現代建築ヤブニラミ中谷正人

COLUMN
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◆連載ー Vol.17
執筆者プロフィール
現代建築 ヤブニラミ
千葉大学建築学科卒業、
『住宅
特集』『新建築』編集長 を 経 て
新設住宅着工数と耐久消費財普及率 の 推移
中谷 正人(なかたに・まさと)
1948 神 奈 川 生 ま れ。1971 年
日本 の 森林面積 の 推移
日本 の 森林蓄積 の 推移
1994 年からフリー編集者。
1999 年∼ 2014 年千葉大学客
中谷 正人(建築ジャーナリスト)
員教授。木の建築フォラム理事、
日本建築学会建築文化事業委員
会幹事
戦後 の 始 まり
その 詳細 についてここで 触 れる誌幅 はないが 、経済成長 によ
って 国民 の 所得 は 増加し、 そ れまでは 居住環境 としては 決し
丹下健三 と 白井晟一 の「伝統論争」が 起 こったとは 言うも
て 満足 の いくものではな い 長屋 や 木賃 アパートに 住 まざるを
のの 、実際 にはそれぞれが 雑誌 に 寄稿して 所感 を 述 べたので
得 なかった 人々 が 戸建 ての 庭付 き 住宅 を 求 めるようになった 。
あって 、明治時代 のように 同じ場 で 意見 を 戦 わせたわけでは
国 は 所得倍増政策、続 いて 持 ち 家政策 をとり始 めた 。 とこ
なかったから論争と呼 べるようなものではなかった 。
ろが 戦 争 で 乱 伐した 山 に は 十 分 な 木 が 育 って い な かった た
ところが、これが論争と呼ばれるようになったのは、このふた
め 、 やむを 得 ず 木材 の 輸入化 に 踏 み 切ったのが 1964 年 のこ
つの 論文がきっかけとなって、当時 の 若手建築家たちに論争 の
とであった 。 併 せて 森林組合 の 統合 を 進 め 、林業 の 集約化と
火種を振りまいたためであった。 その 背景には時代的な雰囲気
大規模化 を 進 めたのは 、 いずれ 迎 えるべき 大量生産・大量消
があったのだろう。終戦とともに社会 の 体制 は 一変し、誰 もが
費、 という構造 を 見越してのことで あったのだろう。 しかし、
新しい 世界を夢見、進むべき方向性を探っていたのだから。
農地解放 のように 林地 は 解放しなかった 。
そこで 、この 時代 の 状況 を 振り返ってみよう。
住宅 の 需要 は 高 まり、資材 は 不足していたゆえに 木材価格
吉 阪 隆 正 がコ ルビュジ エ の もとから 帰 って き て 、「自邸 」
は 跳 ね 上 がり、残り少 なかった 森林資源 は 貴重 な 財産 となっ
( 1955 )、「ヴェネチアヴィエンナーレ日本館」、「ヴィラ・クゥ・
た 。 輸入自由化と言っても 為替相場 は1ドル 360 円 の 固定相
ざまな 社会状況に対応して増減を繰り返し、ここ数年は 70 万戸前後で推移していたが、昨
1972 年には 180 万戸を超えたが翌年のオイルショックによっていったんは低減、その後さま
1966 年 から 2012 年までの 森林面積 の 推移 である。全
体 の 面積 はほとんど変化 がなく、1986 年にかけてわず
年度 の 統計では約 92 万戸となっている。面白 いのは住宅 の 着工戸数 の 増加と電気洗濯機、
かに天然林 が減少し、 その 分人工林 が増加しているが、
電気冷蔵庫、カラーテレビの 普及率が同期していることだが、家電製品はその 後も 100%
その後は変化がない。 1960 年代後半から拡大造林が始
近くで落ち着いているようだ。(建設省、経済企画庁の資料より)
まっているのに森林面積が増えていないのは、里山が森
林となる一方で都市部に近い山林までもが、多摩ニュー
天然林も増加しているが、人工林 の 増加率 のほうが上回
っている。 これは、天然林 は 高齢木 が 多く成長 が 緩 やか
なためで、人工林は育 ち 盛りの 木であったからであろう。
すでに蓄積量は 50 億立方メートルだという説もある。
(林野庁の資料より)
タウンのような大規模宅地開発で減少したからではなか
