1 7 3 メディア ・リテラシー教育の必要性 - メデ ィア ・リテラシー教育 の原理 と目標 大 1. は じ め 串 その 1- 兎 紀 夫 に "コンピュー タ時代"" 情報の時代"はては "I T革命"な どが叫ばれ, これ らをすす める ための ツール ( 道具)である各種の新 しいメデ ィアが社会,生活のあ らゆる面 に入 り込 んでい る。近代科学の成果である映画や電話,テ レビ, ビデれ CD・ MDなどは,特 に,コンピュ ータとそのネ ッ トワーク,デジタル,宇宙通信,光 ファイバーなどの新 しい技術 も加わって日 進 月歩で進歩 している し,伝統的なコミュニケーシ ョンの メデ ィアである本,雑誌,新聞など も,電子化 ・ネッ ト化 などによ り時代 に即 した形 に変化 しようとしている。今や, 日常生活か ら政治 ・経済 ・社会の全ての面が,これ らメデ ィアの変革 を抜 きに しては考 えられない状況で ある。 この ような状況 にともない,これ ら道具 としての メディアを使 いこな し,それらが形作 って いるメディア社会 (システム)で主体的に生 きてい く力 として 「メディア ・リテラシー」の重 要性がいわれるようになって きている。そ して,必然的に, メデ ィア ・リテラシーの育成 を学 校や社会の場で行 う,「メデ ィア ・リテラシー教育」の必要性が クローズア ップされているO このメデ ィア ・リテラシー教育は,世界的に見れば,2 0 年以上前か らその必要性が真剣 に検 討 され,欧米先進諸国を中心に,1 9 8 0 年代か ら組織的な取組みが進み,い くつかの国や地域で ( 1 ) 学校教育 に正式 に取 り入れ られ始めている。 一方,わが国で も,関係者の間では早 くか らその重要性がいわれて きたが,一般 に注 目され 出 したのはごく最近のことである。 しか も,学校教育関係者の間での議論,検討があま りなさ れていない間に,学校現場-の コンピュー タの急速 な導入 にともなって,いわゆる 「 情報処 理」 - 「コンピュータ操作」の能力の育成 という側面 に偏 った受け取 られかたで教育の場 に取 り入れ られている傾向がみえる。 本来の メディア ・リテラシーは, もちろん,コンピュー タ操作 に限るものではないQ従来の リテラシー ( 文字の読み書 き能力) とは別の新 しいコミュニケーシ ョンの能力 としての,現代 の新 しいメディア状況 に則 した リテラシーであるo当然, メデ ィア ・リテラシー教育 も全 く新 しい発想で考 えられなければならない。 わが国の教育現場 にメディア ・リテラシー教育が本格 的 に取 り入れ られ ようと している現 荏,以上の ような基本的な立場か ら 1. メデ ィア ・リテラシーとはなにか, 2.メデ ィア ・リテラシー教育はどの ような原理で, どんな教育 目標で, どの ような教育課 程で実践 されるのが よいのか, の両面 について,何 回かに分けて分析,考察 してみたい。 第 1回の本稿では,全体の序論 として,わが国の現代の教育状況 とその背景 にあるメデ ィア 1 7 4 天 理 大 学 学 報 を中心 とした社会状況 を分析 し,メディア ・リテラシー教育の必要性が,なぜいわれているの かをみてみたい。 2.メデ ィアをめぐる社会状況 歴史の偶然であろうが ,2 1 世紀 を前 に して,1 0年以上前か ら社会のあらゆる場面で,パラダ イムの転換 がいわれている。「 脱近代」 は,芸術,思想 な どの世界 では遥 か以前 か ら主張 さ れ,模索 されて きたが,東西冷戟構造が解体 して以降,世界の枠組みが変化 してい く中で,新 しい世界観,価値観 と,それによる人々の生 き方や社会の制度 ・仕組みを作 り直 してい くこと が,い よいよ待 ったな しの課題 として,あ らゆる所 ・場面で現実の問題 になって きている。 我々が 日常接す るマスメデ ィアか らの情報 を見ても,経済,科学技術,文化など世界のあ ら ゆる面で グローバル化,ボーダレス化が急激 に進んでいるのが感 じられるだけでな く,我々の 暮 らしの細 々 した面で も実感 させ られている。 また 「 環境問題」や 「 核問題」 は,否応 な く, 地球規模での対応 を迫 っている。