Title 文楽時代物の道行:『嫗山姥』の源頼光と山姥の山廻り (Text

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文楽時代物の道行:『嫗山姥』の源頼光と山姥の山廻り
(Text Linguistics)
森岡, ハインツ; 佐々木, みよ子
Sophia linguistica : working papers in linguistics, (57)
2009
紀要/Departmental Bulletin Paper
Text Version 出版者/Publisher
URL
Rights
http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/handle/123456789/259
97
文楽時代物の道行
こもち
―『嫗山姥』の源頼光と山姥の山廻り―
森岡ハインツ
佐々木みよ子
Michiyuki in Bunraku Puppet Theater, Part 2
Summary
Michiyuki are scenes in Japanese stage arts, which enumerate happenings
occurring along the route of a traveler. The previous contributions took up
michiyuki in Nō, Kyōgen, Sōga and Bunraku(SL54,55,56). As first example of
Bunraku michiyuki a sewamono, “domestic play”, by Chikamatsu Monzaemon
(1653-1724) was discussed(SL56). Much greater in number are the jidaimono,
“historical plays”, by Chikamatsu. Jidaimono enact in complex plots and with
fantastic embellishment the deeds of historical personalities, mostly of the
Heian and Kamakura periods(9th to 13th centuries).
A famous jidaimono of Chikamatsu which includes interesting tall talking
and preternatural michiyuki is Komochi Yamamba, “The pregnant mountain
witch”(1712). The hero of the play is Minamoto no Yorimitsu, called Raikō
(944-1021), who became famous on account of the numerous deeds he
performed with his four companions (shitennō ). He recruits these companions
on his michiyuki through deep mountains. One of them, called Kintoki, is the
son of a courtesan who turned into a mountain witch (Yamamba). In the final
michiyuki of the play the Yamamba wanders incessantly and with miraculous
speed through the mountains of Japan.
