本文は - 化学と生物

今日の話題
穀類を汚染するかび毒デオキシニバレノールの分解微生物
その利活用に向けて
やそのいく
ひとたび穀粒に蓄積すると調理や加工工程での除去は困
つかの類縁菌は,コムギ,オオムギ,トウモロコシなど
難となる.そのため農業生産現場で DON を直接分解す
の穂に感染し,穀類の最重要病害の一つである「赤かび
る技術の開発が望まれており,物理的,化学的および生
病」を引き起こす.発病した穂では穀粒の肥大化の阻害
物的分解法の研究開発が進められている.なかでも,
植物病原菌である
や穂枯れが生じるとともに,穀粒にかび毒が蓄積する
DON 分解微生物を用いた DON 分解法は,穀物の栄養成
(図 1A).本病の発生は世界中で報告され,その経済的
分への影響や環境負荷が少ないこと,および DON 代謝
被害は大きい.たとえばアメリカ合衆国ではかび毒を含
酵素の基質特異性により DON の選択的分解が可能と考
めた赤かび病による経済的損失は 1990 年代の 10 年間で
えられることから有望視されている(2).
30 億ドルにも及んだ.
DON 分解微生物(本稿では DON を部分的に代謝する
赤かび病の病原菌が産生するかび毒のうち,最も高頻
度に検出され汚染が問題となっているのはデオキシニバ
レノール(DON,図 1B)である.DON は真核生物リボ
ソームの 60S サブユニットに結合し,タンパク質の生
合成を阻害する.穀粒に蓄積した DON は,コムギの防
御応答系を抑制し,赤かび病菌の 感染拡大を助長す
(1)
微生物も含む)の研究としては,嫌気性細菌での解析が
先行しており,1997 年にウシのルーメンより
sp. BBSH 797 株が分離された(3).その後,ニワトリ
の腸から
目,
,
,
属の DON 分解細菌が,計 10 株分離されている(3).
これらの嫌気性 DON 分解細菌は DON を脱エポキシ化
る .また,人畜が比較的高濃度の DON を摂取する
し,毒性を低下させることが知られている.このうち,
と,嘔吐や下痢といった急性毒性症状が現れる.低濃度
BBSH 797 株は飼料中の DON 低減を目的とした飼料添
であっても,長期にわたる DON の摂取は成長抑制や免
加物としてすでに製品化されている(2).一方で,穀類に
疫機能の低下といった慢性毒性症状を引き起こす.日本
蓄積した DON の野外環境中での分解には好気性の DON
では一部のコムギが比較的高濃度に DON に汚染されて
分解微生物が関与すると考えられ,これらの微生物を利
いることが報告され,2002 年に厚生労働省によりコム
用した分解技術の開発が望まれる.DON はコムギにお
ギの DON 暫定基準値 (1.1 ppm)が設定された.基準値
いて赤かび病菌の感染拡大を助長することから,好気性
を超えた場合は出荷停止となる.
分解微生物を用いた栽培過程での DON 低減は,赤かび
コムギでの赤かび病菌の感染と DON の蓄積は収穫の
病発病の抑制という大きな副次的効果が期待できる.し
2 ∼ 3 週間前までは化学農薬の使用による抑制が可能で
かしながら,筆者らの研究開始時点において好気性
ある.しかしながら,それ以降の化学農薬の使用できな
DON 分解微生物に関する報告は土壌由来細菌の 1 例の
い時期にも赤かび病菌の感染と DON の蓄積が進行する
みに限られており(3),まずは多数の分解微生物を分離
ことが近年明らかとなってきた.また,DON は熱・化
し,分解能や分類,特性を解明する必要があった.ここ
学安定性が高く,たとえば 100℃でも分解しないため,
では分離された好気性 DON 分解細菌のユニークな系統
(A)
( B)
図 1 ■ 赤かび病被害粒に蓄積するデ
オキシニバレノール(DON)
(A)コムギの健全粒(左)と赤かび病
被害粒(右).写真のような被害粒は
通常 DON を含む.(B)DON の構造.
化学と生物 Vol. 51, No. 4, 2013
211
今日の話題
解細菌も DON の異性体である 3-
-DON を生成したが,
そのほかにも両細菌グループでは互いに異なる代謝産物
が検出され,異なる分解経路を有することが示唆され
た.以上から 2 つのグループの DON 分解細菌は独立に
DON 分解機構を進化させてきたと想定される.なぜ,
系統的に極めて限られたグループに属する DON 分解細
菌のみ分離されてきたのかはたいへん興味深い.これら
の分解細菌に特有の DON の取り込み機構や代謝酵素に
起因するのかもしれない.
分離された好気性 DON 分解細菌のうち,コムギ穂由
来の
図 2 ■ これまでに分離された好気性 DON 分解細菌株の分離源と
系統
属細菌については,汚染穀粒への接種
により DON を暫定基準値以下まで低減できることを実
験室レベルで証明した(5).現在,畑で栽培中のコムギ上
での DON 分解試験研究も進行しており,これが成功す
れば,農産物生産現場での DON 分解技術の確立に向け
分布と DON 分解機構,およびその利用の展望について
た大きな前進となる.
