※報道発表資料に関するお問い合わせ先 奈良国立博物館 学芸部 情報サービス室 Tel 0742-22-4463 平成 28 年 8 月 5 日 Fax 0742-22-7221 奈良国立博物館 第68回 正倉院展 The 68th Annual Exhibition of Shōsō-in Treasures 報道発表資料 [1]主 協 催 奈良国立博物館 賛 岩谷産業、NTT西日本、キヤノン、京都美術工芸大学、近畿日本鉄道、 JR東海、JR西日本、ダイキン工業、大和ハウス工業、白鶴酒造、 丸一鋼管 特別協力 読売新聞社 協 力 NHK 奈良放送局、奈良テレビ放送、日本香堂、仏教美術協会、 ミネルヴァ書房、読売テレビ [2]会 期 平成 28 年 10 月 22 日(土)~11 月 7 日(月) 全 17 日、会期中無休 開館時間 午前 9 時~午後 6 時 ※金曜日、土曜日、日曜日、祝日(10 月 22 日・23 日・28 日~30 日、 11 月 3 日~6 日)は午後7時まで ※入館は閉館の 30 分前まで [3]会 場 奈良国立博物館 東新館・西新館 [4]観覧料金 当日 一般 前売/団体 オータムレイト 1100円 1000円 800円 高校・大学生 700円 600円 500円 小・中学生 400円 300円 200円 親子ペア ― 1100円(前売) -1- ― ※前売券の販売は、9月7日(水)から10月21日(金)までです。 ※親子ペア観覧券は、一般1名と小・中学生1名がセットになった割引観覧券です。前売のみで、販売は主 要プレイガイド、コンビニエンスストア(一部)に限ります。 ※観覧券は、当館観覧券売場のほか、主要プレイガイド、コンビニエンスストア(一部)等にて販売予定 です。 ※団体は責任者が引率する20名以上です。 ※オータムレイトチケットは、閉館の1時間30分前以降に使用できる当日券です(当館当日券売場のみで 閉館の2時間30分前から販売します)。 ※障害者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料です。 ※奈良国立博物館キャンパスメンバーズ会員の学生の方は、当日券を400円でお求めいただけます。 [5]出陳宝物 64 件(北倉 10 件、中倉 29 件、南倉 22 件、聖語蔵 3 件)、 うち初出陳 9 件 ※出品一覧表は別紙 [6]展覧内容 ほくそう ちゅうそう なんそう しょうごぞう 本年の正倉院展には、北倉10 件、中 倉 29 件、南倉22 件、聖語蔵3 件の、合わせて 64 件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳は 9 件です。例年通り正倉院宝物の概要がわか るような構成ですが、 本年も宮内庁正倉院事務所による最新の調査成果を反映した内容に特 色がみられます。また正倉院正倉の整備事業の完了を受け、宝庫や宝物の来歴を伝えるよう な宝物も出陳されます。 つと しっ こ へい 聖武天皇ゆかりの北倉からは、 シルクロードの遺風を伝える名品として夙に有名な漆胡瓶 とりきいしきょうけちのびょうぶ が、正倉院展では 18 年ぶりに出陳されます(※)。また鳥木石夾纈屏風は、聖武天皇のお そば 側近くにあった屏風で、花鳥を愛でた当時の宮廷生活が垣間見られる宝物です。 さ いえ だいばん かんじょうばん また、本年は聖武天皇一周忌斎会で懸吊された大幡(灌 頂 幡)に関連する宝物がまとま って出陳されるのも注目されます。