梶丸 岳・丹羽朋子・椎野若菜編:フィールド ノート古今東西(FENICS 100

梶丸 岳・丹羽朋子・椎野若菜編:フィールド
また,巻末の座談会などでとりあげられた「デ
ノート古今東西(FENICS 100 万人のフィー
ジタル時代のフィールドノート」は評者も気に
ルドワーカーシリーズ 13)古今書院,2016 年
なっていたことである。今は,バッテリーやメモ
5 月,248 ページ,A5 判,定価:3,200 円(税
リーの能力が向上し,枚数や時間を気にせず高画
別),ISBN978-4-7722-7134-9
質で撮影をすることができ,メモなど必要な情報
を追加することもできる。けれども,それゆえに
本書は,「学問分野や産学の壁にとらわれず
記録する際に集中力がかけてしまったり,後で膨
フィールドワーカーをつなげ,フィールドワーク
大な記録の中から重要な情報をうまく引き出すこ
の知識や技術,経験を互いに学びあい,新たな知
とができなかったりする。便利になったらなった
を見つけ出すことを目指す」(本書 249 ページ)
で,みんな同じような悩みを抱えていることを
NPO 法 人 FENICS(Fieldworker's Experimen-
知って少々ほっとした。
tal Network for Interdisciplinary Communica-
本書を通じて,フィールドノートに関するディ
tionS)が全 15 巻で計画している「100 万人の
シプリンごとの,そして個人ごとのさまざまなア
フィールドワーカー」シリーズの 6 冊目として
イデアや工夫を知ることができたし,共感できる
出版されたものであり,フィールドノートに焦点
意見も数多く見つけることができた。もちろん,
があてられている。
評者にはあわない,あるいはできないようなノー
フィールドノートに限らず,フィールドワーク
トの取り方もあったが,読者それぞれに自身の
の進め方やスキルは外から見えにくい部分が多
フィールドノート,そしてフィールドワークの改
い。佐藤(1992)のようなフィールドワークの
善や創造につなげていけばよいだろう。
スキルに関する優れたテキストがある一方で,実
ただ,気になった点を 2 点あげたい。
際のフィールドワークの進め方については,同
1 つは,筆者が年齢的に中堅・若手に偏ってい
じ著者による,自身の調査体験に基づいた佐藤
ることである。より上の世代のフィールドワー
(2002)のような形でなければ,リアリティを
カーは,本書の筆者たちのフィールドノートを
もって感じとってもらうことは難しい。評者も,
どのように考えているのだろうか。より不便な
フィールドワークを学生に教える際に,教科書よ
時代にフィールドワークを行った彼ら / 彼女らは
りもかつて同じような立場にあった研究者の体験
フィールドノートをとる際に,どのようなことに
談と調査記録の方が役に立つだろうと思い,当時
気をつかっていたのだろうか。
の若手の人文地理学者に声をかけて教科書的にま
今 1 つは,フィールドノートに対する焦点が
とめたことがある(梶田ほか, 2007)。
やや希薄であったことである。限られた分量の中
植物学,建築学,歴史学,人類学,地理学など
でそれぞれのディシプリン,自身の研究テーマと
多様な分野のフィールドワーカーのフィールド調
フィールドの紹介に一定の分量を割かなければい
査とフィールドノートの紹介・考察を記した各章
けない以上,ある意味でやむをえないことなのか
はそれぞれに興味深いものであったが,とりわ
もしれない。しかし,フィールドノートを使って
け,第 10 章「先達フィールドワーカーたちの遺
「いつ,どこで,何を,どうやって」記録したの
産に学ぶ」でのフィールドノートの源流を辿る試
か,という点をもう少し詰めていってもよかった
みが印象的であった。過去のさまざまな分野の研
のではないだろうか。換言すれば,フィールドで
究者が残した美しいフィールドノートの数々は,
の調査において「ノートを取る」という行為がど
コピー機のない時代において,「書き写す」技術
のように位置付けられているのか,という点につ
が知識の蓄積において不可欠であり,優れた研究
いて,もう少し明示的な考察があってもよかった
者が優れたノートの作成者でもあったことをうか
ように思われる。
がい知ることができる。
もっとも,これらの点をシリーズ本としてコン
N2
— —
ば自分が語れる範囲はお解かりだろうと思うので
無理があるのかもしれない。考えるより先に現場
すが,一方でこの苛立ちは私に取るに足らないこ
に目が,あるいは足が向かってしまうフィールド
だわりがあるがゆえなのでしょう。而立や不惑の
ワーカーに自身の調査を再考させ,フィールド
ためにはまだまだ学ばなければいけないようで
ワークに関心をもっている学生や研究者に,その
す。
多様な可能性を知ってもらうための貴重な一冊で
私はこの本を手にしてまず,海洋底地球科学と
あることは間違いない。
はどういう分野なのか,が気になりました。研究
文
分野の広さや深さは外からはときに掴みづらいも
献
のです。著者らは「はじめに」でこの教科書では
「地質学や地球物理学といった既成の学問分野に
佐藤郁哉(1992)
: フィールドワーク 書を持って街
に 出 よ う —. 新 曜 社.[Sato, I.(1992): Fieldwork:
Let's Go to Streets Together with Books(Fieldwork:
Sho Wo Motte Machi Ni Deyo). Shinyosha.(in Japanese)*]
佐藤郁哉(2002)
: フィールドワークの技法—問いを育
てる,仮説を鍛える —.新曜社.
