会員寄稿 精神医学的に見た小説の中の悩める主人公

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会員
寄稿
精神医学的に見た小説の中の悩める主人公たち
(ゲーテ)
清
水
洋
一
事実は小説よりも奇なりと申しますが、小説
私が考えますに、本当はゲーテ自身が、うつ病の
だって実在のモデルの実体験そのままを忠実に書
人間は周りから嫌がられる存在なのだと思ってい
いていたり、また、その小説の作者自身が実際に
ただけなのではないかと思うのです。さらに言い
経験した事をかなり正直に文章にした小説もあ
ますと、この小説は主人公のピストル自殺によっ
り、小説イコールフィクション、作り物、偽物と
て幕を閉じているのですが、生きるとは何か?人
いう概念は当てはまらない場合も少なくないよう
を愛するとはどういうことなのか?そして人間が
です。更に、昔の若者の恋愛などの記述は現代に
死ぬということは何を意味するものなのか?・・・
もそのまま通じるような示唆が残されている場合
などという根源的な命題が残されているのです。
もあります。それで今回私は名高い古典に学ぶた
またこの作品は、感受性の極めて強い主人公が、
め、
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(1749-
若い年齢にもかかわらず、己の身の回りにいる他
1832)の有名な二つの作品を取り上げてみました。
の人々に対して、誰も簡単には真似が出来ないほ
まず第一に、あの誰もが知っている名著「若き
どの優しさ溢れる気持ちの持主だったことを詳密
ウエルテルの悩み」1)です。これは既に夫がいる
に描いております。でも、この主人公が不幸にも
女性に対するある青年の実らない恋心を描いた作
悲劇的結末に終わってしまった原因を考えます
品ですが、その不倫関係のような状況の中にいる
と、つくづく衝動性が危険であるということと、
主人公が最後に自殺して終わっているというのも
青年期における気持ちと人格のバランスの重要性
また衝撃的な結末なのです。私がこの作品の中で
を我々に教えてくれているように思われる作品で
気になったのは、主人公が作者ゲーテの分身だっ
した。若さというのは時に傲慢であり、衝動的に
たのではないかということと、その主人公のウエ
自分を見限る行動を選択してしまうのです。特に
ルテルもそうなのですがゲーテ自身もまたうつ病
この主人公は自分の近くに相談出来る友人や知人
を患っており、その症状に悩まされていたのでは
がおらず、若者的な思い上がりが高じてしまった
ないかという事です。私はこの作品を読んだ時、
挙句にその出口が見えなくなってしまい、ついに
これはうつ病の患者様の心や感情の状態を周密に
は八方塞がりを感じて虚無的になり、結局は自裁
観察した作品だと思いました。例えば、うつ状態
(自殺)による自罰こそ自らの運命であるという
にある人というのは一見怠け者に似ていると言っ
短絡的な結論に達してしまったようです。
ておりますし、苦しんで戸惑うくらいに先が見え
さて、今度はもう一つの名作「ファウスト」で
にくくなるのがうつ状態の特徴だというように
す。この作品も世界中に知られている名作ですの
思っていたようです。更には、うつ状態を我慢し
で今更その内容をお話しする必要などないので
て生きるよりいっそのこと死んでしまった方がど
しょうが、ごく簡単に述べますと、法学、医学、
れほど楽になるか分からないほどだというように
哲学、及び神学という当時としては幅広い分野の
も感じていたようですから、ゲーテのうつ病とい
学問をマスターした大学者でありながら学問に空
うのは相当に重症だったと思われます。それから
しさを覚え、その挙句悪魔に魂を売り、遊びのつ
また、うつ病というのは人々から大変に嫌がられ
もりで田舎娘を誘惑し、さんざ弄んで捨てた後、
る病気だと思っていたようです。というよりも、
その娘が悲惨な末路を辿っていることを知ると、
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我が身の危険を顧みずその娘を助け出そうとする