大幡は総長 13~15 メートルに及ぶと考えられる巨大な ほ うえ 幡で、多数の幡が法会の場を華やかに飾ったと考えられます。今回は幡の本体、脚、脚先の きれ 飾り、芯に使われた裂が出陳され、その全容が想像されます。 ところで、本年は多種多様な金工品が出陳されるのも注目されます。宝庫に伝わった奈良 ちゅうぞう 時代の銅銭、唐と日本の鏡、合金に用いられる金属のインゴットなどの鋳 造 に関係する品 へい だつ う しょう へいだつのほうおうのかしら 々、あるいは漆胡瓶と同じく平脱技法が用いられた竽、 笙 、平 脱 鳳 凰 頭 などの装飾性豊 かな器物類、そして目にも美しい様々な飾り金具など、金属と古代の日本人の関係にも思い を馳せていただければ幸いです。 -2- しゃく ぞ うげ このほか、素材の異なる 3 種の 笏 や、高度な技法で作られた象牙の櫛、近時の調査で染 色材料が判明した愛らしい鳥形の飾りなど、天平の技と風俗にもご注目下さい。 ※公開は、御即位 20 年記念特別展「皇室の名宝」(東京国立博物館 平成 21 年)以来、 7 年ぶり [7]主な出陳宝物(解説は後掲) 1 北倉 44 鳥木石夾纈屏風(とりきいしきょうけちのびょうぶ) 2扇 2 北倉 43 漆胡瓶(しっこへい) 1口 3 北倉 170 出入帳(しゅつにゅうちょう) 1巻 4 中倉 158 楩楠箱(べんなんのはこ) 1合 5 中倉 177 粉地金銀絵八角長几 1基 (ふんじきんぎんえのはっかくちょうき) 6 南倉 109 笙(しょう) 1管 7 南倉 184 大幡残欠(だいばんざんけつ) 1旒 8 南倉 185 大幡脚(だいばんのあし) 1条 9 南倉 180 浅緑地鹿唐花文錦大幡脚端飾 1枚 (あさみどりじしかからはなもんにしきのだいばんのきゃくたんかざり) 10 南倉 174 銀平脱龍船墨斗(ぎんへいだつりゅうせんのぼくと) 1口 11 南倉 8 磁皿(じざら) 1口 12 中倉 195 唐草文鈴(からくさもんのすず) 10 口 13 南倉 174 アンチモン塊(あんちもんかい) 1箇 14 中倉 123 牙櫛(げのくし) 3枚 15 中倉 118 撥鏤飛鳥形(ばちるのひちょうがた) 3枚 16 中倉 20 続々修正倉院古文書 第四十六帙 第八巻 1巻 (ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ) -3- [8]公開講座 正倉院、正倉院宝物に関する公開講座を会期中に開催致します。 詳細は別途公表します。 [9]関連イベント ■正倉院学術シンポジウム 2016 テーマ「正倉院正倉」 11月3日(木・祝)13:00 於・東大寺総合文化センター金鐘ホール 内容、パネラー、スケジュール等の詳細は別途公表致します。 その他の催しについては、決まり次第別途公表致します。 [10]特別展示 正倉院宝庫の瓦 一昨年整備工事の完了した正倉院正倉(宝庫)に使用されていた瓦を、その調査成果と合 わせて公開します。 [11]問い合わせ 奈良国立博物館 Nara National Museum 〒630-8213 奈良市登大路町50(奈良公園内) 電話 ハローダイヤル 050-5542-8600 FAX 0742-22-7221(学芸部) ホームページ(URL) http://www.narahaku.go.jp/ 〈交通案内〉近鉄奈良駅下車徒歩約15分 またはJR奈良・近鉄奈良駅から市内循環バス外回り 「氷室神社・国立博物館」下車すぐ -4- [7]主な出陳宝物 ※単位は、寸法=センチメートル、重量=グラム 1 北倉 44 とり き いしきょうけちのびょうぶ 鳥木石 夾 纈 屏風(板締め染めの屏風) 2 扇 [出陳番号 5] [第1扇]縦 148.7 横 53.7 本紙縦 141.1 横 44.7 [第2扇]縦 148.7 横 53.7 本紙縦 138.3 横 47.7 こ っ か ちんぽうちょう びょうぶ じょう 『国家 珍 宝 帳 』に記載される屏風100 畳 のうち、 「鳥木 石夾纈屏風九畳」と記されるものに該当すると考えられる きょうけち 屏風の 2 扇分。