乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生し

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してし
まった…
山口悟
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︻小説タイトル︼
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった⋮
︻Nコード︼
N5040CE
︻作者名︼
山口悟
︻あらすじ︼
頭を石にぶつけた拍子に前世の記憶を取り戻した。私、カタリナ・
クラエス公爵令嬢八歳。
高熱にうなされ、王子様の婚約者に決まり、ここが前世でやってい
た乙女ゲームの世界であることに気付いた。
そして自分が主人公と攻略対象との恋路の邪魔をする悪役令嬢にな
ってしまっていることに⋮
主人公がハッピーエンドを迎えれば身一つで国外追放、バッドエン
1
ドならば攻略対象に殺されるって⋮
⋮私にハッピーなエンドなくない!?バッドオンリーなんですけど
!?
一迅社文庫アイリス様より書籍が発売中です。応援くださった
なんとか破滅エンドを回避して、穏やかな老後を迎えたい!!
◆
皆様ありがとうございます。
2
前世を思い出しました
調子にのって明け方近くまでゲームをしてしまい⋮⋮案の定、朝寝
坊した。
制服に着替えて、顔だけ水でさっと流すと、髪もとかすことなくボ
サボサの頭で玄関へ向かう。
﹁仮にも女子高生がそんな恰好で恥ずかしい﹂と母の小言が聞こえ
たが、さらっと聞き流す。
玄関を出ると中学から愛用するチャリに飛び乗り、ペダルを全力で
回す。
自宅から大通りに続く下り坂ではさらに調子づいてさらにペダルを
回す。
さらにさらにペダルを回す。さらにさらに回す。
回す回す回す⋮⋮回しすぎてチャリが止まらなかった。
チャリは交通量過多の大通りにそのまま突っ込んだ。
⋮ブラックアウトしていく意識の中⋮⋮﹁このアホがー﹂という家
族の声がこだましていた。
★★★★★★★★★★★
⋮⋮という前世の記憶を⋮⋮先ほど頭を強く打った拍子に思い出し
た。
カタリナ・クラエス、御年八歳。
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クラエス公爵の一人娘として今日まで蝶よ花よとそれは可愛がられ
てきた。結果、高慢ちきな我儘、お嬢様に育った。
本日、私は父に付き添い王宮にやってきた。
そして同い年の第三王子様に王宮の庭園を案内してもらう予定だっ
た。
はじめて会った王子様は、金色の髪に青い瞳の美しい天使のような
容貌だった。
しかも八歳とは思えないほど落ち着いてしっかりした子だった。
そんな、王子様に我儘お嬢様は一目ぼれ、そのままひたすら王子様
にべったり付きまとった。
甘やかされて育ったので、人の迷惑などお構いなしだった。
そうしてかなりべったり付きまとい、しまいにはべったりしすぎて
王子様にぶつかり転んだ。
転んだ勢いはたいしたことはなかったが、なにぶん場所が悪かった。
ちょうど転んだ先に庭園の飾り岩があり、そこに強く頭をぶつけて
しまった。
ぶつけたのは額で、どうやらそれなりにざっくりいったようで多量
に血が噴き出していた。
王子様や付き添っていた召使の方々はあわてふためいていた。
⋮⋮しかし、私といえば吹き出る血など問題ではなかった。
なんせ、その衝撃にて前世の記憶を取り戻したのだから。
前世の私は享年十七歳の女子高生だった。
つまり現在の八歳の意識と記憶の中に、突然十七年分の記憶が入っ
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てきたのだ。
はっきりいって頭がショートするかと思った。
茫然とする私はそのまま医務室に運ばれ治療され、そのまま屋敷に
強制送還となった。
そして私はその後、五日間程、高熱をだしうなされ続けた。
★★★★★★★★★★★
五日後、熱も落ち着く頃には何とか頭の中の記憶も落ち着き、よう
やくベッドからも起きられるようになった。
すると、なんとそんな私のもとに王子様がお見舞いに訪ねて来られ
た。
まだ、ベッドから起き上がるのがやっとという私を気遣い王子様は
寝室に訪問してくれた。
﹁こんにちわ、お加減はいかがですか?クラエス嬢﹂
第三王子ことジオルド王子様がその天使のように美しい顔を曇らせ
私に声をかけてくれた。
あぁ、なんて可愛らしいお顔なのでしょう.
前世の記憶が戻る前のカタリナはただジオルド王子に恋していたよ
うだが⋮⋮
さすがに十七年分の記憶を取り戻した私が、八歳の男の子に恋心を
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いだくことはない。
しかし、ジオルド王子はなにせ天使のような愛らしい風貌のお子様
でとにかく見ているだけで目が癒される。
お姉さんは思わずにまにましてしまいそうになる。
まさかそんな風ににまにま鑑賞されているとは思いも、しないであ
ろうジオルド王子は、返事のない私にさらに曇った顔を向ける。
﹁⋮⋮本当に、申し訳ありませんでした。お顔にこのような傷を作
ってしまって⋮⋮﹂
ジオルド王子がなにやら頭を下げて来られましたが⋮⋮
そもそもこちらが一方的に付きまとった挙句に転倒して、おまけに
王宮の素敵な庭園にて流血沙汰を起こしたわけですから⋮⋮﹁いや
いや、こちらの方がすいませんでした﹂という感じだ。
私はあわてて返した。
﹁どうか、頭を上げてくださいジオルド様。今回のことは、すべて
私の自業自得でおこったことです。むしろ、王子をはじめお城の方
々にご迷惑をかけてしまい、こちらが謝罪に行かなければならない
ところです。﹂
と私が殊勝に頭を下げると、王子はひどくびっくりした顔をする。
なぜだろうと考えて、そういえば、王子と会った時の私はまだ我儘
お嬢様であったことを思い出した。
ちなみに、このびっくり顔はこの五日間、我が家の召使さんたちの
間で大流行だ。
蝶よ花よと育てられたお嬢様はお家でも高慢ちきな我儘姫であり、
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それはそれは横柄に振舞っていた。
しかし、十七年分の庶民の記憶を取り戻した私が以前のように偉そ
うに振舞えるわけもなく⋮⋮
今、屋敷ではお嬢様は頭をうったのと高熱で寝込んだのですっかり
性格が変わられたとの噂でもちきりだ⋮⋮
王子とはまだ、一度しかお会いしたことはなかったが、それでも初
めの時からのあまりの変わりようにびっくりしたのだろう。
しかし、実に優秀な八歳である王子はすぐにその衝撃から回復され
た。
﹁いえ、しかし私がもう少ししっかり周りを確認していれば⋮⋮あ
なたにぶつかってしまうこともなかったのに⋮⋮額の傷も残るかも
しれないとのことで、本当に申し訳ありません﹂
と改めて深々と頭を下げる小さな王子。本当に立派な王子様だ。
クラエス公爵家のわがままカタリナ嬢とはえらい違いだ。
確かに、今回の事故で私は額を切ってしまい少しだが縫うこととな
った。
そして一センチくらいのちょこっとした横傷が額に残っている。
しかし私からしたら⋮⋮たかだか一センチ程度の傷が額にちょこっ
と残るからなんだという感じだ。
自慢じゃないが、前世の私は少しばかりやんちゃな子供だった。
小学時代は兄二人について裏山をかけずりまわっていた。
そのため生傷が絶えず、縫うような傷を作ったことも何度かあった。
初めの方こそ﹁女の子なのに﹂と言っていた母も次第に諦めたよう
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で最終的には何も言わなくなっていた。
なので、こんな額のちょこっとした傷が気になるわけもなかった。
﹁いえいえ。ジオルド様こんなかすり傷、気になさらないで下さい。
だいたい、額の傷なんて前髪でぱぱっと隠せるのでなんの問題もご
ざいませんわ﹂
これ以上、ジオルド王子に気をつかわせてしまってはと私は満面の
笑顔で返す。
するとなぜだか、王子はさらにびっくりした顔でついには固まって
しまった。
ジオルド王子だけでなく、寝室に付き添っていた召使さんたちも一
様に固まってしまった。
なんだか寝室には微妙な空気が流れていた。
そんな空気の中、最初に口を開かれたのはジオルド王子だった。
本当に素晴らしい八歳だ。精神年齢十七歳+八歳も見習わなくては。
﹁⋮⋮その、あなた自身が傷を気にされなくとも社交界ではそうは
いきません。傷モノとして今後の婚姻などに影響が出てくるかもし
れないのです﹂
﹁⋮⋮⋮はぁ⋮﹂
私は間の抜けた返事を返しながら考える。
確かに、前世の世の中なら額の一センチ程度の傷が結婚に影響する
ことはないだろう。
しかし、今世のこの中世ヨーロッパ風な貴族社会はまさに足の引っ
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張り合いだ。
政略結婚が当たり前の世の中、ちょっとしたことでも不利な材料と
されてしまう。
貴族社会って本当に面倒だな。
正直にいって、これから年を重ねて社交界デビューとかしなきゃい
けないのもすごく憂鬱だ。
カタリナの記憶しかなかった時は、大人になって社交界に入るのが
当たり前だとしか思っていなかったが⋮⋮
前世の記憶を思いだした、今となっては本当に面倒で面倒でしかた
ない。
そもそも、小学時代は野猿として野山を駆け回り、中学からはバリ
バリのオタク女子となり部屋に引きこもっていた人間に社交界とか
無理だし⋮⋮⋮
あぁ、前世に戻りたいな。ポテトチップス食べたい。マンガが読み
たい。アニメ観たい。ゲームがしたい。
﹁⋮⋮リナ様、カタリナ様⋮﹂
﹁⋮あ、はい﹂
すっかり前世に思いをはせていたために⋮⋮全く王子のことを忘れ
てしまっていた。
何やら、一生懸命話しかけてくれていたようだが、まったく聞いて
いなかった。
すみません王子。
﹁では、そういうことでよろしいでしょうか﹂
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﹁⋮⋮は、はい。わかりましたわ﹂
愛らしいジオルド王子が真剣な表情で私を見つめていた。
まったく聞いてなかったが、とりあえず笑顔で返した。
﹁では、またあなたの体調が優れた頃に改めてご挨拶に参ります﹂
そう言って微笑んで礼をすると、愛らしく誠にご立派な八歳ジオル
ド王子は寝室を後にされた。
正直まったく話を聞いてなかったし、なんの挨拶にくるのだろうと
思いつつも⋮⋮
まぁ、後で一緒に部屋についていてくれた召使さんに聞けばいいや
と、とりあえず私も笑顔で王子をお見送りした。
こうして、突然の王子様の訪問は終わった。
とりあえず、病み上がりに来客がきて疲労したため、もうひと眠り
しよう。
⋮おやすみなさ⋮
﹁お嬢様!おめでとうございます!!﹂
おやすみ体制に入ろうとした私をカタリナお嬢様付のメイドである
アンが揺さぶり起こしてきた。
⋮眠りたいのに⋮
ジオルド王子の訪問時も部屋に控えていてくれたアンだったが、な
ぜだか異様に興奮していた。
顔が真っ赤だ。どうしたのだろう、愛らしすぎる王子の魅力にやら
れたのだろうか。
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私の迷惑そうな視線を気にすることなくアンはさらに興奮して続け
る。
﹁ジオルド様は第三王子とはいえ、とても優秀であられるとのこと。
我が国では次期王は現王の指名制で、ジオルド王子が国王様になら
れる可能性だってあります。ジオルド王子の婚約者となれば、お嬢
様は未来の王妃様も夢ではありませんね。ご婚約本当におめでとう
ございます﹂
ん、なんだ、今、なんて?変な言葉を聞いたきがするぞ。誰と誰が
婚約だって?
﹁え∼と⋮⋮アン、いまなんて言ったの?もうち一度お願いできる
?﹂
﹁はい!ジオルド王子の婚約者となれば、お嬢様は未来の王妃様も
夢ではありませんね!!婚約おめでとうございます!お嬢様﹂
﹁⋮⋮誰と誰が婚約ですって⋮⋮﹂
﹁何をおっしゃっているんですかお嬢様!もちろんジオルド王子と
カタリナお嬢様のご婚約ですよ!!﹂
﹁⋮⋮⋮なんですって∼∼∼∼∼!?﹂
私の絶叫は屋敷中に響き渡った。
そして、またお嬢様は頭の怪我と熱のせいで⋮⋮としばらくささや
かれることとなった。
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婚約決まりました
とりあえず何とか正気に戻った私はアンにことの経緯を聞いた。
つまりは私がまったく聞いていなかったジオルド王子の話について
だ。
ジオルド王子は今回、私に消えない傷をつけてしまったことに深く
責任を感じているらしい。
そして、傷をつけてしまった責任をとるとおっしゃったそうだ。
そして王子の責任をとる=嫁にもらうということらしい。
いやいや、ジオルド王子まだ八歳でしょ。早すぎるでしょ。
⋮⋮と前世の私は思うが、今世において決して早すぎることではな
いこともわかっている。
今世でも八年分の記憶はあるのだ。
たしか半年前にはジオルド王子の二つ年上の兄王子も十歳にして婚
約を発表していた。
それに一応、今世の私、カタリナ・クラエスの家は公爵家であり、
王家に嫁いでも問題ないお家柄なのだ。
なので、特に問題はないのだが⋮⋮
天使のような美しい王子様と婚約して、後々は王妃様になれるかも
しれない⋮⋮
他の貴族のご令嬢からしたらまさに夢のような出来事だろう。
この話を聞いた父母もそれはそれは喜んでいる。
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しかし⋮⋮私としては⋮⋮正直、とても面倒なことになったとしか
思えない。
だって、社交界デビューすら嫌でしかたないのに⋮⋮
よりによって王子様と婚約、王妃様候補なんて⋮⋮大変以外の何物
でもないじゃないか⋮⋮
あぁ、今からでも断りたい⋮⋮
でも、あんなに喜んでいる家族や召使の皆様を前に﹁やっぱり嫌で
す﹂なんて言えない⋮⋮
⋮⋮憂鬱だ⋮⋮私は大きなため息をつく。
それにしても、ジオルド王子もこんな小さい傷ひとつでー
しかもほぼ、私の自業自得でできた傷ひとつに責任感じて婚約なん
て⋮⋮
私はもう一度ため息をつくと小さな手鏡を覗き込む。
鏡の中には憂鬱な顔をした少女が1人写っている。
額にちょびりとした傷も浮かんでいる。
前世の平凡狸顔に比べれば、美人の分類に入る顔。
しかし、水色の目はきゅっと吊り上り気味で鋭く⋮⋮はっきりいっ
てきつい印象が強い。
薄い唇を少しあげて微笑めばまさに、﹃ザ悪役令嬢﹄といった風貌。
しかも中身は元野猿のオタク女子。
とても、あの聡明で美しいジオルド王子に釣り合うとは思えない。
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私は今日何度目かわからない大きなため息をついた。
★★★★★★★★★★★
色々話したくてそわそわしている父母が非常に面倒だったので、﹁
まだ、体調が優れないので休ませていただきます﹂と告げ早々に部
屋に引きこもった。
前世で私が使っていたベッドの三倍以上あるご立派なベッドに横に
なる。
正直この五日間は熱にうなされ、やっと落ち着いたと思ったら王子
のご訪問⋮⋮
前世の記憶をちゃんとふりかえる時間もなかった。
なので、やっと一人になれた私は前世に思いをはせた。
前世の私は普通のサラリーマンとパート主婦の三番目の子として生
まれた。
女は私一人だったので家族にはとても可愛がられて育ったと思う。
小学生の頃は兄二人と野山をかけずりまわって過ごした。
中学に入りオタクの友達ができ、一気にオタク街道を突っ走った。
マンガ、同人誌、アニメDⅤD、ゲームを買いあさる日々を過ごし
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た。
高校に入ってからはオタ友の勧めで乙女ゲームにも手を出し始めて
いた。
あぁ、そういえば買ったばかりの乙女ゲーム、結局ちゃんとクリア
できないまま終わってしまった⋮⋮
自転車で爆走して大通りに突っ込む数日前に私は最新の乙女ゲーム
を購入していた。
オタ友のお勧めで購入した中世ヨーロッパ風世界での魔法学園を舞
台とした乙女ゲームだった。
かなりはまって学校から帰るとご飯とお風呂以外の時間はすべてそ
のゲームに費やしていた。
あの晩は腹黒ドSな王子様とのハッピーエンドに向けてひたすらセ
ーブを重ね、選択肢を選んだ⋮⋮
しかしなかなか、うまくいかずにだいぶむきになっていた⋮⋮
そして気が付くと日が昇りはじめていたのだ⋮⋮
あぁ、なぜあんなにむきになって⋮⋮
もっと早く寝て入れば⋮⋮
後悔は先に立たない⋮⋮昔の人の言葉は本当に正しい。
なんとかかんとか朝までにはクリアした作り笑顔が得意のドSな腹
黒な王子様。
一見するとおとぎ話に出てきそうな正統派王子様なのに中身はかな
り腹黒のドSな設定だった。
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なんでも完璧にできてしまう彼は誰といても常にどこか退屈でつま
らない日常を過ごしていた。そんな彼のもとに、退屈を吹き飛ばす
明るく元気で破天荒な主人公があらわれる。しだいに主人公に興味
を持ちはじめ、やがてそれが恋へと変わる︱いうストーリだ。
この王子様がなかなかひねくれた性格の持ち主で、好感度が思うよ
うに上がらないのだ。
そして、この王子様ルートのライバルキャラも厄介だったのだ。
幼少の頃から王子と婚約している公爵家のご令嬢。
幼少の頃に王子のせいで額にできたという傷をたてに婚約したとい
う。
この傷があるうちは、王子は自分のものだと、王子を束縛し、主人
公をいじめ倒し二人の仲を引き裂くのだ。
しかし、実際の傷はとうに消えている。
そして腹黒王子もそれに気がついてはいるが、とりあえず他の令嬢
への防波堤代わりにそのままにしているという事実がしだいに明ら
かになるのだが。
とにかくこの悪役のご令嬢の邪魔立てのすごいことすごいこと。
もう、かなりイライラさせられたものだ。
⋮⋮あれ、これどこかで聞いたことある話だ⋮⋮ ⋮⋮幼少の頃に王子のせいで、額にできたという傷をたてに婚約⋮
王子を束縛する令嬢⋮⋮
このゲームのドS王子の名前はたしか⋮⋮ジオルド王子⋮⋮
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悪役令嬢にも名前はあった⋮⋮⋮⋮たしか、カタリナ・クラエス公
爵令嬢!?!?
私はあわててベッドから起き上がり手鏡で自分の顔を覗き込んだ⋮⋮
悪役顔の少女が険しい顔でこちらを見ていた。
⋮⋮悪役顔のはずだ⋮⋮だって、悪役なんだから⋮⋮
でも、そんな⋮⋮
﹁うそでしょ∼∼∼∼!?!?﹂
本日、二度目の絶叫が屋敷中に響きわたった。
そして、お嬢様はもう一度ちゃんとお医者さんに診てもらった方が
よいのでは⋮⋮とささやかれることとなった。
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作戦会議をしました
とりあえず、本当にここがあの乙女ゲームの世界なのか確かめる必
要がある。
ちょっと同じ名前や設定があったからといってここが本当に乙女ゲ
ームの世界だなんて決めつけるのはまだ早いはず!!
私はまず、私が覚えている限りのあの乙女ゲームについての事柄を
紙に書きだすことにした。
私が亡くなる直前までやっていた乙女ゲームその名も﹃FORTU
NE・LOVER﹄は︱
中世ヨーロッパ風の剣と魔法の国で、魔法の学園を舞台に魔法を学
び、恋を育む割と王道の乙女ゲームだった。
この世界では貴族以上の身分をもつ者の中に魔力を持つ者が生まれ
ることがある。
中には平民にもいるが、それはたいへんに稀なことである。
そして、魔力をもつ者は十五歳になるとその魔力をきちんと使える
ようにするために学園へ集められる。
主人公である少女は平民であるにも関わらず魔力をもつ稀有な存在
として学園に入学することとなる。
貴族ばかりの学園の中に突然入ることとなる主人公だが、持ち前の
明るさと元気で、さまざまな困難に立ち向かっていく。
ちなみに、この世界での魔力は﹃水・火・土・風・光﹄に分けられ
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ていて一番多いものが土、続いて風、水、火と続く。なお、光の魔
力は五つの中でも特に強い⋮⋮だが、この魔力をもつ者はほんの一
握りしかいない。
というわけで、主人公はもちろん光の魔力の持ち主だった。
<攻略対象は4人>
一人目は私が亡くなる前の晩にやっと攻略した国の第三王子様であ
る﹃ジオルド・スティアート﹄
一見おとぎ話に出てきそうな金髪碧眼の王子様だが実は腹黒で性格
は歪みぎみ。
なんでも簡単にできてしまう天才肌な王子様。何にも興味を持てず
に退屈な日々を過ごしている。
幼い頃からの婚約者︵カタリナ・クラエス公爵令嬢︶がいる。魔力
は火。
二人目はジオルドの双子の弟である第四王子様である﹃アラン・ス
ティアート﹄
出来の良すぎる双子の兄と比べられ育ったためちょっとひねくれて
いる︵ジオルド程ではない︶
双子だが兄とは外見は似ていない。銀髪碧眼の野性的な風貌の美形。
末っ子気質のやや甘えん坊な俺様系な王子様。魔力は水。
三人目はジオルド王子の婚約者、つまりカタリナ・クラエス公爵令
嬢の義理の弟﹃キース・クラエス﹄
クラエス家の分家からその魔力の高さから引き取られたが、義姉や
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義母から冷たくあしらわれ孤独な幼少期を過ごす。愛情不足の反動
で、ふらふらしたチャラ男に育つ。亜麻色に青の瞳の色気あふれる
美形。魔力は土。
四人目はジオルド、アランの幼馴染で宰相の息子である﹃ニコル・
アスカルト﹄
四人の攻略者の中では一番の常識人だが、鉄面皮で口数が少ないた
めいまいち近寄りがたい。黒髪黒瞳の美形。
魔力は風。
そしてライバルキャラ
﹃カタリナ・クラエス﹄クラエス公爵の一人娘で高慢ちきで我儘な
ご令嬢。
幼少の頃に王子のせいで、額にできたという傷をたてにジオルド王
子と婚約。
この傷があるうちは王子は自分のものだと、王子を束縛している。
また、突然できた義理の弟をよく思っておらずねちねち苛める。魔
力は土。
ちなみにこのゲームには逆ハーレムルートも存在する。
そして、一番肝心なカタリナ・クラエスがゲームでどのようになる
かだが⋮⋮
ジオルド王子のルートではもちろん、義理の弟ルートでも平民の主
人公が気に食わないと邪魔ものとして立ちはだかる。
もちろん逆ハールートでもだ。とにかく働き者な悪役なのだ。
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そんな、働き者な悪役令嬢は⋮⋮
主人公がジオルド王子を攻略成功し、ハッピーエンドを迎えるとー
主人公に犯罪まがいな嫌がらせをしていた経緯から犯罪者となり、
身分はく奪の上、国外へ追放となる。
その後、主人公はめでたくジオルド王子と婚約となる。
主人公がジオルド王子を攻略失敗しバッドエンドを迎えるとー
嫉妬から主人公をナイフで襲おうとし、逆にジオルド王子に返りう
ちにあい命を落とす。
主人公を守るためとはいえ婚約者の公爵令嬢を手にかけてしまった
ジオルド王子は⋮⋮
主人公と別れ国外へと旅立つ。
ちなみに、逆ハーエンドと義理の弟であるキースのエンドでもだい
たい、死ぬか追放となる⋮
⋮⋮あれ?おかしいなこれ?ハッピーで追放、バッドで死ぬって⋮⋮
⋮⋮カタリナ・クラエスにハッピーなエンドなくない!?バッドオ
ンリーなんですけど!?
こうして思い出した限りの情報を紙に書き写すと私は事実確認に奔
走した。
紙を片手に父母や執事さんから貴族情報を集めまくり、国の歴史や
何やらを調べるために図書館へ通いつめた。
21
髪をふりみだし、目を血走らせている様子に今度こそ医者を呼ばれ
そうになったが、そんな暇はなかったので断固拒否させていただい
た。
こうして数日駆けずり回った結果⋮⋮私は完敗するしかなかった⋮⋮
調べれば、調べるほど間違いない、確信ばかりがでてきた⋮⋮
もう認めるしかなかった⋮⋮
ここが乙女ゲーム﹃FORTUNE・LOVER﹄の世界であると
⋮⋮
★★★★★★★★★
私はついに今世のこの世界が前世で死ぬ直前までプレーしてた乙女
ゲーム﹃FORTUNE・LOVER﹄の世界であると認めること
になった。
しかし、認めたからといってカタリナ・クラエスの破滅エンドを受
け入れたわけではない。
正直、国外に追放されるのも、もちろん殺されるなんて御免被る。
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ただでさえ、前世も途中退場だったのだから、今世は寿命を全うし
て、老後には猫を膝に乗せてのんびりしたいのだ!
なので、破滅エンドを回避するために作戦会議を決行することとし
た。
議長カタリナ・クラエス。
議員カタリナ・クラエス。
書記カタリナ・クラエス。
⋮⋮とまあ要するに一人でなんとか案を考えようとしている。
なにせ、相談できる相手はいない。
むしろ、ただでさえ医者に診てもらった方がいいと怪訝な目を向け
てくる家族や召使さんたちに、﹁ここは、前世で私がやっていた乙
女ゲームの世界なんです!﹂とか言い出したら今度こそ、病院に強
制連行されかねない。
では、第1回カタリナ・クラエス破滅エンド回避のための作戦会議
を開幕します。
﹃では、何かよい案のある方はいらっしゃいますか?﹄
﹃はい﹄
﹃はい。では、カタリナ・クラエスさんどうぞ﹄
﹃まず、ジオルド王子との婚約を破棄すればよいと思います。それ
さえなければ、ジオルド王子ルートでの破滅エンドはなくなります﹄
﹃その通りですけど⋮⋮王子様の方から申し出てきた婚約で、こん
なに家族も喜んでいる状況でそんなことできると思いますか﹄
﹃⋮⋮確かに﹄
﹃では、学園に行かないというのはどうでしょう?そうすれば、主
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人公と接点をなくゲームに巻き込まれないのでは?﹄
﹃でも、魔法学園に行くのは魔力をもつ者の義務よ。カタリナはす
でに五歳で魔力を発動してしまっているから、いくら娘に甘々なお
父様に頼んでも無理だわ﹄
﹃くっ、あんな土のしょぼい魔力のせいで⋮⋮﹄
﹃それよりも、そもそも主人公を苛めなきゃいいんじゃないですか﹄
﹃確かに、そのとおりよ!﹄
﹃⋮⋮でも、ゲームじゃ、カタリナ・クラエスの取り巻きも一緒に
苛めていたし⋮⋮もし、苛めなくても首謀者にされるんじゃない﹄
﹃じゃなくても、婚約者はあの腹黒王子だし、主人公と結ばれるた
めに、邪魔になった私を貶める可能性だってあるわよ﹄
﹃そんな、じゃあ一体どうしたら⋮⋮﹄
﹃⋮⋮殺されるなんていや⋮⋮﹄
﹃⋮⋮身一つで国外追放だってその先、生きていけるかわからない
わ⋮⋮﹄
﹃とりあえず。落ち着きましょう。私によい案があります﹄
﹃よい案とは??﹄
﹃まず、万が一、ジオルド王子に殺されそうになった時のために剣
の腕を磨くのです。いざその時、剣で応戦できれば簡単にやられる
ことはありませんわ!﹄
﹃おぉ、確かに!﹄
﹃それから、もし国外追放されたときに生きていくすべが必要です
わ。なので、ここに魔力を磨くことを提案します﹄
﹃魔力を磨いてどうするのです?そもそもカタリナはしょっぼい土
魔法しか使えないのに⋮⋮﹄
﹃他国には魔力を使えるものはほとんどいません。なので、魔力を
磨きそれなりの魔法が使えれば国外に身一つで追放されたとしても、
きっと職には困らないでしょう。それにゲームのカタリナは我儘ほ
うだいで、ジオルド王子を追いかけてばっかりで成績も悪かった!
!そもそも魔力磨きなんてしてないのよ。だから、これから本気出
24
せばきっとそれなりに魔法が使えるようになるはずよ!﹄
﹃おぉ、確かに!﹄
﹃その通りですね!﹄
﹃よし、では皆さん。今後は剣の腕と魔力を磨くということでよろ
しいですかな﹄
﹃﹃﹃ はい ﹄﹄﹄
こうして、第一回カタリナ・クラエス破滅エンド回避のための作戦
会議は閉廷した。
もし、この会議に一人でもカタリナ・クラエスではない人物がいれ
ば、この会議で出た結論がまったくの頓珍漢であり、なおかつ何の
解決策にもなっていないことに突っ込みをいれられたかも知らない
が⋮⋮
残念ながらカタリナ・クラエスたちに突っ込みを入れる者はなかっ
た⋮⋮
25
破滅フラグがやってきました
会議の決定事項に従い私は翌日から剣の稽古と魔力磨きの特訓を開
始した。
剣の腕と魔力を磨きたいという私の申し出に父母はやはり怪訝な顔
をしたが、﹁自分の身を守り、魔法学園に行ってから恥ずかしくな
いように﹂と強く力説すると⋮⋮
父母は何かをあきらめたような目で承諾してくれた。
その顔は前世での両親を彷彿とさせ、なんとなく懐かしい気分にな
った。
そして虚ろな瞳のお父様にお願いし、剣術の先生と魔力についての
家庭教師を頼んだのだが⋮⋮
剣術の先生はすぐに見つかったが、魔力の指導ができる者は少なく
すぐには見つけられないという。
そのため、魔力磨きについては、とりあえず図書館にある魔力に関
する本を借りて熟読することにした。
大きな庭の片隅で私は膝の上に開いた分厚い魔力についての本の最
初のページをめくる。
﹃魔力を高めるためにはまず、己の魔力の源との対話が重要となる﹄
そもそも、剣術はともかく私の生きた前世に魔力などというものは
なかった⋮⋮
26
よって私にはこの世界の魔力というものがまったくわからないのだ。
すべて、ゼロからの手さぐり状態だ⋮⋮
己の魔力の源との対話か⋮⋮
私の魔力は土だ。そしてその魔力はとてもしょぼい。
ちなみに現在の私にできる魔法は︱
地面の土を二、三センチほどボコッと動かせる程度であり。これっ
て持っていて何か役に立つのかというものだ。
正直、ゲームのカタリナはこの﹁地面の土を二、三センチほどボコ
ッと動かせる魔法﹂しか使っていなかった。
この﹁地面の土を二、三センチほどボコッと動かせる魔法﹂⋮⋮も
う長くて面倒なので、略して﹁土ボコ﹂をもちいてゲームのカタリ
ナは主人公をつまずかせたり、つまずかせたり、つまずかせたり⋮⋮
まあ、ようは﹁土ボコ﹂には人をつまずかせることくらいしかでき
ないのだ。
本当に心底しょぼい魔法だ。
でも、このまま﹁土ボコ﹂しか使えないままでは、これからの破滅
エンドを生きぬくことはできない!
なんとしても魔力を高めなければならないのだ!
でも、魔力の源との対話ってなんだろ。
私の魔力は土だから土と対話をしろということなんだろうか⋮⋮
土と対話⋮土と対話⋮土と対話って⋮
27
⋮⋮そうだ!!
★★★★★★★★★
﹁あの、お嬢様。一体なにをされているのですか?﹂
メイドのアンがおずおずと声をかけてきた。
﹁何って、土を耕しているのよ﹂
ほっかむりを被り庭師さんに借りた作業着、着用で私は元気に答え
る。
本日より屋敷の広い庭の片隅に畑を作り始めたのだ。
﹁えーと、確か、お嬢様は魔力を高める訓練をされているとのこと
でしたが、なぜ土を耕しておられるのですか?﹂
﹁魔力を高めるために土を耕して畑を作っているのよ!﹂
﹁お嬢様、大変申し訳ありませんが、意味がわかりません﹂
怪訝な顔のアンに、笑顔で答えるとよりさらに怪訝な顔をされた。
﹁えーと、魔力の本にね。﹃魔力を高めるためにはまず、己の魔力
の源との対話が重要となる﹄と書いてあったのよ。それで、私の魔
力の源と言ったら土でしょ!だから、土と対話するのよ!そして、
土と対話といったら、畑作りでしょう!!﹂
前世の私の、母方の実家は農家をやっていたので、子供の頃の長期
28
休みはよく労働力として借り出されていた。
そして、祖母がよく言っていたのだ﹃畑をつくるということは土と
対話をすることなんだよ﹄と︱
祖母のありがたい教えを思い出し、土と対話するために私は本日よ
り畑を作成することにしたのだ。
もちろん、きちんと庭師さんに庭に畑を作ってもよいか確認をとっ
た。
鍬をかり、作業着を借り準備は万端だ。
ただ、この話をした時に庭師さんにも父母と同じような瞳で見つめ
られただけだ。
というわけで私は破滅エンドを防ぐべく、魔力の強化のため頑張っ
て畑を耕すのだ。
﹁⋮⋮魔力の源との対話が、土と対話って⋮⋮それが畑って⋮⋮何
か根本的に間違っていると思うのですけど⋮⋮﹂
なにやら、アンがまだ何かぶつぶつ言っているようだったが、私は
鍬を手に土を耕すのを再開した。
学園、入学まではあと七年。﹁土ボコ﹂だけなく、最低限、生きて
いくために金になる魔法を取得しなければならない。
こうして、私が一心不乱に鍬で土を耕していると⋮⋮
一人でぶつぶつ言っていたアンが突然、何かを思い出したように叫
んだ。
﹁⋮⋮はっ!!お嬢様こんなところで畑耕している場合じゃないの
29
ですよ!!一大事です!王子様が⋮⋮ジオルド王子がお屋敷にお見
えになられたのですよ!!﹂
﹁⋮え⋮なんで?﹂
私は思わず持っていた鍬をポロリと落とした。
﹁なんでってお嬢様、改めて婚約のごあいさつに来られるというこ
とだったではないですか!!﹂
﹁⋮⋮あら、そうでしたっけ。﹂
やばいすっかり忘れてた。 ﹁とにかくいつまでもお待たせするわけにはいきません!早く屋敷
に戻ってお支度をしましょう!﹂
﹁そ、そうね!﹂
さすがの私でもこの土まみれの作業着にほっかむりで王子様の前に
出るわけにはいかない。
あわてて屋敷に戻ろうとしたのだが⋮⋮
時はすでにおそし⋮⋮
待ちくたびれたのであろうジオルド王子が召使さんたちによって庭
にご案内されてきてしまった。
しかし、召使さんたちは目標の人物であるお嬢様を発見することが
できずに戸惑っている様子だ。
まさか、魔力磨きの訓練をしているはずのお嬢様がほっかむり被っ
30
て作業着で畑を耕しているとは考えもしていなかったのだろう。
どうしよう。ばれないうちに一度こっそり屋敷にもどって着替えて
素知らぬ顔で庭にもどるか⋮⋮
そんな風に思案をしていると⋮⋮
一番気づかれてはいけない人物と目があってしまった。
その人物は、はじめは目を大きく見開きひどく驚いた様子だったが、
次に愛らしい笑みを作ってこちらに声をかけてきた。
﹁これはカタリナ嬢、お庭で魔力磨きの訓練をされているとお聞き
して、拝見させていただこうと思ってまいったのですが、何をされ
ているのですか?﹂
そう言った、第三王子のジオルド様の顔にはそれは愛らしい笑みが
浮かんでいる。
以前の私だったら、この笑みをまあ、天使のような可愛らしさと愛
でたところだが⋮⋮このジオルド王子があの﹃FORTUNE・L
OVER﹄の腹黒ドS王子だと気が付いた今となっては、この笑み
が悪魔の微笑みに見える。
しかも、ほっかむりに作業着姿のあきらかにおかしなご令嬢を目に
して微笑みを浮かべながら﹁なにされているのですか﹂なんて尋ね
られるなんてただの愛らしい王子なわけがない。
後ろの我が家の召使さんたちに王子のお付の方々を見よ。完璧に固
まっておられるじゃないか⋮⋮
むしろ、一緒についてきたのだろう私のお父様なんて顔面真っ青で
今にも気絶しそうだ。
31
ちなみにお母様はすでに気絶されたようで、隣にいた召使さんに支
えられている。
ほっかむりの作業着姿で取り繕ってもまったく意味はないだろう。
固まっている召使さんたちに、父母はもうこの際、気にしないこと
にした。
私は完璧に開き直った。
﹁ごきげんようジオルド様、わざわざ、このような所まで足を運ん
でいただき申し訳ありません。これは魔力を磨くために私の魔力の
源である土と対話しているのです。﹂
﹁えーと、土と対話ですか?﹂
﹁はい、土と対話するためには畑作りが一番かと思いまして、こう
して畑を作るべく土を耕しておりましたの﹂
﹁⋮⋮土と対話するために、畑作りって⋮⋮﹂
私の開き直った元気な答えに、それまで微笑んでいた、ジオルド王
子はなにやら俯いてしまった。
どうも肩がプルプル震えているように見える。やばい、なにか怒り
をかうような発言だったか⋮⋮
まさか、学園に入る前にここで国外追放されてしまうのかと固唾を
のむ。
しばらくして、肩をプルプルさせていたジオルド王子が顔をあげた。
顔は笑顔だ。どうやら怒ってはいないようで一安心だ。
﹁そうでしたか、魔力磨きに畑を耕すとは斬新な訓練ですね﹂
﹁⋮⋮そうなのですか﹂
斬新なのか、魔力のことは全く分からないからなんと答えてみよう
32
もなく。あいまいに返事を返す。
すると、突然王子が私の前に歩み出てきた。
前に立ったジオルド王子はおもむろに私の前に跪くと手を差し出し
た。
﹁カタリナ嬢、本日は前回お話しさせてもらった、婚約の件で正式
なあいさつにまいりました。このような場所で不躾に申し訳ありま
せんが、私との婚約お受けしていただけますか?﹂
﹁⋮⋮え、あ、はい。﹂
ジオルド王子の流れるような動きに思わず手を差し出せば、王子は
その手に唇を押し当てた。
まるで、おとぎ話のワンシーンのようだったが⋮⋮
なにぶん、片ほうがほっかむりの作業着だったため、いまいち絵に
はならなかった。
天使のような王子様から跪かれプロポーズを受ける。きっとこれが
他の貴族のご令嬢や、記憶の戻る前のカタリナだったらもうそれは
空に舞いあがる喜びだったろうが⋮⋮
私はといえば⋮⋮
土まみれの手に口をつけられてしまった⋮⋮
というか、ここ﹁私などでは王子にふさわしくないと思います﹂と
かって断ればよかったとこじゃない。
しまった!つい、流れで﹁はい﹂とか言っちゃったよ。やばい、も
う撤回できない。どうしよう∼。
しかも、召使さんたちも王子のお付の人たちもなんか、﹁おめでと
うございます﹂みたいな雰囲気で見守ってくれちゃっているし⋮⋮
33
王子のキラキラオーラ発動で私がほっかむりで作業着なのが見えな
くなっている感じだ。
王子様恐るべし⋮⋮
しかもさっきまで倒れそうだったお父様まで拍手しているよ。ああ、
お母様はまだ気絶中ですね。
なんだか、よくわからないままこうして私は正式に第三王子ジオル
ド様の婚約者となってしまった。
とりあえず、明日からの剣と魔力の訓練をより頑張ろうと心に決め
た。
★★★★★★★★★
ジオルド・スティアートというのが、僕の名前だ。
この国の第三王子という微妙な立場に生まれた。
この国では次期王位は、現王の指名制なので国王になる可能性もあ
るわけだが⋮⋮
正直、いって次期王位とか全く興味ない。面倒なだけだとしか思え
ない。
そもそも二人の兄はどちらも優秀で互いに、よきライバルとして剣
術や学問に励んでいるので、そこで王座を決めてくれればよい。
ちなみに僕には双子の弟もいる。
双子で生まれたが、あちらは生まれた時から体が弱く、病気がちで
34
あったために母や乳母たちに過保護に育てられており、あまり一緒
に過ごすことはない。
そんな事情から第三王子とはいえ、まわりは兄たちと弟ばかりに構
い、ジオルドという存在は王宮では忘れられがちな存在だ。
剣術や学問、たいていのことは少し教えてもらえばすぐにできた。
家庭教師はおおげさにほめ称えたが、だからなんだという感じだっ
た。人の考えを読むのにもたけていたので、適当なおべっかを並べ
笑顔を作っておけばうまくことは運んだ。
兄たちのように目標もなく、ほとんどのことが何の苦も無くできて
しまう。
日々はとてもとても退屈だった。
そんな退屈を持て余していた僕だが、半年前から面倒事に巻き込ま
れることが多くなってきた。
二つ年上の兄が婚約したのだ。一番上の兄がさらにその半年前に婚
約をしていたので、それに影響されたのだろう。
まあ、婚約の一つでも二つでも勝手にしてくれという感じだった。
僕には関係ないことと思っていたが⋮⋮
﹁では次は第三王子にお相手を﹂と急にまわりの貴族たちが騒ぎ出
したのだ。
王宮では、ほぼ忘れられた存在ではあるが、だいたいのことをそつ
なくこなしてきたため、貴族の社交界での第三王子ジオルドの評判
はよい。
よって、年ごろの娘を持つ貴族たちがここぞとばかりに婚約者候補
を連ねてきたのだ。
正直、面倒でしかたなかった。
35
そんな時だったクラエス公爵から﹁はじめて城に娘を連れて来るの
で、娘に城の案内を頼みたい﹂といわれたのは︱
こういったことは最近、よくあることだった。
自分の娘を気に入ってもらえれば、あわよくば婚約者にということ
なのだろう。
クラエス公爵はかなり力をもった貴族であるために、断るわけにも
いかずとりあえず承諾し、その日を迎えた。
そうして対面したカタリナ・クラエス令嬢は︱
甘やかされて育った我儘で高慢ちきな馬鹿な令嬢だった。ベタベタ
付きまとわれ、うんざりした。
勝手に付きまとい勝手に頭を打った時も面倒なことになったと思っ
た。
どうやら額を切って何針かぬったそうで、傷も残るかもしれないと
聞いた時もそうか自業自得だなとしか思わなかった。まあ、頃合い
をみて見舞いに行って終わりだと考えていた。
だったのだが︱
﹁カタリナ・クラエス令嬢はだいぶジオルド様に熱をあげておいで
でしたから、傷が出来たのは王子のせいだから責任をとって婚約し
てくれとでも言ってくるのではないですか﹂
召使が言ったこの言葉に−
そうか、その手があったと思った。
正直、ここの所の貴族の婚約者をあてがおうという作戦にはうんざ
36
りしていた。
適当に決めてしまいたかったのだが、貴族社会のしがらみを考える
とそうもいかなかった。
貴族社会には様々な派閥がある。
王位に近い長兄と次兄にはそれぞれ派閥ができ始めている。
長兄の派閥側の貴族の令嬢と婚約すれば、ジオルド王子は長兄側な
のかと次兄側に責められるだろうし、反対のことをすれば長兄側が
黙っていないだろう。
その点、クラエス公爵は今のところ、長兄にも次兄にもついていな
い中立の立場にある。
しかも、今ならば令嬢に傷をつけてしまった責任をとるという立派
な理由がある。
第三王子は中立のクラエス公爵を味方につけ王位を狙うつもりかと
︱ありもしない腹を探られてもこの理由を盾にしていける。
あのご令嬢自体は正直うっとうしいことこの上ないが、頭はよろし
くないようだったので、適当にあしらっていけるだろう。
こうして、僕はカタリナ・クラエス公爵令嬢に傷の責任をとって婚
約を申し込むことに決めた。
そうして、体調がよくなってきたという令嬢のお見舞いに行ったの
だが⋮⋮
﹁いえいえ。ジオルド様こんなかすり傷、気になさらないで下さい。
だいたい、額の傷なんて前髪でぱぱっと隠せるのでなんの問題もご
ざいませんわ﹂
37
とあっけらかんと言い放ったカタリナ嬢に一瞬、言葉を失ってしま
った。この少女は一体何を言っているのだと。
まあ、確かに少女の言うとおり傷自体はそんなに大きなものではな
いが⋮⋮貴族の令嬢としてそれはないだろうと。
最初に出会った時にはまさに甘やかされた貴族のご令嬢そのものだ
ったのに⋮⋮熱で頭がやられたのだろうか⋮⋮
しかし、ここにきて﹁じゃあ、婚約しません﹂と計画を変えるのも
今後を考えると面倒なので⋮⋮
あきらかに話を聞いていない様子のカタリナ嬢に、なんとか婚約を
承諾させた。
それに、このカタリナ・クラエスという少女に興味もわいていた。
もう少しこの子と関わってみたいと思ったのだ。
そして、本日、改めて婚約のあいさつに行ったわけだったが⋮⋮
件のカタリナ・クラエス令嬢はなぜか、庭の片隅に農民の装いで突
っ立っていた。
何をしているのかと問えば︱
﹁これは魔力を磨くために私の魔力の源である土と対話しているの
です。土と対話するためには畑作りが一番かと思いまして、こうし
て畑を作るべく土を耕しておりましたの﹂
とても得意げに言い放った少女があまりにも可笑しくて、爆笑しそ
うになった。
笑いの発作をおさえるべく俯き、再び顔をあげれば水色の瞳がまっ
38
すぐに僕を見ていた。
僕はカタリナ嬢に歩み寄り跪いた。
﹁私との婚約お受けしていただけますか?﹂
﹁⋮⋮え、あ、はい。﹂
思わず返事してしまったという様子のカタリナ嬢は、目を白黒させ
て取り乱しており、その様子にまた笑いの発作が起こりそうになる。
茶色の髪に少し上がり気味の水色瞳を持つ同い年の少女。
僕は生まれて初めて人に強い興味を持った。
つまらない人々に囲まれて退屈で仕方なかった日々が変わる予感が
した。
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義理の弟ができました
ジオルド王子からの正式な婚約の申し込みを受けて数日後、剣の稽
古を終えた私はお父様に呼び出された。
最近は、医者を進められることもなくなってきたというのになんだ
ろう。
ちなみに剣の稽古は順調で、今日も﹁剣の勢いは本当に素晴らしい。
あとは動きがもっとどうにかなれば﹂と剣の先生に褒められたばか
りだ。
魔力の訓練の方もようやく家庭教師の先生が見つかりそうだという
ことで、実に順調だ。
この調子なら、来るべき日にジオルド王子の剣を華麗にかわし、追
放された国外では魔力でひと財産を築きあげたりできてしまうので
はないか。
私、これはもう破滅フラグ倒せちゃうよ。
上機嫌で鼻歌交じりのスキップでお父様の所へ向かった。
そして、元気よく部屋に入ると⋮⋮
そこには新たなる破滅フラグの刺客が待っていた。
★★★★★★★
﹁カタリナがジオルド王子の婚約者に決まっただろう。そうすると、
このクラエス家を継ぐ人がいなくなってしまうから、分家から養子
40
をとることにしたのだよ﹂
そういって微笑むお父様の後ろには一人の男の子がぽつんと立って
いた。
たぶん、私と同じくらいの年の男の子だ。
この壮大な屋敷にけおされているのか、ひどく所在なさそうにして
いる。
お父様が男の子を前へと促す。
﹁キースだ。今日からお前の義弟になる。カタリナ、お姉さんとし
てしっかり面倒をみてあげなさい﹂
そう言われて男の子は前へ進み出た。
﹁⋮⋮キースです。よろしくお願いします﹂
とたどたどしく不慣れな様子でお辞儀をした。
⋮⋮⋮⋮第二の破滅フラグがやってきた∼∼∼∼∼!!!
私のご機嫌気分は一気に吹っ飛んでしまった。
来るかも、いつかは来るのだろうと思っていたが、意外と速かった。
いや、速すぎるよ。まだ、あなたについては作戦とか立ててないの
に!!
キース・クラエス。カタリナ・クラエスの義理の弟にして、いわず
と知れた攻略対象の一人。
お色気担当のチャラ男だ。
41
突然の事態に茫然とする私に、お父様から﹃お前もあいさつしなさ
い﹄という視線をいただき、私もあわてて挨拶を返す。
﹁⋮⋮カ、カタリナです。よろしくお願いします﹂
私の挨拶にキース少年はもう一度ぺこり頭を下げる。
八歳のキース少年には、まだゲームの時のようなあふれ出る色気は
ない。
というか、八歳にしてあんなにお色気ムンムンだったら大変だ。
でも、まあさすが攻略対象だけあってとても可愛らしい少年だ。
亜麻色の髪は少しくせ毛なのかふんわりしており、思わずなでなで
したくなる。
青色の瞳は真ん丸でリスみたいですごく可愛い。
そもそも、前世で末っ子だった私は弟か妹が欲しかった。
小さい頃は母に何度もお願いしたが﹁もう無理﹂と冷たくあしらわ
れた覚えがある。
なので、弟ができたことはすごくうれしい。
できれば、それはそれは可愛がりたい。
しかし、彼は残念ながら主人公の攻略対象であり、私の第二の破滅
フラグなのだ。
可愛い弟ができてうれしい。しかし、この子は私の破滅フラグ⋮⋮
う∼∼、可愛がりたいのに、でも破滅が⋮⋮でも弟ができるなんて
うれしい。
﹁⋮というわけで彼をうちで養子にすることになったのだよ。カタ
42
リナ、カタリナ。聞いているかい?﹂
﹁⋮⋮は、はい!お父様、もちろんちゃんと聞いておりますわ﹂
気が付いたらお父様がなんか言っていたみたいけど⋮⋮やばい、な
んも聞いてなかった。
﹁そういうわけで、キースは遠くからの移動で疲れただろうから今
日はもう休ませる。明日からしっかり面倒をみてあげるのだよ﹂
確かによく見ると少年の顔色はあまりすぐれず、疲れているように
見えた。
少年はそのまま、お父様に促され与えられた寝室へと案内されてい
った。
その小さな背中を見送り、私は自室へと急行した。
★★★★★★★★★
自分の寝室に戻った私は、早速、前世でのゲームの記憶を書き出し
た紙を紐で結んだ︱その名も﹃前世でのゲームの記憶を書き出した
帳﹄を引っ張りだした。
前世の記憶を思い出し、ここが乙女ゲームの世界だと気づいてから、
私は思い出したゲームの情報をここに書き加えている。
私は攻略者、キース・クラエスのページを広げた。
キース・クラエス。
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彼はとにかく孤独な生い立ちの人物だ。
クラエス家の末端の分家の当主である父親と娼婦である母の元に生
まれ、三つで父方に引き取られる。しかし、母親が娼婦ということ
で家族から蔑まれ、他の兄弟たちから様々な嫌がらせをうけて育つ。
ある時、嫌がらせをうけている際に彼は始めて魔力を発動させる。
その強力な魔力で兄弟たちは怪我を負い、彼の居場所はさらになく
なった。
そんな中、その魔力の高さを聞きつけたクラエス公爵がぜひ彼を養
子にと持ちかけ、今度はクラエス公爵家の養子となる。
しかし、クラエス家でもキースが受け入れられることはなかった。
姉であるカタリナはそれまで一人でちやほやされていたところに、
突然できた義弟を嫌っていじめる。
また、クラエス公爵夫人はキースを夫の愛人の子だと誤解し、冷た
くあたる。
夫人とお嬢様が毛嫌いする養子を、召使たちも表だって庇うことが
できず、彼はほとんどを部屋にこもり孤独な時を過ごす。
そして、成長するとその孤独を埋めるかのように様々な女性と浮名
を流すようになるのだ。
そんなキースは主人公に出会い。初めは珍しい平民出の主人公にち
ょっかいを出すのだが、しだいにその包み込むような優しさに長年
の孤独を癒され、惹かれていく。
そして生まれて初めて、本当に人を好きになるのだ。
そんな、彼のルートでも働き者な悪役カタリナ・クラエスはもちろ
ん大活躍だ。
44
公爵家の者に近づき、気安く交流をはかる平民の主人公に、貴族意
識の高いカタリナは激怒しさまざまな嫌がらせを繰り広げる。
主人公がキースを攻略成功し、ハッピーエンドを迎えるとー
ジオルドの時と同じ、主人公に犯罪まがいな嫌がらせをしていた経
緯から犯罪者となり、身分はく奪の上、国外へ追放となる。その後、
キースはクラエス家を出て主人公と結ばれる。
主人公がキースを攻略失敗し、バッドエンドを迎えるとー
キースはカタリナの嫌がらせから主人公を守ることができず、主人
公に消えない深い傷を負わせてしまう。
絶望したキースはその強い魔力の力で、姉のカタリナを殺めて、姿
を消してしまう。
こうして、改めてキースについての情報に目を通すと、私は大きな
ため息をつく。
ここでもカタリナ・クラエスにハッピーエンドはない!バッドオン
リーだ!
変わったのは切られて死ぬか、魔力でやられて死ぬかだけ⋮⋮
こんだけ働いているのに破滅しかないなんて、カタリナかわいそう
すぎるでしょ。
こうして、ここにまた一つ倒さなきゃいけない破滅フラグが立ち上
がった。
45
私は再び作戦会議を決行することとした。
では、第二回カタリナ・クラエス破滅エンド回避のための作戦会議
を開幕します。
﹃では、第一回に引き続きみなさんぜひよい案をだしてください﹄
﹃はい﹄
﹃はい。では、カタリナ・クラエスさんどうぞ﹄
﹃今回の破滅エンドもジオルド王子の時とそう変わらないなら、同
じように剣の腕を磨き、魔力で生計を立てていけるようにしておけ
ばよいのではないですか?﹄
﹃しかし、今回の破滅エンドに、剣は関係ないですよ。魔力でやら
れるのですから、魔力をより磨くべきです﹄
﹃しかし、敵の魔力は強力です。分家から公爵家に引き取られるほ
どの強い魔力を持っているわけですよ。土ボコしか持たないカタリ
ナが、今から頑張っても、束になっても敵わないと思いますが⋮⋮﹄
﹃しかも、今回の敵は身内ですから、いつ何時やられるか、油断で
ない状況です﹄
﹃そんな⋮⋮じゃあどうすればよいのよ!せっかく王子の破滅エン
ドを回避できると思ったのに⋮⋮﹄
﹃⋮⋮もう、こうなったら⋮⋮いまのうちに、やるしかないわね﹄
﹃⋮⋮え!?そんなまさか!?﹄
﹃しょうがないわ、私も自分が大事だから仕方ないのよ⋮⋮﹄
﹃⋮⋮そんな⋮﹄
﹃⋮⋮自分のためにやるしかないのよ。⋮⋮せっかくできた念願の
義弟だけど、仕方ないわ!段ボール箱にいれて橋の下に捨てに行く
のよ!!﹄
﹃あぁ、そんな、ひどすぎることできないわ⋮⋮﹄
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﹃⋮⋮でも、他に方法がないわ⋮⋮﹄
﹃えーと、盛り上がっているところ申し訳ないのですが、一つ良い
ですか?﹄
﹃なんですか、カタリナ・クラエスさん。これ以上によい案があり
ますか?﹄
﹃はい。⋮⋮というか、今回の義弟キースはその孤独を癒されるこ
とで主人公と恋に落ちるわけですよね。だったら、キースを孤独に
しなければそもそも、主人公と恋に落ちないのでは?﹄
﹃﹃!?﹄﹄
﹃キースが主人公と恋に落ちなければ、カタリナも破滅エンド迎え
ることないと思うのですが﹄
﹃な、なんて賢いのでしょう!カタリナ・クラエス!あなたは天才
よ!!﹄
﹃本当よ!その通りよ!素晴らしいわ!!﹄
﹃では、キースを孤独にしない。ということでよろしいですか﹄
﹃はい、もちろん。⋮⋮しかし、孤独にしないとはいったいどうす
ればよいのでしょうか?﹄
﹃とりあえず、一人にしないように、いっぱいかまえばいいのでは
ないのですか?﹄
﹃まあ、じゃあ思う存分に義弟を可愛がればいいのね。それでは私
がやりたかったことをやればいいだけね。うれしいわ﹄
﹃では、今回の破滅フラグ回避の方法はキース・クラエスを思う存
分に可愛がるということでよろしいですかな﹄
﹃﹃﹃ はい ﹄﹄﹄
こうして、第二回カタリナ・クラエス破滅エンド回避のための作戦
会議は閉廷した。
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﹁ただ、義弟を可愛がればいいだけなんて。素晴らしすぎるわ。早
速、遊びに誘おう﹂とカタリナは浮かれ気分で眠りについた。
しかし、カタリナはすっかり忘れていた。ゲームではカタリナだけ
でなく、その母もキースにつらくあたって孤独にしていたことを⋮⋮
48
義弟と交流しました
翌日、朝食の席に出てきたキースは一晩休み、調子は戻ったとのこ
とだった。
私は食事を終えると、早速、キースを誘いに行った。
﹁今日はとってもいい天気だから、庭を案内するわ。昨日はすぐ休
んだから、よく見ていないでしょ﹂
﹁あ、はい。ありがとうございます。カタリナ様﹂
キースは了承してくれたが⋮⋮とても、他人行儀なその感じに私は
頬を膨らませる。
﹁キース、私たちは姉弟になったのだから、私のことは姉さんと呼
んでいいのよ。それから、敬語も使わなくていいのよ﹂
﹁⋮⋮でも⋮⋮それは失礼では⋮⋮﹂
とてもおどおどとするキースに
﹁もう、姉弟なんだからいいのよ!それに私、姉さんと呼ばれるの
が夢だったのよ。ぜひ、ぜひ呼んで頂戴﹂
目をギラギラさせ、鼻息荒く詰め寄ると、キースはとても驚いた顔
して︱その後ややぎこちなく。
﹁⋮⋮お願いします。姉さん﹂と言ってくれた。義弟、可愛い。幸
せだ。
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そうして、キースを引き連れ、庭にでれば、澄んだ青空のとてもい
い天気で絶好の散歩日和だ。
クラエス家の庭はさすが公爵家だけあって無駄に広い。庭には小川
に池までついている。
﹁ここの、小川には魚もいるのよ。釣りができるわよ﹂
﹁⋮⋮釣り⋮??﹂
小川を覗き込むキースにそういうときょとんとした顔をする。
﹁そうよ、釣り。やったことないの?﹂
﹁⋮うん﹂
﹁では今度、一緒にやりましょう。私、結構、得意なのよ﹂
﹁⋮⋮釣りをしたことがあるの?﹂
﹁ええ、キースにも私が教えてあげるわ﹂
私が得意げに頷くと、キースがとても驚いた顔をする。さっきから
キースはこの顔ばかりだ。
まぁ、たしかにカタリナになってからはしていないが、前世ではフ
ナやザリガニで手持ちのバケツをいっぱいにしていた。もちろん今
世でも、バケツいっぱいに釣りあげる自信がある。
川の次には私の畑に案内した。
私の畑はあれから、庭師さんや召使さんたちの手を借りてだいぶ立
派になった。
いくつか野菜の苗も植えた。
﹁ここがナスで、ここがトマトなのよ﹂と畑の作物を紹介した。
今世の野菜たちはほとんど前世のものと一緒なのだ。
﹁⋮⋮畑、姉さんが作っているの?﹂
50
﹁そうよ、最初は一人で作っていたんだけど⋮⋮やっぱり素人がひ
とりで一から畑づくりするのは大変で、今は庭師さんや召使さんに
も一緒に手伝ってもらっているの。収穫できたら、みんなで収穫パ
ーティーをして食べる約束をしているのよ。ぜひ、キースも一緒に
しましょうね﹂
そういってキースを見れば、今日はこの顔が張り付いているのでは
ないかと思う︱驚いた顔をしている。
ぽかんと口をあけている可愛いキースを見て、私は彼のゲームでの
設定を思い出す。
孤独に部屋にこもり過ごすキース。きっとここに来るまでのキース
はほとんど外で遊んだことがなかったのではないだろうか。
キースにもっといろいろなものを見せてあげたい。
﹁キース。次は私が一番お気に入りの場所に案内するわ﹂
私はそう言ってキースの腕をつかんで速足で歩き出した。
﹁ここが私の一番のお気に入りの場所なの﹂
そういって私は庭の外れにある大きな木を指す。
クラエス家の庭で一番高く大きな木は今世の私の一番のお気に入り
だ。
寄りかかって本を読んだり、木陰でお昼寝したりするのに最適なの
だ。
そして、なんといっても︱
51
﹁この木に登ってみる景色が最高なのよ﹂
そう、この木は庭一番の高さを誇るため上まで登ると、庭が一望で
きてそれは素敵な眺めを満喫できるのだ。
記憶を思い出すまでのカタリナは、木登りはしなかったようだが、
今の私は違う、そこに木があると元野猿と呼ばれた血が騒いで登り
たくなってしまうのだ。
この木のことは早々にマークし、畑仕事の合間に上まで制覇したの
だ。
﹁木を登るのですか?﹂
﹁そう、木登り。キースはしたことある?﹂
口をぽかんと開けっ放しのキースに問えば﹁したことない﹂と首を
振った。
﹁じゃあ、私が教えてあげるわ。まず、最初に私が登ってみるから
見ていてね﹂
そう言って、私は履いていた靴を脱ぎ捨て、ドレスをたくしあげる
と木に登りはじめる。
畑用の作業着より今日のドレスは少し動きにくいが、それでもスル
スルと登っていく。
前世では裏山に巨大な猿がいると噂されるほどの実力だった。ただ、
家族には恥ずかしいからもうやめて欲しいと何度も言われたが⋮⋮
スルスルと木を登る。
段々調子づいてきてスピードをあげる。
スルスルスルと登る。
52
木登りの天才と呼ばれた私だが、一つ大きな欠点があった。それは
調子に乗りすぎるということだ。
親にも教師にもよく注意された。そもそも前世の死因もそれが原因
みたいなものだ。
そして死んで生まれ変わっても⋮⋮残念ながら、私の調子に乗る癖
は治らなかった。
木の中間あたりでだいぶ調子に乗ってきた私は下にいるキースに満
面の笑みで手を振った。
ぶんぶんと調子にのって大きく振った。
その結果︱バランスを崩した私は⋮⋮それは見事に木から滑り落ち
た。
スローモーションのように落ちていく中、前世の家族の﹁このアホ
が∼﹂という突っ込みを思い出した。
ドスンと派手な音を立ててお尻から地面についたようだ。
そこそこの高さから落ちたから無傷ではすまないだろうと覚悟して
いたのだが⋮⋮
あれ?あんまり痛くないな。私ってかなり頑丈なのか。
しかも、下の土もなんかやわらかい気がする。
そうして下をみれば⋮⋮
﹁キ、キース!?﹂
可愛い義弟が私のお尻の下敷きになっているではないか!?
しかも、私のお尻に踏みつぶされたまま仰向けで倒れぐったりして
いる。
53
﹁いや∼∼!?キース死なないで∼∼せっかく可愛い義弟ができた
のに∼∼∼﹂
ぐったりしたキースを腕に抱き私は号泣した。
昨夜、橋の下に捨ててしまおうなんてひどいことを考えた罰なのか
⋮⋮まさか、このお尻で可愛い義弟を亡き者にしてしまうなんて⋮
⋮私は涙と鼻水を多量に流しながら叫んだ∼∼
﹁キース、死なないで∼∼∼﹂
﹁⋮⋮⋮あの、姉さん?﹂
﹁死なないで∼∼∼まさか、お尻で義弟を殺してしまうなんて⋮⋮
キース∼∼﹂
﹁あの、姉さん?聞いてる?﹂
﹁死なないで∼∼キース∼﹂
﹁カタリナ姉さん!!﹂
突然、大きな声で呼ばれてはっと腕に抱いていたキースを見ると、
ぱっちりと開いた青色の瞳と目があった。
﹁キース!?生きていたのね!!﹂
感激のあまりキースを強く抱きしめると、腕の中でキースがビクっ
と固まった。
﹁はっ、キースどこか痛むの??﹂
﹁少し、背中を打っただけだから大丈夫だよ﹂
そういってキースは微笑んだけれど、どうも様子が変だ。
きっと、私に気を使っているのだろう。
54
﹁キース、少しここで待っていてね。すぐに召使さんに来てもらっ
て屋敷まで運んでもらうから﹂
前世が庶民のため召使さんに付き従われるのに、なれなくてお付を
断っていたのがこんなところであだになろうとは⋮⋮
大丈夫だからとあわてる様子のキースを残して、私は屋敷へと駆け
た。
★★★★★★★★★
キースの怪我は背中を少し打ち付けただけで、幸いなことにたいし
たことはなく。
赤くなってはいるが、すぐによくなるということだった。
私は土下座せんばかりの勢いでキースに謝ったのだが、天使のよう
な義弟は﹁姉さんに怪我がなくてよかった﹂と言ってくれた。その
優しさにあやうくまた号泣するところだった。
こうしてキースに許され、お父様や召使さんたちに今後、くれぐれ
も気をつけて行動するように注意を受けこの一見は終了した。
⋮⋮と思っていたのだが⋮⋮
夕食を終えて、自室でベッドに寝転がっていると、なんとお母様か
ら呼び出された。
正直、畑での王子様との婚約からなんとなく避けられているようだ
55
ったのに、一体なんの用事だろうか。
私はとりあえず、アンに言われるままボサボサになった髪を整え、
呼ばれた部屋へと向かった。
部屋に向かいながら私はふと思い出した。
そういえば、ゲーム通りであればカタリナの母である、クラエス公
爵夫人もキースにつらくあたるのだ。
夫人はキースを夫の愛人の子だと誤解する。
確かに、キースが屋敷に連れてこられた時に召使さんたちがそのよ
うな噂をしているのを耳にした。
キースの青い瞳がお父様によく似ていると。
クラエス公爵夫人であるミリディアナと、クラエス公爵であるルイ
ジの結婚は愛し合っての結婚ではない。
それはこの貴族社会においては珍しいことではないのだが⋮⋮
今でこそ一人娘にメロメロすぎる残念な中年になりつつあるルイジ
は、昔はかなりの色男でそれはモテており、結婚を希望する女性は
星の数ほどいたとか。
ミリディアナはクラエス家と同等の身分あるアデス公爵家の次女だ
ったが、つりあがった瞳のきつめ容姿にくわえ人見知りで、なかな
か縁談が決まらなかったとのこと。
そんなミリディアナをアデス公爵に世話になっていたということで、
ルイジが引き取ったというのが二人の結婚のいきさつとされている。
仮面夫婦というほど仲が悪いわけではないが、二人の間がなんとな
56
くよそよそしいのは娘のカタリナも感じていた。だからこそ、父と
よく似た青い瞳のキース少年をみて、屋敷では旦那様の愛人の子で
はないかとささやかれたのだ。
まあ、そんな噂も今日の午後からは、﹁お嬢様がまたやらかした﹂
という噂に払拭されつつあるが⋮⋮
そんな噂が流れ、ゲームの情報をもつ私はキースが父の隠し子でな
いことは知っているのだが、母はそうはいかないだろう。
キースのためにも、母のためにもキースが愛人の子ではないことを
わかってもらわなくてはいけない。
こうして、いろいろ考えているうちに呼びだされた部屋に着いた。
部屋に入るとなぜかお父様とキースもいた。
え、何、何事だ?!まったく状況が分からずにおろおろして、お父
様を見るが、自分もまったくわからないのだという様子で返される。
キースももちろん状況がわからないといった様子で、無駄に広い部
屋のなかで所在なさげにしている。
そんな、なんともいえない雰囲気の中、呼び出しの張本人であるお
母様が口を開いた。
﹁旦那様、カタリナ、キースさん、大切なお話があります﹂
お母様は私にそっくりな顔に沈痛な表情を浮かべていた。
﹁一体、突然どうしたんだいミリディアナ﹂
57
お母様の沈痛な雰囲気にお父様も固い表情をつくっていた。
そんな、お父様の瞳をしっかり見つめ、お母様は深く頭を下げた。
﹁どうか私と離縁して幸せになってください﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
この突然の発言にお父様はもちろん私にキース、部屋に控えていた
召使さんたちも絶句した。
固まっている私たちを前にお母様は︱
﹁いきおくれになりそうだった私を引き取っていただいたにも関わ
らず、ひとり産んだ娘はこんな子になってしまい⋮⋮あまつさえ、
あなたの大事な息子であるキースさんに怪我までさせる始末⋮⋮私
は申し訳なくてしかたありません。私はこのどうしようもない娘を
連れて実家に帰ります。旦那様はどうかキースさんとその母親と幸
せになってください﹂
そういってお母様は目にいっぱいの涙を浮かべた。
つまりは、お母様はお父様に自分と離縁して、キースの母親である
愛人さんと結婚して幸せになってくれと言いたいようだ。まあ、実
際にはそんな愛人さんはいないわけだが⋮⋮
それにしてもお母様ったら本人前にして﹁どうしようもない娘﹂っ
て⋮⋮
まあ、前世の親にもよく言われたけど⋮⋮
部屋の中はまるで吹雪が吹き荒れているような、なんとも言えぬ雰
囲気になっていた。
そんな、雰囲気の中、果敢にもお父様が口を開いた。
58
﹁なにを言っているんだ。ミリディアナ。そもそもキースはともか
く、その母親とは一体、誰のことだい﹂
﹁お隠しにならなくても、キースさんが旦那様と愛人の方のお子様
なのはすでに知っております。義理で、引き取っていただいた妻は、
このどうしようもない娘を連れてすぐに消えますので、どうか旦那
様は愛する方と幸せになってください⋮⋮そういうことだからカタ
リナ、すぐに支度をしなさい﹂
そう言って涙をボロボロこぼすお母様はもう今すぐにでも屋敷を飛
び出しそうな雰囲気を醸し出していた。
しかも、もれなく﹁どうしようもない娘﹂も回収していくつもりだ。
確かに、お母様はキースを愛人の子だと思っているようだったが⋮⋮
まさか、こんなに追い詰められていたとは⋮⋮
そして、私が﹁木から落ちてキースを下敷きにした事件﹂によって
長年、お母様の中にたまっていた何かが爆発したようだ。
まさかのこのまま離縁になるのか⋮⋮と部屋の中の誰もが固唾をの
んで見守っていると。
お父様がいつの間にか、お母様の隣に佇んでおりその肩にそっと手
を乗せていた。
そして、ひどく悲しそうな顔をしている。なんだか、今にも泣きだ
しそうだ。
まあ、ありもしない浮気を疑われ、離縁してくれと迫られているの
だから当然だろうが。
﹁⋮⋮旦那様﹂
59
お母様が涙で溶けそうな目でお父様を見上げた。
﹁ミリディアナ、結婚した時から君が、私に線を引いているのは気
が付いていた。君の許可もろくに取らずに結婚を決定してしまった
私に君が心を許していないのだと思っていた﹂
﹁⋮⋮それは、旦那様には他にたくさんのお似合いのお相手がいら
っしゃったのに⋮⋮私の父であるアデス公爵に義理立てして、私を
もらってくださったのでしょう。私はそのことが申し訳なくて⋮⋮﹂
そう言って俯いたお母様をなんとお父様が強く抱きしめた。
え、何この展開?私を含む室内の人々はただ唖然と二人を見守った。
﹁ミリディアナ、君はそんな風に思っていたんだね。気が付いてあ
げられなくてごめんよ。私がきちんと気持ちを伝えないばかりに君
にはひどくつらい思いをさせてしまったね。ミリディアナ、改めて
言おう君を愛している﹂
﹁⋮⋮だ、旦那様⋮⋮﹂
﹁初めてアデス公爵に君を紹介された時、一目で恋に落ちた。アデ
ス公爵に君の縁談がまだ決まっていないと聞いた時には天にも昇る
ほどうれしくて、すぐ自分のものにしなければと強引に結婚を決め
てしまった。でも、その後、君はいつも私によそよそしくて⋮⋮強
引に結婚を勧めた私をきらっているのだと思っていた﹂
﹁⋮⋮いえ、私も一目見た時から旦那様に惹かれていました。でも、
義理で結婚しなければならなくなった私を旦那様はきらっていると
思って⋮⋮﹂
﹁ミリディアナ、私たちは互いに誤解しあっていたのだね﹂
﹁旦那様﹂
離縁の修羅場から一転して愛の劇場が始まってしまった。
60
お父様とお母様はもうお互いしか見えていない様子で、それはそれ
は甘ったるい顔で見つめあっている。
私、キース、他の巻き込まれた召使さんたちはただポカーンと立ち
尽くすしかない。
しかし、そうしている間にお父様たちの愛の劇場は発展していき⋮⋮
﹁お嬢様、お坊ちゃま。そろそろお休みの時間ですので、お部屋に
戻りましょう﹂
主に忠実な召使さんによって、外へしめだされてされてしまった。
もちろん召使さんたちも撤退、部屋ではこれからクラエス公爵夫婦
の二人きりの愛の劇場が発展していくのだろう。
しばらく、部屋の外に突っ立っていた私だったが、召使さんに促さ
れて部屋へ戻った。
戻る前に、キースに﹁いろいろお疲れ様、お休みなさい﹂と言うと、
キースもなんだか複雑な顔で﹁お休みなさい。姉さん﹂と言って部
屋に戻っていった。
うん。本当に無駄に疲れた。
そもそも、お父様はいつもこのお母様にそっくりな悪役顔な私を﹁
私の天使、世界一可愛い﹂と絶賛していたわけなので、たぶんこの
顔がさぞ美しく見えているのだろう。
お父様自身は正統派の美形なのだが⋮⋮人の好みはそれぞれだ。
でも、これでキースがお父様の愛人の子という誤解も解けたわけだ
61
し、もうお母様がキースにつらくあたることはないだろう。
とくに、何かすることなく問題が解決してしまった。
こうして、私の無駄に長い一日は今度こそ終了した。
62
義弟の魔力は強力でした
﹁カタリナ木から落ちて義弟を下敷きにする事件﹂﹁クラエス公爵
夫婦離婚の危機事件﹂から早いもので数週間立った。
事件後は穏やかな日々が続いている。
魔力の家庭教師も決まり、数日後からいよいよ魔力の訓練も本格的
にスタートだ。
義弟キースも段々と家に馴染んできたようで、私にもだいぶ懐いて
くれているようだ。
強いて問題をあげるなら、腹黒王子のジオルド様が婚約からちょい
ちょい屋敷に顔を出すようになったことだ。
私が木から落ちたことも、どこから聞きつけたのか知っていてお見
舞いだと顔を出してきた。
しかし、私はお見舞いされるような怪我などしていない。
きちんと義弟を下敷きにしたので無傷だったことを説明した。なお
かつ、元野猿の異名をもつ身として﹁こいつ木にも登れないのか﹂
と思われると悔しいので⋮⋮木から落ちたのは調子に乗って油断し
たからでいつもなら、それは上手に登れることを熱く語った。
しかし、せっかくの私の熱い語りの間、ジオルド王子は俯き肩を震
わせていたので、私の思いをちゃんと聞いてくれたのかは不明だ。
ちなみに﹁クラエス公爵夫婦離婚の危機事件﹂を乗り越えたお父様
とお母様だが、もう娘として恥ずかしくなるくらいにラブラブにな
った。
63
もう、ことあるごとに二人の世界を作り上げてしまう。このままだ
ともう一人弟か妹が出来そうな勢いだ。
申し訳ないが正直、はやく落ち着いて欲しいくらいだ。
そうして、ゲームではキースに冷たくあたっていたお母様だが⋮⋮
夫の愛を確かめラブラブになった今では、夫に似た美形のキースを
﹁キースはきっと大きくなったら旦那様みたいに素敵になるわ﹂と
それは溺愛するようになった。実の娘は放置気味だけど⋮⋮
まあ、私の方にはいつものごとく妻ラブのお父様が﹁カタリナはミ
リディアナに似て世界一可愛い﹂とやってくるわけだけど⋮⋮
こうして、ゲームではギスギスしていたクラエス家は、いつの間に
かすっかりラブラブ家族になっていた。
キースと一緒に剣の稽古を終えてから、畑にやってきた。
私の可愛い義弟は、可愛く優しいだけではなく剣術の才能もあるよ
うで、今日も剣の先生に褒められっぱなしだった。姉としても非常
に鼻が高い。
私はといえば、いつものように剣を振る勢いの良さを褒められた。
あとは動きのみだ。
畑の作物は順調に大きくなってきている。
﹁そういえば、姉さんはどうして畑を作っているの?﹂
だいぶ大きくなってきたきゅうりの苗を見ながら、キースが聞いて
きた。
64
﹁そういえば、キースには話していなかったわね﹂
私は魔力を磨くため、己の魔力の源である土との対話のために畑作
りをはじめたことをキースに説明した。
まあ、今では魔力磨きのためということもほぼ忘れ、ただの趣味的
なものになっているのだが。
﹁⋮⋮畑作りが魔力磨き⋮⋮⋮⋮たぶん何か間違っている気がする
⋮⋮﹂
話を聞いたキースはポカーンと口をあけ、その後なにやら一人でぶ
つぶつとつぶやいていた。
うん、なんか前にも同じような光景を見た気がするが気のせいだろ
うか。
﹁そういえば、キースには強い魔力があるのよね。どんなことがで
きるの﹂
キースは強い魔力を見込まれ、このクラエス家に養子にきたのだ。
きっと土ボコとはくらべものにならないほどの力があるのだろう。
興味津々でキースを見るとなんだか、こわばった顔をしている。
﹁キース、どうかした?﹂
﹁なんでもないよ﹂
覗き込めばキースは小さく首をふった。
﹁そうだ、私はね。これしかできないのだけど﹂
65
そういって必殺土ボコを披露すると。キースは笑顔になった。
﹁ちょっぴりだね﹂
﹁そうなの、ちょっぴりなのよ。本当はもっとドーンと土の壁を作
ったり、土の人形を操ったりしてみたいのだけど⋮⋮﹂
そういって、私がしょぼんとうなだれると。
﹁土の人形?﹂とキースが繰り返した。
﹁そうなの!土の人形を操ってみたいの!﹂
たしかゲームの中で土の魔力をもつキースが土の人形を操って、主
人公をたすける場面があったのだ。土の人形が操れれば仕事の人件
費はゼロ。きっといい商売が出来るだろう。国外に追放されたら、
土の人形でひと財産を築くのだ。
﹁すごくやってみたいのだけど、やり方がわからないのよ。そうだ
!キースならできるんじゃない﹂
だってゲームでキースが使っていた魔法なのだから。
﹁⋮⋮うん⋮でも⋮⋮﹂
﹁お願い!キース。少しでいいの!やって見せて!﹂
キースはなぜかひどく躊躇っていたが、私がどうしても、少しだけ
でいいからとしつこく頼むと。
﹁⋮⋮じゃあ、少しだけ⋮⋮﹂
66
としぶしぶ了承してくれた。
﹁やった∼ありがとう!キース﹂
やった∼∼!これで、魔力で商売ができる!!
破滅を回避できるわ∼∼!むしろ、カタリナ財閥とか作れちゃうか
も。
私は喜びのあまり小躍りした。
キースは前の家にいた時によく土で人形をつくって遊んでいたらし
い。
そして、魔力が発動してから、その魔力を土に込めることでその人
形が動かせると気が付いたらしい。
キースは庭の土で上手に十センチくらいの人形をつくった。なんと
義弟は手先も器用らしい。
そして、その人形に両手を添えるとゆっくり目を閉じる。
しばらくして、キースが目をあけるとその人形がトコトコと歩き出
した。
﹁す、すごいわ!!キース。動いているわ!人形が動いている!﹂
﹁魔力を土の人形に込めるとこうやって、僕が考えるように動かせ
るんだ﹂
興奮してキャーキャー騒ぐ私にキースが説明してくれた。
﹁サイズはみんなこのサイズなの?﹂
67
ゲームでは主人公を抱きかかえることができるくらいの大きさだっ
た気がしたのだが。
﹁魔力をもっと込めると大きくすることができるよ⋮⋮⋮見たいの
?﹂
私が期待に満ちた目でじっと見つめれば、キースが困った顔をする。
私は大きくうなずいた。
だって、十センチくらいの人形ではできることが限られてくる。こ
こはやっぱりドカンと大きい人形の方が商売の幅も広がるだろうし。
キースはそんな私にとても困ったような目を向けた。
しかし、私のそれはそれは期待に満ちた様子をみると、もう一度、
人形に両手を添えてくれた。
すると、十センチ程度だった人形がいっきに三メートル近い大きさ
に変化した。
私は思わず歓声を上げた。
﹁本当にすごいわ!キース。あなたは天才だわ!ねえ、この大きさ
でも小さいときと同じように動かせるの?﹂
とても興奮しながら私が問えば。
﹁うん、同じようにうごくよ﹂と。
﹁お願い、動かして見せて!﹂
﹁⋮⋮じゃあ、少しだけ﹂
三メートル近い土人形がドスンドスンと動き出した。
私は今世が魔法の国であることを改めて感じ、とてもとても感激し
た。
68
実は私は、自分の土ボコ以外の魔法を見たことがなかった。でも、
土ボコはしょせん土ボコでしかなく魔法と呼ぶにはしょぼすぎた。
これが、魔法⋮⋮
私の前世の世界に魔法は存在しないものだった。
でも憧れていた。もしも魔法が使えたならと思ったことも何度もあ
る。
その、魔法が目の前にある。
触れてみたい⋮⋮あの魔力で動く人形に触ってみたい。
そう思った、私は衝動的に人形へと駆け寄った。
後ろで、人形を操っているキースが何か言ったようだったが、興奮
している私の耳には届かなかった。
私は人形に近づき、そして、手を伸ばした⋮⋮
三メートルの土人形の腕が大きく動いたのはまさにその時だった。
たぶん人形の大きな腕が私の胸のあたりにあたったのだろう、その
衝撃は私が考えていたよりも、ずっと強かった⋮⋮
私の身体は高く宙を舞い、私は固い地面に頭から打ちつけられた⋮⋮
ああ、最近こんなことばっかりだな⋮⋮ついてないわ⋮⋮
徐々に薄れゆく意識の中で、キースが何度も何度も私を呼んでいた
⋮⋮
あぁ、また優しい義弟に心配をかけてしまう⋮⋮ごめんね、キース
⋮⋮
そうして私の意識は完全に途絶えた。
69
★★★★★★★
目が覚めると私は自分の部屋のベッドの上にいた。
目の前には涙と鼻水で顔がすごいことになっている中年男性︱−お
父様の顔があった。
﹁カタリナ∼∼!!目を覚ましたんだね!!﹂
そう言ってお父様が私を抱きしめる。
その激しい抱擁を受けると、なんだか頭や体がズキズキする。
それに、お父様の涙とあと鼻水が⋮⋮すごくついてくる。頼む、顔
にだけはつけないで。
鼻水まみれの顔を擦り付けてくるお父様をはがそうと格闘している
と。
﹁カタリナ、目を覚ましたと聞いたけど、具合はどう?﹂
と今度はお母様がやってきた。
﹁⋮⋮具合?﹂
﹁覚えていないの?あなたキースがつくった土人形に吹っ飛ばされ
て、頭をうって気絶したのよ﹂
﹁⋮⋮そうだった!!﹂
目覚めのお父様の鼻水がすごすぎて、なんで自分がベッドにいるの
か考えるのを忘れていた。
70
最近はキース贔屓で娘にややそっけなかったお母様もさすがに心配
そうだ。
﹁それで、具合はどうなの?医者は頭にこぶができているのと、背
中が腫れている以外はとくに問題ないと言われたのだけど﹂
﹁そういえば、少し頭が痛いかも⋮本当だ、コブになってる﹂
頭に触れるとズキと痛みがあり確かにコブが出来ていた。背中も少
しズキズキ痛んだ。
﹁まぁ。医者は数週間で自然と治るといっていたから。それまでは
安静にしているのよ。庭にも治るまで出入り禁止よ﹂
﹁えー、そんな、畑の世話もあるのに∼∼!﹂
思わず抗議の声をあげるとお母様にギロリと睨まれた。
﹁わがままをいうなら、もう今後、庭への出入り禁止にするわよ﹂
﹁⋮⋮そんな﹂
﹁治るまで、庭には行かない。大人しくする。いいわね!﹂
﹁⋮⋮はい﹂
私は蛇に睨まれた蛙のごとく縮こまった。
﹁ねえ、アン。﹂
私はそばに控えていたメイドのアンに小声で話しかけた。
﹁なんですか、お嬢様。﹂
﹁私の記憶違いじゃなければ、お母様ってもっとおとなしい感じの
人だったと思うのだけど⋮⋮﹂
﹁そうですね、奥様はどちらかといえばおとなしい感じの方でした
71
ね﹂
﹁やっぱり、そうよね。それがどうしてこんな強い感じになったの
かしら⋮⋮お父様とラブラブになって自信がついたのかしら?﹂
﹁⋮⋮お嬢様、子供が問題児だと大人しい母親のままではやってい
けないのですよ。奥様も子供のために変わらざるを得なかったので
しょう﹂
﹁子供が問題児って、何言っているのよ。キースはとてもいい子よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮本当に奥様が哀れでなりません﹂
そうして、アンとこそこそ話していて私は思い出した。
﹁そうだ!キースはどうしているの?﹂
私がそう声をあげると。それまで﹁カタリナ本当に良かった﹂と一
人鼻水をかんでいたお父様が答えた。
﹁キースは、医者にカタリナは大丈夫だと言われてから部屋にもど
したよ﹂
﹁そうなの。怪我をした時にずっと私を呼んでいたのが聞こえたわ。
心配をかけてしまったわ﹂
﹁カタリナ、そのキースのことだけれど﹂
お父様がいつもの親馬鹿な崩れた顔でなく、真剣な顔をして言った。
﹁なんですか?﹂
﹁キースはね。強力な魔力を持っているけど、まだそれをきちんと
使いこなすことができないのだよ。だから、これから魔力の家庭教
師に教えをこい、きちんと魔力をコントロールできるまでは魔力を
むやみに使わないと約束していた。はじめにキースをカタリナに合
72
わせた時にそのことを説明したよね﹂
﹁⋮⋮そんな⋮⋮﹂
そんな話聞いた覚えは⋮⋮そうだ!?はじめてキースをお父様に紹
介された時にお父様が何か話していたけど、自分のことに気を取ら
れまったく聞いてなかったのだった。
﹁お父様、すいません。私、全然お父様の話を聞いていませんでし
た﹂
﹁まあ、そんなことだと思ったのだけどね﹂
お父様には苦笑され、後ろで聞いているお母様は呆れ顔だ。
﹁これはカタリナには話していなかったのだけど⋮⋮キースは以前、
住んでいた屋敷で魔力を暴走させてしまって兄弟に怪我を負わせて
いるんだ。キースは自分の魔力の恐ろしさをよく理解していた。だ
から、キースが魔力を使ったと聞いてとても驚いたんだ。﹂
私は魔法を見せてもらった時のキースを思い出した。あの時は興奮
していてよく見えていなかったが、思い起こせば、キースはずっと
こわばった顔をしていた。魔力を使うことをすごく躊躇っていた。
﹁キースがね。﹃勝手に約束をやぶって魔力を使い、しかも姉さん
を傷つけてしまった。全部、僕が悪いから、どんな罰でもうける﹄
と言ってきたのだよ﹂
﹁そんな!?キースは悪くなんてないわ!私がキースに無理を言っ
て魔力を使わせたのよ!⋮⋮それに⋮⋮﹂
三メートルの土人形に駆け寄った私にキースは言ったのだ⋮⋮興奮
73
した私は聞き流してしまったけど⋮⋮
キースは確かに言ったのだ﹃危ない!姉さん近づいては駄目だ!﹄
と。
﹁⋮⋮それに、キースは危ないから人形に近づかないように注意し
てくれたのに⋮⋮私、魔法に興奮してまったく言うことを聞かなか
ったの。キースはまったく悪くないの。調子に乗った私が全部悪い
のよ。ごめんなさい﹂
そう言って、私はお父様にお母様に、心配をかけたアンたちに頭を
下げた。
﹁だから、もし罰を受けるのなら、私が受けますから﹂
そう言ってお父様を見上げると。
﹁きちんと話してくれてありがとう。私の可愛いカタリナ。私は君
にも、もちろんキースにも罰を与えるつもりなんてないよ。ただ、
強いて言うなら最近の君はちょっとお転婆が過ぎるから怪我が治る
まではきちんと安静にしていること。いいね﹂
そう言ってお父様は私の頭を優しくなでてくれた。
後ろではお母様が﹁ちょっとお転婆なんて可愛いものではありませ
んのに﹂と何かぶつぶつ言っていた。
﹁キースにも謝らなくちゃいけないわね﹂
﹁そうだね。でも今日はもう遅いから、明日にしなさい﹂
お父様に言われて窓の外をみれば、すっかり日は落ちて暗くなって
74
いた。
キースと庭に出たのが昼過ぎだったから、私は半日近く眠っていた
ようだ。
﹁では、明日になったら謝りに行きますわ﹂
﹁そうしなさい。それからくれぐれも安静にね﹂
お父様はそういってもう一度私の頭をなでるとお母様を引き連れ部
屋へと戻っていった。
アンに休む支度を手伝ってもらい、再びベッドに入る。
目を閉じるとキースのこわばった顔が浮かんだ。
お父様の話は聞いていなかったが、私はゲームの設定でキースがこ
の屋敷に来る前に誤って兄弟を傷つけてしまい居場所をなくしたこ
とを知っていたのに。
意識を失う前に聞いたキースが私を必死に呼ぶ声はまるで悲鳴みた
いだった⋮⋮
本当に可愛そうなことをしてしまった。
明日、朝になったらすぐに謝りにいこう。
私はそう誓って眠りについた。
しかし、その誓いは果たせなかった。
キースは部屋から出てこなくなってしまった。
75
義弟が引きこもりました
調子に乗って土人形に近づいて吹っ飛ばされた翌日。
朝一番にキースの部屋へ謝りに向かったのだが、まだ起きていない
のか何度、ノックしても返事がなかった。
まあ、寝ているのを無理に起こすのも申し訳ないので朝食の席に出
てきたらでいいかと思っていたのだが⋮⋮
キースは朝食の席にも出てこなかった。
うちに引き取られてからキースが食事の席に欠席したことはなく、
お父様もお母様もとても心配していた。
お母様に至っては﹁カタリナ、あなたが朝に部屋に行って何かしで
かしたのではないの﹂と私を疑ってくる始末だ。失礼な!まだ、何
もしていない!
それにしても、心配なので私は食事を終え、再びキースの部屋に向
かった。
朝と同じようにノックを繰り返すが、いっこうに返事がないので私
はドア越しに声をかけた。
﹁キース。私よ。カタリナよ。朝食に出てこなかったけど具合が悪
いの?﹂
すると部屋の中から、弱々しい声が帰ってきた。
﹁⋮⋮姉さん。﹂
﹁そう、私よ。キースどうしたの?お腹でも痛いの?大丈夫?﹂
﹁⋮⋮僕は何ともないです。それより姉さんの怪我は大丈夫ですか
76
?﹂
﹁ええ、平気よ。ちょっと頭にたんこぶができただけよ。それより、
キース。話があるのよ。部屋に入ってもいい?﹂
きちんとキースの顔を見て昨日のことを謝らなくては。
しかし⋮⋮
﹁すみません。それはできません﹂
かえってきた答えは、はっきりとした拒絶だった。
﹁⋮⋮な、なんで﹂
﹁⋮⋮僕はもう姉さんの傍にはいられないんです﹂
そう言ったきりキースはもう何も言わなくなってしまった。
まったく、わけがわからない。なにこれ私、キースに嫌われちゃっ
たの。
とにかく、このままではどうしようもないので部屋に乗り込もうと
ドアノブに手をかけるが、開かない。
どうやら、鍵がかけられているようだ。開けるようにキースに訴え
るも返事はない。
どうしよう。このまま、私を嫌ってキースが引きこもりになったら
⋮⋮
キース部屋に引きこもる↓孤独になる↓そのまま学園に入る↓主人
公に出会い孤独を癒される↓キース主人公と恋に落ちる↓カタリナ
が邪魔になる↓邪魔なカタリナ国外追放or魔法で始末する。
やばい!?やばすぎるよ!?このままじゃ破滅フラグ一直線だよ!!
