老いる女性たち (へ) の視線: フランス女性作家とその作品を通じて (科学

Nara Women's University Digital Information Repository
Title
老いる女性たち(へ)の視線:フランス女性作家とその作品を通じ
て (科学研究費補助金基盤研究(C)課題番号25370358研究成
果報告書)
Author(s)
高岡, 尚子
Citation
高岡尚子:老いる女性たち(へ)の視線:フランス女性作家とその
作品を通じて
Issue Date
2016-03
Description
【第一章】第19回国際ジョルジュ・サンド学会(於:ルーヴァン・
カトリック大学(ベルギー)2013年6月21日)及び「関西女性作家
を読む会」研究会(於:奈良女子大学2013年11月9日)での口頭発
表をもとに執筆された「『老い』はどう語られるか:ジョルジュ・
サンド晩年のさくひんを通して」を改変。【第2章】『欧米言語文
化研究』第2号(奈良女子大学文学部欧米言語文化学会, 2014年
12月刊)の「老いゆく女の尊厳:母を看取る娘(作家)たちのこと
ば」を改変。【第三章】第20回国際ジョルジュ・サンド学会(於
:ヴェローナ大学(イタリア)2015年6月30日)での《Solange
Clesinger-Sand: ecrivaine ou fille d'ecrivain?》および、大阪大学フラン
ス語フランス分学会第77回研究会(於:大阪大学文学部、2015年
10月3日)での口頭発表「母を看取る女性作家たちのことば、ジョ
ルジュの娘ソランジュも含めて」をもとに執筆された『欧米言語文
化研究』第3号(奈良女子大学文学部欧米文化言語文化学会、
2015年12月刊)を改変したもの。
URL
http://hdl.handle.net/10935/4262
Textversion
publisher
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http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
老いる女性たち(ヘ〉の視線:
フランス女性作家とその作品を通じて
平成 25年度∼ 27年 度 科 学 研 究 費 補 助 金 基 盤 研 究 (C)
課題番号 25370358 成果報告書
平成 28年 3月
研究代表者高岡尚子
奈良女子大学研究院人文科学系
教授
ひとはみな老いるが,「老しリは必ずしも,正面から取り組むのに心楽しい問題ではな
い。加えて,とりわけ女性においては,「若さ」に過剰な価値が置かれ,「老い J は凋落
とみなされがちだ。それでも長命を授かり,「老いた女」として書き続けた女性作家たち
は,自らの「老しリをどのように感じていたのか。 1
9世紀以降のフランスには,サンド
をはじめ,コレット,ボーヴォワーノレ,デュラスなど,老年を迎えてなお健筆をふるっ
た女性作家が多くいる。彼女たちが書き残した,「女性が老いること」への証言に耳を傾
けることは,私たちが否応なく直面する「老い」へのまなざしを鍛え,「これからの時代
の老い j の可能性を開くきっかけとなるだろう。本研究課題の出発点は,この可能性の
模索にあった。
研究代表者は,平成 1
8年度から 21年度にかけて科学研究費補助金の交付を受け, 19
世紀フランス小説における女性のセクシュアリティと子供像について詳細に検討する機
会を得た。この研究を通して常に観察された事項のひとつに,女性の人生に期待される
役割の固定化があげられる。特に「セクシュアリティ J と「子供」に注目した場合,結
婚前の娘には「処女」であることが求められ,結婚した後は「家庭の中の天使」として
の母・妻としてふるまうことが求められる。一方で,この役割とコースを踏み外した女
性は,
「娼婦」や「悪女」のレッテルを貼られ,物理的にせよ心理的にせよ,社会の外
側へと追いやられることになる。
この役割期待とライフコース設定の厳格さについて,さらに検討を深めれば,
「家庭
の中の天使」である母・妻役をこなしながら年をとり,生き続ける女性の「老後」とい
う問題に直面せざるをえない。
「
母 J の役割を終えた女性にとって,その後の人生はど
うなるのか。何の/誰のために生きるのかという,人生の目的論を語ることも重要だろ
うが,それ以前の問題として,老いた女は生きる術をどのようにして確保しえるのか。
平均的な死亡年齢から考えて,男性より長く生きる可能性の高い女性たちが,依存の対
象を失った後に,どのように生きていくことが可能であったか(依存の度合いが高けれ
ば高いほど,女性の老後は危険で厳しいものになったに違いない)。
「老いJは古くから文学作品に頻出するモチーフであり,重大な関心事のひとつであ
った。文学作品に登場する「老人 Jたちは数限りないし,老いる自らの精神や肉体を冷
徹に観察し,書き記すことに力を尽くした作家も多い。だが,フランスにおいては, 1
9
世紀に入り,女性が量的にも質的にも本格的に文学界に参入する体制が整うまでは,ほ
ぼ男性作家による,男性の立場に関する言説が中心であった。長生きする女性たちの中
から,自らの「老い」に向き合い,書きとめ,出版するような「書き手」が出現したの
はごくごく最近のことである。
「老いと文学J を結びつけて考え,研究の対象とすることもまた,ここ最近始まった
ばかりの取り組みである。特に,高齢化が著しい日本やフランスにあっては,
「老後 J
の問題には常に,経済・政治・福祉・国際問題といったあらゆる側面からのアプローチ
が求められる。そうした中では「文学 J もまた例外ではありえないし,
「文学」の領域
であるからこそ表現しえる「老い」や「老後 Jの可能性について,検討する余地は多い
にある。こうした関心のもと,研究代表者は,次の四点に取り組み,結果を得た。
①女性が老いることへのまなざし
「女性性 J と「老しリは,どのように関係づけられてきたのか。この問題を検討する
には,「老いた女性J(=「老女」)が,男性作家によってどのように描かれてきたかを分
析する必要がある。一方で、,「老いた男性」(=「老人 J)の描き方と差があるのか,とい
う視点をもっ必要もある。その結果,老女にはほぼ一定して軽蔑的な視線が向けられ,
多くの場合は嫌悪や恐怖,憎しみの対象になる反面,老人については,そうした側面は
ありながら,一方で、,「知恵者 j あるいは「年の功」を重ねた人物として尊敬される場合
もあることが確認された。ここに,ジェンダーの不均衡を指摘することができる。
②女性作家が感じる「老い j のあり方
一方,女性作家たちが考え,意識する「老い」にはどのような特徴が認められるか。
主に 19世紀フランスの女性作家,ジョルジュ・サンドとその作品を題材に,その特徴
を探った。まず指摘しておく必要があるのは,サンドの作品に登場する女性たちの中に
は,非常に若年の頃から「老いた」と表現する者が散見されるという点であり,それは,
当時の社会的風潮である「世紀病」の影響と男性からの評価によるところが大きい。と
ころが,初期の作品に見られたこのような表現は,『イジドラ』には登場しない。主人公
イジドラは,鏡に映った老いゆく自分の姿をありのままにとらえ,若い頃,男性の視線
に翻弄され,それによって失っていた自己肯定感を回復することになる。
サンドの晩年のコント集『祖母の物語』や自伝的作品『印象と思い出』などにおいて,
老いはむしろ強力であると考えられていると同時に,「死 Jの概念も解釈がし直されてい
ることが解明された。特に『祖母の物語』に収められたコント数編に特徴的な「輪廻J
を思わせる思考は,サンド晩年の作風と思想とをよく表している。さらに,祖母の世代
から,孫娘の世代へという,女同士のつながりも明らかにすることができた。
③女性作家たちが描いた母親の死
女性作家たちが,自分の老いと死の予行演習とでもたとえるべき,自身の母親の死を
どのように観察したかについて,幅広く検討した。まず,「作中人物 j の延長として創出
された作家たちの母親に注目し,彼女たちが母の死をどのように描いたか,という新し
い視点を開拓した。このことにより,作家自身の「老しリへの意識をさらに鮮明にとら
えることができるようになり,同時に,女から女へという世代聞の受け渡しという問題
項にも光を当てることができるようになった。
ジョノレジュ・サンド (19世紀)をはじめ,シモーヌ・ド・ボーヴォワールやマルグ、リ
ット・ユルスナール( 20世紀),さらには,アニー・エルノーやノエル・シャトレ( 21
世紀)まで,母親の死の前後を作品として書きとめた女性作家は多い。なぜ彼女らは,
自身の母の死という身近ではあるが,およそ,外に出して示したいと思えないような事
柄を,あえて書きとめ,発表しようとするのか。そこには,女性が自分を産んだ女性の
最期と向き合い,エクリチュール(書くという行為)に落とし込むことによって,今度
は作家自身が母親を産みだす存在になろうとする意図を見出すことができた。
④「女j 「研究 J をつなぐことの意義
本研究課題の目標として,分野を横断するテーマの共有と,国際学会への参加を含む
研究者の交流を設定した。国際学会での発表の成果は,第一章・第三章・第四章にまと
めているほか,補遺として,第四回国際ジョルジュ・サンド研究会での発表内容を掲
載している。また,本課題を出発点として,奈良女子大学文学部「ジェンダ一言語文化
学プロジェクト j 第一回研究会を開催した。本研究会の成果は,主に,第五章に現れて
いる。
研究概要
・研究機関名
奈良女子大学
.研究種目名
基盤研究(C)
・研究機関
平 成 25年度∼ 27年 度
−研究課題名
老いる女性たち(へ)の視線:フランス女性作家とその作品を通じて
・研究代表者
高岡尚子(奈良女子大学研究院人文科学系
.研究経費
平 成 25年 度
400千円
平 成 26年 度
300千円
平 成 27年 度
500千円
計
教授)
1
,
2
0
0千円
研究活動
[論文発表]
1
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『老い』はどう語られるかージヨノレジュ・サンド晩年の作品を通じて J
,w
欧米言語
, 1
09・1
2
7
, 2013年 1
2月
.
文化研究』,第 1号
2. 「老いゆく女の尊厳一母を看取る娘(作家)たちのことばj,『欧米言語文化研究』,
第 2号
, 92-112, 2014年 1
2月
.
3. 「母の死を描く女性作家たち j,『欧米言語文化研究』,第 3号
, 123-141, 2015年
1
2月
.
[口頭発表]
1.αCommentv
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e≫,第
1
9回国際ジョルジュ・サンド学会(於:ルーヴァン・カトリック大学/ベルギー,
2013年 6月 21日
)
2.「ジョルジュ・サンドにおけるく老い>についてん関西女性作家を読む会研究会(於:
奈良女子大学, 2013年 1
1月 9日
)
3. 《 SolangeClesinger-Sand:e
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e?≫,第 20回国際ジョル
)
ジュ・サンド学会(於:ヴエローナ大学/イタリア, 2015年 6月 30日
4. 「母を看取る女性作家たちのことばージョルジュの娘ソランジュを含めて−J, 大
阪大学フランス語フランス文学会第 77回研究会(於:大阪大学文学部, 2015年 10
月 3日
)
[研究会]
奈良女子大学文学部ジェンダー言語文化学プロジェクト第一回研究会「各国文学研究と
2・13日
)
ジェンダーの交わるところ一恐怖・嫌悪・欲望をめぐって−J(2015年 9月 1
研究発表者:玉田敦子(中部大学准教授)・倉田容子(駒津大学講師)・中川千帆(奈良
女子大学准教授)・高岡尚子(研究代表者)
研究成果報告目次
第一章
「老い J はどう語られるか
ージョルジュ・サンド晩年の作品を通じて一
第二章
一一一
1
老いゆく女の尊厳一母を看取る娘(作家)たちのことば
ージョルジュ・サンド『ポーリーヌ』『我が生涯の記』,シモーヌ・ド・
ボーヴォワール『おだやかな死』を通して一
一一
7
一 1
第三章母の死を描く女性作家たち
ージョルジュ・サンド『我が生涯の記』,マルグリット・ユルスナール
『追悼のしおり』,シモーヌ・ド・ボーヴ、オワール『おだやかな死』,ア
ニー・エルノー『ある女』,ノエル・シャトレ『最期の教え』を通して
一一一一一一一一一一一一一一 33
第四章和解できない娘の場合
ージョルジュとソランジュー
第五章女・老・性・死
補 遺 Appendice
文献一覧
一一一一
一一一一一一一一一 45
そして,生きること
60
一
一一
75
83
第一章 1
「老いJはどう語られるか
ージョルジュ・サンド晩年の作品を通じてー
全ての人聞は老いる。だが,「老いへのまなざし Jの質は一定とは限らない。人は長く生
きられるようになることを歓迎するが,一方で,長く生きるゆえの苦悩を経験することも
ある。近頃話題になる映画作品にも,多く, f老い」のテーマを見て取ることができる。『愛,
アムール』(ミヒャエノレ・ハネケ監督/ 2012年,フランス・ドイツ・オーストリア映画)
や『みんなで一緒に暮らしたら』(ステファン・ロプラン監督/ 2011年,フランス・ドイ
ツ映画),『クロワッサンで朝食を』(イルマル・ラーグ監督/ 2012年,フランス・ストニ
ア・ベルギー映画)などには,認知症や介護の問題や死別をどのように受け入れるかとい
った,長生きすれば直面せざるを得ないさまざまな困難が描き出されている。
「老い J はまた,古くから文学作品に頻出するモチーフでもあった。文学作品に登場す
る「老人 Jたちは数限りないし,老いる自らの精神や肉体を冷徹に観察し,書き記すこと
にカを尽くした作家や哲学者も多い。だが,「老いと文学Jを結びつけて考え,研究の対象
とすることは,ここ最近始まったばかりの取り組みだと言える。こうしたアプローチを試
みた最初のひとりが SimonedeBeauvoirシモーヌ・ド・ボーヴォワールで,彼女はその
e『老い』のなかで,古代ギリシャから同時代の作家まで,その作品と実
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大著 La防:
生活における「老い Jを容赦なく暴いてみせたえ特に,高齢化が著しい日本やフランスに
あっては,「老後 Jの問題には常に,経済・政治・福祉・国際間題といったあらゆる側面か
013
1 本章は,第四回国際ジョルジュ・サンド学会(於:ノレーヴァン・カトリック大学/ベルギー, 2
e妙およ
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ldeGeorgeSandv
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年 6月 21日)での αCommentv
1月 9日)での口頭発表「ジョルジ
び,「関西女性作家を読む会 J研究会(於:奈良女子大学, 2013年 1
ュ・サンドにおけるく老い〉について J をもとに,『欧米言語文化研究』第 1号(奈良女子大学文学部欧
2月刊)に発表した拙稿「『老い』はどう語られるかージョルジュ・サンド晩
米言語文化学会, 2013年 1
年の作品を通してーj に改変を加えたものである。
. (『老い』上・下,朝吹三吉訳,人文書院, 1972
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年
らのアプローチが求められる。そうした中では「文学」もまた例外ではありえないし,「文
学 j の領域であるからこそ表現し得る「老い Jや「老後 j の可能性について,検討する余
地は多いにあると考えるべきであろう。
9世紀フランスの小説作品を振り
本章の目的は,長命が現実のものとなりつつあった 1
返り,そこに確立されていく「老い」へのまなざしの性質を明らかにすることである 30 f老
いJは歓迎すべき状態であったのか。それとも,忌むべき凋落とみなされていたのか。ま
老い j はジェンダー化されているのかどうかについて検討してみたい。男性作
たその際, f
家による「老い j に関する言説と,長生きする女性作家たちが,自らの「老い J に向き合
い,書きとめたものは,同質であったと言えるのかどうか。さらには,実際に老いた女性
作家のひとりであるサンドは,自らの「老しリをどうとらえ,晩年の作品に書き残したの
か,詳細に検討してみたい。
. 概怠としての「老い」と「老い」へのまなざし
I
一般的に,「老い Jはどのように理解されてきたのだろうか。その言説と表象は,大きく
aturite》(「成熟」)
二方向に分かれると言ってよい。ひとつは,人生経験を通じての《 m
や αsagesse沙(「知恵・達観 J)としての表現である。長く生きる人間には,時間の分だけ
経験が蓄積され,それは若年の者には持ち得ない「旨味j として示される。一方で,「老い J
n妙(「退色・風
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は,《 d
化 J)であるとも言える。ひとは誕生したときから死に向かっているのであるから,時間は
常に破壊者として立ち現れるものであり,「老しリとはその進行の結果にほかならないと考
えられるのである。
とのつながりから
世紀病 J
『若くして老いる』ということ・.....r
9世紀前半のロマン主義的特徴を備えた小説の中には,こうした「破壊j の側面を「病 J
1
e抄(「世紀病 J)として表現する例が多くみ
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へと結びつけ,時代を覆う空気 αmaldus
a『レリヤ』( 1833
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られる。たとえば,ジョルジュ・サンドのごく初期の作品である L
年)は,極めて強い抑うつ兆候を示すことで知られるが 4,主人公の女性レリヤはこの「病」
9世紀ヨーロッパについて, fこの世紀に起きた種々の変化は,老人たちの境涯と
3 ボーヴォワーノレは 1
社会が老年についてっくりあげる観念に大きな影響をおよぼした」と述べ,大きな要因として人口の異
常な増大を指摘する。それまで「神話」の領域に組み込まれていた I老い J は,実際に生きられる「現
実j となり,その結果「文学は老人を黙殺するわけにいかなくなり,フランスやイギリスやロシアの小
説家たちは,社会の十全たな絵図をつくろうと努める。したがって彼らは,特権階層の老人たちばかり
でなく,それまでは,わずかな取るにたらない例外を除いては作家に言及されることのなかった,下層
.223)その意味で, 19
階級の老人たちをも描くように J なったと指摘する。(『老い』上,朝吹三吉訳, p
世紀以降のフランス小説に見られる「老い J を分析することは,社会の近代化のあり方の重要な側面を
指摘することにつながる。
802年)を筆頭に,
4 「世紀病 j の主人公たちが登場する作品としては,シャトープリアンの『ルネ』( 1
セナンクールの『オーベノレマン』( 1804年),コンスタンの『アドルフ』( 1816年)やミュッセの『世紀
児の告白』( 1836年)などを挙げることができる。サンドの『レリヤ』は,「女性版オーベルマンJ と評
- 2一
を自らの f
老い J に重ねて,次のように嘆き語る。
私もほら,ここにいて,まるで千歳を超えた老婆のようです。ひとに褒めそやされた
私の美貌はもう偽りの仮面でしかなく,その下に隠れているのは極度の疲労と苦闘で
す。カにあふれた情熱に満たされるはずの年齢なのに,私たちはもう情熱を持たず,
欲望さえ持っていません。残っているのは,疲れ果ててこの世にけりをつけ,棺桶に
横たわって休みたいという望みくらいです50
自身を「千歳を超えた老婆のよう」とするレリヤは,美しく見える仮面の下に
は《 epuisement》(「極度の疲労 J
)や αagonie沙(「苦悶・断末魔」)が隠されていると言
う。こうして感じられた生きることへの苦しみと疲労は,情熱や欲望を枯渇させ,死と同
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l》(「棺桶」)へと,ひとを追いやるのである。
義である α
レリヤ自身や,この言葉を聞いている詩人の S
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o (ステニオ)は,実際には老年に達
しているわけではない。だからこそ,内心の不安や苦悩,疲労などが身体をむしばむ「病 j
となり,死へとつながって想像されるとき,そこに「老い」というメタファーが有効には
たらくのである。そのことは,ステニオが愛するレリヤについて語る際に,同じような論
法を使用していることからもうかがい知れる。
私はいま,レリヤのすべてを知っている。まるで,彼女が自分の持ち物であったかの
ように。私は彼女をあれほど美しく,純粋で気高く見せていたものの正体を知ってい
る。それは私自身,私の若さであった。だが,私の心が萎れて行くにつれて,レリヤ
の姿も同じように萎れてしまった。いま,私には,彼女があるがままに見える気がす
る。顔色は青く,唇は色あせ,髪には最初の白髪の数本が混じっている。白髪は私た
ちの頭蓋を覆っていくことだろう,雑草が墓石を覆うように。そして額には,老いが
私たちに刻印する,あの消えることのない織が深く刻み込まれるのだ。まずは寛大で
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,pp.288・2
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.
)
軽い手つきで,だが,その後には深く冷酷な爪によって。 (
ステニオは,レリヤの美しさと気高さについて自分は良く理解しているのだと言いなが
ら,自分の心が α自供r
i》「萎れて J行くにつれて,愛の対象であるレリヤのイメージもま
た「老い j の波にさらされるという。ここには,実年齢とは全く別の次元で経験される「老
いj が象徴的に示されていると言えるだろう。ステニオの持つ「若さ Jが可能にしたイリ
される。「世紀病 j の青年たちについての分析は,拙著『摩擦する「母J と「女Jの物語』(晃洋書房,
2013年)を参照のこと。
5G
eorgeSand,L
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,ClassiquesGarnier,1960,p
.
