J・W・ハイジック 西田哲学の未来へ - 南山宗教文化研究所

場で、ただ日本人であるからという理由で、日本哲学とり
わけ西田の思想について自分の考えを述べるようにという
圧力がしばしば感じられるようになってきました。実際に、
時には準備が不十分なまま、西洋哲学のみを専攻してきた
五十六点も西洋の言語で出版され、それから現在にいたる
一九八五年から二〇〇〇年までの間に本と論文を併せて
十 二 点 の 翻 訳 し か 世 に 出 て い ま せ ん で し た。 が し か し、
ま ず、 一 九 八 五 年 ご ろ か ら 西 田 の 著 作 の 翻 訳 が 相 次 い
で 刊 行 さ れ ま し た。 西 田 の 没 後 四 十 年 の 間 で は、 わ ず か
なります。
合い、二つのきっかけによってそれが大きく変わることに
らかに衰退していました。しかし、うれしい偶然が重なり
日本の哲学者の間でも、京都学派そのものへの関心はあき
ろうというのが、学問界一般の見通しでありました。また、
西田研究は戦後における批判の重みでまもなく倒壊するだ
過去三十年間にわたっての西田哲学のブームは、だれも
予見できなかったことではないでしょうか。西洋において、
きたことによって、西田研究の伝統にもしっかりとした土
なくない数の日本人学者が今日まで同じような貢献をして
自分自身の哲学を磨いていきました。上田氏に続いて、少
バランスを回復しただけでなく、京都学派の代表者として
単行本等々で活躍を続けることによって、次第に国内外の
のことです。しかしそれ以降、氏は講演、セミナー、論文、
ました。それまでの上田氏は、西田についての論文を一つ
の厳密な研究がさらに向上するように身を捧げる決心をし
定年退職する際に、後年は国内において西田思想について
版されました。一九八九年に上田閑照氏は、京都大学から
で、一般向けの「西田哲学入門」のような本があわてて出
西田の名声が海外でますます高まっていることに付け込ん
は少なくありませんでした。そればかりか、
日本国内でも、
西田 哲 学 の 未 来 へ
J・W・ハイジック
日 本 の 学 者 が、 ヨ ー ロ ッ パ や ア メ リ カ の 学 者 た ち に 対 し
まで翻訳の数がさらに多くなってきています。このような
(南山大学)
活動が日本の哲学者へ影響を与えたことは否定できませ
台ができてきました。
て、自信満々に胸を張って日本哲学を代表しようとする例
ん。その一方で、日本特有の哲学に対する関心は国の内外
もちろん西田哲学会の皆さまにはこのような歴史を述べ
しか書いたことがありませんでしたが、それは一九八一年
で不釣合いになっており、海外での学会発表や招待講演の
― ―
28
講 演 録
立てる必要などありませんし、この学会の存在さえもが内
外からの刺激で誕生したことを思い出していただく必要も
たことはありませんでした。しかも西田やその系統の思想
いての論文提出を歓迎する学術雑誌の数がこんなに多かっ
だと考えられるでしょう。今日まで世界中で西田哲学につ
いった問いを立てるのは、たぶん過剰で役に立たないこと
らないと思っております。熱意が高まっている最中にこう
田哲学の未来が期待できるのだろうかと問わなければな
私の計算では、西田の著作は六つの西洋の言語に翻訳さ
れ、 そ れ に 続 い て そ の 翻 訳 過 程 を め ぐ る 膨 大 な 研 究 が あ
ます。
のアカデミアを問題にする限り、さらに困難なものになり
これは、西田哲学の特権的な部分を担ってきた日本と欧米
が開いてきますが、同時に歩みが辛くなることでしょう。
せん。その囲い込みを突破すればするほど発展する可能性
ただ単に過去に歩みを引き返すのではなく、未来へ向か
う道は、目下の思想形態の範囲から自由になるしかありま
西田哲学の囲い込み
や歴史を論じる研究会、学術会議、大学院講座、博論、モ
きっとありません。ただ私は、今日においてどのような西
ノグラフ、翻訳の出版は衰えずに増え続けています。しか
り、さらにそのスタイルや訳語の忠実さについて幅広い意
けながら、我々はその未来を開いたままにする努力をしな
ても、できるだけの多様性や斬新さとともに自己批判を続
こうして活気づいた状態の行方など誰にもわからないとし
た疑問なのですが)
。 あ き ら か に、 翻 訳 が 多 く な れ ば な る
ニア、コンゴの言語や精神史にまで及ぶ時どうなるでしょ
がインド、インドネシア、タイ、ベトナム、エジプト、ケ
合楽なものになってきました。けれども西田の著作の範囲
りませんが、その大綱が大体決まったため、論議自体は割
め ごころ
見 交 換 が 行 わ れ ま し た。 こ う し た 論 議 が 終 わ る こ と は あ
ければならないと思う次第です。
ほど西田思想はより広い範囲から研究されることになりま