1.近松門左衛門の時代物
文楽時代物は江戸時代からみて過去の貴族や武士階級の事件を扱う。神代,奈
良,平安,鎌倉などの時代があるが,とりわけ源平時代のものが多い。徳川時代
では将軍家に関連する時代をそのまま脚色することは禁じられていたので,それ
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を鎌倉や室町時代などの事件にさしかえて上演する。
時代物は世話物と比べて圧倒的に数が多い。通常五段で構成される。演出,演
技などの点で時代物の方が誇張されており,舞台や衣装なども華麗に形式化され
ている。時代物は歴史的な事件や人物を扱っているが,史劇とは言えない。むし
ろ様式化された事件や人物は形式化される。現代劇には少ない不思議な魅力に富
んでいる。
近松門左衛門(1653-1724)は浄瑠璃作家として時代物の執筆に主力を注いだ。
時代物 70 篇,世話物 24 篇がある。晩年の心中もの,世話物が傑作として人気
があるが,時代物の研究は全く進んでいない1。
近松の時代物は叙事文学の系列に属する。話の筋の展開や変化に興味を注ぎ,
日常生活で経験しないような異常な事件を扱い,超現実的な世界を描く。現実社
会より夢の中にある遠い過去を舞台とする。
文楽は庶民演劇であり,熱烈に庶民に愛され,庶民の心情,理想,夢を実現す
るものである。例えば『国性爺合戦』(1715)のように,中国,日本にまたがる
壮麗な超現実的な世界を現出させる時,陶酔をよぶ。
夢幻的な世界に遊ぶ近松は,現実的な町人の世界の世話物的要素を時代物にも
とりこんでいる。
こもち
こもち
本稿では近松の時代物浄瑠璃『嫗山姥』
(1712)の道行を探る。
『嫗山姥』は能『山
姥』を構造的な基本骨格として利用している。五段にわけて,各段は独自の展開
を見せる。奇想天外な話で観客の興味を誘う。話の縦軸になるものは,平安中期
の武将,源満仲の長男,源頼光が四天王をおのが家来としてとりこむ経緯である。
第一段:頼光の名剣
名剣探しの旅先で,頼光は親の敵討を果たした小糸とその愛人が追いかけられ
て彼の投宿先に逃げこんだのを助け,名剣を献上される。頼光は「髭切膝丸」と
う すい
命名する。さらに助太刀をした男を四天王の一人として召しかかえる(碓 氷定光)
。
第二段:しゃべり山姥
小糸の兄坂田時行が煙草屋源七に身をやつして大納言邸にいるところへ,通り
かかった元遊女八重桐が加わり,姫君,腰元衆を相手に廓の身上話を面白おかし
くしゃべりまくる。時行と八重桐が二人切りになると八重桐は時行の腑甲斐なさ
なじ
を詰る。実直な時行は絶望して切腹。最後の一念が女房の体に宿り,女房は山へ
わざもの
逃れ,子を山で育てる。山姥にめぐりあった頼光は一戦を交えるが,業 物の利剣
に降参した山姥は女性に戻る。大力無双の野生児は頼光におめみえして,四天王
の一人となる(坂田金時)。
第三段:能『仲光』の変曲
『忠臣身替物語』を元としている。子,冠者丸は卑怯者をよそおって母に首を
討たれる。頼光の身代りとなる。
第四段:能『山姥』の変曲
能『山姥』の山廻りの様子,深山幽谷の風景,文言などは大胆,大量に『山姥』
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テキストに準拠している。山姥が子を育てるという伝説もとり入れられ,金時は
山中に育ち,最後に頼光に召抱えられる。
第五段:能『大江山』の変曲
能『大江山』の酒呑童子を思わせる鬼神退治には頼光は四天王だけを伴っての
りこむ。征伐した後,続いて彼を散々苦しめた高藤,正盛の勢力者も退治して,
社会に平和をもたらす。
本稿では副題にあるように「源頼光と嫗山姥の山廻り」に力点をおいている。
2.頼光の名剣の影
名剣,髭切膝丸
しん ぶ
