フィルハーモニー9月号(PDF)

90 年の
「ありがとう」
N響
2016 年10月5日、
NHK交響楽団は創立 90周年を迎えます
「新交響楽団」の名で活動を開始した40数名の小オーケストラは、戦中、戦後の困難も乗り
越えて幾多の公演を重ね、今や100名以上のメンバーを擁し、世界でも屈指の演奏水準を誇
るシンフォニー・オーケストラに成長しました。
これは、いつの時代にあっても、私たちの演奏に愛情を持って耳を傾けてくださる素晴らしい
「聴き手」がいたからこそ実現したこと。定期会員をはじめホールに足をお運びくださる方々、ま
た放送を通じて演奏をお聴きいただいている皆様ひとりひとりの支えがあってこそ、私たちは真
摯に音楽に向き合い続けられています。その中で名マエストロたちとの歴史的な名演が、数多く
生まれました。
これまでのみなさまの N 響へのご愛顧に、心より感謝を申し上げます。
私たちは100周年に向かって、さらに豊かな音楽を奏でられるよう研鑽を積んでまいります。こ
れからもN 響の演奏をお楽しみください。
2016年9月 NHK 交響楽団 左 . 第1回定期公演
(1927年2月20日、日本青年館、指揮:近衛秀麿)
右 . ベンジャミン・ブリテン指揮・公開放送( 1956年 2月18日、旧 NHK ホール、テノール:ピーター・ピアーズ)
10
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
背筋美しい音楽に れる知性と昂揚
響首席指揮者が拓く巨大な未来
N
インタビューなどでお会いすると、音楽的
に踏み込んだ質問になるほど、その答えにも
熱がこもり、渋みある低声で言葉を探りなが
ら思考を拡げてゆくのが表情にも見える。そ
の知性から れるものをかたちにしてゆきな
がら、端々に閃くウィットと笑顔。N 響の新時
代を拓く知将パーヴォ・ヤルヴィは、世界の名
門楽団を数々指揮する多忙な日々のなか、
つねに音楽的な探究を貪 欲に進めながら、
来日のたびに洗練された酒 肴にも舌鼓をう
ち……人生を楽しみつつその足どりを崩さ
ない音楽家だ。
マエストロ・パーヴォの凄味は、オーケストラ
を奮い立たせながら姿勢の美しい音楽を魅
せ続ける、その鋭いバランス感覚にもある。
聴いていて存分に興奮させられながらも、な
るほど面白い! という発見も常に織り込まれ
ている。しかも、押さえるべきところを見事に
押さえてくれる満足もある。見事な音楽だ。
王道を確かに進むマエストロが、首席指
揮者として絆を深めゆくN 響との共演で楽
団から引き出し続けているものは、いつも期
待以上に大きい。ときに野性的なまなざしで
文 ◎山 野 雄 大
©Kaupo Kikkas
音楽を駆り立てるかと思えば、ぴたりと揺る
がない眼力が、オーケストラを輪郭鮮やかに
まとめあげながら、その芯 の深いところに着
火する。 るのは彼ならずとも出来ることだ
が、パーヴォが指揮台に立つオーケストラは、
ただ情熱に火をつけられるだけではない。
Paavo Järv
今月のマエストロ
パーヴォ・ヤルヴィ
Paavo Järvi
PROGRAM A/B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
11
オーケストラの個性を指揮者自らの才気と深
録音。先ごろ音楽監督を勇退したパリ管弦
く共振させながら、両者が最も豊かな昂 揚
楽団とはビゼーやフォーレ、さらに現代のデュ
を抱きあう地平まで、知情をともに燃やし尽く
ティユーへ至るフランス音楽の精華を瑞々し
してゆくのだ。
く響かせながら、ラフマニノフやシベリウスな
どの(パーヴォいわく、楽団に先入観のない状態で
世界の名門楽団を磨いたパーヴォ、
いまN響をさらなる高みへ
演奏ができる)
レパートリーを録音するなど、安
定と挑戦のバランスも絶妙。かたや長年の
盟友ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽
やはりN 響でもおなじみの大家、父ネーメ
団とは、室内管弦楽団としての機動力を存
をはじめ、ヤルヴィ家からは3人の指揮者が
分に活かし、広義のピリオド・アプローチをと
世界の第一線で活躍している。次男クリス
りつつ、ベートーヴェンやシューマンなどしな
チャンも現代音楽を軸にユニークな個性を
やかで躍動感あふれる快演を繰り広げてきた
発揮しているが、とりわけ長男パーヴォの存
(目下ブラームス作品集の録音が進行中)。
在感は、世界のオーケストラ界の要所で鋭い
そのパーヴォが、首席指揮者着任に先駆
輝きを放っている。
けて N 響とスタートした録音プロジェクトが、
驚くほど精力的な活動のなか、古典から
リヒャルト・シュトラウスの交響詩チクルスだっ
現代作品まで広大なレパートリーを深く鋭く
た。ドイツ音楽の爛熟を究めた巨人がオーケ
研究し続けるパーヴォは、これまでも世界の
ストラの表現力を卓抜に魅せる作品群を、ド
優れた( 持ち味の全く異なる)
オーケストラで重
イツの楽団との共演ではなく、N 響と共に録
要なポストを兼任してきた。彼の巧みさはま
音へ残してゆくという決断は、パーヴォがこ
た、自身のレパートリーをそれぞれの楽団が
の楽団に寄せる堅い信頼を物語っているだ
持つ特長に合わせながら体系的にレコー
ろう。長年ドイツの名匠たちに鍛え磨かれ、
ディングしていることにも現れている。hr 交
デュトワ時代以降さらに洗練された表現力
響楽団とはブルックナーやマーラーで巨大な
が、重厚にして色彩緻 密なオーケストラを世
音響をきっちりと響かせ、北欧の鬼才ニルセ
界クラスへ引き上げてきたいま、パーヴォと共
ンの交響曲全集でも目覚ましい成果を挙げ
に見据える先は高く、奥深い。
た。シンシナティ交響楽団とは、その機能美
を生かしてストラヴィンスキーなど華やかな
作品を(マルティヌーなど渋い傑作を織り交ぜつつ)
Paavo Järv
12
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
vi
緻密と巨大と
──多彩な選曲にコンビの未来が拓かれる
クトの独奏でモーツァルトの名品《ピアノ協奏
曲第27番》
と併せて、ブルックナー初期の意
欲作《交響曲第2番》
を鋭く魅せてくれるのも
9月の来 演でパーヴォはまず「N 響90周
楽しみだ。C プログラムでは、辣腕マツーエ
年記念特別演奏会」の指揮台に立つ。マー
フの独奏でプロコフィエフの才気鋭く冴えた
ラーの《交響曲第8番「一千人の交響曲」》
《ピアノ協奏曲第2番》
に、ラフマニノフの《交
が轟かせる歓喜の大 伽 藍、その巨大さを緻
響曲第3番》
(パーヴォ本人も熱愛する、作曲家の
密に描きうるコンビの総力を聴き手も全身
熟練を全て注いだ傑作だ )
とは期待大。10月に
で受けとめたい。定期公演では B プログラム
は「N 響90周年 & サントリーホール30周年」
で武満徹の繊細な音響宇宙を旅する一方、
の特別公演で、マーラーの《交響曲第3番》
ムソルグスキー作品を作曲家自身のオーケス
を指揮。自然へ、愛へと巨大な想念を深め
トレーションだけでなく、
リムスキー・コルサコ
拡げてゆく全6楽章、名演誕生の期待しか
フ編、有名なラヴェル編《展覧会の絵》
と絵
ない。
筆の描き分けを鮮やかに聴かせてくれるの
も秀逸な選曲。 A プログラムでは名手フォー
[やまの たけひろ/音楽評論家]
プロフィール
2015年9月に N 響の首席指揮者に就任したパーヴォ・ヤルヴィは、当時まだソ連に属していたエストニア共
和国の首都タリンで生まれた。父は N 響との共演もある名指揮者ネーメ・ヤルヴィである。タリンの音楽学校
で指揮と打楽器を学んだ後、渡米してカーティス音楽院で研鑽を積み、ロサンゼルス・フィルハーモニックの指
揮者コースではレナード・バーンスタインにも師事した。スウェーデンのマルメ交響楽団首席指揮者、ロイヤル・
、
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者、シンシナティ交響楽団音楽監督( 現桂冠音楽監督 )
hr 交響楽団(フランクフルト放送交響楽団 )首席指揮者( 現桂冠指揮者 )、パリ管弦楽団音楽監督などを歴任し、
現在ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督、エストニア国立交響楽団の芸術顧問を兼任、エス
