巻 頭 言 これからの漢文教育 た べ い ふみ お 田 部 井 文 雄 これは果たしてわが国の漢文教育に、「これから」すなわち、「未来」はあるのか、という問い かけである。この度二百号に達したという『漢文教室』と称する雑誌に、最もお世話になった一 人として、一言なかるべからずということであろう。 ここにいう漢文とは、中国の古典をそのままに、日本の古典として輸入し活用した世界有数の 文化財である。それをそのまま、日本語の教材として、現在の小・中・高の教室に持ちこむこと への疑問は、常に投げかけ続けられてきた。昭和初年生まれの我々が教職に就いてすでに半世紀 以上、その間、漢字・漢文の教育の必要・不必要の論を耳にしない時はなかった。そのことにつ いて、ここに詳述する紙数はない。結局ここには、最近も耳にし得た次の二件について述べるに とどめる。 その一は、小学校における漢字教育についてである。日本国中どこの小学校でも、漢字教育は 漏れることなく続けられている。文科省の検定教科書をはじめ、現在日本語の刊行物である新聞 雑誌などはすべて漢字まじりの文章で綴られている。漢字の教養なくして日本文の読解は成り立 たないのである。 世にいう漢字離れの風潮の中にあって、それにしばし待ったをかける存在として、うら若き女 性教師群がいるとしたら、われわれ高齢者ならずとも耳をそば立てるに違いない。何事も事を成 ── すのは人材である。漢字教育を担うのも人である。その人材を思い浮かべるだけでも「未来」へ の期待がうずくとしたら、余りに甘い幻想とされようか。筆者も彼らの教室の公開授業を再三に 0 0 わたって見学した。全国漢文教育学会の機関誌『新しい漢文教育』が「漢字」の二字を加えて、 『新しい漢字漢文教育』に改められたのも、漢字教育隆盛のためであったと聞く。 続いて、国公立大学志願者に必須として発足した「共通一次試験」について触れたい。当初そ の配点は、現代国語140点・古文・漢文それぞれ 点ずつであった。それが間もなく、100 点・ 点・ 点に改められたのは何故であろうか。全国の国語関係の教師たちを始め、多くの具 30 るが、それらの大学は、すでに漢文の問題は除外して実施している。 たら、漢文教育が致命的な痛手を蒙ることは必定である。この試験には私学もどっと参入してい 入試センター試験」と改称されたこの試験から「漢文」が削除される日が来るかも知れないとし 眼の人々の強い要望によることはいうまでもない。このような「改善」を可とする反面、 「大学 50 ここには今に漢字教育の「明」の一面と、漢文教育の「暗」の側面とを挙げるにとどまらざる を得ないのである。 ── 50
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