77
そうして私が必死になって、ドアをこじ開けようと努力していると
通りかかったアンが声をかけてきた。
﹁お嬢様、一体、何をなさっておいでですか?﹂
﹁キースがカギをかけて私を中に入れてくれないのよ﹂
﹁それは、お嬢様に入ってきて欲しくないということなのでしょう﹂
アンは冷静に憐みの視線を送ってきた。
﹁うっ、たしかに、そうかもしれないけど⋮⋮でも、キースの様子
もなんだか変なのよ﹂
そんな私のあまりに必死な様子に。
﹁とりあえず、そんなに入りたければ使用人部屋に各部屋の合鍵が
ありますけど⋮⋮ってお嬢様﹂
アンが教えてくれるやいなや、私は使用人部屋へともうダッシュし
た。
しかし⋮そこで、なんとキースは合鍵をもって閉じこもっているこ
とが明らかになった。
なんて、賢いのだキースよ。
しかし、これで確定した。キースは本格的に引きこもる気だ。
やばい、やばすぎるよ∼。
78
これは、もう最終手段を使うしかない。そうして、私はある場所へ
と向かった。
目的の物を手に入れ、私は再びキースの部屋の前へと戻った。
﹁あ、お嬢様。合鍵はありましたか?⋮⋮ってお嬢様、それは一体
!?それで何をしようというのですか!?﹂
まだキースの部屋の前にいたアンが私に気が付いて声をかけてきた
が、私の手にあるものをみて驚愕の声をあげた。そんな、アンに私
は鼻息あらく返した。
﹁このドアをあけるのよ。このままキースが引きこもりになったら
一大事なのよ!﹂
﹁ドアを開けるってまさかそれでですか!?それで、どうやってド
アを開けるというんですか!?⋮⋮まさかドアを壊すつもりじゃ⋮
⋮とにかく、落ち着いてとりあえず、その手にしているものを置い
てください﹂
アンが必死になだめてくるが、私は引く気はまったくなかった。
だって、このままじゃ、折角、回避できると思った破滅エンドに向
かって一直線になってしまうのだから。
﹁キース。ドアの近くにいるようだったら離れてね﹂
私は部屋の中にむかって声をかけた。
そして︱−庭の納屋から持ってきた斧をドアに向かって叩きつけた。
79
﹁お嬢様∼∼∼!!﹂
ドアがバキバキ壊れる音とアンの絶叫が響きわたった。
ドアを破壊し、部屋に入るとキースがベッドの上で目を丸くしてこ
ちらを見ていた。
まったく状況がつかめないといった様子だ。
後ろにいたアンは﹁お嬢様が∼﹂とどうやら他の人に告げ口しに行
ったようだ。
まあ、ドアのことはとりあえず、あとで謝るとして。まずはキース
だ。
﹁⋮⋮姉さん﹂
目を丸くして口をポカーンとあけているキースに、私は近づいた。
そして⋮⋮
﹁昨日はごめんなさい!!﹂
私は膝をつき頭を床に擦り付けた。いわゆる土下座だ。やっぱり誠
心誠意で謝るにはこのくらいしなくてはいけないだろう。
﹁無理を言って、使いたくない魔力を使わせて本当にごめんなさい
!!しかも、注意も聞かないで土人形に触ろうとして⋮⋮心配かけ
てごめんなさい!!﹂
そういって必死に頭をさげていると。気が付けば、キースが私の隣
80
にしゃがんでいた。
﹁⋮⋮なんで、姉さんが謝るの⋮⋮悪いのは僕なのに⋮⋮﹂
﹁なに言っているのよ。悪いのは私よ!私がキースに無理を言った
のだから!!﹂
そう言って隣のキースをみるとキースは俯いていた。
キースがまるで絞り出すような声で言った。
﹁⋮⋮姉さんは僕が怖くないの?﹂
﹁怖いって?﹂
一体どういう意味だろう。まあ、キースがこのまま引きこもって、
主人公と恋に落ちてしまうと破滅フラグがたちあがり非常に怖いが
⋮⋮
それとも、何か、すでに嫌いになったから早々に私を始末したいと
か⋮⋮破滅がはやまった!?
﹁⋮⋮僕は前の家で、魔力で兄弟を傷つけた。そして、今回は姉さ
んを傷つけてしまった。僕の魔力は強いけど、僕はその魔力をちゃ
んとコントロールできないんだ﹂
私はキースの言葉に固唾を飲む。
⋮⋮だから、無理に魔力を使わせてしまった私が嫌になったのか⋮⋮
くるのか破滅?くるのか?どうなんだ?
﹁⋮⋮強力な魔力を持っているのにそれをコントロールできずに人
を傷つけてしまう。⋮⋮姉さんはこんな僕が怖くはないの?﹂
﹁⋮⋮はへぇ?﹂
81
思わず、すっとんきょうな声をだしてしまった⋮⋮
どうやら、破滅フラグじゃないようだ。
﹁⋮⋮なんだ、そんなことか∼∼﹂
安心して、ためていた息を吐き出すと、俯いていたキースがはじか
れたように顔をあげた。
きれいな青色の瞳と目があった。
﹁魔力がコントロールできないなら、これからできるように頑張れ
ばいいじゃない﹂
現にゲームの中のキースはその強力な魔力をちゃんと操っていた。
いまのキースはまだ八歳だ。これから、訓練すれば学園に入る前に
はきっとちゃんと魔力をコントロールできるようになるだろう。
﹁もうすぐに、魔力の家庭教師の先生がくるのだから、私と一緒に
魔力の訓練をしていきましょう﹂
私はすっかり安心しきった腑抜けた笑顔で言った。
すると、ずっと黙っていたキースが声をだした。
﹁⋮⋮姉さんは僕と一緒にいてくれるの?﹂
﹁もちろん!これからもずっと一緒よ、それともキースは私が嫌い
?﹂
キースは大きく首をふった。どうやら、まだ嫌われてはいないよう
だ。
本当によかった。
82
﹁だから、今後は間違っても一人で部屋に引きこもったりしてはだ
め⋮⋮ってキースどうしたの!?﹂
ほっとして、目の前のキースをみれば⋮⋮なんときれいな青い瞳か
らぽろぽろと涙を流しているではないか。
﹁キース!?どうしたの!?どこかいたいの?﹂
突然、泣き出してしまったキースに私は慌てふためいた。
さっきまでは普通に話していたのに!?私、何かしてしまった!?
小さな背中を必死にさするもキースの涙は引きそうにない。
そうして、キースは泣き続け、私は横でどうしていいかわからずあ
たふたしていると。
﹁⋮⋮カタリナ、あなた一体、何をしているの?﹂
部屋の入り口から、まるで地を這うような低音ボイスが響きわたっ
た。
振り返ってみれば、まるで般若のような顔をしたお母様が立ってい
た。
﹁カタリナ、怪我が治るまでは安静にしていると約束した翌日から
⋮⋮この部屋のドアの惨状はなにかしら⋮⋮しかも、義弟をこんな
に泣かして⋮⋮あなたは一体何を考えているのかしら﹂
﹁あ、あのお母様⋮⋮これは、その⋮⋮﹂
私の体からスッと血の気が引いていく。まるでライオンの檻に入れ
83
られている気分だ。
﹁カタリナ。とりあえず、私の部屋にきなさい﹂
﹁⋮⋮ひっ﹂
﹁キース、怖かったわね。これは連れて行くからもう大丈夫よ﹂
私の襟をつかんで引っ張りつつ、お母様は娘に向けるのとは真逆の
優しい目をキースにむける。
﹁⋮⋮おか、あさま、ちが⋮﹂
キースが顔をあげて何か言おうとしたけど、泣きすぎてうまくしゃ
べれないようだった。
気が付けば、部屋の前にはたくさんの召使さんたちが立っていた。
しかし、こんな時に限って娘贔屓のお父様がいない。こうして、私
の味方はなくお母様の部屋へと強制的に連行された。
その後、数時間にわたり鬼のような形相のお母様によるきついお説
教がおこなわれた。
お母様からようやく解放され、疲れはてぐったりして部屋に戻れば、
アンがお茶を入れてくれた。
優しさが心にしみた。告げ口の件は水に流そう。
お茶を飲んで、一息つく。
そういえばキースはあんなに泣いていたけど大丈夫だったのだろう
か。
アンにキースは大丈夫だったか尋ねると。
84
﹁しばらくしたら、落ち着かれていたようです﹂
﹁そう、よかったわ。でも、キースったら突然、泣き出してしまっ
て一体どうしたのかしら?﹂
﹁⋮⋮お嬢様、お嬢様は鍵をかけていたドアを突然に壊され、斧を
手にした人物が部屋に侵入してきたらどう思われますか﹂
﹁⋮⋮うっ、それは⋮⋮﹂
﹁私なら、恐怖で泣き叫びます﹂
﹁⋮⋮⋮後で、キースに謝りにいくわ﹂
﹁そうですね。⋮⋮まあ、また怯えて泣かれてしまうかもしれませ
んが﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
アンの冷静な突っ込みに私は意気消沈する。
確かに少し冷静になってみると斧でドアを壊したのはやりすぎた。
破滅フラグの予感にあわてすぎた。まず、はじめに鍵穴に針金を突
っ込むところからやっていればよかった。
でも、もうやってしまったことは取り消せないので、とりあえずよ
り怯えられているかもしれないキースの所へ関係の回復に向かうこ
とにした。
しかし、そんな私の予想を裏切り、キースは笑顔で迎えてくれた。
それどころか﹁姉さんは何も悪くないよ。これからも僕と一緒にい
てね﹂なんて最高に可愛いことを言ってくれた。しかも、お母様に
私の弁明もしてくれたらしく、私は夕食抜きを逃れることができた。
私の義弟は可愛いだけじゃなくとても優しい。本当に最高の義弟だ。
こうして、﹃キース引きこもりになる事件はかも!?事件﹄は無事
85
に幕を閉じた。
今後も、キースが孤独にならないようにしっかり可愛がらなくては!
しかし、今回の件でお母様が自ら、私にマナーの訓練を行ってくだ
さることになってしまった。
こうして破滅フラグこそ回避したが、鬼のようなお母様とマナーの
お勉強という別の試練が立ってしまった。
86
キース・クラエスになって
八歳の春、僕の名前はキース・クラエスになった。
名前が変わるのはこれで二度目だ。といっても一度目の時は小さす
ぎてよく覚えていないのだけど。
ただ、三つになるまでは狭い部屋で静かにするように言い聞かされ、
部屋の隅でずっとじっとしていた気がする。
そしてある日、見たことのない男の人に立派な馬車に乗せられてき
れいな屋敷へと連れていかれた。
そこで、僕は父親だという人と義理の母親、兄弟たちに会った。
皆、ひどく冷たい目で僕を見ていて幼いながらも、歓迎されていな
いことがわかった。
のちに召使の人たちの噂話で、僕は父が娼婦の母から押し付けられ
た子供だということがわかった。
新しくできた家族を父、母と呼ぶことは許されなかった。兄弟たち
も同じで様付けをし、敬語で接する様に言われた。最初はうまく敬
語が使えず、何度も罰をうけた。
食事も家族と同じ食事の席にはつかせてもらえずに一人、部屋で食
べた。
父と義母はただ僕をいないものとするだけだったので大きな害はな
かったが⋮⋮
兄弟たちは僕を見つけると執拗に嫌がらせを繰り返した。
殴られたり、蹴られたりすることもしょっちゅうで、時には納屋に
閉じ込められて一日放置されたこともあった。
87
そのため、僕は極力、兄弟たちの目に留まらないように部屋にこも
ってじっとして過ごした。
しかし、それは起こってしまった。
天気がとてもいい日だった。部屋の窓から見える木に小鳥が巣を作
っていた。
一生懸命に巣を作る愛らしい小鳥の姿を見ているうちに無性に近く
で見てみたくなった。
そっと、部屋を出て木のそばまで行った時だった。
同じように外に出ていた兄弟たちに見つかった。
兄弟たちは僕を取り囲むと﹁娼婦の子が﹂と罵り、殴ったり、蹴っ
たりを繰り返した。
僕は体を丸めていつものようにじっと我慢して、時が過ぎるのを待
った。
その時だった。兄弟の一人が木の上の小鳥に気がついた。﹁おい。
鳥がいるぞ﹂﹁本当だ。巣なんか作ってるぞ。落としてやろうぜ!﹂
そう言って兄弟たちは小鳥に向かって石を投げはじめた。
小鳥たちが一生懸命に作っていた巣に石があたり壊れていく。小鳥
にも石があたり小鳥が悲鳴のような声を上げた。
﹁⋮⋮やめて!!﹂
僕は叫んだ。そして、僕の体から何か熱いものが湧き出た。
その時だ。空から何か大きなものがいくつも降ってきた。
そして、気づいた時には、目の前に兄弟たちが足や腕を抑え込み倒
れていた。そして辺りには拳くらいの土の塊がいくつも散乱してい
た。空から降ってきたのはこの土の塊だったようだ。
だいぶ、固い土の塊らしく落ちた地面がへこんでいた。どうやら、
88
兄弟たちはこの土の塊にあたって怪我をしたようだった。
これは一体なんなんだ。僕は茫然と立ち尽した。
その後、兄弟たちは様子を見に来た召使の人たちによって部屋に運
ばれ、医者が呼ばれた。
兄弟たちは身体じゅうに打ち身をおい、ひどいものは骨が折れてし
まっていたらしい。
そして、その怪我を負わせた土の塊は僕が魔力を発動させ、使った
魔法だとわかった。
この日から、元々、居場所のなかった家にさらに居場所がなくなっ
た。
必要時以外、部屋から出ることは禁じられた。
兄弟たちは僕に近づいてこなくなった。僕の姿をみれば﹁化け物だ﹂
と叫び恐怖の表情を浮かべ、逃げていく。
兄弟たちだけでない、父、義母、召使の人たちも僕を避けるように
なっていた。そして、兄弟たちほど露骨ではないがやはり僕を見る
目には恐怖が浮かんでいた。
僕は部屋に籠り息を殺し日々を過ごした。
そんな、日々を何年か過ごした頃だった。
また見知らぬ男の人がやってきて、僕に言った。
﹁あなたはその強力な魔力を見込まれ、クラエス公爵家の養子にな
89
ることが決まりました﹂
こうして、僕はまた馬車に乗せられ新たな家へと運ばれた。
五年間住んでいた屋敷だったが、僕を見送る者は誰もいなかった。
到着したのは今まで住んでいた屋敷とは、けた違いに大きくて豪華
なお屋敷だった。
飾られている壺から敷かれている絨毯にいたるまですべてが高そう
でひどく気後れした。
僕の新しい義父となったのは、この屋敷の当主でクラエス公爵とい
う人だった。
﹁やあ、君がキースかい?ようこそクラエス家へ﹂
そう言って笑顔を向けてきたクラエス公爵に、そんな風に迎えられ
たことのない僕はひどく戸惑ってしまった。
クラエス公爵はすぐに僕に、自分の家族を紹介してくれた。
クラエス夫人はどこかそっけなく冷たい様子だった。
そして、クラエス公爵のひとり娘、カタリナ・クラエス。
前の家で兄弟に日々、嫌がらせを受けていたため、正直、僕は兄弟
という存在が怖かった。新しくできた姉にもできれば関わりたくな
かった。
カタリナ家に到着した日は軽く挨拶してすぐに部屋で休ませてもら
った。
90
前の家から突然に連れてこられ、ひどく疲れていたため、慣れない
大きなベッドでも、その夜は深く眠ることができた。
翌朝、クラエス公爵、その家族たちと朝食を囲んだ。
はじめて、誰かと一緒に食事を食べた。いままで食べたどんな食事
よりおいしく感じた。
なんだか、胸が暖かくなったような不思議な気持ちで部屋に戻ると。
なんと、カタリナが訪ねてきた。できれば、関わらずに過ごしたい
と思っていたのに⋮⋮まさかあちらの方から来るとは思わなかった。
﹁庭を案内するわ﹂と言ってきたカタリナに﹁ありがとうございま
す。カタリナ様﹂とお礼を言うとすごく膨れられた。
﹁もう、姉弟なのだから敬語はやめて、姉さんと呼んで﹂と言われ、
ひどく驚いた。
いままでの家では敬語はもちろん兄弟たちを兄、弟と呼ぶことなど
許されることではなかったから。
それでも﹁姉さんと呼ばれるのが夢だったのよ。ぜひ、ぜひ呼んで﹂
と請われなんとか﹁お願いします。姉さん﹂と言うと。カタリナは、
それはそれは嬉しそうに笑った。
それから、二人で庭に出た。天気の良い庭をカタリナは楽しそうに
案内してくれる。
しばらく、カタリナと話していて気づいた。
このカタリナ・クラエスという少女は貴族の令嬢としてはちょっと
91
変わっているのかもしれないと。
﹁釣りは得意なの。今度一緒にしよう﹂と僕を誘い、熱心に自作の
畑を説明してくれた。
僕はほとんど部屋に籠って過ごしていたから、釣りをしたことも畑
を作ったこともないが、でも他の兄弟たちもそんなことをしている
様子はなかった。
きっと他の貴族の子供たちもあまりそんなことはしていないと思う。
カタリナに驚かされながら、そんなことを考えていると。
﹁私が一番お気に入りの場所に案内するわ﹂
と言ってカタリナは僕の腕をつかんで速足で歩き出した。
そうして、連れて行かれたのは庭で一番高く大きな木だった。
﹁この木に登ってみる景色が最高なのよ﹂
とキラキラした瞳でカタリナは言った。そして、僕に木を登ったこ
とはあるかと聞いてきた。
僕がしたことがないと言えば。
﹁じゃあ、私が教えてあげるわ。まず、最初に私が登ってみるから
見ていてね﹂
そう言って、カタリナは履いていた靴を脱ぎ捨て、ドレスをたくし
あげると木に登りはじめる。
僕はスルスルと木を登るカタリナを茫然と見上げた。
92
ドレスのまま木を登るカタリナを下から見上げると、ドレスの中が
見えそうでいたたまれない。
カタリナはそんなこと気にしないのか、それとも気が付いていない
のか、お構いなしにスルスル木を登っていく。
そうして、真ん中くらいまで登った時。カタリナが僕に向かって笑
顔で大きく手を振った。
その時だった。カタリナの体がぐらっと揺れた。危ない!僕はとっ
さにカタリナの下にまわった。
しばらくしてドスンと派手な音を立ててカタリナが僕の上に落ちて
きた。
衝撃が走り一瞬、意識が遠のいた。
しばらくして、意識が戻り目を開けると。
僕はカタリナの腕の中にいた。
﹁キース、死なないで∼∼∼﹂
と号泣するカタリナに何度か声をかけると⋮⋮やっと僕が大丈夫な
ことに気が付いたようで。
﹁キース!?生きていたのね!!﹂
と強く抱きしめられた。
思わず僕は固まってしまった。物心ついてから誰かに抱きしめられ
たのは初めてだった。
93
﹁はっ、キースどこか痛むの?﹂
固まった僕をカタリナがとても心配そうに見つめてきた。
こんな風に心配されたことも初めてだ。
僕はひどく戸惑ってしまう。正直、特に痛むところもないのだが、
こんな風に心配されたことがなく、どうするべきなのかまったくわ
からないのだ。
カタリナは僕がそうして戸惑っている様子を、怪我をして動けない
と誤解したようだ。
﹁キース、少しここで待っていてね。すぐに召使さんに来てもらっ
て屋敷まで運んでもらうから﹂
そう言って、カタリナは裸足のままドレスをたくし上げ、屋敷へと
すごいスピードで走りだした。
その背中を見送っていると、今朝の食事の時と同じで、なんだか、
胸が暖かくなるような不思議な気持ちになった。
その日の夜にクラエス夫人がクラエス公爵に突然に離縁を切り出し
て大騒ぎになったが、誤解が解け仲直りされた。
その後は、はじめは誤解からそっけなかったクラエス夫人も優しく
なり色々してくれるようになった。
もちろんクラエス公爵もとてもよくしてくれる。
94
そして、義姉のカタリナは僕に色んなことを教えてくれた。
はじめて釣りをした。﹁お母様には内緒だからね﹂と木登りも教え
てくれた。
剣の稽古で僕が先生に褒められれば、まるで自分のことのように喜
んでくれた。
毎日が新鮮で、楽しくて、幸せで⋮⋮だから、忘れてしまっていた
んだ。
僕が強力な魔力を暴走させる化け物だってことを⋮⋮
その日は剣の稽古を終え、カタリナと畑にやってきた。
順調に育っている作物にカタリナは終始ご機嫌だった。
畑の話から、魔力の話になった時にカタリナが言った。
﹁土の人形を操ってみたいの!﹂
土の人形︱土で作った人形に魔力を込めることで自在に動かすこと
ができる魔法だ。
僕はこの魔法が使えた。
使えるようになったのは偶然だ。部屋にこもり土をこねて人形を作
っていた時にできるようになった。
前の家で人とほとんど接することのなかった僕はこの土の人形を並
べて、一緒に食事を食べたりしていた。
使える魔法だったが、僕はクラエス公爵と約束をしていた。
僕は強力な魔力を持っているが、それをまだきちんとコントロール
95
することができない。
以前の家で兄弟たちを傷つけてしまったこともあり、魔力の教えを
請い、きちんとその魔力をコントロールできるまでは魔力をむやみ
に使わないと。
しかし、カタリナに請われ期待に満ちた目で見つめられ、少しだけ
と魔力を使ってしまった。
動き出した土の人形を見てカタリナがあんまりに喜ぶので、請われ
るまま人形を大きくした。
そして、大きくし過ぎた土の人形は思ったように動かせなくなって
いた。
喜んで、大きな土の人形に近づいたカタリナは⋮⋮制御しきれなく
なった人形の腕によって吹っ飛ばされた。
カタリナの小さな身体が宙をまった。
今度は受け止めることもできなくて、カタリナの身体は固い地面に
頭から叩きつけられた。
召使の人たちによって寝室に運ばれたカタリナは医者に診察を受け、
頭をうって気絶しただけで、大きな怪我はないようだと診断された。
カタリナを心配そうに見守るクラエス公爵に僕は言った。
﹁勝手に約束をやぶって魔力を使いました。しかもその魔力で姉さ
んを傷つけてしまいました。全部、僕が悪いんです。どんな罰でも
受けます。本当にすみませんでした。このまま追い出してくださっ
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てもかまいません﹂
クラエス公爵はそんな僕を優しい目で見つめた。
﹁今回のことは、カタリナが目を覚ましたらカタリナからも話を聞
かないといけないから。この話はまたカタリナが目を覚ましてから
にしよう。キース、君もひどい顔色だよ。今にも倒れそうだ。カタ
リナはもう大丈夫だから、君も部屋で休みなさい﹂
そう言ってクラエス公爵は僕を部屋へと促した。
その夜、カタリナが無事に目を覚ましたと聞いて心からほっとした。
すぐに、会いに行きたかったけど⋮⋮できなかった。
怖かったのだ⋮⋮
次の日の朝を迎えても僕は部屋から出ることはできなかった。
この家にきてはじめて朝食の席を欠席した。
朝食の時間が終わった頃だった。
﹁キース。私よ。カタリナよ。朝食に出てこなかったけど具合が悪
いの?﹂
カタリナが僕の部屋の前にやってきたのだ。
﹁⋮⋮姉さん﹂
思わず声をあげれば。
97
﹁そう、私よ。キースどうしたの?お腹でも痛いの?大丈夫?﹂
僕のせいで自分の方がよっぽどひどい怪我をしたのに、カタリナは
心配そうに聞いてきた。
﹁⋮⋮僕は何ともないです。それより姉さんの怪我は大丈夫ですか
?﹂
﹁ええ、平気よ。ちょっと頭にたんこぶができただけよ。それより、
キース。話があるのよ。部屋に入ってもいい?﹂
元気そうなカタリナの様子に安心した。
本当なら、すぐにその顔が見たい⋮⋮でも⋮⋮
﹁すみません。それはできません﹂
﹁⋮⋮な、なんで﹂
﹁⋮⋮僕はもう姉さんの傍にはいられないんです﹂
本当は今すぐにでも顔が見たい。
最後に見た、意識を失ってぐったりしたカタリナの姿が頭から離れ
ない。
元気になった姿を確認したい。
でも、僕はもうカタリナの傍にはいけない。
強力な魔力を暴走させる化け物である僕が傍にいれば、またカタリ
ナを傷つけてしまうかもしれない。
こんな僕に色々教えてくれた優しいカタリナをもう傷つけたくなか
った。
カタリナは部屋の外でたくさん話しかけてくれたけど、僕はベッド
で丸くなりじっとしていた。
98
僕はもともとこうして部屋に籠って一人で生きてきたんだ。
こうして一人でいれば誰も⋮⋮大切な人を傷つけないで生きていけ
る。
しばらくして、カタリナの声も聞こえなくなった。
何も返事も返さない薄情な僕に愛想がつきて諦めたのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると。
﹁キース。ドアの近くにいるようだったら離れてね﹂
諦めて帰ったと思ったカタリナの声が再び聞こえた。
思わず、ドアの方を見ると鍵をかけていたドアが、バキバキと音を
立てて壊れていった。
入り口には、なぜか斧を持った必死な顔のカタリナが立っていた。
茫然としている僕をしりめに、カタリナは壊れたドアから部屋の中
に入ってきた。
そして⋮⋮
﹁昨日はごめんなさい!!﹂
カタリナは僕のベッドの下に膝をつき床に擦り付けるように頭を下
げた。
﹁無理を言って、使いたくない魔力を使わせて本当にごめんなさい
!!しかも、注意も聞かないで土人形に触ろうとして⋮⋮心配かけ
てごめんなさい!!﹂
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僕はベッドからおり、カタリナの隣に膝をついた。
﹁⋮⋮なんで、姉さんが謝るの⋮⋮悪いのは僕なのに⋮⋮﹂
﹁なに言っているのよ。悪いのは私よ!私がキースに無理を言った
のだから!!﹂
なんで、この人はまだ僕の所にやってくるのだろう。なんでこんな
風に言ってくれるんだろう。
僕の魔法のせいで怖い思いをして、怪我までしたのに⋮⋮
それなのに⋮⋮
﹁⋮⋮姉さんは僕が怖くないの?﹂
﹁怖いって?﹂
﹁⋮⋮僕は前の家で、魔力で兄弟を傷つけた。そして、今回は姉さ
んを傷つけてしまった。僕の魔力は強いけど、僕はその魔力をちゃ
んとコントロールできないんだ⋮⋮強力な魔力を持っているのにそ
れをコントロールできずに人を傷つけてしまう。⋮⋮姉さんはこん
な僕が怖くはないの?﹂
自分の魔力のことも以前のことも話した。
これで、もうカタリナは僕のところに二度と寄ってこないかもしれ
ない。
僕は、怖かった。
カタリナを傷つけてしまうことが⋮⋮
そして、それ以上にカタリナに、以前の家の人々が向けてきた恐怖
に満ちた目を向けられることが⋮⋮
化け物と罵られることが⋮⋮怖くてたまらなかった。
だから、部屋に入ってきたカタリナの目をずっと見られないでいる。
100
もし、その目に恐怖が浮かんでいたら⋮⋮
僕は息を殺してカタリナの次の言葉を待った。
﹁⋮⋮なんだ、そんなことか∼∼﹂
あまりに予想外な言葉に、僕は思わず顔をあげてしまった。
カタリナの水色の瞳と目があった。
﹁魔力がコントロールできないなら、これからできるように頑張れ
ばいいじゃない。もうすぐに、魔力の家庭教師の先生がくるのだか
ら、私と一緒に魔力の訓練をしていきましょう﹂
そう言って微笑んだカタリナの瞳は、恐怖など少しも浮かんでいな
い⋮⋮とても優しい瞳だった。
﹁⋮⋮姉さんは僕と一緒にいてくれるの?﹂
﹁もちろん!これからもずっと一緒よ﹂
一人は辛くて悲しかった⋮⋮誰かに一緒にいて欲しかった。
でも、誰も一緒にいてはくれなかった。近づけば﹁娼婦の子﹂﹁化
け物﹂と罵られた。
誰も僕と一緒にはいてくれないのだ⋮⋮諦めかけていたのに⋮⋮
目の前の少女は笑顔で言ってくれた。ずっと一緒だと。
﹁だから、今後は間違っても一人で部屋に引きこもったりしてはだ
め⋮⋮ってキースどうしたの!?﹂
カタリナが驚いた声をあげ心配そうに僕の顔を覗きこんできた。
101
なんだろうと顔に手をやると⋮⋮濡れていた。
僕の目からは涙が溢れていた。
ああ、僕は泣いているのか。
以前は部屋で声を殺してよく泣いていた。
涙はいつも辛い時、寂しい時に流れてきた。泣けば泣くほど胸は痛
くなり、苦しくなった。
それなのに⋮⋮
この涙はなんだろう。泣けば、泣くほど胸に暖かさがあふれていく。
涙はうれしい時にもでることを僕は初めて知った。
カタリナがとても心配そうに僕を覗きこみ、背中をなでてくれた。
とても優しくて暖かい手。
その暖かい手を感じながら僕は強く思った。
僕はこのカタリナ・クラエスという少女と一緒にいたい。
これからもずっと許される限り一緒にいたいと。
魔力も訓練して、きちんとコントロールできるようにしよう。
そして、カタリナの傍でいつか彼女を守れるようになりたい。
102
お茶会に招待されました
季節は流れもうすぐ夏がやってくる。
私、カタリナ・クラエスは九歳となった。
誕生日プレゼントにお父様からは可愛らしいドレスを、キースから
は花束をもらった。
そして、お母様からは山のようなマナーの本を押し付けられた。
ジオルド王子は、なんだか高価そうな宝石のついたネックレスを持
ってきてくれたが⋮⋮
そんな高価なものは貰えないので、全力で受け取りを拒否させても
らった。
それでも、なにか贈らせて欲しいと言ってきた王子には、スイカの
苗をお願いした。
我が畑にフルーツが欲しいと思っていたのだ。
苗を頼むと王子はしばらく固まっていたが、翌日には立派な苗をい
くつも届けてくれた。
さっそく、畑に植えさせてもらった。
スイカが実ったあかつきには王子にもおすそわけしよう。
ちなみに娘大好きお父様は私の誕生日に盛大なパーティーをもくろ
んでいたらしいが⋮⋮
私がひどく嫌がったのと、お母様の﹁恥をさらすだけなのでやめて
ください﹂との助言により見送られた。
それでも、社交界へのデビューとなる十五歳の誕生日には公爵家の
103
面子としてパーティーを開かなくてはいけな
いらしい。
﹁それまでには何とかしないと﹂とお母様は今から意気込み、私は
ただでさえスパルタなお母様のマナー訓練がよりパワーアップする
ことを恐れている。
念願の魔力の家庭教師もきて、魔力の訓練も始まった。
魔力の先生から﹁己の魔力の源との対話は土と話をするという意味
ではありません﹂と教えられ、どうやら畑作りは魔力磨きにはなら
ないと知った。しかし、すっかり趣味となったので続けている。
魔力の訓練が始まり数か月、キースは魔力をだいぶコントロールで
きるようになった。
さすが、私の義弟だ。
私はといえば⋮⋮なんと、土ボコが二、三センチから七、八センチ
まで高く上がるようになった。
我ながら、なかなかのものだ。この分なら、キースのように土の人
形を自在に操れるようになる日も遠くないだろう。
こうして、すべてが順風満帆とは言えないが、それなりに充実した
日々を送っていたのだが⋮⋮
﹁⋮⋮はあ。どうしてかしら﹂
私は畑にしゃがみ込み大きなため息をついた。
そんな私の横には、すっかり私に懐いてくれた可愛い義弟キースと、
104
三日とあけずに通ってくる婚約者のジオルド王子が並んで立ってい
る。
﹁どうしたの?姉さん﹂
﹁どうしました?カタリナ﹂
キースとジオルド王子が聞いてくる。
そんな、二人に私は畑の一角を示す。
﹁これをみて﹂
そうして私が指した部分の野菜たちはすっかり萎れている。
もうすぐ収穫の時期を迎えるというのに⋮⋮これでは実をつけそう
にない。
﹁ここ、私が植えて世話をしている所なの﹂
私はしょぼんとうなだれた。
⋮⋮どうして私が植えて世話をした所だけ⋮⋮
前世の私はあまり植物の世話が得意でなかった。
朝顔の鉢から、クラスのみんなでつくったヘチマまで、私が世話し
た植物はだいたいが枯れてしまった。
だが、私は生まれ変わったのだ。きっと今度はうまく育てられるは
ず!
⋮⋮と思っていたのに。
私は萎れた野菜たちをせつない目で見つめた。
105
﹁姉さん、ずっと作業で疲れたんじゃない。ちょっと、こっちで休
憩しようよ﹂
﹁そうですよ。カタリナ、こちらで少し休まれたほうがいいですよ﹂
うなだれる私にキースとジオルド王子が声をかけ、それぞれ手を差
し出してくれる。
二人はお互いの手を私の方に差し出したまま見つめあった。
﹁ジオルド様、姉さんは僕が連れていきますから。それにこう毎回、
出向いてきていただかなくても結構ですよ﹂
﹁カタリナは婚約者である僕が連れて行くよ。キース、お前こそ毎
回、カタリナにべったりついてこなくてもよいのだよ﹂
ゲームでは、ほとんど接点のなかったはずの二人だが、今ではすっ
かり仲良しのようだ。
笑顔で見つめあい、おしゃべりしている様子はとても楽しそうだ。
そんな、二人を横目に私はもう一度、萎れた苗たちを見つめ大きな
ため息をついた。
★★★★★★★★★★★
﹁カタリナ、お茶会の招待状が届いているのだけど、行ってみるか
い?﹂
﹁⋮おちゃかい?﹂
私はパンを口いっぱいにほおばりながらお父様に聞き返す。
106
そして、お母様にギロリと睨まれ、あわててパンを飲み込んだ。
﹁そうだよ、お茶会。九歳になったことだし、そろそろ行ってみて
もいいんじゃないかい﹂
こちらでのお茶会は、九、十歳くらいから参加して十五歳の社交界
デビューに備えるのが一般的とされ
ている。同年代の貴族の子息、令嬢で集まり交流を図るのが目的だ。
﹁そうで⋮⋮﹂
﹁無理です!旦那様、カタリナはこの通りまったくマナーがなって
いないのですから!﹂
私の返事をお母様が勢いよくさえぎる。
﹁それは、まあその通りかもしれないけど⋮⋮やっぱりマナーも実
践で学んだ方が少しは身につくかもしれないよ。それに今回はうち
の親戚筋からの招待で、まったくよその家というわけではないから、
初めて参加するには調度よいと思うんだ﹂
お父様はちらりと私の顔をみて目をそらした。
ん?お父様いまその通りとか言いましたか?なんで目をそらしたの
ですか?
﹁⋮⋮確かに、実践で学べば少しは身につくかもしれませんが⋮⋮﹂
お母様が虚ろな目を私に向ける。
なんですか、その目は?
﹁そうだ、キースにもついて行ってもらったらどうだい。キースが
107
いれば安心だろう﹂
﹁⋮そうですわね。キースについて行ってもらえば少しは安心ね﹂
お父様が名案だという風に言えば、お母様もそれに同意する。
数か月で、かなりしっかりしてきた義弟の評価は姉と違ってうなぎ
のぼりだ。
﹁キース、カタリナのお茶会についていってくれないかい?﹂
﹁はい、姉さんと一緒なら喜んでいきます﹂
お父様に頼まれ、できた義弟キースは笑顔で答える。
あれ?私、姉なのに?なんかキースに付き添われないとダメな子?
色々、腑に落ちない点もあったが、こうして私はキースとともに初
めてのお茶会に参加することとなった。
★★★★★★★★★★★
お母様からみっちりマナーの訓練と、たくさんの小言を受けて、つ
いにお茶会当日を迎えた。
お父様がこの日のためにと新調してくれたドレスを着せられ、キー
スとともにお茶会の主催であるハント侯爵家にやってきた。
﹁カタリナ様、キース様。本日は我が家のお茶会へのご参加ありが
108
とうございます﹂
そう言ってカタリナとキースを迎えてくれたのはハント家の長女リ
リア・ハント令嬢だ。
蜂蜜色の髪に瞳の彼女は、年は十四歳でもうじき社交界にデビュー
される予定だという。
リリア嬢の後ろには少女が三人立っていた。おそらくリリアの妹た
ちだろう。
ハント家はリリアを含めた四姉妹だ。
リリアの妹たちは順番に挨拶をはじめた。
次女、三女がにこやかに挨拶をしてきた。二人とも蜂蜜色の髪に瞳
で姉によく似ていた。
私もお母様に暗記させられた挨拶をできるだけ優雅に返した。
そして、二人の挨拶が終わると⋮⋮後ろからオドオドした様子でも
う一人の少女が歩みでてきた。
﹁⋮⋮は、はじめまして。四女の⋮メ、メアリ・ハントです﹂
まるで消えてしまいそうな声でそう名乗った少女は、赤褐色の髪に
瞳で他の姉妹たちとはあまり似ていなかった。
しかし、大きな瞳に形のよいピンクの唇がとても可愛らしい美少女
だ。
そんな、メアリに私は先ほどと同じように暗記した挨拶を優雅に返
す。
すると、挨拶が終わるとすぐにメアリは後ろに引っ込んでしまった。
私のこの悪役顔が怖かったのかしら?
109
確かに顔はザ・悪役だけど苛めたりしないよー。
ちょっぴりせつない気持ちになりつつ、私は次の招待客の元へと去
っていくハント姉妹を見つめた。
ちなみに、今回のお茶会においては︱
お母様との約束で私は極力しゃべらずに、微笑んでいるように言わ
れている。
お菓子もバクバクほおぼって食べない。お茶も少しずつ優雅に飲む
こと。
間違ってもスカートをまくしあげたりしないこと。
などなどお母様からそれは耳にタコができるほどにきつく言われて
いる。
よって、今日の私に許されているのは、優雅に微笑んで、お茶を啜
るのみだ。
今回のお茶会は社交界のダンスパーティーを意識した立食形式だ。
ハント姉妹が去った後にも他に招待された貴族の子息、令嬢たちが
次々に挨拶にやってくるため、いっこうにお茶にありつけない。
同じように挨拶を繰り返し、気が付けば部屋の中をくるくるまわり
歩き、もうそれだけでヘトヘトになった頃にようやくお茶にありつ
くことができた。
私的にはだいぶ頑張ったので、クッキーにも少しだけ手を延ばさせ
てもらう。
あら?このクッキーおいしい。うん、もう一枚。もう一枚。
あ、こんな所にマフィンがあるわ。一つ頂こう。
110
それにしても、お菓子がいっぱい残っているわね。
どの招待客たちもおしゃべりに夢中で、用意されたお茶菓子がいっ
こうに減らないようだ。
もったいないな。⋮⋮タッパーがあったらもって帰りたい。
ハント家からタッパー借りられないかしら。
﹁姉さん﹂
﹁⋮⋮キ、キース!?﹂
突然、後ろから現れた義弟に私は思わずとびあがった。
挨拶まわりの途中ではぐれたキースがいつの間にか私の背後に立っ
ていた。
﹁びっくりした。キースも挨拶まわりは無事に済んだ?﹂
﹁うん、だいたい終わったよ。それより、ぼんやりしてどうしたの
?﹂
﹁⋮⋮えーと⋮⋮﹂
﹁まさか、余っているお菓子を家に持って帰ろうとか思ってないよ
ね﹂
﹁!?﹂
キースすごい!?なにこの子エスパーなの?すごいわ。なぜ、私の
考えていることがわかったのだ。
﹁すごいわ。よくわかったね!﹂
﹁⋮⋮よくわかったわね⋮⋮じゃないよ姉さん。そんなことしたら
クラエス家の品位を疑われるよ。それにお母様にばれたら姉さん、
またしばらくお菓子を食べさせてもらえなくなるよ﹂
﹁⋮⋮うっ。たしかに﹂
111
先日、マナー訓練の際に床に落ちたクッキーをつい三秒ルールで、
パクっと食べてしまった際に三日菓子抜きにされてしまったばかり
だ。
タッパーに入れてお菓子を持って帰ったことがバレたら、三日どこ
ろか一週間はお菓子抜きにされてしまう。
それは困る⋮⋮
残念だけど⋮⋮仕方ないわ。
そして、持って帰れないならと⋮⋮テーブルに並んだ様々なお菓子
をどんどん口に入れていく。
お母様との約束はすでに忘却の彼方である。
何度かキースに﹁姉さん、もうそのくらいにした方が﹂と止められ
たが﹁もう少しだけ﹂とパクパク食べた。
だって、こんなにいっぱい残ったらもったいないもの。それにお菓
子のおいしいこと。
あ、これもおいしい。これも、もひとつこれも⋮⋮
結果、調子に乗ってお菓子を食べすぎお腹に激しい痛みが⋮⋮
様子のおかしい私を心配してくれるキースに大丈夫だからと言い残
し、私はトイレへと小走りした。
召使さんにトイレを聞いて、﹁案内いたします﹂というのをお断り
して一人トイレへと走った。
優雅に案内なんかされていたら間に合わない。
そしてなんとか、間に合ってほっとしたはいいが⋮⋮
112
必死に走ってきたのでお茶会の部屋への帰り道がいまいちわからな
くなった。
ハント家はクラエス家ほど大きくはないが、侯爵家だけあって立派
なお屋敷である。
自力で簡単には部屋に戻れそうになかった。
召使さんか誰か、いてくれれば部屋への帰り道を聞くのだけどな⋮⋮
そうやって、ぼんやりと歩いていると。
目の前にそれはきれいな光景が飛び込んできた。
おそらく中庭と思われる空間にきれいな花たちが広がっていた。
あまりのきれいさに思わず、扉から庭へと降りた。
すると、花の中に一人の少女がぽつんと立っているのが見えた。
声をかけるべきか、迷っていると少女の方が、私に気が付き声をか
けてきた。
﹁⋮⋮カ、カタリナ様。どうしてこんな所へ?﹂
そう言って、振り返ったのは先ほど挨拶を交わしたハント家の四女
のメアリであった。
﹁⋮⋮えーと、ちょっと気分転換に﹂
まさか、お菓子を食べすぎてお腹を壊しトイレに駆け込み、しかも
帰り道がわからなくなりました。
なんて、言えるわけもないので、私は適当にごまかした。
﹁メアリ様こそどうしてこちらに?﹂
お腹壊し迷子の私はともかく、今日の主催であるハント家のご令嬢
113
がこんな所にいたらまずいだろうに。
﹁⋮⋮私は、あまり、にぎやかな所が得意でなくて⋮⋮﹂
メアリは挨拶の時のようにまた消え入りそうな声でそう言って、俯
いてしまう。
せっかく愛らしい美少女なのに、そんなに俯いてしまっては顔が隠
れてしまいもったいない。
⋮⋮それにしても、やっぱり悪役顔だから怯えられているのかしら
⋮⋮
しかし、この悪役顔で﹁意地悪しないよー﹂とか微笑めば、さらに
この可憐な美少女を怯えさせてしまう可能性が高い。
とりあえず、害意はないと知ってもらわなくては!
﹁こ、ここの庭はすごいですね。花いっぱいで本当にきれいですね﹂
とりあえず、できるだけ悪役に見えないように微笑み、話かけてみ
る。
しかし、咄嗟に口にしたそれは本心だ。
ここの庭は本当にきれいで、クラエス家の庭よりずっと素敵だ。
花々はどれも立派に咲き誇っている。
ここの庭師さんは本当に植物を育てるのが上手なのだろう。
⋮⋮そうだ!!いい考えが浮かんだ。
花をこれだけ立派に育てられる人なら、私のあの萎びた畑も復活さ
せられるかもしれない。
思い付いた私は早速、メアリに尋ねる。
114
﹁ねぇ、メアリ様、この庭を世話している庭師さんを紹介してくだ
さらない﹂
﹁⋮⋮え⋮⋮﹂
﹁これだけ立派な花々を育てることができる庭師さんにぜひ、相談
したいことがあるの﹂
困惑した様子のメアリに私はぜひ、ぜひと鼻息荒く迫った。
すると、メアリがまた消え入りそうな声で言った。
﹁⋮⋮わ、私です﹂
﹁え?﹂
﹁この庭を世話しているのは、私なんです﹂
なんですと?!メアリ自身が世話をしているですと!?
﹁メアリ様が世話をされているんですか!?この庭を全部!?﹂
﹁いえ、全部ではないのですが、ここの一角の花や植物は私が世話
をしているのです﹂
では、この一角のすばらしく咲き誇った花々はメアリの仕事なのか
⋮⋮
﹁⋮⋮すごい﹂
﹁⋮⋮え⋮⋮﹂
﹁こんな立派な庭が作れるなんてすごいわ!一体どうやったらこん
な風に全部の花を見事に咲かせることができるの!なにか裏ワザが
あるの!それとも土に秘密が!﹂
﹁⋮⋮あ、あのカタリナ様﹂
115
私は興奮のあまり思わずメアリに詰め寄っていた。
気づけば、鼻息の荒い令嬢に可憐な美少女がすっかりビビッていた。
いけない⋮興奮しすぎた。
私は一息つき、できるだけ優雅に微笑んだ。
﹁その、それでぜひ、このお庭を作られているメアリ様にご相談が
あるのですが﹂
﹁⋮相談ですか?﹂
﹁はい﹂
私はメアリに我が畑が夏の収穫を前にして萎れてきていることを相
談した。
はじめは﹁畑を作られているのですか﹂と、とても驚いていたメア
リだったが、私が語る畑の状況を真剣に聞いてくれた。
そしてその表情にそれまでのような怯えた感じがなくなり内心ほっ
とした。
そして、話を聞き終わると。
﹁⋮⋮私などでお力になれるなら、ぜひお力になりたいのですが⋮
⋮私は野菜を育てたことはありませんし、やはり、お話を聞いただ
けではなんとも言えません。お役に立てずに本当にすいません﹂
﹁では、ぜひうちにきていただけませんか?﹂
愁傷に頭を下げてきたメアリに、私はここぞとばかりに言った。
﹁あの、でも⋮⋮﹂
戸惑った様子のメアリに、私は何だったらうちから迎えを出すので
と必死に言い募る。
大事な畑の明暗がかかっているのだ。前世の朝顔やヘチマの二の舞
116
にはしたくない。
そして、必死に迫る私についにメアリは折れ、畑を実際に見にきて
もらう約束をこぎつけることに成功した。
ただ、﹁迎えは本当にいいです﹂と断られてしまったが⋮⋮
そうして、約束を取り付けご機嫌になった私は、その後メアリの案
内の元、無事にお茶会の会場に戻った。
そして、いつになっても戻らない私を心配していたキースにいった
いどこに行っていたのだと小言を貰うこととなった。
なんだか、もうすっかり姉弟の立場が逆転している。
こうして、初めてのお茶会は大きな失敗をさらすことなくなんとか
無事に終えることができた。
117
新事実が発覚しました
無事にお茶会を終えた数日後、約束通りにメアリはうちの屋敷にき
てくれた。
なんとメアリは私の畑のために、野菜についても勉強してくれてい
た。なんて優しい子だ。
話をするうちに年も同じで、さらにメアリも魔力をもつ人であると
わかりすっかり仲良くなった。
はじめはかなり怯えられていたようだったが、今では笑顔もみられ
るようになった。
そして、その後も何度も様子を見に来てくれたメアリによって我が
畑はすっかり復活した。
﹁メアリ。本当に、ありがとう。あなたのお蔭で畑もすっかり元気
になったわ﹂
私は元気を取り戻した畑を見つめながらメアリにお礼を言った。
﹁いいえ、カタリナ様が頑張られたからですわ﹂
メアリがそう言って微笑む。
愛らしい美少女の微笑みは、それはそれは眼福だ。
﹁もう、枯れてしまうかもしれないと思っていたのに⋮⋮メアリは
本当にすごいわ﹂
﹁⋮⋮そ、そんなことありませんわ﹂
118
メアリは謙遜するが彼女は本当に植物を育てるのがうまい、メアリ
の手にかかれば、枯れかけていた植物だって途端に息を吹き返すの
だ。
メアリの手は特別なのだ。そういえばこんな風に特別な手のことを
確か⋮⋮
﹁メアリの手は緑の手なんだわ﹂
﹁⋮⋮緑の手?﹂
﹁そう、緑の手。植物を育てる才能ある人の特別な手よ﹂
﹁⋮⋮特別な手⋮⋮﹂
﹁そう、メアリは植物を育てる才能にあふれた特別な手を持ってい
るのよ!﹂
私はそう言ってメアリの両手を強く握った。
メアリは握りしめられた手を見開いた目で見つめている。
﹁⋮⋮私の手が特別⋮⋮﹂
﹁ええ、緑の手をもつあなたは特別で素晴らしい存在だわ!﹂
私がそういって笑うとメアリも微笑んだ。
それは花が咲いたような愛らしい微笑みだった。
﹁カタリナ様、畑は元に戻りましたけど⋮⋮よろしかったら、また
こちらに伺ってもよろしいですか﹂
﹁もちろん、いつでも遊びにきて頂戴﹂
どこか遠慮がちに言ってきたメアリに﹁大歓迎よ﹂と告げるとそれ
は嬉しそうに笑った。
119
﹁緑の手って素敵ですね﹂
メアリを見送ると、今まで私とメアリの横で大人しくしていたキー
スがポツリといった。
﹁確か、メアリのように植物を上手に育てることができる人の手を
そういうのよね﹂
﹁そうだね。僕は﹃緑の手を持つ女の子﹄という物語を昔読んだの
だけど、姉さんもその本を読んだの?﹂
﹁う∼ん。本ではなかったと思うんだけど⋮⋮何で知ったのかは思
い出せないわ﹂
なぜだか、メアリを見ていたら突然浮かんできたのだ。
本当にどこで知ったのかしら?
﹁それにしても、メアリ様は本当に明るくなられたね﹂
﹁そうね。最初はだいぶ私に怯えていたから﹂
﹁え、姉さんに怯えていた?﹂
﹁⋮⋮ええ、きっとこの悪役顔のせいよ﹂
驚くキースに私は自嘲気味に返す。
お母様から受け継がれた悪役顔遺伝子が本当に恨めしい。
120
﹁⋮⋮悪役顔って⋮⋮そんなことないと思うけど⋮⋮。それと、メ
アリ様は姉さんにだけ怯えていたわけじゃないと思うよ。誰に対し
てもあんな感じだったんだよ﹂
﹁⋮⋮え、そうなの?﹂
﹁うん、誰にたいしてもオドオドしている感じだったよ⋮⋮きっと
家で色々あってすっかり自信を無くしてしまっていたんだろうね﹂
﹁⋮⋮家で色々って何かあったの?﹂
私が不思議に思って聞き返すとキースはあきれたというように返し
た。
﹁姉さんはハント家のお茶会で何していたの?お茶会で色々な話が
聞けただろう﹂
﹁⋮⋮うっ﹂
挨拶が終わってからはお菓子を持って帰れないかと考えるのに忙し
く。
キースに見つかってからはお菓子をどれだけ食べて帰れるかに忙し
かった。
よって、私はほとんどお茶会での話に参加していない。
まあ、だからこそボロがでなかったのだ。むしろ、そういう作戦だ
ったのよ。
うん、そういうことにしておこう。
じっと私を見つめていたキースが何かをあきらめたようにため息を
ついた。
うん、なんかごめんよ。義弟よ。
そして、キースはお茶会で聞いたと言う話を私に教えてくれた。
121
なんでも、ハント家の四姉妹は、上の三人までは母親が一緒だが、
四女のメアリだけ後妻さんの子で母親が違うのだという。前妻が病
気で亡くなられその後、すぐにメアリの母親が後妻に入ったそうだ。
だが、メアリの母親はあまり身分の高い女性ではなく、ハント侯爵
の再婚はあまり歓迎されなかったらしい。
しかも、そうして反対を押し切って再婚したメアリの母親もメアリ
が五つの時に病死したとのこと。
そうして、残されたメアリは父親にこそ大事にされてはいるが、姉
妹たちには煙たがられているらしい。
そして、メアリは日々、﹁身分の低さが滲みでている﹂﹁品がない﹂
などと姉たちに悪く言われているらしい。
﹁⋮⋮それで、メアリは最初、あんなにオドオドした感じだったの
ね﹂
確かに日々、身内に悪く言われ続ければ、自信などなくなるだろう。
自分は駄目だと思い込み、人前に出ることも怖くなるのかもしれな
い。
﹁でも、だいぶ変わったみたいだから、メアリ様はきっともう大丈
夫だよ﹂
キースがなんだか、何かわかっているような顔をして言った。
しっかりものの義弟は他にも何か知っているのだろうか。
聞いてみたけど、軽くかわされてしまった。
122
来た当初こそ私の後ろをピョコピョコついてきた義弟は、たった数
か月でなんだかすっかり大人びてしまった。
マナーも学問も魔力の訓練も必死に取り組んで、どんどん大人びて
いく義弟に﹁そんなに急いで大人になることないのに﹂と言ったら
﹁早く力をつけて守りたいんだ﹂と、とても大人びた表情で言われ
た。
正直、非常に寂しい気持ちになった。
しかも、その守りたいものとやらも教えてもらえず、お姉ちゃんは
すっかりいじけてしまった。
﹁そういえば、メアリ様はそろそろアラン王子との婚約も決まる頃
だね﹂
﹁⋮へぇーそうなの﹂
適当に相槌を打ちつつキースを見る。
もう少し可愛い義弟でいてもいいと思うのに、どんどん大人になっ
ていってしまうなんて⋮⋮
しかも、守りたいものってなんだ。もしかして、誰か好きな子でも
できたのだろうか!?
ちょっと、まずはお姉ちゃんにちゃんと紹介しなさい!変な子だっ
たら許しませ⋮⋮
⋮⋮ん?いまキースなんて言った。
﹁⋮⋮キース。いまなんて言ったの?﹂
﹁⋮⋮姉さん﹂
キースがまたあきれた顔をする。すみません。
123
﹁メアリ様はそろそろアラン王子との婚約も決まる頃だねと言った
んだよ﹂
﹁⋮⋮え?メアリが誰と婚約ですって⋮⋮﹂
﹁アラン王子だよ。ジオルド王子の双子の弟でこの国の第四王子の
アラン様﹂
﹁!?﹂
﹁メアリ様は今のところアラン王子の婚約者の有力候補なんだよ﹂
﹁⋮⋮アラン王子の婚約者?﹂
﹁まだ確定じゃなかったけど、そろそろ決まるんじゃないかな。ハ
ント家は侯爵家の中でもかなりの資産家でその地位も高いし、アラ
ン王子と年も同じでちょうどよいってことらしいけど⋮⋮って姉さ
んどこいくの?!﹂
キースの説明も半分に、私は部屋へと走り出した。
アラン王子ことアラン・スティアートは主人公の攻略対象の一人だ。
部屋に戻って早急に﹃前世でのゲームの記憶を書き出した帳﹄を確
認しなければならない。
部屋に戻るとすぐに机から﹃前世でのゲームの記憶を書き出した帳﹄
を引っ張り出し、件のアラン王子のページを広げた。
アラン・スティアート。
ジオルドの双子の弟で、国の第四王子である。
五歳をすぎるまで、かなり病弱で生死をさまよったこともある。
そのため、まわりから過保護に育てられ、やや甘えん坊な俺様王子
に育つ。
124
しかし、何をしても出来の良すぎる双子の兄と比べられるため、少
しひねくれている。
常に自分の上を余裕でいく兄ジオルドに激しいライバル意識と強い
劣等感をもっており、兄とはほとんど交流をもたない。
そんなアランは学園に兄とともに入り、常に兄をライバル視して学
問、魔力の訓練に励む。
そんな中、はじめての学術テスト結果がはりだされ、アランの順位
は三位だった。
一位は兄のジオルド、二位は主人公だ。兄にも敵わないばかりか、
平民の女の子にも負けてしまったアランは、今度は主人公もライバ
ル視して絡むようになる。
そうして、主人公と関わるうちに明るく前向きな主人公と恋に落ち
るのだ。
そして、主人公に﹁アランはアランのままでいいのよ﹂と言われ兄
への激しいライバル意識、強い劣等感はしだいに薄れ、やがて兄の
ジオルドとも交流をもつようになる。
ちなみにアランのルートには悪役カタリナ・クラエスは登場しない。
平民で成績のよい主人公を多少いじめるが、ジオルドやキースの時
ほど出張ってはこない。
代わりに別のライバルが登場するのだ。
それが、アラン王子の婚約者、メアリ・ハント侯爵令嬢だ。
アラン王子を心の底から慕っているメアリは、主人公に嫉妬するが
⋮⋮
カタリナのように嫌がらせはしない。
125
メアリは主人公の前にそれは素晴らしいご令嬢として立ちはだかる。
マナーやダンスなどで平民との違いを見せつけ、堂々と主人公のラ
イバルとして立ちはだかる。
ジオルド王子がカタリナにまったくの無関心なのに対して、アラン
王子は恋愛感情こそないが、メアリを可愛い妹のように思っていて
二人の仲はとても良好である。
ゲームの最後もカタリナとはまるで違う。
主人公がアランを攻略成功し、ハッピーエンドを迎えるとー
メアリは主人公にアランを譲り、﹁これからもアラン様を支えてい
ってください﹂と祝福する。
ただ、その瞳には涙が浮かんでいてとても哀れさを誘う。
そして、主人公がアランを攻略失敗し、バッドエンドを迎えるとー
アランは当初の予定通りメアリと結ばれ、めでたしめでたしとなる。
この情報を前に私は強く思う。
なんでカタリナだけ!!
同じライバルキャラなのになぜ、メアリには破滅はないの!
そもそもメアリはライバルなのになんでこんな素敵なキャラなの!
なぜ、カタリナだけがひどい悪役なの!!
制作スタッフどういうつもりだ!なぜ、カタリナだけこんな残念な
126
感じにした!
設定かわいそうすぎるでしょ!
あんたたちも一度、カタリナ・クラエスに生まれ変わってみればい
いのに!
それにアランなんか、ハッピーでもバッドでも幸せってどんな贔屓
だ!
ジオルドやキースなんかバッドだとカタリナ殺して犯罪者として姿
を消すのに!
理不尽だ!制作スタッフ許すまじ!
もう一度、前世に戻れるなら、この乙女ゲームの製作会社に乗り込
んで文句いってやりたい!!
⋮⋮と、熱い思いをかなり放出しつつ改めてページを見つめる。
﹃メアリ・ハント﹄間違いなく、私の優しく可愛い友人のことのよ
うだ。
ゲームのメアリは堂々とした完璧な令嬢だったので、いまのどこか
オドオドしたメアリとまったく結びつかなかった。
そもそも、ゲームではカタリナとメアリに友人関係はなかったよう
な気がする。
むしろ、親の権力に物を言わせて好き勝手するカタリナを、メアリ
はあまり好ましく思っていない様子だったはずだ。
まさか、メアリが私と同じライバルキャラだったなんて。
127
しかし、今のメアリからはアランのアの字も出てこない。
婚約はまだ決定していないらしいし、きっとまだ出会っていないか
らなのだろう。
たしか、二人の出会いはアランルートで主人公がメアリと対じした
際にメアリの口から語られていた。
幼い頃、母親違いの姉妹に煙たがられていたメアリは、姉妹たちか
ら日々、悪く言われて育ち、すっかり自信をなくし自分は駄目な人
間だと思いこんでいた。
そんな、メアリの前に現れたアラン王子が、メアリが育てていた庭
をみてメアリを褒めてくれた。
﹁メアリはすごいね。緑の手を持っているんだね﹂
緑の手と言うのは植物を育てる才能のある人が持つ特別な手だとい
う。
そして、緑の手をもつメアリは特別で素晴らしい存在なのだと王子
は言った。
メアリはアラン王子の言葉で少しずつ失っていた自信を取りもどし
た。
そうして、気づけばアラン王子を誰よりも好きになっていたのだ。
それからのメアリはアラン王子の隣に立つのに、ふさわしい存在に
なろうと日々、努力を重ね、学園に入る頃には誰もが称える立派な
令嬢となるのだ。
ジオルド王子の後ばっかり追いまわして学問も魔力も疎かにしてい
たカタリナとは大違いだ。
128
メアリは本当に素晴らしい。
緑の手をもつメアリは特別で素晴らしい存在か⋮アラン王子も素敵
なことを言うわね。
⋮⋮緑の手⋮⋮そうか!?私はこのゲームで緑の手のことを知った
のか。
ああ、ようやく思い出せてすっきりだわ。
そうか、アラン王子がメアリに言ったことだったのか⋮⋮
緑の手を持つ特別な存在ね⋮⋮
あれ?私、この台詞さっきメアリに言ったよね⋮⋮
⋮⋮やばい!?私、アラン王子の台詞を先に使ってしまった!?
まさかの王子の名台詞をパクったうえに先に使っちゃうなんて!!
どうしよう、これアラン王子、二番煎じになっちゃうよ。
せっかくの名台詞も二回目じゃ、威力が半減だよ。
ああ、私の馬鹿たれ、もっとはやく気が付いていれば⋮⋮
私はしばらく部屋でひとり悶え反省したが⋮⋮
まあ、言ってしまったものは取り消せないので仕方ないわ。
という感じに開き直った。
それに、アラン王子は乙女ゲームの素敵な王子様なのだから、ひと
つ台詞を取られたくらい大丈夫よ。
きっと、もっと素敵な台詞を駆使してメアリを魅了するわよね!
129
私が一つ台詞を取ったくらいなんともないわ!問題なしよ!
最終的にそう結論を出した私は、気持ちをきり替え、置き去りにし
てきたキースの元へと戻った。
★★★★★★★★★★★
メアリ・ハントというのが私の名前だ。ハント侯爵家の四女として
生まれた。
私のお母様はとてもきれいな人だったけど、身分が低いということ
で屋敷ではあまりよく言われていなかった。
それでも、お父様とお母様にはとても可愛がられていた。
ただ、三人の姉たちにはあまりよく思われていないようだったけど
⋮⋮
しかし、お母様が亡くなってしまうと︱私を取り巻く環境は一変し
た。
お父様はお仕事で家を空けていることが多かったため、お母様を失
うと私の居場所はほとんどなくなってしまった。
もともと召使の人たちも身分の低い身で侯爵家に嫁いできたお母様
にあまり寛容ではなかったため、その娘である私にもあまりよくは
してくれなかった。
そして、三人の姉たちはお母様という後ろ盾を失くした私に嫌がら
130
せをするようになった。
物を隠されたり、壊されたり、たくさん悪口を言われるようになっ
た。
﹁赤褐色の髪の汚らしいこと﹂﹁身分の低さがあふれ出ている﹂﹁
品がない﹂
日々、繰り返される悪口や嫌がらせに私の心はすっかり弱って、人
と接することが怖くなり、いつも怯えていた。そして、そんな自分
がどうしようもない駄目な子だと思うようになっていた。
私の唯一の逃げ場は中庭だった。そこでひっそり植物の世話をして
いる時だけが私の安らぎだった。
そんな、ある日、ハント家で開かれたお茶会で私は彼女に出会った。
怯えてばかりの私とは対照的に堂々とした少女はカタリナ・クラエ
スと名乗った。
初対面の私たちに堂々と素晴らしい挨拶を返すカタリナは、まるで
私とは別世界の人のように見えた。
人が怖くて弱虫な私はお茶会も半ばで、限界をむかえた。
そして、そうそうにいつもの中庭に逃げ込んでいた。
そこへ、件のカタリナ・クラエスが現れたのだ。
颯爽と庭に降り立ったカタリナは私の世話している庭を絶賛してく
れた。
こんな風に誰かに褒められたのはお母様が亡くなられて以来で、私
131
はすっかり萎縮してしまった。
そんな、カタリナは私に自分が作っている畑の具合が悪いので見て
欲しいと頼んできた。
正直、公爵令嬢が畑を作っているという事実にはひどく驚いたが、
瞳をキラキラさせて熱心に畑について語るカタリナはとても可愛ら
しかった。
そうして、成り行きからクラエス家に出向き、畑の世話を手伝うこ
ととなった。
私は少しでもカタリナの役に立ちたくて野菜についても必死に勉強
した。
カタリナはいつも堂々としていて、明るく前向きで、とても素敵だ
った。
そして、そんなカタリナに褒められるたびに私は少しずつ失くして
いた自信を取りもどしていった。
﹁メアリは植物を育てる才能にあふれた特別な手を持っているのよ。
緑の手をもつあなたは特別で素晴らしい存在だわ﹂
私は自分を臆病者で弱虫のダメな子なのだと思っていた。
でも、カタリナはこんな私を特別だと言ってくれた。素晴らしい存
在だと言ってくれた。
すごくすごくうれしかった。
私はカタリナの友人として隣に立つのにふさわしい存在になりたい
と思った。
132
だから、臆病者で弱虫なメアリ・ハントとはさよならする。
きっと、いつかカタリナの隣に堂々と立てる存在になるために。
133
勝負を挑まれました
畑が復活して数週間がたち、すっかり夏も盛りになった頃。
ついにメアリとアラン王子の婚約が正式に決まったとの知らせを聞
いた。
そして本日、クラエス家を訪れたメアリに早速、その話を振ってみ
た。
﹁メアリ、婚約が決まったそうで、おめでとうございます﹂
﹁はい。ありがとうございます。私も王子様の婚約者になりました。
カタリナ様と一緒で、とても嬉しいですわ﹂
メアリはとっても嬉しそうだが⋮⋮どうもそれがアランを慕ってい
るというようには聞こえない。
﹁えーと、メアリはもうアラン様とは会ったの?﹂
﹁ええ。お会いしましたわ﹂
﹁⋮⋮それで、どうだった?﹂
﹁どうとは?﹂
﹁その⋮⋮どんな方だったかな⋮⋮と思って﹂
一応、名台詞を先に使ってしまった手前、アラン王子には少し罪悪
感があった。
台詞を失ったアラン王子は無事にメアリを魅了できたのだろうか。
﹁とても綺麗な方でしたわ。それとカタリナ様と同じように、私が
134
世話をしている庭を褒めてくださいましたわ﹂
﹁おお。それで?﹂
うん。とりあえずそこはシナリオ通りなのね。そして、気になるの
はその後だ。
﹁それでとは?﹂
﹁えーと、褒められてその後は?﹂
﹁⋮⋮それだけですが﹂
メアリが不思議そうに首をかしげる。
なんですと!?それだけ?いや、例の台詞はどうしたのだ⋮⋮言わ
なかったのか?
﹁その、えーと。メアリの緑の手のこととか言わなかったのかな?﹂
﹁⋮⋮緑の手⋮⋮まあ、カタリナ様、もしかしてお聞きになったの
ですか?!﹂
﹁⋮⋮ということは、言われたのね?そうなのね?﹂
なんだかとても照れた様子のメアリに食いつくと、メアリがなんだ
かもじもじとしながら続けた。
﹁恥ずかしいですわ。まさか、カタリナ様ご本人のお耳に入ってし
まうなんて⋮⋮﹂
﹁そうか、やっぱり言われたのね⋮⋮ん。ご本人って?﹂
﹁え、だってお聞きになったのですよね。私がカタリナ様に﹃緑の
手を持っている﹄と言っていただいたことをアラン様にお話しした
のを﹂
﹁え!?メアリの方から言ったの!しかも、私が言ったって!﹂
﹁ええ、カタリナ様からあんな風に言っていただいて、本当に嬉し
135
くて、ついアラン様にもお話してしまいましたの﹂
そう言ってメアリは頬をバラ色に染めた。
⋮⋮つまり、なんだ。
アラン王子が﹁メアリは緑の手を持つ特別な女の子﹂という台詞を
言う前にメアリ自身が﹁カタリナ様に緑の手を持っていると言われ
ましたの﹂とアラン王子に言ってしまったわけだ。
⋮⋮それはもうアラン王子言えないよね。先に言われちゃったもん
ね。
ごめん。アラン王子。
その後も、メアリにアラン王子のことを尋ねるも、好感は持ってい
るようだが⋮⋮好意を感じているようには見えなかった。
本当にごめん。アラン王子。
⋮⋮まあ、でも婚約者になって接点ができたのだから、これから王
子の魅力に気づいていくはずだ。
頑張れアラン王子。
なんとなく、遠い目をしている私を、メアリが﹁お腹がすきました
か?﹂と心配してくれる。
本当によいお嬢さんだ。
結果的に二人の邪魔をしてしまったが、ぜひ幸せになって欲しい。
二人の仲を取り持つことなどできそうにない私は心の中でそっと応
援することにした。
136
そうして数週間くらいたったある日のことだった。
畑にてそろそろ収穫も最後だろう野菜たちを取っている時だった。
﹁お嬢様、王子様がお嬢様に用事があるとご訪問されました!﹂
なんだか、ひどく慌てた様子のアンがやってきて言った。
﹁アンったら、何を慌ててるのよ。ジオルド様なら、いつものよう
にそのままここに来てもらえばいいじゃない﹂
ジオルドは、初めこそ厳かに迎えられていたが、三日とあけずに来
られるようになってからは、ジオルド自身から﹃とくに出迎えはい
りません﹄とのお言葉があり、赴かなくても勝手に私の所にやって
くるようになっていた。
私のほっかむり姿にもすっかり慣れられたので、お出迎えの衣装チ
ェンジも必要ない。
なので、王子がきたからと慌てる必要は全くないのだ。
﹁違うんですよ。お嬢様。ジオルド様ではないんですよ﹂
﹁⋮⋮ん?﹂
アンったら何を言っているのだ。パーティーでもない限り、ジオル
ド意外に我が家を訪れる王子はいないだろうに。
私はよく育ったきゅうりをもぎとった。
137
﹁ジオルド様ではなくその弟の第四王子のアラン様が来られている
んです!﹂
﹁⋮⋮え﹂
私は思わず、もぎ取ったきゅうりを土の上に落とした。
﹁⋮⋮なんで?﹂
﹁理由はわかりませんが、とにかくカタリナ様に会わせろとのこと
です﹂
なんだか、とてつもなく面倒事が起こりそうな予感がした。
ダッシュで屋敷に戻り、アンの助けを借りお嬢様衣装に着替えると
アラン王子が待つ客間へと向かった。
そうして大急ぎで部屋へと行くと、なんだか偉そうな態度の少年が
椅子にふん反りかえっていた。
﹁遅かったな﹂
少年はまだ、何の挨拶もしていないうちからそんな風に声をかけて
きた。
非常にふてぶてしい態度の少年だ。思わず、頬がヒクヒクしてしま
う。
﹁突然訪ねてきてその態度はなんだー﹂と怒りたい所だが⋮⋮
この子はまだ八歳の子供。私はもう精神的には十七+九歳のいい大
人だ。
138
私は自分に言い聞かせる。
﹁申し訳ありませんでした。支度に手間取りました。カタリナ・ク
ラエスでございます﹂
﹁アラン・スティアートだ﹂
私が大人の対応で、笑顔で名乗ると、アランはまたまた偉そうに言
った。
アラン・スティアート。攻略対象なだけあって、やはり美形である。
だが、双子であるジオルドとは似ていない。
ジオルドが金髪碧眼の正統派美形の王子様なら、アランは銀髪碧眼
で野性的な美形だ。
しかし、美形ではあるが⋮⋮
なんて、偉そうな王子なんだ。
まるで、記憶が戻る前の我儘令嬢カタリナのようだ。
同じ王子でもジオルドは、こんな風に偉ぶることはない。
ゲームでのキャラを考えると腹の中では何を考えているか不明だが、
表面上は穏やかで謙虚な態度である。
そんな風に考えながら我儘王子アランを観察していると。
﹁カタリナ・クラエス。今日はお前に話がある﹂
我儘王子がなんだか、鋭い目を私に向けてきた。
﹁⋮⋮えっと。なんでしょうか﹂
139
正直、今のアランと私には何のつながりもない。
まあ、私は今のところジオルドの婚約者だから、なんのつながりも
ないわけではないが⋮⋮
ゲーム通りならアランはまだ今はジオルドを避けているはずだ。
特に、私の所にやってくる理由もないはずなのだが。
﹁メアリ・ハントを知っているな﹂
﹁⋮⋮え、あっはい﹂
ん?なんだメアリのことか。
﹁メアリから、親しくしていると聞いているが﹂
﹁⋮⋮はい。親しくさせていただいていますが﹂
アランの目がさらに鋭くなる。
なんだ、この王子様は一体何が言いたいんだ。
﹁メアリ・ハントは私の婚約者になった。知っているか﹂
﹁はい。存じておりますが﹂
﹁わかっているなら、みだりに誘惑をするな!﹂
﹁⋮⋮誘惑ってなんですか!?﹂
アランは私を思いっきり睨みつけてきた。
私はただただ唖然とした。
いやいや、何を言ってんの?この王子、大丈夫か?
私がいつメアリを誘惑した⋮⋮って言うか女同士で誘惑ってなんだ!
確かにメアリは可愛くて優しくて大好きだし、これからも仲良くし
ていきたいけど⋮⋮
140
彼女にしたいとか、嫁にしたいとか思ってないから!そういう趣味
はないから!
しかし、唖然とする私にかまわずアランは噛みついてくる。
﹁しらばくれる気か!俺が誘ってもいつも﹃今日はカタリナ様とお
約束が﹄と断られ、一緒にいる時もほとんどお前の話ばかりだ!そ
れもこれもメアリが純粋なのをいいことに、お前が誘惑しているに
違いない!﹂
﹁ちょっと、何それ!言いがかりもいいところだわ!﹂
けんか腰にたたみかけてくるアランに大人な私も我慢できなくなっ
て叫んだ。
﹁何が、言いがかりだ!事実だろう!そんな顔して、純粋なメアリ
を誑かして!﹂
この俺様王子め、私が悪役顔だからって悪人と決めつけているな。
なんて腹の立つ奴なんだ。
﹁そんな訳ないでしょ!メアリがうちにくる約束している時に誘う
あなたが悪いんでしょ!だいたい、本当に魅力ある人から誘われれ
ば女の子はついていくわよ!あなたに魅力がないのよ!それに、私
の話ばっかりなのはあなたの話がつまんないからでしょ!﹂
﹁⋮⋮魅力がない⋮⋮つまらない⋮⋮﹂
私はつい怒りのままに思いついたことをそのまま叫びきった。
そして、叫びきった後に、はっとなった。
目の前のアラン王子の表情が固まっていた。
141
⋮⋮やばい。やってしまった。
かっとなってついひどいことを言ってしまった。
そもそもは私が台詞を取ってしまったことが原因の一部かもしれな
いのに⋮⋮
しかし、一度、口から出てしまった言葉を引っ込めることはできな
い。
背中に冷たい汗が流れる。
﹁⋮⋮ふっふっふっ。ここまで面と向かって馬鹿にされたのは初め
てだ﹂
﹁⋮⋮え∼と。今のは⋮⋮その⋮⋮﹂
アランは今にも顔から湯気を吹きそうなほどにご立腹だ。
ああ、私は取り返しのつかないことを言ってしまった。
﹁いい覚悟だな、カタリナ・クラエス。その暴言を俺への挑戦とし
て受ける﹂
いやいや、してない。挑戦とかしてないから。
ちょっと口がすべっただけだから⋮⋮
﹁俺と勝負しろ﹂
アランが高らかに宣言する。
★★★★★★★★★★
142
﹁⋮⋮で、なんでこうなったのでしたっけ?﹂
アンが不思議でたまらないという顔をする。
場所は屋敷の庭。並んで立つそこそこに高さのある木の前である。
﹁いや、アラン様が﹃勝負の方法は女のお前に決めさせてやる﹄と
か言うから⋮⋮﹂
﹁⋮⋮だからって、仮にも一国の王子と公爵家のご令嬢が⋮⋮木登
りって⋮⋮いくら何でもなしだと思います﹂
﹁だって、人より得意で勝負できそうなことって、これしか思い浮
かばなかったんだもの﹂
﹁いや、そもそもアラン様。絶対、木登りとかしたことないですっ
て!お嬢様が﹃木登り﹄って言った時に完璧に固まってましたもの﹂
﹁いや、でも最終的にいいって言ったのはあっちなんだし⋮⋮﹂
確かに﹃では木登りで﹄と提案した時のアランは完璧に固まってい
た。
口をポカーンとあけたまま十秒近く動かなかった。
しかし﹃もしかして木登りはできませんか﹄と問えば﹃そんなわけ
ないだろう!受けて立つ﹄と言って固まりを解いた。
よって、現在、庭で同じくらいの高さの木を前にこうして私にアン、
アランにその召使さんたちで立っているわけだ。
ちなみに、優しく賢い我が義弟は、この騒ぎがお母様にばれないよ
うに相手をしてくれている。
143
勝負のルールは簡単だ。先にてっぺんに上った方が勝ちだ。
アランはしばらくポカーンと木を見つめていたが、やがて覚悟を決
めたのか袖をまくり始めた。
むしろ、アランの召使さんたちの方がよほどあわあわしている。
そして﹁王子危険です﹂﹁おやめください﹂と必死に声をかけてい
る。
私は比較的に動きやすいズボンタイプの服に素早く着替え、すでに
準備は万端だ。
﹁では、アラン様。準備はよろしいですか?﹂
﹁⋮⋮あぁ、いつでもかまわん﹂
﹁では、召使さんに始めの合図をかけていただきますね﹂
﹁お、おう﹂
そして、皆の見守る中、勝負は始まった。
そして、すぐに終了した。
もちろん。私の圧勝だ。
私はいつものようにスルスルと木に登り、ほんの数分でてっぺんに
辿りついた。
しかし、アランは⋮⋮そもそも木に登ったことがなかったのであろ
う。
私が登りついても、まだ一番下の枝のあたりでまごまごしていた。
こうして、勝負は私の圧勝に終わったわけだが⋮⋮
144
﹁アラン様。これで勝負はつきましたので、もうよろしいでしょう
か﹂
木に登ったこともないお坊ちゃまが、前世にて野猿の異名をとった
私に木登りで勝てると思うなよ。
私はアランに勝ち誇った笑みを向けた。
するとアランは悔しそうな顔で睨みつけてきた。
﹁⋮⋮まだだ⋮⋮﹂
﹁え?﹂
﹁もう一度勝負しろ!今のは初めてで慣れてなかっただけだ﹂
今、アラン初めてと認めたな。やっぱり木登りしたことなかったん
だな。
なら初めから言えばいいのに、この見栄っ張りめ。
﹁よろしいですけど。そんな簡単に私には勝てませんわよ﹂
﹁望む所だ!﹂
こうして、アランにせがまれ何度か、勝負をしたが⋮⋮
結果は変わらなかった。
まあ、当然の結果だ。
そしてあろうことか⋮⋮
﹁次こそは勝つからな。覚えていろよ﹂
アランが実にありきたりな負け犬発言をかまし、﹃またくる﹄と宣
言をして去っていった。
145
こうして、私はこの後も引き続きアランの相手をすることとなった。
146
勝負を変更しました
後日、アランが再び﹃勝負だ!﹄とやってきたのを余裕で打ち負か
した。
その後も、たびたび我が家に﹃勝負しろ!﹄と乗り込んでくるアラ
ンを打ち負かす日々が続いた。
結構、頻繁にくるので今では割と仲良くなり、勝負の後には一緒に
お茶をしたりする仲になった。
しかも、最近では負けっぱなしにも関わらずアランがなんだか生き
生きして楽しそうに見える気がする。
気のせいだろうか。
そんな風に、なんとなくうまくやっていたのだが⋮⋮
しかし、ついにその日がやってきた。
﹁ジオルド!?なんでここに!﹂
くしくもクラエス家の庭にてジオルドとアランが鉢合わせてしまっ
たのだ。
片方は三日とあけずにやって来るし、片方は週一のペースでやって
来るんだから鉢合わせてもなんら不思議ではない。
アランより少し多めの週二ペースのメアリは、すでにジオルドに挨
拶済みだった。
147
ちなみにジオルドには、アランが勝負にやって来ることを少し話し
ていた。
しかし、アランにジオルドが三日とあけずに来ていることは言って
いない。
さすがに私がジオルドの婚約者であることは知っている様子だが⋮⋮
ジオルドをだいぶ敵視している様子のアランには、ジオルドの話を
振るのを躊躇われた。
そして、まったく交流のない様子の兄弟はお互いの予定を把握して
いなかったようで、こうして偶然に我が家で鉢合わせとなったのだ。
﹁なんでとは不思議なことを言いますね。ここは僕の婚約者の家な
のですから、いても何もおかしくないでしょう﹂
ジオルドがそう笑顔で返す。
確かに、その通りだが、三日とあけずにやって来るのは来すぎだと
思うのだが⋮⋮
それとも皆どこもこんなものなんだろうか。
﹁⋮⋮とにかく、今日はこいつと勝負するから、邪魔をするな﹂
アランはなんだがいつもより勢いがない。
いつもの俺様オーラはどうしたのだろう。
そんなどうも様子のおかしなアランに、こちらもいつもよりどこと
なく笑顔が嘘臭いような気がするジオルドが言う。
﹁その勝負なんですけど、もう何回もして勝てていないらしいじゃ
148
ないですか?そろそろもう諦めたほうが良いのではないですか﹂
そう言ったジオルドの目はなんだがとても冷たかった。
確かにそれは私も薄々思ってはいたが⋮⋮そんなストレートに言っ
ちゃうなんて⋮
私はアランがまた怒り出すのではないかと恐る恐るアランの方を見
たが︱
その顔には怒りは見られなかった⋮⋮
ただ、すごく辛そうな表情を浮かべていた。
﹁⋮⋮だ、駄目だ!!まだ勝負はついてない!俺だってできる!俺
だって⋮⋮俺だって⋮⋮﹂
なんだか切なくなるような必死な声でアランは叫んだ。
もう、アランの目にはジオルドしか映っていないように見える。
クラエス家の庭になんとも言えない空気が流れる。
き、気まずい⋮⋮
私自身は蚊帳の外感が半端ないけど⋮この空気は気まずい
よし、ここは何か別の話題でこの空気を変えなければ。
そしてそんな空気を払拭すべき、私は最近、常々考えていた提案を
してみることにした。
﹁⋮⋮あ、あのアラン様。よろしかった勝負の内容を変えてもよろ
しいでしょうか?あまり木登りばかりしているとそろそろお母様に
ばれて怒られてしまうので﹂
149
実は、今はまだ奇跡的にお母様にばれていない木登り勝負だが、そ
ろそろやばい気がする。
もう、私が木に登るのは諦めている様子のお母様だが、さすがに王
子にも木を登らせていたとばれたならば、それは大きな雷が落ちる
だろう。
アランの訪問時には、お母様の相手をしてくれている頼りになる義
弟キースの話では、そろそろお母様が何か疑い始めている様子らし
い。
ここはそろそろ勝負内容を変更しないと本気でまずい。
﹁⋮⋮そういうことなら⋮⋮では、何で勝負する﹂
﹁⋮⋮う∼ん﹂
やっとアランが私の方を見た。
さっきまでの気まずい空気も少し薄れた気がする。
よかったよかった。
しかし、自分から違う勝負内容にしてくれと言ったのはいいが⋮⋮
正直、魔力もしょぼく学力も平均すれすれの私に勝負できることな
んてあまりないのが現実だ。
それとも、いっそコテンパンに負けてしまえばアランも満足するの
だろうか。
でも、それはそれで悔しい。
私が﹃う∼ん、う∼ん﹄と頭を捻っていると、アランの召使さんの
一人が声をあげた。
﹁あの、ボードゲームなどなら怪我の心配などなくできるのでは﹂
150
確かに、ボードゲームならば怪我もなく、男女差もなくよいかもし
れない⋮⋮
しかし⋮⋮前世の時から、トランプやオセロと言った頭を使う系な
ものはどうも苦手なのだ。
こちらで、はやりのチェスなんてさらに苦手だ。
できなくはないが、負けるのは悔しい。
私のだいぶ不服そうな様子を見て、召使さんはこれは駄目そうだと
思ったらしく。
﹁では、楽器ならいかがですか?より上手に演奏できた方が勝ちと
いうことで﹂
新しい提案をしてくれた。
楽器か⋮⋮ちなみにこちらでは楽器が弾けるのが貴族のステータス
的なものがあるらしく、私もそうそうにピアノやバイオリンを習わ
されている。
前世ではリコーダーとピアニカしか演奏したことのない私だったが、
現在では少しピアノが弾ける。
バイオリンは⋮⋮残念ながら私には向いていなかった。
﹁私、ピアノならいいですよ﹂
私が元気よく答えるとアランも同意を示してくれた。
こうして、勝負は木登りから、ピアノの演奏対決へと移った。
一気に貴族らしい勝負になったな。
これなら、お母様に見つかっても雷は落とされないだろう。
151
そうして安堵する私の横では、アランの召使さんたちが﹃木登りが
終わって本当によかった﹄と喜んでいる。
先ほどの楽器対決を提案した召使さんは他の召使さんから﹃よくや
った﹄と褒められていた。
そうして皆、安心のピアノ対決のためにピアノのある部屋へと移動
となった。
クラエス家のピアノは公爵家らしく大きく立派なピアノだ。
前世で音楽室にあったのよりずっと立派な感じがする。
演奏対決なのでアランの召使さんたちと我が家の召使さんたち、あ
とは一緒についてきたジオルドに審査をお願いすることとした。
こうして勝負の舞台は整いはじめに私、その後にアランが演奏する
こととなった。
私は椅子に座りピアノに向かった。
前世では猫ふんじゃったしか弾けなかった私が、今世のなんたらと
いう子供用の練習曲を演奏した。
何度か小さな失敗したが、まあそこそこには弾けたと思う。
実際、ジオルドが﹁カタリナにピアノが弾けるんですね﹂と驚いて
いた。
それは褒めているのよね?
そして、続いて、アランがピアノに向かい演奏を始めた。
公平差を期すために曲は私と同じ子供用の練習曲だ。
152
同じ曲⋮⋮のはずだったのだが、それはまるで別の曲のように部屋
に鳴り響いた。
私をはじめ部屋にいた誰もが思わず息を飲んだ。
それほどにアランの演奏は素晴らしかった。
私は演奏に聴きほれた。
ただの俺様の我儘王子だと思っていたら、こんな素晴らしい才能を
持っていたなんて驚きだ。
そうして、演奏が終わると私の演奏後にはおきなかった拍手がおこ
った。
﹁すごいわ。アラン様。本当にお上手です﹂
私は思わず声をあげた。
正直、音楽のことなどほとんどわからない私が聴いても上手いのが
わかるほどだった。
しかし、肝心のアラン本人は固い顔をした。
﹁別に、たいしたことない﹂
﹁そんなことありませんわ。素晴らしい才能ではありませんか﹂
﹁⋮⋮俺には才能なんて呼べるものはない﹂
なぜだか、褒めれば褒めるほどアランの顔は固くなっていく。
そして︱
﹁カタリナの言うとおり、本当に素晴らしかったよ﹂
私と同じようにジオルドがその演奏を褒める。
﹁⋮⋮思ってもいないくせに﹂
153
アランが吐き出すように言った。その顔は先ほどと同じひどく辛そ
うな表情だ。
﹁つまらないお世辞はやめろ!どうせ俺を何もできない出来損ない
だと思って馬鹿にしているんだろう!﹂
アランは叫び。まるで何かから逃げるように部屋を飛び出して行っ
た。
一体、何がなんだかわからなかったが⋮⋮
こんなに激しく逃げられるとなんだか追いかけなきゃいけない気持
ちになる。
突然のことに茫然としている召使さんたちをしり目に、私は少女漫
画のヒーローのごとくアランの後を追った。
人は逃げてもなんとなく慣れた場所に行ってしまうというのは本当
らしい。
アランはいつも私と木登り勝負を繰り広げている木の下にいた。
私が近づくと顔を少し上げたアランだったが、私の顔を確認すると
また俯いてしまった。
﹁⋮⋮お前も笑いにきたのか﹂
﹁え?﹂
アランが呟いたが、私にはまったく意味がわからない。
何を笑いにきたというのか。特に愉快なことはなかったと思うのだ
154
が。
﹁⋮⋮たかがピアノを少し弾けるくらいでいい気になるなと俺を笑
いにきたんだろう﹂
﹁⋮⋮ピアノを少し弾けるって⋮⋮あれはもう少しのレベルではな
かったと思いますよ。素晴らしい才能です﹂
あれだけの演奏を披露しておいて少しとはアランは俺様だと思って
いたが、実は謙虚なのか。
あれを少しとされてしまうと私の演奏がそこそこからダメダメにラ
ンクダウンしてしまう。
﹁お世辞などいい。どうせ俺は何もできない。ジオルドの残りかす
だ﹂
アランは俺様かと思ったら実はネガティブ王子だったようだ。
﹁⋮⋮お世辞ではないんですけど⋮⋮アラン様はどうしてそんなに
自信がないんですか?﹂
﹁はっ。生まれてからずっとジオルドと比べられて、何をやっても
あいつに勝てない。腹の中でジオルドにいいとこを全部、持ってい
かれた残りかすだと言われ続けて、どうやって自信など持てという
んだ﹂
ああ、そうか。そういえばゲームでもそういう設定だった。
生まれた時からジオルドと比べられ何をやっても敵わない。
自分がどんなに必死に頑張っても、ジオルドは涼しい顔でその上を
行くのだ。
たしかにそんな状況で、自信を持って頑張れなんて言われてもそう
155
簡単にはいかないだろう。
なにせ、ゲームでは優しくて可愛い婚約者のメアリでもアランを救
えなかったのだ。
それでもアランは決して劣っているわけではない。ゲームでは学園
の成績だっていつもトップクラスだったはずだ。兄のジオルドが超
人すぎるだけだ。
それに先ほどのピアノの演奏は本当に見事だった。アランには音楽
の才能があるのかもしれない。
確かゲームで主人公にバイオリンを演奏してあげるくだりもあった
気がする。
おそらく音楽に関してはジオルドよりも才能があると思う。
つまりは︱
﹁⋮⋮向き、不向きの問題だと思うんだけどな﹂
﹁⋮⋮どういう意味だ?﹂
やばい。つい口に出してしまった。アランがめっちゃこっち見てる。
﹁えーと、その⋮⋮ジオルド様にはジオルド様の得意なものや苦手
なものがあって、アラン様にはアラン様の得意なものがあるのでし
ょうから、向き不向きがあって当たり前ですよという意味です﹂
しどろもどろになったが、なんとか説明した。
﹁向き不向きか⋮⋮じゃあ、ジオルドに苦手なものはあるのか?い
まだかつて聞いたことがないけどな﹂
確かに、何でもそつなくこなす天才ジオルドには苦手なものなどな
156
いように見える。
剣術の腕はもとより頭だって非常に良い。
こんなに我が家に遊びに来ているはずなのに⋮⋮
ぽっと手伝ってくれた畑の収穫だって、明らかに私より効率よく早
い。
できないことも、苦手なものもないのだろう。
私もずっとそう思っていた。
しかし⋮⋮
﹁ふっふっふっ。ジオルド様の苦手なものわかりますよ﹂
﹁!?﹂
私は不敵に笑った。
実は最近、おそらくジオルドが苦手だと思うものに気付いた。
というより発見したと言った方がよいだろう。
私だって、最初はジオルドが完全無欠で苦手なものなどない王子様
だと思っていた。
しかし、日々ともに過ごし、畑の収穫をおすそわけしたりと、近所
のおばちゃん的な付き合いをするようになった今だからこその気づ
きもあった。
﹁ジオルド様の苦手なものそれはですね﹂
﹁⋮⋮それは?﹂
固唾を飲んで見守るアランに、私は邪悪な笑みを浮かべる。
157
それは数週間前の話である。
その日はジオルドとメアリも来ていて、畑でおすそわけの野菜を収
穫していた。
手伝いを申し出てくれたジオルド、メアリ、キースとで野菜をとっ
ているとそれは現れた。
私の足元を通り過ぎようとしたそれを、メアリの方に行ったらびっ
くりするかなと思って捕まえた。
すると、それを見て近くにいたジオルドが飛びのいたのだ。
普段、冷静沈着な彼があんなに狼狽えた様子は始めてみた。
そして、気づいた。もしかして、ジオルドはこれが苦手なのではな
いかと。
アランに邪悪な笑みで微笑んでいると、なかなか帰ってこない私た
ちをジオルドが探しに来たのが見えた。
これはチャンスだ。
苦手かもしれないとは思っているが、確信はなかったのでここで試
してみよう。
そうして私はいつか使おうと数日前からポケットに忍ばせていたも
のをつかんだ。
アランを引き連れ木の陰に隠れるとそこからジオルドの様子を窺っ
た。
そして、こちらに歩いてきたジオルドの前に﹃それ﹄を放り投げた。
﹁うわ!?﹂
突然、目の前に現れた﹃それ﹄にジオルドが声をあげて飛びのいた。
158
そして、その顔はただ驚いただけというにはだいぶ狼狽えており、
いつもの余裕な感じも見られない。
﹁これは間違いないわね﹂
私は木の陰で思わずほくそ笑んだ。
﹁おい、ちょっと待てジオルドの苦手なものって結局なんなんだ。
そして今、一体、何を投げた?﹂
アランがいぶかしげに聞いてきたので、私は得意げに教えてあげた。
﹁あれはヘビですわ﹂
﹁ヘビ!?﹂
﹁⋮⋮といっても作り物ですけど、本物だと動いてポケットにしま
っておけないですから﹂
﹁⋮⋮いや、それ以前にヘビはポケットに入れるものではないと思
うが⋮⋮というか今、なぜそれを投げた﹂
﹁ですから、ジオルド様の苦手なものを教えると言いましたでしょ﹂
﹁苦手なものって⋮⋮ヘビが!?﹂
﹁そうですわ。薄々は思っていましたけれど、先ほどの反応で確信
いたしました。ジオルド様はヘビが苦手なのですわ﹂
私が高らかに告げた。これは素晴らしい発見だった。
ついにあの完璧王子の弱点を見つけ出したのである。
ちなみに放り投げたおもちゃのヘビは紙を丸めて作成した私のお手
製だ。
ジオルドの弱点を探るためにと準備しておいたのだ。
まだ、本物には似ても似つかないが、それでも効果はてき面だった
159
ようだ。
﹁⋮⋮苦手がヘビって⋮⋮いや、確かにひどく狼狽えてたけど⋮⋮
俺が言ってたのはそういうものの話ではないんだけど⋮⋮でもヘビ
って⋮⋮いや、でもすごい狼狽えてたな⋮⋮﹂
なにやら一人ぶつぶつ言うアランを横に私は小躍りせんばかりに喜
ぶ。
ジオルドの弱点を発見。これはいざという時に︱破滅エンドを迎え
た際にきっと役に立つに違いない。
そうして喜びに踊る私は背後から近寄るどす黒い存在に気が付かな
かった。
﹁カタリナ。とてもご機嫌なようだけど、どうかされましたか?﹂
﹁!?﹂
振り返るとそこにはそれは美しい笑みを浮かべたジオルドが立って
いた。
その手には私の放り投げたヘビのおもちゃがしっかりと握られてい
る。
顔は笑っているのに目がまったく笑っていない。
﹁⋮⋮ジ、ジオルド様﹂
﹁アランを追いかけていったまま二人ともなかなか戻らないから心
配してきてみれば、これは一体なんなのだろうね﹂
そう言ってジオルドは握っていたヘビのおもちゃを私の前に掲げた。
﹁あの、えっとそれは⋮⋮﹂
160
ジオルドのあまりの迫力に何の言葉も出てこなく、私はただ狼狽え
た。
やばい、軽い気持ちで試してみようとしたら想像以上にジオルドを
怒らせてしまった様だ。
そして見えていなかったはずなのに、ヘビのおもちゃを投げたのが
私だと確信している。
なぜなのだ。
﹁カタリナは先月、九歳になったのだよね﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁九歳にもなった公爵家の令嬢がまさか自分の婚約者に、こんなお
もちゃを投げつけたりしないよね﹂
﹁⋮⋮うっ﹂
ジオルドの笑みが段々濃くなっていく。
⋮⋮これは、怖すぎる。
もしかして、私このまま﹃ヘビのおもちゃ王子様に投げつけた罪﹄
で国外に追放されるのかもしれない。
﹁そういえば、クラエス夫人は今日、お会いしていないけど、どう
されたんですか?﹂
﹁⋮あ、キースとお茶をしているはずです﹂
突然、変わった話題に戸惑いつつ、私はあわあわと答えた。
すると、ジオルドはまたにっこりとほほ笑んだ。
161
﹁そうですか、ではぜひご挨拶をしなくてはいけませんね。アラン
との木登り勝負のことや、カタリナがおもちゃを投げて遊んでいる
話などをクラエス夫人とお話ししたいですね﹂
﹁!?﹂
なんと!?ジオルドはおもちゃのヘビを放り投げられた報復に私を
お母様に売る気なのだ!