トニア南海岸で毎年7月に開催されるパルヌ音楽祭とヤルヴィ・アカデミーの芸術顧問も務めている。また、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽
団をはじめとする欧米の名門オーケストラへの客演を重ねるなど、現代を代表する指揮者として世界を股にか
けて活躍している。表現力豊かな音楽性と抜群の指揮テクニックの持ち主であり、特にそれぞれの楽団の持
ち味を生かした音楽作りに定評があることから、今後の N 響との活動に大きな期待が寄せられている。
N 響ホームページでは、パーヴォ・ヤルヴィが9月定期の魅了を語るインタビュー動画をご覧いただけます。
PROGRAM A/B/C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
13
A
PROGRAM
第1842回 NHKホール
土 6:00pm
9/24 □
日 3:00pm
9/25 □
Concert No.1842 NHK Hall
September
24(Sat )6:00pm
25(Sun)3:00pm
[指揮]
パーヴォ・ヤルヴィ
[conductor]Paavo Järvi
[ピアノ]
ラルス・フォークト
[piano]Lars Vogt
[コンサートマスター]篠崎史紀
[concertmaster]Fuminori Maro Shinozaki
モーツァルト
ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595
[31′
]
Ⅰ アレグロ
Wolfgang Amadeus Mozart
(1756–1791)
Piano Concerto No.27
B-flat major K.595
Ⅱ ラルゲット
Ⅰ Allegro
Ⅲ アレグロ
Ⅱ Larghetto
Ⅲ Allegro
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
ブルックナー
]
交響曲 第2番 ハ短調[62′
Anton Bruckner (1824–1896)
Symphony No.2 c minor
Ⅰ モデラート
Ⅰ Moderato
Ⅱ アンダンテ、厳かに、いくぶん動きをもって
Ⅱ Andante. Feierlich, etwas bewegt
Ⅲ スケルツォ
:ほどよい速さで
Ⅲ Scherzo: Mäßig schnell
Ⅳ 終曲:より速く
Ⅳ Finale: Mehr schnell
14
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
Program A|SOLOIST
ラルス・フォークト
(ピアノ)
© Neda Navaee
ドイツ新世代のヴィルトゥオーソとして注目されたラルス・フォークトも40代
半ば。安定した技術と重量級のスケール感に加え、いよいよ成熟が期待さ
れる年代に入ってきた。
1970年デューレンに生まれ、ハノーファー音楽大学で、カール・ハインツ・
ケマーリングに師事。1990年のリーズ国際ピアノ・コンクールで第2位と
なるが、本選を指揮したサイモン・ラトルは第1位を強く主張。2003/04年
シーズンにはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代ピアニスト・イン・レジデンスにも招かれた。名だ
たる指揮者やオーケストラと共演を重ねる一方、室内楽にも情熱を注ぎ、1998年にはシュパヌンゲン
音楽祭を創設している。弾き振りを多く手がけるほか、2015年からロイヤル・ノーザン・シンフォニアの音
楽監督も務めている。2013年には母校ハノーファー音楽大学の教授に就任。
N 響とは1998年に初共演、定期公演には5度目の登場。今回は、モーツァルト最後のピアノ協奏
を演奏する。パーヴォ・ヤルヴィとは共演も多く、同曲は数年前に hr 交響楽団
(フラ
曲である《第27番》
ンクフルト放送交響楽団)
と録音もしている。
[青澤隆明/音楽評論家]
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
15
Program A
モーツァルト
ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595
モーツァルト
( 1756∼1791)の最後のピアノ協奏曲であり、亡くなる11か月前に完成され
た。その作曲時期と独特な澄み切った音調により、従来、作曲家の「晩年」
を象徴する作品
と見なされてきた。ウィーンの聴衆の支持を失い、経済的に苦しい生活を送る中での、死を
目前にした悟りきった情緒の込められた音楽、という理解である。
近年は、着手が 3 年ほど前にさかのぼるとする説が出され、そういう理解にも一定の距
離が置かれる傾向にある。とはいえ、この、奥深い叙情性を湛えた名曲に響き合う捉え方
であることは否定できないだろう。モーツァルトは、多大な足跡を残してきたジャンルの創作
を、その意味で、まさにふさわしい作品によって締めくくったのだった。
第1 楽章 アレグロ、変ロ長調、4/4 拍子。協奏曲風ソナタ形式。なだらかな旋律線の第
1主題は、管楽器のリズミックな合いの手が入ってくるところに特色があり、展開部では、そ
れら2つの要素がそれぞれ展開されて緊迫感を増していく。
第 2 楽章 ラルゲット、変ホ長調、2/2 拍子。3 部形式。冒頭、ピアノがソロで、しみじみと
した主要主題を提示し、オーケストラが強弱のニュアンスを豊かにつけて反復する。中間
部を経て、最後に冒頭主題が現れるところでは、ピアノのメロディに第 1ヴァイオリンとフルー
トの音色も重なり、とりわけ印象深い情景を作り出している。
第 3 楽章 アレグロ、変ロ長調、6/8 拍子。ロンド・ソナタ形式。冒頭にピアノが奏でるロン
と似ていること
ド主題は、この曲の9日後に完成された歌曲《「春へのあこがれ」K. 596》
が、よく指摘される。その飛び跳ねるような冒頭の音型が全体にわたって活用され、躍動
感に満ちたフィナーレとなっている。
[松田 聡]
作曲年代
1791年1月5日
初演
1791 年 3月4日、ウィーンにおいて、作曲者自身のピアノ独奏で
楽器編成
フルート1、オーボエ2 、
ファゴット2 、ホルン2 、弦楽、
ピアノ
・ソロ
16
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
Program A
ブルックナー
交響曲 第2番 ハ短調
ブルックナー( 1824∼1896)が交響曲の作曲に最初に取り組んだのは1863 年、39 歳の
ときである。この年に完成されたヘ短調の交響曲を嚆 矢として、ブルックナーは交響曲の
作曲家としての生涯の歩みを始める。
《第 2 番》の作曲が開始されたのは1871 年秋であるが、この創作開始に至る前史は重
要である。1860 年代に交響曲の創作を開始する前に、ブルックナーは3 曲のミサ曲を完成
を完成させ、
し、宗教音楽作曲家としての重要な足跡を残す。そしてその後、
《交響曲第 0 番》
この《交響曲第 2 番》の作曲に着手する。その際にブルックナーはこのハ短調の作品のほか
との関連も示している。
に、変ロ長調の交響曲のスケッチも進めており、それは、この《第 2 番》
とくにドイツ語圏では1870 年頃は伝統的な4 楽章構成の交響曲創作のいわばルネサン
スで、ソナタ形式を主要な構成原理とした創作は1870 年に完成したブルッフの《交響曲第
1番》にも見られ、ハプスブルク家支配下のボヘミアの作曲家ドヴォルザークが交響曲を手
がけるのも同じ時期である。
1870 年前後の時期のブルックナーはオルガン奏者として高く評価されており、1869 年に
はフランスのナンシーへ演奏旅行に赴き、1871 年はロンドンで演奏会を催す。ロンドンで
の演奏会はアルバート・ホールで行われたが、ここでのオルガン演奏に招 聘されたオースト
リアの演奏家はブルックナーが初めてであった。
ブルックナーのこの作品は、1871 年 10月11日に第 1 楽章の作曲を開始し、翌 1872 年 7
月8日にこの楽章が完成を見る。その後、中間楽章のスケルツォとアダージョの楽章が作曲
