。
現代社会では、人々の主観的によって、
「生」が個々に意味づけられている。本稿で明らか
にしたかったのは、障害学のアプローチのような「他者の生の評価」への批判というアプロー
チでは、この個々に意味付けされる「生」と社会との関連が捉えられないということである。
この「生」と社会との関連とは、
「生」が排除や包摂という社会との帰属の関係性で意味づけ
られているという点である。そのため、
「生的排除」、
「生的包摂」という概念を提示すること
で、「生」と社会との関連を捉えられるのではないか。今後の課題としては、「生的排除」、
「生的包摂」という概念を用いて、より具体的にこの「生」と社会との関連を明らかにすべき
であると考えている。
注
(1)
2014年度修士論文として立正大学大学院に提出。要約を同タイトルにて『立正大学社会学論
叢』第14号、2014年に掲載している。
(2)
超音波検査は一般には画像診断に含められる。胎児の画像診断は、①主に妊娠初期(8週か
ら14週)の項部透明帯のスクリーニング検査(NT 検査)
、②妊娠中後期の頭部、臓器、手足
などのスクリーニング検査、③1990年代より用いられはじめた比較的新しい経膣超音波検査、
④上記の二次元画像検査とは異なる3D 超音波検査、④ MRI 検査などの種類がある(夫,2004)。
(3)
受精卵検査(preimplantation genetic diagnosis)は着床前診断とも訳されることが多い。こ
の検査の手順は、体外受精によって得た受精卵を培養し、遺伝子や染色体を検査して「正常」
とみなされた胚を子宮に戻す。表1のように1989年に確立し始めたこの技術は1990年代から
日本に紹介され、1993年には鹿児島大学産婦人科によって臨床応用実験が申請され、受理さ
れた。その後の日本の展開については利光(2012)が詳しい。
(4)
羊水検査とは、羊水を採取し、染色体、先天的代謝異常、臓器異常検査(サーファクタント)
などを行う。主に15週から18週に行われる検査である。また、羊水検査は母体に対して刺激
を伴うことから侵襲的検査とも呼ばれ、同様の検査として絨毛検査、胎児採血検査、胎児鏡
検査などがある(鈴森,2001)。
(5)
母体血清マーカー検査とは、母体の血液からα-フェトプロテイン(AFP)、ヒト絨毛性ゴ
ナドトロピン(hCG)、非抱合型エストリオール(uE3)の3成分(トリプルマーカー)ある
いは、インヒビンAを加えた4成分(クワトロマーカー)から染色体21トリソミーなどの異
常を推定する検査である。具体的には、母体の血液中の胎児由来成分が中央平均値からどの
程度外れているのかをで判断している。
(6)NIPT とは一般には新型出生前診断と呼ばれている検査である。母体血清マーカー検査と同
― 116 ―
「生的排除」
/
「生的包摂」
様に母体の血液を採取して検査を行うため、母体、胎児への刺激が低いことから無侵襲的検
査と呼ばれる。2011年にアメリカのシーケンス社によって開発されたこの検査は、母体血液
中の胎児の DNA 断片を抽出し、主に21トリソミーで異常にコピーされた塩基グアニン、シ
トシンの含有量から異常を推定する(舩渡,2014)
。
(7)玉井(1999)や佐藤(1999)が指摘しているように、出生前診断は障害をもった胎児を選別
し、必ず選択的中絶に結びつく技術ではない。超音波検査では障害だけではなく、胎児の性
別なども明らかにできる。また、胎児期への治療や出産前後のケアの準備になどにも使用さ
れている一面もある。
(8)優生保護法 第3章第14条1項第4号「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母
体の健康を著しく害するおそれのあるもの」によって人工中絶は許容されていた。その後に
改正された母体保護法においても、同第14条1項において「妊娠の継続又は分娩が身体的又
は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」として経済的理由は存続
している。このような中絶の事実上の自由は、減数手術や AID などの人工生殖を想定してお
らず、法律的に無法地帯であるという指摘もある(青野,1995)
。
(9)胎児条項とは、胎児が重度の精神、あるいは身体的な障害や疾患などを有している場合に中
絶を合法とみなす条項である。例えば、イギリス、フランスの「中絶法」やアメリカでのロ
ウ判決によって、導入されている(玉井,足立智孝,足立朋子,1998)
(土屋,2004)
。
(10)Beauchamp と Childress による中間原則主義と呼ばれる医療倫理の原則である。直観的に肯
定しうる4つの原則から、実際の個々の事例にケース ・ バイ ・ ケースで当てはめていく原則
を指す(Beauchamp& Childress.1989=1997)
(WHO,1997:76)
。
(11)「人づくり政策」とは、1962年7月18日、第二次池田内閣時の所信表明演説に示された政策。
