2016 年 8 月 1 日 理化学研究所 日本電子株式会社 タンパク質の二次構造を決定する新たな手法を開発 -14N 固体 NMR でβシート配向の区別が可能に- 要旨 理研 CLST-JEOL 連携センター[1]固体 NMR 技術開発ユニットの西山裕介ユニッ トリーダーとマノジ・クマール・パンディ研究員らの国際共同研究グループ※は、 同位体[2]標識を用いずにタンパク質の二次構造の解析を行う核磁気共鳴(NMR) 法[3]を開発しました。 タンパク質は、複数のアミノ酸がつながってできた分子です。アミノ酸の並 び方はタンパク質ごとに決まっており、これをタンパク質の一次構造[4]と呼びま す。連結したアミノ酸が部分的に折り畳まれた構造は二次構造[4]と呼ばれ、タン パク質全体の形(三次構造[4])の基礎となる重要な構造単位です。正確な二次構 造の決定は、原子レベルのタンパク質構造解析の基本であり、生命科学や創薬 分野における構造生物学において重要です。 代表的な二次構造の一つであるβシート[5]は、タンパク質内の直鎖状の部分 (βストランド[5])が隣り合って並ぶことで形成されます。βシートは、βスト ランドの並び方の違いにより、平行および反平行の二つに区別されます。アル ツハイマー型認知症やプリオン病など、タンパク質の異常な凝集が原因とされ る疾患では、凝集体を形成するそれぞれの原因タンパク質が、構造のばらつい たβシートからなるアミロイド[6]構造を持つことが分かっています。これまで、 原因タンパク質の立体構造を解析し、発症メカニズムの解明や治療薬の開発が 試みられてきました。凝集したタンパク質の構造を決定するには、タンパク質 を窒素の同位体 15N[2]や炭素の同位体 13C[2]などで標識し、固体マジックアングル 試料回転 NMR 法(固体 MAS NMR 法)[7]を行う必要があります。しかし、この手 法は複雑で費用がかかるため、構造解析の応用範囲は限られていました。 今回、国際共同研究グループはタンパク質を 15N や 13C などの同位体で標識す ることなく二次構造を決定する、高感度・高分解能の固体 MAS NMR 測定法を開 発しました。実際に解析したところ、従来法では必須だった同位体標識を用い ることなく、99%と高い天然存在比の 14N[2] の NMR 相関信号を観測することで、 平行および反平行βシートを区別できました。 本手法は今後、X 線や電子顕微鏡での構造決定が困難なアミロイド構造をはじ めとするタンパク質の構造解析への応用が期待できます。 成果は、英国の科学雑誌『PhysChemChemPhys』に掲載されるのに先立ち、オ ンライン版(8 月 1 日付け)に掲載されます。 1 ※国際共同研究グループ 理化学研究所 ライフサイエンス技術基盤研究センター 理研 CLST-JEOL 連携センター 固体 NMR 技術開発ユニット ユニットリーダー 西山 裕介 (にしやま ゆうすけ) 研究員 マノジ・クマール・パンディ(Manoj Kumar Pandey) リール大学(フランス) 教授 ジャン-ポール・アモルー(Jean-Paul Amoureux) 東京農工大学 教授 朝倉 哲郎 (あさくら てつお) 1.背景 タンパク質は生命活動を支える基本分子の一つで、複数のアミノ酸がつなが ってできています。アミノ酸の並び方はタンパク質ごとに決まっており、これ をタンパク質の一次構造と呼びます。連結したアミノ酸が部分的に折り畳まれ た構造は二次構造と呼ばれ、タンパク質全体の形(三次構造)の基礎となる重 要な構造単位です。正確な二次構造の決定は、原子レベルのタンパク質構造解 析の基本であり、生命科学や創薬分野における構造生物学において重要です。 タンパク質の代表的な二次構造の一つであるシート状のβシートは、タンパ ク質内の直鎖状の部分(βストランド)が隣り合って並ぶことで形成されます。 βシートは、βストランドの並び方の違いにより、 「平行βシート」および「反 平行βシート」の二つに区別されます。 アルツハイマー型認知症やプリオン病など、タンパク質の異常な凝集が原因 となる疾患では、凝集体を形成するそれぞれの原因タンパク質が構造のばらつ いたβシートからなるアミロイド構造を持つことが分かっています。近年、核 磁気共鳴(NMR)、X 線回折[8]、中性子線回折[9]、クライオ電子顕微鏡[10]といった さまざまな手法によって、タンパク質の原子レベルの構造解析が可能になり、 構造生物学が進展しています。