1
2
7
.特に断らない限り,プランス語のテクストから
の翻訳は,拙訳による。
-3-
ュージョンが崩れ去ったとき,そこには顔色を失い,白髪が混じり,額にしわを刻んだ老
婆レリヤが現れるのである。
ここで,先にも指摘した「世紀病 Jとの関連を考えてみよう。「世紀病」を生み出した心
性の特徴のひとつとして,しばしば「理想、と現実の事離Jが指摘される。 MichelBrixは
e『エロス
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その著書 E
9世紀フランスにおける愛の言説』の第 6章を「世紀病 Jにあてているが,その
と文学− 1
η (「世紀病,ボヴァリスム,
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章タイトル αMaldus
偶像崇拝の罪 J)はたいへん示唆的である 60 Brixは「世紀病 j の最大の要因を「理想と現
実の不一致J に見出し,それが生み出されるきっかけを文明の過剰さ(なかでも,書物に
よって得られる知識の過剰)による「老成 J だと考えているに
革命や皇帝ナポレオンといった,華々しい活動や活力のモデルを理想、とする青年たちに
とって,それに遅れて生まれてきてしまったという感覚は,喪失感と無気力を引き起こす。
ステニオがレリヤに見出す「老い」とは,この「理想、 j というイリュージョンが取り払わ
れた後の「現実J と同義であり,この変化を引き起こしている正体は,ステニオ自身なの
である。私たちはここで,「幻想」が取り払われたときに表れる「現実j の表象として「老
しリと「死」が結びつけて考えられていることを,記憶にとどめておこう。
老いる女性』が示すもの
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さらにこの箇所で注目しておかねばならないのは,男性であるステニオに観察された女
性であるレリヤの老いが,その容色の衰えの形で示されていることの重要性である。「老い J
は長く生きるものに平等に訪れる現象ではあるが,その描かれ方は性別によって大きく異
なる。「男女の非対称性 j のひとつの表れといっても良いだろう。
ボーヴォワールは,童話の中に書きとめられた老婆について「つねに不吉な存在J であ
るとし,「彼女が善を行うことがあるとすれば,彼女の肉体的外観は実は仮装にすぎず,や
がてそれを脱ぎ棄て,若さと美しさに輝く妖精として姿をあらわすJものだと述べている 80
ClaudeBenoitもまた,近代以前の文学作品における「老い j について,老いた女性のヴ
)
ィジョンが否定的,かっ 悲観的なものであり,そ こには強い αmepris沙(「軽蔑 J
や《 degout》(「嫌悪感 J)が見られるとし,「身体の美が損なわれること,子を産めなくな
ること,男を誘惑する魅力の消滅,こうした女性の醜さはしばしば禍々しいものとの連想
でとらえられる J と述べる 90 Benoitは続けて,「老いた女性(老女)という文学上のトポ
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スは,古代から続くミソジニーの流れを受けて,文化的な伝統の一部として組み込まれる」
とし, 19世紀以降,特に小説の中ではこのようなステレオタイプとしての老女像は変更さ
れ,表象は複雑になっていくと指摘する。だが,女性が老いることや,
《
reproduction》
e》(「老嬢 J)たちへの眼差しは,
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(「生殖」)の機能を果たさない,いわゆる《 v
少なくとも好意的になっていくとは言えない 100
もちろん,「老いる男性Jに対する視線もまた,好意的なものであるとは言い難い。だが,
ここに生じている「非対称性Jの本質は,男性の老いが経験や知恵のようなプラスの価値
を持ったものとして表現される一方,女性の老いが醜さや禍々しさとして描かれるという
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ような,単純な対立の構図ではない。 AlainMontandonは,論文集 E
いを書く』に付した序文において,「頭の中で上手に老いること。それは自然によって強制
的に与えられる限界を受け入れ,近く,また遠くの未来を管理し,同時に過去とも上手く
折り合いをつけることである 11J と述べるが,ここで前提となっているのは,老いをコン
トロールできる主体の存在である。近代社会にあって,主体としての「個 J を持ち得たの
が,一方的に男性ジェンダーであり,排他性の法則によって女性ジェンダーにそれが与え
9世紀フランスにあ
られていなかったことを考慮に入れるなら, Montandonの議論は, 1
っては,男性にのみ有効であったと考えられる。
『老い』の中でボーヴォワールが「文学作品のなかでも,実人生においても,自分の老
いを快く思う女性には私は一人も出会ったことがない Jと語り,「美しい老婆 Jは決してい
ないのだと言明するとき,そこに合意されているのは,女性は「獲物 J として「征服され
るJ対象であり,その価値は優美さや若さを伴う美によって決定されるという認識である 120
こうした観点から読み解くとき,ジョルジュ・サンドが描いた『レリヤ』はまさに,女性
の美醜が男の心の眼の反映であり,男性の視線によっていかようにも変容させられること
を示す好例だと言える。
だが,女性作家サンドの筆は,女性の美貌の衰えについて,さらに深い分析を試みる。
a『イジドラ』( 1846年)には,次のような記述
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3年後に発表された I
『レリヤ』の 1
が見出されるのだ。
私の鏡,それは手厳しい忠告者であり,その鏡については多くの男性たちが,皮肉の
こもったありふれた言い回しを大量に用い,語ってきたものです。私がその鏡を見な
がら,一本の織ができ,数本の髪が白くなろうものなら恐怖に震え上がっていたのは,
tはパノレザック作品に多く登場する「産まない女性たち Jを取り上げ,そのあり方を分
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e『従妹ベット』の女性主人公ベットの描かれ方などは,その
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析しているが,例えば, LaC
典型例とみなすことができるだろう。
nMontandon),
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12 ボーヴォワール『老い』下,朝吹三吉訳, p
-5-
そう前のことではありません。ですが,突如として,私は心を決めたのです。私はも
う,歳月のもたらす容色の衰えを確認しようなどとは思いもしません 130
確かに,イジドラの老いを厳しく判定するのは,彼女が手に持つ「鏡J であるが,それ
は彼女の価値観を反映しているのではない。男たちが長年に亘って,散々に書き散らして
きた言説のすべてが,この鏡に染みつき,判断の基準を作っているのである。女がそれに
惑わされて一喜一憂することは,村田京子が指摘するように量「男の眼差しの内面化に他な
らない Jのであって,そこに留まることは「自らを男の欲望の対象として客体化し,そこ
に自らの存在価値を置く
j
ことになるのだ叱その事実に「突如として J気が付き,そこ
から脱却しようとするイジドラの決意は,男性の価値観を内面化した自分自身から脱却し,
女性としての生き方と老い方を模索し始めた,その表れであるとも理解できるのだ。
. 老いることへの恐怖……生と死をめぐる考察
I
I
ここからは,「老い j に伴って経験される「死」とそれをめぐる感情について検討してみ
たい。先にも述べたとおり,「老い j の概念は「死」と結び付けられることが多い。命ある
ものの一生が,生と死によって区切られていると想定すれば,「老しリは「死」
)とでも言えるだろうか。だが,私た
ntichambre沙(「一歩手前の部屋・控えの間 J
の《 a
ちはみな死ぬとしても,自分の死を自覚的に経験することはできないし,自らの死後,周
辺のひとたちがどのように感じ,ふるまうかを知ることもできない。その点において,老
いることのできた者が経験するのは,他人の死であるとも言ってもよい。幼くして亡くな
る者は,周囲の人間に悼まれて惜しまれて逝くが,他人の死を見ることはない。逆に,長
く生きることのできる者は,他人の死を見送り,受け入れ,その度に自らの死について思
いを馳せることになる。
老いた者が他人を見送った後,どのような感情を持つことになるだろうか。両親や配偶
者,兄弟姉妹といったごく近親の者に去られ,さらに,残された空間にひとり取り残され
てしまった場合。親しく交流し,同好の士として共に慰め合い,語り合った友に去られて
しまった場合。ケースによって残されたものが抱く感慨はさまざまであろうが,一人去り,
二人去り,そして自分が残されたという「孤独感 j もやはり,「老し、」に密接に関連して経
験される感情のひとつであろう。
『死』はどのように受け入れられたか
72歳まで生きたジョルジュ・サンドは,当時としては長命であり,実際に「老い Jを経
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験したと言える。 ClaudeB
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14 村田京子『娼婦の肖像ーロマン主義的クルチザンヌの系譜』,新評論,
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18・119頁
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2006年
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e》「ふたりの偉大な女性作家における良く老いる術:ジョルジ
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r》 「良く
ュ・サンドとコレット J と題された論考の中で,サンドが《 a
老いる術j を獲得することができた原因のひとつとして,自身が祖母の死を身近に経験し
たことを挙げている 150 ごく近親の者の死を,痛みや悲しみ苦しみとともに経験しながら,
受け入れ,生きて行くことの第一歩としての位置づけである。
だがこのステップはあくまでも,第一歩目にすぎない。サンドにとっての肉親の死はそ
の後,自分より年上の者のそれではなく,孫の死という,さらに鮮烈な形で経験されるこ
とになる。サンドの娘 Solange (ソランジュ)には, Jeanne (ジャンヌ)という娘が誕生
するが,ジャンヌは 1855年に 6歳で死亡する。サンドとソランジュは,第四章に詳しく
述べるとおり,折り合いが悪かったことで知られるが,孫娘ジャンヌの誕生は,二人の関
係にわずかな改善の兆しをもたらした。その孫娘が亡くなった時の様子を,サンドは
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『印象と思い出』の第 7篇《 En1861-L
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t〆1861
年一ロリナへの手紙」 (
1871年 1
2月 13日 LeTemps『タンJ誌に掲載)の中でこのよう
に述べている D
数年前に孫娘のジャンヌを失ったとき,私は大騒ぎをしませんでした。ですが,私は
死んでしまいたいという欲望に取りつかれ,それは私を呪われた考えか何かのように
深く恐れさせたのです。それは苦しみという病でした。私は,小さなあの子が,あの
世から私のことを呼んでいて,彼女は弱くて孤独だから,私のことを必要としている
だろうと信じたのです。[…]ある夜,私は夢を見ました。その中で彼女はこう言った
のです。「心配しないで,私は大丈夫だから」と。私は目を覚まし,すっかり観念しま
した。自分の中にあって打ち勝たねばならないのは,ただひとつ,利己的な未練だけ
でした。そして,私はそれに打ち勝つたのです 160
この一節の時間的な設定はやや複雑で,『タン』誌への掲載は 1871年であるが,元にな
っているのは, 1861年に書かれた親友ロリナ宛ての手紙ということになっている。引用に
ある「数年前Jとはジャンヌが亡くなった 1855年のことで,それが 1861年という地点を
経て, 1871年から振り返られているのである。この文章からは,サンドが孫娘の死をどの
ように感じ,乗り越えたかがよく理解される。《 maladiedel
adouleur》(「苦しみという
病 J)という表現は,先に指摘した《 maldus
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e》(「世紀病 J)と同質のものを感じさせ
るが,それが《 l
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e》(「利己的な未練 J
)と切って捨てられるところが興味深
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,Desfemmes,2005,pp.166・1
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- 7一
サンドの息子 Maurice (モーリス)とその妻 Lina (リナ)の息子 Marc-Antoine (マル
ocoton (ココトン)と呼
ク=アントワーヌ)もまた, 1864年にわずか 1歳で早世する。 C
ばれて愛された孫息子の死も,孫娘ジャンヌの死と勝るとも劣らない強い痛みをもたらし
5年にわたって連れ添ってきたパ
たと考えられるが,サンドはさらに孫息子の死の翌年, 1
ートナーAlexandreManceau(アレクサンドル・マンソー)を失っている。ごく近親の人々
を立て続けに見送った後の喪失感と孤独感は,いかばかりであったろうか。マンソーが亡
00通の手紙
くなった 1865年 8月 21日からの数週間に,サンドが友人に書き送った約 1
からは,当時のあわただしい日常の様子や心の動きが読み取れる。マンソーの葬儀などを
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終え,久しぶりに故郷の Nohant (ノアン)に戻ったサンドが, 9月 6 日に L
(ルイ・プラン)に宛てて送った手紙は次のようなものである。
友よ,このような過酷な試練の中にいる私のことを気にかけてくれてありがとう。死
は人生の中の重大な出来事ですが,死が残す大きな希望というものを,私たちは感じ,
隼♀ゑのです。絶えがたく恐ろしいのは,別れの時間に先だ、って起こることであり,
そこに至らせるすべてのことです。でも私たちは,愛されるに値した人々のせいで苦
しんだのだ,とは思いたくないものです 170
この手紙からは,愛する者を見送ることは試練ではあるが絶望ではなく,乗り越えられ
るべきものと理解されているのがわかる。最期の瞬間はつらいものであろうし,深く愛し
ていればいるほど,その瞬間に至るまでのあらゆることは,さらに強い苦痛として感じら
れるに違いない。だが,見送る相手が愛されるにふさわしい(=自らが愛していた)相手
であるなら,死にゆくその姿に苦しめられたと感じるべきではないだろう。それゆえに,
死が残すものが「大きな希望Jなのだと信じることこそ,残された者にとってのあるべき
姿であると,作家が自らに言い聞かせているようである。
それでも生きる,のはなぜか
他者の「死」に対して向き合う際のこうした態度は,サンドの小説作品の中にも同様に
見出すことができる。作家が 1830年代前半に書いた小説には,先に指摘したような「世
ジ
紀病 J的要素が,ほぼ共通して現れるのだが,『レリヤ』の翌年に発表されたぬcques『
1834年)も,そのひとつに数えることができる。ナポレオン戦争から帰還した
ヤツク』.(
7歳の Fernande (フェルナンド)と結婚する。彼が目指
主人公のジャックは, 35歳で 1
したのは,妻に「この世で経験したことのない幸福 J を与えること,つまり,彼が「軽蔑
する社会という名の下において,その社会が結婚した女性に拒絶する利益を保証する j こ
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.強調は,サンド自身による。
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とだったが 18,フェルナンドは自分と同年代の男性と恋に落ち,婚外で、あっても,彼との
愛を貫こうとする。そのことに気付いたジャックが選択したのは,自分自身が退場するこ
とであり,それによって彼女たちを生かすことであった。アルプス山脈の麓という,どこ
か牧歌的でのどかな舞台背景を持ちながら,現実との折り合いに悩み,自死という結末を
迎えてしまう本作には,理想と現実の事離ゆえに憂欝の無限ループに陥ってしまう「世紀
病 J の心性が,色濃く表れていると言えるだろう口
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だが,本作の生みの親であるサンドは,この結末について,自身の小説 LeD
867年)の中で,登場人物の口を借りて,次のようにも述べている。
『最後の愛』( 1
ジャックはあの理想、を失ってしまったひとたちが成していた大家族の,言わば庶子の
ようなものでした。あの人たちにはあの人たちなりに存在する意味というのが,歴史
的にも社会的にもあったのだとは思います。ジャックは作品に登場した時すでに,絶
望のために生きるカを失っていました。彼は愛のためになら建ることができると信じ
たのですが,そうはならなかったのです。[...]ジャックは他人に幸福を与えるために
自死を選びましたが,その時には他人の幸せについてもう関心は持っていなかったし,
信じてもいなかったのです。彼自身の中に,何か崇高な才能のようなものがあったと
すれば,それは生きることに対する無関心でした。戦いに適さない彼は,義務を引き
受けることをしなかったのです 190
e (シルヴェストル氏)という年配の男性が, 50歳
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『最後の愛』は MonsieurS
を間近にして経験した最後の恋愛関係について,昔話りをするという形を採った小説であ
る。その中で彼は,かつて読んだことのあるジョルジュ・サンド氏の小説『ジャック』に
ついて,引用のようなコメントをしているのだが,それは同時に,作家サンドが 30年以
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上前に書いた自分 自身の作品に与え た,解釈のひとつ と考えることもで きる。 α
e》(「あの理想、を失ってしまったひとたちが成していた大
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家族 J)とは「世紀病 j に苦しむ主人公たちのことであり,その中にはすでに述べたレリヤ
やオーベルマンたちが含まれる。ジャックは彼らの直系の子孫とは言えないかもしれない
が,絶望にみまわれ,生きる力を失い,自死を解決と考える点においては,彼らと大きく
変わらない。
さらにここで注意しておかねばならないのは,シルヴェストル氏がジャックを全面的に
受け入れるのではなく,批判的なコメントを与えている点である。時代背景を考えれば,
t沙(「無
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確かに彼らに道理はあったかもしれない。だが,生きることへの《 d
関心」)と義務を引き受けない態度は,彼によって次のように批判される。
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19 G
-9-
卑怯だという思い,というよりはむしろ,自死は何の役にも立たないという考えを持
つようになりました。それと同時に,義務の概念が私の中で大きくなり,はっきりと
した形を持つようになったのです。乱される眠りの中で私に付きまとっていた誘惑に,
私は打ち勝ちました。目が覚めて頭がはっきりしてからは,わずかたりともそこに留
まることはなかったのです。 (
LeD
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先ほどの引用の直後に置か れたこの部分からは,ジャ ックが選んだ自死という選 択
が
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e沙(「役に立たない」)と考えられていることがわかる。その際に引き合いに
出される「義務J という概念について,ここではその具体的な内容は示されていない。だ
が,ジャックの自死が,残されたものの幸福を真に願うことを目的としているのではなく,
むしろ,そういったものすべてに対する無関心と不信であるととらえていることを考慮に
入れるなら,この「義務 j とは「残ること」(=それでも生き続けること)と同義とも読め
るのである。苦しくとも生きるのが α
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e》(「目が覚めて頭がはっきりして」)
いることであり,それを人間の義務ととらえる態度は,サンドがジャンヌやマンソーの死
に際して自らを鼓舞した方法と,根底でつながっているように感じられる。
そのことは,この小説の結びに,さらにはっきりと表れる。「最後の愛」の相手を亡くし
たシルヴェストル氏は,いったんは強い悲しみに打ちひしがれ,「何もかもが過去のことに
なり,未来はもうない J(
L
eDernierAmour,p.312)と感じる。しかし,彼はそこから建る。
ジャックが「更生ることを願ってできなかった Jのとは対照的に。
私は生きていることを幸せに感じました。もう一度生き直すことができたことも,こ
れまで経験してきた苦しみさえも,幸せに感じます。[…]これからまだ生きることへ
の困難について,私は幻想を持っていません。というのも,私の中に芽生えることの
できた何か,何か新しい生が,私に新たにやるべきことを作ってくれるだろうからで
す
。 (
LeD
e
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rAmour
』p
.
3
1
2
)
苦しみの後に新しい生があり,さらに次の苦しみを過ぎると,そこにはまた別の生があ
るロそうして紡がれていく人生という長い道筋を「幸福 J と感じる意識が,ここに明らか
に示されている。さらにシルヴェストル氏は,幻想に負けない強く,明噺な意識のありか
について強調する。
「意識していることですよ,みなさん! J と,話を終えながら老いたシノレヴェストル
氏は叫んだ。 75年も生きてきた人とは思えないような若々しさに満ちて,彼は立ち上
がった。「明瞭な意識とは,イ可か真実で明断なものであり,織れのない魔除け,魂を映
-10-
してきた伝統的な鏡です。それはものごとをあるがままに見せてくれるのです。自然
は美しく,人聞は良くなっていくもので,人生は常にそれほど悪くないということ,
)
4
1
3
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ernierAmour,p
そして,死は晴れやかなものなのです。 J(LeD
1830年代の作品が語ったものが,幻想と幻滅に眼をふさがれた暗閣の恐怖だ、ったとすれ
, 30年以上を過ぎた 1860年代の小説は,そこからの脱却というよりはむしろ,別の眼
ば
の獲得であったと言えるかもしれない。生きることを恐れず,死を「晴れやかなもの」と
老い」への態度にも反映することになる。
受け入れる態度は,当然, f
.「老い」からの解放……再評価の可能性
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ここからは,サンドが晩年に書き残したふたつの作品群, I
egrand-mere『祖母の物語』に共通してみられる生死観,お
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象と思い出』と C
老い Jに関する姿勢を検討してみたい。その際に,すでに提示した「破壊・疲弊・
よび, f
絶望=老い j という『レリヤ』に示された図式や,「女性の老い J あるいは「老いる女性 J
というメタファーはどのように変更されたか(またされなかったか)という点に触れなが
ら議論を進めたい。
まず,このふたつの作品群は性質が大きく異なって いる。『印象と思い出』は編集者
・ Edmond (シャルル=エドモン)に乞われて『タン』誌に掲載されたエッセイ風
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の記事が,後に
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MichelLevy (ミシェル・レヴィ)によってまとめられたもので,執筆
時期は 1871年から 1873年にわたっている D 一方の『祖母の物語』は孫娘たちのために書
e (「物語 J)が, 1873年に第一シリーズ(ミシェル・レヴィ版), 1876年に第
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かれた c
二シリーズ CalmannLevy (カルマン・レヴィ版)としてまとめられたものである。読み
手として設定されている相手も異なるし,執筆時期も,一部は重なっているが『祖母の物
語』の方が,より晩年に近い作品である。
それにもかかわらず,あるいはそれゆえにこそ,ふたつの作品群に共通して強調される
事がらに注目することは,意味があるだろう。ここで指摘したいのは,主に次の二点であ
る。ひとつめに,「私はもうすぐこの世にはいなくなる j といった意味合いの言い回しが,
頻繁に現れる点である。『印象と思い出』に見られる
「私の心は間もなく消え去ろうとし
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ている j や「あと数年もすれば,私はもうここにはいない J(
)といった表現は,自らの老いを間近に意識していることを感じさせる。また,『祖
p.233
e》(「パラ色の雲J)の序文にも,孫娘たちがふたり
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母の物語』の中の一編 αLeNuager
とも助けなく本を読めるようになる頃には,私はもうこの世にはいなし、かもしれないとい
う表現が見られる 200 しかし,それに続く「その時は私のことを思い出して J という孫娘
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たちへの呼びかけの言葉には,作家の死に対する軽やかな向き合い方と,死によって妨げ
られることのない何ものかへの信頼がにじみ出ている。
サンドにおける『輪廻jの思想
その「何ものかj の実態とは何か。それがふたつ目のポイントである。サンドは自らの
死が近いことを意識しているが,そこから導き出されるのは,去っていく悲しみや死への
恐怖,絶望といったものではない。次に続く物/者や世界への,純然たる期待である。具
体的にはそれは,変化や再生,あるいは変化を含みながら残り続けるもの,という形で表
現されている。
『祖母の物語』に含まれる《 LeChiene
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e抄(「犬と聖なる花 J)におい
て,《 metempsycose》(「輪廻 J)はメインテーマのひとつだと考えられるが,そこに見出
されるのは,死がいったんは何かを断ち切るものでありながら,実はそれは次に続くもの
を作り出す源ともなっている,という思想である 210 「あらゆるものは変化の一過程に過ぎ
ず」(αLec
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ne
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.314
),常にその姿を変えながら続いていく。つまり,
この世にあるすべてのものが,鎖のようにつながっていくあり方を信じる作家の態度が,
物語に反映していると言えるのだ。
この考え方をさらにはっきりと示すのは, αLaFeeP
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e》(「挨の妖精 J
)に見られ
る「壊れることなくして創生はない 22J という表現であろう。こう考えるなら, EveS
ourian
が『印象と思い出』の序文で述べるように,死そのものがありえないことになる。
それゆえ,死そのものが存在しないことになる。なぜなら果てしなく続く破壊こそが,
別の形での再生を可能にするからだ 230
Sourianのこの指摘は,先に挙げたジャンヌの死について書いたロリナへの手紙に見ら
れる「死というものがもはやないことになる。死と は更新され,純化された生になる j
(
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tSouvenir~ち p.168)という箇所などから想起されたものであろう。この世に
は限りがあり,人はみな死ぬものであり,壊れたあとには絶望しか残らないと考えたレリ
ヤやステニオの嘆きから,なんと遠くへ来たことか。「理想と現実Jの事離に悩み,理想の
果たされない現実を絶望と読み替えた「世紀病 Jの時代から,多くの死を経験した後の「再
生Jへo サンドの晩年の思想には,その流れが知実に刻み込まれている。
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-12-
W. 「老いる女Jは伺を語るか
若い(まだ未成熟
本章の最後に,晩年のサンドがたどりついた「老いた女Jの境地を, f
で未来に満ちた)孫娘」たちとの関わりから考えてみたい。その際に最も重要な作品は,
言うまでもなく『祖母の物語』である。
オロールと『小さなjオロール
老いたJ
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その中でも注目したいのは,第二シリーズに現れる特徴的な表現である。『祖母の物語』
の第一シリーズにはそれぞれ,孫娘の名前が宛名として付され,その後に数行の献辞が加
えであることが多い。だがこの習慣は,第二シリーズに移って少し形を変える。第二シリ
arlant沙「物言う樫の木 J には αAMademoiselle Blanche
ーズ第一作の αLeChenep
)という献辞が見られる。また,第二シリーズ第
Amieη (「プランシュ・アミックさんへ J
eSand》(「ガプ
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e》「犬と聖なる花 j には《 AG
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二作の αLeChiene
リエノレ・サンドへ」)と《 AAuroreSand沙(「オロール・サンドへ J)という,サンドの孫
娘ふたりの名前が見られるが,第一シリーズにあったような数行の献辞は添えられていな
い。また,第三作以降の物語には,それまでにあった宛名さえ存在していない。
)
私J
「
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その代りとでも言うように,物語の官頭に,作家自身を表すと思われる《 j
なる人物が登場し,オロールとガフリエノレに αvous》(「あなたたち J)で話しかける形が
s沙「花のささや
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採用されている。この形式が特に顕著なのが, αCequed
きJである。「私が子どもだった頃ね,オロール,花たちが話し合っていることが聞き取れ
なくて,私はとても悩んでいたの 24j と始まるこの作品は,自分が子どもだった頃のこと
を,孫娘のオロールに向かつて語って聞かせるサンドの姿を,容易に想像させてくれる。
この語りの面白さは,自らも「オローノレJ という名を持つ祖母が,目の前にいるもうひと
りの「オロール」(孫娘)に向かい,自分が「小さなオロールj であった時のことを一人称
で語っていくところである。
)は αAurore
e》(「私 J
冒頭は確かに,老境に達した祖母の語りであり,この部分での《 j
e》
e》(「老いたオローノレ」=サンド)である。しかし,語りが進むにつれ,その《 j
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私 J)は次第に過去へと入り込み, α u
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) (「ある夕方,私は砂の上に寝転がることができて,それ以降,自分のそばで話され
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ていることをひとつも聞き逃さないようになった J)という語りの時を迎えた段階から,小
さかった子どもの頃,言い換えれば,花の話す言葉が分かつたころの「私」にすり替わる
のである。ここで起こっていることは,「老いたオロールJ (現在)→「小さかったオロー
ル」(過去)という変化なのだが,同時にこの「小さかったオロールj は,「小さいオロー
24
,2004,
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-13-
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レj (現在=孫のオローノレ)とも重なり合っている。 BeatriceDidierは『祖母の物語』に
付けた序文の中でこのことに触れ,次のように指摘する。
おばあさんが語ることばが,鎖のようにつながっていく。つまり,それぞれが子ども
の頃のことを覚えていて,そのメッセージを次の世代に語り継ぐ。そのことによって,
先祖代々の女性たちの声が死に絶えることなく残っていく 250
「私=オロールj の語る物語の聞き手が同じ「オロールJ という名であることは,聞き
手の「オロール」が次には語り手の「オロールj に変化し,彼女の孫に向かつて語り継い
でいくことを,強く予感させるのである。
『老女 Jと『少女 J
もうひとつここで考えておきたいのは,語り手が「祖母=女性J であり,聞き手もまた
「女性=孫娘Jであるという点である。もとより, αconte沙(「物語 J
)の語り手は伝統的
に「おばさん J・「おばあさん j であると設定されることが多いが,ここでは語り手一聞き
手のラインが女性聞という向性に限られていることに,もう少し積極的な意味を見出した
い。少女は成長し,やがて妻・母になり,年老いて「祖母J になった。老境を得た祖母は
f
孫=少女J と向き合い,彼女に自らの人生とその知恵とを語る。ここで少女と祖母が占
めている場所はどこなのだろうか,という問題提起をしたいのである。
日本の近現代文学を研究する江黒清美は,その著書に,『「少女』と「老女 Jの聖域』と
いう,きわめて示唆に富んだタイトルを付している。その中で著者は,「少女」と「老女 J
は成人した女性(青年期から壮年期に亘る)とは一線を画し,「聖なるもの」を共有する存
在であることを指摘している。では, f
少女J と「老女j に共通するものは何か。江黒が指
摘するのは,彼女らがセクシュアリティの自覚や発揮(性的存在であること)から解放さ
れ て い る と い う 点 で あ る が 26, サ ン ド の αconte沙(「物語 j) に お い て は , そ れ
は
, αmerveilleux≫ (「驚異 J
)を感じ取る能力だと言えるのではないか270 花が語り合う
のを聞くことのできる能力,妖精を見ることのできる能力,見えないけれど驚嘆すべき美
しさを持つもの《 merveilleux沙(「驚異」)を見ることができる能力こそが,子どもに与え
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)と,向様の指摘をしている。
26 江黒清美『 f
少女J と「老女J の聖域一尾崎翠・野溝七生子・森莱剰を読む』,学事書林, 2012年。主
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rは《
に,序章を参照している。
ジヨノレジュ・サンドの作品世界において, 側 m
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x妙(「驚異 J)は非常に重要な概念とみなさ
れている。日本語では「驚異Jと訳されるこの語には, f
驚くべきこと J というだけでなく,「素晴らし
い驚異」のニュアンスが含まれる。サンドの≪ m
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x妙については, ChihoWatanabe・Akimoto,
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,1998などを参照のこと。
27
-14-
られたこの上なく素晴らしい力であり,未来を作り出すことのできる希望だというのがサ
ンドの《 c
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e》(「物語 J
)の主題であることを考えれば,祖母と孫娘のこの容易な交代と
同一化は,小さな子どもと老いた者だけが感得できる世界の存在を示しながら,途切れな
く続いていく女同士の連帯の形を語っているとも言える。と同時に,「老いた女 Jの醜さ,
あるいは「魔女」のようなまがまがしい表象が,《 m
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x》(「驚異」)を伝える者と
いうポジティヴな姿に書き換えられているのである。
「花のささやき j の次に配置された物語 αLeMarteaur
ouge》「赤い槌J もまた,同じ
ような語りの構造と思想とを持っている。
生命というのは,あらゆるものでできているのです。時や人が壊すものは,別の新し
い形で生まれ変わります,妖精のおかげで。妖精は,何物も無駄にはしません。あら
ゆるものを修繕し,壊れたものを再生するのです。その妖精たちの女王が,あなたた
ちもよく知っているでしょう,自然です280
このように締めくくられる本作には,晩年のサンドの思想がよく表れている。時や人間
の手によって壊されたものは,違った形でよみがえる。「妖精j のおかげで。妖精はあらゆ
るものを直してくれる。その「妖精たちの女王 J こそが, 《n
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e沙(「自然 J)なのであ
る。語りの相手である《 vous》(「あなたたち J
)とは話を聞いている孫娘たちのことで,
e》(「私 J)と《 vous沙(「あなたたち」)との緊密な関係と,受け継がれて
ここにもまた《 j
いく精神が強く意識される。
もうひとつ, f挨の妖精 Jの結びも見ておこう。
挨たちは,生命での後に残る死なのです。ですが,それは何も悲しいことではありま
せん。だって,挨たちは必ず生まれ変わるのですから,私のおかげで。挨たちは死の
後に生まれ変わって命になるのです。さようなら。私のことを覚えておいてください 290
これこそが,サンドの遺言だと言えないだろうか。死を悲しむ必要はない。「私 Jのおか
げで,挨たちは死後に建って,新しい生命となる。この文章における《 moi》(「私 J)は「挨
の妖精Jであって,作家=サンドではない。だが,私たちはこの《 moi沙(「私 J
)を「作家j
と読み替えることもできるだろう。彼女が書いたことによってこの思想は生き続け,作品
は読み続けられるのだから。老年に達したサンドが繰り返し語るのは,死の恐怖や老いの
苦しみではなく,これからの世代に自らがつながっていることと,途切れることのないも
のへの信頼感なのである。
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-15-
最後に再び『イジドラ』に戻れば,この時期にすでに,世代の違う女性がつながりあっ
てあることへの期待の萌芽が示されていることに気が付く。若き日には美貌を誇った高等
娼婦イジドラは,年を重ねるにつれて,それまでとは違った心境を得ることになる。若さ
にとって,老いは死に勝る恐怖の対象であったが,実は《 l
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n》(「その時間は人生において最も清らか,かつ穏やかなもの J
)<
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はないか,と。この時のイジドラにとって,「老いる女 j は「別の女,新たに始まるもう一
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)なのである。
人の私 J(
イジドラは華やかな社交生活を退いた後,若くて身寄りのない娘アガットを養女にする。
イジドラが語るアガットとの関係は,「老いた女性 j と「若い女性 j との対比であると同時
に,支え合いの形で表現される。
若い娘はいつだって,悪に惑わされないかと身を震わせているものです。足元にそれ
を感じ,一歩を踏み出せないものです。ですが,老いた女は自由に,落ちることを恐
れずに進みます。なぜなら,もう危険に引き寄せられることはないと知っているから。
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足元の定かでない,未来のある若い女性に寄り添って生きる,経験のある老いた女性。
イジドラはまだ,晩年のサンドのような老境に達しているわけではないが,それを先取り
しているかのようであり,その姿は,レリヤが若い肉体を老婆にたとえられたのとは様相
をまったく異にする。『イジドラ』において,老いを意識した女性には,あらたな人生を始
める機会が用意されており,その姿は傍にいる年若い女性にとって,手本のように映って
いる。その意味で,ここに措かれる「老いる女 J は,もう嫌悪の対象ではない。
手を携える年長の女性と年下の少女という構図は,さらにその年齢を隔てながら繰り返
し描かれることになった。その最後の完成形が,『祖母の物語』なのである。
-16-
第二章 1
老いゆく女の尊厳ー母を看取る娘(作家)たちのことば
ージョルジュ・サンド『ポーリーヌ』『我が生涯の記』,
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『おだやかな死』を通してー
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ひとは,生まれたから死ぬのではなく,生きたから死ぬのでもなく,年老いた
から死ぬのでもない。ひとは,<何か>で死ぬのだ2。(シモーヌ・ド・ボーヴ
ォワーノレ『おだやかな死』より)
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シモーヌ・ド・ボーヴォワーノレは, 1958年の Z必moiresd
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切りに,自らの半生を克明に書きつけた自伝的作品を継続的に発表していった。 Laf
)
1972年
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1963年)を経て, T
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sdouce『おだやかな死』( 1964年
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で締めくくられる一連の作品群の中に, Unemortt
は含まれている 3。そこには,老いて病衰していく母フランソワーズを見送る一ヵ月あまり
の日々の細部が綴られており,この時シモーヌは 56歳だった。その 6年後に彼女は大著
e『老い』( 1970年)を執筆することになるのだが,ひとの死を徹底的に考察
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sdouce『おだやかな死』と自伝的決算とも
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した本書が,母の死を見つめた Unemortt
2月刊)に発
2号(奈良女子大学文学部欧米言語文化学会, 2014年 1
をもとに,改変を加えたもの
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ことば一
表した拙稿「老いゆく女の尊厳ー母を看取る娘(作家)たちの
である。
. 断らない限り,
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については,翻訳としてシモー
以下,フランス語のテクストからの引用は拙訳によるが,本書
には
年初版発行)があり,引用の際
5
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9
1
ボーヴォワール『おだやかな死』(杉捷夫訳,紀伊国屋書店,
数のみを記す。
下,本書からの引用は,ページ
参照させていただいている。以
e『ある女の回想 娘時
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3 これらの作品にはすべて邦訳があり, I
ある戦後』,
『ある女の回想
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e『ある女の回想女ざかり』, Laf
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t『ある女の回想決算のとき』との邦題が付けられている。
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1 本章は,『欧米言語文化研究』第
一
17-
言える, T
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t『決算のとき』( 1972年)に挟まる形になっていることは示唆
的だ。母の死に近く立ち合ったシモーヌが, 6年間をかけて見つめた自らの「老しリと「死 J
(=決算)への取り組みが,まさしく Lav
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e『老い』として結実していることを恩
わせるからである。
ボーヴォワールは,『おだやかな死』のほぼ巻末にあたる部分に,上に引いた二行を記し
ているのだが,彼女はその直前にこう述べている。「人は老いれば死ぬものであるから,高
齢に達した者は必ず死ぬ時を迎えるのであってそれ以外の意味はない。 50歳を過ぎた女が,
亡き母の死を嘆くなんて,おかしくはないか。母は充分に生きたのだから J と。そして,
自らの母を亡くすまでは,彼女もそう思っていた。だが違う(違った)のだ,と彼女は続
ける。「そうではない。ひとは,生まれたから死ぬのではなく,生きたから死ぬのでもなく,
年老いたから死ぬのでもない。ひとは,く何か>で死ぬのだJ と。母を失ったボーヴォワ
}ルが実感として受け止めた「ひとは,く何か>で死ぬのだ J という一文は,いったい何
を意味するのか。本稿では,母を看取った娘(=作家)たちのことばの中から,彼女たち
が書くことで,死に向かう母の何に向き合ったのかを考察してみたい。
I
. ジョルジュ・サンド『ポ ーリーヌ』に描かれる死 にゆく母とその娘
シモーヌ・ド・ボーヴォワーノレは, 1908年に生まれ, 1986年に 78歳で亡くなってい
ることから, 20世紀の多くの部分を生きた女性と考えて間違いがないだろう。一方,ジョ
ルジュ・サンドは 1804年に生まれ, 1876年に 72歳で亡くなっていて,こちらは 1
9世紀
の前半 4分の 3を生きた勘定になる。先述したとおり,ボーヴォワーノレは 1958年(作家
50歳)から,自らの決算をするかのように自伝的作品に取り組み始めており,サンドもま
た,そのおよそ 100年前の 1854年(同じく,作家 50歳の年である)に自伝的作品 His
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demav
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e『我が生涯の記』を書き始めている。
このことは単なる偶然であろうが,フランスを代表するふたりの女性作家が, 100年の
時を隔てて同じように,自らの生が半世紀を越えたところから,その経験を振り返ってい
たのである。さらに,ボーヴォワールが母の死について克明に記した『おだやかな死』を
残しているのと同様に,サンドは『我が生涯の記』の中で,母ソフイ}の死( 1837年=サ
ンドは 33歳)について書き残している 40 ボーヴォワールの場合と異なるのは,彼女が母
の死の直後に『おだやかな死』を発表したのに対し,サンドが母の死を語るのは,その死
後1
7年が過ぎてからだったという点だろう。
ではサンドは母が亡くなった頃,何を書いていたのか。後に彼女の代表作となる
脇
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t『モープラ』( 1837年)や,神秘主義的な作品 として名高い命1
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n『スピリ
さらに言うならば,ボーヴォワーノレには妹,サンドには姉(父親は違うが母親は同じ)がおり,姉妹
で看病などの世話に当たってい る。そうした状況も,ふたりの 作家が母の死に直面する際の環 境を,類
似したものにしている。
4
-18-
デイオン』( 1839年)などの小説を精力的に発表していたが,母を看取る娘に注目する私
e『ポーリーヌ』である。
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たちの関心を引くのは, 1839年に発表された中編小説 P
『ポーリーヌ』の物語
-Front (サン=フ
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『ポーリーヌ』は 7章 か ら 成 仏 第 3章の途中までが地方都市 S
ロン)を舞台とし,その後場面はパリへと移る。この中で,サン=フロンを舞台とする冒
頭の主に 2章に,年老いた母と彼女を介護し看取る娘 Pauline (ポーリーヌ)という人物
配置が見られる。
第 1章はまず,名声を確立した若い女優 Laurence (ロランス)がリヨンへ行こうとし
て逆の道をたどり,偶然に,かつて住んだことのあるサン=フロンで足止めをされるとこ
ろからスタートする。間違ってこの町に来てしまったことに気がついたロランスが,当時
の友人ポーリーヌを訪ねると,彼女は視力を失った母親の世話をするため,引きこもった
生活を送っていた。第 2章は,ポーリーヌに引き止められたロランスが,彼女の家で過ご
す一晩を描く。彼女を「女優 j という「堕落した職業についた女」と受けとめていた町の
住人たちは,好奇心から彼女を一目見ようとポーリーヌの家に押しかけるが,ロランスか
ら発散される優雅さと機知に,町の人々のみならず,ポーリーヌの母も魅了される。この
章は,ロランスがポーリーヌ宅を離れ,自分の現在の居場所であるパリへ戻るところで終
わる。
第 3章は,その後日談で始まる。ロランスの圧倒的な魅力はサン=フロンの人々を虜に
しており,ポーりーヌは母を亡くしている。ひとりになったポーリーヌを気遣ったロラン
スは,母親の反対を押し切って,かつての親友をパリに付き人として呼び寄せる。第 4章
以降は,女優ロランスにつれなくされた男 Montgenay (モンジュネー)が,彼女に復讐す
るためにポーリーヌを利用し,ふたりが共に嫉妬と虚栄心からロランスを恨み,苦しむさ
まが描かれる。
老いた母と介護する娘
小説『ポーリーヌ』では,一貫して三人称の語りが採用されているが,官頭の 3 章は,
ほぼロランスの目を通して措かれているため,読者は彼女を主人公とした心理小説のよう
な印象を受ける。そのためか,一読した後には,なぜこの作品のタイトルが『ロランス』
ではなく『ポーリーヌ』なのか,という疑問が当然のように心に浮かぶ。大成しながらも
自己コントロールの効いた美貌の女優ロランスの方が,自立する能力を与えられず,見た
目にもぱっとしないポーリーヌに比べれば,「主役 Jとしては華もあり,ふさわしく見える
からだ。しかし,この作品を,女の尊厳がいかに脆弱で、あるかを聞い直してみせる小説だ
と考えれば,ポーリーヌはにわかに主役の座に躍り出てしまい,逆にロランスの方は,犠
-19-
牲者としてのポーリーヌを見つめる冷徹な観察者になってしまうのである。
ポーリ}ヌの家を訪れたロランスは,視力を失った母親が少しのことで痛痛を起こし,
娘に細々とした世話を求める様子を見聞きする。もともと偏見に満ちたブ、ルジョワ女性で
あったポーリーヌの母は,久しぶりにやって来たロランスに対して「あなたが,舞台に立
つなどという不幸にみまわれることになったことについて,神様の前で申し開きをするこ
J などと平気で言つてのける人物である。そう
とになるのは,あなたのお母さんでしょう 5
P
.