夾 纈 の技法で、大樹の下に、石に乗って お な が どり 見返る尾長鳥(キジ族)や草花、飛雲を表している。夾纈 とは板締め染めの一種で、対になる 2 枚の版板に図様を彫 ふ はく り込み、一般には折った布帛を板に挟んで、染料を注いで 第2扇 第1扇 もんよう 染める染色技法で、板に挟まれていた部分が白く染め抜かれる。左右対称の文様が染め出さ あしぎぬ れるのが特徴であるが、本品では 1 幅の 絁 を折らずに染め、表裏を返して、2 扇合わせて 対称の図様となるように作られている。 くちばし 本品は夾纈で図様を染め出した上で、鳥の輪郭や羽毛を白で、目や 嘴 を墨で加筆し、第 がんりょう 1 扇では大樹の左右に、蝶と蜂を墨で描いている。また尾羽は赤い顔 料 で着色されている。 図様はペルシアで流行した樹下鳥獣文の系譜を引くと考えられるが、中国・唐で行われた じゅ せ き が 花鳥・樹石画の伝統の上に表されたものであり、絁を用いることから、わが国で製作された ものと考えられる。屏風の画題には、山水や鳥獣を表したと思われるものが多く、当時の好 しょうぼうねんじょきょう みが知られる。一方、これを仏教的な文脈で解釈し、『正 法 念処 経 』を典拠として、鳥の 屏風を、 天界に転生して天となった聖武天皇に自省を促す機能を果たしていたと解釈する説 も近年提示されている。 2 北倉 43 しっ こ へい 漆胡瓶(ペルシア風の水差し) 1 口 [出陳番号 6] 高 41.3 胴径 18.9 -5- ちゅうこう だいきゃく と って 丸く張った胴部に鳥の頭を思わせる 注 口をのせ、裾広がりの台 脚 と湾曲する把手、及び すいびょう 蓋上部と把手を繋ぐ銀製の鎖を備えた水 瓶 である。テープ状にした木の薄板を巻き上げる けん たい き じ くろうるし もんよう 巻胎技法によって素地を成形し、全体に黒 漆 を塗った上に、文様の形に切り透かした銀の ぎん へい だつ 薄板を貼る銀平脱の技法で加飾する。 細かな線刻を施した銀板は山岳や草花、 鹿、オシドリ、 きんじゅう 蝶などをかたどり、広々とした草原に禽 獣 が遊ぶ様子を表している。 こ っ か ちんぽうちょう 本品は『国家 珍 宝 帳 』記載の品で、「漆胡瓶一口 銀平脱花鳥形 銀細鏁連繋鳥頭蓋 受 三升半」と記される。 「胡」は唐代においては西域のペルシア地方を指す語で、また本品の 器形はイラン周辺から出土する金銀器やガラス製品に見られる。西方に由来する器形と、東 アジアで編み出された巻胎技法・漆芸技法とが融合し、中国・唐で製作されたとみられる本 品は、まさに当時の国際的な交流の産物といえる。 部分 3 北倉 170 しゅつにゅうちょう 出 入 帳 (宝物出入の記録) 1 巻 [出陳番号 7] 本紙縦 28.8 全長 644.6 軸長 35.9 宝庫北倉の宝物について、倉からの もんじょ 出入を記録した文書。天平勝宝 8 歳(756)10 月 3 日に薬物の人参を施薬院へ出蔵した時 おう ぎ し から始まり、延暦 3 年(784)3 月 29 日に王羲之の書法 8 巻が返納されるまでの記録を年 おうらいじく 次順に整理する。