ふだんプレミアム # 902 野外活動 まるでその日だけ雨が休暇を取っ

■ふだんプレミアム
# 902 野外活動■
まるでその日だけ雨が休暇を取ったかのように上がり、気温が上昇した。
数日前から体育委員を中心に準備を進めていた野外活動が行われたのは、長月9月2日
のことである。
スポーツレクリエ-ションと野外炊飯を通し、生徒間の交流を深める目的のこの行事は、
雨天であっても実施できるよう計画されている。だがやはり、雨が降らないに越したこと
はない。ましてや今年の雨は北海道の各地に甚大な被害を与え、日高町の一部にも猛烈な
爪痕を残した。
その雨が、この日だけはピタリと止んだ。
開会式での校長挨拶は「100 字以内」に収め、早速準備運動を経て競技開始となった。
午前中はバレーボールと卓球が並行して行われる。2年生担任の体育科教諭が気を遣い、
愚輩と教頭先生は卓球への出場を打診されていた。跳んだりはねたりするバレーボールで
怪我をしては、翌日からの学校運営に支障が出ると考えたからだろう。賢明な判断である。
取りわけ教頭先生は体育科教員だったとはいえ、春からずっとデスクワーク続きでろくす
っぽ体を動かしていない。万一、骨折などの長期入院となれば愚輩は勿論、先生方も翌日
からオロオロして何も出来ないこととなる。
そんな心配をよそに教頭先生は、傍にいた3年静岡男子をつかまえてウォーミングアッ
プの打ち合いに誘った。
「3年静岡男子、試合が始まるまで一寸打ち合おう」
「いいですよ」
3年静岡男子もニヤリと笑い教頭先生からの誘いに応じる。
3年静岡男子は元卓球部員である。構えが違う。何も知らない人に彼は東南アジアのオ
リンピック代表選手だよと耳打ちすれば信じてもらえそうなくらい、足捌きがトロピカル
である。サーブだって妙にねちっこくって、亜熱帯系である。
「ふんっ!」
と鼻から息を吐き出し、横回転や下回転をかけてくる。
「チキータ」というミドルネームを付けたくなった。
そんな相手にも関わらず、そこそこ打ち合いを続けるのだから教頭先生もさすがに体育
科教員である。果敢に三球目攻撃を仕掛けたりする。
決まった時は福原愛のように拳を握りしめ、「サーッ!!」と云ってほしかったが、そこ
までの気合いは入っていなかったようだ。
さて、試合だが愚輩の初戦は厳正なる抽選の結果、3年遠軽女子が相手に決まった。
「よし、来い!」
2度3度と素振りをして、3年遠軽女子のサーブを待つ。
カツッ、ポン、ポン―――山なりのサーブが愚輩のコートに入る。
「オシッ」
コツン。打ち返す。カツン。打ち返してくる。コン。再び打ち返す。コロコロコロ。決
まった。
「よっしゃッ―――!」
ポイントが入る度に、自分を鼓舞するため大きな声で気合いを入れる。
「行ける、行けるッ!」
「OKッ―――!」
「ダッ――ツ!」
周りで見ていた生徒は呆れていたが、なあに気にするものか。勝負は気合いだ。最後は
気力の強い方が勝つ。松岡修造だって云ってるではないか。松岡修造は「理想の上司」第
1位である。愚輩が「理想の上司」を目指さないでどうするというのか。
目指せ修造である。運がよければ、毎日日めくりカレンダーをつくって、憧れの印税生
活が転がり込む可能性だってないということはいえなくもないような気がしないでもない
……ではないか。
結局。3年遠軽女子は愚輩の気合いに押されて無言のままストレート負け。勝利のカズ
・ダンスを踊る愚輩の傍で、3年遠軽女子はこの出来事をすぐにでも忘れてしまいたいと
いった顔でコートを去った。負けてもあまり悔しそうでなかったのは、勝敗が単なる偶然
の結果に左右される程度の試合内容だったせいかもしれない。
第2戦は2年生との試合である。厳正なる抽選の結果対戦相手に決まった2年調布男子
は、相手が愚輩と知るや「おっ」といった驚きの声でもなく、「ふふん」という余裕の反
応でもなく、
「えっ?」
という疑問の声を上げた。
何に疑問を持ったのかは分からぬが、2次方程式の解法を聞いた訳でもないのだから特
に疑問を持つような状況ではない筈だ。
その上、次の瞬間にはまるで人類滅亡を企むゴキブリ型宇宙人と戦う覚悟を決めた地球
防衛隊員のような溜息をついた。
「ふうぅ……」
目が――仕方ないな。相手をしてやるか――と云っていた。
実際試合が始まるとジワジワとポイントを引き離され、あっという間に第1セットを奪
われた。2年調布男子は完全に愚輩の力量を推し量ったとばかりに、余裕の笑みを見せる。
