Title 昭和戦中期の通俗小説における`戦争協力`の実態 : 竹田敏彦 「若い

Title
昭和戦中期の通俗小説における'戦争協力'の実態 : 竹田敏彦
「若い未亡人」(昭14・10∼15・12)と戦争未亡人問題
Author(s)
根岸, 泰子
Citation
[岐阜大学国語国文学] vol.[40] p.[1]-[15]
Issue Date
Mar-14
Rights
Version
岐阜大学教育学部 (Faculty of Education, Gifu University)
URL
http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/50316
※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。
はじめに
昭和戦中期の通俗小説における
〝戦争協力″
の実態
岸
「武田麟太郎、林芙美子、尾崎士郎、高見順、真杉静枝、壷井栄、
としようと試みた点にあった。彼は、一方では文芸復興期以降
通俗小説の大衆性によってカムフラージュすることで検閲をかい
トを掲載する
では、女性通俗作家の堤千代「小指」(『オール読物』、一九三九・
の組み合わせによって、『日の出』文学欄
くぐる
建設』(一九三九年一月創刊)
一二)が、〝積極的抵抗″中のハイライトとして扱われているが、
〝積極的抵抗″
丹羽文雄などの純文学系の作家たちを口説いて」小説を書かせる
商品化に抵抗する大衆小説界の新たな機運をも取り込むことで、
など出版資本による量産主義的な
のポリシーをなんとか保持しようと努力する。『ひとつの文壇史』
〝消極的抵抗″、そして体制批判的なメッセージを
和田の 『日の出』は、国策に同調的な作品を提供するいわば
〝協力的方向″、時局とは無関係の時代やテーマを扱ったテクス
なくされる。
あたりからの検閲体制への対応が急務となる中、方向転換を余儀
しかしながら彼のこのような編集方針は、おおよそ一九三九年
いう相場のうちで溶け合わせようとしたのである。
学的アイデンティティの確立という二つの方向性を『日の出』と
いわば純文学における「文学の大衆化」の実現と、大衆文学の文
子
-
泰
竹田敏彦「若い未亡人」(昭14・10∼15・12)と戦争未亡人問題
の編集者時代の自伝的回想記
根
とともに、『大衆文芸』(第三次一九三九年三月創刊)や『文学
『日の出』という商業主義的な大衆誌メディアを両者の架橋の場
の間に越えられないはどの懸隔のあった昭和戦前期において、
大衆娯楽雑誌編集者としての和田の個性は、純文学と大衆文学
である。
戦中期(一九三四年∼一九四一年)
大衆娯楽雑誌『日の出』の編集者となった和田芳恵による、昭和
『ひとつの文壇史』(新潮社、一九六七) は、新潮社入社後に
-
ざるを得なかった事例も挙げられている。たとえば「忍び寄る戦
他方で、一九三九年から四〇年にかけて体制側からの圧力に応じ
のメディア特性に留意しながら、一九三九年から四〇年という時
くに「若い未亡人」を取り上げて、前述したこの時期の『日の出』
者としての苦い敗北感がそこから感じ取れる。以下、本稿ではと
専業の通俗小説作家である。通俗小説の場合はもともと風俗性
ここで国策に沿った作品を提供したのは、純文学作家ではなく
期の大衆娯楽雑誌の時局協力の様相を考察してみたい。
時気分」と題された章には、以下のような叙述が見られる。
獅子文六さんの『虹の工場』は、昭和十五年の新年号から
はじまった。
(世相描写性)が強く、特に長編連載形式だと時事的なコンテン
ツもタイムリーに取り込むことができる。その意味では、当時の
大森海岸あたりの町工場が、軍需景気にあおられて、急速
にふくれあがってゆくありさまを獅子さんは見たいと言った。
増産運動や戦争未亡人問題に対応するにはもっともふさわしいジャ
「虹の工場」の場合は、物語の主要モチーフは大企業(製造業)
いがたいのだ。
が進んで内面化するように意思もしくは強要するテクストとは言
ないことがわかる。すくなくともこれらは、国策の方向性、読者
今日的な意識で見るところのストレートな国策称揚とはいいきれ
しかしながらその内容をみると、実際にはいずれのテクストも、
ンルといえるだろう。
昭和十四年の秋であった (中略)。
この新年号から、竹田敏彦さんの『若い未亡人』の連載が
いっしょにはじまっている。
戦争未亡人や、又、留守宅の貞操問題が、軍官の頭を悩ま
す重大問題になっていた。
『若い未亡人』は、こういう要求に応じるような意味で起
された長編小説であった。『虹の工場』にも、増産運動の一
助という圧力が、重く圧しかぶさっていた。
の創業者の御落胤騒動の絡む若い男女の恋愛であり、増産運動は
