Step-IIのテキストサンプル

アカデミー・デュ・ヴァン
STEP-Ⅱ
イタリア その2
中南部 押し寄せる革新の波
品質低迷の近代史
今日まなぶこと
質よりも量を追求
品質低下のスパイラル
●
イタリアワインの近代
1861年にようやく国家として統一を果
たしたイタリアですが、ワインについて
はその後の100年間、質よりも量を追求
した安酒が造られつづけました。
しかし、イタリア全体としてはその後
も質より量の追求が続きます。20世紀に
入るとフィロキセラは徐々にイタリアの
ブドウ畑をも冒しはじめ、ワイン生産者
たちは植え替えを余儀なくされました。
この植え替えにあたって、低品質で収量
の高いブドウ品種が優先されたこと、栽
培コストの安い肥沃な平地で積極的に植
え替えが進められたことが、さらなる品
質低下を招きます。
●
スーパー・タスカン誕
イタリアの二大銘醸地のひとつである
トスカーナ州には、いまも広範なブドウ
畑を保有する大規模生産者が多いのです
が、これは14世紀から20世紀初頭まで続
いた折半小作制度(メッザドリア)の名
残です。大きな土地を所有する貴族が多
数の小作人に畑を貸し与え、収穫物を折
半するという制度で、これがイタリアワ
インの品質向上を阻む大きな要因となり
ました。地主は収穫物の半分しか得られ
ないため、自ら積極的にブドウ畑に投資
を行なわず、小作人たちは限られた土地
を最大限に活用するために、ブドウだけ
でなくオリーヴや果樹などを同じ土地で
栽培していました。
先駆者アンティノーリ
トスカーナきっての名門ワイン生産者
であるアンティノーリ一族は、14世紀の
フィレンツェにおいて銀行業で成功した
あと、得た資金をワインに投資しはじめ
ました(一族の最初のワイン販売は1385
年まで溯ります)。その後も一族はワイ
ン造りを続けますが、今日につながるア
ンンティノーリのワイナリーが設立され
たのは1895年のことです。設立時から例
外的な高級品志向であったアンティノー
リワインは、主に輸出市場で販売されて
いました。当時のイタリアには高級ワイ
ンの市場など皆無に等しかった上、フィ
ロキセ禍でフランスの高級ワインの生産
量が激減していたため、海外市場に高級
イタリアワインが進出する隙間があった
のです。アンティノーリは1904年に、の
ちのスーパー・タスカンの先祖ともいえ
るキアンティ・リゼルヴァを初めて発売
します。これは、一族がトスカーナに保
有する4つの優れた自社畑のワインをブ
レンドした上で、少量のボルドーワイン
を加えるという当時としては極めてモダ
ンなものでした。
次の転機が訪れたのは第二次世界大戦
の終結後で、社会構造の変化が農村の変
化、ワイン造りの変化につながっていき
ました。工業が発達するにつれて、農村
から都市部への人口移動が起こり、中世
から続いた折半小作制度が崩壊していっ
たのです。オリーヴや果樹などと混植さ
れていたかつてのブドウ畑は、耕作の効
率を優先して単作の畑に植え替えられま
した。しかし、この時に植えられたの
も、トレッビアーノ種など収量が高く品
質の低い品種でした。高収量の畑からは
アルコール度数が10度にも達しないよう
な軽く風味のないワインしか生まれませ
んでしたが、毎日大量にワインを飲む当
時のイタリア国民にとっては、水のよう
に飲めるワインのほうが生活に適したも
のだったのです。
その後の1960年代には、先行するフラ
ンスに約30年遅れて、イタリアでも同様
の原産地呼称制度が導入されました。
DOCの法体系が1963年に立法化され、
1966年に最初のDOCワインが誕生してい
ます。しかし、この際に法体系に組み込
まれたさまざまな規定は、全体としては
質よりも量を追求してきたイタリアワイ
ンの近代史をそのまま継承したものでし
た。
史を学ぶ。
生の背景を知る。
●
キアンティ地区の近代
●
イタリア中南部の産地
化の歴史を知る。
について学ぶ。
トレッビアーノ種のブドウの房
トスカーナ州のブドウ畑
(写真提供:Mazzei侯爵家)