され、7月28日からフィナーレの第 4 楽章の作曲を開始する。フィナーレが完成を見るのは
1872年9月11日である。同年10月に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がこの交響曲を、
オットー・デッソフの指揮で試演する。このとき指揮者のデッソフは「長すぎる」
との感想を
述べており、ブルックナーはこの意見をもとに作品の短縮を試みる。なおこのデッソフは、ブ
を初演した指揮者でもある。
ラームスの《交響曲第1 番》
《交響曲第 2 番》は1873 年 10月26日、この時期に催されていたウィーン万国博覧会の
閉会式典においてブルックナー自身の指揮により初演され、ウィーンの大御所の批評家ハ
ンスリックから好意的な評価を得ることができた。この時に演奏されたのは第 1 稿に短縮や
さまざまな変更が施された楽譜で、1876 年 2月20日に再演された時も作品全般にわたっ
PROGRAM A
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
17
てさまざまな削除や変更が行われた。このような経緯からブルックナーは作品の大改訂を
行い、1877 年に第 2 稿が完成する。
第 1 稿と第 2 稿とでは、各楽章が大幅に短縮されているだけではなく、短縮に伴って表現
も変化している。これらの稿以外に楽譜の編集者はさらに手を加えており、この作品はそ
の真の姿を見極めるうえで混とんとした様相を呈している。しかし、この作品こそがブルック
ナーの交響曲の原点であったと言っても過言ではない。加えて、第 4 楽章にミサ曲からの
引用が行われている点も注目される。ブルックナーは上述のように、この作品を手がける前
に3 作のミサ曲を完成させている。
(キャラガンは他に
今回演奏されるキャラガン版は、第 2 稿に基づき校訂されたものである
第 1 稿の校訂も行っている)
。
第 1 楽章 モデラート、ハ短調、4/4 拍子。第 1 稿ではこの楽章は「アレグロ」であった。
ヴァイオリンとヴィオラの奏するトレモロにのってチェロの第 2 主題が朗々とした主題を提示し、
変ホ長調で叙情的な楽想である。
第 2 楽章 アンダンテ、厳かに、いくぶん動きをもって、変イ長調、4/4 拍子。第 1 稿では
であったが、第 2 稿では
第 2 楽章に「スケルツォ」の楽章が置かれ、第 3 楽章は「アダージョ」
楽章配列とテンポ表示を変更した。ホルンの奏するモノローグを思わせる表現は感動的で
ある。
第3 楽章 スケルツォ:ほどよい速さで、ハ短調、3/4 拍子。トリオ、ハ長調、3/4 拍子。決
然とした下行動機で力強く開始する。その後、急に音量を弱めて上行分散和音と音階上
昇し、対照的な主題となっている。トリオはハ長調で、ヴァイオリンが 5 度のトレモロを奏する
のを背景に、ヴィオラが伸びやかな主題を提示する。
第 4 楽章 終曲:より速く、ハ短調、2/2 拍子。第 2ヴァイオリンが第 1 楽章の第 1 主題の
縮小形を弱音で奏するなかで、第1ヴァイオリンが下行音階動機、ヴィオラがそれに対して
上行音階動機を提示する。静寂のなかから開始し、湧き上がるように高揚するブルックナー
の表現がよく表されている。この楽章では《ミサ曲第 3 番ヘ短調》からの引用が挿入され、
静寂の中で奏される祈りの響きは強い内省的な表現に満ちている。
[西原 稔]
作曲年代
1871年秋∼1872年9月11日
(第1稿)
、1873年
(改訂)
、1876年
(改訂)
、1877年
(第2稿)
初演
1873 年 10月26日、作曲者自身の指揮、ウィーンにて。第 2 稿の初演は1894 年 11月25日、ハンス・
リヒター指揮、ウィーンにて
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、ティンパニ1、
弦楽
18
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
B
PROGRAM
第1841回 サントリーホール
水 7:00pm
9/14 □
木 7:00pm
9/15 □
Concert No.1841 Suntory Hall
September
14 (Wed)7:00pm
15 (Thu) 7:00pm
[指揮]
パーヴォ・ヤルヴィ
[conductor]Paavo Järvi
[コンサートマスター]篠崎史紀
[concertmaster]Fuminori Maro Shinozaki
ムソルグスキー
Modest Mussorgsky (1839–1881)
交響詩「はげ山の一夜」
(原典版「聖ヨハ “Une nuit sur le mont Chauve”,
ネ祭のはげ山の一夜」
sym. poem (Original Version“Nuit de
[
)13′
]
la Saint-Jean sur le mont Chauve”)
武満 徹
[14′
]
ア・ウェイ・ア・ローン II(1981)
Toru Takemitsu (1930–1996)
A Way a Lone II (1981)
武満 徹
[12′
]
ハウ・スロー・ザ・ウィンド(1991)
Toru Takemitsu
How slow the Wind (1991)
・・・・休憩・・・・
ムソルグスキー
(リムスキー・コルサコフ編)
歌劇「ホヴァンシチナ」─第4幕
第2場への間奏曲
]
「ゴリツィン公の流刑」
[5 ′
PROGRAM B
・・・・intermission・・・・
Modest Mussorgsky / Nikolai
Rimsky-Korsakov (1844–1908)
“Khovanstchina”, opera
– Entr’
acte to Act IV, Scene 2
“Prince Galitzin’
s Journey into
Exile”
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
19
ムソルグスキー
(ラヴェル編)
]
組曲「展覧会の絵」
[33′
プロムナード
Ⅰ ノーム
プロムナード
Ⅱ 古い城
プロムナード
Ⅲ チュイルリーの庭
Ⅳ ブィドロ
プロムナード
Ⅴ 卵のからをつけたひなの踊り
Ⅵ サミュエル・ゴールデンベルクとシュミイレ
Ⅶ リモージュの市場
Ⅷ カタコンブ
Ⅸ バーバ・ヤガーの小屋
Ⅹ キエフの大きな門
20
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
Modest Mussorgsky /
Maurice Ravel (1875-1937)
“Tableaux d’
une exposition”, suite
Promenade
Ⅰ Gnomus
Promenade
Ⅱ Il vecchio castello
Promenade
Ⅲ Tuileries
Ⅳ Bydło
Promenade
Ⅴ Ballet de poussins dans leurs coques
Ⅵ Samuel Goldenberg et Schmuyle
Ⅶ“ Limoges”, le marché
Ⅷ Catacombae
Ⅸ La cacabane de la Baba Yaga
Ⅹ La porte des Bohatyrs de Kiew
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
Program B
ムソルグスキー
交響詩「はげ山の一夜」
(原典版「聖ヨハネ祭のはげ山の一夜」)
1881 年、ムソルグスキー( 1839∼1881)が 42 年の短い生涯を閉じた時、友人のリムス
キー・コルサコフが未完のまま残された遺稿から演奏可能なヴァージョンを作成し、多くの
作品を紹介した功績はよく知られている。その献身的な態度には敬意を表するが、今日の
目から見て、彼の整理作業がムソルグスキーの独創性を覆い隠してしまった点は見逃すべ
きではないだろう。
《はげ山の一夜》の場合、作曲者が生前すでに作品を完成していただ
けでなく、その後、いくつかの異稿を作ったこともあって問題は錯綜している。
ムソルグスキーによる原典版のタイトルは《聖ヨハネ祭のはげ山の一夜》
であり、
「聖ヨハ
ネ祭」
( 夏至の夜)には魔物たちが集まって
