アベノミクス好循環シナリオに三つの誤算(PDF:386KB)

Research Focus
http://www.jri.co.jp
2016年8月25日
No.2016-22
アベノミクス好循環シナリオに三つの誤算
調査部 上席主任研究員 枩村秀樹
《要 点》
◆ アベノミクスの好循環シナリオは、これまでのところ期待外れの結果。アベノミク
ス開始から現在までに、実質GDPは2%、名目GDPは6%しか増えず。期待イ
ンフレ率も低下傾向。循環ルートの「企業収益→雇用者所得→個人消費→企業収
益」の各段階で、期待通りの波及メカニズムが働かなかったことが原因。
◆ まず、「企業収益→雇用者所得」の流れが停滞。企業の固定費増大への抵抗感が強
く、人件費抑制姿勢が緩和しなかったことが背景。実質所得はようやく増加に転じ
たものの、企業収益が増加してから所得環境が改善するのに2年半の遅れ。
◆ 次に、足元で「雇用者所得→個人消費」が顕在化せず。所得税・社会保険料負担の
増大で可処分所得が下振れしたことに加え、消費性向の高い低所得世帯での収入減
も背景。いずれ消費は増加に転じるとみられるものの、そのタイミングは不透明。
◆ さらに、「個人消費→企業収益」が実現するかどうか。個人消費でも輸入依存度が
上昇傾向にあり、個人消費の増分が国内企業の収益に寄与せず、海外に漏出する可
能性。この背景には、消費意欲を刺激する新製品・サービス開発力の低下。消費増
が業績改善をもたらさなければ、好循環の二巡目につながらない可能性も。
◆ 好循環の歯車を回して、600兆円経済を実現するには、企業と家計の慎重姿勢を取
り除くことが不可欠。①賃上げなどの所得拡大策、②社会保険料の抑制、低所得者
支援などの消費拡大策、③企業の付加価値拡大策、などを講じることが必要。
日本総研
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本件に関するご照会は、調査部・上席主任研究員・枩村秀樹宛にお願いいたします。
Tel:03-6833-0929
日本総研
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期待外れの好循環メカニズム
(1)安倍政権の主要な目標の一つは、成長と分配の好循環を通じた600兆円経済の実現。これ
は、過去25年間横ばいを続けた名目GDPを、再び力強い拡大軌道に乗せることを意味
(図表1-1)。経済活動の活性化でデフレ脱却を目指すほか、税収増を通じて財政健全化にも
貢献することが狙い。この達成のため、強力な金融・財政政策を相次いで発動。
(2)もっとも、アベノミクス開始後3年半で名目GDPは6%しか増えず、これまでのところ
は期待外れの結果(図表1-2)。物価上昇が名目GDPの押し上げに寄与したものの、実質
GDPが2%しか増えなかったことが主因。とりわけ国内外の製品需要は、リーマン・
ショック前の8割にとどまるなど深刻な状況。
(3)この結果、デフレ脱却にも再び黄信号。日銀の政策目標であるコアCPI(除く生鮮食品)
上昇率はすでにマイナス圏に転じたほか、コアコアCPI(除く食料・エネルギー)上昇率も
低下傾向。日銀短観で調査される企業の販売価格見通しは、資源価格に左右されにくい加工型
製造業や小売業でも急低下(図表1-3)。
(4)こうした期待外れのパフォーマンスは、成長と分配の好循環メカニズムが機能していないこ
とが原因。当初期待されていた好循環シナリオは、「企業収益→雇用者所得→個人消費→企業
収益」と段階を追って拡大していくというプロセス(図表1-4)。ところが、各々の段階で期
待通りの波及メカニズムが働かなかったことが大きな誤算。
(図表1-2)名目GDPと実質GDP
(図表1-1)名目GDPの長期推移
(兆円)
600
(2012年=100)
106.1
106
実質GDP
名目GDP
104
500
102.2
102
400
100
300
98
200
1980
85
90
95
2000
05
(資料)内閣府「国民経済計算」
10
15
20
(年度)
(図表1-3)1年後の販売価格見通し
(%)
96
2010
11
12
13
14
15
16
(年/期)
(資料)内閣府「国民経済計算」
(図表1-4)アベノミクスの好循環シナリオ
1.5
第3の誤算
企業収益
第1の誤算
1.0
0.5
設備投資
雇用者所得
0.0
加工型製造業
小売業
▲0.5
2014
15
(資料)日本銀行「企業短期経済観測調査」
消費
16
(年/期)
-1-
(資料)日本総研作成
第2の誤算
日本総研
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最初の誤算:所得環境の改善に2年半の遅れ
(1)最初の誤算は、「企業収益→設備投資・雇用者所得」の流れが滞ったこと。経常利益は2013
年度から3年連続で過去最高を更新したものの、企業は慎重な支出スタンスを崩さず。
