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プレスリリース
2016 年 8 月 3 日
報道関係者各位
慶應義塾大学医学部
治療が難しいと考えられてきた慢性期脊髄損傷
神経幹細胞移植とリハビリテーションの併用が効果的
慶應義塾大学医学部の脊髄損傷治療研究グループ(整形外科学教室(中村雅也教授)、
生理学教室(岡野栄之教授)、リハビリテーション医学教室(里宇明元教授)
)では、これ
まで神経幹細胞移植単独では機能回復が得られないとされていた慢性期脊髄損傷に対し
て、適切なリハビリテーションを併用することで機能回復が相加的・相乗的に促進される
ことを明らかにしました。
脊髄損傷の後遺症に苦しむ患者は、受傷後から時間が経った慢性期(注 1)に多く見ら
れます。脊髄損傷に対する神経幹細胞移植の効果は、受傷後間もない急性期〜亜急性期(受
傷後数週間以内)を中心に報告されてきましたが、慢性期では細胞移植単独では効果がな
いと考えられており、亜急性期を逃すと神経幹細胞移植は行えない、あるいは行っても効
果が得られないことが懸念されてきました。
本研究グループは世界で初めて、マウス慢性期脊髄損傷モデルに対する神経幹細胞移植
と歩行訓練の併用療法が、相加的・相乗的効果によって有意な運動機能回復を導くことを
明らかにしました。受傷後長時間が経過していても、細胞移植にリハビリテーションを併
用することによって機能回復が期待できることを示した本研究は、脊髄損傷に対する再生
医療の新しい扉を開くものであると言えます。
本研究成果は、2016 年 8 月 3 日(英国時間)の科学専門誌「Scientific Reports」誌の
オンライン版に掲載されました。
1.研究の背景
わが国では年間およそ 5 千人もの人が脊髄損傷を受傷しており、慢性期脊髄損傷患者数は延べ
20 万人以上に達しているといわれます。近年の脊髄損傷に対する集学的医療(注 2)の進歩によ
り平均余命は飛躍的に向上していますが、損傷した脊髄そのものを治療する方法はいまだ確立さ
れていません。これまで本研究グループは脊髄再生医療の実現に向けて、最適な細胞移植時期が
亜急性期(受傷数週間)であることを世界に先駆けて明らかにし、神経幹細胞移植によって良好
な運動機能回復が得られることを報告してきました。さらに、2006 年に京都大学の山中伸弥教授
らにより開発された iPS 細胞技術を応用し、iPS 細胞から樹立された神経幹細胞によっても同様
の効果が得られることを示し、臨床応用へ向けて準備を進めています。しかし慢性期脊髄損傷に
対しては神経幹細胞移植単独では有効ではなく、開発途上の特殊な薬剤と併用する以外に治療が
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難しいとする研究結果が世界各地の研究グループから報告されていました。脊髄損傷患者の多く
は慢性期であり、いかにして再生医療を慢性期の治療に結びつけるかということが、われわれ脊
髄損傷研究に携わる者にとっての大きな課題でした。
そこで私たちは、臨床現場で既に行われているトレッドミル歩行訓練(注 3)などのリハビリ
テーション治療を神経幹細胞移植と併用することで機能回復が得られるのではないかと考えまし
た。しかし、実験対象となるマウスは、神経幹細胞移植技術が確立している一方で、小さくて耐
久性が低く扱いが困難なため、リハビリテーション手法は確立されてはいませんでした。さらに、
神経幹細胞移植とリハビリテーションの技術を兼備する研究グループは世界の中でもごく少数に
とどまることから、これらの併用療法の報告は亜急性期を対象とした論文が散見されるものの、
慢性期に対するものは皆無でした。
2.研究の概要と成果
本研究グループは、重度脊髄損傷モデルマウスに対して、慢性期(損傷後 6 週)に同じ系
統のマウスの胎仔から樹立した神経幹・前駆細胞(注 4)を移植し、その後トレッドミル歩
行訓練を 8 週間施行しました。治療効果を明らかにするために、併用療法群、移植単独群、
訓練単独群、対照群の四群を比較検討しました。その結果、併用療法群で対照群と比較して
有意な運動機能の回復が観察されました(下図)
。
機能回復メカニズムを明らかにするために、移植細胞の生着率を評価したところ、訓練併
用の有無による影響はみられませんでした。一方、移植単独群では脊髄の伝導性や歩行中枢
を活性化させる効果が観察され、また訓練単独群では後肢の痙縮(注 5)や運動コントロー
ルへの適切な抑制性を改善させる効果がみられました。ところが、両者の併用療法群ではこ
れらの相加的な効果にとどまらず、ニューロン(神経細胞)へ分化する神経幹細胞の割合の
増加、腰部脊髄にある歩行中枢での新しい神経線維やシナプスの増加に代表される神経回路
の強化といった相乗的効果が発揮されることが明らかになりました。
3.研究成果の意義・今後の展開
これまで神経幹細胞移植単独では治療困難と考えられてきた慢性期脊髄損傷に対して、身
近なリハビリテーションという手段を組み合わせることで、有意な回復が得られる可能性を