軸の上端に書き込み用の作り出しを設けた往来軸が巻首に付いており、通 常の文書とは異なる逆巻きとなって、順番に書き足していったことが分かる。往来軸はスギ -6- 製で、表裏にそれぞれ「雙倉北物用帳」 「東大寺 天平勝宝八歳始」と墨書する。 おうようじゅん しんせきびょうぶ どうきょう 天平宝字 6 年(762)12 月 14 日には、欧 陽 詢 の真跡屏風12 扇が道 鏡 のもとに貸し出 され、2 年後の 7 月 27 日に返却されたことが記されており、これは宮中以外への最初の出 蔵として注目される。 ろう べん じ くん はっ しん こ まの ふく しん かずらきの へ ぬ し 文中には良弁や慈訓、法進といった高僧や、巨万(高麗)福信、葛 木 戸主ら『国家珍宝 帳』にも名を連ねた官人の自署もみられる。 4 中倉 158 べんなんのはこ 楩 楠 箱(献物箱) 1 合 [出陳番号 9] 縦 26.7 横 30.0 総高 15.0 ぼ さつ けんのうひん 仏・菩薩への献納品を納めて仏前に進めるのに使用 したと考えられる箱を献物箱という。本品はクスノキ いんろうぶたづくり 材製で、蓋の側面が身の側面と同一面となる印籠 蓋 造 は の箱である。 天板及び底板は中央で矧ぎ合わせる二枚矧ぎで、ほぼ方形に近い長方形をなし、 すみ まる おお めん とり もく り 角は角丸、蓋は大面取して簡潔な器形を作り出す。蓋と身の木理が連続していることから、 ひ しょうきゃく さ す 箱形を挽き割って蓋と身に分けて成形したと思われる。なお 床 脚 と箱の一部、正面の鏁子 は明治期の新補である。 べん なん たま もく 楩楠は玉杢ともいい、 クスノキの根元に近いこぶになった部分や土中の根を製材したもの しょうがん で、木理が複雑に交差する珍材として今日まで賞 翫 されてきた。この楩楠をふんだんに用 いた本品は、木理の霊妙な美しさが特筆される品である。 5 中倉 177 ふん じ きんぎんえの はっかくちょうき 粉地金銀絵八角長几(献物用の台) 1 基 [出陳番号 12] 縦 28.8 横 44.7 高 10.2 ぼ さつ けんもつ 仏・菩薩に捧げる献物を載せた台。ヒノキ ちょうはちりょうがた け そく 材製で、長 八 稜 形 の天板に、華足と呼ばれ -7- ぎん でい る植物をかたどった脚 6 本を接着剤で取り付ける。天板の側面には、白地に銀泥で草花文 きんでい れんじゅもん を表し、随所に飛鳥が描かれる。下縁には金泥で連珠文が配されている。天板の上面は、縁 ろくしょう を白く塗り、中央では緑 青 を重ねて淡緑色としている。華足には白地に銀泥で筋が描かれ ている。 ぼくしょ 天板上面と裏に墨書があり、上面には個数を示すかと思われる「九」、裏面には「東小塔」 じっちゅう と、別筆で「御餝」と記されている。「東小塔」とは、神護景雲元年(767)に、実 忠 (726 ~?)が創建し、百万塔を安置した東小塔院のことを指すと思われ、本品は同院にて使用さ れたものと考えられる。 さいしき 彩色に使用された各色の対比が美しく、天板側面に施された彩絵は丁寧で、愛らしい雰囲 気を湛えている。 6 南倉 109 しょう 笙 (管楽器) 1 管 [出陳番号 19] 総長 57.7 壺径 6.8 笙は中国で古くから使われていた管楽器で、わが 国には 7 世紀末に伝わったという。当初は大小 2 う 種あり、大型で低音のものを竽といった。