,p
.
4
1
)ロランス
した不愉快な言動に対しでも,「公正な精神と気高い心根に恵まれた J(
は気分を害することもなく,目の前に繰り広げられる母娘の情景を観察し,分析し,心を
痛めるのだ。少し長いが,本文を参照してみよう。
目の見えない母は,完全に娘に依存して生きている。娘が少しでもいらだったり気を
抜いたりすると,それは途端に自分の状態を悪くする。娘の小さな気遣いのひとつひ
とつがあって,ようやく生活が耐えられるものになっているのだから。[…}ロランス
は一日一緒にいた間,このことに気が付く余裕があった。彼女はさらにもうひとつの
ことに思い当たり,それがさらに彼女の気を滅入らせた。それは,母が本当に娘を盈
れているということだった。この,一秒たりとも休むことのない感嘆すべき献身をと
おして,ポーリーヌはわれ知らず無言の,しかし永遠に続く非難の存在を感じさせ,
母の方ではそのことをよくわかっていてひどく恐れているようだった。ふたりの女た
ちは,きっと恐れていたのだろう。こうやって,死を迎えつつある者と生きている者
とが,依存し合っていることにうんざりしている気持ちを,お互いに認め合うことを。
一方は,今にも息を止められるのではないかと墨&,他方は,死体に引きずられて墓
P
.
,p
p
.
4
0・4
1
. 強調は論者による)
に埋められるのでは,と恐れていた。 (
ここに描かれている母と娘の関係は,娘の物理的な状況から判断すれば,「束縛」の一語
に尽きる。しかし,束縛する母は同時に「依存 Jする母でもあり,どれほど虚勢を張ろう
とも,娘の世話なしには日々の用を足すことさえできないのも事実である。しかし,ロラ
ンスの慧眼は,この束縛と依存こそが,娘を生かす《 r
a
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o
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e
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r
e妙(「存在意義」)にな
っていることを見逃さない。さらに,なおロランスを陰欝な気分にさせるのは,彼女たち
がお互いを「恐れ Jているように感じ取ったためである。この一ページほどの文章の中に,
作家は《 peur≫(恐れ),《 r
e
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r》(ひどく恐れる),《 c
r
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e≫(心配する), α
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a
y
e
r
≫
(怖がらせる),《 epouvanter》(恐怖に陥れる)と,「恐れる J を意味する思いつく限り
の同義語をつぎ込んでいるかのようである。死を迎えつつある母に束縛されて墓場まで連
れて行かれるのではないかと「恐れる J娘と,娘に殺されるのではないかと「恐れる J母
5G
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0
7
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.
4
4
. 以下,本作品は R と略し,ページ数を記す。
-20-
の,まさに恐るべき依存関係が,母の死を看取る娘のー側面として,ここには鮮やかに示
されている。
. 「里の女」の怨怠…・・・自己確立の疎外の一面
I
I
ポーリーヌと母...・ ・抑圧された『自由 j
a
母と娘がお互いを恐れている理由は,簡単に言ってしまえば,「去られる j ことで自己が
危うくなるからである。母は娘の世話を失うことで,娘は世話をする相手を失うことで。
その結果があからさまな形で表出するのは,実は,母がこの世を去る瞬間である。母は「去
るJ 立場であるから,後のことなど知ったことではないが,娘はそこからひとりで生き始
めなければならない。「去る Jことは一面では「束縛を脱する Jことであり,もしポーリー
ヌにそうした選択肢が与えられていたとしたら,彼女には自分自身を確立すること,すな
わち「自由 J を引き受ける素地ができていたかもしれない。しかし,彼女にはその可能性
はなく,母親を捨てて「去る」のではなく母に「去られる j ことによってま得たくもない
自由を引き受けさせられる状況に追い込まれると言ってよい。
このように,依存するふたりの聞には,束縛を根拠とする恐怖が存在し,その裏側には
必然的に,抑圧された自由が潜んでいることになる。ポーリーヌとロランスというふたり
の女主人公が示すのは,まさにこの対照である。束縛され,束縛から放たれること(=自
由)を恐怖するポーリーヌと,自身の職業の場である舞台芸術を,「自由であるからこそ j
)愛するロランスとの間には,埋めがたい溝が存在する。『ポーリーヌ』の第 2章
6
5
.
,p
.
P
(
は,非常に印象的なエピソードで終わる。一泊したロランスが去って行ったあと,部屋に
ひとり残されたポーリーヌは,このように描かれる。
ポーリーヌは,カナリアの鳴く声を聞いて,突如,現実に引き戻された。籍の中の鳥
は目を覚まし,いつもと同じように陽気に歌い,閉じ込められていることに一向無関
心なようであった。ポーリーヌは立ち上がり,籍の扉を開け,次に,部屋の窓も開け
て,閉じこもって出ようとしない烏を外に追いやった。が,カナリアは飛び立つのを
嫌がった。「ああ,お前は自由にふさわしくない! Jすぐさま自分のところに戻ってき
)
0
6
.
,p
.
P
てしまった烏を見て,彼女は言った。 (
この「カナリア J が,鐘の中の烏であり,それがすなわち飼い主のポーリーヌと重なり
あっていることは明らかであるが,このエピソードの過酷なところは,自由を与えようと
して外に押し出してやっても,囚われることに慣れてしまった者には,出ること=自由の
意味がそもそもわからないのだと伝えてしまっている点である。そのことをポーリーヌは,
e!”(「お前は自由にふさわしくない! J)と表現している
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-21-
ことも重要だろう。ここで「ふさわしい Jと訳している形容詞αdigne妙の名詞形 α
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≫
J
すなわち「尊厳J であり, 1
9世紀のフランスでは,《 digne≫は
≪
r dignite妙を持つ人 j
の意でも用いられていた。したがって,ポーリーヌが自らの分身であるカナリアにこのよ
うに呼びかけるとき,彼女は自分自身をこう理解していることになる。「私は自由という人
間の尊厳をまっとうするのにふさわしい者ではない j と。共に依存し合うことによって,
お互いの自由を失ってしまった母とポーリーヌの関係は,人間として生きる価値,すなわ
ち「尊厳J の問題ととらえられているのである。
ロランスと母・・・・・・解放の可能性
では,なぜこの母と娘はこのようになってしまったのか。その理由を明らかにするため
にはやはり,ロランス母娘との関係とを比較してみるのがよいだろう。ポーリ}ヌの母は,
ブ、ルジョワ家庭の妻/母として,その規範の根底をなす価値観に依存し,娘にも同様の振
る舞いを求めてきた。結婚適齢期になった娘を家にしばりつけておくことは f ブルジョワ
家庭の倫理に逆らっていると言えないこともないが,夫を失い,視力も失った彼女にとっ
ては,娘の純潔性と献身だけを徳目として守るしかなく,家の繁栄を自ら担うことは放棄
せざるをえない。あるいは,それだからこそかえって,ポーリーヌに神に仕える修道女の
ような,従順さと純潔,自己犠牲を求めると言ってよいだろう。
一方で、,ロランスの母は,田舎町の下流ブ、ルジョワ階層に留まるのではなく,女優とし
て大都会パリへと打って出ようとする娘を全面的に支援する。そのために母は,娘たちを
全員連れて自らもパリに移り住み,ロランスを中心とする家庭の手綱を引き締めて離さな
いのである。彼女はもちろん,娘が大女優の名声を保持するためには,どれほどの努力が
必要かも理解している。誰に何を言われようとも,娘の味方であり続けるロランスの母は
(
P
.
,pp.69・
70
),その意味では,ポーリーヌの母よりずっと保護的な立場をとっていると言
ってよい。しかし,このふたりの母が根本的に違っているのは,偏狭な田舎町のブノレジョ
ワ倫理の徳目をよりどころにしているかどうか,ただその一点に尽きる。ポーリーヌの母
は,何が何でもそこにしがみつき,ロランスの母はさっさと断ち切って別の価値観に基づ
く新しい幸せを娘に求めた。したがって,ロランスのパリでの日々を目の当たりにしたポ
ーリーヌには,彼女らの関係が奇異に映る。
彼女たちの親密さや,みなが楽しそうにしている様子は F ポーリーヌと母親を強固に
結び付ける接着剤の役割を果たしていたある種の憎しみや恐怖と,とても奇妙な対照
をなしていた。ポーリーヌはそれに気が付いて
内心
深く傷ついたが,それは後悔
に根差すものではなく(彼女は,すべてを投げ出してしまいたいという誘惑に,何度
も打ち勝つていた),屈辱を感じているのに近かった。(P
.
,pp.70・
7
1
)
-22-
ここから読み取れるのは,ポーリーヌの母は,娘を守っているようでいて,結果として傷
つけ合う原因を提供したに過ぎないということであり,ロランスの母は逆に,娘のやりた
)を
0
7
.
,p
.
P
完壁な調和 J(
いようにやらせたようで,実際にはきちんと保護下にかくまい, f
家族の中にもたらしているのである。
『呈の女』と『山の女=山姥 j
このふたりのあり方を,水田宗子の解釈を借りて説明すると,次のようになるだろう。
ポーリーヌの母は,「里 j の倫理に拘泥し,そこに留まりたがる女であり,ロランスの母は
「山姥」であることを認め,娘を励ます女である,と。「山姥j をキーワードに,社会にお
ける女性の役割とその表象を検証した『山姥たちの物語一女性の原型と語りなおし』の序
論として,水田宗子は論考「山姥の夢j を寄せている 6。その中で水田は,女性は属する場
山」に対応させて位置付けてい
野J r
所によって分類されているとし,その領域を「里 J 「
る。「里の女 Jとは,家族の内部に属し,家族という経済システムの担い手であると同時に,
それに依存する存在であり,「野の女 j とは,里の周辺にいて,里と繋がることによって生
きていけるが,そこからは差異化された(「それは例えば,かつての『赤線地帯』のように
)者たちのことである。最後に「山の女 J (=「山姥J)とは,その野よりもさらに遠く,
7J
里とは交わらない領域である山に棲み,「限定された役割にはめこまれることを嫌い,拒否
し,里に定住するよりは,自由に居場所を選択したい女 8j のことである。
しかし,水田も指摘しているように,「皇の女 j は自らを「里の女 J と位置付け,その規
範意識を自ら作り上げてきたわけではない。「里の女は里の男によって,よい女と悪い女,
『望ましい女と望ましくない女,ヒロインと脇役などに分類されてきた 9jのである。つまり,
ここでいう「里の女 J とは,家父長的家族規範によって作り上げられた,家庭内に生きる
理想、の女性像のことであり,女性側が意図して選びとったものではない。一方,「山姥Jと
は,そもそもそのような f里の規範による女の分類にあてはまらず,したがって,女の類
型化を無意味にする 10J存在だと水田は述べる。単に,里の規範から外れ,野へと追放さ
れる「悪い女 j というだけではなく,「規範 Jそのものを無化してしまうため,それを作っ
た男たちにとっては,相当に手ごわい,自立した相手ということになる。
この図式を『ポーリーヌ』のふたりの母親に当てはめると,どちらの場合も,当初は「里
の女」であるべくプログラムされていると言える。ポーリーヌの母も,ロランスの母も共
にブノレジョワ家庭の妻/母として,家庭を支える女性役割を果たすことが求められていた。
ところが,ポーリーヌの母もロランスの母も,夫を失うことによって,その完壁な実現が
6 水田宗子・北田幸恵編『山姥たちの物語一女性の原型と語りなおし』,皐義書林,
書, p.llo
7同
書, p.llo
8問
書, p.12o
9同
, pp.12・130
書
0同
1
-23-
。
2002年
望めなくなったのであった。ここまでは,両者の立場は変わらない。彼女たちが異なる点
は,言うならば,「山 Jへの脱出をよしとしたかどうかである。彼女たち自身は,里の女と
して生まれ,そこから新たに「山 Jへの脱却を図ることはできない。そうした現実に対し,
ポーリーヌの母が娘を「里の錠 Jの中に縛り付けた一方で,ロランスの母は,娘を「山姥」
になるようにけしかけたと考えることが可能である。水田が,近代女性の自己探求におい
て「山姥J がひとつの原型となりえた理由を,次のように解き明かしていることは重要で
ある。
山姥の性的役割固定からの自由,ライフスタイルの多様性,定着を拒む移動性などは,
女性規範からの解放と自由とともに,里の女の怨念からも解脱した,ジェンダー制度
を超越した,その外部での女性のあり方と可能性を示唆したからである 110
ここで水田の言う「里の女の怨念」とは,ポーリーヌとその母の強固な紳のゆえに生み
だされてしまう「恐怖 Jや「憎しみ J を内包したものだと考えられる。母と娘は,相互に
自由を束縛し,その不自由(=犠牲)によって存在価値を得るという逆説を生きる。そこ
で徹底的に疎外される「自由 j こそが,ロランス母娘が求め,見出したものであるゆえに,
ポーリーヌはロランスに対して恨みを抱くし,彼女の生き方に嫉妬する。しかしポーリー
ヌは,自分のあり方を否定することや,変更することができない。なぜなら,「山 j の女を
許容することは,「里 j の女にとっては「屈辱 J に他ならないからである 120 その意味で,
小説『ポーリーヌ』の結末は,「山の女 J ロランスの超越性と「(失敗した)里の女 J ポー
リーヌの怨念を,鮮やかに描き出すものと解釈できる。
ロランスはポーリーヌの愚かな所業をすべて許し,忘れた。ポーリーヌは彼女がモン
ジュネーに愛されていたことを決して許すことができず,一生彼女に嫉妬しつづけた。
(
P
.
,pp.130・1
3
1
)
母と娘が二代をかけて失ったもの,勝ち得たものは何だ、ったのか。死にゆく母を看取る
娘と,彼女のその後という形で物語られたこととは,こうした「怨念」を断ち切らない限
り,女性には「本物の威厳 J (
P
.
,p
.
5
1)は手に入らないという示唆だ、ったのである。
1
1 同書,
p
.
2
1
0
ジョルジュ・サンドの初期の小説『ヴァランティーヌ』も,同様のテーマを扱っていると考えられる。
主人公のヴァランティーヌも彼女の異母姉ルイーズも,ポーリ}ヌと同じく,「里の女 Jへの拘泥が不幸
を招く結果となる。詳細については,拙著『摩擦する「母」と「女 J の物語』(晃洋書房, 2014年)第
一部第三章を参照のこと。
1
2
-24-
.母の死を書き記す娘=作家
m
ここからは,作家ジョルジュ・サンドが母を見送った状況について考えてみよう。その
際に,ボーヴォワーノレの場合と比べながら考察してみたい。 100年の時間を経て,何が変
化し,何が変わらなかったのか。サンドやボーヴォワーノレと彼女らの母との関係は,ポー
リーヌとその母との関係か,それともロランスとその母との関係か,どちらにより近かっ
たのか。あるいは,全く違った形の別れが可能になっていたのだろうか。
母の死を記述する女性作家
ジョルジュ・サンドが自伝的作品『我が生涯の記』の中で母の死に関するエピソードに
費やしたのは,ガリマール社のプレイヤッド叢書わずか 10ページほどに過ぎず,分量と
してはボーヴォワールの『おだやかな死』には比べようもない 130 しかし,その記述の方
法と内容には,非常に似通った点をいくつか指摘できる。
母の死に関するエピソードを,サンドはまず,母の世話をしている友人から急に連絡が
あった(「私はある日,夕食の途中に手紙を一通受け取った 14J)ことから書きおこすこと
で,事態が予期せぬものであったことを告げている。驚いた彼女は,ただちに息子や娘の
預け先などを手配し,母の元に駆けつける様子が数行のうちに語られるのだが,その後,
話は一度過去へとさかのぼり,母と娘の間にあったかつての確執と,それが解消されて穏
やかになった現状とが語られる。
次にサンドは,母が病気のせいで妄想を引き起こしていることや,病人であるがゆえに
わがままを言って困らせる様子などを描くが,同時に,死に向かう母が何を求めているか
を正確に観察し,あくまでも彼女に寄り添って,その思いを果たすことにどのような意味
があるのかを考える。それは言い換えれば,老い,死に向かう母を観察し,分析し,記述
しながら,母の生と死を総括することに他ならないのだが,この行為は当然,それを書き
留める作家自身へと跳ね返っていく。
この一連の流れを,ボーヴ、ォワールもまた同じように辿っているように見える。母の突
然の体調の悪化は,娘の中に大きな動揺を引き起こさずにはいない。『おだやかな死』の最
後に置かれた一章を,ボーヴォワーノレは「なぜ母の死がこれほど激しく私を揺さぶったの
)という疑問文で始めるが,これこそが,本書が生み出された動機であり,
9
1
1
.
p
か? J(
それは「母 j の「死 J (とはつまり,「生 J と同義で、ある)に動揺する「私 J を極限まで見
つめることを意味している。
サンドとボーヴォワーノレが母の死を書き留める際の共通点として,さらに強調しておか
oフォリ
i
l
o
ガリマール社のプレイヤッド叢書 10ページ分は,同じガリマーノレ社のポケットブック F
な死』)
か
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お
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オ版に換算すると約 17ページに相当する。ボーヴォワールの
ページ。
4
2
1
は,フォリオ版で
.本書
3
9
3
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1
7
9
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14 G
:肢と省略し,ページ数を記す。
は以下, H M
3
1
-25一
ねばならないことは,ふたりがともに「女の作家 Jであり,彼女たちが描くのが他人には
全く知られない無名の「女」だという事実である。これは,「男の作家」が彼らの「父 Jの
死を書き留める行為を想定してみれば,その持ちうる意味や意義の差異が明らかになると
ころだろう。「男の作家 Jが「父 Jを描くとき,そこにはジェンダー規範の要請するところ
によって,公的な意味付けと解釈とが否応もなく持ち込まれてしまう。逆に,同じ理由に
よって「女の作家」が「母J を描くとき,そこには徹底的に個別化された親密なニュアン
スが沸き起こる。
そのこと自体に敏感であったであろう作家が,あえて「女の作家J として「母J の死を
書き留めるという行為を選ぶとき,彼女たちは「女の作家」にしかできない何かを成し遂
げたと言えるのだろうか。たしかに,ふたりの母は,「存在を消された女であり,めったに
名を呼ばれることもない女」(p
.
1
1
8
)だ、っただろうが,彼女たちの娘は違う。サンドはそ
の死に際して,ユゴーをはじめとする文豪たちが,涙を流し弔辞を捧げた相手であり,ボ
ーヴォワールもまた,その死が世界中に知らされると,大きなショックを持って受け止め
られた。その彼女たちが,無名の母の死を丁寧に描き留めたことに,私たちは何を見出す
べきなのだろうか。
母の身体・母の妄想
サンドの場合も,ボーヴォワールの場合にも,母の衰えが急激なものとして理解されて
いることに,まずは注目しよう。母が深刻な状態に陥ったとの知らせを受け取ったサンド
は,ただちにパリのアパートを訪ねるが,母はそこにいない。母を永遠に失ってしまった
かと,思ったサンドだ、ったが,隣人から母が希望して診療所に移っていたことを知らされ,
その場所へと急ぐ。
ぞっとするような換気の悪い小部屋で,粗末なベッドに横たわる彼女を見つけたのだ
が,あまりにも変わっていたので,私にはすぐに母と認めるのがためらわれた。彼女
は百歳の老婆だった。[...]母の傍にいた姉が,小声で説明してくれた。このひどい部
屋を選んだのは病人の気まぐれであって,必要に迫られてのことではなかったのだと。
(
H
.
ょうやく探し当てた母は,粗末なベッドに横たわり,まるで百歳の老婆のように変わり
果ててしまっていることに,作家はショックを隠せない。こうなるまでの母は活発で押し
が強く,「少し着飾るときにはうっとりするくらい上手にするので,彼女が大通りを歩くの
に出会ったひとたちは,年齢はいくつなのだろうと思い,身のこなしの完獲なことに心を
奪われる J(H.M.V
.
,p.397
)ほどだった,と記される。つまり,母の表えは,娘の想像をは
-26-
るかに凌駕するスピードで進行したことになるのだが,実際の母親の年齢からすれば,娘
は母が年老いていくと知っていながら,いつも変わらぬままであろうと心のうちに期待し,
信じ込んでいたため,いきなり突きつけられた現実に狼狽しているとも言える。また,母
e》(「気まぐれ」・「空想 J)に陥っていることに対しても,困
i
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n
a
f
親が病気のゆえに α
惑が隠せないことがうかがえる。それまでの人生において,いかに苦労させられた相手で
あったとしても,娘にとつて母親はいつも自分を支えてくれる一番の存在だつたので、あり
.
H
(
たくないという思いとが,この段階では交錯していると言えるだろう。
同様の反応が,ボーヴォワールにおいても見出される。『おだやかな死』を作家は「 1963
年 10月 24日木曜日,午後 4時,私はローマにいた J と書き起こし,「電話が鳴った。ボ
ストがパリから電話してきたのだ、った。『あなたのお母さんに事故がありました』と彼は言
)と続ける。この書き出しは,サンドが母の病の知らせを受け取ったときの描
3
1
.
p
った J(
写に通じる雰囲気をたたえている。娘たちは共にその瞬間のことを冷静に記憶しており,
誰からの知らせであるか,またその知らせの内容を,丁寧に書きとめている。そして,ボ
)い
4
1
.
p
ーヴォワーノレもサンドと同じく,母が「実年齢より若く見えることを自慢して J (
彼女は心臓が素晴らしく強かったし,血圧も若い女性並みだったので,
たことに言及し, f
)と続けるのだし,病院
5
1
.
p
彼女に不意の事故が起ころうなどとは思ってもみなかった J(
)に強い驚きを禁じ得ない。あれほ
の食べ物に対して彼女が示す「子供じみた心配」(p.28
ど元気で自信にあふれでいた母親,というのが,娘にとっての共通の認識であり,その像
)とボーヴォワ
4
1
.
p
が崩れかけていることへの焦りと嘆き(「かわいそうなお母さん! J (
ーノレは記す)が,ここに読み取れるのである。
母と娘の確執…...ジョルジュ・サンドの場合
しかし,初めの印象とショックがどうであれ,作家はどちらもすぐに気持ちを立て直し,
母(とその病)と真正面から対峠する。それをサンドは「一瞬の間,確かに母の気まぐれ
,p.398)と表現
.
.V
M
.
H
に同調せねばならなかったが,少しずつ,私はそれに打ち勝つた J (
するのだが,それは具体的には,母が好んで選んだ診療所の中で最良の場所を借り,医師
たちと渡り合い,母の希望を聞きとりながら実現していくことを意味している。サンドに
は父親の違う姉がいて 15,パリでは主に姉が母の面倒をみていたのだが,時にはその姉と
意見をたがえても,母の望みをかなえてやろうと考える。そこには,結婚した父と母の正
統な娘という,ある種自己満足的な誇りと,作家として確立してきた社会的地位とが可能
にする,「特別な娘j を任じる気持ちが表れているとの解釈が成り立つだろう。サンドはま
た,死に直面した母とのこのような語らいを書き記す。
5 サンドの母ソフィーは,サンドの父モーリスと結婚する 5年前に,未婚の状態で娘カロリーヌを産ん
1
私の姉 J と呼んでいる。
でいる。カロリーヌの父は誰かわからない。サンドはカロリーヌを常に f
-27-
「お前の姉さんは信心家だけど J と,母は私に言った。「私はもう,そうじゃないよ。
もうじき死ぬんだなと思うようになってからはね。私は司祭の顔なんて見たくないん
だ,わかってるかい,お前?旅立たないといけないのなら,私はね,周りではみんな
笑っていてほしいんだよ。どっちにしたって,なんで、私が神様の前に出ることを怖が
らなきゃならない?私はずっとあのお方をお慕いしてきたんだよ。 J(
H
.
