虚弱高校生が世界最強となるまでの異世界武者

虚弱高校生が世界最強となるまでの異世界武者修行日誌
力水
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︻小説タイトル︼
虚弱高校生が世界最強となるまでの異世界武者修行日誌 ︻Nコード︼
N9782CS
︻作者名︼
力水
︻あらすじ︼
楠恭弥は優秀な兄の凍夜、お転婆だが体が弱い妹の沙耶、寡黙
な父の利徳と何気ない日常を送ってきたが、兄の婚約者であり幼馴
染の倖月朱花に裏切られ、兄は失踪し、父は心労で急死する。
妹の沙耶と共にひっそり暮そうとするが、倖月朱花の父、竜弦の
戯れである条件を飲まされる。それは竜弦が理事長を務める高校で
卒業までに首席をとること。
倖月家は世界でも有数の財閥であり、日本では圧倒的な権勢を誇
1
る。沙耶の将来の件まで仄めかされれば断ることなどできようもな
い。
こうして学園生活が始まるが日常的に生徒、教師から過激ないび
りにあう。
ついに︽体術︾の実習の参加の拒否を宣告され途方に暮れていた
ところ、自宅の地下にある門を発見する。その門は異世界アリウス
と地球とをつなぐ門だった。
恭弥はこの異世界アリウスで鍛錬することを決意し冒険の門をく
皆様のお蔭で第一巻を刊行することができました。心からお礼
ぐる。
※
を申し上げます。
書籍化によるダイジェ禁止に伴い、ここには本編を削除し、外伝
を掲載します。ご了承いただければ幸いです。
︱︱外伝は、本編未読の方でも問題なく読めるように書きました。
︵小説家になろうの規定により︶
物語をより理解した方が楽しめますので最初に設定集を作りまし
たので、本編未読の方はそちらの方を一読してからの方がより楽し
めると思います。外伝は最初に一渇で一章の終わりまで投稿し、一
週間に1万字くらいがベストかなと思っています。
本編はアルファにて更新予定です。︵本編は隔日くらい︶
アルファ
http://www.alphapolis.co.jp/c
ontent/cover/761069035/
上記でおそらくサイトに飛べると思います。よかったら読んでや
ってください。
2
3
キャラ紹介︵前書き︶
虚弱を初めて読む方は以下の人物紹介を見ていただければよりわ
かり易いです。
あとは物語が進むごとに理解できるようになってしますので新作
のつもりで読んでいただければと思います。
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キャラ紹介
虚弱を初めて読む方は以下の人物紹介を見ていただければよりわ
かり易いです。
あとは物語が進むごとに理解できるようになってしますので新作
のつもりで読んでいただければと思います。
●︽妖精の森スピリットフォーレスト︾関連:
くすのききょうや
■楠恭弥:本編の主人公。黒髪、中肉中前のパッとしない少年。
魔術ギルド︱︱︽妖精の森スピリットフォーレスト︾のギルドマス
ター。糞強い。
※恭弥の物語時点でのステータスは別で投稿します。
本編では︽殲滅戦域︾のコードネームであるライトと呼ばれる。
■ヘンゼル:精霊族の大鎌を持つ金髪少年。︽妖精の森スピリット
フォーレスト︾の幹部の一人。幼さの残った可愛らしい顔の半分に
泣き顔をモチーフにした白い仮面を被っている。
■グレーテル:大鎌を持つ精霊族の幼女。ヘンゼルの妹。︽妖精の
森スピリットフォーレスト︾の幹部の一人。
おもいかね
■思金神:恭弥が産み出した十四階梯の超越スキル。当初は人工知
能にすぎなかったが、進化して精霊のような高次元の存在に変化し
た。︵ただし本人は精霊であることを断固として否定︶
目的のためなら一切の手段を択ばない。超ド級の結果主義であり、
過程を溝に投げ捨てる。それ故にどこまでも残酷になれる。
5
■イフリート:元四大精霊王であり、︽妖精の森スピリットフォー
レスト︾の幹部の一人。
■ジン:元四大精霊王であり、︽妖精の森スピリットフォーレスト
︾の幹部の一人。
■妖精王オベイロン:︽妖精の森スピリットフォーレスト︾の幹部
の一人。脳みそまで筋肉でできている半裸のマッチョ。
●その他
■アルス:世界序列二位の最強の天族。金髪の10歳ほどの少年の
外見。享楽的な性格。
きさらぎほくと
■如月北斗:異世界アリウスに召喚された外道勇者。性欲の権化で
あり、寝取り趣味がある糞野郎。恭弥達に完膚なきまでに叩き潰さ
れた。
くすのきとうや
■倖月朱花:瑠璃と陸人の姉であり、倖月家の聖女であり、恭弥の
幼馴染。腰まで届く茶色がかったツインテールの美女。兄、楠凍夜
と婚約関係にあったが、一方的に朱花が破棄し、凍夜は失踪。それ
以来、恭弥は朱花を憎むようになる。
■倖月瑠璃:朱花の妹。近頃恭弥に冷たく当たられている。
■倖月陸人:瑠璃の兄であり、朱花の弟。恭弥を目の仇にしている。
しちほうまとい
■七宝纏:七宝家の息女。恭弥に執拗に絡む。瑠璃の親友。
出現精霊
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■ウインディーネ
●レベル145
●種族:精霊族
●属:四大精霊王
●五界で主:なし
■オルトロス
●レベル51
●種族:幻獣族
●属:神狼
●五界での主:フェンリル
■サリーマ
●レベル80
●種族:精霊族
●属:サラマンダー
●五界での主:イフリート
■灯
●レベル48。
●種族:精霊族
●属:ワンダー
●五界での主:グレーテル
■キマーラ
●レベル88
●種族:幻獣族
●属:キマイラ
●五界での主:マンティコア
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8
物語の設定︵前書き︶
物語にでて来る言葉を説明してみました。
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物語の設定
■地球:現在2082年。恭弥達が住む世界。魔術が支配する世界
であり、魔術師が公衆に認知されている世界。魔道科学が発展する。
■魔術審議会:地球の魔術師を取りまとめる組織として魔術審議会
がある。
■殲滅戦域:魔術審議会の抱える世界序列千番内で構成される世界
最強の組織。
■世界序列:世界の魔術師の総元締めである魔術審議会が年に四回、
魔術師の個々の強さを世界序列として発表している。
■五界:異世界として天界、竜界、精霊界、幻獣界、地獄界︵=冥
界︶の五界がある。
■同化者:五界の住人と魔術師の肉体の融合。五界の住人で超高位
の者は高度な精神生命体であり、この肉体の融合が可能となる。こ
の操作を同化という。この同化により無期限の地球での活動や、無
制限に力を振るうことが可能となる。︵ただし、五界のルールによ
◆
る制限はある︶。また、ステータスも著しく上昇する。
◆
◆
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★異世界アリウス関連
■異世界アリウス:恭弥が異界の門を偶然発見し、地球との交通を
可能とした異世界。
■グラム:冒険者を取りまとめる組織、冒険者組合の本部がある冒
険者の聖地。
■︽死者の都︾:都市グラムに存在する4つのダンジョンの一つ。
バベルのとう
他に、︽終焉の迷宮︾、北に︽死者の都︾、西に︽永遠の森︾、
南に︽裁きの塔︾がある。
バベルのとう
■︽裁きの塔︾:グラムのダンジョンの中で最も難易度が高い。
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魔術・スキルの設定︵前書き︶
魔術スキルについてより詳しくまとめてみました。
初めての方はこれを読みつつ進めていただければと!
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魔術・スキルの設定
■スキルと魔術の強度:第一∼第十四階梯まである。
さらに以下の区分︱︱ランクに従う。各ランクにより、各段の違
いが生じる。例としては一般と固有では天と地の差がある。さらに
14まで存在する。
五界でも︽至高︾ランクの者を持つ者は非常にまれ。
●︽一般︾:第1階梯
●︽固有︾:第2階梯
●︽至高︾:第3∼5階梯
●︽混沌︾:第6∼8階梯
●︽虚無︾:9∼14階梯
■武具・魔術道具・食材の強度:LV1
さらに以下の区分にしたがう。これも各区分︱︱ランクにより各
段の違いが生じる。
●初級:LV1
●中級:LV2
●上級:LV3
●最上級:LV4
●伝説級:LV5∼7
●神級:LV8∼10
●混沌級:LV11∼14
※神級の扱い
●異世界アリウス︱︱神級の武具・魔術道具マジックアイテムは神
々が嘗て所持していたものとして世界には数個しか存在しない。
●地球︱︱魔術審議会、米国をはじめとする大国が保持するに過ぎ
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ない。
■魔術の詳細について
◎1:魔術の種類と術のレベル
★魔術の分類には魔術種と固有の術がある。
レベル
・魔術種:分野の事であり、黒魔術、白魔術のような大きな枠を意
味する。
・固有術:特定の分野に含まれる固有の術のことであり七段階に分
類される。例えば、黒魔術の爆炎がこれ。
★術のレベル
●LV1︱︱個々の魔術師が扱うべき一般の戦術級魔術。
●LV2︱︱中位から上位魔術師が扱うべき戦術級高位魔術。
●LV3︱︱各組織でもトップクラスの力を持つ魔術師が扱うべき
戦術級最高位魔術。
●LV4︱︱複数の最高位魔術師達で発動させる初級戦略級魔術。
●LV5︱︱複数の最高位魔術師達で発動させる中位∼上位戦略級
魔術。
●LV6︱︱通常複数の禁術がある。
●LV7︱︱属する魔術種の最大奥義にして余の摂理を捻じ曲げる
最大の禁忌。
※禁術︱︱一度審議会に認定されると語ることすら許されぬ、余の
基礎魔術:
摂理を捻じ曲げる術の総称。
◎2:
●黒魔術:自身の魔力と自然を接続し操作する力。魔力によって自
然現象を扱う力。
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●白魔術:肉体の治癒力を大幅に高めたり、肉体を強化したり、自
身に情報受信機に似た機能を持たせ他者と伝達を行ったりする魔術。
つまり生命に影響を与える魔術。
●青魔術:五界の住人のルールを一部使用する魔術。
ex︶︽祝福︾:天族の起こす典型的な奇跡。この︽祝福︾は通常
天族にしか扱えないが、この︽祝福︾実行のコントローラーと魔力
によってアクセスし、一時的に使わせてもらう術。
●赤魔術:別名精神魔術。自己の魔力により相手の脳等の神経系を
操作し、精神支配する魔術。典型的なのが幻惑を見せたり魅了した
りすること。
●降霊術:別名心霊術ともいう。霊の存在を知覚し扱う術。
●呪術:自身に対し一定の制約をすることにより呪力を上昇させる
タイプと、相手に呪いをかけるタイプがある。この呪術は強力だが、
制約を破ったときや相手にかけた呪いが破られたときの反動が凄ま
じい。
●召喚術:天界、地獄界、竜界、幻獣界、精霊界からそれぞれ天族、
魔族、竜族、幻獣族、精霊族を呼び出し契約する魔術。通常、一定
の期限による誓約がある。
●特殊魔術:
■個別スキル
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
︻終焉剣武Ω︼
★説明:あらゆる世界の剣術の終であり、剣士の真の終着点。そ
の初級。虚無10階梯までのあらゆる剣術・剣技を創造し、伝授可
能。
大気中にある魔力を用いて刀剣を創造し操作することができる。
創造した刀剣は時間が経過しても消失することはなく、刀剣の形態、
大きさ、基本性能、特殊能力付与は発動者の意思によって随時自在
に変化可能である。ただし創造しえる刀剣は混沌LV12までに限
られる。ただし混沌LV11、12の刀剣の創造には発動者のMP
を消費する。
・︽終の型Ⅰ︱︱阿修羅︾:不可視の6つの腕を持ち、刀剣を持
てば八刀流。
・︽終の型Ⅱ︱︱不知火︾:因果律逆転の剣技。
・︽終の型Ⅲ︱︱不滅弾︾:自身から5kmの範囲で結界を張り
その内部の標的すべてを認識する。認識した標的に対する剣による
自動追尾システム。剣は発動者の意思に無関係で存在が消滅するま
で攻撃を加え続ける。
・︽終の型Ⅳ︱︱不動明王︾:自身から5kmの範囲で結界を張
り、内部へ侵入するあらゆる攻撃を迎撃する。
・︽終焉の型Ωオメガ︾:剣術の真理への到達。あらゆる世界で
最強にして最高の剣術を取得する。
★LV6:︵︱︱%/︱︱%︶
★ランク:虚無
★階梯:12
★進化:︻終焉神戯しゅうえんしんぎ︼への進化。
〇進化条件:︻終焉の星雨エンドスターレインΩオメガ︵レベル
6︶︵スキル︶︼と︻終焉拳武Ω︵レベル6︶︵スキル︶︼と︻終
焉召喚Ω︵レベル6︶︵スキル︶︼と︻終焉進化Ω︵レベル6︶︵
スキル︶︼とを︻終焉剣武Ω︵レベル6︶︵スキル︶︼に融合進化
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させる必要がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・
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プロローグ 唐突な始まり︵前書き︶
初めての方は初めまして! 本編を読んでくださっている方は、
二週間ぶりです! 色々、こちらの都合で振り回せてしまい申し訳ありません。︵^
^︶/ それでも読んでいただけるかたに感謝です。
それでは結構長くなると思いますが宜しくお願いいたします。
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プロローグ 唐突な始まり
︽死者の都︾ 聖使徒の聖櫃 楠恭弥
今僕︱︱楠恭弥がいるのは異世界アリウスのダンジョンの一つ︱
︱︽死者の都︾の深域に位置する密林が支配する領域。
密林の樹木が綺麗に切り取られた半径三百メートル程もあるサー
クル状の赤茶けた土の上に整然と立ち並ぶところどころ砕けた無数
の墓石。そのど真ん中に巨大な霊廟がドンと聳え立っていた。
霊廟は本来豪奢な造りなのだろうが緑ゴケや所何処が欠けている
箇所があり、逆に人間の根源的な恐怖を誘う。そしてその悪趣味な
霊廟の扉には﹃聖使徒の聖櫃﹄と刻まれている。
﹁で? グレーテルが入ってから出てこないのってここの中?﹂
事件に次ぐ事件で疲れ切って自宅のベッドで爆睡していると凶悪
精霊の兄ヘンゼルからの連絡で叩き起こされた。
呼び出された理由はヘンゼルの妹︱︱グレーテルがダンジョンに
喰われた。普段冷静なヘンゼルの壮絶にテンパった声色は僕の眠気
を吹き飛ばすには十分だった。
﹁はい。あの馬鹿、俺が止めるのも聞かずに突っ走りやがって!﹂
苛立ち気に土を蹴るヘンゼル。その幼い顔には怒りと強烈な焦燥
スピリットフォーレスト
がありありと浮かんでいた。
僕ら魔術師ギルド︽妖精の森︾では、ダンジョン攻略につきいく
つかのルールが定められている。
第一、ダンジョン内では原則三人以内のチームで行動しなければ
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ならない。
第二、危険なトラップがある可能性があるゾーン︵以下危険ゾー
ン︶には必ず一人以上残してはいる。
第三、危険ゾーンに侵入しメンバーが暫くしても戻らなければ速
おもいかね
やかに自らが所属する部署の幹部に伝え、所属幹部は僕か人工知能
おもいかね
スキルである思金神に伝える。勿論、幹部が緊急事態に陥った場合
おもいかね
は僕か思金神に直接伝えることになる。
この手の事態は大抵頼まれなくても思金神の奴が処理する。あの
悪逆人工知能スキルは現在商談中であり、僕しか動けなかった。だ
からこうして慣れない救助作業に出張って来たのだ。
﹁この遺跡に入ってからどのくらい時間経つの?﹂
﹁⋮⋮もう三十分近く⋮⋮﹂
憂わしげな表情で視線を地面に固定するヘンゼル。
﹁大丈夫。心配するなよ﹂
ヘンゼルの小さな金色の頭に手を乗せてポンポンと軽く叩くと僕
は遺跡に向かい歩き出す。
僕の後をぴったりとついてくるヘンゼル。
﹁遺跡に入るのは僕一人だけ。
君らは僕が二十分経っても部屋に戻って来なければ、他の幹部に
知らせろ﹂
悔しさに歯をかき鳴らすヘンゼルに再度、今度は乱暴に頭を撫で
て聖櫃の扉の前に立つ。
扉に右手を掛けると、ゴゴゴッと石が擦れる音を伴い扉が開く。
20
◆
◆
◆
聖櫃の扉の向こうは真っ黒な石で周囲が囲まれた階段となってい
た。
かなり歩いた。距離的に五百メートルは確実にあったと思う。
階段を降りると広い円柱状の空間に出る。ここもやはり床、壁、
天井全て真っ黒で、部屋の隅には青白く発光する魔術道具が設置さ
れていた。
﹁あっ!! マスターですわ!﹂
僕の腰にジャンピング抱きつきをかましてくる金髪幼女。
ブカブカの黒色のローブに、ウエーブがかった腰まで伸びた長い
金色の髪、凶悪でわがままな性格とは裏腹の幼い可愛らしい風貌。
この幼女がグレーテル。これでもヘンゼルと同様、︽妖精の森スピ
リットフォーレスト︾の幹部の一人だ。
兎も角、ここはあの陰険な天族アルスの創ったダンジョン。正直、
凄惨な事態になっている事も視野にいれていたのだ。だから僕を見
上げるグレーテルの能天気な顔を視界に入れ肩の荷が下りたように
ほっとしていた。
﹁ヘンゼル達が心配してる。ここを出るよ﹂
﹁それが駄目なんですの﹂
グレーテルの手を握り、外へ連れ出そうと歩き出すが、彼女は立
ち止まり大きく首を左右に振る。
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﹁駄目?﹂
﹁ええ、出ようとしてみればわかりますわ﹂
階段はなくなっていた。比喩じゃない。ホントに綺麗さっぱりな
くなっているんだ。階段があった場所には端から何もなかったよう
に石で覆われていた。
一つ、試してみよう。僕は異空間から右手に一振りの血のように
赤く透き通った長剣を顕現させる。この剣はルイン。僕の命を預け
るメインの武器。このルインで駄目なら他の武器でも結果は同じだ
ろう。
ルインを上段から壁に振り下ろすが、傷一つつかない。やはり特殊
な結界でも張ってあるようだ。
﹁ダメか⋮⋮ところで君、なんでそんなに嬉しそうなの?﹂
満面の笑みで僕の腕にしがみ付き頬ずりをしているグレーテルは
どうも緊張感に欠ける。というか痛い子にしか見えん。
﹁気のせいですわ﹂
気のせいにはとても見えんのだが⋮⋮まあ変に暗くなるよりかい
いか。
﹁出る方法は⋮⋮やっぱ、あれだよなぁ﹂
﹁ですわね﹂
僕らの視線の先は大きな祭壇と棺。この施設の名前が聖使徒の聖
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櫃だし、十中八九、あの棺には何かある。このやけに凝った演出と
アルスの悪趣味さ加減を鑑みれば正直悪寒しか湧かない。
﹁僕は少しあの棺、調べるから君は階段の所にでも待機しててよ﹂
﹁イヤですわ﹂
ニコニコと微笑のこびりついた顔を僕に向けて来るグレーテル。
︵またか⋮⋮︶
この頃、この笑顔をする女性が僕の周りに増えて来た。そして大
抵、僕の話に耳を貸してはくれないんだ。
大きく息を吐き出して僕の腕に抱き枕のごときしがみ付く小動物
グレーテルにヤバくなったら直ぐ離れて退避するように指示し、棺
へ向かう。
巨人族用かと思わず突っ込みたくなるよう馬鹿でかい棺の蓋を開
ける。
アルスなら引きずり込むくらいする。思わず身構えてしまったわ
けだが、棺の底には一枚の銀色のカードが入っていただけだった。
手に取って調べるがカードの表裏とも文字等は一切刻まれてはい
ない。
︵まさかね⋮⋮︶
カードに魔力を通してみると瞬時にタブレットサイズまで大きく
なる。同時に文字が浮き上がり始めた。
その内容は僕にとって不快そのものだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
23
げーむせつめいしょ
︻遊戯説明書︼
★おめでとう! 君は英雄としての器があると認められたよぉ!
これから君には世界を救う旅に出てもらう。クリア条件、ルール
とクリアした者の権利は以下だ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この悪質な遣り口、やはり、アルスか。︽死者の都︾を創ったの
もあのはた迷惑なクソ天族だ。この展開も予想もしなかったわけじ
ゃない。この先など見たくもないのが僕の偽りのない本心だが、多
分それでは話しは一向に先に進まない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
︻クリア条件︼
■僕の指定するラスボスと中ボスを討伐してもらう。勿論、君じゃ
なくても倒せればOK。でもぉ∼、君以外には基本、倒せないよう
に設定してありまぁ∼す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後は完璧に僕にたいするメッセージになっている。あの野郎。
完璧に楽しんでやがるな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
其の一:召喚者︵君を召喚した者︶の死亡は即失格であり、帰還は
できなくなる。
其の二:被召喚者︵君︶は召喚者に己の力を悟られないように努め
なければならない。
マジックアイテム
其の三:被召喚者は召喚者の命に従わなければならない。
其の四:被召喚者は召喚者に魔術やスキルの才能や魔術道具や武具
を与えてはいけない。
24
其の二とその三のルールに抵触すれば凡そ三日で討伐しなければ
ゲームに敗北し、帰還はできなくなる。四は即失格し、やはり帰還
はできなくなる。
クリアの期限はなし。クリアは中ボスとラスボスを討伐しさえす
れば今から数分後に戻る親切設定でぇ∼す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・
眩暈がした。阿呆か!! あんにゃろ! 悪ふざけにもほどがあ
んだろ!! マジックアイテム
ゲームのクリア条件が其の一の﹃召喚者の死亡を阻止する﹄と其
の四の﹃召喚者に魔術・スキルの才能と魔術道具、武具を与えては
いけない﹄はまだいい。よほどのことがない限り頼まれても許すわ
けがないから。だがその他の其の二と其の三は絶望的に僕に不利だ。
ラスボスと中ボスの討伐がクリア条件なら、召喚者との情報交換
は最も重要な事項と言っても過言ではない。それが﹃召喚者に己の
力を悟られないように努めなければならない﹄だ。多分自分から僕
の自身の力を故意に伝えるのはもっての他だろう。問題はこの﹃力﹄
とやらが何を指すかだが、今は検証しようもない。
其の三も気が狂っている。大体、どこぞくされ外道にでも召喚さ
れたら僕がその所業に加担させられることになる。冗談じゃない。
唯一の救いはクリアに期限がないことくらい。他はマジ最悪だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
︻クリアした者の権利︼
望みを一つだけ叶える事ができま∼す。ただし僕が可能なことね。
でも大丈夫さ。ほとんどできない事なんてないから。あと外に無事
帰還ができてぇ︱︱最後のは︱︱クリア後のお楽しみ。
それじゃ張り切って英雄として活躍しちゃってくださ∼い!!