木製の壺 に長さの異なる 17 本の竹管を挿しこみ、竹管の中 部分 程に帯を巻いて固定する。奈良時代の笙は、壺にパ イプ状の長い吹管を装着する点が現行のものと異なるが、本品の吹管は失われている。 げ は ん ちく 宝庫には 3 管の笙が伝わる。本品は竹管と帯に、竹に人工的に斑文を描き出した仮斑竹を くろうるしぬり もんよう 用いる品である。木製黒 漆 塗 の壺には、文様の形に切り透かした銀板を貼り、その上から は ぎん へい だつ がんじゅ 全面に漆を塗布し、後に文様部分の漆を剝ぎ取る銀平脱という技法を駆使して、側面に含綬 ちょう 鳥 、草花、腰掛けて笙を奏する人物、底面には向かい合う 2 羽の含綬鳥を表している。底 ほう え 面と竹管の 1 管に「東大寺」の刻銘があり、東大寺の諸法会で用いられた楽器とわかる。 -8- 7 南倉 184 だいばんざんけつ 大幡残欠(大型の染織幡) 1 旒 [出陳番号 20] 長 458 身幅 90 ふ はく ばんとう ばん しん ぜつ ばんしゅ 大型の布帛製の幡。幡頭と幡身の一部が残存し、幡頭には舌が、幡身には幡手 つぼ が残るものの、もと6坪あったと考えられる幡身は中途で失われている。当初 ばんきゃく きゃくたん はこれに幡 脚 と脚 端 飾りが付き、総長は東大寺大仏に匹敵する 13~15 メー トルに及んだと推測される。これらは天平勝宝 9 歳(757)に東大寺で執り行 さ いえ ほ うえ われた聖武天皇の一周忌斎会にて法会の場を飾ったものとみられ、少なくとも りゅう 10 旒 が存在したと推定されている。 本品は、各種の錦と綾を組み合わせて作られた華麗な染織幡。幡頭の縁や舌、 くみひも さい もん 幡手などには組紐が使用されている。幡身の各坪には花形の裁文が配され、四隅には花文の きれ あわせ あしぎぬ 縁が覗いている。表裏から裂を寄せた 袷 仕立てで、芯には 絁 が挟まれている。また形状 を保持するため、補強として、幡身の上下縁に加え、坪界にも薄板が込められている。 本品は他の大幡の部材に残る銘文により、 「灌頂幡」の一部であったと考えられる。かつ こんどうかんじょうばん てんがい ては法隆寺献納宝物中の金銅 灌 頂 幡(国宝、東京国立博物館所蔵)のように天蓋を伴って いた可能性も指摘されているが、 現在のところ宝庫の大幡に附属するとみられる天蓋は特定 されていない。 錦や綾、組紐など、多様な染織技法を駆使して作られた豪奢で巨大な幡は、わが国に花開 いた天平文化の精髄を伝えるにふさわしいといえよう。 8 南倉 185 だいばんのあし 大幡 脚 (大幡の脚) 1 条 [出陳番号 21] 長 190 幅 45 りゅう 大幡には1 旒 につき、12 条の脚が少しずつずらしながら重ねられていたと 推測されている。推定される脚 1 条分の長さは 6m を超えると考えられ、いず ひ とえ うんげんぞめ あしぎぬ れも継ぎのない 1 枚の一重の綾で、左右の端には暈繝染の 絁 の縁裂が縫い付 -9- さい もん けられている。表裏両面には諸色の綾を用いた花形裁文と半切した花形裁文が交互に配置さ れており、一層華麗に装飾を加えている。 ぶ ど う からくさもん 本品は大幡脚のうちの 1 条で、異国情緒のある葡萄唐草文を織り表した赤色の綾地に、 もんよう 同じく葡萄唐草文を織り表した黄綾の花形裁文と、雲の間に飛鳥を散らした文様の紫綾など を用いた半切花形裁文を飾っている。本品は裁文が交互に配置されるに至らず、長大な脚の 一部分に過ぎないが、それでも長さは 2 メートル近くあり、巨大な染織幡を彷彿させるの に十分といえる。 