しかし、アミロイド構造を X 線回折法やクライ オ電子顕微鏡で解析することは困難であり、現在、タンパク質を窒素の同位体 15 N や炭素の同位体 13C などで標識して解析する固体マジックアングル試料回転 NMR 法(固体 MAS NMR 法)が唯一の構造解析法として用いられています。 NMR 法では、原子核が磁石の性質を持つことを利用し、強い磁場に置かれた 分子が示す特徴的な振る舞い(核磁気共鳴=NMR)を測定し、構造を解析します。 この磁石の性質は同位体によって異なるため、固体 MAS NMR 法で測定できるも のは限られます。タンパク質に必ず含まれる窒素の場合、十分な感度や分解能 で測定できる同位体は窒素 15(15N)です。しかし 15N は天然存在比が 0.4%し かないため、固体 MAS NMR 法ではタンパク質を人工的に 15N で標識する必要が あります。このため、固体 MAS NMR 法によるタンパク質の構造解析の応用範囲 は限られていました。 一方、窒素 14(14N)は、地球に存在する窒素原子の 99%以上を占める同位 体ですが、NMR での観測・解析が非常に難しく、これまで構造解析にほとんど 用いられてきませんでした。天然状態で 99%以上存在する 14N の測定が実現す ると、NMR による構造解析が飛躍的に進歩することが期待されます。そこで国 2 際共同研究グループは、15N による標識を行うことなく、天然存在比の高い を用いてタンパク質の固体 MAS NMR 構造解析を行うことを目指しました。 14 N 2.研究手法と成果 固体 MAS NMR 法は、高分解能の NMR 信号を得るために試料を高速で回転さ せる固体 NMR 法の一種です。マノジ・クマール・パンディ研究員と西山裕介ユ ニットリーダーは先行研究において、試料を世界最速で回転させることができ る超小型 NMR 試料管[11](外径 0.75 mm~1 mm)を開発しました(図 1)。さら に 2015 年、14N 原子核間の距離情報を得る 14N/14N 相関 NMR 測定法[12]の開発に も成功しました注 1)。 図 1 超高速の試料回転を実現する極細の NMR 試料管 外径 1mm の NMR 試料管。本測定で必須の技術となる 高速の試料回転を実現する。 注1) Pandey MK, Nishiyama Y (2015). Proton-detected 3D 14N/14N/1H isotropic shift correlation experiment mediated through 1H-1H RFDR mixing on a natural abundant sample under ultrafast MAS, J. Magn. Reson. 2015 Sep;258:96-101. 本研究では、これらの手法をさらに拡張して感度を向上させ、平行βシートお よび反平行βシートの構造決定を行いました。平行βシートは隣り合うβスト ランド(タンパク質の直鎖状の部分)が平行に並んでおり、一方、反平行βシ ートはβストランドが交互に逆方向に並んでいます。隣り合うβストランドに おいて、最も近いアミド基(-C(=O)-NH-)の NH の H(水素)間の距離が近けれ ば、14N/14N 相関 NMR スペクトルには相関信号が現れます。平行βシートでは、 隣り合うβストランドのアミド基の NH の H 間の距離は 5 オングストローム(Å、 1Åは 100 億分の 1 メートル)であるのに対し、反平行βシートでは 3Åと短く、 2Åの差があります。この差のために、平行βシートでは隣り合うβストランド 間の 14N/14N 相関信号が得られませんが、反平行βシートでは隣り合うβストラ ンド間の 14N/14N 相関信号が得られます。 今回は実証実験として、平行βシートおよび反平行βシートの構造を持つ 2 種類のアラニントリペプチド(アミノ酸の一種アラニンが 3 個つながったタン パク質モデル)の微結晶試料を作製し、14N/14N 相関 NMR を測定しました。その 結果、反平行βシート構造を持つアラニントリペプチドでのみβストランド間 3 の 14N/14N 相関信号が測定できたことから、本手法により平行βシートと反平行 βシートを判別できることが示されました(図 2)。 図2 14 N/14N 相関 NMR スペクトルと平行・反平行βシート構造 上段:平行βシート構造とその 14N/14N 相関 NMR スペクトル。 下段:反平行βシート構造と 14N/14N 相関 NMR スペクトル。 