ろうか。(林野庁の資料より)
人工林 の 林齢別面積
木材 の 供給量と自給率
新設住宅 の 構法(工法)別割合
クゥ」などを 毎年続 けて 発表した 。
場 だから、木材 の 市場価格 は 安 いものではなく、林業家 は 大
吉阪 の 日本建築界 で の 位置付 けは な か な か 難しい 。 モダ
いに 潤った 。
ンかというとそうは 言 い 切 れず 、 かといってアンチ モダンで
いつの 世 にも 目 ざとい 人 はいるもので 、山林 が 儲 かるなら
もなく、 ましてや 伝統至上主義 でもない 。 どこかに 土着性 を
ばと言って 林業 に 投資 する人 たちも 増 えた 。 それが 戦後 の 拡
感じさせる 造形 で あり、 そ の 意味 では 縄文 に 通じるニュアン
大造林と呼 ばれる現象 である。 植林 には 国 の 補助 があったた
スを 持って いるように 思 われるが 、 あえて 言 えば 風土主義 と
め 、伐採後 の 山 だけではなく、里山 や 畑 にまでスギやヒノキ 、
でも 言 えようか 。 そうするとそ の 後 に 続く多くの 建築家 たち
ところによってはカラマツなどが 植林 された 。
の 系譜 をまとめることができそうだが 、 そ れはまた あとで 記
このころは 燃料革命と呼 ばれた 時期 でもある。 それまでの
それ 以降 は 育林 に 手 いっぱいで 植林 にまで 手 が 回らず 、 その
ゆうにもったに 違 いない 。 もちろん 費用 もかかっただろうが 、
すことにする。
一般家庭 の 燃料と言 えば 炭 や 薪 が 主 であったが 、石油、ガス 、
状況 は 林野庁 が 発表した 統計 に 如実 に 表 れている。
仮 に 200 年 もったとしたら、 そ の 間 およ そ6世代 から8世代
一方 で 、篠原一男 は 1954 年 に「久我山 の 家」、 1958 年 に
電気 が 広く使 われるようになり、薪炭 の 供給元 で あった 里山
話 を 元 に 戻 そう。 拡大造林 が 始 まった 時期 にプレハブ 住宅
の 経済的蓄積 ができるのだからこそ 可能 な 話 である。
が 無用 のものになり始 めていた 。
が 登場。 もともとは 南極基地 のために 開発 されたものだった
これではプレハブ 住宅 の モデ ルとしては 高価 すぎる。 かと
の 家」などを 発表 するが 、当初 は 和 モダン 風 の 住宅 だと思 わ
萌 えるような 若 葉、 森 とした 深 い 緑、 色 とりどりの 紅 葉、
が 、 それが 住宅 を 市場として 登場したのだ 。 木造不足 を 反映
いって 壁 に 釘 を 打ったら 隣 に 突 き 抜 けたなどという安普請 の
れていた 。 ところが 1966 年 の「白 の 家」あたりから空間 に 抽
寒風 に 晒 される枯 れ 枝 など、四季折々に 変化 する日本 の 風景
してか 、鉄骨系 が 主 であった 。
長屋 など論外。 となると、 サラリーマンの 一生涯賃金 から 算
象性 が 際立ってくる。
が 、年 がら 年中緑一色 に 染 められてしまい 、童謡「里 の 秋」
さて 、常々疑問 なのだが 、 いったいプレハブ 住宅 の 価格 は
出したに 違 い な い 。 そ の ためにサ ラリー マンはディベロッパ
増沢洵 や 池辺陽 などが 社会派的 な 立場 から 最小限住宅 に
が 描く風情 など都市近郊 では 見られなくなった 。(今 やこの 歌
どのようにして 決 められた の だろうか 。 誰 かご 存知 の 方 が い
ーやプレハブメーカー 、銀行 のために 一生 を 捧 げることにな
取り組 んでいるにもかかわらず 、「大 きいことはい いことだ 」
を 知っている世代 がどれだけいるのだろうか 。 嗚呼)
たら教 えてほしい 。 以下 は 私 の 邪推 である。
った 。 これが 私 の 邪推 である。
と言 わんばかりに 自由 に 住宅 を 設計していた 篠原 が 、抽象的
その 後、経済 はさらに 発展してドル 相場 はどんどん 下 がり、
もともとモデ ルにすべき 住宅 がなかった 。 戦後 まで 都会部
