璧 圓 寺 だより

璧圓寺
住職 後藤裕司
Letter from Hekienji
璧 圓 寺 だより
第6号
発行日 2016年9月15日
やっと暑い暑い夏が終わり、秋がやってきました。そんな中で璧圓寺だより第6号をお手元にお届けすることが
できました。御一読いただき、感想など頂戴できればありがたく思います。よろしくお願いします。
ヘッドライン
難波別院山門の建て替 1
え計画が決まりました
御堂さんとして知られている難波別院の御堂会館が建て
替えられることになりました。御堂会館は難波別院の山門
の役割も兼ねており、昭和36
年に建設されて以来、大阪の文
化を発信するところとして長年
にわたり親しまれてきました。
しかし、調査によると大地震
が発生した場合、大きな被害が
発生する可能性があることが判
明し建て替えすることを余儀なくされました。これに伴
い、「難波別院諸施設に関する検討委員会」「大阪教区
会」「難波別院院議会」などで今後のことについて検討さ
れてきました。
その結果、山門が建っている部分の土地を積和不動産関
西(株)に賃貸し、同社が建
物を建てることとなりまし
た。左のイメージ図のような
17階建てのもので、低層部
は難波別院に賃貸し、中高層
部はホテル業を営む予定だそ
うです。2020年春頃に竣工予
定です。今後の宗門興隆にど
ういう役割を果たしていくの
か注視していきたいと思いま
す。
11月8日は璧圓寺の
報恩講です
2
盂蘭盆会法要が
勤修されました
3
・10月8日 午後2時
定例法話です。越本達了先
生がお話をします。
・11月8日 午後2時
報恩講です。楠樹章麿先生
がお話しをします。
・
http://hekienjishinshu.com/
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Letter from Hekienji
11月8日は璧圓寺の報恩講です
いよいよ11月8日は年間最大の法要である璧圓寺報恩講です。今年、ご参勤下さるお
寺さんは例年より多い8名(!)の予定です。ところでまだ報恩講がよくわからない方の
ために、以前大阪教区通信に掲載された報恩講の質問と回答を引用します。
質問
真宗では報恩講というものが大切な行事のようにいわれるようですが、報恩講とは何です
か。なぜ大切なのですか。
回答
「報恩講」とは、宗祖親鸞聖人の御命日を記念して勤める聞法・念仏の集会(しゅうえ)
です。「報恩」という名のように、親鸞聖人の教えに遇って、生まれた意義と生きる喜び
を見出した人びとが、親鸞聖人の御苦労と御恩に報いずにおれない気持ちから厳修(ごん
しゅう)される仏事です。
聖人は弘長2(1262)年11月28日(陰暦)に90歳で亡くなられました。
真宗大谷派(東本願寺)では、太陽暦の日に合わせて、毎年11月28日を御満座(ご
まんざ)として七昼夜、つまり11月21日午後から始まって28日まで、つごう8日間
にわたり勤まります。
西本願寺では、聖人の亡くなられた日を太陽暦に
換算して、1月16日を御満座として七昼夜勤めら
れ、俗にお七夜(ひちや)と言われています。
親鸞聖人ご自身は、師法然上人の御命日(25
日)に聞法・念仏の集いをもたれていたようです。
親鸞聖人のなくなられた後、お弟子方がお徳を偲
んで聖人の御命日に集会を持つようになり、3代目
の覚如上人が「報恩講式」を作られ形式が整えられ
ました。当時の大谷本廟では、「御報恩念仏会(ご
ほうおんねんぶつえ)」といって七昼夜の法要が勤
まっていました。
数百年の歴史をくぐって今日に至るまで毎年欠か
さず、御本山の報恩講を中心にして、地方の真宗の
各寺院において、さらには門徒の各家においても一年間の最も重要な法要として厳修され
てきています。
このように、親鸞聖人の教えに遇うことによって、生きることの深い感動と意欲を見出
した人びとが、如来・聖人の御恩に報いる気持ちで集う法会が報恩講であり、それはま
た、自分の子や孫たち、友人にも聖人の教えに遇っていただき、せっかく人間に生まれた
意義と喜びに目覚めてほしいという切なる願いの表現でもあるわけです。
「念仏申さんと思いたつ心の起こるとき、すなわち人間の生活が始まる」
これは96年の生涯を、親鸞聖人の教えと共に生きられた金子大栄師の言葉です。
人間として生まれ、人間として生きているつもりの私たちではありますが、はたして人
間であることに深い感動と謝念を持って、真に人間らしく生きているでしょうか。
ぜひ、毎年の報恩講には努めて足を運び、心静かに聖人の教えに耳を傾けていきたいも
のです。
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今年も残暑厳しい8月15日に盂蘭盆会法要を勤修しました。今年もた
くさんの方にお参りいただき、本当にありがとうございました。天気が少し
心配だったのですが、なんとか持ってくれてホットしました。
今年は特に多くの方に提灯をご寄進いただき、その数は110ケ余りに至
り、ほのかな明かりで境内を幻想的に照らしました。
少し涼しくなってきた午後6時にお勤めを開始し、春秋堂→境内納骨堂
→本堂の順にお勤めをあげました。その後、住職が少し法話をさせていただ
きました。年に一度、故郷に帰ってきてお墓参りをしてお盆を過ごす人たち
もたくさんおられたものとお見受けしました。普段、法話を耳にすることの
ない方が年に一回法話を聞く機会をいただくことは大変ありがたいと思いま
す。仏法は亡くなった人のためのものではなく、今現に生きているわたした
ちのものです。よりよく生きるためのヒントとして法話を受け取っていただ
ければ、これほどうれしいことはございません。
お盆は亡くなった人が家に帰ってきて暫しの時間を自宅で過ごすと言わ
れています。最愛の人がそばにいることを感じながら、それぞれのひと時を
お過ごしになられていました。
Letter from Hekienji
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編集後記
・4年に一度のオリンピックが終わりました。今回のオリンピックは日本人選手の活躍がす
ごく目立ち、多くのメダルを獲得することができました。人生のうちの四年間のすべてを競
技に捧げ、メダルを獲得した姿はまことに神々しいものでした。一方、勝負は時の運にも
左右され、当日の天気、体調、一瞬の油断、審判の微妙な判定などにより多くの選手が
涙をのんだことだと思います。誰しもそういう時は深い絶望に落ち込み、事実を受け入れ
ることはできないものです。今後、そういった選手たちがどういう人生を歩んで行くのか、あ
る人は引退して仕事に専念し、ある人は立ち上がって東京オリンピック目指して練習を再
ホームページもご覧く
ださい。
開し、またある人はこれらとは全く違う人生を歩むのでしょう。あらゆる人に阿弥陀様の光
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は公平に降る注いでいます。自分を見つめなおしたときに、この事実に気付くことができる
のでしょう。
・『障害者の頑張る姿を描いたドラマは障害者にとって「感動ポルノ」である』という話を
テレビで耳にしました。「障害者はもっと普通に軽く生きていて、健常者サイドから感動さ
れるために生きているんじゃないんだよ。私たちは健常者と同じ人間なんだよ」という障害
者の方の主張だと思います。私たちは障害者の方を見ると「気の毒だなぁ」とか「かわい
そう」とか思いがちですが、障害者の方にとっては義足や義手は健常者がメガネをかける
のと同じ感覚だそうです。「少し不自由な部分を器具で補っている」だけです。「だからそ
この部分で同情しないでね」ということだと思います。平等や公平とは何かということを深く
考えさせられることでした。
御意見、ご感想をぜひお寄せ下さい。
普照山 璧圓寺(ふしょうざん へきえんじ)
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