25
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕の身体が輝き始める。
︵はは⋮⋮この後の展開が予想できる︶
﹁マ、マスター!!?﹂
堪えがたい焦燥に僕の服を掴むグレーテル。笑顔を浮かべつつも
その頭をそっと撫でる。
﹁少し行ってくるよ。心配しないで。直ぐに帰るからさ﹂
視界が歪み僕の意識はプツンと切れた。
26
プロローグ 唐突な始まり︵後書き︶
設定資料をつけておきますので、初めての方はそれを読めばより
わかり易いと思います。
27
第1話 悪夢 織部紅葉
おりべくれは
私、織部紅葉の右手には母の優しい手が、右手にはゴツゴツとし
て大きな父の手が握られている。
あしど
ヒグラシの演奏の下、二人にぶら下がりながら、目的地の遊園地
へ向けて屋敷と芦戸市を結ぶ坂を下りていく。
父は仕事が忙しく家族で遊びに行くことなど滅多にない。夏休み
を利用し、祖父の家に修行に行っている出来の良い妹も現地で集合
する手はずになっている。まさに家族そろってのお出かけなのだ。
だからこのとき私は激しい喜びで心がいっぱいになっていた。
得意げに幼稚園で習った曲を歌っていたら通り過ぎる大人達が私
あしど
を見て暖かな笑みを浮かべる。
遂に私達は芦戸市駅前に来てしまう。
︵行くな!! いくな!! 行くなぁぁ!!!︶
無駄だ。わかってる。これはいつもの質の悪い夢。単なる記憶の
再生に過ぎない。
信号が青となり、駅前のスクランブル交差点を渡り切ったとき上
から幾つもの光が振ってくる。
視界が真っ白に染まり、思わず瞼を閉じる。
﹁お父さん? お母さん?﹂
返事がないので瞼をゆっくり開けると、そこには手だけとなった
父と母がいた。
⋮⋮
28
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
瞼を開けると視界がぼやけている。私は視力が悪くない。寧ろ学
校に健康診断にくる眼科医がドン引きするくらい良く見える。現実
逃避をするのは止めよう。視界が悪いのは留めなく流れる涙からだ。
裾で涙を拭い、洗面所へ向かう。
﹁ひどい顔⋮⋮﹂
すっかり腫れあがった目に苦笑しつつも顔を水で洗う。今は晩夏
だが悪夢にうなされる程度には寝苦しい。冷たい水は淀みきった私
の気持ちを僅かだが洗い流しくれた。
◆
◆
◆
コンビニのお握りとカップラーメンというお馴染みの朝食を食べ
終えて﹃清慶学園﹄の制服に着替える。
﹃清慶学園﹄は私が通う学校。朝のホームルームの開始は八時四
十分。現在は五時五十五分。普通、朝の弱い私は学校にギリギリで
向かう。この時間に起きているのがまさに奇跡なのだ。勿論、あの
胸糞の悪い夢を見た事も多少はあるが、今朝はどの道、よらねばな
らない場所がある。早起きは必須だった。
そろそろ時間だ。腰を上げた途端、玄関のベルが鳴る。どうやら
到着したらしい。せっかちなあの人らしい。
鞄を持って玄関へ行き扉を開けると執事服を着用した白髪の老人
が頭を軽く下げていた。
29
くれは
﹁紅葉お嬢様、お迎えに上がりました﹂
﹁良治さん、ありがとう﹂
﹁どうぞ﹂
手の先を私の屋敷の門の前に止められている黒塗りの車へと向け
る。
乗車して約三十分後、郊外の山道に入って暫くすると一際大きな
門が見えて来た。
門に入り、さらに十分程車を走らせると高校程もある巨大な屋敷
が遠くに見える。我が祖父ながら、あの敷地と屋敷はこの狭い日本
では反則だと思う。
車は屋敷の隣の地下の駐車場へ入って行く。
車から降りると、数十人の執事やメイド達が一斉に列を為し頭を
下げてくる。
︵もうっ! この手のお出迎えは止めてって毎回言ってるのに!︶
良治さんは一礼するとゆっくりと歩き出す。
前を歩く良治さんの後ろをついていくと食堂に通される。まあ食
堂といっても軽く学校の学食ほどの大きさはある。しかも料理は一
流レストラン以上。
実際に日頃、この食堂を利用しているのはこのブラウン色のテー
ブルクロスのかかった細長いテーブルの一席に座っている老人とあ
と一人のみ。
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いずみかろく
このテーブルに座っている老人が私の祖父︱︱泉嘉六であり、日
本最大の財閥︱︱泉財閥の総帥。
六十五を超えているとは思えぬ巨躯に顎鬚を蓄えたその姿はビジ
ネスマンというよりは老兵の方がぴったりイメージに沿う。このゴ
ツイ姿に似合わず大の子供好きであり、幼い頃はよく遊んでもらっ
た。
くれは
﹁おお、紅葉、よく来たな﹂
お爺ちゃんは下唇を横に引っ張りニッとするいつもの陽気な笑顔
を浮かべる。
くれは
﹁おはよう。お爺ちゃん﹂
くれは
﹁おはよう。紅葉、さあ、早く座りなさい。
良治、紅葉にも朝食を︱︱﹂
﹁御免、私もう食べて来たからいらないわ﹂
お爺ちゃんは大きな息を吐き出すと、良治さんに一言、二言伝え
る。
良治さんは頷き奥の個室に姿を消すと、黒色の布袋を持ってくる
と私の前のテーブルの上にコトッと置く。
お爺ちゃんは顎で私に布袋の中身を確認するように指示してくる。
布袋をひっくり返すと、中から真っ赤な石が転がり落ちる。手に
取り色々な角度から眺め回す。
間違いない。父の資料にあった﹃真赤玉﹄だ。﹃真赤玉﹄はその
意思の赤さが強いほど純度が増すところ、この石は一点の曇りもな
く真っ赤だ。最高純度。これなら触媒として十分すぎる。今日の霊
獣召喚の儀式も万事上手くいく。
31
﹁お爺ちゃん、ありがとう!!﹂
身を乗り出すと、 お爺ちゃんは笑顔を消し神妙な顔で私の目を
見つめて来る。
くれは
﹁紅葉、儂は約束を守った。今度はお主の番じゃぞ?﹂
﹁ええ﹂
私はこの﹃真赤玉﹄の調達を お爺ちゃんに頼んだ。父の残して
くれた資料によれば﹃真赤玉﹄は様々な術の儀式に用いられる万能
の石。その重要性は幸いにも一般に知られていないが、厄介な事に
この石、加工のし易さから宝石としても非常に高価だ。一般人が手
に入れるのは不可能と言っても差し支えないが、その点 お爺ちゃ
んの財力と情報網なら発見、取得も可能だったというわけだ。
この私の依頼に お爺ちゃんは二つ返事で了承した。ただ、その
代わり、二つの条件を出したのだ。
一つ目の条件が、私が危険な行為をするときは必ず お爺ちゃん
の事前の了承を取ること。
二つ目が、妹同様、お爺ちゃんの保護下に加わる事。
この二つだ。
お爺ちゃんにとって妹と私が唯一の肉親だ。幼い頃から目に入れ
ても痛くないほど溺愛してくれている。
だから感謝はしているが、駄目だ。駄目なんだ。まだ私は使命を何
も為し得てはいないから。
﹁そうか﹂
お爺ちゃんの顔から険しさが消えた。何時ものゆったりと優しい
32
笑顔に戻る。
︵御免、お爺ちゃん︶
内心に尾を引く呵責の念に祖父に心の中で何度も謝りながらも私は、
屋敷を後にする。
◆
◆
いずみかろく
◆
清慶学園︱︱泉嘉六が理事長を務める日本最大のマンモス高。そ
の生徒数は全国平均の十数倍にも及ぶ。
小、中、高、一貫教育で定評があり、大学も二十世紀初頭、私立
では初めてのノーベル賞受賞者が本大学から出てから、毎年のよう
に世界の科学賞を連発させている超高度な研究機関でもある。
とても学校とは思えない大きな門を私を乗せた車は通り過ぎる。
学校内は小学校、中学校、高校、大学の順で門から離れて配置され
ている。近くの小学校は兎も角、高校設置区域なるとバスでなれば
とても移動する気が起きない距離だ。
車は小学区、中学区を過ぎて高学区へと進む。
﹁ここでいいわ。良治さん、ありがとう﹂
﹁まだ距離はかなりありますが、よろしいので?﹂
﹁うん、丁度いい運動になるから﹂
33
良治さんは顔を曇らせると車のドアを開けてくれた。彼には私の
考えなど御見通しらしい。
お爺ちゃんの提案には同意した。騙すようなことをして心に薄荷
のような後味が残るのも事実だ。だが私はお爺ちゃんの保護下に入
る気などない。保護下へ入れば私が死ぬ程嫌いな奴と将来結婚させ
られる羽目になりかねないし、何より、それだけは妹が絶対に許し
はしないことだから。
泉家と接触している所をクラスの人達に見られたくはない。軽く
礼をして校舎へ向かう。
34
第2話 祓魔師
特進科のある校舎の裏に私の通う﹃祓魔科﹄はあった。
広いグラウンドをつっきり、昇降口から建物の中に入り、下駄箱
の蓋を開ける。
くれは
﹁やっぽ∼、紅葉たん!﹂
背後から抱きつかれて胸を鷲掴みにされる。
﹁こ、この小ぶりさがまたたまら︱︱﹂
足元から駆けのぼってくる悪寒に身を任せて不埒者の鳩尾に肘鉄を
ぶちかます。
﹁ぐえっ!﹂
踏み潰された雨蛙のような哀れっぽい声を上げて悶絶する不埒者。
﹁ひどし⋮⋮﹂
﹁朝っぱらから何やってんのあんた⋮⋮﹂
さめざめと泣く変質者に視線を落とす。
にいみなみ
可愛らしい顔に、真っ赤な髪に赤い瞳、良くて中学生にしか見え
ない幼い容姿。この子は新見奈美。一応、腐れ縁と言ってはおく。
因みに性別は一応<ruby><rb>女</rb><rp>(<
/rp><rt>めす
35
</rt><rp>)</rp></ruby>だ。
﹁そ、その汚物を見るような視線⋮⋮マジhshs﹂
この子がどこまで本気なのかいまいち私にはわからない。
なみ
変態に構ってホームルームに遅れるのも馬鹿馬鹿しい。歩き始め
ると奈美が私の横に並び、視線を私の胸に固定してくるので取りあ
えず裏拳をかましておいた。まあ殴っても益々興奮するだけで効果
など皆無だが。
教室に入ると額に太い青筋を立てた赤髪の少年が詰め寄って来る。
なみ
﹁奈美、お前、昨日の自己鍛錬またさぼりやがったな! 婆様がカ
ンカンで俺がえらいとばっちり受けたぞ﹂
﹁兄貴、ゴメス!﹂
なみ
手を合せると一目散で教室から逃げ出していく奈美。蟀谷に指を
あてて怒りを抑えた赤髪の少年が私に近づいてくる。
くるす
﹁おはよ、来栖﹂
にいみくるす
なみ
新見来栖。伝統ある陰陽師の家系︱︱新見家の次期当主であり、あ
の変態の兄。
﹁ああ、おはようだ﹂
ムスッとしかめっ面で答える来栖。近頃の来栖はいつも私に対し
こんな感じだ。特に最近は全く自分から話しかけてすら来なくなっ
た。
机に突っ伏すと、今日は珍しく来栖が私の机までやってくる。
36
﹁今日だな﹂
﹁そうね﹂
来栖の言わんとしている事はわかる。この﹃祓魔科﹄に在籍する
者にとって今日は文字通り人生を左右する極めて特別な日なのだか
ら。
現に、普段友人達との談話に夢中なクラスメイト達は運命と取り
組むような真剣な顔付きで席について今日の召喚に使う小道具を机
の上に並べて確認している。
﹁ま、百年に一人の天才様なら余裕なんだろうがよ﹂
なみ
口端を上げると教室に入って来た奈美に怒声を浴びせかける。
肩を竦めると今度こそ自分の椅子に腰を降ろす。
◆
◆
◆
ホームルームは主に今日の霊獣召喚の話。普段、教師の話など耳
を貸さない我がクラスメイト達が今日に限りは一言も聞き漏らすま
いと皆そわそわしていた。
エクソシスト
霊獣召喚︱︱異界から精霊や幻獣を呼び出し使役する現代祓魔師
達の最後の切り札。
2030年、初めて人類は人間以外の知的生命体に接触する。そ
の本来記念すべきはずの会合はある意味最悪の形で人類の記憶に刻
まれることになる。
37
2030年12月24日。後に﹃血のクリスマス﹄と呼ばれる妖
魔なる知的生命体による大量虐殺事件。妖魔よる被害を受けたのは
各国の主要都市。この妖魔によりたった数日で人類の六十分の一に
も及ぶ一億近くの死者が出た。
この人類観測史上最悪の事件により一時、各国政府と軍隊は機能
不全状態に陥ったが突如、天から青白い光が雨霰と降り注ぎ、妖魔
達を軒並み消滅させてしまう。
そして米国ニューヨークのマンハッタンに一つの石板が出現する。
﹃我は天の意思。
我は最も神聖成り。
我は最も不可侵成り。
我は最も絶対なり。
我が子供達よ。我の天啓に耳を傾けよ。
十の年が過ぎ去るとき幽界の門と鬼界の門は再び開く。
︱︱備えよ。妖魔共に備えよ。
︱︱備えよ。鬼共に備えよ。
我は汝ら子供達に魔を滅す力を与えん﹄
いくら妖魔という不可思議な存在により人類が絶滅の危機に瀕し
ていたとしても、こんなできの悪い漫画や小説のような天智など通
常なら誰も信じない。
しかし世界は不自然なくらいこの天智を信じた。いや信じざるを
得なかったのだ。その石板の下には各国分の非常識なカードが静置
してあったから。
そのカードを触れたものは異界から一体から数体、精霊又は幻獣
を呼び出すことができたのだ。これが霊獣召喚の原型となった術。
だがカードが霊獣召喚なる術を付与できる回数にも制限があった。
これでは到底、十年後の妖魔の襲撃に太刀打ちはできない。
頭を抱えていた各国政府に幸運が紛れ込む。一人の天才が現れた
のだ。
38
彼は今まで世界でひっそりと息を顰めていた超能力者、魔法使い、
エクソシスト
エクソシスト
錬金術師、仙人等と称されていた超常的力を有する者達を集めて一
つの組織を造り出した。これが祓魔師で構成される﹃世界祓魔師協
会﹄という組織。
本来日陰者の彼らがこの未曾有の危機に協力した理由には諸説あ
るが、単なる正義感からではないとするのが一般の通説的な見解だ。
要するにこのままでは己が探求してきた研究が消失し、守って来た
大切なものが壊されてしまう。それを守ろうとした。そんな自分勝
手な理由だったらしい。だがそんな自己中心的な意思はこのとき始
エクソシスト
めて一つにまとまり、あり得ない程の成果を示すようになる。
天才に率いられた超人︱︱祓魔師達はカードを研究し尽くし、その
複製までこぎつけた。さらに各分野の奇跡を体系化し、法術を生み
出したのだ。
こうして迎えた十年後。天智通り、開いた幽界の門はから雪崩の
ごとく押し寄せ来た妖魔を一掃することに成功する。歓喜で湧き上
がる人類。
しかし、直ぐに人類は大きな思い違いをしていたことに気付かさ
れる。それは倒した妖魔は幽界において精鋭でもなんでもなく単な
エクソシスト
る雑兵にすぎなかったという事実。この認識の致命的な誤りは数体
の妖魔の精鋭が門を通る事で証明される。
たった数体の妖魔の精鋭により、トップクラスの祓魔師のチーム
が全滅したのだ。さらに調査では鬼と呼ばれる人型の化け物はこの
妖魔の精鋭すらも超える事がカードに蓄えられていた情報からわか
っている。
天才はこの劣勢な危機的状況の打開のため己の全てを用いて幽界
と鬼界に何重にもわたる結界を張る。妖魔には危険度の高さに応じ
て、破滅級、天災級、災害級、特級、連帯対処級、個人対処級の六
段階があるところ、この結界は災害級以上の妖魔や鬼の通行を完全
に阻害する。そんな不完全な効果しか持たない結界。要するに天才
は世界に破滅をもたらすような妖魔や鬼を幽界や鬼界へ封じ込める
39
事で世界の平穏を取り戻そうとしたのである。
確かに災害級以上の強力な魔物の侵入も抑える事はできた。一方
で人類最強の天才も結界を張らなければならず、戦闘継続が不可能
となった。
ここで人類と妖魔・鬼との戦争は完全な膠着状態へと陥ったのだ。
エクソシスト
もっとも膠着状態といっても特級以下の妖魔は抜けて出て来しま
エクソシスト
エクソシスト
う。優秀な祓魔師の数の補充と能力強化必須だった。
エクソシスト
優秀祓魔師の補充の要請は国連と﹃世界祓魔師協会﹄が協力し、
エクソシスト
エクソシスト
エクソシスト
エクソシスト
祓魔師達をその強さによって、聖帝、聖王、聖騎士長、聖騎士、第
一級祓魔師、第二級祓魔師、第三級祓魔師、仮免祓魔師の8段階に
エクソシスト
分類し、その教育内容の充実化、ライセンスの厳格化を図った。さ
らに凄まじい特権と富を祓魔師に与えることでこれらの要請は楽々
クリアできた。
エクソシスト
そして同時並行的に霊獣召喚の効率化も図ってきたわけだ。今で
は霊獣召喚は祓魔師になるための最も基本となる前提条件となって
いる。
エクソシスト
今日の霊獣召喚により、今後の身の振り方が変わる。仮に今日の
霊獣召喚にしくじれば、祓魔師のライセンスの取得は限りなく難し
くなる。だからこそクラス内は極度の緊張状態に陥っているのだ。
◆
◆
◆
ホームルームが終了し第一闘技場へ移動するように指示を受ける。
闘技場は全クラスが既に集まっていた。
闘技場は高さ一メートル、半径百メートルの円柱で囲まれた武台
とそれを取り囲む場外と正六角形の観覧席からなる。
今私達がいるのは観覧席だ。今日一日かけて﹃祓魔科﹄二階生の
生徒の霊獣召喚の儀式を執り行う事になる。
40
自身の霊獣召喚の儀式が終わり次第終了となる。とは言っても、
最後まで見ない生徒などいないだろう。
確かに私の法術はこの学校ではトップレベルだ。その自負はある
し努力もしてきた。でも所詮私は人間レベルでの最強に過ぎない。
この霊獣召喚は異界の精霊、幻獣と言った超常的存在を呼び起こし
使役する法術。精霊、幻獣に人間風情が太刀打ちなどできるはずも
ない。
霊獣召喚儀式後、私達法術師は精霊や幻獣たちの補助に徹すること
になる。
そして世界聖騎士選定杯の日本代表として選抜されるのはこの日
本ではこの祓魔科のあるこの学校の学生達の中から四名のみ。
世界聖騎士選定杯で優勝すれば一足飛びに聖騎士になれる。聖騎
あいつ
士になればAランク相当の情報もノーリスクで取得可能となる。そ
うなれば私が欲しい彼奴の情報も手に入れることができる。
要するに私は将来、真の意味でのライバルを近くでこの目で見てお
きたいんだ。
いちのとり
﹁やあ紅葉、僕の隣が開いている。座りなよ﹂
いちのとりかんた
面倒な奴に絡まれた。
此奴は一ノ鳥寛太。私や来栖達と同様、一ノ鳥寛太家は由緒ある
法術師の系譜。此奴の法術の才能はかなりのものだ。
かんた
﹁寛太君、そんな奴放っておこうよ!﹂
一ノ鳥に抱きつく隣の色黒ショートカットの女性が胸やけしそうな
甘ったるい声で私に敵意の籠った瞳を向けて来る。
﹁そんなこと言っちゃいけない、織部は僕の許嫁だからね﹂
41
その言葉に周囲の女生徒達から敵意が一斉に集まるのがわかる。
こいつ
そうだ。私がお爺ちゃんの保護下に入りたくはない理由の一つが
此奴。
茶色のサラサラした髪に凄まじく整った綺麗な顔、スラッとした
長身、一般に女性が好きそうな姿を此奴はしているのだろう。だけ
いちのとりかんた
ど私は容姿以前に此奴の性格が生理的に受け付けない。
此奴の祖父とお爺ちゃんはよりにもよって私と一ノ鳥寛太の婚約
を勝手に取り決めてしまった。此奴は外面はやたらいいからお爺ち
ゃんもコロッと騙されたのだろう。
今まで波風立てなくないから適当にあしらってきたが、今後付き
纏われるのも鬱陶しい。今回のような求愛行動は一ノ鳥のコロニー
内だけにしてもらう。
﹁私があんたと許嫁? その妄想癖、一度医者に頭見てもらった方
がいいんじゃない?
それに私、男の趣味はいい方なの﹂
私に拒絶されるのがよほど意外なのか、それとも拒絶されること
自体に耐性がないのか、ポカーンと阿呆のように口を開けている一
ノ鳥。
別に最前列で見学する必然性まではない。後ろへ退避しよう。
後ろへ歩き出すと、背後から怒声を浴びせかけられる。
﹁紅葉、将来の夫に対し、その言い草は何だ!!?﹂
こいつ
将来の夫って︱︱気持ち悪い! 壮絶に気持ち悪いっ!! やっ
ぱり、此奴生理的に無理!