まもなくの死という場面に遭遇した際,宗教的な折り合いをどうつけるか,さらに具体
的に言うなら,司祭に会って臨終の秘蹟の場面を演じるかどうかは,カトリック信者にと
っては大きな問題になりうるし,それをめぐる議論は家族争議に発展し,後に禍根を残す
ことにもなりかねない。ここに母の望みを書き記し,姉との意見の相違を明らかにするこ
とで,作家は,自分が母に賛同していることを表明するのと同時に,姉には打ち明けない
特別な心のつながりのあることを伝えていると考えられる 160
ここにはさらに,死に行くひとの意思をいかに尊重し,実現するかという問いかけとそ
の答えを見出すこともできるだろう。加藤美枝は,木崎さと子の『青桐』に関する論考「老
いと生命」において,次のように指摘する。
医者に委ねてしまう病や死ではなく,自分自身の意志と選択で,自分の生命をまるご
といつくしんできた叔母の生き方は
誰にも侵すことのできない人権として守られな
くてはならないものであろう。しかし現実には,それが梨香に象徴されるような盛華
やまわりの者の善意や思わくによって,いとも簡単に侵されていくことがわかる 170
ここで注目されているのは主に,現代医療と死・看取りのことであるが,この問題はも
ともと,個という概念、に根差した意識の近代化に端を発している。死を目前に控えた時間
とは,恐れと悲しみと心残りに引き裂かれ,個我の欲望の形がむき出しになる瞬間でもあ
る。その姿を受け止め,そのひと個人の「人権=尊厳j の問題として扱えるかどうかは,
死にゆくそのひとにとっての重大な問題であると同時に,看取るものにとっての試金石に
もなりうるのだ。もちろん,サンドの姉が母の状況について何かれと口を出すのは,ただ
母に楯突きたい,反抗したいと恩つてのことではない。むしろ,母のためを思つてのこと
であるのだが,その行為は,できるだけ医師の助言に沿うように,世間の習慣に沿うよう
に,という形をとって現れてしまう。加藤が言うように「肉親やまわりの者の善意 J は
,
16 サンド自身,司祭との面談を好 まず,葬儀にも宗教的な色を出 さないようにと強く望んでいた が,彼
女と常に折り合いの悪かった娘 ソランジュによって,作家の希 望は覆される。母に溺愛されて いた息子
モ}リスには,ソランジュを限 止することもできたろうに,結 果として,作家の希望が果たさ れなかっ
たことは皮肉である。ソランジュとの確執については,第四章で詳述する。
1
7 加藤美枝「老いと生命 J (福祉文化学会監修『建めきのサンセット一文学に「老い J を読む』,福祉文
化ライブラリー,中央法規出版, 1993年
)
, 44頁。強調は論者による。
-28-
時に,本人の意図しないところへ向かい,結果として死にゆく人の尊厳を傷つけるのであ
。
る
では,この「善意」や「思わく
j
は何を根拠にしているのか。それは,人間の生死を監
視し,管理下に置こうとする近代的な人間観や社会観である。そこでは,家父長的な家族
/経済システムに則った形でひとの生死が決定され(医療は家族によって選ばれる),シス
テムから逸脱する存在を隠ぺいしてしまう。それを支えているのが,先述した水田宗子の
議論を借りれば,家父長的家族規範によって作り上げられた,家庭内に生きる理想、の女性
=「里の女 J なのである。介護や看取りもまたジェンダー化され,担い手の多くが女性側
であることを考えるなら,この認識は大きな的外れとはならないだろう。家父長的な規範
概念を内面化し,馴化していく「里の女」は,目の前の死にゆく女にも,最後までシステ
ムに従順であることを求めてしまう。
これをサンドの母にあてはめて考えてみると,彼女の場合はブルジョワ的な倫理観に拘
泥するポーリーヌの母とは全く正反対であり,「里の女 Jではありえない。サンドの母ソフ
ィーは,当時の社会では周縁に置かれた庶民の娘であって,水田の分類の中では「野の女 J
に相当する。その母の価値観を受け継ぎながら,高位の貴族の血を引く祖母のもとに育ち,
男爵夫人になったサンドは,「里の女」に馴らされることを嫌い,自ら筆をとって f山の女 J
へと変身する。ソフィーにサンドという娘がおらず,カロリーヌだけであったとしたら,
彼女らは最後には,ポーリーヌと母のような関係を生きていたかもしれない。サンドは「私
,p.393)と
.
の文学的名声は,奇妙なことに,母に喜びと怒りを交互にもたらした J(H.MV
述べ,ソフィーが娘の文筆活動について,愛憎半ばする反応を示していたことを隠さない。
そうであれば,サンドにとってのソフィーは,ときにポーリーヌの母のようであり,とき
にロランスの母のようであったと言えるだろう。サンドがロランスと彼女の母を描いて託
したのは,娘を「山姥 J になるようにけしかける母とそれに応えて大成する(=作家にな
る)自分の姿だったのだ。
母と娘の確執・・・・・・ボーヴォワールの場合
ボーヴォワールの場合,サンドと大きく異なっているのは,彼女の母フランソワーズが
完全な「里の女J であった点である。先述したとおり,作家は『おだやかな死』の中に,
母が若かったころの様子と共に,娘たちとの確執の性格をかなり細かく書き込んで、いるが,
その態度は一貫して非常に分析的である。さらに,母に関する記述は,奇妙なほどに繰り
返しが多い。下にふたつの例を示すが,言わんとするところは,ほぽ同じとみなしてよい
だろう。
母が抱えていた矛盾のひとつは,献身の偉大さを信じていながら,彼女には,あまり
-29-
にも強い噌好,選り好み,欲望があったため,自分を傷つけるものを嫌いにならずに
はいられなかったことである。いつも彼女は,自分で自分に課している不自由と欠乏
感に抵抗していた
0
(
p
.
4
4
)
自分の意見に反対しながら考えることは,しばしば大きな実りをもたらす。しかし,
私の母の場合,そうはならなかったのだ。彼女は自分自身に反抗して生きた。欲望に
満ち溢れていたのに,彼女は自分のエネルギーを,それらを押し殺すことに使った。
そしてこのように無視することで,怒りを充満させていったのである。(p
.
5
2
)
娘の見た母は,欲望の塊であるが,その欲望を直接的な形で爆発させる,あるいは実現
させることに対して,強い 制約を自ら課している人物 である。これをボーヴォワ ールは
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n》(「矛盾」)と表現するが,それはこの状況が,母が自ら好んで作り出し
たものではないことを知っているからである。母フランソワーズが結果としてこのように
生きることになった理由を,ボーヴォワーノレは母親の幼少の頃に求め「子ども時代,彼女
の身体と心と精神は,規律と禁止事項によって馬具のもとに縛り付けられ,彼女は自分自
身を腹帯できつく締め上げるように教え込まれたのだった。彼女の中には,血と火の女が
息づいていたが,変形させられ,切断されることで,自分自身には全く合わないものにさ
れていた J(
p
.
5
2
)と述べる。こうして教え込まれた自虐的とも言える態度は,それが本人
を損なうものであるがゆえに一層強い規範意識となり,《 prejuge》(「偏見 J・「予断J
)(
p
.
4
4
)
となって固定化されていったのである。
このように,少し違う選択ができていれば「山の女」に近づけたかもしれない母が,「里
の女 j にとどまらざるを得なかったことは,娘に対する態度にどのような形で現れたか。
作家である娘はそれを「所有欲が強く,支配欲も強かった彼女は,私たち姉妹を完全に自
分の掌の中に収めておきたがった J(
p
.
4
7
)と表現する。そのことからすれば,娘が「女の
作家J になったことは,母にとっては大きな失望であり,このうえない反逆と映ったに違
いなく,シモーヌにとってのフランソワーズは,「山の女」へと道を示してくれるロランス
の母のような存在では,まったくなかったということになる。
母が幼少時に受けた束縛によって不幸になったとすれば,その不幸こそが彼女をむしば
み,さらにはその娘を傷つけることになる。そしてさらに不幸なことには,母は娘を傷つ
けたことに苦しむことにもなる。なぜなら,「彼女(=母)が私(=娘)の人生のかなりの
年月を台無しにしてしまったとしても,前もってそうするつもりだ、ったわけでもないが,
私はそのお返しを充分にした J(
p
p
.
1
2
0・
121
)のだから。お互いがお互いの不幸の元になる
ことで生きながらえた,娘と母との関係は,最終的には,死にゆく母を見送る娘によって
しか清算されることはない。ボーヴォワールが残した『おだやかな死』は,その清算の書
一 30-
なのである。
娘が母に書き残すもの
サンドとボーヴォワールの母は,まったく無名のひとでありながら,作家の娘を持つこ
とによって,その死を書きとめられることになった。本章の最後に,ふたりの「女の作家 J
が母の死を書いたことによって,母に何を残すことになったかを考えてみよう。サンドが
描いた母の最後のエピソードは,鏡に関するものである。
その翌日,彼女は完墜に落ち着きを取り戻していた。午後の 5時,彼女は私の姉に言
った。「髪をとかしておくれ。きちんとしていたいんだよ。 j 彼女は鏡をのぞきこんで
)
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4
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.
H.MV
微笑んだ。彼女の手から鏡が落ち,彼女の魂は飛び去った。 (
平穏を保った母が,娘ふたりを傍らに置き,日常的な何気ない会話を交わす。「髪をとか
す」「鏡 Jといったアイテムは,華やかで陽気な生活を好んだソフィーの最期にふさわしい。
そして,彼女が最後に自分の顔を鏡の中に見て微笑んだこと,さらにはそれを娘サンドが
書きとめ,書き残したことは,さらに重要なことであろう。最後まで母をそのひととして
生きさせることに心を砕いた作家は,その本当の最期に,母にその顔を差し出したのであ
る。鏡を見ていた母の眼には,当然,自分の顔が映っていたのであり,誰でもない,自分
の元へと彼女は帰って行ったと考えることができる。最期に娘が母に贈ったものは,母自
身であり,それは言い換えれば,彼女が彼女自身として生きたこと=尊厳であったと言え
るだろう。
一方,ボーヴォワールの場合,母の最期に経験されたことは決して穏やかとは言えない。
ごく稀なことであるが,愛や友情,仲間意識が,死の孤独を凌駕することがある。見
かけはどうあれ, しかも私は母の手を握ってさえいたのであるが,私は彼女と共には
いなかった。私は彼女をだましていたのだ。母はずっとだまされてきたひとだったか
ら,この最後の究極の嘘は,私にはおぞましいものだった。私は,彼女に乱暴をはた
らく運命の共犯者になっていた。だがその一方,自分の細胞のひとつひとつで,私は
彼女の拒否と抵抗に共感し,加担していた。それゆえに,彼女の死は私を打ちのめし
)
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ここに作家が記した自分自身への視線の冷徹さは,私たちを深い思索へとまねかずには
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いない。母の手を握っているにもかかわらず,彼女と共にはいないと感じ,それを《 m
(「嘘をついている」)と表現する娘。その嘘をおぞましいと感じながら,同時に,彼女が
-31一
死という暴力に翻弄されていることの《 compl
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e》(「共犯者 J
)になっている自分を自覚
すること。さらには,その暴力に対して抗う母に,全身全霊で加担しようとしている娘の,
遼巡であり嫌悪であり,怒りの強さが,私たちに,死に際して諦めきれない気持ちを誠実
に伝えてくるからである。
それゆえボーヴォワールは,本論の冒頭にあげたように記すのである。「ひとは,生まれ
たから死ぬのではなく,生きたから死ぬのでもなく,年老いたから死ぬのでもない。ひと
は,<何か>で死ぬのだ。[..
.]すべて人は死ぬ。だが,それぞれのひとにとって,死はひ
とつの事故であり,たとえわかっていたとしても,それは不当な暴力である。 J(
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2
4
)
このように書き留めることで,作家は死の暴力性に立ち向かい,母という個別である存在
を取り戻す(く何か>で死ぬ)と同時に,その死をすべての人聞に向かつて投げ返したの
である。
-32一
第三章 1
母の死を描く女性作家たち
ージョルジュ・サンド『我が生涯の記』,マルグリット・ユルスナール『追悼のしおり』,
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『おだやかな死』,アニー・エルノー『ある女』,
ノエル・シャトレ『最期の教え』を通してー
9世紀を代表する女性作家ジョルジュ・サンドと, 20世紀を代表する女性
フランスの 1
作家・思想家であるシモ}ヌ・ド・ボーヴォワールが,ともに,母親の死について克明に
書き記していたことは,第二章に詳しく述べたところである。その際,特に重要な点とし
て,作家として作品の中に母の死を書きとめることは,母との間にあった関係のひずみを
娘側が克服することであり,同時に,ひとりの女性としての母の人生を,尊厳あるものと
して価値づける行為だったことを明らかにした。本章では,女性作家が母の死を書きとめ
ることの意味を再度確認したうえで,考察の対象を 21世紀の作品にまで広げ,女性によ
e≫ (書く営み)について,さらに考察を深める。
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る女性の死に関する《 e
I.女性作家が母の死を記述すること
サンドが『我が生涯の記』 (1854年),ボーヴォワールが『おだやかな死』( 1964年)に
母の死を書き記したことはすでに述べたが,そもそも,「女性作家 j が「母」の「死 j につ
いて作品に記述することをどのように考えるべきであろうか。サンドが執筆活動を行って
いた 19世紀フランス社会にあっては,女性が「書くことん さらにはそれを「出版するこ
と」は,当時のジェンダー規範を逸脱する行為であり,「書く女 Jはそれだけでスキャンダ
)
0回国際ジョルジュ・サンド学会(於:ヴエロ}ナ大学/イタリア, 2015年 6月 30日
I 本章は,第 2
e?抄および,大阪大学フランス語フラン
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母を看取る女性作家
0月 3日)での口頭発表 f
7回研究会(於:大阪大学文学部, 2015年 1
ス文学会第 7
たちのことばージョルジュの娘ソランジュを含めて一Jをもとに,『欧米言語文化研究』第 3号(奈良女
,
子大学文学部欧米言語文化学会, 2015年 12月刊)に発表した拙稿「母の死を描く女性作家たち J に
さらに改変を加えたものである。
-33-
ラスな存在と位置づけられた 2。さらに,彼女たちの書く内容が,彼女ら自身の母であり,
その「老い」と「死 J ということになれば,一段と問題は複雑になる。第一章で述べたと
おり,「老いた女性 Jに対する視線に投影されているのは,軽蔑や嫌悪,恐怖など,見る人
のいだくネガティヴな印象の集積であり,文学作品に描かれた老女が喚起するのは,多く
の場合,禍々しさに満ちたイメージである。そのうえ,加齢の一般的な兆候だけでなく,
病が進行し,肉体とともに精神が崩壊していく女の様相を鍛密に描くことになれば,読み
手にさらなる嫌悪感や恐怖感を与えないとも限らない。
それなのになぜ,作家たちは,自身の母親の死の前後をつぶさに観察し,書きとめよう
とするのか。本稿では主に,『我が生涯の記』(ジョルジュ・サンド) ,S
ouvenirspieux 『追
悼のしおり』( M
argueriteYourcenarマルグリット・ユルスナーノレ),『おだやかな死』(シ
モーヌ・ド・ボーヴォワーノレ), Une必mme『ある女』(AnnieErauxアニー・エルノー),
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n『最期の教え』( N
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tノエル・シャトレ)の五作品に言及し
ているが,興味深いのは,そのいずれもがフィクションではなく,だからと言って「自伝
的作品 Jとカテゴライズするのも難しいという点である。 C
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『だから母と娘はむずかしい』の中で「母と娘の聞の喪について書くことが可能だとして
も,フィクションには適さないようで,これは重度のトラウマを生む経験すべてについて
言えることだ 3
Jと述べ,彼女たちの α
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e》を《 f
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n》ではなく, αtemoignages》
「証言・証拠・(感覚などの)判断と直観 J ととらえている。この見解を採用するなら,女
性作家たちにとって,母親の死はフィクション(虚構)として相対化しうる物語のー形態
なのではなく,個人的な「証言 Jではあるが,「作品」という形をとって出版されるべきも
のであったということになる。
女だけの『単一性』空間
このようにして,死に面している母親の様子を観察し,思い出し,書きとめていくとい
う行為によって 2 何が可能になっていると言えるか,ここではふたつあげておきたい。ひ
とつめは,非常に単純であるが,男性を排除した女性だけの単一性の空間を確立し,保持
できるという点である。これらの作品に男性が全く登場しないわけではないが,およそ,
無視して構わないと言えるほどに母娘聞の一体化は強固である。こうした α
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サンドは『我が生涯の記Jの中で,作家活動を開始しようとした時期に,「女は書くべきではない j や
「本を書かずに,子どもを作りなさい」などと言われたことを回想している( GeorgeSand,H
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,p.150
。
) 1
9世紀フランスにおける女性作
家の誕生と,彼女たちへの評価 と視線については,村田京子『 女がペンを執る時− 1
9世紀フランス・女
性職業作家の誕生』(新評論, 2011年)や, MartineR
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ignerSand(
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,2003)などを参照のこ
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,372(『だから母と娘はむずかし b叫夏目幸子訳,白水社, 2005年
, p
.
3
2
4
)
.
2
-34-
空間を作りだすことは,男性によって,男性性を保証する目的で創作された「幻想 J とし
ての女性表象から完全に自由になることは意味しないまでも,少なくとも,男性を参照項
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として用いなくてすむ可能性を示唆する 4。上野千鶴子は,女性史について, M
t ミシェル・ペローを引きながら
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「書かれた歴史」における女性の圧倒的な不在を
指摘し,このように結論づけている。
もちろん「女について」書かれた文書や図像は残っている。だが,それも「男によっ
,
て書かれた女についての表象」にほかならない。「男によって書かれた女の表象j は
女についてどんな「事実 j を語っているのだろうか。[…]
「男によって書かれた女に
ついての表象 J は,女についてどんな「事実j も伝えないが,男が女について何を考
え幻想しているかについての男の観念については雄弁に語る。男の生産した女につい
ての言説は,男自身について語っており女については何も語っていない[…] 50
上野は同書において「『女性』こそは近代=市民社会=国民国家が作り出した当の『創作』
である J と指摘し,続けて,「『女性の国民化』一国民国家に『女性』として『参加』する
ことは,それが分離型であれ参加型であれ,『女性#市民』という背理を背負ったまま,国
民国家と命運をともにすることにほかならなしリと述べる 60 このような視点を持てば,女
性が女性の生と死を,あくまでも女性だけに限られた単一性の空間に描き出すことに,大
きな意味があることがわかる口
・LouisFortピエール=ルイ・フォー/レは次のように述べているが,言わん
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をするところは似通っているだろう。 F
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判断』の第二版序文につけた《 l
homme》「父親の死は,ひとりの男の人生にとって,
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最も重要な出来事であり最も悲痛な喪失である J という表現を引きながら,次のように問
いかけ,自著の意図を告げている。
「男の領分においては Jと,フロイトは断言する。「ひとりの男にとって父親の死ほど
痛々しい喪失はない J のだと。これだけきっぱりと明言されているのを読めば,そこ
から直ちに演繕される派生的命題,ブロイトによって無視されている問題を考えずに
いるのは難しいだろう。どうしたって,母親を失ったひとりの女について同じことが
言えるのだろうかと考えずにはいられまい。もし,「父親の死は,ひとりの男の人生に
女性作家が書いた
,r
男性作家が書いた母親について J
,r
実際には,「男性作家が書いた父親について J
父親について J という三項との比較,参照は視野に入るのだが,ここで女性単一性に絞られるのは,「女
性が書いた母親 j だけである。
.
5
6
1
.
, p
998年
5 上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』,青土社, 1
.
5
9
.
6 問書, p
4
-35-
とって,最も重要な出来事であり最も悲痛な喪失である j ならば,同じように,「母親
の死は,ひとりの女の人生にとって,最も重要な出来事であり最も悲痛な喪失である j
と言えるのかどうか。これが,私が本書で取り組もうとする仮説であるに
女性作家が自身の母親を見つめ,考え,感じながら,その老いと死の瞬間を書きとめる
という行為は,上野によれば男性によって生産された「幻想 j や「創作J の女ではなく,
女自身が女を書きとめることであり, F
o
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tによれば,かえりみられることのなかった女性
問の関係性の記述を,意識的にとりあげ,存在するものとして示し,検討することだと言
える。
『超える J
関係性…岡山『トランス・フェミニン』
ふたつめは,ひとつめの条件である女性同士の単一性の確保によって派生的に生じるこ
とであるが,女性同士,中でも「母と娘」の聞であるからこそ発生する関係性の特徴はあ
るのか,またあるとすればどのようなものなのかと問いかけることの可能性である。さら
に,この考察の域を広げていくなら,一組の「母 j と「娘 J (作家)という固有の事象検討
に留まるのではなく,「女」が, f女」の,「女としての J生き方を身近に検証することで,
二項対立的に男によって保証されるのではない,既存のシステムを「超えた J地点を模索
できるのではないか,という期待が生じる。このことを F
o
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tは αtransfeminin》「トラン
ス・フェミニン J という語を用いて次のように説明する。
「トランス j とはしたがって「∼を通じてんさらには「接点・接触・浸透 Jのような
意味合いを持つ。しかしこの接頭辞の重要性は,同時にそのダイナミズムを表現する
ところにあり,「それを超えて j という意味も含み込むのである。つまり,目的地を示
すのではなく,必要な通過点を示すものとして機能するのだ 80
娘が母親の死を書きとめることは,対象である彼女に寄り添い,ふれあい,その中を文
字どおり通り過ぎながら感じ,記録することであって,それはそこに留まるのではなく,
次へと,その向こうへと「超えて j 行くことだというのである。
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. 女性〈作家〉たち は母の死後、母に ついて伺を書いた か、なぜ書いたの か
ここからは,母の死を扱った作品の個々の内容を確認しながら,共通する書きぶりやモ
チーフなどを指摘し,女性作家たちにとって α
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e沙がどのようなものであるかを検
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Ernaux,Imago,2007,pp.13・1
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2
.