[Sato, I.(2002)
:
Techniques of Fieldwork: Nurture Questions and
Brush up Hypothesises(Fieldwork No Giho: Toi
Wo Sodateru, Kasetsu Wo Kitaeru). Shinyosha.(in
Japanese)*]
梶田 真・仁平尊明・加藤政洋編(2007)
: 地域調査
ことはじめ — あるく・みる・かく —.ナカニシヤ出
版.[Kajita, S., Nihei, T. and Kato, M. eds.(2007)
:
An Introduction to Field Research: Walk, Look and
Write (Chiiki Chosa Kotohajime: Aruku, Miru,
Kaku). Nakanishiya Shuppan.(in Japanese)*]
*
Title etc. translated by S.K.
—
とらわれずに,海洋底とその下にある海洋リソス
フェアを広い角度から扱う」と述べています。お
そらく〈底〉の一文字が重要で,実際に海へ出て
行き,海底にできるだけ近づいて自らデータを取
り,それに基づいて考えることを重要視するの
が海洋底地球科学の特色なのでしょう。そして
〈底〉に近づくことの困難さがこの分野の魅力の
一部となっているようです。
この現場主義の態度は最初の 3 章,すなわち
第 1 章「海洋底の地形」
,第 2 章「海洋地殻・海
洋リソスフェアの物質と構造」,第 3 章「海洋地
殻の年代と磁化」において強調されています。水
(梶田 真)
深,重力,熱流量,年代,磁気異常縞模様,岩
石,層序などよく知られた話題を用いて海洋リソ
中西正男・沖野郷子:海洋底地球科学 東京
スフェアが概説されますが,わかっていることを
大学出版会,2016 年 5 月,320 ページ,A5 判,
並べるだけではなく,どのようなデータを得たこ
定価 3,800 円(税別)
,ISBN978-4-13-062723-8
とによってそれらがわかってきたのかについても
丁寧に説明されています。観測技術については付
海や船とのお付き合いといえば大阪南港から別
録でも補足されています。この構成からこの分野
府までのフェリーに何度か乗った程度という私が
の研究に対する態度を感じることができますが,
この教科書について語るのにはやや居心地の悪さ
これは小林和男(1977)の同名の教科書で強調
も感じるのですが,本を読むことは今と違う人生
されていたものが引き継がれているようです。
を生きるようなものだとの先輩の言葉を頼りに,
次の 3 章ではリソスフェアの一生が多様性に満
勇気をもってこぎ出してみましょう。
ちていることが紹介されます。日本では発散型プ
研究者はそれぞれ自分の専門分野を名乗りま
レート境界を意識する機会は多くありませんが,
す。それぞれの分野には広さと深さがあります。
第 4 章「海底拡大と熱水活動 — 海洋リソスフェ
地震学者の末席を汚す私ですがときどき地震学の
アの誕生」では典型的な海洋底拡大というものな
広さと深さを意識することがあります。例えば,
どないことが紹介されています。第 5 章「海溝
現役の地震学者とは呼びづらい方がメディア等で
での沈み込み—海洋リソスフェアの消滅」ではお
地震について大胆に発言されているのを見ると私
もに西太平洋での研究成果を用いて,災害の原
はイラっとしてしまうのです。プロの研究者なら
因となる地震や津波だけが沈み込み帯で起きる地
N3
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地 学 ニュー ス
パクトにまとめられた本書に要求することは少々