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イタリア
トスカーナ州
トスカーナ州はイタリア有数の美しい
古都フィレンツェを州都とするイタリア
中部の州で、ティレニア海に面していま
す。温暖な気候下にあり、州全体で農業
が大変盛んですが、ワインがとりわけ有
名で、ピエモンテ州に並ぶ二大銘醸地に
数えられています。
トスカーナ州は総面積の7割近くが丘
陵地で(平地はわずか8パーセント)、
標高150〜500メートルの斜面にブドウ畑
が広がっています。
栽培品種
主要品種は黒ブドウのサンジョヴェー
ゼ Sangioveseですが、ボルドー品種も完
熟するため、カベルネ・ソーヴィニヨン
やメルロも広範囲で栽培されて成功を収
めています。サンジョヴェーゼは中央イ
タリア全体で広く栽培されるブドウです
が、斜面の畑が多いこと(太陽熱量の
アップが見込める)、昼夜の激しい寒暖
差、カルシウムを多く含む泥灰質の土壌
など、トスカーナ州の畑で一般的な諸条
件が、とりわけこの品種に合致すると考
えられています。サンジョヴェーゼは、
品質の高いサンジョヴェーゼ・グロッソ
Sangiovese Grossoと品質的に劣るサン
ジョヴェーゼ・ピッコロ Sangiovese
Piccoloの二つのタイプに大きく分けられ
ており、ブルネッロ・ディ・モンタル
チーノほか、前者だけを使用可能品種に
指定している原産地呼称もあります。単
一品種のワインとなるか、複数ブドウ品
その2
TOSCANA
ヴィン・サント Vin Santo
種がブレンドされるかは、原産地によっ
て異なっていますが、大規模なワイナ
リーが多いこともあって、複数品種のブ
レンドも比較的普及しています。白ブド
ウ品種では、トレッビアーノ Trebbiano
が最も栽培面積の広い品種ですが、品質
的に優れたものはほとんど見られませ
ん。ただし、特殊な製法で造られるヴィ
ン・サント Vin Santoはその例外です。
ヴィン・サントは、トスカーナ州で
古くから生産されている琥珀色
をした甘口白ワインです(中に
は辛口のものもあります)。トレッ
ビアーノとマルヴァジアを藁の
むしろの上で陰干しし、水分が
蒸発して凝縮したブドウを原料
に 造 り ます。ワ イ ン は50 〜300
リットルの小樽で発酵・熟成され
るのですが、長期間の熟成期間
中(3〜10年以上)、樽は封印さ
れ、澱引きや補酒は一切行なわ
れません。結果としてワインはか
なり強い酸化のニュアンスを帯
びますが、高名な造り手のもの
には、希少価値も手伝って非常
に高い価格が付けられていま
す。
DOCG / DOCワイン
トスカーナ州には、2007年3月現在7個
のDOCGと34個のDOCがあります
(DOCGについては以下表参照)。
DOCGの中で高名なのは、次項で詳しく
触れるキアンティ Chiantiとキアン
ティ・クラッシコ Chianti Classico、トス
カーナ州の伝統的な赤ワインで最高の品
質評価を得ているブルネッロ・ディ・モ
ンタルチーノ Brunello di Montalcino、長
い歴史を持ちかつてはトスカーナ州きっ
ての銘醸であったヴィーノ・ノビレ・
ディ・モンテプルチアーノ Vino Nobile
di Montepulcianoなどがあり、すべてサ
ンジョヴェーゼを主体とする赤ワインを
造ります。白ワインで唯一のDOCGが、
ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミ
ニャーノ Vernaccia di San Gimignano
(白、ヴェルナッチャ)です。なおトス
カーナ州では、DOCGやDOCの下に位置
するIGTのクラスで、多数の高級ワイン
が生産されています(次項参照)。
サンジョヴェーゼのブドウの房
<写真提供: キアンティ・クラッシコ協会>
トスカーナ州のDOCGワイン 銘柄名
昇格年
品種
生産可能色
