39 8 月 9 日自 主 計算 推 進 委 員会 主催 の学 習会が 開かれ 名が 参 加 しま した。 小林事 務 局 長か ら簿 記 の必 要 性 に つい て、 お店 や 会 社 に財産 が いくらあ る のか 財政状況) 、い くら使 っていくら儲けた のか 経 営状況 を知 るために帳簿を つけ る必 要が あ ると 説 明が あ りま し た。 そ の後 、 A商 店 の決算 書 を 例 15 15 71 12 学習会開催されました ( ( 学習会の様子(大和市勤労福祉会館) 29 数字 から見える経営状態」 ) 報告する小川さん 「 決算書 の見方 ん は お 父さ んが 歳 のと き 原爆 投 下を 目撃、昼間な のにまぶ しか ったと体験を聞 いた こと。昭和 年、自宅 の直ぐ近くに墜落 した舘 野鉄 工所 の体験も話されま した。 小倉康敬さんは韓 国釜山から命 からが ら逃げ 帰 ってきた こと。 また、 日本 へ帰 ってからも食 べ るも のが なく苦 労 した、もう2度と こうい った事 が 起 き な い よ う 若 い方 に 伝 え た いと話しま した。そ の後参加 した み な さ ん と 懇 談が お こな わ れ ま した。 戦 争 を 知 ら な い世 代 に 悲 惨 さ を 伝え ていこう、また こうい った機 会 を 設 け よ う と 平 和 へ の願 い を 確 認し終 了しま した。 」 戦争の悲惨さを伝え 戦争する国づくりをやめさせよう の方 へ逃げ なと 言 わ れ、 叔 母 に に 背負われ向 か い ま した。逃げ た 後 に歩 いていた 所 に 爆 弾 が 投 下さ れ た そ う で す。そ の後、六角橋 の親戚 へ避難 した際ガ ード 下に 死体が 隠 さ れ て いた そ う です 。 見 ては いけ な いよと 言われま したが 、 見 てし ま った 。 思 い出 す と 涙が と ま ら な い。初め て皆さんに話します。 私 は も っと 長生き を した い。 そ れ は こ の体験 を 多 く の若 い方 に 伝 えた いか ら です 。 そ し て こん な酷 い戦争 ・人殺 しは絶 対 に止 めさせる。 そ の為 に頑張り た いと話しま し た。青木幸 弘さ 「 「 2016年9月 「 」 」 ち並び 、 ここに 原爆が 落 ち た など 考 えられま せん でした 。 しか し、 原爆 ド ームを 見た瞬 間、心が 一変。アリーナに着 く と 日本全 国、 世 界各 地 か ら戦 争 反対を 願 う大勢 の方 々が 参 加 している のを 見て、また、広 島 市 長 の平和宣 言、 子ど も達 の平 和 へ の誓 いを 聞 き 戦 争 は 2度 と 起 こし ては いけ な い と改め て実感 しま した。そ の 一方 で安倍総 理 の棒読 みが 対 照的 でした と報告。そ の後 小 川さ ん によ る被 爆者 ・佐 々 木 貞 子 さ ん の こ と を 歌 った 『 祈 り 』 の音楽 と 手 話が 披 露されま した。 続 いて戦争体験の話に 島 田恒治 さ ん、 池 上奈 美 子 さ んが 横 浜大空襲 の体験 を 話 されま した。 お 二人とも 偶然 ・鶴 見区 潮 田で空襲を 体験、島 田さ んは当時 5歳 でした。 B に 乗 っていた 米兵が 見え嘲笑 う よ うに、 焼夷弾 を投 下したそ う です 。防空壕 に逃げ た悲惨 さを 子ど も心 に感 じたと 話 し ま した。池上さんは当時 4歳、 空襲が 始ま り防空壕 へ逃げ よ うとす ると、 青年 団 員か ら山 」 広 島 大 会 に参 加 し た 小 川 さ お りさ ん か ら 原 爆 投 下 の 年 前 も 今 日と 同 じく ら い 暑 か った と 被 爆 者 の方 か ら お話を聞きま した。8月6日 午前 8時 分、戦争中毎 日が 不自由な生活だ った。それ で も仕事 に行く人、学校 へ行く 人、家事をす る人 ・・・そ の 日常 が 原 爆 で 一瞬 に し て地 獄と化 した のです。原爆ド ー ム の前 で、被爆者 の方 の話が あ ま り に 恐 ろ しく 動 け な く なりま した。私たちは前 の惨 劇 を 繰 り 返 そ うと す る人 た ち 戦争 に手招き を す る人た ち が い る こと を 忘 れ ては な ら な いと 感 じま した と 報 告。