さすが、腹黒王子、恐ろしい奴だ。
そうして、お母様の所へと向かう腹黒王子を私は必死に追いかけ懇
願する。
しかし、素敵な笑顔と嫌味を返されるだけである。
あぁ、私は怒らせてはいけない人物を怒らせてしまった。
絶望する私の背後から、なんだか声が聞こえた気がして、思わずジ
オルドを追う足を止め振り返るとすっかり忘れていたアランが︱
耐えきれないといったように笑っていた。腹を抱え笑うその姿はま
さしく爆笑だ。
アランめ、人の不幸を笑うなんて⋮⋮まあ、自業自得ではあるのだ
が⋮⋮
だが、今はそんなアランに構っている暇はない。
私は必死にジオルドを追いかけた。
しかし、私ごときが怒れるジオルドを止められるわけもなく⋮⋮
私はお母様に隠していたアランとの木登りのことを知られ、ジオル
162
ドにヘビのおもちゃを放り投げたことを知られ⋮⋮数時間にわたり
お説教を食らうこととなった。
しかし、今回のことは災難ばかりではなかった。大きな収穫もあっ
た。
ジオルドの弱点を見つけたのだ!
いざ、破滅エンドでジオルドに剣で切り付けられそうになった際に
は、ヘビのおもちゃを投げつけ、狼狽えている隙に逃げればいいの
だ。完璧である。
私ったら、かなりの策士だわ。
学園に行くまでに、より精度の高いヘビのおもちゃを完成させ、常
にポケットに忍ばせておかなければ!
こうして私はまた破滅エンドの素晴らし回避案を見出したのだ。
ちなみにその後のアランだが、なぜかもう勝負を挑んでこなくなっ
た。
しかし、勝負をしなくなってからも屋敷にやってくるのはなぜだろ
う⋮⋮
しかも、いつの間にかジオルドとも普通に話すようになっている。
なぜだろう⋮⋮
気にはなったが、今はそんなことに気を取られている暇はない!
私は来るべき日にジオルドを撃退するため、よりリアルなヘビのお
もちゃを作成する必要があるのだから。
163
第四王子として生まれて
俺はこの国の第四王子として生まれアラン・スティアートという名
をもらった。
一つ上の第三王子である兄ジオルドとは双子で生まれた。
俺は生まれて数年はひどく身体が弱くほとんどの時をベッドの上で
過ごした。
母も乳母もみんな優しく可愛がられて育った。
ようやく身体も丈夫になり、本格的に剣術や学問を学び始め、兄た
ちとの遅れを取り戻そうと必死に頑張った。
そして、どの教師にも素晴らしいと褒められ、正直、俺は調子にの
っていた。
しかし、ある時にジオルドと共に学問の講義を受けた時に俺は気づ
いてしまった。
俺が必死に問題を考える横で、ジオルドは涼しい顔であっという間
にその問題を解いた。
それは剣術の稽古でも同じだった。俺が必死にかかってもジオルド
はまるで赤子でも相手にしているかのように簡単に俺を打ち負かし
た。
俺はジオルドよりも劣っている。それもかなり⋮⋮
俺はようやくそのことに気が付いた。
164
学問の教師も、剣術の教師もジオルドは特別なのだから、負けても
しかたないと俺を慰めてくれたが、俺はそれ以降、ジオルドと共に
学ぶことはしなかった。
そして、ジオルドから距離をとった⋮⋮
そんなある日、俺は聞いてしまった。
﹁アラン様は何をやってもいま、ひとつだな﹂
﹁病弱でずっとベッドでの生活だったのだから仕方ないんじゃない
か﹂
﹁それにしても双子なのにあそこまでジオルド様と差がつくと可哀
相だな﹂
﹁確かに、腹の中でいいとこを全部ジオルド様に持っていかれちゃ
ったのかもな﹂
﹁はは、いいとこ取られた残りかすってことか﹂
﹁おいおい、それは言い過ぎだろう﹂
笑いながらそんな軽口をたたいていたのは城の召使たちだった。
俺は目の前が真っ暗になるような気がした。
目の前に出て行って無礼を咎める気さえおきなかった⋮⋮
﹃ジオルド様にいいとこを全部持っていかれた﹄その言葉はまるで
抜けない棘のように胸に刺さった。
そのような声を一度、気にしだすと⋮⋮
それはあらゆるところで囁かれている気がした。
剣術の教師も、学問の教師も、召使もみんなが言っている気がした。
165
俺がどんなに必死に頑張っても⋮⋮
ジオルドは涼しい顔でどんどん俺の上へと行くのだ。
いつしか、俺はジオルドへの劣等感でいっぱいになっていた。
しかし俺がどんなにジオルドを意識しても、ジオルドは全く俺に興
味は示さず、その目には俺は映っていない⋮⋮
それがまた俺を悔しく、苦しくさせた⋮⋮
そして俺はどんどんジオルドから距離を置いた⋮⋮それなのに悔し
さや苦しさは増していった。
そんなジオルドが婚約したと聞いたのは八つになる春のことだった。
だいぶ力のある公爵家の令嬢に自ら婚約を申し込んだという話は城
中の話題となった。
そしてそれから、何か月かして俺の婚約も決まった。
もちろん、ジオルドの様に自ら申し込んだわけではない。
一人だけ婚約者のいない末の王子に他の貴族たちが躍起になってあ
てがってきただけだ。
そうして、政略で決められた婚約者メアリ・ハントは幸いなことに、
とても愛らしい少女だった。
赤褐色の大きな瞳に長い睫、まるでお人形のような少女。
少し小さな声で一生懸命に挨拶する様子がとても愛らしかった。
俺は末っ子だったので、可愛い妹ができたようで嬉しくなった。
そして、彼女は自分が世話しているという中庭を見せてくれた。
それは本当に美しい中庭だった。
166
﹁素晴らしい庭だね﹂と褒めたら、メアリは微笑んだ。
そんなメアリを見ていたら、先日読んだ本を思い出した﹁緑の手を
持つ女の子﹂というタイトルの物語だ。
植物を上手に育てることのできる特別な手、緑の手を持つ女の子の
話だ。
ああ、メアリは緑の手を持っているんだな。
俺はその話をメアリに伝えようと口を開く。
﹁先日、緑の手という特別な手をもっていると言っていただいたん
です﹂
﹁⋮⋮﹂
まるで、俺の心を読んだかのようにメアリが先そう言い、俺は続く
言葉を失ってしまった。
﹁最近、親しくさせていただいているカタリナ様が、先日そのよう
に言ってくださったのです﹂
頬を上気させ、その時の様子を思い出しているのだろか虚空を見つ
めて語るメアリの表情はまるで恋する乙女だ。
完璧においてけぼりをくらった俺はただ﹁はぁ﹂とだけ相槌をうっ
た。
しかし、そんな適当な相槌を返す俺とは反対にメアリはカタリナ様
について熱く語りだした。
それからもメアリは会うたびにカタリナ様とやらの話を熱く語った。
167
それどころか、お茶に誘っても﹁カタリナ様とお約束が﹂と断られ
ることがほとんどだった。
一体、なんなんだそのカタリナとかいう奴は︱
とだいぶ不満を募らせていたが、すぐにその正体はわかった。
カタリナ・クラエス。クラエス家の一人娘であり、なんとジオルド
の婚約者であるという。
ジオルドは涼しい顔で何もかも俺から取っていく。
今度はそのジオルドの婚約者であるカタリナまでもが、俺からメア
リを奪おうとしているのか⋮⋮
また目の前が暗くなる気がした。
そして、気が付いた時には馬車に乗り、クラエス公爵家へ向かって
いた。
客間に遅れてやってきた少女がカタリナ・クラエスと名乗った。
水色の瞳に茶色の髪の少女。年は同じだと聞いている。
顔は不細工ではないが、水色の瞳はきゅっと吊り上がっていてきつ
い印象のする少女だ。
ジオルドの婚約者であり、メアリが常々、絶賛しているためどんな
美少女かと思っていたが⋮⋮肩透かしを食わされた感じだ。
そんなカタリナに俺は早速、メアリのことを話した。
168
﹁メアリ・ハントは私の婚約者になった。知っているか﹂
﹁はい。存じていますが﹂
しれっーと答えるカタリナに俺はいら立ちを覚える。
﹁わかっているなら、みだりに誘惑をするな!!﹂
﹁⋮⋮誘惑ってなんですか!?﹂
カタリナはその水色の目を見開いた。まったく身に覚えがないとい
った態度だ。
俺はさらにいら立ち思わず叫んだ。
﹁しらばくれる気か!俺が誘ってもいつも﹃今日はカタリナ様とお
約束が﹄と断られ、一緒にいてもほとんどお前の話ばかりだ!それ
もこれもメアリが純粋なのをいいことに、お前が誘惑しているに違
いない!﹂
﹁ちょっと、言いがかりだわ!﹂
カタリナは只でさえ、吊り上った目をさらに吊り上げた。
﹁何が、言いがかりだ!事実だろう!そんな顔して、純粋なメアリ
をたぶらかして!﹂
﹁メアリがたまたまうちにくる約束している時に誘うあなたが悪い
んでしょ!だいたい、本当に魅力ある人から誘われれば女の子はつ
いていくわよ!あなたに魅力がないのよ!それに、私の話ばっかり
なのはあなたの話がつまんないからでしょ!﹂
﹁⋮⋮魅力がない⋮⋮つまらない⋮⋮﹂
俺は思わず言葉を失った。
169
確かに、今までさんざん、ジオルドにいいとこを全部とられた王子
などと陰口をたたかれてきたが⋮⋮
こんなに面と向かって馬鹿にされたのは初めての出来事だった。
あまりのことに、笑いまでこみあげてくる。
﹁⋮⋮ふっふっふっ。ここまで面と向かって馬鹿にされたのは初め
てだ﹂
﹁⋮⋮え∼と。その今のは⋮⋮つい⋮⋮﹂
﹁いい覚悟だな、カタリナ・クラエス。その暴言を俺への挑戦とし
て受ける﹂
そして俺はカタリナに向かい高らかに宣言した。
﹁俺と勝負しろ﹂
一体、なぜこうなったのだろう。木の前に立ち、俺は思う。
確か、俺は先ほどカタリナ・クラエスに勝負を挑んだはずだ。
男同士ならば剣を交えての勝負を申し込むが相手は女子である。
そのため、カタリナに勝負の方法を選ばせた。
なので、俺の予想ではチェスなどのボードゲームになると思ったの
だが⋮⋮
﹁じゃあ、木登りでお願いします﹂
170
カタリナは、それは耳慣れない単語を口にした。
木登り?なんだそれは?
単語としては知っていたし、どんな行為かもわかるが⋮⋮
ここまで、八年間生きてきて、そのようなことは一度もしたことが
ない。
そもそも、平民の子供ならまだしも、貴族の子供が木を登っている
所など見たこともない。
しかし﹃もしかして木登りはできませんか﹄などと問われれば、男
としてのプライドで思わず﹃そんなわけないだろう!受けて立つ﹄
と答えてしまった。
そして現在、こうして庭で同じくらいの高さの木を前にカタリナと
並んで立っているわけだ。
ちなみに勝負のルールは先にてっぺんに上った方が勝ちというシン
プルなものだ。
確かに優劣はつけやすいかもしれない。
しかし、これまでの人生で木を登ろうと思ったことがなかったため
に、そもそも登り方がわからない。
だが、一度受けた以上、ここでやらないわけにはいかない。
俺は覚悟を決め、服の袖をまくった。
﹁では、アラン様。準備はよろしいですか?﹂
﹁⋮あぁ、いつでもかまわん﹂
﹁では、召使さんに初めの合図をかけていただきますね﹂
171
﹁お、おう﹂
そして、召使たちが見守る中、勝負は始まった。
そして、すぐに終了した。
結果は惨敗だった。
そもそも登り方など知らない俺は最初の枝になんとか登ったが、そ
こから先どうやっていいのか、わからずに戸惑った。
そして、カタリナはそんな俺をしり目にまるで猿の子の様にスルス
ルと木に登り、あっという間にてっぺんに辿りついていた。
なぜ、公爵家の令嬢であるカタリナがこんなに木登りがうまいのか
⋮⋮
そもそもなぜ由緒正しき公爵家に生まれた令嬢が木に登ろうなどと
思ったのか⋮⋮
色んな意味で謎だらけで俺はすっかり混乱した。
﹁アラン様。これで勝負はつきましたので、もうよろしいでしょう
か﹂
しかし、そんな俺に向かい得意満面といった顔を向けてきたカタリ
ナに︱俺は思わず言っていた。
﹁もう一度勝負しろ!今のは始めてで慣れてなかっただけだ﹂
﹁よろしいですけど。そんな簡単に私には勝てませんわよ﹂
﹁望む所だ!﹂
しかし、何度やってもまるで猿のごとくすごい速さで木を登ってい
くカタリナに俺は敵わなかった。
172
そのため、再勝負を後日に持ち越すこととした。
カタリナに勝負を挑み始めて数週間がたった。
何度か、カタリナに勝負を挑むうちに気付いたことがある。
それはカタリナがいつも本気だということだ。
俺が王子だからと手を抜くことをしない。
そして、いつもまっすぐ俺をみるのだ。
今までこんな風に俺に本気で挑んでくれるものはいなかった。
そしてずっと、どんなに頑張っても、その目に俺を移してくれない
兄⋮⋮
カタリナのまっすぐな目と本気の態度は少しずつ俺の胸の痛みを軽
くしてくれた。
俺はいつしかカタリナの元に行くのが楽しみになってきていた。
しかし、その日はやってきたのだ。
﹁ジオルド!?なんでここに!﹂
クラエス家に突然現れた兄に俺は思わず声をあげた。
﹁なんでとは不思議なことをいいますね。ここは僕の婚約者の家な
173
のですから、いても何もおかしくないでしょう﹂
ジオルドはいつもの余裕に満ちた笑顔で返した。
確かに、その通りなので返す言葉もなかった。
そして、いつの間にか、カタリナがジオルドの婚約者であることを
すっかり忘れていた自分に驚いた。
﹁うっ⋮とにかく、今日はこいつと勝負するから、邪魔をするな﹂
﹁その勝負なんですけど、もうだいぶ何回もして勝ててないらしい
じゃないですか?そろそろもう諦めたほうが良いのではないですか﹂
そう言ったジオルドの目はとても冷たかった。
﹃ジオルド様にいいとこを全部持っていかれた﹄またあの言葉が頭
をまわりはじめる。
﹁⋮⋮だ、駄目だ!!まだ勝負はついてない!俺だってできる!俺
だって⋮⋮﹂
俺を見下すな!馬鹿にするな!
また目の前が暗くなっていく気がした⋮⋮
最近は軽くなってきていた胸にもまたいつもの重苦しい感覚が襲っ
てくる。
駄目だ⋮⋮気分が悪く⋮
﹁⋮⋮あ、あのアラン様。よろしかった勝負の内容を変えてもよろ
しいでしょうか?あまり木登りばかりしているとそろそろお母様に
ばれて怒られてしまうので﹂
174
唐突にそう声をかけてきたカタリナの顔は眉の下がったなんとも間
の抜けた顔だった。
その顔をみると胸の重苦しい感覚が少しずつ薄れていった。
このカタリナの提案により木登り勝負は、ピアノの勝負に変更とな
った。
ピアノのある部屋へと移動し勝負を開始した。
まずはカタリナから子供用の練習曲を演奏した。
カタリナは何度か小さな失敗をしつつ弾ききった。
それに続いて俺はピアノに向かった。
そうして、演奏が終わると部屋の者たちが拍手をした。
カタリナが興奮したように声をあげる。
﹁すごいわ。アラン様。本当にお上手です﹂
カタリナがまるで城の教師たちの様に褒めてきた。
きっと、これもお世辞だろう。
﹁別に、こんなものたいしたことない﹂
﹁そんなことありませんわ。素晴らしい才能ではありませんか﹂
﹁⋮⋮俺には才能なんて呼べるものはない﹂
175
確かに、剣術や学問よりも楽器に触れている方が楽しく、得意では
あるが⋮⋮
素晴らしい才能⋮⋮そんなものは俺にはない。俺はいいとこをすべ
てジオルドに取られた残りかすだ。
きっと何をやったって俺はジオルドには敵わないのだ⋮⋮
﹁カタリナの言うとおり、本当に素晴らしかったよ﹂
ジオルドがいつもの作り物めいた笑顔で言った。
なんでもできる兄はきっと俺を馬鹿にしているのだろう。
また目の前が暗くなっていくような気がした。
薄れてきた胸の苦しさが再び俺を襲ってくる。
﹁⋮思っていないくせに⋮つまらないお世辞はやめろ!どうせ俺を
何もできない出来損ないだと思って馬鹿にしているんだろう﹂
もうジオルドと同じ空間にいることが耐えられない。
皆が俺を馬鹿にしている気がしてくる。
気が付けば俺は部屋を飛び出していた。
闇雲に走ったつもりだったが、気が付けばいつもカタリナと勝負し
ていた木の所まで来ていた。
しばらく、木の前に佇んでいると人の気配がして顔をあげた。
てっきり召使が様子を見にきたと思ったのだが、そこにはなぜだが
カタリナが立っていた。
176
俺は思わず呟いた。
﹁⋮⋮お前も笑いにきたのか﹂
﹁え?﹂
﹁⋮⋮たかがピアノを少し弾けるくらいでいい気になるなと俺を笑
いにきたんだろう﹂
﹁⋮⋮ピアノを少し弾けるって⋮⋮あれはもう少しのレベルではな
かったと思いますよ。素晴らしい才能です﹂
﹁お世辞などいい。どうせ俺は何もできない。ジオルドの残りかす
だ﹂
このカタリナという娘はどこか城の者たちと違うと感じていたが、
やはり同じだった。
つまらないお世辞をいう。そしてきっと陰で俺を笑うのだ。
俺が駄目なのは俺がよくわかっているのだ。
だって、ずっとそう言われ続けてきたのだから⋮⋮
﹁⋮⋮お世辞ではないんですけど⋮⋮アラン様はどうしてそんなに
自信がないんですか?﹂
﹁はっ。生まれてからずっとジオルドと比べられて、何をやっても
あいつに勝てない。腹の中でジオルドにいいとこを全部、持ってい
かれた残りかすだと言われ続けて、どうやって自信など持てという
んだ﹂
俺が自嘲気味に吐き捨てると、さすがにカタリナも黙った⋮⋮よう
に見えたのだが⋮⋮
﹁向き、不向きの問題だとは思うんだけどな﹂
177
この令嬢はそう簡単には黙らなかった。
﹁⋮⋮どういう意味だ?﹂
俺はいぶかしげにカタリナを睨んだ。
﹁えーと、その⋮⋮ジオルド様にはジオルド様の得意なものや苦手
なものがあって、アラン様にはアラン様の得意なものがあるのでし
ょうから、向き不向きがあって当たり前ですよという意味です﹂
﹁向き不向きか⋮⋮じゃあ、ジオルドに苦手なものはあるのか?い
まだかつて聞いたことがないけどな﹂
ジオルドはなんでも涼しい顔をして簡単にこなす。
食べ物の好き嫌いも苦手なものも生まれてから同じ城で暮らしてい
るがまったく聞いたことがなかった。
完璧で非の打ち所がない、それがジオルドだ。
残りかすの俺とはまったく違うのだ。
しかし︱
﹁ふっふっふっ。ジオルド様の苦手なものわかりますよ﹂
﹁!?﹂
カタリナは、それは得意げな笑みを浮かべた。
﹁ジオルド様の苦手なものそれはですね﹂
﹁⋮⋮それは?﹂
俺は思わず固唾を飲んで見守る。
178
そこへなかなか帰ってこない俺たちをジオルドが探しに来た姿が見
えた。
すると、そのジオルドをめがけて、カタリナが何かを放り投げた。
﹁うわ!?﹂
突然、目の前に何かを放り投げられたジオルドが声をあげて飛びの
いた。
それは今まで、一度も見たことのない慌てた様子だった。
﹁おい、ちょっと待てジオルドの苦手なものって結局なんなんだ。
そして今、一体、何を投げた﹂
ジオルドのあまりの取り乱しように俺は思わずカタリナに詰め寄っ
た。
するとカタリナがまた得意そうな顔で言った。
﹁あれはヘビですわ﹂
﹁ヘビ!?﹂
あまりの予想外の答えに俺は驚愕した。
﹁⋮⋮といっても作り物ですけど、本物だと動いてポケットにしま
っておけないですから﹂
﹁⋮⋮いや、それ以前にヘビはポケットに入れるものではないと思
うが⋮⋮というか今、なぜそれを投げた﹂
﹁ですから、ジオルド様の苦手なものを教えると言いましたでしょ﹂
﹁苦手なものって⋮⋮ヘビか!?﹂
﹁そうですわ。薄々は思っていましたけれど、先ほどの反応で確信
いたしました。ジオルド様はヘビが苦手なのですわ﹂
179
カタリナは、それは高らかにそう告げた。
なぜだかわからないがその顔はとても誇らしげだ。
しかし⋮⋮ジオルドの苦手なものがヘビとは⋮⋮
まったく予想していなかった。
というか、そういう苦手を知りたかったのではなく、俺としては学
問の苦手な所とか剣術のこういう技が苦手とかそういうものが知り
たかったのだが⋮
それにしてもヘビって⋮⋮
でも⋮⋮ジオルドのあんなにあわてた様子は初めてみたな⋮⋮
その姿には正直、かなり驚いた。
そしてあんなに得意げに一国の王子にヘビのおもちゃを投げつけた
カタリナにも。
考えを撤回しよう。やはりこのカタリナという少女は城の者たちと
はまったく違う。
普通の貴族の子供たちとも違う。まったくおかしな令嬢だ。
そうして俺がひとり考えを巡らせているうちにいつのまにかカタリ
ナがジオルドにつかまっていた。
そしてじわじわカタリナに迫るジオルドは怒っていた。
まあ、本気で怒っているという感じではなく、どちらかといえばカ
タリナをからかっているような怒り方ではあるのだが︱
俺の知っているジオルドはつまらなそうに、いつも同じ作り物めい
た笑顔で笑っていた。
180
世界のすべてに興味がない。そんな風にすら見えた。
それなのに、今のジオルドはどうだろうカタリナにヘビのおもちゃ
を投げつけられて本気であわてて、それに腹を立てて怒っている。
これは本当にジオルドなのか︱
俺が唖然と見つめていたらどうやら、ジオルドがカタリナの母親に
彼女の悪事を密告することになったようだ。
先ほどまであんなに得意満面だったカタリナが真っ青になってあわ
てている。
そもそも先ほどまで、なんであんなに誇らしげにしていたのかもま
ったく不明だ。
今はもう泣き出さんばかりに必死にジオルドに謝っている。
その様子は少しばかり憐れでもあったが⋮⋮それ以上に、あまりに
も可笑しかった。
俺は耐えきれなくなり腹を抱えて爆笑した。
笑い過ぎて涙がでるほどに笑った。
こんなにも笑ったのは初めてだった。
泣くほどに笑ったら、なんだか今までたまっていたものが涙と一緒
に流れていったような気がした︱
目の前が明るく、胸は軽くなった。
やがて、カタリナがクラエス公爵夫人に連れていかれたため、俺た
181
ちは城へと帰った。
城に着いた俺はふとジオルドに声をかけた。
﹁お前にも苦手なものがあったのだな﹂
気づけば自然と声をかけていたが、正直、ジオルドに俺の方から声
をかけるのは本当に久しぶりなことだった。
そして、いつも穏やかな笑みを絶やさないジオルドが俺のその言葉
に少しだけ顔を歪める。
彼のこんな表情を見るのは初めてだ。
﹁別に苦手というわけではないですけど、あまり好きではないだけ
ですよ﹂
そう言う顔はなんだかいつもよりうまく笑えていない。
あまり好きではないってそれを苦手というのじゃないのか?無敵だ
と思っていた兄の意外な一面に俺はなんだか可笑しくなった。
﹁お前には苦手なものもないし、できないこともないと思ってた﹂
しかし、それは俺の思い込みに過ぎなかったのだ。
陰口にのまれすぎて俺はいつのまにか生身のジオルドではない、脅
威な存在を自分の中に作り出してしまっていた。
そして、俺自身が本物のジオルドを見ていなかったのだ。
ジオルドにだって苦手なものはある。俺と同じだ。
今日、あのおかしな令嬢のお蔭でそれに気が付くことができた。
182
﹁苦手なものはともかく、できないことだってありますよ﹂
﹁たとえば?﹂
なんとなくいまいち本調子の出ない様子のジオルドに問えば、彼は
苦笑して返した。
﹁たとえば、カタリナ・クラエスの行動を予測することとかね﹂
﹁⋮⋮それは、確かに⋮⋮﹂
俺も思わず苦笑する。
猿のように木を登り、突然、ヘビのおもちゃを放り投げてくるよう
な女の行動は、さすがのジオルドでも読めないようだ。
俺はまた、ジオルドにヘビのおもちゃを放り投げた時のあの得意満
面のカタリナの顔を思い出した。
自然と頬が緩む。しばらくはあの顔を思い出すだけで楽しく過ごせ
そうだ。
﹁そういえば、今日も結局カタリナとの勝負はつかなかったですけ
ど、また勝負に行くつもりですか?﹂
﹁う∼ん。そうだな。なんかもういいかな﹂
考えるが、なんだかもう勝負などどうでもいい気がした。
今まで勝負に固執し、勝ち負けにあんなにこだわっていたのが嘘の
ように、俺の心は落ち着いていた。
﹁じゃあ、もうクラエス家で会うことはないですね﹂
﹁え、なんでだ?﹂
183
俺は思わずきょとんとなった。ジオルドの言っている意味がわから
なかった。
﹁なんでって、勝負が終わったならもう行く必要はないですよね﹂
﹁⋮⋮いや、確かにそうかもしれないが﹂
確かに、クラエス家にはカタリナと勝負するために行っていたんだ
から、勝負をしないのならもう用はないわけなのだが⋮⋮
まっすぐに俺を見る水色の瞳が浮かんだ。
兄の婚約者とはいえ直接に接点のない俺はクラエス家に出向かなけ
れば、もうほとんどあの少女に会うことができない。
それはどうしてもいやだと思った。
考え込む俺にジオルドがどこか真剣な顔を向けてきた。こんな顔を
見るのもはじめてだ。
﹁あの子は僕の婚約者ですからね﹂
﹁??﹂
そんなことは知っている。改めてなんなのだと首をかしげると、ジ
オルドはまた苦笑した。
﹁自覚はないのですか。でも、絶対に渡すつもりはありませんから﹂
ジオルドはそういい不敵な笑みを浮かべると、俺を残しさっさと部
屋へと戻っていった。
俺はよくわからないまま、去りゆく兄の背中を見送った。
今までなら、その姿を見るだけで胸が痛くつらい気持ちになってい
たのに今はもう平気だった。
184
急にジオルドを好きになったわけではないが、もう今までのような
どす黒い気持ちは沸いてこない気がした。
ジオルドに続いて俺も部屋に向かう。
向かう途中の庭に、二つ並んだ木がみえると、またあの木登り上手
なおかしな令嬢の顔が浮かんだ。
今日、母親に怒られてしまったカタリナはもしかしたら落ち込んで
いるかも知れない。
勝負を持ちかけたのはこちらだし、責任は自分にもあるような気が
する。
今度、お詫びに行くとしよう。
そしてその時には彼女の好きなお菓子でも土産に持っていこう。
きっといつものように、リスのごとく口いっぱいに、頬張って食べ
るのであろうその姿を想像して俺の頬はまた自然と持ち上がってい
く。
185
新たな趣味ができました︵前書き︶
十五話から十七話まで更新させていただきましたm︵︳︳︶m
186
新たな趣味ができました
前世の記憶を取り戻してから二度目の夏をむかえ私は十歳になった。
去年の今頃は、畑が枯れかけたり、アランが勝負を挑みにきたりと
色々あったが、今年は特に何もなく平穏に過ごせそうだ。
婚約者のジオルド王子を筆頭に、その弟のアラン王子、そのアラン
の婚約者のメアリ嬢は、昨年から変わらず日々、我が家に通ってき
ている。
はじめこそ不仲の様だった、ジオルドとアランもいつの間にか、普
通に仲良くやっている。
そして、アランは本格的にピアノ、バイオリンといった楽器の演奏
に力を入れだし、最近では音楽の神の申し子だとか呼ばれるように
なっている。
メアリも出会った当時はオドオドした自信のない感じの大人しい少
女だったのが、今ではだいぶ堂々として立派なご令嬢になられた。
それでも変わらずに私を慕ってくれる。
先日も﹁私が男だったら、カタリナ様と結婚できるのに﹂なんて頬
を上気させながら言ってくれた。
本当にメアリは可愛らしい。
ちなみに、そんなメアリに﹁婚約者なんだし、アラン様と二人で過
ごしたらいいんじゃない﹂と言ったのだが⋮⋮﹁カタリナ様とお会
187
いできる時間が減るので嫌です﹂ときっぱり断られた。
あんまりきっぱり断られたので、その後は何も言えないでいる。
可愛い義弟キースも、部屋に引きこもることなく元気に暮らしてい
る。
しかし、ゲームのように女の子を誑かすチャラ男になると大変なの
で、常々﹁女性には優しく親切に﹂と言い聞かせている。
ちなみに破滅フラグ対策も順調に進んでいる。
ジオルドが剣で切りかかってきた時の対策︱
その剣を華麗によけるためのに励んでいた剣術の稽古では先生に﹁
もうこの勢いでいきましょう!動きはもういいです!﹂と見事に合
格をもらうことができた。
また、切りかかってきたジオルドを動揺させるために、作成中のヘ
ビのおもちゃは︱
庭師の頭でありとても手先が器用なトムじいちゃんにも協力をお願
いして、だいぶ精巧なおもちゃになってきている。これなら、ジオ
ルドも飛び上がって驚くこと間違いなしだ。
あんまりうまくできたので、町で売り出せそうな勢いだ。
国外に身一つで追放された時の対策︱
魔力を磨いて魔法で仕事をもらって生活していく作戦。
魔力の先生について学んではや一年、当初は二、三センチだった、
必殺土ボコも今では、うまくいけば十五センチは上がるようになっ
てきた。もうそろそろ﹁いでよ!土の壁!﹂とかっこよく叫んでも
いいくらいだ。
ちなみに、この一年ですっかり魔力もコントロールできるようにな
188
ってきたキースは、今ではあの時の巨大土人形も上手に操れるよう
になった。
私も便乗して土人形を操るべくやってみたが⋮⋮魔力を人形に込め
るという作業が意外と繊細な作業らしく⋮⋮残念ながら、少し繊細
さが足りない私にはできなかった。
魔力の先生いわく、魔法は魔力の量はもちろんその魔法を使うため
のセンスや器用さも必要らしい。
魔法はなかなか奥が深かった。
こうして、充実した日々を過ごす、私には最近、畑や木登り以外に
趣味ができた。
それは読書である。
ちなみに、本といえども歴史や経済などのかたい本ではない。
いわゆるロマンス小説である。
今、巷の女子の間ではこのロマンス小説が密かなブームになってい
る。
といってもそのような小説は貴族社会では下世話な本とされている
ため、公に公言できないため、あくまで、密かな楽しみである。
因みに私にこの本を貸してくれたのは、巷の流行に敏感な我が家の
メイドさんだ。
そうして借りたロマンス小説に見事にはまった。
前世のマンガ、アニメの潤った生活環境を失った今世の私は猛烈に
物語に飢えていたのだ。
189
ロマンス小説の中身はだいたいが素敵な王子様や騎士との恋に、美
しい友情の物語。
正直、前世に比べると物足りなくもないが⋮⋮
それでも、私はまるで水を得た魚のように小説に夢中になった。
ちなみに今の一番の一押しは、王女様と平民の女の子の美しい友情
を描いた﹃エメラルド王女とソフィア﹄である。
そしてものすごく幸運なことに、私のこの新たな趣味にまさかのお
母様が理解を示してくださった。
本の購入も快く承諾してくれるのだ。
アン曰く﹁それは外に出て何かやらかされるよりも、室内で大人し
く本を読んでいてもらった方がよいからだと思います﹂とのことだ
ったが⋮⋮
なんにせよ好きなだけ本を買って読めるなんて、なんという幸せだ。
しかし、ひとつだけ残念なことがある。それはこの本を進めてくれ
たメイドさんに結婚が決まり、屋敷をやめてしまったのだ。
こうして私は、ロマンス小説を語り合う仲間を失ってしまった。
もう、小説の話がしたくて仕方がない。
仲間を求め、アンやメアリにも探りを入れてみたが⋮⋮皆、ロマン
ス小説には興味がないようだった。
非常に残念だ。
ああ、仲間が欲しい。
これは次のお茶会あたりで仲間を探してみよう。
ちなみに数日後にお城で、ジオルド、アランが主催のお茶会が催さ
れる予定である。
190
王子主催ということで多くの貴族の子息、令嬢が集う予定らしい。
それだけ沢山の人が集うなら、仲間も見つけられるかもしれない。
私はお茶会に向け意気込んだ。
★★★★★★★★★★★
お茶会はお城の広い庭園の一角で行われた。
形式は私が初めて参加したメアリの家のお茶会と同じで、社交界の
ダンスパーティーを意識した立食形式だ。
さすが王子が主催のお茶会だけあって私が今まで出席してきたいく
つかのお茶会とは比べものにならないくらい規模が大きく人も多い。
いつもは私たちと一緒に行動することが多い、ジオルドやアランも
今日ばかりは主催者として来客の相手で手一杯らしく、初めに少し
挨拶を交わしたくらいだ。
私は始めてのお茶会で学んだ、お菓子を食べすぎてはいけないとい
う教訓を生かしながら、優雅にお茶を飲んだ。
しかし、さすが王族主催、お菓子も上手いが、お茶も上手い。そし
てその品数も多い。
もう欲望をおさえるのも大変だ。
なんとかお菓子は一つ種類につき一つとセーブしていた私だったが、
お茶の種類も多い、物珍しさに色々な種類を飲んでいたら少々飲み
すぎてしまった。
191
しかし、そこは貴族令嬢としてぐんと成長した私、一緒に会場をま
わっていたキース、メアリに﹃少し失礼しますわ﹄と告げ、ちゃん
と限界を迎える前に優雅にお手洗いに向かったのだが︱
その途中で悲劇は起きた。
私がお城の中のお手洗いへ向かうべく庭を横断していると︱
なんと鎖を千切って逃亡している番犬と思われる犬に遭遇してしま
ったのだ。
正直、私は犬が苦手だった。
なぜなら私は昔から犬に嫌われているのだ。それこそ前世の時から。
たいていの犬は私を見るとまるで長年の宿敵に出会ったというよう
に敵意をむき出しにしてくるのだ。
あんの上、その番犬も牙をむき出し威嚇してきた。
ただ、目があっただけなのになんという理不尽だ。
そして、鎖に繋がれていない宿敵は、それは好戦的に私に向かって
きた。
チワワ級の犬なら撃退できたかもしれないが、相手はドーベルマン
級であり、とても撃退できそうもなかった。
私はドレスをたくし上げ必死に逃げ、最終的に手じかな木によじ登
った。
すると木を登れない宿敵は木の下でワンワンとしばらく威嚇してい
たが、やがて逃亡に気付いたらしい飼い主の呼び声がかかったらし
く大人しく帰っていった。
192
やっといなくなった。
一安心して、私が木から降りようとすると⋮⋮
なんと私の登っている木の下に犬に変わり、新たに人間たちがやっ
てきたではないか。
おそらく六、七人連れである彼らはよりによって私の登っている木
の下で何やら話をはじめた。
今、降りれば木に登っていたことが知れてしまう。
完璧な不可抗力ではあったものの公爵家の令嬢がお城の庭園で木に
登っていたと噂になるのはまずい⋮⋮
早く違うところに移動してくれと私はひたすら念をおくる。
しかし、私にはそろそろ限界がやってこようとしていた。
そもそも、お手洗いに向う途中に犬に追いかけられ、木に追いやら
れてからもうだいぶ経っている。
そう、もう私は⋮⋮私の膀胱は限界を迎えていた。
もう、木に登っていたと騒がれるくらい仕方ない。
この年でおもらしなどという事態を引き起こすよりも恥ずかしこと
はない。
私は覚悟を決め、スルリと木から降りた。
突然、現れた私にこちらを向いていた人々がぎょっとした表情をす
る。
﹁そこをどいてくださいますか﹂
私は木の周りに集っていた人々に言った。
まるで私を取り囲むかのような配置を取っている人々がどいてくれ
ないとお手洗いにいけないのだ。
193
切羽つまった声はひどく冷たく響いた気がするが、今は気にしてい
る余裕はない。
そんな私がそうとう怖かったのか⋮⋮集まっていた人々は蜘蛛の子
を散らすように遠くへと逃げて行った。
何も逃げなくてもいいのにとちょっとせつない気持ちになっている
と︱
逃げ遅れたのか、私の前に一人残された少女が振り返った。
彼女は木に背を向けていた様なので、私が木から降りてくる姿を目
撃しなかったようだ。
振り返った少女は思わずはっと息を飲むほどの美少女だった。
真っ白な髪に赤い瞳、まるで透けるように白い肌を持つそれは美し
い少女だった。
私は一瞬、その美しさに呆けてしまったが、すぐに膀胱の圧迫感が
現実に引き戻してくれた。
これは早々にお手洗いにいかねば悲劇が起こってしまう。
こちらをなんだか不安そうに見つめる美少女に、怖くないからねと
ほほ笑むと、私はお手洗いへと急いだ。
なんとか、間に合って最悪の事態だけは免れたがお茶会のたびにこ
んなでは、いつか本当に大失態を犯す危険がある。これは携帯トイ
レ的な物を持参するべきかもしれないと私は真剣に検討した。
194
お手洗いを済ませ無事にお茶会の会場に戻ったのだが、今度はメア
リとキースがなかなか見つけられない。
ちょっと人が多すぎるのよね。
心の中で文句を言いつつ、手じかにあったまだ食べていない種類の
お菓子をつまんでいると︱
﹁あ、あの﹂
後ろから声をかけられた。
誰だろうと振り返ると、そこには先ほど木の下にいた美少女が立っ
ていた。
﹁あなた、先ほどの﹂
﹁は、はい。そうです﹂
美少女がこくこくと頷いた。
改めてみると本当に美しい少女だ。
ジオルド王子たちをはじめ美形をかなり見慣れている私でさえ息を
飲むほどの美少女だ。
真っ白の髪はまるで絹のようにさらさら、肌はまるで雪のように白
い。
そして白い肌に赤い瞳がとても映えている。
まるで、ロマンス小説にでてきそうな子だわ。
そうだ!まさにいま一番のお気に入り小説﹃エメラルド王女とソフ
ィア﹄のソフィアのようだ。
平民の娘ソフィアは絹のように美しい黒髪に雪のような白い肌の美
少女だ。
町にお忍びでおりた王女はそのソフィアの美しさに目を奪われるの
だ。
195
まさにこの少女は物語のソフィアそのものだった。
私はうっとりと少女に見とれた。
﹁あの⋮先ほどは﹂
少女がその雪のような頬を赤く染めていた。
ああ、物語のソフィアもエメラルド王女に見つめられこうやって頬
を染めるのだ。
まあ、いまこの少女を見つめているのは残念ながら王女ではなく悪
役令嬢カタリナ・クラエスなのだが⋮⋮
そしてそんなソフィアに王女は言うのだ。
﹁まるで絹のようにきれいな髪ね。少しだけ触れても構わないかし
ら﹂
﹁⋮⋮え!﹂
目の前の少女がひどく驚いた様子を見せたことで私は気づいた。
しまった、妄想がつい口に出てしまった!
少女はひどく動揺していた。
それはそうだ物語の美貌の王女様ならともかく、初対面の悪役面の
令嬢にこんなこと言われたら、それはあせるだろう。もしかしたら
怯えられてしまうかもしれない。
﹁えっと、これはその﹂
私はなんとか言い訳をしなくてはと必死に考える。
すると、動揺していた少女がポツリと漏らしたのだ。
196
﹁⋮⋮エメラルド王女﹂
なんですと!?これはもしかして!!
私は思わず少女の肩をつかんで顔を寄せた。
﹁エメラルド王女とはロマンス小説の!!あなた﹃エメラルド王女
とソフィア﹄をご存じなんですか?﹂
鬼気迫る勢いでつかみかかられた少女はひどく動揺しながらもコク
コクと頷いた。
私はその後もいくつかのロマンス小説のタイトルをあげ、知ってい
るかと少女に詰め寄り、少女はそのたびにコクコクと頷いた。
なんということだ!私はついにロマンス小説の仲間を発見した!
しかもこんな物語にでてきそうな美少女の仲間を!
そうして私が感動で打ち震えていると︱︱
﹁なにをやってるの姉さん?﹂
横から怪訝そうな声がかかった。
声の方を見ると、声と同じく怪訝そうな目で私を見つめる義弟キー
スとメアリの姿があった。
﹁⋮⋮なにって﹂
私は改めて自分の状態をみた。
美少女の肩に手をかけ鼻息を荒くし、詰め寄っている。
197
立派な変質者であった。
﹁わ、ごめんなさい﹂
私は速やかに少女を解放した。
なんだかまわりからも怪訝な目で見られている気がする。
うん。本当にごめんなさい。あまりの喜びに理性が飛んでしまって
いた。
そういえば、私はまだこの少女の名前も知らない。
おまけに名乗ってもいない。
これは淑女としてとんだ失態だ。
私はドレスの裾を掴み、優雅にお辞儀をして挨拶する。
﹁失礼いたしました。私はカタリナ・クラエスと申します。どうぞ
よろしくお願いいたします﹂
突然不審な令嬢に掴みかかられ、今度は挨拶され、かなり動揺した
様子の少女だったが、さすが貴族のご令嬢、きちんと挨拶を返して
きた。
﹁⋮⋮ソフィア・アスカルトです﹂
なんと、小説のソフィアに似ているとは思っていたが⋮⋮本当にソ
フィアさんだったなんて、もしかしてあの小説のモデルはこの子な
のではないか!
私の興奮のメーターは今にもはちきれそうだ。
198
﹁ソフィア様!よろしかったら私とお話ししませんか?﹂
ソフィアの手をがっしり掴み私は迫った。
しかし、横にいたキースから冷静な声がかけられた。
﹁姉さん。盛り上がっている所、申し訳ないのだけど、お茶会はも
う終了の時間になったよ。そろそろ支度をして屋敷に帰らないと﹂
﹁!?﹂
なんと!?これから、せっかくロマンス小説について熱く語り合お
うと思ったのに⋮⋮
それならば︱
﹁では、ソフィア様。今度、我が家に遊びに来て下さらないかしら﹂
﹁⋮⋮え、あの⋮⋮﹂
再び、がしっと手を掴むと私は必死にソフィアを誘った、そしてそ
の甲斐がありよい返事を貰うことができた。
やった∼!
抜かりなく、ソフィアの予定も聞いて日付も決めた。
﹁では、お待ちしております﹂
そうして、私は満面の笑みでソフィアに挨拶をして別れた。
こうして私はお城のお茶会にて念願のロマンス小説の仲間とおぼし
き人物、しかも美少女を見つけ約束を取り付けることに成功した!
199
そして、帰りの馬車の中ではひたすらニヤニヤして、キースを怪訝
な顔にさせた。
200
仲間を招待しました
ついに約束の日、ソフィアの我が家、訪問日がやってきた。
私は朝からソワソワしてその到着を待った。
﹁お嬢様、お話されていたソフィア様という方が来られたのですが
⋮⋮﹂
アンがソフィアの到着を教えてくれたのだが、どうも様子が変な気
がした。
しかし、一刻も早くソフィアに会ってお話したい私はアンにお礼を
言って客間へと急いだ。
そうして、客間に行くと︱
待ちかねた美少女ソフィアも確かにいたのだが⋮⋮
なぜか、その隣にこれまた絶世の美少年がいた。
黒髪、黒い瞳のその少年は髪と瞳の色こそソフィアとは違うがその
顔立ちはソフィアに似ていて血縁関係を感じさせた。
そして、そんな美形な二人が並ぶとまるで対の人形のように見えた。
ああ、アンの様子が変だったのはこのお人形のような二人に動揺し
たからなのね。
そんな美しい二人を見つめ、ぼーとなっている私に声をかけてきた
のは、美少年の方だった。
201
﹁妹を招待していただきありがとうございます。妹はほとんど一人
で外出したことがないので、付き添いでまいりました。兄のニコル
です﹂
似ていると思ったがやはり、この美少年はソフィアの兄であるらし
かった。
それにしても外出に家族が付き添いとはソフィアは箱入り娘さんの
ようだ。
しかし、実はこの私だってかなりの箱入りである。
なにせ、お母様に﹃出かけるときはキースに付き添ってもらいなさ
い。キースの言うことを聞いて可笑しなことは絶対にしないこと﹄
と言われて、いつもキースに付き添ってもらっているのだから。
うん。同じ箱入り同士より仲良くなれそうだわ。
そんなことを考えながら、とりあえずソフィアのお兄さんに向き合
いドレスの裾をあげる。
﹁こちらこそ、おいでいただいてありがとうございます。カタリナ・
クラエスと申します﹂
﹁ソフィアの兄でニコル・アスカルトといいます。どうぞよろしく
お願いします﹂
美少年が再び名乗った。
そして、それを聞いて私は固まってしまった。
202
ニコル・アスカルト⋮⋮聞き覚えのある名前だ。
﹁あの、失礼ですけど、ニコル様は宰相様のご子息でいらっしゃい
ます?﹂
﹁はい。そうです﹂
やっぱり!?この人、攻略対象のニコル・アスカルトだ!
道理ですごい美形だと思ったら攻略対象だったのね!
正直、すぐにでも、部屋に戻って﹃前世でのゲームの記憶を書き出
した帳﹄を読み返したいが⋮⋮そうすることできずに必死に記憶を
かき集める。
ニコル・アスカルト、宰相の息子でジオルド、アランとは幼馴染。
主人公よりは一つ年上で、学園では一学年上の先輩で無口キャラ。
うん、これくらいしか思い出せない。
そもそも、実はこのニコルはまだ攻略していなかった。
ジオルドを終えたら取りかかろうと思っていたのだ。
そのため、結局、ニコルのルートはやらずじまい。
わかっていることと言えば、ゲームの人物紹介と、先にゲームをし
てクリアしたオタク友達あっちゃんから少し聞きかじった情報だけ
だ。
確か、あっちゃん曰く⋮⋮ニコルのライバルは⋮⋮妹!!
そうだ、ニコルはかなりのシスコン設定でライバルはその妹だと聞
いた。
そして、ニコルを落とすのにはこの妹を先に攻略しなければいけな
いとあっちゃんは言っていた気がする。
203
ああ、ありがとうあっちゃん。あの時はネタバレを怒ってごめんよ。
まさか、ここにきてあっちゃんのネタバレがこんなに役に立つとは。
ニコルのライバルは妹、つまりカタリナはライバルではない!
それならば、ニコルに関わっても私の破滅フラグは立つことはなさ
そうだ。
それに、妹がライバルなら、アランとメアリの時みたいに名台詞横
取りしてお邪魔虫になることもなさそうだ。
よし、それなら別にソフィアと仲良くしても問題なさそうね。
折角できたロマンス小説を語り合えるであろう仲間なのだ。
そう簡単に逃してなるものか!
﹁⋮⋮あの、カタリナ様﹂
どうやらだいぶ自分の世界に入っていたらしい。
ソフィアが心配そうな顔でこちらを見ていた。
﹁ああ、ソフィア様。ごめんなさい。改めまして、ようこそおいで
くださいました。よかったらこの前の続きをお話しさせて﹂
そう言って、私はお茶やお菓子の準備されたテーブルにソフィアを
誘った。
そして、とても有意義な時間を過ごした。
初めこそよその家になれないのかオドオドしていたソフィアだった
204
が、本の話になると口が軽くなった。
本当に本が好きなようだ。
ソフィアは今はやりのロマンス小説はもちろん、昔の御伽話や歴史
を元にした物語など本当にたくさんの本を読んでいて、その話はと
ても面白かった。いくつかおすすめの本も教えてもらった。
強いていえば、兄のニコルが完璧に蚊帳の外になっていたが⋮⋮
まあ、そのことに気付いたのもだいぶ時間がたってからだったので
仕方ない。
しかし、本当に設定どおりに無表情で無口な少年だ。
折角の美少年なのになんだかもったいない。
楽しい時間はあっという間にすぎるもので、気づくと日が傾きかけ、
ソフィアの家の召使さんが﹁そろそろ、お暇しないといけません﹂
と声をかけてきた。
そうして召使さんに促され立ち上がったソフィアの髪に光が当たり
キラキラと光っていた。
本当にきれい。きっと絹のようなさわり心地に違いない。
ああ、少しでいいから触ってみたいな∼。
﹁本当にきれいな髪ですね。少しだけ触ってもいいですか?﹂
私は思い切ってソフィアに頼んでみた。
なんとなく、﹃エメラルド王女とソフィア﹄の台詞みたくなり、気
分はすっかりエメラルド王女だった。
しかし、小説ならここで顔を赤く染めるはずのソフィアだが⋮⋮
205
﹁⋮⋮え!?﹂
残念ながら、すごく怪訝な顔をされてしまった!
やってしまった!その顔を見て私は自分の大失態を悟った。
いつもメアリが喜んでそのふわふわの髪を触らせてくれるから油断
していたが、もしかしたらこちらの世界では婦女子の髪にみだりに
触るのは失礼なことなのかもしれない。
そもそも初対面では鼻息あらく迫ったりしているから⋮⋮変態だと
思われたかも⋮⋮
やばいよ!悪役面はもう仕方ないとしても変態の称号は欲しくない!
﹁⋮え、えっとその﹂
なんとか言い訳を考えるがなかなか浮かんでこずに私は一人アワア
ワする。
﹁⋮⋮ないのですか?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
ソフィアが弱々しい声で何かつぶやいたが聞き取れなかった。
私が聞き返すと︱
﹁⋮⋮気持ちが悪くないのですか?﹂
今度は先ほどより大きな声でソフィアが言った。
気持ち悪い⋮⋮私が!?
私が変態だから気持ち悪いのか!
いや、私は決して変態ではないわ!確かに一年前には俺様王子にメ
アリを誘惑したとかわけがわからないこと言われたけど⋮⋮そんな
206
趣味はないし!私は至ってノーマルなのよ!
﹁あのですね⋮⋮私は﹂
私は何とか弁解しようと口を開いたが︱
﹁カタリナ様は私のこの見た目が気持ち悪くないのですか?﹂
続いたソフィアの台詞に言葉を失ってしまった。
え?どういうこと気持ち悪いのは私ではなくて?ソフィアが?
思わずきょとんとする私にソフィアがまるで泣き出しそうな顔で告
げる。
﹁⋮⋮この老人のように白い髪に血のように赤い瞳⋮⋮⋮みんな気
味が悪いと呪われた子だと言うのに⋮⋮﹂
﹁!?﹂
なんですと!?
こんなに綺麗なのに気味が悪いですと!?
この世界の人の髪や瞳は金、銀、茶色に、赤、黒にと本当に色とり
どりだ。
なので、ソフィアの白い髪も、赤い瞳も普通のものだと思っていた。
なのに⋮⋮異質なものだったのか⋮⋮
それに︱
﹁⋮⋮呪われたって⋮いったい?﹂
私の問いかけにソフィアが口を開こうとすると、それを遮るように
ニコルが冷たい声で言った。
207
﹁中傷です⋮⋮父の功績やわが家を妬んだものたちがそのような悪
口を広めているのです﹂
たしかに、アスカルト家は非常に優秀だ。優秀であるがゆえに敵も
多く、悪く言われることも多いのだろう。
我がクラエス家だって、キースはとびっきりに優秀だし、私だって
ちゃんと令嬢をしているのに﹃あそこの子供は変わっている﹄なん
て根も葉もないことを言われることがあるのだから。
﹁⋮⋮それでも私のこの姿が気味悪いのは変わりありません﹂
ソフィアが力なく呟く⋮⋮
きっと心ない悪口をたくさん言われてきたのだろう。
たしかに言われれば、ソフィアのような容姿の人を今まで見たこと
はないが︱
﹁でも、私はきれいだと思うけど⋮⋮﹂
﹁⋮⋮え﹂
私の呟きにソフィアが目を見開いた。
じっとこちらを見つめるソフィアに私は続けた。
﹁私は、ソフィア様のその絹のような白い髪も、ルビーみたいに赤
くキラキラした瞳もとても綺麗だと思います﹂
このくらいの発言なら変態とは思われないだろう。
208
変態認定は絶対に避けたい!
私はノーマルですよ安心ですよとソフィアに笑顔を向ける。
﹁ですから、また遊びにきていただけると嬉しいです。そしてよけ
れば、私のお友達になってくださいませんか?﹂
そう言って私がさしだした手にソフィアが手を重ねてくれた。
その白く綺麗な手を私はぎゅっと握りしめた。
喜ばしいことに今度は怪訝な顔を向けられることはなかった。
こうして私は念願のロマンス小説を語り合う友達をゲットしたので
ある。
ソフィアと彼女に寄り添うニコルを馬車まで見送った後。
とりあえず部屋に戻り﹃前世でのゲームの記憶を書き出した帳﹄を
引っ張りだしてみたが︱
最初に思い出した以外のことは特に記入されていなかった。
まあ、ソフィアが攻略対象の妹でカタリナと同じライバルキャラだ
ということには驚いたが︱
今回はおそらくなんの邪魔もしていないのでそこは安心だ。
そして、とても喜ばしいことにソフィアは私と同じ年であり、魔力
保持者だった。
つまり魔法学園でも同級生になるのだ。
これからもずっと小説を語り合える!
私は喜びにベッドの上で飛び跳ねて小躍りし、アンに注意をうける
209
こととなった。
その後も、ソフィアは我が家に来てくれるようになった。
ちなみに付き添いのニコルも一緒だ。
そして喜ばしいことにソフィアと私の熱い小説トークに影響を受け
たのか﹁私にも貸していただけないかしら﹂とメアリも一緒に読ん
でくれるようになりさらに小説トークは盛り上がることとなった。
また、外ではほとんど遊んだことのないというソフィアを外に連れ
出して遊び、一緒に畑作業もするようになった。
最初こそ、驚いた様子のソフィアにニコルだったが、今では私がほ
っかむりで登場しても大丈夫になった。
こうして、我が家に新たな通い仲間が増えた。
210
一人部屋に籠り本を読んで
私の名前はソフィア・アスカルト。
アスカルト伯爵家の長女として生まれた。
優しく頼れる父は国の宰相をしており国王の信頼もあつい。
そして、父と同じく優しく美しい母に兄。
裕福で立派な家に生まれ、素敵な家族に恵まれた。
私は生まれながらに本当にたくさんの幸福を与えられていた。
だからなのか⋮⋮
幸福を得すぎた代償なのだろうか⋮⋮
私は他の人と同じようには生まれなかった。
まるですべての色素が抜け落ちたような真っ白な髪に、血のように
真っ赤な瞳。
私の容姿は異質だった。
外に出れば奇異な視線を向けられ、﹁呪われた子﹂と陰口をたたく
人もいた。
それでも家族は私をとても可愛がってくれた。
頭を優しくなでてくれる父、抱きしめてくれる母、いつも傍にいて
守ってくれる兄。
211
優しい家族はいつか私のことをわかってくれる人が現れると⋮⋮
きっと素敵な友達ができると言ってくれるけど⋮⋮
そんな人が現れるなんて思えなかった。
だから私は自分の部屋に閉じこもった。
できるだけ、人の目につかないように⋮⋮
そして部屋の中でいつも本を読んだ。
たくさんの素敵な物語は私に辛い現実を忘れさせてくれた。
私はお気に入りの本を開く、それは王女様と女の子の友情の物語。
﹃エメラルド王女とソフィア﹄
主人公の一人である女の子は私と同じ名前だった。
物語のソフィアは、それは美しい黒髪に瞳を持っており、明るくみ
んなの人気者である女の子。
そんな素敵なソフィアのもとに、国の王女様が現れる。
﹃とても、きれいな髪ね。少しだけ触っていいかしら﹄
王女はソフィアにそう言って微笑む。ソフィアは、はにかんだ笑顔
を作る。
呪われた私には味わうことのできない素敵な物語。
だから私は一人部屋の中で、自分が物語の主人公になる空想をする。
空想の中でだけは人気者の素敵な女の子になれるから⋮⋮
212
★★★★★★★★★★★
﹁ソフィア、お城であるお茶会に参加してみなさい﹂
ある日、父がそう言ってきた。
私はいままでお茶会に参加したことはない。
外に出ればこの容姿のせいで奇異の目を向けられるのに、そんなも
のに出たくはなかった。
私はそう言って断った。
しかし、いつもはすぐに引いてくれる父がこの日はなかなか首を縦
に振ってくれなかった。
﹁いいかい、ソフィア。お前には魔力がある。だから十五歳の年を
迎えたら学園にいかなくてはならない。ずっと部屋に籠っているわ
けにはいかないのだよ。今回のお茶会は王子主催で沢山の貴族の子
供たちがくる。その中にはお前と一緒に学園に行く者もいる。辛か
ったら早めに帰ってきても構わないから、少しずつでも外の世界に
慣れていかなければいけないのだよ﹂
確かに、魔力のある私は十五歳になったら強制的に学園にいかなけ
ればならない。
ずっと部屋に籠って空想ばかりしていられないのもわかっていた。
少しずつでも慣れていかなければいけない︱
私は、なけなしの勇気を振り絞ってお茶会への参加を決めた。
そうして私は兄と一緒に、生まれて初めてのお茶会に参加した。
213
お城の庭園の一角で開かれた煌びやかなお茶会。
そこには今まで見たことのないくらいの沢山の人がいた。
初めこそ、兄と共に沢山のお菓子やお茶のならぶ会場を物珍しく眺
めていたのだが⋮⋮
兄と少しはぐれた途端、私はすぐに何人かの貴族の子供たちに囲ま
れてしまった。
彼らは皆、一様に険しい顔をしていた。
そして彼らによって私は庭園のはずれの木の下に連れてこられた。
﹁あなた、このお茶会は王子たちが初めて主催されるとてもおめで
たい場だということがわかっていますの!﹂
﹁そうだ!お前のような呪われた子がいるとせっかくのおめでたい
場が台無しになる!﹂
﹁だいたい、そのような気味の悪い姿でよく人前に出てこられたも
のだな!﹂
彼らは口々に、私を罵った。
気味悪がられているのも、嫌われているのもわかっていたはずなの
に⋮⋮
私はぐっと唇を噛みしめた。
やはり、部屋から出るべきではなかった。
ずっと、部屋に籠っていればこんな目に合うことはなかったのに⋮⋮
そう思った時だった︱
﹁そこをどいてくださいますか﹂
214
そのよく通る声は私のすぐ後ろから聞こえた。
振り返るといつの間に現れたのか、まるで物語の中のエメラルド王
女のように威厳ある雰囲気の少女が立っていた。
少女はその一声で、私の周りを囲んでいた人たちを簡単に追いやっ
てしまった。
一体、何が起こったのかよくわからなかったが⋮⋮
それでも、私はこの少女に助けられたのだということだけはわかっ
た。
そうして茫然としている私に、少女は優雅に微笑んで、颯爽と去っ
ていった。
私はしばらくその少女の後ろ姿を眺めていた。
その後、しばらく木の陰に身を隠し、先ほどの彼らが近くにいない
ことを確認してから私は会場へと戻った。
すると偶然に先ほどの少女を見つけた。
助けてもらったお礼を言わなければ⋮⋮
私はめいっぱいの勇気を振り絞り少女に声をかけた。
﹁あの⋮﹂
振り返った少女は先ほど変わらず実に堂々としたたたずまいだった。
215
﹁あの⋮⋮先ほどは﹂
緊張でうまく声が出せない。
少女の水色の瞳がじっとこちらを見ていた。
そして少女はおもむろに口を開いた。
﹁まるで絹のようにきれいな髪ね。少しだけ触れても構わないかし
ら﹂
﹁⋮⋮え!?﹂
それは何十回と読み返した物語﹃エメラルド王女とソフィア﹄の台
詞だった。
明るく人気者の主人公ソフィアはある時、町の外れで不思議な少女
と出会う。
威厳ある雰囲気をまとった少女︱その名は︱
﹁⋮⋮エメラルド王女﹂
私は思わず呟いていた。
すると︱
﹁エメラルド王女とはロマンス小説の!あなた﹃エメラルド王女と
ソフィア﹄をご存じなんですか!?﹂
気づけば、目の前の少女に肩を掴まれていた。
私はただ、茫然とする。
一体、なぜこの少女が突然にエメラルド王女の台詞を口にしたのか
⋮⋮
そしてなぜ自分は今、この少女に肩を掴まれているのか⋮⋮
なにが、なんだかわからなかった。
216
それに︱
いままで、たくさん奇異な目や、冷たい目を向けられてきたが⋮⋮
なぜか少女はキラキラした目で私を見つめている。
こんな目で見られたことのない私はさらに混乱する。
そして、少女の勢いに圧倒され、なにがなんだかわからず、繰り出
される質問にただただ頷いていると⋮⋮
﹁なにやってるの姉さん?﹂
横から怪訝そうな声がかかった。
声の方を見ると亜麻色の髪に青い瞳の美しい少年が立っていた。
どうやら少年は少女の知り合いのようだった。
﹁わ、ごめんなさい﹂
少年に指摘され少女は私の肩を離した。
そしてドレスの裾を掴むと優雅にお辞儀をした。
﹁失礼いたしました。私はカタリナ・クラエスと申します。どうぞ
よろしくお願いいたします﹂
それは本当に物語の王女様のような仕草で私は思わず見とれてしま
う。
そして自分も名乗らなければと気づき、あわてて挨拶を返した。
﹁⋮⋮ソフィア・アスカルトです﹂
217
すると、その後、信じられないことが起きた。
﹁ソフィア様!よろしかったら私とお話ししませんか?﹂
少女、カタリナが私の手を握りそう言ったのだ。
この子は一体何を言っているのだろうか⋮⋮
私をからかっているのだろうか。
状況が理解できずに私はただ茫然と立ち尽くした。
そして︱
﹁ソフィア様。今度、我が家に遊びに来て下さらないかしら﹂
﹁⋮⋮あ、はい﹂
いつの間にか気が付けば⋮カタリナの家へと赴くこととなった。
約束を交わしながらも、私はこれが現実なのか、いつもの空想が見
せている夢なのか判断できないでいた。
★★★★★★★★★★★
そしてついに約束の日はやってきた。
一人で外出などしたことのない私に優しい兄が付き添ってくれるこ
ととなった。
218
一つ年上の黒髪黒い瞳の美しい兄はいつもそっと私に寄り添い守っ
てくれていた。
今日も隣にいてくれる兄の存在はとても頼もしかった。
そうして勇気を振り絞って訪れたクラエス家では、出迎えた召使の
人たちが私をみて驚いた顔をした。
そんなことにはもう慣れっこだったけど⋮⋮
振り絞っていた勇気がだんだんしぼんでいく気がした。
もしかしたら、からかわれただけなのかもしれない⋮⋮
通された部屋で不安になっていると、彼女は現れた。
上気した頬に荒れた息、急いでやってきたという様子のカタリナは
私たちを見つめそのまま何も言葉を発しなかった。
やはりからかわれただけなのだろうか⋮⋮
訪ねてきたのは失敗だったのだろうか。
私もなんと言葉を発してよいのかわからずに固まっていると、頼り
になる兄が先にカタリナに声をかけてくれた。
﹁妹を招待していただいてありがとうございます。妹はほとんど一
人で外出したことがないので、付き添いでまいりました。兄のニコ
ルです﹂
兄の言葉にカタリナは我に返ったようにはっとした顔をした。
﹁こちらこそ、おいでいただいてありがとうございます。カタリナ・
クラエスと申します﹂
219
おいでいただいてありがとうございます⋮⋮からかったのではなか
ったのだろうか⋮⋮
私はここにきてよかったのだろうか。
﹁ソフィアの兄でニコル・アスカルトといいます。どうぞよろしく
お願いします﹂
兄が再び、カタリナに名乗った。
すると彼女は固まってしまった。
どうしたのだろう⋮⋮
私はすっかり固まってしまっているカタリナが心配になり声をかけ
た。
﹁⋮⋮あの、カタリナ様﹂
﹁ああ、ソフィア様。ごめんなさい。改めまして、ようこそおいで
くださいました。よかったらこの前の続きをお話しさせて﹂
そう言って、カタリナはお茶やお菓子の準備されたテーブルに私を
促した。
初めはすごく不安だったが、実際にカタリナと話しをすると、そん
な気持ちは消えていった。
誰かと大好きな本の話しをするのは初めてで、それはまるで夢のよ
うな時間だった。
そうして夢のような時間はあっという間にすぎ、気づくと日が傾き
かけ、我が家の召使に﹁そろそろ、お暇しないといけません﹂と声
をかけられた。
220
そうして促され立ち上がった私にカタリナが声をかけてきた。
﹁本当にきれいな髪ですね。少しだけ触ってもいいですか?﹂
﹁⋮⋮え!?﹂
私の顔は自然とこわばった。
カタリナは一体何を言っているのだろう。
この気味の悪い白い髪がきれいなはずなどないのに⋮⋮
気がつけば、私は出会った時からずっと思っていた疑問をカタリナ
に問うていた。
﹁カタリナ様は私のこの見た目が気持ち悪くないのですか?﹂
外にでれば奇異の目を向けられ、気味が悪いと囁かれてきた。
﹁⋮⋮この老人のように白い髪に血のように赤い瞳⋮⋮⋮みんな気
味が悪いと呪われた子だと言うのに⋮⋮﹂
そんな私に綺麗な所なんてないのだ。
私はただ、気味悪がられるだけの存在なのだから⋮⋮
﹁⋮⋮呪われたって⋮いったい?﹂
茫然とした様子でカタリナが呟いた。
﹁中傷です⋮⋮父の功績やわが家を妬んだものたちがそのように悪
口を広めているのです﹂
221
兄の声はとても冷たく響いた。
こうやって、優しい家族はいつも私をかばってくれるけど⋮⋮
﹁⋮⋮でも私のこの姿が気味悪いのは変わらないわ﹂
私のこの異質な容姿にはいつも心無い悪口が付いてくる。
ずっとそうだった。
なんで私はこんな風に生まれてきたのだろう⋮⋮
私だって物語の中のソフィアのように綺麗に生まれたかった。
﹁でも、私は綺麗だと思うけど⋮⋮﹂
カタリナが呟いた。
きれい?なんのことを言っているのだろう。
私はカタリナを見つめた。
﹁私は、ソフィア様のその絹のような白い髪も、ルビーみたいに赤
くキラキラした瞳もとても綺麗だと思います﹂
カタリナはそう言って私に笑顔を向けた。
絹のような白い髪、ルビーみたいに赤くキラキラした瞳。
それは本当に私のことを言っているのだろうか⋮⋮
とても信じられないような言葉だったが⋮⋮
カタリナその水色の瞳は嘘をついている様には見えなかった。
お茶会でまるで正義の味方みたいに私を助けてくれた人。
物語のエメラルド王女みたいな女の子。
222
﹁ですから、また遊びにきていただけると嬉しいです。そしてよけ
れば、私のお友達になってくださいませんか?﹂
カタリナが私に手を差し出す。
﹃きっとソフィアのことをわかってくれる素敵な友達が現れるよ﹄
そう言ってくれる家族に頷いたことはなかった。
だって、そんな人現れるはずないのだから⋮⋮
そんな人、いないと思っていたのに︱
皆に奇異な目で見られるこんな私を︱
綺麗だと、友達になろうと言ってくれる人が現れるなんて︱
私は震える手をカタリナの手にそっと重ねた。
彼女はその手をぎゅっと包んで、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。
これは夢なのだろうか⋮⋮茫然とする私に馬車のなかで兄が滅多に
見せない笑顔でいった。
﹁友達ができてよかったな﹂
友達⋮⋮そんなものできるはずないと思っていた。
だからずっと部屋に籠り一人空想して過ごしてきたのだ。
223
でも、本当はずっと友達が欲しかった。
ずっとずっと欲しかったのだ。
カタリナが握ってくれた手の温もりに、嬉しそうな笑顔を思い出す。
私はずっと欲しくて、でもずっと諦めていたものを手にすることが
できたのだ。
そして、その後クラエス家に通うようになった私は、双子の王子様
たちやカタリナの弟、カタリナの友人とも親しくなった。
ずっと、自分の部屋だけだった私の世界は一気に広くなった。
カタリナの友人であるメアリが私に言った。
﹁少し前まで、私はずっと自分が嫌いでした⋮⋮この茶色の髪も瞳
も嫌だったんです﹂
私はとても驚いた。
カタリナ同様に堂々として、とても立派な令嬢にしかみえないメア
リが自分を嫌いだったなんて⋮⋮
それにこんなに綺麗な髪や瞳を嫌うなんて信じられないと思った⋮⋮
﹁でも、カタリナ様が私のことを素敵だと、好きだと、可愛いとた
くさん言ってくださったから⋮⋮今はもう自分が嫌いではなくなり
224
ました。この髪も瞳も好きになりました。だから、きっとソフィア
様も大丈夫ですわ﹂
メアリはそう言って私を見つめた。
ここの屋敷に集う人たちはメアリを含め誰も私を気味悪がったりし
ない。
そしてカタリナにいたっては、私の髪も瞳も綺麗だ、素敵だといつ
も言ってくれる。
あんなにみんなに気味悪がられたこの見た目を⋮⋮本当に心から褒
めてくれる。
私もいつか、メアリのように自分が好きになれるだろうか⋮⋮
この異質な見た目も受け入れられる日がくるのだろうか⋮⋮
先のことはまだわからない。
でも、今の私はそんな日も来るかもしれないと思うことができた。
﹁ありがとうございます﹂
私はメアリにお礼を言う。
するとメアリは不敵な笑みを浮かべた。
﹁でも、カタリナ様は渡しませんからね﹂
部屋の中一人籠り本を読んでいるのが一番だとずっと思っていた⋮⋮
225
でも、飛び出した世界で私はそれ以上のものを見つけることができ
た。
226
伯爵家に遊びに行きました︵前書き︶
十八話、十九話を更新させていただきましたm︵︳︳︶m
227
伯爵家に遊びに行きました
夏が終わり、そろそろ秋が近づいてこようとしている。
ソフィアとその兄のニコルが我が家を訪れてくれるようになり、数
週間がたった。
ソフィアが来てくれるようになり、メアリも仲間に加わり、私のロ
マンス小説ブームはさらに過熱した。
沢山の本を愛読しているソフィアのお蔭で、私の本のジャンルの幅
も大いに広がった。
ちなみに今の私のブームは魔性の魅力を持つ伯爵と少女のロマンス
小説だ。
女性は元より男性まで魅了してしまうほどの魔性の魅力を持った美
しい伯爵が、町に暮らす普通の女の子と恋に落ちるラブ・ロマンス
小説。
ソフィアのお勧めで読み始めたこの小説は︱黒髪に瞳を持つ伯爵で
ある美しい青年が主人公だ。
ソフィアが﹁実は主人公がお兄様にちょっと似ている気がして好き
なんです﹂とこっそり教えてくれた。
﹁身内の贔屓目ですけど﹂とソフィアは恥ずかしそうに言っていた
が⋮⋮
小説を読んでみると、確かに似ている気がした。
ジオルド、キースを含め美形には見慣れている私だったが、ソフィ
228
アの兄ニコルはまた他の人とは違う独特の雰囲気を持っているのだ。
よくできた人形のように綺麗な顔、美しい黒い瞳は見るものを引き
込んでいくような不思議な魅力を持っている。
このまま成長すると、本当に小説の伯爵のように女性はもちろん男
性までひきつけてしまうのではないかという雰囲気を確かに感じる。
しかし、そんなソフィアの兄ニコルのことは未だによくわからない。
ジオルドたちと同じ攻略対象であるニコルはゲームの説明書には攻
略対象の中では一番の常識人となっていた。
それに、大切な友達の兄でもあるので、ぜひ仲良くしたいのだが⋮⋮
なにせ、彼はほとんど自分からしゃべらない。
しゃべったとしてもほぼ必要事項だけで一言、二言で会話が終わっ
てしまう。
私の周りには常に賑やかな面々が集まっているため、口数少ないニ
コルとはほとんど言葉を交わすことがないのだ⋮⋮
しかし、それでもソフィアを大切にしているのは伝わってくるし、
私たちへの気遣いもあり、とてもいいお兄さんである。
そしてソフィアもそんな兄をとても慕っているのがよくわかる。
また、噂ではジオルド、アランと同じく、学問の成績もよく、剣術
の腕もたつなどスペックの高い人物らしい。
機会があればぜひ、もう少しお話しして親交を深めたいのだけど⋮⋮
229
と思っていたところに、その機会はやってきた。
﹁よかったら、我が家に本を見に来ませんか﹂
ソフィアの蔵書を﹃見たい見たい﹄と日々、繰り返していたら、遂
にソフィアからお誘いを受けることができたのだ。
まあ、ちょっと強引にこちらから迫った感はあったが⋮⋮
﹁いいのですか!﹂
万歳して飛び跳ねて喜ぶ私にソフィアは笑ってくれたが、傍に控え
ていたアンは﹁奥様に見られたらまたおこられますよ﹂と眉をしか
めていた。
こうして、私はアスカルト家へ遊びに行くことになった。
メインはソフィアとの小説トークだが、もしかしたら、もう少しニ
コルと話ができるかもしれない。
兄を大変慕っている可愛い友達とこれからも仲良くしていくために
も、今回の訪問でニコルと二言以上の会話をしようと心に決める。
そうして約束の日をむかえ、私はソフィアに聞く沢山の蔵書に心躍
らせ、アスカルト家へと向かった。
因みにクラエス家の箱入り娘である私にはキースが付き添ってくれ
た。
お母様からも﹁くれぐれも粗相のないように﹂とだいぶ心配された。
230
もう何度かお茶会にも参加しているし、親戚筋ではあるがメアリの
家にもお邪魔しているし、まったく問題ないのに、お母様はだいぶ
心配性だ。
そうして、キースと共に訪れたアスカルト家はクラエス家ほどの大
きな屋敷ではないが、清潔で趣味のいいお屋敷だった。
召使さんに案内されて通された客間で出されたお茶をいただいてい
ると、そこに突然、おそらくお父様たち同じくらいの年齢であろう
美しい男性とこれまた清楚で美しい女性が寄り添って現れた。
当然、ソフィアが現れると思っていた扉から現れたその美しい男女
に私はただただポカーンとなった。
えーと、この美しい方々は一体、誰だろう。
するとそんな私に向かって男性の方が眩い笑みを浮かべた。
﹁はじめまして、私はニコルとソフィアの父でダン・アスカルトと
申します。こちらは妻のラディアです﹂
﹁ラディア・アスカルトと申します﹂
男性に促され隣の美女も微笑んで挨拶をしてきた。
なんと!ソフィアとニコルのご両親だったのか!通りで美形だと思
った。
︱ということはこの男性がその優秀さをかわれて、王様が直々に宰
相の職に取り上げられたという噂のアスカルト伯爵だということか。
私は微笑むアスカルト夫妻を見つめた。
ニコルと同じ黒髪に瞳のアスカルト伯爵に、淡い金色の髪に青い瞳
231
のアスカルト夫人は二人とも物語の中からでてきたのではないかと
思えるほど美しかった。
さすが、美形兄妹の両親である。
そんな二人にボヘーと見惚れている私の腕を横にいるキースが軽く
ゆすった。
﹁姉さん、挨拶﹂キースが私だけに聞こえるように小声で言った。
そうだった!ここは貴族のご令嬢としてきちんと挨拶をしなくては︱
﹁⋮⋮はじめまして、カタリナ・クラエスと申します。本日はお招
きいただきまして、ありがとうございます﹂
﹁弟のキース・クラエスと申します。よろしくお願いいたします﹂
私がご令嬢らしく優雅に挨拶をし、続いてキースが丁寧に礼をする。
うん。きちんと挨拶できた。
それにしても⋮⋮なんで、ソフィアではなくご両親がやってきたの
だろうか。
疑問が顔に出ていたのだろう。
﹁私たちが先に挨拶させていただこうと思い、娘はまだ呼んでいな
いのです。今頃、自分の部屋であなたが来るのをソワソワしながら
待っていますよ﹂
アスカルト伯爵が私の疑問に答えてくれた。
﹁そうですか﹂
とりあえず、二人が先に現れた理由はわかったが⋮⋮
232
ご両親から改まって挨拶されるというのもなんだか緊張する。
メアリの家には何度か遊びに行ってはいるが、メアリの父親は仕事
で屋敷にいないことが多いとかで、最初のお茶会でお目にかかって
以来、会っていない。
なので、友達の家に遊びにきてご両親にこうやって改めて挨拶する
のは初めてのことだ。
緊張してやや硬くなった私の元に、アスカルト夫人が優雅に歩みよ
ってきた。
﹁娘から、カタリナ様の話は沢山、聞いております。あなたに出会
ってから娘は本当に楽しそうで⋮⋮ありがとうございます﹂
アスカルト夫人はそう言って私に手を差し伸べた。
近くで見ると本当に美しい女性だ。
そしてその顔立ちはソフィアによく似ていた。
私は差し伸べられた夫人の手に、だいぶ緊張しながら自分の手を重
ねつないだ。
﹁こちらこそ。ソフィア様とお話するのがとても楽しくて、仲良く
していただけて嬉しいです﹂
ソフィアのお蔭で、実に充実したロマンス小説ライフが送れている。
ソフィアに出会えなければ、ここまで充実した小説ライフは送れな
かったであろう。
これからもぜひ、仲良くしてもらいたい。
私の言葉にソフィアによく似たアスカルト夫人がつないだままの私
の手を強く握った。
233
﹁ソフィアにあなたのような素敵な友達ができ本当によかった﹂
そして、妻に続いて夫のアスカルト伯爵にも頭を下げられた。
﹁私からも礼を言わせてほしい。カタリナ・クラエス嬢、本当にあ
りがとう﹂
﹁え、あのこちらこそ、はい﹂
美しすぎるご夫婦にそろって頭を下げられ、緊張のあまりしどろも
どろになってしまった。
せっかく、最初の挨拶はちゃんとできたと思ったのにこれでは台無
しだ。
しかし、そんなしどろもどろで怪しい令嬢にもアスカルト夫婦は優
しい笑みを浮かべてくれていた。
なんと素敵で優しいご両親なのだ。
そうして、優しい笑みを浮かべた二人は﹁では、娘たちに声をかけ
てきます﹂と退室していった。
去りゆく後ろ姿もそれは美しかった。
二人を見送ると、私はためていた息を吐き出した。
⋮⋮なんだか緊張した。
そして⋮⋮とりあえず、歓迎されているようで良かった。
私はおそらくこの残念な悪役顔のせいで普通顔の人より、いい印象
を残しにくいのだ。
優雅に微笑んだつもりでも悪役の嫌味な笑みになってしまう可能性
も高い。
234
お城のお茶会で声をかけただけで、逃げられたのは悲しい思い出だ。
アスカルト夫婦が出て行った扉を見つめながら、私は隣に立つキー
スにこっそり耳打ちする。
﹁とっても綺麗で、優しいご両親ね﹂
﹁そうだね﹂
キースも笑顔で同意してくれた。
﹁うちのお母様も、アスカルト夫人みたいにもう少し穏やかになっ
てくれればいいのに、いつも眉間に皺を寄せて怒ってばかりなんだ
から、あれでは美容にもよくないわ﹂
﹁⋮⋮姉さん。⋮⋮母さん自身もたぶんもっと穏やかに暮らしたい
と思っているはずだよ﹂
優しく綺麗なアスカルト夫人に、我が母を思い出しちょっぴり愚痴
った私に、なぜだかキースが切ない視線を送ってきた。
意味がわからず私はきょとんとなりキースを見つめた。
そんな私の様子にキースがため息をついた所で、ソフィアが現れた。
後ろにはいつものようにニコルが付き添っている。
急いできたのかソフィアの息は乱れ、頬も少し赤く染まっていた。
しかし、同じ速度で来たはずなのだが、ニコルの息はちっとも乱れ
ていないのだからさすがだ。
﹁カタリナ様、ようこそおいでくださいました﹂
235
ちょっぴり頬を赤くして頬で微笑んだソフィアは今日もそれは可愛
らしかった。
そうして、私はソフィアとの楽しいおしゃべりを堪能し、アスカル
ト家の素晴らしい蔵書の数々もみせてもらった。
そこにはソフィアが今まで読んできたという沢山の物語の本が並ん
でおり、私はとても興奮した。
ちなみに今日はキースがいてくれたためニコルを一人、蚊帳の外に
することはなかった。
さすが、年の近い男の子同志、そこは無口なニコルでもそこそこ話
すことがあるようで、私とソフィアほどではないが、ほどほどに会
話が弾んでいるように見えた。
そして、楽しい時間はあっという間にすぎていった。
学問の講義の時間はあんなに長く感じるのに、こういう時間は時計
が早送りされているのではないかと思うほどに早いのだ。
まだだいぶ名残惜しいが、あまり遅くまでお邪魔していては、お母
様に怒られてしまう。
私は抱えきれないほどの本をソフィアから借り、帰宅することとし
た。
そうして、アスカルト兄妹に玄関で帰りの挨拶をしている時だった。
﹁あ、大変!先ほどお話したおすすめの本を部屋に置いてきてしま
いましたわ﹂
236
ソフィアが声をあげた。
﹁ああ、さっき言っていた本ね?﹂
確か、今一番のソフィアのおすすめ本だ。
ソフィアが書斎でその魅力を熱く語ってくれ、そのままおいてきて
しまったようだ。
﹁そうです。すみません。今、とってまいります﹂
﹁ソフィア、また次の時でもいいわよ﹂
今にも書斎に走り出しそうなソフィアに私はそう言って遠慮したが
⋮⋮
﹁いえ、本当に素晴らしい本なので、ぜひとも早く読んで頂きたい
のです。待っていてください﹂
そう言って、ソフィアは書庫へと引き返していった。
一応、貴族の令嬢としてドレスで走るのはいけないという意識から
かかなり急いだ速足だ。
そんなソフィアの背中に前世の友達あっちゃんが重なった。
きっと、ソフィアなら前世の世界でも一緒にマンガを読んだり、ア
ニメを見たり、乙女ゲームもしてくれる気がした。
ああ、本当に素敵な友達ができた。
私がソフィアの背中をうっとりと見つめていると、それまで黙って
いたニコルがおもむろに口を開いた。
237
﹁カタリナ・クラエス様。改めて妹のことのお礼を言わせてくださ
い。本当にありがとうございました﹂
そういえば、今日はニコルともっと話をしてみようと思っていたの
だった⋮⋮
結局、アスカルト家の蔵書に興奮し、ソフィアとの小説トークが楽
しすぎてすっかり忘れてしまっていた。
これは少しでも話をして仲良くなるチャンスである。
﹁いえ、こちらこそ。私の方が仲良くしていただいてありがたく感
じていますのに⋮⋮ご両親にもそのように言っていただいて﹂
﹁⋮⋮両親が﹂
そういえば、屋敷についてからニコルの両親が挨拶にきてくれたこ
とを二人には話していなかった。
﹁はい、お二人が来られる前にわざわざ挨拶にきてくださったので
す。素敵なご両親ですね﹂
﹁⋮⋮そうですか、ありがとうございます﹂
ニコルが無表情でそう返し話は終わってしまった。
それでも今までの中では最長なやりとりだったのだが⋮⋮
とても、いっぱい話したとは言えないレベルだ。
キースは一体、このニコルとどんな話をしていたのだろう。
その話術を姉にも分けて欲しい。
それとも私が男の子なら、もう少し続く話題がだせるのだろうか。
⋮⋮なにか話題は⋮⋮そうだ!
238
ここはせっかくだから前世の知識を生かしてやろう!
前世十七年の記憶もちの実力を見せてやろうじゃないか!
まだ義弟には負けられないわ。
話題⋮⋮話を続ける⋮⋮私は必死に記憶を辿った。
そして︱
その話につかまると三十分は解放されないと有名だった隣のおばち
ゃんのことを思い出した。
これだ!!
とにかく話を続けるエキスパートである、隣のおばちゃんのトーク
の力を持ってすればきっと長い会話をすることができるはずだ。
そうだ、まず出だしはおばちゃんがよく用いていたあの台詞で︱
﹁ご両親はあんなに素敵で、妹さんはあんなに可愛くて、ニコル様
は本当に幸せ者ですわね﹂
私はおばちゃんにならい満面の笑顔を作った。
ちなみにこれはおばちゃんが父にいつも言っていた﹃あんなに素敵
なお嫁さんもらってこの幸せ者め﹄のアレンジだ。この台詞をかけ
られたら最後、父はもう三十分は帰ってこられなかったものだ。
うん。完璧におばちゃんを再現できた。
しかし⋮⋮
﹁⋮⋮幸せ者⋮⋮﹂
なぜだか、ニコルの雰囲気が変わった気がした。
239
﹁え、あの⋮⋮﹂
﹁⋮⋮俺は幸せ者だと思うか?﹂
顔はいつもと変わらない無表情なのに、なにかが違う。
突然、変わったニコルの様子に私は狼狽える。
ああ、しまった。台詞のチョイスを失敗してしまったのかも⋮⋮
﹁素晴らしいご家族がいらっしゃるからその⋮⋮違うのでしょうか
?﹂
おずおずと私が呟くと⋮⋮
ニコルはその黒い瞳で穴の開きそうなくらいにじっとこちら見つめ
てきた。
そして︱
﹁⋮⋮違わない。俺は尊敬できる素晴らしい両親と、優しく可愛ら
しい妹を持ってとても幸せなんだ﹂
そう言ってニコルはそれはそれは嬉しそうに⋮⋮笑ったのだった。
出会ってから数週間立つが、彼の笑った顔は一度も見たことがなか
った。
ソフィアからも兄は普段からあまり笑わないのだと聞いていた。
そのニコルが笑っていた。
それもそれは嬉しそうに︱
常々、美しい少年だと思っていたが、微笑みを浮かべたその顔は普
段の何倍にも思える美しさだった。
240
まさにそれは今お気に入りのロマンス小説の魔性の伯爵の浮かべる
万人を魅了する笑みそのものの様だ。
なんと、まさかのニコルが本当に魔性の伯爵だったなんて⋮⋮
そうしてそのまま固まっていた私の呪縛を解いてくれたのは大事そ
うに本を抱え戻ってきたソフィアだった。
﹁カタリナ様、この本です﹂
そう言って本を差し出してくれた愛らしいソフィアによって正気に
返った私が、ふと横をみると⋮⋮
我が可愛い義弟キースも茫然として、すでにまたいつもの無表情に
戻っているニコルを見つめていた。
これはやばい!うちの可愛い義弟が魔性の魅力にやられてしまった!
主人公とは恋に落ちてもらいたくはないが、それでも相手が同じ男
性というのも危険すぎる!
