現代社会論 第1回 観光の「眼差し」と 不可視化される多様性 高度経済成長後における「観光」の眼差しとその変遷 講義のねらい 社会学:社会なるものを考察し、語る(言語化する)こと 想像力(imagination)を鍛える:自分のアタマの中にある言 葉やイメージを豊かにしていくこと 私たちは何を眼差し、何を想像しているのだろうか:日々の積 み重ねのなかで育っていく想像力 私たちは自分自身の想像力を駆使し、言葉を用いて「身近な世 界」について語ることができるだろうか? ワークシートの問い 観光(的な眼差し)が日常化している現代社会において、あな たは何に「光」があたり、何が「影」(不可視)となっている と考えますか。自分が生活している場所の具体的なイメージを 参照しながら考察してください。 ◇授業資料およびワークシートへのアクセス https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a050/?C=N;O=A 観光とは 「光」を観ること。 「光」は国や地域のオーラ=「聖なるもの」(その時代の流行)。 「聖なるもの」の感じ方には「力」(政治・経済・文化)が大きく 作用する。 「聖なるもの」の内実は時代とともに変わる。 日常から脱する非日常的な行為(異文化や「他者」との遭遇)。 観光の社会学 観光を研究することによって、それぞれの社会の、それぞれの時代の「聖 なるもの」の追いかけ方――文字通り人の移動を伴う「追いかけ方」――を 抽出することができる。 前近代においては観光は宗教と深い関係にあった。観光行為の多くは「巡 礼」として宗教文化のなかに位置づけられていた(e.g. 伊勢参り)。 現代社会では、「光」の意味に変化が生じ、その市場化が深化している。 また、アイデンティティとの関わりが強くなっている。世界遺産・マンガ やアニメ文化・ボランティア体験などが観光の枠に吸収されている。 須藤(2012) 現代社会における観光の意味 かつての観光は、宗教的な意味づけによって日常/非日常を明確に分離し ていた(自然)。観光は日常からの離脱を意味していた。しかし、現代社 会における日常生活は虚構的(人工的)な仕掛けに満ち溢れていて、日常 /非日常の境界は明確ではない。 1970年に開催された大阪万博では6400万人もの入場者数を獲得し、イベン ト(虚構)をつくりだせば観光需要を掘り起こすことが明らかとなった。 観光地は新幹線の開業に合わせるように、西へ西へと「発見」されるよう になっていく(鉄道とのむすびつき)。 須藤(2012) ディスカバー・ジャパン ~美しい日本と私~ 1970年の大阪万博終了に伴う対策として打ち出され た(国鉄)。 団体旅行から個人旅行へ。【Cf. 個人と消費】 日本の再発見を通じて自分自身を再発見するという コンセプト。 大阪万国博覧会(1970年) 『新日本紀行』 (1963~1982年、NHK) http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80%E8%A1%8C%E3%80%80%E5%96%9C%E5 %A4%9A%E6%96%B9&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 山田洋次『男はつらいよ』 (1969~1997年) https://www.youtube.com/watch?v=O8UlVwZIIww 火曜サスペンス劇場 (1981~2005年) http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%81%AB%E6%9B%9C%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9 &aq=-1&oq=&ei=UTF-8 舞台は観光地。 観光地で殺人事件が起こる。 温泉旅館、郷土料理、特産品が紹介される。 近代化の過程で消え去る共同体への郷愁。 観光の「眼差し」 (1)対象の客体化 (2)エキゾチシズム (3)コミュニケーションの不在 観光の「眼差し」 (1)対象の客体化 ■一方向的な眼差しによる客体化 観光の眼差し(e.g. 車窓から眺めること、展望台から眺めること、 カメラによる撮影)においては、相手(「他者」)の眼差しに対す る意識は低い。 「他者」が演出した物語を「消費」する。 双方向性の欠如により、自己/他者のイメージは「本質主義的」に 理解され、お互いのイメージが変容する(コミュニケーションが生 まれる)可能性は低い。 観光の眼差し (2)エキゾチシズム ■「他者」や異文化に注がれる眼差し 「他者」がエキゾチックに演出/装飾されることを通じて「非日 常」的な魅力が醸成される。 「他者」の日常、あるいは見る側/見られる側に存在する関係性や リアリティは後景化/不可視化する。 cf. オリエンタリズム(E. サイード) 郷ひろみ『2億4千万の瞳』(1984年) ~エキゾチック・ジャパン~ イメージ 観光の眼差し (3)コミュニケーションの不在 ■「他者」とのコミュニケーション(交換)の不在 自己/他者、あるいは異文化間の出会いや交流が両者のハイ ブリッド化(混淆化)を生じさせていることが不問とされる。 