して用いられているにすぎない。工場労働者(中小企業の職工)
信州出身の若い工員とカフェの女給が東京で出会うための背景と
のは、この獅子文六「虹の工場」と竹田敏彦「若い未亡人」の二
は、大工場経営者(アッパーミドルの富裕層)や街の小悪党など
『ひとつの文壇史』で時局への協力として作品名が明示される
作品だけであり、時局協力に踏み込まざるを得なかった彼の編集
2
トーリーの中ではそれほど重要な機能は果たしていない。
と対比してその 〝健全性が強調されるが、増産運動そのものはス
中では最大限強調され、その延長線上で、未亡人による喫茶店の
る「軍人救援」政策が内包していた未亡人の人権擁護志向が作品
の実現など、当時の
大衆のうちに根強かった家制度的なジェンダーからすれば過剰な
共同経営プラン、互助住宅(シェアハウス)
題とは、日中戟争が膠着状態となる中で、戦死者の増加とともに
までに進歩的なメッセージが発せられるのだ。そして戦争未亡人
竹田敏彦「若い未亡人」の場合はさらに複雑である。未亡人問
社会問題として浮上してきた戦争未亡人ならびに子(戟死者の単
の再婚の是非に関しては、テクストは肯定とも否定ともつかず、
の生活補償問題であり、具体的には戟死者の妻の扶助料
婚家族)
読者の願望に応じて答えが変わるような多義的な仕掛けを施して
にすらその両者が葛藤的に存在していた。これにフェミニスト、
までのさまざまの立場が並立し、国家の軍人援助政策自体のうち
確に解読するためには、現実レベルでの、戦争未亡人援護という
策同調″作品とよぶのはためらわれる。むしろこのテクストを正
以上のようなテクストの内実を見るかぎり、これを単純な〝国
いる。
受給権および未亡人の再婚問題を指している。
法律学者などの未亡人の人権への擁護的論陣が加わり、片や社会
当時の社会政策の窄む多義性と社会通念との緊張関係、そしてそ
〝通俗小説の文法″という二側面への検討
当時、戦争未亡人の人権に関しては、その積極的擁護から抑圧
に根を張った家制度的な規範意識がこれに対立し、また都会と農
の表象化のレベルでの
る。そして国家がそのような女性の権利について関心を払いそれ
(生存権) であり、具体的には扶助料受給権および再婚問題であ
先に触れたように、未亡人問題の核心は、未亡人の生活の確保
日中戦争期から太平洋戦争期の未亡人問題の実態
「若い未亡人」の検討を行うというのが、本稿の問題意識である。
が欠かせないことがわかるだろう。以下、このような立場から、
〝文法″-たとえば類型的
村部の経済状況の相異なども絡んで、この問題は社会的にもきわ
「若い未亡人」は、通俗小説固有の
な話型(死者への貞節、母の忍耐、美女の受難、放蕩者の悔悟等々)
とキャラクターーを用いながら、ストーリー展開における偶然性
によってキャラクター相互の関係性を巧みにスイッチングするこ
とで、未亡人問題をめぐるこれら社会の葛藤的・流動的な状況を
写し出すことに成功している。またそれにとどまらず、国家によ
3
めて錯綜した状況を呈していた。
1
を擁護しようとするのは、あくまでもそれが「前線兵士の士気」
この間題のより詳しい経過を時系列に沿って確認しておきたい。
会』(吉川弘文館、二〇〇四年)
一九三二年一月十八日、三宅やす子、急死。
一九三二年四月、三宅やす子「偽れる未亡人」
再婚をいやがる未亡人も多いことがわかる。
一九三七年五月、「財産があれば結婚はもういや」との声があり、
一九三七年、扶助料辞退者目立つ。[川口]p合
『婦人公論』[川口]pのり
での当該の記述を引きながら、
に直接関わる問題だからだ。他方、日本国家は国民の権利意識
への抑圧、戦争長期化に伴う国家負担軽減の見地から、未亡人に
の重視に向かう傾向
対する扶助料の支給のよりいっそうの充実よりは、むしろ「生業
援護」(職業教育等、未亡人の自活の援助)
も有している。これが国家の未亡人問題に対する、互いに背馳し
あう二つのポリシーである。
前者の思想(未亡人保護)は、恩給法が戦死者遺族の扶助料の
受給順位を「配偶者、未成年ノ子、父母、成年ノ子、祖父母ノ順
の間に根強い家制度的な心性との強い葛藤を招くことになった。
の財産相続における戸主権の重視との明らかな不一致から、大衆
ますから、相当問題になりませう」と戦争の激化を予測。また未
一九三七年十月、金子しげり「これからは未亡人がどっさり出来
一九三七年、戦死した大尉夫人、後追いの投身自殺。[川口]p詔
「生理と生活の悩みを語る未亡人の座談会」『婦人公論』p→N
具体的には、嫁に扶助料がわたることへの戦死者の父母(=未亡
亡人の扶助料目当ての殺人、誘拐、結婚詐欺などの増加につい
位」にした点によく反映されている。しかしながらこれは、民法
