内 閣 犬 養 岡 山 内 政 外 交 家慶 1853 ペリー、来航 家定 1854 日米和親条約 1855 4 月 20 日、備 中国庭瀬村川 入(現在の岡山 県庭瀬)に生誕 1858 安政の大獄 家茂 1858 日米修好通商条 約 1860 桜田門外の変 1863 薩英戦争 1864 県下の諸侯、第 1 1864 第一次長州征討 回長州征討に出兵 1865 漢学者の犬飼 松窓の三余塾 に入り、経学を 学ぶ 1866 第 2 回長州征討に 1866 薩長同盟 出兵 第二次長州征討 1867 大政奉還 慶喜 王政復古の大号 令 1868 父・犬養源左衛 1868 門死去 鳥羽・伏見の戦 い 五箇条の誓文 五榜の掲示 1869 自宅で私塾を 開く 1869 旧藩主を知藩事 に任ずる 1869 函館五稜郭の戦 い 版籍奉還 1870 工部省設置 1 内 閣 犬 養 岡 山 内 政 1871 岡山・深津・北条 1871 廃藩置県 外 交 1871 日清修好条規 の 3 県を設置 岩倉使節団、米 欧に派遣 1872 小田県庁(原罪 1872 の笠岡市)の地 深津県を小田県 と改称 鉄道開通(新橋 券局に出仕 1873 1872 学制頒布 -横浜) 1873 徴兵令 小田県庁を辞 職 地租改正条例 内務省設置 1874 屯田兵制度 1875 経学者を目指 1875 小田県を廃止し、 して上京。共感 1875 岡山県に合併 条約 義塾に入学 1876 慶応義塾に転 江華島事件 1876 北条県を廃止し、 1876 廃刀令 学 1877 樺太・千島交換 岡山県に合併 1877 西南戦争 『郵便報知新 聞』記者として 西南戦争に従 軍し、「戦地直 封」を送る 1879 『山陽新報』創刊 初回の岡山県会、 開会 1880 県下の自由民権 運動が高まり、全 国にさきがけて 「国会開設請願 書」を元老院に提 出 1881 自由党結成 国会開設の勅諭 2 1876 日朝修好条規 内 閣 犬 1882 養 岡 山 内 政 外 交 立憲改進党結 成に参加 5 月、東京府会 議員になる 1883 「秋田日報」の 主筆として秋 田に赴任 1884 伊藤(1) 『郵便報知新 1884 後楽園が池田家 聞』記者とし から県に寄付さ て、朝鮮に赴く れ、一般に公開 1885 『朝野新聞』に 1884 華族令公布 1885 内閣制度創設 入社 1886 大同団結運動 1887 大同団結運動 1887 石井十次、岡山門 に参加 1887 三大事件建白運 田屋敷三友寺内に 動 孤児院を創設 保安条例公布 倉敷紡績所、設立 認可 1888 黒田 山陽鉄道会社発 1888 枢密院設置 足 1889 倉敷紡績所、営業 開始 山県(1) 1889 大日本帝国憲法 発布 1890 第 1 回衆議院 1890 第 1 回衆議院議 議員総選挙に 員総選挙 岡山県第三区 第 1 回帝国議会 から立候補し 開催 て当選 改進党議員集 会所に所属 松方(1) 1891 山陽鉄道の岡 山・三石間が開通、 つづいて岡山・倉 敷間、倉敷・笠岡 間がそれぞれ開通 3 1891 大津事件 1890 青木周蔵外相の 条約改正交渉 内 閣 松方(1) 伊藤(2) 犬 養 1892 第 2 回衆議院 1894 岡 山 内 政 1892 『中国民報』創刊 1892 外 交 品川弥二郎内相 議員選挙で勝 の選挙干渉(第 2 利 回総選挙) 1894 甲午農民戦争 改進党を脱党 し、中国進歩党 日英通商航海条 を結成 約 日清戦争勃発 1895 下関条約 三国干渉 台湾総督府設置 1896 進歩党を結成 1896 