宴をする、というロシア民話に基づく標題を
持つ。まさに聖ヨハネ祭の前夜にあたる1867 年 6月23日に完成されたが、バラキレフを含
む「五人組」から酷評され、生前には演奏されずに終わった。その後、ムソルグスキーがオ
( 未完)
に転用するために独唱と
ペラ・バレエ《ムラーダ》
( 共作)やオペラ《ソロチンスクの市 》
合唱を加えた異稿を作る際、オペラの筋にしたがって標題も変更した。原典版のエンディ
ングは魔女たちの大騒ぎで終わるが、オペラ用に書き直された異稿(リムスキー版もこれに基
づいている)
では、朝の訪れと共に魔物たちが静かに退散していく。
原典版は大きく4つの部分に分けられ、自由奔放な音楽の理解を助けるため、ムソルグ
スキー自身による次のサブタイトルが付けられている。
「魔女たちの集会/サタンの行列/
黒ミサ/シャバシ(サバト、魔女たちの夜宴 )」。標題にはベルリオーズ《幻想交響曲》やリスト
《死の舞踏》の影響が反映されているが、野趣満々の管弦楽法や調性を大胆に逸脱した
和声法は、むしろストラヴィンスキーの初期バレエの世界を予告している。
[千葉 潤]
作曲年代
1867年6月
(原典版)
初演
1972 年、デーヴィッド・ロイド・ジョーンズ指揮、ロンドンにて
楽器編成
フルート2 、
ピッコロ1、オーボエ2 、
クラリネット2 、
ファゴット2 、ホルン4 、コルネット2 、
トランペット2 、
トロ
トライアングル、タンブリン、小太鼓、シンバル、サスペンデッド・
ンボーン3 、テューバ1、ティンパニ1、
シンバル、大太鼓、タムタム、弦楽
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
21
Program B
武満 徹
ア・ウェイ・ア・ローン II(1981)
武満徹( 1930∼1996)の1980 年代の作品は、作風が変わった、という印象を持たれる
傾向にあった。ヴァイオリンとオーケストラのための《遠い呼び声の彼方へ!》
( 1980年 )、ア
( 1981年 )
をはじめとして、独奏楽器が
ルト・フルート、ハープ、弦楽合奏のための《海へ II》
担うのは調性的なメロディーで、それを運ぶオーケストラにも和弦的な響きが支配していた。
《ノヴェンバー・ステップス》
( 1967年 )において琵琶、尺八の衝撃的な音に対応できるよ
う、オーケストラから、半音が密集した鋭く瞬発力のある響きを引き出していたのに比べて、
1980年代の作品は響きが優しくなった、という印象を与えていたと思われる。
( 1981年)は、弦楽四重奏のための《ア・ウェイ・ア・ローン》
( 1981
《ア・ウェイ・ア・ローン II》
年)
を弦楽合奏版にしたもので、上記《遠い呼び声の彼方へ!》
《 海へ II 》
とともに「海」
「 水」
を含む3 音( es ─ e ─ a〔変ホ
をテーマとし、武満が「海モティーフ」
と呼ぶ、海のつづり( sea)
─ホ─イ〕)
がモティーフとして使われている。
《ノヴェンバー・ステップス》の構想として武満は
「琵琶と尺八の音が、オーケストラに水の輪のようにひろがり、音が増えてゆく」
と語ってい
たことがある。武満にとって海は、邦楽器とオーケストラという異質な文化を背景に持つ楽
器群を受け入れる懐の大きい存在であったのだろう。
《ア・ウェイ・ア・ローン II 》は、弦楽四重奏版の原曲よりも声部が増やされて響きがきめ細
と完全 4 度( e
かくなるほか、幅広くなる。海モティーフを構成する短 2 度( es ─ e〔変ホ─ホ〕)
─ a〔ホ─イ〕)
のうち短 2 度が連ねられて重く沈んだ響きになることもあれば、主として完全
4度が連ねられて、重みが抜き取られて舞い上がるように上行したりする。音をため込んで
では、
「海モティーフ」がその肢
は解放するプロセスにもきこえる。
《ア・ウェイ・ア・ローン II 》
体を弦楽合奏の響きの中に様々に伸ばしている光景が浮かび上がる。
[
崎洋子]
作曲年代
1981年
初演
1982 年 6月27日、札幌、札幌市民会館における「民音現代作曲音楽祭」にて、岩城宏之指揮の
札幌交響楽団
楽器編成
22
弦楽
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
Program B
武満 徹
ハウ・スロー・ザ・ウィンド(1991)
1990 年代に入って武満徹( 1930∼1996)の作品には新たな局面が加わる。
《ハウ・ス
ロー・ザ・ウィンド》
( 風はなんと遅い )にも含まれているスロー( 遅い )の語である。武満のデ
( 1950年 )のレントは「遅い」の意味なのでス
ビュー作であるピアノのための《 2つのレント》
ローと同義だが、デビュー作に用いた「遅い」の語を武満はデビュー後にはタイトルに用いな
くなっていく。デビュー後の武満は、季節の移り変わりや、河が海に合流する等の自然の摂
理を音楽に反映させようとしていた。その構想は、移りゆくあいだの季節としての秋を対象
( 1973年 )、河が海に流れ込む光景に示
とする
《ノヴェンバー・ステップス》
(1967年)や《秋》
などに表れている。
唆を得た《遠い呼び声の彼方へ!》
( 1980年)
しかし、
《ハウ・スロー・ザ・ウィンド》
(1991年)やフルート、ヴィオラ、ハープのための《そして、
では、自然に沿って推移する風を作曲者が立ち止
それが風であることを知った》
( 1992年 )
まって見出し見届ける光景が浮かんでくる。
《ハウ・スロー・ザ・ウィンド》
では、海モティーフ
の音程を含む7 音による主題が、音域や音色において、さらに舞台上の位置関係において
むしろ遠い関係にある楽器間で模倣するように受け継がれる。他の楽器は加わることなく、
主題を介して呼び交わし合う楽器を浮き彫りにする。
《ア・ウェイ・ア・ローン II 》が、複数の
声部が密に接して主題を運ぶのに対し、
《ハウ・スロー・ザ・ウィンド》
では、呼び交わし合う
楽器と楽器の間は、他の楽器によって埋められることなく風をはらんでいる。風をはらんだ
アンサンブルからは、一音一音をしっかり受けとめる様子が伝わってくる。
[
崎洋子]
作曲年代
1991年
初演
1991年 11月6日、イギリス、グラスゴーにおける
「ジャパン・フェスティバル」
にて、ユッカ・ペッカ・サラス
テ指揮のスコットランド室内管弦楽団
楽器編成
フルート1、
ピッコロ1
(アルト・フルート1)
、オーボエ2
(イングリッシュ・ホルン1)
、
クラリネット2
(バス・クラ
、ファゴット2(コントラファゴット1)
、ホルン2 、ヴィブラフォーン、グロッケンシュピール、アン
リネット1)
ピアノ1
(チェレスタ1)
、弦楽
ティーク・シンバル、テューブラー・ベル、アルムグロッケン、ハープ1、
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
23
Program B
ムソルグスキー
(リムスキー・コルサコフ編)
歌劇「ホヴァンシチナ」─第4幕
第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」
《ホヴァンシチナ》は《ボリス・ゴドノフ》の続編ともいうべきムソルグスキー(1839∼1881)
の傑作歴史オペラだが、彼の死によって大部分が未完のまま(しかも大半はピアノ・スコアの
み )残され、
《はげ山の一夜》
と同様、リムスキー・コルサコフ( 1844∼1908)による大々的
な補完作業を受けて初演された。しかしその輝かしく分厚い管弦楽法の響きがムソルグス
キーの音楽様式とかけ離れていることから、その後、ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチ
らが独自の版を作成しており、全曲上演の際にはそちらが選ばれることもある。
オペラの舞台は新旧勢力の対立する17 世紀後半のモスクワ。ピョートル1 世によるロシア
の西欧化改革の開始と総主教ニコンによる正教会改革を背景に、旧体制を支持する銃兵
隊長ホヴァンスキー公が政治的陰謀により失脚する姿と、ニコン改革に反対して集団自決
を選ぶ旧教徒( 分離派 )の悲劇が描かれる。ムソルグスキーがオペラを着想したのは、まさ
に首都サンクトペテルブルクがピョートル生誕200 年に湧く1872 年であり、ピョートル改革