その一方で,新 しく民族紛争が頻発 し,ECをは じめ とす る 地域統合の動 きや民族文化 ・伝統文化の再評価 も盛んにいわれている0 国内に目を移 して も,政治家や官僚の腐敗,企業の上か ら下 までの不祥事や無責任体質,医 療事故の多発 などか ら少年 による残虐 な事件の続発,家庭や地域の崩壊 としかいえない事件 ・ , 」「学級崩壊」 をは じめ とする学校 ・教育の混迷などなど,こ 事故の数々, もちろん 「い じめ れで もか とい うほど,連 日報道 されている。 これ らは,わが国の社会の在 り様 ( システム)が マクロで もミクロで も機能不全に陥っていることを示 しているように見 えるが,む しろ,それ よりも一層根本的に " 近代 とい うパラダイムの転換"が必要だとい うことを示 しているのでは ないだろうか。 この事 は,何 もわが国に限ったことではな く,人類全体 ,少な くとも先進諸国に共通 したこ とであ り,原 聴介はこれを 『 時代が大 きく変わったというよ りも,今 こそ近代の矛盾が全面 ( 2 ) 展開を始めた』 と表現 している。 こうした状況 を,メディアの側面か ら見てみ よう。社会の近代化がメディアの発達 をもた ら したが,一方,メデ ィアの発達が社会の近代化 に果た した役割 も決 して小 さい ものではない。 " 社会"の基本である人間関係 ( コミュニケーシ ョン)のための媒体 ( メディア)の最 も重 要な ものは広義の 「ことば ( 言語 ) 」である。パ ー ソナルなコ ミュニケーシ ョンのメデ ィア と 3 ) しての話 しことば ( 音声言語)は,人間の歴史 とほぼ同 じ長 さ ( 歴史)を持 っている。 また, ( 文字 ( 文字言語) も民族 によって異なるが,数千年の歴史がある。一方,近代社会 をもた らし た要因 として,情報 ・文化 ( 知識,思想,技術 ,芸術 など)の共有 ・一般化があるが,これに は " 言葉の固定化 ・大量生産-印刷術"の実用化が重要であった ( マス ・コミュニケーション の発展はこれに始 まる といわれる) 。 金属活字 による活版印刷術 により,一部の者が占有 していた文字 とそれによる成果 ( 書籍や 文書 による文化の集積)が広 く一般の ものにな り, さらに,学校教育制度 の普及 によって, 人々は 「 近代」 という社会 システムのメンバーに組込 まれていった。1 9 世紀 になって科学技術 の進歩 ・発展のなかで,コ ミュニケーシ ョンにかかわる技術 ( メデ ィアまたはチャンネル) ち 急速 に開発 され, また,それ らを活 して社会や生活 を便利 にするシステムも発展 して きたが, それは一方では,大量生産 を効率的に行 う工業化 ・産業化の道具であ り, また人々を大量消費 社会 に組み込 むための道具 として も極めて有効 に働 いた。1 9世紀半ばの電信の発 明 に始 まっ て,この1 5 0年余 りの間に実 に様 々なメデ ィアが生 まれ,発展 して きた。写真,映画,電話, 1 7 5 メデ ィア ・リテラシー教育の必要性 -メディア ・リテラシー教育の原理 と目標 その 1- レコー ド, ラジオなど情報の表現,伝送のメデ ィアが開発 され,さらに,テ レビ, ビデオ とつ づ き,それ らを活用 した巨大な ものか ら個人的な もの ま多様 なシステム ( 組織や企業 などいわ ゆるマスメデ ィア)が発展 し,それ らを媒介 として社会の状況が大 きく変質 し,いわゆる 「 大 衆社会」が生れた。 そ して何 よ り, コンピュータの開発 とそれ らを結ぶネッ トワーク ・システムの普及によ り, 社会の様相が一層変化 して きているO コンピュー タの出硯 までは,情報 (コ ミュニケー シ ョ ン)に関 していえば,様 々なメデ ィアは,文字文明を補完 し豊かにするもの として存在 してい た といえる。 しか し, コンピュー タがそれを結 び付 けて使 う通信技術 ( 光 ファイバーやデジタ ル技術 とインターネッ トなどの システムなど)の発達で,本格的にその能力 を発揮 して使 われ るようになると,それを媒介 として多様 なメデ ィアが,それぞれの能力 をこれ まで と違 うレベ ルで発揮 し始めた。