人の義父母)の強い不満であり、これが扶助料の受給をめぐって
て「銃後の婦人心得」としての「風紀の粛正」を説いた。
一九三八年五月以降、政府、遺族間の恩給扶助料の所有をめぐる
一九三八年四月、恩給法改正。[川口]p芦金
「若き未亡人のために」『中央公論』[川口]p∽○
一九三七年十二月、森田たま、男性中心の法律の不備を突く。
「女性の社会時評座談会」『女性展望』[川口]p→N
頻発する嫁と義父母とのトラブルにつながっていくことになる。
一方未亡人の再婚については、これが前線兵士の士気に関わる
かどうかは一律には判断できないにもかかわらず、改正恩給法
(一九三八)には再婚禁止の意図がはっきりと感じられる。
以下、川口恵美子『戦争未亡人被害と加害のはぎまで』(ドメ
ス出版、二〇〇三年)および一ノ瀬俊也『近代日本の徴兵制と社
4
*
発生防止を喫緊の課題として、軍事援護相談所を設立、達家族の
遺族の紛争の多発に対し、前線兵士の士気低下をおそれ、紛争の
*未亡人自身による最初の相互扶助的な「未亡人会」といえる。
名汚すまじ」
一九三八年十一月十七日、「靖国の家の会」に言及する。「英霊の
一九三八年十一月、女性弁護士、はじめて登場。[川口]pg
『東京朝日新聞』[川口]p∃
*この時期の国家の方針としては、国家の援護・恩典に対する国
*後者については、財政負担を増加させまいとする政府の意図が
補導事業を実施させる。〓ノ瀬]pN声N00∽
族指導嘱託を設置させる。また助成金を交付して戦死者遺族職業
一九三九年度以降、政府は道府県に経費を補助して女性の遺族家
[川口]p遥
相談全般にあたらせる。[一ノ瀬]p当A
民の側の権利意識への抑圧、戦争長期化に伴う国家負担軽減の見
〓ノ瀬]pN謡
地からの「生業援護」の重視などのさまざまな方向性があった。
「軍事援護相談所委員参考書」によれば、妻が扶助料受給順位
一位である理由は、未亡人が「遺児の扶養」および「英霊の祭祀」
一九三九年三月十六日「人事調停法」(家庭欄)『東京朝日新聞』、
あった。
は、事実上未亡人の再婚の禁止および「家門の維持」の義務化に
扶助料受給をめぐる嫁と義父母の争いとその調停について解説す
に専念できる経済的環境の整備にあった。しかし「英霊の祭祀」
つながり、妻の受給資格はあくまでも彼女が戦没者の籍にとどまっ
る。概して「人事調停法」は嫁の立場に同情的な法律だった。
一九三九年七月、吉屋信子「未亡人」、『主婦之友』で連載開始
[川口]p金
ていることが条件となっていた。〓ノ瀬]pp当→-当00
一九三八年九月、菊池寛「日本の妻」『主婦之友』で殉死を夫婦
愛の局地ととらえながらも、「凡ての戟死将兵の未亡人が良人に
(∼一九四〇年十二月)。
一九三九年七月、軍事保護院、文部省と協力して、戦没者寡婦特
殉じたとしたら、国家として由々しき大事」として現実的対応を
要望。[川口]p遥
設中等教員養成所を東京女子高等師範学校に併設する。
が多く、38年の改正恩給法に従う嫁は、「心得違いの嫁」と言わ
一九三九年七月、農村部の軍人未亡人に扶助料受給をめぐる争い
*殉死の件数は実際には少なかったにもかかわらず、これを取り
上げる言説は多かった。また恩給法の改正は、実質的に未亡人の
再婚を禁止する新たな倫理を生み出した。[川口]p→ふ
5
「戦没勇士の遺族をめぐる座談会」『家の光』[川口]p5∵金
れ除籍されかねないとの発言。
一九三九年七月二十九日「人事調停一ケ月の現象」『東京朝日新
一九四〇年五月二十六日、吉岡弥生、未亡人問題を経済的にゆと
りのある階層と困窮層に区別(前者の有閑夫人化など)し、いず
れの階層も未亡人の心細さが「風紀問題」を招くと指摘。
一九四〇年七月、出征道家族相談員、とくに農村部における未亡
「遺族の援護-問題はこれから」『婦女新聞』[川口]p宗
調停法の女性の権利保護上の効果を報道する。[川口]p金
聞』が、人事調停法への申し立ては女性が多いことを指摘、人事
一九三九年十月、竹田敏彦「若い未亡人」『日の出』、掲載開始
おおよその流れとして、まず都市部知識人階層の三宅やす子に
を設立。[一ノ瀬]ppN芦諾∽
一九四二年四月、、軍人援護会、東京に軍人遺族東京職業補導所
「達家族相談員の座談会」『婦人倶楽部』[川口]p遥
人に対する周囲のねたみや中傷の多さを語る。
(∼一九四〇年十二月)。
一九三九年十月、菊池寛「未亡人の再婚の問題」『主婦之友』で、
戦死者の未亡人は、国家のために犠牲になった夫のためにも事変
紀元二六〇〇年記念全国軍人援護事業大会で、戦争の長期化とと
ょる未亡人の再婚への問題提起に始まり、この間未亡人の性や再
中は絶対に再婚すべきでないと発言。[川口]p記