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ Brunello di Montalcino
1980
ブルネッロ Brunello
(=Sangiovese Grosso)
赤
ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ
Vino Nobile di Montepulciano
1980
プルニョーロ・ジェンティーレ
Prugnolo Gentile (=Sangiovese Grosso)
赤
キアンティ Chianti
1984
サンジョヴェーゼ Sangiovese
赤
キアンティ・クラッシコ Chianti Classico
1996
サンジョヴェーゼ Sangiovese
赤
ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ
Vernaccia di San Gimignano
1993
ヴェルナッチャ Vernaccia
白
カルミニャーノ Carmignano
1990
サンジョヴェーゼ Sangiovese
赤
モレッリーノ・ディ・スカンサーノ
Morellino di Scansano
2006
モレッリーノ Morellino
(サンジョヴェーゼの亜種)
赤
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イタリア
その2
スーパー・タスカンの誕生
キアンティの憂鬱
キアンティは、トスカーナ州シエナの
町の北にある丘陵地の畑で発達したワイ
ンで、14世紀からその名前が使われ始め
ました。銘醸地の常でキアンティの名を
冠した偽物ワインが多く出回ったため、
1716年という早い時期に、トスカーナ公
はキアンティのワインを名乗れる原産地
の区分を定めています。しかしこの有意
義な試みは、2世紀のちの1932年にコネ
リアーノ大学のダルマッソ教授が提出し
た、キアンティの新しい境界策定案に
よって骨抜きにされてしまいました。ダ
ルマッソ教授は、キアンティの名でワイ
ンを売ることがトスカーナ州全体の利益
につながると考え、もともとの丘陵地だ
けでなく、周辺の広範な地域もキアン
ティと名乗れるように定めたのです(も
ともとの丘陵地は、キアンティ・クラッ
シコと呼ばれるようになりました)。原
産地の境界線を、テロワールよりも政治
的な理由を優先して定めたこの判断は、
やはりイタリアワインの品質向上を遅ら
せる原因となっています。
キアンティが1967年にDOCに認定され
ると、楽観的な将来予測から栽培面積が
急増します。わずか数年でキアンティの
生産量は4倍にも達しました。しかし、
1973年の石油ショックを契機に世界的な
経済停滞が起こり、ワイン消費は冷え込
んでしまいます。量よりも質を優先する
ワイン消費への移行がこの時期から起き
はじめ、かつてイタリア国民を支えてい
た水のようなワインは売れなくなりはじ
めました(1970年に国民一人当たり120
リットルあった消費量は、2004年には
49.3リットルまで減少しています)。ワ
イン生産者はこの市場の変化を受け、や
はり量から質へと転換を図るよう迫られ
たのですが、簡単には進みませんでし
た。生産者が手にするブドウは、条件の
劣る畑に植わった質の悪い品種から収穫
されたものでしたし、最大の障害となっ
たのは、明るい未来を開くはずのDOC法
でした。品質向上を志す生産者の前に、
質よりも量を追求して定められたDOC法
の諸規定が壁となって立ちはだかりま
す。
1967年に定められたキアンティの法規
定では、主要品種となるサンジョヴェー
ゼだけではなく、品質面で劣る黒ブドウ
のカナイオーロ、白ブドウのマルヴァジ
アとトレッビアーノのブレンドが義務づ
けられていました(加えて、15%までは
南イタリア産のブドウ果汁を加えること
が認められていました)。法定最大収量
もヘクタールあたり80ヘクトリットルと
高く、しかも上限を超えてワインを生産
しても罰せられませんでした。