-36-
討していく。先にも述べたとおり,本稿で扱うのは主に次の五作品である。
5つの作品
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.GeorgeSand,H
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.MargueriteY
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.SimonedeB
3
)
やかな死』杉捷夫訳,紀伊闇屋書店, 1995年
)
. (『ある女』堀茂樹訳,早川書房, 1993年
7
8
9
,1
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.AnnieErnaux,Unefemme,F
4
. (『最期の教え』相田淑子/陣野俊史
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eChatelet~ Lad
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5
)
訳,青土社, 2006年
これらの作品は,女性作家が母親の死の前後について記述しているという点では共通し
ているが,それぞれの母娘関係や,置かれていた社会的位置,時代,母の死の状況などは,
慎を追って確認しておこう。
J
さまざまである。 I
. の『我が生涯の記』(ジョノレジュ・サンド)は,長大な自伝的作品である。その中で,
1
サンドが母ソフイ}の死についてふれた部分は 10ページ程度に過ぎず,ひとつの作品で
すらない。だが,作家が 50歳になって自らの人生を振り返るとき,その重要な一場面と
して母の死の前後を,かなり詳細に描いていること,また,こうした文章を残した最初の
女性作家であることに,充分な意義を認めることができる。
. の『追悼のしおり』(マルグ、リット・ユルスナーノレ)は,
2
4つの章から成り立ってお
り,それぞれ,ユノレスナールの家族にまつわる回想が主たるテーマになっている。この中
accouchement》「出産」で
で私たちの関心を最もひくのは,冒頭に配置された第一章《 L’
accouchement抄とは,ユルスナーノレの母フェノレナンドが娘マノレグリットを産
ある。 《L’
んだことを意味しているのだが,娘を産んだ後一週間ほどで,フェルナンドは産祷熱が原
因でこの世を去る。他の作家たちの回想と決定的に異なるのは,ユノレスナーノレには母親の
記憶が全くないため,彼女の描く母の死は,後から与えられた情報と考察の結果であると
いう点である。さらに言えば,彼女にとって母の死を描くことは,自らの誕生を描くこと
を意味するのであり,自分の生が母の命を奪ったのではないかという自責の念に向かい合
うことでもある。
. 『ある女』(アニー・エルノ
. 『おだやかな死』(シモーヌ・ド・ボーヴォワーノレ) '4
3
. 『最期の教え』(ノエル・シャトレ)は,高齢の母親が身体的に衰え,没していく
) '5
ー
様子を,日を追うように書き記している点で,スタイルは似通っている。ボーヴォワール
の場合には,大けがをした母親が入院したところ癌が発見され,手術を経て病没する過程
.の
を,母親との確執やシモーヌ姉妹の関係なども含め,回想を交えながら記述している。 4
-37-
エルノーは,カフェ・雑貨屋を切り盛りしながら自分を育ててくれた母親が,アルツハイ
マー病を発症し,記憶や認識に混濁をきたしながら亡くなっていく様子を,これも日記の
ような形式を採って書いている。 5
. のノエル・シャトレの場合も,高齢の母親の死を見つ
める点では同様なのだが,一点,ノエルの母が自らの死の日付を決定し(つまり, 92歳の
母は尊厳死を選ぶ),そこまでのカウントダウンの日々を描いていることで,他と大きくス
タンスを異にする。
母の『生』と母の『死』の間
これらの作品の中から共通して感じ取ることができるのは,書き手である娘(作家)と
母親の問に存在する親密性である。だがそれは,娘の母親に対する強い愛情や尊敬,ある
いは失うことへの強い恐れと悲しみといったものとは性質を異にする。なぜなら,それぞ
れの作家が,それぞれの母親と,異なる形での違和感や反発,緊張を経験しているからだ。
ではなぜ彼女たちはみな,このような親密性を喚起する α
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e抄を生み出すことにな
ったのだろうか。
ひとつめとして,これらの作品が,母の死の「過程 J を「結果 j として描いている,つ
まり,生と死の間の時間と空間を,死後の地点から振り返り,追体験していることが大き
いのではないかと考える。生と死の間を描くということは,サンドやボーヴォワールのよ
うに,死や病を恐れながら,生き続けたいと強く願う母親を,実際の病状や死が近いこと
を知りながら見つめ,書きとめることであり,エルノーのように,壊れていく母に対し,
嫌悪や恐怖,絶望を感じながら,それでも見つめ,書きとめることであり,シャトレの場
合には,自ら死期を決定する母に対し,ひたすら動揺しながら,そこに踏みとどまって,
やはり書き記すという行動をあきらめないことを意味する。
このような態度がもたらす結果のひとつは、第二章に示したとおり,無名であり、ほと
んど顧みられることのなかった女性が生きたことの証を世に残すことである。一方で,こ
のような態度が常に快感や浄化の意識をもたらすものではないことも確かである。母が病
によって,それまで身に付けていた常識的,あるいは規範的な態度を失っていくのを目の
当たりにするとき,娘である作家は嫌悪と衝撃を禁じ得ない。こうした嫌悪と衝撃の根底
にあるのは,これまで自身をコントロールする存在として立ちはだかっていた母親への,
愛憎半ばする感情であり,同時に,自分が生きている現在(作家の日常生活)の,あまり
にも平板で常識的な時空と,母の生きているそれとの埋めようのない落差である。さらに,
こうした葛藤を経験した結果としておとずれる母の「現実の J死は,娘に弔いの気持ちを
起こさせる以前に,まずは混乱をもたらす。エルノーは
ように記す。
-38一
母の死の一週間後のことをこの
一度,私は地下室に降りていった。そこには母のスーツケースがあって,一緒に小銭
入れもあって,夏の帽子と室内用のスカーフが何枚か。私は,ぱっくり開いたスーツ
ケースの前で,がっくりと立ちすくんでいた。なにより気分が悪くなるのは,外にい
るとき,街中だった。車を運転していて唐突に思う。「彼女はもう,この世のどこにも
いないんだ、J と。私にはもう,普通の人々がどうやって振る舞うのか,慣れたはずの
方法が理解できなくなっていた。肉屋の前で,肉のあれかこれか,どの部分を選ぼう
かとじっと見つめている人々の姿は,私に嫌悪感を抱かせたえ
tは「現実世界からの遊離 Jと呼び,エルノーはこのとき αentre・deux》
r
o
この戸惑いを F
「二つの間 Jつまり「母親の死という出来事の重さと日常生活の軽さとの間 J にいたのだ
と指摘する 10。このことから理解されるのは,母親の死の「過程 J を「結果j として描く
行為は,作家自身がその「間」に滑り込み
F
身を振らせながら抜け出していく過程でもあ
tはこの点について,エルノーの次の一節を重要視する。
r
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るということだ。 F
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0か月の間,私はほぼ毎夜,母の夢を見続けていた。一度など,私はJ
書いていた 1
の真ん中にいて,二つの水の聞に横たわっていた。私の腹から,私の,まるで小さな
女の子に戻ったみたいにすべすべの性器から,たゆたう筋状のやわらかい植物が生ま
れだしてくるのだ、った。それはただ私の性器だっただけではなく,母の性器でもあっ
た 110
tは「語り手は不安定さを象徴的に表す場所にいて,喪の実践に関
r
o
この夢を解釈して F
する『二つの間』を,ここでもまた経験している。この場合の『二つの問』は,暗に生と
死の間のことを示している。なぜなら,生命の誕生を表す子どもの性器と,書かれた時に
はすでに亡くなっている母親の性器とが混同されて いるからだ 12」と述べる。「喪の実践」
とは,母の死を引き受け,理解し,消化してし、く過程であると言えるが,その際に作家の
e妙を紡ぎだす主体となっていることがわかる。亡くなって行く
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身体が文字通り《 e
母の性器(誕生させるための器官)が,私の性器(現実の,ではなく,私が母から産まれ
た時そのままの新しい)へと引き継がれると夢想される時,「喪 Jは完成され,生と死の「二
つの間 Jから,「私の生」が導き出される。
「書く jことは,『母の母になる jこと
次に指摘できるのは,母を描く作家としての娘たちは,みな一様に,母の様子を見つめ
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-39-
続けることが,自身に反射し,自省をうながし,そのことが「書く」という行為《 e
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の原動力になっていると意識しているという点である。そのことを, F
ortは次のように表
現している。
死別によってもたらされる喪失と不在の経験は,書かれたものの中では,同時に異な
る二面を持っと言ってよいだろう。一方で,死の衝撃がもたらす陰重要さを持ち,他方
でその経験が書かせることになる生きた恩恵によって明るさをもたらす 130
母の死はそれ自体としては陰重要な悲しみを招くもので、あったとしても,その死が書かれ
ることは,作家自身にとっては「生 j をもたらすもの,つまりは,書き記すことという作
家の行為《 e
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e”を可能にするのである。そして,母の死を振り返りながら描くとい
う行為は,不思議な効果をもたらす。まず,ボ}ヴォワールのテクストを読んでみよう。
長く続く私たちの関係は,したがって,私自身の中では二重の,つまり慕わしいと同
時に嫌悪すべき依存関係という姿を持って生き続けていた。その関係性が圧倒的なカ
を持ってよみがえってきたのは,ママの事故,ママの病気,そしてママの最期が,そ
の時点での私たちの関係を秩序づけていた日常生活を断ち切った時だった。この世を
去る者の背後で,時は無化されるのだ。そして,私が年を取れば取るほど,私の過去
は収縮する。 1
0歳の頃の「大好きなかわいいママ Jは,思春期の私を抑圧した盤童ζ
満ちた女と,もはや区別がつかない。老いた母を見て涙を流す時,私はそのどちらを
も思って泣いているのだ。自分たちの関係の失敗を悲しむことについては,すでに割
り切っていたつもりでいたが,それがまたもや心によみがえる。同じ頃に撮られた二
枚の写真が目の前にある。私は 1
8歳で,彼女は 40歳に近い。私ほ全旦,母の母と言
空宝ーもよ巳空齢だ_ h
墨
L立主盟主L左差巳墾企墨量と宣主主皇よど生ど 140
ここでボーヴォワーノレは母と自身との関係を振り返っているが,それは必ずしも幸福感
に満ちたものとは言えないことがわかる。このことは『おだやかな死』を通じて言えるこ
とだが,作家は母との確執を隠さないし,母の人生を分析し批判しでもみせる。だからこ
そ,下線部にあるようにその関係は両義的であって,愛しさと同時に嫌悪の対象でもある。
しかし,死を間近にした母を見つめる現在には,過去という時聞が混ざり合って溶け込ん
でしまい,その境界があいまいになる。 10歳の時の大好きなママと,思春期に私を支配し
敵対関係、にあった母を,作家はもう見分けることはなく,ただ老いた母を見て涙を流すo
ここで感じられていることは,時聞が奇妙にねじれ,過去とも今とも未来とも区別が不可
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.下線,二重下線とも論者による。
-40-
能な形でつながっているという実感である。
この効果は,自の前にある写真によってさらに高められると言えるだろう。二重下線部
8歳の私と 40代の母が写った写真を,母の年齢を追い越してしまった現
にあるように, 1
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在( 56歳)の「私 j が見れば,母が自分の娘という世代の逆転が生じる。こうして, F
が指摘するように,「彼女たち作家が母親の死について書く瞬間,彼女らは自分たちの母親
J のであり,その結果,書き記す「私 J は,母を生み出す装置になるのだ。
5
の母になる 1
私が生まれた時には,当然,母は私の母であった。しかし,
hui》「今日 J,私
’
αaujourd
は書きとめることによって「彼女の(母の)母」になるロ
同じようなことを,エルノーはこのように記す。
新たな命が, 1940年の初めに宿り,彼女は二番目の子を身ごもっていた。私は 9月
に産まれた。
私には今,こう思えるのだ D 私が母について書くのは,今度は私が,母をこの世に
産みだすためなのだと 160
エルノーには,幼くしてジフテリアで亡くなった姉がいた。 1938年に彼女が亡くなった
あと,母が新たに 1940年に妊娠したのがアニーであり,彼女は 9月に生まれた。そう回
想したあと,彼女の思考は突然,
tenant》「今 J の母に移り,「私が母について書
《main
くのは,今度は私が,母をこの世に産みだすためなのだ J と述べる。もちろん,母がこの
世に送り出した私,という順番は決して変わることはない。しかし,「私 Jは書くことによ
tenant》「今」と
って,今,母を世に送り出す,つまり産みだす存在となる。この《 main
hui》「今日 J と,非常に似通
’
いう立ち位置は,先ほど示したボーヴォワールの《 aujourd
った性質を持つ。そして,この「母を産みだす私 J としての「今」という視点は,ユルス
ナールにも共通する。
だが今日,彼女の物語を再び作り直し,語ろうと努力をすると,彼女に対して私が
これまで持ったことのなかったような親近感に満たされる。彼女に対して持つこの親
しみの気持ちは,私自身を材料にして産み出したり生まれ変わらせようと努力する,
想像上の,あるいは現実の登場人物たちに対するのと同じものだ。そして,時の流れ
8日,その日の彼女の年齢を,私は二倍
は私たちの関係を反転させる。 1903年 6月 1
以上超えていて,彼女のことを考えようとするのは,まるで,若い女の子に対してす
るように,完全には成功することがなくとも,何とか理解しようと全力を傾けるよう
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-41-
な感じなのだ 170
ここにもボーヴォワールと同様,《 a
ujourd
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hui》「今日 Jの視点が導入される。母の死
を書きとめようと決心し,実行にうつした「今日 J は,私の中に,これまで抱いたことの
ない母への親近感を目覚めさせる。すでに述べたとおり,ユルスナールの場合,彼女の生
誕と母親の死はほぼ同時に生じているので,彼女には母親との実質的な思い出はひとつも
ない。知っていることは後に聞かされたことであり,手元に残された写真だけなのである
から,彼女が母について書くことはつまり,自分自身で α
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r砂「作り上げた・食物
や栄養を与えた・育てた J ものに尽きる 180 それゆえに,彼女が身を傾け,目を凝らして
見つめ 3 描こうとする母は,彼女が書く作品の中の登場人物と同様の存在として認識され
る。このように,登場人物を作中に産みだすように母の死を書くことによって,彼女は「母
の母 J になるのだ。
もちろん,彼女にとって,母は未知のひとであり続ける。写真の中の母は常に亡くなっ
た時のままだが,これを書いている《 a
ujourd
’
hui妙「今日 Jの私は,その二倍以上の年齢
になっている。私を産んだ母の年齢を通り越し,その母か,また祖母かのようになってし
まう「私 j の中で,時間の交錯が生じているのがわかる。それは混乱というよりは,母の
死を,私の「今 j の視点から見ることで初めて生じる,母の人生における私の誕生の瞬間
の確認と,その作業が同時に,私の中の母の誕生と同義で、あると気づくこと,つまり,母
が娘を産むという流れとは逆方向であるが,ふたつが同時に起こっているのだという,冷
静な実感のようなものではないか。こうして,書くことによって作られた,新たな結び目
が浮かび上がる。
ノエル・シャトレもまた,同様の心境をつづ、っている。
書くことについて向き合うことがなかったら,そこではあなたは全く譲歩しなかった
けれど,私たちはきっとぱらぱらになってしまっただろう。私たちをつなぎとめてい
た結び目はきっとほどけてしまい,また他の場所で結び直されるというようなことは
なかっただろう。なぜなら,私にとって,他の場所などあまり意味がなかったから。
母の亡くなるシーン O こう言っていいなら,あなたはそれを私と分かち合ったので
す。いまだに私を動揺させる,ある種の共感によるインスピレーションの中で 190
母が自分で決めた死の瞬間を,動揺しながら,恐れながら,それでも母と向き合うこと
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18 ボ一ヴオワ−ルと同様,ここにも写真が登場する。ユルスナールは,母が生きており自分を産んだ頃
の写真を見ながらこの作品を書いている。写真は時間を封じ込めるため,作家とその母親の世代の反転
を容易にする役割を果たす。
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-42-
をやめない娘は,その死までの時間を,≪ j
e》と《 t
u》の関係、,つまり一人称と二人称単
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e》行為によ
数形しかない世界の中で書きとめる。この,向き合い,書きとめる《 e
って,彼女は二人の間に≪ l
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「結び目 j を確認し,作り出す。シャトレの場合は,母
の死を書きとめることは,母に自らの死を娘と分かち合い,誕生させる場面に立ち会わせ
ることを意味している。この行為は,母の死と自らの誕生が重なっているユルスナールの
ケースとは逆方向のようではあるが,生と死とがのりしろのように張り合わされ,確かな
結び目を見出している点で通底するものがある。
娘である作家が母親の死の前後を描くという,極めて限定的な状況を扱った,これらの
作品を通じて私たちが持つことになるのは,自身の母の生と死を分かつ究極の一点を見つ
めることは,今死に面したひとりのひとの人生を考えることであり,同時に,そこから生
を受けた自らのあり方を考えることであり,さらには,そうしてつながっていく「生と死」
とが「産む身体」である「女の身体J を舞台に,一体化して演じられているのだ,という
認識である。作家たちがみな,母と自身との交錯や反転を経験し,自らが母を産みだすよ
うな意識を持つ理由はそこにある。ここにあげた作家すべてが,自らが産む経験をしたわ
けではない。にもかかわらず,母の死を目前に,自分が母を産むような錯覚に陥るのは,
女性の身体が生と死の両方のドラマを引き受けているからに他ならない。
の回復
『母=女の主体 J
もう一点,改めて,彼女たちが書くという営み《 e
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e》の意味について述べておき
たい。女の身体は生と死の両方のドラマを引き受け,その舞台にはなっている。とはいえ,
彼女たちにそれを描くことばや機会が与えられてきたかといえば,そうではないことは,
すでに述べたとおりである。ここにあげた女性作家たちが行っていることは,一面では,
与えられてこなかったことばを自らの身体から絞り出し,母の死によって「書く J ことを
可能にする行為であると言える。エルノーの『ある女』の幕切れは示唆的である。
これは伝記ではないし,もちろん小説でもない。多分,文学と社会学と歴史(物語)
の間にある何かだろう。私の母は支配される側に生まれ,そこから脱出しようと望み,
歴史(物語)にならなければならなかった。それは私がひとりではないと,まがい物
ではないと,できるだけ感じずにすむようにするためだ、った。ことばと思考が支配す
る世界の中で,彼女の望みに従って,私が入ることになった世界の中で 200
ここで対比的に示されている αunm
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u domine》「支配される側 j と αlemonde
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s》「ことばと思考が支配する世界 J は,それぞれ,母が生
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-43-
まれた環境と,作家である私が入っていくことになった世界とを示している。だが,対比
させられている《 l
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s》「ことばと思考が支配する
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udomine》「支
世界」との関係からすれば,作家自身を含めたすべての女性が《 unm
配される側 J に端を発しているのだと言える。エルノ}が,彼女の母親の死を描くことで
行ったことは,支配される側のあり方,つまり自らの意思と希望に従って「個人=主体 J
としで生きる権利,言い換えれば生きる自由=尊厳を奪われる,あるいは制限された状態
で生きざるを得ない女性存在を明確に示し,同時に,ことばと,思考を持つ支配者側の世界
=男性の側で生きる女性が感じる困難と,そこに生じる溝とを示すことであった。「私の母
は《 h
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e》『歴史=物語』にならねばならない J
。それは,彼女の人生が語られなけれ
ばならないということであり,すべての女性の人生にそれを語ることばが与えられなけれ
ばならない,ということを意味するのだ。
ドウルシラ・コーネノレは『女たちの粋』のなかで,母の死を書きとめる意味を「母の死
を一母によれば母自身の精神の自由の行使として一証言することは
F
母のことを語るので
はなく,間接的に,いかに人が他人の尊厳についての証人となるかを論じることによって
しかなしえないだろう 21J と述べる。サンドが,ユルスナールが,ボーヴォワールが,エ
ルノーが,シャトレが行ったことは,まさにこの「母の死を証言すること=他人の尊厳に
ついての証人となること Jであったと考えられる。
21
ドウルシラ・コーネル『女たちの粋』岡野八代・牟田和恵訳,みすず書房, 2005年
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-44-
第四章 1
和解できない娘の場合
一ジョルジュとソランジュー
ここまでは,自分の「老しリあるいは,「老いていく同性の親しい人=母親」の死を描く
女性作家の立ち位置と,その《 e
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e》の特徴について考察を深めてきた。本章では,
それとは逆のケース,つまり「書かなかった」ケースについて考えてみたい。サンプルと
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dソランジュ・クレ
して扱うのは,ジョノレジュ・サンドとその娘, S
ザンジェ=サンドである。
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. なぜ,ジョルジュとソランジュなのか?
第三章で、扱った 5人の女性作家は,彼女たちの母親について,その死を克明に記録して
いた。娘に母親がいるのは当然のこととして,では,彼女たちには娘はいたのか。そもそ
も,ユルスナールとボーヴォワーノレには,子どもがいない。エルノーとシャトレには,子
どもはいるが,娘はいない。娘がいるのは,つまり,彼女らの死を書きとめる可能性のあ
る向性の子どもがいるのは,実は 3 ジョルジュ・サンドだけなのである。それならば,ジ
ョルジュとその娘ソランジュについて検討してみよう。それが本章の課題である。母親の
死を書きとめたサンドの娘は,その母=サンドの死をどのように見送ったのか。和解の可
能性はあったのか,もじなかったのだとしたら,その理由は何だったのか。
ジョルジュ・サンドとふたりの子ども
olangeソランジュというふたりの子ど
ジョルジュ・サンドには, Mauriceモーリスと S
もがいた。長男であるモーリスと,妹のソランジュとでは,母/作家ジョルジュ・サンド
1 本章は,第 2
0回国際ジョノレジュ・サンド学会(於:ヴエローナ大学/イタリア, 2015年 6月 30日
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e?抄および,大阪大学フランス語フラン
での αSolangeCl
ス文学会第 77回研究会(於:大阪大学文学部, 2015年 10月 3日)での口頭発表 「母を看取る女性作
家たちのことばージョルジュの娘ソランジュを含めてー」をもとに,大幅に改変を加えたものである。
-45-
との関係が全く異なっており,兄であるモーリスが αenfantc
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i》「愛児 Jであったの
に対し,ソランジュは兄と比較されて「性格に問題のある J「家族の調和を乱す J存在とみ
なされていた。結果として,これまでジョルジュ・サンドと彼女の子どもたちについては,
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溺愛された息子のモーリス Jと,「問題児の妹ソランジュ Jという形で語られることが多
かったのである。
実際,モーリスはパリでの寄宿生活時代の数年をのぞいては,ほとんど母と共に生活し
ており,息子であり恋人であるような存在であったと言うことができる。母の周囲にいた
当時の一流の芸術家たちに影響と教育を受け,なかでもドラクロワの弟子として絵画を学
び,母の作品の挿絵を描いていたことなどから,彼が,母であり作家であったジョルジュ
のJ
恩恵を存分に享受する生活を送っていたことがうかがわれる。一方で,妹のソランジュ
は 6歳の時から 16歳までパリの寄宿学校を転々とさせられており 2,望んでも母の元へは
容易に呼び戻してもらえなかったことが,残された手紙の文面から明らかである。 1
9歳で
結婚したソランジュにとって,母との生活は,精神面,身体面のどちらにおいても,親密
さを求め,実現するには遠く至らなかったことが見て取られる。
ソランジュの『失敗」を問うこと
では,ソランジュはモーリスに比べ,母親に手をかけられていなかったのかと言えば,
そうでもない。ソランジュ自身は確かに,女性知識人あるいは文化人として,これといっ
た功績は残したわけで、はなく,むしろ,母親のお荷物になっていた印象が強い。だが,彼
女の生育環境とその人生は, 1
9世紀の「女性」「教育 J 「知的環境」「芸術家 J といったこ
とを考察する際,唯一無二のケースであると考えられる。なぜなら,ジョノレジュ・サンド
のような母親を持てる娘は,当時ソランジュ以外になかったのであり,そうであるからこ
そ,女から女への知的財産の伝達(それは一面では,「教育 j ということである)が可能で、
あったかどうかという検証に耐えうる,たったひとつの母・娘関係だからである。
もちろんこれを,成功例と断言できるわけではない。むしろ,母と娘の間に起こりうる
醜悪な側面を,数多く露呈したケースだ、ったと考える方がよいだろう。しかし,うまくい
かなかったケースであるなら,なぜそこに機能不全が生じたかについて,検証することが
できる。すぐれた作家であり,教育者を自認する母を持った娘が,母と同じような土俵に
立つチャンスを持ちながら失敗することで,自らの不毛さを自覚し,結果的に孤独のうち
に生きなければならなかったという事実があるなら,この理由は何であったのか。ここに
私たちは,少し広い世界へ出ようとする女性が必ずといってよいほど陥る,畏のようなも
のの存在を感じとる。それは,娘・妻・母役割という,自己犠牲を土台とする女のモデ、ル
ケースから逸脱するときに,必ずからめとられることになる「畏 jのことである。この「畏」
2
1834年 1
1月に Martinの寄宿学校に入ったのを皮切りに,母親の都合で何度も場所を変わっている。
-46-
が存在したことを,まずは,ソランジュが 1870年に発表した小説 JacquesBruneau『ジ
ヤツク・プリュノ』を彼女自身の物語として読むことで,明らかにしてみよう。
I
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. ソランジュの物語としての小説『ジャック・ブリユノ』
ソランジュは小説『ジャック・ブリュノ』を 1870年に発表している。彼女はこの時 42
歳で,最愛の娘ジャンヌを失ってからすでに 15年以上を過ごし,夫とは別れて暮らして
いた。第一章にも述べたとおり,ジャンヌの誕生と成長は,ソランジュとジョルジュの聞
に共通理解と親近感の回復をもたらすかに思えたが,彼女のあっけない死によって,その
可能性はついえてしまった。そのため,この時点では相変わらず,母親ジョルジュとの関
係は,うまくいっているとは言い難い。
ジョルジュによる『ジャック・フリユノ』評
1869年に本作の執筆を始めたソランジュに対し,母であり作家であるジョルジュの取っ
た態度は,庇護者であると同時に,厳しい批評家のそれであったロ例えばその評は,次の
ようなものである。
ソランジュの小説は,構想としては素晴らしいし,登場人物も良いと思います。足り
ないのは文体ですロこの欠点に対する治療薬があるとしたら,自分が使う言語を学ぼ
うとする強い意志だけなのですが,彼女にそれが持てるかどうか,私にはわかりませ
ん30
サンドは雑誌の編集者宛ての手紙にこう書いているのだが,ここで重要なの
は
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n》「構想 J と《 personnages》「登場人物 J (「人物構成 J
)については高
く評価する一方で,作家にとって最も重要で、あり,その作品の成否を左右する《 forme》
「文体 j については,欠落を指摘している点である。さらに,その理由として,ソランジ
ュには「学ぼうとする強い意志 Jがなし、からと,彼女の才能よりは意志に関して不信を示
していることを,ここでは記憶しておきたい。
また,ソランジュ自身に対しては,このように書き送っている。
小説の全部ができたら,編集者と話をつけないといけないですね。私は,この小説は
成功するだろうと思っていますよ。だから売ろうとして焦ってはいけないのです。そ
の時が来れば,私はあなたにそう言いますし,この本についてレヴィに話をします。
レヴィは,モーリスにしてくれているのと同じくらいは払ってくれるでしょう。でも,
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-47-
大した金額ではありませんよ。本を書いて食べていくためには,骨の折れる仕事をた
くさんしなければなりません。でもあなたはまだ若いのだし,始まりは順調なのだか
ら,働きたいのだったら,本を書くのはいい仕事だろうと思いますよ。{…]あなたの
小説を連載で読みました。とても注目されるだろうと信じていますよ。[…]だからこ
そ,もう少し文法をきっちりしなさい。間違いはいけませんよ 4 !
ここで注目しておくべきは,次の三点である。一点目は,サンドが娘の書いた小説を編
集者に取り次ぎ出版することが,前提になっていることである。次に重要なのは,サンド
がソランジュに対し,金銭を得るために働くことの厳しさを伝えながら,同時にその手段
を見つけるために努力をするよう,強くうながしている点である。最後に,母は娘の最初
の小説『ジャック・ブリュノ』を評価していないわけではなく,むしろその成功を願って
積極的に励ましており,間違いに対して厳しい助言を与えるのも,それが理由だという点
である。
この三点は,サンドの側からしてみれば,すべてがいわば娘のためなのであるが,ソラ
ンジュの側から読み替えれば,ずいぶん違ったニュアンスを持ちうる。自分が書いたもの
はすべて,母の目を通らなければ出版される見込みはなく,どのようにして生活しようと,
母の干渉を避けられず,文法の間違いまで重箱の隅をつつくように直されたのでは,いら
いらして筆も進まないのである。
母と娘の間にできた深い溝は,このような感情の行き違いが,日々蓄積した結果である
と考えられるが,そのことは作品の中にどのように表れているだ、ろうか。『ジャック・ブリ
ュノ』の内容を見てみよう。
『ジャック・ブリュノ』の物語
まず登場するのは,本作品のタイトルになっているジャック・ブリュノで,彼には Paul
ポールという名の弟がいる。ジャックは 1
7歳のとき,法曹界に身を置く父親から軍隊に
入るように命じられるが,偶然カルチエ・ラタンで見かけた芝居『オセロ』の貼り紙に惹
かれ,歌姫 P
aolinal
aTascaパオリナ・ラ・タスカを知る。彼女に心酔したジャックは父
からもらった金が続く限り芝居小屋に通い詰めるが,十数日後,文無しの状態で絶望した
彼はアフリカへと旅立つ。 1832年のことである。以後,アルジエリアで兵士として戦い,
物語の舞台となっている 1854年には部隊長となり,その袴猛さで恐れられる存在である。
そこで偶然知り合った P
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Egmontエグモン公爵が,パオリナ・ラ・タスカの娘,
Mariaマリア( 24歳・未亡人)に恋をしていることを聞く。里心を覚えたジャックは, 22
年ぶりにパリに戻る。
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4
-48-
この小説は三人称の語りで始まるのだが,ときどき,ふいに一人称の《 j
e》「私 j が現
れる。この《 j
e〆私 Jが誰を指すのか,ジャックが帰国するあたりまでは不明なのだが,「ブ
主コモ湖にある母の家にいました。彼は
リュノ氏が 22年ぶりにパリに帰り着いた時,丞i
その時 36歳で,アルジエリアの第一騎兵隊を率いていました 5
J という箇所に至って,パ
オリナの娘マリアだと知れる。
この後の物語は,パリに戻ってきたジャックが,かつて心酔した歌姫の娘マリアを追い
かけ回し,なだめすかし,脅し,愛を得ようとして,得られない様子に終始する。一方の
追い回されている「私=マリア」は未亡人で,社交界に幾人もの崇拝者を持っている。エ
グモン公爵はそのうちのひとりに過ぎず,他にも彼女の愛を得ようとする男性は少なくな
い。しかし,彼女は母親ノ 4オリナに強く再婚を求められながらも,その命令を受け入れず,
かといって,男性たちから身を隠そうともしない。粗野で葬猛なジャックに対しては,当
初はその傍若無人ぷりと,偏執的な愛を寄せられることに嫌悪感を抱くが,他の社交人に
は見られない率直さと献身,熱情にだんだんと心を奪われていく。だが,そうかといって,
彼に心を預けるわけでもない。
さらに,彼女には母親譲りの声の才能があるのだが,いつも二の足を踏んで舞台に上が
ることをしない。ょうやく心を決めて歌手としてデビューはするが,数回きりで辞めてし
まい,ロシア貴族オブロフ伯爵の求婚を受け入れようと考える。その後,肺を病み,実際
に歌の仕事が続けられなくなると,職業を持った女性との結婚は考えられないと言ってい
たジャックから,舞台を降りるならオプロフ伯爵との婚約を破棄し,自分と結婚するよう
にと迫られる。悩んだマリアは,ジャックの弟ポールと話し合うが,彼らが一緒にいる場
面を勘違いし,深い関係にあると,思い込んだジャックは,誰にも告げずにアメリカに渡り,
二年後に死亡してしまう。マリアはジャックを愛していたことに気付くが時遅く,誰とも
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iミナ・グロツシの子どもたちを引き取って育
結婚せず,母の弟子である歌手 MinaG
てる。
マリアとソランジュの共通項
登場人物たちもそれなりの数がおり,出入りや移動(パリからロシア,イタリア,イギ
リスなど)も頻繁なのだが,この物語には,筋を動かすいわゆる「事件 J のようなものは
ほとんどない。また,マリアとジャックの心情の機微を描く心理小説のような面を呈しな
がら,彼らの心の奥行が充分に伝わってくるとは言い難い。ジャックがマリアに対し,な
ぜそれほどまでに一方的かつ強烈な恋慕の情を寄せるのか,よく説明されていないという
こともあるが,最も不可解なのは,マリアの存在である。自らは望んで何をするわけで、も
なく,行動する段になったとしても,すぐに中断ないしは放棄させられてしまう口男性に
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2
. 以降,本作からの引用に
は,ページ数のみを記す。強調は,論者による。
-49-
欲望される存在として振る舞うかと思えば,一定以上の関係を結ぶことに対しては,強い
拒否感を示しもする。このような,つかみどころがなく不実なヒロインの振る舞いに,読
者はある種のフラストレーションのようなものを感じることになるのだが,そうした印象
をジョルジュも受けていたことが,次のソランジュあての手紙から読み取れる。
本当に,女主人公がひどいです。[..
.]彼女がどうしてそれほど気まぐれなのか,理由
がきちんと説明されていませんし,そのひどい性格を他人に押し付けて,まるで気に
も留めていないかのようです。[…]彼女は,単に冷たい婦態を振りまく女というわけ
でなく,人でなしですえ
そこで問いかけるべきは,なぜマリアはこのように造形されているのか。あるいは,マ
リアとは誰なのか,ということだろう。そして,その問いに,マリアは書き手であるソラ
ンジュなのだ,という解答を与えれば,見えてくるものがある。
マリアとソランジュの共通点として,まず,母親がどちらも高名な芸術家であることが
あげられる。母パオリナは,表には出てこないが,常に娘マリアに対して強い影響力をふ
るっており,この点も,ジョルジュとソランジュに共通している。また,マリアもソラン
ジュも,母親のおかげで不自由のない生活を送ることができているのだが,それは裏を返
せば,母親の影響下にいる限りの自由であるともいえる。
さらに,マリアの描写について興味深いのは,彼女が周囲のことにほとんど関心がない
ことが,特に物語の早い段階に,何度か述べられている点である。マリアの家では, 従妹
の Ninaニナが家事を取り仕切っているのだが,それについてマリアは「家の女主人の役
割に,私は一度も関心を持ったこともないし,能力があると思ったこともない J(
p
.
5
7
)と
述べ,また,「近眼だし,ぼんやりだし,人のお名前や日付や数字なんかを覚えていられな
いでしょう。だから,ニナが助けてくれなかったら,礼儀に反することばかりやっていた
と思うの」
(
p
.
5
7
)と言つてはばからない。 この無頓着さの加減は,彼 女自身の生活環境
が母親の威光によるものであり,自分が勝ち得たものではないという自覚があるためだと,
解釈することができるだろう。加えて,私たちの関心をひくのは,ジャックがマリアにつ
いて語るとき,彼女は自分のことがよく理解できていないと,繰り返し指摘する点で、ある。
「あなた[=ジャック],私{=マリア]のことご存じないでしょ j
「いや,知っていますとも!私はあなたのことをよく知っています。話は逆ですよ。
あなたのことを知らないのは,あなた自身だ。そしてそれこそがあなたの言い訳の種
だ。もしあなたが自分のしていることを,時々でもきちんと自覚しているとしたら,
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-50-
あなたは本当におぞましく,嫌らしい人間だということになる」(p
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)
また,オブロフ伯爵と結婚するという彼女に対しでも,ジャックは次のように評してい
る
。
「全然変わっていなし川彼女[=マリア]は自分が何を考えているか,何を欲しているか,
p
.
1
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3
)
何を感じているか,全くわかっていない! J (
自分自身とその環境についてほとんど関心がない
あるいは関心がなくても生きて行か
れる状況に,ヒロインを設定していること。さらには,そのヒロインが自分自身を理解し
ていないように描かれていることは,彼女をソランジュと重ねて考え合わせようとすると
きには,かなり重要だと思われる。自分の生きる環境に関心を持てないマリア=ソランジ
ュ,関心がなくても生きて行かれるマリア=ソランジュ,自分自身 3 何になりたいのか,
何を求めているのか,何を感じているのかわからないのだと自覚しているマリア=ソラン
ジュ。何かを始めては,すぐに放棄してしまい,最後までやり遂げることのないマリア=
ソランジユ o このあり方はいったいどこに起因しているのか。この問題を,ジョルジュと
ソランジュとの関係の間に探ってみよう。
m
.『ジャック・ブリユノ』を検証する……不毛なヒロイジを生んだのはなぜ〈だれ〉
ーか?