もに各府県の達家族に対する授産事業の限界が指摘され、政府に
クアップもあって、次第に嫁の権利意識の伸張が見られた結果、
しかし一九三八年の恩給法改正以後、軍事援護相談所などのバッ
そういった中での権利意識はなかなか育ちにくかった。
ても「隙を見せる方が悪い」といった非難を浴びることが多く、
しげりの発言にも見られるように、未亡人たちは犯罪被害者であっ
い込まれていったという[川口]p記。全体に一九三七年の金子
産権にまでは及ばず、現実には未亡人たちは日常生活の困窮に追
婚に着目するさまざまな議論が巻き起こったが未亡人の人権や財
「誘惑を警戒して強く生き抜け」『主婦之友』[川口]p遥
勧める一方、カフェなどは避けるよう助言する。
一九四〇年五月、出征達家族指導員、未亡人に仕事を持つことを
「兵隊より銃後婦人へ」『家庭』[川口]p∞-
一九四〇年四月、出征兵士が銃後の妻の貞操への不安をほのめか
〓ノ瀬]pN∞A
対し国立職業補導所、母子寮等の設立が求められる。
す。
6
これが特に農村部の家父長制的規範意識と乳轢を生じ扶助料をめ
ぐる紛争の増加に結びついたと考えられる。ただし一ノ瀬が指摘
するように、妻が亡き夫の同一戸籍にとどまっていることが受給
の条件であることが逆に足蜘となり、義父母に対して権利を強く
主張した嫁に対しては義父母による除籍という強硬手段がとられ
ることもままあった。このため受給権については双方が法律に訴
てゆく緩やかな構成を取っている。
以下、彼女たちの境遇からはじまり、次々に直面する困難等に
ついて箇条書きで示しながら考察を加えたい。
まず物語発足時の彼女たちの、いわば初期設定としての、配偶
者と家族関係は以下の通りである。
江原美奈子‥高級船員の未亡人、子どもなし。山脇女学校卒。東
京在。単婚。夫は東洋商船欧州行路の豪華客船事務長。スマト
えることをきらい、嫁も受給を権利としてではなく義父母にお伺
いを立てるといった及び腰の交渉も多く、泣き寝入りも相当あっ
ラ島沖でのアメリカ客船との衝突事故で殉職。旧姓木暮。
北川春代‥応召軍人の未亡人、男児一人。山脇女学校卒。東京在。
たと考えられる。特に農村部での事情の一端は、さきの『家の光』
このような複雑な状況が、「若い未亡人」連載時の背景であっ
誌の座談会などからも伺うことができる。
スター選手。事変で歩兵伍長として応召、南京入城直前に決死
義母と同居。夫は日本電気社員で元早大野球部所属の六大学の
部隊員として戦死。美奈子の親友。
(アマチュア画家)の未亡人。女児一人。
夫の病死後、彼女の除籍と孫の親権を要求してきた義父母から
三橋朱実‥サラリーマン
当時の未亡人問題における錯綜した状況に対し、テクストは、
子を連れて逃れ、東京でカフェの女給をしている。夫ともども
竹田敏彦「若い未亡人」における未亡人表象の様態
一人の主人公に焦点化するのではなく、三人の若い美貌の未亡人
水戸出身。
だし美奈子の場合、船客すべてを救おうとした夫の殉職が、テク
一見して明らかだが、実は軍人の未亡人は春代だけである。た
を登場させて未亡人問題のヴァリエーションを提示するという手
法を選択している。そしてストーリーは、物語冒頭で突然未亡人
となった江原美奈子を起点とし、美奈子-春代の友人関係を基軸
にしたストーリー展開に即応して、三人がその折々に焦点化され
7
た。
2
れることで、美奈子は読者の意識のうちで軍人未亡人に準ずる存
スト中で再三にわたって「旅順閉塞決死隊の広瀬中佐」に擬せら
戦没者寡婦特設中等教員養成所の入所試験に見事合格し女学校教
あって、しかもこれは彼女が東京女子高等師範学校に新設された
らの庇護も厚く、降りかかる困難も基本的に金銭レベルの問題で
に暮らす、東京の中産階層の未亡人である。亡夫の部隊長夫人か
諭の職を得ることの伏線として機能している。職業と家事育児の
霊の祭祀」には縛られない民間人の未亡人だが、そのメンタリティ
は軍人未亡人にきわめて近いという二重性をもつ。分析は後に譲
両立も、義兄による資産運用の失敗に責任を感じた義母が全面的
在として扱われることになる。すなわち美奈子は法的立場は「英
るが、これは通俗小説の"時局同調"を考える上で見逃せない戦
に彼女をバックアップすることで円満に解決する。すなわち「若
〝助言者″、〝贈与者″ としてふる
にある。なお春代の場合は、子どもがいる上に、経済的な不安も
まうことで、職業婦人に対する読者の好感を引き出すような位置
として、あとの二人に対する
むしろ未亡人の自活への後押しとして機能し、その後の彼女は主
い未亡人」にあっては、招集軍人の妻のケースでは葛藤的要素は
略といえる。
次に三人が直面した困難であるが、それは以下のようにまとめ
られる。
美奈子‥義父母との殉難手当争い。実兄木暮一夫による殉難手当