すっかり愚輩を上から見下ろし、赤子の手をひねるような戦い方である。
しかしこちらは理想の上司ナンバー1を目指す立場である。熱血情熱体温上昇で負ける
ことなど考えない。例え1%でも勝つ可能性がある限り諦めない。0.9%になったら玉
砕戦に持ち込む。
第2セットも完全に2年調布男子のペースで終わった。完敗である。
口惜しくとも、それが事実であるならば受け入れなければならぬ。ゲームセット後、愚
輩から握手の手を差し出すと、2年調布男子は余裕の表情で応じた。
これで通算1勝1敗である。
いよいよ最終の第3戦は厳正なる抽選の結果1年川崎男子との決戦である。
「1年川崎男子は卓球やっていたことあるの?」
「無いす」
自信の無さそうな表情で答える。弱気になっているな、と見えた。愚輩にはチャンスで
ある。
試合が始まると、1ポイント取る度にガッツポーズをオーバーに取るようにした。する
と試合のペースが完全に愚輩に支配され、1セット目を奪取した。やはり、勝負は勢いで
ある。2セット目もこのペースで行こうと、コートチェンジの祭も
「オッシ、おし!完全に流れはこっちだ。行けるゾ行けるゾ」
と一人気合いを入れたが、逆にそのことが1年川崎男子に冷静さを取り戻させた。
2セット目は得点を取ったり取られたりの繰り返しとなり、こうなると冷静に試合を運
ぶ者が競り勝つ。少しの差ながら、2セット目は逆に1年川崎男子に奪い返された。流れ
は完全に1年川崎男子に移った。
3セット目は愚輩のやることなすことすべてが裏目に出る一方、1年川崎男子は着実に
得点を重ねる。やはり、勝負は勢いなどではなく冷静さである。いいところなく3セット
目も奪われ、逆転負けを喫した。
「ああ、口惜しいなぁ。1年川崎男子はどの時点で、勝てると思った?」
試合後、1年川崎男子に聞くと
「いやぁ1セット目取られた時は『やばい、負けるかも』と思ったんですが、2セット目
を取り返して『勝てる』と思いました」
と最後まで冷静にコメントを返した。
卓球と並行して行われていたバレーボールも終わり、昼食休憩となる。
お昼は焼き肉バーベキューである。各学年毎に焼き台が割り当てられているが、各学年
で材料が異なるわけではない。どの学年も肉と野菜と焼きそば程度である。
違うのは焼き手の調理加減である。調味料に烏龍茶を加える学年もあれば、塩とこしょ
うを調整しながら微妙に味を調えていく学年もあり、こんなところにもそれぞれの個性が
表れて面白い。食べる方にしたってそうだ。じっくりと雛の子育てのように焼き肉を丁寧
なま
に焼いていく者 生 かどうかを口に入れてから確認する適当野郎食べることよりも絶妙の
バランスで焼き上げることに心血を注ぐカルビ娘、千差万別十人十色である。
愚輩が焼き肉会場に行ったのは、すでに生徒たちの食べるピークは過ぎており、ちょう
ど仕上げの焼きそばづくりに差し掛かっていた頃だ。
「焼きそば出来たよ~。もう食べてもいいよ!」
3年遠軽女子が縁日の女将のような声で傍にいる者たちに声をかける。
「校長先生、取りますのでお皿ください」
3年担任国語教諭が気を遣って愚輩に取り分けてくれようとする。国語教諭は知る人ぞ
知る「焼きそば職人」である。夏のこもれび祭では、国士無双と書かれた私物の前掛けで
3年岩手男子と黄金の師弟コンビを組みひたすら焼きそばづくりに専念するという業を3
年間続けている。そんな修行僧のような焼きそば職人が愚輩のために、焼きそばを取り分
けてくれようというのだ。ありがたくて、思わず手を合わせ「申し訳ない」と拝んでしま
った。
「はい。このくらいでいいかな?一寸、多い?多かったら残していいから」
国語教諭の命を受け、3年愛知女子が皿に山盛りの焼きそばを盛ってきてくれた。知多
半島の女は細かいことを気にしない豪快娘なのである。
ひとくち食べた。
「うん。うまい」
3年愛知女子が腰に手を当て
「でしょう」
と満足そうに胸を張った。
焼き台の前では3年遠軽女子が愚輩をちらりと見てニヤリと微笑んだ。この日愚輩には
じめて見せた笑顔だった。
2年生のところでは教頭先生が「焼き奉行」となって
「まだまだ。もう少し野菜に火が通ってから焼きそばを投入した方がよい」
と2年地元日高男子に指示を出していた。
1年生のところへも顔を出してみた。
「おじゃまするよ。一寸ご馳走させて」
「いいですよ。どうぞ」
1年千葉男子はお腹が一杯になってしまったのか、芝生に横になったまま勧めてくれる。
鉄板台の上には真っ黒の焼きそばが残っていた。食べると炭の味しかしなかった。しか