マリアがもともと舞台歌手になる声と技術を持っていたのと同様に,ソランジュもまた,
その素質と教育を活かせば,「何者j かになれるはずだ、った。
ソランジュへの期待
幼い頃のソランジュについて,ジョルジュは ZoeLeroyゾエ・ルロワにあてて,このよ
うに書いている。
あの子は高い知性の持ち主です。 8歳ですが,彼女は綴りの間違いをひとつもしませ
ん。ですが,私の考えるシステムに則って言えば,彼女の教育は,始めるのが遅すぎ
たと思っています。あの子は英語をとてもよく話しますし,ピアノも弾いて,即興演
奏もします。そして,こうしたことを何もかも,滑稽じみた冷静さでやってのけてし
まうのですから,兄よりもずっと優れていると言えるでしょう。愛矯では劣りますけ
どね 70
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-51-
この時期には,ジョルジュはソランジュの知性 α
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e》について高い評価を与
えていることがわかる。それがゆえに,ジョルジュは,娘を預けていた寄宿学校に対して
事細かな要望を伝え,必要であると感じれば,教育内容について指示することまでしてい
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e沙はまさに豊かな土
た。このことだけをとって判断すれば,ソランジュの α
壌であり,何かきっかけがあれば大きく花開き,何にでも望むものになれたと考えられる
のである。
しかし,そのことは同時に,何にもならなかった/なれなかった場合には,ソランジュ
の劣等性と力のなさ,至らなさを証明してしまうことにもなる。そのことが,ジョルジュ
のソランジュに対する評価があまりにも低いことの,原因のひとつだろう。私たちが,ジ
ョルジュとソランジュの関係について書かれたものを読むときに,必ず感じることになる
疑問のひとつに,どうしてジョルジュはこれほどまでにソランジュに対して厳しいのか,
という問いがある。寄宿学校にいた娘に対する手紙はもちろんのこと,ジョルジュは他の
多くの友人たちに対しでも,ソランジュに関する不満や厳しい評価を書き送っている。例
えば, 14歳のソランジュについて,ジョルジュは CharlesPoncyシヤノレル・ポンシーに宛
てて,このように書いている。
ソランジュは 14歳。とても美しく,誇り高い。手に負えない貴利かん気な性格で,
知性は優れていますが,怠け癖がどうしようもありません。彼女は何にでもなれます
が,何も求めていません。彼女の将来は謎です。雲に隠れた太陽のようです 80
ソランジュを表現するのに多く使われるのは,頭はよいが,
≪i
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eh 《paresse≫
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《apathieκαinertie≫
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《 nonchalance》(ほぼ同じような意味であるが,も
のぐさで,怠け者でやる気がない)といったもので,「何にでもなれるのに,何も求めない
娘 j は,ジョルジュにとっては理解不能であり,不満の対象にしかならないのである。
退屈するソランジュ・お利口なソランジュ
では,一方のソランジュ自身はどのように感じ,考えていたのだろうか。 Benadette
Chovelonの G
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e 『ジョルジュ・サンドとソランジュ,
母と娘』には,幼いソランジュが書いた手紙が多く収められているが,その中で特に読み
手の注目をひくのは,
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《
sage妙「賢い・お利口 j という言葉と αs
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ennuyer》「退屈してい
,
《 ennui》「退屈・憂欝 j という表現の多用である。たとえば, 1837年に書かれた手
るJ
紙にはこのようにある。
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-52-
パパと一緒にいるとき,私はお利口にしているし,学校でもそうです。いい点数を,
前よりずっとよく取るようになったわ 9
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このときソランジュは 9歳で,マノレタン姉妹の寄宿学校に滞在していた。この後の手紙
にも,
《sage沙であり,よく勉強をしているといった内容の表現が繰り返し見られるのだ
が,この内容がほとんど変わらないこともまた,私たちの興味を引く。同書には,ソラン
ジュが Bascansパスカンの寄宿学校から送った手紙のうち, 44通が収められている。そ
の一通を見てみよう。
パベが出発するので,この機会にお母さんに手紙を書いて,私はいつもお母さんのこ
とを考えているし,すごく退屈しているって伝えます。私はとてもお利口にしていま
す,特に,ロジエール先生と一緒にいるときは。パスカン先生と,よく勉強していま
す。みんなは,授業中はよく勉強し,休み時間にたっぷり遊んでいれば,時間はそれ
ほど長く感じられないものよ,と言いました。でも私は一生懸命やっても,相変わら
ず退屈していますD 一日があまりに長く感じられるので,一瞬ごとに,ああ,いつに
なったら学校での年月が終わるのかしら,と思います 100
この時ソランジュは 1
3歳だったが,その内容は 9歳のときのそれと一見,とてもよく
似ている。 9歳の少女が 1
3歳になっても,母親に自分は《 sage》「お利口 Jであると伝え,
勉強もしていると弁解する。この変化のなさは,ソランジュとジョルジュの関係が変わっ
ていないことを示すと同時に,ソランジュ自身の中に,劇的な変化が起こっていないこと
を思わせる。では,《 sage”であるのは何のためなのか。勉強し,知識を深め,何者かに
なるためなのかといえば,そのような考えは彼女の中にはない。彼女が寄宿学校にいるの
は,母がそれを強いるからであり,他に行くところなどないからである。彼女は,母と兄
が生活する Nohantノアンに帰りたいと何度も懇願するのだが,母はそれを決して許さな
い。であるなら,ソランジュは嫌でも勉強をし続けるポーズをとり,
「お利口 j にしてい
ると伝えることによって,そこから出してもらうことを願い続けるほかない。そう考える
と,彼女にとっての寄宿学校は牢獄のようなものであるのだが,そもそも,彼女が牢獄に
入らねばならない理由があったのだろうか。
寄宿学校のソランジュ
当時の良家の娘たちは,寄宿学校に入って教育を受けることが多く,ジョルジュ・サン
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-53-
ド自身,およそ 2年間,パリで、の寄宿学校生活を送っている。しかし,この場合に娘たち
が受けるのは,寄宿学校を出てから経験することになる結婚生活や社交生活,言い換えれ
ば,妻・母としての生活を送るための準備教育であって,彼女が社会において何者かにな
るための訓練ではない。ジョルジュはそのことを充分に理解しており,それゆえに,こう
した,女性の自立も能力の開花も促さない教育に対して,強い批判も述べてきたのでありへ
自分の娘には,そうではない特別な機会を与えようとしたと考えられる。ソランジュはつ
まり,妻・母としての生活を準備するための寄宿学校に入って,そうではない,何者かに
なるための教育を,自分の意思とは関係のないところで母親から指示されたということに
なる。
先に引用した 13歳のソランジュの手紙は,このふたつの要求が矛盾して彼女に突き付
けられ,そのことを,彼女自身がよく理解できていないことを物語っているように思われ
る。母の期待に沿って勉強しようとは,思っているし,それ以外に自分には道はないとわか
っている。だ、からといって,この生活の先に,自分の未来を思い描くことができない。永
遠に続くかと思われるこの生活は,私にとっては不毛としか思えないと,この手紙は主張
するのである。結果として,ソランジュは,当時の寄宿学校がプログラムとして準備して
いた,妻・母として生きるためのコースを完遂することもできなかったし,母が期待した,
教育による知性の開拓も中途で断念してしまった。後に,ソランジュが『ジャック・ブリ
ュノ』に描くことになる「不毛のヒロイン J は,ここに種を持っているのではないだろう
か
。
この状況はまた,当時のジェンダー構造にあてはめて考えれば,このように言い換える
ことができるだろう。ひとり親として,また,ジョルジュ・サンドという「男性作家」と
して生きることを誇りにしていた母親が,女性であるソランジュに与えようとした教育は,
ジェンダー構造的に言えば,本来,男性に与えられるべきもので、あった。特に,ジョルジ
ュがソランジュに繰り返し求めるのは,自ら「働く J ことである。先にあげたソランジュ
からの手紙への返事の中で,ジョルジュはこのように書いている。
「私は働いていますし,あなたの兄さんも同じです。いつも遊んでばかりいるのが人
生ではありません。
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ここで用いられている動詞《 t
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r》には,生産活動 をすること,自ら のカで苦労
を厭わずに頑張ること,いやでも勉強をすること,などさまざまな意味合いが込められて
11 たとえば,サンドの 2作 自 の 小 説 陥J
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eの中には,女性に与 えられる教育の貧し さを嘆く表現が
みられる。
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-54一
いると考えられる。生涯,ジョノレジュはソランジュに対して同じことを求め続けるが,そ
れは,自立した生活をするため,もっと具体的に言えば,金銭を得られる生産労働をする
ことへのうながしを意味していた。
逆に,女性ジェンダーに必要だとされる性質,
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e》「愛矯 J
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' αdependance》「依存 J
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e沙「婿態 J
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αelegance》「優雅 j などは,ソランジュに目覚めることが求められているのか,求められ
ていないかが保留のままで投げ出されている。ジョノレジュ・サンドは,女性であり男性で
もあるというジェンダーの越境を生きた女性であるが,その影響は,権威をふるう「母か
っ父」という形をとって,息子と娘の上に現れた
D
愛矯があり従順な息子は母に愛され,
「母かっ父 J の名である《 Sand》を受け継いだのに対し,知性を最後まで開花させ られ
なかった娘は,母の死後も孤独のうちに生きることになったのである。
『農」の正体
作品分析の最後に,小説のタイトノレになっているジャックは,マリア=ソランジュにと
って何者だったのか,ということについて考察し,最 初に提示した問いかけであるソラン
ジュが陥った「畏 j の正体について考えてみたい。
ジャックはソランジュの人生に登場した人物のうち,誰を努事言させるだろうか。第一に
頭に浮かぶのは,彼女の夫であった J
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rジャン=パテイスト・クレ
ザンジェだろう。ジャックはもともとマリアの母の崇 拝者だったのであり,娘マリアとは
年齢が 1
2 も違う。この点,著名な女性作家ジョルジュ・サンドの娘であるからこそ,ソ
ランジュと結婚したがった 14歳年上のクレザンジェと共通する。また,性格のどう猛さ
や,いわゆる α
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e沙「男性性 j を強調してアプローチするところも,ふたりの問に共
通するところである。
しかし,夫クレザンジェとジャックとの間には,異なっているところも多い。物語の冒
頭で,ジャックにはポールという弟がおり,ふたりの 性質が全く異なっていることが語ら
れるロいわく,ジャックは軍隊を住まいとし,戦闘が本分であって,その性質
は《 s
auvagerie》「野蛮 J
, 《r
udesse》「粗野 J
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e》「男性性 J
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franchise沙「誠実 J のような言葉で表現される。一方のポールはパリの粋 人であ
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e》「優美」, αraffinement》「洗練」で鳴らしているが,同時に社交生活を
円滑に進めるための ≪
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eゅ「軽薄 j に
もまみれている。 22年ぶりにパリに戻ったジャックは,マリアからの調教のような叱時激
励をうけて,次第にその世界にもなじんでは行くのだ が,ポールのような偽善や軽薄さに
は染まらず,一途で誠実なところを保ち続ける。こうした男性像からうかがいしれるのは,
ジャックがソランジュにとってある種のファンタスム であり,同時には得ることのできな
-55一
かった強い「男性性」と「誠実」な人間 性の結合ではなかったろうか,ということである。
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彼女だけを,無条件にとことんまで熱愛してくれる,簿猛で乱暴で激しいが,一途で献身
的な男は,幼い頃から周囲にいた男性たちの多くが,母ジョルジュを熱愛する愛人たちで
あったソランジュの境遇にとって,甘美なファンタジーとなりえたのではないだろうか。
このことを踏まえたうえで,作品の幕切れを確認してみよう。
子どもたちを引き取ることを,私は義務として引き受けた。私はその義務を,情熱と
喜びと,同時に悲しみを持って果たすことにする。私は子どもたちを,幸せで賢く育
てたいと願っている。そのために,心も捧げるし,面倒もみよう。だが,ふと,自分
と同じように,彼女たちの未来について,絶望に襲われるのだ。女の幸せとは何だろ
う?結婚の中の愛情,つまり愛し合うこと。生きることの究極の理想はそれなのだろ
うが,この目標をこれと定めてくれるものは何もない。(p
.
3
1
1
)
マリアは最後には子どもを引き取り,歌手ではなく,妻でもなく,子どもを育てる女性
(=母性)としての生き方を選んだかのように見える。しかし,そこに決定的に欠けてい
るのは,自己への確信と自信である。そのことは,ソランジュが母親に宛てたある手紙の
中で,自身のことを《臼igme分「謎 J と定義していることと奥深くでつながっている。
女たちにはひどく嫉妬され,男たちの欲望の対象となり,女からも男からも噺笑され,
中傷される「謎」の私。[..
.]夜は夢の中をさまよい,昼になれば現実をたゆたう。決
して金持ちではなく,貧乏でもなく,もはや飢えて死ぬこともできず,どこかに頭を
もたせかけて休むことしかできない 130
この手紙が書かれたのが,彼女が最初の小説を発表する 10年以上前であるこ とを考慮
に入れれば,私たちはソランジュが作む聞の深さに,驚きを禁じ得ない。小説『ジャック・
ブリュノ』の幕切れから感じられる閉塞感と無力感は,この「謎 j が謎のまま解かれるこ
となく残り続けていることを,雄弁に物語る。「私は女として生きるのか?」「妻として生
きるのか? J「母として生きるのか?」「ジョルジュのように,男性作家として生きるのか?」
「はたして,これは本当に選ばねばならないのだろうか? J「働き,金銭を得ることと女性
性の間で迷い,ためらっていてはいけないのか? Jーソランジュが示 し続ける,一見無 気
力と見まごう,不決断の様子の正体は,実はこうした一連の,決して答えの出ない聞いの
連鎖ではないだろうか。
これは,今日でさえ,主体として人生を選ぶことの難しい,全女性の問題であるとも言
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deGeorgeSand,L
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-56-
える。なかでも,知性が開発される可能性を提供され,選びとることのできる女性にとっ
ては,深刻な「畏 Jになりえる問題である。 S
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tは本作品についての序文の中で,
重要な指摘をしている。
この作品の本当の主題は,歌うことや書くことに挑もうとした女性が,彼女が女であ
るという理由によって,最後までその意志を貫けなかったことなのである円
性別として「女」であるという理由で,多くの女性たちが,主体的に生きることを阻ま
れてきた歴史がある。ソランジュは,女でありながら男(作家)として生きる見本を身近
に見ながら,あるいは見ていたがゆえに,女として生きる矛盾に翻弄された人物であった。
彼女の寂しく不幸な人生の幕切れは,そうした「女」の「畏 J (「業」とも呼べる)のあり
かを,はっきりと指し示すのだ。
w
.母の死を描いた娘〈ジョルジユ〉の娘〈ソランジュ〉が行ったこと
死後にも続〈確執
では,ソランジュは母の死後,彼女に対して何を行ったのか。母がその母に対して行っ
たように,その死を書きとめることをしたのだろうか。次の間し、かけは,これである。
ジョノレジュ・サンドの死後間もなくして,作家の書簡集を編纂しようという運びになっ
たとき,兄のモーリスは賛成したが,ソランジュは手持ちの書簡を供出することを拒み量
出版を求める編集者らと交渉を繰り返した。彼女は,母の手紙をそのまま出版することは
「オロール・デ、ュドヴァンのグロテスクなフランス語を世間にさらす 15J ことであるとし,
書き直すことを提案する。手紙の中には,表現としてまずいところがあったり,間違いが
散見されたりするため,それを,「私=娘=ソランジュ j が修正し,直し,ふさわしい形に
書き換えるというのだ。
さて,私たちはこの行為をどう理解すべきだろうか。この時のソランジュの心情を,
C
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tは次のように分析する。
問題が,金銭的なものではなかったことは明らかだ。この出版は
F
死後であるという
理由で,ジョノレジュ・サンドの文学作品を支配する,またとないチャンスであり,そ
れによって報復をすることもできたのである 160
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15
-57-
ソランジュは『ジャック・ブリュノ』を執筆する際,母に原稿を読んでもらっていたこ
とは先に述べたが,書くたびにいちいち母親に直され,意見され,厳しく批評されている。
その際に受けた自尊心への 深い傷は,後々まで尾を引 いて彼女の中にくすぶり続 ける 170
その報復として母の死後,彼女の書いた手紙に手を入れようとしたのだという解釈は,心
情的には大きく間違ってはいないだろうと思われる。
書き直したいのは何か?
しかし,これまで私たちが考察してきたような,社会における「女(母から娘)」という
射程からこの行為を読み直そうとするとき,ここにはさらに複雑な女の事情が浮かび上が
ってきてしまう。ソランジュは,ジョルジュ・サンドを母に持つ娘という,誰にも持ちえ
ない経験をした女性である。彼女が生きた時代のことを考慮に入れるなら,ジョルジュ・
サンドは社会によって引かれた女性のレールを完全に逸脱しているようにみなされながら,
同時に「母」という存在を全うすることも求められ,一方では「男性」として「書く J行
為を選んだ特別な存在だったと言える。
そうした母を持ったふたりの子どものうち,息子のモーリスは母の「男性」として「書
くJステータスの象徴であった「サンド J姓を引き継ぎ,彼女の思 恵を十二分に受けて生
活した。他方の娘ソランジュは,母の強い意志によって,長きにわたって寄宿学校で高度
な教育を受けることになった。しかし,それはあくまでも母の意志であり,ソランジュは
そこに巻き込まれていった にすぎない。教育を受け, 何者かになることを母には 言い聞か
せられはするが,それはそ もそも,当時の規範からす れば「逸脱J していた女性の言であ
って,若いソランジュの周囲の人々がすべて,母のような意図を持っていたわけではない。
むしろ,普通の女性として 1
5・6歳にもなれば小説に描かれるような大恋愛も夢想し,そ
の後,結婚して子どもを産み,母としての生活を歩むことを奨励されるわけで,彼女自身
もそうしたあり方にしか未来は見いだせないと感じていたのが事実である。
この矛盾した状況が,ソランジュの中に混乱を生じさせたことは,想像に難くない。一
方で「書く
j
「
男 j の側の「作家」である母から教育を与えられ,期待されはするが,それ
に応える気概も自信も野心もない白だが,普通の女性として,妻・母親役割を全うするこ
ともできない 180 その状態を母の死までひき ずってしまったソランジュ には,当時の女性
1
7 ジョルジュのソランジュに対する文学的指導については, B
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,1998
)などに詳しい。
18 ソランジュは,当時すでに著名 な彫刻家であったクレザンジェ と結婚した。当初は芸術家であ る娘婿
にサンドも肩入れしていたが, 結婚後,ただちにその化けの皮 がはがれ落ちる。クレザンジェ は暴力を
ふるい,一時の熱病のような恋 愛感情は消え去ってしまう。結 婚後間もなく,ソランジュは娘 を身ごも
るが,出産後すぐに死別する。また,二人目の女児をもうけるが,彼女も 6歳で亡くなってしまう。こ
のことが決定的な理由になり, 夫とは別居する。結果的に,ソ ランジュにとっての結婚は,母 との関係
の悪化も含め,ポジティプな要素をもたらすことがほとんどなかったし,子を産み育てる母親としても,
苦悩の連続であったことがわかる。
-58-
が抱えてはいたが,可視化されることのなかった,女性であるからこその問題が,集中し
て爆発的に表面化してしまっていたと考えられるので ある。ソランジュが,母の死後,母
の手紙を修正し,書き直したがった理由は,ジョノレジュ・サンド(あるいは,オロール・
デュパン・デュドヴァンでもある)を,まさしく自分が考え,求めた母として「書き直し」
たかったからではないだろうか。
ここに,先に上げた 5人の女性作家,サンド/ユルスナール/ボーヴォワーノレ/エルノ
ー/シャトレとの大きな違いが立ち上がる。これらの作家たちは,母を書き記すことで,
彼女たちの《 h
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eバ物語・歴史)を存在するものとして示し,母親自身の個人とそれを
支える尊厳とを,まさに目に見える形で「顕在化 Jさせたと言える。対してソランジュは,
母を「書き直すJ ことによってサンドの αhis
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e》ではなく,ソランジュ=娘自身のフ
ァンタジーを投入した結果,ソランジュの《 h
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e》に書き換えようとするのだ。
結果として,ソランジュの試みは失敗した。しかし, この試みを目の当たりにする後世
の私たちは,サンドが,ユノレスナールが,ボーヴォワールが,エルノーが,シャトレが行
ったように,ソランジュ自身の個人を,あるいは,多 くの声なき女性たちの「個人 J を
,
苦悩を,女であるゆえに矛盾を最大限まで背負ってしまった彼女たちの人生を,見つめ,
書き記すことの重要性を知るのである。
-59一
第五章
女・老・性・死
そして,生きること
ここまで,「老い Jをめぐる女性作家たちの α
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e沙について考察してきたが,最終
章にあたる本章では,近代社会システムにおける「老い j とジェンダーの関係を整理し,
そこから導き出すことのできる「女」と「性」・「老」・「死」の様相を明らかにしてみたい。
そのうえで,再度,女性が「老い j を含む女性の人生を《 h
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e妙「物語・歴史 J として
書きとめることの必要性を,本稿の結論として提示する。
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. 社会的カテゴリーとしての「老い」と死の位置づけ
「
老
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、 Jをめぐる言説ばかりを注意して読み進めると,まるで《 o
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nM 強迫観念 J
とでも呼べるような 思考パターンの存在に,嫌でも気づくことになる。それは,老いと死
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の連続性への意識であったり,死への恐怖とその克服についてであったり,まったく逆の
方向に,若さに対して沸き起こる,いかんともしがたい嫉妬心であったりする。こうした
複雑な感情や観想が αobsession》になりうる理由は,ひと えに,ひとは生まれれば必 ず
死ぬという生命体としての運命に縛られているからであり,そのことを意識せずに在るこ
とが困難であるからだ。
望みは r
不死」なのだろうか?
では,「不死 j が実現されれば,ひとはこれらの《 o
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n》から解放されることにな
るのだろうか。古来,人類が紡ぎあげてきた神話の系譜をざっと探ってみるだけでも,ひ
とが「不死」という,ある種の「ユートピア J を夢想することに,どれほど熱心であった
かがわかる。だがそれはあくまでも,「不死 j が空想、の中では可能で、あると同時に,現実に
は不可能で、あることが確信されているからであり,ここに読み取ることができるのは,人
-60-
間存在への絶望感と夢想することへの信頼感とが,矛盾して併存する姿であると言えよう。
それゆえに,「不死 j が「ユートピア」の一形態であるなら,それが実現された先には必ず,
「ユートピアのなれの果て j すなわち「ディストピア」が想定されることになる。
サイエンス・フィクショ ンにおける「不死 j のテーマについて検討した C
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Mathiereの指摘は,その点で示唆に富んで、いる。 1
9世紀に産声をあげた「近代の申し子
としてのサイエンス・フィクション j は,科学と技術の進歩に対する無条件の信頼を前提
としているため, α
immortalite》「不死 Jを含む,人間のあらゆる希望をかなえる奇跡を
可能にするはずで、あった。だ、が,永遠に続く「不死 Jが夢想、でなく,実現された世界とし
て描かれてしまうことにより,それは「パラダイス的なもの=ユートピアJではなく,終
わりがないという意味で,究極の悲劇へと転換してしまう。つまり,「古い悲劇(老いて死
ぬこと)は,新しい悲劇(永遠に生き続けなければならないこと)に取って代わられる J
というのである lo
サイエンス・フィクションによって可能になる永遠の命は,「不死 Jと同義であり,そ
れは機械的に,望まなくとも常に生き続けられることを意味する。死という観念を奪
われてしまうと,人聞は生きる気力を失ってしまい,結果として,自分の人生に意味
を見いだせなくなってしまう。[…]死の観念こそが,私たちに生きる理由を与えるの
である。なぜなら,私たちの最も大きな望みは,決して死なないことなのだ、からえ
Mathi
さr
eが指摘するように,人間の生きる意味が「死 jによって保証されるのであれば,
私たちは死を恐れると同時に希求することにもなる。なぜなら,ひとは死ぬまでは生きる
意味としての希望を持ち続けることができるが,同時に,希望を失ったが最後,残るは死
のみだと自覚する瞬間を発見せざるを得ないからだ。ボーヴォワールの次の一節は,この
ことをうまく言い当てている D
死がわれわれを不安にするとすれば,それは死がわれわれのもろもろの企ての不可避
な裏側(反対物)であるからだ。人が行動すること,企てることをやめるとき,もは
や死が破壊しうるものは何も残っていなし、。ある種の老人たちが諦めの気持ちから死
を甘受する理由として,消耗とか疲労とかを挙げる人がいる。しかしもし人間にとっ
て無為に暮らすことだけで充分ならば,彼はこの緩慢な人生に満足で、きるだろう。と
ころが,人間にとっては,生きること,それはつねに自己を超越することなのだ30
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3 ボーヴォワーノレ『老い』下,朝吹三吉訳, p
p.522・5
2
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.
-61-
ボーヴォワールは続けて,人間の生きる理由を支えるものが αpasssion》「情熱」であ
り,「老い J によってそれを奪われたと感じた人間は,「死を受諾しうる 4j のだと述べる。
つまり,ここから私たちが読み取るべきは,ひとが老いを避けようとするのは,死を避け
ようとするからではない,ということである。一見それは,「不死」への願いのように解釈
され,読み替えることができるように感じられるが,実はそれは隠ぺいにすぎないことに
気づくべきである,ということなのだ。
不平等な老い
では,ひとは何のために,何を隠ぺいしようとするのか。ボーヴォワールは多くの人聞
が「老いを悲しみあるいは憤りを持って迎える」とし,「老いは死よりも嫌悪の情を起こさ
せる」のだと説明する 5。第一章にも述べたように,死は,各個人にとって不可避のことで
はあるが,体験的に何かの意味を与えるものでもない。死は,個人の生に区切りをつけ,
《
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e》「物語・歴史 J としてのフレームを与えることにはなるが,それ以上の意味を
加えることは決してないのだ。であるならば,ひとにとって,死は恐れるに値しないはず
である。
そのように考えるなら,ボーヴォワーノレの言うように,「生に対立させるべきものは死よ
りも老い 6
J なのだ,ということになろう。実際に恐れられ,あるいは嫌悪されているのは
「
死 Jではなく「老しリなのであり,その「恐怖Jや「嫌悪J を陰で支えているものこそ
を,私たちはあぶり出し,検討の組上に載せなければならないのだ。ボーヴォワールが『老
い』を執筆してから半世紀以上が過ぎた今日,私たちは日々多くの「老い J と「死 J にま
つわる不平等に接する。たとえば,都会で孤独死を迎えた老人の話をニュースで聞けば,
死が誰にとっても不可避であったとしても,誰にとっても平等だとは思えないのは当然で
ある。しかし,生に対立させるべきものが,死であるよりは「老い」なのだという考察に
則れば,ここで追究するべきは,そこに隠されている「老いの不平等 J ということになる
だろう。
日本近現代文学における女性の老いについて考察した倉田容子は,「エイジング(加齢)
を,ジェンダーやセクシュアリティ,人種,階級,民族,国籍といった他の差異化のカテ
ゴリーと同様,不断に相互に作用し合い,表象や言説と物質的身体との狭間でさまざまな
現象や意味作用を生み出す歴史的・政治的・社会的カテゴリーとして扱う j との立場を明
らかにし,「日本近現代文学における老いとそのジェンダーの非対称性を前景化し,正典化
された文学作品における老女像に対して新たな読みを提示する Jと述べるにそこにあるの
同書, p
.
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同書, p
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6 同書, p
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.
7 倉田容子『語る老女語られる老女一日本近代文学にみる女の老い』,畢事書林, 2
010年
, p
.
1
4
.
4
5
-62-
は「老女J を考察することによって,これまで周到に隠されてきた「差別構造B
J を明るみ
に出そうとする意図である。本稿の試みもまた,倉田の意図につながるものであり,近代
社会が,その成立時から糧として内在化してきた幾重 もの「不平等 J に踏み込もうとする
ことである。
ボーヴォワールは,近代社会においてカテゴリーを成すのは,生産・再生産の担い手と
いう社会共同体において価値を持つ人々に限られ,その能力を失うとき,「彼は他者とみな
される j と指摘する 9。この時,彼は「交換貨幣でも,生殖者でも,生産者でもなく,もは
や厄介者でしかない J のであり,社会において再生産役割の担い手と目されている「女性
よりもはるかに徹底的に,純粋な客体と化す J 10。ボーヴォワールは続けて,「老いが考察
の対象となるとき,人は主として男性の状況を考える 11J と指摘するが,この一連の思考
の流れから読み取ることができるのは,再生産役割を果たさない/果たすことができない
/果たすことを終えた女性の「老い j が,いかに暗いものであるか,ということである。
ここでいう「暗しリとは,不可視の状態に置かれているという意味であり,見通しが暗濃
たるものであるという意味でもあり 3 同時にまた,恐怖や嫌悪や欲望を喚起する名状しが
たい「エネルギー j の源であることを兼ね備える 12。事項では,この女性の「老い」にお
ける「暗さ」の問題について,セクシュアリティの観点から考察する。
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. 女性の「老いJと「性Jをめぐって……『老妓抄』・『晩菊』・『シェリの最後』を
読む
近代以降のジェンダー化が固定した社会において,女性に期待される役割は,基本的に
は「再生産」に関わるものであった。拙著『摩擦する 「母」と「女 J の物語』で明らかに
したとおり,若くは父の娘(=処女)で、あった女性は,妻となり母となることが理想とさ
れるのだが 13,その後永らえて,老いてしまった彼女たちには,ど のような立場が用意さ
れているのだろうか。
同書, p
.
1
4
.
ボーヴォワール『老い』上,朝吹三吉訳, p
.
1
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2
.
10 同書, p
.
1
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.
1
1 同書, p
.
1
0
3
.