狙い。義弟の横恋慕。
すぐに解消に向かうため、物語内では最初から再婚という選択肢
は存在しない。この結果、改正恩給法が内包していた「英霊の祭
春代‥義兄に預けた扶助料(および子どもの学資)運用の破綻、
義兄の破産と失踪。それによる経済的不安。義兄の長男の引き
に美奈子の場合、軍事援護相談所が数多く扱った未亡人の扶助料
れた主人公たちだ。しかしながら彼女たちの直面する困難は、特
て、表面的には軍人の未亡人問題という執筆時の要請からははず
それに対し美奈子と朱実は、それぞれの夫は事故死、病死であっ
といえる。
祀」に関する葛藤は、春代の物語からは周到に遠ざけられている
による義父母からの結婚反対。
取り要請。職業訓練期間における家事育児との両立。
夫の死。実家の没落。養育権の危機。経済的困窮。カフェーで
朱実‥職業差別(実家が高級料亭)
の客の誘惑。度重なる求婚。
基本的に春代は、国家より十分な遺族扶助を受け義母とも円満
8
受給トラブルのケースとはとんど同一といっていい。また朱実の
・周囲の説得で義父母との別居を決意。はっきりとは書かれてい
・美奈子、実兄の親友の助力で亡夫の勤務会社に勤務することと
ないが、殉難手当は全額義父母に渡した模様。
(これは国
のに対し、現実
自殺未遂(=良人への忠誠心の象徴)。
・義父母から家名を汚したと罵られ、自発的離籍を強要されて、
が義弟が負傷。
・義弟によるレイプ未遂に対して、彼を突き飛ばして難を逃れる
悪に。
・義弟、美奈子との再婚を両親に依栽。美奈子断り、義父母と険
義弟の横恋慕
れる。1Aへ
しかしこれにより美奈子の朱実への信頼と寡婦同士の共感が生ま
・兄からの喫茶店出資への勧誘1朱実が辞退したため、自然消滅。
見のため、兄を見直す。
・春代からの殉難手当を大切にしろという助言1兄の意見と同意
しむ。
・義父母への殉難手当贈与の決心1兄からの猛反対1板挟みで苦
実兄による殉難手当狙い
で彼を愛している自分に気づく。
なり、その後彼から求婚された美奈子は、周囲の説得と祝福の中
抱える経済的不如意の中での子供の養育と、義父母との親権争い
家の軍人援助のポ〃シーとまったく矛盾しない)
われつつおおむね順風満帆に有職婦人として船出する
つまりこのテクストは、作中の軍人未亡人が周囲から敬意を払
重要なファクターといえる。
という母性規範に絡むトラブルも、戦争未亡人の再婚問題に絡む
B
C
社会で軍人未亡人たちが置かれていた境遇は、俸給生活者の未亡
次に、美奈子と朱実を中心とするストーリー展開をみてみよう。
人たちによって体現されるという構造をもっているといえる。
■美奈子
殉難手当の受給権争い
・信州在の義父母との同居に固執1義父母からの殉難手当受け取
り人名義変更の強要。1Bへ
・実兄の殉難手当受領者変更承諾書の偽造で、兄は義父母から訴
えられ拘留され、自身も東京の警察署で事情聴取を受ける。
・義父母宅に戻り、訴えを取り下げてもらうために、実兄が殉難
手当を入金してくれた自分名義の預金通帳を義父母に渡す(法律
的無知)。1Cへ
9
A
・土地の警察署長に保護され、義父母一家の殉難手当目当ての嫁
春代との友情の機縁となり、二人との親身の交際が始まる。
のために完全に空中分解。しかしこれは、一夫の同情と美奈子・
うまくいかない。
・義父(地方の専門学校長)
1病人(春代の義兄)、中国で成功して帰国。春代に負債を返却
気持ちが折れてきている。
・義母が病気で孫の面倒が見られず、義父母とも孫への不偶さで
三人の未亡人は、共同して新居を購入し同居して助け合う。
・春代の後援者の部隊長夫人の紹介で東京郊外の幼稚園の教諭に。
いる。
物という疑惑を抱き、春代に話すが、病人はすでに引っ越しして
1病人の写真の子どもと、春代宅に引き取られた子どもが同一人
護に専心し、快癒させる。
1派出婦として、身寄りのない病人(春代の失踪した義兄)
わしい職業として東京で派出婦になる。
の対面を付度し、教職者の嫁にふさ
宅に戻り有力者(松野)を立てて粘り強い親権奪還交渉を行うが、
・嫁と認めてもらいたい一心でカフェをやめ、破産した実家の兄
・入院した子どもを、義父と弁護士によってむりやり連れ去られ
義父母との親権争い・子の奪還
いびりが町中に露見。署長、実兄に殉難手当争いは訴訟すれば折
半で収めることが可能と助言する。1Aへ
美奈子は、亡き夫への固着を義父母に転嫁して行動する、いわ
ば世間の家制度的な建前的規範の体現者として初期設定されてい
る。これは実際には国家の軍人援護事業のポリシー(恩給法に定
められた扶助料の受給順位)とは逆を行くものであり、実兄らは
必然的に美奈子に対し合理主義的スタンス (気持ちとは別に、金
によるト