どの道、会話が成立しない。もう無視しよう。
なみ
私が観覧席の上階へ向けて脚を動かすと後ろから肩を掴まれる。
単に肩を触られただけだ。奈美に胸を触られるよりはよほど良いは
42
こいつ
ずだ。それにもかかわらず背筋を蛇の肌で撫でられたような強烈な
悪寒を覚えた。多分私は此奴が本当に心の底から嫌いなんだ。
﹁離せっ!!﹂
一ノ鳥は射殺すような視線を向けるとビクッと身を竦ませる。そ
して女の私に一瞬でも恐怖したことがよほど屈辱だったのか、憤怒
の形相で身を震わせる。
﹁紅葉、お前には少々教育が必要なようだな﹂
一ノ鳥は私に右手の掌を向けて来る。空気が変わった。面白がって
観戦していた生徒達もそれを察知してか私から離れていく。
案の定演唱を始める一ノ鳥。束縛の中級の法術。私なら無効化す
るのなど訳はない。私も演唱を開始しようとすると、突如一ノ鳥が
横殴りに吹き飛ばされる。
なみ
背中から硬い石の地面に叩きつけられ、苦しそうに呻く一ノ鳥。
その顔を奈美は足で踏みつけながらも座りきった目で見降ろしてい
た。
﹁紅葉たんに何してんだ、お前?﹂
魂さえも凍らせるようなぞっとする声。
﹁ひっ!﹂
一ノ鳥の顔から血の気が引いていく。
﹁は∼い。そ∼こまでぇ!!﹂
43
なみ
なみ
目が細い黒髪の青年が奈美の小さな体を両手で持ち上げる。
いんどう
﹁ゲッ! 犬童っち!!﹂
なみ
バタバタと必死で逃れようとする奈美。
﹁授業以外での法術の展開は校則違反で∼す﹂
いんどう
手足を機械仕掛けの人形のようにバタバタさせる奈美を床に下ろ
し、犬童先生はグルリと周囲を見渡し、掌をパンパンと叩く。
﹁はい、は∼い。早速、霊獣召喚を始めますよぉ∼、まずはA組か
らです。A組の皆はあの武台の中心に集合∼﹂
浮ついた空気が瞬時に吹き飛び、全員下の武台に視線を固定する。
一ノ鳥だけは最後まで私に向かってギャーギャー喚いていたわけだ
が。
44
第3話 出会い
武台の中心には青色の石でできた祭壇が設置されており、その周
かり
囲には幾つもの魔法陣が展開されている。この祭壇は床に収納可能
いんどう
であり、この霊獣召喚のときだけ突出して儀式に用いられる。
ぎぬ
あさぐつ
犬童先生が武台に姿を現す。先刻のスーツ姿ではなく、小袖に狩
衣を羽織り、浅沓を履いている。いわゆる神官姿。どうやら、開始
らしい。
霊獣召喚の儀式はA組からE組の順になされる。
私はE組。最後の四番目のクラスだ。
A組の先頭バッターは見知った人物だった。
いずみゆきな
ウエーブかかっている長い茶色の髪を腰まで垂らした美しい少女。
家庭の事情で苗字は違うが、泉幸菜︱︱私の双子の妹であり、﹃
ゆきな
いんどう
祓魔科﹄きっての秀才。
幸菜は犬童先生からカードを受け取ると、幾つもの魔法陣が描か
れている武台の中心に歩いていく。
︱︱霊獣召喚デバイサー。異界から精霊や幻獣といった超常的存
在を呼び起こし、使役する。妖魔という絶対的存在に対抗するため
ゆきな
に造られた人類の希望であり、切り札。
幸菜はカードを祭壇の上の窪みに設置する。そしてその脇の正四
面体の穴に青色の石のような物を入れる。あの青色の石はおそらく
触媒だ。
ゆきな
カードが青白く発光し、それが祭壇へと伝わり、魔法陣へと伝わ
る。
魔法陣が浮き上がり、幸菜を中心に球状に展開される。
グルグルとゆっくり回転していく魔法陣。そして青白い光が魔法
陣から放たれ、闘技場一杯へと広がっていく。
青色の光が消失し、魔法陣には一人の艶やかな長い青髪を靡かせ、
45
その色気のたっぷり籠った肢体を青色のドレスから覗かせた女性が
佇んでいた。
闘技場の観客席の上部に設置されている巨大掲示板に文字が浮か
びあがる。
いずみゆきな
﹃■召喚者:泉幸菜
■召喚されしもの:ウインディーネ
■種族:精霊
■階位:四大精霊王
■ランク:A+
■属性:水
■許容限界使役数:残り2﹄
﹁よ、四大精霊王? ランクAは聖騎士長、いや聖王クラスでも滅
多にいないぞ﹂
傍の教師の一人が顔をヒクくつかせながらボソリと呟く。これを
きっかけに闘技場は鳥カゴみたいにざわつき始めた。
﹁聞いた、聖王クラスだって!﹂
﹁聖騎士選定杯の選抜メンバー一人、もう決定かよ⋮⋮﹂
﹁そうね。精霊を全面に出して戦闘を展開されれば勝てるわけない
し﹂
﹁やっぱ、触媒の差かな。流石は泉財閥の経済力ってところか?﹂
﹁馬鹿じゃないの! 才能の差よ。授業で習ったでしょ! どんな
触媒を用いても結局は召喚者の才能に霊獣召喚は左右されるって⋮
46
⋮﹂
エクソシスト
聖騎士でも祓魔師全体の数パーセントにすぎない。聖騎士長クラ
ゆきな
エクソシスト
スならばもはや小さい都市なら確実に支部長クラスだ。教師の言が
本当なら、幸菜はこの日、このとき世界最高峰の祓魔師に足を踏み
入れたことを意味する。
騒々しい生徒達を教師が諌め、次の生徒が霊獣召喚の儀式へ移る。
◆
◆
◆
次々に学生は精霊や幻獣を召喚していく。
なみ
結論から言えばクラスAはやはり例外中の例外に過ぎなかった。
奈美のランクC−の狼の幻獣、来栖のランクC+の炎の精霊、一
ゆきな
なみ
く
ノ鳥のランクD+の蛇の幻獣が最高クラス。ほとんどがGであり、
FとHはごく僅かだった。
るす
順当にいけば世界聖騎士選定杯の選抜メンバーは幸菜、奈美、来
栖、一ノ鳥の四人。
遂に私の番になる。この霊獣召喚のために父の資料を読み漁り、
召喚術の最大にして最高の触媒となりえる﹃真赤玉﹄を見つけたの
だ。
ゆきな
最悪、一ノ鳥と結婚する羽目にある危険さえも許容し見つけ出し
いんどう
た秘蔵の触媒。幸菜と同ランクの精霊か幻獣は期待できる。
﹁紅葉た∼ん、ガンバ∼﹂
なみ
奈美の間が抜けた声を頭から受けつつも、犬童教官から私のカー
ドを受け取る。
47
受け取ったカードは私の名前が刻まれている以外、何の装飾もな
されていない銀板。
このカードの使い方は通常、学校から配られている小型の専用デ
バイスにこのカードを挿入して画面に表示させ管理する。だからカ
ードの外観をいくら精査しても無意味だ。
魔法陣の中に入ると、一瞬水の中に入ったと錯覚するような冷た
さを肌に感じる。構わず、魔法陣の中心へと脚を運ぶ。
祭壇は正六角柱のような外見をしていた。その上面には丁度カー
ドがぴったり嵌る浅いくぼみがある。そのくぼみにカードを設置す
る。
そして私が持つ﹃真赤玉﹄の三個の内の一つを右脇の正四面体の
穴に入れた。
カラーンと心地いい音が響く。
カードが青色に染まる。そのはずだった。
︵んっ? 何、これ?︶
青色に染まるはずのカードは当初金色に、次いで真っ赤に染まり、
それに黒色が混じり始める。
黒と赤に染まったカードは祭壇、それと接する魔法陣さえも黒赤
色に伝播していく。黒赤色魔法陣は瞬きを衝く間もなく私を取り囲
み回転を開始する。
唐突過ぎて事情が飲み込めない。
魔法陣は通常の十数倍の規模にも及び、幾つもの魔法陣が次々に
現れては消えていく。魔法陣から生じた赤黒色の魔力により、爆風
が吹き荒れる。どう控えめに見積もってもこの現象はイレギュラー
だ。
﹁紅葉っ!!﹂
48
なみ
焦燥をたっぷり含んだ奈美の声で逆に若干冷静差を取り戻す。
︵駄目っ!! 集中しろ!!︶
赤黒色の魔力は私を取り囲む魔法陣から同心円状に幾つもの衝撃
波を生じさせ、観覧席の方へと吹き抜けている。至る所で生じる生
徒達の悲鳴と驚愕の声。
胃を固く締めつけるような不安の念を吹き飛ばし、下唇をかみ切
り、ただひたすら精神統一を図る。
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
竜巻のような魔力の放出が収まり、魔法陣が消失する。
思わず生きていることに両膝をつき、肺に大きく空気を入れる。
私の眼前に佇む一人の黒髪の中肉中背の少年。
幻獣には見えない。精霊だ! 精霊と幻獣の強さは若干ではある
が精霊の方に軍配が上がる。
特徴がないパッとしない外見であり、とても強くは見えないが、精
霊の強度など私達人間にはよくわからない。
観覧席の電光掲示板に即座に視線を向ける。
一斉に観覧席にいる生徒、教師さえも視線を掲示板へ向ける。
掲示板に文字が映し出され︱︱。
おりべくれは
﹃■召喚者:織部紅葉
■召喚されしもの:ライト
■種族:人間
■階位:高校生
■ランク:Ω+
49
■属性:無
■許容限界使役数:残り0﹄
暫くの静寂。嘘のように周囲は静まり返っている。
私の頭がこのふざけた事実を認識したそのとき観覧席中に嵐のよう
な爆笑が巻き起こった。
50
第1話 出会いがしらの混乱 楠恭弥
アルスのど阿呆にゲームとやらに強制的に付き合わされ、召喚と
やらをされたわけだが、僕の思考は目の前にいる女によって著しく
かき乱されていた。
長い茶色のツインテールの髪、とても僕と同じ人間とは思えない
彫像のような整った顔にスラッとした引き締まった八頭身。どう見
ても僕が今最も憎むべき長馴染みの姿だったからだ。
ここは明神高校の修練所のような場所であり、茶髪の幼馴染の女
の視線は観覧席の電光掲示板に向けられていた。
おりべくれは
﹃■召喚者:織部紅葉
■召喚されしもの:ライト
■種族:人間
■階位:高校生
■ランク:Ω+
■属性:無
■許容限界使役数:残り0﹄
︵ライトね⋮⋮︶
僕は元の世界地球で魔術審議会の組織の︽殲滅戦域︾という部署
くすのききょうや
に形式的には所属している。ライトとはその︽殲滅戦域︾での僕︱
︱楠恭弥のコードネームだ。ちなみにこのライトの由来はあまり言
いたくないので聞かないで欲しい。
おりべくれは
目の前の女の魂と魔力で繋がっているのが感覚でわかる。ライト
が僕の事を指すなら、召喚したのは織部紅葉だ。召喚者たるこの女
は朱花ではなく、短なるそっくりさん。そういうことになるのか?
51
そう結論付けた途端、試練場中に落雷にも似た狂喜の声が轟く。
その声の性質は純粋な笑いであったり、驚愕の声だったり、そし
て嘲笑であったりした。
僕は周囲から情報の摂取を試みる。
﹁おい、おい、お∼い、見ろよ! 百年に一人の天才様が召喚した
の、ただの人間だぜ! しかも、階位が高校生って︱︱ぶふっあは
っくはははっ!!﹂
﹁ちょっと、笑ちゃっ失礼よ。くふっふ⋮⋮﹂
腹を抱えて爆笑する男子生徒と必死で笑いをこらえようとする女
子生徒に聴力を集中する。ステータスが上がればこんな人間離れし
た事も可能となるわけだ。
﹁それにしてもランクΩ+って何?﹂
﹁さぁな、何せ召喚されたのが人間だからなぁ∼Hより以下ってこ
とで理解していいんじゃね?﹂
﹁ともあれこれで一人脱落か﹂
﹁ええ、聖騎士選定杯の最有力候補が落ちたのは大きい。これで少
おもちゃばこ
なくともこの学年で一枠は予選を通過できるかも﹂
少し考えをまとめよう。
まずは判明していること。
この世界は十中八九、アルスの創った玩具箱。大方奴が地球のゲ
ームにでも嵌った際に再現したくなったんだろう。そのゲームに僕
52
は捕らわれた。これは僕の名前がライトになっている事からも明ら
かだ。
クリア条件は中ボスとラスボスの討伐。それが元の世界への帰還
条件となる。もし元の世界に戻れなければグレーテルはあの狭い石
おりべくれは
部屋で一生一人きりということもあり得る。それは僕には許容でき
ない。ゲームの敗北は許されない。
次が僕の召喚者について。
目の前で壮絶に項垂れているこの女が織部紅葉であり、僕の召喚
者であることは間違いない。どうも朱花似の顔には拒絶反応がある
が、彼女には僕への絶対服従の命令権がある。下手に機嫌を損ねて
自害でも命じられたらえらいことになる。気持ちを切り替えよう。
最後は聖騎士選定杯の言葉。話しの流れから言って、この召喚も
そのためになされたもの。そう取りあえずは理解しておくのがよさ
そうだ。
﹁何で? 何で人間が召喚されるのよ? ﹃真赤玉﹄は最高の触媒
じゃなかったの?
父さんの研究がそもそも間違っていた? でも、でも︱︱﹂
観覧席の生徒達の隣には精霊やら幻獣やらがわんさかいる。召喚
術の授業に僕を呼び出したんだ。彼女の疑問も僕らなら答える事は
可能だ。
精霊や幻獣達の僕に対する侮蔑の視線からして魔力の感知はでき
ていないようだ。考えられる要因としては二つ。
一つは召喚された精霊、幻獣が魔力の感知が真面にできない半端
者であること。
二つ目はそもそも精霊や幻獣の魔力の感知の不能もアルスのルー
ルの元にあること。
もっとも、少なくそれがルールだとしても例外はいるようだ。そ
れが︱︱あれか⋮⋮。
53
青髪の女性の精霊は僕と視線が合うと、ビクッと身を竦ませ急速
に血の気を失わせるが、直ぐに戦闘態勢を取ってきた。所謂決死の
スピリットフォーレスト
覚悟という奴かもしれない。
彼女は︽妖精の森︾に入る直前のイフリートやジン並みの強さは
ある。もっとも、イフリート達は今や別次元の生物と化しており、
彼らと戦えば瞬殺されるだけだろうけども。
兎も角だ。ほとんどが力のない下級から中級精霊のみ。確かに青
髪の女性は強力だがそれでもレベル145に過ぎない。僕のレベル
は592。
さらに通常の︽召喚術︾で呼び出す存在の強さはその者のステー
タスに加え、スキルや魔術の保有数も考慮されるところ、僕は気の
遠くなる数の魔術やスキルを保有している。つまり召喚術の禁術で
あっても僕は召喚できやしないんだ。
多分紅葉、彼女が発動させたのはそもそも術ではない。︽召喚術
︾では許容しきれないほどの魔力を注ぎ込んだ結果、術がオーバー
ヒートし偶然にもアルスの時空間転移系の術とアクセスしてしまっ
たに過ぎない。
どれほどの魔力があれば召喚術をオーバーヒートできるのかは不
明だが、其の触媒とやらの保有する魔力の桁が違ったのだろう。
﹁ライト君、君、人間ですよね?﹂
神官姿の目が細い黒髪の青年が僕の傍までやって来ると、当たり
前の問いを投げかけてきた。正直、この手の質問はお腹一杯だ。真
面に僕が人間だと嘲笑ってくれている生徒達や精霊、幻獣達の方が
僕的には新鮮で若干ポイントが高い。
僕が頷くと黒髪の青年はグルリと学生達を一望すると、声を張り
上げる。
﹁それでは最後の織部さんが終了いたしましたので今日の授業はこ
54
れで終了です。
今日はホームルームもありませんので直ぐ下校していただいて結
構です。
ただ霊獣召喚により皆さんは御自身が思っている以上に魔力と精
神をすり減らしております。今日一日、身体を休めるよう心掛けて
ください﹂
和気あいあい家路につく生徒達の大部分がこの闘技場から姿を消
すのを確認してから、未だに地面で項垂れている朱花に似た少女︱
︱紅葉に近づき手を伸ばす。
﹁巻き込まれた僕より巻き込んだ君がショック受けてどうするのさ。
立ちなよ、みっともない﹂
理由は不明だがこの子が項垂れている姿を見ると無償にイライラ
する。
﹁余計なお世話よ!﹂
鬼のような形相で僕の手を弾き返すとスタスタと歩き出す紅葉。
このゲームは彼女が命を失えば即死亡だ。ついていくしかあるまい。
55
第2話 塵屋敷
てっきり、ついてくるな!とでも言われるのかと思い身構えてた
いたわけだが、全くそんな気配はなかった。寧ろ、至る所で嘲笑さ
れる僕を気遣ってか教室には寄らずに校舎を後にする。
バスに乗り込むが校門まで十数分は要した。大きいと言っても限
度があると思う。
三十分ほど車に揺られると街の外れに到着する。そこから坂を三
百メートル程登った場所にその屋敷はあった。
僕の今住んでいる屋敷ほどではないが、それなりの大きさがある。
屋敷に入り応接間に座って待つように指示される。応接間はとても
女の子の住む家とは思えぬほど質素でしかも、とても汚かった。
テーブルにはカップラーメンの空が散乱している。食べ掛けで腐
ったハンバーガーモドキに、緑ゴケの培地と化したコッペパンなど
もご丁寧に床に放置されていた。さっき黒い小さな影が動いたのは
錯覚だと信じたい。
どうでもいいが女の子が下着をこんな場所に脱ぎ捨てておくのは
どうなのだろう。せめて洗濯籠に入れるべきだ。
朱花と顔がくりそつなら、こんなところもしっかり似ていて欲し
いものだ。
︵⋮⋮ちょっと待て。何で僕、怒ってるんだ?︶
足の裏で床を叩いていたが、そんな当然な疑問に眉をしかめる僕。
私服に着替えた紅葉がリビングへ入って来た。
白に黒の縦縞が入ったワンピースに赤いズボン。まさか服の趣味
までそっくりだとは思わなかった。これもアルスの仕込みなのだろ
56
うか?
﹁巻き込んでしまって、ゴメンなさい!!﹂
椅子に座ると額が付くくらい頭を下げて来た。彼女は召喚が失敗
したと思っている。あの落ち込みようから察するにあの召喚術は人
生を掛けた勝負だったのだろう。僕も少し前までそんな気持ちで実
習を受けていたのだ。その気持ちはよくわかる。てっきり仏頂面で
文句の一つも言うと思っていたのだ。 呆気に取られてポカーンと阿呆のように口を開けていると、彼女
は僕が怒り心頭と勝手に判断して話しを明後日の方へ進め始める。
﹁許されるとは微塵も思っていない。この罪滅ぼしは私ができるこ
となら何でもする﹂
まただ。彼女を僕はまだほとんどしらない。知ったかぶりもいい
ところなのに、僕は彼女のこのセリフが彼女らしからぬ物言いに感
じていた。その自らを容易に犠牲にする態度に激しい憤りを感じて
いた。だから︱︱。
﹁何でもする? 今の君にその価値があるとは思えないね﹂
﹁⋮⋮あなたが来た場所に帰るための情報を集める﹂
﹁本当に君に集められるの?﹂
﹁祖父に頼めば︱︱﹂
﹁それは君の力じゃないだろう? なぜそこで他力本願の話がでて
来る﹂
57
イライラする。もしあの女ならそんな台詞口が裂けてもしないの
に︱︱大体、僕が欲している答えなどそう難しい事じゃないだろう。
なぜそれがわからない?
﹁この﹃真赤玉﹄、宝石としても高価よ。少なくとも一個、数千万
︱︱﹂
真っ赤な石を二個テーブルの上に置く。
︵紅石、しかも最高クラスのΩか⋮⋮︶
﹁それも君自身の力じゃない。それにそんな数千万の宝石、個人の
君が所持している道理はない。大方君のお爺さんに世話してもらっ
たものだろ?﹂
しかめっ面で腕を組んで考え込んでいたが、急に僕の顔を見ると顔、
そして全身を紅潮させていく。
﹁わ、私の⋮⋮か、か、身体?﹂
己の身体を抱きしめつつも嫌悪感たっぷりの視線を向けて来る紅
葉。前にもこんなことあったなと苦笑しつつも、肩を竦めて首をゆ
っくりと振る僕。
﹁君のその貧相な身体を? 冗談だろ。想像力豊かなのには素朴に
感心するけどね。僕はそこまで趣味は悪くない。頼まれても願い下
げだよ﹂
吐き捨てるように言う僕の言葉にピシリと紅葉の表情に亀裂が入
58
タブー
る。射殺すような視線を向けて来ている事から察するに、どうやら
僕の一言は彼女の禁句に該当したらしい。
﹁じゃ私にどうしろと!?﹂
彼女の声は硬く、怒りを含んでいる。所謂、逆ギレというやつ、
いや、癇癪と言った方が正確か。僕が挑発しているのもあるとは思
うが、此奴、餓鬼だな。
﹁だから僕はそれを聞いている。疑問を疑問で返すなよ﹂
下唇を噛みしめる紅葉。
﹁私には力、財力も、権力もない。将来得られるはずの力も今日の
霊獣召喚の失敗で水泡に帰した。もう私には何もない﹂
癇癪の次は自暴自棄か⋮⋮まさに朱花と正反対の反応。でもおか
げでようやく僕も彼女を織部紅葉という一個の人間として見られる
ようになってきた。
﹁たかが霊獣召喚とやら一つ失敗したくらいでこうも簡単に諦める
とはね。君の想いもその程度ってことか?﹂
﹁あ、あんたに何がわかるの? 私の気持ちなんて︱︱﹂
﹁ああ、わかんねぇよ。一つ失敗した程度で勝負を投げる意気地な
しの気持ちなんてな﹂
本心だ。彼女の内心など理解などできないし、したくはない。大
体、僕が今に到達するまで何回絶望したと思ってる? 何度悔しさ
59
に涙したと思ってる? この世界はアルスの箱庭だ。あのマジキチ天族なら想像を絶する
過酷で残酷な試練を嬉々として用意しているはずだ。この試練にも
ならない障害で諦めるような決意でこのアルスのゲームなどクリア
できるものかよ! ﹁い、意気地なし!? 私がっ!?﹂
﹁でなければ敵前逃亡を図る。卑怯者かな﹂
﹁∼っ!!!﹂
バンッと両手で机を叩くと顔に憤激の色を濃く漲らせながらも、
リビングへ出て行ってしまった。
﹁で? そこにいるのはわかってます。出てきたらどうです?﹂
とても堅気には見えないゴツイ爺さんと髭を生やした執事さんが
応接間に姿を見せると、僕に深く頭をさげて来た。
いんどう
﹁粗方は犬童から聞いた。あとは立ち聞きじゃ。孫がすまん事をし
たの﹂
紅葉さんに気配を探らせないところなど隠匿技術はかなりのもの
だが、いかんせん人間レベルだ。僕ら︽妖精の森スピリットフォー
レスト︾レベルでは児戯に等しい。
﹁⋮⋮謝るなら紅葉さんが為すべきです。無関係な貴方に謝れても
意味などない﹂
60
﹁ふ∼む。確かに存在感もその思考も人間とはちと違うのぉ⋮⋮し
かしカードの誤作動など信じられんのも事実。む∼﹂
僕の爪先から頭の先まで舐め回すように観察するとご老人は髭を
いじりながらブツブツと呟き始めた。
かろく
﹁嘉六様﹂
いずみかろく
﹁おお、すまん、すまん。儂は泉嘉六、紅葉の祖父じゃ。
お主はライト君でよろしいかな?﹂
僕の本名はライトなどというふざけた名前では断じてないが、別
にこの世界に長居をするつもりはない。呼び名などどうでもいい。
﹁それで構いませんよ。僕に何か用があるのでは?﹂
挨拶だけなら紅葉が一緒でも何ら問題がなかった。あんなスキル
を使ってまで耳を欹てる必要性も。
﹁良治﹂
かろく
嘉六さんの言葉の直後、白髪の老人が僕の眉間にナイフを突きつけ
て来た。
・・・・
精神が戦闘状態に切り替わり、体感時間が限界まで引き延ばされる。
風を切り裂きながらもゆっくり迫るナイフが眉間の薄皮一枚で止ま
るのを確認する。
﹁何のつもりです?﹂
今の攻撃、この世界の通常人の出せるレベルを超えていた。レベ
61
ルに換算すれば二百弱の筋力による攻撃。通常人どころか、あの青
髪の精霊でも真面に当たっていれば一瞬で消滅していた。それにこ
の感覚十中八九、五界の住人だ。しかもかなり高位の。
﹁やはり見切られてますか⋮⋮失礼を﹂
かろく
胸に手を当て僕に恭しく頭を下げると、嘉六さんに向き合う。
かろく
﹁嘉六様、彼は私より強い。私が保障します﹂
﹁むぅ∼﹂
かろく
十数分唸っていたが、思考の渦からようやく帰還した嘉六は明日
の朝また来るとだけ伝えると屋敷を出て行った。
大切な孫から僕を遠ざけようとしないのは僕が紅葉に危害を加え
られないことを知った上でのことだ。
アルスの召喚術のせいで僕は彼女の命令には原則として逆らえない。
さらに彼女への一切の危害を禁止されている。このシステムは霊獣
召喚とやらにも適用されている。そう考えれば全てがしっくり来る。
﹁ともあれこの惨状なんとかしなきゃね﹂
彼女が死亡すればこの世界での生涯の生活を強いられる。あの遺
跡内にはグレーテルが捕らわれているし、元の世界には沙耶もいる。
心底うんざりするが、当分の間は彼女とこの屋敷で生活することに
なる。僕は塵屋敷で生活する趣味はない。この屋敷の徹底的な清掃
は不可欠なのだ
62
第3話 提案
重労働もいいところだ。紅葉の生活力の無さを少々僕は甘くみて
いた。
衣服や下着は廊下やリビングに脱ぎ捨てられ山のように積まれて
いる︱︱せめて浴室へ放り込め!
廊下には捨て忘れたのか捨て損ねたゴミ袋が山のように重なりゴミ
集積所のようになっている︱︱ゴミくらいちゃんと外に捨てろ!
台所の流し台にはカビが生えた食器で埋め尽くされている︱︱食
器を使ったら洗え!
