平成28年後期講座⑤劇場の音楽~日本の舞台芸術と関西のオペラ活動~

平成28年後期講座⑤劇場の音楽~日本の舞台芸術と関西のオペラ活動~
第1講義
日本のオペラの歩み 1910年代の浅草オペラの流行にはじまり、日本でオペラが上演されるようになってから約100年が経
過しました。1997年には東京に日本初となる国立のオペラ劇場が設立され、我が国のひとつの文化
として徐々に根付いてきました。初回の講座では、日本におけるこれまでのオペラの歩みをたどりま
す。
第2講義
「道成寺」の概要
熊野参詣の青年山伏に恋慕した未亡人が執心の余りに毒蛇となり、逃げた山伏を焼き殺してしまっ
たが、法華経供養によって女も山伏も成仏した…。長久年中(1040~43)成立とされる『大日本法華
経験記』に見えるこの話は、様々に形を変えて全国各地に広まります。一つは『今昔物語』となり、
一つは和歌山県日高川町にある道成寺所蔵の絵巻「道成寺縁起」となり、一つは東北地方の山伏
神楽「鐘巻」となり、あらゆる分野を横断していきます。
第3講義
日本オペラの名作《夕鶴》
日本でオペラが上演されるようになると、やがて日本人作曲家によるオペラ作品も次々に創作され
るようになりました。なかでも、日本を代表する最初のオペラ作品となったのが、團伊久磨作曲の
《夕鶴》です。現在まで650回以上再演され、日本だけでなく諸外国でも上演された作品ですが、
《夕鶴》が初演されたのは1952年の大阪でした。
第4講義
能《道成寺》
能《道成寺》は「道成寺縁起」の後日譚を描いています。事件後の道成寺には鐘がない。そこで新
しく鐘を作り、はじめて鐘楼につられた供養の日に、鐘を拝みたいと現れた白拍子。女人禁制の寺
内へ入り、舞を舞ううちに鐘へ飛び込み、蛇体となった姿を現す…。女性の悲恋と執念を「乱拍子」
「急ノ舞」「鐘入り」「祈リ」といった能独自の演技で描きます。極めて高度な技芸を必要とするため、
若手能楽師の登竜門として扱われています。
第5講義
関西歌劇団の活動とその意義
1934年、藤原歌劇団が発足すると、東京では大小さまざまなオペラの上演団体が結成されました。
その後、大阪でも1949年に指揮者の朝比奈隆らにより関西歌劇団が設立され、のちに誕生した関
西二期会(1964年)と並んで現在までその活動は続いています。この講義では、1970年ごろまでの
関西歌劇団の活動を振り返り、その意義について考えます。
第6講義
歌舞伎《京鹿子娘道成寺》
能《道成寺》の流れをうけて、多くの音楽、演劇、舞踊が誕生します。その一つに歌舞伎《京鹿子娘
道成寺》があります。歌舞伎の初期の頃の「道成寺」は、恐ろしい怨霊の姿を舞台上で見せる怨霊
事の演目に属していました。しかし亡霊ではなく、傾城から舞姫、そして娘へと変化していき、1753
(宝暦3)年に初世中村富十郎が演じた《京鹿子娘道成寺》が大当たりをとります。一人の女が様々
な恋を踊りぬく華やかさや明るさが加わります。
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第7講義
上方舞《鐘が岬》
江戸歌舞伎とともに発達した歌舞伎舞踊に対し、京や大坂の遊里、巷間に発達した舞踊を上方舞
と呼んでいます。主に三味線音楽のジャンルである地歌(唄)を伴奏とするので、地唄舞ともいわれ
ます。江戸中村座で《京鹿子娘道成寺》を演じて大好評を博した初世中村富十郎が、大坂へ帰って
きて《九州釣鐘岬》の中で演じたものが小品化され、このときにできた舞踊が《鐘が岬》と言われて
います。
第8講義
関西生まれのオペラ作品
この講義では、日本人作曲家のオペラのなかから、関西で生まれ、関西で育まれた作品について
考察します。なかでも、大阪生まれの作曲家で、大阪弁のオペラ作品もある大栗裕(1918-1982)や、
1970~80年代に創作オペラを国内外で上演した、創作オペラの会「葦」の活動について紹介します。
第9講義
壬生狂言《道成寺》
壬生狂言は、京都市中京区の壬生寺に伝わる民俗芸能で、壬生大念仏や融通大念仏とも呼ばれ
ます。寺伝によると、1300(正安2)年に壬生寺中興の祖・円覚上人が「融通大念仏会」を催し、勧善
懲悪、因果応報の理を人々にわかりやすく説こうとして作ったものと言われています。ほとんどの役
柄に面を用い、無言で演じられるいわゆるパントマイムの所作が大きな特徴で、能から取材した作
品群の一つに壬生狂言《道成寺》があります。
第10講義 ザ・カレッジ・オペラハウスの功績
大阪音楽大学は2015年に創立100周年を迎えましたが、1989年には関西初となるオペラ専用劇場、
ザ・カレッジ・オペラハウスが造られ、関西におけるオペラ活動の主要拠点となってきました。
モーツァルトをはじめとする名作オペラの上演と、20世紀オペラの上演を2本の柱としてきたその活動
の中から、特に重要なものについて解説します。
第11講義 沖縄組踊《執心鐘入》
琉球王朝時代に生まれた「組踊」は、官人であった玉城朝薫(1684‐1734)が創作したといわれてい
ます。彼は薩摩や江戸で能・狂言・歌舞伎に接し、その形式を借りて琉球の伝説・史話を素材にした
スタイルを築き上げました。1719年に初演された《執心鐘入》は、道成寺説話をもとに作られたと考え
られています。主人公の男性を首里へ奉公に上がる中城若松という美少年にしたり、若松を鐘から
逃がしたりするなど、独特の面白さがあります。
第12講義 関西のオペラ活動の今とオペラ・アリアの鑑賞
21世紀に入り、関西ではオペラ上演に積極的に取り組む劇場の数も増え、音楽ファンの間でオペラ
が根付きつつあります。最後となるこの講義では、現在のオペラ上演を取り巻く状況を概観したのち、
ソプラノ歌手北野智子さんの歌と吉田衣里さんのピアノ伴奏により、オペラ・アリアの鑑賞で講座を締
めくくります。
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