例 えば,電話がポケベルか ら携帯電話へ,そ して iモー ドなどが加わる一 方,テ レビのデジタル化 ・双方向化などにより,電話 とパ ソコン,そ してテ レビの垣根がほ と ん どな くな りつつあ り,マスメデ ィアとパーソナルメディアの区別が明確でな くな りつつある 事 などである。 l マクルーハ ンは,テ レビなどを例 に 『メデ ィアはメ ッセージである』 といったが,それは, い 『あるメディアを利用すること自体が社会に大 きな影響 を与える』 とい うことであ り,ベ ンヤ ミンが映画 を例 に 『 複製芸術論』でいったの と同 じ事であろう。ただ,マ クルーハ ンがブーム となった1 9 6 0 年代 は,テ レビの発展は著 しかったが,今か ら考 えればまだ初期の段階であ り, テ レビが メディアとしての本格的な影響 を発揮 していなかったため,やがて,ブームは去 り, 忘れられていった。最近,マクルーハ ンが再評価 されているのは,デジタル化などテ レビをは じめ とする映像系 ・表現系のメデ ィア,光 ファイバー,衛星通信 な どの伝送技術,そ してコン ピュー タ ・ネッ トワーク ・システムなどもふ くめメディアをめ ぐる技術 とシステムが全体 とし て,い よい よ本格的 に機能 を発揮 し出 して,社会や暮 らしのあ らゆる面へ の影響が大 き くな り,社会のあ り様 まで も見直 さなければならな くなってきたためであろう。 それは,単なる生活技術 などに止 まらず,思考,思想,世界観 まで も含む, コミュニケーシ ョンを中心 とした "人間の生 き方"の変質にまで繋が りかねない,大 きな曲が り角に来ている といえよう。 3.現代 の教 育状 況 とメデ ィア 9 世紀か ら2 0世紀にかけて,世界 は,いわゆる "近代" として,欧米 先 にも記 したように,1 を中心 に した国民国家単位 の近代産業社会 ( 工業社会)の時代であった。そのなかで教育の分 野 で は,国家形成者 と しての "国民" と,産業 社会 の要員 と しての " 勤 労者 ( サ ラ リーマ ン)"の育成 を目的に,形式か ら内容 まで,効率 的に制度化 され,整備 された 「 学校」が中心 を担 って きた。 学校 を主体 とした教育制度は,欧米諸国では, 自ら近代化 を模索 し試行錯誤 をか さねて成 し 遂 げて きた故か, 自主性 ・自治 を重 ん じ,伝統的な もの も含 め様 々な形式 と内容 を内包 した 「 多様性」 を認めて きた (とい うよ り,認め ざるをえなかった)。 これに対 し,わが国は,植民地化 を避けるためにも,欧米 に追いつ こうと社会の改変 をかな り性急 に行 い,早期 の近代化 ( 文明開化) を目指 した ( せ ざるをえなかった)。 この中で,近 代化の基盤であ り必須 と考えられた "人材"の育成 ( 教育) を,全国民への義務教育 を含めた 学校 中心の制度 として導入 したが,それは必然的に,政府 による上か ら下への " 画一的"" 管 1 7 6 天 理 大 学 学 報 理的"な もの となった。 富国強兵」「 文明開化」のスローガンの もとで行われたその教育 は,当初 は,「 和 そ して,「 魂洋才」 といわれたように,欧米 に学ぶべ きは技術 とそのための知識面のみ, を目指 した もの であった と思われる。その一つの表 われが,教育の全 てを高等教育 レベ ル まで一貫 して国語 (日本語) を用いて行 なったことであろ う。「国語」 と言 う表現 には,国家の基幹である国民 を結 び付 ける,文化の基本が言葉であるとい う強い意志の表明が感 じられる。 コミュニケーシ ョンのためのメデ ィアである 「 言葉」 を学校教育の中心 に据 えるのは,世界 各国に共通 している。言葉の うち特 に,文字言語の読み,書 きの能力 (リテラシー)が重視 さ れたのは,近代の社会 ・文化が文字 ( 特 に印刷 された もの) を基本 に発展 し,組み立て られて きたことを考 えれば当然であった。 しか し,文字言語の基 になるのは音声言語 ( 聞 く,話す) であ り,欧米諸国では,特 に初等 ・中等教育で,聞 く,話す ことの教育 にもかな り力 をいれて いる。 