『嫗山姥』の話は一貫して,ヒーロー源頼光の「神武智勇の名将」ぶり,
「三徳(知・
い
仁・勇)兼備の威」の讃美を底流として,世にいう四天王を召しかかえる経緯を
興味深く展開させる。
もろこし
唐土の張華(西晋,武帝時代の政治家,232-300)の名剣を得た故事を念頭に,
頼光は名剣探しの旅に出た。鷹狩の名目で小夜の中山2に投宿する。ここで時の
権力者右大将高藤と側近の平正盛の物見遊山の旅先にぶつかる。無益な衝突を避
けて,頼光一行は外れの宿に移る。
は た ご や
本陣となった旅籠屋に奉公する小糸(本名 坂田糸萩)は先年討たれた父の仇
を探していた。偶然小耳にはさんだ情報から仇は平正盛の家人,物部平太と知っ
た。小糸は早速父親ゆずりの「銘の物」を畳の床板下からとり出す。この剣は
こがね
「 金 作りの紫の雲気たなびき」,「紫の虹立ちのぼる」不思議な輝きをもち,抜け
ば「氷の焼刃玉散るばかり」。
さかやき
平太の月代剃りを小糸が進んで引き受けた。助太刀をかって出た同僚の下男喜
あ うん
之介が,阿吽の呼吸でこの利剣を抜き払い,平太を一刀のもとに討った。
一太刀で「水を切ったように」鮮やかに,首,髭,両股,両脛,胴体の七つに
切れた。喜之介,小糸は大首をかかえて一目散に逃げる。高藤の大軍に追っかけ
られる。切羽詰まった二人は偶然頼光の投宿先に逃げこむ。二人は刺し違えて死
ぬ積りだったが,頼光に助けられる。小糸の重代の太刀は頼光に献上される。
ふ よう
太刀は「明々として芙 蓉のひらくごとく」
「焼刃は星のつらなるごとく」「光は
わざもの
波のわくごとき」業物であった。名剣に目のない頼光はすばやく張華の名剣,雷
を思いおこす。昔も今も「紫の雲気たな引」いたことに深い感銘を受けた頼光
は小夜の中山でこれを入手できた己が幸運をよろこぶ。源氏重代の名剣「髭切膝
つかさど
丸」3 と命名する。これは智慧を 司 る文殊菩薩の化身と伝えられた平泉の文殊宝
寿が千日潔斎して打ったものであった。頼光は自分の名の一字「光」をゆずって
喜之介に碓氷の定光と名乗らせ,召しかかえた。渡辺綱に次ぐ四天王である。
頼光の無手勝流
頼光の名剣の扱いは極めて慎重である。高藤,正盛の讒訴によって勅勘の身と
36
おちうど
なった頼光は美濃の山中に落人の逃避行を続ける。山奥で不気味な光景に出合う。
熟柿のように枯木の梢にかけられた老若男女の血汐の生首を頼光は「狐・狸殿の
まやかし」と思う。彼は髭切を抜きかけ,またたきもせずじっと見守る。そこへ
ぬめくり出てどっかと座った小山のような大男。この追いはぎの大将のおどし文
かど
句には頼光は一切返答せず沈黙。むしろ意表をついた行動をとる。岩角 にかけ上
り,首を二つ三つひっつかんで,飛びおり,これを枕に両足をのばし,のびのび
つか
と臥す。山賊は度胆を抜かれ,刀の柄に手をかけても目くらみ腕しびれ,ふるえ
が出る。つまり塚原卜伝の無手勝流の実践によって,髭切を抜かずにこの山賊を
うら べ
降参させて家来とした。卜部熊竹は卜部の末竹と名を改め,源氏の郎等となった。
第三番目の四天王である。
頼光と山姥の対決
頼光は山も谷も木も皆知悉する新弟子末竹の案内で深山幽谷に足を踏み入れ
すみ か
る。やがて道に迷う。が,女をみかけ,声をかけ,その住家に案内される。山姥
が奥の一間を見ないようにと言い残して外出する。主従二人が見たものは安達ヶ
原さながらの修羅場に五六才の童が野獣の生肉の真中にいる光景。末竹は早速こ
の鬼女か魔物かを,追いかけ討とうとする。頼光はこれを押し止め,彼女の帰り
を待つ。彼女が戻る。初めて頼光は名剣を抜き放つ。互いにやりあう。彼がはた
と打てば,彼女はひらりと外す。ちょうと切れば,はっと開きしさる(後ろへひ
つの
きさがる)
。にらむ。山姥は三日月の角,両眼は寒夜の星のように輝く鬼女とな
る。やがて,「御太刀かげ(光)に驚いて自性をあらわし候ぞや」と言いながら,