サッシカイアの誕生
アンティノーリ一族がこの時も、泥沼
と化したDOCに最初に見切りをつけ、
海外市場での成功を目指した最初の生産
者となりました。その方向性は、ワイン
先進国であるフランスの技術や品種を大
胆に導入し、イタリアのDOC法に囚わ
れない「売れる」高品質ワインを独自に
生産するというものでした。
アンティノーリ一族の当主ピエロ・ア
ンティノーリの従兄弟にあたるインチー
ザ・デッラ・ロッケッタ公爵は、大変な
ボルドーワインのファンだったことか
ら、トスカーナ州の海沿いにあるボルゲ
リ地区で、カベルネ・ソーヴィニヨンを
趣味的に栽培していました。このブドウ
を、当時世界の最先端にあったボルドー
流儀のワイン造り(新樽を含む小樽熟成
など)でモダンなスタイルのワインに仕
上げたのが、アンティノーリから出向し
ていた醸造技術者のジャコモ・タキスで
す。こうした生まれたボルドー風のカベ
ルネは、サッシカイア Sassicaia と名付
けられ1968年ヴィンテージから商業ベー
スで販売されるようになります。当時の
トスカーナ州のDOCでは、フランス系
品種の使用は一切認められていませんで
したから、サッシカイアはワイン法の最
下層であるヴィーノ・ダ・ターヴォラと
して出荷されました(それ以前に、ボル
ゲリ地区では赤のDOCワインの生産自
体が認められていませんでした)。
リカゾーリ方式
18 世 紀 末 の 時 点 で の キ ア ン
ティのワインは、サンジョヴェー
ゼではなくカナイオーロが主体
であったと考えられています。今
日につながるサンジョヴェーゼ
主体 の キ ア ン ティ を 広 め たの
は、今日も有力生産者としてワ
イン造りを続けているリカゾーリ
一族のリカゾーリ男爵(統一後
のイ タ リ ア の第 二代 首相)で、
1872年に「キアンティはサンジョ
ヴェーゼを主体とし、長期熟成
型のワインにはカナイオーロの
みを、若飲みのワインにはカナ
イオーロとマルヴァジアをブレ
ンドする」という有名な「リカゾー
リ 方 式」を 発 表 し ま す。カ ナ イ
オーロ(黒品種)やマルヴァジア
(白品種)はいずれも、サンジョ
ヴェーゼの荒々しいタンニンを
和らげ、酒質を柔らかくするため
のものでしたが、味を著しく軽く
する白ブドウの使用は若飲みワ
インだけに限られていました。
1967年のDOC法で採用された
品種規定は、おおむねこのリカ
ゾーリ方式に沿ったものでした
が、白ブドウ品種のブレンドが
例外なく義務づけられたうえ、マ
ルヴァジアに加え風味に乏しい
トレッビアーノまでもが認められ
たことから、当時のキアンティで
は若飲みワインしか想定されて
いなかったことが伺えます。
サッシカイアのラベルの変化。
左はヴィーノ・ダ・ターヴォラとし
て出荷されていた頃のもの(1993
年ヴィンテージ)。右はDOC昇
格後のもの(2003年ヴィンテー
ジ)。
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イタリア
その2
スーパー・タスカンの誕生(つづき)
ティニャネッロの誕生
一方でアンティノーリ一族は、高品質
なキアンティ・クラッシコの可能性も追
求していました。1970年にアンティノー
リは、最高の畑のブドウから造った個性
豊かなワインを、畑名付きのキアン
ティ・クラッシコとして発売します。こ
のワインは高品質ではあったものの、キ
アンティ・クラッシコの名につきまとう
ネガティブなイメージのため、さほどの
評判が得られませんでした。そこでアン
ティノーリは、翌年からこのワインにキ
アンティ・クラッシコの名を名乗らせ
ず、ヴィーノ・ダ・ターヴォラとして出
荷するようにします。ラベルには、ティ
ニャネッロ Tignanello という畑の名前の
みが書かれていました。やはり新樽を含
む小樽で熟成されたモダンな味わいの
ティニャネッロは、1975年ヴィンテージ
以降、カナイオーロのかわりにカベル
ネ・ソーヴィニヨンがブレンドされるよ