全文は下記参照。同年12月5日に「人づくり懇談会」初会合を開く。
(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/pm/19620810.SWJ.html)
(12)1968年「母子保健綜合対策の確立に関する意見書」では、障害児への対策として「養護対策」
と「心身障害児への発生防止」があるが、前者は施設の拡充、高齢化社会を迎えるに当たっ
ての財政負担が大きく、後者こそが抜本的な解決であると述べられている。
(13)患者運動とは、日本国憲法第25条の生存権の思想を重要視し、必要最低限の生活保障を獲得
しようとする運動を指す(長,1978:89)(堀,2004:21-22)
(田村,水谷,2009)
。
(14)1979年8月に閣議決定された「新経済社会7ヵ年計画」では、以下の様な指摘を行っている。
「個人の自助努力と家庭や近隣 ・ 地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率のよい政府が適正な
公的福祉を重点的に保障するという自由経済社会のもつ創造的活力を原動力とした我が国独
自の道を選択創出する、いわば日本型ともいうべき新しい福祉社会の実現を目指すものでな
ければならない。」1970年代より、公共投資の福祉政策から人間関係資本の福祉政策へと転換
が行われていった。
(15)優生学をモチーフにした映画としては、Niccol, Andrew 監督の『ガタカ(Gattaca)
』1997年
公開、が先行研究としてしばしば挙げられている。この映画は遺伝子操作と診断による差別
が存在している近未来を舞台にしている。
(16)特に日本では、Evolution の意味を、生物学の「進化」でなく、社会的な「進歩」と混同して
輸入されてきたという(松永,2005:228-232)。戦前の優生学の受容と政策の展開については藤
野(1999)が詳しい。
(17)古典的優生学はナチス政権時のユダヤ人大虐殺がイメージされやすいが、その展開は国家よ
りも社会運動によるものが大きい。この点については Kevles.(1993)が詳しい。
(18)19世紀末のイギリスで優生教育が成功した要因を米本(2000:26)にて社会政策の点から整理
している。
(19)ヒトゲノム計画とはヒトの持つゲノム、塩基配列を解明するプロジェクトであり、2003年に
完了した。現在はポスト-ゲノム計画に主軸が移り、塩基配列から特定の形質を発現させる
組み合わせである遺伝子を特定や、DNA、RNA、糖質といった生物の構成因子の解明など
が盛んである。
― 117 ―
(20)
新しい優生学をモチーフにした映画としては、Picoult, Jodi の小説を原作とする『私の中の
あなた(My Sister’s Keeper)』2009年公開、が挙げられる。映画版と小説版ではラストが異
なるが、白血病の姉の骨髄移植や輸血等のために遺伝子操作で産まれた妹が両親に対して訴
訟を起こすというあらすじは共通している。このような当人が自分を産んだことの責任を求
める訴訟は、wrongful life 訴訟と呼ばれている。
(21)立岩に拠れば「産む/産まない」という行為自体が親や女性の身体の延長の上で起こること
を否定できない(女性の身体で胎児は発生を行うが「産む/産まない」の権利自身が女性の
みに与えられるものではない。その胎児の所属は父親にも帰属される)。しかし、胎児の「質」
については、
「その者に対して行う行為が仮に『その者』のためであるとされても、その者は
その時には不在なのであり、想定される利得は親にとっての親の利得とは違うにしても、そ
の『善意』をいささかも疑わないにしても、やはり親において想定された利得なのである」
(立岩,1997=2013:280)とし、親 ・ 女性の私的処分をしても良い範疇を超えている、と指摘し
ている。ただし、本稿では当事者の権利の行使の妥当性について、あるいは誰が当事者であ
るかという問いについて解を提示する立場を採らない。
(22)「客観的な災厄」、
「未来の不確実な災厄」に関する記述は盛山(2013:4-37)から大きな示唆を
受けた。
(23)例えば、一生独身の場合は男女にかぎらず、出生前診断-選択的中絶に現れる「命の選択」
という行為の当事者にならない。もしくは、出生前診断に知識がない人々にとって、
「命の選
択」はそもそも選択肢として意識されないことがある。しかし、このことは「命の選択」と
いう問題意識が無価値であるということを意味しない。確認してきたのは、この「災厄」が
社会全員に客観的に共有されているのではなく、個々人の主観的な意味づけの結果、生じて
いるという点である。「命の選択」は主観的な意味づけがなされる時に、重大な主題として
我々に認識されるのである。
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