近くには民家はない。多少音がしても苦情がくることはない。この
惨状を引き起こした紅葉などに気を遣う必要はない。徹底的に掃除
させてもらう。
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
かろく
もう、五時、無論朝の五時だ。結局、一晩中かかってしまった。
屋敷中のゴミを外の庭に一か所にまとめた。あまりの量なので嘉六
さんに相談しようと思う。
それから一時間、今の僕の置かれている現状を再確認した。
しゅうえんしょうかん
まず魔術とスキルについて。ほぼ問題なく作動可能。唯一の例外
は︻終焉召喚︼を初めとする召喚系の魔術やスキルが使用不可とな
おもいかね
ったこと。二重召喚を原則としてルールでアルスが禁止したのだと
思われる。
またどういうわけか思金神とコンタクトが取れなくなっていた。
常識から考えてばアルスの仕業とみるべきだが、あの悪逆スキルは
63
成長を促すためなら僕を谷底に突き落とすことも平然とするような
スキルだ。このゲームへの参加も奴の掌の上ということも十分考え
られる。今は五分五分と考えるべきだろう。
次が︻神帝の指輪︼とルインについて。
ルインの顕現には何ら支障がなかった。どうやら僕個人の戦闘に
ついては障害がないようだ。
アイテムボックス
ただ予想通り、︻神帝の指輪︼は解析と翻訳機能以外の機能は全
て使用不可能となっていた。つまり無限収納道具箱や帰来転移等は
使用不可と考えて一先ずは良いと思う。
さらにアルスから貰ったカードにはこの世界の設定とこのゲーム
の詳細なルールが収納されていた。いわゆるゲームの取説というや
つだ。ルールの詳細は今晩から目を通すことにして、世界設定だけ
はこの時間を利用し読むことにする。
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
︵あの野郎っ!!!︶
この世界の設定を読む度に嵐のような激しい怒りが何度も襲いか
かって来ている。
世界の外敵であり、一億人を殺戮した血のクリスマスを引き起こし
た妖魔︱︱これは二十世紀初頭流行った︽妖魔伝︾というレトロ漫
画のパクリ。
そして鬼は二十世紀初頭に流行ったゲーム︽鬼切丸戦記︾の設定
に酷似している。思い返せば、あの電光掲示板も主人公が式神を召
喚する際に用いられていたものと激似だ。
アルスの奴、よりにもよって自分の娯楽のために一億近くの人々
を殺戮した生物を創り出し世界に放ったことになる。僕の勘は正し
64
かった。奴は世界にとっての害悪、駆除すべき敵だ。今はまだ僕は
アルスの掌で泳ぐ駒にすぎない。だがそれももう少し、奴が犯した
罪はきっちりその身をもって清算させてやる。
六時半となった。そろそろ、朝食を作ろう。
冷蔵庫にはまだカビていないパンと卵とバターがあったので、ト
ーストと目玉焼きを作る。これにインスタント珈琲を加えて朝食の
かろく
出来上がりだ。久々の質素過ぎる朝食だが、これはこれで悪くない。
七時になると宣言通り嘉六さんと良治さんが訪れたのでリビング
かろく
へ通す。
嘉六さんは一晩での屋敷の変わりように当初よほど驚いたのか目
かろく
おもいかね
を白黒させていたが、直ぐに悪い笑みを浮かべてブツブツ呟いてい
かろく
る。嘉六さんのその姿は悪巧み中の思金神を想起させ背筋に冷たい
ものが走る。ちなみに家の外に積まれたゴミは無事、嘉六さんに処
分してもらえることになった。
七時になり紅葉が起きたのか洗面所へ脚を運ぶ気配がする。紅葉
の分のパンをトースターに入れて焼き、焼き立ての目玉焼きを彼女
が昨日座っていた席に置く。後はインスタントの珈琲を入れて出来
上がりだ。
脱衣所で悲鳴が上がる。次いで廊下を走る音。
下着姿のままで凄い勢いでリビングに飛び込み、僕を指さしパク
パクと口を動かす紅葉。昨日の出来事が夢かなんかだと現実逃避で
もしていたか、それとも単に寝ぼけているのか。
こいつ
︵此奴、自分が今どんな格好しているかわかってんのか?︶
見た目が朱花の姿なのだ。正直この手の醜態は目にしたくない。
65
︵⋮⋮まただ。また僕は⋮⋮︶
﹁あんた⋮⋮﹂
頬を引き攣らせながらも僕から視線を外せない紅葉。
﹁朝食はできてる。君のお爺さんも来ているし、まず顔を洗って着
替えて来な﹂
﹁くっ!!﹂
怒りか、それとも羞恥からか顔を火のように火照らせてリビング
の扉を乱暴に閉める。
十分後、制服に着替えた紅葉は席に座るとパンを口に詰め込み、
目玉焼きを飲み込んで喉に詰まらせる。
こいつ
珈琲を差し出すと、すごい顔で睨まれた。完璧に嫌われたらしい。
その割に珈琲を一気飲みして二階へ駆け上がって行く。餓鬼か此奴
⋮⋮。
﹁すまんのう、ライト﹂
か
そんな一ミリも済まなそうな気持ちが籠っていない声色で謝罪さ
れてもね。寧ろ、この人からにじみ出ているのは歓喜。
﹁それで御用は?﹂
ろく
紅葉がリビングを出ていくとき呼び止めなかったことからも、嘉
66
六さんの目的は僕だ。
﹁良治﹂
﹁はっ! ライト様、これをお持ちください﹂
良治さんが僕の前にスマホ、制服を三着、カード三枚に、通帳一
枚、鍵を僕に渡す。
﹁儂からの詫びじゃ。是非受け取ってくれ﹂
詫びね。白々しい爺さんだ。この様子、きっとそれだけじゃない。
まずは銀行の通帳、カードと暗証番号が記載された用紙。通帳内
の金額は僕の予想と桁が二桁ほど異なっていた。一億円程入ってい
たのだ。僕が元の世界に帰れないことを見越しての見舞金ってとこ
ろか。僕にはこの世界で金を稼ぐ手段はない。あってこしたことは
ない。
次が住民カード、住民票の変わりだろう。この御仁、かなり無茶
したようだ。まさか公式に僕という存在を作り上げるとは思わなか
った。
この世界には念話はない。第二ルール﹃被召喚者︵君︶は召喚者
に己の力を悟られないように努めなければならない﹄がある以上、
紅葉と連絡とるには手段が必須だった。このスマホは正直助かる。
最後が学生カードと制服三着、そして多分この屋敷の鍵。
﹁僕にあの学校へ通えと?﹂
﹁そうじゃ﹂
確かに学園には紅葉がいる。紅葉の魔力はレベル30に相当する
67
ほど高いが、それでも他の値はレベル4∼5のものにすぎず、妖魔
の強襲にでもあった場合、僕がいなければ即死亡だ。僕は学園内に
いる必要がある。だけど、学園内に僕が存在するためには僕が人間
かろく
である以上、学園関係者でなければならない。だから用務員として
でも雇ってもらうよう働きかけようとは思っていたのだ。この嘉六
という御仁は顔が広そうだし。
あの学校の雰囲気はいけ好かない明神高校と酷似していた。僕は
ごみ溜めに好き好んで近づくほど変態じゃない。しかし、事情が事
情だ。この際、僕の感情などどうでもいいし、学生の方が寧ろ紅葉
を守り易い。
﹁了承いたしました。僕もその方が好都合ですし。でも最後の鍵、
この屋敷のものですよね? 僕が紅葉さんと一緒に住んでも問題な
いんですか?﹂
﹁構わん、構わん。紅葉は儂に借りがある。ライトとの生活は何が
何でも受け入れさせる﹂
多分、紅葉は僕を嫌ってはいるが、僕がこの家に住むこと自体拒
みはしない。拒むくらいなら端から昨日謝ってなど来ないだろうし、
僕に負い目もある。
だが彼女と僕は妖魔討伐のパートナー、いわば運命共同体。彼女
との最低限の信頼関係は必須条件だ。できれば彼女の明示ないし黙
示の了解を得てから鍵は貰いたい。
﹁了解です。でも鍵は紅葉さんの了承をもらい次第にさせていただ
きます﹂
かろく
嘉六さんは頷くと口を開く。
68
﹁それとじゃな、お主の力、世間には隠しておいて欲しいんじゃが
可能か?﹂
僕の力を隠したいか。理由は複数思いつくがまだ僕はこの人達の
事をよく知らない。不用意な予測は害悪でしかない。
それに、アルスのルール其の二︱︱被召喚者︵君︶は召喚者に己
の力を悟られないように努めなければならない︱︱がある。下手に
断ってルール2に抵触しないとも限らない。受けない選択肢は僕に
はない。
﹁それも僕は異論ありません﹂
﹁そうか、そうか、うん、うん。それでは早速、校長と教師達に会
せよう﹂
かろく
僕のこの返答がよほど嬉しいのか目を細めるとテンションが一段
と高くなり、立ち上がると、玄関へ向かう嘉六さん。
良治さんも小さいため息を吐くとリビングの扉へ手を差し僕を車
まで案内してくれた。
69
第4話 少年考察
いずみゆきな
おりべくれは
泉幸菜は通学の車の中から代り映えの無い外の景色をぼんやり眺
めている。
ゆきな
頭の中を占拠していたのは、実の姉である織部紅葉の召喚した人
間の黒髪の少年。
あの電光掲示板の表示を見たとき、幸菜にあったのは生まれて初
めてともいえる激しい優越感と安堵感そして痛快さだった。こんな
暗く醜い感情が己の中にあることに強く嫌悪すると伴に、妙な納得
もしていた。
ゆきな
泉家は日本でも有数の伝統がある陰陽師の家系。生まれつき魔力
が強かった幸菜は泉家の次期当主として幼い頃から血の滲むような
ゆきな
修行をして来た。修行は辛かったが、祖父は褒めてくれたし、家に
帰ると優しい父と母の温もりがある。だからどんな厳しくても幸菜
は幸せだった。
それがあの十年前の事件により一変する。優しかった父と母が死
んだのだ。原因は姉の紅葉の我侭。両親が死んだ日、本当は二人と
ゆきな
も予定は埋まっていた。それを紅葉が駄々を捏ねて、急遽遊園地に
いずみかろく
行くことになった。そして二人は二度と幸菜に微笑んではくれなく
なった。
ゆきな
姉は当然のごとく、祖父︱︱泉嘉六の保護下となる。同じ屋敷に
住んでいても、屋敷が非常識に広いこともあり幸菜と紅葉は話すこ
とはおろか、顔を合わせる事もほとんどなかった。
ゆきな
それでも歳が経つごとに父と母の死の責任が紅葉にないことくら
エクソシスト
い理解してくる。
仮に紅葉が祓魔師になりたいなどと言わなければ多分、幸菜は今頃、
紅葉を許していたと思う。今姉妹として一緒に食事をし、余暇を過
ごし、通学していたことだろう。
70
エクソシスト
だが紅葉は祖父や周囲の反対を押し切り、祓魔師の修行を開始す
ゆきな
る。幼い頃は大した魔力もなかった紅葉は十二歳の誕生日に爆発的
ゆきな
に魔力が上がる。その魔力の総量は幸菜どころか、ランクEの精霊
ゆきな
や幻獣にすら相当した。この事に泉家は狂喜し、幸菜から紅葉に次
期当主を変更しようとする意見が相次いだ。
泉家のくだらない仕来りさえなえれば次期当主など幸菜にとってど
うでもよいことだったろう。
ゆきな
その仕来りは当主以外が女性の場合、陰陽の道に進むことは許さ
エクソシスト
れない。そんな時代遅れの決まり事。泉家に籍がある幸菜が当主の
座を失えば陰陽の道、すなわち︱︱祓魔師にはなれなくなる。勿論、
姉と同様、泉家から離れることも考えた。しかし未成年者が籍を離
エクソシスト
れるには保護者の同意が必要。祖父が同意してくれるはずがない。
ゆきな
成人するまで待っていたら、祓魔師のライセンスの取得は絶望的
ゆきな
となる。幸菜が父と母の仇を打つには当主になるしか道はなかった
のだ。
ゆきな
そして幸菜から父と母の仇を打つ権利まで奪う紅葉がどうしょう
もなく許せなく、憎かった。
しかし紅葉との間に立ちはだかる才能という壁は無常にも幸菜を
完膚なきまでに打ちのめした。
ゆきな
紅葉よりずっと幼い頃から血の滲むような努力をしてきたのに法
術も体術さえも紅葉の影すらつかめない。結局、唯一の幸菜の生き
がいであった父と母の仇を打つことさえも、紅葉に奪われる。その
事実が憎かった。何より自分の才能の無さがひたすら憎かった。
紅葉への態度の悪化と比例するようにその仲も徐々に最悪へと移
行していく。遂に紅葉は十五歳の時、父と母と暮らした思い出の屋
敷へ引っ越してしまう。
屋敷ですら滅多に顔を合せなかったのだ。住む場所すら離れたら
視界にすら入らなくなる。
それから二年が過ぎようやく一発逆転のチャンスが到来した。そ
れが昨日の霊獣召喚の儀式だ。いくら紅葉が人間としては化け物じ
71
みていると言っても所詮は人間。あくまでランクEの精霊・幻獣ク
ラスの魔力を持つ者に過ぎない。精霊や幻獣と真っ向から戦えるわ
けではないのだ。
霊獣召喚の儀式移行、戦闘は精霊や幻獣が中心となり、召喚士は
ゆきな
あくまで補助となる。Aランク以上の精霊の召喚を可能にすればも
う紅葉には負けない。
そして迎えた霊獣召喚の儀式。そこで幸菜は四大精霊王のウイン
ふたり
ディーネを獲得した。ウインディーネのランクであるAは聖王クラ
ふたり
スでもトップ陣にしか使役できない精霊。しかも二柱の使役数を残
してだ。これはまだ二柱のAランク相当の精霊や幻獣を召喚できる
ことを意味する。
例え紅葉がどんな精霊や幻獣を召喚したとしても、ウインディー
ネと将来使役する精霊や幻獣により、泉家の当主の座を掴み取って
ゆきな
やる。そう決意したそのとき、あの黒髪の少年が召喚されたのだ。
幸菜の様々に混じり合った複雑な感情も、黒髪の少年が人間の皮
を被った化け物であるとウインディーネから聞かされ瓦礫のように
崩れ落ちる。
あの黒髪の男には己も含めてこの場の全ての精霊や幻獣を皆仲良
ゆきな
く消滅させる程の力がある。だから絶対に敵対だけはするな。そう
ゆきな
ウインディーネは幸菜の耳元で囁いたのだ。ウインディーネの焦燥
しきった顔を一目見て彼女の言が真実だと理解した。
血反吐を吐いてようやく掴んだと思った当主の座も結局、幸菜の
掌からあっさりと逃げ出してしまう。あまりの理不尽に思わず涙が
出てしまう。情けない。情けなさすぎる。
ゆきな
﹁幸菜、そなたの気持ちもわからんでもない。
されどあれはあくまでイレギュラー、この世の摂理の枠外に居る者。
大海を柄杓では掬えないのと同じ。いかなる術を用いようと、ただ
の人間の身にあのバケモノは使役できぬ﹂
72
ゆきな
ゆきな
隣の座席に座るウインディーネが睨みつけるほど真剣な目つきで
幸菜の様子を伺っていた。どうやら幸菜の情けない姿を見て気を聞
かせてくれたらしい。
﹁ありがとう。気を使わせてゴメンね。貴方も大切な試験が控えて
たのに﹂
ゆきな
昨日、ウインディーネと一晩中語り明かした。幸菜の経験したこ
と、その思いを全て正直に彼女に話した。彼女は最初、不機嫌そう
に聞いているにすぎなかったが、いつしか真剣になり、相槌を打ち
ゆきな
励ましてくれようになっていた。
ゆきな
そして幸菜が話し終えるとウインディーネの今現在抱えている悩
みも全て包み隠さず話し、幸菜の目的を完遂するまで手伝ってくれ
ると誓ってくれたのだ。
こんな素晴らしいパートナーがいながら、まだ未練がましく悲観
しているとは我ながら度し難い。
﹁な∼に、そなたの仇とやらを討ち取ってからでも十分間に合う。
気を遣う必要はない﹂
﹁でもやっぱり何度聞いても意外ね。貴方達精霊にも試験があるな
んて﹂
﹁そうだろうとも。試験ができたのはごく最近じゃからな﹂
スピリットフォーレスト
﹁︽妖精の森︾という組織ができたのもごく最近ってこと?﹂
スピリットフォーレスト
昨日の話ではウインディーネは︽妖精の森︾という組織に入るた
めの試験が間近に迫っていたそうだ。
73
﹁ああ、そうじゃ。時間としてはつい一か月ほど前かの。
突如出現した組織に、他の四大精霊王たるジンとイフリートが相
ワンダーランド
次いで加入した。他にも精霊界の大戦の英雄︱︱妖精王オベイロン
様や精霊界最強国︱︱不思議の国の王族︱︱ヘンゼル、グレテール
様もじゃ。今やかの組織への加入は精霊達の憧れとなっておる﹂
スピリットフォーレスト
昨日、散々︽妖精の森︾という組織の素晴らしさについては講演
していただいた。はっきり言ってもうお腹一杯である。
スピリットフォーレスト
﹁ね∼、やっぱり︽妖精の森︾所属の精霊を霊獣召喚するのは無理
かな?﹂
ウインディーネは恍惚に染まった顔を一転し、敵地に足を踏み入
れたような険しい顔になる。
スピリットフォーレスト
﹁おそらくじゃがな。︽妖精の森︾所属の精霊達は基本昨日のバケ
モノと同じじゃ。組織に所属することが、摂理の埒外へ出るに等し
いからの。とても一般の人間に召喚できる存在とも思えん。もっと
も精霊達がそなたに召喚されることを望めばわからんじゃろうが⋮
⋮﹂
﹁そう。やっぱり無理かぁ﹂
﹁ふん、妾だけでもそなたの仇とやらを誅殺してやるわ。大船に乗
ったつもりでいるがよい﹂
﹁うん。期待してる﹂
ゆきな
幸菜の答えがよほど気に入ったのか、うん、うんと何度も頷くウ
インディーネ。
74
◆
◆
◆
ゆきな
清慶学園︱﹃祓魔科﹄の校舎に着く。
ゆきな
教室に入ると、一斉に幸菜に視線が集中する。正確には幸菜の隣
にいるウインディーネにだ。
ゆきな
ウインディーネが不快そうに顔を歪めるとスーと姿を消す。彼女
には悪いが仮に幸菜が彼らの立場でも同様にウインディーネを観察
していた。それほどAランクの精霊や幻獣は珍しく、希少なのだ。
ゆきな
コロニー
席に着き、教科書等を机の中に入れていると噂話が耳に飛び込ん
で来る。
噂の元は幸菜がこの清慶学園で最も嫌いな集団だった。
﹁ねぇ、昨日の天才様の人間の召喚、見たぁ?﹂
﹁みた、みた! 召喚された奴もダッセーぇし、マジキモイいよな
ぁ?﹂
茶髪の女生徒の言葉に相槌を打つ、金髪の女生徒。
かんた
﹁あのブス、寛太君に調子こくからだよ。ざまぁ、ざまぁ∼﹂
机に座る色黒の女生徒が手をブラブラさせる。
﹁私の契約幻獣も言ってし。あんな無能な人間を召喚する者など我
の相手にすらならん。
こんな感じぃ∼﹂
75
︵な、何じゃ? あの阿呆な者共は?︶
顔を引き攣らせ絶句しているウインディーネ。魔力感知に長けて
いる彼女からすればあの黒髪の少年を、無能と断定するなど正気の
沙汰ではないのだろう。しかし、それはウインディーネほどの超上
位精霊だから可能なこと。実際に昨日観覧席にいた学生達はおろか、
精霊も幻獣も、黒髪の少年に哀れみと侮蔑の視線を向けていた。も
ゆきな
しかしたらあまり保有魔力が強すぎると本能的に己の魔力感知を拒
いんどう
絶してしまうのかもしれない。
唯一の例外は犬童教官。彼は幸菜の席の真下にいたから自然に目
に入った。ウインディーネが髪を逆立出て黒髪の少年に警戒をして
いたそのとき、彼もまた表情が化石のように青く強ばらせていたの
だから。
﹁そういうな。あれでも僕の許嫁なもんでね。
そうだな。でも︱︱僕のために怒ってくれてありがとう﹂
いちのとりかんた
ゆきな
一ノ鳥寛太が色黒の女生徒を抱き寄せて耳元で囁く。狙ってやっ
ゆきな
ているのかどうかはしらないが普通にかなり距離がある幸菜の席ま
いちのとり
で聞こえる。
一ノ鳥の取り巻き達から黄色い声が聞こえて来る。対して幸菜が
抱いていたのはゴキブリだらけの部屋に軟禁されたような特上の嫌
ゆきな
悪感。
幸菜と姉の紅葉は性格も違えば、外見も似ているとはいいがたい
し、食べ物や料理の好みも正反対だ。それでもただ唯一似ているこ
ゆきな
いちのとり
とがある。それは男の好み。
ゆきな
悪いが幸菜は一ノ鳥が生理的に無理だ。性格は勿論、立ち振る舞い、
いちのとり
その綺麗な外観さえも全てが嫌悪の対照だ。
一ノ鳥が姉の婚約者で本当に良かった。一歩間違えば幸菜があの男
76
ゆきな
と婚約していたのかと思うと全身にうすら寒いものが走る。
男運。これだけは今幸菜に味方してくれているようだ。
いちのとり
不意に一ノ鳥と視線が合うと、爽やかな笑顔を向けられる。たっ
たそれだけで虫唾が走り、即座に顔を背けた。あの自意識過剰な奴
おなご
にはこの態度は逆効果なんだろうが、我慢できないものは我慢でき
ないのだ。
︵そなたも大分、面倒な女子じゃな⋮⋮︶
ゆきな
ウインディーネが心底呆れたような声色でボソリと幸菜の耳元で
囁いた。
霊獣召喚は一定限度で精神も繋がっている。通常の想いなら漏れ
ゆきな
ることはありえないが、今のような強烈な感情は召喚士と精霊・霊
獣の間で伝達されることが稀にある。
いちのとり
一ノ鳥が薄気味悪い笑みを顔に貼り付けて幸菜の席まで来ようと
するが、教師が入って来て間一髪で助かった。
次の休み時間になったら全力で逃亡を図ろう。
◆
◆
◆
コロニー
いちのとり
休み時間になるやいなや、速足で教室を出る。向かう先は屋上。
昼時なら兎も角、群衆内の求愛行動に勤しむ一ノ鳥が二十分に過ぎ
ない休みで外に出ることは考えられない。
ゆきな
幸菜が屋上の扉のノブを握るのと女性の怒鳴り声が響くは同時だ
77
った。
扉越しに気配が近づいてくるのを感じ、咄嗟に扉の後ろに姿を隠
いちのとり
すと全身を怒りで振るわせながら紅葉が階段を駆け下りて行った。
一ノ鳥と相対するとき以外、いつも冷静な姉の姿に新鮮な驚きを
感じる。
﹁まぁ∼た、怒らせちゃったなぁ∼﹂
扉から出て来た人と視線がぶつかる。この咄嗟の事態に驚きで心
ゆきな
臓が激しく動悸する。姿を消していたウインディーネが声にならな
い悲鳴を上げるが幸菜にもわかった。
﹁る、瑠璃? ⋮⋮んなわけないか⋮⋮アルスの野郎、これ狙って
やってんのか?﹂
ゆきな
黒髪の少年は幸菜の顔を見て暫し目を皿のようにして凝視していた
が、顔を歪めて唇をかみしめ、言葉を絞り出す。
ゆきな
︵ア、アルスっ!!! 逃げろっ、幸菜!! 逃げるのじゃ!!!︶
ゆきな
ウインディーネが切羽詰まった声で狂ったように幸菜の中で喚く。
ゆきな
逃げろと言われても、確かに驚きはしたが彼からは全くと言って
いいほど幸菜達に対する敵意は感じられない。寧ろ︱︱。
いずみゆきな
ゆきな
﹁初めまして。私は泉幸菜、この子はウインディーネ﹂
ゆきな
ウインディーネは泣きべそをかきながらも幸菜の背後に姿を現す。
幸菜の小さな身体に隠れるように縮こまるその姿が、闇夜の中、手
を引かれた幼い子供の様で思わず苦笑する。
大体﹃大船に乗ったつもりでいるがよい﹄と言っていたのはどこの
78
かろく
誰だろうか? まあそんな所も可愛くはあるんだけど。
いずみゆきな
﹁泉幸菜⋮⋮君、嘉六さんのお孫さんかい?﹂
﹁ええ﹂
先ほどまであった黒髪の少年の顔にあった色々な感情を含んだ表
情が消失し、完璧に赤の他人を見る目に変わる。その事実になぜか
寂しさを感じ、言葉を発しようとするが、彼は右手を軽く上げる。
﹁僕は︱︱ライト、宜しく。
それじゃ、失礼するよ﹂
ゆきな
幸菜の返答を待たずに、階段を下りていくライト。
ウインディーネが床にへたり込む。そんな緊張せずともよいだろ
うに。彼は無駄な争いを好むような存在ではない。
﹁ねえ、ウインディーネ、一度契約した相手と再契約を結ぶことっ
て可能?﹂
﹁そなた、ダメじゃぞ! それはダメじゃ!!﹂
﹁なぜ? 彼、お姉ちゃ︱︱いえ、紅葉と上手くいっていないよう
だし好手じゃない?﹂
﹁好手なものかよ。あ奴はあの悪名高きアルスの関係者ぞ!! 下
手に関わって何されるか⋮⋮﹂