ま
て正確な批判を妨げようとする誘惑が最も強まるのです。
しながら、まさにこのような時こそ、伝統への忠実心によっ
以下において、いくつか連動している問題点に焦点を合
わせて、西田哲学の未来について述べさせていただきたい
うか(これは私自身が他の研究者や院生と関わる中から出
と思います。
す。しかしその発展が、直接にしかも完全に日本と欧米が
支配している西田研究の本流に吸収されないまま、自分な
― ―
29
場合はどうなるでしょうか。原文にも通じていない、過去
りに発明した独特な学問批判のやり方によって推進される
件として西田哲学の国際化を進めることになるのです。
このままでは、その果樹園をそのまま植えかえることを条
くそびえる木にまで成長させてきたという側面もありま
までの西田研究がその苗の世話をして、場合によっては高
結果、彼の哲学が形成されることになりました。確かに今
て知ることなく、ただその種の胚胎する想像力を信頼した
です。どちらに根を下ろし、どちらに実を結ぶかを前もっ
植え、それが西洋の哲学の文献で育てられたことによるの
富むのは、そもそも日本の土壌を苗床として一握りの種を
ていると私は思います。結局、西田の思想が余韻・余情に
しかし、こういった不信感には大きな勘違いが見受けら
れるし、さらには西田哲学そのものへの不信感さえも表し
とではありませんか。
組んできた学者の業績を踏まえるなどというのは当然のこ
じてくるに違いありません。むろん、直接西田全集と取り
日本と欧米の研究者は深い疑問を抱き、抵抗感が自然に生
田哲学が現地において引き起こす生々しい反応に対して、
でしょう。哲学書の主な読者層は、哲学に関する学問的評
結局日本や欧米においても、西田哲学の未来を確実なも
のにするためには、学術業績がもっとも重要とはならない
する実験の実例に満ちているように見えます。
哲学史は、専門の純粋さを守るための植えかえを拒もうと
性質があることを証明することにはなりませんか。どうも
それだけでなく西田の思想にはその起原の特異性を超える
西田哲学の再構築は新たな視点をもたらしますし、しかも
ことになるでしょう。が、まさにそのために、そのような
るための論理・論証は、西田が構築したものと多少異なる
申すまでもなく、それらの概念を具体的な問題に応用させ
精神史に種を植え、そこで育てた場合、どのような形をと
た文献、西田が考える背景にあった文化に通じない他所の
んな彼自身が芽生えから育てました。もし西田が読んでい
なりきって知る、自己否定による自覚などの概念
念
―
それはさておき、西田が幾度も手直しをした根本的な概
行為的直観、主客分離の超克、絶対無、場所の論理、
す。とは言うものの、その努力に伴って、西田自身が哲学
論の読者層とは異なり、どちらかといえば取捨選択によっ
の五十年間の研究成果もほとんど知られていないまま、西
の種に対してもっていた信頼が消えて、その代わりに今で
て自分の関心を示したがるものです。あたかもトレイを手
り、何の実を結ぶことになったのでしょうか。一つには、
はみ
は西田の専門家の業績でできた広大な果樹園の世話をする
―
ことになりつつあるという印象は避けられません。そして
― ―
30
講 演 録
ど「一流のコックさん」と言った課題です。
は、それよりもはるかに難しい課題です。それは私が先ほ
現代の文化一般に対して影響力のある位置を確定すること
然として手に入りやすいのです。しかし一方、西田思想に、
えることは割合に容易です。専門書という名のレシピは依
西田哲学に、現代の文化において安易に専門的な位置を与
グマックです。複雑で、博学で、難解な思想体系としての
なってしまうでしょう、すなわち精神用にあつらえたビッ
け れ ば、 一 世 代 以 内 の 哲 学 ビ ュ ッ フ ェ は す べ て 同 じ 味 に
ルする環境こそが一流のコックさんを育むのです。さもな
精神にとって滋養に富み、批判的な思想への関心にアピー
押し付けようとする努力に他なりません。しかし、むしろ
ジウム、専門雑誌などの運営、そして通俗哲学に劣等感を
門家の世界において一番重要な任務は、学術大会、シンポ
学生の習慣とそれほど変わりません。ある意味で哲学の専
うに折衷するのです。実際に、それは哲学を専攻している
ガーをおかずにして、西田のスフレをデザートにというよ
レスをひと切れ、ニーチェの大盛り一杯、デリダやハイデッ
に思想のビュッフェを歩いているかのように、アリストテ
は我々の前途に伸びています。
りません。その通念に抵抗する代価は高すぎると思われる
要するに西田哲学の囲い込みを常識と受け止めるような
心持は、講壇哲学の既定基準に屈服するということに他な
皮肉が顕われます。
び学問界それ自体の水準と合致しなくなってしまうという
位置を占めてきた哲学者の著作の多くは、最早学会誌およ