βストランド内の窒素原子間の距離は平行・反平行βシート構造のどちらも同じであり、その相関信号も 平行・反平行βシート構造のどちらにも現れる(等高線のピークを一つだけ持つ NMR スペクトル) 。一方、 βストランド間の相関信号は、隣り合うβストランドにおいて、最も近いアミド基(-C(=O)-NH-)の NH の H(水素)間の距離が短い反平行βシート構造のみに現れる(等高線のピークを複数持つ NMR スペクト ル、図中では三つのピークがある) 。この信号の有無により、平行・反平行βシート構造を決定することが できる。 3.今後の期待 天然存在比の高い 14N を用い、主要な二次構造であるβシート構造の違いを解 析できる固体 NMR 法は、構造生物学の新たな基盤技術となるものです。従来法 のように高価な同位体標識を用いる必要がないため、今後、アミロイド構造を はじめとするタンパク質の構造解析やそれを標的とする創薬への応用が一段と 加速すると期待できます。 4 4.論文情報 <タイトル> Sensitivity enhanced 14N/14N correlations to probe inter beta-sheet interactions using fast magic angle spinning solid-state NMR in biological solids <著者名> Manoj Kumar Pandey, Jean-Paul Amoureux, Tetsuo Asakura, Yusuke Nishiyama <雑誌> PhysChemChemPhys <DOI> 10.1039/c6cp03848d 5.補足説明 [1] 理研 CLST-JEOL 連携センター 理研と日本電子株式会社(JEOL)が共同で設立した連携センター。分析・診断機器 分野における独自技術の創出を目指し、2014 年 11 月に開設された。 参考:2014 年 10 月 31 日トピックス「 「理研 CLST-JEOL 連携センター」を開設」 http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20141031_1/ [2] 同位体、15N、13C、14N 陽子の数が同じで中性子の数が異なる元素。同位体のうち、放射線を放出して別の元 素に変換するものを放射性同位体と呼ぶ。一方、寿命が無限かそれに近い同位体は安 定同位体と呼ばれる。窒素の場合、14N と 15N が安定同位体であり、天然に存在する 窒素の 99%以上が 14N である。14N は四極子相互作用と呼ばれる原子核相互作用のた めに NMR スペクトルが非常に幅広になり、高分解能・高感度測定が困難であること から、これまで一般的には NMR 観測に用いられてこなかった。一方、15N の解析は容 易であるため、タンパク質の構造解析では、15N の存在比を人工的に増やした標識サ ンプルがしばしば用いられる。同様に炭素の場合は、天然に 1.1%存在し NMR で観測 できる唯一の安定同位体 13C がしばしば用いられる。 [3] 核磁気共鳴(NMR)法 原子核には核スピンがあり、これがゼロではない水素や炭素原子の一部は強い磁場の 中に置かれると、複数のエネルギー状態に分かれることが知られている。このエネル ギー差に相当する電磁波を当てると共鳴現象が起きて電磁波が吸収される。その振動 数は原子核の種類と磁場の強さで決まるが、原子核の周りの電子の状態に影響される ので周辺の電子の分布や原子の結合状態を知る手がかりになる。従って、NMR は分子 構造の決定手段として利用される。また、信号の強度から核スピンの数が分かるため 定量測定の手段としても用いられる。 [4] 一次構造、二次構造、三次構造 タンパク質の構造は階層的に理解することができ、アミノ酸配列を一次構造、一次構 造の部分的な折り畳みを二次構造、二次構造が空間的にまとまってできたタンパク質 全体の立体構造を三次構造と呼ぶ。さらに、タンパク質同士が集まった多量体の構造 5 を四次構造と呼ぶ。 [5] βシート、βストランド タンパク質の代表的な二次構造の一つ。タンパク質の直鎖状の部分が 2 本以上隣り合 って並び、水素結合で形成された平面構造。βシートを形成するタンパク質領域はβ ストランドと呼ばれる。βシートはβストランドの N 末端-C 末端が同じ方向で並ん だ平行βシートと、逆向きに並んだ反平行βシートに区別される。 [6] アミロイド 特殊な構造的性質を示すタンパク質の凝集体。