長浜曳山まつり 「日本人は大ていふるさとの山を持っている。 山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神の ような山を持っている」深田久弥は「日本百名山」 でこう述べている。 この言葉を思い出したのは、4月15日、長 浜曳山祭を見るために長浜に着き、丁度雨上が りの西の空に雄大に構える伊吹山を仰ぎ見た時 であった。 また、大陸から朝鮮半島を南下し渡来文明の 滴がしたたり落ちるように伝わった琵琶湖の地、 近江は弥生の源郷という捉え方もある。伊吹山 という縄文の魂と琵琶湖という渡来文明とがぶ つかるところに長浜の町と祭は生まれたのだと いう時空を飛翔するイマジネーションが広がっ た。 長浜はとても力のある 町だ。私は犬山市長当時、 まちづくりのライバル心 も含んだ目標を長浜に想 定し、この町はかなり研 究した。 長浜は信長の天下布武 の過程で秀吉によって作 られた町であり、秀吉の 子供が生まれた祝いが曳 山祭の始まりであると郷 土資料館に解説してあっ た。 この祭の最大の魅力は子ども歌舞伎、ユネス コの無形文化遺産に指定されるのもさもありな んと観た。歌舞伎は徳川幕府が成立してからで あるから、最初は中世日本文化の代表と言われ る猿楽が始まりであったし、現在の能を背負っ ている観世・金春・宝生・金剛の四座のもとになっ た近江三座の猿楽も長浜から生まれたという。 この日曳山は 4台登場。鳳凰山では「仮名手本忠 臣蔵九段目」、高砂山では「加賀見山旧錦絵竹刀 うちから奥庭仇討の場」、猩々丸では「菅原伝授 手習鑑」、壽山では「鳴神」の子ども歌舞伎を観た。 見事だ。役者は全員小学生だが、長く、難しい セリフをよくも覚えたものだ。1993年には アメリカで公演したという実績もある。地元の 学校教育でお囃子も含めて教えていると聞いた。 この祭はきっちりと伝統 を踏襲し、土・日に設定せ ず、長浜八幡宮の例祭日 にやるから、それに合わ せ学校も休みになり子供 たちも祭一色になる。ほ れぼれするような美談で はないか。先日も、NHK の朝ドラ「まれ」で、能登 のキリコ祭の場面、会社 の仕事があるから祭にい けないという倅に向かっ て親父が「祭が大事か会社 が大事かどっちなんだ」と怒鳴る場面があった が、長浜の教育委員会に拍手! 歌舞伎こそ世界に誇る我が国の演劇文化であ る。長浜市の調査によると、現在、全国で残っ ている地歌舞伎の数は 138か所、山車上で歌舞 伎を演ずる祭の数は 19か所、長浜の子供歌舞伎 は白眉である。 ただし、曳山の上で歌舞伎を演ずるのは男子 に限り女の子は山に触ってもいけないらしく、 曳山の外でお囃子をする役のようだ。この伝統 は、日本史の中で見ると後から出てきた規範で あり、もともと日本民族はむしろ女性上位であっ たと思う。
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