このままでは大切な義弟が、道を踏み外してしまうかもしれない。
私はソフィアがもってきてくれた本をありがたく受け取り、さりげ
なくキースをニコルからガードしつつ、アスカルト家を後にした。
241
そして帰りの馬車の中では⋮⋮
﹁⋮⋮まさか、ニコルが本当に魔性の伯爵だったなんて、これから
先、キースを魔の手から守り切れるかしら⋮⋮﹂
﹁⋮⋮まさか、またライバルが増えるなんて、一体、どれだけタラ
シ込めば気が済むんだ⋮⋮﹂
私とキースはそれぞれ、窓の外を眺めながらぶつぶつ呟き続けるの
だった。
242
不思議な少女に出会って
アスカルト伯爵家の長男、ニコル・アスカルト。
父は国の宰相をしており、幼い頃から父に連れられ城に行く機会も
多かった。
そのため、この国の王子たちとも交流があった。
特に一つ年下の双子の王子たちとはよく共に過ごした。
そんな幼馴染である双子の王子たちの様子が変わり始めたのは一年
前くらいからだった。
いつも作ったように完璧な笑顔を浮かべていた第三王子ジオルド。
﹁つまらない﹂そう呟いたジオルドの瞳にはまるで何も映っていな
いようだった。
だが、ある時﹁とても面白いものを見つけた﹂とジオルドは笑った。
その笑みは今までの作りものめいた笑顔とはどこか違うものだった。
そうして時がたつに連れ、ジオルドはどんどん変わっていった。
作りものめいた笑顔は減り、その顔は生き生きと輝くようになった。
そして、ジオルドの弟である第四王子であるアラン。
ジオルドと常に比べられ、兄に激しく対抗していたアラン。
その必死な姿はなんだかとても苦しそうだった。
243
そんなアランも、ある時を境に変わり始めた。
まるで大きな憑き物が落ちたかのように、ジオルドに対抗するのを
やめた。
そして元々、好きだったという音楽の分野に力を入れ始めた。
その才能は素晴らしく、一気に音楽の神の子などと言われ始めた。
しかし、中でも一番の変化はあんなに嫌っていたジオルドと普通に
交流をするようになったことだ。
これには城中の者が驚いた。
それほどまでにアランはずっとジオルドに対して頑なな態度をとっ
ていたのだから。
しかも、普通に交流するようになっただけではなく、なんと一緒に
出掛けるようにまでなった。
最近では、城内で楽しそうに話をしている様子すら見られるように
なっている。
それは本当に劇的な変化だった。
しかし、ほとんどの者がどうして二人がこんなにも変わったのかわ
からなかった。
そして、いつしか噂が流れてきた︱
二人を変えたのは、頻繁に二人が赴く先⋮⋮クラエス公爵家にある
のだと︱
そこにある何か、あるいは誰かが二人をこんなにも変えたのだと︱
244
その噂のクラエス公爵家へ行くこととなったのは、先日、開かれた
城でのお茶会でのことだった。
妹と共に出向いたそのお茶会の席で、妹がクラエス家の令嬢である
カタリナ・クラエスに招待を受けた。
俺の妹、ソフィア・アスカルトはとても優しく可愛い、立派な淑女
だ。
だが、真っ白な肌に髪、赤い瞳、ソフィアは少しだけまわりとは違
う姿をしていた。
そんな少し見た目が違うだけの妹に世の中の人々はとても残酷だっ
た。
出歩けば奇異な目でみられ、我が家を妬む口さがない人々はソフィ
アを﹁呪いの子だ﹂などと吹聴していた。
それを本気にした愚かな子供たちにはもっと残酷なことも言われた。
そうして心無い視線を向けられ、心無い言葉をかけられ⋮⋮
やがてもともと部屋に籠りがちだったソフィアはすっかり外に出な
くなってしまった。
そんな、ソフィアが数年ぶりに外出することになった。
幼馴染である双子の王子の主催で行われる城でのお茶会に参加する
245
こととなったのだ。
ソフィアはだいぶ渋っていたし、俺もできれば行きたくなどなかっ
た。
王子たちとソフィアは少しだけだが面識もあるし、間違っても彼ら
がソフィアに奇異な目を向けたり蔑んだりすることはないだろう。
しかし、今回のお茶会は初めて双子の王子が主催するということで
だいぶ規模の大きいお茶会である。
そこには沢山の貴族の子息や令嬢が集まる。
中にはソフィアを蔑んだり、貶めようとする者もいるだろう。
俺はそんなところには行きたくないと言い張ったのだが、父によっ
て説得された。
﹁お前にもソフィアにも魔力がある。十五の年を迎えれば学園にい
かなければならない。そして、お前とソフィアは学年も性別も違う。
ずっと一緒にいて守ってやることはできない。ソフィアは自分で自
分を守らなければならない。それに沢山の子供の集まりに入ればソ
フィアにも友人ができるかもしれないだろう﹂
俺たち兄妹には魔力があり、魔力を持つ者は十五の年を迎えたら必
ず学園に入らなければならない決まりがある。
俺は後四年したら学園に入学することになる。
そしてソフィアもその一年後には学園に入学しなければならない。
ずっとそばにいて大切な妹を守りたい。
しかし、学年も性別も違う自分がずっとそばにいてソフィアを守る
ことができないこともわかっていた。
246
ソフィアが今のように部屋に閉じ籠るようになる前にも、両親はソ
フィアに友人ができるようにと外へ連れだしてはいたが⋮⋮子供は
自分と違うものに敏感だ。
ほとんど、ソフィアを傷つけるだけの結果に終わった。
このままではいけないこともよく分かってはいる。
しかし、またソフィアが傷ついて泣いてしまうのではないか⋮⋮
それがとても怖かった。
そうしてソフィアと二人で出向いたお茶会で、俺はあろうことかソ
フィアとはぐれてしまったのだ。
あんなにしっかりソフィアを守らなくてはと思っていたのに、あま
りに自分が情けなかった。
このお茶会には以前、ソフィアを悪く言っていた貴族の子息や令嬢
も何人か来ていた。
自分と離れている間にソフィアが、彼らにまた何かされていたらと
思うと気が気ではなかった。
そうして必死に探したにも関わらずにソフィアは一向に見つからず、
やっと探しあてたのはお茶会も終わろうという頃だった。
そうして、やっと見つけたソフィアは、なぜだか茫然とした様子だ
った。
﹁誰かに何かされたのか﹂と心配して尋ねると︱
﹁カタリナ・クラエス様と言う方に家に招待を受けたの﹂
ソフィアは茫然と呟いた。
247
こうして、俺は、噂のクラエス家へと赴くことになった。
しかし、正直、あまり乗り気ではなかった。
なぜなら、以前に何度かこうした誘いを受け、それがソフィアをか
らかい蔑むものだったことがあったのだ。
心配で仕方ない俺は、幼馴染であり、カタリナの婚約者であるジオ
ルドにカタリナについて尋ねた。
お茶会の席で妹、ソフィアと親しくなり屋敷に招待されたのだと話
す。
﹁最近は、大人しくしていると思ったら、また新たにご令嬢をひっ
かけにかかっているとは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮?﹂
なにやら、一人ぶつぶつ言いだしたジオルドは、しばらくすると意
味深な笑みを浮かべた。
﹁ニコル。カタリナはだいぶ変わっているけど、君の大切な妹さん
を傷つけることはしないよ﹂
そう言いきったジオルドを信じて俺はソフィアに付き添いクラエス
家に向かった。
248
﹁私は、ソフィア様のその絹のような白い髪も、ルビーみたいに赤
くキラキラした瞳もとても綺麗だと思います﹂
カタリナ・クラエスはそう言ってソフィアに微笑んだ。
﹁ですから、また遊びにきていただけると嬉しいです。そしてよけ
れば、私のお友達になってくださいませんか?﹂
それは優しい笑みを浮かべソフィアの手を握る少女。
ジオルドの言ったとおりだった。
この少女が大切な妹を傷つけることはないだろう。
そしてカタリナのソフィアに向ける優しい笑みを見て俺は気付く。
ジオルドやアランを変えたのはきっとこの少女なのだ。
独特な雰囲気を持った不思議な少女。
王子たちはこの少女に会うために日々、この屋敷に通っているのだ
ろう。
そして、そんなカタリナに出会い、妹ソフィアも変わっていった。
ほとんど出ることのなかった部屋から飛び出し、積極的に外に出か
けるようになった。
暗かった顔は生き生きと輝き、その顔には笑顔が戻っていた。
249
俺はカタリナ・クラエスに深く感謝した。
★★★★★★★★★★★
それまでずっと部屋に籠っていたソフィアが頻繁に外出するように
なると、口さがない悪口も増えてきた。
しかし、やっと外に出て笑顔を取り戻した妹をまた暗い部屋の中に
戻すつもりなどない。
俺はソフィアを悪く言う輩に圧力をかけ黙らせていく。
以前の様ではまだ足りないのだと判断し、それは完膚なく黙らせて
いく。
その甲斐がありそのような輩も次第に減っていったのだが⋮⋮
﹁ニコル様は妹様のことでとてもご苦労されているようでお気の毒
ですわね﹂
﹁ニコル様は優秀であられるのに、ご兄妹のことで色々言われてし
まってお可哀相ですわ﹂
﹁アスカルト家はお子さんのことで色々悪く言われてしまってご不
幸ですわね﹂
蔑むわけではない純粋な憐れみと同情。
俺がソフィアのために必死に動けば動くほどにその声は増えていく。
その声には悪意はなかった。
ただ、大変だと可哀相だと憐れんでくれているだけだ。
250
しかし⋮⋮その言葉は容赦なく胸に突き刺さった。
俺は気の毒などではない。
我が家は不幸なんかではない。
立派な両親と可愛く優しい妹は俺の自慢の家族であり、俺は自分が
幸せだと思っているのに⋮
その思いが理解されることはなかった。
俺が自分は幸せなのだと言えば﹁我慢してえらい﹂と決めつけられ
た。
とても悔しかった。
俺は幸せなのに⋮⋮どうして勝手に不幸だと決めつけるのだ。
大切な妹を勝手に俺にとっての不幸な存在にするな!
俺はソフィアが俺の妹に生まれてきてくれたことを幸せだと思って
いるのに⋮⋮
やがて、受け入れてもらえない思いを口にすることに疲れた。
もう、わかってもらわなくてもいいと思っていた。
今、大切な妹が幸せそうに笑っている。
それで十分だ。
例え、不幸だと憐れまれても⋮⋮理解されなくてもしょうがない。
もういいのだと思っていた⋮⋮
251
﹁ご両親はあんなに素敵で、妹さんはあんなに可愛くて、ニコル様
は本当に幸せ者ですわね﹂
目の前の少女カタリナ・クラエスはそう言って微笑んだ。
それは以前、ソフィアにも向けていたとても優しい笑み。
﹁⋮⋮幸せ者⋮⋮﹂
そうだ、俺はずっとそう思っていた。
しかし、その思いを理解してくれる者はいなかった。
﹁え、あの⋮⋮﹂
﹁⋮⋮俺は幸せ者だと思うか?﹂
俺はカタリナを見つめる。
﹁素晴らしいご家族がいらっしゃるから、その⋮⋮違うのでしょう
か?﹂
水色の瞳はまっすぐに俺を見ていた。
﹁⋮⋮違わない。俺は尊敬できる素晴らしい両親と、優しく可愛ら
しい妹を持ってとても幸せなんだ﹂
わかってなんてもらえないと思っていた。
もういいと諦めていた。
それなのに⋮⋮
この少女は⋮⋮カタリナはわかってくれた⋮⋮
252
ああ、俺はこの思いを本当はずっと誰かにわかってもらいたかった
のだ。
ずっと胸にあった悔しさが薄らいでいく気がした。
目の前に立つ少女をもう一度見つめる。
公爵令嬢カタリナ・クラエス。
双子の王子と妹をすっかり変えた不思議な少女。
誰にもわかってもらえなかった思いを初めてわかってくれた人。
王子たちや妹がクラエス家に日々、足しげく通う理由が心からわか
った。
そして、きっと自分もこれからは彼らと同じように足しげくあの家
に通うようになることも︱
妹の付き添いではなく、カタリナに会うために︱
253
誕生日迎えました︵前書き︶
二十話、二十一話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
254
誕生日迎えました
月日の流れは早いもので、八歳の春に前世の記憶を思い出してから、
気づけばあっという間に七年の時が流れた。
私はもうじき十五歳になる。
この世界での十五歳は貴族であれば社交界にデビューする歳であり︱
そして︱魔力を有するものは必ず魔法学園に入学しなければならな
い歳である。
この夏、十五歳になる私も来年の春を迎えると魔法学園に入学する
ことになっている。
ちなみに魔法学園はどんな身分にも関わらず、生徒全員が寮で生活
することが決まりとなっている。
さすがに身分の高い者にはそれなりの部屋が与えられ、召使さんを
連れて行くこともオッケーとなっているらしいが⋮⋮
何にせよ、今までのようには自由に生活できそうもない。
そして、その魔法学園に入学すると︱
ついに恐れていた乙女ゲームが始まってしまう。
平民でありながら光の魔力を持つ稀有な存在として主人公が貴族ば
かりの魔法学園に入学し、そして物語は始まる。
255
学園で主人公は、双子の王子に公爵家子息、宰相の息子と、美形で
ハイスペックな学園の人気者である男性たちと恋に落ちていく。
そしてそれを邪魔する悪役令嬢であるカタリナ・クラエスは破滅の
道を進むのだ。
記憶を取り戻してからのこの七年間、私は破滅エンド回避のために
色々な努力を重ねてきた。
剣の腕を磨き、魔力の訓練を重ね、義弟を孤独にしないように引っ
張りまわし、精巧なヘビのおもちゃの作成に勤しんだ。
その甲斐があり、剣の勢いを評価され、義弟も引きこもることなく、
ヘビのおもちゃは本物と見間違うほど素晴らしいものが完成した。
しかし、うまくいかなかったこともあった。
⋮⋮魔力の強化である。
私の元々の魔力はしょぼく、できる魔法も土を一、二センチ程﹃ボ
コッ﹄と持ち上げるだけのものであったのだが⋮⋮
訓練を重ね一年ほどで十五センチも土が持ち上がるようになり、﹃
これはもしかしてかなりの大魔法使いになれるかもしれない﹄と思
ったのだが⋮⋮
その後、訓練すれどもすれどもそれ以上、土は持ち上がることはな
く、またそれ以外の魔法が使えるようにもならなかった。
はじめこそ認めたくない真実ではあったが⋮⋮認めるしかなかった。
256
非常に残念なことだが⋮⋮私には魔力も魔法の才能もあまりないよ
うだった。
魔法学園に行って学べば、もしかしたら﹃魔力が開花﹄なんてこと
もあるかもしれないが⋮⋮それでも大きな期待はできない⋮⋮
そうなると、当初計画していた、国外に身一つで追放された際に国
外では珍しい魔法の力で、仕事をもらって生活していくという作戦
はうまくいかない可能性がでてくる。
その場合、どうやって生活していくのか⋮⋮
悩んでいる時に召使さんから、大きな農家では農民を雇って農業を
している所が多いのだという情報を聞いた。
そうだ!もう、昔のように作物を枯らしたりしないようになったし
畑仕事もそこそこ様になってきた。
これは国外追放されたら、大きな農家を探し雇ってもらって、雇わ
れ農民になろう。
働き口さえあれば、なんとか生きていけるだろう。
私は魔力の訓練も続けつつ、もしもの時は農民として雇ってもらえ
るように農業の勉強も始めた。
こうして、私の破滅への対策は完璧となった。
そうして完璧な対策をしつつ暮らす、私の日々にも予定外のことは
ある。
257
それは、なぜか乙女ゲームの攻略対象とその関係者が我が家に集結
し、なぜかゲームにあった設定とはどうも違う関係性ができあがっ
ていることだ。
まず、ジオルド・スティアート。
国の第三王子で、カタリナ・クラエスの婚約者である攻略対象。
見た目は金髪碧眼の正統派王子様だが、その中身はかなりの腹黒で
ドSな王子様である。
このジオルドが主人公と恋に落ちるとカタリナは破滅に向かって一
直線だ。
しかし、ジオルドはゲームでは﹃まったくカタリナに興味がなく、
接点もほとんどない﹄という設定だったはずなのだが⋮⋮気づけば、
三日とあけずに我が家にやってくるようになっていた。
そして、畑で採れた野菜や果物をおすそわけし、お礼にお菓子をい
ただくなどの交流し、今ではすっかりお友達の関係だ。接点ありま
くりだ。
正直、だいぶ仲良くなった⋮⋮と思うジオルドが、この先、剣で切
りかかってきたり、私を国外に追放したりするのは想像できないの
だが⋮⋮
しかし⋮⋮これからジオルドが主人公と出会ってはじめての恋に落
ちたならば、婚約者カタリナの存在は邪魔なものになるだろう⋮⋮
﹃恋は人を変えるものだ﹄とこないだ読んだロマンス小説にも書い
てあった。
258
油断は禁物である。
そもそも、私がジオルドと婚約するきっかけとなった傷は数年前に
消えている。
そして、それに気付いた数年前の私はこれ幸いとすぐにジオルドに
そのこと申し出たのだが⋮⋮
﹁ジオルド様、額の傷がきれいに消えました。なので、もう責任を
取っていただく必要もないので、婚約を解消してもらって大丈夫で
す﹂
私がご機嫌でそう告げると、ジオルドは少し目を見開き驚いた様子
を見せたが⋮⋮
その後、すぐにいつもの笑顔になった。
﹁そうですか。では、見せてください﹂
そう言って、それは美しい微笑みを浮かべて私に近寄ってきたジオ
ルドは、少し乱暴な手つきで私の前髪をあげ、額をだした。
そこには綺麗に傷の消えた額があるはずだったのだが⋮⋮
﹁いえ、まだ傷が残っていますよ﹂
ジオルドは綺麗になったはずの私の額を見つめながらそう言った。
﹁え!?でも何度も鏡で確認したし⋮⋮アンにだって見てもらった
のに⋮﹂
259
私が茫然と呟くと⋮⋮
﹁それは見間違いですね。傷はまだ残っていますよ。ねえ、あなた
もそう思いませんか?﹂
ジオルドの最後の問いかけは、私の傍に控えたメイドのアンに対し
てだ。
すると、さっきまで﹁本当に綺麗に消えましたね。よかったですね
お嬢様﹂と言っていたはずのアンが首を大きく縦に振りジオルドに
同意したではないか⋮⋮
まさかの裏切り⋮⋮
こうして絶対に消えたはずの額の傷はなぜか消えていないというこ
とになり、﹁絶対に婚約は解消しないからね﹂と素敵な笑顔でジオ
ルドに言い切られて、この話は終わってしまった。
その後も、私とジオルドの婚約に最初こそ賛成していたが⋮⋮いま
や反対をしているお母様、そしてキース率いる﹁カタリナ︵姉さん︶
に王子様のお妃は勤まりません﹂派がなにかと口添えしてくれたの
だが、結局、現在にいたるまで婚約は解消できていない。
やはり、ジオルドはゲームと同じように他のご令嬢への防波堤とな
る都合のいい婚約者をまだ離す気はないようだ。
こうして、ジオルドとの婚約という破滅フラグは切ることができず、
結局、学園には護身用の剣と完成したヘビのおもちゃを携えていく
ことになりそうだ。
それに、ヘビのおもちゃをスムーズにポケットから出す練習もはじ
めなければならない。
260
そして、キース・クラエス。
七年前にその魔力の高さから、我が家に引き取られた私の可愛い義
弟であり攻略対象。
このキースが主人公と恋に落ちてもカタリナは破滅に向かって一直
線だ。
亜麻色の髪に青い瞳の美少年キースは、義母や義姉に疎まれ孤独な
日々を過ごし、その反動からか女タラシのチャラ男に育つ。
そして学園に入り、主人公にその孤独を癒され恋に落ちるという設
定だったが⋮⋮
そうなってもらっては非常に困るので、孤独にさせないように、日
々、引っ張りまわした。
そのうちしだいに、引っ張りまわさなくてもいつでもセットで一緒
にいるようになった。
よって、現在のキースは孤独とは皆無に育った。
これで孤独を癒されて主人公と恋に落ちることはないだろう。
しかし、一つだけ失敗してしまったこともある。
可愛い義弟が女タラシのチャラ男になるのを防ぐべく﹁女性には優
しく親切に﹂と常々言い聞かせ続けた結果⋮⋮キースは紳士な女タ
ラシになってしまった。
素直で可愛いキースは姉である私の言うとおりに女性に親切に優し
く接した、それは素晴らしいことだった。
しかし、年を重ねただ可愛らしい少年だったキースが、いつ頃から
かゲームと同じように只ならぬ色気を放出し始めたのだ。
261
そしてその事態に私はまったく気が付かなかった。
日ごろから、一緒にいすぎたためなのか、私にはキースの色気とや
らを感じる能力が欠如してしまっていたのだ⋮⋮
そうして気づいた時には、貴族のご令嬢たちはもちろん、召使さん
たちまでもその色気で誑かしてしまう女タラシが完成してしまった
のだ。
こうしてキースの孤独は防ぐことができたのだが⋮⋮女タラシ化は
防ぐどころか⋮⋮手助けしてしまう形となってしまった。
そして、アラン・スティアート。
国の第四王子で、ジオルドの双子の弟である攻略対象。
銀髪碧眼の野性的な風貌の美形王子様であるアランは、ジオルドと
常に比べられることで、ジオルドに激しい劣等感を抱き苦しみ、兄
をひどく嫌っているという設定だったはずなのだが⋮⋮
現在のアランが劣等感で苦しんでいるようには見えないし、特にジ
オルドを嫌っているよう様子もみられない。
まあ、すごく仲良しという程ではないが、それなりによい関係を築
いているように見える。
しかも、アランのルートにはカタリナ・クラエスはライバル役とし
て登場しないので、本来の設定であればアランと私の接点はほぼゼ
ロのはずなのだが⋮⋮
なぜだかアランは日々、我が家に通ってくるし、今やすっかり音楽
262
の才能を開花させた彼のピアノやバイオリンの演奏会にも何度も招
待を受け、メアリたちと共に行っている。今ではすっかりお友達だ。
そもそも、ゲームでのアランはこんな風に音楽の才能を伸ばしてな
どいなかったはずだ。
むしろ、主人公がその才能に気付いて才能を開花させる︱という設
定だったはずなのだが⋮⋮
そのあたりもだいぶゲームの設定とは異なってきている気がする。
そして、メアリ・ハント。
アランの婚約者であり、アランルートのライバルキャラでもある。
赤褐色の髪に瞳のお人形さんみたいな美少女だ。
ゲームの設定ではカタリナ・クラエスをよく思っておらず、アラン
と同じでカタリナとは特に接点のなかったはずだったが⋮⋮今では
もうすっかり私の親友の一人だ。
出会った当初はオドオドしていて、いつも怯えたようだったメアリ
はこの七年ですっかり変わった。
学問にも秀で、少し前にデビューした社交界ではその優雅で凛とし
た佇まいと、ダンスの素晴らしさから話題を独占したらしい。
まさにゲームの時のような貴族令嬢の鏡のような存在へと変貌した
のだ。
しかし、ゲームではアランを心から愛していたメアリだったが⋮⋮
263
今のメアリはそこまでアランを慕っている風には見えないのだ。
普通に親しくしているとは思うのだが、一緒におしゃべりしていて
も特にアランの話題がでることもなく、二人で会っている様子もな
い。
それともただ、恥ずかしくて隠しているだけなのだろうか?
しかも、ゲームのメアリは、立派な令嬢になって誰からも認められ
るような王子の妃になるのを目標にしていたはずなのだが⋮⋮
実際のメアリはあまり妃になることを望んでいないようなのだ。
数年前からメアリは時々﹃王子の妃などという大役は私には勤まり
ませんわ﹄などと弱音を言うようになった。
そして王子の妃、王族と言うものがいかに大変なものであるのかを
常々、私に語ってくれる。
そんな話を聞くと私は只でさえ嫌なジオルド王子との婚約がより憂
鬱になるのだ。
だって、こんなに完璧なメアリでさえ大変だという役目が私に勤ま
るはずがないのだから。
そうして不安になる私に、メアリは﹃では、二人で一緒に婚約破棄
してどこか遠い土地へ逃げてしまいましょう﹄と優しい言葉をかけ
てくれるのだ。本当に優しく頼りになる親友だ。
そして、ニコル・アスカルト。
国の宰相の息子で無口、無表情がデフォルトの攻略対象。
黒髪に瞳の人形のように整った顔を持つ美少年である彼は、その独
264
特の雰囲気で女性はもちろん男性まで虜にしてしまう魔性の魅力を
持っている。
そんなニコルも、ゲームの設定ではカタリナ・クラエスとはまった
く接点はないはずだったのだが⋮⋮
私がニコルの妹と友達になったことがきっかけで、彼も日々、我が
家に通うようになっていた。
無口で無表情が常なニコルは、相変わらず必要事項しかしゃべらな
いのだが⋮⋮
魔性の魅力は年々、その力を増してきているようだ。
以前より笑うことが多くなったニコルは、おそらく私たちに心を開
いてきてくれているのだろうから、嬉しく思うのだが⋮⋮いかせん、
その笑顔が曲者だ。
只でさえ、魔性の魅力で女性は元より男性からの人気も高いと噂の
ニコル。
その美しい顔で微笑まれると皆、彼に魅了されてしまう。
クラエス家でもその被害はポツポツでており、すでに何人かのメイ
ドが骨抜きにされている。
それでも、とりあえずキースやメアリを何とかその魔性の魅力から
守れていることだけは救いだった。
そして、ソフィア・アスカルト。
ニコルの妹である彼女は、ニコルルートのライバルキャラでもある。
265
兄と同じでそれは美しい少女ソフィアも、ゲームではカタリナと接
点はないはずだったが⋮⋮
今では私のロマンス小説仲間であり、メアリと同じく大切な親友だ。
十歳くらいまでは部屋に籠り、本ばかり読んでいたのだというソフ
ィアの読書量は凄まじく、おすすめの本に外れはない。
また素晴らしい新作を見つけ出す能力にもたけており、私は尊敬の
念を込め心の中でソフィアのことを師匠と呼んでいる。
そんなソフィアは兄を心から慕っているようで、おしゃべりしてい
てもよく兄の話が出てきて﹃お兄様は本当に素晴らしいのですよ。
旦那様にお勧めですわ﹄なんて兄を惚気たりするくらいのお兄ちゃ
ん子だ。
これはもしニコルに好きな人でもできたら、拗ねてしまうかもしれ
ない。
その時は大切な親友として大いに慰めてあげなくては!
こうして、なぜだか仲良くなった攻略対象とそのライバルキャラで
ある友人たちと共に私は来春、学園へと向かう。
★★★★★★★★★★★
ついに十五歳の誕生日がやってきた。
266
そして数年前から、計画されていた社交界のデビューも兼ねた誕生
日のパーティーが我が家で開かれる。
ちなみに、このパーティーは舞踏会である。
来てくれたお客様に挨拶しつつ、ダンスまで踊らなくてはならない
のだ。
そもそも、運動は割と得意な私だが、残念ながらリズム感があまり
備わっていないのか、ダンスはあまり得意ではない。
それでも、この誕生会のためにお母様の監視の元に、それは辛いダ
ンスのレッスンを重ねてきたので、なんとか恰好だけはつくように
はなったのだが⋮⋮どこでボロがでるか不安だ。
しかも今回のパーティーでの、私のエスコート役はなんとジオルド
王子である。
本当はキースにお願いしたかったのだけれど、正式な婚約者がちゃ
んといるのだから駄目だと言われてしまった。
キースならダンスで足を踏んでも笑って許してくれるだろうが⋮⋮
ジオルドではそうはいかない気がする。
そう思うと只でさえ憂鬱なパーティーがさらに嫌になった。
パーティーは夕方からだというのに、朝からやれ化粧だ、衣装の最
終確認だとひっぱりまわされて、夕方のパーティー本番の前にすで
にクタクタになっていた。
しかし、そうして色々な人たちの努力の甲斐があってなのか、鏡を
267
見るとそこそこに見られるご令嬢が出来上がっていた。
まあ、悪役面には変わりないが⋮⋮
そうして、それなりに化けた私は、きっちりと正装したジオルドに
エスコートされ会場へと向かう。
ひとしきり、お客様への挨拶をこなすと、今度はジオルドの誘導に
てダンスホールへ行く。
もちろん初めのダンスは本日のエスコート役のジオルドとだ。
足を踏まないように気を付けなくては⋮⋮慎重に足元に注意をしな
がら一生懸命に踊る。
﹁カタリナ、とても綺麗ですよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
金髪碧眼の王子様がお世辞を言いつつ微笑むと、まわりの女性たち
がうっとりしているのが見えた。
ジオルドは中身があれでも、見た目やその能力は本当に素晴らしい
のだ。
そのため婚約者である私は世の女性たちの嫉妬を一身に受けている。
正直、そんなに羨ましいならすぐにでも変わって差し上げたいのだ
が⋮⋮
ジオルドとのダンスが終わるとキースが次の相手を申し込んできて
くれた。
﹁姉さん、とっても綺麗だね﹂
268
﹁ありがとう﹂
そう言って微笑んだ優しい義弟キースもジオルドと同じく、沢山の
女性の視線を集めている。
まだ、婚約者のいないクラエス公爵家の次期当主候補は非常に沢山
の女性に狙われている。
そして、肩書だけでも食いつく女性が後を絶たないのに、その凄ま
じい色気︵残念ながら私にはわからない︶がさらに多くの女性を虜
にしている。
そういえば、これだけモテるのにキースは好きな子とかいないのだ
ろうか⋮⋮ずっと一緒にいたのに全然、浮いた話を聞いたことがな
い。
できれば、主人公と恋に落ちないためにも、別の素敵な相手を見つ
けて欲しいものだ。
キースとのダンスが終わると次にメアリとのダンスを終えたアラン
が申し込んできた。
﹁お前、今日はいつもよりましだな﹂
﹁⋮⋮ありがとうございます﹂
アランはそうぶっきらぼうに呟いた。
これは一応、褒めてくれているのだろうか。とりあえず、お礼を言
っておく。
そんなアランもジオルド、キースと同じくらい女性の視線を集めて
いる。
今や、音楽の神の申し子と称えられる天才少年は多くの年上女性の
269
から支持されている。
お姉さま方曰く、﹁普段と演奏中のギャップがたまんない﹂とのこ
とらしい。
私にはいまいちわからないのだけど⋮⋮
まあ、アランの婚約者のメアリは誰もが認める素晴らしいご令嬢な
ので、アランのファンの方々はメアリとアランの婚約を祝福してい
るらしい。
ジオルドと﹃身分以外はまったく釣り合わない﹄と陰口ばかりたた
かれる私とは大違いである。
アランとのダンスを終えると、女性は元より男性の視線まで集めて
いる魔性の伯爵ニコルが登場した。
私よりひとつ年上のニコルは今年から魔法学園に入学しているのだ
が、今日は私の誕生会のためにわざわざ来てくれていた。
優雅に差し出された手をとり、ダンスを始める。
﹁とても綺麗だ﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
そう言って魔性の微笑みを浮かべたニコルに、まわりから感嘆がも
れた。
私はこの数年の付き合いでだいぶ慣れてきた魔性の笑みだが、他の
人々はそうではないのだろう﹁ニコル様が微笑まれていらっしゃる﹂
とよろめいている人までいる。
魔性の伯爵、本当に恐ろしい存在だ。
学園でもきっとそうとうタラシ込んでいるのだろう。
270
しばらくして、ダンスがひと段落するとメアリとソフィアが寄って
きてくれて、ドレスや髪を綺麗だと沢山褒めてくれた。
こうして、私は無事に十五歳を迎えた。
★★★★★★★★★★★
冬が訪れ、学園入学へとカウントダウンが始まる。
学園は二年制であり、その間は学園の寮にはいるため必要な荷物を
まとめて準備しておかなければならない。
まあ、私は曲りにも公爵家のご令嬢なので、準備はほとんど召使さ
んたちがやってくれるのだけど⋮⋮
それでもすべてをおまかせというわけにはいかない。
なにせ、召使さんたちに任せるとやれドレスだ、髪飾りだ、宝石だ
と必要ないものばかり沢山詰めてくれて、私の大事なロマンス小説
や農業関係の本などを荷物に入れてくれないのだ。
よって、私は自らその荷物を選別することにした。
また、学園にはメイドのアンを筆頭に五名の召使さんがついてきて
271
くれることとなった。
私はたいていのことは自分でできるし﹁召使さんはいらないよ﹂と
言ったのだが、公爵家としてそう言う訳にはいかないらしい。
結局は最低限の人数として五名が選抜された。
しかし、この選抜メンバーに心配なことが一つ。
八歳の頃からずっと私付のメイドをしてくれているアンの婚期のこ
とだ。
七年間、私のお世話をしてくれているアンは私の八つ上だ。よって
今年、二十三歳になる。
前世の世界だったならまだまだ若い分類だが、この世界の婚期は短
い、二十五歳を過ぎる頃にはもう行き遅れと言われてしまうのだ。
そもそも、我が家のメイドであるアンだが、実は男爵家のご令嬢で
もあるのだ。
なんでも、この世界では下級貴族の娘さんは上級貴族の元で行儀見
習いとして働くという風習があるのだとか。
そしてこの行儀見習いさんはその家の令嬢に仕えることが多い。
そのため、私についてくれるメイドさんにはこの行儀見習いさんが
多いのだけど⋮⋮
やはりそこは大事に育てられたご令嬢。
私が木に登れば悲鳴をあげ、ヘビを捕まえているのを見れば気絶す
る。
よって、私付きのメイドが長く続くことはなく、何人ものメイドを
お見送りし、そのたびにお母様に雷を落とされてきた。
そんな中、小言こそ言うが変わらずに傍にいてくれるアンの存在は
272
本当に貴重だった。
そんなアンに実家から結婚話がきたのは数年前のことだ。
また入ったばかりのメイドが、私が木を飛び移っている様子を見て
気絶し、辞めてしまった直後であったこともあり、私はこの結婚話
にひどく焦った⋮⋮今、アンを失っては私の生活はなりゆかない⋮⋮
そして焦りまくった私は⋮⋮
アンを迎えに来たというアンのお父さんの元に乗り込み﹃私にはア
ンが必要なんです!﹄とさながら娘さんをくださいと頭を下げる婿
殿のごとく必死に頼み込み、アンのお父さんの顔を凍りつかせた。
そして、その必死の頼みこみの甲斐があってか、なんとかアンを我
が家に留めることには成功した。
つまりはアンにきた結婚話をつぶしたのである。
そして、この騒ぎはすぐにお母様の知ることとなり、それはそれは
大きな雷を落とされたのだが⋮⋮
なんと、肝心のアン本人は笑って許してくれたのだ。
こうして、アンの好意に甘えて、ここまで留まってもらっていたの
だが、彼女もう二十三歳でありこれ以上、私の我儘で引き止めるわ
けにもいかなかった。
よって、今回の学園への入学を機にアンには実家に戻って、よい結
婚をしてもらおうと決心したのだが⋮⋮
273
﹃私がいなくなったら誰がお嬢様のお世話をするんですか。もちろ
ん学園へも一緒にまいります﹄とアンは言ってくれた。
正直、ずっと傍にいてくれたアンから離れて、破滅が待ち受けるか
もしれない学園に行くのは不安だった。
結局、またアンのその言葉に甘えて一緒に来てもらうこととなった。
アン、本当にありがとう。
﹁お嬢さま、これはなんですか?﹂
アンが私の詰めていた荷物から、作業着を引っ張りだしながら訪ね
てきた。
﹁ああ、それは畑用の作業着よ﹂
﹁畑用って⋮⋮お嬢様、まさかと思いますが、学園でも畑を作るお
つもりですか?﹂
﹁もちろんよ!だって、二年も畑作業をしないで作業の腕が落ちた
ら立派な農民になれないじゃない!﹂
私が力いっぱい言い切れば、アンがげっそりした表情を浮かべる。
﹁⋮⋮いや、なんで公爵家のご令嬢が農民になるのですか⋮⋮﹂
﹁もしもの時のためよ!﹂
﹁どんなもしもですか!?⋮⋮まさか、鍬まで持っていくつもりで
はないですよね﹂
﹁もちろん、持っていくわよ!学園に鍬があるかわからないからね﹂
﹁⋮⋮勘弁してください﹂
274
その後、しばらくの間、鍬と作業着を荷物に入れる私と、それを阻
止しようとするアンと攻防戦が続いた。
冬が終わりを迎え、春が近づいてこようとしていた。
275
クラエス家にメイドとして仕えて
私の名前はアン・シェリーと言う。
辺境の田舎の男爵家に生まれ、十五歳の年にクラエス公爵家に行儀
見習いとして仕えることになった。
そうして私は、クラエス公爵家で一人娘、カタリナ・クラエス様付
のメイドとなった。
初めて会ったカタリナ様は、顔はそれなりに可愛らしいのだが、少
し吊り上った目が勝気な印象を与える少女だった。
そんなカタリナ様は、典型的な甘やかされて育った貴族のご令嬢で
あり、だいぶ高慢で我儘な性格であった。
そんな、カタリナ様に仕えて数か月たったある日のこと、お城の庭
を散歩中にカタリナ様は転んで、岩に頭を強く打ちつけてしまった。
その事故で、額をざっくり切ってしまったカタリナ様は、それが原
因なのか、数日間、高熱を出して寝込んでしまった。
そして、目覚めたカタリナ様は︱すっかり人が変わってしまってい
た。
あんなに高慢に召使を見下し、我儘邦三昧であったカタリナ様は、
すっかり穏やかになり、召使の気遣いまでしてくれるような、優し
く慈悲深いご令嬢へと変わっていた。
お嬢様は頭を打ったのと高熱で人格が変わられたのだ。
276
穏やかで優しいご令嬢になられた⋮⋮と召使一同が驚きながらも喜
びを感じていたのは、カタリナ様がベッドでじっとしているわずか
な間だけだった。
熱が下がり具合も落ち着き、ベッドから起き上れるようになったカ
タリナ様は⋮⋮⋮⋮頭を打つ以前よりもずっと問題児となってしま
っていた。
ベッドから起き上がったカタリナ様は、なぜか目を血走らせ図書館
に通いつめたり、執事に詰め寄ったりと奇行を繰り返し⋮⋮ようや
くそれが落ち着いたかと思ったら、今度は剣術と魔力の訓練をする
のだと鼻息荒く宣言した。
そうして始めた剣術の稽古では、勢いだけはいいが、その動きはめ
ちゃくちゃで相手を切る前に自分の足を切りそうで、周りをひやひ
やさせた。
そして次は、魔力の訓練だと言い、ほっかむりを被り、鍬で土を掘
り返し、由緒あるクラエス家の庭にあろうことか畑を作り始めたの
だ。
そうして庭に入り浸るようになると、今度はドレスをまくりあげ木
によじ登ったり、庭に流れる小川の魚をほとんど釣り上げ、小川の
魚をほぼ絶滅の状態に追い込んだ。
こうして、問題ばかりおこし、その度に奥様にそれはきつく怒られ
ても、カタリナ様の様子が変わることはなかった。
怒られた直後は確かに落ち込んでいるのだが、翌日には、もうケロ
ッとしているのだ。
277
どうやら、カタリナ様はどんなに怒られても、だいたいのことは翌
日には、忘れてしまうというなんとも羨ましい能力の有しているら
しかった。
そして現在、十五歳を迎える年になっても残念ながらカタリナ様が
変わることはなかった。
さすがにドレスで木に登ることこそしなくなったが⋮⋮
ある時は、庭に生えていたキノコを﹃絶対に食べれる﹄と主張し、
食べた結果、お腹をこわし奥様に雷を落とされ⋮⋮そうかと思うと
今度は突然、農業を勉強すると宣言し、農作業の本を読み漁り、庭
の畑の拡大作業を始めた。
本当に、八歳のあの時より何も変わらないのだ。
七年間ずっと傍で仕えてきたが、未だにカタリナ様が何を考えてい
るのか予測ができない。
しかし、そんなひどい問題児であるカタリナ様だか⋮⋮ある一部で
はとても人気があるのだ。
例えば、カタリナ様の婚約者である、この国の第三王子ジオルド・
スティアート様。
見目麗しく、非常に優秀でもあるジオルド様は、カタリナ様が大の
お気に入りだ。
カタリナ様といる時のジオルド様はとても楽しそうで、カタリナ様
が愛おしくてたまらないといった表情を浮かべている。
278
あんな表情を向けられながらも、まったくジオルド様の気持ちに気
が付かないのはさすがカタリナ様と言うしかないのだろう。
そんな、鈍すぎるカタリナ様がまさかの婚約解消をジオルド様に迫
った時は本当に恐怖だった。
それはジオルド様に婚約を申し込まれたきっかけであるカタリナ様
の額の傷が綺麗に消えた頃のことだった。
ある日、八歳の時についたその傷が綺麗に消えたことに気付き、カ
タリナ様とともに喜びあった。
しかし、まさかそれを機にカタリナ様がジオルド様に婚約解消を言
い出すなんて夢にも思わなかった。
そもそもジオルド様にあんなに愛されているのに、カタリナ様がそ
のことにまったく気が付いていなかったことをこの時に初めて知る
こととなったのだ。
﹁ジオルド様、額の傷がきれいに消えました。なので、もう責任を
取っていただく必要はないので、婚約を解消してもらって大丈夫で
す﹂
カタリナ様がそれはご機嫌でニコニコとそう告げると、ジオルド様
は少し目を見開き驚いた様子を見せたが⋮⋮
その後、すぐに笑顔になった。
しかし、その目はまったく少しも笑っていなかった。
﹁そうですか。では、見せてください﹂
カタリナ様に近寄ったジオルド様は、少し乱暴な手つきでカタリナ
279
様の前髪をあげて額をだした。
そこには綺麗に傷の消えた額があるはずだったのだが⋮⋮
﹁いえ、まだ傷が残っていますよ﹂
ジオルド様は綺麗になったはずのカタリナ様の額を見つめながらそ
う言った。
﹁え!?でも何度も鏡で確認したし⋮⋮アンにだって見てもらった
のに⋮﹂
ちょっと、カタリナ様、こちらに振らないでください⋮⋮
﹁それは見間違いですね。確かにまだ残っていますよ。ねえ、あな
たもそう思いませんか?﹂
ジオルド様がそれは美しい笑顔で、まったく笑っていない目を私に
向けてきた。
恐怖のあまり、私はただ首を大きく縦に振って同意した。
結局、こうして消えたはずの額の傷はジオルド様の意向により消え
ていないということになり、﹁絶対に婚約は解消しないからね﹂と
ジオルド様に目がまったく笑っていない笑顔で言い切られこの話は
終わった。
正直、寿命が何年か縮んでしまったような恐ろしい事件であった。
280
そしてカタリナ様の義理の弟であるキース・クラエス様。
初めてお会いした頃は痩せていて暗い様子の少年だったキース様は、
今では沢山の女性が憧れる美少年となられた。
そして、どんな女性にもとても親切で優しいキース様はとにかくモ
テる。
しかも、成長するにつれ、凄まじい色気を放つようになられた。
正直、召使の間でも、キース様の色気にやられてしまっているもの
も少なくない。
そんなキース様もカタリナ様に夢中な一人だ。
カタリナ様の行くところには常に付き添われ、陰に日向にカタリナ
様のフォローをされている。
そして、そのカタリナ様に向ける視線は熱く、それが姉弟からの感
情ではないのは明確だ。
しかし、もちろん鈍すぎるカタリナ様はそんなキース様の視線に気
づかない。
そればかりか、カタリナ様にはキース様のあふれ出る色気すらわか
らないらしい。
本当にさすがである。
﹁色気とか言われたって⋮⋮肝心な人にきかないんじゃそんなの意
味ないじゃないか﹂
以前、キース様が一人暗い顔で愚痴っているのを偶然、聞いてしま
った。
とても憐れなお姿だった。
そんなキース様だが奥様を味方につけ﹁カタリナ︵姉さん︶に王子
様のお妃は勤まりません﹂派を結成し、カタリナ様とジオルド様の
281
婚約を解消すべき奮闘しているが、残念ながら今の所、ジオルド様
に阻まれ続けている。
そして国の第四王子で、ジオルド様の双子の弟であるアラン・ステ
ィアート様もまたカタリナ様に夢中な一人だ。
音楽の神の申し子と言われるほど、素晴らしい才能を持つアラン様
は巷では、その演奏を聴きたい者が多すぎて凄まじい倍率だという
演奏会に毎回、カタリナ様を招待されている。
そして、カタリナ様を見つめるその瞳にはそれは溢れんばかりの好
意が浮かんでいる。
しかし、アラン様が一つだけ残念なのは、あれだけの好意あふれる
瞳でカタリナ様を見つめていながら、七年たった今でも、その自分
の気持ちに無自覚らしいことだ。
明らかにカタリナ様を好いているのにまったく自覚がない様子は、
呆れを通りこして憐れにすら思えてきてしまう程だ。
だが、それはアラン様が鈍いだけの問題ではないこともわかってい
る。
アラン様にその気持ちを気づかせ、これ以上ライバルを増やしたく
ないジオルド様、キース様たちがあえて気づかないように仕向けて
いるのだ。
特に、中でもすごいのはアラン様の婚約者であるメアリ・ハント様
である。
282
そしてこれが、アラン様をカタリナ様に捕られたくないという理由
ならば、よくわかるのだが⋮⋮実際は逆だ。
メアリ様もまたカタリナ様に夢中な一人なのである。
アラン様の婚約者であるメアリ・ハント様は、出会った当初はどこ
かオドオドして、引っ込み思案なご令嬢だったのだが、この七年で
社交界でもその素晴らしさを称えられている、ご令嬢の中のご令嬢
へと変貌した。
そんな、メアリ様は本当にカタリナ様が大好きだ。
どれだけ好きかと言うと⋮⋮ジオルド様との婚約を解消させ、カタ
リナ様を遠い地に連れ去り一人で独占しようとする程に好いている
ようだ。
メアリ様の計画が発動し始めたのは数年前である。
ある時からメアリ様は﹃王子の妃などという大役は私には勤まりま
せんわ﹄とカタリナ様によく言われるようになった。
なんでもできる完璧なメアリ様のこんな弱音を聞けば、令嬢力皆無
のカタリナ様が不安にならないはずがない。
それを聞いて﹃じゃあ、私なんてもっと無理だわ。どうしたらいい
のかしら﹄とカタリナ様が不安な様子を見せると﹃では、二人で一
緒に婚約破棄してどこか遠い土地へ逃げましょう﹄とその手を取り
優しく微笑むのだ。
283
初めこそ、冗談だと思っていたのだが⋮⋮
メアリ様がその逃げる先を具体的に提示し始めたあたりから⋮⋮こ
れは本気だと気が付いた。
メアリ様は本気で、婚約を解消させ、カタリナ様を遠い地へ連れ去
るつもりなのだ⋮⋮
しかし、もちろん鈍すぎるカタリナ様がそんなメアリ様の本気に気
が付くはずなく⋮⋮
未だに﹁メアリは本当に優しい子だわ﹂とヘラヘラしている。
こうして、義理の弟に、双子の王子、その婚約者のご令嬢までも夢
中にさせているカタリナ様だが⋮⋮
その人気はとどまることを知らない。
国の宰相の息子であられるニコル・アスカルト様、彼もカタリナ様
に夢中な一人だ。
黒髪瞳のよくできた人形のように綺麗なニコル様は、昨年、社交界
にデビューされると、途端に愛好会ができたというすごい方だ。
しかも、その愛好会には女性だけでなく、男性の参加者も多いらし
い。
美しさだけならジオルド様、アラン様、キース様もそれはお美しい
のだが、ニコル様にはまた不思議と人を魅了する雰囲気があるのだ。
カタリナ様曰く﹃魔性の伯爵﹄なのだそうだ。
そんなニコル様は、基本的にはほとんど無表情で、自分からお話を
284
することもあまりなく、愛好会の中でもニコル様の表情が変わった
ところを見たことがある者などほとんどいないとも言われているの
だが⋮⋮
そんなニコル様もカタリナ様の前では、それは幸せそうな笑顔を見
せる。
それは本当にとろける様な笑顔で、見てしまった者は思わず腰砕け
になってしまう⋮⋮
その笑顔で召使仲間が何人、使えなくなったことか⋮⋮
しかし、やはり鈍すぎるカタリナ様がそんな自分の前だけで違うニ
コル様の様子に気づくことはなく⋮⋮
﹃メアリやキースたちが魔性の虜になってしまわないように守らな
くては!﹄と一人息巻いている。
キース様の色気も感じ取ることのできないカタリナ様にはニコル様
の微笑みの魅力もきかないようだった。
そしてそんなニコル様の妹であるソフィア・アスカルト様も、カタ
リナ様が大好きである。
カタリナ様がこよなく愛するロマンス小説仲間であるソフィア様は、
おすすめの本を持参して実に楽しそうにクラエス家にやってくる。
そんなソフィア様は早々に兄であるニコル様の気持ちに気付き、ひ
たすら兄の素晴らしさをカタリナ様に語ってニコル様をアピールさ
れているのだが⋮⋮
285
もちろん鈍すぎるカタリナ様はまったく気が付かず、﹃ソフィアは
本当にお兄ちゃん子なのね﹄と勝手に納得している。
このように、問題だらけのカタリナお嬢様は、なぜだかえらく人気
者だ。
キース様曰く﹃無自覚の人タラシ﹄らしい。
そんなカタリナ様の人タラシは貴族のご友人の方々だけにはとどま
らない。
気難しくてほとんど人と交流をしない庭師頭のトムもカタリナ様の
前だけでは、楽しそうにしているし、他人にも自分にも厳しく、皆
が遠巻きにしているメイド頭もカタリナ様の前だけでは普段、見た
ことももないような穏やかな表情を見せている。
いくつになっても、問題ばかりおこす規格外のご令嬢カタリナ様の
一体何がこんなに人を引き付けるのか⋮⋮
皆、彼女の何にそんなに惹かれるのか⋮⋮
そう言う私も本当は⋮⋮わかっているのだ。
★★★★★★★★★★★
286
私、アン・シェリーは、シェリー男爵と男爵家召使いであった母の
間に生まれ、男爵家の離れにある小さな屋敷で育った。
シェリー男爵の気まぐれで、数回だけお手付きとなり私を身ごもっ
た母はいつも私に言った。
﹃男爵様の言うとおりにして、気に入られるように振る舞うのよ。
決して反抗などしてはいけません﹄
物心つく前からずっと繰り返された言葉。
私はそれに従い、男爵に言われるように母の望むように行動し、決
して反することなど言わず、気に入られるように振る舞って生きて
きた。
その甲斐があってなのか、本宅にこそ呼ばれることはなかったが、
男爵にとくに邪険にされることもなく、不自由なく暮らしていくこ
とができていた。
しかし⋮⋮そんな日々も突然、終わりを迎えることとなった。
私が十五歳を迎える年のことだった。
突然、離れの一室から火が上がり、あっという間に離れは火に包ま
れてしまったのだ。
私はなんとか逃げることができたが背中に大きな火傷を負い、母は
亡くなってしまった。
あっという間のできごとに茫然とする私を、生まれて初めて男爵が
本宅に呼び寄せて言った。
287
﹁背中にひどい傷ができたそうだな。それではもう政略結婚の道具
として使えん。お前はもういらん。屋敷から出ていけ﹂
まるで﹁今日は晴れですね﹂と同じくらい自然にかけられた言葉に
私は何も返せずただ立ち尽くした。
今まで、必死に男爵に気に入られるようにと生きてきた。
邪険にされないことを受け入れられているなどと自惚れていた。
でも、それは間違いだった。
邪険にされなかったのは、ただ私に興味がなかったから⋮⋮
私は男爵にとって只の道具だったのだ⋮⋮そして⋮⋮
もういらない存在になってしまった⋮⋮
こうして、住み慣れた離れも存在の意義も失ってしまった私は、メ
イドを募集していた遠縁であるクラエス公爵家へと行儀見習いとし
て行くこととなった。
そうして、私はクラエス家で、一人娘カタリナ様付のメイドとなっ
た。
カタリナ様は甘やかされて育ったためか、だいぶ我儘で、召使にも
高慢な態度をとっており、カタリナ様付メイドはなかなか長く続か
ないのだということだったが⋮⋮
私はそんな訳にはいかなかった。
だって、嫌なら家に帰ればよい他の行儀見習いの女の子たちと違い、
私にはもう帰る家はないのだ。
ここを追い出されてしまっては、もう行くあてなどないのだ。
288
私は、今までずっと男爵や母にしてきたように言われるまま逆らわ
ず、気に入られるように振る舞った。
カタリナ様が欲しがる言葉を、欲しがるものを、決して反論などせ
ず、主に合わせ、主の望むモノとなれるように⋮⋮
そうして仕えていればカタリナ様も機嫌をよくし、日々は問題なく
過ぎていった。
元々、そうやって生きてきたのだ。ただ仕える主が変わっただけだ。
私はここで新たな道具になればいいのだ。
しかし⋮⋮岩に頭をぶつけ寝込んでからカタリナ様は変わってしま
った。
高慢さはなくなり、我儘も言わなくなった。
前のように賞賛の言葉を望むこともなくなった。
木に登り、畑を耕すあまりに規格外のご令嬢。
どうやったら気に入られるのか、どうやって合わせればいいのかま
ったくわからなくなってしまった。
今まで、ずっと人に合わせ、その人が望むように生きてきた私は、
自分の意志で生きることを知らなかった。
そうして、どう接していけばいいのかわからず戸惑っていた私だっ
たが⋮⋮
気がつけば自分の意志で自分の言葉で話すことを覚えていた。
289
以前のように沢山の賞賛の言葉を口にするわけでもなく、すべてを
肯定するわけでもない私をカタリナ様が邪険にすることなどなく⋮
⋮それどころか慕ってくれた。
初めて誕生日プレゼントというものをもらった。
﹃肩叩き券﹄あまり綺麗でない文字でそう書かれた紙の束も、なん
の生き物かわからない手作りの木彫りの人形もカタリナ様から毎年
届けられるそれらは、すべて大切に保管している。
破天荒なカタリナ様に振り回わされる日々は、とても大変ではあっ
たけれど⋮⋮あの離れで過ごした十五年間とは比べものにならない
ほど新鮮で楽しくて幸せな日々だった。
このまま、ずっとここでカタリナ様の傍にいたい。
いつの間にかそんな風に思うようになってきていた頃だった。
クラエス家に来てからの数年、まったく連絡などとっていなかった
シェリー男爵から手紙が届いたのだ。
それは﹃お前の婚礼が決まったので屋敷に戻ってこい﹄という手紙
だった。
身体から血の気が引いた。
婚礼がきまった⋮⋮背中の火傷のせいでもう政略結婚の道具として
は使えないと捨てられたのに⋮⋮
以前の私ならば、この手紙を受けたならばすぐに屋敷に戻っただろ
う。
290
ただの道具である私が男爵に⋮⋮主に逆らうことなどあってはなら
ないのだから⋮⋮
でも⋮⋮もう私は以前の私ではなかった。
私はここにいたかった。
だから、手紙を無視してやり過ごそうとした⋮⋮
それなのに数週間後、シェリー男爵本人がクラエス公爵家を訪ねて
きた。
呼び出された部屋の中では、数年前とほとんど変わらないシェリー
男爵が座っていた。
﹁お前のような傷物でも引き取っても構わないという奇特な相手を
見つけてやったのだ。しかもなかなか戻ってこないからわざわざ、
こうして迎えにきてやったのだ﹂
感謝しろと頬を歪ませた男が告げた私の結婚相手は、社交界で悪い
噂が絶えず、両手で数えられない程の愛人を囲っている親よりも年
上の子爵だった。
この婚姻で、シェリー男爵はおそらく多額の婚礼金を貰えるのであ
ろうが⋮⋮私はきっと幸せにはなれないだろう。
そもそも、ただの道具が幸せになりたいなどと考えることこそが間
違っているのだろうか。
身体中の血が失わたのではないかと思う程に一気に身体が冷たくな
っていく。
291
﹁なにをグズグズしている。クラエス公爵様にはすでにお話しして
ある、早く支度をしろ!屋敷に戻るぞ﹂
無言で立ち尽くす私に男が苛立ったように告げた。
ああ、私の幸せな日々はここで終わりなのか⋮⋮
また私はただの道具になるのだ⋮⋮
もっとここに⋮⋮カタリナ様の傍にいたかった⋮⋮
そう思った時だった。
﹁失礼します﹂
掛け声と共に、ノックもそこそこに部屋に乱入してきたのは、我が
お嬢様、カタリナ様だった。
﹁アンのお父様ですね﹂
﹁⋮⋮あ、ああ﹂
そう言ってカタリナ様はシェリー男爵に鋭い目を向けた。
突然、乱入してきた少女に、シェリー男爵がたじろきながら答える。
﹁お願いがあります!どうか今回のアンの結婚話を考え直してくだ
さい!﹂
カタリナ様はそう言うと私の腕をぐっと掴んだ。
﹁私にはアンが必要なんです!傍にいて貰いたいのです!だから、
連れて行かれては困ります!﹂
292
そう叫んだカタリナ様は、目をむいて驚いている男爵にさらにたた
み掛けてしゃべりだした。
そんな二人の様子を私はまるで別の世界の出来事のように眺めてい
た。
カタリナ様に掴まれている腕が熱い。
そして、そこから伝わる熱が冷え切った身体を暖めていく。
私はずっと主に合わせて生きるだけのただの道具だった。
でも、このクラエス公爵家で⋮⋮カタリナ様の傍で暮らすうちに、
私は初めて自分の意志でしゃべり動くことを覚えた。
私はいつの間にか只の道具ではなくなっていた。
道具ではなくなった、ただのアン・シェリー⋮⋮
それでも、必要だと⋮⋮傍にいて欲しいと言ってくれた。
気づけば、あんなに冷え切っていた身体はすっかり暖かくなってい
た。
特に目頭が熱くて溜まらない。
私はあふれ出そうになる涙をこらえた。
結局、その日はカタリナ様の行動で結婚話はあやふや状態となった
が⋮⋮
その後、私のこのひどい結婚話を知ったクラエス公爵が、男爵家に
話をつけてくださりこの話は破談となった。
クラエス公爵には感謝してもしきれない。
293
しかも、私の身の上を案じた、クラエス公爵は﹃よかったら、ちゃ
んとした結婚相手を見繕おう﹄とまで言ってくださったのだが⋮⋮
私はこのまま、カタリナ様にお仕えすることを選んだ。
そうして私は今もこうしてこのクラエス家でカタリナ様付のメイド
として働いている。
いくつになっても、問題ばかりおこす規格外のご令嬢カタリナ様の
一体何がこんなに人を引き付けるのか⋮⋮
皆、彼女の何にそんなに惹かれるのか⋮⋮
そう言う私も本当は⋮⋮わかっているのだ⋮⋮誰よりも⋮⋮
ただ使われるだけの道具だった私をアン・シェリーという人間にし
てくれた。
あの日、もらった言葉と掴まれた腕の温もりを決して忘れることは
ないだろう。
来年から入学される魔法学園にはもちろんついていく。
カタリナ様は﹃一人でも大丈夫﹄だなどと言っているが⋮⋮自分で
できると一人で着替えたドレスはぐちゃぐちゃで、放って置けば髪
をとかすこともしないようなご令嬢が一人で大丈夫な訳がなかった。
294
﹃もちろんついていきます﹄と言った私にカタリナ様はしょんぼり
した顔で言った。
﹁でも、アンは婚期のこともあるし何時までもついてきてもらうわ
けにも⋮⋮﹂
どうやら、私の婚期の心配をしてくれていたようだと気づき、少し
笑ってしまった。
正直に言えば、結婚に憧れなどないのだ。私の望みはただ一つだ。
﹁私がいなくなったら誰がお嬢様のお世話をするんですか。もちろ
ん学園へも一緒にまいります﹂
私がそう言うとカタリナ様はそれは嬉しそうに笑ってくれた。
この先、カタリナ様が予定通り王子のお妃様になりお城へ行くこと
になろうとも、例えメアリ様と遠い土地に行くことになろうとも、
私はどこへでもずっと一緒についていくつもりだ。
だって、私の居場所は⋮⋮私が幸せである場所は⋮⋮カタリナ様の
傍なのですから︱
私の望みはただ一つ、カタリナ様、貴方の傍で生きることなのです。
295
<閑話>もう一度一緒に︵前書き︶
閑話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
296
<閑話>もう一度一緒に
私の名前は佐々木敦子。
今年で十三歳になる。つい数日前に地元の中学に入学したばかりだ。
そして、まだ落ち着かない雰囲気の教室の一番後ろの席で一人本を
広げる日々を過ごしている。
まわりではそれぞれの小学校からきた女子たちがどんどん新しいグ
ループを作っている。
本来なら、私もそのグループに入れてもらえるように、親しく話か
けていきたいのだけど⋮⋮
私はどうもそういうのが苦手だった⋮⋮
どうやって話かければいいのか、仲間に入っていけばよいのか、私
にはわからなかった。
小学校では、そうして戸惑っているうちに気が付けばいつも一人に
なっていた。
そして、皆の輪の中からあぶれた私は異質なものとして他の子たち
から無視されたり、からかわれたり、時には物を隠されたりするよ
うになっていた。
そんな日々を過ごし、気が付けば人が怖くなり、より誰ともしゃべ
れなくなっていった。
そのため、こうして中学という新しい環境になった今でも⋮⋮自分
297
から人に話しかけることもできない。
だから、私はいつも周りで楽しそうにおしゃべりするクラスメイト
たちを横目に、一人家からもってきた本を開くのだった。
マンガに小説、私は本が好きだった。
本を読んで、物語の中に入ってしまえば、一人ぼっちで寂しい気持
ちを忘れることができた。
本を読み、物語の主人公になった自分を想像する。
いつも一人ぼっちで俯いている私も、物語の中では人気者の素敵な
女の子になれた。
だから、私は今日もいつものように本を開く。
寂しい現実から逃げるために⋮⋮
そうして日々は過ぎ、中学に入学して数週間がたった。
私は放課後のホームルームが終わると、図書館に寄って本を借りて
帰る。
それはここ数週間で、私の日課となっていた。
生徒玄関で靴を履きかえ、運動部が部活をしている校庭を横目に校
門へと向かう。
私は部活に入っていない。
本当は部活に入った方が友達も作れるのかもしれないが⋮⋮一人で
部室を訪ねていける勇気がなかったのだ。
298
いいな、楽しそうだな。
校庭をおしゃべりしながら駆けていく女の子たちを見てそんな風に
思った。
その時だった︱
﹁あぁ∼∼∼∼﹂
頭上で謎の叫び声が聞こえ、なんだろうと確認する間もなく突如、
﹃ズドン﹄と身体に凄まじい衝撃が走った。
そのあまりの衝撃に私は意識を手放した。
﹁ううう、本当にごめんなさい﹂
誰かの泣いている声が聴こえて、ゆっくりと目を開けると目の前に
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった少女の顔があった。どうやら泣い
ていたのはこの少女のようだ。
﹁あっ、起きたよ!目を覚ましたよ先生!﹂
私の目が開いたことに気が付いた少女はそう叫ぶと、白いカーテン
の向こうに飛んでいった。
状況がまったくわからない。私は眠っていたのだろうか。
ゆっくりとまわりに目を向ける。
白い天井、揺れている白いカーテン、そして私が横たわっていたの
は白いベッドだった。
299
場所はよくわからないが、天井は見覚えのある校舎のものだ。
どうやら、ここは校舎の中のようだった。
あれ、でも私は確か校庭を横切って校門に向かっていたはずだった
のだが⋮⋮
そうして困惑する私の元に今度は白衣を着た女性が現れた。
﹁気分はどう?頭はクラクラしない?身体はどこか痛いところはあ
る?﹂
白衣の女性に尋ねられ、私は自分の身体を確認する。
特に痛いところもないし、頭も大丈夫だと思う。
﹁⋮⋮だ、大丈夫です﹂
私がそう答えると白衣の女性は穏やかな笑みを浮かべた。
﹁そう、よかったわ。でも一応、何かあるといけないから病院に行
って検査してもらってきてね。親御さんにはさっき、連絡させても
らったから﹂
﹁⋮⋮え、病院?検査?﹂
全然、状況がつかめずに茫然とする私に白衣の女性が困ったような
顔を向けた。
﹁そうよね。突然のことで何がなんだかわからなかったわよね。こ
こは保健室で、あなたは気を失ってここに運ばれたのよ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮気を失って⋮⋮﹂
300
ここは保健室だったのか、ちゃんと入ったのは初めてだったので、
どこかわからなかった⋮⋮ということはこの白衣の女性は保健室の
先生なのだろう。
それにしても、私は特に持病もないし、今日も具合が悪い所なんて
なかった。
なのになんで、気を失ったりしたのか⋮⋮
ますます疑問が膨らみとても困惑する。
そして、私のその疑問に気付いたのだろう先生が苦笑を浮かべた。
﹁おそらく、気を失ったのはあなたの体調が悪かったとかではない
と思うわ。というか原因は間違いなくこの子だから﹂
そう言って、先生が示した先には、先ほどの少女が立っていた。
相変わらずその顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃのままだ。
﹁ごめんなさい﹂
少女はそう言って私に向かって深く頭を下げた。
﹁つい、校庭の木の魅力に誘われて登りたくなって⋮⋮初めは良か
ったんだけど少し調子に乗っちゃったら⋮⋮足を滑らせて落ちちゃ
って⋮⋮それであなたを下敷きにしてしまったの⋮⋮本当にごめん
なさい﹂
そういえばあの時、頭上から謎の叫び声がして、その直後に凄まじ
い衝撃がきたような気がする。
あれは、この少女が私の上に落ちてきたからだったんだ。
それにしても小学生なら、まだしも中学生のしかも女の子が校庭の
木に登るとは︱
301
しかも⋮⋮﹃校庭の木の魅力に誘われて﹄ってよく意味がわからな
い⋮⋮
私は泣き顔で必死に頭を下げて謝る少女を改めて見つめた。
そして、気が付いた。
少女が制服のスカート姿であることに⋮⋮
そしてそのスカートが土で汚れ、しわくちゃになっていることに。
おそらく木から私の上に落ちた時に汚れたのだろうが⋮⋮というこ
とは⋮⋮
つまり、この少女はスカート姿で校庭の木に登っていたということ
になる。
なんだかだいぶ変わった子みたいだ⋮⋮
﹁あの、もう大丈夫なので﹂
いつまでもこんな風に頭を下げられるのはなんだかいたたまれなく
て私はそう少女に言った。
﹁⋮⋮でも﹂
困った顔をする少女に私はもう一度、繰り返した。
﹁本当にもう大丈夫なのであまり気にしないでください﹂
突然、頭上に落ちてこられて下敷きにされた。
本当ならもっと怒ってもいいのかも知れなかったが⋮⋮
目の前の少女はこんなにも反省している⋮⋮
302
それに⋮⋮困り顔で眉を下げている少女はなんとも憎めない不思議
な雰囲気を持っていた。
﹁わざとではないのだし、本当に気にしないでください。それより
あなたに怪我は?大丈夫でしたか?﹂
私はそう言って少女に笑顔を向けた。
﹁私は大丈夫。ありがとう、佐々木さんは優しいんだね﹂
ずっと泣きそうな顔をしていた少女も笑顔になった。
それにしても⋮⋮
﹁⋮⋮どうして名前を⋮⋮﹂
なんでこの子は私の名前を知っているのだろうか。
持ち物か何かで確認したのだろうか。
﹁何言ってるの?知ってるよ。だって私たち同じクラスじゃない﹂
﹁⋮⋮!?﹂
きょとんした顔でそう言った少女の顔を私はまじまじと見つめた。
そういえば、なんだか見たことがあるような気もした。
⋮⋮そうか、クラスメイトだったのか⋮⋮
中学に入学して数週間、人と関わらずに一人で本ばかり読んでいた
私は、まだほとんどクラスメイトの顔も名前もおぼえていなかった。
﹁⋮⋮私、まだあんまりクラスの子の顔も名前も憶えていなくてご
めんなさい﹂
303
相手が覚えていてくれたのに、私は覚えていないことが申し訳なか
った。
不快にさせてしまったらどうしよう⋮⋮
そんな私の不安をよそに少女はにっこりとほほ笑んだ。
﹁そうなんだ。では、改めまして私は一年三組の︱︱﹂
そう言って自己紹介した少女が、私に手を差し出した。
差し出された手を思わず握り返せば、少女は満面の笑みで言った。
﹁これからもどうぞよろしくね﹂
しっかりと握られた少女の手はとても暖かかった。
そうして、その日から、私の一人ぼっちの生活は激変した。
﹁これからもよろしく﹂という言葉通りに、次の日からこの木登り
少女は何かというと私に寄って来るようになり、気が付けば私の初
めての友人になっていた。
そして︱
﹁あっちゃん∼∼助けて∼∼﹂
友人が情けない声をだしながら背後から抱きついてきた。
﹁⋮⋮今度は何?﹂
304
私は至極冷静に聞きかえした。
﹁英語の訳が今日、あたる日なんだけど、やってくるの忘れちゃっ
て⋮⋮前も、その前その前も忘れちゃってるから先生から﹃今度忘
れたら罰掃除をやらせる﹄って言われてるのに⋮⋮﹂
半べそ顔の友人に私は呆れてため息をついた。
﹁⋮⋮忘れすぎでしょ⋮⋮﹂
私が呆れながらも英語のノートを差し出せば友人は、ぱぁーと笑顔
になった。
﹁英語の授業までには返してよ﹂
﹁あっちゃん様、ありがとうございます﹂
そう言って私に頭を下げると友人は自分の席にダッシュでもどり、
必死にノートを写し始める。
﹁佐々木さんって、もうすっかり野猿のお世話係になっちゃってる
ね﹂
私と友人のやり取りを近くで見ていたクラスメイトの女子の一人が
そう言って苦笑した。
﹁⋮⋮野猿?﹂
﹁そう、野猿。小学の時のあの子のあだ名。私、小学校が一緒だっ
たの﹂
305
私の疑問に彼女はそう答えて、また苦笑した。
﹁休み時間には校庭の木に登って飛び移って遊んで、近所の山でも
いつも、そんな風に遊んでいたらしくて、近所で一時期﹃あの山に
は巨大な猿がいる﹄なんて噂も流れたのよ﹂
﹁⋮⋮それはすごいね﹂
確かに、そんな小学時代だったのなら、中学の校庭の木にちょっと
スカートで登るくらいなんともないのだろう。
﹁しかも、あの通り課題も忘れてばっかりだし、先生にもいつも怒
られてばっかりで、なのに次の日にはもうそれも忘れちゃうみたい
で⋮⋮また普通に忘れてくるの﹂
﹁⋮⋮それはすごいね﹂
確かに友人はいつも怒られた直後は落ち込んでいる様子をみせるの
だが、翌日には、もうケロッとしている。
どうやら、友人はどんなに怒られても、だいたいのことは翌日には、
忘れてしまうというなんとも羨ましい能力を持っているようだった。
しかし、それは本人的にはいいかもしれないが⋮⋮周りは大変であ
る。
私が﹃それだと周りは大変だったね﹄と言うと彼女は、ちょっぴり
意味深な表情を浮かべた。
﹁でもね⋮⋮あれはあれで一緒にいるとなんか楽しいんだよね﹂
そう言ってにやりと笑った彼女につられて私も思わず笑ってしまっ
た。
306
その後、彼女に友人の小学時代の武勇伝を沢山、聞かせてもらいお
おいに盛り上がった。
そうして、気がつけば私には野猿の友人の他にもたくさんの友人が
できていた。
そして、しばらくたった頃、ずっと野山をかけていたという野猿は、
私の影響でマンガやアニメに嵌り始めた。
そのお蔭か、野猿は昔ほど野山をかけずりまわらなくなり、彼女の
ご両親には﹁猿を人間にしてくれてありがとう﹂というよくわから
ない感謝をされることとなった。
また、同じ趣味の友人を得たことで私もさらにマンガやアニメに深
く嵌っていった。
そして二人して立派なオタクになった頃、私たちは親友となってい
た。
そうしてオタクな友情を育みつつ、中学三年を迎え、近隣の高校へ
一緒に行こうということになったのだが⋮⋮
﹁あっちゃん⋮⋮私はもう、駄目だ⋮⋮後のことはまかせた⋮⋮﹂
307
そう言って教科書を閉じようとする親友の頭を私は丸めたプリント
でポコンと叩いた。
﹁何、言ってるの⋮⋮まだ、初めて十分も立ってないでしょ!そん
なんじゃ、高校浪人になっちゃうよ﹂
﹁⋮⋮うっうっ、だって⋮⋮この厚い参考書の文字の羅列を見てる
とどうしても眠気が⋮⋮これはきっとこの参考書に呪いがかけられ
ているに違いないわ﹂
そう言って、始めて十分しかたってない受験勉強を終了しようとす
る親友に私は深くため息をついた。
親友は運動神経こそいいが、勉強はからっきし駄目だった。頭が悪
いというより興味がないことには打ち込めない性格のようなのだ。
正直、学校のテストだけならヤマを教えてあげればなんとかなって
きたのだが⋮⋮さすがに高校受験ではそうもいかない。
どうしようか⋮⋮このままでは一緒の高校に受かるどころか、本当
に高校浪人になってしまうかもしれない。
何か、この子はやる気にさせる方法は⋮⋮
﹁よし!この受験が終わったら、私の秘蔵の乙女ゲームたちを思う
存分やらせてあげる!﹂
﹁⋮⋮お、乙女ゲームとは⋮⋮あの⋮⋮﹂
﹃乙女ゲーム﹄それは最近、私が貯めたお年玉で購入し手を出し始
め、嵌り始めている新たなジャンルの商品である。
本来なら、親友にも進めてやってもらい、共に語りあいたいのだが
⋮⋮
308
親友はその大雑把すぎる性格から﹃大金を渡したらすぐ無駄に使っ
てしまう﹄とご両親に判断され、決まったおこづかいを貰っておら
ず、お年玉も強制的に貯金へとまわされている。
そのため、親友は自分の意志で高価な買い物ができないのだ。
よって彼女は、ゲームはおろかゲーム機さえ持っていない。
さすがに私もゲーム機を二つ買って貸してあげる余裕もなく⋮⋮
羨ましそうに見つめる親友には申し訳なく思っていたのだ。
﹁⋮⋮でも、あっちゃん。私、ゲーム機持ってないのだけど⋮⋮﹂
そう言って親友はしょぼんとする。
そんな彼女に私はとびっきりの笑顔を向ける。
﹁貸すわ!試験にちゃんと合格できたら、しばらくゲーム機ごとレ
ンタルしてあげる!﹂
﹁⋮⋮あ、あっちゃん様⋮⋮﹂
親友はそれはキラキラした目で私を見つめ立ち上がり。
﹁ありがとうあっちゃん!私、乙女ゲームのために必ず、高校に合
格するよ!﹂
と高らかに宣言した。
こうして高校に合格するための動機としてはいささか問題がある宣
言をした親友は、それは努力し、見事に私と同じ高校に合格するこ
とができた。
309
そしてさらに幸運なことに高校合格の祝いに親友は両親からゲーム
機を買ってもらうことに成功し、私の貸す乙女ゲームに私ともども
どっぷり嵌っていった。
高校ではさらなるオタク友達も増えた。そしてマンガやゲームを買
うために親友と一緒にバイトをしたり、相変わらずに課題を忘れて
くる親友をフォローしたり、賑やかな日々を過ごした。
小学時代ずっと一人で本を読み、誰とも話すこともなく過ごしてい
た日々が嘘のようだった。
賑やかで楽しい日々を、問題児だけど憎めない親友と過ごしていく。
これからもきっと変わらずこんな日々が続いていく。
そう思っていた。
その日は偶然、携帯を家に忘れてきていたこともあり、二年になっ
てクラスが分かれた親友が登校してこなかったのを私は知らなかっ
た。
﹃そういえばあの子、今日は遊びに来ないな﹄くらいにしか思って
いなかった。
そして、放課後⋮⋮私はもう二度と親友に会うことができないこと
を知った。
310
当たり前に続くと思っていた日々は⋮⋮あまりにも突然に終わって
しまった。
お通夜でも、お葬式でも⋮⋮私は泣くことができなかった。
そもそも、これでもう永遠に親友に会うことができないことが信じ
られなかった。
だってあの子のことだもん、なんだかんだでひょっこりまた戻って
くるかも知れない⋮⋮
お葬式を終えて、またいつもの日常がやってきた。
でも、待っても持っても親友は戻ってきてくれなかった。
そして数日が過ぎたある日、私はスマホのラインメッセージに未読
のものが残っていることに気付いた。
親友のお通夜のことなど友人たちと連絡は取っていたのだが⋮⋮気
が付かなかった。
いつ送られてきていたのだろうか?
そうして開くと︱
そこには見慣れた親友の名前があった。
日付は親友が事故にあった前日の深夜。
311
﹃あっちぁん。腹黒ドS王子が攻略できない∼﹄
困り顔の絵文字付きで送られてきていたそのメッセージは、おそら
く親友が必死にやっていた乙女ゲームのことだ⋮⋮
⋮⋮最後のメッセージがこれって⋮⋮本当に最後の最後まであの子
らしい。
そう思うとなんだか可笑しくなって私は笑ってしまった。
笑って笑って、笑い過ぎて涙まで出てきた⋮⋮
そうして、あふれ出た涙は留まることなくあふれ出てきた⋮⋮
もう目が溶けてしまうのではないかというほどずっとずっと流れ続
けた。
あの子はいなくなってしまったけど、もう私は一人ぼっちではなか
った。
だってあの子が私に新しい世界をくれたから⋮⋮
私はあの子の最後のメッセージを写しているスマホを握りしめた。
もうあの子は帰ってこないのだ⋮⋮
私はこれからあの子のいない日常を生きていく。
あの子がくれた新しい世界を私はちゃんと生きていく。
312
だから⋮⋮もし、どこかの小説みたいにこの命が尽きた時、新しい
命に生まれ変わることができるのなら⋮⋮
その時は︱
もう一度、あの子と友達になりたい⋮⋮
もう一度、あの賑やかで楽しい日々をあの子と一緒に過ごしたい。
★★★★★★★★★★★
﹁⋮⋮ソフィア様、ソフィア様﹂
誰かが呼んでいる声が聴こえてゆっくり目を開けると、ベッド脇で
とても心配そうな顔をしたメイドが私を見つめていた。
どうやら、彼女が私を呼んでいたらしい。
﹁⋮⋮どうしたの?﹂
私はまだ、ぼーとする頭で聞き返した。
﹁⋮⋮あの、だいぶうなされておいででしたので、大丈夫ですか?﹂
﹁⋮⋮うなされていた?﹂
私自身に自覚はなくてそう聞き返した時、私は自分の頬が濡れてい
313
ることに気が付いた。
ああ、私は泣いていたのか⋮⋮
そしてその原因にはなんとなく心あたりがあった。
﹁⋮⋮とても悲しい夢を見ていたので、きっとそれでうなされての
かもしれないわ﹂
﹁夢ですか?﹂
﹁ええ、とてもとても悲しい夢だったの⋮⋮でも、起きたらどんな
内容だったのかすっかり忘れてしまったわ﹂
そう、内容はまったく覚えていないのに⋮⋮それがとてもとても悲
しい夢だったことは覚えていた。
﹁たぶん昔にあった出来事だと思うのだけど⋮⋮﹂
﹁⋮⋮昔のことですか⋮⋮﹂
私の呟きにメイドはなんともいえない表情で固まってしまった。
私は数年前まで、異質な見た目から沢山の誹謗、中傷を受け部屋に
閉じ籠っていた。
おそらく彼女はその頃のことだと思ったのだろ。
﹁⋮⋮あのね。部屋に籠っていた頃のことではないのよ。それより
もっと、もっとずっと昔のこと⋮⋮﹂
そう言った私にメイドは不思議そうな顔をする。
それはそうだろう。まだ成人もしていない私がそんなずっと昔のこ
とを覚えているはずないのだから⋮⋮
正直、私自身だって、よくわからないのだ⋮⋮
314
内容をまったく覚えていない悲しい悲しい夢⋮⋮
でもそれは確かに昔に、ずっとずっと昔にあったことだった気がす
るのだ⋮⋮
そして、内容は憶えていないのに、胸にはとても悲しく辛い気持ち
だけがしっかり残っていて、私をせつなくさせた。
そうして沈んだ気持ちでいると、メイドが私を元気づけるように言
った。
﹁ソフィア様、今日はクラエス家にお出かけになる日ですよ﹂
それを聞いて私の胸に残っていた悲しく辛い気持ちが少し晴れてい
った。
そうだった。今日は、カタリナ様のお家に遊びにいく日だった。
昨日のうちにまたおすすめの本を選んでおいた、カタリナ様は喜ん
でくれるだろうか。
カタリナ様のことを考えると私の気持ちは浮上した。
身支度を整えて食事をして、準備をすませると私はいつものように
兄と共にクラエス家へと向かった。
クラエス家に着くとカタリナ様はいつものように庭に出ていた。
そしていつものように義弟のキース様も一緒だ。
315
﹁キース、だから、これは絶対に食べられるキノコよ﹂
﹁いや、姉さん、その辺の木にはえてた得体の知れないキノコ、絶
対に食べられないから﹂
﹁いやいや、これは食べられるやつよ。だってシイタケと同じ匂い
がするもの。これ絶対シイタケの仲間だから﹂
﹁何、シイタケって⋮⋮とにかくそんなよくわからないキノコ絶対
に食べちゃダメだよ。お腹を壊すよ﹂
﹁いや、食べてみないとわからないじゃない⋮⋮あ、ソフィア!﹂
何やら、キース様と言い合っていたカタリナ様が私に気付いた。
そして満面の笑顔で私に駆けよってくる。
その笑顔をみたら、まだ胸に残っていた悲しい気持ちが消えていく。
数年前のあの日、お城でのお茶会に参加して本当によかった。
あの日、カタリナ・クラエス様に出会えて本当によかった。
﹁カタリナ様、新しいお勧めの本を持ってきましたわ﹂
﹁本当!ありがとうソフィア!﹂
そう言って本を差し出せば、カタリナ様は飛び跳ねて喜んでくれた。
カタリナ様と過ごす日々は賑やかでとても楽しい。
カタリナ様と友達になれて本当によかった。
気が付けば、胸に残っていた悲しく辛い気持ちはきれいに消えてい
316
た。
317
魔法学園に入学しました︵前書き︶
第二十三話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
318
魔法学園に入学しました
春を迎え、ついに私たちは魔法学園へと入学した。
魔法学園、その名の通り魔法について学び、訓練をする学園である。
十五歳を迎えた魔力を待つ者を、国中から集め、全寮制でみっちり
二年間の教育を行う学び舎である。
この学園は国により運営されており、国内の学び舎では一番の規模
を誇る。
その巨大な敷地の中には、学舎はもちろんとして、学生と教師の寮、
魔法の研究施設などの様々な施設があるのだ。
ちなみにこれほど立派な施設が国によって創られているのには理由
がある。
それは魔力を持つ者、そしてその者によって生み出される魔法がこ
の国の大切な財産であるからだ。
他国では、魔力を持って生まれる者は、ほとんどいない。
ゼロでこそないが、それはかなりの少数である。
それに比べ、わが国は他国に比べ群を抜くほどの沢山の魔力を持つ
者が生まれる。
そして我が国はその魔力を持つ者たちの魔法の力を使い、大きく発
展してきたのだ。
319
よって、その魔力を持つ者たちは国の財産とされ、大切にされる。
そんな大切な財産である魔力を持つ者達が、その魔力を立派に扱え
るようになるように、そして国として、より魔力の高い魔法の才能
ある者を見つけるために魔法学園は創られたのだ。
この学園で、その魔法の実力を認められた者は、この国で王の次ぐ
権力を有しているとも言われる、魔法省と呼ばれる強大な魔法使い
の組織での地位が約束されている。
そうして毎年、十五歳を迎えた魔力を持つ少年少女たちが、国中か
ら学園に集められる訳なのだが⋮⋮
そのほとんどが、貴族なのである。
そう、我が国には他国に比べると沢山の魔力を持つ者が生まれるの
だが、そのほとんどが貴族以上の者であり、尚且つ高位な貴族の方
がよりその割合は多いのだ。
そのためなのか、魔力の有無、大きさは貴族のステータスと考えら
れ、魔力があること、その魔力が高いことがわかると、より高位の
貴族に養子にだされる者も多く、学園に入学する頃には、魔力を持
つ多くの者が高位の貴族になっている。
だが、もちろんすべての魔力を持つ者が貴族であるわけではない。
とても稀ではあるが、平民の中にも魔力を持つ者が生まれることは
ある。
そして、例え平民であっても、魔力を持つ者は必ず学園に入学する
ことになっている。
320
しかし、平民で魔力を持って生まれるものは大変稀であり、もう十
年以上、この魔法学園に平民の生徒はいなかったらしい。
そんな中、今年は十年ぶりに平民で魔力を持つ者が学園へと入学し
てきた。
マリア・キャンベル。平民であるというだけでも、かなり珍しい存
在である彼女は、さらに光の魔力を持っていた。
五つの魔力の内、最も強い力を持つという光の魔力、その魔力を持
つ者は、本当に少なく、現在、わが国でもほんの一握りしかいない
と言われている。
そんな﹃平民﹄であり﹃光の魔力を持つ﹄マリア・キャンベルに注
目が集まらないはずがない。
入学式から彼女は、それは多くの視線を集めていた。
そして、私もみんなの視線の先を辿り、彼女を見つけた。
金色に流れる美しい髪に、青く澄んだ瞳のそれは美しい少女。
その美しさに思わず、見惚れてしまいそうになる。
﹃平民﹄で﹃光の魔力を持つ﹄少女、きっとこの学園で、いやこの
国で今、一番に特別な女の子、マリア・キャンベル。
乙女ゲーム﹃FORTUNE・LOVER﹄の主人公が確かにそこ
にいた。
ついに主人公が登場しゲームは始まったのだ。
これからゲーム終了までの一年間、カタリナ・クラエスの破滅フラ
321
グとの戦いが始まる。
﹃破滅フラグになんか負けないわ!﹄
私は拳を握りしめ深く、決意を固めるのだった。
なんて、入学式で意気込んでみたのはいいが⋮⋮
入学してたったの数日、私はすでに、主人公マリアの魅力のすごさ
に圧倒されていた。
なぜなら主人公のマリアは入学してたった数日で、もうその魅力で、
ジオルドの興味を引き付け、キースを魅了してしまったのだから。
﹁そういえば、先ほど、光の魔力を持つ女の子に会いましたよ﹂
ジオルドがそんなことを言ってきたのは、寮の談話室でキースと三
人でのんびりとお茶を飲んでいる時のことだった。
ジオルドに、珍しいお菓子が手に入ったからと誘われ、貰ったお菓
子をほおばりながら、お茶を啜ったまさにその瞬間に、この言葉を
聞かされ、私は危うく飲んでいたお茶を吹き出しかけた。
なんとか、口の中で食い止め飲み込んだが、もう少しで食堂のテー
ブルクロスと、目の前の王子様をお茶色に染め上げる所だった。
322
本当に危なかった⋮⋮
そうしてあわやの事態を回避してほっとする私の横で、キースがジ
オルドの話に興味をしめした。
﹁ああ、今、色んな所で話題になっている平民の子ですね﹂
﹁そうです。その子に先ほど、学園の敷地内を散策していたら、偶
然出くわしたんですよ﹂
学園敷地内の散策中に出くわした⋮⋮それってジオルドと主人公の
出会いイベントだ!
主人公は持ち前の好奇心で、学園の広い敷地を散策してみるのだが、
あまりに敷地が広くて散策の途中で迷子になってしまうのだ。
そして、もう自分がどのあたりにいるのかわからなくなった主人公
は、﹃木に登って高い所から位置を確認すればここがどこかわかる
かも﹄とスカートのまま木に足をかけ登ろうと試みる。
するとそこに金髪碧眼の王子様、ジオルドが現れるのだ。
ジオルドに、はしたない姿を見られ顔を赤くする主人公。
そうして、スカートで木に登ろうとしていたちょっとお転婆な主人
公に、ジオルドは興味を持ち、迷子になって困っていた彼女を寮ま
でエスコートする。
⋮⋮というだいたいゲームのシナリオ通りの出来事をジオルドは話
し、私はそれを絶望的な気持ちで聞いていた。
ああ、やはりゲーム通りなんだ⋮⋮
この出会いでジオルドは主人公に興味を持ち始めて⋮⋮
そして、もう少しすると、きっと恋に落ちるのだ⋮⋮
323
﹁へぇー。姉さん以外にも、スカートで木に登ろうとするような女
性がいるんですね﹂
﹁僕もカタリナ以外では初めて見ましたよ。まあ、カタリナで見慣
れているから、特になんてこともなかったのですが、あちらはだい
ぶ取り乱していましたね﹂
﹁⋮⋮そうですよね。普通はスカートで木に登っている姿を見られ
たら取り乱しますよね⋮⋮﹃私は木登りのプロだからこのくらい大
丈夫よ﹄とか得意げに返しませんよね⋮⋮﹂
﹁まあ、カタリナは規格外ですからね。でもそこがカタリナの素敵
な所ですけどね。⋮⋮というか、カタリナ聞いていますか?﹂
ああ、そうして主人公に恋をしたジオルドは、他の貴族令嬢たちか
らの防波堤代わりに仕方なく婚約していた婚約者のカタリナ・クラ
エスの存在が邪魔になり⋮⋮そして⋮邪魔者を⋮⋮
﹁カタリナ聞こえていますか?⋮⋮駄目ですね。まったく聞こえて
ないですね﹂
﹁⋮⋮そのようですね﹂
ああ、駄目だ⋮⋮⋮⋮まだ始まって数日なのに、すでに破滅が着々
と近づいてきている⋮⋮
こうして、動揺しまくり、すっかり自分の世界に入ってしまった私
は、肝心のジオルドと主人公の恋の進展具合
を確認することも忘れて⋮⋮
﹃もう、部屋に戻らないといけない時間だから﹄とジオルドとキー
スに促されるまで一人悶々とし続けたのだった。
そして⋮⋮どうも、私の様子がおかしくなったことに気付いた二人
から︱
324
﹁姉さん。さすがに、もうここは家じゃないのだから、あまり変な
ものを拾って食べたら駄目だよ﹂
﹁そうだよ、カタリナ。君ももう十五歳になったのですから、変な
ものを拾って食べるのは止めないといけませんよ﹂
と﹃拾い食いをして調子が悪くなった﹄というあらぬ誤解を受ける
こととなってしまった。
⋮⋮まあ、今までも何度かそういうことあったからね⋮⋮
でも、一つ言い訳させてもらうと⋮⋮私は﹃拾って﹄食べてなどい
ない!木などの植物から﹃もぎ取って﹄食べているのだ!決して地
面に落ちているものを食べているわけではないので﹃拾い食い﹄で
はないのだ!
それに、十回食べたうちだったら、お腹壊したのはたったの二回く
らいの話なのに⋮⋮
﹁僕も、この間、ジオルド様が話していた光の魔力を持つ女の子に
会ったよ﹂
ジオルドの衝撃の告白から、わずか数日後、今度は義弟キースがこ
のような発言をしてきた。
それは朝の仕度を終えて、迎えにきてくれたキースと一緒に登校し
325
ましょうかという所だったので、今度は口からお茶を吐き出す心配
をしなくてもよかった。
なので⋮⋮
﹁⋮⋮なにっぬ!﹂
という謎の叫びをあげるだけで済んだ。
﹁⋮⋮ね、姉さん。どうしたの﹂
突然、謎の叫びをあげた姉にやや怯んだ様子の義弟に私は詰め寄っ
た。
﹁そ、それはまさかナンパしたの?!﹂
ゲームでのキースと主人公の出会いイベントはキースによるナンパ
だ。
なぜならゲームのキースはナンパなチャラ男であり、女の子と見れ
ばとりあえずひっかけるような、危険な男であった。
そのため、偶然、見つけた噂の光の魔力を持つ、他の令嬢たちとは
毛色の違う主人公に興味をもちナンパするのだ。
﹁⋮⋮な、なに﹃なんぱ﹄って⋮⋮﹂
﹁⋮え∼と、ナンパとは⋮⋮なんだろう⋮⋮。う∼ん。女の子をふ
しだらな行為に誘うことかな⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ふ、ふしだらな行為に誘うって⋮⋮そんなことするわけない
だろう!﹂
キースは真っ赤になって叫んだ。
326
まぁ、確かにキースがナンパするとか考えられない。
ゲームではチャラ男の遊び人だったキースだが、私の教育の賜物で
実際は、チャラ男とは程遠い素晴らしい紳士に育った。
⋮⋮まぁ、無自覚の女タラシにはなってしまっているが⋮⋮
顔を赤くして必死に否定するキースに﹃じゃあ、どうしたのよ﹄と
詰め寄れば︱
﹁前を歩いていた彼女が、ハンカチを落としたから拾ってあげただ
けだよ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ハンカチ⋮⋮﹂
そうだ!ゲームのキースは主人公に興味を持ち、初対面でナンパす
るもあえなく失敗。そして自分の誘いを断った主人公にさらに興味
を持つことになる。
そして、キースの誘いを断り去っていった主人公は、去り際にハン
カチを落として行く。
それを見つけたキースは、後日、そのハンカチを手に再び主人公の
前に現れ﹃これ、君のだろう?返して欲しければ僕と遊んでよ﹄と
再び主人公に迫っていくのだ。
﹁⋮⋮で、そのハンカチはどうしたの?﹂
おそるおそる、そう問えば⋮⋮
﹁どうしたも何も、拾ってそのまま本人に渡したよ﹂
﹁そ、そうなの﹂
そうか、ハンカチはキープしてこなかったのか⋮⋮
327
ではそのハンカチで、主人公に迫ることはなさそうだ⋮
だけど⋮⋮ここはジオルドの時の失敗を教訓にきちんと確認してお
かなければなるまい。
﹁⋮⋮で、その光の魔力の持ち主さんに会って、キースは⋮⋮その
どんな感じだったの?﹂
﹁⋮⋮どんな感じって?普通にいい子だったよ。丁寧にお礼を言っ
ていったし⋮⋮﹂
キースはよく意味が分からないといった様子で答えたが⋮⋮
ああ、違うのよ!キース。私が聞きたいのはそう言うことではない
のよ!
