教室内カースト - AALaboratory

読んだ文献
: 鈴木翔『教室内カースト』光文社、2012年。
概要(内容要約)
本書は、学校内で生徒の間に自然と発生するヒエラルキー、いわゆる「スクールカースト」について考察したものである。
著者は、初めに、漫画や小説において描かれた姿から、「スクールカースト」とはいかなるものかを説明する。また、その言
葉の起源や定義を紹介している。ただし、ここでなされる説明はごく簡単なものであり、「スクールカースト」の詳細について
はインタビューやアンケートなどによる調査が必要であると述べている。
次に、「スクールカースト」研究の意義について述べている。著者は、いじめと「スクールカースト」は深く関係していると
指摘する。そして、検証しづらいという理由で進んでこなかった「スクールカースト」研究を通じて、いじめ研究において見落
とされてきた論点が解明できるとしている。著者の採用した検証方法は、大学1年生へのインタビューや中学生へのアンケート
などを材料に「スクールカースト」について考察を行うというものである。
以上の考察を通じて、「上位グループ」が存在しない場合には「下位グループ」でもクラスの「ノリ」を作り出すことができ
ること、「下位グループ」の成員は「ノリ」を作り出す能力がないために「下位グループ」に所属しているわけではないこと、
「上位」のグループには様々な権利が与えられ、学校生活を有利に過ごすことができること、などがわかる。また、「スクール
カースト」では「上位グループ」には「発言しなければならない」という「義務」が課せられるため、「スクールカースト」は
「下位グループ」にとってだけでなく「上位グループ」にとっても障害になる場合もあるということも窺える。このことから
「スクールカースト」内では「上位グループ」が完全に得をするという一般的なイメージが覆されることとなった。
では、なぜ彼らは双方にとって障害となりうる「スクールカースト」を認め、維持させているのかという疑問が発生する。結
論としては、「下位グループ」は「上位グループ」に対して「めんどくささ」や「恐怖」を感じており、とにかく反感を買わな
いことに第一に注意を払っていたり、その内部での地位が落ちることはあっても上がることはめったにないという「スクール
カースト」の特性から「上位グループ」も「下位グループ」も現状維持に努めていたりするからであるという。
著者は、生徒側の視点による検証に加え、教師側から「スクールカースト」がどのように見えているのかも論じている。現役
教師にインタビューを行い、彼らが「スクールカースト」をどのように把握し、意味づけているのかを考察していく。その結果、
教師と生徒とでは「スクールカースト」に対する認識にほとんど差異がないことがわかる。しかし、教師たちは「スクールカー
スト」とは「生きる力」や「コミュニケーション能力」の差などによって生じるものと捉えており、「権力」によって生じるも
のと考えている生徒たちとは異なっていた。また、教師は「スクールカースト」を肯定的に捉えていた。なぜなら、そこでは自
分の足りない「能力」が見えやすいからであるとしており、「やる気」や「努力」で改善可能なものと認識している。
最後に、著者は、現在「スクールカースト」に直面している人へ向けた対応策を事例を交えて論じている。
感想/疑問/批判
私は「スクールカースト」について生徒や教師に聞くことは、なんとなくタブーのような気がしていた。そのため、
著者が「スクールカースト」について研究していることを単純にすごいと感じた。ただ、「スクールカースト」とい
う人によっては思い出したくない、認めたくないことも含まれる問題を、インタビューとアンケートによって得られ
た情報に基づいて考察するのみでは、結論の妥当性が足りないのではないかとも感じた。
かといって、私には他の検証方法は思いつかない。本書の内容は、未開拓の「スクールカースト」研究という分野
においてとても意義のあるものだとは思う。教師は「スクールカースト」を良いものだと認識していることには驚愕
した。小中学生にとって「スクールカースト」によって与えられる精神的なダメージはかなり大きなものであるし、
現に、そこから発展した「いじめ」によって自殺する子どももいる。このような事実を踏まえると、教師は、「ス
クールカースト」を可能な限り弱めるように努力すべきと考えるのが普通ではないだろうか。「スクールカースト」
に対する教師の回答は、自分が対処できない問題を、きれいごとを並べて正当化しているようにしか見えない。さら
に、本当に「やる気」や「努力」で改善できると教師たちが考えているのであれば、問題はより深刻である。
報告者
: 木倉健志