身を振るわせるウインディーネの顔面は凍り付き限界まで青ざめ
ていた。
79
﹁アルス? 誰それ? 怖い人なの?﹂
﹁無知とは恐ろしいものじゃ。妾の世界の決まり事で詳しくは語れ
んが、下手に知らずにあのバケモノに関わろうとされてはかなわん﹂
ゆきな
ウインディーネがこれから大事な儀式でも行うように真剣な態度
で幸菜の目を注視してくる。
﹁な、何?﹂
ゆきな
﹁幸菜、そなたの最悪の結果を想像してみよ﹂
最悪の結果、当主の座を紅葉にとられ、お父さんとお母さんの仇
きちく
おもちゃ
も取れず死ぬ。いや違う。仇も取れずに生きながらえ、身も心もあ
の一ノ鳥の玩具になる。そんなところだろうか。
︵これはひどい⋮⋮︶
最悪の結果を想像し壮絶に顔を歪めていると、大きくウインディ
ーネが頷いてくる。
﹁アルスと関われば、そなたが想像した結果の遥か斜め上の事態に
なる。断言してもいい。
あれはそういう天族だ﹂
最悪の結果の遥か斜め上か⋮⋮悪いけど流石にそれは想像がつか
ない。それにやっぱり、さっきの人がそんな悪い人には見えない。
彼の口が﹃アルス﹄の言葉を紡いだとき、明らかに嫌悪感に溢れて
いたし。
80
﹁よし、決めた﹂
ここで一つ訂正をしておこう。姉の紅葉と同じなのは異性の好みだ
けではない。
それは︱︱。
﹁そなたの今の顔、妾、嫌な予感しかしないんじゃが⋮⋮﹂
ゆきな
ウインディーネにとってはもしかしたら悪夢そのものかもしれない。
でも幸菜の気持ちはとっくに決まってしまった。
﹁行こう、ウインディーネ﹂
そうと決まればすぐにでも動きたい。呑気に授業などうけている
ゆきな
場合ではない。 幸菜は逸る気持ちを抑えつつも、階段を下っていく。
81
第4話 少年考察︵後書き︶
お読みいただきありがとうございます。
朝はここまでしか時間がありません、残りの9話分は夜、22時く
らいに投稿します。
そ
82
第5話 共同生活の始まり
目が覚めると何時も代わり映えしない私の屋敷の天井が見える。
私は低血圧で朝は滅法弱い。悪夢で魘されて起きない限り、起床
数分間はボーとして何も考えられないことなどざらだ。特に今日は
ひどかった。ほとんど半分眠った夢遊病に近い状態で自室の扉を開
けて一階の洗面所へ向かう。
洗面所で顔を冷たい水で数回洗い、顔を拭くタオルを探すべく視
線を周りに向ける。
﹁はぁ? 何これ?﹂
素っ頓狂な声が喉から出る。あれだけ山のように積まれていた洗
濯物が全部綺麗さっぱり消失していた。慌てて廊下に出ると声を失
う。ゴミどころか埃一つ落ちていない。文字通りピカピカだったの
だ。
頭にかかっていたモヤが一瞬にして吹き飛び、昨日の私が召喚した
黒髪の少年︱︱ライトの姿が脳裏に浮かぶ。
サーと血の気が引いていき、動機も激しくなる。
無意識にも喉が崩壊しそうなほどの大声を上げていた。
リビングまで転がるように廊下を爆走し扉を開けるとそこには私
のとびっきりの絶望がエプロン姿で珈琲を入れている所だった。
言葉が上手く口から吐き出せない。ただ哀れな死に掛けの魚のよ
うにパクパクと動くだけ。
﹁あ、あんた⋮⋮﹂
これが紅葉の精一杯の抵抗だった。ライトは私を一瞥するとさも
83
不快そうに表情を曇らせ口を開く。
﹁朝食はできてる。君のお爺さんも来ているし、まず顔を洗って着
替えて来な﹂
︵着替え?︶
自分が下着姿であることを思い出し、ライトの言葉とその表情の
意味を理解し、火が出るように身体中が発火していく。半分は羞恥
から、もう半分は屈辱から。
﹁くっ!!﹂
部屋に駆けこむと、枕を持ち思いっきり壁に叩きつける。
︵くそっ! くそっ! くそぉっ!!!︶
︱︱ライトの私に対するやけに達観した態度が気に入らない。
︱︱ライトの私を幼い子供扱いするその態度が頭にくる。
︱︱ライトの私のことを何でも知っているふうな態度に腹が立つ。
︱︱ライトの私に向けられていたさっきの嫌悪の籠った表情が何
より許せない。
枕を殴り続けてようやく気持ちが落ち着いて来た。それでも本来
の数十分の一ほどではあるが、冷静に物事を考えられるレベルには
なっている。
当たり前だが、昨日のことは全て現実。そして私は霊獣召喚とい
う人生最大の賭けに敗けた。昨晩、ライトのあまりの無礼な態度と
言葉に自室でふて寝したはいいが、疲れからか朝まで泥のように眠
ってしまったようだ。
84
それにしても︱︱
︵私︱︱子供かい!!︶
自分自身に壮絶に突っ込みつつも、頭を抱える。
いくらライトが不躾けで、無遠慮な奴だとしても彼は今回の被害
者であり、本来なら私を何度殺しても飽き足らないほど憎んでしか
るべきだ。それにあの塵屋敷がゴミ一つない清潔感溢れる空間へと
一夜にして早変わりした。彼が徹夜で大掃除してくれたことは間違
いない。それなのに碌に謝罪も感謝も述べちゃいない。
本来なら今頃霊獣召喚に失敗した件につき命の尽きかけた蝉のよ
うに落胆しなければならないのだろうが、幸か不幸か、ライトの対
応に頭が占拠されとてもそれどころじゃない。
ノロノロと制服に着替えると一階へ降りていく。リビングの扉を
開けると私の正面の席に座るライトと目が合った。
さっきの私の醜態を思い出し、顔があり得ない程紅潮していくの
がわかった。目を伏せて席に座るとパンを口に放り込み、目玉焼き
も一飲みにするが、咽喉に詰まり息ができなくなってしまう。
呆れたように肩を竦めると席を立ちあがると珈琲を私に渡してく
るライト。その幼い子供に対する母親のような反応に、情けないや
ら、悔しいやらでひったくるように飲み干すと逃げ出すように自室
へ退避した。
◆
◆
◆
お爺ちゃん達が帰り、私もそろそろ学校へ行かないと遅刻する。
でもライトと顔を合わせたくない。これは一ノ鳥のような嫌悪感
85
ではない。寧ろ感触としてはあの世話好きで優しそうなところなど、
普段の私ならいい線いっていると判断しているところだろう。いく
ら私の好みの男性像であっても、如何せん決定的にライトと私は相
性が最悪なのだ。それは昨日から数回話してもはや疑いはない。本
来なら関わらないに限るが、私のしでかしたことの大きさを考えれ
ばそういうわけにもいかない。
重たい気持ちに対応するように脚は鉛のように重かった。
一階へ降りてお腹に力を入れてリビングの扉を開けるともぬけの
殻だった。
ほっとする気持ちとこうも振り回しくれるライトに理不尽にも腹
が立った。 清慶学園の祓魔科の校舎へ入ると、生徒達の視線が一斉に紅葉に
集まる。
︵私の周りだけまるで異世界のようだ︶
そんな阿呆な感想を抱きつつも、下駄箱を開け靴に手を掛ける。
﹁紅葉た∼ん!﹂
色欲まみれた声とともにお尻を撫でまわされる。振り向きざまに
・・・
脚を勢いよく上空に上げて高く上がった踵を色情魔の顔面にぶち落
とす。
普段なら彼女の頭頂部に踵がもろに決まって恍惚に悶えていると
ころだが今日は脇から伸びる右手により防がれていた。パーカーを
なみ
着用した灰色髪の中性的な美少年。ただし頭には耳も生えてるし、
犬歯も鋭い。彼が奈美が昨日召喚した幻獣。
86
﹁わりぃな、本心では平然と見過ごしたいところなんだが、一応、
こんな変態でも俺の主人だからな﹂
灰色髪の少年はすまなそうに頭をカリカリと掻く。言葉遣いは粗
野だが、紳士的な幻獣らしい。
﹁ブヒイイイイイイ︱︱﹂
へんたい
奇妙な奇声を上げながら私の胸に顔を埋めようとする奈美。
﹁いい加減にしろや!!﹂
へんたい
奈美の後ろ襟首をムンズと掴むと灰色髪の少年は額に太い青筋を
張らせながらも、私に左手を僅かに上げて謝るような仕草をすると
二階への階段へと姿を消していく。
教室へ入る窓際の席に座り、机に突っ伏す。
クラス中の視線が集中するのが気配でわかる。ただし決して話し
かけてくるわけではなく、ヒソヒソと感じの悪い噂話に花を咲かせ
るだけ。十中八九、嘲笑だろうが端から私はクラスで浮いていた。
さほど気になるわけではない。寧ろ、教室内の方がライトと顔を会
せるよりはなんぼか心が休まるというものだ。
﹁紅葉﹂
机の前に気配を感じて顔を上げると真っ赤な髪に赤い瞳の少年︱
︱来栖が気遣わしげな表情で私を見下ろしていた。
﹁ん? そんな神妙な顔してどうしたの?﹂
87
﹁⋮⋮﹂
暫し無言で来栖は紅葉を観察していたが、緊張していた顔の筋肉
を緩めて席を離れていく。
何だったんだろう? まあ今は他人に構っていられるほどの余裕
は私にはない。
直面している問題は私の召喚術によりこの世界での生活を余儀な
くされたライトに対する保障。
ライトは私の召喚のせいで住む場所すらない。彼の寝床となる場
所を直ぐにでも手配する必要がある。ライト一人の住む場所ならお
父さん達が残してくれた遺産で何とでもなる。ただライトがそれを
受け入れるかはまた別問題だろうが。
次はライトの帰還の方法。ライトは私が他人の手を借りることに
不満そうだったが、お爺ちゃんに頼もう。今は恥や外聞を気にして
いる場合ではない。それほどの過ちを私は犯してしまったのだから。
最後はライトのこの世界に滞在中の金銭等の問題だ。これもお父さ
んの遺産を切り崩すしかあるまい。
いんどう
最低でもこのくらいの保障は必要だろう。
そこまで考えたとき担任の犬童先生が教室に入って来る。
先生の後に続く人物を視界に入れ、私は即座に席を立ち上がり、
絶叫を上げた。
◆
◆
◆
す﹂
﹁あ∼え∼と、転校生を紹介するよ。皆も知っての通り、昨日の召
喚で呼ばれましたライト君で
88
転校生じゃねぇだろう!! それがクラスの満場一致の見解だ。
勿論その筆頭は私だったわけだが。
﹁ども、ライトです。よろしく﹂
いんどう
﹁ちょ、ちょっと待ってください、犬童先生。彼は私が召喚し︱︱﹂
﹁はい、はい、は∼い。ライト君は織部さんの隣ねぇ。じゃあ、皆
今日も張り切って行こうか﹂
いんどう
いんどう
犬童先生はパンパンと手を叩くと、私の言葉を遮る。こんな強引
なことをする人物には心あたりがある。ならば犬童先生を初めとす
る他の先生の篭絡もとっくの昔に完了済みだろう。異議を申し立て
ても時間の無駄だ。
私の隣の席までくるとライトは顔を近づけ、こぼれるような笑顔
で囁いてくる。
﹁よろしく、紅葉﹂
理由もなく、滑稽なほど顔が紅潮していくのが自分でもわかる。
必死で誤魔化そうと顔を背ける。一時間目の授業は全く頭に入らな
った。
◆
◆
◆
﹁終了まで十分ほどあるけど丁度キリがいいから今日はここまでに
します。
89
復習だけはするようにね﹂
教科書で机をトントンと叩くと、それを小脇に抱えて教室を出て
いく。
﹁話があるからついてきて﹂
﹁了解﹂
ライトも立ち上がり、私の後に続く。多分今私は般若のような顔
をしているんだと思う。
私の前にはモーセの十戒のごとく人の道ができていた。その人の道
を全身から怒りを体現させながら歩く私と全く動じたふうもなくつ
いてくるライト。
屋上へ到着し、ライトに向き直る。
﹁どういうつもり!?﹂
憤りで感情を上手く制御ができない。
﹁何が?﹂
キョトンとした顔でライトは尋ねて来た。その毅然とした態度が
私のさらなる怒りの導火線に着火する。
﹁転校の件よ!!!﹂
﹁叫ぶなよ、ビックリするだろ﹂
90
﹁な︱︱ぜ!!﹂
肩を竦めるとライトは私の目を見つめる。それは恐いくらい真剣
な顔つきだった。
﹁決まってる。君を守るためだよ﹂
﹁私を⋮⋮守る? 貴方が?﹂
︵はは⋮⋮こいつ何を言ってるんだ?︶
驚愕を通り越して笑いが口から洩れて来る。ライトには私を守れ
ない。
私も法術師だ。他者の魔力量くらい感知できる。ライトからは一
般人程の魔力も感じられない。さらにみるからに碌に鍛えた事もな
さそうな虚弱体質。いずれの観点からも私レベルの戦いで役に立つ
とは思えない。
﹁そうさ。だから僕はこれから常に君と一緒にいるよ﹂
異性にこんな告白のようなセリフを真顔で伝えられたのは生まれ
て初めてだ。
﹁だ、駄目にきまってるでしょ﹂
だからドモリまくりながらも、早口で拒絶の言葉を吐き出す。
﹁悪いけど、君、昨日自分にできる事なら何でもする。そう言った
よね?﹂
91
そうきたか⋮⋮でもなぜそこまでして私を守ろうとする?
﹁⋮⋮﹂
﹁都合が悪いとだんまりかい? まあいい。兎も角、僕の望みは君の傍にいること。君自身で言った
言葉だ。今更反故するなど僕は許さない﹂
﹁なぜ⋮⋮私を守ろうとするの?﹂
私は無力なライトに守られるなど絶対に許容しない。だからライ
トの目的など聞いても意味はない。なのに私の口から出たのは拒絶
の言葉ではなく疑問だった。
﹁⋮⋮それ言わなきゃダメかい?﹂
﹁ええ﹂
嘘だ。聞く意味などない。なのにライトの次の言葉に動悸が激し
くなり、息が詰まるような思いが走り抜ける。
ライトは暫し腕を組んで空を見上げていたが、私の目を見つめて
来る。私の喉がゴクリとなった。
﹁君のお爺さんに調べてもらったのさ。君が発動した霊獣召喚によ
り、僕は君が死ねば元の世界に帰れなくなるらしい。だからだよ﹂
﹁それ⋮⋮だけ?﹂
﹁ああ﹂
92
やっぱりこいつは最低だ。このとき私の心の中にあったのはその
言葉だけ。同時に私の身体の芯にあった正体不明の熱も急速に冷め
て行く。
彼の立場になれば元の世界に戻れなくなることが最も避けるべき
事態のはず。本来尋ねるまでもない。にもかかわらず私はこのとき
どうしてもライトが許せなかった。
﹁そう! なら好きにすれば!﹂
これ以上ライトとの会話に意味などない。もはや視線すら向けず、
校舎への扉まで速足で歩いていく。
﹁ついてこないでっ!!!﹂
私の後についてくるライトに声を張り上げると勢いよく校舎の中
に入った。
93
第6話 食堂での一幕
︱︱二年E組の教室
ため息が出るほど僕は女性という生物が良く分からない。屋上で
のあの紅葉との会話のどこに怒りを覚える要素がある?
僕の左隣の席に座る女性は僕の言葉を一切無視することに決めた
らしく、あれから一言も口を聞こうとしない。僕が視線を向けると
顔を背ける。彼女のこのリアクション、まるで喧嘩中の沙耶だ。沙
耶と内面が似ているならどうせあっさり機嫌は好転する。天候を人
間がどうこうできないのと同じ。嵐を過ぎ去るのをただひたすら辛
抱強く待つしかない。
︵それにしても⋮⋮︶
今は法術とやらの授業だ。
法術は黒魔術と白魔術を合せたような術。
ただし僕らの世界の基礎魔術︱︱黒魔術、白魔術、青魔術、赤魔
術、降霊術、呪術、召喚術と比較してその強度はかなり低い。具体
的には法術の奥義は黒魔術や白魔術のレベル3に相当する。確かに
この強度ではアルスの課したラスボスや中ボスは倒せない。
しかしこの法術まったく白魔術と黒魔術の劣化版というわけでは
ない。消費魔力は黒魔術や白魔術の数十分の一ほどしかなく、魔術
とみなされていないから宣誓の儀式も不要だ。加えて発動までに多
少の時間はかかるが、手順さえ誤らなければ失敗することはない。
おそらく術のこの方式を現代の基礎魔術に応用すれば︱︱。
94
﹁では今日の授業はこれまで。今日の内容は期末に出ます。各自予
習復習を怠らないように﹂
教室に非難と悲鳴が混じり合った声が上がる。
紅葉はやけにノロノロと教科書を机に突っ込むと、席を立ちあが
る。今まで僕はその容姿から紅葉と朱花を同一視していた。しかし
こいつはどちらかというと妹の沙耶よりだ。ならばその対処法など
十数年の蓄積のある僕にならお手の物。
紅葉の後を少し離れてついていく。こうでもしないと臍を曲げる
からだ。沙耶ならついていかないと逆に機嫌が悪化するわけだが、
そこまで一緒だとは正直思いたくない。
さっきから僕に向けられるこの好奇心たっぷりな視線は不快では
あるが、我慢できないほどではない。 何せ嘲笑や侮蔑はあるが敵
意まではないのだ。明神高校での生活より数百倍ましというものだ
ろう。
紅葉は食堂のカウンターでオムライスとカレーライスを注文する。
朝がパンと目玉焼きだけだったとはいえ、良く喰う女だ。僕として
は見ているだけで胸やけしそうだ。
載せられたトレイを両手に持つと、窓際の隅っこの席につく。し
かもご丁寧に壁を正面にして。こいつのこの行動原理、どことなく
明神高校での僕に似ている。こいつも僕と同様、学園では日陰者な
のかもしれない。
さて、紅葉は沙耶。なら彼女の正面に座ると十中八九席を移動さ
れる。しかし下手に離れすぎると逆にお嬢様の機嫌が最悪となる。
この調整が殊の外難解なのだ。打開策としては誰か知り合いがクッ
ション替わりになってくれれば最高なんだが⋮⋮。
そこで僕を押しのけるように紅葉に背後から抱きその頬に頬ずり
をかます赤毛の小動物一匹が登場する。
95
﹁∼っ!!?﹂
紅葉の口から微かな悲鳴が漏れ、全身が超高速で真っ赤に染まる
のが背後からでもわかる。猛烈に嫌な予感がする。今の今まで後ろ
には僕しかいなかった。多分僕が紅葉に不届きを働いていると此奴
のおめでたい脳は勝手に勘違いしている。
﹁紅葉た∼ん。このお肌のすべすべ具合。マジ、天使︱︱びゅはっ
!!﹂
氷のように固まって身じろぎ一つしない紅葉の頬に赤毛の変態は
さらに顔を擦り付けようとするが、引き剥がされゴンッと鈍い音と
ともに机に顔面を叩きつけられる。あれ結構痛いぞ。
ゴロゴロと転がりながら悶える変態を横目に、紅葉の正面の席に
座ると両手に持ったトレイをテーブルに置く頭に耳を生やした灰色
髪の少年。彼は赤毛変態童女の召喚した幻獣だろう。
﹁毎度毎度、変態がすまねぇ︱︱テメエも早く座れ!﹂
﹁あ∼い﹂
︵この女もか⋮⋮︶
この赤毛変態童女も僕の知る人物の一人にそっくりだ。そしてあ
しちほうまとい
まり近づきたくない部類の知り合いでもある。
七宝纏︱︱頻繁に絡んで来る僕の天敵の少女。
この狙ったようなキャストにさらに新たな登場人物が加わる。
﹁珍しく賑やかなようだな。俺達も一緒に食わせてもらっていいか
96
?﹂
頷く紅葉。
赤髪、綺麗な顔にそぐわない目つきの悪い少年が僕を振り向いて
指をテーブルに指しつつ意外な提案をしてきた。
﹁ライト、って言ったな。あんたも座れよ。このカレー多分、あん
たのだ﹂
まさか赤毛の少年に同席を提案されるとは夢にも思わず反応が遅
れる僕。赤毛の少年は紅葉の右隣に座ると、右手で彼の右隣の席の
椅子を引く。座れということだろう。
この面子での食事など是非拒否させてもらいたいのが本心だが、
そう言ってもいられまい。僕が勧められた席に座ると僕の前のテー
ブルに大盛のカレーライスの乗ったトレイが置かれる。
なるほど。紅葉が二人前、食べるんじゃなく僕の分を注文してく
にいみなみ
なみ
にいみくるす
れていたわけだ。想像以上に彼女は優しい人物なのかもしれない。
しちほうまとい
簡単な人物紹介がなされる。
こうづきりくと
七宝纏に激似の赤毛童女が新見奈美。
にいみなみ
僕の天敵倖月陸人にそっくりの赤髪の少年が奈美の兄新見来栖。
にいみくるす
こ
新見奈美は僕を警戒しているのか会話どころか視線すら向けては
こない。
しちほうまとい
にいみなみ
対して新見来栖は最初からやたらと僕に好意的だった。
こうづきしゅか
兎も角、この狙いに狙ったような容姿。
うづきりくと
にいみくるす
いずみゆきな
倖月朱花に似た織部紅葉にはじまり、七宝纏に似た新見奈美と倖
月陸人似の新見来栖。
さらに今朝屋上であった紅葉の姉妹らしき泉幸菜が倖月瑠璃。
外見だけ言えば元の世界にいる彼奴らを強制招集したと言われても
97
疑いはしない。
もっとも似ているのはあくまで外見だけ。中身は全く違う。内面
いずみゆきな
として成熟しきった朱花とは異なり、紅葉は子供のようであり、ど
ちらかと言えば妹の沙耶に近い。泉幸菜は実際よりもかなり気が強
い感じだった。
﹁それであんた、どこから来たんだ?﹂
なみ
来栖の問いに紅葉や奈美も興味があるのか、いつの間にか話しを
止めていた。
﹁この世界とは全く別の世界。そうとしか言えない﹂
これはアルスの作成したゲーム版。ルールの委細を把握するまで
は不用意に情報を露呈するべきではない。
案の定、灰色の髪の幻獣族の少年︱︱オルトロスが眉をピクリと
上げる。
﹁興味深い話、してるね?﹂
背後から鈴をふるわすような澄んだ声が僕の網膜を震わせる。そ
れは僕がつい最近、傷つけてしまった少女の声であり、大切な幼馴
染だった少女の声。
いずみゆきな
﹁泉幸菜、何の用?﹂
なみ
奈美が嫌悪感を隠そうともせず、けんか腰みたいにぶっきらぼうに
疑問をぶつける。彼女元々、かなり人見知りなのかもしれない。僕
に対する対応の方が、幾分ましだ。
98
﹁貴方と少し話しをしたくて﹂
いずみゆきな
泉幸菜が僕に視線を固定しつつも微笑む。
﹁僕と?﹂
まさかの指名を受け、思わず声が裏返る僕。だが僕以上に動揺し
ている奴がいた。来栖を挟んだ僕の左隣にいる女。興味なさそうに
オムライスをつついていたスプーンをガチャとトレイに落とす。
﹁そう。回りくどいのは趣味じゃないので、単刀直入に提案します﹂
ゆきな
﹁幸菜、やはり思いとどまるのが吉じゃぞ﹂
初登場と同様、幸菜の背後で顕現すると僕から隠れるように弱々
しい声を上げる精霊︱︱ウインディーネ。
なみ
ウインディーネの顕現により、オルトロスがバッと椅子から立ち
上がると奈美を抱きかかえると距離を取り、来栖の契約精霊である
炎を纏った美少女︱︱サリーマが来栖と幸菜の間に身体を割り込ま
せ構えを取る。彼女も先ほど来栖から紹介を受けた。
ゆきな
この鉄火事場のような事態に苦笑しながらも、赤子のように震え
るウインディーネの頭を優しく撫でると僕の目を見つめて来る幸菜。
﹁姉さんの契約を解除し、私と契約をし直してください﹂
ゆきな
幸菜の言葉がよほど想定外だったのか紅葉はオムライスを掬った
なみ
くるす
スプーンを口まで運ぼうとするが、手が震えて上手く口に持ってい
ゆきな
けてない。紅葉だけではない。奈美も来栖も、契約精霊と契約幻獣
さえもポカーンと口を開けていた。
だけどこの中で最も焦っていたのは多分僕だ。幸菜は確実にウイ
99
ンディーネから僕の力について聞いている。そうなければ僕のよう
な特段強そうにも見えない人間と契約を結びたいとは考えまい。
確かにゲームの第二ルールである﹃被召喚者は召喚者に己の力を悟
られないように努めなければならない﹄は努力義務。一見、僕への
束縛範囲は狭くなりそうだ。しかし﹃努めなければない﹄、これは
極めて抽象的な文言なのだ。最悪アルスの胸先三寸により僕の敗北
が決せされてしまう可能性さえある。ルールの委細が不明な現状で
は﹃悟られてはならない﹄そう読み替えて理解すべきだろう。
つまり紅葉に命じられ力を振るう場合は格別、できる限り、紅葉
に僕の力は知られるべきではない。
・・・・・・
﹁君がなぜ人間にすぎない僕ごときと契約したいのかは全くの不明
だけどさ、それは無理だね﹂
﹁なぜです?﹂
ゆきな
僕の拒絶の言葉にも眉ひとつ顰めず、微笑みを浮かべてくる幸菜。
・・・
僕のこの返答も予想の範疇。やりにくい! とんでもなくやりにく
い!
