伊達名臣列伝 其の一 片倉 小十郎 重長 写真: 片倉 重長 兜 紅顔の美少年、小早川秀秋にストーカーされる 伊達名臣列伝。記念すべき一回目。 今回は、片倉小十郎について、ご紹介します。ただ、「小十郎」といっても政宗の腹心とし て知られる父親の景綱ではありません。 景綱の嫡男として、天正十二年、重長は生まれました。 出生の時、主君の政宗に子がいないことに遠慮した景綱は、重長を殺そうとします。これ を知った政宗は慌てて制止の手紙をしたため、重長は危機一髪、一命を取り留めます。 うーん。戦国時代ってたいへん。 成長した重長は、たいへんなイケメンだったようです。 『片倉代々記』には、小早川秀秋にストーカーをされ、東福寺に逃げ込んだ逸話が残って います。 逃げ込んだ重長に、政宗から届いた手紙は、「一晩だけだから、小早川殿のもとへ行き、 夜の相手をせよ」という内容。当然、嫌がる重長。 政宗は、「ただ一夜のことじゃないか! 主君の命令であれば親の首すら切るものだろ う!」と、激励。 ……いや、もて過ぎるのも、大変ですね。 その後どうなったか、『片倉代々記』は沈黙を保っています。 もちろん政宗も重長を文字どおり寵愛しました。 政宗は、「このたびの先鋒は拙者に」と、願い出た重長(当節30歳)の手を引き寄せ、頬 大坂夏の陣の前、政宗は、重長のいる白石城に立ち寄ります。 「そなたに先鋒を命じずに、誰にするものか」――と、涙する政宗。 に口付けをしたと記録に残っています。 なんと素晴らしい主従愛。(……なのか?) かくして重長は、勇躍、大坂の陣に向かいます。 鬼小十郎 見参!! 政宗の口付けが効いたのか、重長の奮戦は見事でした。 猛将の名高い後藤又兵衛を撃破し、重長自ら槍を取り、首四つを取るという活躍ぶり。 一躍、その名を天下に轟かせます。 敵方の真田幸村(信繁)も、重長に目を付けます。 幸村は、落城寸前の大坂城から、「容色群を抜く」と書き残されるほど美しい愛娘、阿梅 を重長に託します。 成長した阿梅は、重長と結ばれ、戦国屈指の美男美女カップルが誕生することに。 あれ、そうすると、(はっきりと記録には残っていないものの)重長と肉体関係があったと ひょっとして小早川秀秋とも……。 推定される政宗は、重長をとおして、幸村の娘と深いつながりがあるのかも。 下世話な想像は止めましょう。 戦国一、花も実もある片倉小十郎重長。重長についてもっと知りたい人は、白石城を訪 ねてみてください。 次回は、もっとマニアックな 家臣を登場させますよ。 乞うご期待! 写真: 白石城
© Copyright 2024 ExpyDoc