面白 いことに 、 ここ 10 数年 の 新規住宅着工件数 の 統計 を
芸術的 な 空間 へと向 かうのである。
そ れに 比例して 輸入材 も 安くなった 。 いまや 山 には 木材資源
では 賃貸 の 長屋 や 木造 アパート( かぐや 姫 の「神田川」の 背景
見 ると、着工件数 の 多少 にかかわらずプレハブ 住宅 のシェア
現代 にお い ても 住宅空間 の 抽象化 は 特殊解 な の だが 、篠
が 有り余って いるというのに 、我 が 国 の 木材自給率 はどんど
である)、農村部 ではまだ「結」が 残っていて 、自分 の 家 をお
は 14 %前後 を 行ったり来 たりして いる。 テレビや 新聞 など、
原作品 は 若手 の 建築家 たちに 大 きな 影響力 を 及 ぼしていく。
んと下降し、一時期 は 20 % を 割っていたが 、現在 ではなんと
金 を 出して 建 てるという習慣 は な かった 。 建 てられた の は 、
あらゆる媒体 を 駆使してあれだけコマーシャルをしても 。
住 みやすく快適 で 経済的 な 小住宅 に 対して 、異 なった 住宅設
か 30 % まで 持 ち 直したようだ 。
ほんの 一部 のお 金持 ちでしかなかった 。
日本 は 戦後 の 貧困 から経済成長 へと大 きく社会状況 が 変化
計 のアプローチがこのころから始 まったのである。
こんな 状況 だから、投機 で 里山 に 植林したにわか 林業家 た
岐阜県高山市 に「吉島家住宅」がある。 当主 の 七代目吉島
した 。 さらに 体制 の 変化 は 様々 な 面 で「自由」をもたらした 。
ちはもう振り向 きもしやしな い 。 世代交代 なども あり、 いま
休兵衛忠男 に 聞 いた 話 だが 、建 て 替 えるときには 必要量 の 原
そ のような 中 で 公共 の 建物、民間 の 建物、住宅、 そ の 背
や 山林 の 所有者 を 確定 することも 難しい 状況 となって い て 、
木 を 買 い 入 れ 、 それを 次 の 建 て 替 えまで 放置して 自然乾燥し
後 にある木材供給基地としての 山林 や 林業、 そして 社会。 ど
「谷川 さんの 家」を 発表し、 1961 年 に「 から傘 の 家」
「大屋根
持家政策と木材需要 で 林業 が 激変
釣鐘型の林齢別蓄積量が平行移動している。日本の国民
同様、森林も高齢化しているのだ。 いちばん 高 いあたり
で 全体 の 約 80 %以上を 占 めており、これが 現在樹齢 60
年生前後となって、まさに伐期を迎えている。(林野庁の
資料より)
1964 年(昭和 39 年)に 木材 の 輸入 が 自由化 されると、 それまで
100%近かった自給率が加速度的に減少し、一時期は 18%まで落
ち 込 んだ。 2010 年に国土交通省 は 公共建築 の 木造・木質化 を 打
ち出し、林野庁は 2020 年までに自給率を 50%以上に上げると言い
出した。 そのおかげか 昨年度 では 30 %を超 えている。(林野庁 の
新設住宅 の 構法別割合 1989 年(平成元年)から 20 年間 の 統計 である。 この 間、
18%弱 の 年もあるが、平均しても 14%前後を行ったり来たりしている。 その 代わり
に目を引くのがツーバイフォーである。着実に増加しているのがわかる。(国土交通
省の資料より)
資料より)
1960 年代 になって 戦後 の 貧乏暮しから 高度成長期 を 迎 え
現在 の 山 の 荒廃と結 びついている。
ておくという。 もともと蔵元 で 多くの 使用人 を 抱 えて い たか
れをとっても 揺籃期 で あったが 、同時 に 新しい 社会 へ 向 けて
たが 、その 背後には 朝鮮動乱による特需景気 が 幸 いしている。
この 拡大造林 は 第一次 オイルショックあたりまで 続 いたが 、
ら、手入 れも 十分 に 行 き 届 いていただろう。 200 ∼ 300 年 は
ポテンシャルが 高 まっていった 時代 でもあった 。 (続く)
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