彼女は本来の女性の姿に戻る。能『山姥』の真の山姥の姿は鬼女であるが,ここ
では一念化生の鬼女となった山姥が御太刀の光で自性に戻る。名剣の不思議な効
能が言及される。
3.しゃべり山姥と金時の受胎
遊女八重桐
大坂の廓,荻野屋の八重桐は太夫仲間の筆頭遊女である。美しく,気が強く,
口八丁,手八丁,腕力もある。情が深く,坂田時行とは水上げの初日よりあいそ
めで丸三年の濃密な間柄となる。坂田時行は父の敵討を果した小糸の兄である。
時行に横恋慕した同僚の小田巻と八重桐は派手な大喧嘩を始め,廓は二派に真っ
二つに割れて大騒動となり,家屋も庭園も滅茶苦茶に破壊され,時行は親の勘当
を受け,八重桐は廓を夜抜けする。二人は束の間その日暮らしの世帯をもつ。時
行は妹が既に敵討を果たしたことを知らずに,八重桐とは離別して,仇討を志し,
煙草売の源七に身をやつし,頼光の許嫁の姫の邸にも出入りしている。気さくで
気の通った者として重宝がられる。頼光が行方不明になって以来,沈みかえった
邸を明るくしている。
偶々時行が三味線の小唄を弾いて姫や腰元衆を楽しませていた時に,八重桐は
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紙子の袖の落ちぶれた姿で築地塀の外を通りかかる。塀の内から聞き覚えのある
なつかしい小唄を耳にすると,とっさに,彼女は大声を張りあげる。
「たれ知ら
ゆう
ぬ者もない傾城の右筆(代筆)」と呼ばわる。変わった売り声に邸内は面白がって,
彼女を呼び入れる。
ざん げ
八重桐の「しゃべり」が始まる。廓の懺悔話。聴き手は姫と腰元衆。廓を全く
にょしょう
知らない大納言邸の上品な女性たちに,廓の大立回りを面白おかしく喋りまくる。
八重桐はここで一休み。茶を所望する。未知の廓の話に聞き惚れた姫君と腰元衆は,
「其の日暮しに転落しても思う男と添うから面白かろう」と半ば羨ましそうに言う。
さらに八重桐は奥の座敷に招じ入れられる。そこでばったり煙草売の源七,即
たばか
ち坂田時行と目と目が会う。彼女を謀り,紙子姿に転落させ,自分は若い女中衆
に取り囲まれる時行を恨めしく,おろおろ涙にくれる。
なじ
二人きりになると,八重桐は激しく散々に時行を詰り,責め立てる。妹小糸が
かくま
既に仇討を済ませたことは誰知らぬ者もない周知のこと。小糸たちを 匿 った頼
おとし
光は勅勘の身となり,行方不明。頼光様に申し訳なし。頼光様を貶めた憎き右大
将と側近平正盛を討つなど時行が口惜しまぎれに言うことなどは,すべて腑甲斐
なじ
のないことと彼女は厳しく詰った。
坂田時行の自害
無念さ募り,ついに時行は隠し持った鎧通し(反りのない,重厚に鍛えた短
刀)を腹に突き立て背骨をかけて引き廻す。女房是は狂気かと,縋り付く。はや
あくごん
遅し。生真面目で実直な性格の時行は,「おことが今の悪言は金言よりなお重し」
と女房の詰りを素直に受け留め,不可思議な遺言を残す。死に直面して念力岩を
も通す超能力的力の発動である。「我死して三日の内御身が胎内に苦しみあらば,
たましい
と つき
なん
我が 魂 やどりしと心得十月を待って誕生せよ。神変希代の勇力の男子と成って,
にん がい
今一度人界に生まれ出で正盛右大将を亡ぼさん。」生まれ変わって必ず敵を滅ぼ
すとの所信表明。弓矢八幡から見放され,絶望した時行の凄絶な死に方は人間が
肉体の臨界を越えた魂魄の世界を垣間見せる。近松の世話心中ものにはしばしば
見られる状景である。
さらに女房に超能力を授け,山姥になって子を育てよ,と命じる。
「おことが
ひ ぎょう
つう りき
しん ざん しん こく
身も今日より常の女にことかわり,飛 行,通力有るべきぞ深山深谷を住家とし,
生まるる子を養育せよさらば,さらば。」
つるぎ
別れの声と共に剣を抜けば紅の血が夕立のように流れ下って,切り口より焰の
いき