市場を介した出会いの結果として「消費」というものが圧倒 し、そこから何か新しいことが生れる(「生産」)契機を見 出すことが難しい。 「リゾート」から「まちづくり」へ ~双方向的な観光へ~ 観光が社会学的関心を持たれるようになるのは観光が地域政策の一つの手 法となった1980年代後半以降。第四次全国総合開発では、「総合保養 地域開発法」(リゾート法)が施行される。 リゾート法施行直後の乱開発(e.g. 越後湯沢)への批判を経て、1990 年代中葉以降は「まちづくり」へと手法が変わっていく(「開発」という 言葉が使われなくなっていく)。 マス・ツーリズムに伴った観光開発の結果、経済効果もほとんどないまま、 自然破壊、文化破壊といった犠牲を払ったことに対する「反省」を踏まえ ている。 須藤(2012) 観光の移り変わり 鉄道から車へ(地方におけるモータリゼーションの全域化)。 双方向性(見学から交流へ)。 モータリゼーション ~鉄道から車へ~ 道の駅(1993年~) 987駅(2012年) 旅客輸送人員に占める割合の増加 (1965年の11.3%~2005年の82.3%) 聖地巡礼 埼玉県鷲宮(土師祭) ~双方向化する観光~ 観光の移り変わり ~「反省」と「B級」のあいだで~ 近代化を象徴する建造物や負の遺産を象徴するものへと着目し、過 去の振り返りや反省のメッセージを伝える/学習することが観光資 源となる。 戦略的な差異として情報発信されるB級=田舎の<癒し>イメージの 現代版。「ものづくり」の拠点から「文化(情報)」の拠点へ。 「反省」と観光 広島原爆ドーム(世界遺産) ダークツーリズム ~反省の旅に込められる眼差し~ 「戦争や災害の跡などの人類の負の記憶を巡る旅」。 価値の根幹は、「悼み」と「地域の悲しみの継承」にある。 災害(阪神淡路・東日本)、戦争(広島・長崎)、科学論(水俣 病)などを経験しているゆえに、日本型ダークツーリズムを発信す るべき。 井出(2013) 「光」ではなく「影」を観る旅 『福島第一原発観光地化計画』 福島の第一原発事故とその後の復興についての 情報を世界に向けてきちんと発信し、後世に向けて できるだけ残す義務を負っています。そのためには、 福島第一原発と周辺地域は、研究者やジャーナリスト だけではなく、一般市民の見学もまた積極的に受け入 れるべきだと考えます(東 2013) B級と観光 『珍日本紀行』(都築響一) Roadside Japan UFOふれあい館(福島市飯野町) B級グルメ(円盤餃子) 地域ブランディング B級ツーリズム 情報化時代への対応:新たに伝統が創造されることにより文化的な イメージを発信するための地域の固有性が担保される。 フラットな関係性:庶民的(親しみやすい)な意味が付与されるこ とにより、観光客と現地の人びとのフラットな関係性におけるB級と いうイメージの交換。 オルタナティブな志向性:都会的なもの(本物=A級)を志向しない スローライフ的な志向性や地元志向性には、都市一極集中やスピー ド・効率性を重視する近代化に対する反省にもとづいたオルタナ ティブな価値観がある。 これで良いのだろうか? 疑問符をつける! 地域の固有性(アイデンティティ)はグローバルに開かれた文脈にい ちづけられたものか?固有性が前景化していく過程で後景化していく ものは何か? 地域の固有性が掲げられているものは本当に地域に固有なのか?むし ろどこにでもあるもの、没個性的なものになっていないだろうか。 B級の発信によって対等な関係性が構築されているだろうか。むしろ都 市(中心)と田舎(周縁)の構造が固定化しているのではないか。 誰がローカルなイメージを創造しているのか? 誰がローカルなものを語るのか? エキゾチックな視線/ロマンチックな語りを越えて 地域の固有性の発信による差異化に注がれるエキゾチックな視線への 期待。ただし、横並び式に陥った場合には没個性的。 地域を語る言葉やイメージが資本に回収される。回収されたイメージ は、ローカル/当事者のつくり上げたイメージを凌駕する。 自分たちの言葉で地域を語る、イメージを形成することが不可能とな る。 「知ってるつもり」 ~何が見えなくなっているのか~ 文化の絶え間ない変容や混淆性、越境性に着目することによって、地域社会 の置かれている固有な条件(現実)が明らかになる。 身近な世界で生活する「他者」の存在や多様性に気づくことによって、自己 の固有性の意味づけがより多様性を担保したものとなる。 観光的な眼差しが日常化している現代社会において、 何に「光」があたり、何が「影」となっているのかを考える。 参考文献 ・東浩紀編(2013)『福島第一原発観光地化計画』ゲンロン。 ・中筋直哉・五十嵐泰正編著(2013)『よくわかる都市社会学』ミネルヴァ書房。 ・須藤廣(2012)『ツーリズムとポストモダン社会――後期近代における観光の両 義性』明石書店。 ・谷村 要(2011)「「祭りのコミュニティ」による「出会い」の可能性――「ハル ヒダンス」と「アニメ聖地」を事例として」『社会学批評 : KG/GP sociological review』別冊号、 97-109。 ・都築響一(2000)『Roadside Japan-珍日本紀行』(東日本編)筑摩書房。
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