の歴史的帰結に対するムソルグスキーの懐疑的・厭 世 的な歴史観が赤裸々に表現される。
第 4 幕第 2 場への間奏曲は、先立つ第 2 幕で予言者マルファが旧体制派のゴリツィン公
の失脚と流刑を予告したアリア《公よ、貴方を待ち受けるは失脚と辺境への流刑》
を、全
オーケストラで葬送風に再現する音楽であり、ロシア民謡を模した素朴な旋律が、個人の
運命を超越した叙事詩的悲劇の音楽へと変容する。
[千葉 潤]
作曲年代
1872年に開始、作曲者の死により未完に終わる
初演
リムスキー・コルサコフ版は、1886 年 2月21日
(旧ロシア暦では9日)
、サンクトペテルブルクにて、ア
マチュア劇団による
楽器編成
フルート3 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、テューバ1、
ティンパニ1、弦楽
24
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
Program B
ムソルグスキー
(ラヴェル編)
組曲「展覧会の絵」
ムソルグスキー( 1839∼1881)のあまりにロシア的なピアノ作品と、フランス的なオーケス
との奇妙な出会いがもたらした傑作。原曲
トレーションの魔術師ラヴェル( 1875∼1937)
が非常にオーケストラ的な曲想であったために、作曲当時から多くの作曲家がオーケスト
ラのための編曲を試みたのだった。現在知られているその多くはロシアの作曲家によるも
ので、リムスキー・コルサコフ風の重たい響きを基調としているが、ラヴェルはこれに対して
原曲の粗野な響きを犠牲にすることなく、大変ソフィスティケートされ、音色的に変化に富ん
だ編曲をものにしている。ラヴェルのすみずみまで計算しつくされたオーケストラの扱い方は、
自作のピアノ作品をも含めて多くの編曲をもたらすことになったのだが、その中でもこの《展
覧会の絵》は最も成功した事例だろう。
フランスの音楽界において親近性を抱かせるロシアの作曲家は、現在でも一般的にまず
ムソルグスキー以下の「五人組」、次いでストラヴィンスキーであって、チャイコフスキーでもラ
フマニノフでも、ましてショスタコーヴィチでもない。当時「ワーグナー以後」の音楽を探し求
めていたドビュッシーと同様にラヴェルも、情動的なロマンとは一線を画し、簡素で粗野な、
しかし表現豊かなムソルグスキーの音楽に興味を持ち続けた。すでに1913 年にストラヴィ
ンスキーと共同で、
《歌劇「ホヴァンシチナ」》の新たなオーケストレーションを行い(この譜面
は失われた)
、さらに1922 年になって指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキーの委嘱で、この《展
覧会の絵》の編曲に挑んだのだった。その後ラヴェルは、ムソルグスキーがゴーゴリの戯曲
に書いたオペラ《結婚》のオーケストレーションも部分的に試みたようだ。管弦楽版《展覧
会の絵》の初演は、委嘱者の指揮により、1922 年にパリ・オペラ座で行われた。
ムソルグスキーの友人であった建築家、ヴィクトール・ハルトマンが 1873 年に亡くなり、そ
の翌年はじめに、ハルトマンのデッサンや絵画による回顧展が開かれた。ムソルグスキーは
この時展示された彼の絵画のいくつかに触発されて、原曲となる組曲風のピアノ作品をも
のの3 週間足らずで書き上げた。
曲の冒頭にトランペットで高らかに歌われるファンファーレは「プロムナード」
と呼ばれ、リ
フレイン、ないし移行部となって、曲中に何度も違った響きや表情で現れる。時には前に
見た絵の心理的な
「エコー」、
あるいは絵と絵の間の「休憩」、
ないしは文字通り別の絵へと
「散策」
していく役割を音楽で見事に描いている。
PROGRAM B
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
25
プロムナード まさにロシア的としか言いようのない五音音階による単旋律の主題と、そ
れに応じる会衆の輝かしい和声の響き。
第 1 曲〈ノーム〉 元はハルトマンのくるみ割りのデザイン。こびとたちの無気味な痙 攣や
叫び、そして片足をひきずって歩く様子などが描かれる。
プロムナード 冒頭よりも柔らかいタッチで、テーマはホルンに現れる。
第2 曲〈古い城〉 ファゴットの序奏に続いて、サクソフォンの吹くノスタルジックで悲しげ
な旋律が美しい。中間部では弱音器をつけた弦楽器が旋律の続きを奏する。
プロムナード ぺザンテ
( 重々しく)。再び輝かしくトランペットにテーマが現れる。
第 3 曲〈チュイルリーの庭〉 チュイルリー庭園で子供達が遊んでいるさま。
第 4 曲〈ブィドロ〉 ブィドロとはポーランドの牛車のこと。テューバにおかれた堅固な旋
律は次第に大きくなり、ついに全オーケストラの強奏へと至る。
プロムナード 高音域の木管楽器による少々悲しげな調子。
第 5 曲〈卵のからをつけたひなの踊り〉 ユーモアあふれる、木管楽器を主体としたスケ
ルツォ。
第6 曲〈サミュエル・ゴールデンベルクとシュミイレ〉 貧富の差のある2 人のユダヤ人の
会話の描写。冒頭弦によって奏される主題は、オーセンティックなユダヤの旋律である。一
方のこの高圧的な態度に対して、より卑屈で絶望的な性格は弱音器のついたトランペット
でうたわれる。
第 7 曲〈リモージュの市場〉 市民生活の大いなる活気と農民達のコミカルな会話。
「死
第 8 曲〈カタコンブ〉 古代ローマの墓。金管楽器の和音がオルガンを連想させる。
せることばによる死者への語りかけ」─プロムナードのテーマを使った音楽的な展開。
第 9 曲〈バーバ・ヤガーの小屋〉 荒々しい音楽がスラヴ伝説の魔術師バーバ・ヤガーの
グロテスクな小屋を表す。
第 10 曲〈キエフの大きな門 〉 宗教的なコラール。オーケストラ全体が巨大なカリヨン
と化して終わる。
(鐘)
[野平一郎]
作曲年代
1874年(ラヴェルによる編曲は1922年)
初演
原曲のピアノ版は、作曲者の死から6 年後に出版。ラヴェルによる編曲は1922 年、パリ、オペラ座
における演奏会でクーセヴィツキーの指揮で
楽器編成
フルート3
(ピッコロ2 )
、オーボエ3
(イングリッシュ・ホルン1)
、
クラリネット2 、バス・クラリネット1、アルト・
トランペット3 、
トロンボーン3 、テューバ1、
サクソフォーン1、ファゴット2 、コントラファゴット1、ホルン4 、
トライアングル、ラチェット、ムチ、
ティンパニ1、グロッケンシュピール、テュ−ブラー・ベル、シロフォン、
小太鼓、大太鼓、
シンバル、サスペンデッド・シンバル、タムタム、チェレスタ1、ハープ2 、弦楽
26
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
C
PROGRAM
第1843回 NHKホール
金 7:00pm
9/30 □
土 3:00pm
10/1 □
Concert No.1843 NHK Hall
September 30 (Fri) 7:00pm
October 1(Sat ) 3:00pm
[指揮]
パーヴォ・ヤルヴィ
[conductor]Paavo Järvi
[ピアノ]
デニス・マツーエフ
[piano]Denis Matsuev
[コンサートマスター]伊藤亮太郎
[concertmaster]Ryotaro Ito
プロコフィエフ
ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 作品16
[32′
]
Sergei Prokofiev (1891–1953)
Piano Concerto No.2 g minor op.16
Ⅰ Andantino
Ⅰ アンダンティーノ
Ⅱ Scherzo: Vivace
Ⅱ スケルツォ
:ヴィヴァーチェ
Ⅲ Intermezzo: Allegro moderato
Ⅲ 間奏曲:アレグロ・モデラート
Ⅳ Finale: Allegro tempestoso
Ⅳ 終曲:アレグロ・テンペストーソ
・・・・休憩・・・・
・・・・intermission・・・・
ラフマニノフ
]
交響曲 第3番 イ短調 作品44[41′
Sergei Rakhmaninov (1873–1943)
Symphony No.3 a minor op.44
Ⅰ レント―アレグロ・モデラート