これに対 し,わが国の学校教育は,明治か ら現代 に至 るまで,国語教育が文字言語 ( 読み, 書 き)のみ といえるほど文字 に重点 を置いているのは,中世以来の漢学重視の伝統 にもよるで あろうが,ほかの教科 も教科書 と黒板 に象徴 される文字 中心で行 われている点か らみて も,や は り,教育内容が海外 ( 欧米)か らの移入 ・翻案がほとん どであったためであろう。明治か ら 昭和の時代 は,文化 に しろ,科学 ・技術 にしろ移入 ・翻案 は書物 ( 文字) によってもた らされ たのだか ら。 もちろん,その間,学校教育の中で,教育方法の改善のため様 々な議論や実践があったが, それ らの 中で,メデ ィア との関連の深い研 究,実践 も数多 くな された。例 えば,「 視聴 覚教 育」である。 5 0 年余 りの間に次々 と開発 された各種のメデ ィア ( その中心 は視聴覚 視聴覚教育は, ここ1 機器である) を,教育の場 に取 り入れ,様 々な教授法,学習法 を開発,工夫 しようという教育 方法の改革運動の一つである。教科書や掛 け図などの文字 と絵,図表以外 に,より鮮明で現実 感が高い " 写真"が取 り入れ られ,"ス ライ ド" も授業 を豊か にす るもの として盛 んに使 われ た。"映画" も多 くの場面 で教育 ・学習 に活用 され し,教 育映画 とい う独 自の分野 も確立 し た。 しか し,何 と言 っても教育 に大 きな影響 を及ぼ したのは,その他の社会生活への影響 と同 じく,放送 ( ラジオ,テ レビ)である。 ラジオを教育 に利用することは, ラジオの発明当初か ら視野 に入っていたが,特 に,イギ リスと日本で早 くに実用化 され,1 9 2 0-3 0 年代 に 「 学校放 送」 として学校 ( 生徒)向けの番組が放送 され,内容が コン トロールされていたとはいえ,学 校 に外部か らの情報が直接入 ることになった。 教育 に, より大 きな影響 を及ぼ したのは,チ レビである。 テ レビは,学校放送 として直接教育 に利用 されることの影響 も大 きかったが,それ以上 に, 全国の家庭 に直接,同時 にニュースやエ ンターテインメン トが情報 とい う形で送 られることの 社会全体への影響が,ゆっくりとではあるが,教育の全体状況 により大 きく影響 を及ぼ した と お もわれる。そ して,最近の コンピュータの学校教育への導入である。 コンピュータは,テ レ ビに劣 らず,いやそれ以上 に,ひとびとの暮 らしや社会 に,そ して教育 に影響 を及ぼす に違い ないQ 以上,大雑把 に教育 とメデ ィアの関係 をた どってみ たが, これ を通 じてい えるこ とは,教 育,特 に学校の世界では,メデ ィアはあ くまで も教育 ・学習 を進めるための道具,それ も補助 的な道具であったということである。 もちろん,メデ ィアは本来道具だか ら,道具 として使 う 1 7 7 メデ ィア ・リテラシー教育の必要性 ∼メデ ィア ・リテラシー教育の原理 と目標 その 1- のは当然 だが,問題 は,使 う側の学校の基本的立脚点が,学年,教科, カリキュラムなど,そ して何 より教育観,学習観が,明治以来欧米 を手本 に したものの枠 内であった し,それに改善 ・改良を重ね,整備 し, よ り確 固 とした ものにす るために利用 して きた といえる。 前 に触れたように,社会状況がメデ ィアをめ ぐって大 きく変わ りつつあ り,過去数世紀 にわ たって世界の潮流であった " 近代 ( 化)の枠組み ( パ ラダイム)その ものの転換"が迫 られて いる中で,近代化のために大 きな役割 を担 って きた教育,特 に学校 も例外 ではあ りえず,改革 ・革新が迫 られている。現在起 こっている数 々の問題 ,「学校 ( 学級)崩壊」や 「 不登校」 な どの問題が深刻 になるにつれ, これ まで 「 教育の ことは専 門家 に任せ よ」 といって きた人 々 ,「学校 だけの問題 ではない,学校 だけでは解決困難だ」 として,地域や家庭 の責 ち,最近は 任が盛 んに言われるようになった。 しか し, これらも,これ まで と同 じように教育 ・学校の枠 に,これまでとか く排除 していた地域や家庭 を取 り込 もうという発想がほ とんどである。 この ような対症療法では根本的な解決は難 しい といえる。