温かな食卓

【 優 秀賞】
『 温か な食 卓』
留萌市 立留萌 中学校3年
と
や
ま
外山
ゆ
り
夕莉
朝起 きると、食卓に並べら れている温かな朝食。 友達とおしゃべりし ながら、楽しく食べ
る学校の 給食。家族みんなで食 卓を囲み、一日の出来 事を語る夕食。私た ちの毎日は、豊かな
食事に彩られています。
皆さん は、この一日三度の食 事を当たり前だと思っ ていませんか。しか し、それは間違いで
す。
私がこ のように考えたきっか けは、一本のテレビ番 組でした。ある日、 何気なくテレビを見
ていると、ガーナのカカオ生産者の、こんな言葉が耳に飛び込んできました。
「私たちは、チョコレートを知らない」
続けて、初めてチョコレートを食べるシーンが映し出され、彼らはこう言いました。
「 う ま い じ ゃ な い か 。 カ カ オ が こ ん な に う ま い も ん に な っ て い る な ん て 知 ら な か っ た よ 。」
カカオ を生産している人たち がチョコレートの味を 知らない。そのこと に驚くと同時に、私
は悲しく 思いました。私たちは 、チョコレートのおい しさを知っていても 、カカオを栽培する
ことの苦 労は知りません。逆に 、遠い異国でカカオを 生産する人たちは、 チョコレートの味を
知らなく ても、私たちが忘れつ つある大切なことを知 っているのではない か。そう思えてなり
ませんでした。
そんな ことがあってから、私 は「食べる」というこ とについて、考える ようになりました。
例えば、 学校の給食時間。好き なものはたくさん食べ 、嫌いなものは全く 食べない。そんな光
景を何度 か見たことがあります 。一方、世界には、食 料不足で日々飢えと 闘っている人たちが
います。 彼らに、私たちの日常 に溢れている「食」を 少しでも分けてあげ られないだろうか。
私は、命 をいただく「食」とい う行為に、真剣に向き 合っているだろうか 。そう考えるように
なったのです。
現在、 世界には、飢えが原因 で亡くなる人が一日に 五万人ほどいます。 そのうち七割が私た
ち と 同 じ 子 供 で す 。 こ の 現 状 を み な さ ん は ど の よ う に 考 え ま す か 。「 食 べ る 」 と い う こ と は 、
本来簡単 なことではありません 。それなのに私たちは 、食べ物を残すこと はもちろん、食べず
に捨てたり、使い切らずに放置したり、「命」を無駄にしています。
皆さん も心当たりがあるはず です。日本では年間千 九百万トンの食品が 廃棄されます。これ
は七千万 人の食事を、一年間ま かなえる量です。その うち、まだ食べられ るのに捨てられてし
まういわゆる「食品ロス」は、金額にして百十一兆円にものぼります。
現 代 社 会 に お い て 、「 食 べ る 」 こ と に 関 す る 「 無 駄 」 を 、「 0 」 に す る こ と は 難 し い か も し
れません 。しかし、私たち一人 一人の小さな努力で、 その無駄を減らすこ とはできるのではな
いでしょ うか。他国から食糧を 輸入し、大量に無駄に しているのであれば 、必要最小限の輸入
にとどめ 、生産国の人たちが消 費する方法もあるでし ょう。一人一人が考 え、努力し、大きな
力を生み出すことができればたくさんの人を救い、笑顔にできると思います。
私は、 今まで何も考えず、た だ生活の中に存在する 当たり前の風景とし て、食事していまし
た 。 し か し 、 今 回 の こ と を 通 し て 、 感 謝 の 気 持 ち を 忘 れ な い こ と 、 そ し て 、「 食」 を い た だ く
ことの幸せを、改めて考えさせられました。
私たち が生まれた豊かな国日 本。その国に生まれ育 ったからこそ、忘れ てはいけないことが
あ る と 思 い ま す 。 こ れ か ら の 生 活 の 中 で 、「 食 」 に 感 謝 し 、 食 べ 物 の 無 駄 を 少 し で も 減 ら せ る
ように努 力したいと思います。 そして、遠い国の飢餓 や貧困を他人事とせ ず、世界中の人々が
温かな食卓を囲めるよう、自分ができることを見つけたいと思います。