の結果、ついに研究の対象であるはずの、伝統的に大切な
基準は、哲学本来の意味から一歩ずつ離れていきます。そ
とみなすべきもの、哲学に対する貢献とみなすべきものの
そして学問界の価値観に対して譲歩するたびごとに、哲学
績表が、学問の評価標準として考えられるようになります。
度になるのです。さらに社会的共通資本ともなる学歴や業
ります。智恵の追求に成り代わって認可の追求が哲学の尺
制御している支配者の承認にゆだねる傾向がますます強ま
となく、自分の学者としてのアイデンティティを、制度を
意識があり、それを乗り超えたいという心理を追求するこ
理念に背く危険が強くなります。哲学研究者の方にも危機
化と同じように、学問の制度化が進めば進むほど、本来の
刻み込まれています。社会の支柱となったいくつかの制度
かもしれませんが、やはりそれでも西田哲学の未来への道
あいにく、西田哲学をその囲い込みから解放する試み、
または解放しようと努力する試みに対する抵抗感は、学問
の道を選んできた多くの者たちのアイデンティティに強く
― ―
31
ズのすぐれた文語体の流れや調子を識別できない異邦人は
彼の思想を批判する資格などない、とは誰もあえて主張し
んど無視されています。まず哲学者とその著作の原語との
が、哲学の問題そのものに焦点を絞ると、その区切はほと
国別に分けることを重視して分類化する歴史家はいます
ることによるのです。西洋の啓蒙主義以後の哲学について、
たり意義を持ったりするのは、それが全世界に所属してい
で共有すべき遺産だとみなされますし、その哲学が発展し
パスポートにこだわるでしょうか。その著作全体が全世界
例えば、古代ギリシャやローマ、中世、ルネサンス、近
代などそれぞれの哲学伝統の話になった場合、誰が著者の
をどのように判断するかということにあります。
問題は、ある特定の哲学がいったいどこの所属であるのか
ません。
むしろ成熟のしるしであると私は信じております。
収用されるわけでも、研究の内容が希釈するわけでもあり
でも広まりつつあります。こうした発展によって所有権が
た国や文化にだけ属する哲学ではないという認識が、国内
西田哲学の所有権が優先的に日本人にあるという考え方
はますます消えていっています。独占的に、主に起源となっ
彼は、自分のラテン語、ギリシャ語、フランス語、英語、
弟 子 に 対 し て 西 田 は い ら い ら し た だ ろ う と さ え 思 い ま す。
いの余地はありません。私としては、そのことに反対する
・ 語の特異性か
西田自身は、自分の哲学が日本の文化 言
ら自由になった未来の姿を歓迎しただろうということに疑
す。
きの文化 言
・ 語との結びつきを持たない所における西田哲
学の理解に対して陥りがちな偏りを考え直す必要がありま
しれません。と同時に、日本で育った研究者は、生まれつ
るには、彼らにある程度の自制を求める必要があるのかも
むためにかなりの時間や精力を注ぎ込んだために、その特
ともかく当然の成り行きです。日本語で哲学書を堪能に読
す。事実はまるで反対で、その存続の必須条件であるし、
西田哲学が本来もっている日本との絆を解くだけで、そ
の独自性の存続が危ぶまれるという考えは間違っていま
け乏しかったからでしょう。
ンマークの哲学やアメリカの哲学それぞれの発展がそれだ
西田哲学の普遍性
結びつきが解かれます。今日では、キルケゴールの思想に
ドイツ語に対してさえも、その言語能力の限界を重々承知
ないでしょう。かつてそのように限定されていたのは、デ
ついて厳密な解釈をすることができるのはデンマーク語に
権に酔いかねない海外の研究者たちにこの事実を認めさせ
通じる者だけである、あるいはまたウィリアム・ジェーム
― ―
32
講 演 録
的に取り組む資格を失うとは決して考えませんでした。
だろうし、だからといってそのせいでそれらの思想と徹底
学力の浅薄さについて、彼はそれほど注意を向けなかった
していました。ゲーテの詩やベルグソンの文章に対する語
自己批判は哲学の心髄です。西田の自己批判は、個人の
歴史、著作の時代とその状況の特殊性によって決して一般
くなってしまうのでないでしょうか。
表現、および現象と事実との間の隔たりを埋める方法がな
と文学の素養を前提にしてしまったら、歴史的世界とその
うとする意図は一切ありませんでした。それどころか、日
彼の概念の普遍的な使用を妨害しよう、翻訳を難航させよ
新語を作り、彼独自のスタイルで執筆するからといって、
日本人向きのものではありませんでした。日本語で書き、
一般性の方への偏りが目に付きます。その哲学はことさら
味内容を殺すことに終始するのでしょう。
間の流れを無視しようとする翻訳者は、けっきょくその意
献をその誕生の場で祀っておいて、訳語の生きる文化や時
