藤井基之 とり除くよりくっつける方がむずかしい 自民党総務会 副会長 名 誉 顧 問 けい 火 傷による皮 膚の喪 失は患者の生 命 危 機に直結することから、特に大火傷の場合 かせ マンがある実験を試みました。イヌの腎臓 を摘出し、そのイヌの頚部に腎臓をくっつ けてみたのです。驚くべきことに、つなげ られた腎臓はしっかりと機能し、頚部にお いて血液から尿をつくり始めました。 これは、臓器は切除するだけでなく、移 植することも可能であることを示唆してい ました。その後、世界中で臓器移植の研究 が盛んに行われるようになりました。 し か し、ま も な く 不 思 議 な 現 象 に 直 面 します。フランス人のカレルが同様の移植 実験を行ったところ、腎臓を摘出したイヌ の頚部にその腎臓を移植した場合、腎臓は 正常に機能していましたが、別のイヌに移 植した場合は少々違った結果となってしま いました。移植後しばらくすると腎臓機能 が失われてしまったのです。 試しにネコでも同じ実験をしてみたとこ ろ、結果はイヌの場合と全く同じでした。 ネコの腎臓を同じネコに移植した場合は、 どの部 位に移 植しても腎 臓は正常に機 能 していましたが、別のネコに移植した場合 はやはりし ばらく すると腎 臓 機 能 が失 わ れてしまいました。 結 局、 こ の 不 思 議 な 現 象 の 原 因 は わ か り ま せ ん で し た が、 別 の 個 体 に 移 植 し た 場 合 に は、 何 ら か の 生 体 因 子 の 存 在 に よ り腎臓機能が喪失すると考えざるを得ま せんでした。 この“何らかの生体因子”とは一体何な のでしょうか。 それから数十年の時が流れ、ヨーロッパ は戦火の炎に包まれていました。独ソ不可 侵条約の下、両国のポーランド侵攻により 世界大戦が勃発し、わずか九ヶ月の間に、 デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベル ギー、ルクセンブルクがドイツに降伏しま した。そして十ヶ月目にフランスが降伏し、 その直後に、ドイツとイギリスとの間で大 航空戦が始まりました。 ドイツ空 軍 とイ ギリス空 軍 は 空 中で 総 力を挙げて戦いましたが、地上のロンドン 市民も大変です。イギリスの首都ロンドン は連日の爆撃により破壊され、当然ながら 市街は死傷者であふれ、大火傷を負った市 民も大勢いました。 外 科 手術は現 在でも大変な治 療 法です が、つい一七〇年ほど前まではそれこそ生 死を分かつような重篤な疾病に用いられる 医療技術でした。なにせ、壊疽毒が全身に 回るのを防ぐために手足を切断され、ある いは体にめり 込 んだ 鉛の 銃 弾 を取り 除 く ために切り刻まれるわけです。 気 が 狂い そ う に な る ほ ど の 激 痛 を 伴い ますから、外科手術は通常の治療法という より、生命の危険にさらされたときに行わ れる緊急避難的な処置といった方がよいか もしれません。 そうした中、一八四六年に実用化された エーテル麻酔はまさに画期的でした。麻酔 による 無 痛 化 処 置 法 が開 発 されたことに より、これまでの枷から解き放たれたよう に、 外科技術が急速に進展していきました。 と はい え、 十 九 世 紀 の 外 科 技 術 は 切 除 するものに限られていました。例えば胃が ん治療のための胃切除手術などですね。し かし、二十世紀を迎えると、切除とはまっ たく逆の“くっつける”技術の研究が行わ れるようになります。 一九〇二年のこと、ハンガリー人のウル は はる 医薬品の中にも、ステロイドのように免疫 抑制作用を示すものがありましたが、もっ とも注目を集めたものが悪 性 腫 瘍 治 療 薬 ― ルカプトプリンでした。 の6 メ 6 ―メルカプトプリンを用いて臓器移植 の動物実験が繰り返されましたが、これに は 有 効 血 中 濃 度 の 持 続 性 に 問 題 が あった ことから、その点に改良を施した薬物、ア ザチオ プリンが免 疫 抑 制 剤 として新たに 開発されました。 そして、一九六三年、アメリカ人のマレー が ア ザ チ オ プ リ ン を 利 用 し て一 般 の 患 者 (一卵性双生児を除く。 )に腎臓移植を行い ました。結果は、大成功でした。 このよ う に 外 科 技 術 の歴 史 を 振 り 返 る と、臓器は切除するより移植する方が遙か に難度が高かったといえます。 