何度 も練返すが,根本的な,パ ラダイム ( 5 ) の転換が,教育にも求め られているのである。 4."メデ ィアの利 用" か ら ` ` メデ ィア を知 る" へ ∼メデ ィア教育の変盟∼ 多 くの国々では,新 しいメデ ィアの発展 ・普及に合わせて " 教育 とメデ ィアの関係" を見 直す ことがかな り以前か ら行われて きた。この歴史 を大 きく分 けると,世界各国で先ず ,「教 育 にメデ ィアを利用 ・活用する」 ことが多 く試み られ,やがてメデ ィアの社会的な役割の増大 とともに 「メディアについて知る教育」が発展 して きたといえる。 「メデ ィアを利用 ・活用する」では,そのメデ ィアを使 って学習 ・教育 をより豊かに,効果 的に行お うという面 と,各種 メディアの使い方 ・扱い方を習得 させ る教育 とい う面 とがある。 前者は,伝統的な 「 視聴覚教育」や ,「放送大学」 な どが この例 であ り,カ リキュラム とい う より教育方法の側面がつ よい。 これに対 し後者は,生活技術の側面が強いため,学校教育のカ リキュラムに位置づけるよ り社会教育などでインス トラクションとして行われることが多かっ た。 「 視聴覚教育」 は,教育 目的で映画 を制作する ( 教育映画)や ラジオを使 って教育す る ( 放 送教育 ・学校放送)の ように,1 9 世紀末 ∼2 0 世紀初頭 に発明 されるとす ぐに,それぞれの前向 きの機能 としての " 教育機能"が重視 され,制度的にも実践的にも,早 くか ら取組がなされた , 差 と 放送大学」 も1 9 6 0 年代か ら各国でスター トし し 「 一方 ,「メディアについて知 る教育」 は,1970年代 か ら強 く提唱 されは じめた もので,社会 的にも,個人生活の面で も大 きな影響 を及ぼ しているメデ ィア,特 にマス ・メデ ィア ( わが国 でのいわゆるマス コ ミ) について,その本質や仕組みを知 り,それ らに対 して " 批判的" に付 き合 える能力 を育てようとい うもので,諸外国, とくに話 しことばによるコ ミュニケーション 」「メデ ィア ・リテラシー教育」は,これが 目標 教育の伝統がある欧米諸国の 「メデ ィア教育 だ し,カ リキュラムの中心 になっている。 ただ し, この 「メデ ィア教育」は,当初,ユ ネスコが中心 になってその実硯 を進めたため, コ C l [ メディアの最先進国であるアメ リカでは余 り熱心 には取 り組 まれなかった。 9 8 0 年代 になると,イギ リス, ドイツなどの ヨーロッパ諸国やカナダ,オース トラ しか し,1 リアなどの国々で,学校教育や社会教育で,正式 に取 り入れられるところが急増 している。 例 えば,イギ リスでは1 9 9 2 年,国の支援の もと英 国映画機 関 ( BFI) と公 開大学 ( OU)が 1 78 天 理 大 学 学 報 共同で 『メディア教育入門』プログラムを開発 し,教師教育 を行 ない,小,中,高の各 レベル の授業で実践 している。 また,マクルーハ ンを生んだカナダではオンタリオ州教育省が ,1 9 8 9 年 に中学,高校 に 「メデ ィア ・ス タディ」 を教科 として導入 した し,ほかの州で もそれぞれに 正式 に導入 している。 さらに,アメリカでは NPO による教育改革運動の一つ として,メデ イ 。 ァ ・リテラシー教育が模索 され出 しているとい ち' これ らの,メデ ィア ・リテラシー教育 に共通 した,基本的な姿勢は "自立 したオーデ ィエ ン ス ( 読者 ・視聴者)の育底"にある。 例 えば,カナ ダ ・オンタリオ州教育委員会編の教師用の指導書 「メデ ィア ・リテラシー∼マ ,『メデ ィア ・リテラシーの 目標 は,子 どもたちが メデ ス ・メデ ィアを読み解 く∼」 によれば ィアとその 日常生活における役割 にかん してクリティカルに対処で きるようになるよう援助す , るところにある。 』 として 『 基本的な概念』で 『 -メデ ィアはすべて構成 されたものである, -メデ ィアはものの考 え方 ( イデオロギー) と価値観 を伝 えている,-』 などとしたうえで, 『 授業方法 とモデル』で専 門教科 と国語や社会札 家庭科などの各教科での考 え方 と扱い方 を 示 している。