銭は未亡人の生活のために決定的に重要である)から助言する役
まわりとなる。ちなみに彼らの論理は、「人事調停法」
ラブル裁定の方向性とはぼ一致している。
またここで、未亡人である春代が実兄の言を裏書きしている点
は重要であり、これによって美奈子(または彼女に感情移入する
読者)は、自らが内面化している亡夫への貞節という家制度規範
を相対化するきっかけを得ることになる。
+朱実
A一夫からの喫茶店共同経営の勧誘
・子どもをとりもどすための義父母との闘争(含む子どもの病気)
の看
B
る。
10
し、朱実に求婚。
先に述べたように、朱実は作中では母性の体現者として表象さ
れている。子どもがまだいない美奈子と異なり、作中では朱実の
母性規範は相対化されることなく無傷の状態で保たれ、どのよう
な困難であってもそれに打ち勝つことが約束されている。これは、
前掲「軍事援護相談所委員参考書」での未亡人の「英霊の祭祀」
義務にみられる未亡人の権利制限、いわば国策の負の面に対応し
ているといえよう。
最後に、通俗小説の 〝文法″ に関連して、この三人の未亡人の
〝贈与者″としての春代と朱美に触れ
進路を交錯させるポイントの役目を果たす、一夫(美奈子の実兄)、
北川(春代の義兄)および
ておこう。
・欲得がらみの喫茶店投資話が、美奈子に朱実の人柄を知らしめ、
A一夫の介入
に対する固着を解消させる(離籍した美奈子
・美奈子の受難に関わるうちに次第に兄妹愛に目覚め、美奈子の
結果として三人の寡婦が結びつく。
義父母(=亡き夫)
への商船会社の事務職の紹介、結婚相手の紹介)。
春代(朱美への贈与者)
・決死隊勇士の未亡人と部隊長夫人の斡旋による「幼稚園保母」
という、義父に対するアピール効果抜群のポジションを朱美に提
・三人が職業婦人となった段階で、〓戸建てを新規に購入し、シェ
供する。
アハウスを始める。
朱実(春代・北川への贈与者)
・派出婦として、身寄りのない病人(春代の失踪した義兄北川)
の命を助ける。
1病人、中国で成功して帰国。春代に負債を返却する。
(D)北川の介入と贈与
・朱実と出会い、親身の看護に深く感謝する。
・商売に失敗し、春代の資産運用も破綻させて失踪。
・中国で成功して帰国後、春代に感謝して子どもを引き取る。ま
た朱実に求婚し、謝絶されたことでかえって彼女の母性に感動す
・朱実の義父に面会し、朱実の人格を説いて嫁としての帰宅の許
・朱実を通じて一夫とも友人に。
しを得る。
物語はこれらのポイントを介して、これまでの広がりをうまく
11
B
C
る。
回収しながら、結末へと着地する。これまで述べてきたように
〝国策同調″という目的を背負わされたこのテクストは、同時代
の軍人援護事業がもつ二面性-戦死者の遺族補償における未亡人
最優先原則と、未亡人への「英霊の祭祀」の義務化-を、〝通俗
小説の文法″に則って表象化し、相反するそれぞれに一定の支持
を与えることでそれにこたえていった。以下その部分について、
総括しておこう。
まず実社会の軍人未亡人の扶助料をめぐる過酷なトラブルとい
う現実は、先述したように、作中では春代ではなく美奈子が負う
というのが、このテクストの巧妙な仕掛けだった。軍人未亡人が
世間のリアルな現実に翻弄されれば、軍人援護事業の二つの相反
するポリシーが読者の前に露呈しかねない。時局に同調的な作品
を提供するという当初の目的から言えばそのようなリスクは避け
られなければならず、したがって春代は夫の身内との扶助料争い
という、当時の現実に即したアクチュアルな試練は免除され、職
業婦人となっても「立派に夫君の母堂と遺児を育てゝゐらつしや
る、模範の勇士未亡人」としてまわりからの敬意を受けることが
可能となった(そのいわば代理として、美奈子は現実の軍人未亡
人たちの窮状を体験することになる。)その結果テクストは、軍
人援護事業のうちの女性の権利をサポートするいわば先進的な部
分を無傷で温存しっつ、物語の論理(主人公の幸福)と現実の読
者たる職業婦人たちの願望にも沿うかたちで形象化できたといえ
それに対し美奈子の場合は、あとの二人と異なり子どもがいな
いため、「英霊の祭祀」義務が読者にとって国家による強圧とし
て捉えられる恐れがある。これは通俗小説にとっては致命的な、
であることを要請されているテクストに
換言すれば、テクストは物語を″国策同調"の線に沿って推進さ
表象していたため、読者にとっては盲点となっていた部分である。
な結論なのだが、これまでテクストが美奈子を準軍人寡婦として
殉職した社員の妻に支払われていたことを考えればまったく妥当
る(第十二回)。これはそもそも浩吉の殉難手当が東洋商船から
て、再婚までの期間中に年金の何割かを受給することを勧めてい