内部はβシートが積層していると考え られているが、βシートをほとんど持たないタンパク質もアミロイド構造をとること が分かっている。アミロイドが臓器に沈着するとさまざまな疾患を引き起こすと考え らており、このような疾患はアミロイドーシスと呼ばれている。アルツハイマー型認 知症やプリオン病はアミロイドーシスの一つ。 [7] 固体マジックアングル試料回転 NMR 法(固体 MAS NMR 法) 測定対象となる物質を溶媒に溶かす溶液 NMR 法に対し、固体状態の物質を測定する NMR 法を固体 NMR 法と呼ぶ。固体サンプルの NMR 信号は、分解能が非常に低いが、 磁場方向に対して試料を 54.7°傾けて高速回転させて計測するマジックアングル試 料回転(MAS)法を用いることにより、分解能・感度ともに向上させることができる。 固体サンプルの測定に広く用いられている NMR 法。 [8] X 線回折 1Å程度の X 線の波長は、タンパク質などの物質中の原子と原子の距離と同程度の長 さで、物質が規則正しく並んだ結晶によって回折される。回折された X 線の強度を詳 しく解析することにより、金属や無機物質、タンパク質などの結晶内の分子構造を解 明することができる。 [9] 中性子線回折 単結晶による中性子線の回折現象を利用して、物質の結晶構造を解析する手法。X 線 とは異なり原子核によって散乱が起こるため、構造中の水素の位置を正確に捉えるこ とができる。しかし、中性子線の強度の問題から 0.5 mm 角以上の大きな単結晶を必 要とする。 [10] クライオ電子顕微鏡 タンパク質複合体を観察するために開発された電子顕微鏡。タンパク質複合体(試料) を含んだ溶液を薄く展開し、液体エタン中で急速凍結して試料をごく薄い氷の層に閉 じ込めた上、さらに冷却して液体ヘリウム温度(-269℃)におき電子顕微鏡で観察 する。試料を染色固定する方法に比べて二つの利点がある。一つは低温で電子線を照 射するため、タンパク質試料の電子線による損傷が軽減される。もう一つはタンパク 質試料を生理的(自然な)な溶液条件で観察することができる。 [11] 超小型 NMR 試料管 固体 MAS NMR 法で用いられる試料管は、一般的にセラミクスで作られており表面速 度が音速に近い超高速で回転される。同じ表面速度でも試料管外径を小さくするとよ 6 り回転周波数(速度)を高めることができる。そのため、より高速の試料回転を求めて 試料管の小型化競争が起きている。本研究グループでは、商品化されたものとしては 世界記録となる 120 kHz(1 秒間に 12 万回転、7,200,000 rpm)という超高速の試料 回転を外径 0.75 mm や外径 1 mm の超小型試料管を用いて本成果を実現した。 [12] 14 N/14N 相関 NMR 測定法 14 N 同位体間の NMR 信号の関係を解析する手法。NMR 法では、同じ同位体でも周囲 の環境により異なる NMR 信号が測定される。この NMR 信号の関係を二次元図上で相 関スペクトルとして解析することで、同位体間の距離情報などを得ることができる。 従来の方法では 14N の観測自体が困難であった。 6.発表者・機関窓口 <発表者> ※研究内容については発表者にお問い合わせ下さい 理化学研究所 ライフサイエンス技術基盤研究センター 理研 CLST-JEOL 連携センター 固体 NMR 技術開発ユニット ユニットリーダー 西山 裕介 (にしやま ゆうすけ) 研究員 Manoj Kumar Pandey (マノジ・クマール・パンディ) TEL:045-503-9635 FAX:045-503-9641(西山) E-mail:[email protected](西山) 西山裕介ユニットリーダー(左)とマノジ・クマール・パンディ研究員 <機関窓口> 理化学研究所 ライフサイエンス技術基盤研究センター 広報・サイエンスコミュニケーション担当 山岸 敦(やまぎし あつし) TEL:078-304-7138 FAX:078-304-7112 E-mail:[email protected] 理化学研究所 広報室 報道担当 TEL:048-467-9272 FAX:048-462-4715 E-mail:[email protected] 日本電子株式会社 取締役兼常務執行役員 経営戦略室長 大井 泉(おおい いずみ) TEL:042-543-1111 FAX:042-546-9732 7
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