Ⅰ Lento–Allegro moderato
Ⅱ アダージョ・マ・ノン・
トロッポ
Ⅱ Adagio ma non troppo–Allegro vivace
―アレグロ・ヴィヴァーチェ
Ⅲ Allegro
Ⅲ アレグロ
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
27
Program C|SOLOIST
デニス・マツーエフ
(ピアノ)
© Evgeny Evtyukhov
1975年、シベリア地方、バイカル湖沿岸の都市イルクーツクに生まれる。
イルクーツク音楽学校で学んだのち、モスクワ音楽院附属中央音楽学校
に転入。その後モスクワ音楽院でアレクセイ・ナセトキン、セルゲイ・
ドレンス
キーに師事。1998年、23歳で第11回チャイコフスキー国際音楽コンクー
ルに優勝し、一躍世界の注目を集めた。
パーヴォ・ヤルヴィをはじめ、旧知の仲のゲルギエフなど、数々の世界的
指揮者と共演を重ねている。 N 響とは2012年2月、ノセダ指揮のもとチャイコフスキー《ピアノ協奏曲
第1番》で共演。圧倒的なパワーとテクニック、豊かな音楽性を披露した。
ラフマニノフの孫、アレクサンドル・ラフマニノフが設立したラフマニノフ財団の芸術監督や、モスクワ
大学の名誉教授、そしてユネスコの親善大使など、務める役職は数多い。また、ロシア人民芸術家の
称号を与えられており、2014年にはソチ冬季オリンピック閉会式で演奏。ロシアを代表する芸術家とし
て、多方面にわたる活動を行っている。
[高坂はる香/音楽ライター]
28
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
Program C
プロコフィエフ
ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 作品16
ペテルブルク音楽院在学中のプロコフィエフ( 1891∼1953)が新しい音楽を追い求めな
がら書いたこの曲は、機械の轟 音のような強烈な不協和音、グロテスクな旋律の反復、頻
繁な調性の変化などにあふれている。初演時には、
「なんと独創的な音楽か」
と拍手を送
る者がいた一方、あまりの前衛ぶりに「屋根の上の猫の鳴き声の方がまし」
と吐き捨てる者
も多かったという。しかし、単に前衛的であるだけでなく、プロコフィエフ特有の叙情的な美
しさがそこかしこに見られることが、この曲が現在まで広く演奏され続けている理由のひと
つであろう。
なお、この曲の楽譜は革命期の混乱で紛失し、1923 年にプロコフィエフ自身によって復
元、改訂された。初版よりも穏健になったと推測されている。
第1 楽章 アンダンティーノ、ト短調。物憂げな悲しみを湛えた第 1 主題とおどけた雰囲
気の第 2 主題をもつ。ピアノパートがこれらを自在に展開させながら、名人技を繰り広げる。
第 2 楽章 スケルツォ:ヴィヴァーチェ、ニ短調。ピアノのトッカータ風の楽想が、オーケスト
ラのさまざまな音型に支えられながら、息をつかせぬ勢いで突き進んでいく。
ト短調。重々しい不協和音から始まり、劇的な
第3 楽章 間奏曲:アレグロ・モデラート、
表現が続くが、中間部ではピアノのグリッサンド、弦楽器のピチカートなどの多彩な音型が
絡みあう。
第 4 楽章 終曲:アレグロ・テンペストーソ、ト短調。爆発的な荒々しさをもつ第 1 主題と
「巨石を積み上げた建築」
(カラトゥイギン)
と評されるように、中
民謡風の第 2 主題をもつ。
間部以降、オーケストラの咆 哮とピアノの重厚な和音により、巨大な音空間が築かれる。
[高橋健一郎]
作曲年代
1912年末∼1913年4月。1923年に改訂
初演
1913 年 9月5日(旧ロシア暦では8月23日)
、作曲者自身のピアノ、アレクサンドル・アスラノフ指揮、
パヴロフスクにて
楽器編成
フルート2 、オーボエ2 、クラリネット2 、ファゴット2 、ホルン4 、
トランペット2 、
トロンボーン3 、テューバ1、
シンバル、小太鼓、大太鼓、タンブリン、弦楽、
ピアノ
・ソロ
ティンパニ1、サスペンデッド・シンバル、
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
29
Program C
ラフマニノフ
交響曲 第3番 イ短調 作品44
1918 年、セルゲイ・ラフマニノフ
( 1873∼1943)は、ロシア革命直後の落ち着かない情勢
を避けるために、モスクワを離れる。当初、これはほんの一時的な旅行の予定だったようだ
が、北欧を経由してアメリカに渡ったラフマニノフは、結局ここに落ち着く。そして彼が、二
度と故国の土を踏むことなく、1943 年にアメリカで世を去ることになるのはご存じの通りだ。
ところで、ロシアを出てからしばらくの間、ラフマニノフはほとんど作品を書いていない。
彼が作曲を本格的に再開したのは、移住から実に8 年後だった。最初に完成したのは、出
だった。しかし、それ以後も、ロシア
国前に書き始め、中断していた《ピアノ協奏曲第 4 番》
出国前のようなペースは戻らなかった。ロシアを出てから亡くなるまでの25 年間にラフマニ
《ピアノ協奏曲第4 番》、合
ノフが書いたのは、小さな編曲を除けばわずか6 曲、すなわち、
《コレルリの主題による変奏曲》、
《パガニーニの
唱と管弦楽のための《 3つのロシアの歌》、
《交響的舞曲》
ですべてである。これには、ピ
主題による狂詩曲》、
《交響曲第 3 番》、そして
アニストとしての活動が多忙を極めたことや、彼のロマンティックなスタイルが批評家らから
時代遅れと見なされていたこと、故国を離れたことによる創作意欲の減退など、いろいろ
な原因があったようだ。しかし、遺された6 曲は、ラフマニノフの作品の中でも最高の傑作
ばかりなので、数は少ないとはいえ、多忙な生活の中で作曲を続けてくれたことを、われわ
れは彼に感謝すべきだろう。
《交響曲第3 番》は、ラフマニノフの最後から2 番目の作品であり、交響曲としては最後の
作品である。
《第 2 番》が完成されたのは1907 年だから、およそ30 年ぶりの交響曲というこ
とになる。1935 年春に着手され、同年 8月には第 1 、2 楽章のスケッチが書き上がった。全
曲は1936 年 6月6日に一旦完成するが、作曲者は6月末まで手を入れ続けた。初演はその
年の秋、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団によって行われた。これは、失敗とい
うほどでもなかったが、大成功でもなかったようだ。ただ、作曲者はこの曲に強い愛着を
持っていて、1939 年、フィラデルフィア管弦楽団を自ら指揮して録音も残している。
と異なり、急―緩―急の3つ
《交響曲第 3 番》は、4つの楽章をもつ《第 1 番》や《第 2 番》
の楽章から構成されている。スケルツォを欠く形となっているが、第 2 楽章の中間部に急速
な部分があり、実質的にスケルツォが融合されていると見ることができる。同様の構成をも
つ交響曲としてフランクの《交響曲ニ短調》があるが、緩徐楽章の途中にスケルツォ風の部
30
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
分を挿入するという手法は、ロシアの作曲家たちのピアノ協奏曲(チャイコフスキーの《第1番》、
など)
ラフマニノフ自身の《第 2 番》や《第 3 番》、プロコフィエフの《第 3 番》
にもしばしば見られるもの
である。
第1 楽章 レント─アレグロ・モデラート、イ短調。ソナタ形式。寒々とした短い序奏に始
まる。聖歌の断片のようなこの序奏音型は、第 2 、3 楽章でも現れ、全曲に統一感を与えて
いる。イ短調とホ長調の2つの主題によるソナタ形式の楽章だが、再現部で主題が再登場
する際に、ヴァイオリンやチェロなどの独奏を用いて、より親密な表情に変化しているのが印
象的だ。
第 2 楽章 アダージョ・マ・ノン・トロッポ─アレグロ・ヴィヴァーチェ、嬰ヘ短調。複合 3 部
形式。冒頭、ハープのアルペッジョを伴奏に、ホルンが吟遊詩人のように歌うが、この旋律
は第 1 楽章序奏に基づいている。続いて独奏ヴァイオリンが、下降する音型が特徴的な旋
律を歌い、ノスタルジックな雰囲気で進んでいく。スケルツォ風の激しい中間部を経て、ア