続 いて、森幸 子さんが 広 島 の街 は 近 代 的 な ビ ルが 立 「 「全国商工新聞」2016年9月19日号 付録 原水爆禁止広島大会報告&戦争を語る会開かれる ( 裏面 へ ) 民商共済会だより 11 75 戸田真康 無料法律相談 13 10 大和 民商 では毎 月 一回、弁護 士による無 料 の法律相談を行 っ ています。事前 に予約 下さ い。 次 回は 月 日 (木 ) 時から大和民商事務所 19 19時~21時 (勤労福祉会館・小会議室) 10 月21日(金) 15 時半〜17 時半 10 月14日(金) (勤労福祉会館・茶室) 闘いの決意を語る舘野さん 52 奮闘された大和市議の皆さんと舘野さん 歳 の誕生 日、共済会より 頂いたお祝金 で、前職 の会社 の先輩が しば しば 御馳走 して くれた東京 深川 の み の家 」 馬肉 のすき焼き )に娘と孫を 連れ て何十年ぶりに食 べに行 きま した。午後は江戸東京博 物館 に寄り、楽 しん できま し た。長年考 え ていた ことが 適 いま した。 有難 うござ います。 南林間支部 記帳学習会 のお知らせ ます 備しています。家族揃っての参加もしやすいように と夫婦割りを取り入れました。ご参加お待ちしてい 今年は、大人から、子供さんまで、楽しめる企画を準 小・中学生500円 (夫婦参加は2500円)夫婦割りです。 大人1500円 参加者 泉の森キャンプ場(246 側道から入る) 10月30日(日)11時受付開始 給付 を受 けた方 の声 「 ) ( ) ( ) ( 場所 日時 「健康 でこそ商売繁盛 」健 康診断を うけま し ょう。 秋 の健 康 診 断 は 月 中 旬 から 下旬 に行 います。 詳 しくは次号 で ( ) ( 大和民商恒例の 」 年前、事故を知 った時 のシ ョックと 兄3人など 5人 の生命 が 失われた こと、 そ の後、事故 現場にはなかなか 足を運べなか った こと、 3年前地域住 民 の力 で慰 霊碑が 立ち、どれだけ勇気 づ けられたか ・・・と。 二度と こうした悲劇を繰り返 さな いために平和と安全を求め る モ ニ ュメントと して、市 の公 的な慰 霊碑 にしてほしいと訴え ま した。 そ の後、事故を 風化させ ては いけな い、遺族 の思 いに応 える 必 要など の意 見が 出され、 反対 意 見も出な い中、 公明党 の河端 委員 市議 から、審議を 「 とど め」にす る動議が 出されま した 共産党 の堀 口委員 市議 、 虹 の 会 の石田委員 市議 、ネ ット の 山崎委員 市議 からは動議 に反 対 し、継続審議とす るよう意 見が 出されま した しか しそ のあと の採決 では、 公明 の河端市議、自 民 の古木市議、 明 るい未来 の古谷 田市議 の賛成 で、 可否同数 で、自 民党 の委員長採決 で 事実上 の審議打ち切り に。 参加者からは怒 号も飛ぶも のとな りま した。 本当に許せません。 更に闘 いは続きます。 「 舘 野鉄 工所 ・米軍機墜落跡 地を慰 霊公園 仮 へと いう 陳情が、 この9月議会 に9 千名を こえる署名を つけ て 提出され ていた のですが、 6日、夜 7時過ぎ から委員 会論議が 行われま した。 3 0名を超 える傍聴者が 見守 る中、論議はまずは陳情者 代表 で、ご遺族 の舘 野義雄 さんが 陳情理由 の説 明とご 遺族と して の心情を涙なが らに訴えられま した。 ) ( 」 「全国商工新聞」2016年9月19日号 付録 自・ 公・ 民の党略で審議打ち切りに 「 2016年9月 舘 野 鉄 工所 跡 地 を慰 霊 公 園 への陳 情 、 「 に 実 際 に こ の商 店 の経 営 状 況を 調べま した。 参 加さ れ た佐 々木誠さ ん は 例 題 で学 習す ると 役 に立 つ、同じ業種 でも経営分析す る と 利 益 率 な ど 違 いが で る 自 分 の経 営 が ど う だ った の か 比較が でき 参 考 にな る 。 羽根孝 充 さ ん は 経 理を 理解 す こと で自信が つき、税務調 査を受けた時、力にな ると思 いま す 」と感 想が 寄 せ られ ま した。 ま た こ う い った 機 会 を ぜ ひ 作 って ほ し いと 要 望 が 寄 せられま した。
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