2016年9月12日 報道機関各位 東京医科大学 山梨大学 神経活動の活発化時における過剰なシナプス伝達に ブレーキをかける仕組みを解明 神経信号を正常に送り続けるために神経伝達物質の送り手であるプレシナプスの可塑性を コントロールするタンパク質のリン酸化を世界で初めて明らかに 東京医科大学細胞生理学分野の持田澄子教授、山梨大学医学部生化学講座の大塚稔久教授ら による研究グループは、神経活動が活発化すると、シナプスのなかでも神経伝達物質の送り手 側であるプレシナプスにおいて、神経伝達物質の放出部位(アクティブゾーン)に局在するタ ンパク質 CAST がリン酸化されて、神経伝達物質の放出に対して“ブレーキ”として働き、過剰 な伝達物質放出を抑制するという仕組みを世界に先駆けて明らかにしました。その仕組みは、 神経伝達物質をその中に含むシナプス小胞のアクティブゾーンへの補充をリン酸化 CAST が減少 させることによって引き起こされます。 本研究成果は、米国時間9月13日12時に米国学術誌 Cell Reports にオンライン掲載され ます。(掲載URL: http://cellreports.cell.com) 本研究の社会的意義 超微細構造であるプレシナプスの研究は難しく、シナプス機能解析はもっぱら神経伝達物質 の受け手であるポストシナプスにおいて研究されてきました。本研究の成果から、今まで不明 だった神経伝達物質放出部位でのリン酸化の標的分子(アクティブゾーンタンパク質である CAST)が明らかとなり、このリン酸化のオンオフがシナプス可塑性(用語解説 4)調節のスイッ チとして働く可能性が示唆されます。 今後さらなるリン酸化の標的や機能の解明が進み、さらに、CAST のリン酸化そのものを人工 1 的に操作する技術開発を行うことで、神経伝達機構の新たな知見が発見されることが期待され ます。そして、最終的には基礎的な知見のみならず、シナプスの可塑性が破たんすることによ って生じる、各種の精神神経疾患、慢性痛などの疾病の発症機構の解明と新しい治療戦略につ ながることが期待されます。 研究の背景 神経細胞は神経細胞間の連結部位(シナプス)において、神経伝達物質の受け渡しによって 情報を伝えています。そうした脳内の神経回路網における適切な信号伝達の結果、私たちは物 事を記憶し、考えたり、体を動かすことができます。 このように私たちの思考や行動の基になる神経回路網の要となるシナプスは、伝達物質の送 り手側(プレシナプス)と受け手側(ポストシナプス)から構成され、それぞれに特有な構造 を形成することで複雑な情報伝達が行われています。私たちの脳内にあるシナプスは、日常的 な多くの経験、例えば学校で勉強をする、食事をとる、いやな思いをしてストレスを感じるな ど様々なことから多かれ少なかれ影響を受け変化しています。このようなシナプスが持つ外界 の変化や刺激に応答して自身のシナプス伝達の強弱が変わることをシナプス可塑性と呼びます。 その変化によって勉強したことをよく覚えたり、うれしいことに歓喜し、逆に変化の程度が強 すぎると様々な精神神経疾患を発症してしまうとも考えられています。 こうした変化を引き起こす要素の一つにタンパク質のリン酸化という機構があります。これ までの研究の結果、ポストシナプスでは神経細胞の情報伝達活動に依存したタンパク質のリン 酸化によってシナプスの数や構造を大きく変化させることが明らかになっています。しかしな がら、プレシナプスにおいてタンパク質のリン酸化が神経情報伝達の強弱化の調節、すなわち シナプス可塑性においてどのような役割を果たしているのかは不明なままでした。 ほとんどの神経細胞は細胞核をもつ細胞体から、1 本の軸索と多数の樹状突起と呼ばれる突起 を伸ばした構造をしています(図1) 。他の神経細胞の樹状突起へと伸びる軸索は神経伝達物質 を放出して情報を伝える役割、樹状突起はその伝達物質を受け取る役割を果たしています。こ の軸索と樹状突起の結合部をシナプスと呼び、軸索終末部をプレシナプス、樹状突起部をポス トシナプスと呼んでいます。プレシナプスでは神経伝達物質を含んだ小さい袋状の構造物(シ ナプス小胞:用語解説1)が多数存在し、このシナプス小胞から神経伝達物質が放出される領 域をアクティブゾーン(用語解説2)といいます。CAST を含めた数種類のタンパク質がアクテ ィブゾーンに集積し、神経伝達物質の放出を制御していることが明らかになっていますが、そ れぞれのタンパク質の機能がどのように調節されているのかはまだ良く分かっていませんでし た。 また、タンパク質のリン酸化(用語解説3)は神経細胞に限らず、多くの細胞においてその 機能を制御するうえで重要な“スイッチ”の役割を果たしており、それによって細胞は遺伝子 の発現のタイミングを調節したり、細胞間の相互作用を開始します。神経細胞においては、活 動電位と呼ばれる情報を伝えるための生体電気信号の発生頻度に応じてシナプスでの情報伝達 が持続的に変化するシナプス可塑性(用語解説4)という現象が確認されています。ポストシ ナプス内ではシナプス可塑性現象にリン酸化によるタンパク質の修飾機構が重要であることが 2 以前から知られております。プレシナプスにおいても一部の脳領域でシナプス可塑性現象が生 じることが確認され、それにはリン酸化酵素が神経伝達物質放出を制御していることが報告さ れていますが、リン酸化によるタンパク質機能変化から神経伝達物質放出制御への経路は良く 分かっていませんでした。 研究の方法と結果 今回、研究チームは、以下のような方法で上記の問題を解明することに取り組みました。 ① 生化学的な手法によってアクティブゾーンに存在するリン酸化酵素「SAD-B」が「CAST」 の 45 番目のセリン残基をリン酸化することを明らかにしました。 ② リン酸化 CAST だけを認識する抗体を新たに作製し、マウス脳を免疫染色したところ、 CAST が強く発現している海馬において、リン酸化 CAST も存在していることを明らかに しました。 ③ ラット上頸神経節(用語解説 5)から神経細胞を培養して形成させたシナプスに活動電 位を発生させると、発生頻度に応じて CAST のリン酸化が増加することを見出しました。 ④ リン酸化されない変異型 CAST S45A とリン酸化状態を模した変異型 CAST S45D を神経細 胞に発現させ、CAST のリン酸化がシナプス小胞の動態にどのような影響を与えるか電気 生理学的手法によって調べたところ、リン酸化 CAST はアクティブゾーンへの小胞の補充 を抑え、即時放出可能プール(用語解説6)のシナプス小胞数を減して、プレシナプス 特有の可塑性である短期抑制を増強させることを明らかにしました。 ⑤ shRNA 法(RNA 干渉法)による CAST のノックダウンも同様に、即時放出可能プールへの 小胞補充を抑え伝達物質放出を抑制して短期抑制を増強させることが分かりました。 これらの結果から活動電位が高頻度に発生して神経活動が活発である時には、CAST がリン酸 化され、伝達物質放出部位へのシナプス小胞の補充をブロックすることで一時的にシナプス伝 達を抑制している可能性が示唆されました(図2)。このことはリン酸化された CAST が神経伝 達物質の放出に“ブレーキ”としての役割を持ち、過剰な伝達物質放出を制御していることを 示唆します。 本研究は、JSPS科研費 (JP15H04272、25290025)の一環で行われました。 今回の発見 1. アクティブゾーンに局在するリン酸化酵素 SAD-B がアクティブゾーンタンパク質 CAST の 45 番目のセリン残基をリン酸化することが分かりました。 2. リン酸化された CAST が脳内においても恒常的に存在することが分かりました。 3. 神経活動依存的に CAST のリン酸化が増加することが分かりました。 4. リン酸化 CAST はシナプス小胞の即時放出可能プールの補充速度を低下させ、その大きさを 減少させて、シナプス伝達の抑制を促進することが分かりました。 5. CAST の発現抑制がシナプス小胞の補充を遅らせ、シナプス伝達の抑制を促進することが分 かりました。 3 【用語説明】 1.シナプス小胞 神経伝達物質をその中に含んだ小胞で、その表面には伝達物質を取り込むための運搬酵素 やアクティブゾーンと結合するためのタンパク質など様々なタンパク質を発現している。 放出の際は小胞の膜上のタンパク質とアクティブゾーンのタンパク質が結合することで、 小胞が軸索終末膜と融合し小胞内の伝達物質がポストシナプスへと放出される。 2.アクティブゾーン 神経軸索終末のポストシナプスと隣接する領域で、複数のタンパク質がシナプス小胞の動 態を制御しており、この部位でシナプス小胞から神経伝達物質が放出される。 3.タンパク質リン酸化 タンパク質を構成する 20 種類のアミノ酸のうちセリン、スレオニン、チロシンがリン酸化 酵素により、リン酸基を付加されることをリン酸化という。 4.シナプス可塑性 私たちの脳は外界の刺激などによって常に機能的、構造的な変化を起こしていて、刺激の 頻度や種類に応じて、様々な変化・応答を行います。とくに、シナプス伝達の強弱の変化 をシナプス可塑性と呼び、個体レベルの記憶・学習や自閉症、統合失調症、慢性痛など多 くの疾患との関係が現在も広く研究されています。 5.上頸神経節 頸部の交感神経節のひとつで脳内血管の血流量を制御している。 6.即時放出可能プール 神経軸索の末端に蓄えられているシナプス小胞のうち、活動電位に応じてすぐに放出され る小胞のことを示す。 【論文情報】 論文タイトル・著者情報 SAD-B Phosphorylation of CAST Controls Active Zone Vesicle Recycling for Synaptic Depression Sumiko Mochida*#, Yamato Hida, Shota Tanifuji, Akari Hagiwara, Shun Hamada, Manabu Abe, Huan Ma, Misato Yasumura, Isao Kitajima, Kenji Sakimura, Toshihisa Ohtsuka* *Corresponding authors; #Lead Contact Cell Reports 2016 年 9 月 13 日(米国時間) 掲載予定 4 図1 神経細胞のモデル図 図 2 SAD-B による CAST リン酸化が引き起こすシナプス抑制のモデル図 5 【問い合せ先】 (研究に関すること) 東京医科大学 医学科・基礎社会医学系 細胞生理学分野 教授 持田澄子(Sumiko Mochida) TEL: 03-3351-6141(内線 247)FAX: 03-5379-0658 E-mail: [email protected] 山梨大学 大学院総合研究部・医学域基礎医学系 生化学講座第一教室 教授 大塚稔久(Toshihisa Ohtsuka) TEL: 055-273-6740(教授室)、 055-273-9490(秘書室) E-mail: [email protected] (広報に関すること) 東京医科大学総務部広報・社会連携推進課 TEL: 03-3351-6141(内線 298) FAX: 03-6302-0289 E-mail: [email protected] 山梨大学総務部総務課広報企画室 TEL: 055-220‐8005 FAX: 055‐220‐8799 E-mail: [email protected] 6
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