も油の量を間違えたのか、焼きそばと云うより「オイル漬けめん」と云った方が近い。そ
れでも何とも云えない幸福感があった。
生徒のつくった炭だらけの焼きそばを生徒と一緒になって食べる。こんな調味料は教師
にしか味わえない。
隣では1年担任英語教諭も黙って炭だらけの焼きそばを食べていた。
午後はバスケットボールである。各学年対抗戦なのだが、日高ルールで女子も混ざって
いる。しかも教員チームにも、だ。誤って胸や腰にディフェンスの手が触れたなら、たち
まち大問題になるのではとビクビクしたが、さすがに生徒たちもそこは紳士協定を結んで
いたようだ。むしろ女同士の争いの方が激しかったりする。
3年 vs 教員チーム。3年兵庫女子と家庭科教諭。双方に女子がメンバー入りしている。
しかも両チームともやたらと女子にボールを回そうとするものだから、しばしば女子同士
のボールの奪い合いとなる。
3年生のシュートが外れたボールを理科教諭が取り、それをすぐさま相手ゴール下で待
ち構えている家庭科教諭にロングパスする。シュートをさせてはならじと3年兵庫女子も
ゴール下でディフェンスする。
「きゃっ」
ボールを挟み3年兵庫女子と家庭科教諭がコート上にとんび座りでへたり込む。
「くっ」
それでもお互いボールを奪おうと手を引かない。女同士の執念を見た。
ピィー!審判の笛が吹かれた。ジャンプボールで仲良くもう一度やり直し。名裁定であ
る。あれ以上ボールを奪い合っていたら、宮尾登美子の『鬼龍院花子の生涯』になってい
たかもしれない。
そんな様子を愚輩は2階の観覧席から眺めていた。そこへ2年担任体育科教諭がやって
きて、
「校長先生。次の試合、どうですか?」
と出場を打診してきた。バスケットボールはコートを走り回るスポーツである。しかも敏
捷性が問われるなど愚輩が最も苦手とするスポーツのひとつである。しかし、第1試合に
出場した教頭先生はもう足がつる寸前の状態であり、これ以上無理は出来ない。地歴公民
科教諭も国語教諭も共に出場して、息が上がっている。英語教諭は昨年怪我で入院してい
るので無理は出来ない。のほほんと観戦しているのは愚輩一人である。
「出ます」
「よろしくお願いします」
返事をしてから一寸後悔したが、なに、走ろうと思わなければよいのだと気付いた。高
さだけはあるのだから、ディフェンスに徹すればよい。
愚輩が出場することになったのは1年生 vs 教員チームの試合である。1年埼玉女子は
出場していないので取りあえずファールの心配はしなくてよい。
試合が始まると、1年生チームは若さ体力に任せやたらと攻撃を仕掛けてくる。こっち
はドリブルで向かってくる相手の前で両手を広げデフェンスする。それだけでも十分に相
手の牽制にはなる。1年横浜保土ヶ谷男子は強引にドリブルでカットインしようとするが、
そこはリーチの長さで入り込ませない。1年函館男子もスピードを生かし突っ込んでくる
が、その前に立ちはだかる。すると、くるりと回り込んでシュートを狙う。さすがに将来
日本の国防を担いたいと希望している少年は動きが違う。しかし、愚輩としても黙って手
をこまねいているわけにはいかない。
「はずせー!入るなっ!!」
大きな声で叫んだら、審判の3年愛知女子が愚輩の元に来て
「それ以上云ったら、否紳士的行為でファールを取りますよ」
と注意をされてしまった。面目ない。だからといって動けるわけではない。ただただ、コ
ート内でオロオロしていたら、1年横浜保土ヶ谷男子が数学科教諭の横をタックルするか
のように猛烈に駆け抜けた。華奢な数学教諭はたまらず転倒し、その勢いでメガネをコー
トに飛ばして曲げてしまった。
理想の上司松岡修造を目指す愚輩としては、部下を助けることの出来なかった……と深
く反省するばかりだ。
結局。たかだか10分程度の試合でもヘロヘロの状態となり、どっちが勝ったのか負け
たのかさえも愚輩には認識できなかった。互いの交流を深めることが目的なのだから、そ
の目的が達成されていれば勝ち負けなどは問題ではない。
これがこの日の出来事である。
野外活動が終わると日高にも秋が忍び足でやってくる。
何気ない、ともすると平凡な日常生活の中に埋もれてしまうくらいの何気ない毎日の出
来事が、実は後から振り返ると大切でかけがえのない経験が積み重ねられていたのだと気
付くことがある。そしてその積み重ねたものの厚みが人生というものなのかもしれない。
ふだんの生活こそがプレミアムなんだ!―――松岡修造なら、そう云って生徒に激を飛
ばしたに違いない。