は、その勝利感をさらに高めることになるのだと。哲学文
は、こう付け加えましょう。多数の言語で反論されること
明子訳、松籟社、一九八七年、一三四ページ)。これに私
者という概念の重要性にかげりがさしてはならないと要求
本語の特殊性とその限界に挑むことによって、普遍的な根
別な、より身近な角度から見てみたいと思います。哲学
や宗教の精神史を大学院のゼミで多年にわたって教えてい
します。ホワイトヘッドが好んで学生に指摘したように、
本問題の探究に貢献しようとした気がします。そんなわけ
たとき、世界中から院生が参加していました。電子辞書を
さらに進んで、西田は哲学とは普遍的な一般概念の探求
であると理解していました。もちろん彼は、一般概念があ
で西田の著作は、翻訳によってその哲学の意味を弱めると
昼夜たたきながら彼らは日本人の同級生について行くのに
くまでも特殊の姿で顕われるとわかった上で、田辺元の種
いうよりもむしろそれを高めたと思います。そうでなく、
アップアップしていました。しかし海外の院生はある点に
です」(『科学・哲学論集(上)』
、蜂谷昭雄・井上健・村形
西田の概念がしっかりと彼の使用言語やスタイルに繋がっ
おいて鬼に金棒だったのです。すなわち、彼らの方が普遍
「書いてのち一世紀ごとに反論されてこそ勝利の頂点なの
ていたとすれば、場所の論理でもってすべての一般者の一
性、一般者の価値をよくわかっていて、しかもそれを感じ
の論理に刺激を受けてそのことを幾度もより明瞭にしよう
般者を探し求めようとした彼の志は危険にさらされたこと
としたけれども、どちらかといえば西田の場合には普遍性、
でしょう。もし、西田の哲学への接近について日本の文化
― ―
33
造云々は日本を特例として扱うためにその普遍性が否定さ
ます。同じように、一般的な社会構造、人間関係、文法構
われます。たとえば、心理学における一般的な心の構造は、
て何かしらの側面を論じる学問分野においては再三再四顕
す。残念ながら同じような前提が、人間のありようについ
これは大ざっぱな概括に過ぎませんが、ここでは普遍性
に対する暗黙の前提を示唆することのみを意図していま
値が下がったからです。
よりも実際に普遍的であるがために、彼らにとってその価
ません。なぜなら、問題になった習慣が彼らが思っていた
在すると言われたら、彼らは失望の表情を隠すことができ
た実例を挙げたとき、海外の各所にまったく同じことが存
まれ育った学生が日本の文化とか言語の特色だと思ってき
て軽やかな気持ちで興奮するのです。対照的に、日本で生
もので、一般的・人間的な本質を持つということに目覚め
生も地元で妙なことだと思われてきた習慣が実は原型的な
同じ習慣があると気づいて相づちを打ちます。どちらの学
れを聞いて他国の学生が、彼自身の地元文化にもまったく
明は、真理一般の多様多彩な顕れを自覚することにありま
的世界観における独断論であり、その超克の最も明瞭な証
ます。この思想の様態のもっともくっきりとした例は宗教
して種に吸収されるほど、類を種に従属させることにあり
けている特徴というのは、すなわち類をほとんど余りなく
がかりとなったベルグソンの言う「閉じた社会」を決定づ
たいがいは批判的意識に浮かび上がらないとしても、日本
とですが、皮肉なことにこのような学問の習慣は、たとえ
う。世界の思想史に通じる者であれば誰でもすぐわかるこ
いてもこういった一般概念の取り扱いは許されないでしょ
とても考えられないような工夫ですが、もちろん哲学にお
あるという考えを証明することになります。自然科学では
こ と で あ れ ば、 普 遍 性 へ の 参 与 は 特 異 性 に 対 し て 劣 等 で
修繕するよりも、日本に特異な改造だけで済ませるという
ならば、築き直すしかありません。ただし一般的な構造を
まり、普遍的な構造がやはり普遍的ではないと証明された
れは学問の発達という側面から見れば当然のことです。つ
まあ珍し
い宗教儀式、特色のある文法的用法、あるいはまた人間関
やすかったからです。ある土地の伝統的習慣
れ新たに日本なりの形に構築され直すことになります。そ
―
を実例として述べることにします。そ
―
そもそも人類全体を包含するように描かれているのに、少
す。
係における奇癖
なくない数の日本の心理学者は、日本人の場合とぴったり
だけの特色ではありません。実際、田辺の種の論理の一手
合わないのでその構造を日本なりの形に再構築しようとし
― ―
34
西田の一般者の定義のしかたは、もしもたまに文化形式
や時代形式を軽視する傾向があったとしても、彼の哲学の
私たちが立っているのに慣れたところから出発することに
それでは西田の出発点を自分のものにするというよりは、
哲学者との比較などが西田研究の大半を占めていますが、
す。言うまでもなく西田哲学の歴史と発展、国内や海外の