ダージョが短く再現する。
第 3 楽章 アレグロ。自由な形式のフィナーレである。華やかな開始のあと、いくつかの
主題が次々に提示されたあと、フーガを核とする中間部に入る。その後冒頭の主題が復帰
し、高揚して全曲を締めくくる。楽章の後半には、ラフマニノフが強いこだわりを持っていた、
《怒りの日》の旋律も現れる。
[増田良介]
作曲年代
1935年6月∼1936年6月、1938年改訂
初演
1936 年 11月6日、
レオポルド・ストコフスキー指揮、
フィラデルフィア管弦楽団
楽器編成
フルート2 、
ピッコロ1、オーボエ2 、イングリッシュ・ホルン1、
クラリネット2 、バス・クラリネット1、
ファゴット
2、
コントラファゴット1、ホルン4 、
トランペット3 、
トロンボーン3 、
テューバ1、
ティンパニ1、
トライアングル、
タンブリン、小太鼓、シンバル、サスペンデッド・シンバル、大太鼓、タムタム、シロフォン、ハープ、チェ
レスタ1、弦楽
PROGRAM C
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
31
第一回
都市とオーケストラのつながり
││﹁場をつくる﹂
という視点から
シリーズ
オーケストラの
ゆくえ
現 代の オ ーケスト ラ を め ぐ る
様 々な ト ピックを 深 掘 り していくシリーズ。
第一回 は 、音 楽 ジャーナリスト・潮 博 恵 さ んに
語っていた だ き ま す。
﹁ 都 市 と オ ーケスト ラのつな が り ﹂について、
Hiroe Ushio
潮 博恵
人々が「都市とオーケストラのつながり」
を
例。ここは1987年に指揮者のマイケル・ティ
実感する瞬間はいつか? 例えば地域の重
ルソン・トーマスが創設したオーケストラのア
要なイベントで演奏をするときとか、自然災
カデミーで、大学教育とプロの音楽活動の
害などに見舞われた際に音楽で希望をもた
橋渡しをする3年間の教育プログラムを提
らす場面等々が想起される。これらの結び
供している。当初は古い劇場をリノベーショ
つきは長い年月をかけて重層的に育まれる
ンした建 物で 活 動していたが、2011年に
ものだが、オーケストラがどういう
「場」
を通し
フランク・ゲーリーの設計による新キャンパス
て都市とつながるのか、という考察は欠か
「ニュー・ワールド・センター」
がオープンした。
せない。そこで今日は、
「場をつくる」
という
このセンターはクラシック音楽の未来を
視点で3つの事例から都市とオーケストラの
つくる壮大な実験場ともいえる場所なのだ
つながりを考えてみたい。
が、最大の特徴は「サウンド・スケープ」
とい
う約1ヘクタールの公園の中に位置している
こと。そしてシーズン中の土曜日の夜、公園
街に開かれた場をつくる
に面した建物の巨大な外壁一面に中のコ
ンサートホールの公演を投影し生中継して
ひとつ目は米国フロリダ州マイアミビーチ
いることにある。
「ウォールキャスト」
と呼ばれ
市にあるニュー・ワールド・シンフォニーの事
るこの中継は入場無料。毎回約2千人がピ
32
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
©Rui Dias-Aidos
ニュー・ワールド・センターの壁一面に投影されるコンサートと、それを楽しむ人々
クニックのように椅 子や食べ物を持参し、そ
どころとなるような場所を育てることの重要
れぞれのスタイルで音楽を楽しんでいる。
性だろう。
センターがオープンしたとき、私は5面のマ
ルチ・スクリーンを擁するコンサートホールの
可能性により注目していた。しかし5年経っ
街の特 徴を反 映した場をつくる
た今、この公園とウォールキャストがニュー・
ワールド・シンフォニーを地域社会の重要な
次の事例もティルソン・トーマスつながりだ
構成員に押し上げた成果が際立っている。
が、彼が音楽監督を務めるサンフランシス
成功のポイントは、街に開かれた場をつ
コ交響楽団の「サウンド・ボックス」
を紹介し
くったことにある。音楽だけに限らず、美術
たい。サンフランシスコといえば、ヒッピーの
のインスタレーションの場としても活用した
時代から新しいムーブメントの発信地であ
り、土曜日の朝には公園で大規模なヨガの
り、シリコンバレーのテクノロジー企業の発
クラスも開催される。ここがどれだけ地域の
展とともにある街。最近では、これらテクノロ
人々の求心的な場になったかということは、
ジーやデザインなどのクリエイティブな職業
2016年6月にフロリダ州オーランド市のナイ
に就く若者が、都市生活の刺激を求めて市
トクラブで銃乱射事件が起きたとき、その追
内に多く移り住むようになった。そしてサンフ
悼集会の場所になったことからも見て取れ
ランシスコ交響楽団にとって、彼らに「面白
る。彼らの事例が示していることは、単なる
い!」
と認められる存在になることは、この街
演奏場所にとどまらず、街の人々の心のより
での存在意義が問われるといっても過言で
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
33
はない課題であった。
音楽まで幅広く、プログラムごとに若手の指
そこへ2014年 12月に登場したのがサウ
揮者や作曲家などがキュレーターとなり、ビ
ンド・ボックスである。彼らの本拠地デーヴィ
ジュアル・アートや照明を組み合わせて「音
ス・シンフォニー・ホールの一角にあるリハー
のギャラリー」
ともいえる空間をつくっている。
サル室をナイトクラブのようなコンサート会場
試みの背景には、ティルソン・トーマスの「音
に新装し、通常の公演とは全く趣向を変え
楽のインスタレーションは聴衆の音楽受容
たシリーズを始めたのだ。
にどのような変化をもたらすことができるだ
公演は午後 9時にスタート。フロアには低
ろうか?」
という問題意識がある。
いスツールが置かれ、座っても立っていて
集客面でもこれまでオーケストラ・コンサー
も、また場所を動くのも自由で 20∼30分毎
トには足を運ばなかった新たな層を集める
に休憩が入る。演奏者に近いくつろげる雰
ため、ソーシャル・ネットワーキング・サービス
囲気のもと、バーコーナーではドリンクとピン
(SNS)などによるマーケティングを楽 団の
チョス(おつまみ)
を提供し、お酒を飲みなが
通常のコンサートとは完全に分離して展開。
ら演奏を楽しめる。演奏はサンフランシスコ
体験をシェアしたいホットな場所をつくり上
交響楽団と合唱団のメンバーが大小様々な
げることに成功した。この流れが通常のコン
アンサンブルで登場。音響は最新のテクノロ
サートにも及ぶかは今後にかかっているが、
ジーを用いて曲により変化させる。
いずれにせよサンフランシスコ交響楽団は
サウンド・ボックスの最大の特徴は、新た
サウンド・ボックスという場を通してサンフラ
な発見や刺激をもたらすことを重視し、音
ンシスコの実験的精神を体現した。彼らの
楽を体験する新しい方法を試していること。
事例が示していることは、オーケストラが街
すなわち、選曲はグレゴリオ聖歌から現代
の特徴を反映していることの重要性だろう。
©Stefan Cohen
2016年3月 ティルソン・
トーマスがキュレーターを務めたサウンド・ボックス
34
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
れている。
地 域 資 源を提 供する
場をつくる
ボルティモア交響楽団の事例で注目すべ
きは、楽団を「アクセス可能な地域資源」
と
最後にボルティモア交響楽団の「BSO ア
位置づけている点だ。そしてオーケストラを
カデミー」
を紹介したい。この楽団はオーケ
中心として地域の子供たち、大人のアマチュ
ストラの地域活動の導師的存在であるマリ
ア演奏家、音楽教育者、アート・マネジメント
ン・オールソップが音楽監督を務め、多くの
に携わる人々の輪をつくり、本拠地のホール
地域活動を行っていることで知られる。ベネ
をその象徴に育てている。
ズエラのエル・システマに触発され、2008
年から地区の子供たちに放課後の楽器演
以上3つの事例は、
「場をつくる」
ことを通
奏のプログラムを提供している「オーキッズ
したオーケストラの挑戦、換言すればオーケス
(OrchKids)」は 彼らを象 徴する活 動だが、
