改革とともに再開発事業が始動

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VISION
長崎大学病院
2016 . 8
長崎の医療の未来を描く
再開発物語《3》
改革とともに再開発事業が始動
国民皆保険の導入などに伴い、医療提供体制の充実が求められた昭和 50 年代。高層の病棟の完成を迎え、
患者数は順調に伸びていった。その後「診療」
「臨床研究」
「教育」の3本柱で成り立つ大学病院の役割が社
会の変化に影響を受けて、大きく変わっていくことになる。今春完成を迎えた「平成の再開発事業」の流れ
を追った。
患者さんへの配慮
体の改革も本格化した。医科、歯科、薬学部が統合
した医歯薬学総合研究科を開設し、翌年には医学部
附属病院と歯学部附属病院を統合、名称を「長崎大
1976(昭和 51)年に建てられた 12 階建ての真
学医学部・歯学部附属病院」と改めた。その2年後
白な病棟は階層ごとに医局が配置され、それぞれの
には国立大学法人化した。これは病院の開設者が国
医局が診察室やベッドを備える構造だった。
(文科省)から国立大学法人長崎大学になり、大学自
1996(平成8)年2月、将来構想検討委員会で
身が自ら経営する道を歩んでいくことを意味する。
病院の将来像が練られた。21 世紀の展望として、
こうしためまぐるしい改革の時期と前後するよ
病院施設の整備と診療体制の改組再編が挙げられて
うに再開発事業が動き出した。文科省の厳しい面積
いる。『長崎大学五十年史』
[1999(平成 11)年発
配分の縛りの中で計画が練られていった。
行、長崎大学五十年史刊行委員会]には目指すべき
その一歩として挙げられたのが、新たな病棟の建
大学病院像について、こう記している。
設だった。2002(平成 14)年に予算がつき、翌年
「患者からの要望は、分かりやすい医療の提供が
度から設計に入った。
第一であり、今のような講座別診療体制のままで
は、どこに受診すればよいか分かりにくいと思われ
丘陵地の苦悩
る。(中略)。昭和 51 年に現在の新館が完成して以
来、各病棟を臓器別配置にして、診療してきた経緯
工事を始めると、一筋縄ではいかなかった。通常
を踏まえ、反省点と今後に生かせる部分を十分論議
病院の建て替えや新築の場合、近くに代替地を準備
し、21 世紀において、さらに能率的な機能別、臓
することが多いという。しかし、丘陵地に建つ長崎
器別診療体制を完成することが必要であり、これは
大学病院は代替地の確保が現実的に不可能だった。
患者及び関連病院との関係の中で、求められてくる
手術や入院といった病院機能を落とさず、狭い場所
ことは必定である」
での移転のやり繰りは困難を極めた。
当時の病棟は医学部の医局と、附属病院の診療科
施設部の浦川公宏班長は「通常なら代替地を近く
部分が混在していたため、大学病院を受診する患者
に準備して壊して建て替えることが多い。しかし、
さんにとっては不便な造りだった。こうした改善を
それができない以上、移転を繰り返しながら工事を
掲げて、2000(平成 12)年、再開発の青写真が描
続けるしかなかった」と苦悩を明かす。しかも建物
かれ始めた。併せて 2002(平成 14)年、大学本
は岩盤の上にあり、岩を掘削する基礎工事にも時間
を費やした。
2008(平成 20)年、ついに新病棟が完成。この
▲写真中央は新しく建設された入院機能を持つ病棟。奥の隣接する T 字の
白い建物は改修前の外来棟。
新病棟に入院機能を集約した。次いで再開発事業は
▼改修に伴い外来棟に設置された制震ダンパー
1976(昭和 51)年に建設された病棟へと向けられ
た。既存の建物を利用し、改修という方法で工事
がスタートした。この病棟は 2011(平成 23)年、
地下 1 階、地上 12 階建ての「外来棟」として新た
に生まれ変わった。7階までを患者さんに配慮した
外来診療部門とし、その上階に医学部の医局を配し
た。
外来棟改修の特徴の一つとして、耐震への備えが
ある。今年4月に起きた熊本地震では多くの医療施
設が倒壊したため、震度7に耐える構造の必要性が
指摘された。本院では建物の構造上、免震が不可能
を隔てたその先では医師たちがメスを握っていた。
で、制震ダンパーを採用していた。ほかにも分電盤
工事の振動が伝わらないように、担当者たちは1週
が倒れない工夫も施し、本県の災害拠点病院として
間にわたって手術室の側に張り付き、振動が伝われ
の役割を早い段階で視野に入れている。
ばすぐに工事を止める態勢を整えて細心の注意を
外来棟完成後の翌年、再開発事業はいよいよ最終
払った。
段階を迎えた。大学病院の機能で最も重要な手術部
再開発事業が動き始めてから十数年経った 2018
門などが集まる中央診療棟部分の建て替え工事であ
(平成 28)年3月。県全体の高度・先進医療や救急
る。工事の中でもっとも気を遣ったのは、中央診療
医療を担う中央診療棟が完成した。新しくなった長
棟部分を2つに切り離す作業のときだった。壁一枚
崎大学病院の中枢部が動き出した。