第11章 ディスカッションを考える

第11章
ニュースから「政治」を読みとく ――メディアと政治
第 11 章のディスカッションでは、ニュースを政治学の観点から分析する方法
について、2つの事例を取り上げました。ここではさらに別の事例を用いて、
応用的な議論をしてみましょう。
先生
フレームは何を選択、強調、排除するかに関するパターンである、ともいわれます。つまり、
ニュースのフレームから何が抜け落ちているのか、なぜ、それが抜け落ちてしまうのかを考
えることも大切です。たとえば、水俣病事件の新聞記事をフレームの観点から分析してみま
しょう。水俣病は知っていますよね?
文菜さん
教科書の 183 ページにも書いてあるように、戦後の日本を代表する公害問題です。チッソ水
俣工場の排水に含まれていた有機水銀で汚染された魚介類を食べることで発生すると聞きま
した。
弘斗さん
高度経済成長期の「負の遺産」と習いました。
先生
そうですね。水俣病は 1956 年に公式に確認されました。1956 年は経済白書で「もはや戦
後ではない」と宣言された年で、水俣病とは、まさに高度経済成長へ踏み出そうとしていた
時期に発生した公害病です。それでは、朝日新聞の 1959 年 11 月3日朝刊社会面に掲載され
た水俣病事件に関する記事を読んでみましょう。この記事は、同紙の全国版で水俣病事件が
本格的に報じられた最初のニュースです。
文菜さん
「水俣病で漁民騒ぐ、警官 72 人が負傷、新日窒工場に押しかけ」という見出しですね。私た
ちが想像する水俣病事件とちょっとイメージが違います。
先生
チッソの水俣工場という大企業の大きな工場で大きな騒ぎが発生した、という点に当時の
ニュース・バリューがあったと考えることができます。水俣病という事件に対する注目とい
うよりは、「騒動」に対する注目だったともいえますね。
弘斗さん
大きな写真が2つあります。1つは事務所へ石を投げる漁民の姿です。もう1枚は、漁民に
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第 6 章 | リーダーの権力はどのように決まるのか
よって荒らされた工場の事務所の様子です。確かに、大きな騒ぎだったんですね。
先生
さて、この見出しと写真から、何が読み解けますか? フレームの考え方でいえば、この騒
動は何が原因で、当事者たちがどのように描かれていますか?
文菜さん
確かに見出しでは「水俣病で」とあるので、水俣病事件が原因だと読み解けます。
弘斗さん
でも、この騒ぎに関しては、漁民が加害者で、チッソが被害者であるように読み解けます。
先生
そうですね。さて、それではこの出来事が「紛争」であることを踏まえた上で、本文も読ん
でみてください。何か気づくことはありますか?
文菜さん
本文を読んでも、結局漁民たちが何を求めて工場に向かったかがよくわかりません。
弘斗さん
「工場の排水中止をさけんでプラカードやのぼりを押し立て」とあるから、工場の排水中止
を求めていたんじゃないかと想像できます。でも、漁民にそのことをインタビューした文章
はありません。
先生
漁民たちは、水俣病の原因が工場の排水なのではないか、と疑っていたわけです。しかし、
工場はそれを否定していました。記事にもあるように、当時、水俣病事件は「原因不明」と
されていたのです。実は、この騒動の時点で、工場は秘密実験を通じて、原因が工場排水であっ
たことを突きとめていました。それを知りながら、漁民たちの要求には聞く耳を持たなかっ
たわけです。
文菜さん
ひどいですね。なぜ、新聞はその問題を追及しなかったんでしょうか?
弘斗さん
公害問題ですよね? 僕らの感覚からすれば、まずは汚染の発生源を断ち、原因を作った工
場や企業を厳しく追及します。それなのに、なぜこんな形でしか水俣病事件が全国に伝わら
なかったのですか? 当時のジャーナリズムや世論は何をしていたんですか?
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第 11 章 | ニュースから「政治」を読みとく
先生
水俣病は発見から 10 年以上経った 1968 年に、ようやく「公害病」と政府に認定されます。
それまでは公害病とされず、長い間放置された問題だったのです。当然、チッソの工場もそ
の間稼働し続けていました。しかし、全国メディアは、政府が公害病に認定するまでこの問
題をほとんど報道しませんでした。漁民騒動は例外的な報道といってもよいでしょう。世論
も基本的に無関心でした。いわば、この問題を政府だけでなく、ジャーナリズムや世論も「重要」
だと考えることができなかったのです。なぜだと思います?
文菜さん
なぜでしょう。私たちの常識からは考えられません。
先生
まさにその「常識」がポイントです。1960 年代は日本にとってどんな時代でしたか?
弘斗さん
高度経済成長期です。池田勇人内閣の所得倍増計画や東京オリンピックの時代ですよね。日
本は奇跡的な経済成長を遂げ、資本主義世界第2の経済大国になりました。
先生
そうです。そして、高度経済成長期の社会で共有されたイデオロギーこそが、経済成長を第
1とし、公害のような経済成長・産業開発の負の側面から目を背けさせたのです。こうした
社会の支配的価値観は、水俣病事件をどのような出来事として意味づけ、解釈するかという「フ
レーム」に影響を与えたのです。「公害問題」として水俣病事件を意味づける視点や、問題解
決の手段として「工場の排水停止」を訴える声は、当時のフレームからは排除されていたと
考えることができます。
文菜さん
それでは、当時、ジャーナリズムは社会問題を報道していなかったのでしょうか?
先生
水俣に関わるもう1つのエピソードを紹介しましょう。実は、この時期、水俣は全国のメディ
アや世論から注目を集めました。それは、1962 年から翌 1963 年にかけて生じた、チッソ
水俣工場の労働争議です。つまり、「労働問題」はこの時期の重要な社会問題と見なされ、大
きく報道されたわけです。しかし、同じ水俣で、同じ工場を原因として生じた公害病問題は、
その間も注目されず、報道されなかったのです。いわば、メディアも世論も高度経済成長を
達成した後で、水俣病という社会問題を「再発見」したのです。
弘斗さん
そう考えると、様々な社会問題や政策課題がどのように報道されていたのか、あるいはそれ
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第 11 章 | ニュースから「政治」を読みとく
が世論によってどのように受け取られていたのかを分析することで、当時の社会の価値観を
明らかにすることができるんですね。
先生
ニュース研究は、そうした政治社会学的な関心も持ち合わせてきたといえるでしょう。
(執筆:山腰修三) 4
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