「まろかせ」(かたまり)が女房の口に入れば,うんとばかり其のまま息は絶えた。
「最期の念ぞすさまじき。」
男の果せなかった一念化生が女に乗り移る。女も倒れ伏す。
右大将高藤側の若侍,姫を拉致しようと群がり迫る。伏したる女はむっくと起
へん
きる。内に夫の魂宿り,夫の魄は妻の魂となり,体は遊女,一念は坂田時行と変
げ
化し,「女なりとも男なりけり,鬼女となって姫を守り,敵を追い散らす。
」白妙
の(色白の)三十二相(あらゆる美しさをそなえた顔)に怒れる眼もの凄く,島
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田ほどけて逆さまに築地を飛び越え,跳ね越え,雲を分けて行方も知らずになった。
彼女は鬼女となって,山へ飛翔し,そこで誕生した男児を育て,四天王の最後
の一人として頼光にひきあわせた。坂田金時である。
4.頼光の山廻り
お やま
美濃の御山
この浄瑠璃の発端で気力が充実していた頼光は唐土の張華にならって,空に紫
しるべ
さ や
の雲気たな引くのを標として,名剣探しの旅に出た。案の定,小夜[鞘]の中山で,
おとし
しつ よう
「髭切膝丸」を入手した。だが,その後右大将らの頼光を貶 めようとする執拗な
おちうど
奸計のため,ついに頼光は美濃の御山へ逃げこみ,落人の身と成り果てる。貴種
流離譚の面影が漂う。
ただひとり,供回りとも行き離れ,つらつら都の春に帰ることを期待しながら
も,この世の浮沈は定めなく,頼光はしたたかに,わが身の弱さに参っている。
「森
の下風,木の葉のしずく」
(能『千手』)一風に吹き落とされんばかりの心境である。
足を痛めても露にぬれた草には身をおく場もなし。物問うた牧のわらべも素気な
く答えず。つる草の這い広がる原野を渡り,時雨や野分の冷たい風を受け,世に
埋れたわが身の暗い影を払ってほしいと切に願う。菅や茅の粗末な囲い,いやし
い藁ぶきの家があるだけ。風景は荒涼としてもの淋しい。
そま
美濃の御山(=南宮山)から関が原,日高の杣から笠縫,伊吹の里,うるまの
里へと出る。さらに不破の中山深くへ入りこむ。日が暮れ始め,入相の鐘が「こ
うこう」と物凄く,谷の粗末な懸け橋は途中で切れている。
ぬえ
耳にするものは,峯に鳴く妻恋う鹿声,子を悲しんで鳴く猿,夜半の鵺鳥,夜
ひと け
の鶴。山の鳥獣が声をあげて鳴く。日暮の人気の全くないりょうりょうたる山奥
の風や音はすべて世の終わりを暗示する。「盛者,必衰」,頼光も我が身がいよい
よ落ち目の境にいるかと思い知らされる。
「風絶えて,四方の山々は黙然と座禅
しんしん
の相,谷川の音は深々。」音と絶えて静寂,死の世界の気配さえ感じられる。
稲(否)葉山(=金華山)から青野が原(逢おう)と肯定方向に自分の気持が舵
を切り始め(地名の語呂合せ)
,垂井,赤坂,青墓と通過する。これは「今は昔の
世がたり」
と思い続けて,
やっと沈みこむ気持を上向きに切りかえていく道行となる。
ゆき き
松の嵐,雲の往来,よそより早く暮れすぎる深山はもの凄く,名も知らぬ山中
に行き暮れて,茫然自失の頼光であった。
さらなる奥地
うら
さかい
山賊の大将,卜部熊竹との出会いは(詳細既述),
「盛者,必衰の境」目に自分
がおかれているとの思いが強く,頼光の心がひどく弱っていた夕まぐれであった。
松の嵐も雲の往来も激しく,よそより早く暮れる凄まじい山中に茫然自失。ふと
目に止まったのは険しい崖っ縁の草木の茂みの中の木に鈴生りになった老若男女
の血汐の生首。頼光は全く物怖じせず,意表をついて,山賊張本人を降参させて,
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家来にした。
新弟子卜部末竹の道案内で来あわせた場所は能『山姥』にそっくり描写されて
いる。
一洞むなしき谷の声。山高うして海近く。谷深うして水遠し。前には海水
じょうじょう