えることも可能であるため、美奈子には入籍のまま東京で別居し
らの扶助料目当ての嫁の離籍の場合は嫁が裁判所の人事調停に訴
した警察署長の一夫へのアドバイスが注目される。彼は義父母か
これについてはまず前段階として、自殺未遂した美奈子を保護
能なのだろうか。
とって、「英霊の祭把」義務を解除する論理はどのようにして可
かしながら〝国策同調″
読者から背を向けられかねないというリスクをはらんでいる。し
る。
12
的にこれは都市生活者のとくに女性の願望に沿った進歩的な意見
せてきた部分を、終末部に至って徐々に解除してゆくのだ。結果
て解放するための詭弁であることは明らかだろう。
り、これらの全体主義的言説が、美奈子を彼女自身の望みに向かっ
う、まさに通俗小説のコードに沿った前提を置いて解釈するかぎ
以上、紙幅を費やして通俗小説「若い未亡人」を、その同時代
であり、竹田の読者層を考える上でも興味深い。
そしてテクストは、美奈子の再婚を許可するための驚くべき論
理を用意する。
状況の取り込みと通俗小説的文法に則ったその転換のありようを
中心に検討してきた。このテクストは時局同調という『日の出』
ここまでテクストを強固に支配していた母性規範は、子どもの
いない美奈子を「愛児の慰めを知らぬ妻、良人のかたみに恵まれ
ていたといえよう。
未亡人の人権擁護という方向性に沿って配置する自由をまだ保っ
「改心する放蕩者」といった通俗小説のおなじみのモチーフをも、
四〇年の段階では、通俗小説は、未亡人相互のシスターフッドや
編集部の意図のもとに依頼されたと考えられるが、結果的に一九
〝亡き夫への愛と忠
ぬ未亡人-」として哀惜することで、一転して〝母性の回復手段
としての再婚″を提案するのである。それに
で対抗する美奈子に対して、「美奈子の場合、このまま過ご
(傍点根岸、以下同)」(一夫)、「あ
すことは、只自分の感情の満足だけのために、生命を空費するこ
とです。真に女の道でせうか
戦後、和田芳恵によって、国策に沿う小説-当時話題となって
いた戟争未亡人問題について当局の意に沿った作品1と位置づけ
なたは結婚を幸福の手段だと考へるから、自分で心に答めるので
す。良人を助けて世に奉仕し、お国に捧げる、女の大きな義務だ
的に一方向に収赦される段階には至っていなかった。そのため作
立と経済的補償をめぐる国家の方針も同時代の言説も、また強制
られた「若い未亡人」だが、実質的にこの時期には、未亡人の自
(一夫)という論理が彼女を屈服
と考へたら何う」(春代)、「そうです。その通りです。美奈子の
考へは余り個人主義的ですよ」
させる。
で、さまざまな通俗小説の文法を駆使して、おおむねの方向性は
品は、そのような揺れ動く同時代の未亡人対策に対応するかたち
と一見見分けがつかない。しかし、すでに自分に求婚する岡野の
微温的・妥協的ではあるものの、一部にはかなりの程度自由主義
むろんこれらの論理は、字面だけでは全体主義のイデオロギー
誠実さに惹かれ始めていた美奈子とそれをよく知る一夫たちとい
13
誠″
的な見解をメッセージとして取り込んでいるといえよう。
本稿では、通俗小説のテクストのもつ女性の人権に対する当時
としてはかなりの程度先進的な部分を、竹田敏彦の読者層の具体
的な調査によって関連づける作業がいささか手薄だった。同時代
の吉屋信子「未亡人」(『主婦之友』昭14・7∼15・12)との比較
作業もふくめて、通俗小説(現代小説)と時局の関連性を時系列
で追う作業を今後の課題としたい。
【注】
(1)久米勲「『毛並みがわるい、もの書き』の殆持」(和田芳恵『ひとつ
の文壇史』講談社文芸文庫、二〇〇八年)
(2)多くは、文芸性を期待される純文学系統の作家によるテクストがこ
れを担ったが、大衆小説(時代物)もしばしばこの文脈で取り入れられた。
ばしば指摘されている。また藤井忠俊は、『兵たちの戦争』(朝日新聞社、
敬〓桐『あの人は帰ってこなかった』(岩波新書、一九六四年)はかでし
で、応召した兵士が両親に宛てた手紙の「家族が此の問々に
なれば、俺は安心してご奉公ができるが、万一秋代(妻)を出すようなこ
二〇〇〇年)
とがあれば、保険金一千円と扶助料は秋代にやってくれ。秋代一代暮して
いる。p雷
立つようにして下され。兎に角円満にして下され」という〓即を紹介して
(6)平林たい子は、同年10月の「女性の社会時評座談会」で、一部メディ
アの動向-農村部での戦争未亡人たちの扶助料辞退の動向を「気丈の妻」
いる。なおこの時期の彼女たちの扶助料辞退は、扶助料受給を慈善的施し
「健気な貞女」と誉めたたえ「出征美談」に仕立て上げる-を、批判して
と考え、これを受けることを屈辱とする意識からきているとされる。[川
