「兵庫の美の遺産-美術品・コレクター・美術館-」講義概要

「兵庫の美の遺産-美術品・コレクター・美術館-」講義概要
第1回(平成 28 年 8 月 29 日)兵庫の美の遺産
兵庫陶芸美術館副館長 弓場 紀知
今日日本の経済、文化の中心は東京。しかし 100 年前の文化の発信地は神戸と阪神間。
横浜と並び海外との玄関口は神戸。御影、芦屋には嘉納、大原、村山、安宅、住友等の
近代産業の企業家たちが住み茶会を通して交流を深め、古美術の蒐集にも努めてきた。
また松方コレクション、横河コレクションなどの西洋美術、中国陶磁も兵庫ゆかりの松
方幸次郎、横河民輔が集めた美術品。改めて兵庫の文化力を考える。
第2回(平成 28 年 9 月 12 日)松方幸次郎と西洋美術コレクション
西宮市大谷記念美術館館長 越智 裕二郎
幻のコレクションといわれた「松方コレクション」も近年、その姿はかなりの精度で
実像がみえてきた。そのきっかけは 1989 年神戸市立博物館で開催された「市制 100 周
年記念展 松方コレクション」展である。
コレクションに致る過程を、幸次郎の人格形成から紐解き、コレクション拡大と美術
館設立に熱意を燃やしながら、ついにそれがかなうことなく散逸にいたった経緯、また
その遺産を、1989 年の展覧会実現までの苦労話を交え、語る。
第3回(平成 28 月 9 日 26 日)十八会の集い-御影に集う-
大阪芸術大学名誉教授 田中 敏雄
関西の数寄者が明治 35 年に始めた茶会、十八会。住友、嘉納、村山、藤田らの錚々た
る財界人が十八会に集った。彼らは茶会と共に古美術の蒐集も盛んにおこなった。御影、
芦屋、大阪、京都には彼らの集めた美術品からなる美術館が建てられている。数寄者と
美術蒐集、美術館について紹介する。
第4回(平成 28 年 10 月 3 日)丹波焼のコレクターと研究
兵庫陶芸美術館陶芸文化振興専門員 長谷川 眞
鮮緑色の自然釉の美しい中世丹波焼、そして民芸運動の主導者・柳宗悦らがこよなく
愛した近世丹波焼。この丹波焼の蒐集が本格化するのは、昭和 10 年代のことである。そ
れ以後、丹波焼の「大蒐集時代」が始まり、柳の蒐集を助け自らもコレクションした中
西幸一、郷土の文化遺産を後世に残したいと蒐集を始めた田中寛などによって、丹波焼
の一大コレクションが残された。蒐集にかけたコレクターの想いとその軌跡を、エピソ
ードを交え紹介する。
第5回(平成 28 年 10 月 17 日)住友家の須磨邸を飾った美術品
泉屋博古館上席研究員 外山 潔
1903 年住友家 15 代当主住友春翠は須磨海岸に洋風建築の別邸を建てた。内部には西
洋絵画や当時の日本人の洋画家の作品が飾られ、中国の工芸品なども飾られた。そのこ
ろこうした洋館に本格的な洋画が飾られた例はなく、多くの洋画家たちが訪れた。1945
年の大空襲で焼失したが近年の調査で当時の別邸の様相が判明した。この会では判明し
た須磨の住友別邸の様相について紹介する。
第6回(平成 28 年 10 月 24 日)スイス人コレクターを虜にした美術商・富田熊作
兵庫陶芸美術館副館長 弓場 紀知
中国陶磁の愛好家、研究者で富田のことを知る人は少ない。富田は明治 5 年に猪名川
町に生まれ神戸の居留地の輸出会社に勤めた後ロンドンの山中商会の支配人として、英
国のコレクターに中国陶磁器の蒐集を手助けした。そこで出会ったのがスイス人コレク
ター、A・バウアー。二人はお互いを信頼しながら珠玉の中国磁器のコレクションを築
き上げた。数は多くはないがどれも宝石のごときやきもの。富田とバウアー、そのコレ
クションを紹介する。
第7回(平成 28 年 10 月 31 日)小磯良平の芸術
神戸市立小磯記念美術館館長 岡 泰正
小磯良平は、明治 36 年(1903)神戸市に生まれ、東京美術学校西洋画科を首席卒業、
その後は気品あふれる女性像を描き続け、日本を代表する画家としての確固とした地位
を築きました。昭和 25 年(1950)東京藝術大学油画科の講師となり、昭和 58 年(1983)
には文化勲章を受章し、昭和 63 年(1988)に 85 歳で亡くなりましたが、今なおその画
業を多くの人が仰ぎ見ています。
本講義は、小磯の生涯をたどりながら、小磯と西洋絵画との関わりを切り口にして、
この不世出の才能がいかに西洋と向き合って自作に生かしたのかを検証してまいりたい
と思います。
第8回(平成 28 年 11 月 7 日)日本最高の東洋陶磁器コレクター・横河民輔
兵庫陶芸美術館副館長 弓場 紀知
明石に生まれた横河は三井に勤めた後横河建設を創業し、三越本店や帝劇などの設計
を手掛けた。その業余に始めたのが中国陶磁器の蒐集。その数千点以上。今東京国立博
物館の横河コレクションとして公開されている。中国陶磁史研究の原点ともいえるこの
コレクションは明石生まれの企業家の個人コレクション。今も氏を慕う古美術商、愛好
家はおおい。
第9回(平成 28 年 11 月 14 日)大谷光瑞と二楽荘
龍谷大学龍谷ミュージアム学芸員 和田 秀寿
二楽荘は神戸・六甲山の山麓に、明治 42 年(1909)西本願寺の第 22 世宗主・大谷光瑞
師が建てた別邸です。二楽荘では、武庫仏教中学が設立され、生徒の育成を図り、気象
観測所を設け気象学に貢献、マスクメロンの栽培など園芸発展に寄与しました。さらに、
インド・中央アジア等への仏蹟調査(大谷探検隊)の資料整理・研究、そして公開も行
われました。まさに二楽荘は、教育・学術研究機関、そして博物館機能を兼ね備えた総
合施設でした。今回の講義では、近年発見された多くの資料から、二楽荘の全貌を明か
にします。
第 10 回(平成 28 年 11 月 21 日)嘉納治兵衛と白鶴美術館
白鶴美術館顧問 山中 理
矢代幸雄博士(1890~1975年、ボッティチェッリの研究者として世界的に有
名、日本・中国の美術に対しても造詣の深い学者。)は、白鶴美術館の創立者・嘉納治兵
衛(鶴翁)の目指し実現した世界を「主人公が愛情を籠めて名品を集め、それを友人は
もとより、未知の人々にも見てもらって、その歓びを頒ち楽しみを共にしたい、という
愛す可き人間情景」がそこに見られる、と語られています。美術作品と人間鶴翁をじっ
くり見つめて参ります。