原点に立場を取ろうと努力する人たちの手の中にありま
想を形成したり、再形成したりするところに、まさにその
るに、西田哲学に未来があるとすれば、西田自身がその思
れの特殊性にのみ注目する海外の研究も含まれます。要す
彼の哲学に浮かび上がる宗教、文化、言語、論理のそれぞ
日本国内に限らず、西田の本来の哲学の目的を度外視して、
在に至る西田研究のあり方にも逆流しています。そこには
身の考えは彼の時代の通念に反対でしたし、ある意味で現
た。この意味で、諸々の一般者の追求の背景にある西田自
えながらその世界にしか出現できない絶対の無でありまし
「あらゆる一般者の一般者」は、歴史的世界の特殊性を超
つまりその疑問に対する西田の具体的な答えをそのままま
模 倣 す る と は ど う い う こ と か を 想 像 す る こ と が で き ま す。
じた疑問の圧力を自分で感じてからはじめて、西田哲学を
るという意味でもありません。まず第一に、西田自身が感
まるで抜き型を押すかのように自分の固着観念を当てはめ
それをまず生地にしてこねてから、
そして平たく伸ばして、
ねをすることではありません。
そしてどの問題に関しても、
「模倣」は独創を取り消すどころか独創を可能にします。
それは直接にまたは単なる言い換えで思想を写してものま
いるからなのです。
ではなく、現在でも西田哲学のあり方を模倣する人たちが
であるとするならば、それは昨今研究の対象になったから
刊行物はもう十分でしょう。その一方でそれが活ける哲学
西田哲学がただ単に過去の現象であったとすれば、学問的
す る こ と は で き て も そ の 環 境 に 慣 れ る こ と は で き ま せ ん。
旅することはできても住むことはできないし、それを回想
西田の立場を出発点にするというのは往年の世界に戻る
わけではありません。過去が外国にあるとすれば、そこに
西田の立場を出発点にする
なりがちですし、そうした誘惑は抵抗しがたいものです。
― ―
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要であると言えるでしょう。場所の論理の絶頂とも言える
それについてさらにもう少し説明させて頂ければと思いま
ねするのではなく、むしろその疑問につきまとわれて答え
を捜し求める西田の心構えをまねしようとする態度なので
ひら
す。
講 演 録
うことです。もう一つの側面として、模倣することがその
況でその作品をどう進展させたかということにある」とい
作品そのものではなくて、その後になって他の人が他の状
ル・ヴァレリーの言葉を借りるなら、「人の作品の価値は、
ば、
その哲学的価値を擦り減らすことになります。詩人ポー
みなして、こういった徹底的な意味での見習いをしなけれ
模倣の立場をしっかりととることには二つの側面があり
ます。その一つとして、西田の哲学を単なる研究の対象と
りません。
的であるとみなすのは、西田の遺産をみくびることに他な
す。
『西田幾多郎全集』の理解を紛れもなく西田哲学の目
覚することを目指す哲学を含めて、歴史的有の世界はいた
す。したがって、哲学という営み、とりわけできるだけ自
無の部分的で、常に歪んだ現象と見なさざるを得ないので
在と生成においてあるものは皆、その世界を包括する絶対
ではありません。西田が言うように、この歴史的世界の存
といって、欠点は必ずしも消極的な意味を持っているわけ
欠点が深刻であればあるほど息が苦しくなります。だから
ん。何も欠けていないものは死んだものだけです。しかも、
さらに一歩進みましょう。西田哲学を活ける哲学にした
ければ、常に何かが欠けているとみなさなければなりませ
は「模倣」と名づけております。
編成として理解されなければなりません。以上のことを私
哲学の思想の新しさや独創性は、いつでも透明な概念の再
されます。呼吸する空気のごとく、見えない、聞こえない、
いうことです。この事実は明白すぎるからこそ簡単に無視
。つま
tues, Paris, Librarie Gallimard, 1932, pp. 29, )
31
り、これ以外の他のどんな独創性も自己欺瞞に過ぎないと
独 創 的、
〈 自 分 自 身 〉 で あ る こ と は あ り ま せ ん 」(
検査してから、全体を元の状態に戻して生き返らせようと
の思想を解剖台に寝かし、その内臓を切り分けて一つ一つ
どのように活かしたかを忘れてしまっているのです。西田
て奇異なことであり、しかも西田自身が従来の哲学思想を
ある特定の哲学に対する学問的な技能証明書なしに新し
い概念を導入する権利がないと考えるのは、思想史的にみ
るところでまさに絶対無の欠点として顕わになります。
と
人 の 独 創 性 を 減 じ る わ け で は あ り ま せ ん。 こ れ も ヴ ァ レ