うになります(2割程度)。このサン
ジョヴェーゼへの外来品種のブレンド
は、その後トスカーナでポピュラーにな
るひとつの「型」となります。
サンジョヴェーゼ100パーセント
アンティノーリ一族は外来品種にトス
カーナワインの可能性を見いだしました
が、サンジョヴェーゼにこだわる方向を
選んだ革新的生産者もいます。1977年
ヴィンテージにモンテヴェルティーネと
いうワイナリーは、キアンティ・クラッ
シコ地区の畑から、サンジョヴェーゼ
100パーセントのワインを造りました。
レ・ペルゴレ・トルテ Le Pergole Torte
と名付けられたこのワインは、小樽熟成
によるモダンなスタイルで、やはり
ヴィーノ・ダ・ターヴォラとして発売さ
れました(当時のキアンティの法規定で
は、サンジョヴェーゼの100パーセント
使用が認められていませんでした)。
海外市場での成功と法改正
こうした実験的なワインたちは発売当
初、その新しいスタイルから国内市場で
は非難の的にもなりましたが、海外市場
で非常に高い評価を得ます。やがて、ト
スカーナ州のほかの生産者も同様の道を
歩みはじめ、1990年代に入るころには極
めて多数の高級ワインが、最下層の
ヴィーノ・ダ・ターヴォラのカテゴリー
で生産されるようになっていました。こ
のようなワイン法の枠に囚われない高品
質なトスカーナ産ワインは、スーパー・
タスカンと呼ばれるようになり、イタリ
アの他の産地にも波及していきました。
スーパー・タスカンの流行は高級ワイ
ンの消費者にとっては喜ばしいことでし
たが、ワイン法を管轄する行政にとって
は目の上のタンコブでした。最下層のカ
テゴリーにイタリアで最も高価なワイン
が多数存在するという状況を是正するた
めに、イタリア政府は1994年に、ヴィー
ノ・ダ・ターヴォラのひとつ上のカテゴ
リーとしてIGT(地理的表示付きテーブ
ルワイン)を新設します。最下層の
ヴィーノ・ダ・ターヴォラではヴィン
テージの表示が禁止されたため、スー
パー・タスカンの大多数はIGTのカテゴ
リーで出荷されるようになりました。ま
た、1994年にはスーパー・タスカンの元
祖であるサッシカイアが、ボルゲリ地区
のDOCに新設された赤の特別なサブ
ゾーンに認められました( BolgheriSassicaia DOC)。
ボルゲリの赤
ボルゲリのDOC認定は1983年
ですが、その際に認められた生
産可能色は白・ロゼのみで、ブ
ドウ品種もトレッビアーノ、サン
ジョヴェーゼなどイタリアの土着
品種のみでした。一方、1994年
追加で認められた赤の品種規
定は、カベルネ・ソーヴィニヨン
やメルロなどフランス系品種が
中心で、明らかにサッシカイア
などのスーパー・タスカンを念
頭に置いています。
エノロゴ全盛時代
スーパー・タスカンやモダン・キ
アンティ、あるいは他州で造られ
る 類 似 の現 代 的ワ イ ン の 多く
は、一群の栽培・醸造コンサル
タントの関与によって生み出さ
れています(こうしたコンサルタ
ントのことを、イタリアでは「エノロ
ゴ」といいます)。花形エノロゴの
走りは、サッシカイアやティニャ
ネッロ、ソライアといった銘柄の
生みの親であるジャコモ・タキス
と、レ・ペルゴレ・トルテを誕生さ
せ、ブルネッロの名門カーゼ・
バッセの立ち上げに手をかした
ジューリオ・ガンベッリです。この
二人に続く第二世代が、マウリ
ツィオ・カステッリ、ヴィットリオ・
フィオーレ、フランコ・ベルナベ
イの三人で、1980年代から1990
年代にかけて多数のスーパー・
タスカンをやはり誕生させてい
ます。1990年代後半以降はまさ
にスター・エノロゴの百花繚乱
状態で、カルロ・フェリーニ、アル
ベルト・アントニーニ、ステファノ・
キオッチョリ、ロベルト・チプレッ
ソ、ニコロ・ダッフリット、ルカ・ダッ
トーマ、アッティリオ・パーリらが
主にトスカーナ州で多数の顧
客に助言しているほか、リッカル
ド・コタレッラはイタリア南部を中
心に、ジュリアーノ・ノエ、ベッペ・
カヴィオーラらはピエモンテ州