筆者らは最近,霞ヶ浦の湖水からも好気性 DON 分解
紹介する.
筆者らはコムギの葉,穂および土壌に DON が蓄積さ
れると予想し,これらを分離源とした集積培養を行うこ
(3∼5)
とで計 15 株の好気性 DON 分解細菌を分離した
細菌の分離に成功した(6)(図 2).本菌は
属に分類されたことから,まだ一例のみではあるが,陸
(図
圏と水圏では DON 分解細菌の系統分布が異なることが
2).結果的に,いずれの環境サンプルからも分解細菌が
示唆された.DON の環境中での動態はほとんどわかっ
得られたが,穂についてはそのまま分離源として用いる
ていないが,ヨーロッパでは河川から DON が検出され
だけでは成功に至らず,あらかじめ DON を噴霧処理し
ている.DON 分解細菌がコムギ,土壌,湖水から分離
た穂を分離源に用いることで分解細菌の分離を達成し
されたことは DON が環境中に広く分布していることを
た(5).分離できた要因として,DON 噴霧により DON 分
意味しているのかもしれない.DON 分解微生物の有す
解細菌が植物体上で
る DON 代謝酵素遺伝子群は遺伝子資源としても重要
集積されたことが考えられ
る.得られた DON 分解細菌は
α-
綱
で,筆者らはすでに
綱
属(と そ の 近 縁 種 で あ る
属) と
属に分類された.なお,近年
属細菌と
属
細菌からの DON 代謝酵素遺伝子の単離に成功してい
る(6)(一 部 未 発 表). 以 上 の 研 究 成 果 を 基 盤 と し て,
の 16S rDNA 配列情報から,筆者らの研究以前に分離さ
DON 分解微生物を用いた穀類上での DON 低減,DON
れた細菌も
属近縁種であることがわかった.す
代謝酵素を用いた DON を検出するバイオセンサーの開
なわち,これまでに陸圏で分離された好気性 DON 分解
発,DON 代謝能を有する遺伝子組換え作物の作出など
細菌は系統的にかけ離れた 2 つのグループのみに分類さ
さまざまな応用の展開が考えられる.
(4, 5)
れることが明らかになった
(図 2)
.では,2 つのグ
ループの DON 分解機構は同じなのであろうか? 答え
は否で,液体中での DON 分解機構は以下の 3 つの点で
(4)
異なった .① DON の資化能について,
属細菌は資化能をもつが,
属細菌はもたなかっ
た.② DON 分解活性の発現様式について,
属細菌は DON の存在により分解活性が誘導された
が,
属細菌は DON の存在によらず DON 分解活
性を発現した.③ DON 代謝経路について,いずれの分
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謝辞 : 本稿で紹介した筆者らの研究の一部は農林水産省委託プロジェク
ト研究「生産・流通・加工工程における体系的な危害要因の特性解明と
リスク低減技術の開発」の成果である.
1) C. Jansen, D. von Wettstein, W. Schäfer, K-H. Kogel, A.
Felk & F. J. Maier :
, 102,
16892(2005).
2) J. He, T. Zhou, J. C. Young, G. J. Boland & P. M.
Scott :
, 21, 67(2010).
3) P. Karlovsky :
, 91, 491
(2011).
4) I. Sato, M. Ito, M. Ishizaka, Y. Ikunaga, Y. Sato, S. Yoshi,
da, M. Koitabashi & S. Tsushima :
化学と生物 Vol. 51, No. 4, 2013
今日の話題
327, 110(2012)
.
5) M. Ito, I. Sato, M. Koitabashi, S. Yoshida, M. Imai & S.
Tsushima :
, 96, 1059(2012).
6) M. Ito, I. Sato, M. Ishizaka, S. Yoshida, M. Koitabashi, S.
Yoshida & S. Tsushima :
, 79,
1619(2013)
.
(佐藤育男,伊藤通浩,農業環境技術研究所)
プロフィル
佐藤 育男(Ikuo SATO) <略歴> 2003 年千葉大学園芸学部生物生
産科学科卒業/2005 年千葉大学大学院自
然科学研究科博士前期課程修了後,日東製
粉株式会社/2006 年農業環境技術研究所
研究助手/2007 年筑波大学生命環境科学
研究科博士課程入学/2010 年同大学博士
課程修了後,農業環境技術研究所特別研究
員,現在に至る<研究テーマと抱負>微生
物を用いた植物病害防除,微生物の代謝機
能の解明とその利用<趣味>テニス
化学と生物 Vol. 51, No. 4, 2013
伊藤 通浩(Michihiro ITO) <略歴> 2002 年東京農工大学農学部環境
資源科学科卒業/2004 年東北大学大学院
生命科学研究科博士前期課程修了/2008
年同大学大学院生命科学研究科博士後期課
程修了/同年農業環境技術研究所特別研究
員/2013 年 4 月早稲田大学先端科学・健康
医療融合研究機構次席研究員<興味をもっ
ていること>微生物の進化,生態,活用お
よび制御<趣味>野球,旅行,ラーメン屋
めぐり
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