﹁僕がただの人間だからさ。
君のお爺さんの調べでは紅葉が用いた特殊な触媒により、霊獣召喚
エクソシ
の儀式に不可思議な科学反応が生じ、霊獣召喚とは異なる術式が実
行された。故に契約の解除の方法すらも不明というわけ﹂
スト
﹁泉家の情報網なら解除の方法もきっと見つかります。叔父は祓魔
師協会の日本支部長︱︱﹂
﹁いや、結構だよ。僕は紅葉を守るって決めた。紅葉と元の世界に
戻る方法を見つける。そう決めたんだ﹂
100
どの道、僕と紅葉との契約がアルスの発動した術式に基づく以上、
この世界の誰にも破れやしない。
それに生活力が最悪で、沙耶に似て行動原理が小さな子供の様など、
放って置けないところも含めて、僕はこの紅葉という人間をそれな
ゆ
りに気にいっている。何より今更、より好条件な契約者に鞍替えす
るなどスマートじゃない。
﹁そうですか。でも私諦めませんから﹂
きな
まるで僕の言葉を予想していたかのように微笑を崩すことなく幸
菜は右手を軽く上げると食堂を出て行ってしまう。
食事を再開するも、顔を紅潮した紅葉がオムライスを口の中にす
ごい速度で放り込んでいるのが視界の隅に移る。
︵そんなかっこむと朝みたいに喉につまるぞ︱︱いわんこっちゃな
い︶
予想を裏切らず、オムライスで喉を詰まらせて胸をトントンと叩
く紅葉。
﹁はい。水、まだ僕口つけてない︱︱﹂
僕の手から水の入ったコップをひったくると一気に飲んで逃げる
ように席を離れる紅葉。
﹁ありゃあ、逃げたな﹂
﹁逃げたね﹂
101
なみ
僕も急いで口にカレーを運んでいると、奈美が根掘り葉掘り召喚
直後や僕のいた世界について尋ねて来た。
不必要な情報は口外しないのが魔術師としての美徳だ。だから可
能な限りはぐらかしておいた。真に必要な情報は己が召喚した精霊
や幻獣にでも聞けばいいのだ。
もっともゲームをより楽しむため余計な情報をこの世界の住人に
与えたくないアルスにより厳重なプロテクトを施しているだろうし、
簡単には語られまいが。
なみ
今しがた無視をしていたのが嘘のように奈美はフランクに接してき
た。彼女との壁がなくなったのは僕が紅葉を守ると宣言したからか
もしれない。要は彼女は僕が紅葉を傷つける事を純粋に警戒してい
たに過ぎなかったのだろう。
102
第7話 奇妙哀愁
午後の授業は精霊や幻獣の扱いを覚える実習だった。
﹁なぜ僕らは見学してるんだい?﹂
観覧席で隣に座り、ぼんやりと戦闘を眺める相棒へと半眼を向け
る。
﹁⋮⋮﹂
またダンマリか。どうやっても彼女は僕と話す気はないらしい。
肩を竦めて闘技場へ視線を向ける。
ほとんどが、レベル15∼20。レベル10を超えると銃器は一
切効かなくなる。この世界の人間としては最強だ。それは認める。
バベルのとう
しかし、アルスの言の通りならこのゲームをクリアするためには
僕クラスの強さがなければならない。
悪いが彼らじゃこのゲームのクリアは不可能だ。あの︽裁きの塔︾
のマジキチ具合を見ればアルスの非常識さは予想できる。何せ下層
でさえもレベル605の魔物、300体の総攻撃をくらう極悪さだ。
彼らでは雑魚敵と遭遇次第一瞬でひき肉だ。
観覧席は実習の休憩所としても用いられている。今も若干数名は
観覧席で休息している。
そして近づいてくる三人の人間と三柱の精霊・幻獣の一団。その
中の一人にはこれまた見覚えがあった。陸人や纏など比較にならな
いほどの腐れ外道。何度殺しても飽き足らない僕の憎悪の対照。
103
﹁見ろよ、ネレイス! あのブスぅ、見学してるぅ!﹂
金髪の女生徒が見るに堪えない下品な笑みを浮かべ紅葉を指さす。
そして女生徒の後ろには青色のドレスを着た人間種とは到底思えな
い美しい女性が佇んでいる。精霊だ。レベル二十四。この世界にい
る精霊としてはかなりの強者だ。
﹁汚らわしい﹂
ネレイスと呼ばれた精霊は僕に冷たい嘲る瞳を向ける。
そういやいつだったかヘンゼルが言ってたな。精霊は他者の魔力
に敏感に反応するって。僕から魔力を感じないからのこの反応か。
今僕は魔力を抑えてはいるが、通常人並みにはあるはずだ。それ
が全く感じない。やはり、考えられるのはアルスだが、そうすると
いくつか疑問が生じる。即ち、ウインディーネが僕の魔力を感知し
得ていたわけだ。もしかしたら一定以上のステータスがないと僕を
感知し得ない設定なのかもしれない。
﹁うわ∼、本当だぁ∼何の魔力も感じなぁ∼い。ホント、才能ない
奴っているんだねぇ∼﹂
甘ったるい声を上げる黒髪ボブカットの女生徒。傍にいた金色の
長い髪を後ろで縛った長身のイケメン男性が、相槌を打つ。
﹁そういうな、マキ、この世はお前のように才気あふれるものばか
りではない。どこの世も、出来損ないというものはいるものだ﹂
﹁だよねぇ∼、あんなヒトモドキ召喚したら私ショックで死んじゃ
うよぉ∼﹂
104
凄まじい怒りを眉の辺りに這わせながら紅葉が勢いよく立ち上が
り、奴らを睥睨する。
紅葉にとってただの人間の僕を召喚したことは人生最大の汚点だ
ろうし、怒るのも無理はない。
﹁な、何、此奴ぅ? 生意気ぃ!! シルル、やっちゃってぇ∼!
!﹂
﹁愚かな人間。我が主の命だ。悪く思うなよ﹂
嘘つけよ。その喜悦の笑顔、弱者をいたぶることに快感でも覚え
るんだろう? 兎も角、紅葉の危機だ。切り抜ける方法はいくつかあるが︱︱。
﹁止めろ、紅葉は僕の許嫁だ﹂
き
茶髪の壮絶イケメンがシルルから紅葉を庇うように立ちはだかる。
さらぎほくと
ヒロインの危機に、颯爽と登場する勇者。これが外道勇者︱︱如
月北斗の顔じゃなければ僕もそれなりに称賛するんだけれども。
それにしても許嫁ね。北斗顔の男に朱花の顔の女が将来添遂げる
か。僕に無関係とわかっちゃいるが、どうしても受け入れなれない。
︵今の僕途轍もなく気持ち悪いよな⋮⋮︶
自嘲気味に大きく息を吐き出す。この世でトップレベルに憎んで
いる女に激似の女が他の男にとられるのが許せない。中々どうして
歪んでやがる。
兎も角、もう少しこの茶番を観察してみよう。僕の役目はあくまで
紅葉の保護だ。それ以上でも以下でもないのだから。
105
﹁小僧、どけ。邪魔だてするならマキの連れとて容赦せん﹂
シルルと茶髪イケメンを相互に見ながらもオロオロし始めるマキ。
﹁ギーヴル﹂
茶髪イケメンの声に応じてその背後から金の髪を長く伸ばした青
い目の美女が出現する。金髪美女はジーパンに上半身黒色の水着姿
であり、薄気味悪い笑みを顔一面に張りつけている。
かんた
﹁寛太ぁ、この男、貰ってもいい∼?﹂
﹁好きにしろ﹂
かんた
寛太の了承の言葉にジーパン、水着女の顔が恍惚に染まり、目が
血のように真っ赤に変色する。
﹁ちっ! 物狂いの類か。だから獣臭い幻獣風情は嫌なんだ﹂
﹁私ねぇ、綺麗なものが大好きなのぉ∼﹂
スピリットフォーレスト
﹁ああそうかよ。我個人としてはお前のような気狂いには吐き気す
ら覚える。しかし、お前のような異常者を屠るのも、︽妖精の森︾
の一員たる我らの役目﹂
スピリットフォーレスト
おもいかね
︽妖精の森︾? なぜここで僕らのギルドの話がでてくる?
そういや思金神から今精霊族のメンバーの希望者が殺到している
との報告を受けている。どうやら精霊界に里帰りをしたお調子者の
メンバーの数名が吹聴したらしい。まあ、心当たりは嫌っという程
があるわけだが⋮⋮。
106
スピリットフォーレスト
おもいかね
僕個人としては精霊族についてよくは知らない。だから思金神の
進言通り、精霊達の︽妖精の森︾への加入にテストを導入したのだ。
とは言え一応精霊族の新規加入者は僕に一度会う事になっていた
はず。つまり、メンバーで僕を知らぬはずがないのだ。力も大した
ことがないし、多分ハッタリだろうが仮に真実ならこんな下種をメ
スピリットフォーレスト
ンバーに加える試験などないに等しい。試験の見直しが急務となる。
ギーヴルとシルルから魔力が放出される。︽妖精の森︾所属の児
童達よりも貧弱な魔力に過ぎないが、それでもこの世界の住人には
十分脅威のレベルだ。このまま傍観して未熟共の御遊戯により、紅
葉が傷ついたのでは目も当てられない。そうは言っても紅葉の性格
からして助けに入った許嫁を残してこの場を離れるのはよしとすま
い。さて参った。
一旦退避するよう進言するべく横にいる紅葉に顔を向けるが、彼女
は僕の手を握ると、闘技場の出口まで走り出し始める。
紅葉らしからぬ行為に完璧に面食らいながらも、振り払う理由な
ど勿論なく黙ってついていく僕。
かんた
闘技場を抜けて校舎へ入り階段を駆け上がり、屋上へ一直線に向
かう。
背後からは外道勇者北斗に激似の寛太の声が聞こえて来る。
屋上の扉を開けると外には出ずに、近くにあったロッカーに僕を
押し込めると紅葉も入る。
結果的に僕の胸部に顔を埋める格好で息を殺す紅葉。朱花とそっ
くりな顔が僕の目と鼻の先にある。その事実に僕の心臓が激しく波
打ち始めるのがわかる。
紅葉の僕を庇うようなその姿がかつての朱花に重なり、気持ちが
騒めき出し、おぼろげな過去の何気ない風景が脳裏をよぎり出す。
情けない⋮⋮情けないが、今確信した。結局僕は忘れたつもりにな
っていただけだ。例えそれが憎しみだったとしてもやはり僕は朱花
を忘れることなどできない。何となくだがそれが良く理解できた。
107
身体の中を吹き荒れる正体不明の狂わしい気持ち。その制御不可
能な切なさに紅葉を痛いくらい抱きしめていた。紅葉は顔を紅潮さ
せ躊躇いつつも顔を上げるが、僕の顔を視界に入れるとその目を大
きく見開く。
数分の間、僕はロッカーの中で紅葉を抱きしめていた。
授業終了を知らせるチャイムの音が鼓膜を刺激する。
﹁ライト⋮⋮授業が終わったし、そろそろ離して欲しい﹂
躊躇いがちにも尋ねて来る紅葉。
﹁あ、わるい﹂
慌てて紅葉の両肩を掴み、その身体を離す。彼女は熟したイチゴ
のように真っ赤になって俯いたままでいた。
さっきのが最後。僕の自分自身でも説明できない不可思議な気持
ちにこれ以上彼女を付き合わせてはいけない。
﹁ありがとう﹂
沈む気持ちを抑えつけ、顔に無理矢理笑みを作り彼女に感謝の言葉
を述べると、ロッカーから出て階段を駆け下りる。
﹁ちょっ︱︱﹂
今は考えるのはやめだ。色々動かなければならない。紅葉に気付か
れないようにできる限り静かに速やかに。
108
いんどう
いんどう
まず、職員室へ行き犬童先生に粗方の経緯を説明し対処を頼んだ。
犬童先生は、当事件は学校側で全て処理をすることを理由に、僕
にくれぐれも軽はずみな行為をするなと何度も念を押してきた。
無論考えもなく衝動的に動く気などないし、先ほどは殺気すらな
い未熟者達の単なる小競り合い。殺し合いではなく、学校側が動け
ばすぐにでも沈静化する性質のものだ。
それに僕が不用意に動いてそれが紅葉の耳に入り、第二ルールに
抵触なんてふざけた事態は可能な限り避けたい。
僕自身が動くのは奴らが道を決定的に踏み外しそうになったとき。
だから今後、僕が目を離した隙に紅葉が襲われる可能性も念頭に動
マジックアイテム
かなければならない。こんなときルール四︱︱被召喚者は召喚者に
魔術やスキルの才能や魔術道具や武具を与えてはいけない︱︱が正
直痛い。紅葉の保護の対策も必要だ。
おりべかろく
その保護対策の其の一が織部嘉六への電話だ。
ロッカーに紅葉と隠れていたところまで、端折らずにほぼ事実通
りに説明し、学校外での紅葉の保護を頼む。無論、保護されるとわ
かれば彼女は臍を曲げる。だから彼女に知られないようにという条
件を付与した。嘉六はこの条件付の僕の依頼を二つ返事で了承する。
孫が危険にされたのだ。怒り心頭かと思ったが、逆に機嫌は著しく
良くなっていた。一体この反応はなんだろう? 最後が紅葉の学校内での保護。学校外は嘉六に任せた。見るからに
過保護気味な嘉六なことだ。それなりの実力のある者を護衛につけ
ナイト
なみ
くるす
るだろう。ならばあとは学校内だけ、目を光らせていればいい。
その騎士の候補は奈美、来栖の兄妹。少々、いや、大分、過保護す
ぎるかもしれないが後で、事情を二人にも説明し協力を仰ごう。あ
くるす
の二人なら僕以上に憤り、必要以上の協力はきっとしてもらえる。
なみ
教室へ戻ると紅葉は奈美、来栖と窓際で談話している。その姿を
109
見てほっと胸を撫で下ろす。
二人には部屋を出たすきに事情をさらっと話した。
なみ
反応はまさに想像通りであり、対照的でもあった。
案の定、奈美はシルルとマキに殴り込みをかけようとする。
精霊や霊獣を使用した戦闘は闘技場以外で認められておらず、少な
くるす
くない罰が下るはず。そう伝え何とか思いとどまらせる。
対して来栖は僕の判断にそうかと相槌をうつだけだった。
二人に今後紅葉が今後、奴らに狙われる可能性をほのめかすと、あ
っさりできる限り紅葉の傍にいる事を約束してくれた。
110
第8話 銀行強盗撃退
放課後になった。
僕はいつくかよるところがある。即ち、銀行と買い物だ。生活力
皆無の紅葉は冷蔵庫に碌なものを残しちゃいなかった。唯一あった
のが、パンと卵。後は全て腐っていた。近くのスーパーにでも寄っ
て買って帰ろう。
﹁紅葉、僕は今日、寄るところがあるから一人で帰ってよ﹂
あの騒動の後、僕も紅葉の屋敷に住むことにしたことを伝えるが、
否定も肯定もしなかった。否定したいなら短気な彼女の事だ。直ぐ
にでも突っかかって来る。了承ととらえて問題はない。
﹁うん。わかった﹂
﹁⋮⋮﹂
僕が言葉もなく眼球が飛び出るくらいの衝撃を受けていると、眉
を顰めながらも僕に尋ねて来た。
﹁どうしたの?﹂
﹁いや、まさか返事がもらえるとは⋮⋮﹂
いつものように良くて頷くか、無言の了承をかましてくる。そう
考えていたのだ。
111
﹁⋮⋮﹂
クルス
僕のこの態度がよほど腹に据えかねたのか、紅葉は鞄を持って教
室を出て行ってしまう。嘉六には警護の依頼をしているし、来栖に
途中まで一緒に帰るように頼んでいる。
﹁ライトきゅん!! 振られたw!﹂
なみ
絶妙なタイミングで奈美がドヤ顔で現れる。その親指を立てるそ
なみ
くるす
のしぐさが無償に腹が立つ。僕らの会話でも聞いていたのだろう。
昼に奈美と来栖に僕が紅葉と一つ屋根の下で住むつもりであること
を伝えても、別段、異議を唱えなかった。それどころか、益々態度
が軟化し、今では完璧に打ち解けてしまっていた。
﹁そりゃあどうも。ところでこの辺の銀行とスーパーってどこにあ
るかわかる?﹂
あしど
﹁どっちも芦戸市の駅前、アテクシが案内してあげるw﹂
この暑い中、スーパー探して歩きまわるなど拷問に近い。スマホで
も調べられるが、案内してくれるなら好都合なのだ。
﹁じゃあ、お願いするよ﹂
﹁任された!!﹂
◆
◆
◆
112
あしど
なみ
芦戸市駅前のスクランブル交差点に到着する。
あしど
奈美は一度打ち解けると、壁を一切作らず接してくる。芦戸市駅
前に到着するバスの中で、色々昔話をしてくれた。
そのほとんどが大昔の紅葉の事、昔の紅葉のこと、今の紅葉の事。
全て紅葉の事だった。
彼女がなぜ紅葉にこだわるのかそれがおぼろげながらにも理解で
きた。なぜならそれは今の僕の最も大きな行動理念と同じだったか
ら。
即ち、彼女は紅葉をほっとけない妹だと思っている。気持ちはわか
る。紅葉の凄まじいほどの生活力なさや、今日のような無鉄砲さ、
くるす
行動原理の子供っぽさを鑑みると妹の沙耶を想起し、つい過保護に
なみ
なってしまう。彼女は昼の食堂では兄妹は来栖だけだと言っていた
が、もしかしたら奈美には妹か弟がいたのかもしれない。これはプ
ライバシーの問題だし、詳しく聞くまではしないが。
なみ
奈美の案内で、﹃東都銀行﹄へと到着する。ATMで取りあえず五
なみ
万ほど下ろした。
奈美が銀行で支払いがあるというので待合室で待つことにした。
残暑の最後のあがきのような暑さにほとほと参っていたのか、銀
行内では客は例外なく冷房がガンガン聞いた部屋の中椅子に腰をか
なみ
け、ひと時の魂の休息にふけっていた。
奈美の順番となり、カウンターへと足を運ぶ。奈美と入れ替わるよ
うに黒い色の帽子に黒のパーカーを着用した男が銀行の自動ドアか
ら建物内へ入って来るのが視界に入る。黒色帽子の男の後に五人の
男達。その全てがこの暑いのに帽子やニット帽を被っている。ピリ
ッと背筋に電撃が走る。
113
﹁全員伏せて頭の後ろに手を置け!!﹂
一人が近くにいる女性の行員の眉間に銃を突きつけ、もう一人が
自動小銃を天井に向けて数発発射する。
悲鳴を上げて逃げ惑う客達、そんな逃げる客の一人に銃口を向け
るちょび髭の強盗。
銃声が響き、十数発の弾丸が放たれるが、全て人の間を縫うかのよ
うに逸れて背後の壁やガラスにひびを入れ破壊する。
当然に偶然などではない。僕が︻終焉剣武Ω︼を発動し、不可視
の無数の剣を造り出し銃弾の軌道を変えたのだ。︻終焉剣武Ω︼も
取得してから長い。それなりにこのスキルを使いこなせるようにな
ってきた。
それにしても︱︱。
︵やっぱり、この展開か⋮⋮これもアルスの掌の上か?︶
僕なら数度瞬きをする間に、この愚者共を挽肉にすることも可能
だが、嘉六さんや校長達から目立った行動はとるなと重々念を押さ
れている。
黒色帽子の男がちょび髭強盗の傍まで薄気味の悪い笑みを浮かべ
ながら近づいていく。
﹁す、すまねぇ、キルさ︱︱﹂
ちょび髭強盗の姿がぶれて三メートルはある天上に弾丸のように一
直線にぶっとび頭から叩きつけられ爆音を上げる。そして、そのま
ま床に衝突し、痙攣するちょび髭強盗。このまま放っておけばちょ
び髭強盗は死ぬ。どうやらキルとかいう糞は僕が最も嫌悪する人種
らしかった。
114
﹁ひっ!﹂
﹁ば、バケモノ!!﹂
行員達の言葉に黒帽子の男︱︱キルはニィと口端を上げる。
これは魔術でもなんでもない。単にキルが蹴り上げただけだ。
キルのレベルは20。レベルが10を超えると通常の銃器ではその
皮膚を傷つけることができなくなり、魔術的付与がなされた武器や
魔術による攻防がメインとなる。
僕のいた世界では新米魔術師が一人前になったと見做されるのがレ
ベル10の壁。その壁を突破したものはたった一人でマフィアを壊
滅できるほどの強さを持つ。
さらに通常の魔術師なら最終的にはレベル20に到達し生涯を終え
エクソシスト
る。要するに未熟な精霊や幻獣達と同レベルの強さを魔術師は所有
しているのだ。
しかしこの世界の祓魔師とやらのレベルは平均レベル2∼3。少し
強くて5∼6らしい。要は銃で簡単に死ぬ。
別にこれは彼らが未熟というよりは霊獣召喚に特化した代償だろう。
霊獣召喚は召喚術と比較し、精霊族と幻獣族に限定されている点で
は劣っている。しかし今日の実習の授業を聞く限り、いくつかの点
では勝っていた。
一つは精霊、幻獣の召喚期間の延長。通常の召喚術は最長半年に
過ぎず、ほとんどが数週間でその効力が切れる。対してこの幻獣召
喚は五十年間にも及ぶ召喚が可能だ。
二つ目は霊獣召喚に目的を設定し、その目的を遂げねば五十年が
経過しない限り、精霊、幻獣は元の世界への帰還ができなくしてい
る。
三つ目が精霊、幻獣への絶対命令権。原則精霊や幻獣は召喚士の
命令には逆らえないとするもので、アルスが僕に課したルール三に
相当するものだ。通常の召喚術は召喚士と非召喚者はあくまで対等。
115
だからこの命令というシステムは存在しない。
四つ目は通常の召喚術による召喚だと力は著しく制限されるが、
この霊獣召喚はほぼ制限のない召喚が可能となる。僕のスキルによ
る召喚も力の制限などない。もしかしたら魔術というよりスキルに
よる召喚に近いのかもしれない。
上記四つとも、現代魔道科学のレベルを軽く超えているが、まだ
まだ奥義と呼ばれる精霊や幻獣の強化術もあるらしい。勿論、奥義
の名の通り、誰でも使えるわけじゃないんだろう。
兎も角だ。僕のいた世界では新米に毛が生えた強さに過ぎないが、
この世界では精霊の一般レベルに近いキルはまさに超人だろう。
﹁おい、お前らこうなりたくなければ素直に従え﹂
親指で瀕死のちょび髭強盗を親指で指す。
こいつ手慣れてやがる。人が恐怖するツボを理解している。未だに
ピクピクと痙攣しているちょび髭男を見て逃げる気力も失せたのか、
客と行員はうつ伏せになって後ろに手を組む。強盗達は銀行のシャ
ッターを下ろし、次々に紐で腕と脚を縛って行く。
丁度、客や行員は芋虫状態で床に放置されており、視界は床と強盗
達の脚くらいだ。これは使えるかもしれない。
全員が捕縛され次第行動を起し、強盗を殲滅する。その上で捕縛さ
れている客と行員全員の紐を︻終焉剣武Ω︼により創造した剣で切
断する。そうすれば、部屋内の全員の紐が切られている以上、僕を
特定することはできなくなる。つまり、誰にも知られることなく敵
を無力化できるし、嘉六さんとの約束も守れるというわけ。
これしかない。そう考えてうつ伏せになろうとしたわけだが、一つ