1
2 本研究課題に取り組むうえで,近代フランス文学のみならず ,他分野の研究者による「ジェンダーと
老い J に関する考察は不可欠なものであった。そのため,本研究代 表者は「女性の老い」の構造とその
深層を明らかにするため,「老い J に対する意識と深い親和性を持つ「恐怖・嫌悪・欲望」とジェンダー
をテーマとする共同研究に取り組んだ。先に著書を引用した 倉田容子(駒揮大学・講師)をはじめ,玉
田敦子(中部大学・准教授),中川千帆(奈良女子大学・准教授)と共に,フランス・アメリカ・日本と
いう異なる文化背景を持って成立した文学作品を詳細に検討 することで、女性に対して抱かれる恐怖・
嫌悪・欲望という感情の位相と,社会的枠組みであるジェン ダーとが交わる地点が苧む問題をあぶりだ
した。今後もさらに視点を広げ、「恐怖 J f
嫌悪 j 「暴力 J 「権力 j f国家j f
女性と文学j f
エロス j 「破壊J
f
欲望J などをキ}ワードに、考察を充実させる予定である。
1
3 高岡尚子『摩擦する f
母 j と「女 j の物語一フランス近代小説にみる「女 J と「男らしさ」のセクシ
ュアリティー』,晃洋書房, 2014年,第 I部第一章.
8
9
-63-
女性作家によって書かれた f
老いた芸妓」・『高等娼婦」の物語
ボーヴォワールは『老い』を閉じるにあたり,「老い j を充実したものにするにはただひ
とつの方法しかないとし,それを「人生に意義をあたえるような目的を追求しつづけるこ
と」であると指摘する。彼女はまたそれを言い換えて,「われわれは老いても強い情熱をも
ちつづけることを願うべきであり,そうした情熱こそわれわれがいたずらに過去をなつか
し む こ と の な い よ う に す る の で あ る J と述べる
140
ここでボ}グォワールの言
う αcontinuera
poursuivredesf
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s沙「目的を追求しつづけること」や αconserverdes
passions》「強い情熱をもちつづけること Jができるのは 15,もちろん,ごく限られた人間
にすぎない。なかでも,社会において,何重にも周縁化された女性たちにとって,その可
能性を保持することは並大抵なことではないだろう。
一方で,日本の近現代文学に登場する老いた女性たちの中には,「情熱 p
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s
J を探
求し得たものが存在していることを,すでに多くの研究者が指摘していることも事実であ
る。『ニュー・フェミニズム・レビュー』④「エイジズムーおばあさんの逆襲」(学陽書房,
1992年),『燈めきのサンセット一文学に「老い」を読む』(福祉文学会監修,中央法令出
版
, 1993年),『老いの愉楽一「老人文学」の魅力』(尾形明子・長谷川啓編,東京堂出版,
2008年),『語る老女語られる老女』(倉田容子, 2010年)などにおいて,水田宗 子,漆
田和代,岩淵宏子,倉田容子らが分析の対象とする,岡本かの子『老妓抄』( 1938年)と林
芙美子『晩菊』( 1948年)がそれで、ある
D
どちらも著名な女性作家によって生み出されたこの二作品は,老いた芸妓を主人公とし
ている点で共通している。倉田が述べるように,「二つのテクストにおけるエイジング表現
は,一見すると対照的であ り,研究史においてもたび たび比較されて 16」きたのであり,
『老妓抄』の主人公「小その」が老いてなお人生に積極性を失わない一方,『晩菊』の老妓
「きん j は,老いに徹底的に逆らうことで持持を保とうとしているかに見える。しかし,
これも続けて倉田が指摘するとおり,これらのテクストには九、ずれも老妓に不如意な思
いを与える人物として若い 男が登場 17J し,彼らの動きに照射されて浮かび上がる,社会
的に構造化された女性のセクシュアリティと老いのあり方という点を見れば,この二作品
は非常に似通っていることが明らかになる。さらに,年老いた芸妓と「やってくる(帰っ
てくる)若い男」という設定を,私たちが関心の対象とする近現代フランス小説の文脈に
おけば,コレットの『シェリの最後』( 1926年)もそのひとつとして加えることができるだ
ろう。これらの三作品における,老いた商売女と若い男性の関係に注目し,彼女らの「老
いJ と性および生について考察してみよう。
14 ボーヴォワール『老い』下,朝吹三吉訳, p
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16 倉田容子,前掲書, p
p.127・1
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17 同書, p
.
1
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8
.
-64-
『老妓』という表象のゆらぎ
『老妓抄』の小そのや,『晩菊』のきんをはじめとする芸妓,また『シェリの最後』に登
場する高級娼婦レアらはともに,その世界に入った事情はそれぞれ異なっていたとしても,
美貌と芸と,手練手管と,さらには自己演出力を発揮して,主に性的な魅力を媒介として
生業を成立させてきた過去を持つ。彼女らは,いわゆる「玄人筋の女 Jであり,処女から
妻・母親になるという,女性に期待される理想的な道筋からは外れた存在なのである。た
だし,ブルジョワ的倫理観の支配する社会は,システムとして,再生産役割を担う理想的
な女性(=妻・母)に性的ファンタスムを満たす相手(=娼婦)を対峠させ,その両方を
矛盾なく並立させていたという事情があるため,「玄人筋の女」もまた,その重要な一部と
して内包されていたことも確かで、ある。
彼女らはそれゆえ,自らのセクシュアリティを原動力として生きた(生きる)存在であ
る一方で、,妻や母として受け取ることのできる社会的庇護については,期待することがで
きないことになる。また,自身のセクシュアリティが売り物にならない時が来れば,彼女
らはその凋落の現実に屈する外なさそうである。そうしてみると, f
老いてしまった J芸妓
や高級娼婦に与えられるステレオタイプなイメージとは,美の盛りを過ぎたという意味で
の老醜と,性欲をかきたてることのない崩壊した肉体,誰からも世話をされないで生きる
孤独や生活苦,といったものであろうか。確かに,コレットの『シェリの最後』に登場す
る老娼婦ラ・コピーヌなどは,これらすべての性質を備えているように見え,主人公シェ
リに嫌悪と憐偶の情をもよおさせる。だが,これらの作品に描かれた女主人公たちは,こ
うした悲惨なステレオタイプからはまぬかれ,むしろ,そのイメージこそが,巧みにねつ
造されたものであることを読み手に告げているとも言える 180
『老妓抄』の小そのは,老いても,若い芸妓たちがその話芸を学ぼうと周囲に集まる存
在であった 190 「永年の辛苦で一通りの財産も出来,座敷の勤めも自由な選択が許されるよ
うになった十年ほど前から,何となく健康で、常識的な生活を望むようになった j 彼女は,
f
遠縁の子供を貰って,養女にして女学校へ通わせた J りもするが 20,これは,堅気の女
性たちの真似をして,いまさらその世界へと参入するがためのようには書かれていない 210
18 第二章でも参照した『山姥たちの物語一女性の原型と語りなおし』(皐墨書林, 2
002年)において,
水田宗子は「里の女の老いが,役に立たない余計者,周縁へ押しやられた厄介者の側面を表象している
のに対して,一方の山姥は,そういう老女ゆえの邪悪さという道徳的な裁断を逸脱する存在として形象
化しているのが特徴である」(p.14
)と述べる。ここでの分類によれば,芸妓や娼婦といった存在は,「里 J
のシステムを補完する「野j に生きる女とされるが,彼女らが老いてさらに自らを失うことなく, f
周縁
に押しやられた余計者というよりは,里からの排除をものともしない自由を体現する J(
p
p
.
1
4
1
5
)になる
と,「山姥Jに近づいていくことになる。水田は『晩菊』のきんを「年老いた野の女が山姥に近い姿 Jに
なったものと位置づけ,「したたかで,生命力もセクシュアリティも強い,家の外の女に徹した芸者の,
p
.
1
9
)を読み取っている。
その意味で自立した女の姿J (
1
9 岡本かの子『老妓抄』,新潮文庫, 2
015年(第 60版: 1950年初版) ,p
.
9
.
20 同書, p
p.11・1
2
.
21 第一章で検討したジョルジュ・サンドの『イジドラ』の主人公イジドラも,「老いた娼婦 j のひとりと
考えることができるだろう。彼女たちが若い娘を養女として迎える理由を,理想、と掲げられた「家庭に
-65-
f
晩菊』のきんの場合はさらにはっきりしており,「家庭的な女と云う事はきんには何の
興味もない 22Jのであり,「養女を貰って老後の愉しみを考えてはと云われる事があっても,
きんは老後なぞと 云う思いが不快23J なのである。彼女 は「自分が現在五 十歳を過ぎた女
だとはどうしても合点がゆか」ず,「長く生きて来たものだと思う時もあったが,また短い
青春だった」とも思う 240 それはつまり,彼 女にとっての「今 」は過去と連続し ているの
で、あって,凋落として嘆く契機にはなりえないのである。
コレットの『シェリの最後』においても,老娼婦レアはシェリを前に,びくともひるむ
ところはない。シェリは戦争から戻り, 5年ぶりに再会したレアがひどく醜く太っており,
「巨大な胸と圧倒的な腰まわりにもかかわらず,彼女は齢を重ねるにつれ,すべてが休息
する男っぽさへと すべりこんでいっ た 25J と感じる。しかし,レアから向けられた「老い
ても元気いっぱいの女友達が,慎重に距離をたもったまま,小さな青い目を疑りぶかそう
にこちらにむけてほどほどの同情を表して 26」いる視線には, 老いに対する侮蔑 と噺笑を
跳ね返す,数倍も強い憐f
関の J!育が宿っているのだ。
金銭を持つ彼女たち
では,なぜ彼女たちには,過酷なステレオタイプを覆すことができるのだろうか。ある
いはまた,なぜ女性作家たちは老いた芸妓を描くことで「く老い>がもたらす人間的深み
までを前景化した<老い>の文学の傑作 27J や,「老妓という家庭の外の女だからこその想
像力に溢れた,晩年と老いのカを,その悲しみと輝きの中に描き出した傑作で、ある 28」と
いった評価を呼び起こすような文学空間を創造し得たのであろうか。
まず,決して揺るがすことのできない事実として,彼女たちが獲得した「金銭」のカを
指摘しておく必要があるだろう。そうなった事情はどうあれ,彼女たちはセクシュアリテ
イを扱うプロとして,男性から金品を得て生活を立て、維持してきている。この「金銭J
が近代プルジョワ社会を根底から支える要素であることを考慮に入れるなら,セクシュア
リティの売買もまた,このシステムを動かすひとつの歯車であると言うことができるし,
そこに参入して自らの身体をさらけ出して生きる女たちもまた,この枠組みにはめ込まれ
た「こま」のような存在であると言えるだろう。
おける天使(=理想の母親) J というファンタジーへの同化とのみ捉えるのは,やや危険である。果たさ
れなかった家庭の夢 の実現という意味を 読み取れる作品もあ るが,そうでない場 合についての検証は 重
要である。
22 林芙美子『晩菊』,講談社文芸文庫, 1
992年
, p
.
1
3
.
2
3同
書
, p.15.
24 同
書, p.16.
25 コレット『シェリの最後』,工藤庸子訳,岩波文庫, 1
994年
, p
.
1
0
3
.
26 同
書, p.119.
27 岩淵宏子「『晩菊』ーく老い〉とセクシュアリティ j,『老いの愉楽ー「老人文学 j の魅力』,尾形明子・
長谷川啓編,東京堂出版, 2008年
, p.109.
28 水田宗子「パッショ ンへの憧慣ー『老妓 抄』をめぐって J
,『老いの愉楽− r
老人文学Jの魅力』,尾形
明子・長谷川啓編,東京堂出版, 2008年
, p
.
1
3
8
.
-66-
ただし彼女たちは「枠組み 」の中にありながらも,い びつに変色した「こま Jである。
生殖を夫婦問に限り,人的 再生産を家族というシステ ムの中に閉じ込めることで 機能して
きた家父長的社会において は,そもそも,女性には, 稼ぎや消費を自由に行う経 済的主体
になるためのきっかけがほ とんど存在しない。したが って,それができる芸妓や 高級娼婦
は,「必要悪 jとして許容されることはあっても,好意的に遇されることはない。さらには,
彼女たちは全盛期を過ぎ, 人生の終末を迎える時期に 差し掛かっていることを自 覚してお
り,それはつまり,若い頃と同じようには稼げないことが,自他ともに認知されているこ
とを意味している。結果として,彼女たちの存在は,どこまで行っても極めてアンピパレ
ントなものであり続けるだ ろう。一方で,身を売って 金品を得る女という,強い 欲望と嫌
悪の対象として抽象的な「 タイプ化 j を被る存在であるとの同時に,彼女たちは,長い経
験と実績によって実際に金を持ち,使う主体として立ち現れもするのだ。
この二面性がどのように評価されるかは,彼女たちが相手をする若い男たちの反応を見
れば明らかである。『老妓抄』の小そのの場合,電気器具商の蒔田が伴ってきた青年治未と
出会い,彼に教えられた「パッション 29J の語を契機に面倒をみることになる。「発明をし
て,専売特許を取って,金 を儲けること」に「パッシ ョン J を感じるという青年に対し,
「老妓は柚木のいうままに家の一部を工房に仕替え,多少の研究の機械類も買って」やる 300
しかし,この行為を柚木は「たいして有り難いとは思わJない。なぜなら彼は,「散々金£
く銭を男たちから絞って,好き放題なことをした産主主が,年老いて良心への償いのため,
誰でもこんなことをしたい のだろう j と考え,「こっちから恩恵を施してやるのだという
太々しい考は持たないまで も,老妓の好意を負担には 感じらなかった Jからである 310
f晩菊』の物語は,かつてきんと関係があり,戦地から戻った田部が,久しぶりに会い
たいと電話をよこすところ から始まる。昔の男に「自 分の老いを感じさせては敗 北だ 32J
と思うきんは,ありったけの技巧を絞って身繕いをするが,やってきた男の意図は金の無
心であった。その意図を知 ってがっかりはするが,決 してほだされたりしない老 妓のきん
と,何とか彼女を口説き落とし,金銭を手に入れようとする壮年の田部の駆け引きが,こ
の作品のテーマである。岡 部は,戦後のきんの生活を 「世相の残酷さが何一つ跡 をとどめ
てはいないと云う事だ」と断じ,「きんの肉体に対しては何の未練もなかったが,この差与
しの底にかくれている女の生活の豊かさに追いすがる気持ち J を抱くと言う 330
一方は,これからのある若 い男に日常の安寧を準備し てやる老妓(小その)であ り,一
方は,かつての男の狭量に 失望する老妓(きん)であ るが,どちらにも,彼女ら の現在を
支える確固とした裏付け= 金銭があるのだし,彼女ら はまた,ひとのために準備 してやっ
岡本かの子『老妓抄』, p
.
1
4
.
同
書
, p
.
1
5
. 強調は論者による。
31 同
書, p
.
1
6
.
32 林芙美子『晩菊』, p
.
9
.
33 同
書
, p
.
2
7
. 強調は論者による。
29
30
-67一
たり,失望したりする個としての自由を発揮する力がある。そのことを,相手となるふた
りの男がまったく理解せず,両者の聞に深いディスコミュニケーションが立ちはだ、かって
いる点において,この二作品は似通っているのだ。柚木は,「パッションとやらが起こらず
に,ほとんど生涯勤めて来た座敷の数々」を思い,「自分の生涯に憐れみの心 j を起こした
小そのを理解せず34,商売女の「年老いての良心への償い J と誤解する。田部は,きんに
とって,過去からやってきた人間であるにも関わらず,
彼女のことを「たかが虫けら同然
の老女ではないかと思いながらも,この女は何事にも動じないで、ここに生きているのだ 35J
と感じる。彼らに共通しているのは,彼女らの現在が,彼女らの日々の重なりであること
を考慮せず,過去から一足飛びにやってきた結果であると断じている点である。それは言
い換えれば,老いた女には,老いるまでの長い年月があることを無視し,すでに,常に「老
女」であったかのように,彼女に対して振る舞うことでしか保ち得ない,「彼ら Jの衿持の
ありかを示しているということでもあろう。
だが,この「幹持 j のはかなさこそを,きんは見抜き,突くのである。金の無心がうま
くゆかず,苛立ち,ただ酔いどれる田部を前に,きんはこのように感じる。
初々しい男に出してやる方がまだましである。自尊心のない男ほど厭なものはない。
自分に血道をあげて来た男の初々しさをきんは幾度も経験していた。きんは,そうし
た男の初々しさに惹かれていたし,高尚なものにも思っていた。理想的な相手を選ぶ
事以外に彼女の興味はない。きんは,心の中で,田部をつまらぬ男になりさがったも
のだと,思った 360
この数行のうちに,三度も繰り返される「初々しい男/男の初々しさ Jへの執心のこと
ばは,「まだ\男は出来る 37J という,彼女を支える「人生の頼み J と,あざやかに呼応す
る。彼女が見て,信じるのは,現在自の前にある「男を作れる」身体であり,「初々しさ=
自尊心 J を持った男を選ぶ自由を持った自己である。過去のよしみで金をせびりにきた男
は,その剃那に輝く「今 J とは,正反対の存在だと言えるだろう。
小そのが柚木に求めるものも,そうした「初々しさ Jに通じるものだ。彼女は柚木に向
かい,「何も急いだり,焦ったりすることはいらないから,仕事なり恋なり,無駄をせず,
一撲で心残りのないものを射止めて欲しい 38J と言う。しかし,柚木はそれを,「老妓の意
志はかなり判って来た。それは彼女に出来なかったことを自分にさせようとしているのだ j
と理解する。そして,出来ないことは出来ないのであり,「自分はいつでも,そのことにつ
岡本かの子『老妓抄』, p
.
1
5
.
p
.
2
8
.
36 同書, p
.
3
0
.
37 同書, p
.
1
0
.
3
8 岡本かの子『老妓抄』, p
.
3
4
.
34
35 林芙美子『晩菊』,
-68-
いては諦めることが出来る j のだとし,対して「彼女は諦めということを知らなしリのだ
と位置づける 390 柚木が驚樗と,あ る種の恐怖の心を 持って「何だか甲 羅を経て化けかか
っている 40J と評する「諦めを知らない老女」と「理想的な相手を選ぶ事 J以外に興味の
ない彼女,とは同義であると言えないかD それは,老いを諦めではなく生の連続ととらえ,
「パッション」に固執し,過去にも未来にもない「今 J を確信するカを持った女たちのこ
とである。
『今』に生きる彼女たち
この,彼女たちが固執する「今」の正体について,ここでもう少し考察を深めておこう。
なぜなら,この「今 J は,第三章で指摘した,世代の違う女同士,あるいは生と死とをつ
なぐ《 l
i
e
n》(「結び目 J)としての「今 j と通底するものを感じさせるからである。そこ
でまず,ここでいう「今 J に対する概念として,「変化 J を提示しておきたい。「変化 J と
は,時代や社会が変わるということであり,個人が老いるということである。特に,芸妓
や高等娼婦にとって,性的欲望(あるいは性的ファンタスム)の対象である状態から,経
年によってそうではなくなる状態への変化は,あらゆる意味において致命的でありうる。
『晩菊』と『シェリの最後』において,「変わってしまった」あるいは「変わらないJこと
が,強い関心事として機能し得るのは,それが原因だと言える。
『晩菊』( 1948年)は第二次世界大戦後の日本が舞台であり,『シェリの最後』( 1926年
)
は第一次世界大戦後のフランスが舞台である。背景として持っている時代や場所が異なっ
ているにもかかわらず,この二作品には比較すべき共通項が多いことに気づかされる。ま
ず,『晩菊』は,終戦後,田部がかつて関係のあったきんのもとに「帰ってくる J構図を持
っている。その点,『シェリの最後』において,「シェリ(愛しいひと) Jとの縛名を持つ主
人公フレデリックが,終戦後,かつて共に暮らした愛人であったレアのもとに「帰ってく
る」のと同様である。
彼らはともに,過去に愛した年上の女性のもとを訪れるのだが,彼女らから受ける印象
は,田部の「昔の女は何の変化もなく 41」に対し,シェリのそれは「それじゃ・・・…レアは
どこにいるんだ? 42」である。女に何 の変化もないわけ はないのだし,実 際に自の前にい
るレアを見失うはずはないのだから,男たちがそのように感じる理由は,彼ら自身の内に
あることになる。田部によれば,ひとは生きていれば「絶えず流れる歳月のなかに少しず
つ経験が積み重な って Jいき,「その流れのなかに,飛躍もあれば墜落もある J と言う 430
それは,彼の身にあてはめて考えれば,戦地に赴いたことであり,戻ってから「只の血気
3
9 同書,
p
.
3
5
.
同書, p
.
3
5
.
41 林芙美子『晩菊』, p
.
2
1
.
42 コレット『シェリの最後』,工藤庸子訳, p
.
9
0
.
43 林芙美子『晩菊J
I
, p.21.
40
-69一
だけで商売をしてみたが,兄からの資本は半年で、すっかり使い果たしていたし,細君以外
の女にもかかわりがあって,その女にもやがて子供が出来る 44j ことを意味する。そうで
あれば,彼にきんが「世相の残酷さが何一つ跡をとどめていない 45J ように見えるのは,
変わってしまった(多くの経験を積んだ)自分を過剰に意識しているためであり,現在の
自らの不甲斐なさが,かえって増幅されるからである。女らしさも若々しさも一向に失っ
ていないきんと,「たかが虫けら同然の老女 46j とが,同部のなかでは矛盾せずに一致して
いることからすれば,彼が感じる老いた女の「美しさ」とは,したがって,ほめ言葉でも
何でもない。彼が「きんを殺してしまう事も空想し 47J,無心を断られた憤りに火箸を堅く
握るのは,自分の「今 Jを正視したくないからであり,それはとりもなおさず,彼女の「今」
を許せないからなのである。
一方のシェリにも,ほぼ同じような構図が当てはまるのだが,ただし,その方向が完全
に逆である。シェリはレアの容姿のあまりの変化に,「やめてくれ!もとの姿にもどってく
れ!そんな仮装は脱いでくれ!その仮装のしたにいるんだろう,話し声はちゃんと聞こえ
るのだから!出ておいで!
48J
と願う。これは,田部が何の変化も見られないきんに苛立
ち恨みを感じるのとは逆だが,彼らに見えていないものを希求し,得られないことを憂い
ているという意味においては,まったく同じことが起こっていると考えてよい。そうであ
るなら,シェリが嘆いているのは,変わっていくレアに写って見える,変わらない自身,
ということになるだろう。戦地から勲章を持って帰ってきたシェリは,そこに,別れたと
きとは全く別人の母と妻を見出した。レアの同業者であった母シャルロットと,若くか弱
かった妻エドメは,病院を切り回し,事業で成功を収めている。「おふくろも,うちのやつ
も,あいつらが会っている連中も,みんな変わってゆく,変わるために生きている……お
ふくろは銀行家になるかもしれないし,エドメは区会議員になるかもしれない。だけど,
ぼくは…… 49」。シェリだけが,「変わらない(変われない) J のである。彼が変われない理
由を,レアは次のように指摘する。
「あんたも仲間たちとおんなじで,楽園をさがしているのよ,でしょ,戦争がおわっ
たら返してもらえるはずだ、った楽園を。あんたたちの勝利とか,青春とか,締麗な女
たちとか……。[...]それで今あんたたちが見つけたものはなに?ありきたりの心地よ
い生活というだけ。だもんだからあんたたちは郷愁やら,倦怠やら,失望やら,神経
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書書書書レ書
同同同同コ同
4HORU t B 9
444444
-70-
衰弱やらとさわぎたてる…・・・わたし,まちがっているかしら? 50J 「いやJ シェリが言
った……。彼女を黙らせるためには指の一本くらいくれてやってもいいという心境だ
った。
ここには,多くの議論すべき点が含まれている。特に,戦時を過ぎ,戦後を迎えた男性
性が被ったものについては,さらに鍛密な考察が積み重ねられねばならない。だが,シェ
リが変われない理由のひとつとして,女が用意するはずだった楽園からの追放を喜ばない
彼らの事情をあげるのは, あながち間違ってはいない だろう。それは言い換えれ ば,レア
の言う f
それで今あんたたちが見つけたもの Jへの失望と,予測しない動き方をする女た
ち(母・妻・元の愛人)への怒りと恐怖なのである。
『晩菊』の田部は,殺意をもって火箸は握るが,きんを殺すことはない。逆に,きんは
「よく織った火鉢の青い炎の上に,田部の若かりし頃の写真をくべ 51Jて燃やしてしまう白
紙の焼ける匂いを消すために一緒にくべた「チーズの一切れj からは,「あぶらの焼ける匂
いが J たって「鼻につく J52のだが,この「あぶらの焼 ける匂しリは,写真と共に ,その
まま田部の過去とその肉体とを焼き去っているかのような余韻を与える。過去を失った田
部には,「今 j の彼が残るはずだが,少なくとも,火鉢を見つめるきんの視界には,その姿
はもう存在しない。
『シェリの最後』にも同じように写真のエピソードが登場するが,こちらもまた,方向
が逆である。現実からの逃 避を図るため,シェリは, レアやシャルロットの昔を 知る老娼
婦ラ・コピーヌの部屋に通 い,彼女に昔語りをせがむ 。そして,若く,飛び切り に美しか
った頃のレアの写真が,壁一面を埋めている部屋の中で横になっていると
「目をふせてい
るレアの写真は,彼のこと を気にかけているように 53J 見えるのであった。来る日も来る
日も,過去のレアを物語らせ,過去のレアを見つめ語りかけるシェリに,彼女の写真を「く
べて」しまうことなど,できょうはずもない
D
「
今 Jのレアも,母も,妻も,正視すること
のできない彼には,当然,「今」の自分も存在し得ない。シェリの自死という物語の結末は,
男と女と,暴力的にそれに 関わる社会と時代との,こ の上なく過酷な清算の形を 示してい
るようである。
m
.「老い」の社会的価値
本章第 I項においては,再生産役割を果たさない/果たすことができない/果たすこと
を終えた女性の「老い j の「暗い j ことについて指摘し,不可視の状態に置かれた女性の
間同書, p
.
1
0
5
.
51 林芙美子『晩菊~. p
.
3
2
.
52 同書,
p
.
3
2
.
5
3 コレット『シェリの最後』,工藤庸子訳,
p
.
2
0
9
.
-71-
老いが暗権たる未来を予感させるのと同時に,恐怖や嫌悪や欲望を喚起する名状しがたい
「エネルギー Jの源であると述べた D 第 E項における,『老妓抄』・『晩菊』・『シェリの最後』
の分析からは,金銭を握り,自己をプロデ、ユースするカを持ったプロの芸妓・高等娼婦た
ちが,老いてもこの「暗いエネルギー Jを十全に発揮し,「今 Jを生きる姿を抽出すること
ができた。本論の最終項にあたる第国項においては,老女をめぐるステレオタイプのあり
方を再度検討し,彼女らの老いの現実を,どのようにすれば社会的に価値づけることがで
きるか,その方法について検討してみたい。
老女をめぐるファンタジーの正体
自身のセクシュアリティを売り物にして生きて来た女性が「老いてしまった J とき,彼
女たちに与えられるステレオタイプなイメージとしては,老醜や孤独,生活苦,といった
ものが想定される。しかし,第 E項に見たように,こうしたイメージはあくまでも,外か
ら貼り付けられるレッテルに過ぎず,言い換えればそれは性を売り物にして生きて来た彼
女らに与えられるべき当然の「報い」であり,柚木の言うように「償い 54J として強いら
れることになった,ある種のファンタジーのようなものではないだろうか。
では,彼女らのような,水田宗子の分類による「野J に生きる女性たちではなく,妻・
母として再生産役割を担う「里 J に生きる女性たちが老いたとき,彼女たちにはどのよう
なイメージがファンタジーとして与えられるのだろうか。「里 Jに生きているという理由で,
彼女たちに課される規制やファンタジーの過酷さが減ぜられることがあるかと言えば,お
そらくそうではないことがわかる。なぜなら,そもそも,「里」は「危険な山から自分たち
の場所を隔離して,安全な場として確保するために領域化した場所 Jであり,そこに囲い
込まれた女たちは「あるべき女の理想像としてテキストに表象され、記号化され j ている
のである 550 要するに,「里の女 j たちもまた,男性による「テキスト化」と「記号化 j を
まぬかれず,与えられたファンタジーをそのまま受け取って生きるか,それが嫌ならば,
そこから身をひきはがすしかないのである。
ボーヴォワーノレは「里の女」の性的衝動が,老年になっても存続することを指摘する。
彼女たちは,性的に求められていると確信する場合は自らの容色の衰えを,余裕のある気
持ちで甘受するが,いったんその確信が失われると,「自分の衰退を感じて心が傷つき,自
分のイメージを嫌悪して,他人の前に姿をさらすことに耐えられなくなるんと同時に,彼
女らは「年取った女でありながら解脱した明澄な心境の老婦人という役割を演じない者に
対して,世論がきびしいことを知って」もいるのだ 560 ここから読み取ることのできる,
f
里の老女」たちに演じることが期待されたファンタジーとは,容色の衰えへの悲嘆や性
54 岡本かの子『老妓抄』,
p
.
1
5
.
5
5 水田宗子,『山姥たちの物語一女性の原型と語りなおし』,
56
ボーヴォワール『老い』下,朝吹三吉訳, p
.
4
1
1
.
一
72-
p
.
1
0
.