ここはもう、直球で聞くしかあるまい!
﹁だから!マリアさんと会ってキースはどう思ったのよ?マリアさ
んの美しさに恋に落ちちゃったりしたの?﹂
私よりだいぶ高くなったキースの肩をがっちりと掴みながらそう問
うと、キースは目を大きく見開いた。
﹁!?⋮⋮恋に落ちたって⋮⋮姉さんそれは一体どういう意味⋮⋮﹂
ああ、こんなにも驚いている義弟をみるのは彼がクラエス家に来た
頃以来だ⋮⋮
これはきっと図星なのだ⋮⋮間違いない!キースはすでにマリアに
惹かれているのだ!
﹁⋮⋮やっぱり、もうマリアさんのことを好きになったのね⋮⋮﹂
328
﹁⋮⋮え、姉さん。本当に一体、何言ってるの⋮⋮﹂
私は掴んでいたキースの肩にさらに力を入れた。
﹁いいのよ。隠さないで、私たち姉弟じゃない!ただね、一つ言っ
ておきたいのは⋮⋮私はキースとキースの好きな人の仲を邪魔する
気はまったくないから!私はマリアさんとキースのことちゃんと応
援するから!絶対に邪魔はしないから!﹂
私は決してあなたの恋を邪魔しません!味方になるから!
だから、間違ってもお姉ちゃんを消さないでね!
という深い意味も込めつつそう宣言し、キースの顔を仰ぎみれば⋮⋮
なぜだかキースは表情を失くしていた⋮⋮
心なしかさっきよりも顔色が悪くなっている気もする。
﹁⋮⋮キース?﹂
きょとんとする私に、私の後ろについていたアンが声をかけてきた。
﹁お嬢様、どうかそれ以上は⋮⋮キース様はもう限界でいらっしゃ
います﹂
限界⋮⋮そうか!
アンの言葉で、私は自分が無意識のうちにキースの肩を掴んだまま、
激しく揺さぶってしまっていたことに気が付いた。
先ほど、朝ご飯を食べたばかりなのに激しく揺さぶられて、気持ち
悪くなってしまったのだろう。
無意識とはいえ、ひどいことをしてしまった。
329
﹁ごめんね、キース。朝ご飯を食べたばかりなのに揺さぶってしま
って、気分が悪いようなら授業をお休みして医務室で休んでいる?﹂
私は謝り、そう提案したのだが⋮⋮
相変わらずの顔色のままキースは﹃大丈夫﹄だと答えた。
﹁⋮⋮でも、気持ち悪いようなら⋮⋮﹂
﹁いや、気持ち悪いわけじゃないから⋮⋮そもそも身体は大丈夫だ
から⋮⋮問題なのは精神面だから⋮⋮﹂
キースはなんだか、よくわからないことをぶつぶつ呟きつつも﹃本
当に身体は大丈夫だから﹄と医務室に行くことを拒否した。
そして、メアリやソフィアたちと合流し、学園に向かう途中もキー
スの顔色が戻ることはなかった。
かなり我を忘れていたので、それは激しく揺さぶってしまったのだ
ろう。
本当に、申し訳ないことをした。
そうしてそのまま授業を受けたキースの具合が心配だったが、次の
休み時間にはもうだいぶ、いつものキースに戻っていて︱
﹁そもそも、敵のその鈍さと頓珍漢さを甘く見ていたことが原因だ
から⋮⋮これからはもっとどんどん押していくことにする﹂
と私の手を握りながら、そんなよくわからない宣言をしてきた。
しかし、まったく、私だから大丈夫なものを⋮⋮
只でさえ、異様にモテるのに⋮⋮
330
軽々しく女子の手を握りしめて顔を近づけるなんて、なんて危険な
子なのだろう。
こんな調子だとまた純情な女の子たちを無暗に誑かしてしまうでは
ないか⋮⋮
せっかく元に戻ったばかりなので、今は大目に見るけど、あまりこ
んなことが続くようなら姉としてしっかり注意せねばなるまい。
それにしても、本当に主人公マリアさんの魅力はすごい⋮⋮
まさかこんな数日でもうジオルドの興味を引き、キースを魅了して
しまうなんて⋮⋮
本当にさすがだ。
これはもう一度、きちんと作戦を立てた方がよさそうだ。
そうしてその夜、私は寮の自室にて作戦会議を決行した。
では、カタリナ・クラエス破滅エンド回避のための作戦会議を開幕
します。
今回は副題に﹃∼主人公マリアさんの魅力がすごいので∼﹄を入れ
ていきたいと思います。
議長カタリナ・クラエス。
議員カタリナ・クラエス。
331
書記カタリナ・クラエス。
﹃では、みなさん意見をお出しください﹄
﹃はい﹄
﹃はい。では、カタリナ・クラエスさんどうぞ﹄
﹃副題にもありますが⋮⋮主人公のマリアさんが想像以上に魅力的
です!すでにジオルドの興味を引き付け、キースを魅了しているよ
うです!﹄
﹃そのようですね。そさすが主人公さんですね﹄
﹃でも、ジオルドはまだ魅了されたわけではないのでは?﹄
﹃あの何にも関心なさそうな、ジオルドが興味をもったんですよ。
もう魅了されるのも時間の問題ですよ﹄
﹃そうですか?確かにゲームでのジオルドはそうでしたけど、実際
のジオルドは結構、色んなものに関心あるようだけど、畑のことも
詳しくてアドバイスくれるし、お菓子にも詳しくて色々持ってきて
くれるもの﹄
﹃⋮⋮確かにそうね。でも特定の人に興味を持ったのは初めてじゃ
ないですか?だって、ジオルドときたら、いつもカタリナのことば
かりで、彼の口から気になる女の子の名前とか聞いたことないもの
!﹄
﹃そうね、そう思うと初めて興味をもった女の子である主人公さん
に惹かれるのも時間の問題かも知れないですね﹄
﹃本当に、主人公さんはすごいですね﹄
﹃このぶんならアランやニコルもすぐにマリアさんに魅了されてし
まうでしょうね﹄
﹃そうですわね⋮⋮﹄
﹃⋮⋮果たしてそうでしょうか?﹄
﹃え!?どういうことですか?﹄
332
﹃確かに主人公のマリアさんはゲーム通りなら勉強もできて魔力も
高くて、おまけにすごい美少女だけど⋮⋮それならメアリやソフィ
アだって全然、負けてないわよ!﹄
﹃!?﹄
﹃アランやニコルのライバルキャラである二人は、頭もいいし、魔
力も高いし二人ともマリアさんに負けないくらいの美少女なんだか
ら!マリアさんだってそう簡単には勝てっこないわ!﹄
﹃その通りね!あんなに魅力的な二人がそう簡単に負けたりしない
わよね!﹄
﹃そうよ、二人が簡単に負けっこないわ!負けるとしたら、頭も魔
力もしょぼいカタリナくらいよ!﹄
﹃そうね。負けるとしたらカタリナくらいだわ。それなら、よかっ
たわ﹄
﹃そうね、よかったわ﹄
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ってちっともよくないでしょう!!カタリナ負け
たら駄目じゃないですか!!破滅エンド一直線じゃないですか!﹄
﹃本当だわ!?カタリナ負けたら駄目だったわ!﹄
﹃⋮⋮確かに、負けたら駄目でした⋮⋮でも、皆さん。冷静に考え
てみてください。頭がよくて魔力も高い美少女に、頭も魔力もしょ
ぼい悪役顔の女が勝てると思いますか?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
﹃⋮⋮⋮は、畑を作りましょう!この間、読んだ﹃農業のすすめ﹄
に﹃農業とは経験の積み重ね﹄と書いてありましたわ。やはり学園
にいる間も畑作業を怠るわけにはいかないわ!﹄
﹃そうですわね!それにヘビの玩具を投げる練習も重なれければ、
333
いざという時に自然に投げられるようにしておかなくては!﹄
﹃あとは、先生からオッケーを貰ったとはいえ、剣の訓練も怠らず
に続けましょう!﹄
﹃そうですわね!﹄
﹃では、明日より学園にお願いして畑を作りつつ、ヘビの玩具を投
げる練習と、剣の訓練を続けるということでよろしいですかな﹄
﹃﹃﹃ はい ﹄﹄﹄
こうして、カタリナ・クラエス破滅エンド回避のための作戦会議は
閉廷した。
特に新しい案がでることもなく⋮⋮
﹁朝になったら、学園の先生に園内に畑を作らせてもらえるように
お願いに行こう﹂
そうして私は、実家より少し小さめのベッドにもぐり眠りについた。
数日後、授業を終えた私は、ほとんど人は来ないであろう学園の敷
地の隅っこで、土を掘り返している。
﹁お嬢様、これは花壇なのですよね?﹂
334
アンが怪訝な顔でそう尋ねてきた。
﹁ええ、そう花壇よ。アンとキースが畑は絶対にダメだっていうか
ら、花壇にしたんじゃない﹂
そうなのだ。私はもう畑を作る気満々だったのに、さすがに﹃公爵
家令嬢が自分の家の敷地内ならまだしも、学園内で畑作りは駄目だ
ろう﹄とキースとアンに大反対されたため、﹃じゃあ花壇で﹄と妥
協し、学園にも花壇を作りますと届けでた。
貴族の趣味としての園芸は意外と一般的らしく割とあっさり許可も
おりた。
だから、私はこうして花壇をつくっているのだ。
しかし、アンがさらに怪訝そうな顔を向けてくる。
﹁しかしお嬢様、私にはそこに並べてある苗がどうしても花には見
えないのですが⋮⋮﹂
﹁アンったら、何を言っているのよ。これはちゃんと花よ。こっち
はきゅうりの花が咲くし、こっちはナスの花が咲くのよ﹂
﹁⋮⋮お嬢様⋮⋮つまりは私の見間違いではなく間違いなくそれは
野菜の苗なのですね⋮⋮﹂
﹁そうね、確かに最終的には野菜が実るけれど⋮⋮その前にはちゃ
んと花が咲くわ!﹂
そう言って胸を張る私を見てアンが深いため息をつく。
﹁どうりですぐに納得されたと思ったら⋮⋮﹂
335
﹁もう、こうして苗も取り寄せてしまっているし、いいでしょう?﹂
そう言って上目づかいで、アンを見つめれば、アンは再び深いため
息をついた。
﹁⋮⋮わかりました。ただ、他の生徒の方々や、学園の方にはばれ
ないようにしてくださいね﹂
﹁ありがとう!﹂
やった∼!アンに許してもらえた。
後はキースを説得できれば、もう文句をいう人はいないはずだ。
﹁⋮⋮それにしても、お嬢様、その鍬と作業着にどうも見覚えがあ
る気がして仕方ないのですが⋮⋮﹂
﹁ああ、これ?見覚えがあって当然よ。だってずっと家で使ってい
たものだもの﹂
私がそう言うと、アンがひどくげっそりした顔をする。
﹁⋮⋮やっぱり⋮⋮しかし、お嬢様、私の記憶が正しければ、その
作業着に鍬は確かにクラエスのお屋敷においてきたはずなのですが
⋮﹂
﹁そうなのよ!せっかく私がちゃんと荷物に詰めたのに、アンった
ら荷物から抜いておいてきてしまうんだもの!仕方ないから、わざ
わざ家から庭師のトムじぃちゃんに届けてもらったのよ!﹂
﹁⋮⋮トムさん、まさかの裏切り⋮⋮﹂
そう呟いたきり、静かになったアンを横目に私は、せっせっと鍬を
336
動かした。
家の畑に比べればこぢんまりした畑だが、授業があるため、あまり
畑にばかり時間もとれないので、頑張らなくてはならない。
その後、だいぶ小言をもらったが、なんとかキースの説得にも成功
した。
ちなみに友人たちにも畑の存在はすぐにバレた。
畑を耕す私を見て、アランは﹃まさかこんな所にきてまでこんなこ
とするなんて﹄と腹を抱えて爆笑し、ジオルドはそんなアランの横
でひたすら俯いて肩を震わせていた。
メアリとソフィア、ニコルは、最初は驚いていたが、﹃必要ならお
手伝いします﹄と言ってくれた。
乙女ゲーム終了まであと一年、破滅フラグを乗り越えるために私は
日々、一生懸命に畑を耕す。
337
お菓子をおねだりしました︵前書き︶
第二四話を更新させていただきましたm︵︳︳︶m
338
お菓子をおねだりしました
魔法学園に入学して、数週間がたった。
先日、ゲームシナリオにもあった入学した生徒の実力を図るための
学問と魔力のテストが行われた。
すると︱︱キース、ジオルド、アラン、メアリ、ソフィアと︱︱私
の義弟と友人達がほぼ上位を独占する結果となった。さすが私の義
弟に友人達だ。
そして、そんな友人達と同じく上位入りを果たしたのはもちろん、
ゲーム主人公のマリアだ。
平民である彼女は、貴族である私たちのように専属の家庭教師をつ
けて勉強してきたわけではなく、普通に近所の学校にいって学んで
いただけのはずだ。
それなのに、他の貴族の子たちを抜いて上位に食い込むとはさすが
主人公である。
ちなみに私の順位はというと⋮⋮安定の平均すれすれである。
平均万歳、よく頑張ったと自分を褒めてやりたい。
そういえば、この学問テストの順位がゲームのシナリオ通りに、ジ
オルド、マリア、アランの順だったわけで⋮⋮ゲーム通りならば、
この事実を受けアランが自分より上位だったマリアに絡んでいくは
ずだったのだが⋮⋮
339
﹃別に、勝ち負けにこだわってないからな。人には向き不向きがあ
るんだから、いちいち気にしていたって仕方ないだろ﹄となんでも
ない顔でそう言ったアランはその言葉通り、マリアに絡みに行く様
子を見せなかった。
このように、ちょっとゲームとは違うこともあったが、ゲーム通り
のこともあった。
それは、生徒会メンバーの選抜である。
生徒会﹃生徒の自治活動により学園生活の改善と充実を図る﹄とい
う大義名分の元に学園創立とともに、作られた組織である。
まあ、その実際の活動は、先生方の授業の手伝いから、生徒間のト
ラブルの処理などと⋮⋮雑用係みたいなものなのだが⋮⋮
この生徒会は、前世で私が通っていた学校のように立候補して、選
挙するという方式ではない。
今回のテスト結果の上位者がもれなく強制で任命されてしまうもの
なのだ。
強制なんて、なんだか、少し気の毒にも思えなくないのだが⋮⋮
⋮⋮この生徒会に選ばれることは優秀だという証であり、とても名
誉なこととされているため、だいたい皆、進んで引き受けるのだそ
うだ。
そして選ばれた人たちは学園生徒の憧れの的となるのだそうだ。
そういうことで、このテストで上位を独占した義弟に友人達、それ
に主人公のマリアはもれなく全員、生徒会のメンバーとなったわけ
だ。
340
まったく、ゲーム通りだった。
まあ、強いて違いをいうなら、義弟と友人達が﹃カタリナ︵様︶も
一緒が良い﹄的なことを言って先生方を少し困らせたらしい。
皆が生徒会に入ってしまうと、私がひとりぼっちになってしまうの
で、きっと優しい彼らはその辺の事を考慮してくれたのだろう。
ちなみにメイドのアンは基本的に寮での生活のサポートなので、学
舎では一緒ではないのだ。
まぁ、放課後の畑仕事には﹃お嬢様だけでは何をしでかすかわかり
ませんので﹄とぴったりとついてくるのだが⋮⋮
友人たちにそんな風に心配してもらえて、嬉しいのだが、私は皆と
一緒にいるのもとても楽しくて好きだが、一人で気ままにブラブラ
するのも嫌いではないので、さほど問題はない。
︱とそのようなことを説明したのだが⋮⋮
気が付けば、基本的に生徒会メンバーしか入れないことになってい
る生徒会室への入室許可がおり、ちょいちょいと半ば強制的に招か
れるようになった。
どうやら、義弟と友人たちが何かしたみたいなのだが⋮⋮
⋮⋮聞いても、うまい具合にはぐらかされるため真相はいまだ不明
だ⋮⋮
そうしてなんやかんやで、私はたびたび、生徒会室にお邪魔してい
るわけなのだが⋮⋮
341
﹁どうぞ、カタリナさん﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
そう言って、笑顔で私にお茶を差し出してくれたのは、二年生で生
徒会のトップである生徒会長である。
鮮やかな赤毛に灰色の瞳で子犬のような愛らしい雰囲気を持つ彼は
他のメンバーに引けをとらない美少年だ。
ちなみに副会長は﹃魔性の伯爵﹄ニコルがやっている。
生徒会は学力と魔力の高さで選ばれているはずなのだが⋮⋮ここの
人たちを見ていると顔も基準に入っているのではないかと思ってし
まう。
ただ、一年の選抜生徒会メンバーが七名なのに対して、二年のメン
バーはこの会長と副会長のニコルだけだ。
会長の話によると、初めは今年と同じ七名が選ばれたらしいのだが、
ニコルをめぐって、あれやこれやのいざこざが起こり、みんな辞め
たり、通ってこなくなってしまったらしい。
会長だけは自身も美少年だからなのか、ニコル耐性があり大丈夫だ
ったそうだ⋮⋮
﹃魔性の伯爵﹄の魅力、恐ろしすぎる⋮⋮
まあ、そんなわけで、カツカツだった生徒会に⋮⋮ニコルに耐性を
持っている一年生たちが入ってきてくれた。
そのことに会長は、それは喜んでいるようだった。
342
そのためなのか、生徒会に関係のない私が友人たちに引きずられ、
頻繁にやってきても嫌な顔をすることもなく、こうして親切にお茶
までだして迎えてくれるのだ。
そうして快く迎えられているお蔭で、私もかなり生徒会に入り浸る
ようになってしまってきている。
まぁ、ほぼ私を心配した優しい友人たちにより引っ張られてきてい
るのだが⋮⋮
そうして、入り浸っていれば、友人たち以外の生徒会のメンバーと
も関わりが出てくる訳で⋮⋮
﹁クラエス様、よろしかったらこちらもどうぞ召し上がってくださ
い﹂
会長に入れてもらったお茶を啜る私に、お菓子を勧めてくれる美少
女に私は思わずドキリとなる。
﹁あ、ありがとう。キャンベルさん﹂
私がお礼を言うと、美少女、マリア・キャンベルはにっこりとほほ
笑んだ。
⋮⋮そうなのだ。
生徒会室に入り浸るうちに、私は主人公のマリアちゃんともそこそ
こに、関係を持つようになり、生徒会室にくればこうして笑顔でお
343
菓子を勧めてもらえるくらいには親しくなっていた。
そうして、私は今までゲームの主人公としてしか認識していなかっ
たマリアちゃんという人物を知ることとなったのだが⋮⋮
マリア・キャンベル⋮⋮⋮⋮はたしてその正体は︱︱︱優しくすご
くいい子だった。
それはもう仕事もできれば、気遣いもできる素晴らしいお嬢さんな
のだ。
そして、そんなに何でもできるのに、驕ることもなく謙虚な姿勢。
もう、本当に魅力的で素敵な女の子なのだ。
なんで、ゲームのカタリナはこんないい子をあんなに目の敵に苛め
抜いたのか⋮⋮と戸惑うほどだ。
きっと、攻略対象である友人たちも徐々にマリアちゃんの魅力に惹
かれているのだろうなー。
そんなことをぼんやり考えながら、頂いたお菓子を口に放り込む。
む!?このお菓子なかなかに美味しい。
﹁このお菓子、美味しいですね﹂
差し出してくれたマリアちゃんにそう言うと、こんな返事が返って
きた。
﹁とても美味しいですよね。学園の生徒さんが生徒会への差し入れ
でくださったものなんですよ﹂
344
おお、差し入れでしたか。
確かに、この学園では生徒会は生徒たちの憧れの的であり、差し入
れもそれなりに入るらしい。
しかも、この学園の生徒には高位の貴族が多数、差し入れのお菓子
もいちいち高級そうだ。
あ、そういえばお菓子といえば︱︱
﹁キャンベルさんはお菓子を作ってこられないの?﹂
ゲームの中のマリアの趣味はお菓子作りだった。
そして、生徒会にも何度か、手作りのお菓子を差し入れていた。
高級菓子とはまた違った手作りの素朴で美味しいお菓子が攻略対象
たちのお腹とハートを鷲掴みにしていたはずだ。
その手作りお菓子のイラストはとても美味しそうで、前世の私はあ
まりの食べたさに思わずコンビニに似たようなお菓子を買いに走っ
たものだった。
そうして、画面越しに焦がれていたマリアの手作りお菓子⋮⋮いま
なら、本物を食べることができる!
︱︱という下心満載の質問だったのだが⋮⋮
﹁⋮⋮え﹂
マリアちゃんが固まってしまった。
345
なんか﹃お菓子作ってきてよ﹄的な脅しになってしまったか!?
私は弁解しようと慌てて口を開く。
﹁あ、いえ、あのね。別に無理に作ってこいというわけでは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮あの、なぜ、私がお菓子を作っていると知っていらっしゃる
のですか?﹂
あ、そっちか。
確かにマリアちゃんは自分から﹃お菓子作ってるよ﹄と公言してい
ない。
ゲームでも、初めはこっそり食堂の調理場の隅を借りて自分用にち
ょっぴり作って食べていただけだったはずだ。
好感度が上がってきた攻略対象と打ち解けると、その話題が出てき
て、﹃じゃあ、僕︵俺︶にも作ってきてよ﹄となるんだった気がす
る⋮⋮
でも、マリアちぁんのこの反応だとまだ、誰ともそんな話はしてい
ない感じだ。
う∼ん。まさか﹃ゲームで作っているの見た﹄とか言えないし⋮⋮
﹁え∼と、そ、その、食堂のおばちゃんにそのような話を聞いて⋮
⋮﹂
﹁⋮⋮そうですか﹂
ややしどろもどろになった言い訳だったが、とりあえずマリアちゃ
んは納得してくれたようだ。
ほっとひと安心だ。
﹁⋮⋮クラエス様がお聞になったとおり、確かに食堂の調理場をお
借りして自分用に少しお菓子を作っていますが⋮⋮でもそれは、と
346
ても皆様にお出しできるほどのものではないので⋮⋮﹂
テーブルに置かれた高級菓子を見ながら、マリアちゃんが困った顔
をした。
確かに、ここに並ぶのは高級店で購入された高級菓子ばかりで、素
人の手作りのものはない。
なぜなら、この国の貴族さんたちは女性であってもほとんど料理を
しないのだ。
基本、料理は召使の料理人さんたちの仕事とされているからだ。
かくゆう私も、お菓子はもちろん料理も作れない。
そもそも、クラエス家において、私は調理場の立ち入りを禁止され
ていた。
前世の記憶が戻った頃には、何度か入ってその辺の食材をつまんだ
り、謎のスパイスを舐めてみたり、庭に生えていたのキノコを調理
してみようとしたりなど色々していたのだが⋮⋮そのうち﹃調理場
は刃物や火など危険な物が多いので、大切なお嬢様が怪我をされた
ら大変ですから﹄と入れてもらえなくなったのだ。
まったく箱入りお嬢様も大変だ。
まあようするに、貴族令嬢は自分で料理はしないので、生徒会に差
し入れられるお菓子はすべて専門の料理人さん作のお菓子なのであ
る。
なので、マリアちゃんとしては、そんな中に素人の手作りのお菓子
は持ってきにくいということなんだろうけど⋮⋮
﹁私、料理人さんの高級お菓子も好きだけど、手作りお菓子もとて
も好きなの﹂
347
﹁え、クラエス様が手作りのお菓子を召し上がるのですか?﹂
マリアちゃんがとても驚いた顔をする。
﹁ええ。屋敷のメイド頭さんが、お菓子作りが趣味で、よくおすそ
わけをもらってたの﹂
料理人さんが作ってくれるお菓子や高級店のお菓子は見た目も凝っ
ていて美味しかったが、メイド頭さんの作ってくれた素朴なお菓子
もとても美味しかった。
だから、学園にきてあのお菓子が食べられなくなってしまい、とて
も残念だった。
﹁学園にきて、あのお菓子の味が恋しくて、もし迷惑でなければキ
ャンベルさんが作っているものをちょっぴりでいいので分けてもら
えたら嬉しいのですけど、材料費もあるでしょうから、お金もちゃ
んと払わせてもらうから﹂
どうか、あの最高に美味しそうなお菓子を私に︱︱と悪役顔にせい
いっぱいの笑顔を作り必死におねだりする。
そんな私の必死な様子にほだされてくれたのか︱︱
﹁とんでもない!お金なんていてだけません!材料だって学園の調
理場であまったものをいただいているだけなので!⋮⋮⋮本当に素
人の趣味で作っているだけのものですので、クラエス様のお口にあ
うかはどうかわかりませんが⋮⋮近いうちに作って持ってきますね﹂
マリアちゃんはそう言ってくれた。
﹁ありがとう!﹂
348
こうして、私は、念願のマリアちゃんの手作りお菓子をいただける
約束をとりつけることに成功したのだった。
マリアちゃんから手作りお菓子を頂けるという約束をとりつけた翌
日の放課後、畑作業のために寮で着替えをすべく一人、寮への道を
歩いていた。
ちなみに義弟と友人たちは生徒会の仕事で生徒会室に集まっている
が⋮⋮
今日は、トムさんから届けてもらった特製の肥料を早くまいてしま
いたかったので、友人たちに引っ張られる前に早々に退散してきた
のだ。
そうして、寮に向けてトコトコ歩いていたのだが⋮⋮﹃ぐ∼ぐ∼﹄
とお腹が壮大になり始めた。
今日の昼は次の時間の授業の課題を忘れ、キースに小言を言われな
がら写させてもらっていたので、昼食を十分に食べることができな
かったのだ。
ひと仕事する前に、アンに何か食べるものを準備してもらおう。
そんなことを考えていると︱︱犬並と自負する嗅覚がなにやら、と
ても香ばしく美味しそうな匂いをとらえた。
そして、思わずフラフラと匂いに誘われ、道から少し外れた林の方
349
へ向かうと︱︱
そこにはマリアちゃんと、おそらく学園の生徒であるのだろう数人
の令嬢が立っていた。
まるで、マリアちゃんを囲むように並んだ彼女達はその煌びやかな
ドレスからおそらくそこそこに位の高い貴族の令嬢であることがわ
かる。
そして、そんな令嬢たちに囲まれたマリアちゃんの腕の中にはハン
カチのかかったバスケットが抱えられており⋮⋮この香ばしく美味
しそうな匂いはその辺りから漂ってきていた。
ということは!あれは、まさかお願いしていた、手作りお菓子では
ないのか!
昨日、約束したばかりなのに、もう作ってきてくれたのね。なんて
いい子なのかしら!
感激した私が、こちらに気付いていないマリアちゃんと令嬢たちに
駆けよっていこうとした⋮⋮まさにその時だった。
﹃バシン﹄と大きな音が林に響いた。
マリアちゃんを囲んでいた令嬢の一人が手を大きく振り上げ、マリ
アちゃんの持っていたバスケットを地面へと叩き落としたのだ。
そして、叩き落とされたバスケットから、おそらくマリアちゃんの
手作りであろうお菓子、マフィンのようなものがコロコロと転がり
落ちた。
350
﹁光の魔力を持っているというだけでチヤホヤされて、いい気にな
っているんじゃないわよ!こんな平民が作った貧相な物を生徒会の
方々に食べさせようなんて、不相応にもほどがあるわ!﹂
バスケットをたたき落とした令嬢はそう言うと、今度は地面に落ち
てしまったお菓子をあろうことか、踏みつけようとしたではないか
!?
ちょっと、私のお菓子になんてことを∼∼!!
﹁やめなさい!﹂
私はそう叫ぶと令嬢たちとマリアちゃんの間へと入った。
﹁⋮⋮カ、カタリナ・クラエス様⋮⋮﹂
今、まさにお菓子を踏みつけようとしていた令嬢はもちろん、回り
を囲んでいた他の令嬢も突然の私の登場に目を丸くした。
﹁あなたたち、一体何をしているの!﹂
マリアちゃんがせっかく私のために作ってきてくれたお菓子になん
てことをするのだ!
私はギロリと令嬢たちを睨んだ。
﹁⋮⋮ひっ﹂
ご令嬢たちが途端に青くなった。
だてに悪役顔はしていない!こうして睨みをきかせばその効果は倍
増だ!
351
私のお菓子を駄目にしようとしたその罪、許し難し!
私は持てる目力を駆使し、さらに鋭い目つきを令嬢たちに向ける。
そんな私の怒りを感じとったのであろうご令嬢たちは︱︱
﹁申し訳ありませんでした﹂
と青い顔で頭を下げたと思うと我先にと、淑女にあるまじき猛ダッ
シュで去って︱︱いや、逃げていった。
⋮⋮うん。今日も悪役面の効果は絶好調である。
それにしても⋮⋮私は地面に転がったマリアちゃんの手作りお菓子
に目を向けた。
落ちた地面が芝生だったため、土もほとんどついていないようだ。
私はまずバスケットを拾い、その中に落ちたお菓子を入れていく。
すると、相変わらずにいい匂いのするそれが空腹のお腹を刺激し⋮
⋮我慢ができなくなった私はついそのお菓子に手を伸ばしてしまっ
た。
そして、パクリと口に頬張った。
﹁⋮⋮美味しい﹂
それは、今まで食べてきた数々のお菓子の中でもかなり上位に入る
ほどの美味しさだった。
352
これ、美味しすぎる!
なんだ、このまろやかな口触り、そしてこの甘すぎもせず、物足り
なくもない絶妙な甘さ加減がたまらない。
その、あまりの美味しさにお菓子に夢中になった私は︱︱気が付け
ばバスケットに拾ったお菓子をすべて完食してしまっていた。
そして﹃ふう、満腹満腹﹄と顔をあげた私を︱︱マリアちゃんが驚
愕の表情で見つめていた。
⋮⋮し、しまった∼!?つい、調子に乗ってマリアちゃんの手作り
お菓子を全部食べてしまった∼
それなりに数があったから、多分、生徒会の皆の分もあったのだろ
う⋮⋮
⋮⋮というか、もう私に作ってきてくれたんだと思いこんで、食べ
ちゃったけど⋮⋮
そもそも、私への物じゃなかった可能性も⋮⋮これはやばい!
﹁あ、あの、つい調子にのって全部食べちゃって⋮⋮ごめんなさい﹂
私は大慌てでマリアちゃんに頭をさげた。
するとマリアちゃんがどこかオドオドしたように言った。
﹁あ、いえ。それは構わないのですが⋮⋮あの地面に落ちてしまっ
たものでしたので⋮⋮﹂
ああ、なるほど、そっちね。
﹃あなたに作ってきたものじゃないのに﹄とか言われなくて、よか
った∼。
353
﹁落ちたのは芝生の上だったし、ほとんど汚れてなかったから問題
ないわよ﹂
すぐに拾って食べたのだし、三秒ルール的にもセーフである。
私はそう言って胸をはる。
﹁⋮⋮そ、そうですか﹂
マリアちゃんがなんだかちょっぴり困ったように笑った。
それにしても︱︱
﹁キャンベルさんは本当にお菓子作りが上手なのね。とても美味し
かった﹂
そう、マリアちゃんの手作りお菓子は私の期待をはるかに超えるほ
どに本当に美味しかったのだ。
あのまろやかな口当たりに、あの絶妙な甘さ、もうそこら辺のプロ
の料理人さんにまったく、劣らない素晴らしい出来栄えなのだ。
というような感想を私が熱く語るとマリアちゃんは︱︱
﹁⋮⋮ありがとうございます﹂
とほんのり頬を赤く染めて恥ずかしそうに笑った。
その可愛さに思わずドキドキしていると︱︱学舎の方からジオルド
王子がやってきた。
なんでも、本日は生徒会の会議なのだが、いつまでたってもやって
354
こないマリアちゃんが心配になり、探していたらしい。
バスケットを抱え込みしゃがみ込む私と、頬を赤くして立ち尽くす
マリアちゃんに、ジオルドはなんだか怪訝な目を向けたけれど⋮⋮
マリアちゃんが﹃偶然、カタリナ様にお会いして、お話しをさせて
いただいていたんです﹄とごまかしてくれた。
ここで﹃カタリナ様が皆さんに作ってきたお菓子を全部食べていま
した﹄とか言わないでくれてありがとう。
そんなことがしれたらまた﹃人の分までお菓子を食べるなんて!﹄
とジオルドやキースに怒られる所だった。
そうして、無事にマリアちゃんを見つけたジオルドは、彼女を連れ
て生徒会室へと戻っていった。
なぜだかついでに、私も引っ張って行かれそうになったのだけど、
今日は畑に肥料をまいてしまいたかったので、丁重にお断りさせて
いただいた。
そうして、お腹も満たされた私は、寮で作業着に着替えると、畑へ
と向かった。
それにしても、マリアちゃんがあんな風に嫌がらせをされていてな
んて⋮⋮
私は畑作業をしながら、先ほどのことを思い出していた。
平民であるのに、特別な魔力を持っており成績もよい。ちなみに顔
355
も性格もいい。
おまけに学園の憧れである生徒会のメンバーにも選らばれた。
学園の羨望の的であるマリアちゃんは⋮⋮プライドの高い貴族達に
とっては嫉妬の的だ。
だからこそ、あのように絡んでくる者達が出てくるのだ。
そもそもゲームでは、あのように主人公に絡む役割はほとんどカタ
リナがこなしていたのだが⋮⋮
いまはそれがない。
それでも、この学園は高位な貴族であふれている、たとえ、カタリ
ナが率先して主人公を苛めなくても、第二、第三のカタリナが次々
に出て来るのだろう。
それにしても、マリアちゃんがせっかく作ってきてくれたお菓子を
あんな風にするなんて、本当にひどい子達だ。
もう少しで食べられなくなるところだった。
もう、本当にゲームのカタリナみたいじゃないか!
プライドが高くて意地悪で︱︱
⋮⋮ゲームのカタリナ⋮⋮
そういえば、ゲームのカタリナがまさに今日のように、マリアちゃ
んに嫌がらせをするシーンがあった気がする⋮⋮
マリアちゃんが生徒会の皆のためにと作ってきたお菓子を持って、
生徒会室に向かう所に絡んで、そのお菓子を地面にたたきつけ、あ
356
ろうことか踏みつけようとする。
そんな、窮地に攻略対象であるジオルドが颯爽と現れ、悪役令嬢カ
タリナとその仲間たちを華麗に撃退するのだ。
そして、地面に落ちたお菓子を拾って、口にいれ﹃とっても美味し
いですね﹄とやさしくマリアちゃんに笑いかけるのだ。
もう、普段のジオルドとは違う、そのやさしい笑顔に画面越しにだ
いぶ興奮したものだった。
そうか、今日のあれは、あのイベントだったのか⋮⋮
悪役令嬢がカタリナじゃなかったから気が付かなかった。
そう考えれば、あとからジオルドがやってきたのも納得だ。
だって、ジオルドのイベントだったのだから。
そうかージオルドのイベントだったのかー。
⋮⋮ということは私、ジオルドのイベント横取りしちゃった!?
だって、本来、ジオルドが止める所をつい私が止めちゃったし、ジ
オルドが追い払う予定だった令嬢達も私が悪役面を使って追い払っ
ちゃったし⋮⋮
おまけに、ジオルドが食べて最高に素敵な笑顔を見せるはずだった
お菓子をジオルドが来る前にすべてお腹に収めてしまった⋮⋮
うわー、ジオルドごめんなさい。
大切な友人の恋のイベントを横取りしてしまったよ⋮⋮
357
⋮⋮これじゃあ、マリアちゃんとジオルドの恋が進展しないよ。
本当に申し訳なかった⋮⋮
⋮⋮あれ?もしかして進展しない方がよくない。
だって、ジオルドとマリアちゃんがうまくいってしまうともれなく
カタリナが破滅してしまうわけだから⋮⋮
むしろ、よくやったじゃないか私!えらいぞ私!
いとせずに破滅フラグへの道を遠ざけていたなんて、素晴らしい!
よ∼し!じゃあ、この勢いにのってどんどん頑張るぞ!
そうして決意も新たに、私はトムじぃちゃんに送ってもらった特製
肥料を畑にまき始める。
しかし、あまりに調子にのってまきすぎ⋮⋮
その後、アンに小言を言われながら一緒に回収作業に明け暮れた。
358
また横取りしてしまいました︵前書き︶
第二十五話、第二十六話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
359
また横取りしてしまいました
ジオルドのイベントを横取りしてしまった事件から、数週間がたっ
た。
なんだか、あの事件から前よりマリアちゃんと仲良くなれた気がす
る。
あれからマリアちゃんはよく、私のためにお菓子を作ってきてくれ
るようになった。
﹁どうぞ、クラエス様﹂
と笑顔で差し出される、最高に美味しいお菓子は、私の足を自然と
生徒会室へと向かわせる。
そして、マリアちゃんの手作りお菓子と生徒会長に入れて貰ったお
茶をいただくという、他の生徒が知ったら嫉妬で呪われそうな贅沢
な日々を過ごしている。
マリアちゃんのお菓子もたまらなく美味しいが、会長も貴族の子息
とは思えないほどお茶を入れるのが上手なのだ。会長の入れてくれ
たお茶はとても優しい味がした。
ちなみに、会長はニコルたちとは遠縁の親戚で子供の頃に何度か顔
を合わせたことがあったらしい。
つまりが、それがニコル耐性になっているらしかった。
360
こうして、友人達以外の生徒会のメンバーともだいぶ仲良くなった
私だが︱︱それでも、やはり生徒会室を出るとさほど接点がないの
が現状だ。
会長は学年も違うから仕方がないとして、マリアちゃんは同じ学年
だし、もっと生徒会以外でも仲良くしたいと思っているのだが⋮⋮
なんとなく、生徒会室以外では距離を取られているのだ。
まあ一応、私たち姉弟と友人達は、まさに国の最高峰な身分なわけ
で⋮⋮マリアちゃんだけじゃなく、他の生徒達もそれなりの身分の
人じゃないとそんなに親しげによってきてはくれないのだが⋮⋮
ゲームのマリアも初めのうちは、生徒会以外では攻略対象ともそん
なに親しくしていなかった。
ゲームが進んで、攻略対象達の好感度が上がると、攻略対象達の方
からぐいぐいとマリアに接近していき、そして生徒会以外でも彼女
と共に過すようになるのだ。
しかし、現時点で特にマリアちゃんと急接近している攻略対象はい
ないように見える。
皆、普通に親しくはしているが、マリアちゃんに夢中という感じの
人はまだいない気がする。
むしろ、今の時点なら、すっかりマリアちゃんのお菓子の虜になっ
ている私が一番、マリアちゃんへの好感度が高いんじゃないかとも
思うほどだ。
361
そんな訳で、誰もマリアちゃんにグイグイ行ってくれないのだ⋮⋮
そうして現在、生徒会室以外では、一人で行動していることがほと
んどのマリアちゃんだが⋮⋮
どうやら、ゲームでカタリナにされていた様な嫌がらせを、他の貴
族達から受けているらしいのだ⋮⋮
私はそれをなんとかしたかった。
そう思いながらも、どうすればよいかは思いつかなかったので、賢
い義弟に相談したところ︱︱︱
私達と一緒に行動すればいいのではないかというアイディアをもら
った。
なぜなら、私たちは、一応、国の最高峰といっていいくらいの身分
である。
その私達と一緒にいれば、いくら高位な貴族でもそう簡単には手出
しはできないだろうと言うのが義弟の意見だった。
生徒会室で課題を忘れていたことに気付き慌てた、私にわかりやす
いノートを貸してくれ、わからない問題を丁寧に説明してくれたマ
リアちゃん。
﹃また作ってきて﹄とお菓子のおねだりばかりする私に、笑顔でい
つも美味しいお菓子を作ってきてくれるマリアちゃん。
気が付けば、本来なら悪役令嬢の天敵であるはずの主人公マリア・
キャンベルという女の子を、私はすっかり好きになってしまった。
だからこそ、マリアちゃんが嫌な目にあっているのを見て見ぬふり
362
なんてできない。
よし!もう行動の遅い攻略対象達なんてまっていられない!
自分からドンドンマリアちゃんとの距離を詰めて、生徒会以外でも
一緒にいられるようになろう!
そう決意を固めた、数日後のことだった。
お昼休み﹃今日こそはマリアちゃんを一緒にお昼に誘おう!﹄と決
めた私はマリアちゃんを探していた。
ちなみに私と友人達はいつも皆で学園の食堂でご飯を食べているの
だが、マリアちゃんの姿を食堂で見かけたことはない。
ゲームの中では確か、高位貴族達の利用者が多い食堂に気後れして
しまい、寮で自分のお弁当をつくって持参し一人、食べているとい
う設定だった気がする。
そんな情報を元に、ご飯が食べられそうなスペースを探してまわっ
ていた私は︱︱学舎中庭の外れ、ぽつんと置かれた小さなベンチの
脇にマリアちゃんを発見した。
しかし、マリアちゃんは一人ではなかった。
また、数週間前と同じように貴族の令嬢たちに囲まれていたのだっ
た。
だいぶ距離があったが、風が令嬢たちの声を運んできた。
363
﹁平民のくせに、少し光の魔力を持っているからって、生徒会に選
ばれて、調子に乗ってるんじゃないわよ!﹂
﹁光の魔力を持っているからって特別扱いされて、それで仕方なく
相手をさせられている生徒会の方々も本当にお気の毒だわ!﹂
﹁そうよ!どうせ、学力のテストだって魔力が特別だから贔屓され
たに決まっているわ!﹂
マリアちゃんを囲んでいた令嬢達が口々にマリアちゃんに罵りの言
葉を浴びせていた。
そして、そんな罵りが飛び交う中、おもむろに一人の令嬢が手を掲
げた。
その手には赤く燃える炎が揺れていた。
︱︱あれは、火の魔法!!
あろうことかその令嬢はマリアちゃんに火の魔法で害をなそうとし
ていた。
そして、炎を手にした令嬢がマリアちゃんとの距離を詰めようと足
を動かす。
このままではマリアちゃんが危ない!
しかし、止めに入るには距離がありすぎた⋮⋮
こうなったら⋮⋮
﹁いでよ!土ボコ!﹂
364
私の高らかな叫びとともに、マリアちゃんの元へと歩み寄ろうとし
ていた令嬢の足元の土が十センチほどボコッとあがった。
そして、その土に足を取られた令嬢はもののみごとにすっ転び、し
りもちをついた。
よっしゃ!!私は心の中でガッツポーズを作った。
みたか私の長年に渡る訓練の成果、土ボコの威力を!
そうして、しりもちをついた令嬢と、その仲間たちがあたふたして
いる隙に、私はマリアちゃんの元に駆けつけ、令嬢達の前に立ちは
だかった。
そして、令嬢たちを悪役面で睨みつける。
﹁一体、何をしているの!!そもそも光の魔力を持っているから贔
屓されてるなんて、言いがかりもいいところだわ!この学園は完璧
な実力主義であって贔屓なんて存在しないわ!﹂
もし、本当に贔屓があるのだとしたら、クラエス公爵家の令嬢も平
均スレスレよりは上位にあげてもらえるはずだ。
﹁それに、マリアちゃんは、それは努力してるのよ!テストはその
努力の成果なのよ!﹂
そうなのだ。ゲームではなんやかんやで無敵の天才だと思っていた
主人公マリアだったが、実際のマリアちゃんはとても努力家だった。
課題を忘れて見せてもらったノートにも、勉強を教えてくれるため
にひらいた教科書にもそれは沢山の書き込みがあり、マリアちゃん
が普段とても努力している様子が見てとれた。
365
マリアちゃんは天才なんかじゃなく、努力家の頑張り屋さんなのだ。
﹁それに、生徒会の皆も私もマリアちゃんが光の魔力を持っている
から一緒にいるんじゃないわ!努力家で、何にでも一生懸命なマリ
アちゃんが好きだから一緒にいるのよ!﹂
私は令嬢達を悪役面で睨みつけ、悪役らしく口の端だけで笑みをつ
くった。
﹁あなたたち、こんなことを続けていると︱︱破滅するわよ﹂
ゲームの悪役令嬢カタリナ・クラエスのようにね︱︱
そして、その私の壮絶な悪役面に恐れをなしたと思われる令嬢たち
は、またもや淑女らしからぬ猛ダッシュで一目散に逃げていった。
ふっ、たわいもない奴らだった。
あのような小物、この悪役令嬢カタリナ・クラエス様の敵ではない
わ!
そうして、悪役顔を大活躍させ、令嬢達を追い払って、マリアちゃ
んを振り返ると︱︱
なんと⋮⋮ポロポロと涙を流しているではないか!?
﹁マ、マリアちゃん!?﹂
私は慌てて、マリアちゃんに近寄り、その震えている背に手を置い
た。
366
あんな風に囲んで罵られ、恐ろしい魔法を使われて⋮⋮きっと相当、
怖かったのだろう。
私はそっとマリアちゃんの背を撫でた。
しばらくその背をさすっていると⋮⋮マリアちゃんがぽつり呟いた。
﹁⋮⋮あの、クラエス様⋮⋮私の名前⋮⋮﹂
ん、名前?なんのことだ?
しばらく考え、そして思い当った。
⋮⋮あ、そういえば、うっかり心の中の呼び名﹃マリアちゃん﹄呼
びを連呼してしまっていた。
今まで本人には﹃キャンベルさん﹄呼びで統一していたのに︱︱
﹁あ、あの、ごめんね。いきなり慣れ慣れしく呼んでしまって⋮⋮﹂
慌てる私にマリアちゃんが首を横に振った。
﹁いえ、全然構いません。むしろ﹃ちゃん﹄付けも不要です。私の
ことはマリアと呼んでください﹂
そう言たマリアちゃんの一生懸命な様子が可愛すぎて、思わず、に
んまりしつつ、さっそく呼んでみた。
﹁ありがとう。マリア﹂
なんだか、今までよりぎゅっと距離が縮められた気がした。
すると、マリアは頬を赤くして嬉しそうに微笑み︱︱
367
﹁あの、その⋮⋮もし、許していただけるなら⋮⋮﹂
なんだか、少し挙動不審な調子を見せた。
そして、なんだろうと見つめていると。
﹁あの、私も生徒会の皆さんのように﹃カタリナ様﹄と呼ばせてい
ただいてもよろしいでしょうか﹂
なぜだか、重大な告白であるかのように言った。
私は思わずきょとんとなり︱
﹁もちろん、好きなように呼んで貰っていいわよ。だって私達、も
う友達なのだから﹂
そう言って笑うと、なぜだか、先ほどまで止まりそうだったマリア
の涙がまた溢れてきて、私はそれを必死になだめることとなった。
しばらくして、マリアの涙も落ち着いた頃に、いつまでも食堂に来
ない私を探しにキースがやってきたので、三人で一緒に食堂にいき、
いつもの友人たちと大急ぎで昼食を食べた。
マリアの手作りお弁当を少し分けてもらったら、お菓子に負けず劣
らずとても美味しかった。
そして、この事件から私がさらにグイグイいった成果で、生徒会以
外でもマリアと一緒に過ごせるようになった。
それにしても、まさかあんな風に魔法をつかってまで嫌がらせして
368
くる人が現れるなんて⋮⋮
一日が終わり、寮でベッドに入った私は昼間のことを思いだし、ぶ
るっと震えた。
あのまま、あの令嬢を止められず、マリアにあの炎が使われていた
ら⋮⋮
マリアは無傷ではいられなかった⋮⋮
あのように魔法で人を襲うなんて犯罪だ。
あんなことを繰り返していたなら、それこそゲームの中のカタリナ
と同じく、罪をとわれ国外追放になるだろう。
⋮⋮そういえば、カタリナも同じようなことやっていたわね。
なんとなく気になってきた私はベッドからはい出ると、ここしばら
く、開いていなかった﹃前世でのゲームの記憶を書き出した帳﹄を
引っ張りだした。
ある日の昼休み、カタリナはいつものように手下の令嬢達とマリア
を取り囲む。
そして、皆で罵りを浴びせると、手下の一人、火の魔力の持ち主を
使い炎の魔法でマリアを害そうとするのだ。
そんな危機的状況になった時、マリアの身体がひょいと宙に浮くの
だ。
マリアは人よりだいぶ大きな土の人形に抱き上げられ守られていた。
それは偶然にも近くに居合わせたキース・クラエスが使った魔法だ
369
った。
そうして、キースは﹃土の人形﹄を使ってマリアを安全な自分の傍
へと運ぶのだ。
ちなみに、キース自身が直接、間にはいらず土人形を使ったのは、
嫌がらせの首謀者が自分の義理の姉であるカタリナだったため、自
分で出ていくとよけい面倒なことになると考えたからだ。
そうして、助けだされたマリアは、キースの元へ着くと驚きと炎を
突き付けられた恐怖から震えてしまい、そんなマリアをキースが優
しく慰め抱きしめるのだった。
この時、遊び人のはずのキースがなんだか少しだけ不慣れな様子で
マリアを抱きしめるのに、とても萌えたものだ。
⋮⋮これは⋮⋮
私、またイベント横取りしちゃった!?
しかも、今度はキースの!?
なんてことだ⋮⋮あんなにキースに恋路は邪魔しないと誓っておき
ながら、大事な恋のイベント取ってしまうなんて⋮⋮義弟よ⋮⋮本
当にごめんね。
⋮⋮これじゃあ、マリアちゃんとキースの恋が進展しないかもしれ
ない。
なんてことをしてしまったんだ⋮⋮
370
本当に申し訳なかった⋮⋮ってあれ?もしかして進展しない方がよ
くないか?
だって、キースとマリアちゃんがうまくいってしまうともれなくカ
タリナが破滅してしまうかもしれないわけだから⋮⋮
むしろ、よくやったじゃないか私!えらいぞ私!
ジオルドの時からひき続き、いとせずに破滅フラグへの道を遠ざけ
ていたなんて、素晴らしい!
私ってなんてすごいんだろう!
こうして私は自画自賛を繰り返し、上機嫌で眠りについた。
今回、主人公であるマリアと親しくなったことで、大きなメリット
があった。
それはゲームの恋の進み具合が確認しやすくなったことだ。
なにせ、いつも一緒にいる親しい友人になったのだ。
女の子同士で集まって﹃ね∼。あなたは誰が好きなの∼﹄とか言う
お決まりのやつも非常にやりやすくなったのだ。
しかし⋮⋮ことはそう思うようにはいかなかった。
なぜなら﹃ね∼。あなたは誰が好きなの∼﹄的な質問をマリアに問
うと⋮⋮
371
﹁私は、カタリナ様をお慕いしておりますわ﹂
と頬を染めて言ってくれるのだ。
それはそれでとても嬉しいのだが⋮⋮そういう好きではないのだけ
ど⋮⋮
ちなみに、このマリアの答えに対して、幼馴染の親友、二人も同じ
ように︱︱
﹁私も、私もカタリナ様をお慕いしておりますわ!それはもう誰よ
りも!﹂
﹁マリア様も、メアリ様もずるいですわ!私も、私もです!カタリ
ナ様!﹂
と言ってくれる。
本当に愛すべく素敵な友人達なのだが⋮⋮友よ⋮⋮私は恋バナがし
たいのです⋮⋮
こうして、いつも恋バナは脱線し、なぜだか私への好意を語る大会
になってしまう。
それ自体はとても光栄で嬉しいことなのだが⋮⋮
結局、攻略対象との恋の進展具合も確認できないまま時が流れてい
く⋮⋮
しかし、より親しくなったために、マリアの魅力のすごさをより一
層に感じるようになった。
372
例えば、まるで私の好みに合わせて作ってきてくれているかのよう
に美味しいお菓子。
私のためにとわかりやすくまとめてノートまで作ってくれる優しさ。
そして時々、目があうと、まるで恥じらうような可愛らしい微笑み
を浮かべてくれる。
もう、私が男だったらすっかり虜になっているところだ。
例え、イベントの一つ二つ、偶然に横取りしたところでこのマリア
のあふれ出る魅力の前にはあらがえまい。
これは、もう他の攻略対象達もそうとうにメロメロになっているこ
とだろう。
こうしてマリアと友人になりつつも、その魅力のすごさに危機を覚
えた私は︱︱
﹁だから、今の感じはどうだった?自然だった?﹂
私がそう問えば、アンは眉を寄せる。
﹁⋮⋮あの、お嬢様、これは?一体なんなのでしょう?﹂
﹁何って、ヘビの玩具を自然に投げる練習よ!﹂
もう、アンったらさっきも説明したのにと思いながらも、私は先ほ
373
どと同じことを繰り返した。
﹁⋮⋮そうですね。先ほどもそうお聞きしたので、その行為自体は
わかったのですが⋮⋮そもそもの意味がわかりかねます﹂
﹁だから、もしいざという時がきたら、相手を驚かして隙を突くた
めの練習なのよ﹂
﹁⋮⋮お嬢様⋮⋮その﹃いざという時﹄の意味がそもそもわかりま
せん﹂
﹁いざという時はいざという時よ!ほら、じゃあ、もう一回、投げ
るから自然だったかどうか見ていてね﹂
そう言って、私は再び、ヘビの玩具をポケットにしまうと投げる練
習を始める。
﹁そもそも⋮⋮ポケットからヘビの玩具を投げるという行為自体が
自然じゃないと思うのですが⋮⋮﹂
そんなアンのため息交じりの呟きは、懸命に玩具をなげる私には届
かなかった。
こうして、私はマリアの魅力で虜になった攻略対象によって破滅に
追いやられないように、必死にヘビの玩具を投げる練習を重ねた!
畑も少し拡大し、作物も増やす予定だ!
374
特別な子と呼ばれて︵前書き︶
すみません、だいぶ長くなってしまいましたm︵︳︳︶m
375
特別な子と呼ばれて
マリア・キャンベルと言うのが私の名前だ。
でも、私をこの名前で呼ぶ人は少ない。
皆、私をこう呼ぶのだ﹃光の魔力を持つ特別な子﹄と。
国の中心から少しだけ離れた小さな町で育った私が、光の魔力を発
動させたのは五つの時だった。
一緒に遊んでいた友人が転んでしまい、その拍子に足に傷ができた。
ぱっくりと開いた傷はとても痛そうだった。
治してあげられたらいいのにと思いながら、私はそっとその傷に触
れた。
すると、突然、私の手から眩い光が溢れでて、その光に触れた傷は
みるみる消えていった。
光の魔力は癒しの力、傷や病気を治す。
しかし、当時の私にはそんなことはわからなかった。
貴族の家に生まれていれば、ある程度、魔力について学ぶ機会があ
ったかも知れないが⋮⋮
うちは普通の平民の家庭だった。
だから、まだ学校にもあがっていない私はそもそも魔力という存在
すら知らなかったのだ⋮⋮
そして、それは私が傷を治した友人も同じだった。
376
突然、私が手から光を出した。
しかもその光に包まれた傷が消えていった。
目の前で起こったできごとに友人は驚愕し、恐怖した。
彼女は悲鳴を上げると、私を押しのけて逃げていった。
すっかり混乱した私は、母親が心配して探しにくるまで、茫然とそ
の場に座りこんでいた。
その後、やっとの思いで母親にその出来事を話すと、すぐに町の役
所に連れていかれた。
そして、私は国による審査を受け﹃光の魔力保持者﹄と認められた
のだった。
魔力が発動するまでの私は、どこにでもいる普通の子供だった。
家は特別お金持ちではなかったけど、たくましく頼もしい父とお菓
子作りが趣味の優しい母と幸せに暮らしていた。
強いて特別をあげるなら、優しい母は町で一番と言われるほどの美
人で、その母に良く似た私は、父はもちろん町の皆にも可愛がって
もらっていた。
だけど⋮⋮私が﹃光の魔力﹄を得てしまったことで、すべてが変わ
ってしまった。
この国の魔力保持者のほとんどが貴族であり、平民が魔力を持つこ
とはほとんどない。
それでも稀に魔力を持って生まれる者もいた。
377
しかし、そういった者のほとんどは貴族のお手付きになった女性が
産んだ子供だったのだ。
そのため、私が魔力を持っていると分かった時⋮⋮母の不貞が疑わ
れた。
私が母には良く似ていたが、父にはあまり似ていなかったことも原
因だったのだろう。
特に母は町で一番といわれるほど美しい女性だったので⋮⋮どこか
で貴族のお手付きになっていたのではないかという噂も流れはじめ
た。
もちろんそんな事実はなかったのだが⋮⋮
小さな町に噂はあっという間に広がり、家族仲はぎくしゃくするよ
うになった⋮⋮
やがて、いつも仕事が終わるとすぐに帰ってきて、母や私の話を楽
しそうに聞いてくれていた父はあまり家に帰ってこなくなった。
そして、いつも笑顔だった母はすっかり無表情になり、俯いてばか
りいるようになった。
あんなに好きだったお菓子作りも、まったくしなくなってしまった。
⋮⋮⋮私が魔力なんて持っていたから⋮⋮
そして、変わったのは家族だけではなかった。
あんなに親しくしてくれていた町の人たちも、気が付けばどこか遠
巻きなり、それまで仲良くしていた友達も、私と一緒に遊んでくれ
なくなった。
378
どこかの貴族の隠し子かもしれない、魔力というほとんどの平民が
持たない異質な力を持つ子供。
平穏を生きる小さな町の人々にとっては容易には受け入れられない
存在だったのだろう⋮⋮
こうして、光の魔力を手にした私は︱︱
皆から煙たがられ、怖がられ、避けられる存在になった。
それでも私は⋮⋮仕方ないと諦めることができなかった。
父に戻ってきて欲しかった、母に顔を上げて笑って欲しかった、も
う一度、友達と遊びたかった。
だから、私は努力した。
家事を積極的に手伝い、決して我儘は言わず、勉強も必死に学んだ。
必死に、私が頑張れば、いい子にしていれば、いつかまた元のよう
な幸せな生活に戻れるのではないかと信じて⋮⋮
そうして、気が付けば﹃マリア・キャンベルは特別な子﹄と皆に一
目置かれる存在となっていた。
通いはじめた近所の学校でも色々な代表に選らばれ、教師からは素
晴らしく優秀な生徒だと賞賛された。
379
それなのに⋮⋮相変わらず、父は家に帰ってこず⋮⋮母は私から視
線をそらすようになった。
そして、他の子供たちも、誰も一緒に遊んではくれなかった。
無視されたり、苛められることこそなかったが、誰も一緒に遊んで
はくれなかった。
必死に頑張り続け﹃特別な子﹄と呼ばれる存在になっても、何も変
わらなかったのだ。
それどころか﹃貴族の隠し子だから何か裏でズルをしているんだ﹄
﹃魔力を使ってズルをしているのだ﹄と陰口を叩かれた。
どうやったら、昔のように皆と仲良くできるのか⋮⋮いつも考えて
いた。
そんなある日、クラスメイトの女の子が学校に手作りのお菓子を持
ってきて、皆がとても喜んで食べている光景をみた。
私もあの子のように皆に手作りのお菓子を振る舞えば、少しは仲良
くなれるだろうか⋮⋮
魔力が発動する前は、よく母と一緒にお菓子を作った。
母と一緒に作ったお菓子はそれは美味しかった。
その日、家に帰ると私は、母に教えてもらったことを思い出しなが
ら、初めて一人でお菓子を作った。
できたお菓子は、母と作った時ほどにうまくは、できなかったが、
とても懐かしい味がして、食べると胸がほっこり暖かくなった。
そうして、私はお菓子作りに励み、ようやくうまく作れるようにな
ると、そのお菓子を学校へ持っていった。
380
そして、以前にクラスメイトがしていたように、お昼休み、皆の食
事をしているテーブルにお菓子を置いて勧めた。
だけど⋮⋮そのお菓子は、誰にも手を付けてもらえなかった。
お昼休みが終わり、皆が席に戻ってから、まるまる残ったお菓子を
そっと鞄にしまった。
放課後、皆が帰り一人になった教室で、鞄からそのお菓子をとり出
して口に運んだ。
いつもは食べると元気がでるはずのお菓子だったのに⋮⋮ポロポロ
と涙が溢れて止まらなかった。
そうして、お菓子を全部、自分で食べて、家へ帰るとそのまま寝室
で布団にくるまった。
母が﹃夕食はいらないの﹄と事務的な声で部屋のドア越しに聞いて
きたけど﹃今日はお腹いっぱいだから﹄と答えると﹃そう﹄とそっ
けなく呟き去っていった。
学校の先生、同じ学校の子たち、町の人達、そして家族、皆が私を
﹃特別な子﹄と言う︱︱
その﹃特別﹄は﹃異質﹄と言う意味だった。
頑張っても、頑張っても、やはり私は煙たがられ、怖がられる存在
のままだった⋮⋮
﹃光の魔力を持つ特別な子﹄そんな呼び名で呼ばれたくない!
381
貴族の隠し子なんかじゃない⋮⋮魔力でズルなんてしてない⋮⋮
只、必死に⋮⋮皆に認めてもらえるように只、頑張っているだけな
のに⋮⋮
誰も私を見てはくれなかった。
母親にさえ目をそらされてしまっている。
誰でもいい⋮⋮誰でもいいから、誰か⋮⋮私をみて⋮⋮只のマリア・
キャンベルをみて⋮⋮
⋮⋮⋮十五歳になると、魔力を持つ者は必ず魔法学園に通うことが
国の法で決められている。
魔法学園⋮⋮そこにいけば、皆が魔力を持っている︱︱
そこならば、私は普通の子になれるかも知れない
そこにいけば⋮⋮もしかしたら、友達になってくれる人が現れるか
もしれない⋮⋮
暗い部屋の中、ベッドでまるくなった私の胸に湧いた希望⋮⋮
魔法学園に行ったらきっと︱︱︱
382
そうして、長年の希望を抱いて入学した魔法学園だったのだが、入
って早々に私の希望は打ち砕かれた。
魔法学園の生徒は皆、貴族の子息、令嬢であり平民である私は、も
うそれだけでとても異質なものとされた。
それに、元々魔力をもっていない平民の人達の中では、あまり意識
したことがなかったが、﹃光の魔力﹄というのは魔力のなかでも稀
有なものであり、魔力保持者の中でも異質なものだったのだ。
結局、こうしてさらに﹃異質﹄の要素が増えた私に、友達なんてで
きるはずもなかった。
それどころか、平民であるのに光の魔力をもっているのが、生意気
であると嫌がらせも受けるようになってしまった。
それは、町で暮らしていた時と変わらない、むしろより辛い日々だ
った。
それでも⋮⋮頑張っていれば⋮いい子にしていれば⋮⋮と必死に努
力した。
そうして、入学してから、数週間が過ぎた頃に、魔力と学力のテス
トが行われた。
必死に勉強したお蔭で、どちらのテストでもよい成績を収めること
ができた。
そして、その結果から私は生徒会のメンバーとなった。
383
一緒に選ばれた他のメンバーは町で普通に暮らしていたら一生、話
すこともないほどの身分の方々だった。
そして二年の先輩にあたる方々もそれは同様だった。
そんな中で、初めこそかなり萎縮していた私だったが、メンバーの
方々はその身分では考えられないほど、気さくで素敵な人たちだっ
た。
特に、同じ学年のメンバーの方々にそれは好かれており、生徒会の
メンバーではないが生徒会室への出入りを許可されている、公爵家
令嬢のカタリナ・クラエス様︱︱
彼女は平民の私に対しても他の貴族の方々とまったく同じように気
さくに暖かく接してくれた。
学園の中で、生徒会室だけが私の心休まる場所だった。
﹁キャンベルさんはお菓子を作ってもってこられないんですか?﹂
カタリナ様がそんな風に訪ねてきたのは、ある放課後の生徒会室で
のことだった。
その、突然の問いに私は思わず、固まってしまった。
﹁⋮⋮あの、なぜ、私がお菓子を作っていると知っていらっしゃる
のですか?﹂
384
確かに、私はあの時からお菓子作りを続けていた。
母のレシピで作ったお菓子を食べると、母との楽しい思い出を思い
出すことができて、すこしだけ元気になれた。
この学園にきてからも嫌なことや辛いことがあると、食堂の調理場
の片隅を借りてお菓子を作った。
しかし、それはあくまでこっそりとしていることだった。
もちろん、生徒会室でもそんな話をしたことはない。
それなのに、なぜ、カタリナ様が知っているのだろうか?
不思議に思い、カタリナ様を見つめていると。
﹁え∼と、そ、その食堂のおばちゃんにそのような話を聞いて⋮⋮﹂
そんな答えが返ってきた。
確かに、料理人さんたちに特に、内緒にしてくれと頼んではいない
ので、そのような話が噂になったのかもしれない。
﹁⋮⋮クラエス様の聞かれた通りで、確かに食堂の調理場をお借り
して自分用に少しお菓子を作っていますが⋮⋮でもそれは、とても
皆様にお出しできるほどのものではないので⋮⋮﹂
私はテーブルに置かれた高級菓子を見つめる。
今までの生活でお目にかかったこともないような高級そうなお菓子
⋮⋮こんな素晴らしいものを食べている人たちに、とても私の作っ
た安っぽいお菓子なんてだせっこない⋮⋮
そうして俯いた私に︱︱
﹁私、料理人さんの高級お菓子も好きだけど、手作りお菓子もとて
も好きなの﹂
385
カタリナ様が言った。
﹁え、クラエス様が手作りのお菓子を召し上がるんですか?﹂
私はとても驚いた。貴族の方々は基本料理をしないと聞いていた。
そのため、お菓子も職人が作ったものを食べるため、素人の手作り
など食べることはないと思っていた。
﹁ええ。屋敷のメイド頭さんが、お菓子作りが趣味で、よくおすそ
わけをいただいていたの。
学園にきて、あのお菓子の味が恋しくて、もし迷惑でなければキャ
ンベルさんが作っているものをちょっぴりでいいので分けてもらえ
たら嬉しいのですけど、材料費もあるでしょうから、お金もちゃん
と払わせてもらうから﹂
そう言ってカタリナ様は愛らしい笑顔を私に向ける。
﹁とんでもない!お金なんていてだけません!材料だって学園の調
理場であまったものをいただいているだけなので!⋮⋮⋮本当に素
人の趣味で作っているだけのものですので、クラエス様のお口にあ
うかはどうかわかりませんが⋮⋮近いうちに作って持ってきますね﹂
その愛らしい笑顔に押され、不相応とはわかりながらもつい承諾し
てしまった。
そんな私に︱︱
﹁ありがとう﹂
カタリナ様がもう一度、優しく微笑んでくれた。
386
もしかしたら、カタリナ様は私に気を使ってくださったのかもしれ
ない。
いつも一人ぼっちの平民が、調理場で一人お菓子を作り、それを一
人で食べているという噂を聞き⋮⋮同情してこんな風に言ってくれ
たのかもしれない。
カタリナ様はとっても優しくて素敵な方だから⋮⋮
気遣われただけかもしれない、社交辞令かもしれない⋮⋮
でも⋮⋮はじめてだったのだ⋮⋮私の作ったお菓子を食べたいと言
ってもらえたのは⋮⋮
私はすっかり浮かれてしまい、寮に帰るとその夜さっそく調理室で
お菓子を作った。
誰かのためにお菓子を作るのは、あの日、泣きながら一人お菓子を
食べきった時以来だった。
翌日の放課後、生徒会室に向かう前に、寮の調理場におかせてもら
っていたお菓子を温めなおした。
カタリナ様に少しでも美味しく食べてもらいたかったからだ。
そして、温めたお菓子をバスケットにいれて、生徒会室へと向かっ
た。
その途中で︱︱それは起きたのだった。
寮から学舎へ向かう道で、私は数人の女生徒に声をかけられた。
387
それは高そうな煌びやかなドレスをまとった彼女たちはおそらくか
なり高位の貴族の令嬢であるとわかった。
﹁少し話があるの﹂
そう言われ、強引に林の方へと連れていかれた。
道から外れた林につくと令嬢達は﹃平民風情が!﹄と私に罵りを浴
びせ始めた。
学園に入ってから何度かこういうことはあったので、私は黙って令
嬢たちの怒りが落ち着くのを待っていた。
すると⋮⋮
﹁これはなんですの?﹂
令嬢の一人が私の抱えるバスケットに興味を示した。
﹁⋮⋮あ、これは⋮⋮生徒会の皆さんへ差し入れで作ったお菓子で
⋮⋮﹂
突然の問いに、私は思わず素直に答えてしまい⋮⋮
そして、すぐに自分のうかつさを後悔した。
その私の答えを聞いた令嬢たちの顔色が目に見えて変わったのがわ
かった。
顔を真っ赤にした令嬢たちからは先ほどとは比べものにならない程
の怒りが感じられた。
やってしまった⋮⋮
自分の不用意な発言が令嬢達の怒りをさらに大きくしてしまったの
だ。
388
そして︱︱︱
﹃バシン﹄と大きな音が響き、抱えていたバスケットが一人の令嬢
の手によって地面に叩き落とされた。
落ちたバスケットから、コロコロとお菓子が転がり落ちていく。
﹁光の魔力を持っているというだけでチヤホヤされて、いい気にな
っているんじゃないわよ!こんな平民が作った貧相な物を生徒会の
方々に食べさせようなんて、不相応にもほどがあるわ!﹂
そう叫んだ令嬢が、今度は、地面に落ちたお菓子を踏みつけようと
足を上げる。
それまでとは比べものにならないほどの激しい怒りをぶつけられた
私は、茫然と目の前でおこる光景をみつめていた⋮⋮その時だった
︱︱︱
﹁やめなさい!﹂
突然、響いた凛とした声。
背に流れる美しい茶色の髪、澄んだ水色の瞳、その声と同じ凛とし
た姿︱︱︱
なぜ、こんな所にいるのだろう、放課後はいつも生徒会室にいるは
ずなのに⋮⋮
そしてその人は、まるで私を庇うかのように、すっと前に立った。
﹁⋮⋮カ、カタリナ・クラエス様⋮⋮﹂
389
今、まさにお菓子を踏みつけようとしていた令嬢が茫然と呟いた。
私もとても驚いたが、私を囲んでいた令嬢たちはもっと驚いたよう
だった。
目を見開き固まってしまっていた。
﹁あなたたち、一体何をしているの!﹂
そして、カタリナ様が厳しい声をあげると令嬢たちは途端に真っ青
になる。
それもそのはずだ。
クラエス公爵家のご令嬢であるカタリナ様は、国の第三王子であり
婚約者のジオルド様をはじめ、学園中の憧れである生徒会の方々が
とてもとても大切にされている方で、またその朗らかな人柄から密
かに慕っている者もかなり多い方なのである。
そんな、カタリナ様の不興をかえば、学園はおろか、国にすらいら
れない状況に陥いることだって考えられる。
そして、先ほどまでの剣幕が嘘のように大人しくなった令嬢たちは
︱︱︱
﹁申し訳ありませんでした﹂
そう言ってカタリナ様に頭を下げると⋮⋮まるで競争をしているか
のように我先へとすごい勢いで走り去っていった。
そんなあまりに急な展開についていけず、私は茫然としばらく立ち
尽くしていたが⋮⋮
390
そういえば、生徒会室にいかなくてはいけないのだったと思い出し
た。
作ったお菓子を持って生徒会室に向かう予定だったのだ⋮⋮
そして、お菓子がもう私の手の中にないことも思い出した。
私が作ってきたお菓子は、すべて地面の上に転がっていた。
ああ、これではとても生徒会室に持ってなどいけない⋮⋮
いつかのあの日を思い出した。
誰にも食べて貰えず、机の上にポツンと残っていた手作りのお菓子
⋮⋮
どんなに頑張って作っても無駄なのだ⋮⋮誰にも食べてもらえない
⋮⋮
立ち尽くす私の代わりに、カタリナ様が落ちたお菓子をバスケット
に拾ってくれていた。
それに気が付いた私は慌てた。
カタリナ様に地面に落ちたものを拾わせてしまうなんて⋮⋮
そして、声をかけようとした時⋮⋮
カタリナ様が地面から拾ったお菓子をパクリと口に入れた。
そして︱︱
﹁⋮⋮美味しい﹂
そう言って、微笑んだのだ。
地面に落とされたお菓子⋮⋮
391
あの日と同じように自分で処理しなければならないと思ったそれを
︱︱
カタリナ様は美味しいと笑って食べてくれていた。
⋮⋮あまりの衝撃的な出来事に私は目を見開き、カタリナ様をただ
見つめていた。
そして、すべてのお菓子を食べ終わったカタリナ様が顔を上げた。
その澄んだ水色の瞳と視線がぶつかった。
すると︱︱︱
﹁あ、あの、つい調子にのって全部食べちゃって⋮⋮ごめんなさい﹂
突然、頭を下げられた。しかも、なぜか﹃食べた﹄ことを謝られた。
﹁あ、いえ。それは構わないのですが⋮⋮あの地面に落ちてしまっ
たものでしたので⋮⋮﹂
戸惑う私にカタリナ様がどこか得意げな顔で言った。
﹁落ちたのは芝生の上だったし、ほとんど汚れてなかったから問題
ないわよ﹂
あんまりきっぱり言われて、なんとも返しようがなく私は少し困っ
た笑みで返した。
﹁⋮⋮そ、そうですか﹂
392
そして、カタリナ様はこれでもかと思うくらいに私の作ったお菓子
を褒めてくれた。
そんな風に褒めてもらったのは、初めてで、うれしくて恥ずかしく
て、顔が熱くなっていた。
そうしていると学舎の方から生徒会のメンバーであるジオルド様が
やってこられた。
生徒会の会議に、いつまでこない私を探しにきてくれたとのことだ
った。
バスケットを抱え込みしゃがみ込むカタリナ様と、頬を赤くして立
ち尽くす私に、怪訝な目を向けるジオルド様に﹃偶然、カタリナ様
にお会いして、お話しをさせていただいていたんです﹄と説明をし
た。
嫌がらせをうけていたことを知られて余計な心配をかけたくなかっ
たのだ。
そして、そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、カタリナ様も話を
合わせてくれた。
ジオルド様と一緒に生徒会室に戻っている途中にも、なかなか顔に
のぼった熱が引かない私に︱︱︱
﹁あれは、凄まじいタラシだから気を付けたほうがよいですよ﹂
ジオルド様が意味深な笑顔でそう言ったけど⋮⋮一体、なんのこと
だかよくわからなかった。
それからの私は、ほとんど毎日のように手作りお菓子を生徒会に持
393
参し、そのたびにカタリナ様はそれは喜んでくれた。
カタリナ様に庇ってもらってから、嫌がらせも少し落ち着いていた
ので、すっかり油断していた頃に、それはおきた。
ある日のお昼休みのことだった。
学園の学舎の食堂は、たくさんの貴族の方々が通っているだけあっ
て、とても大きく立派である。
そして、学園の生徒である貴族の方々の多くがそこで昼食を食べて
いる。
学園の寮は、その身分ごとにいくつかの棟に分かれ、食堂も分かれ
ているため、平民の私でも普通に利用できるのだが⋮⋮学舎の食堂
は一つであり、高位な貴族の方たちが大勢、利用されている。
そのため、平民である私は気後れしてしまい、とても利用できず、
私は寮で自分用にお弁当をつくって持参し、一人中庭などで食事を
していた。
そして、その日もいつものように、学舎中庭の外れに置かれた小さ
なベンチに腰を掛けて、お弁当を開こうとした。
その時だった。
気が付けば、また見覚えのない令嬢たちに囲まれてしまっていた。
394
﹁平民のくせに、少し光の魔力を持っているからって、生徒会に選
ばれて、調子に乗ってるんじゃないわよ!﹂
﹁光の魔力を持っているからって特別扱いされて、それで仕方なく
相手をさせられている生徒会の方々も本当にお気の毒だわ!﹂
﹁そうよ!どうせ、学力のテストだって魔力が特別だから贔屓され
たに決まっているわ!﹂
私を囲んだ、令嬢たちは口々に罵りの言葉を浴びせてきた。
私はまたいつものように黙って、彼女達の怒りが落ち着くのを待っ
た。
彼女たちの言葉は⋮⋮
ここにきてから⋮⋮いや、今までずっと言われてきたことだった⋮⋮
﹃光の魔力を持っているから﹄
その魔力を発動したその日から、ずっとずっと私についてきた言葉
⋮⋮
どんなに私自身が頑張っても⋮⋮すべては﹃光の魔力を持っている
から﹄なのだと言われてしまう⋮⋮
欲しいのならば、誰かにあげられるのならば、喜んで差し出すのに
⋮⋮
こんなものいらないのに⋮⋮私はただ⋮⋮
罵りを浴びながら、そんなことを考えていた時だった。
おもむろに一人の令嬢が手を掲げた。
395
その手には赤く燃える炎が揺れていた。
今までも、何度か頬を打たれたり、足を踏みつけられたりという嫌
がらせを受けたことがあったが⋮⋮
このように魔法を使われるのは初めてだった⋮⋮
真っ赤に燃える炎には現実味がなくて、私はまるで別の世界のでき
ごとのようにぼんやりとそれを見つめていた。
そして、炎を掲げた令嬢が私に歩み寄ってきた、その時だった。
また、あの凛とした声が聴こえたと思うと、炎を掲げ、私の所へ歩
み寄ろうとしていた令嬢が、目の前でひっくり返りしりもちをつい
ていた。
そして、気が付けば、また、あの凛とした背中が私の前にあった。
﹁一体、何をしているの!!そもそも、光の魔力を持っているから
贔屓されてるなんて、言いがかりもいいところだわ!この学園は完
璧な実力主義であって贔屓なんて存在しないわ!それに、マリアち
ゃんは、それは努力してるのよ!テストはその努力の成果なのよ!﹂
以前のように私を庇うように立ち、カタリナ様はそう言った。
そうだ、カタリナ様の言うとおり、私はずっとずっと努力し続けて
きた。
テストもズルなどしていないのだ⋮⋮ただ必死に頑張っただけだ⋮⋮
でも、そのことに気付いてくれる人なんて誰もいなかったのだ⋮⋮
いないと思っていた⋮⋮
396
それなのに⋮⋮この人は、カタリナ様は気が付いてくれた⋮⋮
私は目を見開きカタリナ様のその凛とした背を見つめた。
そして、茫然とする私の前で、カタリナ様がさらに続けた。
﹁それに、生徒会の皆も私もマリアちゃんが光の魔力を持っている
から一緒にいるんじゃないわ!努力家で、何にでも一生懸命なマリ
アちゃんが好きだから一緒にいるのよ!﹂
その言葉に目じりが熱くなり、涙が頬をつたっていた⋮⋮
光の魔力を持ったその日から、皆から特別という呼び名で、異質な
ものとして扱われてきた。
どんなに努力を重ねて成果をだしても、特別な力があるのだから当
たり前だ、ズルをしているのだ、と言われ続けてきた⋮⋮
皆が﹃光の魔力をもつ特別な子﹄として私をみた⋮⋮
誰も私をマリア・キャンベルという一人の人間として見てはくれな
かった⋮⋮
なのに⋮⋮カタリナ様は︱︱︱
私が努力していることを気が付いてくれた⋮⋮
光の魔力を持っている子だからでなく、マリア・キャンベルだから
好きだと⋮⋮一緒にいたいと言ってくれた⋮⋮
まるで、ずっと貯めていたダムが壊れてしまったのではないかと思
う程に涙がとめどなく流れ続けた。
397
カタリナ様は、ボロボロと涙を流し続ける私に近寄り、そっと背を
なで言ってくれた。
その優しい手の温もりに、先ほどから感じていた疑問がぽつりと口
から洩れてしまった。
﹁⋮⋮あの、クラエス様⋮⋮私の名前⋮⋮﹂
カタリナ様はいつも私のことを﹃キャンベルさん﹄と呼んでいた。
でも、先ほどから﹃マリアちゃん﹄とファーストネームで呼んでく
れていたのだ。
﹁あ、あの、ごめんね。いきなり慣れ慣れしく呼んでしまって⋮⋮﹂
そういって慌てた様子のカタリナ様に、私は大きく首を横に振った。
﹁いえ、全然構いません。むしろ﹃ちゃん﹄付けも不要です。私の
ことはマリアと呼んでください﹂
そう頼めば、優しいカタリナ様が笑顔で言ってくれた。
﹁ありがとう。マリア﹂
そうしてその凛とした声で名前を呼んでもらい、私は勇気を振り絞
った。
﹁あの、その⋮⋮もしその、許していただけるなら⋮⋮私も生徒会
の皆さんのように﹃カタリナ様﹄と呼ばせていただいてもよろしい
でしょうか﹂
私が決死の思いでそう打ち明けると、カタリナ様はきょとんとした
398
表情になり、そして︱︱
﹁もちろん、好きなように呼んで貰っていいわよ。だって私達、も
う友達なのだから﹂
優しい笑顔でそう言ってくれた。
こんなに身分の差のある平民の私を友達だと言ってくれた⋮⋮
やっと落ち着きそうだった涙がまた溢れてきた。
誰でもいい⋮⋮誰でもいいから、誰か⋮⋮私をみて⋮⋮只のマリア・
キャンベルをみて欲しい⋮⋮
ずっと願ってきた⋮⋮
私がもっと頑張れば⋮⋮学園に入れば⋮⋮持ち続けていた希望はこ
とごとくうち砕かれてきた⋮⋮
この願いはもう叶わないのかもしれないと思っていたのに⋮⋮
カタリナ様の暖かい手に背をなぜられながら、私は涙を流し続ける。
長年の願いが叶ったその喜びに︱︱︱
しばらくして、私の涙も落ち着いた頃に、キース様がカタリナ様を
迎えにやってきたので、三人で一緒に食堂に向かった。
カタリナ様に差し出された手に思わず顔が赤くなってしまった私を
みて、キース様が﹃⋮⋮まさか、また、一体、どれだけタラシ込む
気なんだ⋮⋮﹄と茫然と呟かれた。
一体、どういう意味だったのだろう。
399
それから、私は生徒会以外でも、カタリナ様たちと親しくさせても
らっている。
今日も、一緒に授業を受け、そのまま生徒会室にやってきた。
そして、生徒会の差し入れ用に作ってきたお菓子を出すとカタリナ
様はとても喜んでくれた。
嬉しくて思わず、にやけてしまった顔がちょっぴり恥ずかしくて目
をそらしてしまう。
しかし、そのまま周りを見渡せば、他の生徒会の方々も皆、カタリ
ナ様にとても愛おしいといった目を向けて、笑っている。
ジオルド様たちはもちろん、普段ほとんど、表情が変わらないニコ
ルも微笑んでいる。
そうして、生徒会の皆さんを見ていたのだが⋮⋮あれ?⋮⋮
なんだか違和感を感じ、私はもう一度、その人に目をうつした。
すると、その人はいつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべていた。
⋮⋮気のせいだったのだろうか⋮⋮
一瞬、その人がとても冷たい表情をしていたように見えたのだ⋮⋮
でも、再び目をうつしたその顔はいつもと変わらない優しい表情を
うかべている。
400
だから、私は見間違いだったのだと結論づけた。
だって、いつもあんなに優しいその人が、あんな冷たい表情で⋮⋮
カタリナ様を睨んでいるなんて⋮⋮ありえないことだもの⋮⋮
﹁マリア、このお菓子、とても美味しいわ﹂
なぜ、変な見間違いをしてしまったのだろうと考えこんでいた私に、
カタリナ様が満面の笑顔で言った。
また、とっても嬉しくなって、そんな考えもすっと消えてしまった。
明日もこの笑顔を見るために、腕によりをかけてお菓子をつくって
こよう!