僕は大きくかつ基本的事項を忘れていることに気が付く。それはク
ラスメイトたる赤髪少女の性格。
﹁おい、餓鬼、お前も早くうつ伏せになれ!!﹂
116
中々うつ伏せにならない僕に近づくマスクをした強盗の一人。
﹁オルトロス、行くよ﹂
なみ
奈美の感情をなくした声。刹那、僕の目と鼻の先に到達したマス
クの強盗の一人が横凪になり、空中を凄い速度で回転していく。強
盗は壁に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなる。ちょび髭強盗と
どっこいどっこい。見たところ後もって十五分、その間に治療しな
なみ
ければ彼奴も死ぬ。
なみ
奈美のこの獣のようなギラギラ光る怒りの表情から察するに、さ
っきの攻撃はオルトロスの意思ではなく、奈美が殺せと命じた結果
かもしれない。瀕死ですんでいるのはオルトロスが奈美の命令に全
力で抵抗したから。そう判断せざるを得ないほど奈美の顔は怒りと
なみ
焦燥と凄まじい憎悪に満ちていた。
そして奈美の憤怒と憎悪の原因は多分僕に強盗の一人が近づいた
から。彼女は一度仲間になったものには家族同然の思いを寄せる。
そんな人物なのかもしれない。しかし、ここまで苛烈な反応をする
なみ
のは異常だ。過去に奈美に何かあったと考えるべきか。
ともあれ、奈美は僕の友達だ。僕のために奈美が警察のやっかい
になることなど絶対に許せないし、何より彼女が人を殺すことを僕
は許容しない。
異世界アリウスで人を殺めたからわかる。一度他者の命を奪えばも
う二度、後戻りはできない。どんなに綺麗な言葉で塗り固めてもそ
なみ
れは徐々に魂を後戻りができないほど犯していく。そして辿り着く
のは破滅。
そんな道を奈美に歩ませるほど僕は落ちちゃいない。嘉六さんとの
約束はあくまで信頼関係に基づくもの。この世界でできた数少ない
友人の人生を台無しにしてまで守るべきものではない。少なくとも
十分後には強制的に介入する。
117
なみ
獣耳を持つ灰色の髪の少年オルトロスが奈美の前に彼女を守るよう
なみ
に出現していた。
そして奈美の前に立つもう一人の女性。
紺のスーツに肩程の黒髪を一本結びにした眼鏡を掛けた美女。彼女
が一切の油断なく、キルに銃口を向けていた。
このタイミング、彼女は僕らと同様この事件に偶然出くわした警察
関係では多分ない。おそらく彼女は︱︱。
﹁A級指名手配犯キル、殺人、傷害、強盗、監禁の容疑で逮捕しま
す。他の者達も同じです。抵抗するようなら霊獣法17条に基づき
処理します﹂ なみ
黒髪眼鏡の女性は右手で銃口を向けたまま、左手で令状をキルに
突きつける。
罪名だけでキルがどういう奴か予想はつく。キルの相手は奈美に
は少々刺激が強いかもしれない。
﹁なんだ、お前、精霊か﹂
そう。彼女は精霊だ。まさか、人間社会の犯罪を取り締まる精霊
まで現れるとは夢にも思わなかった。ある意味何でもありだ。しか
もレベル48。精霊界全体としてはどうってことないが、この世界
ではかなりの強者だ。
﹁無駄な抵抗は止めて投降しなさい﹂
腰のホルダーから銃を引き抜き、その銃口をキルに向ける。この
世界では珍しいが、あれは魔銃。しかも、伝説級レベル5の武器。
精霊がこの世界に持ち込んだ兵器、そう考えるべきだ。
118
伝説級レベル5の魔銃を持つレベル48の精霊に、レベル51のオ
ルトロス。キルのレベルは20に過ぎない事を鑑みれば、本来のキ
ルのとる方策としては逃げの一手のはずだが。
﹁無駄な抵抗ねぇ﹂
顔に皺を波立たせ、せせら笑うキル。
﹁もう一度言います! 投降しなさい!﹂
トリガー
全く動じようとしないキルに眉を顰めつつも、銃の引き金に指を
つける。
﹁ん∼?﹂
なみ
顎に手を当て、奈美と黒髪眼鏡の女性にねっとりと凝視すると、顔
を醜悪に歪めるキル。
﹁お前と隣の赤髪の餓鬼、中々いい顔の造りをしてる。
赤髪の餓鬼は幼女趣味の変態に受けがいいかもな。そっちの黒髪眼
鏡は精霊好きの変態富豪共にさぞかし高く売れそうだ﹂
なみ
奈美がビクッと身体を強張らせ、顔一面を嫌悪に染める。
﹁下種め!! 貴様の捕縛命令など形式にすぎんっ!!﹂
トリガー
銃口にピンポンボールほどの五つの赤色の球体が生じ、黒髪眼鏡
女は引き金を引く。黒髪眼鏡女の銃口から放たれた死を体現した五
発の紅の弾丸は高速で回転し、空中で幾つもの輝線を描き、キルに
四方八方から殺到する。
119
﹁キマーラ﹂
紅の弾丸はキルに触れる数センチ手前でバンという破裂音とともに
弾け飛ぶ。
キルの脇には真っ黒のフルメイルに身を包んだモヒカンの巨漢。
﹁はい、は∼い﹂
モヒカンの顔に塗りたくった厚化粧と気色悪いほど高い声の相乗
効果は実に極悪な効果を発揮する。
﹁な?﹂
刹那、巨漢モヒカン︱︱キマーラは黒髪眼鏡女の懐に飛び込み、
その腹部にゴツゴツした右拳を突き立てる。黒髪眼鏡女の身体は天
なみ
井付近まで空中を舞上がる。
さらに奈美を庇うように身構えていたオルトロスの前まで移動し、
右の裏拳をぶちかますキマーラ。豪風を巻き起こしクリーンヒット
した右の裏拳により、オルトロスの身体はまるでボールのように吹
き飛ばされ、銀行の外を覆っていたシャッターを突き破り、その姿
を消失させる。
床に伏せる行員と客達の至る所から絶望に塗り固められた悲鳴があ
がる。
﹁あ∼ら、呆気ないわねぇ∼﹂
そりゃあ呆気ないだろうよ。レベル88による攻撃だ。オルトロ
スレベル51、再起不能にはなってはないだろうが、それなりのダ
メージは負っていてしかるべきだ。さらに奴は隠匿系のスキル持ち。
120
なみ
レベル88の身体能力を持ち、気配まで消せるのだ。奈美達に勝ち
はない。そしてそれはレベル48の精霊が加勢しても同じだろう。
あとは僕が介入するタイミングだが︱︱。
﹁オルト⋮⋮ロス?﹂
なみ
奈美は大きく目を見開き、シャッターを突き破って消えっていっ
たオルトロスに視線を向ける。
﹁ガール、悪く思わないでねぇ∼、私も心が痛むのよぉ∼﹂
なみ
キマーラはその言葉とは裏腹に顔を狂喜に歪めながらもゆっくりと
奈美に近づいていく。
あのカマ幻獣も、今日のシルルとかいう糞精霊と同じ。弱者をいた
ぶって快感を覚える糞野郎。どうもこの世界の幻獣や精霊は僕の知
る者達とは一線を画しているものばかりだ。ゲームマスターたるア
ルスの策謀によるものか、それとも元々、幻獣や精霊の中にはこの
手の輩が多いのか。
ゆっくりと迫るキマーラに彼女の指と脚が小刻みに震えるのが僕の
視界に入る。この光景は僕の意思を決するには十分だった。だって、
彼女はこの世界でできた数少ない友。駆け引きに利用してよい存在
ではないから。
僕が介入しようと、足を踏み出そうしたとき、シャッターに開い
た大穴からキマーラに向けて一直線に走る灰色の閃光。灰色の光線
の正体はオルトロス。
﹁あ∼ら?﹂
オルトロスはキマーラの蟀谷に渾身の左拳を叩き込む。キマーラ
121
は避けもせず、ただ口端を上げるのみ。
左拳が蟀谷に衝突し、空気がビリビリと震える。
間髪入れず、オルトロスは空中で器用に回転し右回し蹴りをキマ
ーラの右頸部に放つ。蹈鞴を踏むキマーラにオルトロスは口を大き
く開く。耳を弄するような咆哮が轟き、大気が爆ぜる。
キマーラが初めて両腕を十字にして、凄まじい衝撃に耐えようと
するが、数メートル押し戻される。
なみ
﹁怪我ないか、奈美﹂
﹁⋮⋮﹂
なみ
オルトロスの問いに目尻に涙を溜めて大きく頷く奈美。
﹁じゃあ俺が時間を稼ぐ、そいつを連れてこの場を離れろ!﹂
召喚士は精霊や幻獣に対し絶対命令権を有する。故に精霊・幻獣
なみ
は召喚者の命令には逆らえない。だがそれはあくまで精霊や幻獣に
召喚士が命令したときだけ。今、奈美を逃がそうとしているのはオ
ルトロスの純粋なる意思。
﹁だ∼め、ガール、逃がさないわぁ∼﹂
なみ
奈美は僕に近づこうとするが、キマーラが空気を破裂させるよう
な凄まじい勢いで迫って来る。
オルトロスは口から衝撃波を吐き出して、キマーラに向けて疾駆
し、拳の波状攻撃をお見舞いする。
﹁む∼だぁ∼、軽すぎるわぁ∼﹂
122
オルトロスの爆撃のような拳の嵐の中、キマーラの無造作に繰り
出した右拳がオルトロスの胸部に突き刺さり、トラックに正面衝突
したような途轍もない速度でぶっ飛び壁に叩きつけられる。
即座に立ち上がり、その口からは血を吐き出し、キマーラに向け
て疾走するオルトロス。
なみ
僕は不覚にも見とれていた。
︱︱奈美を身を挺して守ろうとするその姿に。
︱︱何度も、何度も打ちのめされ、叩き潰されても立ち上がるそ
の姿に。
︱︱己の正義と信念に基づき突き進むその姿に。
純真無垢なその姿は穢れに穢れ切った僕には到底真似できないこ
とだから。僕はそれがひたすら眩しく、そして羨ましかった。
なみ
だからこそ今ここで僕が不用意に介入し問題を解決するわけにはい
かなくなった。彼はまだ奈美を逃がすという使命をやり遂げていな
い。それは彼の信念を踏みにじるに等しい行為だ。それに僕の予想
が正しければそろそろ事態は動く。
なみ
﹁奈美ぃ、いけぇ!!﹂
オルトロスは絶叫し、キマーラに突進する。既に、満身創痍。利
き腕の右腕は根元から捻じれ上げられ骨が見え隠れしている。身体
なみ
中の至る所の皮膚が抉れ、血を拭き出している。
奈美はオルトロスがなぶられる姿に一歩も動けなくなってしまっ
ている。
﹁ごめんねぇ∼、でもだめよぉ∼﹂
キマーラが気色悪い顔をさらに醜悪に歪めつつも、オルトロスの
123
鳩尾に右拳を深くめり込ませる。オルトロスの身体が浮き上がり、
血反吐が大量に床にまき散らされる。
﹁オルトロスっ!!﹂
なみ
奈美は顔を涙でグシャグシャにして駆け寄ろうとしたそのとき、
僕の予想は的中する。
天井に浮かぶ、幾つもの炎を纏った紅弾。それが超高速でキマー
ラに殺到する。空爆のような紅の炎弾はキマーラの肉体に次々に衝
突し、閃光と共に紅蓮の花を咲かせる。建物内を熱風と衝撃波が吹
き荒れ、粉々になった机や椅子が壁に叩きつけられる。
この炎弾の正体は黒髪眼鏡女の魔銃。大体伝説級レベル5の武具が
あんなちゃちなわけがあるまい。先刻の紅弾は手加減でもしていた
のだろう。今回は全力。彼女があらかじめ結界を張ってなければ、
行員と客達は瀕死、下手すれば死んでいたかもしれない。
現にキル以外の強盗の五人は僕が咄嗟に黒魔術で空気の障壁を発生
させていなければ燃え死んでいた。まあその隙に瀕死のマスク男と
ついでにちょび髭強盗もレベル3の白魔術︱︱︽超治癒︾で回復さ
せた。この距離では効果が薄いから全快まではしていまいが、奴ら
は強盗、死ななければそれでいい。加えて、黒魔術レベル3︽空絶
碧︱︱改︾により銀行員と客の一人、一人に防御の障壁を造り出し
ておく。この︽空絶碧︾の効果は無論、物理的衝撃からの保護にあ
る。その効果に障壁内外の音や映像の遮断能力を加えたのが、この
︽空絶碧︱︱改︾だ。
兎も角、あの紅弾をまともに受けたのだ。多少の時間稼ぎはできよ
う。
﹁僕は大丈夫だ﹂
なみ
奈美を脇に抱え、僕に視線を向けていた黒髪眼鏡女は頷くと大穴の
124
開いたシャッターまで疾駆する。
彼女の進路には僕がいた。心情的には僕も保護したかっただろう
が、彼女がこうも素直に僕の言に従ったのは僕が黒魔術と白魔術を
展開しているのを彼女は目にしていたからだと思われる。
彼女が施した防御結界は黒魔術。つまり彼女は精霊ではあるが魔術
師。魔術師なら先ほど僕が使った魔術から、僕に一定の力があると
判断してしかるべきだから。
﹁キマーラ、何遊んでる? 商品が逃げんぞ!!﹂
キルの心底不快そうな舌打ちが耳に入って来る。
﹁ふん、言われなくても逃がさないわよ!!﹂
﹁させる︱︱かよ!﹂
キマーラが疾走しようとするが突如動きが止まる。口から血を流
し、顔中を真っ赤に血で染め上げたオルトロスが左手でキマーラの
足首を掴んでいたのだ。
﹁貴様っ!!﹂
額にすごい青筋をむくむく這わせるキマーラの顔面に黒髪眼鏡が
振り返らずに放った紅弾数発が着弾し、煙を周囲にまき散らす。
キマーラが右腕を薙ぎ払い煙幕を吹き飛ばすが、既に黒髪眼鏡女
はシャッターの大穴から外に逃れた後だった。
﹁ざまあねぇな︱︱俺の勝ちだ﹂
オルトロスはキマーラの足首を掴みながら仰向けになって満足そ
125
うに顔をほころばせる。
﹁な∼にがおかしいのよぉ!!?﹂
顔に憤激の色を漲らせながらキマーラは右脚を持ち上げ、脚の裏を
オルトロスの頭部に固定し、振り下ろす。豪風を伴いオルトロスの
頭部を爆砕せんと驀進する右脚。
僕は床に脚を叩きつける。次の瞬間床が爆ぜ、カチンとスイッチが
入り、体感時間が永遠の時を刻み始める。そのスローモーションの
ような世界で僕は一足飛びにオルトロスの元まで疾走し、彼を抱き
かかえると行員や客が寝転がっている場所まで行き、彼らの傍にそ
っとオルトロスの身体を置く。
直後、キマーラの脚が唸りを上げて床を爆砕し、広範囲にわたって
陥没する。
﹁お⋮⋮まえ?﹂
雷に打たれたような、呆気にとられた不思議な顔で僕を食い入るよ
うに見上げるオルトロス。
﹁君は英雄としての目的を果たした。ここからは道を踏み外した僕
ら外道畜生の生きる世界﹂
キマーラは僕をジロジロと眺め見ると口を開く。
﹁誰、あなた?﹂
キマーラの眉間の皺が深くなっている。
さっきの僕の動きはキマーラよりも少し速い程度にコントロールし
ている。でも僕からは魔力が感じられない。確かにこれほど不自然
126
な人物は他にはおるまい。真面な戦闘経験がある者なら、そんな不
自然な相手は逃げの一手だ。
﹁さ∼てね﹂
﹁そんな魔力皆無の雑魚に何やってる!? テメエがチンタラして
んから大事な商品に逃げられたじぇねぇか!!﹂
キルが噛みつくように、キマーラに怒鳴る。
︵ちっ! ド素人がっ!!︶
キマーラは僕に構えを取る。
どうやら、こと戦闘に関してはこのオカマ、予想よりは馬鹿ではな
いらしい。もっとも僕の魔力の感知が不可能な時点で、相手にすら
ならないわけだが。
キマーラが僕に向けて疾走し、掌底を僕の頭蓋に放ってくる。豪
風を巻き起こして接近する右拳を左手の掌で受け止める。次いで間
髪入れずの蟀谷にフック、頸部に手刀、鳩尾にアッパーの連続攻撃。
その全てを左手によって防ぎ、いなす。最後の僕の眉間へ放たれた
キマーラの巨大な右正拳を左手の掌で受ける。凄まじい衝撃波が発
生し、銀行の建物を揺らす。
︵この程度か⋮⋮︶
時期に黒髪眼鏡女の応援部隊が到着する。マスコミも殺到してい
るだろうし、流石に全国放送で衆目の的になれば嘉六さんに何言わ
れるか⋮⋮こんな雑魚と遊んでいる時間はないのだ。とっとと終わ
らせよう。
127
﹁っ!!?﹂
僕が奴の右拳を握り潰そうとした刹那、奴は顔を引き攣らせつつも、
弾かれたように後方へと退避する。
どうやら真っ当な危機察知能力程度はあるらしい。キマーラの価
値をやや上方修正する。
エクソシスト
﹁そんな雑魚にいつまでもたついている!! さっきお前が逃がした女は十中八九、祓魔師協会のエージェントだ。
時期にここに雪崩れ込んでくるぞ!!﹂
﹁⋮⋮﹂
キルの激高を無視して僕を注視するキマーラ。その顔には不安が
汚点のようにくっついていた。
﹁お前、誰だ?﹂
ついさっきと全く同じ疑問。だがその意味と真剣さは先ほどと別
次元のものとなっていた。そしてそれは耳障りなオカマ口調が消え、
野太い声に変っていることである意味、実証されている。
﹁僕? そんなに知りたいなら教えてやるよ﹂
僕はゆっくり抑え込んでいた魔力を解放していく。
僕の全身から湧き出た濃密で暴悪な赤黒色の魔力は陽炎のように
揺らめき、周囲へ漏れ出し、部屋中に吹き抜けていく。
︵ば、馬鹿な、マンティコア様と互角、いや、それ以上? ⋮⋮は
はっ、馬鹿げてる! 勝てっこねぇ!︶
128
キマーラの様子からどうやら僕の魔力が外部で可視化されると知覚
する。そんなシステムらしい。
最後にあった余裕まで完全に消失し、キマーラは物怖じする小鹿の
ような表情で後ずさりを開始する。
﹁逃げる⋮⋮わよ﹂
裏返る声で僕からキルを庇うように移動するキマーラ。そういや
この霊獣召喚のルールでは召喚士が死亡すると、精霊や幻獣は元の
世界へ戻れなくなる。そんな術式だったはずだ。
﹁ざけんな!! まだ金庫に手すら付けちゃいねぇ!!﹂
﹁馬鹿野郎ぉ!! 見てわかんねぇのか? そんなレベルの奴じゃ
ねぇんだよ!!﹂
遂にオカマ言葉すらかなぐり捨てしまった。
﹁大丈夫だよ。僕は君らを殺さない。だけどさ︱︱﹂
僕は全力でキマーラまで疾走し、右手に顕現したルインで奴の左
腕を肩口からぶった切るとその腕を掴みとり、バックステップで元
の場所へと戻る。ちなみにルインは既に異空間に収容済み。おそら
く僕の姿を認識すらできなかったこの部屋の者達には僕が突如奴の
左腕を持っていることしか知覚し得まい。
﹁それが君達にとって幸運かはまた別の話だ﹂
129
左手でクルクルとキマーラの左腕を宙で舞い踊らせる僕。
﹁へ? そ、それあたしの腕? ぐおぉぉ!!!!﹂
両膝を床につき噴水のように血が流れ出る左肩を抑えるキマーラが
僕にどぶ鼠のような怯えをたっぷり含んだ表情を向けて来る。
奴の左腕を地面に放り投げると奴にゆっくりと僕は近づいていく。
﹁くるな︱︱﹂
拒絶の言葉を吐き出させるより前に、僕は奴の背後に移動すると奴
の後ろ髪を掴み、床に叩きつける。ミシリッと蜘蛛の巣状に床が陥
没する。
構わず僕は奴の顔を床に叩きつけた。何度も、何度も叩きつけた。
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
僕の前には肉達磨と化したキマーラが横たわっていた。断ってお
くが、一応、死んじゃいない。白魔術︱︱︽超治癒︾で回復させな
がら、十二分に痛めつけた。顔は原型など留めないくらい変形して
いるが、殺されるよりかは幾分ましだろう。
僕が次の獲物へと視線を向けるとキルは腰を抜かしたのか、奇声を
上げて正面のドアまで腹這いで移動しようとする。奴の前に跳躍し、
その頭を踏みつける。
﹁許じて!!﹂
許す? そんなわけないだろう。仮にも僕の仲間を変態に売り払
130
おうとしたんだ。此奴には死など生ぬるい地獄を見てもらう。さっ
き思いついた最高の術のプレゼントがあるんだ。気に入ってくれる
かな。
バタバタと脚をもがれたゴキブリのように動く奴に右手の掌を掲げ
るが、キルは数回、痙攣すると動かなくなった。勿論、術などまだ
発動しちゃいないし、頭を踏んづけている力もちゃんと加減してい
る。
股間近くから湯気の立つ液体を鑑みれば、どうやらキルは気絶して
しまったようだ。しかもよりによって失禁して。
此奴にはとびっきりの禁術のプレゼントを与えようと考えていたの
だが、若干しらけてしまった。それに入口に無数の気配がする。そ
れも尋常ではないレベルの︱︱。
オルトロスは瀕死だ。このまま放置すれば彼は死ぬ。しかし、ここ
で白魔術を使うと多分、突入してくるエージェントに見られる。目
立つのは殊の外マズイ。タイムリミットだ。僕はオルトロスに近づ
くと、抱きかかえる。身体を硬直させ、青白い顔を強張らせるが、
これと言って抵抗はしなかった。
︵それにしても男にしてはやけに華奢だな、この幻獣族⋮⋮︶
そんな一抹の不安を抱えながらも、僕は裏の非常口から外へ出た。
131
第9話 路地裏での真実
近くの路地裏にオルトロスを寝かせる。右手の掌に白魔術︱︱︽超
治癒︾を発動させる。この︽超治癒︾は通常、対処者に触れていた
方が効力は高く、さらに身体の中心部の方が治癒力を上手く伝達し
なみ
易くなる。オルトロスは瀕死に近い。ちょび髭強盗やマスク強盗と
は異なり、彼は生きていればいいという訳ではない。奈美のために
も全快してもらわねばならないのだ。
幾つもの魔法陣が展開された右手の掌をオルトロスの胸部に当てる。
掌に伝わる奇妙な柔らかな感触に首を傾げながらも術を解放させる。
幾つもの魔法陣がオルトロスの胸部から生じ、それらが形を変えて
回転し始める。
︱︱拉げた腕が元に戻る。
︱︱傷害を受けていた内臓が元に戻る。
︱︱えぐり取られていた大退部が元に戻る。
︱︱体中にあった裂傷が元に戻る。
瞬く間にオルトロスの全身は元の状態へと復元し、さらに血の気の
引いた顔に赤みが戻って来る。
治療が終了し、右手の掌をやけに弾力のある胸部から離そうとする
と、オルトロスに突き飛ばされる。
その自身の胸を両腕で覆い隠し、目尻に涙を溜めつつ僕に非難めい
た視線を向けてくるオルトロス。
右手の掌に伝わる弾力の感触の意味を理解し、血の気がサーと引い
ていくのがわかる。
﹁き、君、まさか女の子?﹂
﹁⋮⋮﹂
132
そのリンゴのように真っ赤に染まった顔と疑問への無言は肯定確
実だ。マジで軽い眩暈がする。どれだけマニアックなフラグ立てれ
ば気が済むんだ、僕は?