板垣退助、内相 として入閣(自 由党と提携) 1896 松方(2) 大隈重信(進歩 党)、外相として 入閣 1897 1897 金本位制確立 孫文と出会っ た後、支援 1898 中国鉄道、岡山・ 1898 伊藤(3) 津山間開通 自由党・進歩党 が地租増徴案否 決、憲政党結成 大隈(1) 1898 1898 憲政党を結成 10 月、文相に 尾崎行雄文相の 共和演説事件 就任 山県(2) 1898 11 月憲政本党 1898 地租増徴 に所属 1899 文官任用令の改 正 1900 軍部大臣現役武 官制 選挙法改正 治安警察法 立憲政友会結成 伊藤(4) 4 1900 北清事変 内 閣 犬 養 岡 山 内 政 外 交 1901 北京議定書 桂(1) 1902 第 1 次日英同盟 協約 1903 憲政本党の院 内総理に就任 1904 1905 (岡山・湛井間) 日韓議定書 開通 第 1 次日韓協約 岡山市上水道完 成 1905 日比谷焼き打ち 1905 ポーツマス条約 第 2 次日韓協約 事件 1906 国有鉄道、山陽鉄 西園寺(1) 1904 日露戦争勃発 中国鉄道吉備線 1906 鉄道国有法 1906 関東都督府 道を買収 南満州鉄道株式 会社設立 1907 岡山・高松間、電 1907 第 1 次日露協約 第 3 次日韓協約 話開通 第 17 師団、 岡山に 新設 1908 戊申詔書 桂(2) 1909 宇野築港完成 県会議事堂、岡山 市石関に完成 1910 立憲国民党を 1910 宇野線開通 1910 大逆事件 1910 第 2 次日露協約 結成 韓国併合条約 朝鮮総督府設置 1911 工場法公布 1911 日米通商航海条 約 西園寺(2) 1911 辛亥革命の現 1911 稲荷山軽便鉄道 場の中国に赴 開通 く 西大寺軽便鉄道開 通 1912 明治天皇没 5 内 閣 西園寺(2) 犬 1912 養 憲政擁護運動 岡 山 内 政 1912 岡山電気軌道、岡 に参加 外 交 1912 2 個師団問題 山駅-後楽園間開 通 1913 犬養毅・尾崎行雄 桂(3) 1913 第一次護憲運動 の憲政擁護の露天 大演説会、岡山市 で開催 1913 文官任用令改正 山本(1) 1914 二個師団増設 1914 石井十次死去 1914 シーメンス事件 案に反対 1914 第一次大戦参戦 大隈(2) 1915 1915 二十一箇条の 対華二十一箇 条の要求問題 要求 で政府を追及 寺内 1916 寺内内閣不信 任案を提出 1916 臨時外交調査 委員会委員に 就任 国民党総理に 就任 1917 1917 西原借款 児島郡宇野町三 井造船部で、第 1 回進水式が行われ る 1918 シベリア出兵 原 1918 選挙権普及の 1918 米価狂騰のため、 1918 大学令 必要性を宣言 県下各地で米騒動 流行性感冒(スペ イン風邪)が蔓延 1919 大原社会問題研 究所設立 1919 衆議院議員 選挙法改正 6 1919 パリ講和会議 内 閣 犬 養 岡 山 内 政 外 交 原 1921 原首相暗殺 1921 高橋 1921~22 ワシントン 倉敷労働科学研 究所開設 会議 『山陽新報』 『中 国国民報』夕刊 を発行 加藤(友) 1922 軍備縮小決議 1922 岡山医専、医科大 案を提出 1922 シベリア撤兵 学に昇格 国民党を解党 し、革新倶楽部 を結成 山本(2) 1923 第二次山本内 1923 閣の逓信相に 倉敷中央病院落 1923 関東大震災 成 就任 清浦 1924 1924 第二次護憲運動 護憲三派内閣 の逓信相に就 任 加藤(1) 