的衝動から解脱し,明澄な心境を保つことのできる,いわば「かわいらしいおばあちゃん J
像である。ボーヴォワーノレは『老し寸の中で,老いればひとは心が平静に澄み渡るものだ
というのは幻想であり,老人はし、かなる面においても幼少期に戻ることは決してない,と
繰り返し何度も言明する。
なぜ老人は,彼がかつてそうであった成人あるいは子供よりも優れていなければなら
ないのか?健康,記憶,物質的手段,威信,権威など,すべてが奪い去られたとき,
一個の人間でありつづけることだけですでに充分困難ではないか。老人がこのために
行う闘いは,哀れな,あるいは笑うべき外観を呈する,すなわち彼らのいろいろな偏
執,菩膏,陰険さなどは人を苛立たせ,あるいは冷笑させるかもしれない。しかし真
実は,この彼らの闘いは悲槍なのだ。それは人間以下のものに落ちこむことへの拒否
である 57
白
ボーヴォワールによって半世紀以上も前になされたこの指摘は,いまだに充分に有効で、
あり,繰り返し検討と反省とを,私たちに迫ってくる。ここで「老人 j として想定されて
いるひとびとの中には,男性も女性も含まれていることは間違いがない。だが,すでに何
度も確認したように,近代社会はジェンダー化されているのであって,おそらくここには
「老いた男性 j と「老いた女性」の明確な分別仁構造化の現状を示しておく必要もある
だろう。そして,「老いた里の女 j に求められているのは,「かわいらしいおばあちゃん」
として脱色された「女 J を演じることであり,そこに込められたファンタジーに積極的に
応じることである。「おばあちゃん J らしい服を着て,「おばあちゃん J らしく小さくなり
(身体機能が弱り),「おばあちゃん j らしくっつましくあり,「おばあちゃん Jらしく世話
をしてくれるひとたちの言いなりになる。「おばあちゃん J らしく,他の「おばあちゃん J
たちと歌い,お遊戯をし,小さな子どもたちと同列になって,かわいく遊ぶことが求めら
れるとき,彼女たちから奪われた「哀れな,あるいは笑うべき外観を呈する」「闘い」の源
=尊厳は,いったいどこに片付けられてしまったのだろうか。
ファンタジーを脱すること・…・・『誤って埋葬』されないために
コーネルは,『女たちの粋』の中で,スピヴァクの『ポストコロニアル理性批判』におけ
る沈黙と語りの問題を分析しながら,女性の主体性について考察している。ここでコーネ
ノレが注目しているのは,スピヴァクが取り組んだ「ありえたかもしれない女性たちの行為
のカを目に見えるかたちで取り戻し,これらの女性たちが誤って埋葬されてしまわないよ
57同書,
p
.
5
7
3
.
-73-
うに,哀れみと犠牲という遺産の下に埋もれてしまわないようにする 58」態度である。こ
の姿勢は,「里の老いた女 Jを「かわいらしいおばあちゃん」というファンタジーに閉じ込
めることで「誤って埋葬されてしまわなしリことと,彼女らの自主性と尊厳とを損ないた
くないという意志において通じている。「誤って埋葬する」とは何も,虐待して死に至らし
めることを意味しない。老女の呈する醜さを受け入れることなく,「闘い Jをそもそも放棄
させてしまうことこそが,彼女らを生きながらに殺し,「誤って埋葬する Jことなのである。
沈黙によって埋め られてしまった「 女たちのことばJ を取り戻そうとするスピヴァクや,
そこに力を得るコーネルの姿はそれゆえ,第三章で検討した,母の死を克明に書きとめる
娘=女性作家たちと深いところで通じ合う。
ChristineDetrezet と AnneSimonは,現代の女性作家たちが描く「老女 Jの表現につ
いて次のように指摘する。
老いをようやく全 体として,あらゆ る側面を描くよう になったことで, こうした一見
家庭のことを書いていて,ヒロインらしくないヒロインしか出てこない小説が,時に
はわざと過激な性的ファンタスムを扱う小説と同じくらい,女性の解放にとっては,
実は,根本的に重要な社会小説なのだと思えるようになった。なぜなら,闘いは常に
負けとは限らず, むしろ,極めて高 齢になることは, 成熟の時であり, 再生の時であ
り,自分自身の自由な精神へと至る時でもあるように思われるから。現代社会はその
ことを, うまく把握できていないだけのことなのだ 590
老女たちの「今」 は,まだ,正しく 把握され,感じ取 られているとは言 えないのかもし
れない。だが,多くの女性作家たちが,自分の母親の老い,死にゆく姿を含めて,「老いを
全体として」描くようになってきているのも事実である。そこに見出される不協和音も,
喜びも,私たち現 代を生きる人間に とっては,看過さ れるべきではない 。ジェンダーの非
対称と共に,世代の非対称性もまた,構造から解き放たれるときを必要としている。
ドウノレシラ・コーネノレ,前掲書, p
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58
59
-74-
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Appendice
Comment vieillir ? :
la vieillesse idéale ou l'idéal d'une George Sand vieilliel
Des films récents, comme «Amour» de Michael Haneke, <<Et si on vivait tous ensemble >>
de Stéphane Robelin et « Une Estonienne à Paris » de Ilmar Raag montrent clairement
l'existence d'un vif intérêt porté à la« vieillesse» ou au «vieillissement». Tous ces films ne
décrivent pas forcément des fins de vie heureuses, mais ils attirent notre attention sur ce
problème contemporain:« comment vieillir?». Il est certain que le thème de la« vieillesse»
devient de plus en plus pesant et inéluctable dans nos sociétés de longévité. Or, il est un peu
curieux que, même dans un autre type de films comme« Fauteuils d'orchestre» de Danièle
Thompson ou «Ensemble, c'est tout» de Claude Berri dont faction se passe à Paris dans une
ambiance légère et chic, on rencontre des épisodes de liens solides d'amour entre des
personnages de jeunes filles et de vieilles dames.
C'est pourquoi nous nous focaliserons sur la question de la « vieillesse » et du
«vieillissement» posée et résolue par George Sand. Notre écrivaine, morte à l'âge de 72 ans, a
vécu une vraie longue vie selon les critères du XIXe siècle. En jetant un regard attentif sur son
dernier temps de vie et à son idée de fidéal à cette époque, nous pourrons définir certains points
de vue efficaces pour nous confronter à cet inévitable sujet, la« vieillesse». Certes, on pourrait
dire qu'il est difficile de trouver des réflexions sur la «vieillesse » dans son œuvre romanesque
ou théâtrale2, mais d'autre part, il semble possible de les rechercher dans ses derniers contes
(Contes d~une grand-mère) et ses· articles (Impressions et souvenirs).
1.
D'abord, il faut poser une question fondamentale : «La vieillesse idéale ou l'idéal qu'on peut
acquérir grâce à une longue expérience de vie, sont-ils vraiment possibles ? ». Les discours et les
représentations typiques de la « vieillesse » ne montrent rien de joyeux. Le « vieillissement » est,
sans aucun doute, un signe de destruction, de dégradation ou d'altération. Pour nous tous, êtres
vivants, chaque instant de la vie est un pas vers la mort, comme le dit Corneille, et le temps
apparaît comme destructeur. La «vieillesse » est le résultat de ce processus destructeur du
temps. D'autre part, il est aussi possible de signaler le côté positif de la «vieillesse» : la
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19@1~~:/a JvVi · ~/ F'T~ ~: /v-t/; / · :JJ t- Y '/~*.lif./r:;:.;v-:f~, 2013~6 Ji 21 l=f)
-r:!(J) l=I ~;ê~ « Comment vieillir ? : la vieillesse idéale ou l'idéal de George Sand vieillie »a- 'b l::: ~;:_ l,, -C -$af(~ atm ;:ttc 'bO)ï!(bQo Cet article se base sur ma communication faite aul~ Colloque international de George Sand
«Écrire fidéal: la recherche de George Sand» (à YUniversité catholique de Louvain, Belgique, 20 · 22 juin 2013).
2 Cf. Claude Benoit, « L'art de bien vieillir chez deux grandes femmes de lettres
: G. Sand et Colette », in Etudes
sur Je vi.eiUi.r dans la littérature française, Presses Universitaires Blaise Pascal, 2008.
1
-75-
maturité et la sagesse. Il vaut mieux discerner ce dernier côté pour examiner la vieillesse idéale,
mais il faut constater que George Sand n'était pas libérée du côté noir de cette notion de
«vieillesse».
Voyons, par exemple, quelques passages du roman Lélia, qui a été écrit pendant les années
30 du XIXe siècle. Dans un sens thématique, Lélia est connu comme la suite de René et
d'Oberman, ayant tous les symptômes du «mal du siècle». Lélia décrit fair qui l'entoure:
«L'inertie, Sténio ! C'est le mal de nos cœurs, c'est le grand fléau de cet âge du mondes ».Ce
« mal de nos cœurs » équivaut exactement au « mal du siècle ».
De plus, Lélia considère qu'elle a été vieillie avant fâge à cause de ce mal:
Aussi me voilà vieille comme si j'avais mille ans. Ma beauté que l'on vante n'est plus qu'un
masque trompeur sous lequel se cachent l'épuisement et l'agonie. Dans l'âge des passions
énergiques, nous n'avons plus de passions, nous n'avons même plus de désirs, si ce n'est
celui d'en finir avec la fatigue et de nous reposer étendus dans un cercueil4.
Chez Lélia, «l'épuisement»,« l'agonie» et« la fatigue» cachés sous son masque sont liés
directement au « cercueil», autrement dit, à la mort.
Ni Lélia ni Sténio, adorateur de Lélia, ne sont vieux en fait. En s'exposant à l'agonie et à
r angoisse,
ils sont vieillis malgré leur jeunesse. Ici, la métaphore de la (( vieillesse » paraît
d'autant plus efficace qu'ils sont jeunes. Nous trouvons la même théorie chez Sténio:
Je sais aujourd'hui Lélia tout entière, comme si je l'avais possédée ; je sais ce qui la faisait
si belle, si pure, si divine: c'était moi, c'était ma jeunesse. Mais, à mesure que mon âme
s'est flétrie, Yimage de Lélia s'est flétrie aussi. Aujourd'hui, je la vois telle qu'elle est, pâle,
la lèvre terne, la chevelure semée de ces premiers fils d'argent qui nous envahissent le
crâne, comme l'herbe envahit le tombeau, le front traversé de cet ineffaçable pli que la
vieillesse nous imprime5.
Sténio est encore très jeune, mais à mesure que son âme se flétrit, l'image de la femme qu'il
adore devient vieillie et laide. Ce n'est pas Lélia qui est vraiment vieille, mais plutôt celle que
Sténio a fait vieillir dans sa tête. L'image parfaite de Lélia ; la beauté, la pureté et la divinité,
n'était que le fruit purement imaginaire de la jeunesse de Sténio. Quand il pense que sa
jeunesse est passée, son illusion s'évapore et, en même temps, le visage de Lélia se décompose.
Or, on dirait qu'une des mentalités majeures du « mal du siècle » est le grave désaccord
entre le réel et Yidéal. La « vieillesse » que Sténio a trouvée sur le visage de Lélia, c'est le
a George Sand, Lélia, Classiques Garnier, 1960, p.103.
Ibid, p.127.
5 Ibid, pp.288-289.
4
-76-
résultat de ses propres illusions perdues. Ce que nous devons souligner ici, c'est que la notion
d'« idéal» s'unit à la beauté de Lélia et que « le réel» après avoir été traversé par la désillusion
s'unit à sa vieillesse. La notion de « vieillesse » sert de représentation à « l'idéal » perdu.
En outre, il est aussi important de noter que la vieillesse de Lélia est observée à travers les
yeux de Sténio, jeune homme, et présentée sous la forme de perte de la beauté physique. Tout le
monde vieillit, les hommes et les femmes, mais la manière de les.décrire n'est pas la même. La
dissymétrie entre les deux sexes nous semble frappante. Quant aux vieilles femmes, leur état
physique est sévèrement critiqué par les hommes ; perte de la beauté, disparition du pouvoir de
séduction, manque de la fécondité, laideur maléfique sont les divers symptômes méprisables de
la vieillesse féminine.
Claude Benoit dit que « Le topos littéraire de la vieille femme, héritier de la misogynie des
anciens, s'intègre dans une tradition culturelle qui se prolonge jusqu'au siècle des Lumières6 »,
et cette image stéréotypée se modifie au cours du XIXe siècle. Mais les regards lancés aux
vieilles femmes sont toujours plus ou moins défavorables.
II.
Passons maintenant à un autre point concernant le thème de «vieillesse » ; la « mort». La
notion de « vieillesse », dégradation du corps et de l'esprit, contient toujours la peur de la
« mort». Si la vie d'un être vivant se situe entre sa naissance comme entrée en ce monde et sa
mort comme sortie, la vieillesse sert d'antichambre juste avant la sortie. Il est évident qu'on
meurt un jour, mais on ne peut pas connaître finstant de sa propre mort. On n'arrive jamais à
savoir comment les autres sentent et agissent face à leur mort. Les enfants, destinés
tragiquement à mourir petits, partent regrettés de tout le monde. Ils n'ont pas le temps
d'envisager la mort des autres. Au contraire, quand on a de la chance de vivre longtemps, on est
obligé de se confronter et de se résigner à la mort des autres. Et chaque fois que l'on dit adieu à
quelqu'un, on songe à sa propre mort.
Quant à George Sand, qui a vécu jusqu'à l'âge de 72 ans, elle s'est confrontée en effet à la
mort des gens qu'elle aimait beaucoup. Claude Benoit indique dans un article intitulé« L'art de
bien vieillir chez deux grandes femmes de lettre : George Sand et Colette7 » que l'un de ces
aspects de l'art du bien vieillir s'acquit, chez Sand, à la suite de la mort de sa grand·mère. En
s'identifiant à sa grand·mère et en pressentant le processus du vieillissement, George Sand,
alors adolescente a appris à accepter la mort d'une personne qu'elle aimait beaucoup.
Mais ce n'était que le premier pas. George Sand, en vieillissant, doit affronter la mort
beaucoup plus douloureuse et aiguë de ses petits-enfants; d'abord, c'est la fille de Solange,
Jeanne, appelée Nini, morte en 1855 à l'âge de 6 ans. Sand écrit sur sa mort dans Impressions
Lina Nissim et Claude Benoit, Etudes sur le vieillir dans la littérature française : Flaubert, Balzac, Sand,
Colette et quelques aut;res, Presses universitaires Blaise Pascal, Clermont-Ferrand, 2008, p.121-123.
7 Ibid
6
-77-
et Souvenirs:
Lorsque, il y a quelques années, je perdis ma petite-fille Jeanne, je ne :fis pas grand bruit,
mais je fus pris d'une envie de mourir qui m'effraya comme· une mauvaise pensée. Ceci
était une maladie de la douleur. Je croyais que cette enfant m'appelait d'un autre monde
où sa faiblesse et son isolement avaient besoin de moi, tandis que les autres objets de mon
affection n'avaient plus que faire de rattachement d'un cœur brisé, d'un esprit découragé.
Une nuit, je rêvai qu'elle me disait:« Reste tranquille, je suis bien», - et je me réveillai
résignée. Je n'avais plus à combattre en moi que le regret égoïste et je pus le combattres.
Ce passage très touchant a été écrit en 1871, c'est-à-dire 16 ans après la mort de Jeanne. Il
nous montre clairement comment fécrivaine a senti et surmonté la mort de sa petite-fille aimée.
L'expression «maladie de la douleur» peut être considérée comme ressemblant au «mal du
siècle » dans un sens, mais, ici, cette maladie est définitivement vaincue et plutôt méprisée, car
ce n'est que le « regret égoïste » qu'on doit combattre.
En 1864, le fils de Maurice et Lina, Marc-Antoine, surnommé Cocoton, disparaît un an
après sa naissance. Et après cette épreuve, Sand perd son fidèle partenaire, Alexandre
Manceau le 21 août 1865. Lisons maintenant la lettre de George Sand destinée à Louis Blanc,
datée 6 septembre 1865 :
Merci, ami, d'avoir pensé à moi dans cette cruelle épreuve. La mort est un acte solennel de
la vie, elle laisse les grandes espérances que nous sentons et que nous croyons. Ce qui est
affreux, c'est tout ce qui précède et amène cette heure des adieux. Mais on ne voudrait pas
n'avoir pas souffert pour ceux qui méritaient d'être aimés9.
La mort des autres, surtout des personnes aimées, doit être une « cruelle épreuve ». On sent
le procéssus des adieux d'autant plus pénible qu'on aime les gens qui nous quittent. Cependant
fépreuve ne nous entraîne pas au désespoir et la mort laisse même les« grandes espérances»,
dit George Sand. La mort qu'on est capable d'observer, c'est toujours la mort des autres.
Autrement dit, la mort vécue est une preuve de r existence du lien fort entre celui qui est mort
et les autres ceux qui restent. Quand on dit « adieu » à quelqu'un, on prend sa mort dans sa
propre personne. C'est un germe d'espérance, et non de désespoir; ainsi pensait George Sand à
cette époque.
8
George Sand, Impressions et souvenirs, Desfemm.es, 2005, pp.166·167.
George Sand, Lettre à Louis Blanc, Nohant, le 6 septembre 1865, Correspondance, tome XIX, Garnier, 1985,
p.399.
9
-78-
m.
Ensuite, nous examinerons à la fois son attitude à régard de la « vieillesse », et ses vues sur
la vie et la mort, en analysant deux séries d'œuvres de George Sand vieillie, Impressions et
souvenirs et Contes d'une grand-mère. Comme nous favons indiqué au-dessus, Sand a
symbolisé, par le « vieillissement », la destruction, l'agonie et le désespoir dans les romans des
années 30 du XIXe siècle, dont le cas typique est Lélia. Et notamment le «vieillissement»
féminin servait de cible aux mépris profonds. Est-ce que ces côtés négatifs du «vieillissement»
se sont modifiés d'une manière quelconque au fur et à mesure qu'elle avançait dans la vie ?
C'est la réponse à cette question que nous cherchons dans Impressions et souvenirs et Contes
d'une grand-mère.
Ces deux ouvrages n'appartiennent toutefois pas au même genre : l'un, recueil d'articles
parus en feuilletons dans Le 1èmps, et qui ont été rédigés entre 1871 et 1873, et l'autre, contes
écrits pour ses petites-filles, Aurore et Gabrielle, réunis d'abord chez Michel-Lévy en 1873 et
ensuite chez Calmann·Lévy en 1876. Ils difiêrent de période de rédaction et de destinateurs
présumés. Ce qui attire notre attention, c'est qu'il y a quelques points communs entre les deux
ouvrages malgré cette grande différence.
Proposons ici deux points communs. Premièrement, nous y rencontrons assez souvent
l'expression : «je ne serai plus parmi vous peu de temps après». Dans Impressions et Souvenirs,
ce sont par exemple,« mon cœur prêt à s'éteindre», «Encore quelques années et je ne serai
plus. », ou «Permets, ô grand Tout, que je rentre dans ton sein» etcrn. Quant à Contes d'une
grand-mère, nous lisons:« Quand toutes deux vous comprendrez tout à fait sans qu'on vous
aide, je n'y serai peut·être plus. Souvenez-vous alors de la grand ·mère qui vous adoraitll » dans
la dédicace pour «Le Nuage rose». Cette sorte d'expression nous permet d'imaginer que
l'auteure a senti vivement son état actuel de «vieillesse» et les approches du dernier moment.
Mais ce ne sont ni la peur, ni le désespoir, ni le regret qui remplissent les pages ; par contre c'est
la sérénité, la placidité ou la tranquillité de l'auteure vis·à·vis de sa vieillesse et de sa propre
mort.
D'où vient cet état d'âme et de paix profonde? C'est notre deuxième point de vue. Cet appel
aux petites-filles, « Quand toutes deux vous comprendrez tout à fait sans qu'on vous aide, je n'y
serai peut·êt:re plus. Souvenez-vous alors de la grand-mère qui vous adorait», ne laisse aucune
trace de tristesse ou de découragement. Nous retrouvons plutôt les grands espoirs de f auteure,
qui se réjouit et se réjouira toujours de voir grandir ses petits-enfants.
George Sand manifeste clairement son idée de « métempsycose » dans les Contes d'une
grand-mère, surtout dans «Le Chien et la fleur sacrée». Toute chose ne dure qu'un moment.
Mais une fois morte, elle renaît ou se métamorphose. Elle écrit que : « Toute chose est un
Impressions et souvenirs, p.233.
u George Sand, « Le Nuage rose » in Cont:es d'une grand·inère, Présentation par Béatrice Didie::r; GF
Flammarion, 2004, p.117.
10
-79-
élément de transformation12. »L'écrivaine croit en la continuité de l'âme qui enchaîne des êtres
vivants en les transformant et en les faisant renaître. Cette idée est bien confirmée par la
phrase « il n'y a point de production possible sans destruction permanenteia » trouvée dans « La
Fée Poussière». Selon cette manière de penser, la mort n'existe plus, car, comme Eve Sourian
l'indique dans la préface de Impressions et Souvenirs, « l'éternelle destruction préside à la
reconstruction sous un autre mode14. »
George Sand écrit dans un article VII des lm.pressions et Souvenirs: « toutes les
impitoyables notions de ce monde changent d'aspect et même perdent entièrement leur sens
devant les éclairs d'une notion idéale15 . » «La mort n'est plus, elle est la vie renouvelée et
puri:fiée 16 ». Il nous semble très important qu'une expression comme « les éclairs d'une notion
idéale», surtout le terme «idéal» ici apparaisse. '!butes les choses changent d'aspect et perdent
même leur valeur, mais la notion idéale toute seule se tient solidement. La mort n'est plus un
désespoir après la destruction. Elle est « la vie renouvelée et purifiée ». Quelle distance entre
Lélia, qui s'était crue vieillie parce qu'elle avait le cœur brisé, et George Sand vieillie dans la vie
réelle! Ayant souffert du grave désaccord entre le réel et l'idéal, l'époque du« mal du siècle»
avait finalement abouti à perdre son idéal. George Sand l'a retrouvé après avoir vécu des
années de tristesse, la mort des personnes aimées. C'est ce qu' Impressions et Souvenirs nous
apprend. La fin de l'article XIV« Entre deux nuages», rédigé et paru au mois de décembre 1872,
est alors très impressionnante:« L'homme, quelque philosophe ou résigné qu'il soit, n'a jamais
sujet d'être content sur la terre, et l'on comprend bien qu'il ait toujours aspiré à trouver un
refuge dans quelque paradis arrangé à sa guise17 ». Dans l'esprit de George Sand vieillie, la
quête du paradis et de l'idéal s'impose toujours.
W.
A la fin de cette étude, nous examinons les nœuds solides de l'amour qui unissent la
grand·mère vieillie et les petites-filles encore très jeunes. Il est évident que Sand a écrit Contes
dJune grand-mère pour ses petites-filles, Aurore et Gabrielle. Elle met des dédicaces, adressées
à Aurore ou à Gabrielle, à la tête de presque tous les contes. Mais son style varie : dans la
première série, c'est·à·dire depuis« Le Château de Pictordu »jusqu'à« Le Géant Yéous », elle a
posé quelques lignes de dédicace pour chaque conte, tandis que, dans la deuxième série, elle ne
garde pas forcément cette habitude. Pour « Le Chêne parlant », le premier conte de la deuxième
série, Sand a mis les mots : «A Mademoiselle Blanche Amie ». Ensuite, pour le deuxième conte
de cette série,« Le Chien et la fleur sacrée», l'auteure a indiqué seulement «A Gabrielle Sand»
i2
13
14
15
16
17
«Le Chien et la fleur sacrée », p.316.
« La Fée Poussière », p.401.
Préface écrite par Eve Sourian pour Impressions et Souvenirs, Des femmes, 2005, p.23.
Impressions et souvenirs, p.168.
Ibid, p.168.
Ibid, p.318.
-80-
et «AAurore Sand». D'ailleurs, il n'y a pas de dédicace dans les contes suivants.
Mais, à la place de dédicace, un «je», qu'on peut identifier comme étant celui de l'auteure,
parle à « vous », Aurore et Gabrielle. Le début de « Ce que disent les fleurs » nous paraît un cas
typique. Ce conte commence ainsi : « Quand j'étais enfant, ma chère Aurore, j'étais très
tourmentée de ne pouvoir saisir ce que les fleurs se disaient entre elles 18 • » Ce «je » est
évidemment George Sand elle-même et « ma chère Aurore » est sa petite-fille. Ce qui nous
semble intéressant, c'est que la grand-mère dont le prénom est également Aurore raconte son
histoire d'enfance à une autre Aurore qui est encore petite. Certes, ce conte débute par le «je »
de la vieille dame, c'est·à·dire George Sand vieillie, mais à mesure que le récit avance, le
contenu de ce «je » se transforme. Depuis cette phrase : «Un soir, je réussis à me coucher sur le
sable et à ne plus rien perdre de ce qui se disait auprès de moi dans un coin bien abrité du
parterre.», le «je» n'est plus George Sand vieille, mais le «je» qui comprend ce que disent les
fleurs, la George Sand en son enfance. L'Aurore vieillie du présent est remplacée par la petite
Aurore du passé : c'est ce qui se passe ici. D'ailleurs, cette petite Aurore, George Sand elle·même,
est presque équivalente à la petite Aurore, sa petite·fille.
Dans la présentation pour Contes d'une grand-mère de l'édition Flammarion, Béatrice
Didier indique :
Ainsi se trouve suggéré l'enchaînement des paroles de grand·mère : chacune se souvient
de son enfance et transmet le message à la jeune génération. Voix immémoriale des
aïeules 19 •
C'est toujours Béatrice Didier qui fait cette remarque dans son article nommé « Le génie
narratif des Contes» : «elle [=la narratrice] est fhéritière d'une lignée d'enfants devenues
conteuses à leur tour, dans un passé immémorial, ce passé où les chênes parlent20 ». Cette
alternance de deux Aurore, l'une jeune et l'autre vieille, signifie que la petite Aurore qui écoute
le récit de sa grand-mère va raconter un jour son histoire à ses propres petits·enfants. Cet
enchaînement des générations forme une sorte de continuité solide des souvenirs et des espoirs.
Ce que nous voulons ajouter comme point significatif, c'est que la raconteuse O.a
grand ·mère) et les auditrices (les petites-filles) sont de sexe féminin, les unes et les autres. De
plus, il y a une grand-mère et des petites-filles ici, mais la mère est absente. Alors, qu'est-ce qui
pourrait les unifier avec une telle fermeté ? Y-a-t-il des points communs particuliers entre la
grand-mère et la petite-fille ?
Kiyomi Eguro, faisant des recherches sur la littérature japonaise moderne, notamment sur
les romans des femmes écrivaines, donne à son livre un titre très suggestif: Lieu sa.cré réservé
1s « Ce que disent les fleurs », p.374.
19 Préface écrite par Béatrice Didier pour Contes d'une grand-mère, GF Flammarion, 2004, p.XI.
20 Béatrice Didier,« Le génie narratif des Contes» in Littérature, no.134, Larousse, 2004, p.112.
-81-
pour la petite fille et la vieille dame. Selon son analyse, la petite fille et la vieille dame peuvent
partager des choses « sacrées », en s'écartant de la phase de «la femme »21. Le point commun
essentiel, èest que la petite fille et la vieille dame sont, d'après ses recherches, libérées de la
conscience de la sexualité et de la fonction de reproduction.
Quant aux contes de George Sand, ce qui se sert de «lien sacré »entre elles, c'est la faculté
de ressentir le « merveilleux». Comprendre ce que disent les fleurs, «rester à savoir où sont les
être surnaturels, les génies et les fées22 », ressentir l'existence du «merveilleux» qui est la
beauté et la nature même; c'est ce que partagent la grand·mère et la petite fille, et la
grand·mère, raconteuse, f.ait réveiller ce pouvoir potentiel chez les enfants, porteurs par
excellence du futur. La fin de « Le Marteau rouge » nous montre clairement les idées de George
Sand juste avant la fin de sa vie :
La vie se sert de tout, et ce que le temps et fhomme détruisent renaît sous des formes
nouvelles, grâce à cette fée qui ne laisse rien perdre, qui répare tout et qui recommence
tout ce qui est défait. Cette reine de fées, vous la connaissez fort bien : c'est la nature23.
Le « vous » de cette phrase sont toujours ses petites-filles ou plutôt toutes les petites filles
qui lisent ce conte. « La Fée poussière » se termine ainsi :
Elles sont la mort après avoir été la vie, et cela n'a nen de triste, puisqu'elles
recommencent toujours, grâce à moi, à être la vie après avoir été la mort. Adieu. Je veux
que tu gardes un souvenir de moi24.
Cela nous paraît être les dernières volontés de George Sand. Ce «je » d'ici n'est pas elle
mais la fée poussière. Mais il serait possible d'identifier ce «je » avec f auteure elle·même, car
les idées exprimées ici vont supporter f épreuve du temps, transcrite dans ces contes. L'idéal que
George Sand pouvait porter dans son dernier temps de vie, c'était la croyance en cette
continuité, réternité en quelque sorte. Son écriture peut ainsi nouer le début et la fin, ou plutôt
la naissance et la mort. Comment vieillir ? : la vieillesse idéale ou fidéal d'une George Sand
vieillie ? Cette qu,estion a été notre point de départ. Notre réponse, c'est relayer des espérances
qui peuvent se produire aux nœuds du temps, de génération en génération.
2 1 Kiyomi Eguro, Lieu sacré réservépour la petite fille et la vieille dame, Gagugei Shorin, Tokyo, 2012 (livre écrit
en japonais).
22 « Le Château de Pictordu », p.9.
23 «Le Marteau rouge», p.393.
24 « La Fée poussière », p.405.
-82-
文献一覧
女使用テクストおよび引用文献
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