(7)逸見勝亮「戦没者寡婦特設教員養成所の設立」『北海道大学教育学
口]p会
とともに、昭和一三年には前線の軍人から妻の貞操について警察に照会が
に入ってから、応召家族を狙った性犯罪を含むさまざまな犯罪が多発する
部紀要』錮、二〇〇〇年)には、『秋田警察史』によれば昭和一二年八月
ぐって」(『岐阜大学国語国文学』第三九号、二〇三一年三月)参照。
あったことが報告され、以降風紀問題が増加し、帰還軍人が増加した一五
(3)根岸泰子「戦時統制下のアジールー堤千代『小指』の特異性をめ
(4)実際には昭和一五年一〇月からの掲載である。なお作者の竹田敏彦
して妻に有利になっていたという。[川口]p怠
に出生した子の一次賜金・扶助料の受給権など、民法上の財産相続に比較
(8)川口の叙述によれば、この改正では、内縁の妻の権利や本人戦死後
痛ましい事例がみられたという。
年には住居侵入などは減ったものの姦通の告訴、嬰児殺し、堕胎といった
は、新国劇の文芸部長を退職後に『講談倶楽部』での実話ものの書き手と
して出発し、一九三七年頃から新聞や大衆雑誌などのメディアで通俗小説
の流行作家となっている。萱原宏一『私の大衆文壇史』青蛙房、一九七二
年参照。
(5)家族を残してきた兵士たちのもっとも強い関心事が、自己の不在時、
あるいは戦死したときの妻子の経済補償にあったことは、大卒羅良・菊池
14
(18)北川が朱美のために親権回復交渉を行う場面で、春代をカフェの女
である。
給と誤解された松野のセリフ「こちらのお菰配さんといふのは、江陰砲台
タイトルからは、未亡人の性をめぐる当時の世間の批判や危惧に対
(10)戦没軍人・軍属の未亡人のうち、中等学校助教員を志望する者のた
する未亡人の側からの自己規制的な「風紀の粛正」の意識か感じ取れる。
の攻略戦に、決死隊員として名誉の戦死をされた北川軍曹の奥様で、目下
(9)
めの施設。奥田環「東京特設中等教員養成所と貞秀寮‥戦時下の母子支援」
「松下少将の奥様が、
(19)美奈子がそこから救われるのは、夫の実家の現状に照らして「英霊
をつく義父喬太郎のシーン参照(最終回)。
れらに対して威儀を正し「失礼を申し上げて、何とも相済みません」と手
のお世話で保母として、郊外の幼稚園に勤めていらつしやいます」と、そ
義妹からいろいろと朱美さんの話を聞かれ、ことのはか感心なすつて、そ
つしやる、模範の勇士未亡人ですぞ」および北川の
渋谷の昭和女学校に教鞭をとつて、立派に夫君の母堂と遺児を育てゝゐら
(家庭欄)
たとえば大牟羅良・菊地敬一編『あの人は帰ってこなかった』岩波
「人事調停法」
(14)「よく言ってくれました……お揺さんも、あんたの、その心に励ま
の祭祀」に固執し続けることの無意味さを悟ったからで、それは合理的行
『東京朝日
『お茶の水女子大学人文科学研究』二〇〇七・三
(u)
(12)[一ノ瀬]pp.N宗∼N00∽の事例参照。
新書、一九六四年、pp∽-∼∽∽。
(13)前掲一九三九年三月十六日の
されて、ただは遊んでをりません。きつと年寄相当の手伝ひをして、一緒
と読め、この点は家父長制的モラルとの妥協とみなすべきだろう。
動と言える。しかし殉難手当に関しては現実のケース同様に放棄している
新聞』の紹介する戦争未亡人の迫害されたケースに酷似している。
に家を守らせてもらひます」(第9回)
(20)編集者として竹田をよく知る和田芳恵は「現代小説」(『大衆文学大
(15)会社からの殉難手当一五、000円は、一時金五、000円、年金
が年一、000円で十年間支給されるという設定。この金額は、「軍人恩
系別巻
で、竹田の作品は「女性勤労者、
給」での戦死者に対する特別賜金の大将で九、000円、一等兵で一、五
職業婦人といった階層に絶対の人気をもって迎えられた」と述べている。
同様に萱原宏一は竹田の読者層を「看護婦、女工、女教師といった階層の
「お舅姑さん達はいゝお方でせうけれど、お金だけは、ちやんと自
女性」と述べ、女性の読者が多かったことを示唆している(前掲書)。
通史・資料し講談社、一九八〇)
〇〇円に比較して破格といえる。
分のものにして置かないと駄目よ」「その当座はお金のことなんか、問題
の成果である。
※本論考は、平成二五∼二七年度科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究)
にするのも、汚らはしいやうで味気ないけれど、でも、それはほんの一時
ら-」
の感傷よ。私は、故人の霊の籠もつたお金は、やはり故人の愛情の一部だ
によるトラブル裁定とはぼ同様のアドバイス
よる研究「戦時下文学史の再編成に向けて-階層性とジェンダーの観点か
これは「人事調停法」
15
と考えてゐますの」(第三回)
に
(16)
(17)