味わえない限り我々は気にしません。笛に吹き込んだり、
す る こ と は、
「西田研究」と呼ぶべきでしょうか。あたか
ひ
リーの言葉ですが、「他人の著作を養分にすること以上に、
言葉を発したりするときにはじめて、あらゆる音、あらゆ
も生きている言語を文法の法則や基礎語彙に分解するこ
Choses
る言葉はかねてより透明な空気のなかにあった何かを露に
あらわ
します。
そして音が透明な空気の再編成であるのと同様に、
― ―
36
講 演 録
能です。西田が立っているところに立場を取ろうとするの
す。ここでもまた模倣以外で正確な理解をすることは不可
とによってその言語の本質を得ることができるかのようで
ころにあるのだと私は思います。
ことばを言い替えれば、「問い来たりて 我を照らす」と
いということになります。弟子の本質というのは、西田の
み扱うことは、哲学という使命自体を回避することに等し
えようとすることで、「問いとなって答えを悟る」という
と取り組んだ人が、その概念を使って問いを言い直して答
彼の思想をその文化、言語の囲い込みから自由にする必要
哲学と世界との関連について話をするためには、制度化さ
れまで、ある文化的な慣性が妨げとなってきました。西田
そのことで誤解しないでください。西田哲学の未来を手
にすることは、哲学にとって意義深いことです。ですがこ
哲学の慣性に打ち勝つ
は、彼自身がジェームズ、フィヒテ、ライプニッツ、カン
トの思想に対して取った態度と同じ態度を西田哲学に対し
て取るということです。その結果、ある特定の哲学の概念
力をその人にもたらすことになるかどうかによるのです。
について語ることが重要ですが、そのこととそれを実際に
が持つ価値を最終的に証明するのは、最初に答えなき問い
処女作から西田が問題にしていた主客の分離を超克する
ための努力は西田哲学の周囲にぐるりと垣根を置くことに
実現することとは別のことです。どのように西田研究をこ
四六二ページ)。我々の真の自己は、知識と行為が主客の
理解しました(「知識の客観性について」、『全集 第九巻』、
悲の立場から「物となって見、物となって働く」ことだと
は「哲学の根本的態度」たる自覚を、「仏教の無我」が慈
いは、それは本当にそうなのかもしれませんが、私にとっ
リアを目指す人たちの期待を満足させているのです。ある
けられません。ちなみに、
これらはすべて、
学問界でのキャ
え方が依然として刷り込まれたままであるという印象は避
加して、内外でのプレゼンスを強化するという風靡した考
じ努力を続けながら、ただ研究者、研究会、研究出版を増
れた講壇哲学界の承認を待たずに、
西田の勇気を見倣って、
よ っ て 挫 折 さ せ ら れ て い ま す。 要 点 は そ の 分 離 に 打 ち 勝
じ開けて未来と向き合わせればよいのでしょうか。今と同
分離を超えるときのみならず、目を開いたまま歴史的世界
ては、西田の著作をめぐって組み立てられる学問のキャリ
よく
真 の 自 己 か ら 見 る、 働 く こ と で あ り ま し た。 晩 年 に 西 田
つ こ と で は な く、 そ の 場 所 か ら よ り 広 い 場 所 に 克 超 え て
において働くところに実現されます。これを裏からみれば、
ふう び
ある思想家の著作を習得、比較、普及できる対象としての
― ―
37
哲学以外の思想界からの刺激のみならず、智恵を愛するこ
広い歴史的世界に属しています。これらの挑戦は形式的な
と批判からもろもろの挑戦にさらされることになる、より
の世界全体は、閉鎖的なものではなく、哲学の理想が実践
れるのです。しかしながらこの種々の形態において、哲学
文化、歴史、言語などで東洋と西洋との対立が浮彫りにさ
学は、
そこで別の矛盾に直面することになります。つまり、
られるのです。だが、世界哲学の場所においてある西田哲
一層包括的な場所への移動によってのみ矛盾の解消が考え
おいても、内的矛盾によって場所の限界にぶつかるため、
はじめてその意味が理解できます。要するに、どの場所に
せん。世界哲学の場所においてある一つの思想とみなして
な世界でもなければ、ただの日本思想史の一部でもありま
えるでしょう。しかし、西田の思想は閉鎖的、自己充足的
西田哲学が特定の「言説の領域」だとすれば、その構造
と発展をめぐる論争がおいてある一種の「場所」だとも言
絶対無の現成として理解するためには、まず文明の歴史が
ことばを使うことができます。存在と生成の歴史的世界を
宇宙の不思議な広がりを眺めてはじめて「絶対者」という
れだけではもはや不十分です。地球上の生命の果てに立ち、
限界、文明の果てに立って絶対者を求めることさえも、そ
み越えていくことなどもはや許容されません。人間の力の
にその原因についての我々の知識を、何の気後れもなく踏
