岡目八目 囲碁の格言に、「岡目八目」というのがある。傍で見ている人の方が、碁を打っている当 事者より八手先までよむことができると言う意味である。当事者は勝負に関する欲や思い 込みがあり、客観的に物事を見通せないことが多いからであろう。つまり、当事者になる と、結果に関する欲が出てくるために判断が狂うということである。 同じような言葉に、 「無責任な発言」というものがある。会議などで、自分がやる気もな いくせに勝手なことをいう場合に使われ、非難の意味が込められている。多くの人は、自 分が行うとしたら大変であることが分かっているから言葉を選んでいるのに、自分はやら ないことを前提に好きなことを言っている、というわけである。しかし、このことは、自 分が責任を持つという配慮を外せば、物事の結論は、割と、簡単に見えてくるということ である。 しかし、このような格言を無条件に信用してはいけない。「岡目八目」にしても、傍で見 ている人の方が先が見えた場合がある、と解釈すべきであって、勝ちきるまですべての局 面で先が見えている保証はない。無責任な発言にしても、ほとんどの場合は、実行不可能 な役に立たない話の方が多い。したがって、それらの使い方が重要なのである。 無責任な発言が示唆していることは、現実に実施するという制約条件をなくした時の理 想的な答えを表していると考えるのが適切であろう。理想的な解を想定しながら現実的な 解を捜すことが重要なのである。現実的な問題に対応して議論していると、懸念が先に立 ち、議論が堂々巡りをしがちである。そのような時に、能天気な発言が結論へのヒントを 与えることもある。要するに、無責任な発言に対しても、「理想的な場合のヒント」を与え てくれている、と判断できる心のゆとりを持てることが、現実的な解決策を見いだすため に必要なのであろう。
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