(2)まず設備投資は、2012年度から2015年度にかけて1割程度増加(図表2-1)。一見、堅調に
みえるものの、経常利益の大幅増と比較すると見劣り。前回ピーク時(2006年度)の設備投資
は、ほぼ経常利益に見合った水準まで盛り上がり。これに対して、2015年度の設備投資は、経
常利益を25兆円も下回る状況。人口減少による市場縮小懸念、生産拠点の海外シフト、低い設
備稼働率などの要因が複合的に作用し、国内投資に前向きになれなかったことが背景。
(3)さらに問題だったのは、人件費の抑制姿勢。法人企業統計ベースの人件費はほどんど増えて
おらず、労働分配率はバブル期並みの水準まで低下(図表2-2)。アベノミクス効果によって
増加した付加価値は、大半を企業が内部留保として退蔵した形。企業の成長期待が1%前後と
低いため(図表2-3)、固定費増大への抵抗感が根強く残っていた可能性。企業の人件費抑制
姿勢に加え、消費者物価の上昇もあいまって、アベノミクス開始後2年余りの実質所得(家計
の購買力)は低迷が持続。
(4)物価上昇ペースの鈍化などもあり、実質所得は2015年央からようやく拡大(図表2-4)。足
元では前年比3%近い伸び率まで回復。もっとも、所得環境が改善するのに収益回復から2年
半を要し、その分、好循環の始動が遅れることに。
(図表2-1)経常利益と設備投資
(図表2-2)人件費と労働分配率
(兆円)
200
(兆円)
70
経常利益
設備投資
180
60
(%)
人件費
(左目盛)
労働分配率
(右目盛)
70
160
50
65
140
40
120
30
100
20
80
60
60
10
1980
85
90
95
2000
(資料)財務省「法人企業統計季報」
05
10
55
1980
15
(年度)
85
90
95
2000
05
10
15
(資料)財務省「法人企業統計季報」
(図表2-3)業界需要の成長率見通し
(年度)
(図表2-4)雇用者報酬(前年同期比)
(%)
4
(%)
3
4
2
名目成長率
1
実質成長率
3
0
▲1
2
▲2
▲3
1
実質
名目
▲4
▲5
0
1990
95
00
05
(資料)内閣府「企業行動に関するアンケート調査」
10
15
(年度)
-2-
▲6
2005 06
07
08
09
10
11
12
13
14
15 16
(年/期)
(資料)内閣府「国民経済計算」
日本総研
Research Focus
2番目の誤算:所得が増えても消費が増えず
(1)2番目の誤算は、足元で「雇用者所得→個人消費」が顕在化していないこと。実質ベースの
雇用者所得と個人消費はおおむね連動(図表3-1)。しかし、雇用者報酬が増加に転じたにも
かかわらず、個人消費は横ばい状態が持続。過去の関係を踏まえれば、個人消費はあと2~3
%は上振れても不思議ではない状況。内訳をみると、サービス消費の伸び率が低下しているほ
か、財に関しては全ての分野で落ち込み(図表3-2)。
(2)慎重な消費姿勢の背景として、以下の2点を指摘可能。
①可処分所得の伸び悩み。雇用者報酬は増えたものの、所得税や社会保険料の負担も増加した
ため、手取り収入の回復ペースは脆弱。家計は見かけほど所得環境の改善を実感できていな
い公算大。
②低所得世帯での所得減少。家計調査でみると、所得の多い世帯では実収入が増加したもの
の、低所得世帯では逆に減少。これに連動して、低所得世帯では消費支出も大幅減。アベノ
ミクスの恩恵は、低所得世帯に全く波及していない格好。消費性向の高い低所得世帯の消費
萎縮が、全体の消費の足枷になっている可能性。
(3)このまま実質所得が着実に回復していけば、いずれ所得増の一部が個人消費に回ることは期
待可能。もっとも、現時点ではそのタイミングは予測困難。
(兆円)
270
(図表3-1)雇用者報酬と個人消費
(実質ベース)
(兆円)
(兆円)
10
(図表3-2)所得回復局面での個人消費
の増減の内訳(実質ベース)
雇用者報酬
320
265
8
雇用者報酬(左目盛)
家計消費(右目盛)
310
260
6
サービス
非耐久財
半耐久財
耐久財
個人消費
4
300
255
2
0
250
290
245
280
2005 06 07 08 09 10
(資料)内閣府「国民経済計算」
(2010年=100)
108
11
12
13
14
15
16
(年/期)
▲2
▲4
2010年初→2012年末
2015年初→2016年
(資料)内閣府「国民経済計算」
(図表3-4)所得階層別の収入と支出
(図表3-3)雇用者報酬と可処分所得
(名目ベース)
(%)
4
2
106
0
104
雇用者報酬
可処分所得
▲2
102
実収入
▲4
消費支出
100
▲6
98
▲8
Ⅰ
低
96
10
11
12
13
(資料)内閣府「国民経済計算」
14
15
16
(年/期)
-3-
Ⅱ
Ⅲ
所得
(資料)総務省「家計調査報告」
(注)2012年から2016年1~6月までの増減。
日本総研
Ⅳ
Ⅴ
高
Research Focus
3番目の誤算:二巡目のバトンタッチに成功するか?