とではありません。哲学が、自然界における不健康ならび
から絶対無への最後の一歩は、西田が考えたほど当然のこ
たく逆なのです。現代人としての我々にとって歴史的世界
世界の一般者に包摂されていません。むしろ、事態はまっ
では地球とそのさまざまな生命体は、一般者として歴史的
不定、絶対的一般者である無の自覚を終点とします。そこ
包まれる一般者のネスト構造は結局、不可知、不可制御、
を追求するための論理です。西田自身にとって、一般者に
遍性が相対化されるというのが「あらゆる一般者の一般者」
その環境を囲むより広い環境においてみると以前の形の普
り、おいてある場所を自覚したとは言えません。
とに相反して、社会の調和を脅かそうとする悪、無知、無
包摂できない、生命とそのもろもろの形態が計り知れない
アによって彼の哲学の将来が支配されているという考え方
関心、不正などの方からも生じます。ただ、日本の哲学が
ほど旧くて相互に関連しているという事実から出発しなけ
はかなり理解しがたいものなのです。
国という偶然的な境界をこえた全世界に貢献し、そして全
こういったような一般者とか普遍的な概念の場所に関す
る位置づけは、ある特定の環境において特殊な形を取り、
世界の貢献を受けて互いに人類の改善のために働かない限
― ―
38
講 演 録
のかを重視すべきです。教鞭を取ったことのある人なら誰
哲学の根本問題が「問い来たりて 我を照らす」である
とすれば、答えるにはまず第一にその問いがどこから来た
たっていることがわかります。
判断すれば、そのような考え方が大きくはっきりと響きわ
いかもしれませんが、哲学者が総じて何をしているかから
す。おそらくはっきりとそう言う人はなかなか見付からな
題とその応答の範囲は哲学のみが決定しうるという偏倚で
偏倚が含まれています。すなわち、哲学が取り組むべき問
質問自体には強力でしかも哲学の意義を一段下げるような
にして西田哲学は道義的責任を負うべきでしょうか。この
しそうなら、下等生物の多様性や生存について、どのよう
う。結局のところ、「自覚」の哲学ではありませんか。も
一体どっちであろうが大して変わるわけではないでしょ
さて、絶対者への広まりの果てにおいてある地球が我々
の最終的な場所だとしても、西田哲学の未来に関しては、
年の準備を見落とすわけにはいかないのです。
的に説明したいだけだとしても、その背景にある四五〇億
に及ばず、わずか一万年前から登場した人間の文明を哲学
ればなりません。二十万年の歴史を持つ人間の意識は言う
ます。いずれにしても、哲学が日常的な問いに照らされて
いていの場合、沈黙は注意すべき欠点を明らかにしてくれ
すべての議論に貢献があるわけではありません。しかもた
もあれば、黙っているべき時もあるでしょう。どの哲学も
まま西田哲学を、背景にある文脈として適用し、それを哲
水の組織的な汚染のような問題
弱な人々の隷属化、制御不能になった武器の売買や空気と
要するに、西田哲学の将来を確保するための私の視座は
ぜい
次 の と お り で す。 今 日 的 な 問 題
例えば、富の偏在や脆
て、思想の行方がわからなくなってしまうでしょう。
照らしに来る問いに背中を向けるとなにも聞こえなくなっ
て行く道を背景に、研究をしていくかのようです。我々を
打ち鞭を鳴らしてから座席を後ろ向きにして、過去に消え
あたかも積み重ねた西田の文献を馬車に載せて、馬にひと
を大きく誤解することに他なりません。これではまさに、
解決だけだとするならば、西田をはじめ哲学者本来の使命
間全てを費やしても足りないほどの未解決な問題点があり
ておくと便利なのです。西田全集には、定年退職までの時
準備が整っている別の質問に言い替えるというこつを覚え
もしもその分野以外から質問をされたとき、答えるだけの
じやく
―
―
学の対象にするのです。西田の思想が大いに貢献できる時
を受けて、そこにその
ます。しかし主として期待できる西田哲学の未来がこれの
でもよくわかるように、長年、時間と精力を注ぎ込んでは
へん い
じめて、専攻分野の熟練を得ることになるわけですから、
― ―
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その哲学の協力で世界が良くなっているかどうかにかかっ
る哲学の研究が向上しているかどうかの最終的な評価は、
げていくとき、どちらの領域の質も上がっていきます。あ
るところなのです。領域と領域が重複するところの質を上
されているところではなくて、むしろそれらが極度に高ま
す。そこは各分野の焦点がぼやけ、批判する力が手かげん
域を横断して、自由に出入りできるところに特徴がありま
す。日本の思想史は、美学、宗教、哲学、文学、科学の領
ず何よりも哲学を共有地として支えていく必要があるので
哲学の領有権に対する主張を捨てて、国内でも海外でもま