示した本研究は、慢性期脊髄損傷患者への iPS 細胞由来神経幹細胞移植の実現を目指すうえ
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で大きな一歩であると考えられます。
4. 特記事項
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 JST-カリフォルニア再生医療
機 構 (CIRM:California Institute for Regenerative Medicine) 共 同 研 究 プ ロ グ ラ ム 、
MEXT/JSPS 科研費 26117007、JST/日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実現拠点ネッ
トワークプログラム 疾患・組織別実用化研究拠点(拠点 A)
「iPS 細胞由来神経前駆細胞を用
いた脊髄損傷・脳梗塞の再生医療」、および日本損害保険協会研究助成「中枢神経外傷におけ
るリハビリテーションによる回復メカニズムの解明」の支援によって行われました。
5. 論文
【表題】Functional recovery from neural stem/progenitor cell transplantation combined with treadmill
training in mice with chronic spinal cord injury. Sci. Rep. 6, 30898; doi: 10.1038/ srep30898 (2016)
【和文表題】慢性期脊髄損傷モデルマウスに対する神経幹・前駆細胞移植とトレッドミル歩行訓練
併用療法による機能回復
【著者】田代祥一*、西村空也、岩井宏樹、菅井桂子、張亮、篠崎宗久、岩波明生、戸山芳昭、
里宇明元、岡野栄之**、中村雅也**. (*:筆頭著者、**:責任著者)
【掲載紙】 Scientific Reports オンライン版
【用語解説】
(注 1)慢性期…損傷後長時間を経過した時期。損傷部には固い瘢痕組織が形成され、遺伝子発現パタ
ーンの変化なども相俟って、細胞移植による改善が得られづらくなる。ヒトでは受傷後およそ半年、
マウスやラットなどのげっ歯類では 6 週目以降とされる。
(注 2)集学的医療…さまざまな分野の知識や専門性を結集し、互いに協力して行われる医療。脊髄損
傷では、整形外科や脳神経外科、リハビリテーション科、泌尿器科などの専門家が治療にあたる。
(注 3)トレッドミル歩行訓練…トレッドミルはいわゆるルームランニングマシンで、同じ場所にいな
がらベルトの上での歩行や走行を行うことができる。脊髄損傷でも、特殊なジャケットで身体を吊り
下げて体重を支え、足にかかる負荷を減らしながらトレッドミル上での歩行訓練を行う方法があり、
運動機能回復に有用とする報告も多い。それを動物モデルに応用した技術が今回用いられている。
(注 4)神経幹・前駆細胞…神経幹細胞は分裂による自己複製能力を持ち、神経系の細胞(神経細胞:
ニューロン、希突起膠細胞:オリゴデンドロサイト、星状細胞:アストロサイト)に分化することが
できる細胞。神経前駆細胞は、なお幹細胞のような性質を残すものの特定の神経系の細胞へ分化する
ことが運命づけられた細胞。両者を弁別することは非常に難しく、混在した状態で移植に使用してい
る。iPS 細胞由来の神経幹・前駆細胞は脊髄損傷や脳卒中などへの細胞移植による再生医療の有望な
候補として期待されている。
(注 5)痙縮(けいしゅく)…大脳からの適切な抑制性の信号が低下することで、筋の緊張が亢進し、
意図した運動が行いにくくなった状態。
※ご取材の際には、事前に下記までご一報くださいますようお願い申し上げます。
※本リリースは文部科学記者会、科学記者会、厚生労働記者会、厚生日比谷クラブ、各社科学部等に
送信しております。
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【本発表資料のお問い合わせ先】
慶應義塾大学医学部 整形外科学教室
教授 中村 雅也(なかむら まさや)
TEL: 03-5363-3812 FAX: 03-3353-6597
E-mail: [email protected]
http://www.keio-ortho.jp/
【本リリースの発信元】
慶應義塾大学
信濃町キャンパス総務課:谷口・吉岡
〒160-8582 東京都新宿区信濃町 35
TEL 03-5363-3611 FAX 03-5363-3612
E-mail:[email protected]
http://www.med.keio.ac.jp/
慶應義塾大学医学部 生理学教室
教授 岡野 栄之(おかの ひでゆき)
TEL:03-5363-3747 FAX 03-3357-5445
E-mail: [email protected]
http://www.okano-lab.com/
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