で活躍しています。
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イタリア
その2
キアンティの近代化
品種規定の変更
スーパー・タスカンの成功に危機感を
抱いた行政側は、キアンティに関する法
規制についても段階的に改正を行ない、
高品質ワインの生産が可能な原産地への
脱皮をはかってきています。
まず、キアンティが1984年にDOCGに
昇格をした際に、品種規定が改められま
した。この時には、白ブドウの最少使用
義務が2パーセントにまで引き下げら
れ、南イタリア産ブウ果汁のブレンドが
禁止されています(ただし、それでもま
だ、カナイオーロや白ブドウをブレンド
することが義務づけられていました)。
画期的だったのは、カベルネ・ソーヴィ
ニヨン、メルロ、シラーといったフラン
ス系品種のブレンドが、10パーセントま
で認められたことです。なおこの法改正
で、最大収量の規定もヘクタールあたり
52.5ヘクトリットルと厳しくなり、ブド
ウ樹一本あたりの果実の量についても、
上限3キログラムという制限が生まれま
した。
1996年にも再度の法改正がなされ、元
来のキアンティの生産地区を指すキアン
ティ・クラッシコが、キアンティとは別
のDOCGとして独立しました。この時に
はまた、サンジョヴェーゼ100パーセン
トでキアンティを造ることが可能になっ
ています。その後も品種規定は何度か改
められ、現在のキアンティ・クラッシコ
は、サンジョヴェーゼが80パーセント以
上、カナイオーロおよびカベルネなどの
外来品種が最大20パーセント、白ブドウ
は使用禁止というものです。現在の枠組
みでは、ティニャネッロやレ・ペルゴ
レ・トルテのようなワインも、法律上は
キアンティ・クラッシコとして生産する
ことができるようになりました(ただ
し、両銘柄ともにまだIGTとして販売さ
れています)。
キアンティ・クラッシコ 2000
法規制の段階的改正とは別に、キアン
ティ・クラッシコ地区では、地元の生産
者団体であるキアンティ・クラッシコ協
会による真摯な品質向上活動が実施され
(キアンティ・クラッシコ 2000プロ
ジェクト、1988〜2000年)、大きな成果
をあげています。これは、サンジョ
ヴェーゼの栽培に関して、優良クローン
の選抜、台木の選定、仕立て方や植樹間
隔の改善ほか多様な角度で幅広い研究を
行ったもので、畑を起点とした抜本的な
品質改善を目指すものでした。1990年代
以降、キアンティ・クラッシコ地区では
大規模なブドウ樹の植え替えが続けられ
ていますが、その際にはプロジェクトの
成果が大幅に取り入れられています。そ
の結果、スーパー・タスカンとして成功
していた銘柄の一部がふたたびキアン
ティ・クラッシコを名乗るようになり、
かつて一般的であった安酒のイメージは
払拭されつつあります。
伝統派のキアンティは?
法制度と民間における実践の
両面で急速に革新が進むキア
ンティ・クラッシコ地区でも、ピエ
モンテ州のバローロなどと同じ
く、伝統派と革新派の相克があ
ります。ただし、キアンティ・クラッ
シコがバローロと異なる点は、リ
カゾーリ方式のブレンドを守り、
大樽での熟成に固執する生産
者の中に、高価格でワインを販
売される優良銘柄が少ない点
です。キアンティ・クラッシコ2000
のプロジェク トを指揮した花形
醸造コ ン サ ルタ ン トの カル ロ・
フェッリーニは、「キアンティ・ク
ラッシコの伝統とは概して悪し
きも のでし かな い」と まで 断言
し、カベルネやメルロなど外来
品種のブレンド可能比率を、50
パーセントまで引き上げるべき
だと主張しています。
スーパー・キアンティ・クラッシコの代
表銘柄のひとつ、「カステッロ・ディ・
フォンテルートリ」を造る現代的なワイ
ナリー。モダンなスタイルをもつこのワ
インは1995年が初ヴィンテージで、サン
ジョヴェーゼに2割程度のカベルネ・
ソーヴィニヨンがブレンドされている。
(写真提供:Mazzei侯爵家)