です。そしてそれを実現するために、哲学教育の担当者は、
リフだけでは不十分で、基調を探り出すための指導が必要
主導権を握っていかなければなりません。単なる伴奏とか
フォーラムの場で議論の中心となる問題を作り出すことに
これを実現するためには、日本哲学の専門家・研究者の
みならず、誰よりも若手の研究生が、内外のパブリック・
来が確保されているのだと思われます。
いるところ、生命が息を吹きかけているところにこそ、未
す る 」(“ Silence is a Commons
” , address at the
“ Asahi
ら生産資源へ変容するのはもっとも根本的な退廃を構成
ン・ イ リ イ チ は こ う 言 っ て い ま し た。
「環境を共有地か
シコに住んでいた青年時代からの知り合いであるイヴァ
り、どちらも、共有すべきものの収用なのです。私がメキ
哲 学 の 立 場 か ら は、 知 的 遺 産 の 一 部 囲 い 込 み と 自 然 界
の 一 部 囲 い 込 み は 同 じ 思 想 の 形 態 に 属 し て い ま す。 つ ま
とにしかならないのです。
る哲学の本性からしてみれば、不満足がより一層深まるこ
る前提を批判的理性の対象にすることを根源的な営みとす
渉せずに済ますことができます。これでは、時代を支配す
に限定するとすれば、その他の種々の専門分野と互いに干
くなるからです。哲学を専門家とその弟子たちの研究領域
のもの、そしてそこにおいてある諸々の文明の生存が危な
単に言えば、地球との調和が崩れるにつれて歴史的世界そ
点をすべて超えるような尺度は存在しません。なぜなら簡
球との調和を回復しているのかにあるということです。こ
進捗しているかにあるのではなく、我々人類がどれほど地
” , The CoEvolution Quarterly, Winter 1983
)。西
Society
田の哲学を日本思想史に書き込むときの問題について、同
Symposium Science and Man: The computer-managed
れ以外に、人と人、民族と民族、文化と文化との間の相違
ているのです。この点について、西田哲学全体にウィリア
業
・ 績がどこまで
ム・ジェームズの改善説( meliorism
)を導入したほうが
いいと私は以前から考えています。しかし、今日ここで論
じたいことは、改善の尺度は個人の学歴
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講 演 録
という「もの」たちです。このような「もの」となって働
われた鳥、水銀をかけられた魚、地雷で手脚を失った子供
ず考えないといけないのは汚染されている河川、石油に覆
しい日の入りや咲き立ての花などだけではなく、むしろま
球に移動させる必要があります。「もの来たりて 我を照
らす」
、
「ものになり切ってものを知る」の「もの」は、美
の哲学が誕生した土地への愛着を緩めてその思い入れを地
の比較研究をするだけで問題は解決されません。むしろそ
化のせいで難儀するようです。より多くの翻訳、より多く
世俗の立場からみて、日本哲学の代表者が世界の舞台を
踏んでその思考を試すとき、ある程度文化的な慣性や硬直
じことが言えるのではないでしょうか。
りを断ち切ったと私は信じております。
ければ、もはや西田研究は西田哲学のたましいとのつなが
世界のフォーラムがそのおいてある場所としてみなされな
います。西田研究の普遍性への方向が確保されなければ、
棄して率直にフォーラムに参加することが大いに望まれて
ありません。逆にそこでは、自分の伝統に対する権利を放
学が取りあげるべき問題を指摘し、哲学の役割を再定義し
の足りなさを感じます。世界のフォーラムにおいては、哲
うな義務を日本国外の研究者に任せているかぎり、何かも
二の啓蒙主義を進める所にこそあるのです。しかしこのよ
にとって最適な所は、現代の科学技術の構造を裏づけてい
ようと日本側から率先してアプローチすることに抵抗など
る、第一の啓蒙主義における理性主義の過剰を相殺する第
くのは、世界フォーラムの場にふさわしい哲学となるため
に必須となる第一歩です。
もとより世界の思想史における日本哲学の位置づけは、
他の国の哲学伝統に相対していますが、日本哲学が地球の
生命の改善に向かうためには相対性が必要です。したがっ
て我々が問うべきなのは、西田研究
― つまり、西田の思
― は、その起源が
想そのものだけでなく我々の研究自体
どのようなものであろうとも、人類の集積してきた英知の
一つとして、地球の生命や健康のためにどうすれば最大限
活用しうるのかということなのです。要するに、西田哲学
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