そ して 『メデ ィア ・リテラシーは生涯を通 して身につける』 ものであ り 『 -・ メデ ィア ・リテラシーの最終的な目標 は,単 に, より深い理解や意識化 の促進 にあるのではな く ( 1 0 ) て, クリティカルな主体性の確立にある』 と述べている。 5.メデ ィア ・リテ ラ シー教育 の必要性 ∼教育のパラダイム転換の一環 として∼ これに対 し,わが国では,「 視聴覚教育」 は4 0 年以上の歴史があるが,それ以外 は一部の実 験的な試み以外 は,ほとん ど行 われてこなかった。近年,コンピュータ産業の振興のため もあ って,学校 にコンピュータが導入されたが,教育課程全体での取組 とい うよ り,機器に慣れる ため,その操作 を教 えるとい う側面が強かった。 ようや く,平成1 0-11 年 に改訂 され,1 4年か ら小学校,中学校,高校 と順次実施 される新 し い 「 学習指導要領」 は,現在の教育状況のゆ きず まりを打開 し,社会状況の変化に対応す るた め "『 生 きる力』の育成" を中心 テーマに据 えている。改訂の要点は 「 週 5日制の完全実施」 を前提 に 「 授業 内容 を精選 し時間 を減 らす」一方 「 基礎 ・基本 を確実 に習熟す る」「 生活体 験,自然体験,道徳感 ・正義感 を身につける」 ことを目標 に している。そのため,「 総合的な ( l l ) 学習」の導入,実施 などをうたっている。 このなかに 「 情報化-の対応」 も入っているが,その中味 を見 ると,中学の 「 技術 ・家庭」 ,『総合学習の時間な どで コンピュー タや情報通信 ネ ッ と,高校 に 「 情報科」 を新設す るほか トワー クを活用す る』 とい うだけで,これ まで と同様 に技術的なものか ら一歩 もでていないO これ らは,新 しい社会状況 ( 情報環境)への対応の必要性が,総論 としては指摘 されている が,具体 的な内容 になると,メデ ィア状況の変化 とそれによって もた らされている人間関係 (コミュニケーシ ョン)の変化 には全 く対応 してお らず,その ような状況の変化 に沿 った新 し いコ ミュニケーシ ョン ・リテラシーの育成 とい う基本的な対応が具体的には示 されていない と い うことである。 わが国で も,教育改革について,新学習要領 だけでな く,国などの公的審議会や私 的 ・民間 などか らもさまざまな提言が されているが,その多 くで,教育の枠組みの変革 ( いわゆるパ ラ ダイムの転換)が主張 されている。 しか し, とくに公的な提言では,新学習指導要領での よう に,総論ではそれをいいなが ら各論,具体論 では,旧来の枠組みか ら根本的に転換す ることが 179 メデ ィア ・リテ ラシー教育の必要性 -メデ ィア ・リテラシー教育 の原理 と目標 その 1- ほ とん どみ られ ない。 いわゆる 「 情 報化」 ( 最 近 の言 い方 では 「 I T化 」 )へ の対 応 で も,産業 界 の要請か ら,学校教育へ の コ ンピュー タ導入 を経 済 立て直 しの起爆剤 に しよう と言 う思惑が 優先 して しまい,先 にあげた, カナ ダの例 にみ られ る ような,基本 的な,理念 を しっか りと踏 まえて,教 育 目標 を具体 的 に示 した うえで, カ リキ ュラムや教育方法 を示す まで に至 っていな い。 この ような理 由か ら, これ までの よ うな 「 情 報化対応」 の改革 に とどま らず ,「 教育 のパ ラ ダイムの転換」 を前提 に して,その一環 として,新 しく 『メデ ィア ・リテ ラシーの育成 の ため の教科』 を設 ける とともに, さまざまな教科 で も, メデ ィア ・リテ ラシー育成 の視 点 を踏 まえ て, カ リキ ュラム を組 み替 えてい く必 要があ る と考 える。 その さい, ひ とこ と付 け加 えておか なけれ ばな らないが ,新 しい メデ ィアの リテ ラシー を育 て る とい って も,それが従来の リテ ラシー ( 文字 の読 み書 き)の育成 お よび話す ・聞 く能力の 育成 を否定す るこ とではない とい うことであ る。