トラがどれだけ人々の音楽の楽しみの中心
大人の音楽愛好家向けにいくつものプログ
的な存在になれるかに挑戦している事例だ
ラムを展開しているこ
と思う。ポイントは、自
©Richard Anderson
とも大きな特徴だ。
らの位置づけを、単に
そのひとつ、BSO ア
演奏するだけにとどま
カデミーでは「アカデ
らず大きな視点で再構
ミー・ウィーク」
と銘 打
成している点にある。
ち、音楽漬けの1週間
いまオーケストラを取り
を過ごすイベントを毎
巻く環境を見てみると、
政 治 や 経 済、過 去の
年開催している。オー
ケストラと室内楽のコー
スがあり、ボルティモア
2016年6月 BSO アカデミー・ウィークの総仕上げとなるコ
ンサート
歴史などから様々な分
断や衝突が起きている
交響楽団の指揮者や楽団員からみっちり指
一方、技術の進歩によって人間としての本当
導を受け、最後に彼らの本拠地ジョセフ・マイ
の豊かさや生き方が真剣に問われるという
ヤーホフ・シンフォニー・ホールの舞台で楽団
複雑な社会になっている。そんな中で音楽に
員の隣りに座って合同の演奏会を行う。音楽
よるコミュニケーションが果たせる役割は大
を通した交流の場としてリピーターも多い。
きい。時代はオーケストラに追い風だ。
ユニークなのは音楽教育者のためのコー
スもあり、指揮や編曲などを学べ、それが提
携している地元の教育機関の単位に認定さ
れることや、アート・マネジメントに携わる人
も参加してアカデミー運営を体験できること
だ。内容が本格的なので参加費もオーケス
トラのコースで 1,900ドル( 2016年 )
とそれな
りにするが、様々な割引や奨学金も用意さ
潮 博恵(うしお ひろえ)
音楽ジャーナリスト・行政書士。著書に『オーケストラ
は未来をつくる─マイケル・ティルソン・
トーマスとサ
ンフランシスコ交響楽団の挑戦 』
『 古都のオーケスト
ラ、世界へ!─「オーケストラ・アンサンブル金沢」
が
ひらく地方文化の未来』
など。
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
35
を並べ、19世紀後半から20世紀初頭にか
10月定期公演の
聴きどころ
けてのロシア音楽を時代の順番で聴く。特
にボリショイ劇場で活躍したヴェデルニコフ
の指揮する
《バレエ音楽「春の祭典」》
は楽し
み。グラズノフの《ヴァイオリン協奏曲》で独
奏を務めるワディム・グルズマンは1973年ウク
ライナ生まれ。ロマン・スネ、ザハール・ブロン
に学んだあと、1990年にイスラエルへ移住。
その後、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレ
イ、川崎雅夫に師事した。ロシア音楽を得意
としているグルズマンは、既に、アンドリュー・
10月定期は東ヨーロッパの音楽家たちに
リットン指揮ベルゲン・フィルハーモニー管弦
よる作品・演奏をじっくりと楽しむ。チャイコフ
楽団とグラズノフの《ヴァイオリン協奏曲》の
スキー、グラズノフ、ストラヴィンスキー、ドヴォ
録音を残している。
ルザークの名曲が取り上げられ、アレクサン
ドル・ヴェデルニコフ
(ロシア出身)、トゥガン・ソ
ヒエフ
(北オセチア出身)の指揮や、ヴァイオリン
同世代の二大巨匠の傑作
のワディム・グルズマン(ウクライナ出身 )、ピアノ
C プログラムでは、ドヴォルザークの《チェ
のエリーザベト
・レオンスカヤ
(ジョージア出身)、
ロ協奏曲》
とチャイコフスキーの《交響曲第6
チェロのアレクサンドル・クニャーゼフ(ロシア
番「悲愴」》
が取り上げられる。親交のあった
出身)
の妙技を堪能する。
同世代の2人の大作曲家がほぼ同じ頃に書
いた作品を並べるのは興味深い。ドヴォル
19世紀後半から20世紀初頭にかけての
ロシア音楽を時代順に聴く
ザークの郷愁とチャイコフスキーの悲哀。19
世紀末のロマンティックな音楽が満喫できる
であろう。ドヴォルザークで独奏を務めるの
A・C プログラムを指 揮するアレクサンド
は、ヴェデルニコフと同じモスクワ生まれのア
ル・ヴェデルニコフは、1964年、モスクワ生ま
レクサンドル・クニャーゼフ。1978年と1990
れ。父親はボリショイ劇場で活躍したバス
年のチャイコフスキー国際音楽コンクールで
歌手であった。2001年、自らもボリショイ劇
入賞するなど、ロシアを代表するチェリストの
場の音楽監督になり、同劇場の再建に努め
ひとりと目されてきた。オルガン奏者としても
た。2009年にはボリショイ劇場日本公演の
活躍する才人が珠玉の名曲をどのように奏
《エフゲーニ・オネーギン》
を指揮して成功を
でるのであろうか。チャイコフスキーの《交響
収める。NHK 交響楽団には2009年に初
曲第6番「悲愴」》
では名匠ヴェデルニコフの
めて客演し、以来、2011年、2014年と共演
真価が聴けるに違いない。
を重ねている。A プログラムでは、チャイコフ
スキー、グラズノフ、ストラヴィンスキーの作品
36
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
PHILHARMONY | SEPTEMBER 2016
N 響デビューとなるレオンスカヤと
N 響の「常連」というべきソヒエフ
コフスキーの最後の交響曲とは、初演の日
B プログラムには、トゥガン・ソヒエフが登
をめぐらすのも面白い。前半にベートーヴェ
場する。ソヒエフは、トゥールーズ・キャピトル
ンの《ピアノ協奏曲第3番》があり、ベテラン
にちが 数 十日しか 離れていない。1893年
のニューヨークとサンクトペテルブルグに思い
劇場管弦楽団、ベルリン・
ドイツ交響楽団、ボ
のエリーザベト・レオンスカヤがピアノ独奏を
リショイ劇場のシェフを兼務する多忙を極め
務める。旧ソ連時代のグルジア( 現・ジョージ
ながら、2008年に N 響の指揮台に初めて
ア)
に生まれた彼女は、モスクワ音楽院に学
立って以来、2013年11月、今年1月と登壇
び、1960年代半ばから、エネスコ、ロン・ティ
を重ねている。両者はよほど相性が良いの
ボー、エリーザベト王妃などの国際コンクー
だろう。ソヒエフは N 響とショスタコーヴィチ、
ルに入賞。スヴャトスラフ・リヒテルと共演を
チャイコフスキー、プロコフィエフ、ベルリオー
重ね、大きな影響を受けた。1978年にウィー
ズの傑作交響曲を手掛けてきたが、今回は
ンに移住。今回、N 響とは初共演になるが、
ドヴォルザークの《交響曲第9番「新世界か
ベートーヴェンの唯一の短調のピアノ協奏曲
ら」》
を取り上げる。
《新世界交響曲》でソヒ
で円熟の至芸を披露してくれるであろう。
エフとN 響とのますます息の合った演奏が
堪能できるであろう。なお、このドヴォルザー
[山田治生/音楽評論家]
クの最後の交響曲と、C プログラムのチャイ
10月の定期公演
A
土 6:00pm
10/15□
日 3:00pm
10/16□
NHK ホール
チャイコフスキー/スラヴ行進曲 作品31
グラズノフ/ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82
ストラヴィンスキー/幻想曲「花火」作品4
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
指揮:アレクサンドル・ヴェデルニコフ
ヴァイオリン:ワディム・グルズマン
B
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
ドヴォルザーク/交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
サントリーホール
指揮:
トゥガン・ソヒエフ
ピアノ:エリーザベト・レオンスカヤ
水 7:00pm
10/26□
木 7:00pm
10/27□
C
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
NHK ホール
指揮:アレクサンドル・ヴェデルニコフ
チェロ:アレクサンドル・クニャーゼフ
金 7:00pm
10/21□
土 3:00pm
10/22□
NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO
37