しんにょ
れいしょうぎ
ぎ
瀼々として。月真如の光をかかげ。後ろには嶺松巍々として風常楽の夢を
けいべんかま
かん こ
やぶる。刑鞭蒲朽ちて螢空しく去る。諫鼓苔深うして。鳥驚かずとも。言
いつべし。
静寂,平穏が支配する奥地で人気もない。人間界の刑罰が無意味,無益となる
場所である。
頼光はこの深い静逸さにとり囲まれて,どういうわけか,一念化生に思いを馳
せる。一見奇抜な取合せのように見えるが,一心に思いつめて生れ変った鬼女は,
みち のく
しの ぶ
歌枕で有名な山々を飛翔してまわる。即ち,「陸奥の信夫の山に有るかとすれば
がね
今日は,(雪深い)甲斐嶺,(険しい山道の多い)」木曽の山。昨日は(東山道の)
えん
浅間山,
(日本武尊の登った,あるいは役行者の修験道の)伊吹山と。そして急に,
よ かわ
比良おろしの比良山や比叡の横川の遅桜(比良や横川の遅桜は能『鞍馬天狗』で
は山伏姿の大天狗が山の稚兒牛若を諸所の桜の名所へ案内してまわったところ。)
つまり,歌枕で有名な山々から「比良や横川の花ぐもり」と列挙の種目が名所の
桜に移る。これが切っ掛けとなって,「山がつの樵路に通う花のかげ,重荷に肩
を貸し,月をともなう山路,雪月花をもてあそぶ」風流の世界への言及になって
いく。風流心をもつ頼光は「心はしづの見えぬ鬼」の穏やかな鬼女の一面を強調
する。これは能『山姥』で曲の終わりに山姥が名残惜しんでいう台詞に通じると
ころである。即ち,
いとま
暇 申して。帰る山の
春は梢に咲くかと待ちし
花を尋ねて。山廻り
秋はさやけき影を尋ねて
かた
月見る方にと山廻り
冬は冴え行く時雨の雲の
雪を誘いて。山廻り…
鬼女というより仙女の優雅な趣を与える。「よし足引きの山姥が山廻りするぞ
苦しき」と頼光は自分の想念を締め括る。
道に迷った二人は日暮早き山かげで行き暮れる。ふと末竹は柴刈る女の休んで
あげ ろ
いるのを見かけて,道を尋ねる。女答えて,ここは(新潟県)親不知の上の上路
の山の頂と言う。能『山姥』では都の名高い遊女,百万山姥が本物の山姥と出会っ
しょくせん
りゅう さ
そうれい
た当にその場所である。「越後越中の境川」,
「唐土の蜀川,天笠の流砂,葱嶺(釈
迦が修行したという高山)などの難所にまさる所」である。
あげ ろ
いただき
上路の山頂
とう ぼく
出会った柴刈り女は饒舌であった。「東北は五十余里,秋田の地。幾重の谷峯
40
縄を渡して橋とし,唐土の蜀川,天笠の流砂,葱嶺よりもさらなる難所。北は越
後越中の境川,是も谷二つ越え,十里余であるから今日中には思いもよらず。お
いやでなかったら私の粗末な住家にお泊めしましょう」と言う。能『忠度』の老
樵夫の「足引の山より帰る折ごとに,薪(裏山の柴)に花を折り添えて」を思い
にょしょう
おこさせる風情がある女 性である。頼光はにっこり笑い,荒々しいのはわれら二
0
0
0
0
0
0
0
人,
「行き暮れた山道,柴刈りはおろか山姥の住家でも苦しからず」と返答する(傍
点筆者)。
女性ははっと驚いた表情を見せて,
「さてはみずからが山姥と見えたのか」と
なりわい
思わず口に出す。多弁におのが身の上,山姥の素性,生業を明かし始める。この
箇所には能『山姥』からの大量の文言が直かに借用されている。話好きの彼女は
「夜
すがら語り参らせん」と庵に二人を誘う。この山姥には若い頃の遊女八重桐の面
目躍如である。
ず
頼光の言動には品性があり,「一人住みの女性」ゆえ,
「一夜の程は軒の下にも
くれない その う
明かすべし」と答える。山姥は「いや紅は園生に植えても隠れなし」
(能『安宅』
)
こつがら
とか,
「大将軍の御骨柄」(能『屋島』とか『嫗山姥』の小侍従の局の文言)など,
話相手が頼光だと気付いて,丁重に応対している。不思議に「山の奥にもかくれ
なし」と頼光の落人道行も知っている。山姥の文言には文化的な教養の程が滲み