人との関係も同じかもしれませんね。別 れるのは簡単ですが、和解するのは難しい。 ●生年月日 昭和 22 年 3 月 16 日 ●選 挙 区 参議院比例区 ●当選回数 3 回 ●出 生 地 岡山県岡山市 ●趣 味 音楽・読書 ●個人ホームページ http://www.mfujii.gr.jp/ ●そ の 他 薬学博士・薬剤師 ●私の政治信条 私 の 政 策 の 柱 は A( エ イ ジ フ リ ー)B( バ リ ア フ リー)D(ドラッグフリー:薬物乱用のない社会) 社会創りです。 高齢者も、障害を持つ方も、国民誰もが安心して 暮らし、元気で生活を送ることのできる長寿社会 を創るために何が必要か、を政治活動の根底にお いています。 好きな言葉「昨日の夢は、今日の希望、そして明 日の現実」 ●活動報告 参院議員厚生労働委員会理事として、食品安全確 保のための食品衛生法改正、健康増進法改正、薬 事法改正、薬剤師法改正、クリーニング業法改正、 国民年金法改正等に関与。 ●経歴 昭和 37 年 岡山大学教育学部付属中学校卒業 昭和 40 年 岡山県立岡山操山高等学校卒業 昭和 44 年 東京大学薬学部薬学科卒業 昭和 44 年 厚生省入省 平成 9 年 厚生省退官 平成 9 年 財団法人 ヒューマンサイエンス 振興財団 専務理事 平成 12 年 日本薬剤師連盟 副会長 社団法人 日本薬剤師会 常務理事 平成 13 年 参議院議員(1期目) 平成 16 年 厚生労働大臣政務官 (平成16年 9月〜平成17 年11月) 平成 19 年 日本薬剤師連盟 顧問 平成 22 年 参議院議員(2期目) 平成 23 年 参議院政府開発援助等に関する 特別委員会 委員長 平成 24 年 自由民主党広報本部 副本部長 広報本部新聞 出版局長 平成 25 年 自由民主党党紀委員会 委員 裁判官弾劾裁判所 裁判員 平成 26 年 原子力問題特別委員会 委員長 文部科学副大臣 平成 27 年 自民党政務調査会 副会長 参議院政策審議会 筆頭副会長 国民生活のためのデフレ脱却及び 財政再建に関する調査会 委員 参議院厚生労働委員会 委員 現在 国土審議会 離島振興対策分科会 特別委員 参議院議員(3 期目) 自民党総務会 副会長 2016年 10月号 味感 54 55 コラム それから十数年の時が流れました。ウル マンの“何らかの生体因子” 、 メダワーの“何 らかの記憶”は「免疫」と呼ばれるように なり、これを適度に弱めることができれば 臓器の移植時に拒絶反応が起こらないので はないかと考えられるようになりました。 ま ず、 免 疫 を 弱 め る た め に 最 初 に 模 索 された方法は放射線照射です。 一九五九年、 放射線を照射して患者の免疫を弱めた後、 腎 臓 を 移 植 す る とい う 先 進 的 な 医 療 が 実 際に始まりました。結果的には幾人かの患 者でうまくいきましたが、治療成績は芳し く な く、 移 植 手 術 の 成 功 率 は な か な か 上 がりませんでした。 ど う や ら、 放 射 線 照 射 で は 免 疫 力 の 調 節 が難しかったようです。 そ こ で、 放 射 線 照 射 に 代 わ り、 薬 物 を 用いて 免 疫 を 弱 める 方 法 が 模 索 さ れるよ うになりました。当時、実用化されていた ふ じ い も と ゆ き は 皮 膚 移 植 が 必 須 の 治 療 に な り ま す。 健 常人から皮膚を提供してもらい、これを火 傷 の 部 分 に 貼 り 付 け てい く 必 要 が あ り ま すが、しばらくすると剥がれ落ちてしまう ので皮膚が再生するまでの間、何回も皮膚 移植を行わなければなりませんでした。 医 師たちは懸 命に皮 膚 移 植に取り組ん でいましたが、その中の一人、イギリス人 のメダワーはある事実に気づきました。不 思議なことに、同じ人から提供を受けた皮 膚を使った場合であっても、一回目より二 回 目 の 方 が 生 着 期 間 が 短 く、早 く 剥 が れ 落ちてしまうのです。 理由はわかりませんでしたが、一回目の 皮膚移植の際に、患者の身体に何らかの記 憶が残り、その記憶が二回目の皮膚移植を 「拒絶」していると結論づけました。 この“何らかの記憶”とは一体何なので しょうか。 藤井 基之
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