はなだ なお、本年は、黄、紫、 縹 色の地裂で作られた大幡脚も合わせ、計 4 条の大幡脚が出陳 される。 9 南倉 180 あさ みどりじしか から はな もんにしきのだいばんのきゃくたんかざり 浅緑地鹿唐花文 錦 大 幡 脚 端 飾 (大幡の脚のかざり) 1 枚 [出陳番号 26] 縦 43.5 横 46.5 大幡の脚の先に付けられた飾り。上辺を花形に裁った同文 きれ だいばんのあし 同色の 2 枚の裂を合わせて大幡 脚 を挟んでいたもので、現在 も脚に用いられた緑綾の一部が覗いている。外周には紫地に ぬきにしき 小花文を織り表した緯 錦 を用いて幅広の縁を付け、内周には あしぎぬ 紫 絁 の細幅の縁を付けていた痕跡がうかがえる。表裏に用 いられた錦は浅緑の地に、白・黄・褐色・紫・濃緑の 5 色を もんよう 用いて文様を織り出した緯錦で、中央に花文に囲まれた 1 頭の鹿を主文として配し、副文 ぐ はなびしもん として五の目に花菱文を置いている。主文と副文を五の目に配置する錦の文様は正倉院の染 織品に多くみられるが、本品は和様化が進んでおり、唐花文が単純化し、変容していく様が うかがえる。 大幡の偉容を伝える巨大な脚先飾りでありながら、わが国の好みに傾いた穏やかな雰囲気 を湛えており、製作年代も確かめられることから、わが国の染織品の展開を捉える上で重要 な作例の一つに位置づけられる。 - 10 - 10 南倉 174 ぎんへいだつりゅうせんのぼくと ぞうがん すみ つぼ 銀平 脱 龍 船墨斗(象嵌装飾の墨壺) 1口 [出陳番号 29] 長 29.6 高 11.7 船の幅 9.4 すみ つぼ りゅうとうがた 船形の墨壺で、龍 頭 形 の装飾を付け る。現在糸車や、船体部両側、鼻先、尾部等を欠失するが、概ね当初の形状を保持している。 き よ ぬのきせ くろうるし 広葉樹材製で、龍頭部分は材を細かく木寄せし、布被をした上で下地を施し、黒 漆 を塗っ えんたん ている。白目部分と耳穴には朱と鉛丹が塗られ、黒目部分には金箔が一部に残る。龍頭部分 はなびしもん と船体の上半には多数の斑文が散らされ、船体の下方には整然とした花菱文が 7 箇表され はりつけひょうもん ている。これらはいずれも銀の薄板を用いて後年の貼付 平 文のような技法で表したもので はくらく あるが、龍頭先端の一部を除いてほとんど剝落している。龍の口と船体部の間には糸を通す うが ための小孔が穿たれており、 船底部後方にはバランスを取るための鉛板が埋め込まれている。 墨壺としては大型で、 魚獣の頭部を表した船をかたどり、入念に装飾が施されることから、 儀式に使用された可能性が高い。 なお、龍頭船に似るためこの名が付されているが、仏教美術に表される想像上の怪魚・マ カラ(摩竭魚)を表したとする説もある。 11 南倉 8 じ ざら に さい 磁皿(二彩の大皿) 1 口 [出陳番号 31] 口径 31.3 底径 26.3 高 5.6 に さい ゆう 二彩技法で加飾された大型の皿。白色釉のみを施 まだら す底裏を除き、白色釉と緑釉を 斑 に塗って焼き上 ゆう り ひ だすき げている。外側面の釉裏には、素焼きの際の火 襷 が 表れている。縁が立ち上がった平たい鉢形の容器 こうだい で、低い高台が付く。見込みには浅く円形が刻され、見込み及び底裏の中央に各 1 箇所ず つトチン痕が遺っている。底裏に「戒堂院聖僧供養盤 天平勝宝七歳七月十□日 東大寺」 - 11 - ぼくしょ の墨書があり、天平勝宝 7 歳(755)7 月 19 日に行われた、聖武天皇の生母である中宮・ ふじわらのきゅうし さ いえ しょうそう く よ う じき さ ほ う 藤 原 宮子の一周忌斎会にて、 聖 僧供養の食作法に用いられたものとみられる。 