出ている。対蹠的に新弟子末竹は野人で,彼女の言葉使いを全く理解できない。
また,山姥は客人のもてなしに筑紫宰府の山のいが栗一枝を取りに気軽にでか
けようともする。昨日まで有りました。是を取って参りましょうと表に出る。留
守の間に奥の一間を覗くなと言い置く。
わらんべ
能『安達ヶ原』と同じ趣向の復活。五六才の童 ,五体の色は朱,おどろ髪(乱
れ髪)乱れたさま。餌食らしき,鹿,狼,猪の引き裂いたものを積み重ね,木の
根を枕に臥した様子は鬼の子の食人鬼国の有様。身の毛のよだつ光景である。
じき
あるじ
直に主の女,栗の一枝を手折って肩にかついで戻ってくる。この時,頼光,初
めて髭切膝丸を抜き放つ(既述)
。両者の対決となる。女主はたちまち豹変して
鬼となる。がすぐに怒れる面にはらはらと涙をこぼし,涙にくれる。
「御太刀の
かげ」(=光)に驚いて「自性(本性)をあらわします」,と降参する。
にょしょう
鬼女から女性に戻った山姥は,御太刀の持ち主,頼光に身の上の懺悔話をする。
(第二段の要約となる)憤死した夫の言葉に忠実に,人里離れた山にこもり,子
を産み,育て,「いつのまにかは山めぐり」
。鬼にもあらず,人にもあらず,亡き
夫の遺言を守り,子を育て,山廻りに明け暮れる山姥になった,と告白する。
5.山姥の山廻り
くせまい
能『山姥』の曲舞は,
曲舞の原則どおりに,
次第から謡い始めて次第で謡い止める。
即ち,
「よし足引きの山姥が。よし足引の山姥が山廻り,するぞ苦しき」と,クセ
を舞いあげ,
「思うはなおも妄執か,ただうち捨てよ何事もよし足引の山姥が山廻
りするぞ苦しき」とクセを終わらせ,立廻りに入り,山廻りの苦しい様を見せる。
41
近松の場合は,頼光の想念の一部として,一念化生の鬼女の山廻りが紹介され,
このよし足引の山姥が山廻りするぞ苦しき」の文言が嫗山姥の登場の直前にさり
気なく言及される。
「暮るるも早き山陰に行き暮れ給いて頼光。
」末竹が柴刈り女
あげ ろ
いただき
の休んでいるのをふと見かけて,声をかけ,道を尋ねる。「ここは上路の山の頂」
という返事。女はさらに近辺の地形を説明する。どこからも遠く人里離れた所だ。
すみ か
わが住家にお泊りあれ,と勧める。この女は都会風の身のこなし,風情,言葉遣
0
0
0
0
0
0
0
いも丁重である。頼光が「行き暮れた山道,芝刈りはおろか,山姥の住家でも苦
しからず」(傍点筆者)と言うと,この女は過剰に反応した。女ははっと驚いた
表情を見せ,自分が山姥に見えたのかと,問わず語りに山姥のことをあれやこれ
やと語り出す。
「山姥とは山に住む鬼女。鬼女とは女の鬼。よし鬼なりとも人なりとも,山に
住む女なれば,私がその山姥じゃありませんか。」自問自答か。能でも本稿でも
とりこ
山姥が同じ台詞をつぶやくということは,山姥は総じて過剰な山姥自意識の虜で
はない証左であろう。山姥の特色を探ってみる。
しょうじょ
1.「そもそも,山姥は生所も知らず宿もなし。」即ち生まれた所も分からなけ
れば,定まった住む場所もない。つまり出生地,定住地が不明,当然現代
風の戸籍などもない。社会との個人的な結びつきはない。
くもみず
2.山に偏在する者。「ただ雲水を便りにて至らぬ山の奥もなし。」ただ雲が浮
かび水の流れるように所定めず歩き廻って,日本国中どんな山奥にも行か
ない所がない。山々すべてを熟知している。(日本列島は山だらけだ。
)
3.山姥は人間ではないと思いこんでいる人々はこれと交わらないが,山姥の
方は雲のように自在に身を変え,その本体の姿を変え,化生の鬼女となり,
人の眼前に姿を現わすことができる。ただし人は認知しない。
4.人と交わる時はおおかた人の手助けをするが,山姥を恐れる人は山姥の仕
業だとは全然思わない。ある時は樵夫が山路に疲れて休んでいる時に,自
分の肩を貸して重荷を担いでやり,山を出て里まで送ってやることがある。