(1)3番目の誤算は、仮に個人消費が増えても「個人消費→企業収益」が実現せず、好循環の二
巡目につながらない可能性。
(2)最も大きな懸念材料は、増加した個人消費需要が海外に漏出する可能性。2000年以降、個人
消費はほぼ横ばいで推移(図表4-1)。この内訳を付加価値面に着目して分解すると、2000年
から2011年にかけて、輸入誘発額が27兆円から41兆円に増える一方、国産分は254兆円から241
兆円に減少。こうした輸入誘発額の趨勢的増加を勘案すると、個人消費の増分が輸入増で賄わ
れ、国内企業の業績改善につながらない恐れも。
(3)この背景には、消費意欲を刺激する新製品・サービス開発力の低下。
①財についてみると、耐久消費財だけでなく、非耐久消費財の輸入浸透度も大きく上昇
(図表4-2)。スマートフォンにみられるような海外メーカーのシェア拡大、海外生産拠
点からの逆輸入などが原因。
②輸入依存度が低く、国内の付加価値創造に直結するサービス消費のシェアが頭打ち
(図表4-3)。消費者の嗜好を捉えた魅力あるサービスが提供できなくなった可能性。
(4)こうした消費市場での懸念材料に加え、外部環境の悪化も企業収益を圧迫。資源価格の低下
一巡により交易条件の改善が止まったほか、円高進行により輸出企業に為替差損が発生
(図表4-4)。価格面からの収益押し下げ圧力が強まることに。
(図表4-2)消費財の輸入浸透度
(図表4-1)個人消費の付加価値構成
(%)
(兆円)
290
280.9
25
282.8
280.9
耐久消費財
280
非耐久消費財
20
270
27.0
34.9
260
15
41.4
250
輸入誘発分
240
国産分
253.9
246.1
230
10
5
241.4
0
1985
220
2000
05
11
(年)
95
2000
05
10
15
(年)
(資料)経済産業省「鉱工業総供給表」
(注)2016年は1~6月。
(資料)総務省「産業連関表」
(%)
59
90
(図表4-3)個人消費に占めるサービス
消費の割合(名目ベース)
(図表4-4)想定為替レート
(円/ドル)
130
58
120
57
110
56
55
100
54
90
53
大企業製造業の想
定為替レート(期初)
実際の為替レート
80
52
51
1995
2000
(資料)内閣府「国民経済計算」
05
10
70
2012
15
(年)
-4-
13
14
15
(資料)日本銀行「企業短期経済観測調査」
日本総研
16
(年)
Research Focus
企業・家計の慎重姿勢を取り除く政策を
(1)好循環の出発点は、「3本の矢」による収益改善で予想以上の大成功。もっとも、好循環の
各ステップでは企業・家計の慎重姿勢が強く、狙い通りの循環形成に至らず(図表5-1)。一
方、財政・金融政策はすでに限界に近く、それらを活用した一段のテコ入れは困難な状況。好
循環の歯車を回すには、企業と家計の慎重姿勢を取り除き、目詰まりを解消することが重要。
◇第1ステップ:所得拡大策
政労使会議や官民対話を活用した成果配分の適正化(図表5-2)。全国平均1000円に向け
た最低賃金の継続的引き上げ。賃上げの原資となる中小企業の生産性向上支援。
◇第2ステップ:消費拡大策
社会保障分野での歳出改革を通じた社会保険料の増加抑制。低所得者対策として、一人親
世帯や多子世帯への保育・教育費支援(図表5-3)。給付付き税額控除の導入検討。
◇第3ステップ:付加価値拡大策
研究開発投資やオープンイノベーションなどを通じた、消費意欲を喚起する製品開発力の
強化。国内付加価値率の高い個人向けサービス分野での規制緩和(図表5-4)。
(2)600兆円目標の妥当性は別にしても、わが国経済の成長力向上は喫緊の課題。成長戦略によ
る供給サイドの改革に加え、好循環を通じた需要側からの推進力も強化する必要。
(%)
(図表5-2)春闘賃上げ率
(図表5-1)アベノミクス開始から現在ま
での回復状況
(%)
20.9
6
20
5
15
4
10
7.2
3
5.7
5
1.2
2
個人消費
1
0
経常利益
設備投資
雇用者報酬
1990
(資料)内閣府、財務省を基に日本総研作成
(注)2012/4Qから2016/2Qまでの伸び率。経常利益は2016/1Q。
95
2000
05
15
(年度)
(資料)厚生労働省
(図表5-4)産業別の国内付加価値率
(2011年)
(図表5-3)年間収入別の世帯分布
(%)
70
衣料品
60
10
48.1
母子世帯
食料品
夫婦と未婚子供世帯(世帯主のみ有業)
50
89.9
40
自動車
30
教育
98.6
20
健康・社会福祉
99.7
10
91.9
その他個人サービス
0
~199
200~299
300~399
(資料)総務省「平成26年全国消費実態調査」
400~499
96.9
20
500~
(万円)
-5-
40
60
(資料)OECD, "TiVA"
80
日本総研
100
(%)
Research Focus