光の魔力を手にしてから十年、頑張って、願い続けた幸せな日々を
︱︱ついに、手に入れることができた。
401
<閑話>母と娘︵前書き︶
第二十七話<閑話>と第二十八話を更新させて頂きますm︵︳︳︶
m
402
<閑話>母と娘
学園に入学してから、初めての夏がやってきた。
前世の学校ほどの長さではないが、魔法学園にも短い夏休みがある。
そして、その夏休み、たいていの生徒は学生寮から実家に帰宅する。
私、カタリナ・クラエスも例にもれず、自宅である公爵家に帰宅し
ていた。
そして、自宅にて、きたるべく破滅フラグに向け対策を重ねた。
庭師のトムじぃちゃん協力の元に、ヘビの玩具をより投げやすく改
良し、農業関係の本を読み漁り、畑仕事に精をだした。
しかし⋮⋮
﹁やっぱり、実物を見てみたいのよね∼﹂
そう呟いた私に、隣にいたキースが怪訝な目を向けた。
﹁⋮⋮今度は、一体なんなの?﹂
﹁畑よ!畑の実物を見てみたいのよ!﹂
﹁⋮⋮畑?実物も何も、ここにあるじゃないか﹂
クラエス家の庭を徐々に侵食しつつあるマイ畑を指差しつつ、さら
に怪訝な表情になったキースに、私は﹃違うのよ!﹄と主張する。
﹁こんな庭に趣味で作っている畑じゃなくて、ちゃんと農家で作っ
ている大きな畑の実物を見ておきたいのよ!﹂
403
﹁⋮⋮⋮⋮なんで?﹂
﹁もちろん!もしもの時に、立派な農民になるためによ!﹂
そう言って私が胸を張れば、その横でキースは頭を抱えていた。
﹁⋮⋮もう、どこから突っ込めばいいのかわからない⋮⋮﹂
げんなりした様子のキースに、その後も﹃農家の畑の実物を見にい
きたい﹄と主張し続け、見事、許可を得ることに成功した。
そうして、許可を得た数日後、キース付き添いの元、お忍びで農家
の見学へ出かけた。
なぜ、お忍びかというと公爵家の令嬢が突然、農家を見にいったら
農民の皆さんを驚かせてしまうからと、あとはお母様に怒られない
ように︱︱という配慮からである。
そうして、公爵家令嬢とわからないように、商家の娘さん風を装っ
て、念願の農地の見学をすることができた。
﹁やっぱり、本物の農家の畑は圧巻だわ∼∼大きさも規模も桁違い
ね∼∼﹂
見学を終え、ご機嫌な私は、商家さんから借りた馬車に揺られなが
404
ら窓の外の景色を楽しんでいた。
最初は大きな畑ばかりだった景色も、しだいに変わっていき、畑の
先にいくつかの建物が見えはじめる。
﹁あ、あれはなにかしら?﹂
﹁ああ、あれは町だよ﹂
同じように窓の外を見ていたキースが教えてくれた。
﹁こんな所に町があったのね﹂
行きの道は念願の農家見学に興奮していて窓の外をろくに見ておら
ず、気が付かなかった。
﹁そうだね。確か、あの町はマリア・キャンベルさんの育った町だ
ね﹂
﹁!?﹂
まさか、こんな所にマリアの育った町があったなんて⋮⋮
確か、国の中心から少し離れた小さな町だと聞いていたのだが、ま
さかここがそうだったとは驚きだ。
そうか∼ここがマリアの育った町か∼。
ん、そういえば⋮⋮
﹁もしかして今、ここにマリアがいるんじゃない?確か、休みには
家に戻ると行っていたわよね?﹂
﹁そういえば、そう言っていた気がするけど⋮⋮まさか!?﹂
﹁行ってみましょう!﹂
﹁⋮⋮⋮やっぱり⋮⋮﹂
405
そうして﹃迷惑になるから駄目だって﹄としぶるキースを﹃ほんの
少しだけだから﹄と強引に説得し、私はキースと共にマリアの生ま
れ、育った町へと向かった。
国の中心から少し離れたその町は、マリアから聞いていた通りに、
さほど大きくない町だった。
そのため⋮⋮正直、勢いでやってきたはいいが⋮⋮マリアの家に辿
りつけるのかと思っていたが⋮⋮
町の人に尋ねるとすぐに家を教えてもらうことができた。
前世の私が育った田舎のように、町の人皆がだいたい顔見知りとい
う感じなのだろう。
そうして、聞いたマリアの家をキースと共に突撃訪問すると。
﹁はい。どちら様ですか?﹂
家の入口から現れたのは、それは美しい女性だった。
その容貌はマリアによく似ており、おそらくマリアの血縁者である
のだろう。
﹁あの、マリアさんの友人でカタリナ・クラエスと申します。マリ
アさんはいらっしゃいますか?﹂
私が元気いっぱいにそう挨拶すると、女性はなぜだがとても驚いた
顔をした。
406
﹁⋮⋮いま、少し出かけていて⋮⋮すぐに戻るとは思うのですが⋮
⋮よろしかったら、家の中でお待ちになりますか?﹂
そういって女性は私とキースを家に招いてくれた。
キャンベル家は、ごく普通の民家だったが、その中は清潔できちん
掃除が行き届いていた。
女性は﹃マリアの母です﹄と名乗った。予想通り、マリアの血縁者
だった。
それにしても私のお母様とは比べものにならないほど綺麗で儚げな
美人である。
きっとマリアの母は、間違っても鬼のような形相で娘を引っ張りま
わさないだろう。
そうしてマリアの母は、おそらく家族の食卓なのだろうテーブルを
勧め、お茶とお菓子でもてなしてくれた。
﹁これは、マリアさんの手作りですか?﹂
出されたお菓子を見て私が、そう尋ねるとマリアの母はまた驚いた
顔をする。
﹁⋮⋮いいえ、町で購入したものです。⋮⋮その、あの子はまだお
菓子を作っているのですか?﹂
﹁はい。マリアさんは本当にお菓子作りがお上手で、いつも作って
もらっているんです!﹂
﹁⋮⋮あの子の作るお菓子を食べてくださっているんですか?﹂
407
﹁はい。美味しくいただかせてもらってます!﹂
私が言うと、マリアの母は俯き、どこか弱々しい声で﹃そうですか﹄
と呟くように言った。
そして、しばらくして、家のドアが開き、買い物袋を抱えたマリア
が帰宅した。
食卓のテーブルに座る、私達を目にしたマリアは、初めこそ、それ
は驚いたが⋮⋮
﹁この休暇の間はカタリナ様達にはお会いできないと思っていたの
で、お会いできてうれしいです﹂
と喜んでくれたのだった。
そうして、マリアと他愛のない話をして時を過ごした私達は、気が
付けば夕暮れ時が迫ってきていることに気付き、慌ててキャンベル
家を後にした。
本日はお忍びのためクラエス家のものではなく商人の使用するよう
な馬車を借りているとはいえ、さすがに庶民のお家の前に乗りつけ
るのは憚られたので、私達の使っていた馬車と従者さんには少し離
れた広場で待機してもらっていた。
﹃馬車までお見送りします﹄というマリアを﹃ここでよいから﹄と
説得する。
もう夕飯の支度時だったので、私達はともかくマリアには夕飯の準
備があるだろうからだ。
408
﹁カタリナ様、キース様、本日はわざわざ、このような所にきてい
ただいて、ありがとうございます﹂
﹁ううん。こちらこそ突然やってきて、ごめんね﹂
﹁本当に考えなしの姉ですみません。次からはちゃんと連絡してか
ら訪問するようにさせるので﹂
そんなやり取りをし﹃さあ、帰ろう﹄と進みだした時、それまで黙
って頭をさげていたマリアの母が、私達のほうに駆け寄ってきた。
そして︱︱︱
﹁⋮⋮あの、どうかこれからも娘をよろしくお願いします﹂
マリアの母はそう言って深く頭を下げる。
マリアによく似た美しい母親に真剣な顔で頭をさげられ、少し緊張
しつつ。
﹁もちろん、こちらのほうこそよろしくお願いします﹂
私もそう言って頭を下げた。
そうして、私達は今度こそ、馬車へと向かい家路を急いだ。
★★★★★★★★★★★
409
国の中心から少し離れた小さな町で生まれた私は、町で一番の美人
だと皆に可愛がられて育った。
年頃になると、たくましく頼もしい町の同年代では一番、女性に人
気のあった男性と結婚し、キャンベル姓となった。
まわりの皆から祝福された素晴らしい結婚をし、数年後に自分によ
く似た愛らしい娘を産んだ。
愛らしい娘にはマリアと名をつけた。
素敵な夫と可愛らしい娘を得て、私は幸な日々を過ごしていた。
しかし、そんな幸せな日々は突然、終わりをつげることとなった⋮⋮
娘マリアが魔力を発動したのだ⋮⋮
﹃魔力﹄それは私の暮らすこの国では決して珍しいものではない。
しかし、その魔力を持つ者は、ほとんどが貴族であった。
平民と呼ばれる身分で﹃魔力﹄を持つ者などほとんどおらず、平民
で魔力を持つ者のほとんどが、貴族のお手付きの女が産んだ子だと
言われていた。
もちろん、そんな事実はなかった。
私は一度も夫を裏切ったことはなく、マリアは間違いなく私と夫の
娘だった⋮⋮
それでも、私が不貞を働いたのだという噂が小さな町に一気にひろ
がった。
はじめこそ﹃大丈夫だ。お前を疑ってなどいない﹄と言ってくれて
410
いた夫も、噂があまりにも大きくなりすぎて、しだいに気まずくな
ってきたのか⋮⋮気が付けば、家に寄りつかなくなっていた。
今まであんなによくしてくれていた町の皆もしだいに私と距離をと
るようになっていった。
いつしか、人の目が怖くなり、いつも俯いて歩くようになった。
あんなに幸せだったのに⋮⋮
なぜ、こんなことになったのか⋮
あの子が⋮⋮魔力など持っていなければ⋮⋮
あんな子を産まなければ⋮⋮
気が付けば幼い娘にそんな恨み言をぶつけそうになっている自分に
愕然とした。
娘は何も悪くなどない⋮⋮それはわかっているのに⋮⋮
それでも自分が押さえきれず⋮⋮私は必死に娘から目をそらした。
そうして、ほとんど何もしてやらなかった娘だったが、彼女はそん
な境遇をものともせず、家事を完璧にこなし、学校では優秀な成績
をおさめた。
皆が娘を特別だと褒め称えたが、その裏では貴族の隠し子だからだ、
魔力でなにかズルをしていると口さがないことを言う者も多かった。
何度か、娘を養子に欲しいという声をかけられたこともあった。
それに頷いてしまえば⋮⋮すべては上手くいくのではないかとも幾
411
度も思ったが⋮⋮
結局、その申し出に頷くことはできなかった。
目をそらし続ける駄目な母親に、必死に笑いかけてくる娘⋮⋮
自分が愚かな母親だとわかってはいるのに⋮⋮それでも娘を手放す
ことができなかった。
本当は気づいていた。
特別だと天才だと褒められる娘が、どれだけ努力しているか⋮⋮
どんなに必死に頑張っているか⋮⋮
そんな娘の姿に⋮⋮自分勝手な恨み事は薄れていった⋮⋮
でも⋮⋮そらし続けてきた目を再び、娘に向けるのが怖かった。
もしかしたら、もう娘はこんな母親を許してはくれないのではない
か⋮⋮
私を見る目に嫌悪や軽蔑の色が浮かんでいるかもしれない⋮⋮
そして、結局、娘と目を合わせることもできないうちに⋮⋮
娘は遂に十五歳の年を迎え、魔法学園へと旅立っていった。
娘のいなくなった家はとても静かで寂しくなった。
そんな娘が、学園の夏の休みを利用して我が家に戻ってきてくれた。
彼女は家をでた時とは比べものにならないくらい明るい表情をして
いた。
この数か月で娘に一体、何があったのだろう⋮⋮
412
そして数日後、その理由を私は知ることとなる。
﹁はい。どちら様ですか?﹂
ある昼過ぎ、ドアをノックされ入口から顔を出すと、そこには娘と
同じ年頃の少女と少年が立っていた。
服装は町でよく見かける商人の子供が着ているようなものだったが、
その佇まいはとても凛としていた。
﹁あの、マリアさんの友人でカタリナ・クラエスと申します。マリ
アさんはいらっしゃいますか?﹂
茶色の髪の少女の方がそう口を開き、横の少年もペコリと頭を下げ
た。
⋮⋮マリアの友人⋮⋮その言葉に私はとても驚いた。
なぜなら、魔力を持って以来、他の子供たちから異端の扱いをうけ
ていたマリアには⋮⋮友人などいなかったのだ。
﹁⋮⋮いま、少し出かけていて⋮⋮すぐに戻るとは思うのですが⋮
⋮よろしかったら、家の中でお待ちになりますか?﹂
正直、おそらくかなり身分であるのだろうこの少女たちをこのよう
な家にいれてよいものかとも思ったが⋮⋮
413
それでも、このマリアの友人だと言った二人をぜひ、もてなしたか
った。
狭い家には客間もないため仕方なく、家族の食卓であるテーブルを
勧めたのだが、少女たちは少しも嫌な顔をせずに席についてくれた。
そして、家にある一番よいお茶をいれ、町で買った一番よいお菓子
を出す。
すると︱︱︱
﹁これは、マリアさんの手作りですか?﹂
突然、少女が聞いてきた。
﹁⋮⋮いいえ、町で購入したものです。⋮⋮その、あの子はまだお
菓子を作っているのですか?﹂
﹁はい。マリアさんは本当にお菓子作りがお上手で、いつも作って
もらっているんです!﹂
﹁⋮⋮あの子の作るお菓子を食べてくださっているんですか?﹂
﹁はい。美味しくいただかせてもらっています!﹂
少女は笑顔でそう言った。
数年前、必死に練習してお菓子を作り学校に持っていった日、目を
真っ赤にはらして戻ってきた娘が、その後、作ったお菓子をどこか
にもっていくことは一度もなかった⋮⋮
私の前では無理に笑顔を作り、裏では声を殺して泣いていた娘⋮⋮
駄目な母親はそんなあなたに何もしてあげられなかったけれど⋮⋮
ようやく、あなたの一生懸命に作ったお菓子を食べてくれる友達が
414
できたのね⋮⋮
しばらくして、帰宅したマリアは訪れた少女たちを見てそれは嬉し
そうに笑った。
それはもうずっと何年も見ていなかった本当に幸せそうな笑みだっ
た。
このたった数か月で、娘は友人を得てこんなに幸せそうに笑うよう
になったのだ⋮⋮
娘は変わっていく︱︱︱
私もいつまでも、このままでいいわけがない⋮⋮
このまま、俯いて、娘と目も合わせずに過ごしていれば⋮⋮いずれ、
娘は私を置いて出て行ってしまうかもしれない⋮⋮
私も変わらなくては︱︱︱
夕暮れが近づき、帰宅することになった少女たち、その歩き始めた
背中を私は追う。
そして︱︱︱
﹁⋮⋮あの、どうかこれからも娘をよろしくお願いします﹂
深く頭を下げた。すると少女たちは微笑みを浮かべ︱︱
415
﹁もちろん、こちらのほうこそよろしくお願いします﹂
ぺこりと頭をさげ返してくれた。
そして、少女たちの背を見届けて振りかえると、娘が目を見開いて
こちらを見ていた。
何年ぶりかにしっかり合わせた目︱︱
娘の瞳は濡れていた⋮⋮
そして、私の視界も歪んでいた⋮⋮
娘の瞳に恐れていた嫌悪や軽蔑の色などなく⋮⋮
そこには驚きと⋮⋮喜びが映っていた⋮⋮
いきなり、以前のようには戻れないかもしれない⋮⋮
それでも時間をかけて少しずつでも⋮⋮すれ違った日々を取り戻し
ていければ⋮⋮
私は瞳を濡らして立ち尽くしている娘に歩み寄り、その震える体を
そっと抱きしめる。
あんなに小さかった娘の身体は⋮⋮いつの間にか、私と同じくらい
に大きくなっていた。
★★★★★★★★★★★
416
思いがけず、マリアにも会えて、しかもマリアとよく似た美しいお
母さんまで見ることができて、私は実にご機嫌だった。
そうして、馬車がクラエス公爵家に到着したので、ご機嫌気分のま
ま正面玄関からルンルンと屋敷に入った。
後ろでキースが﹃姉さん、その服装のまま正面から入ったら⋮⋮﹄
とかなんとか言っていたが、ルンルン気分の私の耳には届かなかっ
た。
そうして、ご機嫌で玄関をくぐると⋮⋮
そこには私によく似た悪役顔のお母様が、只でさえ吊り上った目を
さらに吊り上げて、仁王立ちで立っていた。
﹁⋮⋮あ、あのお母様⋮⋮﹂
﹁おかえりなさい。カタリナ﹂
そう言って母は笑ったが、目はまったく笑っていなかった。
明らかに不穏な空気をまき散らしている。
﹁ずいぶん、妙な服装をしているのね﹂
﹁あ、あのこれは⋮⋮﹂
商人さん風の服装のままだった私はかなり慌てたが⋮⋮
﹁まあ、その妙な服のことは後でじっくり聞くとして⋮⋮カタリナ。
今日、行った夫人会のお茶会で耳にしたのですが、学園で可笑しな
噂が広がっているらしいのだけど、知っていますか?﹂
﹁⋮⋮可笑しな噂?﹂
﹁そうです。とても可笑しな噂なのですよ。由緒ある魔法学園の敷
地内にあろうことか、畑をつくっている者がいると言う話なのです
417
よ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁しかも、作っているのはどうも学園の生徒らしいという話で、貴
族の子弟と令嬢ばかりの学園で畑など作るような人物がはたしてい
るのでしょうかね?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ねぇ、可笑しな話でしょう?それで、その話を聞いた時にどうし
ても一人だけそのような信じられないことをするような人物が思い
浮かんで︱︱︱カタリナ、少し私の部屋で話をしましょうか﹂
そうして、お母様の部屋に引きずり込まれた私は、三時間にも及ぶ
厳しいお説教と休みの間の外出の禁止、お菓子禁止、畑禁止という
厳しすぎる罰をうけることとなった。
まあ、その後にキースの助けを得て、なんとか学園で作っているの
は花壇であるとわかってもらうことに成功したのだが⋮⋮
こうして私の夏休みは終わった。
418
ピンチに陥りました
﹁﹃FORTUNE・LOVER﹄はどう?進んだ?﹂
休み時間、オタク友達で親友のあっちゃんがニマニマした顔を向け
てきた。
﹁俺様王子とチャラ男は攻略できたんだけど、腹黒ドS王子がなか
なか攻略できなくて⋮⋮ライバルキャラの悪役令嬢の邪魔がすごく
て⋮⋮﹂
私がそう言ってため息をつけば、あっちゃんはさらに、ニンマリし
た笑顔になった。
﹁へへ、私はもう全部クリアしちゃった﹂
﹁えっ!?もう、クリアしたの!?﹂
﹁うん、攻略キャラ四人はもちろん、隠しキャラも全員、クリアし
ちゃったよ﹂
そう言って、不敵に笑うオタ友を私は尊敬の目で見つめる。
﹁さすが、あっちゃんだわ∼早いわ∼。そしてやっぱり隠しキャラ
もいたんだね﹂
﹁うん、攻略キャラ四人を全員クリアすると攻略できるようになる
わよ。ちなみにどのキャラだったか知りたい?﹂
﹁ちょっと、やめて∼∼ネタバレ禁止∼∼﹂
そう言って耳をふさぐ私に、あっちゃんが意地悪そうな笑みを浮か
419
べる。
﹁隠しキャラはね∼﹂
﹁いや∼聞きたくない∼∼﹂
﹁カタリナ様、朝ですよ。起きてください﹂
﹁う∼、嫌だ、聞きたくない∼﹂
﹁カタリナ様、寝ぼけていないで、早く起きていただかないと、授
業に間に合いませんよ﹂
﹁⋮⋮ん﹂
私がのろのろと目を開けると、メイドのアンがベッドの横に仁王立
ちしていた。
﹁⋮⋮アン、おはよう﹂
﹁はい。おはようございます。お目覚めになったなら、早くお支度
をお願いします﹂
てきぱきと動きだしたアンを、まだいまいち起動しない頭でぼーっ
と見つめながら⋮⋮
さっきまで見ていた夢を思い出す⋮⋮
﹁なんか⋮⋮割と重要な夢だった気がするのよね⋮⋮﹂
420
﹁⋮⋮夢ですか?﹂
私の呟きにアンが聞き返す。
﹁そう、さっきまで見ていた夢⋮⋮なんだか、重要な夢だった気が
するんだけど⋮⋮起きたら忘れちゃったのよね﹂
﹁⋮⋮そうですか⋮⋮なにやら色々と寝言を言っておられましたが
⋮⋮重要なようには聞こえませんでしたが⋮﹂
﹁あれ?そうだった﹂
そうか、気のせいだったのかな?
どんな夢だったか、まったく思い出せないので⋮⋮
アンにそう言われれば、そうなのかもしれない。
重要な夢だと感じたのは気のせいだったのだろう。
そう結論づけて、私は学舎に行くための準備を始めた。
学園に入学し、早くも半年以上の月日が流れ、季節は秋から冬へと
変わろうとしている。
ゲームの主人公マリアとは、もうすっかり仲良しだ。
それに、生徒会以外にもクラスメートなど何人かの生徒と親しくな
ることができた。
畑も順調で、ヘビの玩具投げもだいぶうまくなってきている。
421
きたるべく破滅フラグへの準備は着々と整ってきている。
ただ、今後の展開を左右するであろう、肝心のマリアと攻略対象達
の恋の進展具合がまったくわからないのが、唯一の困りごとといえ
よう。
いくら、マリアに意中の人を聞いても﹃カタリナ様をお慕いしてい
ます﹄とはぐらかされてしまう。
しかも、マリアにはモテている自覚がまったくない。
﹁生徒会の男性たちはきっと皆、マリアの魅力で、夢中になってい
るわよ﹂
と教えてあげようとしても。
﹁それは、絶対にありえないです。皆さんにはすでに夢中になって
いる方がいらっしやいますから﹂
マリアはとても驚いた顔でそんな風に言うのだった。
攻略対象である彼らが、こんなに魅力的な主人公マリアを差し置い
て、夢中になる人などいるはずがないのに⋮⋮
マリアはしっかりしていると思っていたが、そこは乙女ゲーム主人
公の特性である﹃鈍感﹄と﹃勘違い﹄が発動しているらしかった⋮⋮
この間、マリアとのことで探りをいれたキースも﹃僕の思う人は、
すごく鈍感だから﹄とため息交じりに漏らしていたから、マリアの
鈍感さはかなりのものなのだろう。
422
これは攻略対象達もさぞかし苦労しているのだろうな⋮⋮
そうして、恋の進行状況こそわからないが、それ以外は実に順調で、
穏やかな学園生活を送っていたのだが⋮
それは唐突にやってきた。
遂にゲームが動き出してしまったのだ⋮⋮
だいぶ寒さを感じるようになってきたある日のお昼休み、私はクラ
スメートの何人かと食堂へと向かった。
いつもなら、生徒会メンバーである友人達や義弟も一緒なのだが、
その日は皆、用事があり後から行くと言われたのだ。
思えば、その辺りからいつもと違っていた。
生徒会のメンバーである友人たちはそれなりに忙しくて、時折、お
昼休みにも仕事があることがあったが⋮⋮
それでも、それが全員であったことなど、今までなかったのだ⋮⋮
しかし、その時の私はそんなこと少しも疑問に思わず、今日のお昼
の献立のことで頭がいっぱいだった。
そうして、何にも気が付くことなく、呑気に食堂を訪れた私に︱︱
︱それは起こった。
423
﹁カタリナ・クラエス。あなたに大事な話があるの﹂
食堂に入った私の前にそう言って立ちはだかったのは、それなりに
高位な貴族のご令嬢であった。
彼女は、私がジオルド王子と婚約する前に、一番の婚約者候補だっ
た令嬢で⋮⋮いつも一方的に睨まれ口を叩かれるだけの関係で⋮⋮
正直、まともに口を聞いたことなどなかった。
しかし、やや吊り上った目に薄めの唇の彼女は、私と同じ悪役顔の
系統で、なんとなくその顔に私は仲間意識を持っていたのだが⋮⋮
その悪役顔の彼女がつり上がった目をさらに吊り上げ睨みをきかせ
ながら、私の前に立ちはだかったのだ。
私は訳が分からずに目を丸くするしかなかった。
そして、そんな彼女の後ろには、十数名の生徒達が従い、やはり彼
女と同じように私を睨みつけている。
それは、やはり、彼女と同じようによく一方的に憎まれ口を叩いて
くる人々であった。
しかし⋮⋮どこかで見たことのある光景な気がする。
﹁カタリナ・クラエス、私たちは今日、この場であなたの悪事の数
々を公のものとするわ!﹂
私の前に立った令嬢が食堂内に響き渡る声で大きな声でそう言った。
424
昼食時の食堂は学園の半数以上の者達が集まっていたが⋮⋮
そう響いた大きな声に⋮⋮それなりに騒がしかった食堂はいっきに
静まりかえり、食堂にいる人々の視線が私たちに集まった。
そのことに気をよくしたのか、令嬢は薄い唇をくっと引き上げる。
そんな中、私はというと⋮⋮正直、まったく訳が分からず、ただ茫
然と固まっていた。
私の悪事って⋮⋮なんだ⋮⋮
ヘビの玩具を投げていること?いや、でもあれは人に投げつけてい
るわけではないし⋮⋮特に迷惑をかけてもいないと思うのだが⋮⋮
それとも学園内に畑を作っていることがばれた?由緒ある学園に畑
なんて⋮⋮ということかしら?
そうして、ぐるぐると思考を巡らす私の様子にかまうことなく、令
嬢は続ける。
﹁あなたは、公爵家の令嬢であり、ジオルド王子の婚約者である、
その権力を振りかざし、身分の低い者たちを虐げてきた!そして、
ジオルド王子や生徒会の方々と懇意にしている光の魔力保持者であ
るマリア・キャンベルに嫉妬し犯罪まがいの嫌がらせを繰り返して
いる!﹂
﹁⋮⋮!?﹂
その彼女の台詞で、私は思い出した⋮⋮見たことがあると感じるは
ずだ。
これはゲームの中で何度か目にしたカタリナ・クラエスの断罪イベ
425
ントであり⋮⋮
ここで多くの生徒達の前で罪を公にされたカタリナは破滅へといざ
なわれるのだ⋮⋮
あんなに警戒していたのに、まさか突然、こんな風に窮地にたたさ
れるとは⋮⋮
私は茫然と、目の前に立つ令嬢たちを見つめた。
皆、険しい顔で私を睨んでいる。
しかし⋮⋮どうも腑に落ちない⋮
確かにこれはどうみてもあのゲームのカタリナ断罪イベントである
のだが⋮⋮
本来、こうしてカタリナを断罪するのは、攻略対象達を含む生徒会
メンバーであったはずなのだ。
ジオルドルートなら、ジオルドがマリアを守るように立ちはだかり
⋮⋮
キースルートなら、キースがマリアを守るように立ちはだかるはず
なのだが⋮⋮
今、ここにその姿はない⋮⋮
ひたすら混乱する私に、なぜかゲームの生徒会メンバーの立ち位置
にいる令嬢が高らかに告げる。
﹁とぼけても無駄よ!こちらにはちゃんとした証拠もあるし、証人
もいるのだから!﹂
426
そうして彼女は、紙の束を掲げ、傍に控えていた同じように私を睨
みつける令嬢を示す。
掲げられた紙には、私にはまったく身に覚えのないマリアへの嫌が
らせの数々に⋮⋮私が行ったとされる証拠が書かれており、証人だ
と言う令嬢は私がマリアに嫌がらせをしている場面を何度も見たと
証言した。
次々と色々なことをたたみかけられ、私はもちろん、一緒にきてい
たクラスメートたちも茫然とし、食堂にはなんとも言えない不穏な
空気が流れた。
食堂に集まった人々は皆、固唾を飲んで私達の動向をうかがってい
た。
そんな時だった⋮⋮
マリアと幼馴染の友人達、生徒会メンバーが食堂に現れた。
私が入ってきた入り口とは反対方向の入り口から現れた彼らは、必
然的に私と反対に位置する令嬢達の側に歩み寄る形になる。
﹁これは、一体何事ですか?﹂
不穏な空気の中、対じする私と令嬢たちに怪訝な目を向け、ジオル
ドが口を開いた。
それに対し、待っていましたとばかりに、私と対じしていたジオル
ドの元婚約者候補の令嬢が、先ほどと同じように私の悪事の説明を
はじめた。
427
私の前に立つ、生徒会メンバーである幼馴染の友人達とマリアの顔
が険しく歪む。
ああ、これこそゲームのカタリナ断罪イベントそのものだ⋮⋮
そこではカタリナの悪事を暴くのはジオルドか、キースだったけれ
ど⋮⋮
その二人の背に守られるように佇むマリアの様子は、まさにゲーム
の中で見たままだった。
ゲームのシナリオでは、攻略対象がカタリナの悪事を暴いた後、そ
れまで背に隠れてマリアが強い意志を宿した瞳で前に進み出る。
そして︱︱︱
﹃この話は事実です!私はずっとカタリナ・クラエス様にこのよう
な嫌がらせを受けています!﹄
凛として態度でそう宣言するのだ。食堂に集まった人々はマリアの
その内に秘めた強さと凛々しさに感嘆する。
令嬢達によるカタリナの悪事の暴露がおおよそ終わると︱︱
まさにゲームのシナリオ通りに、マリアがすっと前に出てきた。
前世の記憶を取り戻した私は、ゲームのカタリナとは違い、悪事な
ど働いていない⋮⋮
それなのに⋮⋮本当にゲーム通りになってしまうのだ⋮⋮
⋮⋮このままいけば私はもれなく破滅のルートをたどる⋮⋮
⋮⋮身一つで国外に追放されるか⋮⋮攻略対象に殺されてしまう⋮⋮
428
ポケットにヘビの玩具はいれてきていただろうか⋮⋮
国外追放になったら、愛用の鍬を持っていけるだろうか⋮⋮
進み出たマリアはゲームの時と同じで強い意志を宿した瞳をしてい
た。
そしてマリアがその口を開く︱︱︱
﹁この話はまったくの出鱈目です!私はカタリナ・クラエス様にこ
のようなことをされたことなど一度もありません!﹂
その凛とした声は、食堂に響き渡った。
そして、マリアはくるっと向きをかえ、私を庇うように令嬢達に向
き合うと。
﹁このような出鱈目な話で、私の大切な方を侮辱しないでください
!﹂
今まで聞いたことのないような厳しい声をあげた。
そんなマリアに、最初こそ驚いて固まっていた令嬢達だったが、す
ぐに調子を取り戻した。
﹁何をいっているの!マリア・キャンベル!私たちはあなたのため
にこうしてカタリナ・クラエスの悪事を暴いてあげたのよ!﹂
﹁そうよ!それに出鱈目なんかじゃないわ!こうしてちゃんとした
証拠も、証人もそろっているのよ!あなたのほうこそこの悪女に騙
されているのではないの!﹂
令嬢たちはそう言って、次々にまくしたてたのだが⋮⋮
429
﹁こんな状況証拠だけあげつられて、ちゃんとした証拠とは笑って
しまいますね﹂
紙の束を手にしながら、そう言ったのはジオルドだった。
そして笑ってしまうなどと言いながら、その顔はまったく笑ってい
ない⋮⋮無表情。
これが、無表情がデフォルトのニコルならばなんてことなかったが、
何せいつも笑顔のジオルド王子⋮⋮
その無表情と、うちからあふれ出る威圧的雰囲気に先ほどまであん
なに騒がしかった令嬢達もすっかり怯えた様子で口をつぐんだ。
﹁そもそも、ここに書かれたような緻密な嫌がらせなんて、単純な
姉さんにできるはずがないよ。だいたい、僕はほとんど姉さんと一
緒に過ごしてるけど、証人と名乗る彼女たちを見かけたことなど一
度もないのだけど⋮⋮本当に姉さんがこんな嫌がらせをしている所
をみたの?﹂
紙に目を通しながら、キースが見たこともない冷たい笑顔を浮かべ
て、証人と名乗った令嬢を見ると彼女は﹃ひっ﹄と声をあげ後ろへ
と引っ込んだ。
﹁本当に!カタリナ様がこのようなことやるはずがありません!キ
ース様の言われる通り、カタリナ様はとても単純な方です!こんな
緻密な計画立てられません!﹂
険しい顔のメアリがそう言えば、続いてアランが口をひらく。
﹁まったく、その通りだ!この馬鹿は、そもそもこんな緻密な嫌が
らせなどできない!馬鹿だからやるとしたら真向勝負しかできんの
430
だ!﹂
ソフィアとニコルもそれに同意を示す。
﹁そうですわ!カタリナ様に裏で動くとか、そんな器用なことなど
できませんわ!カタリナ様にそんな器用さありませんから!﹂
﹁⋮⋮その通りだ﹂
⋮⋮なんか、皆おそらく庇ってくれているんだけど⋮⋮
なんだろう⋮⋮貶されている気もするのだけど⋮⋮
そうして、友人達が声を上げてくれると︱︱︱
一緒に食堂にきたクラスメート達も﹃そうよ!カタリナ様がそんな
ことするはずがないわ!﹄﹃カタリナ様が嫌がらせなどありえない
わ!﹄と次々に声を上げてくれた。
その声は次第に大きくなり、食堂のあちらことらから上がり始める。
そして︱︱︱
﹁皆さんの言われる通りカタリナ様がこんな嫌がらせをすることな
どありえません!確かに私はこの紙に書かれているような嫌がらせ
を受けたこともあります。でも、それをしたのはカタリナ様ではあ
りません!むしろカタリナ様は何度も私を庇ってくださいました!
そして、この嫌がらせを本当にしてきた人たちを私はちゃんと覚え
ています!なんなら、ここでどなただったか申し上げてもいいです
が﹂
いつも穏やかで優しい姿とはまるで別人のように、凛々しく勇まし
431
くマリアがそう告げると⋮⋮
食堂に集う人々の何人かが顔色を変える。
その中には私に対じしていた令嬢達も何人か含まれており、彼女た
ちは深く顔を伏せた。
明らかな劣勢⋮⋮もはや何もいえなくなった令嬢達は、最初の勢い
が嘘のように小さくなり、そそくさと食堂を去っていった。
そして、あまりのできごとにずっと言葉を失っていた私の横にマリ
アが寄り添ってくれた。
﹁カタリナ様、大丈夫ですか?﹂
とても心配そうな顔で覗き込まれ、私は大きく頷く。
﹁うん、大丈夫。⋮⋮⋮あの、皆ありがとう﹂
私は友人達と、そして他の私を庇う声をあげてくれた人たちにお礼
を言う。
﹁いいえ。むしろ、すぐに助けにこれなくて、すいませんでした﹂
﹁遅くなってごめんね。姉さん﹂
ジオルドとキースがそっと肩に手をかけてくれた。
気が付けばずっと張っていた肩の力がゆっくり抜けていく。
そして﹃ぐ∼﹄と壮大にお腹がなる。
昼食が延びて私の空腹が限界を迎えていたのだった。
432
﹁それにしても、まさかあの令嬢達が、カタリナにこんなことをす
るとは思いませんでしたね﹂
﹁そうですね。確かにあの方たちは姉さんを目の敵にしていました
けど⋮⋮ここまでのことをする行動力があるようにはとても思えな
かったので⋮⋮﹂
﹁そうだな。こんなのでも一応、公爵家の令嬢だ。侮辱したとなれ
ば⋮⋮色々、立場も危うくなる。そうまでして行動を起こすタイプ
には見えなかった﹂
﹁それに、この証拠も⋮⋮とてもあの方達が用意したとは思えませ
んわ。あまりにもうまく作られすぎていますわ﹂
﹁確かに、メアリ様の仰る通り、あの方たちには、ここまでしっか
りした証拠書類を準備できるとは思えませんわ﹂
﹁⋮⋮俺たちが全員、なんらかの用で呼び出されていたこともおか
しい⋮⋮﹂
ようやくありつけた昼食をとりながら、友人達が難しい顔をしてな
にやら話をしていたが⋮⋮
私は断罪イベントを乗り切り、破滅ルートを回避できた喜びで浮か
れていた。
正直、乙女ゲームの終了は来年の春前の卒業式までなので、まだま
433
だ安心はできないが⋮⋮
それでも最大のピンチを皆のお蔭で見事にのりきることができた。
本当に良かった。
こうして、浮かれまくる私は、その時マリアが一人、何かを考え込
んでいたことにまったく気が付かなかった。
そうして、昼食が終わり教室へと戻ろうとなった時、マリアが口を
開いた。
﹁少しだけ行っておきたい所があるので、皆さん、先に戻っていて
ください﹂
﹁一緒に行こうか?﹂
嫌がらせはだいぶ沈静化したようだったが、なんとなく心配だった
のでそう聞いたのだが︱︱
﹁いいえ、たいした用事ではないので、一人で大丈夫です。皆さん
は先に行っていてください﹂
きっぱりと断れれてしまった。
お腹の調子が悪くなってトイレにでも行くのかな?
それだとあんまりしつこく食い下がらないほうがよいだろう。
﹁うん。わかった。授業までそんなに時間がないから早めに戻って
くるんだよ﹂
﹁はい﹂
マリアは笑顔で返事をすると、教室とは反対方向にかけていった。
434
その後、私はこの時にマリアと一緒に行かなかったことを深く後悔
することになる。
早めに戻ってくると言ったマリアはその後、いつまでたっても教室
に姿を見せなかった。
具合が悪くなって医務室に行ったのかもしれないと確認したが、そ
こにも姿はなかった。
そして、その後、どこを探してもマリアをみつけることはできなか
った。
あの昼休みの別れを最後にマリア・キャンベルは姿を消してしまっ
た⋮⋮
435
重大なことを忘れていました︵前書き︶
二十九話と三十話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
436
重大なことを忘れていました
マリアが姿を消してから二日がたった。
私達は必死に捜索を続けたが、一向に行方は掴めず、まったく手が
かりもみつけられない。
ただ、気だけが焦り、心が乱れるばかりだった。
なぜ、あの時一緒についていかなかったのか⋮⋮後悔は日々、大き
くなる。
﹁はい。これを飲んで身体を温めて。ひどい顔色だよ﹂
そう言って生徒会長がお茶を入れて渡してくれる。
﹁ありがとうございます﹂
私は受け取ったお茶を口に運ぶ。
いつもと同じ優しい味のするお茶が身体を温めてくれる。
いつもの生徒会室、私はいつもマリアが座っていた席を見つめる。
普段ならこうして会長がお茶を入れてくれると、マリアが笑顔でお
菓子を出してくれていた。
437
しかし⋮⋮今、ここにその笑顔はない⋮⋮
﹁マリアさんはしっかりしているし、強い光の魔力も持っているか
ら、きっと大丈夫だよ﹂
マリアの席を見つめて固まっていた私に、会長が優しく声をかけて
くれた。
マリア捜索にも、力を貸してくれている彼は、落ち込む私にもこう
して優しい声をかけ、気遣ってくれている。
私だけがつらいわけではない⋮⋮友人達だってつらい思いをしてい
るだろう⋮⋮
会長だってマリアと親しくしていたのだ、こんなことになってつら
くないはずはない。
それなのに、こうして私のことまでも気遣ってくれる。
後悔して落ち込んでばかりいられない。
私ができる精一杯のことをしよう。
絶対に見つけ出すから⋮⋮どうか無事で待っていてマリア⋮⋮
438
そして、マリアの行方がわからなくなってから、三日目の夜のこと
だった。
寮での夕食も終わり、自室に戻って明日の準備をしていると、険し
い顔をしたジオルドが部屋を訪ねてきた。
あまり良識のある時間帯の訪問ではなく、その険しい表情から嫌な
予感が広がる。
﹁こんな時間に一体、どうしたの?まさか、マリアに何か⋮⋮﹂
私が動揺しながら尋ねると、ジオルドが首を横に振る。
﹁マリアの行方はまだつかめません。⋮⋮でも、もしかしたら関係
あるかもしれない情報が手に入りました﹂
﹁⋮⋮関係あるかもしれない情報?﹂
﹁まず、これを見てください﹂
そう言って、ジオルドが差し出したのは先日、私の悪事を暴くと断
罪イベントを起こした令嬢達が持っていた悪事の証拠書類だった。
﹁これは⋮⋮先日の⋮⋮﹂
﹁そうです。先日、あの令嬢達が証拠として出した書類です。僕は
この証拠書類がどうしても気になって、マリアの捜索と並行してこ
の書類についても調べていたんですが⋮⋮﹂
なんでも、ジオルドは私に断罪イベントを起こしたあの令嬢達が、
私に対してよくない感情を持っていたことにずっと気づいていたそ
439
うだ。
だが、令嬢達の立場やその力量ではとても私に害をなすことはでき
ないと判断し、そのままにしておいたらしい。
しかし、そんなジオルドの判断をよそに令嬢達は先日のような事件
を起こした。
そして、そこに用意されていた書類はあの令嬢達の力量では作れな
いようなちゃんとしたものだった。
それがどうしても気になったジオルドは、ここ数日、マリアの捜索
とともに、そちらの捜査もしていたのだそうだ。
すると︱︱︱
﹁とても奇妙なことがわかったんです。あの書類を作ったのはあの
令嬢達ではなかったんです﹂
﹁⋮⋮それはどういうこと?﹂
﹁書類を作ったのは、あの令嬢達ではなく別の誰かだったのです。
そして、さらに奇妙なことに、令嬢達はあの書類をどこで誰から手
にいれたのかまったく覚えていなかったんです﹂
﹁⋮⋮!?⋮⋮覚えていないって⋮⋮そんなはず﹂
﹁信じられませんよね。僕も初めは令嬢達が嘘をついていると思い、
色々確認したのですが⋮⋮どうも本当に覚えていないようなのです﹂
﹁!?﹂
あんなに自信満々に出した証拠を誰がつくったものなのかも知らず、
どこから手にいれたかもわからないなんて⋮⋮ありえない⋮⋮そも
そもそんな物を証拠だと掲げることができるはずはない⋮⋮
あの令嬢達は皆で記憶喪失にでもなってしまったのか⋮⋮
茫然とする私に、険しい顔をしたジオルドがさらに続けた。
440
﹁でも、実はそれだけではありません。彼女たちはあの日、なぜ、
あんなことをしようと思ったのかすら覚えていないのです﹂
﹁⋮⋮え⋮⋮﹂
﹁彼女たちは確かに、あなたを疎ましく思っていたそうです。それ
は事実でした。でも、だからと言ってあんな風に公な場で害をなそ
うすることなど考えられなかったそうです﹂
令嬢達は確かに、カタリナ・クラエスを疎ましく思い、実際に私が
一人でいる時には、すれ違いざまに憎まれ口
を叩いてきたりしていた。
しかし、だからといってカタリナに実際に危害を加えるほどの度胸
はなかったのだ。
私、カタリナ・クラエスは仮にも公爵家の令嬢で、第三王子の婚約
者であるため、かなりの権力を有しているのだ。
下手に危害を加えれば、しっぺがえしをくらうのは自分たちである。
令嬢達はそれなりに高位な貴族であったが、さすがにそんなカタリ
ナに正面から喧嘩を売ろうとは思えなかったらしい。
それなのに⋮⋮あの日は違った。なぜか﹃なんとしても忌々しいカ
タリナ・クラエスに一矢報いてやろう﹄という気持ちでいっぱいだ
った。それも全員がである。
しかし、食堂から退散し、少しするとそんな気持ちはたちどころに
消え、むしろ﹃なんであんなことをしてしまったのか﹄と全員で頭
を抱えることとなったのだそうだ。
そのため、ジオルドに調べられる頃にはもう皆が平謝りだったそう
だ。
441
﹁⋮⋮でも、それが本当なら、とても奇妙な話ね。まるであの令嬢
たちは皆、操られていたみたいね﹂
私がそんな風に呟くと、ジオルドの表情がさらに険しくなる。
﹁操られていたみたいじゃなくて⋮⋮本当に操られていたのかもし
れないのです﹂
﹁⋮⋮え!?﹂
﹁あの時の彼女たちの様子はどうも妙でしたから﹂
﹁でも⋮⋮操るとかそんなこと⋮⋮﹂
土人形ならまだしも人間を操るなんてできるはずない。
こちらの世界で、催眠術的なものがあると聞いたこともないし、そ
もそもあんなに沢山の人を一度に操れるものなのか⋮⋮
混乱する私の横で再び、ジオルドが険しい顔で口を開く。
﹁人を操る⋮⋮闇の魔力を持っていれば可能なのです﹂
﹁⋮⋮や、闇の魔力って⋮⋮そんな魔力があるの?﹂
この世界での魔力は﹃水・火・土・風・光﹄に分けられており、そ
の魔力を有して生まれた者はある程度の年齢になるとその力を発動
する。
学校、あるいは家庭教師から、子供の頃にそう教わり皆が知ってい
ることだ。
魔力の種類は﹃水・火・土・風・光﹄の五つだ。
この魔法学園にきてからも、それ以外の魔力が存在すると習ったこ
442
となどない。
﹁闇の魔力から生み出される闇の魔法、それは人の心を操る魔法な
のです﹂
﹁⋮⋮でも、そんな闇の魔力に魔法なんてきいたこともないけど⋮
⋮﹂
﹁闇の魔法は危険なものだから、禁じられ、そして隠されてきたの
です。その存在は国でも一部の者しかしりません﹂
﹁⋮⋮危険?﹂
﹁心を操られ、しかも操られた方はそれを憶えてもいない、とても
恐ろしい魔法でしょう﹂
自分の知らないところで心を操られ、しかもそれを忘れてしまう。
それは確かに、かなり怖いことだ。
﹁⋮⋮でも、その闇の魔法であの時の令嬢達が操られていたとした
ら⋮⋮その目的は私を貶めることだったのでしょう。それとマリア
がいなくなったことと何か関係があるの?﹂
本当に闇の魔法なんてものを使う者がいるならとても怖いと思う。
そして、なぜ令嬢達は操られたのかもわからない。
でも、あんな事件を起こしたからには、闇の魔力を持つ者は私をど
うにかしたいのだろう。
ならば、マリアは無関係のはずだ。
﹁そうですね。普通に考えれば目的はカタリナであって、マリアは
無関係です。でも、彼女は光の魔力保持者です﹂
﹁そうだけど⋮⋮それがどうしたの?﹂
443
﹁闇の魔力は知覚することができないと言われていますが⋮⋮闇に
相反する力、光の魔力を持つ者だけはその魔力を知覚できるともい
われているのです﹂
﹁⋮⋮!?じゃあ、マリアは⋮⋮﹂
﹁あの事件の時に何かに気が付き、そして闇の魔力を持つ者に接触
してしまった。そして連れ去られたというのが今の所の推測です﹂
闇の魔力、人の心を操る魔法⋮⋮
マリアはそれに気が付いたの??
それでどこかへ連れていかれてしまったの⋮⋮
突然、沢山もたらされた情報に頭がぐるぐるして考えがまとまらな
い。
そもそも、さっきまで闇の魔力なんていう存在すら知らなかったの
だ。
禁じられ、隠される魔力⋮⋮
あれ?でもじゃあ、闇の魔力を持って生まれた人はどうなるのだろ
う?
﹁⋮⋮あの、でも闇の魔力が危険だからと隠されているのなら、そ
の魔力を持って生まれた子はどうしているの?発動したら隠される
の?そもそもほとんど誰にも知らされていない魔力じゃ、発動して
も対処に困るんじゃない?﹂
私は浮かんだ疑問をジオルドにぶつける。
﹁闇の魔力は、他の魔力のように生まれながらに持っているもので
444
はないのですよ。闇の魔力は魔力を持つ者が後天的に手にいれるこ
とができる新たな魔力なのです﹂
﹁⋮⋮後天的に手に入れることができる新たな魔力⋮⋮?﹂
魔力は、生まれながらに持っているものではないのか?
後天的に手にいれるとは⋮⋮どういう意味なのだろう?
どんどん困惑が大きくなる私に、ジオルドが静かな口調で告げる。
﹁闇の魔力を手にするには儀式が必要なのです﹂
﹁⋮⋮儀式?﹂
﹁はい、儀式です。その儀式で捧げものをすることで闇の魔力は手
にはいると言われています﹂
﹁捧げもの?﹂
私の問いにジオルドは一度、口を閉じ、そして息を深く吸い込んだ。
﹁闇の魔力は儀式にて、人間の命を捧げることで、手に入れること
ができる魔力なのです。なので、それを持つ者は誰かの命と引き換
えにその魔力を得ているのです﹂
445
真っ暗な場所だった。上も下もわからないただ暗いだけの世界に私
は立っていた。
そんな私の足元には大切な人達が倒れている。
ジオルド、キース、メアリ、アラン、ソフィア、ニコル、マリア。
その顔にもはや生気はない⋮⋮
﹁皆、起きて起きてよ!﹂
私は必死にそう叫び、皆の身体を揺さぶるが、誰一人ピクリとも動
かない。
﹁⋮⋮なんで、なんでこんなことに⋮⋮﹂
ぐったりと動かない皆の脇で私はしゃがみ込む。
身体はガタガタと震え、目には涙が溢れてくる。
どうしてこうなってしまったのか⋮⋮
大切な人たちをこんな風に失ってしまうなんて⋮⋮
こんな結末を迎えるのならば、私、一人が破滅した方がどんなによ
かったか⋮⋮
﹁⋮⋮どうして⋮⋮どうして⋮⋮﹂
私は真っ暗な世界でただ、涙を流し続ける。
446
目を開けるとそこには見慣れた天井だった。
もう入学して半年以上使っている寮の部屋の天井である。
まだ、部屋は暗く、窓の外にも明かりは見えない。日が昇っていな
いのだろう。
﹁⋮⋮夢⋮⋮だったのか﹂
発した声はかすれており、身体は小刻みに震えている。
身体中に冷たい汗が伝い、頬に触れるとぐっしょりと濡れている。
どうやら、夢にうなされ現実でも涙を流していたようだ。
なんて、ひどい夢だったんだろう。
いまだに震える身体を両腕でぎゅっと抱きしめる。
闇の魔力を手に入れるには誰かの命を引き換えにしなければならな
い。
命が対価である魔力。
そんな恐ろしい話を聞いたのせいなのだろう、ひどい夢を見てしま
った。
しかし、あんな未来はある訳がない⋮⋮
﹃FORTUNE・LOVER﹄のゲームで、アラン、キース、ジ
オルドのルートで唯一、命の危険があるのはライバルキャラの悪役
447
令嬢カタリナ・クラエスだけだった。
ニコルはまだクリアしてはいなかったが⋮⋮ニコルのルートのライ
バルキャラはソフィアだ。
あの妹大好きなニコルがソフィアに何かするとは考えられない。
だから⋮⋮あんな未来は絶対にあり得ないのだ⋮⋮
このゲーム世界で危険なのはカタリナ・クラエス。私だけだ。
そして、私はその危険を乗り越えるために、この七年、色々準備を
重ねてきている。
﹃大丈夫よ﹄自分にそう言い聞かせる。
それでも、あの夢が⋮⋮あの光景がいっこうに消えてくれない。
結局、その後、私は眠りにつくことができなかった。
翌日、夜ほとんど眠れなかったからか、あんな夢を見てひどくうな
されたからか⋮⋮
私は午前中に具合を崩し、キース、ジオルドに付き添われ医務室で
休むこととなった。
寝不足だったからか、暖かいベッドに横になるとすぐに眠りに落ち
たようだ。
448
目が覚めるとだいぶ時間がたっており、もうすぐ昼休みになる時間
帯で、ジオルドとキースはさすがに授業に戻っていた。
眠ったお蔭でだいぶ頭もすっきりした私は、医務室の先生にお礼を
言い、教室に戻ることにした。
昨日、ジオルドからはくれぐれも一人で行動するなと言われたが、
医務室から教室までの学舎内の短い道のりくらいは問題ないだろう。
医務室から教室までは中庭を通ると近道なので、そこを通って戻る。
私は昼の暖かな日差しが差し込む中庭を進む。
すると以前、マリアがお昼を食べようとしていた小さなベンチを見
つけた。
私は、少しだけと⋮⋮小さなベンチに歩み寄り、そこに腰掛ける。
私達と仲良くなるまで、マリアはここで一人ご飯を食べていたのだ。
可愛くて、優しいマリア⋮⋮もう一緒にいるのがすっかり当たり前
になっていたのに⋮⋮
昨日の、ジオルドの話が真実ならば⋮⋮マリアの身はかなり危ない。
なにせ、他人の命を捧げて、闇の魔力を手にした者が関わっている
かもしれないのだ⋮⋮
﹁カタリナさん?こんな所でどうしたの?﹂
449
突然、かけられた声にびっくりして振り返ると、そこには生徒会長
がいつもの笑顔で立っていた。
﹁あ、あの⋮⋮少し具合が悪くて医務室で休んでいて、これから教
室に戻ろうと思って⋮⋮﹂
﹁そうだったの。でも、マリアさんもまだ見つかっていないし、こ
んな人目につかない場所に一人でいるのは危ないよ。僕と一緒に戻
ろう﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
そうして、私は差し出された手をとる。
そこでふと思った。会長はどうしてここにいるのだろう。
今は授業中で医務室には私しか生徒はいなかった。
彼のほうこそ、こんな所でどうしたのだろう?
そんな疑問が頭をよぎり、会長を仰ぎ見ると、その真っ赤な髪が太
陽の光に照らされキラキラと光っている。
その光景を見た時、私の脳裏にその記憶がよみがえった。
﹃隠しキャラはね∼意外と大変でね﹄
ニンマリ笑うあっちゃんは、ネタバレを嫌がる私をよそに楽しそう
に続けた。
﹃闇の魔力を持っている危険な人なんだよね。攻略成功すれば主人
公と甘々な日々なんだけど⋮⋮失敗すると主人公とその友人である
450
生徒会メンバー、皆が彼に殺されてしまうっていう、ひどいバッド
エンドなんだよね。︱︱︱︱ちなみに、その隠しキャラはね⋮⋮真
っ赤な髪に灰色の瞳の︱︱﹄
そう、私はあっちゃんから確かに聞かされていたのだ。
隠しキャラの存在とそのエンディングを⋮⋮
昨日の、夢は決してあり得ない話ではなかったのだ⋮⋮
主人公と生徒会メンバーが皆、命を落とす⋮⋮そんなエンディング
も確かに存在していたのだ⋮⋮
背に冷たい汗が流れる。
なぜ、こんなに大事なことを今まで忘れていたのか⋮⋮
私は本当に馬鹿だ⋮⋮
真っ赤な髪に灰色の瞳︱︱︱私は目の前に立ち優しそうな笑みを浮
かべている生徒会長シリウス・ディークを見つめる。
﹃FORTUNE・LOVER﹄の隠しキャラであり、闇の魔力を
持つというその人を︱︱︱
この優しい人が⋮⋮マリアに生徒会メンバー、私の大切な人たちの
命を奪うなんて⋮⋮
とても信じられない⋮⋮
451
しかし、ジオルドの話が真実なら、今回の事件は闇の魔力を持つ者
が関わっていて⋮⋮
そして会長︱︱シリウス・ディークはおそらく闇の魔力を持ってい
る。
人の命を捧げ得る闇の魔力を⋮⋮
﹁カタリナさん、どうしたの?﹂
手をとったまま固まった私を不審に思ったらしいシリウスが声をか
けてくる。
それはいつもの優しそうな表情。
本当にこの人なのだろうか⋮⋮
﹁会長は⋮⋮闇の魔力を持っているんですか?それで、マリアに何
かしたんですか?﹂
﹁⋮⋮⋮闇の魔力ってなんだい?﹂
気が付くと思わず、口からでてしまった問いに、シリウスが困惑し
た表情になる。
それは、そんなものは知らないといった顔だった。
そうだ。そんな魔力のことなど普通は知らないだろう。
私だって、ジオルドから話を聞くまで、そんなものが存在すること
など知らなかった。
本当に知らないのかもしれない。
ゲームの中では闇の魔力があるとされていたが、現実は違うのかも
452
知れない。
友人達もゲームの中の人物と違うところが沢山あるのだ。
会長だって、ゲームの中とは違う可能性も高い。
﹁そうですよね。そんなもの知らないですよね。こんなに優しい会
長が闇の力でマリア達になにかするんなんてありえないですよね。
変なことを聞いてすみません﹂
そうだきっと違う。こんなに優しい会長が人の命を奪って闇の魔力
を手に入れるなんて考えられない。
そう思い、再びシリウスに目を向けると︱︱︱
彼は今まで、見たこともない冷たい瞳を私に向けていた。
﹁⋮⋮かいちょう⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮優しいか⋮⋮君はいつも僕のことをそういうね﹂
﹁⋮⋮だって、会長は優しいですから⋮⋮﹂
その冷たい瞳と声に動揺しながらも私がそう答えると︱︱︱
シリウスは顔を歪める。
﹁そんなのは演技だよ。優しく穏やかなふりをしていれば、過ごし
やすいからね。馬鹿な君たちはまんまと騙されていたみたいだけど
ね﹂
﹁!?﹂
453
驚きに目を見張った私を見て、シリウスは唇の端を持ち上げて馬鹿
にしたような笑みを浮かべた。
﹁ちなみにマリア・キャンベルをさらったのも僕さ。あの子は知ら
なくてもいいことを知ってしまったからね。
それから、カタリナ・クラエス、僕は君が大嫌いだ。さびしい奴ら
に声をかけて、救ってやっているつもりの偽善者!お前を見ている
とイライラしてしかたない!﹂
冷たい口調から一変して、荒々しく吐き出された言葉は悪意に満ち
ていた。
まだ、つないだままだった手がとても強い力で握りしめられ、だい
ぶ痛い。
﹁いい加減にどこかに消えてくれ!﹂
さびしい奴らに声をかける?救う?偽善者?
シリウスの言っている言葉にはわからないことが多かった。
でも、その言葉がつよい悪意に満ちており、彼が私を嫌っていると
いうことだけは理解できた⋮⋮
そして、やはりこの人がマリアを連れ去った張本人だった。
では、この人がゲーム通りにマリアや、他の生徒会メンバー達、私
の大切な人達の命を奪ってしまうのか⋮⋮
私はシリウスの灰色の瞳を見つめる。
いつもの穏やかな表情とはまるで違う、冷たく冷え切った瞳。
454
自分がマリアをさらったと言った。
優しさは演技だったと言った。
吐き出される言葉は悪意に満ちている。
それなのに⋮⋮⋮なぜ⋮⋮
﹁⋮⋮大丈夫ですか?﹂
私は掴まれていない方の手をシリウスの顔へ伸ばした。
冷え切った瞳で、悪意ある言葉を吐き捨てるシリウス。
それなのに、その言葉に反してその顔は、とてもとても苦しく辛そ
うで⋮⋮
今にも泣きだしそうな顔をしているのだ。
顔色もひどく悪い、今にも倒れてしまいそうなほどに⋮⋮
伸ばした手で触れたシリウスの頬は氷のように冷たかった。
﹁⋮⋮この偽善者が⋮⋮いいかげんにしろ!僕にかまうな!近寄る
な!笑いかけるな!⋮⋮もう僕の前から消えてくれ!﹂
頬に触れていた私の手を叩き落とし、彼はそう叫んだ。
すると⋮⋮なぜか、目の前がゆっくり暗くなっていった⋮⋮
そして、意識がしだいに薄れていく⋮⋮
455
﹁そのまま眠り続けろ。その命が尽きるまで﹂
シリウスが吐き捨てるように言った。
薄れゆく意識の中で最後に見たのは︱︱︱
シリウスの瞳から流れる涙だった。
456
心を乱されて︵前書き︶
二十九話と三十話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
457
心を乱されて
﹁あなたの入れてくれるお茶はとても優しい味がするわ﹂
そう言って優しい笑顔で母が幼い僕の頭を撫でる。
穏やかでとても幸せだった日々。
しかし、その幸せは突然、奪われたのだ⋮⋮あまりにもひどい形で
⋮⋮
そして僕は誓った。
僕たちの幸せを強引に奪った奴らに復讐をすることを、その地位も
命も必ず奪いつくしてやると。
ディーク侯爵家の一人息子、シリウス・ディーク。それが今の僕の
名だ。
魔力を持っていたため、十五歳の年を迎えて魔法学園に入学した。
学力も魔力も高く学園の生徒の憧れでもある生徒会のメンバーにも
選ばれ、ディークの屋敷の人々に褒め称えられている。
そんな僕がその人物の名をよく耳にするようになったのは、学園で
458
幼馴染のニコル・アスカルトに再会した頃からだった。
幼馴染のニコルと最後に会ったのは、彼が十歳になるかならないか
くらいだったので、五年ぶりの再会だったのだが⋮⋮その五年でニ
コルはすっかり変わっていた。
以前の彼はいつもどこか寂しそうな目をしている少年だった⋮⋮し
かし今、彼のその瞳は輝き、寂しさなどもう映してはいなかった。
正直、その寂しそうな目に親近感を覚えていた僕は、彼の変化を少
し残念に感じた。
そして、そんな風に変わってしまったニコルの口から、その人物の
名前がよく聞かれるようになる。
﹃カタリナ・クラエス﹄クラエス公爵家の令嬢。
寡黙で無表情なニコルが、この少女のことだけはよく話した、また
彼女の話になるとその普段ほとんど動かない表情さえもいきいきと
変化した。
おそらくニコルの瞳から寂しさを取り除いたのはその令嬢であるの
だろう。
そして、次の年の春、二年に進級し生徒会長を就任した僕の前にそ
の少女は現れた。
ニコルの話から、それは美しく、聖女のような人物だと思っていた
のだが⋮⋮
459
実際に目にしたカタリナ・クラエスの初めの印象は、特に特徴のな
い少女だった。
それなりに整った顔はしていたが、今年、生徒会に選ばれたマリア・
キャンベル達に比べるとそれほど美しい少女でもなかった。
それに、特別に頭が良いわけでもなく、魔力もほとんどない。
はっきりいって公爵家の令嬢、ジオルド王子の婚約者という肩書だ
けの少女という感じだった。
しかし、そんななんてことのない少女を、婚約者であるジオルド王
子はもちろん他の生徒会に選ばれた優秀なメンバー達はこぞって慕
っていた。
それこそ教師を﹃カタリナを生徒会室に自由に入れるようにしなけ
れば、自分たちは生徒会に入らない﹄と脅してしまう程。
一体、あの少女に何があるというのだ。
不思議には思ったが⋮⋮
正直、僕の復讐の妨げにさえならなければ、そんなことどうでもい
いことだった。
ただ、復讐をやり遂げるためにも僕は、まだここで優秀で穏やかな
生徒会長を演じる必要があり、新しく入った生徒会のメンバーとも、
それなりにうまくやっていかなければならない。
そのため、彼らが慕うカタリナにも適当に愛想よくしておく必要が
あるなという程度のことだった。
460
だから、その日、カタリナ・クラエスにお茶を入れて差し出したの
も、単純に愛想をとるためのことだった。
﹁会長の入れてくれたお茶はとても優しい味がしますね﹂
受け取ったお茶を飲んだカタリナ・クラエスはそう言って穏やかな
笑顔を見せた。
その言葉と笑顔に僕はひどく動揺した⋮⋮
長年、貼り付けていた穏やかな表情の仮面を取り落してしまいそう
になるほどに⋮⋮
いままで、他の生徒会メンバーにも普通にお茶を入れ﹃美味しい﹄
とは言われてきたのだが⋮⋮
僕の入れたお茶を﹃優しい味だ﹄と言ってくれていたのはこれまで
の人生でたった一人だけだったから⋮⋮
しかも⋮⋮その穏やかな笑顔もあまりにもよく似ていて、胸がひど
くざわついた。
あまりに動揺した僕はそこから、どのようにカタリナに対応したの
か、自分でもよく覚えていない。
しかし、長年において培ってきた演技でなんとか普通に接すること
ができていた気がする。
461
そうして、そのできごとから僕はカタリナ・クラエスと接するたび
に、激しく動揺するようになってしまった。
すべてを奪われたあの日に復讐を誓ってからずっと、そのためだけ
に生きてきた。
穏やかな仮面を被り、優秀な成績を修め、まわりの目を欺きながら
︱︱
手に入れた闇の魔力を使い、準備を重ねてきた。
資金を集め、罪をねつ造し、この手で復讐を果たせる日もそう遠く
ないところまできたのだ。
それなのに⋮⋮カタリナ・クラエスに関わってから⋮⋮上手くいか
ない⋮⋮
復讐のためならば後ろ暗いことにも平気で手を染めてきた。
それに、後悔や、迷いなんてなく、心が乱れることもなかったのに
⋮⋮
それなのに⋮⋮
カタリナの澄んだ水色の瞳でまっすぐに見つめられるたびに⋮⋮
﹃会長は優しいですね﹄と笑顔を向けられるたびに⋮⋮
ひどく心が乱れるようになってしまった。
462
生徒会にマリア・キャンベルという少女がいる。
平民であり、光の魔力を持っている特別な少女。
優秀な頭脳に、高い魔力、そして多くの人々が見惚れるほどの美貌
をもつ、とても恵まれている少女。
それなのに、彼女はよく寂しそうな目をしていた。
それは昔の、ニコルのそれによく似ていて、僕は彼女にも以前ニコ
ルに感じたような親近感をもった。
だが、彼女も変わってしまった。
ある時を境に、マリアからあの寂しそうな雰囲気が消え、そしてカ
タリナ達と生徒会以外でも親しくしている様子を見かけるようにな
った。
そして、マリアの目はカタリナを追い、目が合えばそれは嬉しそう
に微笑むようになっていた。
沢山の人に囲まれて、楽しそうに微笑むカタリナ・クラエス。
ニコルやマリアもその瞳をキラキラさせ、彼女の傍で幸せそうにし
ている。
そんなカタリナの姿は、以前ニコルから聞いていた聖女のような人
物像そのものに見えた⋮⋮
しかし、その姿を見ていると、心がざわついて仕方ない⋮⋮
463
時にはこれまで長年かけてつくってきた仮面が剥がれかけている時
さえあった。
カタリナに心を乱される僕に︱︱﹃あんな奴にかまうな!復讐の準
備を続けろ!﹄ともう一人の僕が言った。
それでも⋮⋮どうしてもカタリナの存在を無視することはできなか
った⋮⋮
マリア・キャンベルが嫌がらせを受けているのを見かけたのは偶然
だった。
彼女が嫉妬から嫌がらせを受けていたことは知っていたが、それを
目の前で見たのは初めてだった。
とりあえず、生徒会長シリウス・ディークとしてはそれを止めに入
らないわけにはいかず、止めに入り、嫌がらせをしていた令嬢に注
意をする。
﹃大丈夫かい?﹄と聞くと、マリアは﹃ありがとうございます。大
丈夫です﹄と気丈な様子で答えた。
それにしても、このように嫌がらせをする貴族の子息、令嬢達の浅
はかさには呆れてしまう。
マリア・キャンベルは確かに平民であり、貴族が集うこの学園内で
の身分は低い。
464
しかし、彼女は光の魔力保持者だ。
光の魔力を持つ者はわが国でもほんの一握りしかいない本当に貴重
な存在だ。
そんなマリアは、この学園に入学時より、すでに魔法省が目をつけ
ている。
光の魔力、それもかなり高い魔力を持つマリアはこの学園を卒業す
れば、間違いなく魔法省に入り、そしてそれなりの地位を手にいれ
るだろう。
そんな、王に次ぐ権力を有する魔法省での地位が約束されているマ
リアに、こんな嫌がらせを続けていれば、そのうち罪にとわれるの
は必須だ。そんなこともわからないとは本当に愚かな奴らである。
そんな風に思っていた時に僕はふと一つの考えを思いついた。
この愚かな者たちが行っているマリアへの嫌がらせの罪をカタリナ・
クラエスにかぶせることができないだろうかと。
もし、その罪をかぶせることができれば、いくら公爵家令嬢とはい
え、ただではすまないだろう。
うまく行けば⋮⋮カタリナをこの学園から⋮⋮自分の前から消せる
かもしれない⋮⋮
そうすれば⋮⋮あの少女さえ消えてくれれば⋮⋮もう心を乱される
こともない。
そう決めてからの行動は早かった。マリアが受けてきた嫌がらせを
調べ、それをカタリナが行ったように仕立てあげる。
465
あとは、実際にカタリナを闇の魔力で操り、マリアへいくつか嫌が
らせをさせればよかったのだが⋮⋮
それは叶わなかった。
闇の魔力、それを手にすれば人の心を自在に操ることができるとい
われている。
ただ、その魔力を手に入れる方法と、その能力の危険性から公には
されていない魔力である。
しかし、この魔力は決して万能な訳ではない。
人の心ならなんでも、好きなように操れる訳ではないのだ。
記憶を消したり、一時的に意識を奪ったりといったことはできるの
だが⋮⋮ないものを作りあげることはできないのだ。
嫌いなものを好きにすることはできず、好きなものを嫌いにはでき
ない。
そこに妬み、憎しみが少しでもあればそれを増長させ、行動を起こ
させることができるが⋮⋮
持っていない妬み、憎しみを作り上げることはできないのだ。
そして⋮⋮カタリナにはマリアを妬む気持ちが少しも存在しなかっ
たのだ。
妬む気持ちを増幅させ、嫌がらせという行動に移そうにも⋮⋮ない
ものを増幅させることはできない⋮⋮
466
結局、カタリナにはマリアへの嫌がらせの行為をさせることができ
なかった。
そのため、状況証拠だけをそろえ、カタリナを良く思っていない令
嬢達の妬み、憎しみを増長させることで、カタリナを糾弾させた。
彼女の頼もしいナイトである友人達も遠ざけ、最初こそ、カタリナ
を追い詰めることができていたのだが⋮⋮
予定より早く現れてしまったカタリナのナイト達の手によってそれ
も失敗に終わってしまった。
完璧に作った証拠もカタリナを溺愛する彼らに一蹴された。
そして、一番予想外だったのが、マリア・キャンベルである。
彼女は、それは強い意志で﹃カタリナではない﹄と言い切った。
それなりの証拠をそろえてあったにも関わらず、そこにはカタリナ
への大きな信頼があった。
マリアもいつの間にか、ナイト達と同じく、すっかりカタリナに取
り込まれていたのだ。
こうして、カタリナを追いやる作戦は失敗した。
しかし、令嬢達の記憶は消してあるし、あの昼休みに生徒会メンバ
ーを足止めした者たちの記憶もいじってある。
だから、この件と僕を結びつけることはできない。
友人達に囲まれたカタリナが幸せそうに微笑む様子を冷めた目で眺
め、僕は生徒会室に戻った。
467
こうして、この件は幕を閉じたはずだった。
しかし、僕が生徒会室に戻り、しばらく仕事を片付けているとそこ
に彼女が現れたのだ。
マリア・キャンベル、先ほど見事にカタリナを庇い、僕の計画を失
敗させた︱︱︱この学園で唯一、光の魔力を持つ少女。
昼休みも、もう終わるという頃に、彼女はなぜ、ここに現れたのか
⋮⋮
疑問はすぐに解決する。
顔色を青くしたマリアが口を開いた。
﹁以前、会長がカタリナ様を睨んでいるのを見た気がして⋮⋮その
時は気のせいだと思ったんですけど⋮⋮今回のことで思い出して⋮
⋮でも、まさか会長が今回のことに関係しているとは思えなくて⋮
⋮だから少しだけ会長の様子を確認しておきたかったんです。⋮⋮
それなのに⋮⋮会長、それはなんですか?﹂
﹁マリアさん、一体、なにを言っているんだい?今回の件とはなん
だい?カタリナさんに何かあったのかい?﹂
僕は困惑した表情をつくる。
まさか、仮面が剥がれ落ち、よりによってカタリナを睨んでいると
ころを見られていたとは、とんだ失態だったが、そんなことは何の
証拠にもならない。ここはしらばくれて、さっさと記憶を消してし
まえばいい。
468
﹁⋮⋮知らないのですか?でも⋮⋮まったく関係ないわけではあり
ませんよね⋮⋮だって、会長の周りには⋮⋮カタリナ様を糾弾して
いた令嬢の方たちと同じ黒い気配がこんなに漂っているんですから
!﹂
﹁!?﹂
僕は思わず、目を見張った黒い気配⋮⋮それはまさか闇の魔法の気
配か⋮⋮
今まで、何度か、この闇の魔法を使ってきたがそんなことを指摘さ
れたことなどなかったし、まわりもそんなものが見えているようで
はなかった。
︱︱︱光の魔力を有するがゆえか。
この闇の魔力を手にしてから、今まで光の魔力を持つものに出会っ
たことはなかった。
闇の魔力と光の魔力は対極にある。
その力を持つがゆえにマリア・キャンベルには⋮⋮闇の魔法の気配
が具現化して見えるのだろうか⋮⋮
厳しい表情でしっかりと僕を見据えるマリアの様子に⋮⋮さすがに
しらばくれ続けるのは、難しいかもしれないと感じた。
それなら⋮⋮
﹁はは、さすが光の魔力保持者様だね。そうだよ。今回の件は僕が
仕組んだんだ。あの忌々しい女を消すためにね﹂
﹁!?﹂
469
目を見開き固まったマリアに僕はゆっくり歩み寄る。
闇の魔法は触れていないと発動できない、僕はマリアの肩に手をか
ける。
﹁⋮⋮でも、そんなことは君が知らなくていいことだから﹂
闇の魔法でマリアの記憶から都合の悪い部分を消す、数秒後には、
マリアは今の話をすべて忘れている。
そのはずだった⋮⋮しかし⋮⋮
﹁さあ、マリアさん。早く教室に戻らないと授業が始まってしまう
よ﹂
﹁⋮⋮何をいっているんですか?会長。まだ話は終わっていません﹂
マリアは怪訝な顔を見せた。
⋮⋮まさか⋮⋮
僕は再び、マリアに闇の魔法をかけた⋮⋮しかし⋮⋮
﹁先ほどから、何をなさっているのですか?﹂
マリアは怪訝な顔を見せるだけで⋮⋮魔法にかかった様子はなかっ
た⋮⋮
まさか、光の魔力を持つ者には⋮⋮闇の魔法がきかないのか⋮⋮
それでは記憶を消せない⋮⋮ならば、このまま返すことはできない。
﹁会長、なぜカタリナ様を⋮⋮﹂
魔法がきかないマリアを僕は物理的に気絶させた。
470
よけいなこと知ってしまったマリアを、記憶も消さずにカタリナ達
の元に戻すわけにはいかなかった。
そうして、僕は意識を失ったマリアを学園内の隠し部屋へと運んだ。
それはここまで順調にやってきた僕の初めての大きな失態だった。
これもすべて⋮⋮カタリナ・クラエスに関わったがためだ⋮⋮
﹃あの女は邪魔だ﹄もう一人の僕が言った。
マリアの行方不明はすぐにカタリナ達の知ることとなった。
そして、カタリナ達の懸命な捜索が始まった。
学園にある隠し部屋の存在は、ディーク家のほんの一部しか知らな
いため、そう簡単には見つけることはできないだろうが⋮⋮
それにしてもいつまでもマリアを閉じ込めておくわけにはいかない。
あれから何度も闇の魔法をかけているが、いっこうにかかる気配の
ないマリアに途方にくれていた⋮⋮
﹃いっそこのまま、口封じに殺してしまえ﹄ともう一人の僕が言い
はじめる。
マリアを監禁し四日目の今日も、自習の授業の合間にマリアの様子
471
を見にいく。
マリアの気持ちが落ちれば、闇の魔法もかかるのではないかと窺っ
ているのだが⋮⋮
ずっと薄暗い部屋に閉じ込められているというのに、マリアの様子
は気丈なままだ。
一向に好転しない状態に嫌気を覚えながら、学舎へ戻ると、中庭外
れの椅子にぽつんと座る人影を見つけた。
それは僕をこの窮地に追い込んだ元凶であるカタリナ・クラエスだ
った。
﹁カタリナさん?こんな所でどうしたの?﹂
その背に声をかけるとカタリナは驚いたように振り返った。
﹁あ、あの⋮⋮少し具合が悪くて医務室で休んでいて、これから教
室に戻ろうと思って⋮⋮﹂
そう言ったカタリナの顔色は確かによくなかった。
﹁そうだったの。でも、マリアさんもまだ見つかっていないし、こ
んな人目につかない場所に一人でいるのは危ないよ。僕と一緒に戻
ろう﹂
生徒会長シリウス・ディークとしては、こうやって声をかけなけれ
ばならない。
472
そうして、僕はカタリナに手を差し出した。
﹁あ、ありがとうございます﹂
カタリナが笑顔で僕の手にその手を重ねると︱︱いつものように心
がざわつく。
太陽の光が降りそそぐ中庭はどうにも居心地が悪かった。
はやく教室へもどりたい。
それなのに、なぜかカタリナは僕の手を取ったきり固まってしまっ
た。
﹁カタリナさん、どうしたの?﹂
声をかけると、カタリナはその水色の瞳でじっと僕を見つめてきた。
そして︱︱︱
﹁会長は⋮⋮闇の魔力を持っているんですか?それで、マリアに何
かしたんですか?﹂
ひどく動揺したが⋮長年、演技を続けてきたかいがあり、スムーズ
に返すことができた。
﹁⋮⋮⋮闇の魔力ってなんだい?﹂
闇の魔力そんなものはしらないと、困惑した表情をつくる。
カタリナは考えこむように俯く。
473
突然、なぜこんなことを言い出したのか⋮⋮
そもそも闇の魔力のことを知っていたのか、それとも彼女の優秀な
ナイトの誰かがなにか嗅ぎ付けたのか⋮⋮
しかし、ここで認めるわけにはいかない。
カタリナは、マリアのように、確信を持った様子ではないため、ご
まかしてしまえば問題ない。
そのつもりだったのに⋮⋮
﹁そうですよね。そんなもの知らないですよね。こんなに優しい会
長が闇の力でマリア達になにかするんなんてありえないですよね。
変なことを聞いてすみません﹂
そう言っていつものように笑ったカタリナを見た途端に︱︱︱僕の
中の何かがはじけてしまった。
気が付けば、長年、つけてきた穏やかなシリウス・ディークの仮面
は剥がれてしまっていた。
﹁⋮⋮かいちょう⋮⋮?﹂
カタリナが動揺した様子で僕をみている。
﹁⋮⋮優しいか⋮⋮君はいつも僕のことをそういうね﹂
﹁⋮⋮だって、会長は優しいですから⋮⋮﹂
この仮面の剥がれた僕をみてもまだそんなことをいうカタリナ。
彼女は本当に愚かだ。
474
﹁そんなの演技だよ。優しく穏やかなふりをしていれば、過ごしや
すいからね。馬鹿な君たちはまんまと騙されていたみたいだけどね﹂
﹁!?﹂
驚きに目を見張ったカタリナに、僕は唇の端を持ち上げて馬鹿にし
たような笑みを浮かべる。
﹁ちなみにマリア・キャンベルをさらったのも僕さ。あの子は知ら
なくてもいいことを知ってしまったからね。
それから、カタリナ・クラエス、僕は君が大嫌いだよ。さびしい奴
らに声をかけて、救ってやっているつもりの偽善者!お前を見てい
るとイライラしてしかたない!﹂
まるで、せき止めていたものが壊れてしまったかのようにどんどん
と言葉が溢れてくる。
﹁いい加減にどこかに消えてくれ!﹂
僕は悪意と憎悪に満ちた言葉を目の前の少女に投げつけた。
これで、カタリナもだいぶ怯えたのではないか⋮⋮
もしかしたら同じような悪意や憎悪の視線や言葉を返してくるかも
しれない。
そう思ったのだが⋮⋮
﹁⋮⋮大丈夫ですか?﹂
カタリナから返ってきたのはそんな問い⋮⋮
そして、その瞳はなぜか、心配そうに僕を見つめている。
475
なんでだ⋮⋮
なんで、まだそんな目で僕をみるのだ⋮⋮
いま、自分に言われたことを聞いてなかったのか⋮⋮マリアをさら
ったことも言ったはずなのに⋮⋮
そうしてカタリナは、握っていない方の手を僕の頬へと伸ばし、気
遣うように優しく触れた。
なんで⋮⋮なんで⋮⋮なんで⋮⋮
なぜ、僕を恐れない、嫌わない⋮⋮そんな目で僕を見るな!
僕は頬に触れていたその暖かい手を叩き落とす。
﹁⋮⋮この偽善者が⋮⋮いいかげんにしろ!僕にかまうな!近寄る
な!笑いかけるな!⋮⋮もう僕の前から消えてくれ!﹂
その水色の瞳で見つめられると︱︱︱
近くによってこられると︱︱︱
笑顔をむけられると︱︱︱
僕は今までの僕でいられなくなりそうだった⋮⋮
﹃復讐のためならどんなことでもする﹄誓った思いが揺らぐ︱︱
もう一人の僕が言う﹃この女を消してしまえ﹄と︱︱︱
その声に従い、握っていた手から闇の魔法をかける。
﹁そのまま眠り続けろ。その命が尽きるまで﹂
僕の目の前で、カタリナはゆっくりと地面に崩れていく︱︱︱
476
意識を奪い、夢の中へと誘われた彼女は、このまま夢にとらわれ眠
り続けるだろう。
その命がつきるまで︱︱︱
これで、ようやく目障りで邪魔な女はいなくなる。
また元の通りに復讐のためにだけ生きていくことができる。
もう心を乱されることもない。
そのはずなのに⋮⋮胸のざわつきは少しも消えてくれない⋮⋮
それどころか⋮⋮眠るカタリナの姿に⋮⋮さらに大きく心はざわつ
いた。
瞳から水のような何かがポタポタとこぼれ落ちる。
これは一体、なんなのだろう。
477
あなたに出会えて︵前書き︶
三十一話と三十二話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
478
あなたに出会えて
日が沈み薄暗くなってきた部屋の中、ベッド横の椅子に腰掛けてい
た私は、もう何度目かわからない不安感に駆られ、ベッドへと駆け
寄った。
そして、眠るその人の呼吸と体温を確認し、ほっと息を吐く。
学生寮の一室、ベッドの上で静かに少女は眠っていた。
私、アン・シェリーのこの世で一番大切な人︱︱︱︱カタリナ・ク
ラエス様。
まるで身動きもせずに、深く眠り続けるカタリナ様。
呼吸が止まっているのではないか⋮⋮
もし、身体が冷たくなっていたら⋮⋮
数十分おきにそんな不安に駆られ、その呼吸と体温を確認し続ける。
カタリナ様がこのようになってしまってから、もう二日がたとうと
している。
そんなカタリナ様に付き添い続け、私はまったく眠っていない。食
事もほとんど喉を通らない。
同僚のメイドが﹃付き添いを代わるから休んできたら﹄と何度か言
ってくれたが、とてもそんな気にはなれなかった。
そうやって離れている間にカタリナ様に何かあったらと思うと⋮⋮
479
とても傍を離れることなどできなかった。
眠るカタリナ様の手を握り、その顔を見つめる。
その活発な性格からか、寝ている時ですらよく動き、何度も布団を
蹴り飛ばしていたカタリナ様が、ほとんど身動きもせずに眠るその
姿は︱︱︱この状態が正常なものでないことをまざまざと感じさせ
た。
どうして⋮⋮このようなことになってしまったのか⋮⋮
学舎の中庭で倒れていたというカタリナ様が、寮の自室に運び込ま
れてきたのは、二日前、日がだいぶ西に傾いた頃のことだった。
ジオルド様から聞いた話では、朝から具合が悪く医務室で休んでい
たというカタリナ様を、昼休みに迎えにいったところ﹃もう、教室
に戻られた﹄と教えられた。
そして、行き違いになったのだろうかと教室に戻るも、その姿はな
く慌ててその行方を捜すと、中庭の片隅で一人、倒れていたのが見
つかったのだそうだ。
しかし、いくら呼びかけても反応を返さず、すぐに医務室に運び込
み、医師に診てもらうが﹃ただ、眠っているだけだ﹄と言われたそ
うだ。
480
だが⋮⋮その後、どんなに呼びかけても、カタリナ様は目覚めなか
ったため、寮の自室に運び込んだのだ。
そして再び、医師に診てもらったが、やはり﹃眠っているだけだ﹄
との診断であった。
それでも一向に目を覚まさないカタリナ様の様子に、業を煮やした
ジオルド様が王子の権力を駆使し、国の名高い医師を呼び寄せてく
ださった。
立派な口髭を蓄えた初老の医師は、王族の方々の診察も担当してい
るという、国でもトップクラスの医師だということだった。
この方なら、なんとかしてくださるのではないか、そう期待したの
だが⋮⋮
﹁正直、まったく原因がわからん。身体をいくら調べても問題はな
いのだ。すぐに目を覚ますかもしれんし、このまま目を覚まさんか
もしれん﹂
﹁このまま目を覚まさなかったら、どうなるのですか?﹂
ジオルド様が険しい顔でそう問うと、医師は沈痛な面持ちで答えた。
﹁⋮⋮このまま、ずっと眠り続けるのならば⋮⋮水も取れず、食事
もできない⋮⋮そうなれば、やがて命を落とすことになるだろう﹂
﹃そんな!?そんな馬鹿なことって!﹄普段は冷静なキース様が我
を忘れ、必死に医師に詰め寄っていた。
481
﹃ドン﹄と激しい音がしたほうに目をやると、基本的には笑顔しか
みせず、声を荒げたこともない、ジオルド様がその拳を壁にたたき
つけていた。
メアリ様は真っ青な顔色でガタガタと震えており、今にも倒れてし
まいそうだ。
アラン様の顔も今までに見たこともないくらいに、ひどく強張って
いる。
ソフィア様はただ立ち尽くし、声ひとつあげずに、その大きな瞳か
ら涙を流している。
ニコル様の拳はその色が変わってしまう程に、強く握りしめられて
いる。
そうやって皆さんを見渡す、私自身も、気を抜けばその場に倒れて
しまいそうだった。
カタリナ様が命を落とす⋮⋮
突き付けられたあまりの事実に、激しい絶望を感じた。
その後、他の沢山の医師にも診てもらったが、やはり原因はわから
ず、カタリナ様を目覚めさせることはできなかった。
時には、癒しの力を持つ、国でも一握りしかいない光の魔力保持者
の方にも来てもらったが⋮⋮結果は同じだった。
482
一日が過ぎ、こうして二日がたっても⋮⋮カタリナ様に目覚める気
配はない。
私を人に使われる道具から、人間へと変えてくれた人。この世で一
番、大切な人。
あなたの傍でずっと、生きると決めたのに︱︱
お願いです。カタリナ様、どうか、どうか、私をおいていかないで
ください。
私は、眠るカタリナ様の手を強く握りしめた。
★★★★★★★★
﹁いえいえ。ジオルド様こんなかすり傷、気になさらないで下さい。
だいたい、額の傷なんて前髪でぱぱっと隠せるのでなんの問題もご
ざいませんわ﹂
そう言って、彼女が僕に笑いかけた日からもう七年の時が流れた。
僕の大切な婚約者、カタリナ・クラエス。
王宮で存在を忘れられ、退屈な日々を過ごしていた僕の前に現れた
可笑しな少女。
483
その可笑しな言動と行動に興味ひかれ、彼女と過ごすうちに︱︱
灰色でつまらなかった僕の世界が、鮮やかな色であふれていた。
退屈、つまらないといった感情しかわからなかった。
嬉しいも楽しいも、何もわからなかった僕に、カタリナはすべてを
教えてくれた。
嫉妬や、切なさも⋮⋮きっとカタリナに出会わなければ知ることは
できなかっただろう。
出会って共に過ごし七年、僕はもうカタリナのいない、あの灰色で
つまらない生活に戻ることなんてできなかった。
初めは打算的に申し込んだ婚約だった。
しかし、気が付けば、カタリナ・クラエスという存在をこの世の誰
よりも愛おしいと思うようになった。
天性の人タラシであるカタリナを慕う者はだいぶ多かったが⋮⋮
決して誰にも渡すつもりなどなく、必ず、手に入れて絶対に離さな
いつもりだった。
それなのに⋮⋮こんなことになってしまうなんて⋮⋮
カタリナに危険が迫っていると知っていたのに⋮⋮守ることができ
なかった。
強い後悔と自責の念に駆られた。
カタリナがあのようになった原因は、闇の魔法であるかもしれない。
そう思い、光の魔力保持者にも来てもらったが⋮⋮結局、何もわか
らなかった。
﹃光の魔力が高い者ならば、何かわかるかもしれない﹄と言われた
484
が⋮⋮
唯一、その者より高い魔力の持ち主であろうマリア・キャンベルの
行方も未だにわからぬまま⋮⋮
事態は一向に改善しなかった。
自分の無力さが悔しくて仕方ない⋮⋮壁に強く打ち付け、腫れあが
った拳を強く握りしめた。
★★★★★★★★
﹁キース、私たちは姉弟になったのだから、私のことは姉さんと呼
んでいいのよ﹂
そう言って、笑顔で手を差し伸べられたのは、もう七年も前の話だ。
それでも僕は、あの日をまるで昨日のように思い出す。
化け物と罵られ、暗い部屋で膝を抱え、一人ぼっちで生きていた。
そんな僕に差し伸べられた暖かい手。
﹃ずっと一緒にいる﹄と微笑んで、僕を暗い部屋の中から明るい世
界に連れ出してくれた。
大切な義姉、カタリナ・クラエス。
その暖かな笑顔と優しさに姉弟以上の感情を抱くようになっていた、
僕のこの世で一番、大切な人。
485
ずっとずっと一緒で、これからだってずっと一緒にいるつもりだっ
た。
婚約者であるジオルド王子にだって渡す気はさらさらなかった。
必ず、この手で守ると誓った。
そのために、必死に剣に魔力を学び、貴族としての振る舞いを覚え
た。
すべてはこの手でカタリナを守るために。
それなのに⋮⋮
どうして、こんなことになってしまったのか⋮⋮
なぜ、あの時、一緒にいなかったのか⋮⋮
必ず、守ると誓ったのに⋮⋮
後悔が押し寄せてくる。
クラエス家の養子になった八歳の時から、つらい時はいつも姉が傍
にいて、優しい笑顔を向けてくれた。
今、無性にあの優しい笑顔がみたい⋮⋮
カタリナを失いたくない⋮⋮
僕は震える身体をぐっと押さえた。
★★★★★★★★
486
﹁メアリは植物を育てる才能にあふれた特別な手を持っているのよ。
緑の手をもつあなたは特別で素晴らしい存在だわ﹂
そう言って彼女が両手を強く握ってくれた日を、私はまだしっかり
と覚えている。
臆病で弱虫で、いつも俯いて逃げてばかりいた。
自分が大嫌いだった。
そんな私をカタリナ・クラエスは、特別だと、素晴らしい存在だと
言ってくれた。
すごくすごくうれしかった。
姉たちに﹃汚らしい﹄と罵られ、嫌いだった赤褐色の髪に瞳も︱︱
カタリナが好きだと、綺麗だと言ってくれたから好きになれた。
カタリナの隣に並んで立てる、立派な令嬢になるために、たくさん
努力を重ねた。
正直にいえば、何度も何度も、めげそうになった。
でも、カタリナが一緒にいてくれたから、私を好きだと、大切だと
言ってくれたから、頑張ることができた。
今のメアリ・ハントがいるのは、すべてカタリナ・クラエスが傍に
いてくれたからだ。
そして、これからだって、ずっとずっと傍にいたかった。
それこそ、婚約者からだって奪ってしまいたいほどに、大好きで大
切な人。
それなのに⋮⋮
487
またあのまるで死んでしまったように、静かに眠るカタリナの姿が
頭によぎり、目の前が暗くなりそうで、必死に気を引き締める。
こんな風に⋮⋮気を遠くばかりしていられない⋮⋮
私はカタリナ・クラエスの親友、メアリ・ハントだ。
そこら辺の軟弱な令嬢とは違うのだ!
カタリナのためにできることをしなければ⋮⋮姿勢をただし、私は
顔をあげた。
★★★★★★★★
﹁アラン様にはアラン様の得意なものがあるのでしょうから、向き
不向きがあって当たり前ですよ﹂
ずっと、双子の兄と比べられて、すっかりやさぐれていた俺にあい
つはそう言った。
水色の瞳をまっすぐに俺に向け、決して勝負に手を抜かず、猿のよ
うに木を登る可笑しな少女、カタリナ・クラエス。
陰口にのまれ、勝手な妄想に囚われていた俺を正気に戻してくれた。
カタリナに出会い、俺はずっと肩に張っていた無駄な力を抜くこと
ができた。
488
いつも真っ直ぐで、嘘のないカタリナの傍はとても居心地がよかっ
た。
だから、当たり前のようにずっと彼女の傍に居続けたのだ。
それが⋮⋮こんなことになってしまうなんて⋮⋮
カタリナを失ってしまうかもしれない⋮⋮
そう考えた時、今まで味わったことのないほどの恐怖を覚えた。
そして初めて気が付いた。
俺にとってカタリナが、とても大切な存在になっていることに⋮⋮
それこそ⋮⋮ずっと傍にいたいと思ってしまうほどに⋮⋮
俺はなんて鈍いんだ。
失いそうになってから、はじめて自分の気持ちに気が付くなんて⋮⋮
相手は兄の婚約者だ⋮⋮この思いが叶うことはない。
でも⋮⋮それでも許される限りまだ傍にいたい。
ここで、失ってしまうなんて耐えられない。
なんとかして、カタリナを助けたい⋮⋮
★★★★★★★★
﹁ご両親はあんなに素敵で、妹さんはあんなに可愛くて、ニコル様
は本当に幸せ者ですわね﹂
489
そう言って微笑んだあの日の彼女を、俺はずっと忘れることができ
ない。
大切な家族の存在を俺の不幸だと決めつけて、同情してくれる人々
⋮⋮
﹃俺は幸せなのに﹄といくら言ってもわかってもらえない思い。
ずっとわかってもらえないと思っていた⋮⋮もういいと諦めていた
思い。
そんな思いをカタリナ・クラエスはわかってくれた。
わかってもらえない悔しさであふれていた胸の中を、暖かさで包ん
でくれた。
あの日から、カタリナは俺の特別な人になった。
あまり人と関わるのが得意ではないためか、視線をそらされること
もよくあった。
しかし、カタリナはいつでも水色の瞳で真っ直ぐに俺を見て、そし
て太陽のような明るい笑顔をみせてくれた。
彼女の傍はとても心地よかった。
幼馴染である第三王子の婚約者であるカタリナ。
どんなに思っても、ずっと一緒にはいられないことはわかっていた。
それでも許される限り、その傍にいたいと思っていたのに⋮⋮
﹃優秀だ、次期宰相候補だ﹄などと周りに担ぎあげられていても、
490
肝心な所で役にたたない自分が嫌になる。
大切な人、一人も守れないで、何が次期宰相候補だ⋮⋮
再び、強く握りしめた拳、爪が食い込んだ手のひらから血が滴り落
ちた。
★★★★★★★★
﹁私は、ソフィア様のその絹のような白い髪も、ルビーみたいに赤
くキラキラした瞳もとても綺麗だと思います﹂
気味が悪いと、呪われていると言われ続けた、人とは違う私の容姿。
それを﹃綺麗だ﹄と言ってくれた彼女は、その後﹃私とお友達にな
ってください﹄とその手を差し出してくれた。
初めは、都合のいい夢をみているだけだと思ったのに⋮⋮その夢は
覚めなかった。
生まれて初めてできた友達、向けられる優しい笑顔。
カタリナ・クラエスという少女に出会って、私の世界は大きく変わ
った。
ずっと籠っていた部屋から飛び出し、明るい太陽の下へ。
部屋の中で、ずっと夢に見ていた幸せな日々を私は手に入れた。
こんな日々がずっと続けばいい。そう願っていたのに⋮⋮
491
なんで⋮⋮なんでこんなことになってしまったの⋮⋮
この二日間、少しでも気を抜くと涙が溢れてくる。
泣きすぎて、もう身体中の水分がすべて出てしまったのではないか
と思うのに⋮⋮それでもまだ涙はあふれてくる。
カタリナが突然、倒れてから、もう二日が立とうとしている。
何度も部屋を訪れ、呼びかけたが、まったく反応を見せずに、眠り
続けるその姿に胸が締め付けられた。
本当は、ずっとカタリナの傍についていたい。
しかし﹃そう言う訳にはいかない﹄という兄に寮の自室まで引っ張
ってこられてしまった。
でも、こうして離れていると、今この瞬間にも、カタリナを失うの
ではないかという強い不安感に駆られるのだ。
この二日、色んな医師に診てもらったが、眠り続けるカタリナを目
覚めさせる方法をみつからなかった。
このまま眠り続ければカタリナはその命を落とす⋮⋮
初めこそ、あまり実感のわかなかった、突き付けられた事実。
どんな医師に診せても、芳しい答えは返ってこないまま二日を迎え
たことで、段々と現実味を帯びてきていた。
このままでは、本当にカタリナを失ってしまう⋮⋮もう二度とあの
492
笑顔を見ることができない。
そんなの、絶対に耐えられない!失いたくない!