ろ くろ 正倉院宝庫に伝わる磁皿は、いずれも焼成温度の低い陶器で、轆轤の回転方向が中国・朝 き じ せ ゆう もんよう 鮮半島とは逆になることや、生地のきめの粗いこと、施釉や文様表現が素朴で、緑釉が主体 となることなどから、いずれもわが国で焼成されたものと考えられている。 わんがた なお、本年は本品とは別に、底が平たく、縁が円く立ち上がる盆形の皿と、やや深い碗形 の皿の 2 件が出陳される。 12 中倉 195 からくさもんのすず 唐草 文 鈴(かざり金具) 10 口 [出陳番号 36] 径 1.4~3.2 宝庫には多数の鈴や鈴形の玉が伝わる。明治期 以降の宝物整理において、同じ形のものを銅線な どで括って一括保存がなされた。大きさや形状は こ ま がく 多種あり当初の用途を確定するのは難しいが、高麗楽において楽器として用いられたほか、 ばん け まん てんがい しょうごん ぐ 幡や華鬘、天蓋など仏殿の荘 厳 具に付けられたと考えられる。 本品は鈴や玉類の中でも最も数が多いもので、728 口を数える鈴のうちの 10 口を銅線で と きん つば ちゅう ろう づ 繋いでいる。銅に鍍金を施した球体の中央に鍔をめぐらし、上部には 鈕 を鑞付けして、下 わに ぐち よう な な こ じ からくさもん 半部は鰐口様の口を開けている。鈴身全体には魚々子地に唐草文を線刻している。鈴身の内 てつ かい 部には不整形の鉄塊を入れており、かつては涼やかな音を響かせていただろう。 13 南倉 174 かい アンチモン塊(アンチモンのインゴット) 1 箇 [出陳番号 48] 幅 8.4 厚 4.5 重 1088 アンチモンは金属の一種(記号 Sb、原子番号 51)で、 白銀色の光沢があり、もろく、毒性がある。15 世紀頃、西 - 12 - れんきんじゅつ 洋における錬 金 術 時代に元素として知られるようになり、ヨハネス・グーテンベルク(1397 ~1468)による金属活字をはじめ、主に合金に用いられてきた。現在は半導体など電子材 料の用途として重要である。 ふ ほ ん せん アンチモン化合物は古くから世界各地にあり、わが国の最古の銭とされる富本銭は、アン しょくにほん ぎ い よ チモンが含有することで知られる。また『続日本紀』によれば、文武天皇 2 年(698)に伊予 びゃくろう 国が「 𨭛」を献じたとあり、これはアンチモンと考えられる。 ちゅうかい はくどうかい 本品は金属の 鋳 塊(インゴット)である。白銅塊と呼ばれてきたが、蛍光エックス線と かいせつ エックス線回折による調査の結果、白銅すなわち高錫青銅ではなくアンチモンと判明した。 上面がかまぼこ形をした六面体で、一部に破断面を呈する。この破断面は金属光沢を示す箇 かい めん 所もあるが、他の面は黒灰色で一部は表面が海綿状に溶解してそのまま凝固している。金属 材料史上、興味深い品である。 14 中倉 123 げの くし 牙櫛(象牙の櫛) 3 枚 [出陳番号 49] 各長 10.2 宝庫に伝わる 3 枚の櫛。同形同大で ぞ うげ ひ いずれも象牙製の横形の櫛である。それぞれ 124 本(写真)、125 本、129 本の歯を挽き 出しており、1 センチメートルあたり 10 本以上の細かな歯が作られていることから、毛髪 すきぐし の表面を一定方向に整える梳櫛として用いられたものとみられる。