北欧史概説 2

中世スカンディナヴィア
王国の変質
北欧における連合王国
• 14世紀半ば以降の農業危機(モンゴル帝国以降の東西交渉の活発化によるペス
トの流行)→在地社会の混乱(領主層間の抗争)と経済資源を巡る抗争(ハ
ンザ同盟など)→軍事力を用意する人的・物的資源の必要
• 人的同君連合…カルマル連合(1397-1523)やポーランド・リトアニア連合
(1385-1569)など(→一元的な政治制度がある物的同君連合とは異なる)
• 北欧における人的同君連合の例…マグヌス・エーリクソンとホーコン6世のス
ウェーデン・ノルウェー連合(1319∼1343/1362∼64)→ノルウェー・ス
ウェーデンは各々の国法と参事会による支配遵守(マグヌス・エーリクソンは
デンマーク王の臣下としてスコーネ領主も兼任)
カルマル連合の成立
【デンマーク・ノルウェー】デンマーク王女マルグレー
テの婚姻関係(ノルウェー王位の世襲/デンマーク王位
の選挙)→1389年:ポンメルン出身のエーリクのノル
ウェー王即位→1396年:デンマーク王即位
【スウェーデン】王権強化めざすメクレンブルク出身の
アルブレクトとスウェーデン貴族の対立(スウェーデン
王位の選挙)!1396年:エーリクのスウェーデン王即
位(エーリク7世(デ)、エイリーク3世(ノ)、エーリ
ク13世(ス))
【戴冠文書】エーリックのスウェーデン王戴冠とエーリ
クへの忠誠を確認(ノルウェーの国璽・ノルウェー大司
教の参加ないが事前に承認との説あり)
【連合文書】単一の王が三王国の王を兼任、王は各々の
王国固有の法に従って統治、いずれかの王国が戦争状態
になれば他の王国は支援、他国との交渉の際に王は全住
民の利益のために意思決定を行う助言者を各々の王国か
ら選出etc
カルマル連合の意義
•
独立した三王国の連合
•
中央集権的な王権の強化
か、独立した地方政権の
連合体か
•
ドイツ・ハンザ同盟の勢
力牽制→デンマーク王権
を中心とする集権的支配
カルマル連合の動揺
• スウェーデンの離反…反デンマーク感情(ド
イツ商人とつながるスウェーデン経済)
• 1433エンゲルブレクトの反乱→1435アール
ブーガ集会(スウェーデン身分制議会の起源)
【スウェーデン】王国摂政カール・クヌートソン
→連合王クリストファ3世の死後、カール8世とし
てスウェーデン王に即位→スウェーデンの有力家
門と抗争(三度の即位と二度の退位…1448-57, 146465, 1467-70)
【デンマーク】連合王クリストファ3世の死後、
オルデンブルク伯クリスチャンが即位(オレンボー
朝の開始)→デンマーク王 (1448) ・ノルウェー
王 (1450) ・シュレスヴィッヒ公 (1459) ・ホル
シュタイン公(1474)など兼任
カルマル連合の崩壊
【ステューレ時代(1470∼1520)】カール・ク
ヌートソンの死後、スウェーデンで大ステン・ス
テューレと小ステン・ステューレがスウェーデン
の王国宰相を務める
• 1471年カール・クヌートソンの死後の反連合派
がブルンケバリでの勝利
• 1497年ハンスによって連合王復活
• 1520年連合王クリスチャン2世による反連合派の
虐殺…ストックホルムの血浴
• 1523年グスタヴ・ヴァーサのスウェーデン王選
出