そう強く強く思った。その時だった。
﹃そうよ!耐えられない!また失うなんて絶対に嫌!﹄
その声はどこからか、突然、聞こえた。
聞いたことがない声、それでいてどこか懐かしい声。
驚いて、辺りを見回すが、召使にもさがってもらった自室には自分
以外の人影はない。
﹃せっかくまた出会えたのに⋮⋮もう失うのは嫌!⋮⋮今度こそ、
あの子を助けてみせる!だから、こんな所でめそめそしてないで、
私をあの子の元に連れていって!﹄
まるで、私自身の中から聞こえているような不思議な声。
そんな不思議な声に導かれ、私は立ち上がり、カタリナの元へ向か
う。
﹁ソフィア様!?こんな時間にどうされたのですか!?﹂
カタリナに付き添っていたメイドが、突然の私の訪問に驚きの声を
あげる。
493
それもそうだろう。もう夜も深くなっているこんな時間に突然、ち
ゃんとした了承もなく乗り込んだのだから。
普段なら、絶対にしないであろう非常識な行動。
それでも、どうしてもしなければいけないと思ってしまったのだ。
そうしてと、不思議な声が訴えてくるから。
﹁⋮⋮カタリナ様﹂
ベッドに近寄ると、その手を両手でしっかりと握りしめる。
そうしていると、私の非常識な行動が伝わったらしく、兄が迎えに
やってきた。
﹁ソフィア、落ち着きなさい﹂
そう言って私の肩に手をかけ、部屋に戻るように促されるが⋮⋮私
はそれを拒絶した。
そんな私達の様子が伝わったのか、いつの間にか、部屋にはジオル
ド、キース、メアリ、アランと皆が集まってきたようだった。
それでも私はカタリナの手をしっかり握ったまま、この場を動かな
い。
そして、握った手に額をつけて目を閉じると﹃どうか、お願いしま
す。カタリナ様を助けてください﹄と強く願った。
494
すると瞼の裏に見覚えのない少女が映った。
黒い髪に瞳、見覚えはないはずなのに、どこか懐かしく感じる不思
議な少女。
﹃わかっているわ!必ず、連れ戻してくるから!あなたはここでカ
タリナを呼び続けて!﹄
強い意志を宿した瞳でそう言うと少女の姿は消えた。
★★★★★★★★
闇の魔法を使いカタリナ・クラエスを眠らせてから、二日たった。
彼女のナイト達は必死に、色々な方法でカタリナを起こそうとして
いるらしいが、それは叶わないことだ。
闇の魔法はかけた者にしか解けない。
カタリナはこのまま、眠り続けそして命を落とすだろう。
それこそ、僕の望んだことだった。
それなのに⋮⋮
495
なぜか、胸が落ち着かない。
このまま、カタリナが命を落としてしまうと思うと⋮⋮胸が締め付
けられるように苦しい。
⋮⋮嫌だ、彼女を失いたくない⋮⋮
闇の魔法など解いてしまいたい⋮⋮
﹃何を馬鹿なことを言っている!﹄ もう一人の僕が僕を怒鳴りつ
けてくる。
﹃あの女は復讐の邪魔になるなんだ!復讐の邪魔をする者は消して
いくしかない!﹄
⋮⋮でも⋮⋮
迷う僕にもう一人の僕はさらに声を荒げる。
﹃お前が生きているのは復讐のためだ!お前の母親の命を奪い、お
前を道具にした奴らを地獄に突き落とすことがお前の生きる意味だ
!忘れたのか、お前の母親の最後の言葉を!﹄
⋮⋮そうだった⋮⋮
大好きだった母の最後の言葉︱︱﹃⋮⋮どうか、仇をとって⋮⋮﹄
死にゆく母の口から放たれたその言葉こそ僕の生きる意味だ。
復讐のためだけに僕は生きなきゃいけないのだ。
496
ここが私の世界でした︵前書き︶
三十一話と三十二話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
497
ここが私の世界でした
﹁いつまで、寝てるつもりなの!このアホが∼!﹂
そんな叫び声と共に、布団を引っぺがされた。
﹁⋮⋮え、え、何?﹂
あまりに突然の出来事に私が目を丸くしていると、布団を引っぺが
した人物が、私を睨んだ。
﹁何?じゃないわよ!何度、呼んでも起きてこないで!また学校に
遅れるわよ!﹂
﹁⋮⋮え、お、お母様⋮⋮?﹂
﹁おかあさま?⋮⋮どうしたの、気持ち悪いわね。寝ぼけてるの?﹂
﹁⋮⋮え、あれ?⋮⋮お、おはよう。お母さん﹂
私は仁王立ちで佇む母を見上げる。
少しさがった目じりに丸い顔は、どこか狸に似ている。
そして﹃もう高校生になったのだから、いいかげんに髪や服装をチ
ェックしなさい﹄と無理やり部屋に設置された姿見には、そんな母
に良く似た平凡な狸顔をした私の顔がうつっていた。
なんだろう?すごく違和感を覚えた。
私はこんな顔だったろうか⋮⋮
いや、確かにこんな顔だった⋮⋮でも、今の私の顔はもっと⋮⋮
498
﹁なに、グズグズしてるの!はやくしないとまた遅刻するわよ!﹂
母に怒鳴られて、時計に目をやると⋮⋮もう本当にギリギリの時間
だった。
私は慌ててベッドから飛び起き、学校にいく仕度をはじめる。
パジャマを脱ぎ捨てて制服に着替え、水でさっと顔を洗ったら準備
完了。
母には﹃せめて髪くらいはとかしなさい﹄とよく言われるが、頑固
なくせ毛はいくらとかしても少しも整わないので、もうとかすこと
を放棄している。
まあ、今の髪は割とサラサラだし、毎朝、アンがしっかりとかして
くれるからいつも綺麗なんだけど⋮⋮
あれ?今の髪ってなんだ?アンがとかしてくれるって?アンって誰
だっけ?
また、ひどい違和感を覚える。何かが違う。私は⋮⋮何か、大切な
ことを忘れている?
あ!もうこんな時間だ!?本気に急がないとやばい!
一瞬、浮かんできた疑問を目に映った時計の針が消し去った。
もう、悠長に考え事をしている時間などない。
急いで、リビングへ向かうと、大学生の兄が優雅に朝食をとってい
た。
499
社会人の兄と、父はすでに出勤したようだ。
﹁おお、おはよう。お前はいつになったら、布団を剥がされないで
も起きられるようになるんだ﹂
そう言って、苦笑する兄の脇から、母がさっとお弁当を差し出して
くれる。
﹁ありがとう﹂
お礼を言って、お弁当を受け取ると、それに合わせてお腹が﹃ぐ∼﹄
となる。
食卓に並んだ美味しそうな朝食を前に、かなりの空腹感を感じてし
まったが、とても食べている時間はない。
食卓を見まわし、なにか移動しながらでも食べられそうなものを探
すが、見当たらない。
仕方ないので、冷蔵庫をさっと漁ると自転車をこぎながら、咥えて
食べていけそうなものがみつかったので、それを口に突っ込んだ。
﹁いってきまふ∼﹂
挨拶をして、玄関に向かうと、母がぎょっとした顔で振り返る。
その後ろでは、なぜだか兄が爆笑している。
﹁ちょっと、あんたなんでそんなのくわえて⋮⋮﹂
母が何か言いかけたが、なにぶんもう時間がないので聞き流させて
もらう。
500
家を出て、中学から愛用する自転車に飛び乗る。
軽快に走り出した後ろから、母の叫び声が聞こえてきた。
﹁せめて咥えていくならパンにしてちょうだい!!なんで、きゅう
りなの︱!!﹂
自転車を漕ぎながら、私は咥えていた朝ご飯代わりのきゅうりを咀
嚼した。
おそらくおばあちゃんの畑直送であろうきゅうりは、新鮮でおいし
かったが、やはり生のままは味気なくて、味噌をつけてくればよか
ったと少し後悔した。
きゅうりを頬張りつつ、近所の犬に激しく吠えられながらも、なん
とか学校に辿りつくとすでにホームルーム開始のチャイムが鳴って
いた。
急いで、教室に向うと、教室はまだ少し騒がしかった。
これはまだ担任は来ていないな。
﹁ギリギリセーフ﹂
そう言って後ろのドアから軽やかに教室に入ると。
﹁残念ながらアウトだ﹂
教壇に立った担任教師から冷たい視線を送られた。
501
そして︱︱︱遅刻回数が大台を突破した私は⋮⋮昼休み、担任教師
に呼び出され、お説教をくらうこととなった。
昼休みの半分をつぶされたお説教タイムが終わり、げっそりしつつ、
そのまま、あっちゃんの教室へと向かう。
中学からの親友でオタク友のあっちゃんとは、二年になってクラス
が分かれてしまったが、昼休みにはあっちゃんの教室を訪れ、オタ
クトークをしながら昼食を食べるのが私達の日課になっていた。
いつもよりだいぶ遅い時間にやってきた私の姿を見たあっちゃんは
︱︱
﹁また遅刻して、呼び出されたんだって、いつになればちゃんと時
間内に登校できるようになるのよ﹂
私の本日の遅刻と呼び出しをもう知っていたらしい、呆れ顔でそう
言われてしまった。
﹁昨日は少し夜更かししちゃったから、朝、起きれなくて﹂
私がそう言い訳すると、あっちゃんはさらに呆れた顔になる。
﹁また、夜遅くまでゲームしてたの?ちゃんと時間を考えてしなさ
いよ﹂
﹁⋮⋮う、ついむきになっちゃって﹂
高校生になり、手を出し始めた乙女ゲームに私はどっぷりはまって
しまっていた。
502
それこそ新作を手にいれると、ついつい時間を忘れて熱中してしま
うのだ。
﹁それでまた夜遅くまで励んで⋮⋮﹃FORTUNE・LOVER﹄
は、少しは進んだの?﹂
﹃FORTUNE・LOVER﹄は最近、買った乙女ゲームで今、
睡眠時間すら削って必死になっているゲームだ。
﹁うん、そろそろ俺様王子のアランを攻略できそう﹂
﹃FORTUNE・LOVER﹄の攻略キャラ、アランは俺様な王
子様の設定だ。
⋮⋮でも、確かに少し偉そうな所もあるけど⋮⋮基本的に優しいし、
実際はゲームの設定ほどに俺様という感じじゃないのよね。
⋮⋮あれ?⋮実際ってなんだ?⋮⋮私は一体、何を考えているんだ
ろう。
まるで、ゲームのキャラクターに実際に会ったことがあるみたいな
⋮⋮
﹁どうしたの?﹂
突然、考え込んだ私をあっちゃんが心配そうな顔で覗き込んだ。
﹁あ、ううん。なんでもない。あ、早く昼ご飯を食べなきゃだった
!﹂
503
お説教によって半分近くが失われてしまった昼休み、はやくお昼を
食べてしまわないと食いっぱぐれてしまう。
只でさえ、朝はきゅうり一本のみで空腹だ。私は母の手作り弁当を
かっこんだ。
昼食を食べ終えると、いつものようにあっちゃんとオタクトークを
楽しんだ。
朝起きて、母が作ってくれたお弁当をもって学校へ登校して、そし
て友達と楽しくおしゃべりをする。
それはいつもの日常。変わらない毎日なのに︱︱︱
なぜか、今日はそれがとても懐かしく、愛おしく感じた。
いつまでも、こんな日々が続けばいい。なんでか、そんな風に思っ
た。
それから数日かけ、乙女ゲームも順調に進んだ。
今は、腹黒ドS王子のジオルドを攻略中だ。
しかし⋮⋮なんなのだろう。いつも何か違和感を覚えた。
特にこのゲーム﹃FORTUNE・LOVER﹄をやっているとそ
れはより強く感じた。
私は何か大切なことを忘れてしまっているような⋮⋮
504
不思議な感覚にとらわれた。
それでも⋮⋮いくら考えてもその何かを思いだすことはできなかっ
た。
そんな日々が続いた、ある日の昼休み。
いつものようにあっちゃんと一緒にお昼を食べていた。
﹁﹃FORTUNE・LOVER﹄の進み具合はどう?﹂
﹁今は、腹黒ドS王子のジオルドを攻略中﹂
そう答えると、あっちゃんはなんだか、少し困ったような顔になる。
なんだか、今日のあっちゃんはいつもとどこか違う感じがした。
何がと具体的には言えないのだが、なんだかいつもより大人びてい
るような感じだ。
﹁学校はどう、楽しい?﹂
﹁⋮⋮え、あ⋮⋮うん﹂
再びあっちゃんの口から出た質問は、なんだかとても不思議な質問。
返事をしつつ、なんだかいつもと違う様子のあっちゃんを見つめる。
それは、いつものあっちゃんの顔、中学からずっと一緒の見慣れた
顔だった⋮⋮はずだったのに⋮⋮
﹁⋮⋮⋮え!?﹂
私は驚きに思わず声をあげた。
505
なぜだか、一瞬、あっちゃんの顔が白い髪に赤い瞳の美少女に見え
たのだ。
あまりのことに⋮⋮目が可笑しくなったのかと両目をごしごしとこ
すり、再び親友の顔をみる。
するとそこには見慣れたいつもの顔があった。
今のはなんだったんだろう⋮⋮
気のせいだろうか⋮⋮
親友を見つめ、茫然と固まる私に、あっちゃんがとても大人びた笑
みを浮かべる。
﹁私はとっても楽しいよ。あなたに会えて、またこうやって過ごす
ことができて。でもね⋮⋮もうあなたの世界はここじゃないでしょ
う﹂
﹁⋮⋮?﹂
世界はここじゃない?あっちゃんは一体何を言っているんだろう。
﹁あなたの世界はもう別にあるでしょう。そして、そこにはあなた
を待っている人達がたくさんいる﹂
﹁⋮⋮あっちゃん⋮⋮一体、何のこと?﹂
困惑する私に、あっちゃんは優しく微笑んだ。
﹁ねえ、聞いて、皆があなたを呼んでいるから﹂
﹁⋮⋮え⋮⋮?﹂
506
そう言ったあっちゃんの言葉に続くように、突然、その声は聞こえ
始めた。
﹃カタリナ、起きてください!もう君のいない人生は考えられない﹄
﹃起きてよ!姉さん!ずっと一緒にいてくれるって約束しただろう﹄
﹃カタリナ様!起きてください!あなたがいないと私は頑張れない
のです﹄
﹃起きろ!いつまでそうやって寝ているつもりだ!このアホ令嬢!﹄
﹃⋮⋮カタリナ、目を覚ましてくれ﹄
﹃⋮⋮お願いです。カタリナ様、目を開けてください﹄
それはとても懐かしい声だった⋮⋮
ずっとずっと一緒だった聞きなれた声。
靄がかかったように思い出せなかった、強い違和感。
ずっとかかっていた霞が消えていく。
懐かしい声⋮⋮私の義弟に友人達⋮⋮私の大切な人達⋮⋮
なんで、私はこんなに大切な人達のことを忘れていたのだろう。
霞はきれいに消え、記憶は鮮明に蘇る。
気が付けば、私はすべてを思い出していた。
あっちゃんの言うとおりだった。
少し口うるさいけれど優しい家族とオタクな親友、大好きな乙女ゲ
ーム、この世界はとても居心地がいい。
だけど⋮⋮ここはもう私の世界ではないのだ。
507
私には新しい世界ができた。
新しい家族に友人達⋮⋮新しい世界にも大切なものが沢山できた。
そして、皆、私を持っていてくれている。
﹃今の私の世界に帰らないと。大切な人たちが待っていてくれる世
界に﹄
そう強く思った。すると、何かがはじけるような不思議な音が教室
に響いた。
びっくりして周りを見渡せば、いつの間にか、教室にいたはずの他
のクラスメートは誰もいなくなっていた。
私とあっちゃんだけの教室。その床がボロボロと崩れ落ちはじめる。
そして、その落ちていく先には明るい光が見えた。
ああ、ここに、このまま落ちてゆけば元の世界に帰れるのだとわか
った。
﹁あ、そうだ!?あっちゃん!私、元の世界に帰ったらマリアを助
けに行かなきゃいけないの!あっちゃんならマリアの居場所を知っ
ているんじゃない?教えて!﹂
ゲームをすべてクリアしたあっちゃんならきっと知っているはずだ。
﹁わかるわ。マリアは学園内にいるわ。学園内に隠し部屋があるの
508
よ。場所は︱︱﹂
そう言って、あっちゃんは丁寧に場所を教えてくれた。
床はどんどん崩れ落ち、光の中に吸い込まれていく。
時間がない⋮⋮もっと早く思い出せたなら、もっと色々と聞くこと
ができたのに。
﹁ああ、あとね。生徒会長はなんで⋮⋮﹂
なんであんなに苦しそうに泣いていたのかと尋ねようとした時。
遂に、私の足元の床も崩れ落ちはじめた。
崩れる床と共に、私も光の中へと吸い込まれていく。
そんな私にあっちゃんはとても優しい目を向けた。
﹁あなたなら、きっと大丈夫よ。私達を救ってくれたように、会長
の事も救ってあげて。彼の本当の名は︱︱﹂
﹁え!?救うってなに?本当の名って?﹂
意味のわからないことを言われ困惑して、そう尋ねるも、もう身体
のほとんどは光の中へと落ちていた。
あっちゃんの顔も、もうほとんど見えない。きっと、これでもうあ
っちゃんとはお別れだ。
中学からずっと一緒だった親友。私が無事に高校生になれたのだっ
てあっちゃんのお蔭だ。
いっぱいいっぱい助けてもらった。
それなのに⋮⋮突然の事故で︱︱︱さよならも、ありがとうも言え
なかった。
509
これが、最後のチャンスだ。
﹁あ、あっちゃん。久しぶりに会えて嬉しかったよ!さようなら、
今まで本当にありがとう!﹂
見えなくなるあっちゃんに向けて、私は声を張り上げ叫んだが、果
たして届いただろうか。
﹁私もとても嬉しかった。今度は、ソフィアとしてずっと傍にいる
から。さようなら、ありがとう、私の大切な親友﹂
あっちゃんの最後の言葉は私に届かなかった。
目を開けると、目の前にボロボロと涙を流すソフィアの顔があった。
そして、その後ろにはジオルド、キース、メアリ、アラン、ニコル
がいる。
私の大切な人達。ああ、私は私の世界に帰ってきたのだ。
目を覚ました私にソフィアが抱きつき、さらに号泣した。
普段あんなに落ち着いているメアリもボロボロ涙を流して、私に抱
きつく。
510
他の皆も安堵の表情で私を見ている。
皆にとても心配をかけてしまったことがよくわかった。
私の世界はここだ。
私の大切な人たちがいるここが私の世界だ。
だから、この世界を、大切な人たちを︱︱︱私は守りたい。
あんなにひどすぎるバッドエンドには、絶対にさせない!
511
無理と言いきらせてもらいました︵前書き︶
三十三話、三十四を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
512
無理と言いきらせてもらいました
目を覚まして動き始めたら、なにやらギシギシとする身体をぐっと
伸ばす。
なんでも二日間、まるっきり眠ったままだったとかで、身体がすっ
かり鈍ってしまったようだ。
目覚めた私はすぐに生徒会長、シリウス・ディークの元へ向かおう
としたのだが⋮⋮
寮にも学舎にも、すでに彼の姿はなかった。
私が目覚めたことを知り、どこかへ逃げたのではないかと皆は言っ
たが⋮⋮
私はそうは思わなかった。
おそらく彼はまだ学園内、それもマリアの所にいるのではないかと
思った。
なぜそう思うのか、と問われてもうまく答えられなかったが、それ
でも私は確信していた。
彼が、シリウスがマリアの元にいると。そしてマリアもまだ無事で
あると。
だから、私はマリアを助けるために隠された部屋へ向かう。
﹃彼は君の命を奪おうとした犯罪者なのだから危険だ。自分たちと
513
役人に任せてカタリナは部屋で休んでいろ﹄と皆は言ったけど⋮⋮
私は、私のせいで危険に陥ったマリアをこの手で助けたかった。
それに⋮⋮もう一度、シリウスとちゃんと話をしたかった。
意識を失う前に見たシリウスの様子が︱︱強く脳裏に焼き付いてい
る。
とても辛くて苦しそうな顔、音もなく流れていた涙。
かなりの悪意を向けられたはずなのに⋮⋮思わず心配になってしま
う程の切なそうな表情。
それにあっちゃんが最後に言っていた彼の本当の名前︱︱
シリウス・ディーク、彼にはきっと何か深い事情があるのだろう。
だから、私は︱︱︱私自身でシリウスともう一度、ちゃんと話がし
たかった。
そのためにも、私は自分の足でもう一度、彼の元へ向う必要があっ
た。
そんな私の我儘を友人達はだいぶ渋りながらも聞き入れてくれた。
私だけ行かせる訳にはいかないと、皆が共にきてくれることになっ
た。
そして私は義弟と友人達と共に、マリアとシリウスの元へ向かう。
学園の外れ、薄暗い林の中を私達は進んだ。
514
学舎より、魔法省の研究所に近い位置に佇むその建物は、あまり頻
繁には使われていない倉庫のようなものだという。
妙に重々しいその扉を開け中に入る。クラエス家の客間くらいのか
なり大きさの部屋の中は、何に使うのかよくわからないガラクタの
ような物であふれていた。
そんなガラクタを避けながら、私は奥へとズンズンと進んだ。
そして、入り口から一番、離れた位置にある大きな棚の前に立つ。
とても一人では動かせそうにない、その棚の脇には、あっちゃんか
ら教えてもらった通りにまるでボタンのようなでっぱりがあった。
私はそのでっぱりを棚の中に押し込んだ。
大きな棚がほとんど音もなく右側へと動いていく︱︱
そして棚のあった場所に、黒く頑丈そうな扉が現れた。
﹃本当にあった!﹄と一緒にきてくれた皆から驚きの声があがる。
この隠し部屋のことは﹃夢の中でお告げがあった﹄と話していた。
初めこそ﹃何を言ってんだこいつ﹄的な目で見られたが⋮⋮最終的
には信じて貰えたと思ったのだが⋮⋮
どうも皆、まだ疑っていたらしい。
私は現れた扉に手を伸ばす。
簡単には開かないかもしれないと思った扉は、手をかけるとあっさ
りと開いた。
扉の先は、寮の部屋と同じくらいの広さの部屋につながっていた。
515
そしてその部屋に足を踏み入れる。
部屋には天井の方に小さな窓が一つついているだけで、だいぶ薄暗
かった。
私は目を凝らし、部屋の中を見回す。
すると部屋の隅にぽつんと少女がひとり座っているのがわかった。
私はすぐに駆け寄った。
﹁マリア!!﹂
﹁⋮⋮カタリナさま⋮⋮?﹂
足に細い鎖のようなものをつけられ、拘束されているマリアの姿は
痛々しかったが、ぱっと見て大きな怪我はないように見えた。
また顔色こそあまりよくないが、その瞳はしっかりと私を見つめ返
してきた。
﹁⋮⋮マリア、遅くなってごめんなさい﹂
私はマリアをぎゅっと抱きしめた。
助けにくるのが、だいぶ遅くなってしまった。
﹁⋮⋮私こそ、皆さんにこうしてご迷惑をかけてしまい申し訳あり
ません⋮⋮﹂
安心したのか強張っていた、マリアの身体から力が抜けていく。
﹁いいえ、私のために動いてくれたのでしょう?﹂
マリアが少し困った顔で小さく頷く。
516
やはり、マリアはあの事件の日、何かに気が付いて、私のために動
こうとしてくれたのだ。
﹁ありがとう。マリア﹂
私がそう言うと、マリアは頬を少し赤くして小さく微笑んだ。
マリアが無事で本当によかったと私は、息をはく。
しかし、まだもう一つの目的を果たせていない。
﹁ねぇ、マリア⋮⋮⋮彼は⋮⋮シリウス・ディークはまだここにい
る?﹂
﹁⋮⋮はい。彼はまだここにいます。その黒い扉の先に﹂
そう言って、少し顔を険しくしたマリアが示した先には⋮⋮
少し見ただけでは、壁にしか見えない黒い扉があった。
﹁⋮⋮カタリナ様は会長がされたことを、もうすべてをご存じなの
ですか?﹂
﹁そうね⋮⋮といいたい所だけど⋮⋮実は色々わからないことは多
いの﹂
あっちゃんのお告げによって、この隠し部屋こそ知ることができた
が、なんで彼がこんなことをしたのか?
そもそもどうやって闇の魔力を得たのか?
本当にゲームであったようなひどいエンドを引き起こしてしまうの
か⋮⋮
わからないことの方が多い。
だけど⋮⋮
517
﹁⋮⋮⋮私にはどうしても彼が、悪い人には思えなくて⋮⋮だから
もう一度、ちゃんと話をしたいの﹂
皆には﹃なんて危機感がない。お人よしすぎる﹄とか散々に言われ
たけど⋮⋮
これが、私の今の正直な気持ちだ。
﹁⋮⋮そうですか⋮⋮確かに⋮⋮私もこうして足を繋がれている以
外では、特にひどいことをされてはいません⋮⋮食事もきちんと運
んでくれました⋮⋮だから、本物の悪人ではないかもしれません⋮
⋮でも、彼は何か不思議な力を持っているようなのです﹂
やはり、ジオルドから聞いた通り、光の魔力を持つマリアは、闇の
魔法を知覚することができるのだ。
﹁やっぱり、マリアには彼の力がわかるのね?﹂
﹁カタリナ様にもわかるのですか?﹂
﹁話には聞いているけど⋮⋮私にはわからないの。それは光の魔力
を持つ者にしかわからないものらしいのだけど⋮⋮マリアにはわか
るのね?﹂
そう問えば、マリアはしっかりと頷いた。
﹁はい。あの時、あのご令嬢達と会長の周りに、何か黒い靄のよう
なものがかかっているのを見ました⋮⋮そして⋮今も、会長の周り
には黒い靄が⋮⋮むしろ前よりもずっとその靄は大きくなっていま
す﹂
ええ!?どうして、また誰かに闇の魔法をかけたの!
いつのまに?何のために?
518
戸惑う私に、マリアが考え込むように慎重に続けた。
﹁⋮⋮ただ、その靄は最初の時に見たモノとは違うのです﹂
﹁⋮⋮違う?﹂
﹁そうです。前に見たのはなんていうか、その靄が外側に少しつい
ていた感じなのですが⋮⋮今の靄は⋮⋮内側からあふれ出ている感
じなのです⋮⋮なんというか靄が、会長を取り込もうとしているよ
うに見えるのです﹂
それはどういうことなのだろうか?
闇の魔法を制御しきれずに暴走しているとかなのか?
わけがわからず首を傾げるが、マリア自身もよくわからないという
風に困った顔を返してくる。
しかし、ここまできて﹃じゃあ、危ないから引き返そう﹄などと言
うつもりはまったくない。
そして、そんな私の気持ちをわかってくれているらしい、友人達は
﹃仕方がない﹄という渋々な雰囲気を醸し出しつつも、反対する言
葉を言わないでくれている。
まぁ、ここに来るまで相当にごねたので、もう言っても無駄だと諦
められている可能性も高いが。
﹁⋮⋮私も一緒にいきます﹂
マリアがまっすぐに私を見てそう言った。
﹁でも⋮⋮マリアはずっとこんな所に閉じ込められていたのだから
519
⋮⋮先に戻って休んで﹂
いくら乱暴などはされてないとはいえ、ずっとこんな暗い場所に閉
じ込められていたのだ。
早く外に出て、身体を診てもらわないと。そう思い断ったのだが。
﹁いいえ、私も行きます!だって、会長の不思議な力を見ることが
できるのは私だけなのですよね。だったら、私がついていった方が
よいですよね﹂
確かに、この中で闇の魔法を知覚できるのはマリアだけだ。
﹁駄目だと言われても、意地でもついていきます!﹂
いつかのように強い意志を宿した瞳で、そう言いきったマリアも、
仲間に加わり、私達は黒の扉を潜った。
扉を開ければ、すぐに部屋があると思ったのだが、そこには地下へ
と続く階段があった。
一人分の幅しかない細く、ほとんど光のささない階段を、ジオルド
が魔法で出してくれた炎の明かりでゆっくり下る。
そうして下った先には新たな扉があった。その黒く、重そうな扉に
先頭にいたジオルドが手をかける。
ほとんど音もなく静かに扉が開いた。
520
その部屋はなんだか少し気持ちが悪いと感じてしまうような部屋だ
った。
広さは先ほどマリアがいた部屋と変わりないくらいなのだが⋮⋮
窓が一つもなく全く日の光が入っていない。
そんな部屋中、明かりに照らされた壁には、黒く禍々しい文字がび
っしりと書かれていた。
なんだか部屋中の空気が淀んでいるようにすら感じる。
そして、そんな部屋の中央に彼は立っていた。
手にしているランプに照らされた顔色は、最後に見た時よりもさら
に悪くなっているように感じた。
入ってきた私達を前に、疲れ切りすべてを諦めたような表情をして
いたシリウスだったが⋮⋮
私と目が合うとその瞳を見開いた。
﹁⋮⋮どうしてここにお前がいる﹂
それはひどく驚愕した様子だった。
あれ?てっきり私が目を覚ましたのを知ってここに隠れたのかと思
ったのだけど⋮⋮
知らなかったのかしら?
﹁眠り続ける魔法が解けたので﹂
知らないなら、とりあえず教えてあげようとそう言うと。
521
﹁そうじゃない!魔法が解けたのはわかっている!⋮⋮あのような
目にあって、なぜまたのこのこと僕の前に姿を現したのだ!﹂
険しい顔でそう返されてしまった。
﹁ああ、そういう意味ですか﹂
そう言う意味のことはここに、シリウスの元にいくと決めた時に、
さんざん友人達にも言われた。
しかし⋮⋮まさか本人にまで言われるとは⋮⋮
確かに何やら、色々と悪口的な感じのことを言われ、闇の魔法もか
けられた。
目覚めることなく眠り続けていれば、命さえ失っていたと言われた
のだが⋮⋮
まあ、ちゃんと目は覚めたし、害があったとすれば、寝すぎて少し
身体がギシギシすることくらいだ。
むしろ、たっぷり寝たからかとてもすっきりした気分だ。
よって、私の正直な気持ちとしては。
﹁別に、それほどひどいことされたようには思えないので﹂
﹁⋮⋮お前、自分のされたことを理解していないのか?﹂
おお、なんかちょっと馬鹿にした感じの目で見られた。非常に心外
だ。
522
﹁いえ、ちゃんとわかっていますよ。闇の魔法で眠らされたんでし
ょう?﹂
﹁その通りだ!それで僕はお前の命を奪うつもりだったんだ﹂
シリウスは険しい顔でそう言った。
だけど⋮⋮
﹁う∼ん。それは嘘ですね﹂
﹁⋮⋮嘘だと⋮⋮﹂
シリウスの顔がさらに険しくなったが、私は気にせずに続ける。
﹁だって、本当に命を奪おうと思ったなら、ただ眠らせるよりその
場で殺してしまう方がずっと楽なはずだもの﹂
目撃者もいなかったという中庭、おそらく二人きりだった、その場
で命を奪ってしまったほうがわざわざ眠らせて死ぬのを待つよりも
ずっと簡単なことだ。
あんまり賢くない私でもその位のことはわかるのだ、目の前に立つ
秀才がそんなことに気が付かないはずはない。
だから、この人は本当に私を殺そうとしたわけではないのだと、私
は結論づけた。
﹁⋮⋮⋮﹂
言葉を失い立ち尽くす、シリウスに私はさらに続ける。
﹁私が、ここにきたのはもう一度、会長とちゃんと話がしたかった
からです﹂
523
﹁⋮⋮はなし⋮⋮﹂
﹁そうです。あの時の会長⋮⋮すごく苦しそうな顔で⋮⋮泣いてい
たから⋮⋮﹂
正直、あの時に言われた言葉は、かなり忘れてしまったのだが⋮⋮
まぁ、かなり濃い夢を二日間もずっと見ていたのでそれも仕方がな
い。
だけど⋮⋮あの倒れる前に見たシリウスの辛そうな顔と、流れる涙
だけは、今でもしっかり覚えていた。
なぜ、彼はあんなに苦しそうにしていたのか⋮⋮ずっと気になって
いた。
﹁⋮⋮だから、もう一度、ちゃんと話を聴かせて欲しかったの⋮⋮﹂
そう言ってシリウスを見つめると、彼の顔が大きく歪んだ。
﹁⋮⋮この偽善者が⋮⋮それで、他の奴らのように僕のことも救っ
てくれるとでもいうのか?聖女カタリナ・クラエス様﹂
皮肉のように吐き出された言葉。
偽善者?救う?聖女?
なんことだか、さっぱり意味がわからない。
そういえば⋮⋮あっちゃんも最後に言っていたっけ⋮⋮﹃会長を救
ってあげて﹄と。
だけど⋮⋮
﹁それは無理だわ!﹂
524
私はシリウスを見つめながらきっぱりと言い切った。
﹁だって私は主人公じゃないもの。私は、ただのライバル役の悪役
令嬢なんだから、人を救うなんて出来るわけないわ!﹂
私の言葉があまりにも予想外だったのか、シリウスはポカーンと口
を開けて固まってしまった。
一緒にここまできてくれた皆からも﹃ライバル役?悪役令嬢?﹄と
疑問の声が聴こえてきた。
思わず口に出して言ってしまったが、他の皆にはまったく意味がわ
からないことなのだ。
あいつ変なこと言い出したぞと思われているかもしれない。
それでも、その言葉は事実だった。
この乙女ゲームの世界で、私は主人公のライバルキャラの悪役令嬢
だ。
しかも、他のライバルキャラであるメアリや、ソフィアのように美
人で、魔力も高く、頭もいい素敵なライバルですらない。
たいした美人でもなく、魔力もしょぼく、頭もよくない、残念なラ
イバルキャラ。
それが私、カタリナ・クラエスだ。
そんな私に、主人公のように他人のトラウマを解消したり、その傷
ついた心を救ってあげたりなんてできっこないのだ。
それでも、そんな私にも唯一、できることがあるとするならば︱︱︱
525
﹁あなたが苦しんでいるのを救ってあげることはできないけど⋮⋮
でも、傍にいることはできるから﹂
悪役令嬢である私に、他人を救えるような力はない。
でも、傍にいることはできる。
﹁傍にいて、悲しい時、辛い時には話を聞いて、元気がでるまで一
緒にいるわ﹂
突然、思い出した前世の記憶、自分が破滅しかない悪役であること
に気付いてから、努力を重ねた日々。
大変な時、辛い時だってあった。そして、そんな時にはいつも皆が
傍にいてくれた。
私が元気になるまで一緒にいて、話を聞いてくれた。
だから、私はここまで頑張ってこられた。
それに私の傍には、なんでもできる心強い仲間たちがついている。
私なんかの力じゃ彼を救ってはあげられないけど、私の仲間達なら
きっと彼に力を貸してくれるはずだ。
私は少しずつ、シリウスに近づいていく。
﹁⋮⋮だから、一人で泣かないで﹂
まるでダムがきれてしまったかのように、苦しそうに涙を流すシリ
ウス。
彼が一体、何に苦しんでいるのか、どうしてこんなに辛そうなのか?
今の、私には何もわからない。
526
でも⋮⋮こんな暗い部屋の中で、一人、声を殺して泣き続けるのは
せつなすぎる。
どんどん辛さが増すだけだ。
そうして、限界がきた時、彼はあんなにひどいバッドエンドを迎え
てしまうのかもしれない。
そんな風にしないために︱︱あんなエンドを迎えさせないために︱︱
﹁一緒にいきましょう︱︱︱ラファエル﹂
ポロポロと涙を流すシリウスに私は手を差し出し、あっちゃんに聞
いた彼の本当の名前を呼んだ。
呼ばれたシリウス︱︱ラファエルはその涙で濡れた瞳を大きく目を
見開いた。
正直、本当の名前という意味はよくわからないままなのだが⋮⋮
それでも、なんとなく彼にはその名の方があっているように思えた
のだ。
私の伸ばした手に、ラファエルがおずおずと手を伸ばす。
触れ合った彼の手はとてもひんやりとしていたので、私は両手でそ
の手を包み込んだ。
﹁大丈夫﹂
泣き続けるラフェエルを、元気づけようと私は笑顔を作る。
悪役顔の意地悪な笑みにならないように気を付けながら。
527
﹁黒い靄が消えていく⋮⋮﹂
後ろでマリアが呟いた言葉の意味は、私にはわからなかったが⋮⋮
涙でぐっしょりのラファエルの瞳を見ると、私のよく知る優しい色
をしていた。
528
魔法は解けて︵前書き︶
三十三話と三十四話を更新させて頂きましたm︵︳︳︶m
529
魔法は解けて
﹁こんな所でどうしたの?﹂
近所の子供に苛められ、家の脇に隠れて一人膝を抱えて、こっそり
と泣いていた僕の頭上から穏やかな声が聴こえた。そして声の方を
仰ぎみるとそこには大好きな母が心配そうな顔をして僕を覗きこん
でいた。
﹁⋮⋮なんでもないよ、大丈夫﹂
大好きな母を心配させたくなくて、僕は慌てて涙をぬぐってそう言
ったけど⋮⋮
﹁こんな所で、一人で泣いていたら、つらい気持ちはきっとなくな
らないわ。辛い時にはお母さんが傍にいるから、傍にいて話を聴く
から、一人で泣かないで﹂
母はそうって僕をぎゅっと抱きしめてくれた。
僕が物心着く頃には、すでに母と子二人だけの暮らしだった。
幼子を抱えながら働く母は、それは大変なはずなのに、いつも笑顔
を絶やさなかった。
530
決して裕福とは言えない暮らしぶりだったけれど⋮⋮
﹃私はこんな素敵な息子がいて幸せだわ﹄と母は僕を抱きしめ、沢
山の愛情を注いでくれた。
それは穏やかで幸せな日々だった。
父のことは何も知らなかった。その名も、生きているのかどうかも。
そのことで近所の子供に苛められることも何度かあり、まったく気
にならないと言ったら嘘だったが⋮⋮
なんとなく母が父の話をしたがらない雰囲気を、子供ながらに感じ
ており、深く追求することもなかった。
しかし、僕はやがてそのことを後悔することになる。
もし、父のことを知っていれば⋮⋮何か変えることができたのでは
ないかと。
そして、母と二人で過ごした穏やかで幸せな日々が突然、終わりを
迎えた。
それは俺が九歳になる年の春のことだった。
それは、夕暮れ時、母と共に家路へ着こうとしていた時におこった。
突如、僕たちの前に見たことのない大きな男たちが現れたと思うと
︱︱
口に布を押し付けられた、その布からは甘い匂いがして⋮⋮僕の意
識は薄れていった。
531
目を覚ますとそこは薄暗い部屋だった。
日の光は入っていないようで、ランプの明かりだけで照らされた部
屋。
明かりで浮き上がる壁にはびっしりと何かの文字が書かれていて、
ひどく不気味な部屋だった。
そんな部屋の中には十名近い人々がいるようだった。
僕は部屋の真ん中に横たえられていて、人々はそれを囲むように立
っていた。
意識を失う前に僕達の前に立った男たちもいた。
おそらく、彼らによってここに連れてこられたのだろう。
僕は縛られているようで、動こうとしたけれど身動きが取れない。
口にもきつく布がまかれていて、うまく声をだすこともできなかっ
た。
僕の目の前には、全身に真っ黒な服を着た男と、そしてなんだかこ
の薄暗い部屋には似つかわしくない、煌びやかな真っ赤なドレスを
まとい、首にはドレスと同じように真っ赤な宝石を下げた、赤い女
が立っている。
﹁子供が、目をさましたわ。さあ、あの子をここへ﹂
赤い女がそう言うと、大柄な男が前に歩み出てきた。
その腕には、僕とそう年の変わらない男の子が抱きかかえられてい
た。
男の子は僕の横に、綺麗な布を敷かれその上に、とてもていねいに
寝かされた。
532
近くで見ると男の子は酷く痩せていて顔色も悪く、苦しそうに肩で
息をしていた。
きっと彼はとても具合が悪いのだろう。
しかし、そうした具合の悪そうな所を差し引くと、彼は僕によく似
ていた。
赤い髪に灰色の瞳、それに顔立ちも︱︱︱
この子は一体、誰なのだろう。
そうして、僕が男の子をじっと観察していると、再び赤い女が口を
開いた。
﹁これで準備は整ったわ。では、初めましょう。生贄をここに﹂
準備とはなんのことだろう。
この薄暗い部屋で一体、何がはじまるのか?
生贄とはなんだろう?以前、母に読んでもらった本にでてきた気が
する⋮⋮それはどんなものだったのだろうか⋮⋮
未だに現実感のない状況で僕がそんな風にぼんやりと考えていると。
男の子が連れてこられた反対側から、男がもう一人、人を連れてき
た。
それは⋮⋮僕の大好きな母だった。
まるで引きずられるように、連れてこられた母。
その美しい顔は青く腫れていた。足にも怪我をしているのか、引き
ずって歩いている。
﹃かあさん!!﹄
533
僕は布に覆われた口で必死に叫んだが、実際にはくぐもった音が少
し漏れただけだった。
立ち上がり母の所に行こうともがく。
しかし、そんな僕を、近くにいた男の一人が、ぐっと冷たい床に押
さえつける。
﹁やめて!!﹂
母が叫び、僕の方へ近寄ろうとしてやはり男に押さえつけられる。
そんな僕らをとても冷たい目で見つめながら、赤い女が言った。
﹁その子供の身体はあまり雑に扱わないでちょうだい。その身体は
私の大切なシリウスのモノになるのだから﹂
その子供というのはおそらく僕の事なのだろう。
身体がシリウスのモノになる?
シリウスとは誰のことなのだろう?
まったく状況が、わからず僕はただ混乱していた。
﹁⋮⋮侯爵夫人、私を憎くお思いならば、どのようにしていただい
ても構いません⋮⋮ですから、どうかどうか息子だけは⋮⋮﹂
傷ついた母が赤い女に、必死な様子でそう訴えていた。
この赤い女を母は侯爵夫人と呼んだ。母はこの女を知っているのか
だろうか?
534
それに⋮⋮母を憎く思うとはどういうことだろう。
母は僕にも優しかったが、近所の人にも、誰にだって優しくて皆に
好かれていた。
そんな母が憎まれるなんて想像もできなかった。
しかし、赤の女の目はひどく冷たく母を見下ろしている。
﹁⋮⋮なんと図々しい女なのかしら。私から夫を奪い、子供まで授
かった女が、まだ望みを言うなどと﹂
﹁⋮⋮⋮⋮私は侯爵様の気まぐれで一時のお相手を申し使わされた
だけにすぎません。ですから、もう侯爵様に近づくつもりもござい
ません。私はただ子供と共に静かに暮らしていきたいだけなのです﹂
﹃バシン﹄と渇いた音が薄暗い部屋の中に響いた。
必死に訴える母の頬を赤い女が打っていた。
﹃かあさん!!﹄僕をまた声にならない叫びをあげる。
﹁⋮⋮父親であるディーク侯爵によく似た子を同じ時期に産んだの
に⋮⋮どうしてお前と私はこんなにも違う。⋮⋮美しい容姿に、健
康な身体。そして、健康で元気な子供⋮⋮なぜ、お前ばかりがそん
なに恵まれているの。⋮・・・私には何もない、美しくない容姿、
病弱な身体、夫にも愛されず、やっとの思いで産んだ子供も同じよ
うに病弱で、しかもこのように不治の病に侵され、もう余命もいく
ばくもない⋮⋮﹂
赤い女が母に掴みかかった。
﹁⋮⋮お前だけ⋮⋮お前たち親子だけが幸せに生きるなんて絶対に
許さない!!⋮⋮はじめなさい!﹂
535
赤い女のその一言で、真っ黒な服を着込んだ黒い男が、母の前に立
った。
そして、まるで感情のない声で、聞いたことのない言葉を呟き始め
る。
それは、不思議な言葉だった。
まったく聞いたことのない異国の言葉の様でもあり、聞き覚えのあ
る懐かしい言葉のようでもある。
しかし、黒い男のその言葉が続くうちに僕の全身に、鳥肌が立ち始
めた。
空気がひどく淀んできているようで、気持ち悪くなる。
そして︱︱︱男の言葉が止まる。
すると薄暗かった部屋は完全に、闇に支配された。
目の前さえ見えない暗闇の中で、僕は母の悲鳴を聴いた。
真っ暗だった部屋に、次第に光が見え始めると、僕はすぐに母の姿
を探した。
そして、僕からほんの二、三歩離れた場所にぐったりと横たわる母
の姿を見つける。
縛られた身体で必死に母の方へと向かう。
近づくと、母の顔色にまるで生気はなく、息も今にも途切れそうな
状態だった。
536
先ほどまでは怪我こそしていたが、こんなにぐったりしてはいなか
った。
なぜ?どうしたのか?
﹃かあさん!かあさん!﹄と僕は布越しに必死に母を呼んだ。
そんな僕を、母の瞳が映した。
母は僕の瞳をしっかりと見つめると。
﹁︱︱︱どうか︱︱﹂
今にも消え入りそうな声でそう言うと、静かに息絶えた。
﹁どう?成功したの?﹂
﹁はい。文献通り、無事に力を手に入れることに成功したようです﹂
赤い女の問いに黒い男が答える。
﹁そう。では早速、その力でシリウスの意識を、この子供の身体に
移しなさい﹂
赤の女たちが何か、話しているのは聞こえていたが⋮⋮頭には何も、
入ってこなかった。
僕は今、ここで起こったことをまったく受け止められないでいた。
つい先ほどまで、母とともに夕食の話をしながら、家路に向かって
いたのに⋮⋮
537
気が付けば、なぜかこんな暗い部屋に連れてこられ⋮⋮
そして⋮⋮最愛の母は⋮⋮もう息をしていなかった⋮・・・
﹁はい。では、始めます﹂
黒の男が隣に寝かされていた男の子の身体に触れながら、僕の頭に
手をおいた。
その瞬間、僕の頭の中に、見たことのない映像が溢れてきた。それ
は音のついた不思議な映像。
知らない場所、知らない人々⋮⋮それはまるで誰かが今まで体験し
てきた生活、そのものであるように感じた。
次々に入りこんでくる映像に、頭が割れるように痛くなる。
そして︱︱︱ようやくその映像が落ち着いた時⋮⋮僕はすべてを知
ることができた。
僕がなぜ、こんな所に連れてこられたのか、なぜ母はこんな暗い部
屋の中で息絶えたのか⋮⋮
僕の中に入ってきた映像が僕にすべてを教えてくれた。
この赤い女の企みを︱︱
赤い女はディーク侯爵という貴族の夫人であり、僕の隣に横たわっ
538
ているシリウスという名の少年の母親である。
しかし、夫人は侯爵の愛を得ることができなかった。
侯爵は女好きの遊び人で、結婚後も女遊びが落ち着くことはなかっ
た。
侯爵は結婚後、義務的に夫人の元に通い、後継ぎであるシリウスが
できると、もう夫人の元に姿を見せなくなる。
そのためか、夫人はただ一人の我が子、シリウスに激しく依存した。
日々、自分の不幸を嘆いて、幼い息子にすがった。
しかし、そんな彼女の唯一の心の拠り所である息子が⋮⋮不治の病
に侵されてしまう。
金と権力を駆使し、沢山の医師を頼り、それでも駄目だとわかると
今度は怪しげな魔法にも手を出したが⋮⋮
息子の病気が治ることはなく、日々、衰弱していく。
息子を失う⋮⋮そんな現実を彼女はとても受け入れることができな
かった。
そんなある日、沢山の怪しげな魔法に手をだしていた彼女は、遂に
闇の魔法の存在を知った。
心を操り、記憶をすり替えることができる魔法。
これを知った時、彼女は思いついたのだ。
息子の心を、健康な身体に移し替えれば、息子は助かるのではない
かと。
それはあまりに突拍子もなく、とうてい実現できるとも思えない無
539
謀な計画︱︱︱
しかし、もう何も息子を助ける方法がなくなった今⋮⋮どうしても
息子を失いたくない彼女はそんな無謀なモノにすら、すがりついた。
そして、彼女は闇の魔力を手に入れる方法と︱︱息子の身体となる
器を探した。
息子の器は健康で、そして、できるだけ息子と近い年齢の似た子供
が必要だった。
あまりに違う身体では、ディーク侯爵家を継ぐことができないから。
そして、彼女は見つけだしたのだ。
自分の息子にとてもよく似た同じ年頃の子供︱︱まるでシリウスの
器となるために産まれてきたかのようなうってつけの子供を︱︱
その子供はかつて、ディーク侯爵のお手付きとなったメイドの一人
が産んだ子供だった。
かつて、侯爵家で働き、ディーク侯爵の寵愛を得た、美しいメイド
は子を孕むと同時に屋敷から姿を消していた。
そのメイドだった女が、侯爵によく似た健康で元気な子供と共に幸
せそうに暮らしていた。
夫人は︱︱その子供を我が子シリウスの器にすることを決めた。
そして闇の魔力を手にする方法を知ることにも成功する。
闇の魔力は命と引き換えに得ることができる。つまり、闇の魔力を
540
得るには生贄が必要だった。
夫人は器である子供の母親、あの幸せそうに暮らしている女を生贄
にすることを決めた。
そして今日、遂に彼女はその計画を実行に移した。
器にする子供と、生贄とするその母親を捕え、配下である魔力を持
つ者に女の命と引き換えに闇の魔力を手に入れさせ︱︱
そして、息子シリウスの記憶をその子供に移させた。
夫人の計画通りならば、シリウスの記憶を移された器である僕は、
僕でなくなり⋮⋮シリウス・ディークとなるはずだったが⋮⋮
しかし⋮⋮シリウスの記憶︱︱彼の今まで見てきたもの、聞いてき
たものをすべて頭の中に入れられても⋮⋮僕は僕のままだった。
頭の中には確かに、シリウスの記憶があった。しかしそれだけだっ
た。
そこには記憶だけがあって︱︱シリウスという少年はいなかった。
ただ、感じたのは﹃もう疲れた。はやく楽になりたい﹄という切な
い気持ちだけ。
物心つく前から、母親にすがられ続け、病の淵に落ちてからもなお、
ベッドの脇で泣き言を語られ続けた少年は⋮⋮
ただ、楽になることだけを強く望んでいた。彼はその幼さにしても
う生きることに疲れていた。
入れられた記憶にシリウス自身の思いはまったくなかった。
541
そうして、僕はシリウスにはならず、彼の気持ちのない記憶、知識
をだけを得たのだ。
夫人の計画は失敗に終わったのだ。
⋮⋮しかし、その事実が夫人に知れれば、僕はこの場で殺されてし
まうだろうと、頭に入ったシリウスの記憶が告げる。
こんな所で死ねない⋮⋮
それは今まで、感じたこともないほどの強い思い。
僕はまだ死ねない⋮⋮だって母さんの最後の願いを叶えなければな
らないから⋮⋮
気が付けば、口にきつくまかれていた布は外されていた。
僕は、感情を押し殺し、この世で一番憎く思う女を︱︱
﹁⋮⋮おかあさま⋮⋮﹂
そう呼んだ。シリウス・ディークがいつも呼んでいたように。
すると夫人はその顔に満面の笑みを浮かべた。
﹁ああ、シリウス!あなたなのね!闇の魔法は成功したのね!﹂
そう言ってディーク侯爵夫人は僕を抱き上しめた。
ひどい嫌悪感に身体が震えそうになるのを僕はじっと耐えた。
僕はまだ、ここで死ぬわけにはいかなかったから。
生きて、母の最期の望みを叶えるために。
542
﹁⋮⋮では、奥様。私の役目は終わりましたので。もう、家族とと
もに故郷に帰らせていただいてもよろしいでしょうか?﹂
黒の男がオドオドした様子で、夫人に尋ねる。
﹁そうね、あなたはとてもよくやってくれたわ。あなたのお蔭で、
私のシリウスはこうして健康な身体を手に入れることができたわ﹂
﹁⋮⋮では、あの家族の元に帰していただいてもよろしいですか?﹂
﹁ええ、もちろんよ。すぐに帰してあげるわ。お前たち﹂
夫人が部屋の隅に控えていた屈強な男達を呼び寄せる。
黒の男は安堵の表情を浮かべ、男たちに近づいていく。
すると︱︱︱男たちは持っていた剣で黒の男を貫いた。
﹁⋮⋮⋮なぜ⋮⋮﹂
身体を貫かれ、血を流しながらも、男が夫人へと手を伸ばす。
﹁だから家族の元に帰してあげると言ったじゃない。あなたの家族
はもうすでに死後の世界であなたを待っているのよ﹂
夫人がにこりと優雅にほほ笑んだ。
﹁⋮⋮家族を無事に帰してほしければ働けと言われ⋮⋮ここまでや
ってきたのに⋮⋮俺を⋮⋮だましていたのか⋮⋮﹂
﹁仕方ないわ、禁忌とされる魔力を得てくれるような者がいなかっ
たんですもの。でも、こうして事が無事に終わった以上、このまま
543
闇の魔力を手にしたあなたを生かしておくのは、とても危険でしょ
う﹂
当たり前だと言うように微笑んでいる夫人を黒の男は、すさまじい
形相で睨みつける。
﹁⋮⋮おのれ、おのれ、⋮⋮⋮決して許しはしない⋮⋮お前たちの
地位も権力も奪いつくし⋮⋮必ず地獄に落としてやる⋮⋮﹂
男の伸ばした手がわずかに僕の足先に触れた。
﹁これから死にゆく人間が何を言っているの。お前たちとどめを﹂
そうして黒の男にさらに深く剣が付きたてられ⋮⋮男は息絶えた。
また、時を同じくして本物のシリウス・ディークも冷たい床の上で
その命を散らした。
そして、僕はシリウス・ディークとして生きることとなった。
シリウス・ディークとして生き、そして母の命を奪い、僕を道具に
したディーク家の人々に復讐することを誓った。
僕がその不思議な力に気が付いたのは、シリウス・ディークとして
暮らし始めてしばらくの時がたってからだった。
人の心が読める、そしてそれを操ることができる。それは闇の魔力
544
だった。
正直、なぜ僕にこの力が宿ったのかよくわからなかったが、それは
とても使えるものだったのだ、僕はこの力を歓迎した。
そして、復讐のためにだけに生きて、時が流れ、僕は彼女に出会っ
てしまったのだ。
大好きだった母と同じことを言い、母とよく似た優しい笑顔を浮か
べる少女、カタリナ・クラエス。
彼女に出会い、僕の心は大きくかき乱された。
だから、僕はカタリナを始末することにしたのだ。
闇の魔法で永遠の眠りに誘い、その命を奪うつもりだった。
⋮⋮だが、決して解けないはずの呪いは解けてしまった。
マリアの様子を見に隠し部屋へきていた時、僕がかけた闇の魔法が
解かれたことがわかった。
本来なら、焦らなければならない状況の中、僕はなぜか深く安堵し
た。
カタリナにかけた魔法は解けた、これで彼女は助かった。
よかったと、そう思ってしまった。
545
そして、カタリナが寝覚めたならば、僕のことが公になるだろう⋮
⋮そうすれば僕は捕まる。
﹃こんな所で捕まるわけにはいかない!復讐を果たすためには逃げ
なくては!﹄
もう一人の僕は強くそう主張したけれど⋮⋮
僕はもうここで、捕まってすべてが終わってしまってもそれでいい
と思えていた。
﹃母親の最後の言葉を忘れたのか﹄ もう一人の僕のその言葉に⋮
⋮少しだけ気持ちが揺れた。
﹃どうか仇をとって⋮⋮﹄母の最期の言葉︱︱僕はずっと母のその
最期の願いを叶えるためだけに生きてきたのだ。
だけど⋮⋮もう、僕は疲れてしまった。
もう、誰も傷つけたくなかった。
僕のことが役人に知れれば、ディーク家が隠しているこの部屋も暴
かれるだろう。
はじめは息子を生かすための怪しげな魔法研究のため、その後は闇
の魔力の研究のため、木を隠すなら森の中がよいとあえて魔法学園
内に作られたこの隠し部屋。
母が命を奪われ、僕が人生を奪われた場所。
ここで、すべてが終わるのは⋮⋮もしかしたら運命なのかもしれな
546
い。
だから、僕はこの隠し部屋の中でただ、じっと待ち続けた。
僕の破滅がやってくるのを︱︱︱
僕が想像していたよりずっと早くにその時は訪れた。
マリアを閉じ込めていた部屋に何者かが入り込んだ気配を感じた。
僕のいる部屋より地上に近いその部屋は、地下に降りる通路と厚い
ドアに阻まれているため、部屋の様子をしっかり把握することはで
きないが、それでも人が入ってきた気配ぐらいはわかった。
遂に、マリアを救出し、僕を捕えるための役人がやってきたのだ。
もう一人の僕は﹃まだ、逃げられる!全員に闇の魔法を使え!﹄と
喚き続けていたが⋮⋮
僕は、ただ終わりの時を静かに待った。
そして、階下に降りてくる足音がして、僕のいる部屋の扉が開いた。
おそらく武器を携えた役人が立っていると思っていた僕は、扉から
現れた人物を認識した途端、おもわず固まってしまった。
ジオルド・スティーアート、キース・クラエスなど生徒会メンバー
が現れるかもしれないことは、ある程度予測していた。
彼女を心酔する彼らが、彼女の命を奪おうとした僕を、自分の手で
547
捕えてやりたいと思うのは自然なことだ。
しかし⋮⋮僕は目の前に立った人物を凝視する。
なぜ、この人物がここにいるのか、わからなかった。
向かい合って暴言をあびせられ、魔法でその命を奪われそうになっ
たというのに⋮⋮
なぜ、彼女はまた僕の前に現れたのか⋮⋮
﹁⋮⋮どうしてここにお前がいる﹂
僕の問いに彼女はあっけらかんと答える。
﹁眠り続ける魔法が解けたので﹂
まるで以前と変わらぬ態度で、カタリナ・クラエスが僕の目の前に
いた。
まさか中庭であったこと、自分がされたことを忘れてしまっている
のか⋮⋮
﹁そうじゃない!魔法が解けたのはわかっている!⋮⋮あのような
目にあって、なぜまたのこのこと僕の前に姿を現したのだというこ
とだ!﹂
﹁ああ、そういう意味ね。別に、それほどひどいことされたように
は思えないので﹂
あいかわらず、何でもないようにカタリナは言う。
548
殺されかけたと言うのに、彼女はどういうつもりなのか。
かなり楽天的なアホなのか、それとも本当に聖女のように広い心を
持っているのか。
それとも単純に︱︱
﹁⋮⋮お前、自分のされたことを理解していないのか?﹂
そう尋ねるとカタリナは︱︱
﹁いえ、ちゃんとわかっていますよ。闇の魔法で眠らされたんでし
ょう?﹂
当たり前のようにそう答えた。
﹁その通りだ!それで僕はお前の命を奪うつもりだったんだ﹂
いまいち理解しているとは言い難いカタリナに僕は、はっきりそう
言ったが⋮⋮
﹁う∼ん。それは嘘ですね﹂
﹁⋮⋮嘘だと⋮⋮﹂
﹁だって、本当に命を奪おうと思ったなら、ただ眠らせるよりその
場で殺してしまう方がずっと楽なはずだもの﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
変わらずに当たり前だという風に言い切るカタリナに⋮⋮僕は言葉
を失った。
⋮⋮確かにカタリナの言うとおりだ。
549
あの時、わざわざ闇の魔法で眠らせるよりも、あの場で殺してしま
った方がずっと簡単なことだった。
でも⋮⋮僕はそうしなかった⋮⋮
いや、できなかったのだ。
僕は、本当は︱︱︱
﹁私が、ここにきたのはもう一度、会長とちゃんと話がしたかった
からです﹂
﹁⋮⋮はなし⋮⋮﹂
一体、この少女は何を言っているんだ⋮⋮
﹁そうです。あの時の会長⋮⋮すごく苦しそうな顔で⋮⋮泣いてい
たから⋮⋮⋮だから、もう一度、ちゃんと話を聴かせて欲しかった
の⋮⋮﹂
水色の瞳が真っ直ぐに僕を見つめていた。
胸が苦しくなり、呼吸がうまくできない。心がひどく乱れた。
﹁⋮⋮この偽善者が⋮⋮それで、他の奴らのように僕のことも救っ
てくれるとでもいうのか?聖女カタリナ・クラエス様﹂
気がつけば、思わずそんな風に吐き出していた。
僕のことなんて、何もしらないくせに⋮⋮裕福な公爵家で幸せに育
った女に何がわかるというのだ。
ここで、カタリナ・クラエスが﹃救ってあげる﹄とでも言ったなら
⋮⋮僕はきっと恵まれて大切に育てられたご令嬢の思い上がりを軽
550
蔑しただろう。
しかし⋮⋮カタリナはそんな僕の思考とは正反対なことを言い切っ
た。
﹁それは無理だわ!﹂
カタリナはまっすぐに僕を見ていた。
﹁だって私は主人公じゃないもの。私は、ただのライバル役の悪役
令嬢なんだから、人を救うなんて出来るわけないわ!﹂
主人公?ライバル?正直、意味の分からない言葉を並べられたこと
にも面食らったが⋮⋮
まさかこんなにはっきり﹃無理だ﹄と言いきるなんて⋮⋮
カタリナ・クラエスの考えていることがまったくわからない。
僕は茫然と目の前に立つ少女を見つめる。
すると︱︱
﹁⋮⋮救ってあげることはできないけど⋮⋮でも、傍にいることは
できるから﹂
カタリナは優しく微笑んでそう言った。
﹁傍にいて、悲しい時、辛い時には話を聞いて、元気がでるまで一
緒にいるわ﹂
それは、かつて母が言ってくれた言葉と同じものだった。
551
心配をかけまいと隠れて泣いていた僕を、母はそう言って抱きしめ
てくれたのだ。
カタリナの言葉で、そのことを思い出した時、僕の頭の中で何かが
はじけた。
頭の中にかかっていた靄が晴れていくような感覚。
本当は、ずっと疑問を感じていたのだ。
﹃どうか仇をとって﹄という母の最期の言葉⋮⋮優しくて、いつも
自分のことより僕のことばかり心配していたあの母が、本当にこん
な言葉を残したのだろうかと。
そして、今はっきりと思い出した。
母はそんな言葉を残していなかったことを︱︱
そうだ。なぜ、こんな風に思い違いをしていたのだろう。
母の本当の言葉は︱︱
﹁⋮⋮どうか⋮生きて、生き残って、幸せになって⋮⋮愛している
わ⋮⋮﹂
そう、母は仇をうつことなんて、望んでいなかった。
母は最期に僕が生きて幸せになることを願ったのだ。
だから、僕は何としても生き残こらなければならないと思ったのだ。
気が付けば、カタリナがすぐ近くまできていた。
﹁だから、一人で泣かないで﹂
552
カタリナが優しい笑顔で僕に手を差し出す。
なぜか、視界はひどく歪んでいた。頬が濡れている。
﹁一緒にいきましょう︱︱︱ラファエル﹂
ラファエル、それは僕の本当の名前だった。
母が名づけてくれた大切な大切な名前。
僕を差し出された手に向かって手を伸ばす⋮⋮すると⋮⋮
﹃おい、何をしている。こんな奴のいうことなんて聞くな!むしろ、
油断して近くまできているんだ。このまま、こいつを人質にして逃
げれば、まだ逃げ切れる!﹄頭の中のもう一人の僕が僕を怒鳴りつ
けた。
僕は、そんなもう一人の僕にかえした。
﹃そんなことはしたくない。僕はもう復讐なんてしない!﹄
﹃⋮⋮な、なにを﹄
怯んだ様子のもう一人の僕に、僕は問う。
﹃それから、お前は誰だ?﹄と。
復讐ばかりを唱えるもう一人の僕、その意見に従いこれまでやって
きた。
母の最期の言葉をことさらに持ち出していたのもこいつだ。
しかし⋮⋮こいつの口から語られる母の言葉は偽りだった。
こいつは僕を騙して唆していた。
553
大好きだった母の最期の言葉を捻じ曲げてまで復讐を叫んだ、もう
一人の僕。
僕はようやく気が付いた。こいつは僕ではないと。
そう確信すると、ずっと自分だと思っていた姿の、本当の姿が見え
てきた。
もう一人の僕⋮⋮僕だと思っていた⋮⋮その人物は︱︱︱
真っ黒な服を着た男⋮⋮あの日、母に死をもたらしたあの黒の男だ
った⋮⋮
﹃⋮⋮気づいたか⋮⋮﹄
黒の男が皮肉な笑みを浮かべる。
﹃⋮⋮ずっと、僕のふりをして僕をいいように操っていたんだな﹄
あの日、この男は死の瞬間に僕に触れた。
その時に、僕に闇の魔力と、そして自分の意識を僕の中に入れ、操
っていたのだろう。
そして、母の最期の言葉の記憶も捻じ曲げていた。
﹃お前の望みを叶えるために手をかしてやっていただけだろう﹄
黒の男が憎々しげに言う。
﹃⋮⋮確かに、僕もあいつらをひどく憎んだ。⋮⋮でも、僕が生き
残ったのは復讐のためなんかじゃない!僕は幸せになるために生き
残ったんだ!﹄
554
そう、母の最期の願い︱︱幸せになるために僕は生き残ったんだ。
⋮⋮だから、もうこの男の存在を消さなければならない。
闇の魔法はかけたものにしか解けないという常識は、目の前の少女
が覆してくれた。
﹁大丈夫﹂
カタリナの暖かい手が、僕の手を包み込んでくれていた。
僕は黒の男を見据えて、強く願った﹃もう復讐は終わりだ。お前の
存在はいらない﹄と。
﹃くそ⋮⋮軟弱なお前をここまで導いてやったのは誰だと思ってい
るのだ⋮⋮この裏切り者が⋮⋮﹄
そう吐き捨てながら⋮⋮黒の男の姿は消えた。
顔をあげるとカタリナが優しい笑みを浮かべて僕をみていた。
555
卒業式を迎えました︵前書き︶
第三十五話︵最終話︶更新させていただきましたm︵︳︳︶m
556
卒業式を迎えました
シリウス・ディーク、本当の名をラファエル・ウォルト。
ディーク侯爵と、侯爵家で働いていたメイドであった女性の間に生
まれたという彼は、私達にすべてを話してくれた。
自分がどう育ったのか、どうしてシリウス・ディークとして生きて
きたのか。
闇の魔力をどうやって手に入れたのか。
そして、この七年間ずっと、闇の魔法によって操られていたこと。
その話を聴いて、彼を犯罪者として役人に突き出そうと意気込んで
いた、皆の気持ちも変わった。
元々、彼の罪を問おうなどと思っていなかった私はともかく、マリ
アも数日にわたり閉じ込められていたことを許すことにしたようだ。
特に、マリアは、あの時、ラファエルにかかっていた闇の魔法が解
ける瞬間をその目で見たらしく、より彼の話を信じることができた
のかもしれない。
しかし、ラファエルは、自ら役人の元に行くことを決めた。
﹁自分の口でちゃんと話をしたいのです。僕と母がされたこと⋮⋮
黒の男のこと⋮⋮それから本物のシリウスのことも⋮⋮それに操ら
れていたとはいえ⋮⋮⋮僕のしたこともきちんと話さなければいけ
ませんから﹄
557
ラファエルはそう言って、ディーク侯爵夫人とその手下達の罪、そ
して自分の罪を話すために役人の元へ向かったのだ。
それから、しばらくしてディーク侯爵夫人とその配下の者達が、捕
まったとの噂が密やかに流れ始めた。
殊に禁忌の魔法が関わっているだけに、公にこそされていないが、
おそらく今後、彼らはなんらかの形で罪を償うことになるのだろう。
しかし、噂の中にラファエルの話は聞こえてこず、役人の元に向か
った彼がその後、どうなったのか、まったくわからず、とても心配
していた。
そして、数か月が立ち、卒業式まであとひと月程度を迎えた頃のこ
とだった。
卒業式が近くなり、生徒会のメンバーである皆はとても忙しい。
なので、そんな皆の邪魔をしないように、私は畑仕事にでも精をだ
そうと、畑の道具を取りに寮へと歩いていた。
﹁カタリナ・クラエス様﹂
なんだか聞き覚えのある声に呼ばれ振り返る。
そこにはあまり目立たない茶色の髪に、魔法省の人たちがよく着て
いる制服のようなものを着た一人の少年が立っていた。
558
雰囲気はひたすら地味な感じで、たぶん声をかけられなければその
存在にも気が付かないのではないかという程にぱっとしない少年だ
った。
あれ?この子は誰だっけ?
声をかけてきたということは知り合いの可能性が高いが⋮⋮思い出
せない。
そんな風に考えながら、少年の目を見た。
すると、それは私のよく知る灰色の優しい瞳だった。
﹁⋮⋮まさか、ラファエル?﹂
まさかと思いつつも、茫然とそう返すと。
少年、ラファエルは大きく目を見開いた。
﹁よくわかりましたね。こんなに見た目を変えたのに﹂
ああ、やっぱりラファエルだった。
数か月ぶりに見るその姿は確かに以前とは全然、違っていたが、そ
れでも灰色の優しい瞳は彼のままだった。
私がそんな風にいうと、ラフェエルは、はにかんだような笑顔を見
せた。
それは久しぶりに見た彼の笑顔だった。
﹁戻ってこられたの?﹂
559
ここにこうして一人立っていると言うことは、また学園に戻ってこ
られたということなのだろう。
﹁はい。皆さんが色々、証言してくださったこともあって、こうし
て戻ってくることができました﹂
私達は少しでも彼のためになればと、彼に聞いたこと、マリアの見
たもの、それに今までの優しい彼のことを、コネを使って役人のお
偉いさんに訴えていた。
それが、少しでも彼の役に立ったならよかった。
それにしても、あまりに以前と違う、その姿に驚いてしまう。
なぜ、こんなにも姿をかえたのだろうか⋮⋮
﹁もしかして、また新入生として学園に入るの?﹂
彼はあの事件後、そのまま学園を去っている。
表向きは﹃体調を壊して療養するため﹄となっているが、すでに社
交界ではディーク侯爵夫人が捕まったという噂が密やかに流れてい
るため、息子であるシリウスも事件になにか関わっていたのではな
いかと噂になっている。
なので、もう一度、素知らぬ顔でシリウス・ディークとして学生を
するのは厳しい。
だが、ここまで姿を変えているならば、別の人物として新たに入学
することも可能だろう。
彼の新たな姿を見てそう思ったのだが。
560
﹁いいえ。もう学生には戻りません。ちゃんと卒業できなかったの
は残念ですが。これからは魔法省で働かせてもらうことになりまし
た。ラファエル・ウォルトとして﹂
自らにかかっていた闇の魔法を解いたラファエルは、それと同時に
闇の魔力も失っていた。
それでも、彼、ラファエル・ウォルトには自ら持つ高い魔力があっ
た。
その魔力を評価され、魔法省に入職となったらしい。
まぁ、裏には禁忌とされる魔力を自分の意志ではないにしろ一時的
に得てしまったという事実があり、その身柄を魔法省で預かった方
がよいという考えもあったのだそうだが。
そんな事情もありながら、当分はこの魔法学園内にある魔法省の施
設で働くのだという。
そのため、学園の生徒にばれて色々、騒ぎにならないように、姿を
変えたのだと言う。
とても同一人物に見えないその姿は、なんでも変装のプロの直伝に
よるものらしい。
変装のプロってなんだと思うが⋮⋮顔の形なども変えてあるかなり
高度な変装である。さすがはプロ直伝。
世間が落ち着くまで、しばらくこの姿でいるそうだ。
﹁じゃあ、またこうして会うことができるわね﹂
﹁そうですね。同じ敷地にいますから﹂
﹁ふふ。じゃあ、また機会があったら、あの美味しいお茶を入れて
561
もらえますか?﹂
﹁はい。喜んで﹂
そう言って笑ったラファエルが、唐突に私の前で、跪いて手を差し
出した。
それは昔、ジオルドが婚約を申し込んできた時と同じポーズだった。
え、なに?何事なの?
訳がわからず戸惑っていると。
﹁カタリナ・クラエス様、改めてお願いをします。私、ラファエル・
ウォルトはあなたの傍で生きたいのです。どうか傍にいることをお
許し願えますか?﹂
なんだか、堅苦しい台詞に聞こえたが⋮⋮ようは、これからも仲良
くしましょうってことよね。
﹁もちろんです。これからもよろしくお願いします﹂
私は、笑って差し出された彼の手をとった。
﹁あ、でしたら、その⋮⋮どうも、あなたからの様付けは落ち着か
ないので、いままで通りに呼んでもらいたいのですけど﹂
私がそう言うと、ラフェエルは少し困ったように笑った。
562
★★★★★★★★
遂に⋮⋮遂に、この時がやってきてしまった。
現在の二年生である先輩たちの卒業式を、明日に控えた夜、私はひ
とり寮の自室で拳を握りしめていた。
そう遂にやってきてしまったのだ。
乙女ゲーム﹃FORTUNE・LOVER﹄の最終イベントである
卒業式が⋮⋮
平民の主人公が貴族ばかりが集う、魔法学園に入学して一年間、魔
法の勉強をしながら、生徒会メンバーの先輩や同級生と恋をするこ
のゲームは、先輩達の卒業とともにゲーム終了となる。
卒業式、主人公は攻略対象の誰か、あるいは逆ハーレムルートなら
ば全員と結ばれる。
カタリナ・クラエス断罪イベントこそ、なんとか乗り切った私だっ
たが、まだゲーム終了のその時まで油断はできない。
正直、今ではすっかり大切な友人となった皆が、私を身一つで国外
追放にしたり、ましてや命を奪うなんて考えられないけれど⋮⋮最
後まで、用心は必要だ。
563
私は、トムさんと作った最高傑作のヘビの玩具を、ドレスのポケッ
トに入れるために準備する。
また、もしも追放される事態になった時のために、自前の鍬と、作
業着、あと農業関係の本をひとまとめにしていつでも持っていける
ように準備する。
その勢いを評価されている剣の腕前。
完璧にできたヘビの玩具と、それをすばやく投げつける技。
緑の手を持つメアリの指導の元、もう枯らすことなくちゃんと育て
られるようになった野菜。
そして日々、畑を耕し続けてきた鍬さばき。
前世の記憶を取り戻してから、八年間の努力が遂に試される時がや
ってきたのだ。
くるならきてみなさい!破滅フラグ!
この八年間の集大成!カタリナ・クラエスが相手になってやるわ!
私は握った拳を天井へと掲げる。
そうして、一人闘志を燃やしていると、部屋の扉がノックされてア
ンが入ってくる。
﹁お嬢様。明日、ニコル様にお渡しするお祝いの花束をご自分で準
備されるとおっしゃっていましたが、ちゃんと準備されたのですか
564
?﹂
天井に拳を掲げる私を怪訝な目で見つめつつ、アンがそう聞いてき
た。
この学園の卒業式では、お世話になった先輩にお祝いを贈るという
風習がある。
まぁ、その辺は前世の学校と同じだ。
ちなみに私は、色々とお世話になったニコルに、お祝いを渡す予定
だ。
このお祝いだが、花束が主流である。
中にはお金をかけたアクセサリーなどを送る人もいるらしいが、そ
れは特別な間柄だけらしい。
なので、私も花束を用意すればいいのだが。
ここで、私は考えた。
魔性の伯爵であるニコルは、それはそれは人気者である。
なにせ愛好会と言う名のファンクラブ的なモノまであるらしい。
それなら、ニコルは、それは沢山の花束を貰うことになるだろう。
ならば⋮⋮もう花束はいらないのではないか。
だいたい、そんなに花束ばかり貰っても保管に困るだろうし、正直、
花束には飾るという他に特に使い道はない。
なので、私は特別製のモノを用意したのだ。
565
そして、私は得意げにその用意したモノをアンに見せる。
綺麗に包まれたそれは一見すると花束に見えるが、よく見ればそう
でないことがわかる。
﹁どう、画期的でしょ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
本当に、よく思いついたわ。私って素晴らしい。
さぁ、ニコルへの贈り物もばっちり用意したし!破滅フラグ対策も
万全!
﹁⋮⋮あの、お嬢様、これは一体⋮⋮﹂
明日はいよいよ最終決戦!
﹁⋮⋮あの?お嬢様?聞いています?﹂
私はもう一度、握った拳を高々と天井へ掲げた!
こうして、決戦前夜の夜は更けていった。
★★★★★★★★
566
卒業式は殆ど、入学式と同じような感じでつつがなく行われた。
卒業生代表の挨拶はニコルが務めた。
本来ならばシリウス・ディークが務めるはずだったらしいが、彼は
もうここの学生ではないので仕方がない。
ニコルの挨拶に男女年齢問わず、多くの人が顔を赤らめ、甘いため
息を吐き、すっかり魅了されていた。
本当に恐ろしい魔性っぷりだった。
在校生代表の挨拶は、ジオルドが務めた。
ちなみに来年の生徒会長も彼が務めるらしい。
ジオルドの挨拶でも、沢山の女の子たちが赤くなってため息をつい
ていた。
さすが、見た目は正統派の美形王子なだけはある。
そうして、沢山の人の切ないため息を聴きつつ、式は無事に終了し
た。
そして、遂にその時が、私にとって本番である乙女ゲームのエンデ
ィングイベントの時がやってきた。
卒業パーティーである。
式が終了すると学舎の中庭で、学生全員参加の、立食パーティーが
開かれる。
567
この卒業パーティーの中で、主人公とその意中の攻略対象はこっそ
りと会場から抜け出し⋮⋮
そして、そこで攻略対象が主人公にその熱い思いを打ち明けて結ば
れるのだ。
よって、私の今後はマリアの動向、つまりマリアが誰と会場を抜け
出すかによって決まるのだ。
なので、いつも以上にマリアの隣にべったりとくっつく。
しかし、ただマリアにべったりしているだけという訳にもいかない。
なにせ、卒業のお祝いのパーティーなのだ。
ちゃんと先輩たちにお祝いを言わなくてはいけない。
とりあえず、一番にお祝いを渡さなければならないニコルの元にマ
リアと共に向かう。
私達が行った時には、ニコルはすでに多量の花束を手にしていた。
さらに横に置かれた袋の中にも、花束があふれていた。
これは想像以上だ。
そのあまりの量にあっけにとられつつ、マリアと共にニコルの傍に
寄りお祝いを言う。
そして、マリアに先に花を渡してもらった。
マリアの用意してきたのは、高価ではないが可憐で可愛らしいマリ
アらしい素敵な花束だった。
続いて私も準備してきた特別製の例のモノを渡す。
568
一見して、花束に見えるそれを、稀にしか見られない素敵な笑顔で
受け取ったニコルは⋮⋮その中身を確認し、そのまま固まってしま
った。
そんなニコルの様子を不審に思ったのか、傍にいたアランがその手
元を覗く。
﹁おい、どうしたんだ⋮⋮ってこれなんだ!?草か!!﹂
アランはそう言って大きな声をあげ、その声にジオルドやキースま
で寄ってくる。
そんなアランに私はむっとして返した。
﹁失礼な!草なんかではありませんわ!野菜です!﹂
﹁⋮⋮野菜?﹂
アランが怪訝な目で再び、ニコルの手元を覗き込む。
ニコルも一緒になって自分の手にあるモノを確認していた。
少し、離れてジオルドとキースも成り行きを見守っている。
﹁花束ばかりをもらっても困ると思って、畑で採れた野菜を束にし
て包んだのです。これなら、飾って捨てるだけじゃなくて、お腹を
満たすことができると思いまして﹂
花束ではなく、名づけて野菜束だ!
今の時期の我が畑にはあまり色どりのよい野菜はなく、ニラやネギ
など緑もの中心であるため、確かに多少、草的な感じはあるかもし
れないが、花束と違ってお腹を見たせる優れものだ。
569
ああ、なんて素晴らしいアィディア!
私は自身の発想の素晴らしさに、一人、自画自賛した。
しかし⋮⋮
﹁⋮⋮ってこれどう見ても草⋮⋮っていうか野菜って⋮⋮ぶっ⋮﹂
なぜか、アランは爆笑した。
なんだ、何が可笑しいというのだ。本当に失礼な奴だ。
固まりが溶けたニコルは﹃ありがとう。大切に食べるよ﹄と言って
くれたし、マリアも﹃美味しそうですね﹄と言ってくれた。
ちなみに、ジオルドはまた俯いてずっと肩を震わせており、キース
はなんだか呆れたような視線を送ってきた。
そんな風に過ごし、気が付けばパーティーも終盤へと差し掛かって
いた。
正直、私はだいぶ焦れていた。
なぜなら、マリアにちっとも会場を抜け出す様子が見られないのだ。
むしろ﹃今日はずっとカタリナ様と一緒で嬉しいです﹄と私の隣で
楽しそうにしている。
なぜだ、マリア、あなたには意中の攻略対象はいないのか⋮⋮
570
はっ!それともまさかいつの間にか、逆ハーレムルートになってお
り、このまま全員と結ばれるのか!
逆ハーレムルートはクリアしていないので、そのエンディングはわ
からないが、あっちゃん情報だとやはりカタリナは破滅するらしい
⋮⋮
ああ、どうなの?マリア、逆ハーレムなの、それともこれから誰か
と結ばれるの!
焦れて焦れて焦れて⋮⋮待ちきらなくなった私は⋮⋮遂に⋮⋮
﹁ねぇ、マリア。あなた好きな人はいないの?﹂
もう直球に聞いてしまっていた。
突然、そんな問いかけをされて、ひどく驚いた様子のマリアだった
が、しだいにその頬を赤くして。
﹁私は、カタリナ様をお慕いしております﹂
といういつもの天然発言でかえしてくれた。
﹁⋮⋮あの、マリア。それはそれでありがたいのだけど⋮⋮そうじ
ゃなくて、気になったり、お付き合いしたいと思うような異性はい
ないのかな?ということなのだけれど﹂
今度こそ、通じるはずだとはっきりと聞く。
﹁⋮⋮気になったり、お付き合いしたいと思う⋮⋮異性⋮⋮﹂
571
私の言葉をくりかえして考え込むマリアを、私は固唾を飲みつつ見
守る。
さぁ、はっきり教えてちょうだい!
マリア、あなたはどの攻略対象と結ばれるの?
﹁⋮⋮いませんね﹂
﹁⋮⋮はぇ⋮⋮﹂
マリアから出たその答えに私は思わず、情けない声をあげて、固ま
ってしまった。
え?なに?いませんって言ったのいま?
混乱する私をよそにマリアが、はっきりとした口調で続ける。
﹁私には、気になる異性はいません。私が気になるのも、お慕いし
ているのも、ずっと傍にいたいと思うのも、カタリナ様なのです﹂
そう言ったマリアは、私の両手を取り握った。
﹁ですから、これからもずっとカタリナ様の傍にいさせてください﹂
それは、どこかで聞いたことのある台詞だった。
あぁ、そうだ。この台詞は主人公が結ばれた攻略対象に最後に言う
台詞だ。
﹃これからもずっとあなたの傍にいさせてください﹄攻略対象の手
を取りそう言うのだ。
でも、なぜそれを私に言ったのだろうか⋮⋮
状況が分からずに⋮⋮混乱していると。
572
マリアに握られていた手にもう一つ別の手が伸びてきた。
﹁マリア様、抜け駆けはいけませんわ。私もずっとカタリナ様と一
緒ですわ﹂
そう言ってマリアの手の中から、私の手を取るとメアリが優雅に微
笑んだ。
﹁私も、私もです!カタリナ様!ずっとずっと一緒にいさせてくだ
さい!﹂
メアリの横から顔を出したソフィアが興奮した様子でそう言えば。
﹁ならば、俺も。許される限り共に﹂
ニコルがいつもの無表情でそう言う。
﹁そ、それなら、俺だって!﹂
そう言ってアランも前に出てくる。
﹁皆、何を言っているのですか。カタリナは僕の婚約者なのですよ﹂
悠然と現れたジオルドが、メアリにとられていた手をさっと奪って
いく。
すると今度は、横から出てきた別の誰かの手に、また手を取られる。
﹁ジオルド様、前から何度も言っていると思いますが、姉さんに王
子様の妃は勤まりませんよ。どうか婚約はなかったことに。姉のこ
とは僕がきちんと面倒をみるので﹂
573
ジオルドの手から私の手を取り上げキースが言う。
すると、なにやら私をそっちのけで皆がワーワーと盛り上がりだし
てしまう。
﹁キース。何度も言っているけど、婚約は解消しませんから。カタ
リナは必ず僕の妃にします﹂
﹁いいえ。ジオルド様、大切な姉を貴方だけに独占させる訳にはい
きません。必ず婚約は解消させていただきます﹂
﹁確かに、ジオルド様に独占させないためにも、まずは、婚約解消
してもらわなくてはいけませんわね。キース様、このメアリ・ハン
トも力お貸しいたしますわ﹂
﹁そうですね。ジオルド様にだけ独占されるなんて嫌ですわ。メア
リ様、私にもお手伝いさせてください。兄様もぜひ協力してくださ
い﹂
﹁⋮⋮お前たちがそう言うならば﹂
﹁え、それなら俺だって協力するぞ!﹂
﹁私も、きっと役に立ちます!ぜひ、手伝わせてください!﹂
﹁⋮⋮⋮よってたかってひどいですね。あなた達は⋮⋮でも絶対に
渡しませんからね﹂
気が付けば、キースに取られていた手も自由になっていたが⋮⋮
うん、もうすごい蚊帳の外感が半端ない。
もう皆が何の話をしているのかさえわからない⋮⋮
574
ちょっぴり寂しくなりながらも、ワーワーと実に楽しそうな皆を見
つめる。
その様子はとても仲が良さそうなのだが⋮⋮そこに恋愛的なものは
見えない⋮⋮
逆ハーレムルートならば、もう少し甘い雰囲気になるはずだ。
そもそも、メアリやソフィアが加わっている時点で違う気がする。
ちょっと蚊帳の外に置かれているが⋮⋮私を破滅に追いやるような
様子もない。
私はまだ、だいぶ混乱しつつも、必死に頭を働かせた。
え∼と。これは⋮⋮この状況は⋮⋮おそらく⋮⋮皆お友達の友情エ
ンド?
友情エンド、それは別名ノーマルエンド。
主人公が、どの攻略対象とも結ばれず、皆いいお友達で終わる。
恋愛ゲームとしては、誰とも恋ができなかったという、ある意味バ
ッドな終わり。
マリアがなぜか、私に例の結ばれた攻略対象に言う台詞を言ってく
るなど、前世で、私がやった友情エンドと違う所もあるが⋮⋮
それでも、この皆で楽しそうな様子は⋮⋮確かに前世のゲームでみ
た友情エンドによく似ていた。
575
私は内心、攻略対象の皆はすでにマリアにメロメロに違いないと思
っていた。
だって、マリアは本当に、可愛くて優しくて、なぜか良く目にする
頬を赤く染めて恥じらう様子など、ライバルキャラの私ですらドキ
ッとしてしまう程のものだったから。
それに、ジオルドやキースなんかは、私がマリアにくっついている
と、よく引きはがしにきており、これはすっかりマリアに心奪われ、
私に嫉妬しているのだなと思っていた。
だからこそ、マリアは必ず誰かと、あるいは全員と結ばれるだろう
と思っていた。
それなのに⋮⋮まさかの友情エンド⋮⋮
友情エンドではどのライバルキャラにも痛手はこない。
だって、皆、只の友人で終わるのだから。
つまり⋮⋮私、カタリナ・クラエスに破滅はやってこない⋮⋮
張っていた気と一緒に、身体に入っていた力もいっきに抜けていく。
かなりの放心状態で、楽しそうに話す友人達をボーと眺めていると、
パーティー終了の声がかかった。
こうして、卒業パーティー。
そして⋮⋮乙女ゲーム﹃FORTUNE・LOVER﹄は終わった。
576
あまりにも予想外なエンドであったが⋮⋮私にとって実にすばらし
いエンドを迎えて。
★★★★★★★★
卒業パーティーを終えてから、私達は生徒会室に移動した。
ここで生徒会メンバーとおまけの私で、ニコルのお疲れ様会をする
ことになっていた。
お疲れ様会といってもパーティーのすぐ後なので、軽いお菓子とお
茶で少しおしゃべりする程度だ。
この会には学園の他の生徒にばれないように、元生徒会長シリウス・
ディークであったラファエルもよんであった。
なんだか恐縮した様子で現れた彼を、皆、暖かく迎えた。
後輩であるメンバーは皆、花束を用意していて、ラファエルはそれ
を嬉しそうに受け取った。
ただ、私の特製、野菜束を渡した時は、ニコルと同じように少し固
まっていた。
おそらく、私の素晴らしいアイディアに驚いたのだろう。
こうして久しぶりにそろった生徒会メンバーとともに、楽しい時を
過ごす。
577
﹁どうぞ、カタリナさん﹂
ラファエルが笑顔でお茶を差し出してくれた。
﹁ありがとうございます﹂
お礼を言って受け取り、そのお茶を喉に流す。
久しぶりに入れて貰ったお茶は以前と変わらず、とても優しい味が
した。
なんでも昔、疲れて帰ってくるお母さんのためにいっぱい練習した
のだそうだ。
そう言って話してくれたラフェエルの顔はとても穏やかだった。
﹁カタリナ様、よろしかったらこちらもどうぞ、召し上がってくだ
さい﹂
マリアがそう言ってお菓子を勧めてくれた。
﹁わぁー、今日のも一段と美味しそうね。初めてみるお菓子だけど、
これもマリアの手作り?﹂
フワフワのスポンジケーキのようなモノの上に、シロップがたっぷ
りかかっていて、見ているだけで、涎がたれてきそうなそれは、今
までのマリアの作ってきたお菓子では見たことのないものだった。
﹁はい。新しく考えたのです。母と一緒に﹂
﹁まぁ、お母様と?﹂
﹁はい。カタリナ様が私の作ったお菓子をとても喜んでくださると
578
話したら、いつも同じものでは飽きてしまわれるのではないかって、
一緒に新しいレシピを考えたんです﹂
﹁そうなの。マリアのお菓子に飽きる日がくるなんて絶対ないと思
うけど、それでもとても嬉しいわ。ありがとう。お母様にもぜひ、
お礼を言っておいて﹂
﹁はい。伝えておきます﹂
そう言ってマリアは嬉しそうに微笑んだ。
いただいた、マリアの新レシピのお菓子は見た目以上に美味で、も
う手が止まらなかった。
﹁カタリナ⋮⋮そんなに沢山、いっきに食べるとまたお腹を壊しま
すよ﹂
﹁そうですよ。姉さん。卒業パーティーの時も他の人に比べてかな
り食べていたでしょう。いいかげんにしないと﹂
夢中でお菓子を頬張る私に、ジオルドとキースから注意がとんでき
た。
うっ、二人ともよく見ていらっしゃる。まるで、お母様のようだ。
これでお腹を壊したら、それ見たことかと怒られる。
ジオルドには笑顔でネチネチと。
キースには困り顔で長々と。
しょうがない。少しだけセーブしておくか。
私は少しだけお菓子を頬張る速度を落とした。
579
﹁カタリナ様、最近、新しい小説のシリーズを買いましたの。とっ
てもいいお話なので、ぜひ、また一緒に読みましょう﹂
少しスローペースでお菓子を頬張っていると、ソフィアがそう言っ
て、新しいロマンス小説のお勧め話をしてくれた。
とても私好みの小説で、すぐに貸していただくことになった。うん。
非常に楽しみだ。
そうして、小説の話で盛り上がっていると。
﹁カタリナ、またしばらく会えなくなるが、妹を頼む﹂
ニコルがいつもの無表情でそう言ってきた。
﹁いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします﹂
私が笑顔でそう返すと、ニコルはまたあの魔性の微笑みを浮かべた。
⋮⋮うん。本当にすごい魔性の力⋮⋮長年の付き合いでだいぶ免疫
のある私でも、思わず頬が赤くなりそうだ。
ニコルとはまた一年程、あまり会えなくなる。
私も寂しいが、兄が大好きなソフィアはより寂しくなるだろう。
﹃お兄様、いつでも訪ねてきてください!また一年も蚊帳の外では
他の方に後れをとりますから!﹄と頻繁にやってくるようにお願い
をしていた。
正直、後半の方の意味はよくわからなかったが。とにかくソフィア
は兄が大好きなのだ。
580
﹁カタリナ様、次の春、畑では何を育てる予定ですか?﹂
ソフィアのブラコンぶりを微笑ましく見ていると今度は、メアリが
そんな風に聞いてきた。
そう、もうすぐ春がやってくる。今年の畑では何を育てようか。
新しい野菜を育ててみようかな。うん。今から、とても楽しみだ。
メアリが﹃今年もお手伝いしますよ﹄と言ってくれる。
緑の手をもつメアリがいれば、百人力だ。
﹁⋮⋮畑もいいが⋮⋮お前、畑に入る時のあの被り物だけでも、い
い加減に何か違うものに変えろよ⋮⋮どう見ても農民のおばちゃん
にしか見えないぞ﹂
アランがそんなことを言う。
そもそも、これはもう何回か言われている。
正直、畑仕事は動きやすく作業しやすい恰好が一番だが⋮⋮そんな
に言われるなら少し改善してみようか。
﹁⋮⋮わかりました。少し改善しますわ﹂
確かに私の使っているほっかむりは、無地で地味な色合いが多い。
おばちゃんっぽく見えても仕方ないかもしれない。
よし!次からは思い切ってほっかむりの生地を花柄にしてみよう!
