東京ジャーミイ金曜日のホトバ 2016 年 8 月 19 日 スィラートゥル・ムスタキーム(真っすぐな道) 兄弟、姉妹の皆様! ある時、教友たちと共にいた私たちの預言者( 彼の上に平安あれ)が、聖クルアーンから、あ る章句を朗誦なさいました。それはイスラー ムが下される以前の宗教に属する人々が、い かに神の宗教をゆがめたかについての章句で した。「かれらは、神をおいて律法学者や修 道士を自分の主となし、またマルヤムの子マ スィーフ※を(主としている)。しかしかれらは 、唯一なる神に仕える以外の命令を受けては いない。かれの外に神はないのである。かれ らが配するものから離れて(高くいます)かれを 讃える」。 預言者が章句を朗誦し終えると、キリスト 教からイスラームに改宗したある教友が言い ました。「神のみ使いよ!私たちは、彼ら(律法 学者や修道士)に仕えていたわけではありませ ん」。すると預言者は彼にこうお尋ねになり ました。「彼らは、自分たちが望むままに何 が合法か、何が非合法かを決めている。そし てあなたは、それに従っていたのでしょう?」 。彼は答えました。「はい、おっしゃる通り です」。すると預言者はこう告げられました 。「それこそが、この章句の意味するところ です」。 愛すべき兄弟、姉妹の皆様! この章句は、歴史を通じて人類が逸脱し、自 分たちの宗教的な理解や見解をそこに紛れ込 ませ、変節してきたことを私たちに示すもの であります。こうした逸脱や変節を起こさな いためにも、全能の主は、アダム(彼に神のご 満悦あれ)に始まり私たちの預言者ムハンマド ・ムスタファ(彼の上に平安あれ)に至るまで、 かれの祝福されしみ使いを通じて、タウヒー ドすなわち<唯一性>の信仰へと人類を招いて おられるのであります。 タウヒードすなわち<唯一性>に対する信仰 、それはまっすぐな道であります。この道に は服従があります。帰依があります。奉仕が あります。それらはすべて、ただ神に対して のみ捧げられるものであります。この道は率 直さの道、正直さの道であります。シルク(複 数の神に仕えること)やクフル(神に対する感謝 を忘れること)、また偽善や二面性を抜きにし て、あるがままの自分自身であれという道で あります。この道には道徳があります。美徳 があります。そして誠実さがあります。この 道には過ちの代わりに正しさが、背信の代わ りに忠誠があります。この道には目的があり 、正義があります。永続するのは正しさによ ってであり、逸脱や破壊、傲慢さや冷淡さで はありません。 愛すべき兄弟、姉妹の皆様! 全能の主のまっすぐな道においては、徳高き 「清廉潔白で疑う余地のない」人物など、預 言者たちをおいて他に誰ひとりとしていませ ん。このまっすぐな道においては、預言者た ち以外の誰かが、特別な選ばれし人物として 見なされることはあり得ないのです。誰かの 言葉や書籍、行為などが神聖視されたり、真 の知識として扱われたりすることはありませ ん。このまっすぐな道において、神への反抗 心を抱きつつ帰依することなど不可能なこと であります。クルアーンとスンナの定義によ って支えられているものこそ、絶対的な帰依 と忠誠の原則であります。 兄弟、姉妹の皆様! 来世における結末は、現世における自らのふ るまいによって定められるのだということを 思い起こしましょう。自らの責任や釈明の重 荷を、他人に背負わせることは誰にもできま せん。大いなる(審判の)日、私たちの希望と なるのは忠実な信仰、誠実な意図、本当の知 識、善良な行ない、そして落ち着きのある深 い心のみであります。 全能の主の憐れみのみが、私たちの唯一の 避難所であります。全能の主が私たちを、常 に自らの責任に注意を払い、自らの義務を意 識するしもべの一人として認めたまい、主の 憐れみに浴する栄誉を授けて下さいますよう に。全能の主が私たちを、一瞬たりともこの まっすぐな道から逸らしたもうことがありま せんように。私たちの宗教の価値や信仰を、 私たちのイスラームを、壊そうとしたり、悪 用したりする人々を、全能の主は決してお見 逃しになることはないでしょう。 ※マルヤムの子マスィーフ、とはマリア様の子であるイエス ・キリスト様のことです。 www.tokyocamii.org
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