言葉の果 た してい る役割 ,意味 を新 しい メデ ィア状 況 の 中で見直 す こ とは必 要 だが,それ は,言葉 の役 割 が低 下 す る こ とにはつ なが らな い。 む しろ,最近 の コンピュー タ, ヴ ィジュアル ・メデ ィアの みの環境 で育つ こ とが,子 ども たちの情緒不安定 ,短絡 的,暴力 的性格 な どの要因 になってい る とい う研 究 も各種発表 されて り 2 ) いる。 カナ ダの例 にあ る ように,「メデ ィア ・リテ ラシー教 育」 の 目標 は,つ まる ところ "自立 し た個 人 の育成" にあ る。それ は,新 学 習指導 要領 の掲 げ る " 考 え る力 の育成" も同 じであ ろ う。 メデ ィアが驚異 的 に発展 し,そ こか らの情 報 が,洪水 の よ うに溢 れ て い る現代 だか らこ 個 人の 自立」「 考 える力」 ( 人 間存 在) に とって基本 的 な役割 を担 ってい る " 言葉"が も そ ,「 つ重要性 を再認識 しなければな らないのであ る。 その意味 で, わが 国で は軽視 されて きた "コ ミュニケー シ ョン教育" をメデ ィア ・リテ ラシー教 育 も含めて創 りあげてい く必 要が ある とも いえる。 いわ ゆ る 「 I T革命」 のお先棒 を担 ぐように もみ られか ね ない 「情報化 に対応 した,機器 の 操作」 にとどまる こ とな く,音声言語 ・文字言語 の能力の育成 を基礎 ・基本 に しなが ら,新 し い メデ ィア状況 に対応 した, メデ ィア能力 ・コ ミュニ ケー シ ョン能 力 を育成す る 『メデ ィア ・ リテ ラシー教育』が必 要 なのであ る。 ( 平成 1 2年 9月 記) 注 (1) 1 9 7 3年国際映画テ レビ協議会は 「メデ ィアについて教 える "メデ ィア教育"は,メデ ィア 1 9 6 5 )に を教育 に利用することとは全 く異 なる」 といっている し,生涯教育 を世界で最初 ( 提唱 した p.ラングランも 「 生涯教育入門 Ⅱ」 ( 1 9 7 5 )で生涯教育 を実践 してい くためにメデ ィアを活用することはもちろんだが,社会で重要な役割 を占めているメデ ィアに付 いて " 潤 費者 ( オーデ ィエ ンス)の判断力 を教育で育ててい くほかない" といっている ( 大 串兎紀夫 「 生涯学習社会 とマスメデ ィアの役割」参照) (2) 原 聴介 「 近代教育思想 をどう読 むか」 ( 原 聴介他編 『 近代教育思想 を読みなおす』新曜 社 ,1 9 9 9の序 3頁) (3) 葉山杉夫 によれば,人類学の最近の研究では,一般的に 「人類」 に共通 した属性である直 0 立二足歩行することはお よそ5 0 0 万年 さかのぼ り, また,言葉 を話せるとい う点ではおよそ2 万年前か らとされている。 しか し,これは県人など現代人 とは直接 には繋が らない もの も含 1 80 天 理 大 学 学 報 ,「現代型 ホモ ・サ ピェ ンス」 は,約30万年前 に出現 した とされ,化石か ら, この んでの話で 『ヒ トの祖先 は 「 現代 人の ように 『 お しゃべ り』 を楽 しんでいた-』 としてい る ( 葉 山杉 夫 『ヒ トの誕生』PHP新書0 8 0,1 9 9 9,p. 1 4,p. 1 4 4,p. 1 6 9) 。要す るに,人間 ( ホモサ ピェ ン ス)はその最初か ら言葉 を使 っていた, と言 えよう。 ( 4) P・レヴインソン著,服部桂訳 『デジタル ・マクルーハ ン-情報の千年期へ ∼』 ( NTT出版 ,2 0 0 0, 2 3 頁) (5) この点 に関 しては,上記 (1)の文献や.松 浦善満他編著 F 教 育のパ ラダイム転換 ∼教育 1 9 9 7 ) )など多数の主張,研究がある。 の理念 を問い直す -』 ( 福村出版 , ( ,「生涯学習」の提唱 も,近代 の物質中心の社会 をパ ラダイム転換 して 「学習社会」 を また 実現 させ るための教育総体の変革を理念 としている。 (6) ここでは∴ ` メデ ィア教育" は "メデ ィア ・リテラシー教育" を含 んで "メデ ィア利用 ・活 用教育 ( 視聴覚教育など)"をも包含 したもの と して論 を進めるD (7) 例 えば,ラジオに付 いていえば,わが国でラジオが初 めて放送 を開始 した大正 1 4年,東京 放送局初代総裁の後藤新平 は,開局の演説で ラジジオの重要な機 能 と して報道,娯 楽 ととも に教育 を挙 げている。 またテ レビ利用 の 「 放送大学」で は,1 9 6 0 年代 にイ ン ドでユ ネス コが 実験 を行 ない,その後 イギ リスのオープ ンユ ニバー シテ ィや中国の放送大学 な ど次 々にス タ ー トしている。 ( 8) ユ ネス コは どち らか と言 うと,第三世界の利益 を優先 しが ちでアメ リカに批判的 なため, アメリカは脱退 している。 (9) メデ ィア リテラシー研 究会 「メデ ィア リテ ラシー」NI PPORO 文庫 1 9 9 7 ,31-3 9 頁。菅谷 0 0,1 3 0-1 35 頁。 昭子 「メディア ・リテラシー」岩波文庫 ,2 ( 1 0) カナダ ・オンタリオ州教育委員会編 ,FTC ( 市民のテ レビの会)訳 Fメデ ィア ・リテラシ 9 9 2,7-2 0 頁) ー-マスメデ ィアを読み解 く-』 リベル タ出版 ,1 ( l l ) 有馬朗 人 「 新学習指導要領 で学校 は ど う変 わるか」 ( 文部省編 『 文部 時報 平成11 年 7月 18-9頁) 号」 文部省初中局 「 学習指導要領の改訂のポイン ト」 ( 同上41 -45 頁) ( 1 2) これ らの点 に関 しては, ジェー ン ・ハ リー著,西村耕作他訳 『コンピュー タが子 ど もの心 を変 える』 ( 大修 館書店 ,1 9 9 9)や,バ リー ・サ ンダース著,杉本卓訳 『 本が死ぬ ところ暴 力が生 まれる∼電子 メディア時代 における人間性 の崩壊 -』 ( 新曜社 ,1 9 9 8)な どが詳 しく実 例 を挙げて論究 している。 参考文献 ( 五十音順) Ma nue lA lva r a doe d・ ,1 9 92,MEDI AEDUCATI ONa ni nt r o duc t i o n,TheOpe nUni ve r s i t y 市川克美 ,1 9 9 9「 番組制作者か ら見たメデ ィア リテラシーの方向性」『 視聴覚教育』5 3巻 2号,pp. 1 2 -1 3 稲葉三千男 ,1 9 8 9,「コミュニケーション発達史」創風社, フレッ ド・イングリス著,伊藤誓他訳 「メデ ィアの理論 一情報化時代 を生 きるため に」法政大学 出版 局 大串兎紀夫 ,1 9 9 0「 生涯学習社会 とマスメデ ィアの役割」F NHK放送文化研究年報』3 5 巻,p p. 1 01- 1 3 4 大串兎紀夫,1 9 9 7「 生涯学習概説- 『 学び』の諸相 -」学文社 大串兎紀夫,1 9 9 7「 生涯学習 と識字 (リテラシー) 」『 生涯教育研究」 1号 ,p p. 2 3-2 8 大田信男他編著,1 9 9 「コミュニケーシ ョン学入門」大修館 4 1 81 メデ ィア ・リテ ラシー教育 の必 要性 - メデ ィア ・リテ ラシー教育 の原理 と目標 その 1- 小田通夫他編著,1 9 9 8「国語教育 と NI E一教育 に新聞を」大修館 加藤尚武 ,2 0 0 0「印刷か らコンピュー タへ∼教育の転換」『 NHK人間講座 -2 1 世紀 の倫理 を求めて』 p p, 7 2-8 2 カナダ ・オンタリオ州教育省編 ,F TC ( 市民のテ レビの会)訳 ,1 9 9 2「メデ ィア ・リテーマスメディ アを読み解 く」 リベルタ出版 ∫.カラン他編著,児島和人他訳 ,1 9 9 5「マ スメデ ィアと社会一新たな理論的潮流」勤草書房 Ga r yGa mp e r t ,1 9 8 7 ,Ta l k i ngTo mb s t o n e s&Ot he rTa l e so ft heMe d i aAg e ,Ox f o r dUni v e r s i t y Pr e s s 木田元 ,2 0 0 0「 <考 える>力の養い方」『世界思想』2 7 号 ,p p.5-8 久保田賢一 ,2 0 0 0「構造主義パ ラダイム と学習環境デザイン」関西大学出版部 倉内史郎他編著 ,1 9 9 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