581
だいぶお腹も膨れてきた私は、テーブルから少し離れた窓辺に寄り、
腹ごなしをする。
皆はそれぞれ楽しそうに話したり、くつろいだりしている。
私は、そんな皆を見ながら、この八年間に思いを巡らせる。
八年前、八歳のあの日、前世の記憶を思い出した。
そして、ここが乙女ゲームの世界で、しかも自分が、破滅フラグし
かない悪役令嬢に転生してしまった⋮⋮と気が付いたときは、自分
はなんて不幸なんだと嘆いたものだ。
しかし、実際に蓋をあけてみれば⋮⋮ゲームとは全然、違った。
カタリナに無関心であるはずだったジオルドは、とても親切でいつ
もよくしてくれる。
カタリナを避けているはずだったキースは、いつも一緒にいて沢山、
助けてくれる。
本来は関わりのないはずだった、メアリ、アラン、ソフィア、ニコ
ル、ラファエルも、今ではかけがえのない大切な友人だ。
そして、本来なら敵対し、カタリナに破滅をもたらすはずだった主
人公、マリアも大事な友人となった。
﹁カタリナ様、大丈夫ですか?﹂
お腹を押さえつつ、窓辺によっかかる私に、マリアが心配そうに声
582
をかけてくれた。
﹁大丈夫よ。ありがとうマリア﹂
悪役令嬢カタリナ・クラエスになってしまうなんて、なんてついて
ないんだ⋮⋮不幸すぎると嘆いた日々⋮⋮
でも結局、危惧していた破滅が訪れることはなかった。
それどころか、こうして、私を気づかい、時には助けてくれる素敵
な友人達ができた。
魔力もしょぼくて、勉強もできない私を決して見捨てることなく、
大変な時、辛い時、いつも傍で支えてくれるかけがえのない大切な
人達。
今なら大きな声で言える。
こんなに素敵な人達に出会えて︱︱
私、カタリナ・クラエスは︱︱︱とても幸せ者だと。
窓の外から暖かい日差しが差し込み、春が近いことを告げている。
乙女ゲームのシナリオにはなかった新しい季節がやってくる。
583
おわり
584
卒業式を迎えました︵後書き︶
拙い話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
585
クラエス家に庭師として仕えて︵前書き︶
今まで活動報告で載せさせていただいていた小話を修正、追加した
ものと、本編後の一幕を一話あげさせて頂きました。 6.3︵
1/8︶
586
クラエス家に庭師として仕えて
私、トム・ウィズリーがこのクラエス公爵家に庭師として仕えても
うだいぶ長い時が流れた。
私は貧しい田舎の村に産まれ、まだろくに物心もつかぬうちに奉公
に出され、そのまま流されるままに各地を転々としながら生きてき
た。
元来、しゃべることが苦手で、おまけに顔つきもきつく、どこに行
っても人とうまく付き合えず、いつも黙々と一人で働いた。
そして少年から青年になった頃、手先が器用だったことと、植物と
相性が良かったことで、気が付けば庭師という職が定職となり、金
持ちの商人や貴族の屋敷で働くようになった。
庭師としての腕は次第にあがっていったが、それでも、人とうまく
付き合えない、世渡り下手なことが災いし、謂れのない因縁をつけ
られ、給金を取りあげられたり、手をあげられることもしばしばあ
った。
そんな日々の中、私の元にその人は現れた。
﹁この庭は君の仕事かい?﹂
ある貴族の屋敷の庭で、手入れの作業が終わった時、突然そう声を
かけてきたのは自分とそう年の変わらない美しい青年だった。
その着ているものからすぐに身分の高い者だとわかり、すぐに礼を
取ろうとしたのだが⋮⋮
587
﹁いいから。それでこの庭、君の仕事かい?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
真面目にていねいにいつも通りに作業したつもりだったが、何か不
備があったのだろうかと不安になりつつ私が頷くと、青年はその青
い瞳をキラキラ輝かせた。
﹁ここの家の庭はいつ見てもひどいセンスだと呆れていたのに、一
気に見違えたよ。君、素晴らしい腕だね!﹂
﹁⋮⋮あ、ありがとうございます⋮⋮﹂
あまりに真っ直ぐに向けられた瞳に、私は戸惑う。
﹁ところで、君はこの家の専属かい?﹂
﹁⋮⋮いえ。今だけ雇われているだけです﹂
﹁では、どこか他に雇われているところはある?﹂
﹁⋮⋮いえ、ありません﹂
人とうまく付き合えず、世渡りが下手な私は、一定の職場に馴染め
ずに点々と職場を渡り歩く生活を送っていた。
﹁では、うちに来て専属の庭師になってよ﹂
瞳をキラキラさせそう言って、強引に私をクラエス公爵家へと引き
ずった青年。
彼こそ、先代クラエス公爵の当主、その人であった。
そうして半ば、無理やりに引っ張られて連れてこられたクラエス公
588
爵家は︱︱とても働きやすい職場だった。
気のいい使用人たちに、賃金も休みも安定した職場環境︱︱そして、
私を強引に引っ張ってきた当主はとても気さくで親しみのもてる人
物だった。
多くの使用人たちから好かれる彼は、人づきあいが苦手で、他の使
用人たちとも、なかなか親しく話せない私にも、気軽に声をかけ、
町でのお忍びの遊びにまで引っ張っていかれた。
そんな風に一度、お忍びの遊びに一緒に行ってしまうと、すっかり
遊び仲間にされてしまいその後も、何度も何度も共に連れていかれ
た。
そうして、気が付けば公爵家の当主であるはずの彼が、ただの使用
人でしかない私を﹃友﹄と呼ぶようになり、初めこそ恐縮していた
私も、いつしか彼の気持ちに押されて、彼を﹃友﹄と思うようにな
っていた。
人づきあいが苦手で、口べたな私が、心から﹃友﹄だと呼び掛けら
れるのは彼一人だけだった。
そんな友の傍で生きるために、懸命に仕事に励み、気が付けば庭師
の頭と呼ばれる存在になった頃︱︱
私の唯一の友は病であっさりと私をおいて逝ってしまった。
それからの私はただ、無為に日々を送った。
もう私に気さくに声をかけ、作った庭に﹃素晴らしい﹄と目を輝か
せてくれる友はいない。
589
共に通った町にもすっかり足が向かなくなった。
早く、私にも迎えがきてくれないだろうか、はやく友の所へいきた
い⋮⋮迎えに来てほしい⋮⋮
日々、そんなことを考えるようにすらなってきたある日、その少女
は現れた。
﹁庭に畑を作らせて欲しいのですけど﹂
水色の瞳をキラキラと輝かせたその少女の姿は、初めて出会った日
の彼にとてもよく似ていた。
そして、その少女は連日、私の元へ通ってくるようになった。
﹁トムさん来たよ∼﹂
少女は、いつかの友のように気さくに私に笑いかけてくれる。
友との思い出が溢れていることが辛くて、足が遠のいていた町へも
﹃玩具作成の買い出し!﹄と引っ張って行かれ、気が付けば自然と
向かえるようになっていた。
そうして少女と時を過ごして行くうちに﹃早く、友の所にいってし
まいたい﹄という気持ちは消えていった。
﹃私の大切な友よ。やはり、あなたの元への迎えはもう少し待って
ください。その代わり、あなたの元にいくときにはあなたの孫の沢
山の土産話を持っていきますから﹄
590
591
クラエス家にメイド頭として仕えて︵前書き︶
活動報告で載せさせて頂いた小話を修正、追加したものです。 6.
3︵2/8︶ 592
クラエス家にメイド頭として仕えて
それなりの商家の三姉妹の三女として産まれた私が、クラエス公爵
家にメイドとして仕え始めたのは、十六歳の年だった。
二人の姉は器量もよく、愛らしい性格をしており、結婚の申し出も
沢山あった。
そして年頃になると長女は婿をとり、次女も嫁いでいった。
しかし、そんな姉たちにくらべて、妹である私は器量も悪く、人付
き合いも苦手だった。
きつい顔立ちで、もの言いもきつく聞こえてしまうらしい私は、恋
人はおろか友達すら満足につくることができなかった。
そうして、ろくに友達もつくれず学校を卒業し、家に入った私には、
姉たちのように結婚の申し出が来ることもなかった。
このまま家にいてもきっと、いき遅れになり、家族に迷惑をかけて
しまうと、私は古くからの付き合いのあったクラエス公爵家へと働
きにでたのだ。
きっとこんな自分は他の女性のように、結婚して幸せな家庭を持つ
ことはできないと早々に悟った私は、とにかく必死に仕事に励んだ。
そうして、誰よりも懸命に仕事に打ち込み、十年近い時がたった頃、
気が付けば私はメイド頭の地位まで登りつめていた。
丁度、古くから勤めていたメイド頭が引退するということでの、異
例の出世だった。
593
メイド頭になった私は、若年のせいで舐められることがないよう以
前より、さらに仕事に厳しく打ち込んだ。
そうして、努力を重ねた私だったが、きつい顔立ちと、きつく聞こ
えてしまう物言い、さらに若年だと舐められないよう厳しくしてき
たことで、気が付けば他のメイドたちや使用人たちから遠巻きにさ
れる存在になってしまっていた。
それでも﹃一人で生きていくためには﹄と私は必死に仕事に打ち込
んだ。
そんな私の趣味は可愛いものを愛でたり、甘いお菓子を作ることだ
った。
ヒラヒラの可愛いドレスに、愛らしいぬいぐるみ、お姫様のでてく
るおとぎ話に、甘いお菓子が私は大好きだった。
でもそれは、きつい見た目の私にはとても似合わないもので、幼い
頃はよくからかわれ、いつしか周りに知れないように、隠れてこっ
そりと愛でるようになった。
甘いお菓子も私のイメージにはそぐわないようで、皆が食べていて
も﹃甘いものは食べませんよね﹄などと言われてしまう。
そのため、趣味のお菓子作りも、仕事の合間に皆にバレないように
こっそり作って、一人で食べていたのだが⋮⋮
数年前、まだ只のメイドだった、その時も、仕事の合間に作ったお
594
菓子をこっそり庭の隅に腰掛け一人食べていた。
先日、同僚メイドの一人に婚礼が決まり、屋敷を去っていった。
私は、この先、ずっとこうやって同僚たちを見送っていくのだろう
な、目の前の茂みをぼんやり見つめながらそんな風に考えていた。
器量も悪く、誰からも好かない自分には結婚なんてとうてい無理な
話だとわかってはいたが⋮⋮
それでも⋮⋮幸せそうに笑う同僚たちがとても羨ましかった⋮⋮
子供の頃に読んだおとぎ話のように、今、目の前の茂みの中から魔
法使いが現れて、私を素敵なお姫様に変え、王子様の元に運んでく
れたらいいのに︱︱︱そんな子供のような想像をしていた、その時
だった。
見つめていた茂みがガサガサと動いたと思うと中から、葉っぱまみ
れの少女が現れた。
そうして、茂みから現れた少女⋮⋮このクラエス公爵家のお嬢様は、
私の食べていたお菓子をじっと見つめ﹃ぐ∼﹄と壮大にお腹を鳴ら
した。
﹁⋮⋮食べますか?﹂
あまりに見つめられ、私が思わずそう言うと。
﹁いいの!?﹂
お嬢様はまるで飛び上がらんばかりに喜んだ。
595
そうしてお菓子を食べたお嬢様は⋮⋮なぜか、こんな素人の作った
お菓子をひどく気に入り、その後も何度もおねだりしてこられるよ
うになった。
同僚たちに怖がられ、遠巻きにされている私をお嬢様だけはまった
く怖がらず、どんどん懐いてきてくれた。
私もお嬢様の前ではとても穏やかな気持ちになれた。
しかし、そんなお嬢様も十五歳を迎え、魔法学園に入学することと
なった。
お嬢様付のメイドのアンは学園にもついていくと決めたらしい。
正直、私もお嬢様についていきたいと思ったが、メイド頭という立
場をいただいてしまった以上そういう訳にもいかず、とても寂しい
気持ちを押しこめて、お嬢様を送りだした。
そうして、お嬢様が学園にいかれた数日後のことだった。
﹁あの、すみません﹂
庭の隅でいつものように作ったお菓子を一人で食べようとしていた
時、突然、声をかけられた。
今まで、この場所を訪れるのはお嬢様だけだった。しかし、そのお
嬢様も先日、学園へといってしまったのに⋮⋮一体、誰?
驚いて振り返るとそこには数年前からクラエス家で庭師の一人とし
て雇われている青年が立っていた。
596
背が高く、真面目で誠実な彼はメイド達の間でもかなり人気があり、
よくメイド達につかまっているのを見かけたが⋮⋮私は個人的に話
したことはなかった。
﹁⋮⋮なんでしょう﹂
私が動揺しつつそう聞くと。
﹁⋮⋮あの、俺、甘いお菓子が好きで、実は、あなたの作ったお菓
子を何度かお嬢様から分けていただいていたんです⋮⋮それで、本
当にあなたの作ったお菓子が好きで⋮⋮迷惑でなければこれからも
少しでいいので分けていただけないでしょうか!﹂
﹁⋮⋮は、はい﹂
真っ赤な顔でそう言った青年に、つられて赤くなってしまった顔で、
私は頷いた。
そして思わず、持っていたお菓子を差し出すと青年は、それは嬉し
そうに笑った。
その後、私はずっと諦めていた幸せな結婚をして、家庭を手にする
ことになるのだが、それはもう少し先の話だ。
そうして、私は思うのだった。
あの日、あの茂みから現れたのは︱︱︱本当に︱︱幸せをくれる魔
法使いだったのだと。
597
夫人会にて︵前書き︶
活動報告で載せさせて頂いた小話を修正、追加したものです。
時期は二十七話の<閑話>母と娘の頃です。 6.3︵3/8︶
598
夫人会にて
私、ミリディアナ・クラエスの最大の頭痛の種であった娘カタリナ
が、この春、魔法学園に入学し屋敷を出たことで我が家はとても平
和になった。
ここ数年で、私の眉間に刻まれつつあった縦ジワも元に戻りつつあ
った。
問題児の娘を送り出した学園からも、特に呼び出しや注意も受けて
おらず、まぁ、さすがにあの娘も学園では少しは大人しくしている
のだろうと思っていた。
そして、夏の休暇で戻ってきた娘は、相変わらず、ほっかむりを被
り、畑を耕したり、謎の玩具を必死に投げたりと、またよくわから
ないことを繰り返しているが⋮⋮まぁ、学園で大人しくしていてく
れるなら、家の中での奇行は少しくらい目をつむろう。
しかし、そんな私の考えが⋮⋮まったく甘いものだったことを⋮⋮
私は今、心底、思い知らされていた⋮⋮
貴族の夫人たちが集まる夫人会は月に一度ペースで定期的に開かれ
ている。
本日はその月に一度のお茶会の日である。
ここには、上流貴族の夫人たちが多く集まっているので、子供が魔
法学園に入っている者も何名かおり、今は調度、夏の休暇で自宅に
599
戻ってきている。
そのため、子供とそして魔法学園のことが話題にのぼったのも自然
な流れだった。
夫人たちが子供から聞いたと言う学園の話に耳を傾け、自分が子供
たちから聞いた話をポツポツと話した。
そうして、そんな話の中で⋮⋮その噂を聞いたのだ。
﹁うちの娘から聞いたのですけど、なんでも、魔法学園の中に畑を
作っている者がいるという噂が流れているんですって﹂
﹁まぁ、畑とは⋮⋮あの、農民が作る畑ですか?﹂
﹁そうらしいですわ。それも、学園の生徒が作っているという話ら
しいですわ﹂
﹁まぁ﹂
驚きを浮かべる他の夫人たちの横で︱︱私は必死に内心の動揺を隠
し、同じような驚いた表情をつくる。
﹁⋮⋮でも、学園の生徒のほとんどは高位な貴族ですのに、そんな
方いらっしゃるとは思えませんが﹂
﹁それも、その通りですわよね。きっと誰かが冗談でそのような話
を作られたのよ﹂
﹁きっと、そうですわね﹂
﹁それにしても、本当に可笑しな話ですわよね﹂
そう言って笑いあう夫人たちに合わせて、私も﹃本当ですわ﹄と微
笑む。
背には冷や汗がつたっていたが⋮⋮
600
貴族の子供ばかりが通う学園で農民のように畑など作る者がいるは
ずがない⋮⋮
まさに夫人たちが笑ってしまうような冗談だ⋮⋮
しかし⋮⋮いまや、クラエス家の庭をジワジワと侵食してきている
畑⋮⋮そしてそれを楽しそうに鍬で耕す我が娘⋮⋮
学園では大人しくしているなんて⋮⋮甘い考えでいたのが大きな間
違いだった⋮⋮
帰ったら覚えておきなさいよ⋮⋮
私はテーブルの下で強く拳を握りしめた。
601
魔法学園に入って︵前書き︶
活動報告で載せさせて頂いた小話を修正、追加したものです。 6.
3︵3/8︶ 602
魔法学園に入って
辺境の田舎男爵家の令嬢として生まれた私はこの春、魔法学園に入
学した。
魔法学園、国中の魔力を持つ者が十五歳の年を迎えると集められる
学園である。
六歳で魔力を発動した私も例にもれず、こうして学園に入学するこ
ととなった。
しかし、高位の貴族が多数のこの学園は、田舎男爵の娘である私に
は少し、敷居が高すぎた。
それでも、魔力が高かったり、勉強ができたり、特別な美人だった
なら⋮⋮それこそ光の魔力保持者のマリア・キャンベルさんのよう
だったなら⋮⋮もう少し自信を持って過ごせたのだろうが⋮⋮
魔力もほとんどなく、勉強もついていくのがやっと、顔だって愛嬌
があるとは言われるが、美人だと褒められたことなどない私は⋮⋮
はっきり言ってこの学園にはそぐわなかった。
両親は、辺境の田舎の男爵家から初めて魔力保持者がでたと、とて
も喜んで、学園に送り出してくれたのだが⋮⋮
入学してみれば田舎の貧乏男爵家の令嬢である私は、高位の貴族の
方々には見下され、時には使用人のように用事を押し付けられる。
入学して数か月、私はもう早く家に帰りたくて仕方なかった。
603
しかし、そんな私に転機が訪れた。
それは、家から持ってきたロマンス小説を教室の隅でこっそり広げ
て読んでいた時だった。
高貴な方たちには下世話と言われているロマンス小説だったが、私
は大好きで、田舎にいた頃からずっと愛読しており、こうして学園
にもこっそり持ってきていたのだ。
﹁ねぇ、それは、もしかしてロマンス小説ではありませんか?﹂
そう声をかけられ、顔を上げるとそこには、田舎男爵の娘では話し
かけることもできないほどの高貴な方が立っていたのだ。
カタリナ・クラエス様、公爵家のご令嬢にして第三王子様の婚約者
でもある、まさに国の最高位クラスの方である。
そのため、いくらクラスメートだからといって気軽に声をかけたり
できるわけもなく、入学してから一度も話したことはない。
そんな方に気軽に声をかけられ、あまりの緊張と混乱に固まる私に、
カタリナ様は優しく微笑んだ。
﹁実は、私もロマンス小説を読むの。よかったら今度一緒にお話し
しませんか?﹂
そんな風に誘われ、いつの間にか私はカタリナ様とお茶をしたり、
小説の話をしたりするようになった。
カタリナ様と共に過ごすようになると、それまでのように高位の貴
族の方に見下されたり、使用人のように使われることもなくなって
604
いった。
カタリナ様は本当に素晴らしく、そして素敵な方だった。
公爵家の令嬢らしい凛とした佇まい。
それでいて、他の高位な貴族の方々のように、公爵家の令嬢だとい
うことを鼻にかけ、身分の低いものを見下すなんてことはしない。
私のように身分も低く、なんのとりえもない田舎男爵の娘にもとて
も優しくしてくれる。
気が付けば、私はカタリナ様にすっかり心を奪われてしまっていた。
時には学園の林で子犬と戯れ、時には中庭で植物を愛でるカタリナ
様。
その姿はまさにロマンス小説にでてくる聖女様のようだった。
そして、先ほど⋮⋮カタリナ様のお姿に見惚れ、つまずいて転び、
ドレス土をつけてしまった私に、カタリナ様がハンカチを差し出し
てくださった。
﹃土で汚してしまうので﹄と断ろうとした私に、﹃大丈夫、よかっ
たら差し上げるわ﹄とカタリナ様は微笑んだ。
私は、頂いたハンカチを握りしめ﹃これは宝物にしよう﹄と胸に抱
いた。
あんなに、早く家に帰りたいと思っていたのに⋮⋮いまでは少しで
も長くこの学園にいたいと思ってしまう。
少しでも長くカタリナ様のお傍で過ごしたいと︱︱︱
605
★★★★★★★
﹁あれ、姉さん。いつも頭にかぶっているやつはどうしたの?﹂
﹁ああ、ほっかむり?さっきクラスのお友達にあげたのよ﹂
﹁え!?まさかいつも姉さんがしているみたいに頭にかぶせたの!
?﹂
﹁違うわよ、転んでドレスが汚れてしまったようだったから、汚れ
を落すようにあげたのよ﹂
﹁⋮⋮そうか⋮⋮よかった⋮⋮というかハンカチは持ってなかった
の?﹂
﹁ハンカチは畑仕事の後に手を拭いて汚れたままだったのよ﹂
﹁⋮⋮そうか⋮⋮ん?あれ、姉さんの上着の裾、少しほつれてない
?﹂
﹁ああ、これはこの間、学園の林の中で天敵である犬に絡まれた時
にね。まぁ、今回の敵は小さかったから見事に撃退してやったけど
ね!﹂
﹁⋮⋮そうか⋮⋮まぁ、よかったね。でも、姉さん⋮⋮元気なのは
いいことだけど、学園の中ではもう少し落ち着いてね。この間も、
中庭で木の実を取って食べていたでしょう。ここは屋敷じゃないの
だから、いいかげんに拾い食いはやめなきゃだよ﹂
﹁⋮⋮拾い食いじゃなく⋮⋮もぎ取って食べてるんだけど﹂
﹁⋮⋮いや、同じだから⋮⋮いいかげんに、お母様を誤魔化すのも
大変になってきているんだから⋮⋮頼むからもう少し落ち着いて﹂
﹁⋮⋮⋮わかったわ﹂
そうして、しぶしぶ頷いた私を見て義弟は深いため息をついた。
606
607
再び夫人会にて︵前書き︶
活動報告で載せさせて頂いた小話を修正、追加したものです。 6.
3︵4/8︶ 608
再び夫人会にて
﹁本当にクラエス様のご令嬢は素晴らしいですわね。他の生徒から
は聖女様と呼ばれて、慕う方もとても多いそうですわね﹂
月一で開かれる夫人会のお茶会。
私と同じく子供が魔法学園に通っている夫人にそう言われ、まず思
ったのは自分の聞き間違えだろうということだった。
しかし再度、聞き返しても、やはり同じ答えが返ってきたので⋮⋮
きっと、誰か別の人物と勘違いしているのであろうという結論に落
ち着いた。
なぜなら、うちに娘は一人しかいない。
そして、その娘はもうなんでこんな風に育ってしまったのかと思う
程の問題児である。
貴族のしかも公爵家の令嬢であるというのに、ドレスのまま木に登
り、ほっかむりを被り畑を耕し、庭に落ちている食べ物を拾い食い
するような、ほんとうにどうしようもない娘なのだ。
これが、学園で猿のような問題児がいると言われているのならば、
間違いなく我が娘のことなのだが⋮⋮
聖女などと呼ばれるご令嬢がうちの娘な訳がない。
しかし⋮⋮
609
﹁あの、どなたか別のご令嬢と勘違いされているのではないですか
?﹂
﹁いえいえ。カタリナ・クラエス様のことに間違えありませんよ。
実は、うちの娘もカタリナ様の愛好会に入らせて頂いているんです
よ﹂
﹁⋮⋮あ、愛好会なんてあるのですか?﹂
﹁ええ、非公認なものらしいですが、結構、沢山の方が入っている
らしいですわよ﹂
あまりの驚きに私は思わず口をポカーンとあけたまま固まりそうに
なる。
まさか、そんなはずがない!
なぜ、あんなとんでも娘に愛好会!?あんな猿娘の何を愛好しよう
というのか!?
もしかして、キースと間違っているのではないか⋮⋮
実の娘は非常に残念だが、義理の息子であるキースは親の贔屓目を
さし引いても、非常に優秀で素晴らしい息子に育っていた。
そう思い、何度も何度も確認するが⋮⋮どうやら間違いなく、娘、
カタリナのことであると判明してしまった。
それにしても、そうやって他者から聞いた娘の話は、どうやっても
自分の知る娘と結びつかないような話ばかりだ。
植物を愛でる?いや、確かに木にはよく登るし、その辺の木の実を
もぎ取って食べているが⋮⋮
動物に好かれている?いや、よく犬には吠えられて、時には追いか
けられており⋮⋮とても好かれているようには見えない⋮⋮
610
どうしても、自分の娘の話だとは信じられなかったが⋮⋮
⋮⋮もしかしたら、自分が知っているあのどうしようもない部分は
あくまで娘の仮の姿で、本当は話に聞くように立派で聖女のような
令嬢なのだろうか?
都合の良いことに娘は、調度、学園の休暇で家に帰ってきている。
帰ったら、真相を訪ねてみようと心に決めた。
★★★★★★★★
﹁よっこらせ∼の、どっこいせ∼﹂
夫人会を終え、屋敷に戻ると、ほっかむりを被り、顔に泥をつけた
娘が、謎の掛け声をあげながら、自作の畑を軽快に耕していた。
その姿を目にして⋮⋮
やはり夫人会での話は、勘違いで間違いないと結論付けた。
﹃本当は、話にでていたような立派で素敵な部分があるのかもしれ
ない﹄と、少しだけ頭をよぎった思いはあっという間に消え去って
いく。
﹁よっこらせ∼の、どっこいせ∼﹂
気の抜けるような、娘の謎の掛け声が、由緒正しきクラエス家の庭
611
に響きわたる。
その掛け声を聞いていると、なんだか無駄に疲労感を覚え、私は早
々に屋敷の中に入った。
あの話に出てきた聖女のように素敵なご令嬢になれとまでは言わな
いが⋮⋮せめて、もう少しまともになって欲しい。
私は自室に戻り深い深いため息をついた。
その後、畑から屋敷に戻ってきた娘に、あの変な掛け声をやめるよ
うに注意したが⋮⋮
翌日、クラエス家の由緒ある庭には﹁よっこらせ∼﹂という掛け声
がまた響いていた。
★★★★★★★★
﹁今日、またあの娘が︱︱﹂
寝室で夫にもう習慣になってきている娘の愚痴をもらすと。
﹁まぁ、元気があっていいじゃないか﹂
いつものように笑顔で返された。
私の夫、ルイジ・クラエスは顔もよく性格もよく、仕事もできる、
本当にすばらしい人物なのだが、一つだけ欠点がある。それが娘に
甘すぎる所だ。
とにかく娘大好きな彼は、カタリナがどんな問題を起こしても、だ
いたい苦笑して許してしまう。
612
しかし、いい加減にしっかり娘を見て、その現状を知ってもらわな
くては困る。
﹁元気なんて可愛いものじゃありませんのに⋮⋮だいたい、あの子
は思い込みも激しくて、思い立ったらすぐ突っ走って⋮⋮本当に周
りも見えていなくて⋮⋮まったく誰に似てあんな風になってしまっ
たのかしら﹂
そう言って、私が大きなため息をつくと、夫が何か言いたそうにこ
ちらを見ていた。
﹁なんですか?﹂
﹁⋮⋮いや、なんでもないよ﹂
その後も、私はしばらく夫に娘について愚痴をこぼした。
本当に、誰に似てあんなになってしまったのかしら⋮⋮
そんなことを考えながら、眠りについた私の横で、夫が小声で呟い
た言葉は、幸運なことに私の耳に届くことはなかった。
﹁カタリナは、見た目だけじゃなくて中身もだいぶ君に似ている所
が多いのだけどね⋮⋮﹂
613
あなたに出会えて+α︵前書き︶
活動報告で載せさせて頂いた小話を修正、追加したものです。 三十一話 あなたに出会えての追加の話です。 6.3︵6/8︶
614
あなたに出会えて+α
∼キース・クラエス∼
﹃おまえなんて産まなければよかった﹄
﹃あんな厄介者を引き取らされていい迷惑だ﹄
﹃近寄るな!化け物!﹄
なんで、なんで、なんで皆、僕を嫌うの?
どうして誰も傍にいてくれないの?
一人は嫌だ。寂しい。お願い、誰か、誰でもいいから僕の傍にいて。
目を覚ますと、この数か月ですっかり見慣れてきた天井があった。
そうだ、ここはクラエス公爵家で、僕はここの養子になったんだ。
僕は、ほっと息を吐いた。
生まれてからずっと、厄介者、嫌われ者として扱われてきた。
だけど、このクラエス公爵家にきてからは、とても大切にしてもら
っている。
家族で食べる暖かい食事、身体を気づかってくれる優しい手。
いままで、どんなに望んでも手に入らなかったモノを沢山もらった。
それでも時々、こんな風に昔の夢を見る。僕を否定し、蔑む人達。
もう、昔のできごとなのに⋮⋮胸が苦しくなる。
615
今日は義姉のカタリナと共にお茶会に参加することになっている。
胸に苦しさを残しつつも、僕は仕度を始めた。
﹁キース、今日も一緒にきてくれてありがとう﹂
お茶会に行くために、馬車に乗るといつも明るいカタリナがニコニ
コとそう言ってきた。
カタリナの笑顔をみると、胸の苦しさが少し和らいだ。
﹁一人ではまだ心細いし、なかなか人の顔も覚えられないから。キ
ースがいてくれて本当に助かるわ﹂
そう言って、カタリナは水色の瞳でまっすぐに僕を見つめた。
﹁キース。クラエス家にきてくれてありがとう。私はキースと姉弟
になれて本当に嬉しいわ﹂
その言葉に思わず、泣いてしまうかと思った。
夢のせいで、苦しくなっていた胸に暖かで幸せな気持ちが広がった。
カタリナ・クラエスは本当に不思議な少女だ。欲しい時に一番、欲
しい言葉をくれる。
﹁⋮⋮僕も、クラエス家にこられて、姉さんに出会えて本当に嬉し
い﹂
そう言うと、カタリナはまた優しい笑みをくれた。
616
この人に出会えて本当によかった、僕は心からそう思った。
∼メアリ・ハント∼
カタリナと出会い、彼女の隣に立つのにふさわしい立派な令嬢にな
ろうと決め、努力しはじめて数か月がたった。学問、ダンス、マナ
ーの練習などやらなければならないことは沢山あった。
しかし元々、特に才能がある訳ではなく、人よりテンポが遅めの私
は、何をやってもスムーズにはできなかった。
だからこそ、人一倍、努力するしかなかった。
学問は、時間が許す限り家庭教師に質問し、時には深夜まで取り組
んだ。
マナーの練習も同じで、何度も何度もうまくできるまで繰り返した。
特に苦手なダンスは、それこそ足が靴で擦り切れて血が滲むほどに
練習した。
そんな私の必死な姿を見て、姉たちは笑った。
﹃才能もないのに、必死になってみっともない﹄
﹃あんなに、必死になって貴族令嬢として恥ずかしくないのかしら﹄
﹃身分が低いから、できも悪いのね﹄
617
その言葉は、私の心に容赦なく突き刺さり、胸の痛みを覚えた。
それでも、カタリナと一緒に時を過ごせば、そんな痛みもだいぶ薄
れていた。
そんなある日のことだった。
﹁⋮⋮っ﹂
﹁どうしたの?メアリ、大丈夫?﹂
突然、立ち止まりしゃがみ込んだ私を、カタリナが心配そうに覗き
込んできた。
カタリナの家に遊びに来て、これから一緒にカタリナの畑に行こう
と庭を歩いていた時のことだった。
私は、足に激しい痛みを感じた。痛みを感じた部分を見れば、うっ
すらと血が滲んでいる。
﹁大変!?メアリ、怪我をしているわよ!どこかにぶつけたのかし
ら!﹂
慌てるカタリナに、私も少し慌てて返す。
﹁⋮⋮だ、大丈夫です。きっと、昨日、ダンスの練習を長くやり過
ぎて少しすれてしまっただけですから﹂
﹁ダンスの練習を?﹂
﹁はい。私はダンスが苦手なので、人よりいっぱい練習しなくては
いかなくて⋮⋮﹂
そこまでしゃべって私は、はっとなった。
618
これでは、足が擦り切れるまで必死に練習しなければ、ダンス一つ
うまく踊れないと思われてしまうのではないか。
カタリナに笑われてしまうのではないか⋮⋮不安になりカタリナを
仰ぎ見ると。
そこには姉たちのように馬鹿にした顔はなく、キラキラした瞳があ
った。
﹁苦手なモノを頑張って克服しようなんて、メアリは本当に偉いわ
ね。尊敬するわ。私も見習わなきゃ﹂
どれほど頑張っても⋮⋮心無い言葉で馬鹿にされた。
﹃必死になって﹄と笑われた。
でも、もうどんな風に言われたって大丈夫だ。
だって、ここにいてくれるから。
頑張る私を、偉いと尊敬すると言ってくれる人がいるから。
﹃屋敷に戻って傷の手当をしましょう﹄とカタリナに手を引かれな
がら、私はもう何度も何度も思っているその思いを再び強く思う。
カタリナ・クラエスに出会えて本当によかったと。
619
婚約について︵前書き︶
活動報告で載せさせて頂いた小話を修正、追加したものです。 時期は︵三十四話 魔法が解けて︶と︵三十五 卒業式迎えました︶
の間の頃です。 6.3︵7/8︶ 620
婚約について
俺、アラン・スティアートは本日、婚約者であるメアリ・ハント嬢
を話があると呼び出した。
場所は寮の一室で、人払いもしてあった。
俺はついにあの話をメアリに話すつもりだった。
カタリナ・クラエスが闇の魔法にかけられた事件からひと月がたと
うとしていた。
一時期はどうなることかと思ったが、事件は無事に解決した。
事件の当事者であるシリウスこと、ラファエルが学園を去り、生徒
会は少しバタバタしたが、それでも今ではいつも通りの落ち着きを
取りもどしていた。
そんな中、俺にはどうしてもやらなければならないことがあった。
俺、アラン・スティアートは八歳の頃から、ハント侯爵家の四女メ
アリと婚約していた。
愛らしく一生懸命なメアリのことを俺は確かに好ましく思っていた
のだが⋮⋮それが、どうやら恋愛感情ではなかったということに気
が付いてしまった。
きっかけはカタリナが命を奪われそうになったあの事件だった。
あの時、カタリナを失ってしまうと思った時、俺は自分の本当の気
持ちに気が付いた。
621
俺はカタリナ・クラエスという少女を愛しているのだと。
そう気づいてしまえば、思いは一気に溢れ出し、止まらなくなった。
少しでも傍にいて、彼女の笑顔を見ていたかった。
彼女が兄ジオルドの婚約者であることはよくわかっていた。
だから、この思いが叶わないことも⋮⋮それでも許される限り彼女
の傍にいたいと思ってしまう。
そうして、そんな思いにとらわれた時、俺はメアリのことを思い出
した。
確かに彼女のことは好ましいと思っているが、それは恋愛感情では
なく家族愛のようなものだった。
家族愛、それでも確かに構わないかもしれないが⋮⋮
それではメアリにとって失礼になるのではないか⋮⋮
こんな風に、別に思い人がいる男と婚約をしているのはメアリにと
ってよいことなのか。
悩みに悩みぬいた末、俺はメアリに自分の思いを打ち明けることに
した。
俺が、メアリではない、決して思い届かぬ人を愛してしまっている
ことを。
そして、その話を聞いてメアリに決めてもらうつもりだった。
婚約を破棄するかどうかを⋮⋮
622
そして、遂にメアリがやってきた。
愛らしい婚約者は、俺の思いつめたような表情をみて、なんだろう
と不思議な顔をしていた。
そんなメアリに俺は⋮⋮カタリナの名前こそ出さなかったが、それ
以外の俺の思いをすべて話した。
﹁メアリ、お前には本当に申し訳ないと思っている。だから、お前
が望むなら、速やかにお前に迷惑が掛からないように婚約を破棄す
る﹂
はじめこそ驚いた様子だったメアリの顔は、次第になんだか困った
ような表情を浮かべていった。
そして⋮⋮
﹁⋮⋮⋮⋮想像以上の真面目っぷりね。面倒だわ﹂
﹁え、なんだ?﹂
メアリが何か呟いたが、その声は小さくて聞き取れなかったため、
聞き返したのだが。
メアリはふんわり微笑んで﹃何でもありませんわ﹄と笑った。
そして︱︱
﹁アラン様の気持ちはよくわかりましたわ⋮⋮でも、そうして婚約
を解消してしまうと、我が家のことなのでまたすぐに別の婚約者を
あてがわれてしまうと思うのです。それでは、困るのです﹂
﹁別の婚約者を得るのが困るのか?お前は社交界でもとても人気だ
623
し、きっとお前をちゃんと愛してくれる素敵な婚約者ができるので
はないか?﹂
実際、社交界でのメアリの人気は高い、俺と婚約解消したって引く
手あまただろう。
しかし、メアリは険しい顔をして首をふった。
﹁いいえ。困りまるのです⋮⋮アラン様、私もずっと黙ったことが
あるのですが⋮⋮実は私にもお慕いしている方がいらっしゃるので
す﹂
﹁ええ!?﹂
あまりの展開に、俺は口を開けて固まる。
﹁黙っていて申し訳ありません。⋮⋮でも私のお慕いしている方も
思いの届かない方なのです﹂
﹁⋮⋮⋮そうか。お前もそうだったのか﹂
そうか。まさか、メアリにも⋮⋮そんな相手がいたなんて。
まったく気づかなかった俺はかなり鈍い男なのだろうか。
﹁⋮⋮でも、私は諦めきることができなくて⋮⋮可能性は高くあり
ませんが、頑張ってみたいのです。ですから、新しい婚約者をあて
がわれるよりも、こうして同じような思いを持つアラン様と婚約し
ている方が助かるのです。なので、どうかこのまま婚約を継続させ
てください﹂
メアリはそう言って少し潤んだ瞳で俺を見つめた。
こんなに儚げなメアリにそんな風に頼まれ、断ることなどできやし
ない。
624
﹁わかった。お前が、その人と結ばれる時まで、婚約者の役目を引
き受ける﹂
俺が、そう言うとメアリは、それは嬉しそうに微笑んだ。
そうして微笑む愛らしい少女が、実は俺たちの最大のライバルで、
しかもかなりの強敵であることに気が付くのは、しばらく先の話だ。
625
見つかってしまいました︵前書き︶
本編終了後の一幕です。 6.3︵8/8︶ 626
見つかってしまいました
﹁ねぇ、カタリナ。ずっと気になっていたのですけど、その膨らん
だポケットには何が入っているんですか?﹂
破滅フラグを回避し、すっかり安心しきってお茶を啜っていた私は、
ジオルドにそう指摘され、ポケットに手を突っ込んだ。
あれ、何か入っている?なんだっけ?
私はポケットの中のモノを引っ張り出した。
それは、私の八年間の、最高傑作のヘビの玩具だった。
⋮⋮そういえば、昨夜、破滅対策のためにポケットに入れていたの
を今の今まですっかり忘れていた⋮⋮
しかも、よりによってジオルドの前で取り出してしまった⋮⋮
八年前に、ジオルドにヘビの玩具を投げつけ、ひどい報復を受けて
からは、彼を警戒し、ヘビの玩具作りも、それを投げる練習もジオ
ルドには気づかれないように注意してきた。
それなのに⋮⋮よりによってこんなタイミングで⋮⋮
せっかく、破滅を乗り切ったというのに⋮⋮このままでは新たな破
滅がやって来てしまう⋮⋮
私はヘビの玩具を握りしめ固まる。とてもじゃないが顔をあげてジ
オルドの様子を確認する勇気がない。
しかし、どことなく不穏な雰囲気だけは感じとる。
627
⋮⋮これは、やばい。なんとか、なんとかして誤魔化さなくては⋮⋮
﹁⋮⋮あ、ああ!これは何かしらいつの間にこんなものが?一体、
誰が私のポケットにこんなものを入れたのかしら?﹂
とりあえず、知らないうちに誰かに入れられたという設定にしてみ
た。
やや、台詞が棒読みになってしまって気もするが、我ながら素晴ら
しいアイディアだと思う。
このヘビの玩具は私のモノではなく、何者かの陰謀によって私のポ
ケットに入れたものである。
﹁一体、いつの間にこんなものが⋮⋮﹂
私は迫真の演技を続けた⋮⋮すると⋮⋮
﹁まさか、誰かに勝手に入れられたの?﹂
ジオルドが困惑したような声をあげた。
その顔を見ると声と同じように強張った表情をしている。
や、やったわ。うまく騙すことができたわ。私の演技力もかなりの
ものね。
これは将来、女優になれるかもしれない。
そうしてすっかり、調子に乗った私はさらに演技を続けた。
﹁そ、そうなんです。一体、誰がこんなことをしたのか﹂
私は困った表情をつくる。気分はすっかり大物女優だ。
628
﹁本当だね、一体、誰がこんなことをしたのでしょうね﹂
ジオルドも私の素晴らしい演技にすっかり騙されたようだ。
よかった、よかった。そうして私がすっかり安心したその時だった
⋮⋮
﹁︱︱なんて言うと思いましたか?﹂
﹁え!?﹂
急に声色が変わったジオルドの顔を再び見ると⋮⋮そこにはかつて
ヘビの玩具を投げつけた時と同じ邪悪な笑みが浮かんでいた。
⋮⋮あれ?なんで?私の名演技にすっかり騙されていたはずじゃあ
⋮⋮
目を丸くする私に、ジオルドが淡々と告げる。
﹁普通に考えてあり得ないでしょう、ポケットに物を入れるなんて、
気づかないはずもないでしょうし。おまけに、こんなことしてもま
ったく意味がない﹂
﹁⋮⋮うっ、確かに⋮⋮﹂
素晴らしいアィディアだと思ったのだが⋮⋮確かに言われればその
通りである。
さすが、天下のジオルド王子様だ。
﹁そもそも。そんな可笑しな嘘で騙される人なんて、カタリナくら
いですよ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁それに、今まで知らないふりをしてきましたが、カタリナがこそ
629
こそと今、手にしているモノを作成していたことも、それを投げる
練習をしていることもずっと前からお見通しなのですよ﹂
﹁!?﹂
なんですと!?ずっと気づかれていないと思っていたのに⋮⋮すっ
かりばれていたとは⋮⋮
﹁それで、カタリナはなんでそんなことをしていたのですか?﹂
ジオルドがそれはそれはいい笑顔でそう尋ねてくる。
﹁⋮⋮そ、それは⋮⋮﹂
まさか、もしもの時にあなたに投げつけるためです!とも言えず⋮
⋮私は再び固まる。
﹁まぁ、なんとなく見当はついていますが⋮⋮どうします?またク
ラエス夫人にご報告しましょうか?﹂
﹁え、いや、それだけは⋮⋮﹂
邪悪な微笑みを浮かべるジオルドに、私は慌てた。
お母様にことが知れれば、また凄まじい雷を落とされることは確実
だ。
﹁そうですか⋮⋮それなら一つ、僕のお願いを聞いてくれたらこの
事は忘れてあげましょう﹂
﹁本当ですか!わかりました。なんでもやります!﹂
よかった、助かった。
お母様の雷に比べたら、お願いの一つや二つ喜んで、聞きますとも!
630
意気込んで答えた私に、ジオルドはすっとその整った顔を近づけて
きた。
﹁じゃあ今夜、皆に気付かれないように、一人で僕の部屋まで来て
もらってもいいですか?﹂
﹁へ、あの⋮⋮なんで?﹂
てっきり、授業のノートとっとけとか、売店でパン買ってこい的に
パシリにされることを予測していたのに⋮⋮
皆に気が付かれないように部屋にこいとは一体どういうことだろう?
何か秘密の相談でもあるのだろうか?
﹁理由は来てくれたらわかりますよ。僕のお願いを何でも聞いてく
れるのですよね﹂
﹁⋮⋮あ、はい﹂
やはり、何か相談したいことがあるのだろう。私で力になれるかわ
からないが、最善をつくそう。
﹁楽しみに待っていますから﹂
ジオルドは私の耳元に顔を近づけそう言うと、意味深な笑みを浮か
べた。
その途端、なんだか背筋がぞわぞわした。
あれ?なんで?どうしたんだろう。
謎の悪寒に戸惑っていると、横から伸びてきた手にぐっと身体を引
かれた。
驚いて、振り返るとそこにはキースが立っていた。
﹁ジオルド様、少し密着がすぎるのでは﹂
631
﹁カタリナは僕の婚約者なのですから、このくらい普通ですよ。君
の方こそ僕のカタリナにあまり気安く触れないでください。いい加
減に姉離れしたらどうですか?キース・クラエス﹂
なんだか厳しい声をあげたキースに、ジオルドが相変わらずの笑顔
で返すと、なぜかキースではなく、別の声があがった。
﹁カタリナ様はジオルド様のものではありませんわ。まだ正式に婚
姻を結んだわけではありませんでしょう﹂
いつの間にか傍にきていたソフィアが珍しく険しい顔でそう言うと、
また別の声があがる。
﹁その通りですわ。まだ只の婚約者ではありませんか、今後はどう
なるかもわかりませんのに﹂
﹁どういう意味ですか?メアリ・ハント嬢﹂
﹁言葉通りの意味ですわ。ジオルド様﹂
にこやかにほほ笑むメアリに、笑顔で返すジオルド。
その様子は楽しく談笑しているように見えなくもないが⋮⋮なぜだ
ろうなんだか空気が、重い気がする⋮⋮
気が付けば、それぞれで散らばっていたはずの生徒会の皆が、私達
傍まで来ており、皆、なんだか険しい顔をしている。
そしてなんとなく不穏な空気が流れている気がした。
あれ?なんで、破滅フラグはなくなったはずなのに⋮⋮
﹁カタリナ様、もうジオルド様とのお話は終わりましたわよね?﹂
﹁え、あ⋮⋮うん﹂
632
どこか威圧感があるようなメアリの言葉に頷くと、そのまま、やや
強引に引っ張られる。
﹁では、あちらで私とお茶を飲みましょう﹂
﹁あ⋮⋮うん﹂
そうして、その後はメアリとソフィアとマリアに挟まれて、おしゃ
べりとお茶を楽しんだ。
いつの間にかあの謎の悪寒は落ち着いていた。
なんだったんだろう。あのぞわぞわしたのは⋮⋮風邪でもひいたの
かしら?
その夜は結局、キース達に見つかりジオルドの元にはいけなかった。
そして、今後、そのようなことは決してしないように叱られた。
まぁ、確かに貴族の令嬢として、夜に一人で異性の部屋に行くのは、
はしたないことだ。
次からは相談は日中にしてもらおう。
それにしても、破滅フラグを乗り越えたはずなのに⋮⋮友人達の間
に、なんだか不穏な空気を感じたのは気のせいだろうか⋮⋮
633
例のモノの行方について︵前書き︶
活動報告に書いた小話を少し修正したものです。 1/23︵1/
2︶
634
例のモノの行方について
﹁おぉ∼!あれ、すげ∼!とうちゃん。俺、あれ欲しい!﹂
共に町に来ていた息子が、そう言って俺の手を引っ張ったのは、あ
る店の前だった。
そこは顔なじみの店で、主に木材で作った器や籠などを扱う店だっ
た。
品数も豊富で品質もよいと評判で、昨今は貴族の屋敷にもその品物
を下しているような立派な店ではあるが⋮⋮そこに現在、八つの息
子が目を輝かせて欲しがるものなど果たしてあるのだろうか?
疑問に思い、息子の指差す先に目をやると︱︱︱そこにはヘビがい
た。
店先のテーブルにちょこんと鎮座しているそれに俺はひどく驚いた
が⋮⋮よく見ればそれは作り物であった。
﹁すげ∼、すげ∼!﹂
息子はテーブルに置かれたそのヘビの作り物にすっかり心を奪われ
たようで、目をキラキラさせて張り付いている。
そのヘビは実に精巧に作られていた。私だけでなくだいたいの者が
少し見ただけなら本物のヘビだと思ってしまうだろう。
膝をおりテーブルにしがみ付く息子の頭上から、しみじみとそのヘ
ビの作り物を見つめていると、
﹁おお、いらっしゃい﹂
店の中から店主が出てきて声をかけてきた。
﹁ああ、邪魔しているよ﹂
顔なじみの店主にそう返すと、俺はこの息子をすっかり夢中にさせ
635
ているヘビについて尋ねた。すると、
﹁ある貴族様のお屋敷に品物を下しにいった時に、棚の上に飾って
あるのを見かけてね。精巧な作りだと褒めたら、そこの使用人がく
れたんだよ。なんでも沢山あって処分に困っているからと言ってね﹂
﹁ほぉ、貴族様のお屋敷でね﹂
金を持て余している貴族が何かの酔狂で作ったのだろうか?
それにしても良くできている。そして︱︱︱
﹁ねぇ、とうちゃん。これ買って、いいでしょ!﹂
息子がそれはキラキラした目で必死にそう頼んでくる。まるで本物
そのものヘビは子供心をとても引き付けたようだ。
俺は店主に断りを入れ、そのヘビを手に持った。
それは思いのほか軽く、そしてなぜだかとても手に馴染んだ。
まるで手に馴染むように、持ちやすいように作られているようだっ
た。
俺はしばらく考え、そして店主に尋ねた。
﹁なぁ、このヘビの作り物。俺に譲ってくれないか?﹂
﹁ああ、どうせもらい物だし、いいぞ﹂
二つ返事で了承をくれた店主にお礼を言いつつ、俺はさらに尋ねる。
﹁ところで、これはどこの貴族様のお屋敷でもらってきたんだい?﹂
﹁ああ、クラエス公爵様のお屋敷だよ。あそこは位が高いのに、使
用人も皆気さくでよいお屋敷だよ﹂
﹁そうか。クラエス公爵様のところか。ところでこのヘビは沢山あ
って処分に困っているとのことなんだよな?﹂
﹁ああ、そう言っていたが⋮⋮あんたまさか、もっと欲しいってい
うのか?﹂
驚いた様子の店主に俺はにやりと笑って言う。
636
﹁その通りだよ。見ろ、この俺の息子の輝いた目を! こういう本
物そっくりの生き物なんかは子供心をくすぐるんだよ! しかも軽
くて手になじむ。これは子供の玩具としてすごくいいぞ。町で売り
出せば大人気になるぞ!﹂
﹁まぁ、俺にはよくわからんがこの辺の商人の顔役で、一番の稼ぎ
頭のあんたが言うのなら﹂
そう、俺はこのあたりの商人の顔役をしており、自慢じゃないが町
でも一,二の稼ぎを叩きだしている。特に新しく売り出した商品は
ほとんどがあたっている。
そんな俺の勘がこれは売れるといっているのだ。
﹁よし!そうと決まればさっそくクラエス公爵様のお屋敷に連絡を
とらなければ!﹂
そう言って、俺は右手に譲ってもらったヘビを、左手に息子の手を
引いて歩き出した。
そうして手に入れたヘビの作り物。見れば見るほど本当によくでき
ている。少しでも本物に近づけようという何か執念のようなものす
ら感じる気がする。
それにしても⋮⋮売り出すでもなく余っているというこのヘビの作
り物は、一体、何が目的で作られたものなのだろう。
★★★★★★★
﹁⋮⋮ぶへっくしょん﹂
637
突然、鼻がムズムズして大きなくしゃみがでた。それを隣で見てい
たキースが眉をしかめる。
﹁姉さん、そのくしゃみは貴族令嬢としてなしだと思う﹂
﹁しょうがないじゃない。でちゃったんだもの﹂
そして、私はくしゃみとともに出てきた鼻水をズズッとすする。
それを見てキースはさらに眉をしかめ深いため息をつくと、今度は
棚の上に飾られていた私とトムじぃちゃんの長年の努力の結晶を手
にとった。
﹁⋮⋮あと、姉さん。ここ数日、屋敷のあらゆるところに置かれて
いるヘビの作りものだけど⋮⋮いい加減に捨てない?﹂
﹁な、なんてこというの!キースったら、私とトムさんがどんなに
頑張ってこれをつくってきたと思ってるのよ! 捨てるなんてでき
ないわ!﹂
﹁⋮⋮そうは言っても、こんなに屋敷中に飾って⋮⋮屋敷に来る人
たちにも変な目で見られているらしいし﹂
﹁だって、せっかく沢山、作ったのに、使い道もなくなってしまっ
てもったいなくて⋮⋮﹂
このまま日の目を見ないのも悲しいので、思いきって屋敷中に飾
って見たのだが⋮⋮残念ながら屋敷の皆の反応はよくない。
はじめこそ﹃すごいですね∼﹄とか言ってくれていたのに、今じ
ゃあ﹃もう邪魔だから捨てたい﹄なんて⋮⋮切ない。
ちょっぴり落ち込んだ私に、キースが微妙な視線を向けてくる。
﹁そもそも、これ、昔からせっせっと作ってたけど⋮⋮何に使うつ
もりだったの?﹂
﹁⋮⋮そ、それは⋮⋮﹂
まさか、いざという時にジオルドに投げつけるつもりだったとも言
えず、黙る私にキースは、またため息をつく。
﹁とにかく、そろそろ処分しないと。こんな屋敷中に飾っていると
出かけている母様が戻られた時にまたお説教をもらうことになるよ﹂
638
確かに⋮⋮少し前からお父様とバカンスに行っているお母様、きっ
とこの屋敷中に飾られたヘビを見たら、間違いなく文句を言われそ
うだ。
ただでさえ、ヘビを飾りつける時にお母様のお気に入りの花瓶を一
つ割ってしまったので⋮⋮このままでは、かなりやばい気がする。
それは、わかっているのだが⋮⋮
﹁⋮⋮うっ。でもせっかく作ったのに捨てるのは⋮⋮せめて誰か欲
しい人に貰ってもらいたいわ﹂
だって長年月をかけ必死につくったのに⋮⋮日の目を見ないなんて
切ない。
﹁⋮⋮欲しい人がいればいいのだけど﹂
キースがどこか遠い目をして言った。
こうして皆に、邪魔にされたヘビの玩具が町で大評判になるのはも
う少し先の話。
639
父と母のなれ初めについて︵前書き︶
1
/23︵2/2︶
640
父と母のなれ初めについて
﹁三番目のお嬢様も無事に良い所に嫁がれて、アデス公爵もさぞお
喜びでしょう﹂
﹁そうですわね。⋮⋮でも、二番目のお嬢様はまだ嫁ぎ先どころか、
婚約相手すらみつかっていないらしいわよ﹂
﹁まぁ、そうなのですの? じゃあ、妹様が先に嫁がれてしまった
のですか?﹂
﹁そのようですわ。なんでも、二番目のお嬢様は他のご兄妹のよう
に社交的でないうえ、お顔立ちもきつめでなかなか貰い手が見つか
らないとか﹂
﹁でもそろそろいいお年でしょう? このままいき遅れになってし
まいますわね﹂
﹁そうなのよ。ですから、アデス公爵もかなり焦って、いま必死に
お相手を探しておられるとか﹂
﹁公爵家のお嬢様がいき遅れてしまうなど恥もいい所ですものね。
アデス公爵様も大変ですわね﹂
﹁本当ですわね﹂
そう言うご婦人たちの声には嘲りが滲んでいる、私は彼女たちに気
が付かれないようにそっとその場を離れた。
私はミリディアナ・アデス、アデス公爵家の二番目の娘だ。
本日、アデス家では三番目の娘、すなわち私の妹の結婚記念パーテ
ィーが開かれている。
沢山のお祝いの言葉が飛び交う中、先ほどのご婦人たちが話してい
641
たような話も所々で囁かれていて、私にはだいぶ居心地の悪い場所
になっている。
社交的な兄妹達とは違い人見知りが強くておまけに顔立ちもきつく
て、よく陰で﹃お高く留まっている﹄と陰口を叩かれる私には、下
の妹に結婚が決まった今でさえ、婚約者すら決まらない。
家が公爵家という地位にあるため、婚約者はそれなりの身分の相手
でなくてはならないと父が探してきてくれた相手は⋮⋮私より器量
良で愛想もよい他の姉妹たちに心を移してしまうのが常だった。
そんな私だが、決して家族に邪険にされているわけではない。むし
ろとても大切にしてもらっている。
母や兄妹達は悪く言われる私を庇ってくれるし、父であるアデス公
爵は今も私のために必死になってよい相手を探してくれている。
そんないい家族であるため、ますます自分の駄目さが嫌になってし
まうのだ。
もっと姉妹たちのように愛想よくできたら、うまく笑うことができ
たら⋮⋮。
そんな風に思うとますます萎縮してしまう自分がいた。
そのため、今日のようなパーティーもとても苦手だ。ここの会場に
いるだけで、もうとてもいたたまれない気持ちになってしまう。
これがいつも私を庇ってくれていた大切な妹のためのパーティーで
なければ、気分が優れないと言って欠席してしまいたい所だった。
﹁はぁー﹂
私はそっとため息を吐いて、会場の隅へ隅へと移動していく。
出来るだけ人目につかない隅で、終わりまで存在を消していよう、
そんな風に思った時、会場がにわかに騒がしくなった。
642
ざわついている場所に目をやれば、一人の男性が見えた。
おそらく遅れて、今やってきたばかりなのであろう、到着したてと
いう雰囲気だった。
ざわつきは、そんな彼を見ているご婦人たちから起こっていた。
なんだろう? と好奇心に駆られ隅から少し移動して、その人物の
方へと近づく。
ようやくその人の顔が確認できる所まで行くと、私はご婦人たちが
ざわついていた意味を理解した。
その人は、それは見目麗しい男性だった。
会場の灯りをうけてキラキラ輝く金色の髪、青い瞳のまるで御伽話
に出てくるような王子様のような人。
あまりの素敵さに、ざわつくご婦人たちと同じように、私も頬を赤
くして彼に見惚れてしまった。
﹁なんて綺麗な方なのかしら﹂
﹁ええ、本当になんていう方なのかしら﹂
﹁あら、あなたご存じありませんの? あれはクラエス公爵家のル
イジ様ですわよ﹂
﹁え! あの方がルイジ様なのですか﹂
ざわつく周りのご婦人たちの話で、私は美しい彼の正体を知った。
クラエス公爵家の跡取りのルイジ・クラエス。
社交界が苦手でほとんど参加せず、友人も少ない私でさえも知って
いるほどの有名人だ。
見目麗しい容姿に、社交的で明るい性格、学問にも秀で、身体能力
も高い。
そして公爵家の跡取り息子。
今、社交界の独身令嬢達の間でもっとも結婚したい男性だと話題の
643
人物だった。
その美しさに思わず見惚れてしまったが⋮⋮その正体がルイジ・ク
ラエスとわかれば、身分はともかく⋮⋮愛想もなく嫁の貰い手もみ
つからないような自分とはあまりにも違う世界の人間だと感じた。
私は彼に惹きつけられそうになる目をなんとかそらして、もう一度、
会場の隅へと戻ろうと足を運び始めた。すると、
﹁ミリディアナ﹂
突然、通る声で呼ばれた。振り返れば、会場の真ん中で、父である
アデス公爵が満面の笑みで私を見ていた。
そして、なんとその隣にはルイジ・クラエスが立っているではない
か!
驚愕して思わず固まった私を父が﹃こちらにきなさい﹄と手招いた。
正直、あんな会場の真ん中、それも女性たちの視線を一身に集める
ルイジの傍になど行きたくはなかったが⋮⋮だからと言って振り向
いてしまった手前、気が付かなかったと去ることもできず、私はし
ぶしぶながら父の元へ向かった。
﹁これが二番目の娘のミリディアナだよ、ルイジ﹂
父はそう言ってルイジ・クラエスに私を紹介した。
﹁はじめまして、ミリディアナ・アデスと申します﹂
私は淑女らしくていねいにお辞儀をした。
﹁はじめまして、ルイジ・クラエスと言います。アデス公爵にはと
てもお世話になっております﹂
ルイジはそれはにこやかな笑顔でそう返してきた。
そのさわやかな笑顔に周りの女性から感嘆のため息が漏れる。そし
てその笑顔を向けられた私には冷ややかな視線が向けられる。いた
たまれない⋮⋮。
644
だけど、近くで見るルイジ・クラエスは遠目でみるよりもさらに美
しくて⋮⋮その青い瞳で見つめられると頬に熱が上がってくる。そ
れに、
﹁ミリディアナ様は本当にお美しいですね﹂
なんてみえみえのお世辞にまで、うっとりしてしまいそうになるの
だから恐ろしい。
結局、なぜかその後パーティーが終わるまで私はルイジとともに過
ごすことになった。
きっとルイジからしたら世話になっている父への恩返し的なものだ
ったのだろう。
主催者の娘がぽつんと一人で壁際にいたなんて外聞が悪いから。
ずっとルイジを独占する私に彼目当ての女性たちからはそれは恨み
がましい視線を向けられ初めこそいたたまれない思いを感じていた
が⋮⋮次第にどうせ今だけだからと開き直った。
このパーティーが終わればもう彼の目に私が移ることなどないだろ
う。
ならば今だけ素敵な王子様との時間を楽しもう。
そして、私は普段の私では考えられないくらいに、にこやかに浮か
れて彼との時間を楽しんだ。
﹁ミリディアナ様、今日は本当に楽しかった。また次の機会にはぜ
ひご一緒に﹂
分かれ際にそう言って微笑んだ王子様に、私はうっとりしながら﹃
はい﹄と答えた。
もう次などないことはわかっていたけど⋮⋮。
645
そう、次などなかったはずなのに⋮⋮
﹁⋮⋮い、いまなんとおっしゃったのですか? お父様﹂
私は茫然としながらも、なんとか父に聞き返した。
﹁だから、お前の婚約者が決まったのだよ、ミリディアナ。求婚し
てきたのはあのルイジ・クラエスだ。もうしぶんない婚姻だろう﹂
﹁⋮⋮ルイジさま⋮⋮﹂
浮かれる父をどこか遠くに感じながら、私は現実味のなさすぎる話
をまるで他人事のように聞いていた。ルイジが、私に求婚? 婚約
者に? あんなに素敵な人がなぜ私に?
現実が受け入れきれずに茫然とする私を置き去りに、婚姻の話はす
ごい速さで進んでいき、やがて気が付けばもう式の日取りまで決ま
っていた。
なんで、どうして? と思いながらも、私の元にやってきて優しく
声をかけてくれるルイジにすっかり心を奪われていた私に真実を教
えてくれたのは社交界の女性たちだった。
﹁ルイジ様はアデス公爵にとてもお世話になった見返りに、あまっ
ていた娘を引き取らされたのですわ﹂
﹁あの方は義理堅い方ですからね、アデス公爵が困っていたのを見
過ごせなかったのですわ﹂
﹁あんなに素敵な方なのに、あまりものを引き取らされるなんても
ったいない﹂
彼女たちの言葉に、私の疑問は解消された。
ああ、そうかルイジは父に恩を返すために⋮⋮私を。
そう言えば最初に会った時に恩があると言っていたじゃない。
⋮⋮そうか、私は義理で引き取られていくのか⋮⋮。
646
そうして真実がわかっても、育ってしまった気持ちを消すことはで
きずに⋮⋮私は複雑な気持ちを抱えながらルイジ・クラエスの元に
嫁ぎミリディアナ・クラエスとなった。
ルイジはとても優しくしてくれたが、義理でひきとった嫁のためか
どこかいつも一線引いている感じがあった。
私はルイジを愛している⋮⋮でも、彼は違う、彼は私を好いてなど
いない。
彼に優しくされ、その魅力に惹かれれば惹かれるほどに私の胸の痛
みは強くなった。
彼との間に娘を一人産んでも、私たちの仲は変わることがなかった。
しかし⋮⋮産んだ娘が八つになり、義理の息子を引き取った時に起
きたある事件をきっかけに、今まで私が真実だと思っていたことが
まったくの誤解だったと知ることができた。
ルイジは私を義理で引き取ったのではなくずっと愛してくれていた
のだった。
私の長年の胸の痛みはすっと消えていった。
そうして、彼との間の誤解が解け、私たちははじめて本当に心から
夫婦となることができた。
今、私は本当に幸せだ。
﹃よっこらせー﹄
ルイジは誤解が解けてから以前より積極的に愛をささやいてくれる
647
ようになり、私はまるで新婚のように甘い日々を過ごしている。
﹃どっこいせー﹄
引き取った義理の息子はとても賢く聡明に育っている。
﹃よっこらー﹄
⋮⋮うるさい。
穏やかな午後にお茶を飲みながら昔を思い出し、今の自分の幸せを
噛みしめ、とてもよい気分になっていたのに⋮⋮先ほどから庭から
響く掛け声に気分はぶち壊しだ。
由緒正しき公爵家の庭でこんな声をあげる人物の心当たりなどただ
一人だ。
私は、飲んでいたお茶をそっとテーブルに戻し席をたち庭へと続く
扉へと向かう。
扉から庭にでて声の方に目をやると、やはり予想どおりの人物が、
予想通りの格好で鍬を振り回していた。
彼の人物お蔭で、それまでそれは美しいと評判だったクラエス家の
庭はすっかり、農村の民家の庭へとなりつつある。
﹁よっこらせーのどっこいせー﹂
私は庭へと踏み出し、ご機嫌に畑を耕すその人物に向けて声を張り
上げた。
﹁カタリナー!!﹂
648
ある公爵令嬢について︵前書き︶
時期はカタリナたちが二年に進級してからのお話です。
649
ある公爵令嬢について
私の名はジンジャー・タッカー、男爵家の令嬢だ。
といっても正室の子ではなく、なんの身分もない使用人との間に生
まれたいわば妾の子なんだが。
しかも、父であるタッカー男爵はかなりの好色でそこら中に女性を
作り、子を産ませており、子だくさんで、私は十二番目の娘であり、
正直、もう必要ないような存在である。
なので本来ならさっさと母の家に引き取られてひっそり育てられる
はずだった。
実際に、タッカー男爵の他の子供たちは、正室の子を除き、母方の
家で育てられている。
そんな中、私がタッカー男爵家︵正確にいうとその離れ︶で育てら
れたのは、母が私を産んでしばらくして亡くなったこと、またその
母にはまったく身寄りがなかったことが理由である。
ようはただ単に行き先がなくて仕方なく引き取られた訳である。
そうしてタッカー家の離れに情けを受けて住まわせてもらうことと
なったが、身分の低い愛人の娘を特別に構うような変わり者はおら
ず、基本放置されていた。
それでもありがたいことに、食事も衣類も与えてもらえていた。年
頃になれば、近所の学校にだって通わせてもらえた。
よくある物語のように、身分の低い愛人の子だからと正室やその子
どもたちにいじめられるということもなかった。偶然に出会えば蔑
650
んだ視線を浴びる程度だった。
そのため、私はタッカー男爵家の離れで一人、特に大きな問題もな
く時を過ごした。
そして、物心ついた頃から十五歳で成人したら屋敷を出て働こうと
ずっと考えていた。
タッカー家には跡取り息子も、年頃で美しい娘もたくさんいるので、
容姿もすぐれない私の存在などおそらく必要ないだろうからさっさ
と出ていくにかぎる。
父であり、私を養ってくれているタッカー男爵にもその旨は伝えて
もらってあったはずだが、返事はこなかった。おそらく忘れていた
のだろう。
そもそもタッカー男爵は、一応、世間体を気にして私を引き取った
が⋮⋮そんな娘いたかな?という感じだったのだろう。
容姿には恵まれていない私だが、幸いなことに頭だけはそれなりに
よかったらしい。
通わせてもらった学校で、いつもトップで教師たちから一目置かれ
ていた。
しかし、同じ学校に通う生徒たちと親しくすることはできなかった。
幼いころからずっと一人で過ごしてきたために、人とどのように接
してよいのかわからなかった。
私は普通に接しているつもりでも態度が悪いと陰口をたたかれた。
一応、男爵家の令嬢ではあったので、さすがに大っぴらにいじめら
れたりはしなかったが、嫌みや小さな嫌がらせは多々あった。
651
そんな日々が続くうちに、私のほうもこんな奴らと関わってもなん
の特にもならないと割り切って考えるようになった。
学校を卒業し、成人である十五歳の年を迎えたらよい職を見つけて
タッカー家を出るのだ。
そう毎日、呪文のように心の中で繰り返した。
しかし、そんな長年の計画が水の泡となったのは十二を迎えようと
いう時のことだった。
学校もあと数年で卒業、十五になってからの働き口をどこにしよう
か具体的に検討し始めた頃のことだった。
それは突然に起こった。
ふとしたことがきっかけで、なんと私は風の魔力を発動してしまっ
たのだ。
魔力という存在がこの国にあることは知っていたが、田舎で平民の
学校に通う私にはまったく縁のないものだと思っていたのに⋮⋮あ
まりに衝撃的な出来事だった。
そして、このことをきっかけに私の生活は大きく変わった。
まず、それまで私に見向きもしなかった、というか完全に存在を忘
れていたであろうタッカー男爵が満面の笑顔でやってきて﹁さすが
私の娘だ﹂と言われた。
私の記憶の限り彼に﹁娘﹂と呼ばれたのは初めてでひどく複雑な気
持ちになったものだ。
その後から、タッカー男爵はやたら私に構うようになった。
それこそ生まれてきてからの接触時間をほんの数日で超えてしまう
ほどに。
そんなタッカー男爵を皮切りに、それまでは男爵と同じで私という
652
存在にまったく見向きもしなかった使用人たちからもチヤホヤされ
るようになった。
そしてなじんだ離れから本宅へと引っ越すことにもなった。
どんなに私が、なれ親しんだ離れにいたいといっても、誰も聞く耳
を持たず﹁タッカー家初の魔力保有者であるお嬢様をこんなところ
においてはおけません﹂と強制的に引っ張られてしまった。
そうなのだ。私はタッカー男爵家で初めての魔力保持者となってし
まったのだ。
魔力を持っているということは貴族のステータスとされるこの国で、
残念ながらタッカー男爵家にはこれまで魔力保持者が出たことがな
かったのだ。
そしてついに現れた魔力保持者、もう身分の低い愛人の子だとかは
どうでもよくなったようだ。
完全に忘れられた存在だった私は、一気に跡取り候補にまで乗り上
げた。
こうして私の穏やかな暮らしは終わりを告げたのだ。
通っていた学校は強制的にやめさせられ、正妻の子どもたちと同じ
ように家庭教師をつけられた。
十五才を迎えて魔法学園に入学するためだ。
そうしてタッカー男爵と使用人たちこそちやほやされるようになっ
たが、逆に正妻やその子どもたちには毛嫌いされるようになった。
それもそうだろう、だってついこの間まで、庭に落ちてる石くらい
の存在と蔑んでいた妾の子がいきなりしゃしゃり出てきたわけなの
だから。
男爵の目もあり、さすがに手をあげられることなどはなかったが、
653
嫌みに、些細な嫌がらせは魔法学園に入学するまでずっと続いた。
そして、魔力が使えるようになってから数年がたち、私は魔法学園
に入学した。
タッカー家からの過度な期待を背負い学園に入学した私だったが⋮
⋮ここにきて自分の魔力が相当弱いものであることを知った。
いや初めて知ったというよりはもともと気がついてはいたのだ。
タッカー家はど田舎にあり、男爵家でもそうとう身分低い家で近く
に魔力を持つ者なんて一人もいなかった。
それでも、魔力発動の年齢が遅めだったことや、魔力に関する文献
から自分の魔力がだいぶ弱いということは気が付いてはいたのだ。
しかし、実際に魔法学園に入学してほかの貴族子息、令嬢たちの魔
力を目にすると、自分の魔力なんて魔力と呼ぶのもおこがましいほ
どのものだったと改めて気が付いたのだ。
それに気づくと、ただでさえ戻りたくないと思っていたタッカー家
に、よりいっそう戻りたくなくなった。
タッカー男爵は家から初めて出た魔力保持者にそれは有頂天になり、
婿取り娘にして跡を取らせようなんて言っていたけど⋮⋮正直、ち
ょっと上級の貴族で魔力保持者を何人か輩出している家からしたら、
こんな微々たる魔力を持つだけの妾の娘と鼻で笑われるに違いない。
身分の低い男爵家であるタッカー家はいわば田舎者の世間知らずで
あるのだ。
ここまで養ってもらった恩はあるし、働くようになったら世話にな
654
りかかった分の費用を返そうと思っていた。
でも、タッカー家にずっといたいなどと考えたことなど一度もなか
った。
特にひどく嫌だったわけではないが、居心地がよい場所というわけ
でもなかったから。
だから私は家に戻らなくてもいい方法を探した。
家に帰らずとも男爵たちに認められるような確かな方法を⋮⋮そし
て、見つけたのだ。
それは魔法省へ入職であった。国の最高峰の組織でありあこがれの
的。
ここに入れるとなれば、タッカー家も喜びこそすれ、辞めて家にも
どって来いとは絶対に言うまい。
魔法省は魔力の強い者を多く取っているが、魔力がほとんどなくと
も研究職として成績優秀なものも採用しているという。
魔力のほとんどない私は、そこを狙うしかない。
幼いころから教師たちに優秀だと言われ続けてきた私は、幸いなこ
とにこの魔法学園でも優秀な部類に入ることができた。
初めに行われた学力のテストでトップをとり、そしてその結果、魔
力は少ないながらも学園の憧れである生徒会のメンバーに選ばれた
のだ。
魔法学園の生徒会は生徒皆の憧れである。
知らせがいったタッカー家からは分厚すぎる喜びの手紙が届き、教
師から賞賛の言葉をもらった。
元が田舎の男爵令嬢でしかない私にとって素晴らしい誉である。
だが、逆にそれはたくさんの嫉妬をかうことにもつながった。
655
そもそも魔力を持つ者のほとんどは貴族であり、それも高貴な身分
の者ほどその数は多いのだ。
よってこの魔法学園にいる生徒の多くはそれなりの身分の者たちで
ある。
現在は特にその傾向が強く、一つ上の学年には王族を筆頭に公爵家
令嬢に子息など普通に生活していたらお目にかかることがない身分
の者までいるのだ。
そんな中で、たかが田舎男爵の娘が全生徒の憧れである生徒会に選
ばれとなれば、他の生徒は面白くないのはよくわかる。
特に今年の生徒会の上級生には双子の王子を筆頭に下級生が憧れて
やまない先輩たちが多いため、選ばれなかった生徒の嫉妬はより膨
れ上がっている。
身分だけのことならなら、上級生に学園でも久しく存在しなかった
平民での魔力保持者であるマリア・キャンベルという先輩もいるの
だが⋮⋮彼女は国でほんの一握りしかいない光の魔力保持者であり
その魔力量もトップクラスで一目置かれている。
それに引き換え、ほとんど平民と変わらない身分の田舎男爵令嬢で
ある私はとくに珍しくもない風の魔力、それもほんの微々たるもの。
唯一のとりえは学問だけ⋮⋮。
もっと愛想のよい性格ならもう少しよかったかもしれないが⋮⋮自
分でいうのもなんだが、そこそこひねくれていて、愛想のあの字も
出せやしない。
よってただでさえ、嫉妬がひどいというのに﹁身分も低く、魔力も
ほとんどないくせにお高く留まった嫌な奴だ﹂と学園中ですこぶる
嫌われている。
656
正直、この状況は気分の良いものではないが、それでもどうしよう
もない。
もともと、タッカー家にいた時から誰にも好かれてなんていなかっ
たし、通っていた学校でも陰口ばかりたたかれ、小さな嫌がらせは
多々あったのだ。
多少、嫌がらせが激しくなったくらいで大きく状況は変わらない。
ようは二年頑張って、よい成績を収め魔法省に就職してしまえばよ
いのだ。
私は今までのように一人で努力していけばよいのだ。魔法学園に入
学して数週間、そう心に決めた。そのはずだったのに⋮⋮。
﹁ねぇ、ジンジャーちゃんもこのお菓子食べる? すごくおいしい
よ﹂
﹁いえ、まだ仕事が終わっていないので結構です﹂
﹁そう、じゃあここにおいておくね∼﹂
そう言って彼女はにこにこ笑って机の上にきれいな包装紙につつま
れた菓子を置いていった。
人からそっけない態度だと眉をよせられることの多い私の対応に、
彼女が嫌な顔をしたことはない。それどころか、どんなに邪険に返
そうとにこにこと話しかけてくる。それが不思議でならない。
魔法学園に入学し、生徒会のメンバーに選ばれてこうして活動する
ようになってから数か月が過ぎた。
おかげで仕事のほうはだいぶ慣れてきたのだが⋮⋮予想しなかった
事態もおきている。
そもそも、ここに入学し生徒会に選ばれたことで周りからひどく妬
657
まれ、嫌がらせを受けるようになった時から私は、一人で頑張って
いこうと決めたはずだった。
どうせ、誰も嫌がらせ以外で私に絡んでなどこないと思っていた。
それなのに⋮⋮ともに生徒会に選ばれた同級生はプライドも身分も
高い子が多く、私のことを煙たく思っている様子も見て取れたが⋮
⋮上級生である生徒会メンバーである方々は皆、その身分に釣り合
わないほど気さくで友好的な人ばかりだった。
王族であるジオルド様、アラン様すら私を下に見るような態度を示
すことはなく平等なものとして扱ってくれる。
そして、そんな方々の中でも、特に友好的なのは︱︱︱カタリナ・
クラエス公爵令嬢である。
クラエス公爵絵の一人娘にして、ジオルド王子の婚約者。
その身分的には、国の最高峰である彼女は、日々、生徒会室に出入
りしており、すっかりメンバーに溶け込んでいるが実は生徒会一員
ではない。
上級生であるメンバーの強い希望にて、一般生徒の立ち入りが禁止
されている生徒会室に
特別に入室を許可されている存在なのだ。
学園内では﹃慈悲の聖女﹄などと呼ばれるカタリナ様、私も生徒会
に入ったばかりの頃はその友好的で優しい微笑みに少しドキリとさ
せられたものだ。
しかし、しばらくたった頃に気付いたのだ。
カタリナ・クラエスは︱︱︱ただの変わり者のお馬鹿だということ
に⋮⋮。
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そもそものきっかけは、度重なる嫌がらせと、嫌みで周りが騒がし
く静かな場所を探して学園内を散策していた時の事。
偶然おもむいたほとんど人が訪れないような学園のはずれで、私は
農民が着るような作業着を着こみ、楽しそうに畑作業を行うカタリ
ナ嬢に遭遇した。
あまりの驚きに初めは幻かと思ったほどだ。完全に固まってしまっ
た。
カタリナ嬢と共に作業していた女性は﹁しまった﹂という顔をして
いたが⋮⋮等のカタリナ嬢の方はいつもと変わらない笑顔で私によ
ってきて、
﹁これ取れたてなんだ。食べてみて﹂
と、まさに今とったのであろう野菜をそのまま差し出してきた。
あまりの驚きに思考がうまく働かなかった私は、言われるままにそ
れを受け取り口にいれた。
﹁⋮⋮おいしい﹂
思わずそう漏らしていた。ほとんど平民と変わらない暮らしをして
いた私だったがさすがにこんな風に農民のような真似ごとをしたこ
とはなく、もぎたての野菜を口にしたのは初めてだったのだ。その
瑞々しさは格別だった。
﹁ふふ、でしょう﹂
カタリナ嬢はまるで小さな子どものような顔で得意げににんまりと
笑った。
この出来事をきっかけに、カタリナ嬢は私にさらに友好的になり頻
繁に声をかけてくれるようになったのだが⋮⋮。
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私はといえばそれまでのイメージが払しょくされ、見方が変わった。
そうして周りの意見に流されず、冷静に観察すればカタリナ・クラ
エス嬢という人物はただの変わり者のお馬鹿であると気が付くこと
できたのだ。
そもそも、生徒会に入り浸っているからどうも優秀な気がするが、
彼女の成績は平均ぎりぎり、教科によっては落第点ぎりぎりの物も
あるらしい。
なにせ、下級生の私でもわかるような問題をうんうんと悩んでいた
りするのだ。
しかも、それを私に聞いてきたので、仕方なく説明すると⋮⋮
﹁わぁ∼さすが一年の主席、すごいね∼。ありがとう﹂
と返してきた。
普通ならそこはプライドが邪魔しそうなのに、彼女にはそういった
プライドは備わっていないようだった。
おまけに魔力のほうも、ほぼ私と同じくらいの低いもので⋮⋮正直、
公爵令嬢という身分以外は特に秀でたところもないというご令嬢だ
った。
そもそも慈悲深いとか、身分の低い者にも分け隔てないというもの
⋮⋮おそらく何も考えてないだけなのだ。
悠然とした立ち姿だの、凛々しい立ち振る舞いなんて褒めたたえら
れる姿はすべて周りが勝手に作り出した幻に過ぎないのだ。
よってカタリナ・クラエスに関わっても学ぶことはないと、私はな
ぜかやたら近寄ってくる彼女と距離をとるように心がけている。
そもそも私は馬鹿が嫌いだ。
自分ができないからとできる人間を貶めようとしてくる馬鹿なやつ
らにこれまでさんざん嫌な思いをさせられてきたからだ。
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︵まぁ、カタリナ・クラエスがそういった人間ではないことはわか
ってはいるが⋮⋮︶
なので、これからも私はカタリナ・クラエスと仲良くなるつもりな
どみじんもないのだ。
しかし、﹁ジンジャーちゃん、これ食べる﹂﹁ジンジャーちゃん、
これみてみて﹂
なぜかカタリナ嬢はニコニコと私の元にやってくる。
他の人たちのように彼女にチヤホヤするわけでもなく、むしろかな
りそっけなくしているはずなのになぜだ。まったくわからない。
﹁いや∼、確かにそっけない感じはするけどなんやかんやとちゃん
と話を聞いて色々としてあげているじゃない﹂
同じ学年で同じく生徒会のメンバーであるフレイはそういってにや
りとした笑みを浮かべた。
学年次席の成績を収める彼女は、私と違って魔力も高く、家は侯爵
家という完ぺきな貴族令嬢である。
ただし彼女は他の令嬢たちのように私を妬んで嫌がらせをしたり、
無視したりしないのだ。
むしろ積極的に話しかけてくる。
そして﹁あんたといると退屈しないし、面白いのよ﹂などと言う。
生まれてこのかた﹁つまらない﹂﹁かたぶつ﹂などと言われても﹁
面白い﹂などと言われたことのなかった私なのだが⋮⋮高貴な貴族
の方の考えることはよくわからない。
そんな感じでこのフレイという同級生は唯一、私がまともに会話す
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る相手なわけなのだが、その彼女が、私の疑問﹁なぜカタリナ嬢は
私に積極的に話しかけてくるのか﹂というものに対して答えたのが、
上記の言葉だった。
だが⋮⋮
﹁何かしているつもりなどないが﹂
そもそも他の生徒会メンバーと違い私はカタリナを好いてなどいな
い、むしろあの馬鹿さ加減にあきれるばかりだ。
一応先輩なのでそこは立ててはいるつもりだが⋮⋮。
そのようなことを説明する私にフレイは、
﹁ははは、完全に無自覚なんだね﹂
とよくわからない返答を返してきた。どういう意味だ。
結局、その後、フレイと話を続けても答えが出ることはなかった。
その日は授業で分からないことがあり教師に訪ねてから、生徒会室
に向ったため、到着がいつもより遅れた。
すると、同じ生徒会メンバーである同級生の何人かが先についてい
たらしく、中から話し声が聞こえてきた。
﹁あの態度ときたらなんなの! 腹立たしいいですわ、ジンジャー・
タッカー﹂
﹁本当に!何様のつもりなのかしら﹂
﹁少し頭の出来がよいというだけでつけあがって﹂
私は思わず、ドアにかけようとした手をひっこめた。これは私が入
ってはいけない場面だとさっする。
私の態度が皆に不快を与えるのはよくあることのようなので、こう
いうのは慣れっこだ。
特にこの学園に入ってからは実力のそぐわない生徒会入りに対する
妬みも強いので、このくらいのことはよくあることだ。
他の生徒会メンバーたちが、私を面白く思っていないのも気付いて
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いた。
なので仕方ないことだ。少し時間を空けてから入ろう、そう思った
時だった。
﹁ジンジャーちゃんは別につけあがってないと思うよ﹂
初めからそこにいたのか、突然の第三者の声が彼女たちの怒声にか
ぶった。
﹁カ、カタリナ様、いらっしゃったのですか!﹂
驚いた声に、中の彼女たちもカタリナの存在に気が付いていなかっ
たことが知れた。
突然のカタリナの登場に、それまで私のことを悪く言っていた彼女
たちはひどく動揺したようだったが、それでも一人の令嬢が再び口
を開いた。
﹁カタリナ様は、優しすぎるのですわ。だいたいタッカーさんとき
たらカタリナ様に対しての態度も悪すぎますわ。カタリナ様も内心
は腹が立っているのではありませんか?﹂
この令嬢の質問に私は思わずドキリとしてしまった。
それは私自身がずっと思っていたことだ。あのような態度をとられ
てもカタリナは少しも変わらずに接してくるが、内心では彼女たち
のように腹を立てているのではないかと⋮⋮。
そ、そうだとしても、それは当然のことだし、それならそのうちに
愛想をつかして私から離れていくだろうから喜ばしいことであるは
ずなのに⋮⋮なぜか、気持ちがざわついた。
私はじっと扉の前にたたずんでカタリナの答えを待った。
すると、
﹁あのような態度って?﹂
聞こえてきたのは間の抜けたような声。
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﹁え! あのカタリナ様がわざわざお声をかけているのに、そっけ
なく邪険にするようなあの態度ですけど⋮⋮﹂
驚いた声をあげた令嬢たちに、
﹁ああ、確かに返事は少しそっけないけど⋮⋮邪険になんかされた
ことないけど⋮⋮むしろあの子すごい親切で優しいよ﹂
﹁⋮⋮﹂
おそらく絶句しているのであろう令嬢たちにカタリナはさらに続け
る。
﹁あなた達ももっと話しかけてみるといいよ。確かにちょっとツン
ツンしたとこあるけど、実は面倒見もいい子だよ。たまにすごくデ
レて可愛いし、いわばツンデレだよ﹂
﹁⋮⋮ツンデレ?﹂
謎の単語を復唱し、完全に令嬢たちは言葉を失ったようだ。
私はなんだか顔がかっと熱くなったので、外で冷やして来ようと扉
の前を離れようとした。すると、いつのまにか隣にフレイの姿があ
った。
どうやら彼女も生徒会で仕事をしようとやってきたらしい。
﹁ふふふ、ジンジャーったら顔真っ赤だよ﹂
どこから聞いて見ていたのか、フレイがにやりとした笑顔でそう言
ってきた。
﹁⋮⋮外からきて少し熱かったから﹂
どこか言い訳めいた風にそう返すと、
﹁そう、でも顔もいつもの厳しい表情が崩れて、笑顔になってるよ
∼﹂
くすくすとそう言われ、私は思わず自分の顔を抑えた。
﹁⋮⋮気のせいよ!﹂
私は吐き捨てるようにいうとさっさとその場を離れた。
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私が親切で優しい、可愛い⋮⋮まったくあのお馬鹿令嬢は何をいっ
てるんだか⋮⋮本当にあのカタリナという人物は意味がわからない。
私は速足でずんずんと学園の中庭を進んだ。特に目的があったわけ
ではないが、どうもじっとしていられなかったのだ。
そうして意味なく庭を回っていると、
﹁本当に嫌になるわね、あの女﹂
﹁あんな頭もよくなくて魔力もほとんどないくせに、身分だけでチ
ヤホヤされて﹂
﹁そのとおりよ、あんな女、ジオルド様にはまったく釣り合ってい
ないわ﹂
﹁ジオルド様も、生徒会の皆様もはやく目をさまして、あのような
馬鹿女はやく捨ててしまえばよいのに!﹂
数人の令嬢たちが、険しい口調でそのように話しているのが、聞こ
えてきた。
そしてその内容からそれが誰を指す悪口なのかもわかった。
彼女を慕うものは多いが、完ぺきな王子であるジオルド様の婚約者
であるということや、他の優秀な生徒会メンバーにも好かれている
ということから一部の令嬢たちなどからはひどく妬まれていると聞
いたことがあったが、実際にこうして悪く言われている現場に出く
わしたのは初めてだった。
私は思わず足を止め、もの陰から彼女たちを伺った。
﹁目障りで仕方ないわ﹂
周りに人がいないことから彼女たちの言動もひどくなっていった。
﹁あんな身分だけ女さっさとどこかへ消えてしまえばよいのに!﹂
﹁そのとおりよ!﹂
その彼女たちの発言に私の中でふと何かがはじける。
確かにカタリナ・クラエスはお馬鹿で魔力も大したことない変人だ。
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だが⋮⋮この令嬢たちがいうような身分だけの存在などではない。
ましてや、こんな風にいわれるような人物ではない。
﹁きぁ、なに?!﹂﹁なんなの!!﹂
突然、吹いた突風に令嬢たちの整えられた髪もドレスもぐちゃぐち
ゃになる。
慌てた彼女たちの様子に溜飲を下げた私は、そっと気付かれないよ
うにその場を去る。
基本的に学園内で、私事で魔法を使うのは禁じられているので、見
つかるとまずい。
しかし、少し歩きだしたところに、どうやら私を追ってきていたら
しいフレイが再びそれはにやにやした笑みを浮かべて立っていた。
﹁やっぱり、ジンジャーもカタリナ様が大好きだよね﹂
そう言ってまたくすりと笑ったフレイを、私は力いっぱい睨みつけ
た。
★★★★★
﹁ほらジンジャーちゃんこれも美味しいよ。もうずっと頑張ってる
んだから少し休憩して食べようよ﹂
僕、ジオルド・スティアートの婚約者であるカタリナはそう言って、
一学年下の生徒会メンバーであるジンジャー・タッカーにニコニコ
と菓子を差し出した。
すると、いつもなら割とそっけない感じで﹁後で結構なのでそこに
おいておいてください﹂などと返すジンジャーが、今日は
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﹁ありがとうございます﹂
と素直に菓子を受け取った。
意外に思って気付かれないように観察していると、いつも無表情の
ジンジャーの唇がわずかに持ち上がっているのがわかった。
おまけによくみればその頬は少し赤くなっている。
そんな様子を目にして、僕はまたかと思わずため息をつきそうにな
った。
ジンジャー・タッカー、一学年下である彼女は魔力こそ低いがその
学力はここ数十年でトップクラスといわれるほどの秀才で、すでに
学園卒業後に彼女をほしいという組織は多いといわれている。
そんな彼女は、いつもどこか孤高な雰囲気を漂わせ、誰ともさほど
親しくしないというスタンスを貫いていたのだが⋮⋮ついにカタリ
ナに落ちた⋮⋮いや、落とされたようだ
生徒会のメンバーとなった初めのうちジンジャーはカタリナにさほ
どよい印象を持っていないようだった。
なので、特にカタリナと親しくはしていなかったのだが⋮⋮
ある時、カタリナの秘密︵本人はあまり秘密と考えていないが周り
が、一応、公爵令嬢である彼女の名誉のために隠していた︶学園内
での畑づくりが彼女にばれたことにより、二人の仲は急接近した。
というよりカタリナが一方的にジンジャーに懐き出したのだ。
なんでも畑でとれた作物をそれは美味しそうに食べてくれたとのこ
とで、そうとう嬉しかったようだ。
いきなり懐き出した上級生であるカタリナにジンジャーはだいぶ戸
惑っていたようだが、
それでも、素直でお人好しな性格なのだろう、ややそっけないなが
らもきちんとカタリナの相手をしてくれていた。そんなジンジャー
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にカタリナはさらに懐いていった。
そしてジンジャーの方もそんなカタリナに少しずつ態度が軟化して
いっていたのは感じていた。
しかし⋮⋮今日のこの様子を見ると、ついにジンジャーも完全にカ
タリナに誑し込まれたらしい。
僕の婚約者であるカタリナは、本人にまったく自覚はないがとんで
もない人誑しだ。
少しこちらが目を離したすきにすぐに人を誑し込んでいる。それも
老若男女関係なくだ。
八歳で婚約してからずっとそんな調子でどんどんカタリナ信者を増
やし続ける彼女に、もう仕方ないと諦めつつも少しは自粛してほし
いと思ってしまう。
特に力を持つ者をこれ以上、誑し込んで欲しくない。さすがにライ
バルの数が多すぎる。
あれだけ仕事ができるジンジャー・タッカーが、僕とカタリナの仲
を裂こうとする筆頭であるメアリの勢力に取り込まれたりすれば、
またかなり厄介なことになるだろう。
また新たな懸念が増えたことに内心、不快ため息をつく。
そして、元凶である婚約者に目をやれば、彼女はいつもと変わらず
にこにこと楽しそうに笑っていた。
これからも僕の悩みは尽きそうにない。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5040ce/
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してし
まった…
2016年8月17日19時33分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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