おとなになって考えること

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山形県医師会会報 平成28年7月 第779号
おとなになって考えること
長井市西置賜郡医師会顧問 新 野 晃 敏
本年5月上旬、亡き父の23回忌の法要を営んだ。
て50年近い歳月が流れたが、青年時代には教科書
没後20年以上経過すると、生前どんなに活躍した
や頭の中でしか理解出来なかったことが、最近は
人でも人々の記憶から消えて行く。開業医だった
自分の身体を通して実感出来るようになった。こ
父は現役時代、様々な要職を務め、医師会だけで
れが所謂大人になると言うことだろう。
なく地域社会にもかなり貢献していたが、直接父
約40年前、私は西ドイツのギーセン大学外科に
を知る人は少なくなり、出席者の顔ぶれをみても、
留学していたが、昨年6月、当時の留学仲間と天
父の思い出話に参加出来る人は限られたメンバー
童ホテルで再会し、旧交をあたためる機会があっ
になってしまった。また兄弟や親戚の中には体調
た。留学していた頃は全員が30歳代で、外科学を
不良で欠席したり、出席しても足腰が弱っている
専攻していたのは私だけであったが、その他ウイ
ため、杖をつきながらやっと参列してくれた人も
ルス学、物理学、法律学、ドイツ文学など専門分
いた。4年後には27回忌を迎えるが、その頃は私
野は異なるものの、いずれも皆向学心に燃えた新
も傘寿目前なので、親戚兄弟を招集し法要を営む
進気鋭の研究者たちであった。しかし、かつての
自信はない。
英才たちも、寄る年波には勝てず、古稀を過ぎた
日野原重明先生のように、100歳を過ぎてなお予
いま、皆等しく物忘れをするようになったと言っ
定表が数年先まで真っ黒と言う超人的な人もいる
て嘆いていた。帰国後、彼らの大半は東京大学や
が、我々凡人の場合は所謂後期高齢者になると、
京都大学等で教鞭をとり、なかには紫綬褒章や学
どうしても守りに入ってしまい数年先の約束は出
士院賞を受賞した友人もいるが、やはり例外では
来なくなる。先輩達に話を聞いても喜寿になると
ないのだ。
同級会を解散しているようだし、我々の同級会で
そしておとなになるのは記憶だけではない。程
も最近は孫や健康に関する話に加えて、お墓や断
度の差はあるが、膝も腰も肩も全ておとなになる。
捨離が話題になるようになった。寂しい事だがこ
「しぇんしぇ、おらの膝、なして痛くなったんだ
れが現実なのである。
べ?」、
「んだなあ、やっぱし、ばっちゃの膝、そ
50数年前の高校時代、漢文の先生から「少年老
んだけ、おどなになったんだべなあ」、「おらの膝
い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」
なおっぺか?」
「もちっと、おどなになっと、らぐ
と教わった記憶があるが、振り返ってみるとまさ
になっかもしんにぇから、もう少し様子みんべ」
、
に光陰矢の如しである。生前父に生意気を言った
などと言った会話を繰り返しながら毎日診療して
時に、
「そのうちお前にもわかる時がくるよ」と言
いるが、例え本当の大人になっても、明日を信じ
われたことがあるが、人間その年にならないと理
てお互い明るく生きて行きたいものである。
解出来ないことも確かにあるようだ。医師になっ