でも確かに言われてみれば、やけに男にしては綺麗な顔をしている
と思ってはいたんだ。身体も年頃の男にしてはやけに小さいし。そ
ポーション
の粗暴な振る舞いから男であることを疑いもしなかった。
とは言え、今の行為はあくまで治療だった。HP回復薬がない以
上、オルトロスが女の子だとわかっていても結局同じことをしただ
ろう。だから、謝るのも多分違う。 思案しているとオルトロスが極めて神妙な顔で僕を注視しているの
に気付く。
﹁お前は︱︱﹂
彼女は口から出かかっている言葉を上手く紡げないようだ。
﹁うん?﹂
﹁何でもない﹂
僕と視線がぶつかると慌てて逸らす。
︵まるで紅葉だ︶
そんな身もふたもない感想を持つと急に可笑しさが込み上げて来た。
﹁な、何が可笑しい!?﹂
﹁悪い、悪い。ちょっとした思い出し笑いさ。
133
なみ
もう大丈夫なようだし、僕はいくよ。君も奈美を安心させてあげな
よ﹂
なみ
あまり怒ってはいないようだし、彼女とこれ以上、話があるわけ
ではない。ここは駅前だ。奈美がいなくてもスーパーの一つくらい
見つけられるだろう。
踵を返し、路地を出ようとすると背後から声がかかる。
﹁ありがと﹂
消え入りそうな声に右手を上げて、僕は路地を出た。
134
第10話 同居人来襲
路地を出て直ぐさっそく携帯で奈美に連絡し安否を確かめた。昼間
メルアドと電話番号の交換をしていて助かった。奈美は黒髪眼鏡女
に保護されて今、新見家の屋敷にいるらしい。泣きそうな声で僕と
オルトロスの安否を尋ねて来たので今は傷一つないと答えておく。
安堵したのか遂に泣き出してしまう。それにテンパりつつも、やっ
との事で奈美を宥めて電話を切る。
近くのデパ地下で日用品を含め、一万円分買い込んで岐路に着く。
駅から紅葉の屋敷まではさほど遠くはなかった。徒歩で30分と
いう所だろう。二、三日ごとに買いに訪れることにしよう。
それよりもだ。あれなんだろう?
紅葉の屋敷の駐車場には四、五台のトラックが止まっている。
あのトラックにある独特な犬とトマトのマーク。この世界にも宅配、
引っ越し業者の老舗︱︱︽クロイヌトマト︾があるとは驚きだ。だ
とするとあのトラックは引っ越し業者。 でも誰が引っ越すんだ? まさか紅葉の奴、僕と住むのがいやで
引っ越すなんて言い出すんじゃないだろうな。
これはアルスのゲーム。そのとっておきのゲームにプレイヤー気取
りの奴が観ていないわけがない。僕がいないときに紅葉が襲撃され
ることは依然としてあり得るのだ。だからできる限りは一緒にいた
い。
直ぐに僕の危惧も杞憂であることが判明する。なぜなら荷物は運び
出されるのではなく、運び込まれていたから。紅葉と一緒に住める
のなら別に他に誰が住もうと構わない。
135
屋敷に入ると紅葉がたっぷりと焦燥に彩られた顔で僕の胸倉を掴み
引き寄せる。どうでもいいが顔が近すぎる。
﹁これどういうこと?﹂
﹁これって言われてもね。引っ越しなんじゃない?﹂
そうとしか答えようがない。
﹁そんなの見ればわかるわ!!﹂
そんな必死な顔で迫られても、僕にも心当たりなど皆無だ。それ
に僕にそんな権限などないことにこいつは気付いているのだろうか?
﹁あらライトさん帰ったんですね﹂
いずみゆきな
泉幸菜がリビングから顔を出し、優雅な笑みを浮かべてくる。そ
して姉の紅葉を押しのけ、僕の間に入り手を差し出してくる。
﹁私、今日からこの屋敷で住みます。実家での修行もありますから
隔日となりますが、宜しくお願いしますね﹂
﹁あ、ああ、宜しく﹂
求められるままに握手を交わす僕。
﹁ここは私の︱︱﹂
紅葉のあの姿、癇癪の一歩手前とみた。それは妹の幸菜なら僕以
136
上に把握しているはず。それなのにまるで悪戯っ子のような微笑を
浮かべて紅葉に向き直る幸菜。
﹁私の家でもあります﹂
﹁泉家本家が許すはずが︱︱﹂
﹁お爺ちゃんには了解はとりました﹂
あの爺さん、また面倒なことを⋮⋮。
﹁くう⋮⋮﹂
悔しさからか握り締めた拳を震わす紅葉。この勝負もう先は見え
た。
﹁それとも姉さん、私がいてはマズイ事でもするつもりだったんで
すか?﹂
﹁んなわけあるか!! 誰がこんな奴とっ!!﹂
顔を発火させ、声を張り上げる紅葉。
﹁あら、なぜライトさんがでてくるんです?﹂
幸菜の顔に悪い笑みが浮かぶ。頻繁に僕の元の世界の知人の先生
が浮かべる笑みであり、大抵碌なものじゃない。
﹁⋮⋮﹂
137
紅葉はもはや顔どころか、全身真っ赤だ。おそらく小刻みに震え
ているのは屈辱からだろう。
﹁昔から独占欲は人一倍強かったですものね。そうですよね、姉さ
ん?﹂
﹁∼っ!!!﹂
紅葉は暫し俯いたままブルブル震えていたが、二階へ駆け上がっ
てしまう。
彼女は基本沙耶と基本同レベルだ。あれでは当分機嫌が直らない。
これから迎える八つ当たりの日々に、自然に口からため息が漏れる。
彼女が一緒に住みたがる目的は僕だろう。ウンディーネの僕に対
する怯えようからも彼女は僕の強さをほぼ正確に把握している。当
然、彼女から僕の強さは聞いているはずだ。
要するに幸菜にとって僕は単なる異世界人ではなく、精霊や幻獣と
同等の存在にカテゴライズされているはず。何としても獲得しよう
とするはずだ。僕を篭絡するつもりなんだろうかが、これ以上面倒
な事態は勘弁願う。
﹁引っ越しが済んだらリビングにおいでよ。お茶でも入れる﹂
﹁喜んで伺います﹂
ゆきな
﹁幸菜さんの後ろで隠れている君もだ。大丈夫、僕は絶対に君に危
害を加えたりしないよ﹂
幸菜の背中から僕の姿を現し、躊躇いがちに頷く青髪の美女。本
来、神々しくもあるべきその姿は捨てられた子犬のように儚く頼り
ない。幸菜がウンディーネの頭を優しく撫でると、僕に手を上げて
138
二階へあがって行く。 屋敷の構造は昨晩の大掃除で粗方、把握している。
一階はリビングやキッチン、脱衣所、浴槽、部屋が数個に物置。さ
らに驚いたことに魔術工房のようなものもあった。汚れが新しいこ
とからも現在も紅葉が利用しているのだと思われる。
二階は十二、三畳ほどの部屋が数個あった。僕もいつまでもリビン
グで寝るのは御免被る。一つを使わせてもらうとする。
さて僕のやることは幸菜が増えようと変わらない。始めるとしよ
う。僕は食堂へ行き作業を開始する。
139
エクソシスト
第11話 報告
あかり
精霊︱︱灯は祓魔師協会の日本支部、支部長室のドアをノックし、
脚を踏み入れる。
いずみゆはた
あかり
エクソシスト
椅子には長い黒髪を後ろで束ねた美しい青年が坐していた。
︱︱泉纈︱︱灯を召喚した人間であり、この世界の祓魔師の中では
最上位の力を有する男。
﹁それでその少年とやらは強いのかい?﹂
既に﹃東都銀行芦戸支店﹄での経緯は説明してある。相変わらず無
駄が嫌いな人間だ。知りたいことをストレートに問うてくる。
﹁⋮⋮強いですね。少なくとも私よりは﹂
銀行内で少年が発動した魔術は二つ。
一つは︽空絶碧︾。何層にもわたる空気の壁を造り出すレベル3だ
が限りなくレベル4に近いとされる人間の魔術師達の個人で使用で
きる最上位の戦術級最高位黒魔術。しかも、良くわからない改良ま
でしてあった。
二つ目がレベル3の白魔術︱︱︽超治癒︾。一般に治癒術は極めて
エクソシスト
難解であり、あんな瀕死の強盗を一瞬でしかも離れた場所から八割
の傷を修復するなど、不可能に近い。
さらにあれほど傲岸不遜だったキマーラとキルが祓魔師のエージェ
ントと警察の突入直後、気が付くやいなや警察に泣きながら助けを
求めた事を鑑みれば、彼らを圧倒するだけの力を有することは明ら
か。
140
少年は元の世界の世界序列の最上位者。しかも千番内に入っている
可能性が高い。
世界序列は文字通り魔術師達の強さの序列。この序列の千番内に位
置する生物は人間であって人間ではない。五界でも有数の実力者と
同化した五界を含めた世界全体の怪物達。この世界に召喚されてい
る既存の精霊や幻獣共が裸足で逃げ出す破壊の化身。
キル? キマーラ? 文字通り格が違うのだ。
﹁その根拠は?﹂
灯も魔術師、いくら自らの主とは言え、魔術について不用意に口走
るつもりはない。
﹁キマーラを倒したことがその理由です﹂
タブー
﹁なるほどな⋮⋮君にとって禁句というわけか。なら他の者に聞い
ても同じことだな⋮⋮﹂
やはりこの男恐ろしく優秀だ。灯の意図を悉く先読みする。
﹁そう理解してもらって結構です﹂
﹁君の見立てではその少年は人間だろうか?﹂
﹁そうも呼べますし、そうも呼べないかもしれません﹂
﹁ノンノン、いつも言ってるだろ。発言ははっきりと﹂
いずみゆはた
人差し指を左右に振り、口端を上げる泉纈。
表情とは対照的に目が全く笑っていない。五界のルールにより、自
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主的に五界の核心に渡る事項について話してはならないことになっ
ている。同化者がこのルールに抵触するかは微妙な線だ。上手く誤
魔化しておこう。
﹁彼は私達に近い人間。そうご理解ください﹂
いずみゆはた
泉纈という男、嘘を見抜く不可思議な力があり、偽りは述べられ
ないが、灯の今の言葉は全て真実だ。
﹁精霊と同じ格を有するが人間。いわば僕ら人間の上位種。そんな
ところか﹂
大体の事情を今のやりとりで把握してしまった。全くもって恐れ入
る。
﹁ご用件はその件ですか?﹂
いずみゆはた
さも愉快そうに笑うと泉纈は笑みを消す。
﹁少年を調べろ。できる限り委細に。そして私の元まで連れて来い﹂
あかり
もとより、そのつもりだ。それしか灯には方法がないから。
この霊獣召喚という忌々しい術により、灯達精霊や幻獣はこの世界
に召喚され、元の世界には原則戻れなくなった。
戻る方法は50年の月日が経過するか、召喚の目的が完了するこ
と。召喚の目的とは妖魔と鬼の討伐。
一般に精霊や幻獣は地球への滞在が原則してできない。これは禁
止されるまでもなく、召喚術には厳格な期間制限があるからだ。だ
から原則数十年の滞在が許される同化は五界の住人ととっては一つ
のステータスとなっている。
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それが五十年も無条件でこの世界にとどまり権利を得るのだ。だ
からこの世界に召喚された精霊や幻獣にはそこまでの必死さはない。
寧ろ、あのキラーマのように召喚者を誘惑し、趣味や遊びに走る者
あかり
達も多い。
対して灯は一秒も早く帰還しなければならない訳がある。
あかり
それは精霊界に居られるグレーテルお嬢様。メイドとして仕えてい
た灯がお嬢様と別れてはや八年。
人一倍、寂しがりやのあの方は今頃どうしておいでだろうか。まだ、
夜怖い夢を見て泣いておいでだろうか。それとも、まだ傍で御本を
読んであげなければ寝つけないのだろうか。その姿を思い描くだけ
あかり
で魂が引き裂かれる想いがする。
だからこそ、灯には残り四十二年を悠長に待っている余裕はない。
妖魔と鬼を討伐するしか方法はないのだ。
妖魔とは何度か遭遇したが、天才が張っている結界とやらのおか
あかり
げで、この人間界には下級クラスしか出現しないはず。それにもか
かわらず、灯と同等クラスのものもチラホラいた。
さらに石板が事実なら鬼は妖魔以上に強力らしい。鬼とは魔族の
鬼種のとこだと思うが、まだ一度も遭遇しておらずあくまで予想で
あかり
しかない。しかし、仮に鬼が先の大戦で生き残った鬼種で、さらに
あかり
魔神軍の将校クラスの力を有する者がいればもはや今の灯達の手に
は負えない。
今、イレギュラー的存在が灯達には必要なのだ。
﹁了解いたしました﹂
あかり
故郷帰還の決意を胸に一礼し、灯は支部長室を後にした。
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第12話 ﹃ありがと﹄ オルトロス
オルトロスは奈美の住む新見家の帰路の途中、ぼんやりとあの不思
議な少年︱︱ライトの事を思い出していた。
闘技場で始めて目にしたときは何の魔力も有しないただの人間に
しか思えなかった。しかし、少し冷静になって考えてみろ! 逆に
魔力が全くない人間など考えられるか? 僅かにない位ならまだ話
は分かる。だが正真正銘まったく奴からは魔力が感じないのだ。こ
れほどの異常は他にはあるまい。
ライトの異常性が証明されたのはキマーラとかいうオカマ幻獣が
ズダボロになったオルトロスの頭部目掛けて脚を踏み下ろしたとき
だ。
死を覚悟し目を閉じるが意識はいつまでたっても失われない。恐
る恐る目を開けると、オルトロスを抱き上げているライトがいた。
思考が真っ白に染まり、脳が考える事を停止する。
ライトはオルトロスを行員や客達の隣の床に下ろすと、にっと口
端を引く。
﹁お⋮⋮まえ?﹂
やっとのことで絞り出したオルトロスの言葉に対し、ライトの返答
は﹃ここからは道を踏み外した僕ら外道畜生の生きる世界﹄だった。
この言葉に込められた真の意味をオルトロスはその直後、嫌っとい
うほど理解した。
オルトロスがようやく視認し得るキマーラの爆撃のような攻撃を全
て左手一本で受け止める。
最後の一撃を左手で軽々受け止めたライトの口角が上がり、人間と
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はとても思えない凶悪な顔を形作る。心臓を素手で鷲掴みされたか
のような激烈な悪寒が身体中を駆け巡る。
飛び去ったキマーラの顔からは冷たい汗が滝のように流れ落ちてい
た。
﹁お前、誰だ?﹂
その疑問を契機にライトは本性を現し、銀行内は瞬時に魔境と化
した。
可視化した濁流のような赤黒色の魔力がライトから放出され、部
屋中に放出されていく。ライトの足元の床にピシリと蜘蛛の巣状の
亀裂が走る。
出鱈目すぎる。魔力強度だけなら、父であるフェンリルにすら達
するかもしれない。
気に入らないがキマーラは強い。オルトロス以上に己の置かれて
いる状況を理解していていた。
逃げるようキルに進言するキマーラ。その奴の腕から血液がシャ
ワーのように流れ出す。そしてライトの手にはキマーラの腕。奴が
何かしたのは確実だが、オルトロスには動きの微動すら見えなかっ
た。
それからライトは怖気きった顔つきで逃げようとするキマーラの
背後に一瞬で移動し、後ろ髪を掴み、床に叩きつけた。キマーラの
顔は数回で潰れる。
ライトの右手から幾つもの魔法陣が出現し、キマーラの傷を直ちに
修復する。オルトロスは魔術には疎いが、効果から察するに回復魔
術。ならなぜ自ら傷つけた者を回復する? その素朴な疑問の答え
は最悪な形で証明される。
﹁は、離︱︱ぶっ!!!﹂
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キマーラの拒絶の言葉など歯牙にも駆けず、ライトは顔面を叩き
つけた。
⋮⋮
⋮⋮⋮⋮
⋮⋮⋮⋮⋮⋮
恐ろしい。オルトロスは恐ろしかった。薄ら笑いを浮かべてこの
悪魔のごとき所業を実行するライトがひたすら恐ろしかった。
傷害し回復し、傷害し回復する。キマーラの顔は次第に変形し見
るも無残な肉塊へと変貌していく。
絶望からか回復されてもうめき声すらあげなくなったキマーラを
放りなげ、ライトはキルにグルンと顔を向ける。
キルの口から悲鳴が漏れる。ライトがキルを見た理由は強いから
などではなく、この部屋で意識があるのは奴だけだから。キル以外
の強盗達は皆とっくの昔に安眠の旅へと出発している。
キルは腰を抜かして立てないのか、腹這いとなって正面の自動ド
アまで移動しようとする。外には警察が一斉に待機しているはず。
つまり警察に捕縛されたい。その一心で奴は両腕を懸命に動かす。
しかし、悪魔はそんな慈悲認めやしない。案の定、奴の眼前に移動
したライトは奴の頭部を足で踏みつけ、動けなくする。
﹁許じて!!﹂
最後の絶叫にライトの口からクスッと笑みが漏れる。それは失笑
だと思う。キルはライトの意図を理解し精根も尽きたのか気絶して
しまう。
ことが済みライトの視線がオルトロスに向く。息が止まる。この
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時ばかりは猛獣の前で振るえる子羊の気持ちが容易に了知できた。
気が付くとオルトロスは抱き上げられていた。身体を強張らせるが、
ライトはさっきまでの悪鬼のような姿は鳴りを潜め、年相応の少年
の顔となっていた。
今のライトはオルトロスに危害を加えないと判断した途端、今ま
で麻痺していた気絶しそうなほどの痛みが襲ってくる。
朦朧する意識の中でオルトロスは地面に寝かされ、ライトがその
胸に右手の掌を当てているのがわかる。
痛みが消えていき、次いで意識もはっきりとしていた。
胸に伝わる初めての感触と異性に触れられたというその事実を正
確に認識し、羞恥で顔中が発火していく。ライトを突き飛ばして胸
を抑える。
﹁き、君、まさか女の子?﹂
顔を引き攣らせてオルトロスに尋ねるライト。初めて異性に触れ
られたショックと壮絶に取り乱すライトの姿を視認したせいで、オ
ルトロスにあった最後の恐怖が安堵と羞恥そして強烈な疑問に置換
されてしまう。
此奴は何者なんだろう? 少し前まであった恐怖の権現のような
存在は完全に姿を消し、今はどうみてもどこにでもいる慌てふため
く年頃の少年が目の前にいる。
﹁お前は︱︱﹂
口から疑問を絞り出そうとするが、疑問を自分でも上手くまとめ
られない。
不意に視線がライトと合うが、慌てて目を逸らす。逸らした理由
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はオルトロスにも判然としないが、不思議と恐ろしさが理由ではな
かった。ただ奇妙な気恥ずかしさがしてしまっただけ。
そんなオルトロスに、プッと噴き出すライト。
全身の血液が沸騰するような羞恥心が湧き上がり、真っ赤になっ
て疑問を投げかける。
なみ
﹁悪い、悪い。ちょっとした思い出し笑いさ。
もう大丈夫なようだし、僕はいくよ。君も奈美を安心させてあげな
よ﹂
ライトはそう言うと、クルリと踵を返し歩き始める。
まだ知り合った期間は浅いが奈美は父以外にオルトロスを一人前
の幻獣と認めてくれた数少ない友。奈美に早く元気な姿を見せてや
りたい。
そしてオルトロスを認めてくれたもう一人の人物が目の前にいる。
ライトはあの時、﹃君は英雄としての目的を果たした﹄、そうオル
トロスに言ってくれた。
だからライトの背中に頭を下げ、言葉を紡いたんだ。﹃ありがと﹄
と、そう伝えたんだ。
ライトの姿が、声、表情が頭にフライパンの焦げのようにこびり
付いて離れない。何度も頭を振っても離れない。もう、微塵も恐ろ
しくなんてないのに、気が付くとライトの表情が浮かんでいる。あ
の屈託のない笑みが浮かんでいる。
オルトロスはどうかしてしまったのだろうか? 帰ったら奈美に
でも相談してみよう。そう心に誓い、オルトロスは帰路につく。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9782cs/
虚弱高校生が世界最強となるまでの異世界武者修行日誌
2016年9月6日05時05分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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