一般的にはそれに大いなる価値を認めておられる
ファウスト博士の人間性の存在を証(あかし)す
人が多かったようで、普通、結婚するまではその
るところでこの物語は終わっているのです。
また、
純潔を守り通そうとしていたようです。恐らく
ゲーテ自身は明朗な性格でもあったらしく、誰そ
ゲーテ自身も、
若い娘さんはなるべく若いうちに、
れ構わず、分け隔てなく誰とでも付き合ったよう
しかも純潔のままで結婚してもらいたいという保
です。時には世間的にはくだらない人間と思われ
守的な考え方であったと思われます。そしてゲー
ているような人でも付き合ったようですから、彼
テは結婚前の娘さんの奔放な行動に対して警鐘を
は博愛主義者だったのかもしれません。恐らく彼
鳴らしているのです。さらにまた、ファウストは
は、人間は拠って立つところの人間社会があるか
物語の中で、自分と遊んだ娘が今は地域に住んで
らこそ、人間としての暮らしが出来、人間として
いる若い男女からは無論のこと、普通の住民たち
の尊厳が保たれ、天寿を全うする幸せを享受出来
からも汚(けが)らわしいからと誰にも相手にさ
ると思っていたのではないでしょうか。自分が
れず、しまいには世間の非難を浴びて罪の女とし
持っている人間としての知恵や知識が十分に発揮
て捕らわれの身になって苦しんでいる状態を大変
出来るのは、人間の支配する世界だからこそです。
に憐れんでいるのです。彼女のその後の境遇はも
象やライオンが支配する世界だったら人間は一日
う何とも悲惨の一語に尽きる状態ですが、恐らく
も生きて行けないかもしれません。ただ、ここで
当時としたらごく当たり前に見られた状況だった
問題にしておかなければならない人間の性格傾向
のかもしれません。これは現代の我々が住んでい
は、人間の傲慢な態度とか行動の他、抑制の足り
る二十一世紀の社会におきましても、示唆すると
なさから高まる衝動性です。じっくりとよく考え
ころ大なのではないでしょうか。現実に我が国の
れば分かることでも、感情の激発にかられて何の
中では、若い男女を含めて、正式に結婚する前に
検討も加えず、また、その行動が引き起こす結果
喧嘩別れしてしまい、交際が破綻した結果、しか
の重大性も考慮せず、その場の雰囲気に呑まれた
もどちらかに不満が残ってしまった場合、リベン
行動をとってしまうことは、誰にでも起きる可能
ジポルノだとか、ストーカーだとか、接近禁止だ
性があるのです。こういう衝動的な行動が計算外
とか、更には、女性誘拐監禁事件や傷害事件だと
の驚愕すべき結果をもたらしてしまう事があるの
か、最悪の場合には殺人事件になるケースさえ連
です。
日のように報道されておりまして、決して珍しく
ところで、
「ファウスト」の中にこんな一節が
ないのです。それゆえ若い男女の方々は、娑婆の
あります。“あわれな、あわれな娘たち。わが身
こと、殊に男女の恋愛のことは、すべからく自分
いとしと思うなら、花ぬすびとに油断すな。指輪
の思うようには行かないものだという認識を持つ
をはめてもらうまで” ・・・この一節が書かれた
べきです。若い男女のハッピーエンドに終わる交
のは今からもう二百年ほども前の時代ですが、そ
際なら、我々年配者から見ましても微笑ましくて
のころから若者、特に若い女性の恋愛とか男女交
誠に結構なのですが、残念ながらそうならない
際に関する注意を喚起していたかのような文章で
カップルも今の世の中大変に多いのですから・・・。
す。恋愛や交際はよくよく考えて後悔しないよう
引用文献
にしなさいよ、と述べているのです。この文章は
1)ゲーテ 佐藤通次訳:若きヴェールテルの悩
2)
主人公のファウスト博士に従っている悪魔が歌っ
ている一節なのですが、何となく現代の娘さんに
み.角川文庫,東京,1977.
2)ゲーテ 手塚富雄訳:ファウスト.中央公論
対する大人たちのお節介にも通じているような気
が致します。当時としましても、やはり(現代と
社,東京,1981;274.
(関病院)
同じように?)娘さん方(若い未婚の女性という
意味です)の純潔は大いに尊ばれておりまして、
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