極めて高い技術がふるわ はくさいひん れた本品は、中国からの舶載品と考えられる。 奈良時代の櫛は、古墳時代までの竪長の櫛に代わり横形のものが圧倒的に多くなり、素材 まんようしゅう はツゲやイスノキが用いられた。『万 葉 集 』にはツゲ製の櫛が歌われたものが数首収めら へいじょうきゅうせき れており、また 平 城 宮 跡の出土品にもツゲ製で横櫛のものがある。象牙は当時から貴重品 けんのうひん であり、本品は 3 枚の櫛がまとまって伝わっていることから考えると、高位の人物の献納品 であったと推測される。 - 13 - 15 中倉 118 ばちるのひちょうがた 撥鏤飛鳥形(染め象牙の鳥形かざり) 3 枚 [出陳番号 55] 長 3.1 ぞ うげ す おう 翼を広げて飛ぶ鳥をかたどった象牙製の細工物。1 羽は藍色に、2 羽は蘇芳色に染められ もんよう ている。小品ながら目や脚を作り、羽毛を、染めた象牙の表面を彫って白く文様などを表す ば ちる あな うが 撥鏤の技法で表現している。目は孔を穿ち、脚にも孔を 2 つ貫通させている。蘇芳染めの うちの 1 羽の脚には、わずかに紐が残存しており、紐を通して使用したことがうかがわれ こ ぎ れ じんかい くちばし る。なお、古裂塵芥(中倉 202)中に、 嘴 と両翼を欠失するものの、同形のものが発見 かん されており、その脚には銀製の鐶が付くことから、同工であった可能性が考えられる。用途 は不明であるが、何らかの飾りとして用いられたものであろう。 か し ぶんこう し こん なお、近時行われた可視分光分析による調査で、藍色の染料は藍を、蘇芳色の染料は紫根 を使用していることが判明した。 16 中倉 20 ぞくぞくしゅうしょうそういん こ も ん じ ょ しゃきょうしの げ し な い おんびんのこと 続々 修 正 倉 院 古文書 第四十六帙 第八巻 〔写 経 司 解司内 穏 便 事 ほか〕 (写経所の上申書ほか)1 巻 [出陳番号 61] しゃきょうしょ もんじょ 経典の貸借や写 経 所 に関係する文書を貼り継いで成巻したもの。そのうち著名な文書に しゃきょうしの げ し な い おんびんのこと 「写 経 司 解司内 穏 便 事 」がある(解は上級の役所に提出する上申書のこと)。これは写経 を行う写経生の待遇改善を具体的に箇条書きにした内容で、紙が少なく書き手が多いので、 きょうし じょう い 紙が供給されるまで経師(書写係)の招集を停止すること、仕事着である 浄 衣が傷んだり 汚れてしまっているので、新しいものと交換したいということ、経師に毎月 5 日の休暇を - 14 - そうこう こうせい 与えること、装潢(装丁係)と校生(校正係)の食事を改善すること、机に向かっての仕事 のため、胸が痛く、脚が痺れるので、3 日に 1 度薬用に酒を支給すること、毎日麦を支給す ること、の6箇条の要求が記されている。なお、本文書は案文であり、これが浄書されて提 出されたかは定かでなく、実現したかはわからないが、写経生の労働環境とそれに対する不 満が垣間見える内容となっている。 ふじわらの な か ま ろ じ くん 本巻には、他に藤 原 仲麻呂政権下で仏教政策推進の要となった興福寺僧・慈訓(691~ しょうそうず しゅつにゅうちょう 777)の自筆文書などが収められている。なお、少僧都慈訓の名は 出 入 帳 (出陳番号 7) ろう べん にも、大僧都良弁と並んで記されているのが確認される。 - 15 -
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