護憲三派 1925 革新倶楽部、政 1925 伯備南線(倉敷・ 1925 治安維持法 友会と合同 宍栗間)開通 1925 日ソ基本条約 普通選挙法 政界からの引 退を表明 補欠選挙で当 選 *憲政会単独内閣 加藤(2) 若槻(1) 1926 岡山孤児院解散 憲政会 1927 普通選挙法によ 1926 北伐開始 1927 枢密院、台湾銀 る最初の県会議員 行救済緊急勅令 選挙、政友会圧勝 案否決 7 1927 金融恐慌発生 内 閣 犬 養 岡 山 内 政 外 交 田中(義) 1927~28 山東出兵 政友会 1927 東方会議 1928 倉敷町に市制 1928 第 1 回普通選挙 1928 張作霖爆殺事件 (無産政党 8 名当 パリ不戦条約 選) 三・一五事件 治安維持法改悪 (最高刑死刑) 1929 孫文移霊式の 1929 児島虎次郎死去 1929 四・一六事件 1930 大原美術館落成 1930 統帥権干犯問題 ため中国に赴 く 政友会の田中 義一が急死し たため、後継総 裁に就任 浜口 浜口首相狙撃事 民政党 件 1930 ロンドン海軍軍 縮条約 1930 金(輸出)解禁 昭和恐慌発生 1931 岡山放送局、本放 1931 三月事件 送を開始 1931 十月事件 若槻(2) →満州事変 民政党 犬養 政友会 1931 柳条湖事件 1931 1931 金輸出再禁止 内閣総理大臣 に就任 管理通貨制度 1932 満州国建国 1932 五・一五事件で 1932 血盟団事件 暗殺 五・一五事件 1932 日満議定書 斉藤 1933 滝川事件 8 1933 塘沽停戦協定 内 閣 犬 養 岡 山 内 政 外 1933 斉藤 交 国際連盟脱退通 告 岡田 1934 竹久夢二死去 1934 ワシントン海軍 軍縮条約破棄 1935 天皇機関説問題 1936 二・二六事件 高橋 1936 流感大流行 1936 『山陽新報』『中国 軍部大臣現役武 1936 日独防共協定 官制の復活 ロンドン海軍軍 民報』合併し、 『山 縮条約失効 陽中国合同新聞』 となる 加藤(友) 1937 日華事変勃発し、 1937 郷土部隊歩兵第十 国民精神総動員 1937 盧溝橋事件 運動 南京占領 連隊(赤柴部隊) 出動 1938 満蒙開拓青少年 1938 国家総動員法 1938 第一次近衛声明 義勇軍 107 万人訓 第二次近衛声明 練所へ出発 第三次近衛声明 1938 張鼓峰事件 平沼 1939 岡山医大付属医 1939 国民徴用令 1939 ノモンハン事件 学専門部設置 1940 汪兆銘政府樹立 米内 近衛(2) 1940 大政翼賛会岡山 1940 新体制運動 県支部、全国に先 大政翼賛会 1940 北部仏印進駐 日独伊三国同盟 1941 日ソ中立条約 駆けて発足 独ソ開戦 1941 南部仏印進駐 近衛(3) 1941 米、対日石油輸 出禁止 東条 1941 真珠湾奇襲攻撃 1941 ハル=ノート提 示 1942 翼賛選挙 1942 ミッドウェー海 戦 1943 大原孫三郎死去 9 1943 大東亜会議 内 閣 東条 犬 養 内 政 外 交 1944 女子挺身隊、水島 岡 山 1944 サイパン島陥落 の航空機工場へ初 出動 学徒動員令、女子 挺身勤労令を施行 学童疎開始まる 小磯 1945 1945 米軍、沖縄上陸 水島の航空機製 作所、爆撃され全 滅 岡山大空襲 鈴木 1945 連 合 軍 約 5,000 人、岡山に進駐 10 1945 ポツダム宣言受 諾
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