またある時は織女が忙しく機を織っているところへ入って行って,鶯が梅
(能『山姥』では柳)の枝を飛びめぐるように糸を繰ってやったり,糸をつ
むぐ家に入って,その人を助けてやったりする。宿に身をおき人にやとわ
れ手間仕事に一生懸命たち働いて,
「櫛さえとらぬ乱れ髪」(近松独自の挿
入句)
。世の中の殊につらく思われる秋,頻りに砧を打っていた音も絶えた
わざ
時,砧を打つ声の音繁く聞えるのは,全く山姥のなす業。こだまに響く山
彦も皆山姥が業。
人間界に立ち交わる時の疲れた人々の手助けを必死に健気にやって,報
酬を何ら求めない山姥の姿がある。
5.雪月花,風流の山めぐり
春は三吉野,初瀬山,高間の山の桜花,白く雪のように見える。桜と見ま
ごう霞さえ桜かと思って花を尋ねて山めぐり。秋は澄んだ空の色。どこも
同じように照らす月光だが,特に更科の姥捨山の月をめでて山めぐり。冬
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だけ
は冴えゆく比良が嵩(近江八景の一つ),白山の雪景色,しぐれ行く雲を起
して雲に乗り,雲をさそって山めぐり。
6.嫗山姥は元遊女の身。相思相愛の夫の死により超能力を授与された山姥に
つま
なったもの。「わが君」,源頼光にもめぐりあえたのは夫の「念力通力神力」
く げん
による。「父の一生の本懐を遂げ,母が鬼女の苦患をのがれて菩提に向かう
ために,一子を頼光の家来にしてほしい」と泣いて切願。嫗山姥の悲願は
きかれ,ここに希代の力持ちの坂田金時が頼光の四天王に加わる。金時は
こう かけ
第五段高懸山の鬼退治で大活躍をする。嫗山姥は「もとより化生の身。有
かげろう
りともなしとも陽炎のかげ身にそうて金時の守り神」であった。
めぐ
りん ね
『嫗山姥』は能『山姥』と全く同じ文言で終わる。「廻 り廻りて輪 廻 を
かけ
離れぬ。妄執の雲水。…鬼女が有りさま見るや見るやと。峯に翔り,谷に
響きて今までここに。あるよと見えしが山また山に。山廻り。山また山に。
山廻りして。行方も知らず。なりにけり。」
注
1 深澤昌夫『現代に生きる近松―戦後にっ
60さか年の軌跡』。
2 小夜の中山:静岡県南部,掛川市の日坂峠と島田市金谷との間にある東海道の坂路。曲
折した左右に深い谷がある。
3 「髭切膝丸」「髭切」源満仲の愛刀。罪人の首を斬らせた時,首と共に顎,髭を切ったとも,
鬼丸とも膝丸とも。源氏重代の宝剣(広辞苑)。源氏累代の宝剣。源満仲が罪人を斬首し
た際,膝まで斬れたことから名付けられた。同様の逸話から蜘蛛切,髭切ともいう(大
辞林)。
『平家物語』剣巻には「髭切・膝丸と申す二剣」とある(『嫗山姥』187 頁,頭注
39)。「平泉の住人文殊が子孫也」文殊が髭切膝丸を作ったことは『平治物語』1,源氏
勢汰の事「さて髭切と申すは,八幡殿,貞任宗任を攻められし時,度々に生捕る者十人
もん じゅ
の首を打つに,皆髭ともに切れければ,髭切とは名づけたり。奥州の住人文寿と云う鍛
冶の作なり」とある。万宝全書十二,
奥州物之系図,
宝寿の条。『嫗山姥』補注 15,380 頁。
参照文献
本文に使用した引用文の旧漢字及び旧仮名は現代表記にした。
文楽『嫗山姥』のテキスト:
『近松浄瑠璃集』下,守隨憲治他校注,日本古典文学大系,50:178-226,岩波書店(1959),
1974。
能『山姥』のテキスト:
『謡曲大観』佐成謙太郎編,5:3165-3184,明治書院,1964。
研究書:
深澤昌夫『現代に生きる近松―戦後 60 年の軌跡』雄山閣,2007。
廣末保『近松序説』未来社(1957)
,1980。
諏訪春雄『近松世話浄瑠璃の研究』笠間書院,1964。
同,
『近世芸能史論』笠間書院,1985。
内山美樹子『浄瑠璃史の十八世紀』勉誠社,1989。
和辻哲郎『日本芸術史研究』岩波書店(1955)
,1979。